SAM催眠学序説 その56
注①で述べているようにこの第9霊信の送信霊は、M子さんのガイドである、と告げています。ここで、いわゆる守護的存在には、人間として生まれ変わりを経験した「守護霊」と、人間としての生まれ変わりを経験していない「ガイド」に区別されると述べています。
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あなたにとって愛とは何だろうか。
それについて考えたことがあるだろうか?
ないとは言わない。
だが、あなたは理屈でそれを考えようとしたことはある。
だが、それは感じることから始まるものであり、あらゆるものの根源は愛であるのだと理解しなければ、そのすべての全貌を理解することはできない。
今のあなた(稲垣)は自分がそれについて語るには程遠いと感じるだろう。
だが、あなたの行う「ヒーリングも愛である」ということは、あなた自身もいずれは完全な納得を得ることができる。
今日は、私たちのように守護する霊的存在について語ろう。
これは、あなたが学んだものとは異なるものである。
それは、感じることでしか理解することは困難である。
守護するものの中には大きく分けると、「生まれ変わりをしたことがある、かつては人として存在した者」と「生まれ変わりをしたことがない者」がある。
これをM子はより分けるために、「守護霊」と「ガイド」として区別をつけていた。
そのために、「チャネリング」という言葉を用いるようになったのだ。
彼女の中では「守護霊」とは生まれ変わりを経験したものであり、今後生まれ変わりを必要としないものである。
それを彼女は「生まれ変わりを必要としない、人のようなイメージとしてビジョンを受けるが、高次元に存在するもの」として受け取っていた。
我が霊団は「守護霊」と「ガイド」で形成されるものである。
よって、神からのメッセージをM子は受けやすくなっている。
霊学としての基盤は、時として「学び」に対する壁となる。
そういった意味で、あなたはこれまで得たもので捨てるべき知識を判断しなければならない。
エドガー・ケイシーは守護霊である。
だが、彼やあなたを守護するものは「ガイド」である。
今ここで語る私はM子のガイドであり、人として生まれ変わることを選択していない。注①
守護霊もガイドも霊的存在であることに変わりはない。
本質的には同じものである。
そして、あなた(稲垣)が最も理解すべきなのは「霊祓い」を選択するのではなく「浄化」を選択することである。
祓うことは、追いやることや強制的に引き離すことを意味する。
離れたとしても一時的なものでしかない。
応急処置のようなものでしかない。
霊がいつも求めるものは「理解」であることを忘れないようにしなさい。
そして、その本質は「愛」なのだ。
あなたは霊信を周囲の理解を持つだろうと思われる人間に送ったとM子に告げた。
霊信を見た者からは、あらゆる意見を与えられるだろう。
その中には、ありえないという否定やその先を求める期待、あらゆるものが見られるだろう。
だが、その相手の判断を基準としてはならない。
あなたは、あなたが感じるものを基準としなければならない。
彼らは学びはしても、霊信を受け取ることはないだろう。
実践としてでしか得られない学び、そして感覚がある。
あなたが求める共感は得られない。
だが、あなたの魂は霊信から感じるものを持つ。
あなたの感じたもの、そして理解、あらゆるものはあなたのものであり、それは共有することはできないものである。
永遠にというわけではない。
肉体を離れるまで、と表現すれば理解できるだろうか。
そして、あなたがより理解しなければならないことがある。
何かをするに当たって、道具は道具でしかないということである。
それがどんなに優れた性能を持つものでも、どんなに研究された結果からの恩恵であっても、人ありきの道具なのだ。
経なども同じである。
それは道具なのだ。
あなた方の真の言葉ではない。
もっとも効果をあらわすのは「あなた方の言葉」なのだ。
ある意味においては、それをM子は深く理解している。
だが、表層的な意識でそれを理解しているわけではない。
彼女の深層意識が理解しているのだ。
ある意味では彼女は無知である。
よって、彼女は道具を知らない。
彼女は現状において、自分に与えられたものだけを使う。
人は、その時に必要なものをすべて与えられているのだ。
その瞬間に必要であるものすべてを与えられている。
真に必要な要素は自分にな内存されたものであると理解しなさい。
あなたは、自分の魂の感覚をもっと感じる必要がある。
それは誰もが感じられるものである。
あなたが、あなたの魂と対話する時間を設けなさい。
他者ではなく、あなたに向けて語りかけなさい。
そうすれば、あなたはより聡明となるだろう。
あなたは、私たちが語るものについて忠実である。
そう従う感覚も、ある意味においては「魂の感覚が生み出すもの」である。
あなたが信頼する者は、霊信についてある部分については指摘し首を傾げるだろう。
だが、「感じることでの理解を持つ」者はある反応を持つ。
真の理解は、内面から起こるものである。
それは感じることを必要とする。
よって、私たちは「あなたがより深い理解を生むために、あなたが自身の魂と向き合うこと」を提示するのだ。
それは、あなた方にとっても私たちにとっても、計画を進めるために当たって必要なことである。
情報を与えるよりも、あなた自身がそこで起こす変化が重要なのだ。
あなたの魂が何を感じているか、何を求めているか、何をあなたに語りかけているか、それを感じなさい。
感じたあとでしか理解はできない。
理解をしようとする者は、理解される者にとっては違う立場にある者である。
相手の立場を感じることが理解のはじまりである。
あなたのすべての感覚は、あなたに属するものである。
そして、それはすべて魂と繋がるものである。
あなたとあなたの魂は、「感じる」ことで繋がるのだ。
あなたの魂は、あなたが感じることを求めている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・第9霊信おわり
第10霊信へつづく
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