2015年6月18日木曜日

第8霊信の公開 07・1・20 1:01受信

     SAM催眠学序説 その55

第8霊信の通信霊は、注①のように私の守護霊であることを明かしています。
注②で述べていることについて、私自身は、体外離脱状態を作り出している自覚はありません。
他者に対しては、SAM前世療法による「魂の自覚状態」に至ると、体外離脱を報告するクライアントが出ることは事実です。
注③については、この予言は的中しています。この霊信から3年後の2010年に『生まれ変わりが科学的に証明された!』(ナチュラルスピリット社) を出版しています。確かに生まれ変わりを扱うという内容は前著と同じですが、生まれ変わりの事実を認めるという明確な主張をしたことは「方向性が異なる」という霊信のとおりです。
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あなた方がより理解を深めるために、アトランティスでの出来事について深く掘り下げていこう。

どうしても知りたいと望む者に対しては伏せながら、物語を読んでいきなさい。

私はエドガー・ケイシーではない。

彼を守護するものであり、あなた(稲垣)に繋がるものである。注①

あなたは私からの霊信に安心を深めはじめている。

そのまま流れに身を任せなさい。

先ほどあなた方が話した「これから先」について少し伝えることがある。

あなた方の周りに集う者の中に、あなた方を必要とし、あなた方も同じく必要とする者たちがあらわれる。

あなた方は多くの者とそれを行うのだと理解しなさい。

アトランティスを中心にして集うのではなく、あらゆる過去世を通し集うのだ。

あなた方はこれまで繰り返した生まれ変わりの中でも再び出会う必要のある者たちと再会する。

今回触れるのは、M子の魂の傷ではなく、あなたについてのものだ。

あなたは、今の姿勢を保ち、語りを読み続けなさい。

あなたがこれまで今世を通し、より強い興味や探究心を惹き付けられるものを、あなたはそこで理解していた。

あなたはそれを科学的な見解から理解していた。

すべては「意識」であると理解していた。

言葉としての「意識」をあなたは理解している。

だが、その本質はまだ理解には及んでいない。

あなたがより覚醒するにしたがって、それは思い出されるものとなる。

そして、あなたは意図的に「体外離脱」状態をつくり出すことができた。

それは、あなた自身に対しても可能であり、他者に対しても同様であった。注②

その状態を通し、あなたはあらゆる存在と接触を持つことが可能であった。

あなたが「なぜか」と考えること疑うことは、あなた自身が生じさせる思考であると同時に、私たちが投げかけている課題なのだと理解しなさい。

あなたが催眠を深く探究したのと同じように、これからあなたは多くのものについて知ることとなる。

あなたとM子のアトランティスでの繋がりを掘り下げていこう。

簡単な言葉を用いて表現するとしたら、「あなたは科学者で、多くのものと地球の状態を理解した。そして、戦乱の中それを中止させることと地球の状態悪化を防ぐための方法提示を行った側であった」のだ。

だが、あなたの盲点は「提示した側について多くを知らなかった」ことである。

そこで行われたものをあなたは想定することが出来なかった。

それは、あなたの責任ではないものであったが、その頃のあなたにとっては「無知がもたらした惨事の責任」として傷を残した。

あなたが理解しなければならないのは、我が霊団が語るものはあくまで情報でしかないということである。

霊信によりすべてが進められるのではなく、あなた方の行動を通してのみ変化は生じるものである。

与えられるものは情報でしかなく、それを受け取り処理するのはあなた方である。

情報に対して感じる部分、その奥底にある魂の反応するものを感じなさい。

静と動を見極めなさい。

静は、あなたの魂の感じるものを受け取る状態であると同時に、あなたの内的目的に対して進行するものである。

動は、あなたの知性や理性を生かし、そしてあなたの感覚を生かし行動を通し、外的目的へと進行するものである。

あなたは「動」については優れている。

だが、「静」に関してはより理解を深めなければならない。

内側にあるものを捉えるのだ。

その瞬間、あなたに内存するすべてを包み込むのだ。

そしてそれらを観るのだ。

相反する状態のバランスを保ちなさい。

今回伝えるべきことは、あなた方を含め多くの者が計画に参加しているということである。

そして、あなたはいずれ前回とは異なる内容の本を出版することとなる。

全貌が異なるのではなく、方向性が異なるのだ。注③


それは、多くの人を惹き付けるものとなる。

そして、あなた方の参加する計画というゲームはあなた方の考えるよりも大規模なのだと理解しなさい。

楽しむ姿勢を忘れないようにしなさい。

そして、直感に従い周りの人間と連絡を取ることを怠らないようにしなさい。

それは、あなたに直接的にも間接的にも恩恵を与えるものとなるだろう。

ある意味では、童心に返りこのゲームを楽しむ必要がある。

深刻に捉えすぎないようにしなさい。

真剣に向き合うのは、その必要があると判断したときだけにしなさい。

あなた方は強制的な軌道修正を加える必要なく、あなた方の興味や探究心により前進するだろう。

口外することを禁ずるのは、アトランティスについての内容のみとする。

口外を禁止する必要があると判断が下るものについては、逐一伝えるものとする。

それ以外について、霊信を行っているということについては、あなたが直感で伝えてもよいと判断する相手であれば伝えなさい。

その中でもアトランティスについて触れるもの以外であれば、伝えることは許されるものである。

すべてを隠すことは、あなた方がこれから先多くの者と繋がるための道の障害となりかねないものである。

あなた方の目的は、多くのものの協力をもとに達成できるものである。

これまでの、そしてこれからの繋がりに感謝しなさい。

明日は一日、夜の霊信を読むまでの間、計画について、そして我が霊団について、そういったものに関して考えないようにして過ごしなさい。

「今のあなたという人間のあるがままに」過ごしなさい。

あなた方は流れにうまく乗っているのだと理解しなさい。

私たちは「監視」しているのではなく「見守っている」のだから。

神を感じることを忘れないようにしなさい。

これまで「神からの啓示や霊信」を受けた者がいないのではない。

気づかなかっただけだ。

神はいつでも、すべてとともにある。

それを理解しなさい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・第8霊信おわり

第9霊信へつづく 

7 件のコメント:

稲垣 勝巳 さんのコメント...

匿名の読者から、「ラタラジューの事例」についてのあるブログの批判記事の紹介がありました。
この批判者が、私の本ブログ記事、および拙著をきちんと読んでいないことは明白であり、生まれ変わりなどあるはずがない、という前提に立ったとりとめのない思いつきの印象批判に過ぎません。
でなければ、以下のような批判は出るはずがないものです。
批判の要旨は次の2点です。

①アンビリ制作側のやらせセッションの疑いがある。

②セッション同席者にやらせトリック加担の疑いがある。

以上の言いがかり批判は無視してよいのですが、きちんと反論をしておきます。

①テレビ局のヤラセの疑いは完璧に論破できます。
「タエの事例」にしろ、「ラタラジューの事例」にしろ、両実験事例のセッション映像撮影は、アンビリから映像貸与のオファのあった1年以上前に撮った映像であり、撮影にアンビリ側がヤラセなどに関与する余地はまったくありえません。
このことは、すでに述べたことがあります。
アンビリに問い合わせれば、ヤラセ疑惑など生じる余地のまったくなかったことが簡単に検証できます。

②のセッション同席者がなんらかのトリックに加担していたのではないか、という疑惑も完全な的外れであることは常識的に判断できることです。「ラタラジューの事例」については、真性異言研究チームの中部大学大門教授、岡本准教授、さかえクリニック末武院長(医博)が同席しています。
同席者の氏名は拙著で明らかにしています。
彼らの証言を検証すれば疑惑は完全に払拭できます。大学教授、医学博士の肩書きを持つ社会的地位のある複数の人間がつるんでトリックに加担するなどの事実がありえると考えるのは異常な懐疑主義者と言うべきです。
アンビリ放映の話など皆無の時点で、暴かれたら大恥をかくトリックに加担をしてまでセッション撮影をしなければならない利得はありません。

参考までに、同席者の一人さかえクリニック院長末武信宏医博がmixiに2010年8月7日に投稿していただいた記事を下記に再掲しておきます。
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2010年8月5日のアンビリ放映の反響は大きかったようです。
ただ、残念な点がいくつか。

この実験セッションの真実は1時間で紹介できるほどの小さな内容ではありません。
リサさんの深い苦悩と想い。

今回のセッションに至る経緯、この実験までに至る 事例提供者で研究者でセラピストの稲垣勝巳先生のご苦労や調査努力、とても理解されることは放映の内容だけではわかっていただけないと考えます。

この放映だけ見て 凄かった がっかりしたとか、この程度かとか憑依では?とかいろいろご意見やお考えが寄せられたようですが、リサさんのこと、稲垣先生のご研究、前世療法の学術探究意義、過去の世界で行われたスティーブンソンの論文・・・などしっかり理解していれば少しご意見や疑問は変わっていた思います。

私は今回の放映は 真性異言、しかも応答型真性異言の世界初の映像の学術的探究に尽きると思います。

今回の学術的探究は 言語学解析にあります。
実はこの言語学的解析には アンビリーバボースタッフの方々の大きな大発見と成果があります。
これは研究チームも気が付いていない大変な発見があったのです。
言語解析が現時点では 研究チームで十分行われてはいなかったことを謙虚に受け止めています。
私自身も勘違いをして 稲垣先生からの指摘で驚かされました。

アンビリスタッフの功績は

1:タマン族の発音、細かい言い回しが確認できたこと(現地調査)

2:ネパール語は日本語と異なり 主語の人称や尊敬語で助動詞が複雑に変化すること。リサさんも主語が尊敬語の時使用する助動詞を使用していた

3:数詞も正確に話している。しかも明確な回答で

4:タマン族に特徴的な発音、イントネーション特に数字の発音はタマン族と確実に一致している点

5:ナル村特徴的な環境背景と言語の一致

これは研究チームが気がついていない部分でもあります。
部族特有のイントネーション、文法的変化は真性異言の信ぴょう性を大きく高めます。

ネパール語を取得するだけでは得られない会話能力になります。
97%タマン族のナル村であれば タマン族特有のイントネーションや言い回しの言語で会話することには極めて意義があります。
会話の成立確率より タマン族のイントネーション、特有の発音の意義は大きいような気がしてきました。

今回の現地調査の陰には稲垣先生の事前の綿密な調査と計り知れない労力があります。
稲垣先生は事例提供者だけではなく真の前世探究者として私も一緒に研究に参加させていただいています。

家族のご心配をおして 稲垣先生がリサさんとご家族を説得しリサさんの取材実現となったこと、稲垣先生の熱意が多くの方を動かしたこと。
リサさんは使命感を持って被験者になりテレビ取材を顔出しを了解していただきました。

ナル村役場での取材実現ももこういった下準備があったからこそです。

また、時代背景や年号、その時代を統治したラナ家など具体的な一致。

文盲で記録がない150年ほど前の遠い外国の辺鄙な村の調査は想像を絶するものではなかったでしょうか。

まだまだ放映されない多くの事実があります。
これを語るにはとても時間もテレビ放映ではありませんし、凄惨な事実もあります。

今回の放映ではやらせどころか 前世を証明する、あるいは真性異言を証明する一部しか放映ていなかった点をご理解いただきたく存じます。

今回のテレビ放映で 一方的にご自身のお考えを伝えられる方もおられますがその背景にはこの何十倍もの情報と経緯があったことをお察しいただければ幸いです。

科学者としても前世療法を行うセラピストとしても 今回の放映は 応答型真性異言の世界で初めての映像になる可能性が極めて高いとお伝えしたい気持ちでいっぱいです。

今回の放映の裏話や経緯、そして真実は近日、稲垣勝巳先生が 出される新書で明らかにされることでしょう。

その本をお読みになって すべての内容を把握していただいて さらなる論議や検討が行われることを切に望んでおります。

きっとこの議論の中で新しい発見が得られるかもしれません。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(再掲おわり)
何らかのトリックに加担していた社会的地位のある人間が、このような欺瞞記事をぬけぬけと書けると思われますか?

きちんとした再検証の手続きを踏まず、思い込みによる前提で①②のような印象批判をできるのは、非科学的思考の典型だと思います。
とりとめのない思いつきの印象批判に過ぎない、と反批判をした意味は以上の理由からです。

シュヴァル さんのコメント...

いつも思うのですが、結局稲垣さんに会いもせず、ネットで真実を語っているつもりの方が
多いようです。

私も、セッション受けるまで疑念がなかったといえばうそになりますが
体験を通じて、稲垣さんがそのようなトリックをする方には思えません。

そもそも私自身が催眠状態を体験していて、催眠にトリックがあったようなことはないを体験しているからです

結局は、百聞は一見にしかずであり、直接いえないのであればそれは意味がない主張だと思うのです。

稲垣 勝巳 さんのコメント...

この「ラタラジューの事例」の批判者は次のようなことも述べています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(引用はじめ)
ここでひとつ大きな疑問が湧いてきます。

「退行催眠で被験者が語ったことは、すべて事実なのだろうか?」 という疑問です。

このことに関して、1987年ケンタッキー大学のロバート・ベイカー教授が、60人の学生を被験者として以下の手順で実験を行いました。

退行催眠に入る前に、60人の被験者を同数ずつグループ分けし、

①前世療法はインチキである

②前世を見るかもしれないし、見ないかもしれない

③前世を見ることが出来る、素晴らしい体験である

と、語ったテープのどれかを、催眠療法前に各グループ別に、各被験者に聞かせる。

催眠療法後、

①のグループでは、10%

②のグループでは、60%

③のグループでは、85%

の被験者が、前世を見たと答えた。

この実験結果で解ったことは、人間は事前に何らかの情報の刷込をされると、その言葉通りのビジョンを脳内に描くのではないかということです。即ち、「退行催眠」で被験者が語ったことは、すべて事実ではなく、被験者の思い込みやスキーマが大きく作用していると推察されます。つまり、いくら退行催眠の事例をたくさん集めても、その信憑性は薄いと結論せざるを得ません。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(引用おわり)
生まれ変わりの研究者として、私はロバート・ベイカー教授の実験は十分承知しています。
この「ラタラジューの事例」批判者は、ロバート・ベイカー教授の実験結果をもって、固有・特殊な事例である「ラタラジューの事例」を、「被験者が語ったことは、すべて事実ではなく、被験者の思い込みやスキーマが大きく作用していると推察されます。つまり、いくら退行催眠の事例をたくさん集めても、その信憑性は薄いと結論せざるを得ません」という自分の結論と「ラタラジューの事例」を同一視しようとしています。
1つの実験結果をもって、すべての前世療法の結果を一般化して結論づけようとしています。
これは「極端な一般化」という認知の誤りです。

仮に被験者里沙さんの思い込みやスキーマが大きく作用しているという疑いをかけたとしても、学んだはずがないことが検証されているネパール語で応答的会話がおこなわれた事実をどうして説明できるのでしょうか。
この論証がまったくないところでは、「ラタラジューの事例」のありきたりの批判は批判たりえないことを明白に露呈しているのです。

シュヴァル さんのコメント...

理沙さんの事例は、セッション前のお話で応答型真性異言であり、超ESP仮説を棄却できる事例と
説明がありました。

私はセッションでは①にあたる成果ビジョンはまったく見えませんでした。
しかし、質問には指がはいかいいえで答えてしましたし

二つの人格ともに、まったくしらないもので片方は私がいったことみたことも場所について
の反応でした。

となると、この調査は、ビジョンと刷り込みに相関性があるようにみえますが
ビジョンが事実かどうかの調査していないので信憑性の証明にはならないと思います

ブログの主張は、統計処理の誤りに見えます。
よくある勘違いに見えるんですよね

iPhoneが普及したときにゲーム機の五年サイクルの後半にあたったので販売台数が減った
だから相関性があるように見えます。しかし、実際は、たまたまだったりするわけです。

実際ゲームなんかですがたしかに、最初は連動してるように見えましたが、現状はゲーム機市場は
微減、スマホゲーム市場は大きく成長していて実は相関性がなかったことがわかったりしています。

この調査は刷り込みで催眠の事例に影響があることは証明できても、
その結果が、事実を想起させている加速させたような効果かだったか違うのかは
実は全くわからないように見えますね

稲垣 勝巳 さんのコメント...

ロバート・ベイカー教授の実験は、人間は事前に何らかの情報の刷込をされると、その言葉通りのビジョンを脳内に描くのではないか、という仮説の検証結果という意味があるだけであり、語られた前世の記憶の真偽については一切検証されていないようです。
要するに、ベイカー教授の仮説の検証結果と前世記憶の真偽とは無関係であるわけです。

したがって、きちんとした真偽の検証を経ないで、前世記憶の信憑性についてまでも、ベイカー教授の実験結果をもって、軽々に「信憑性は薄い」という結論が出せるはずがありません。

こうした不確かな結論に満足してしまうのは非科学的な「恣意的推論」に過ぎません。

語られた前世の記憶なりビジョンの真偽の徹底的な検証をおこない、その結果に基づいて結論を導き出すことが科学的な態度ではないでしょうか。
このことについては、イアン・スティーヴンソンの研究『前世を記憶する子どもたち』日本教
文社、PP.71ー80がきわめて示唆に富む指摘をしています。

本ブログで述べてきた「タエの事例」と「ラタラジューの事例」では、その真偽の判断のためにイアン・スティーヴンソンの先行研究にならって徹底的な検証をおこなった自信があります。

その結果として、現行唯物論では説明不可能であり、現在の時点で、この2つの事例を語った里沙さんについては「生まれ変わり仮説」以外に説明ができないという判断に至っています。

シュヴァル さんのコメント...

このブログの方は本当の意味で統計処理というのを理解されていないのかもしれません。

あくまでも相関性が高いのは刷り込みと催眠時のイメージ想起であって

想起されたイメージが事実かどうかそもそも調査していないのであれば
その相関性を示したものではないということになります。

もしかすると事前のそういうことを行うことで加速されたかもしれないわけです。

私はまったくイメージはセッションでありませんでした。
しかし、だからといって前世人格の反応がなかったわけではありません。

この批判は統計を使っているように見えて違うというよくある錯誤にやはり見えます。

以前、稲垣さんが書いておられた挫折の法則で完全な証明ができていないのをいいことに
イメージされたものが虚偽であると思い込んでいるように見えますね。

真偽は私にはまだわかりませんが、少なくとも、否定するものがないように思います。

応答型真性異言は現時点では本人が古ネパール語に精通しているでもなければ説明がつかず
その点は徹底的に調べられたと理解しています。

そこを棄却できなければ、やらせとトリック持ち出すしかないってことに私は思います。
今のところ稲垣さんに挑戦してくる方は、結局棄却できていないと言ってるように
私には思えますね

稲垣 勝巳 さんのコメント...

名無しさんから(おそらく前回の投稿に引き続きショウタさん)から下記※の「コメント投稿の留意点」に抵触する投稿がありました。

※各記事ごとのテーマから大きく逸脱しているコメント、根拠が提示されない観念的議論を求めたり、根拠不明で反証可能性に閉ざされたコメントは、話題の焦点が拡散し、散漫になることを避けるため、投稿されても掲載できません。

※ ご自身の意見は述べず、他者の見解を貼り付けるだけの安直・怠惰な投稿は「コメント」とは認められず掲載できません。また、ハンドルネームさえ明かさない名無しさんの投稿は掲載できません。

今回、飯田史彦氏への、他者の抽象的批判記事を貼り付けただけの意図不明の怠惰な投稿の手口は過去のショウタ流のゴミ記事投稿だと判断しています。

ショウタさんが匿名の投稿に切り替えた理由は、自分の投稿記事に対する私の反論に対して、再反論なり、感想を求められることを逃げるためだと推測しています。
こういう態度を姑息な態度と言います。

この推測の根拠は、「ラタラジューの事例」について①アンビリ制作側のやらせセッションの疑いがある、②セッション同席者にやらせトリック加担の疑いがある、という言いがかり批判
に対して、私が反論しても、だんまりを決め込んで知らん顔をしていることにあります。
指摘の疑惑に私がきちんと反論しても、ダンマリを決め込むことは私の反論を認めたものと判断していますが。

私は飯田史彦氏とは一切無関係ですし、彼の書籍から学ぶことは何もありません。
したがって、飯田氏への抽象的批判とも無縁です。
投稿者名無しさんは、なにを血迷っているのでしょうか。
投稿はゴミとして削除しました。

そもそも私は、実証のないスピリチュアルな言説を説くつもりは毛頭ありません。
どこまでもセッションで明らかになった「事実」を述べることに留めてきました。
「事実」こそが最大の説得力を持つと考えているからです。

イアン・スティーヴンソンの生まれ変わりの具体事例研究、あるいは「タエの事例」「ラタラジューの事例」への具体的反証を挙げた批判以外、私には無縁の批判です。

実証の伴わないスピリチュアルな言説を述べる著名人は現在何人か存在することは知ってはいますが、過去から現在に至るまで、実証のない生まれ変わり肯定の抽象論や否定の抽象論は、掃いて捨てるほどあります。
抽象論の応酬がまったく無意味だとは言いませんが、私は理屈や観念をこね回す抽象論の応酬にはにはうんざりしています。

「理屈より実証、観念より事実」の土俵のうえの議論こそ私の期待するコメントです。