SAM催眠学序説 その39
ここの逐語録は、被験者里沙さんに憑依したとおぼしき彼女の守護霊(偉大な存在者) と私との対話です。興味深いことに、催眠覚醒後の里沙さんには、守護霊の語った内容が、すっぽり記憶から抜け落ちており、まったく思い出すことができませんでした。
催眠中の記憶が、ところどころ抜け落ちて思い出せないことは、「催眠性健忘」という現象として知られていますが、里沙さんの場合は、25分間の守護霊の語りのすべてが完全に記憶から抜け落ちて思い出せませんでした。この里沙さんの場合は「催眠性健忘」では説明ができないように思われます。
文化人類学のシャーマニズム研究によれば、シャーマンがフル・トランス状態で、精霊などの憑依現象を起こしている場合には、その間の記憶について、完全な記憶喪失が生じると報告されています。
注:CL(憑依した守護霊)は被験者里沙さん、THはセラピスト稲垣の略
TH:さっき、あなたのおっしゃったことに勇気を得て、もう一つ聞きます。
今、あなたが語ったことが、その時代に生きたおタエさんしか知り得ないことだと いう証拠を、私はつかみたいと思っています。
その結果、前世というものが間接的にでも証明できたら、多くの人の人生観が変わって、特に死を間近にした人た ちに勇気を与えることができると思っています。
このセッションの場には、その研究をしていらっしゃる小野口さんという先生も来ています。
そういう人のため にも、おタエさんしか知り得ないことで、でも、われわれが後で調べたら何とか分かるような、そういう証拠の話か物がないでしょうか?
そんなことを聞くの は傲慢(ごうまん)でしょうか?
もし、お許しがあれば、それを教えていただけないでしょうか。
CL:傲慢ではありません。タエは・・・左腕をなくしています。渋川村上郷、馬頭観音下に左腕が埋まっています。
注:タエは、人柱になるに当たって、自分の左腕をなくしたことを一切語っていない。このような重大事をなぜ語らないのか大きな謎であった。この謎は7年後(2012年5月)の再セッションで明らかになった。このことは(その6)で記述する。
TH:それはおタエさんの左腕ですか?
CL:そうです。
TH:であれば、今は随分時代が下がってますから、骨になっていますね。
CL:そうです。
TH:その骨が、渋川村、上郷、馬頭観音の下ですか?
CL:そうです。
TH:下ということは、馬頭観音様は外に立っていらっしゃいますか? お堂の中ではない?
CL:お堂です。お堂の下を掘るとタエの左腕が出てきます。
TH:それが、タエが実際に存在した証拠になりますか?
CL:そうです。
TH:馬頭観音様が祀られているのはお寺でしょうか?
CL:馬頭観音は寺ではありません。小さなお御堂(みどう)です。
TH:それは現在でもありますか?
CL:あります。
注:現渋川市上郷地区で、「小さなお御堂」と言えるような石の馬頭観音は一基だけある。山手にある良珊寺参道脇の道を少し入った山林に囲まれた場所であることを現地で確認した。 石の馬と並んで石灯籠状に祀られた馬頭観音であった。この石灯籠状のお御堂の銘文には「享保一五年(1730年)」と刻んである。天明三年は1783年な ので50年余前に建立されている。これが偉大な存在者の告げた馬頭観音だと特定して間違いないであろう。渋川市上郷地区の馬頭観音は、ネット検索してもヒットしない。もちろん里沙さんは、渋川市という地名すら知らなかった。
TH:おタエさんの左腕を探すためにはその床下を掘れということですか?
CL:土、下。
注:石灯籠状の馬頭観音お御堂であるので、当然床はない。石のお御堂は直接土の上に灯籠のように建ててある。したがって、床下ではなく「土、下」と告げるしかない。「土、下」の意味が分かったのは、セッション後に現地の馬頭観音堂を実際に確認してからのことである。
TH:どのくらい掘ったらいいのでしょうね?
CL:土石流で埋まっているので・・・。
注:上郷馬頭観音お御堂付近の現地調査では、土石流の痕跡が確認できなかった。守護霊は、私がタエの実在証拠を求めて掘り起こすことを予想して、土石流によって骨を見つけることができない、といった予防線を張り、はぐらかしたのではないかと疑った。しかし、2012年になって、私の読者がネット検索によって渋川市 のハザードマップを見つけ出した。ハザードマップによれば、上郷馬頭観音お御堂付近には、過去に実際土石流被害のあったことが確認できた。守護霊の告げ た「土石流に埋まっているので」という語りは本当であった。
TH:ちょっと掘れない。でも、埋まっているのは間違いない?
CL:はい。
注:もし、発掘した結果、200年程度昔の10代女性の左腕の人骨が発見されたとすれば、タエの実在証明に大きな成果となるであろう。同時に、守護霊の実在の間接的証明にもなると考えられる。
TH:分かりました。それ以外に、もっと何とかなる方法で、おタエさんの存在を証明する何かがありませんか? たとえば、おタエさんを、村の人たちが供養のために何かしていませんでしょうか?
CL:何も残してはおりません。村は洪水で壊滅状態になりました。
注:守護霊の告げている「村」は、渋川村を指していない。「田畑少々水入る 人壱人流」が渋川村の被害報告である。壊滅状態にはほど遠い被害である。 渋川村より上流の村々の洪水被害を指している。ちなみに、すぐ上流にある川島村(現渋川市川島地区)では「家百一三間(軒)、人七六人、馬三六疋」の被害 報告があり、まさに壊滅状態であった。なお、この各村ごとの被害状況を一般人が知るための資料は、『渋川市史巻五』の資料編に掲載されている「浅閒焼泥押流失人馬家屋書上帳」しかない。里沙さんが、この資料にアクセスした痕跡はない。これはポリグラフ検査でも裏付けられている。
TH:おタエさんのことは、郷土史か何かの記録には残っていませんか? 語り継ぐ人はいませんでしたか?
注:「浅間焼泥押」被害に限らず、渋川市に伝わる人柱伝説の文書等の有無を、渋川市史編集委員である郷土史家に調査していただいたが、人柱伝説の類は発見でき なかったという回答を得ている。どうやら、タエの人柱については「何も残してはおりません」という守護霊の語りはそのまま受け取るしかないようである。村人が何も残していない理由を、このあとで「女は道具です」という語り方で、守護霊は冷徹に言い放っている。
CL:たくさんの人が浅間山の噴火を記録しました。
(その6に続く)