2012年4月9日月曜日

ラタラジューの生年と没年の特定ができました!

拙著『生まれ変わりが科学的に証明された』ナチュラルスピリット、PP.108-109で、以下のように書いています。
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⑧Shah(シャハ王朝)とラナとの関係について
ネパール語で対話する前の筆者との日本語対話でラタラジューは、「・・・戦いました・・・ラナ・・シャハ・・・ラナ、戦いをした」とラタラジューは語っています。また、カルパナさんのネパール語対話でも「ラナ」という単語を四度発語しています。シャハ王朝とラナ、および戦いとの関係はいったいどのようなことが推測できるのでしょうか。
 シャハ王朝は、1768年に始まり最近廃絶した王朝です。そのシャハ王朝で、1846年以後1951年まで、ネパールを実質支配する独裁権力を振るった宰相家が「ラナ家」です。ラナ家が独裁権力を握るために、1846年に有力貴族を殺害するという流血の権力闘争がありました。また、1885年にはラナ家内部で流血クーデターが起きています。
 一方、タエが人柱になったのは1783年(天明三年)です。それ以後にラタラジューとして生まれ変わったとされているのですから、彼がシャハ王朝とラナ家を知っていることに矛盾はありません。したがって、ラタラジューが発語した「ラナ」とはネパール宰相家の「ラナ家」だと推測して間違いないと思われます。とすれば、彼が「戦いました」という語りは、ラナ家がシャハ王朝内の独裁権力を掌握するための1846年の権力闘争あるいは、ラナ家内部の1885年のクーデターに際して、ラタラジューが傭兵として闘争に参加していることを意味していると推測されます。
さらに穿(うが)った推測をすれば、カルパナさんとのネパール語対話の中で「30歳」という年齢を答えた直後に、それに触発された記憶であるかのように「ラナ、ラナ」と発語していますから、ラナ家に関わる闘争への参加はラタラジューが30歳の時だと特定できなくはありません。加えて、彼は若い頃カトマンズに住んで戦ったとも言っています。そのように仮定し、彼が78歳で死亡したとすると、彼の生年・没年は、1816年~1894年、または1855年~1933年となります。里沙さんは1958年生まれですから、いずれの生年・没年でもは矛盾しません。
 さらに言えば、30歳で戦いに参加したとすれば、里沙さんの守護霊とおぼしき存在の「ラタラジューは・・・若い頃人を殺しています」という語りにも符合することになります。
ソバナ博士の調査によれば、シャハ王朝が傭兵としてタマン族の青年たちを用いていたことは間違いない事実であるが、どのクーデターのときにどれくらいのタマン族傭兵が参加していたかという数字については定かではないという報告でした。こうして、ラタラジューがラナ家に関わる闘争に傭兵として参加していたのではないかという推測が成り立つための裏付けが検証できたということです。
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筆者が、2009年5月の実験セッションで顕現化したラタラジュー人格の語りのなかで、今日まで2年あまりこだわり続けてきた上記ゴチック部分の推測が正しかったことが、ラタラジュー自身の語りから証明できました。
それは、昨日4月8日に里沙さんにお願いして、ラタラジュー人格を呼び出す再セッションに成功したからです。
顕現化したラタラジュー人格への質問によって、彼の口から明確になった事実は以下のことでした。
①30歳のときにカトマンズで生活しており、ラナ家が独裁権力を握るための闘争に傭兵として敵と戦った。
②その戦い参加は、2度のラナ家に関する戦いのうち、1回目の戦いである。
ラタラジューは西暦カレンダーを知りません。しかし、ラナ家の1回目の戦いは史実によって、1846年であることが分かっています。
その1846年に30歳だったと答えています。また、78歳で死亡したと語っています。
これらの語りから生年・没年は計算可能です。
計算の結果、ラタラジューの人生は、1816年に生まれ、78年後の1894年に死亡したことが特定できたということです。つまり、ラタラジューは、今から118年前に死亡しているということになります。
そして、死後64年(1958ー1894)経て、現世の里沙さんとして生まれ変わったことになります。
その前のタエがラタラジューに生まれ変わったのは33年後(1816-1783)ということになります。
このように、セッション中に顕現化した前世人格の生年・没年が特定できた事例は、筆者には初めてのことです。
他の前世療法関連書籍においても、こうした前世の生年・没年が特定された事例を筆者は知りません。
そのほかに、たかだか100年ちょっと前のナル村村長であったラタラジューとその子孫について、2010年当時のナル村村民34名の古老への聴き取り調査によっても、誰一人記憶にとどめていないという不可解な事実の秘密をラタラジューは語ってくれました。
この秘密を明かすことは、支障が生じますので書くことは控えたいと思います。
応答型真性異言が証明されたラタラジュー人格であるので、今回のセッションにおいても、彼の語りの信憑性は高いと判断できると思われます。

2 件のコメント:

thermal さんのコメント...

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稲垣勝巳 さんのコメント...

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>thermalさん
私もすっきりしましたが、被験者は拙著を読んでいますから、その情報に基づいてラタラジューの役割演技をしたのだという解釈も成り立ちます。8人の見学者がいますから、ラタラジューの顕現化と回答という意識現象があった事実はほんとうです。