「ラタラジューの事例の英訳を作成なさるということですが、さまざまな発表の舞台のひとつに、トランス・パーソナル心理学会や超心理学会などのアカデミズムを標榜する舞台での発表をご検討されてはいかがなものかと思量いたします。
バラエティー番組などでセンセーションを巻き起こすことが、おそらく先生の本意とされるところではないのではないかと推察いたします。もちろん、広く生まれ変わりや死後生存の事実を大衆にしらしめるという点では、それもあながち排除すべきものとは思いませんが、単なるセンセーショナリズムに消費されてしまうことを恐れます」
についての回答として、私の現在の立場についてまとめてみました。
SAM前世療法が前提としている「前世」、つまり「死後存続仮説」は、今の科学(医学や臨床心理学や人文科学を含む)が基盤としている「唯物論」とは真っ向から対立します。これに対して、前世を認める立場、死後存続仮説を広める側としては、どのように対応すべきなのでしょうか。
① 実証事例を集め積み上げる
これまで120年に及ぶサイキカル・リサーチ(心霊研究)及び超心理学はこの闘争でしたが、これは実に困難な闘いでした。唯物論側は様々な誹謗や奇説(超ESP仮説)を繰り出して、それらの信憑性を否定してきました。また反唯物論的現象の希少性や「とらえにくさ問題」もあって、戦果ははかばかしくありません。
(こうした歴史については、笠原敏雄編著『サイの戦場』や同氏のホームページ「心の研究室」、明治大学教授石川幹人氏のサイト「メタ超心理学研究室」http://
この道で偉大な業績を上げたのは、イアン・スティーヴンソンの研究です。彼は気の遠くなる時間と手間をかけて、2000例を越す生まれ変わり事例を収集・検証したうえに、否定論者の最後の砦、「超ESP仮説」を棄却しうる「応答型真性異言」や、「前世記憶と一致する先天性刻印(birthmarks)」の事例をもつきとめ、生まれ変わり仮説の実証に大きく貢献しました。このことの説明は、東京スピリチュアリズム・ラボラトリーのホームページ、http://
ところが、こうした実証に対して、唯物論側は、「無視」という態度で終始しています。スティーヴンソンは、4巻にわたる綿密な研究書『再生と生物学』が、広く注目を集めなかったことに失望していたと言います。
生まれ変わり否定論者が、彼の研究をきちんと読んだ後に批判をしているという例は、皆無だと思います。
なお、この立場の研究者は、だいたい生まれ変わり仮説を「受け入れている」とは明確に表明しません。
そう表明するだけで、研究の信憑性が疑われてしまうのです(実はこれは奇妙な話で、例えば最近の新聞で話題になっている宇宙の「暗黒物質」に関する研究では、当人がそれを信じているかどうかは問題にされません。反唯物論現象のみこう した偏見があるのです)。
② 唯物論の論拠が絶対ではないことを論証する
実は、唯物論自体、絶対完璧の基盤を持っているわけではありません。唯物論自体は憶説(信仰)に過ぎませんし、実証主義、数理論理主義、基礎物理学なども、つきつめていくと、様々な論証不能性の壁にぶつかります。
また、科学や医学などを作り上げている知識のある部分は、「欺瞞」や「思い込み」や「政治性」などに汚染されています。一般の人はもちろん、正当科学に従事する人の多くも、こうした議論を知りませんが、現代哲学や物理学の最先端では、「実証」という概念も成立しなくなってきつつあるのです。
こういった議論は、しばしば難解ですが、興味深いものです。『七つの科学事件ファイル』『背信の科学者たち』といった暴露ものなど、考えさせられる著作もかなりあるのです。
ソウルメイトさんの紹介している、牧野尚彦著「ダーウィンよ、さようなら」、マイケル・J・ベーエ著「ダーウィンのブラック・ボックス」、マイケル・デントン著「反進化論」のように、唯物論の代表であるダーウィニズムも、その信憑性は揺らいでいるのです。
③ アカデミズムからの白眼視などどこ吹く風で信じることをやる
へたをすると、狂信家、凝り固まったオカルティストと変わらなくなってしまう危険性があります。
当人の知性、人格などが、きびしく問われ、正常な知性を疑われることになるでしょう。
少なくとも、私の学会発表体験では、アカデミックな催眠関連学会で、前世療法を正当な催眠療法として認知する、あるいはきちんと研究する動きはないと思うしかありません。白眼視されているのです。
また、生命情報科学会、日本サイ科学会など超常現象をまじめに探究する学会においても、生まれ変わりの科学的研究者は見あたらないようです。
したがって、そのような日本において、学会発表してみたところで、まともな議論ができるとは思われません。
私は、大学の研究者ではありませんから、学閥や学統のしばりを受けることなく、実践者としての自己責任で、「アカデミズムの白眼視など、どこ吹く風」とうそぶいて、我が道を行くことができる立場です。
④ 広く一般の人々の支持に訴える
唯物論信仰に深く汚染されていない、多くの人々は、反唯物論的現象への拒否反応も少ないようです。
むしろ、「チャネリング」、「ヒーリング」、「マヤ暦」などの流行に見られるように、唯物論にとらわれない柔軟な立場の動きは、ますます大きくなっているようにも思われます。
アカデミズムの威光からの離反も、かなり顕著になってきているような気配もあります。
ニューエイジャーの人々の言うように、人類は意識革命をしつつあるのかもしれません。
そうした動きと連動する道を探るという戦略です。
ただし、③と同じく、へたをすると「怪しい霊能者」と変わらなくなるでしょう。そこに一線を引くのは、誰もが納得できる「事実」に立脚した議論を第一義とすることです。
そして、生まれ変わりに関する、実証なき千万の教説より、たった一つの実証の事実に依って立つ立場を信条にしています。
前世療法を擁護したい人、特に実践者は①の立場を堅持してもらいたいと願うのですが、現実にはめったに実証性のあるデータは出てこないかもしれません。しかし、①のデータが完全でなくとも、ある程度の納得のできる実証が確認できれば、それを根拠に、③や④の戦略も、また有効性を持つはずだと思います。
特に言いたいことは、③の道において、私が明確に表明しているように、「死後存続仮説(生まれ変わり仮説)」」を受け入れる」という立場は、サイキカル・リサーチや超心理学、特にスティーヴンソンの研究が蓄積されている現在、まったく「理性を疑われる」ようなものではなくなっているのではないかということです。
つまり、ちゃんと先行研究を勉強すれば、論拠は十分にあるよ、と言えるようになるはずだと思います。
逆に、態度を留保し、明確な立場表明の回避を重ねている(あるいは人生論ないし思想という安全地帯に逃げている)一部の「前世物書き」、しかも実証の努力もしていない人々は、不徹底なのではないかと思います。(それぞれ立場や事情もあり一概に非難できないでしょうが)。
また、④の道を探れば、あまり細かいことを言わずに、「何でもあり」でやってみる、前世体験をしてみたい人にどんどんやってあげて、納得する人が少しでも増えればOKというのもありかな、と思っている次第です。
私が、『前世療法の探究』、『生まれ変わりが科学的に証明された!』の2冊を出版し、「タエの事例」、「ラタラジューの事例」の二つをアンビリバボーで放映することを決意し、今また自主制作映画『催眠・魂・生まれ変わりの真実』の上映会を各地で催してもらっているのは、③④の戦略を念頭においているものです。
このブログを立ち上げたのも同様の動機からです。うれしいことに、平均毎日500アクセス前後の人々がおいでくださいます。
そして、今後、「ラタラジューの事例」証拠映像の英訳版を、動画で海外に発信していく予定です。
そして、英訳にすでにとりかかってくださっている協力者がおいでになります。
そもそも、SAM前世療法の作業仮説そのものが、霊的存在を名乗るものが教えたことですし、彼らが繰り返し告げていることは、「生まれ変わりの事実(霊的存在の実在を含めた霊的真理)」を広めよ、ということなのです。
※注 この記事は、かつて高森光季氏が提案されたものに手を加えたものです。
7 件のコメント:
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生まれ変わりや死後生存の事実を広く知らしめる、という目的を追求する上で取られる戦略は、特定の価値観に基づく「こうでなければならない」というようなものではなく、目的を達成する上での有効性こそが問われるものでしょうから、広く人々に知らしめるのに有効な方法、手段であれば、それが正解ということなんでしょう。かならずしも、アカデミズムにこだわる必要がない、というのは、正論だと思います。「前世療法の探求」や『「生まれ変わり」が科学的に実証された』という二冊のご著作は、巷間に流布する類書とは次元の異なる強力なインパクトを持つもので、まさに読めばわかるという、というほどのものですが、映像にによって訴求する力もまた侮り難いものがあるでしょう。他言語に翻訳された映像が世界的にどんな反響を巻き起こすか楽しみですね。
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「タエの事例」にせよ「ラタラジューの事例」にせよ、
セッションの逐語録だけでは信憑性を疑われる可能性があります。ことばの差し替え、加除修正が容易にできるからです。
また、被験者里沙さんの声や顔の微妙な表情をことばで描写するには限界があります。
その点、セッション証拠映像は、よほど偽造映像技術に長けていないかぎり、ごまかしができません。
「タエの事例」と「ラタラジューの事例」が、生まれ変わりの証拠として話題を呼んだのも、アンビリというメディアが証拠映像を放映してくれたからでしょう。
ただし、両事例ともに、放映された映像やコメントには事実に反する個所が二つあります。
番組制作会社の作為でおこなわれた編集というわけです。映像提供者の私には、オンエア前の検閲をさせてくれませんから、あとのまつりです。
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>稲垣勝巳さん
わたしは、稲垣先生がお書きになった「前世療法の探求」や「『生まれ変わり』が科学的に証明された!」を読んで、緻密で周到な検証や考証に疑いを差し挟むことができませんでした。同書を虚心に読む限り、真に超常的な現象が起きたのだと結論するしかないと思います。
もちろん、執筆者である稲垣先生が、「でっちあげた」可能性も考えられますが、そのためには、あらかじめ歴史・民俗資料を詳細に調べておいて、被験者である里沙さんと綿密に打ち合わせして、筋書通り演じてもらうしかないでしょう。
ラタラジューのケースでは、「でっちあげる」ためのハードルは飛躍的に増大します。稲垣先生は、ネパールの百年以上も前の日本人には、その所在さえ知られていない辺境地帯の民族・民俗・歴史・地理・方言などについてあらかじめ詳細に調べておいて、それをもとに筋書を書き。里沙さんと打ち合わせしなければなりません。しかも里沙さんは、ネパールの古語と方言で会話しなくてはならないのです!
ここまで来ると、先生の二冊の著作を読めば、里沙さんを被験者とする応答型真正異言を「でっちあげる」ことなど不可能だと思いますし、書き手である稲垣先生を信じるかどうかが問われるのだろうと思いますが、古来、文は人なり、と言うように、わたしは、稲垣先生の文を読んで、稲垣先生が信じるにたる人物であると思いました。映像をご覧になった方々も、先生の著作を読んでご覧になったほうがよい、と思います。先生は、ご著作の中で条理を尽くして考証しておられ、展開される論理の堅牢さを知ることができるからです。
二冊のご著作も英訳して発表されるべきではないでしょうか?
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たとえば、私が、セッション前に相当な時間をかけて念入りに情報収集し、タエの物語を創作し、それを里沙さんに教え、あたかも催眠に入ったふりをして、タエの物語を語らせた、という説明が成り立つでしょう。
しかし、タエの事例セッションは、催眠の専門家2名が見学していますから、そうした作為はまず見破られるはずです。
セッション証拠映像を綿密に検討すれば、でっち上げセッションは必ず見破られるはずです。
そして、今日に至るまで、そのようなでっち上げの疑いがある、という視聴者の感想は届いていません。証拠映像がすべてを語ってくれるのです。
もし、私が巧妙にでっち上げを企んだとすれば、生まれ変わりの研究史上に名を残すための名誉欲に駆られた計画的犯行ということになるでしょうが、密かに創作し、その語りの検証本を2冊も書くというマッチポンプをおこない、テレビに2回(計90分)紹介され、こうしてブログでも公開していれば、どこかで嘘が破綻せずにはおかないと思います。
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参考に載せておきます。
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URLを載せるのを忘れてました。
http://cabaya.doorblog.jp/archives/26105304.html
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ポン太さん
ご紹介くださった情報は、臨死体験の研究のようですが、臨死体験研究は、死後存続仮説や霊魂仮説という点では、あまり広い射程を持っているとは言えないのではないでしょうか。
まず、臨死体験研究者の多くは、医師や心理学者であり、それまでサイキカル・リサーチやスピリチュアリズムが蓄積してきた知見を、知らないかあるいは無視しています。臨死体験研究の本をいくつも翻訳している超心理学者の笠原敏雄氏は、研究者たちのそうした態度を、先行業績を参照するという科学的手続きを無視したものだ、と指摘してます。このように、これまでの多くの研究では、実証性ということが十分に考慮されているとは思われません。サイキカル・リサーチ(超心理学)を踏まえたオシスらの研究ですら、超ESP仮説への取り組みが不十分で、理論上の中心主題は残されたままだとしています。臨死体験と死後存続仮説との関係という中心的問題を明らかにすることに対しては、大きな貢献はしていないと私には思えます。
そもそも、臨死体験とは、体験者が生き返っているわけですから、「真の死後の体験」だということには矛盾があります。呼吸停止・心停止であっても、脳は生きていただろうから、それは脳内現象であり、せいぜい体脱体験と同様のものに過ぎない、という説明が成り立ちます。脳活動(脳幹活動まで含む)が完全に停止した状態で体験された「パム・レイノルズのケース」(セイボム『続「あの世」からの帰還』)でも、厳密に理論的に検証すると、完璧であるわけではありません。そして、脳内現象を否定できる、脳細胞が死滅したことが確認された後の臨死体験はありえません。脳細胞の死滅は、復活不可能な完全な死であるからです。、
このように臨死体験の実証的側面は、非常に脆弱なのです。
実証性を別にして考えても、臨死体験には限界があります。仮に、臨死体験者が、死後の世界の入り口まで覗いたとしても、それはあくまで「かいま見た」程度のものでしかありません。前世療法の本をホイットンとともにまとめたライターは、臨死体験を、「国境に足止めされた海外特派員がそこからその国の事情を報告する」ようなものだと表現しています。
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