2012年12月24日月曜日

「タエの事例」「ラタラジューの事例」の現時点での総括

前回まで、「ラタラジューの事例」、「タエの事例」の全セッション逐語記録と、拙著二冊の出版以後新たに解明できたことを逐語録にコメントして紹介してきました。
2005年の「タエの事例」から7年、2009年「ラタラジューの事例」から3年を経て、セッション当初は謎であったことを少しずつ解いてきました。
私は、この両事例の徹底的検証の結果をもって、少なくとも被験者里沙さんには生まれ変わりが実在している、と宣言してよいと思っています。生まれ変わりは、「信仰」などではなく「事実」なのです。
そして、一人に起きている生まれ変わりが、他の人たちにも起きている蓋然性は高いと判断しています。
なぜなら、他の人たちのSAM前世療法セッションにおいて、ラタラジューを呼び出したと同様の手続きによって、ラタラジューと同様の前世人格が顕現化するからです。
つまり、魂状態の自覚に至れば、魂の表層に存在する前世人格の顕現化が間違いなく起こるからからです。
しかし、検証可能な具体的内容を語る前世人格は、きわめて稀であることも事実です。
とりわけ、催眠中に起きた応答型真性異言は、イアン・スティーヴンソンの公表している二事例を加えても、世界で三事例しか在りません。
しかし、検証できないからといって、顕現化した前世人格がフィクションであるという断定は、「ラタラジューの事例」を前にしては、できるとは思われません。
こうして、幾多のセッションに現れた意識現象の累積から、私が、魂と生まれ変わりの実在を認める立場をとる理由は、
それが直感に著しく反していないからであり、
それを認めることが不合理な結論に帰着しないからであり、
その霊的現象が唯物論的枠組みからは説明できないからです。
SAM前世療法の作業仮説は、霊の告げた魂の構造を前提にして導き出したもので、良好な催眠状態に誘導し潜在意識を遡行していくと、意識現象の事実として、クライアントが「魂の自覚状態」に至ることが明らかになっています。
この魂の自覚状態に至れば、呼び出しに該当する前世人格が魂の表層から顕現化し、対話ができることもクライアントの意識現象の事実として明らかになっています。
ラタラジューも、こうして呼び出した前世人格の一つであるわけで、その前世人格ラタラジューが真性異言で会話した事実を前にして、魂や生まれ変わりの実在を回避するために、深層心理学的概念を駆使してクライアントの霊的な意識現象に対して唯物論的解釈することは、現行科学の知の枠組みに固執した不自然な営みだ、と私には思われるのです。
魂の自覚状態、前世人格の顕現化という意識現象に対して、事実は事実としてありのままに認めるという現象学的態度をとってこそ、SAM前世療法を実りあるものにしていくと思っています。
そして、クライアントの示す意識現象の諸事実は、現行科学の枠組みによる説明では、到底おさまり切るものではありません。
魂や生まれ変わりの実在を認めることを回避する立場で、あるいはすべて非科学的妄想だと切り捨てて、どうやって顕現化した前世人格ラタラジューの応答型真性異言現象の納得できる説明ができるのでしょうか。
ちなみに、スティーヴンソンも、「グレートヒェンの事例」において、真性異言で会話したグレートヒェンを名乗るドイツ人少女を「ドイツ人とおぼしき人格をもう一度呼び出そうと試みた」(『前世の言葉を話す人々』11頁)と記述し、呼び出された前世人格を「トランス人格」(前掲書9頁)と呼んでいます。
つまり、催眠下で前世人格を呼び出し顕現化させる、というSAM前世療法における私と同様のとらえ方をしています。
おそらく、この被験者も里沙さんのような高い催眠感受性を持ち、タエやラタラジューの人格同様、催眠下で一気に魂状態になり、その表層に存在している前世人格グレートヒェンが顕現化したと推測してよいように思われます。
「タエの事例」と「ラタラジューの事例」は、私にとって、まさに掌中の珠であり、私の人生で遭遇した僥倖でした。イアン・スティーヴンソンが世界中を二十数年かけて探し求め、わずか二事例しか発見できなかった応答型真性異言を、私自身のセッションで直接自分の手で確認できるなどということは想像すらできなかったことでした。
しかも、「ラタラジューの事例」は、応答型真性異言発話中の世界初の映像証拠を残しています。
ただし、タエにしてもラタラジューにしても、その実在が文書等の記録では確認できまませんでした。
生まれ変わりを裏づけるような証拠のように重大な問題においては、完璧なもの以外は証拠として受け入れられないと批判されるのであれば、この問題が重要であるからこそ、不完全なものであろうが可能性を示す証拠については、科学として検討するべきだと考えます。細部が不明、不完全であるという欠陥があろうと、重要なことについて確実なことを示す事実にこそ意味があると考えます。
そして、不完全であっても、重要なことについて確実なことを示す生まれ変わりの証拠は、これまでの海外の事例の諸研究によって、その証拠を根拠に生まれ変わりを認めることが自然ではないかと考えられるだけのものが蓄積されています。
さて、「タエの事例」、「ラタラジューの事例」は、それぞれ2006年、2010年にアンビリバボーに
取り上げられ証拠映像が部分的に放映されています。セッションの全容でなく部分的放映であったがゆえに誤解が生じ、様々な意見をいただきました。
そこで、この度、両事例の全セッション映像をドキュメンタリー映画として、ほぼ1年かけて自主制作してきた仕事が完成しました。
「タエの事例」を核として、児童生徒への教育催眠とSAM前世療法の二事例が前半2時間、「ラタラジューの事例」を核として、SAM前世療法による未浄化霊の意図的憑依実験、宇宙人の前世人格、守護霊としての前世人格という特異な事例を加えた後半2時間、合計4時間の映画です。
映像撮影・編集・監督を可児市在住の伊藤泰史氏、監修を私が受け持って作業にあたり、里沙さんの検閲でのOKが出ましたので、上映できる運びとなりました。
まずは、可児市とその周辺の公民館等小規模会場を巡回して上映会をすることになると思います。 
私は、自分では、けっして「生まれ変わり研究」オタクではないと自認しています。私をとりまく政治・経済の問題、原発問題、国家の安全保障問題等の諸問題について人並み以上の関心を寄せています。
そして、現状の日本と世界の先行きに不安と危機感を抱いています。
生まれ変わりが事実であること、霊的存在が実在することを証明し、発信することは、こうした現実の諸問題と無縁な、一見浮き世離れした仕事に思われるでしょうが、生まれ変わりを事実だと認めるならば、人間に対する見方、考え方は言うに及ばず、自然界のあらゆるものに対する見方、考え方も根本的な変更を迫られるはずだと思っています。
生まれ変わりを事実だと認める人々が、必ずや当事者性をもって、自分が生まれ変わるはずの地球、世界、日本の未来を真剣に考え、「生まれ変わる自分のために」、必要な政治的諸行動や経済的諸活動をおこなうだろうと期待をしています。
だからこそ、生まれ変わりという重要な問題を執拗に真剣に探究することが必要なのだと思っています。
生まれ変わりなど絶対に認めたくない人は、生まれ変わりを否定する証拠をもって反論する以外に方法はありません。
「タエの事例」、「ラタラジューの事例」を、生まれ変わりの証拠として絶対に認めたくない人のために、反証可能性に開かれているという意味を含めて、セッション全容証拠映像の公開が必要であると思ってきたところです。その思いがやっと叶いました。
生まれ変わりについて考えている、できるだけ多くの人に見ていただきたいと思っています。

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