2014年12月4日木曜日

「ラタラジューの事例」セッション逐語録9

   SAM催眠学序説 その31


「ラタラジューの事例」応答型真性異言逐語録 その9(最終)


注:KAはネパール人対話者カルパナさん、CLはクライアント里沙さん。

KA  Ke aba, ke garne ta, aru kehi sodou ki nasodou?
   (どうしましょうか? もっと聞いてもいいですか? やめた方がいいですか?)
注:この時点で私は、里沙さんの疲労困憊状態を心配して、セッションの終了を決断していた。しかし、立ち会った見学者からは、カルパナさんにラタラジューへの質問事項の要求が口頭やメモで次から次へ出され、セッションの続行を余儀なくされた。クライアントの健康状態第一のセラピストの立場と研究的探究心旺盛な見学者とのギャップを痛感していた。


CL  Ho.
   (はい)

KA  Sodon?
   (聞いてもいいですか?)

CL  Ho.
   (はい)

KA  Tapaiko gauma manche morda keri ke garni garekocha?  Gauma?
   (あなたの村では人が死んだらどうしますか? 村では?)

CL  Ah,
      (あー)

KA  Hai.
      (ハイ)

CL  Himal.
   (山、ヒマラヤ)

KA  Himal?
   (山、ヒマラヤ)?

CL  Himala ... Himal.
   (山、ヒマラヤ)

KA  Himal?
   (山、ヒマラヤですか?)

CL  Ho.
   (はい)

KA  Manche morda keri Himal lera jani?
   (人が死んだ後、山、ヒマラヤに運ぶのですか?)

CL  Ho.
   (はい)

KA  Himalma?
   (山、ヒマラヤに?)

CL  Ho.
   (はい)


KA  Ke ho, jalauni ki gadni?  Himalma lagera ke garni jalauni ki gadni?
   (山、ヒマラヤで燃やすのですか、埋めるのですか?)

注:ナル村の現地取材を依頼したソバナ博士の調査報告によれば、ナル村の死者の弔いは、遺体をヒマラヤを望む山 上に運び、遺体の頭をヒマラヤに向けて火葬にする。火葬後、骨と灰をいったん土中に埋める。いばらくして骨と灰を掘り出し川に流して弔いは終わる。火葬も し、土葬にもするということになる。墓を作る習慣はない。したがって、遺体を燃やすし、骨と灰を埋めることもする。


CL  Ho.
   (はい)

KA  Jalauni?
   (燃やすのですか?)

CL  Ho.
   (はい)

KA  Gadni?
   (埋めるのですか?)

CL  Ho.
   (はい)

KA  Tapailai kehi bannu man cha bhane bhannusna.
   (何か言いたいことはありますか?)

CL  Ho.
   (はい)

KA  Hajur?
   (はい?)

KA  Kehi cha bannu man lageko?
   (何か言いたいことはありますか?)

CL  Ho.
   (はい)

KA  Chaina? Bhayo?
    (何もありませんか。もう充分ですか?)

CL  Ho, ho, hoina.
   (はい、はい、いいえ)

KA  Hoina?
   (充分ではないのですか?)

KA  Kehi cha banna man lageko?
      (何か言いたいのですか?)

KA  Kehi cha manma kura?
      (何か言いたいことがあるのですか?)

CL  Bujina.
   (分かりません)

KA  Buji ... bujina?
   (分かりませんか?)

KA  Tapaiko gauma ko ko hunuhuncha sathi?
   (あなたの村では誰が友達ですか? 村です)

CL  Gaun ...
   (村)

KA  Hajur, gauma.
   (はい、村です)

CL  ha ... hajur ...
   (はい)

KA  Hajur, gauma ko ko hunuhuncha?
   (そうです。村には誰がいますか?)

KA  Tapai kati barsa hunubhore, pheri ek choti bhanidinusta?
   (あなたは何歳ですか、もう一度言ってもらえませんか?)
注:この質問は愚問であろう。ラタラジューは78年生きたと言っている。「今お話しているあなたは何歳のラタラジューですか?」のように尋ねるべきであろう。そうでないとラタラジューには答えようがない。

CL  Ha ...
      (は)

KA  Kati barsa hunubho?
   (何歳ですか?)

CL  Ah ... Ana.
      (あー)

KA  Tapaiko chora kati barsako bhayo? Chora  ... chora ... chora kati barsako bhayo?
   (あなたの息子さんは何歳ですか? 息子さん、息子さん、息子さんは何歳ですか?)

KA  Kancha, kanchi?
   (息子さん? 娘さん?)

CL  Kancha.
   (息子)

KA  Kancha?
   (息子?)

CL  Ah, Adis.
   (あー、アディスです)

KA  Kancha, Adis.
   (息子さんはアディス?)

CL  Hum ...
     (ふむ)

KA  Kati barsako bhayo Adis?
   (アディスは何歳ですか?)

CL  Adis.
   (アディス)

KA  Adis kati barsako bhayo?
   (アディスは何歳ですか?)

CL  Moi(?) ho ... ho...
    (はい・・はい)

KA  Adis kati barsako bhayo?
   (アディスは何歳ですか?)
注:カルパナさんは「アディスは何歳ですか?」と三度尋ねているが、ラタラジューが何歳の時かの特定がなければ、ラタラジューには答えようがない。

CL  Bujina.
   (分かりません)

KA  Bujnubhayena.
   (分かりませんか)

KA  Tapaiko gauma Magar kohi cha?
   (あなたの村にはマガール族の人はいますか?)
注:ナル村の現地取材を依頼したソバナ博士の調査報告によれば、2010年現在のナル村人口は2,277人、420世帯である。その人口の97%はタマン族である。ラタラジューの生きた1816年~1894年当時は、タマン族のみの村であった可能性が高い。したがって、マガール族やライ族のことを尋ねられても「分からない」と答えたのかもしれない。

また、ラタラジューが何歳時の人口かは不明だが村民は25人と答えている。


ちなみに、セッション後のフラッシュバックで、ラタラジューが里沙さんに語ったことによると、ラタラジューはラナ家の権力闘争で殺した敵方の妻や子どもを多数伴ってナル村に戻り、村長として独裁権力を振るったため、村民の恨みを買って親子ともども毒殺されたと語っているという。さらに、謀殺を企てた村民は、ラタラジュー一家の存在そのものを無かったことにするという申し合わせをしたという。したがって、現ナル村にはラタラジューを知る者も、ラタラジューの子孫もいないということになる。私の依頼したソバナ博士によるナル村の34名の古老への聞き取り調査でも、ラタラジューおよび子孫の存在は確認出来なかった。


CL  Ah.
      (あー)

KA  Magar.Tapai pani tamang ho?  Tamang ho tapai?
   (マガール族です。あなたはタマン族でしたよね? タマン族でしたよね、あなたは)

CL  Ha ...
     (は)

KA  Rataraju, Tamang ho tapai?
   (ラタラジューさん、あなたはタマン族でしたよね?)

CL  Hajur ah.
   (はい)

KA  Gauma Magar chainan?
   (村にはマガール族の人はいないのですか?)

CL  Hum.
      (ふむ)

KA  Magar.
   (マガール族の人です)

CL  Ha ... bujina.
   (はー、分かりません)

KA  Rai kohi chan ki ta?
   (ライ族の人はいませんか?)

CL  Ah ...
      (あー)

KA  Kun kun jatko manche chan gauma?
   (村の人はどのカーストに属するのですか?)
注:ラタラジューが何歳時の人口かは不明だが村民は25人と答えている。山岳少数民族のタマン族単一25人のナル村にカースト制度があるとは思われない。


CL  Ah ... bujina.
   (分かりません)


KA  Bujnubhyena.
   (分かりませんか)



「ラタラジューの事例」応答型真性異言部分の逐語録おわり。

(その32につづく)

8 件のコメント:

坊 さんのコメント...

ショウタさんが貼った記事の検証を拒否するコメントを見させてもらいました。

客観派の私が思うには失礼ですが稲垣さんは唯物論から逃げているように思います。なぜなら稲垣さんの生まれ変わりの科学的実証研究に期待や応援をしてその中で唯物論的な科学記事の内容の検証を求めているのだと思います。


自分の研究に自信があるのであればぜひ唯物論の脳科学の記事内容に耳を傾けて検証して欲しいです。

偉そうなコメントですみません。

稲垣 勝巳 さんのコメント...

客観派を自称する坊」さんは、you-tubeに公開している「生まれ変わりの実証的研究」を「客観派的に」ごらんなってどう受け取っているのか、それをまず述べることが本ブログにコメントを投稿する際の礼儀というものではありませんか。
公開動画は証拠をあげ解説し、「反証可能性」にひらかれていますから、唯物論派であろう人は反証をあげて反論できるはずです。

ショウタさんの貼った幽霊の真偽がどうこうという記事は、生まれ変わりの実証とは直接関わりのないものでした。
したがって、「ブログ投稿の留意点」のうち「各記事のテーマから飛躍・逸脱しているコメント、根拠が提示されない観念的議論や根拠不明な無責任なコメントは、話題の焦点が拡散し、散漫になることを避けるため、投稿されても掲載されないことがありますのでご海容ください」というガイドラインに抵触するという判断で削除しました。
唯物論から逃げるもなにもありません。
本ブログの生まれ変わりの検証テーマに直接関わりのない別のテーマを掲げたコメントの採否(拒否)判断は、ブログ管理人の権限です。
そのために、ブログ冒頭に投稿の留意点」としてガイドラインをわざわざ示してあります。
それが、不服であるとか、納得できないのであれば、このブログへの投稿をおやめになり、なんでもかんでもOKという寛大なブログに投稿されることです。

ショウタ さんのコメント...

動画全て見ました

素晴らしいです。エンターティーメントとして扱ったことに申し訳なく感じました


いつか稲垣さんのセッションを受けて自分の前世も知りなお死後存続を確信したいと感じるようになりました。

稲垣 勝巳 さんのコメント...

ショウタさんの動画感想を読んで、もっとも喜んでいるのは里沙さんのはずです。
タエ2006年・ラタラジュー2010年両事例のアンビリ放映後に、心ない数々の誹謗を受けてなお、今回の動画you-tubeアップを許可していただけたのは、ひとえに、死を間近にして恐怖に怯える人に、自分に起きている生まれ変わりの事実を知ってもらい、安んじて死を迎えるお役に立てたら、という強い使命感があるからです。
それは、アンビリ放映を承諾して以来里沙さんの揺るぎない信念です。

シュヴァル さんのコメント...

坊さんのコメント読ませていただきましたが
稲垣先生は、催眠を通じて起こったことを
理論的に説明するという探求をされているかたであって、脳科学の探求をされいているわけではないですよ。

社会科学では仮説→実験→検証→証明のという方法が一般的ですが先生の場合は
実務で多い
起こった事柄→検証→理論付け→証明なのでアプローチが違うのです。

たとえば、青色LEDの輝度を上げ、ノーベル賞を受賞された中村氏は、実験の結果
高輝度のLEDがなぜ輝度が高いのか?を
最初説明することができませんでした。
しかし、明るく輝いていたのです。

先生が公開されている理沙さんの事例はおこったことです。しかし、現状理論付けはされていません。先生はにはこの分野でのぜひ体系的な理論付けをされることを期待しています。

 
 

orphan elder さんのコメント...

 ただ唯物論といっても、現時点での説は「説になっていない説」ですからねえ。

 結局、生まれ変わりにしろ、臨死体験にしろ、胎内記憶にしろ、唯物側が以下の要素を抜きに反論することはできていないので、それを検証したところで、あまり意味がないように思うのですよ。

1.どこかで本人が知らないうちにその情報を把握していたに「違いない」

2.単なる錯覚にすぎず、それをあたかも自分自身が経験したと思い込んでいるに「違いない」

3.偶然でしかないものをことさら取り上げて未知の現象にしようとしている「だけに過ぎない」

4.人間は実は、脳だけでなく、細胞レベルやひょっとしたらDNAに記憶情報が取り込むことができるに「違いない」(胎内記憶が特にそういう批判を受ける)。

5.まだ我々が検知できない脳の領域があるに「違いない」

 これらに共通する点はただ一つ「そうに違いない」という推測とそれに基づく解釈だということであり、実証ではないということです。

 第一、生まれ変わりにしろ臨死体験にしろ胎内記憶にしろ、その現象を説明するのにここまで「偶然性」「錯覚」「虚偽の情報」「潜在記憶」「無意識のうちの情報取得」というそれさえあれば何でも説明できてしまうような要素を持ち出さなければ説明できないというのであれば、果たしてそれを「科学的説明」と呼んでいいものかどうかという疑問があります。

 仮にこれらの現象が唯物論で説明できるのだとしても、もっと「科学的な」ものになるはずであり、とてもではないが、今の段階で今言われている唯物論側の説を検証しても、お互いどちらにとっても平行線のままで終わるような気がするのですが……。

ショウタ さんのコメント...

何度見ても飽きませんし凄いと思います

今まで否定派の記事や感情論的な哲学ばかり語り「脳の機能」ばかり還元したことに恥を感じました。

この主流派のメディアや学問でも扱われる日が来ることを期待します。

稲垣 勝巳 さんのコメント...

私の動画や本ブログの主張は、現時点の唯物論科学(未知の脳機能仮説)では反証可能性にひらかれていませんから、科学的説明とは言えず、生まれ変わり仮説が「節減の原理」にもっとも適っていると思わざるをえないですよ、という主張です。
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