2013年6月12日水曜日

なにが生まれ変わるのか(魂の構成要素とはなにか)

私のSAM前世療法の「生まれ変わり」の概念は、これまで提唱されたものではないので、なかなか理解されにくいようです。
そこで、生まれ変わりの実証的研究者故イアン・スティーヴンソンの見解と、確信的スピリチュアリスト高森光季氏の見解を参考にしながら、私の「生まれ変わり」概念について考察してみます。
私の立場は、このブログのテーマにあるように、「生まれ変わりの実証的探究」です。
ただし、「魂」のように実測も計量もできない存在については、セッションであらわれた「意識現象の事実」の累積と、そこに確認できた共通項をもって「実証的探究」とする以外、現時点の探究方法はありません。
そうして、探究の結果、現時点で提示できる仮説としての生まれ変わりの定義は、「魂に包含される、魂の表層を構成する前世人格たちを含めた魂全体が、次の新たな肉体に宿ることをもって生まれ変わりとする」ということです。
また、魂表層の個々の前世人格たちは、互いの人生の知恵を分かち合い、死後も成長進化を続けているらしい。
こうして、魂表層を構成している前世人格たち全体の集合的意識も成長進化をしているらしい。つまり、魂は生まれ変わりを重ねながら成長進化を続けていくらしい。
こうした私の生まれ変わり概念は、奇抜のように思われるかもしれませんが、生まれ変わりの研究者である故イアン・スティーヴンソンの生まれ変わりの見解と共通するところがないわけではありません。
スティーヴンソンは、世界中の2000事例を越える生まれ変わりの可能性のある事例を精査した結果、次のように述べています。
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スティーヴンソンの見解
たとえ生きている人間の人格全体が何でできているかを知らなかったとしても、どの事例から得られた証拠をもとに考えたところで、人格全体が生まれ変わったと言うことはできないであろう。前世に由来する可能性のある人格の一側面に注意を向けることしかできないのである。(中略)
前世から来世へとある人格の心的要素を運搬する媒体を「心搬体(サイコフォ)」と呼ぶことにしたらどうかと思う。私は、心搬体を構成する要素がどのような配列になっているのかは全く知らないけれども、肉体のない人格がある種の経験を積み、活動を停止していないとすれば、心搬体は変化していくのではないかと思う。(中略)
私は、「前世の人格」という言葉を、ある子どもがその生涯を記憶している人物に対して用いてきたけれども、ひとつの人格がそっくりそのまま生まれ変わりうるという言い方は避けてきた。そのような形での生まれ変わりが起こりうることを示唆する証拠は存在しないからである。実際に生まれ変わるかもしれないのは、直前の前世の人格および、それ以前に繰り返された過去世の人格に由来する個性なのである。
スティーヴンソン・I 『前世を記憶する子どもたち』日本教文社,PP358-360
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上記のスティーヴンソンの見解は、とりわけ、人格全体が生まれ変わったということはできないという見解は、私がセッションで確認してきた「意識現象の事実」にほとんど符合しています。
私の現時点の生まれ変わり仮説も、人格全体が生まれ変わるとは定義できません。
そのような形で、つまり、人格全体が生まれ変わることを示唆する証拠は、「意識現象の事実」として確認できないのです。
スティーヴンソンの提唱している「心搬体」とは、いわゆる「魂」と同義です。生まれ変わりとは、前世人格で構成される表層を含めた「魂」=「心搬体」全体が死後存続し、次の肉体に宿ることと考えざるをえないのです。
ただし、私は、スティーヴンソンが「心搬体を構成する要素がどのような配列になっているのかは全く知らない」と述べているその「心搬体(魂)の構成要素」を、「表層部分」と「核」の二層構造になっているという仮説をもっています。また、魂表層は前世のものたちによって構成されているという仮説に立っています。
このことをさらに分かりやすく説明するために、高森光季氏のブログで提示されている下記の図によって考えてみます。
高森氏は、私の生まれ変わり仮説(魂の二層構造仮説)を、「多面体説」として次のようにな見解を提示しています。
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高森光季氏の見解
多面体説

  これは、魂なり霊なりは、Aという個人的存在を現世に生み出すが、Aは死後、魂や霊に付属して存在を続ける、そして魂や霊は、別のBという個人的存在を新たに世に生み出す、というものです。
 次の図は、時間軸に沿った変化として見てください。なんか雪玉ゴロゴロみたいな変な形になりましたが(笑い)。

 魂であるXは、A、B、Cという現世存在を次々に生み出していきます。A、Bは死後も一応の個別性を持ちながら、魂Xとともにあります。
 シルバー・バーチの「魂はダイヤモンドのような多面体であり、あなたはその一面なのだ」というような説や、稲垣勝巳さんの「人格は魂の表層のもの」という説は、おそらくこういうふうになるのではないかと思います。(ひょっとすると違うかもしれません。)
 
 さて、この構図で問題になることは、まず、「個別の人格は生まれ変わりをしない」ということになるということです。視点を個別人格に取ると、AはBに生まれ変わっておらず、AとBはCに生まれ変わっていません。AとB、A・BとCの間に「カルマ」などの受け渡しがあったとしても、それはAやBが生まれ変わったということにはなりません。
大円X(魂)の外周に、○A・○B(それぞれの前世人格)
 むしろ、「魂=Xは、次々に現世人格を生み出す」という方が適当であり、これを表現するには、生まれ変わりという言葉ではない新たな概念が必要とされるのではないでしょうか。
 もうひとつ問題になるのは、死後の「人格」の状態です。一番右の時点で、AとBは、どういう状態で何をしているのでしょう。一般的に、死後存続説というものは、単に「残る」ということではなく、「活動を続ける」ということを含意しています(古代ユダヤ教の「冥府での眠り」――復活を認めないサドカイ派の死後観――はですから死後存続説としては異常説です)。
 AとBがそれなりの主体性をもって活動していれば通常の死後存続説に属しますが、単に眠っているように魂にくっついていたり、ただCを見守る(あるいはメッセージを送る)といったことしかしていないのなら、それは死後存続説としてはかなり異常です。
 つまり、このような捉え方(あくまでこの図のような捉え方ということ)は、「生まれ変わりの否定」であり、場合によっては(死後人格の活動状態いかんによっては)、死後存続の否定にもなりかねないということになります。
(中略)
 死後存続研究者(たぶんデュカスだったと思います)が言った「死後存続については、どういう条件が満たされると証明されたことになるのか、まったく合意ができていない」という言葉と同様、「生まれ変わりについては、どういう条件が満たされると生まれ変わりが証明されたことになるのか、まったく合意ができていない」ということになっていると思われます。
 霊魂仮説を受け入れた人たちの間でも、「何が生まれ変わるか」「生まれ変わりの定義とは何か」についてすら、合意ができていないようです。
永遠なる自由――霊的哲学を求めて」より抜粋
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以下は、上記の高森氏の見解に対する私の見解です。

さて、上の図で誤解されやすいのは、大円X(魂)の外周に、○A・○B(それぞれの前世人格)が位置づけられていますが、私の概念では、○A・○B(それぞれの前世人格)は、「魂の表層」を構成している前世のものたちであって、それらのものたちは、魂の構成要素であるので、大円X(魂)・○A・○B(それぞれの前世人格)全体を含めて「魂」と呼んでいます。
さらに言えば、○C(現世人格)も、魂の表層に存在しており、この現世人格と前世人格たちを含めて、「魂の表層」なのだということです。
ちなみに、私の言う「魂」は、宗教的な意味は一切ありません。「肉体に入っており、死後肉体から離れて存続する意識体」というほどの意味です。
イアン・スティーヴンソンの提唱している「心搬体(生前の人格・記憶を保って死後存続する意識体)」と同様の概念です。

高森氏は、この多面体説では、「個別の人格は生まれ変わりをしない、ということになるということです。
視点を個別人格に取ると、AはBに生まれ変わっておらず、AとBはCに生まれ変わっていません。AとB、A・BとCの間に「カルマ」などの受け渡しがあったとしても、それはAやBが生まれ変わったということにはなりません。むしろ、「魂=Xは、次々に現世人格を生み出す」という方が適当であり、これを表現するには、生まれ変わりという言葉ではない新たな概念が必要とされるのではないでしょうか」という主張をしています。
一方で氏は、「霊魂仮説を受け入れた人たちの間でも、『何が生まれ変わるか』、『生まれ変わりの定義とは何か』についてすら、合意ができていないようです」とも述べています。
生まれ変わりの定義に合意がないのであるなら、この多面体説をもって「生まれ変わり」、つまり、表層の前世のものたちを含めた魂全体が、次の肉体に宿ることをもって、「個別の人格はそのまま生まれ変わりをしないが、それらを包含した魂全体が生まれ変わる」という概念であっても、なんら支障はないと私は思います。
端的に言えば、私の生まれ変わりの概念は、「魂全体が次の肉体に宿ること」を「生まれ変わり」だとしています。
そして、セッションで現れる意識現象の事実は、このことを支持していますから、これまでのスピチュアル霊学一般の見解に反するでしょうが、現時点ではそうと認めるしかありません。
つまり、里沙さんの場合、図の○Aがタエ、○Bがラタラジュー、○Cが現世の里沙、ということであり、このことをもって「生まれ変わり」をしていると私は呼んでいるということです。
多面体説が、「生まれ変わりの否定」になるという高森氏の主張は、氏の概念規定上の見解に過ぎないと思います。
氏が、生まれ変わりの概念に合意がないことを認めているにもかかわらず、生まれ変わりの否定になる、という主張は自己矛盾ではないでしょうか。

高森氏の「AとBがそれなりの主体性をもって活動していれば通常の死後存続説に属しますが、単に眠っているように魂にくっついていたり、ただCを見守る(あるいはメッセージを送る)といったことしかしていないのなら、それは死後存続説としてはかなり異常です」という主張は、セッションで現れる「意識現象の事実」に反しています。
前世人格AとBは、友愛を結びながらそれぞれの人生の知恵を分かち合い、それぞれ成長を続けている、というのがセッションで現れる意識現象の事実です。
けっして、「単に眠っているように魂にくっついていたり、ただCを見守る(あるいはメッセージを送る)といったことしかしていない」わけではありません。
そもそも、「魂にくっついている」という認識が誤りです。
くっついているのではなく、魂の表層を構成しているもの、したがって、魂そのものの構成要素です。
だからこそ、セッションにおいて、魂状態の自覚に至れば、タエやラタラジューが顕現化するわけで、彼らが「単に眠っているように魂にくっついていたり」しているわけではないことを、セッション証拠映像を検討すれば誰もが納得されるでしょう。

私は、「魂の多面体仮説」=「魂の二層構造仮説」の立証を、催眠を道具に用いて、セッションで確認できた「意識現象の事実」の累積から共通項を抽出する、という方法論で、これまでもやってきましたし、これからもやっていこうとしています。それ以外に「意識」の研究は方法がないと思うからです。
そして、現時点で確認できていることは、AとBとCが同じXに属するものである、という意識現象の事実です。
魂の多面体仮説に基づくSAM前世療法は、こうしたことを探究する有用な道具だろうと思っています。
そして、これまでの探究において、「多面体仮説」=「二層構造仮説」を否定する意識現象の事実はあらわれていないということです。
長々と「生まれ変わり」についての考察を述べてきました。
私の見解は、SAM前世療法の臨床から得てきた知見です。
スティーヴンソンの見解は、前世を記憶する子どもたちの検証から得られた知見です。
高森氏の見解は、過去の「シルバーバーチの霊言」に基づくスピリチュアリズム論的展開です。
ただし、私の生まれ変わり仮説=「魂の二層構造仮説」は、2007年1月23日の私あて第12霊信によって告げられた内容です。(注:私あて全霊信はこのブログで公開してあります)
そして、なぜ私に、過去のスピリチュアリズム霊信にはない、魂の二層構造のような詳しい情報が告げられたのか、という通信霊への問いに対して、2007年1月27日の第15霊信で次のような回答が告げられています。
「尋ねるまでもない、あなたに与えられるべきものが与えられたのだ。そしてこれまでのものたちに与えられるべきものが与えられたのだ。すべては神の計画によっておこなわれている。そして、それら(注:過去のスピリチュアリズム霊信)は誤りではない。それらの霊媒がそう受け取っただけなのだ。それは、真理において生じる矛盾ではなく、言葉の類似性により生まれた適切ではない表現となったものである。それは、そうあるべきであっただけだ。そして、あなたにとってもそうである。あなたには、与えられるべきものが与えられたのだ」
果たして、通信霊の告げた「魂の二層構造」は真理であるのか、それを作業仮説とし、その仮説検証の過程で生まれた前世療法が、SAM前世療法というわけです。

2 件のコメント:

ソウルメイト さんのコメント...

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深層心理学は、その名が示す通り、人間の心あるいは、精神には、表面に顕れた日常の慣れ親しんだ通常の意識の背後には、それとは異なる意識の存在を認めます。それは、なんらかの心のトラブルを抱える人と向き合い、その人の苦しみや悩みのよってきたる理由をともに考え、いかにすれば治癒に導くことができるかを真摯に追い求めた結果、到達した推論、もしくは、仮定された心のモデルといってよい、と思います。そのように考えるには、それなりの根拠があって、心理療法や精神医学の臨床で観察された事実に基づいている考えることができると思います。その見解に従えば、ひとりの人間には、いくつもの人格が共存しえますし、ひとりの人間には、いくつもの意識が併存している可能性を肯定します。この深層心理学、とりわけ、ユング派のそれが採用する心のモデルと稲垣先生がおっしゃる、魂の構造仮説は、きわめて近似したもののように思えます。わたしは、人間とは何かについてのこのような理解は、すぐれたものだと思います。ただし、深層心理学の心の構造モデルそのものは、確証された事実ではありません。また、どうすれば、確証できるかも定かではありません。とりあえず、そのように考えるというにとどまらざるを得ないものと承知します。同じように、高森光季さんが提起しておられる、魂の存在そのものをどのように、証明するのか?という問題や過去世の人格と魂または、現世の人格との関係を一意に確定させることが果たして可能なのか?という問題は、依然として難問であり続けているように思います。

稲垣勝巳 さんのコメント...

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私の魂の二層構造仮説は、霊信を送ってきた人間知性を超えた霊的存在への信頼から構築されたもので、それ以上でも以下でもありません。
深層心理学の知見も、スピリチュアリズム霊学の知見も、この仮説構築には直接的影響は一切ないのです。霊信内容そのものが仮説になっているからです。
私は霊信内容を愚直に検証した結果、その内容に信頼がおけると判断しています。
深い催眠に誘導し、魂の自覚状態に至れば、魂表層の前世人格が確かに顕現化し、対話が可能になるという臨床の累積がそれを裏づけています。現在、直近100事例の前世人格の顕現化成功率は91%です。
そして、何よりも、私の仮説の強みは、この仮説によっておこなわれたSAM前世療法セッションによって、「ラタラジューの事例」があらわれたことです。同様の手続きを踏めば、ラタラジューは何度でも再顕現化します。タエも同様です。
このことは検証済みの事実です。
私は、観念より事実、理屈より実証を足場にした探究をしてきました。