SAM催眠学序説 その149
ー拙著『生まれ変わりが科学的に証明された』の書評についてー
拙著『生まれ変わりが科学的に証明された』ナチュラルスピリット社,2010のアマゾンの書評について、きわめて不本意な書評があります。
すでに10年以上前の書評ですが、これを引用し、わたしの見解を述べてみたいと思います。 本ブログのある読者から、不本意な書評であるならどこかで反論をしておくべきだ、という指摘を受けましたので、ここでわたしの見解を述べることにしました。
指摘された書評の引用後に問題部分に対するわたしの見解を述べてあります。 また、その次に問題の書評についての反論である別の書評を引用してあります。
さて、以下の点線枠内が問題とする書評の引用です。 なお、書評のゴチック部分と番号は、わたしが問題とする部分です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1【問題とする書評】
最初に一言、この本は科学的な本ではありません。
神秘的な話しや超常現象が好きな人が読む本であって、科学的な本としては全く無価値です。
この本、Twitterを通じて、「科学的な本であり、信じる信じないの類の本ではない。」との触れ込みで紹介頂きました。
とは言え、「生まれ変わり」ですから、どう考えても科学的には思えず、紹介者に疑問を投げ掛けるも、科学的な証拠が示されてると言うことで購入してみました。
しかし、読んでみると、科学的だとまではとても言えない内容の本で、いわゆるスピリチュアルなど神秘的な話しが好きな人向けの、エンターテイメント読み物でしかありませんでした。
こういう購入経緯があるので、★1つと厳しく採点させて頂き増した。
もし、純粋に、スピリチュアルの世界を楽しみたいだけの人が読んだとしたら、評価は違うと考えてください。
この本の科学的な検証と言うのは、ほとんどが被験者とその周囲への聞き取り調査のことで、部分的にポリオグラフ(汗や脈拍の変化を利用した、いわゆる嘘発見器)が登場してるに過ぎません。(注①)
前世の記憶があり、習得していないはずの他言語で会話が出来ると言うことで、記憶と学習の機序を扱う分野「神経科学」での検証や、科学的な大胆な仮説や知的好奇心を揺さぶるような驚くべき推察でもあるのかと思い期待して(注②)読んだのですが、他の分野も含めていわゆる科学的な調査というのはいっさい出てきません。
ポリオグラフに関しても、主たる調査は、ネパール語を習ったかどうかという部分に関してです。
この分野(質問とその際の身体の緊張具合から嘘かどうか判断するいわゆる嘘発見器での検査)の権威とされる元大阪府警科捜研所長荒砂氏は結論として、「懇意的(注③)にネパール語を習った形跡は認められない。」としています。
ですが、それもそのはず。
実際、この被験者ネパール語を習得してるとは言えません。
何しろ、人名や村名らしき名詞以外、ネパール語は、ほとんど出てきません。
だけど、日本語は普通に話せます。
被験者は、自分がネパール人男性で村長であることや被験者の前世の魂であることなど、複雑で奇妙な状況を、日本語でリアルタイムで質疑応答することが出来ますが、ネパール語は名詞らしき言葉中心に単発で時折出て来るだけであり、そもそも最初から習得してないことが明らかです。(注④)
要するに、荒砂氏は嘘発見器でネパール語を習得したかどうかの判定を依頼されその依頼をこなしただけであり、生まれ変わりの尋問やその記憶の真贋の判定をしたわけではありません。
また、読み進めると、何故、ネパール人の生まれ変わりの記憶があるとしながら日本語が流暢であるのか、その驚くべき理由が明らかになります。
なりますが・・・、科学的な話しを期待した人にとっては、ここで完全に力が抜けてしまうでしょう。もしかしたら、神秘的な世界観を求めてる人にとってはワクワクする部分かもしれませんが、ここは自分の視点でハッキリ書きます。
なんと!『被験者である女性が、ネパール人である男性の記憶が蘇りながら、日本語で会話をするのは、彼女につくさらに上位の霊的存在が、同時通訳をしてくれてる。(注⑤)』からだそうです。
しかも、この驚愕の証言、彼女が自発的に、ネパール語がうまくしゃべれず、日本語で会話するのはこういうわけだと告げたわけではありません。著者稲垣氏が、後日の再診断時、唐突に、上位の霊的存在を呼び出し、「もしかしたらこういう事情で日本語で会話できるのではないですか?」と、誘導的質問をし、彼女(上位霊)はそうだと認めたに過ぎません。
自分は、あくまでも科学的な書物だと聞いて購入した立場なので、真贋を見極めなければならない研究者側に、こんな「懇意的質問」が許されるのか?と読んでて、段々腹が立ってきました。
さらに、驚くことに、この被験者同じ著者の前著では、江戸時代に人柱という悲愴な運命を背負った女性の生まれ変わりとして紹介された被験者だということが分かります。
そして、日本語での通訳や表現は上手く、なぜかネパール語での通訳や表現が上手く行かない上位的存在の霊は、人以外の転生を示唆します。
ビックリしますが、宇宙人が、この転生のサイクルに入ってくる可能性があるようです。
おそらく、次回作では宇宙人が転生して出て来るのでしょう。(注⑥)
SFやファンタジーは大好きだから、発想の柔軟さは買いますが、「科学的に証明された!」としてしまうと、知的好奇心をくすぐられる科学ものとしてのスリリングな謎解き!あの、まるで良く出来たミステリーのように、「そうか!こういうことか!なりほど。」と認識を改めさせられる一連の一般向け良質科学読み物だと、思ってしまう人が一定以上いると思います。
そうではなく、全く別の読者層を対象にして書かれたスピリチュアル系読み物であることを、もう一度ハッキリ明記して筆を置きたいと思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・書評終わり
2【書評に対するわたしの見解】
書評をその記述者(書評者) の主張・議論とみなすとすれば、記述者(書評者)は「前提」と「限界」を明確にして記述するべきだというのが、わたしの基本的考え方です。
問題の書評の場合の「前提」とは、どこまでも拙著の記述内容を正確に引用し、それに限定して 述べることです。 「限界」とは、現行の唯物論科学で明らかになっている知見にもとづいて、わたしの拙著について感想・意見を述べることです。 前提と限界を設けない主張や議論は、内容が散漫になりとりとめのない結果になるからです。
さて、書評の記述者は、冒頭で「 『生まれ変わり』」ですから、どう考えても科学的には思えず」と述べていますから、彼の前提は「生まれ変わり」の探究は唯物論科学ではありえない、ということなのでしょう。 したがって、はじめから生まれ変わりなどあり得ない、という否定的、偏向的思考態度によって書評は一貫しているとおもわれます。 以下は、ゴチック部分の注①~⑥のそれぞれについて、わたしの見解を述べていきます。
(注①):「科学的な検証と言うのは、ほとんどが被験者とその周囲への聞き取り調査のことで、部分的にポリオグラフ(汗や脈拍の変化を利用した、いわゆる嘘発見器)が登場してるに過ぎません」と述べてありますが、これ以外にどのような具体的検証方法があるというのか、そうした不足している検証方法を具体的に提示しないのは、無い物ねだりといわざるをえません。 なお、書評者のいう「ポリオグラフ」という用語は「ポリグラフ」の間違いです。 ちなみに、被験者里沙さんへのポリグラフ検査は2時間40分にわたって綿密におこなわれています。
(注②):「記憶と学習の機序を扱う分野『神経科学』での検証や、科学的な大胆な仮説や知的好奇心を揺さぶるような驚くべき推察でもあるのかと思い期待して」と述べてありますが、こういう言い回しを「ペダンチック(衒学的)」な、学問のあることを衒う(てらう)ような物言いというのでしょう。 そもそも「神経科学」の分野で、学んだはずのない外国語で応答的な会話ができることについての科学研究の方法など聞いたことがありません。 過剰な期待であり、これは無い物ねだりと言うほかありません。 わたしとしては、一般の前世療法の「前世の記憶を想起する」という仮説から、「前世人格そのものを顕現化させ対話する」という新しい前世療法の仮説を実例を示して拙著で打ち出したつもりであり、「科学的な大胆な仮説や知的好奇心を揺さぶるような驚くべき推察」として評価されてもいいのではないかと思っています。
(注③):「懇意的にネパール語を習った・・・」の「懇意的」の意味は、親しい、仲がいいという意味ですが、このような日本語の用いかたは誤りというべきです。 また、これ以外にも「懇意的質問」という箇所がもう1カ所ありますが、これは明らかに「恣意的質問」の誤りです。
さらに、ポリグラフ検査の結果として「元大阪府警科捜研所長荒砂氏は結論として、『懇意的にネパール語を習った形跡は認められない。』としています」と述べてありますが、拙著でそのようなことは一切書いていません。
(注④):「ネパール語は名詞らしき言葉中心に単発で時折出て来るだけであり、そもそも最初から習得してないことが明らかです」 と述べてありますが、拙著のセッション逐語録をどう読むとこのような主張ができるのか、はなはだ疑問におもわれます。 読解能力の明らかな貧困、または意図的曲解というべきでしょう。
ラタラジューは、対話相手のネパール人女性カルパナさんの用いていないネパール語の単語を29語話しています。 そして、ネパール語は、主語の人称と尊敬している人に対して、日本語の「です」にあたる助動詞が、一人称では「hu(フ)」、二人称と尊敬する人に対しては「hunnuhuncha(フヌフンチャ)」、三人称では「ho(ホ)」のように変化します。 ラタラジューは、対話の中でこうしたネパール語の文法に則って話しているのです。
また、ネパール語の不規則な数詞の使用も「tis(ティス)=30」や「patis(パティス)=25」のように使用しています。 こうした、拙著の記述をきちんと読んでなお、ラタラジューがネパール語を「そもそも最初から習得してないことが明らかです」という断定がなぜできるのか、はなはだ不可解というほかありません。
(注⑤): 「被験者である女性が、ネパール人である男性の記憶が蘇りながら、日本語で会話をするのは、彼女につくさらに上位の霊的存在が、同時通訳をしてくれてる」と述べてありますが、わたしは拙著のなかでそのようなことは一切書いていません。 わたしは、冒頭で「書評の場合の『前提』とは、どこまでも拙著の記述内容に限定して述べることです」と述べました。 この観点からすれば、この書評の文言は、書評の名にあたいしないことがすでに明らかです。
(注⑥): 「次回作では宇宙人が転生して出て来るのでしょう」と述べてありますが、これは「恣意的推論」というべき認知の歪みです。 というより悪意のある嘲笑的文言であろうとおもわれます。
次回作を出版するなど何ら述べていない時点で、このようなことを書くことは書評として論外の逸脱行為です。 禁欲的態度の貧困というほかありません。
おそらく、唯物論科学万能の立場によって、 生まれ変わりを示す事実の提示に強い「認知的不協和」を起こした結果、感情的になって書かれているのではないでしょうか。
笠原敏雄氏は、こうした硬直した生まれ変わり否定の態度を「心理的抵抗」と呼んでいます。
こうした書評が出されたあとで、「ラタラジューの事例 」の全セッション動画をyou-tubeに公開しましたが、書評者はこのセッション動画を視聴してもなお同様に独善的、偏向的書評を書かれるのか興味深いところです。
そうして、わたしはこの書評者に問いたいとおもいます。 あなたは、いったいどのような証拠を提示すれば、生まれ変わりのある可能性を納得されるのでしょうか?と。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
3【問題の書評についての反論である書評】
スピリチュアルとは一線を画す科学的な特殊事例の検討
まず最初に、この著書に対して批判して悪くコメントをしている人は、全く著書を読んでおらず、内容の「科学的な事実」を無視し、揚げ足をとった挙句、更に捏造して大ウソの書評をして評価を下げようとしてるだけなので信じる必要はありません。
それは実際に私自身が購入してみて感じました。
この著書は、確実に安易なスピリチュアルな本とは一線を画します。
この著書は、世界でも過去4例ほどしかない極めて貴重な「応答型真性異言(おうとうがたしんせいいげん)」の事例に対する科学的な事例検討です。
研究メンバーは、
・メンタルヘルス研究室稲垣勝巳
元公立小中学校教頭・臨床催眠研究者/学校心理士・日本教育催眠学会理事
・中部大学 国際関係学部教授 大門正幸
・中部大学 国際関係学部准教授 岡本聡
・さかえクリニック院長 末武信宏医学博士
・日本法医学鑑定センターの荒砂正名氏(あらすな・まさな) 前大阪府警科学捜査研究所長で、36年間に8000人を超える鑑定経験を持つ日本有数のポリグラフ検査に精通した専門家
です。
更に、これは日本で故・河合隼雄氏に並ぶ、成瀬悟策医博の系列で大学・医師チームで研究が行われ、正統にアカデミックに論文発表されました。
「応答型真性異言」とは学んだことのない外国語を操ることができる超自然的な言語知識、およびその現象のことです。
著書内では、応答型真性異言が退行催眠中に表出し、その世界初の映像と音声収録に成功した経緯と、最新の応答型真性異言の事例であるネパール人のラタラジューを中心に検証と考察、及び逐語録まで詳細に解説してあります。
2010年8月5日、映像はフジテレビのアンビリバボーでゴールデンタイムに公開されました。
この著書が優れているのは、被験者に対して「虚偽記憶かどうか」の出来る限りの科学的検証も行われていることです。
これは前世療法で著名なエール大学医学部のブライアン・ワイス医学博士・精神科医でも検証し得なかったことです。
虚偽記憶とは、過去にどこかその情報を得たりしていないかということです。
よく前世療法(前世イメージ療法とも)の中で、退行催眠で見えるものは虚偽記憶(記憶の再合成)の可能性があると言われています。
リモートビューイング(超ESP)仮説でも、退行催眠中に見える虚偽記憶(本物ではない記憶)の説明はできます。退行催眠中に、透視能力を発揮してその情報を持ってきたとも言われます。
しかし、今回発見させたのは【会話】。つまり【技能】です。
退行催眠中に【技能】という「虚偽記憶では証明不可能な反例」が出たという事例です。
「記憶」は過去の経験(テレビや雑誌など)で合成され、虚偽記憶となる可能性を秘めているとしても、【言語(しかも会話)】は、発達上の反復による学習により習得できる”技能”のため、記憶や透視では証明できません。
よって虚偽記憶も超ESP仮説も反証できるのです。
(例えば、ネパール語を学んでいない人に、道端でいきなりネパール語でしゃべってくださいと言われても無理ですし、やったとしても偶然にも当たりませんし、習ってない人にバイオリンを弾いてくださいも無理です。)
更にその会話は「偶然、ネパール語に聞こえた。」という類のモノではなく、しっかりと応答型に会話し、言語学者・大門教授の分析により
【ネパール語で70パーセントも会話が成立していることが立証されています】。
それだけでなく
【一人称や三人称の変化、助動詞や尊敬語や、独自の数字まで正しい発音で会話をしていました】。
情報を得ていなかったこと、ネパールと接触がなかったこと等は、被験者の同意の上、過去の経歴の中で関わった人物、在住した市町村の戸籍、旅行先、テレビやインターネットやラジオの放送履歴などに到るまで徹底的に調べ上げ、更にポリグラフ検査まで行って、確実に「接触がなかった」と科学的に検証されました。
基本的に科学では「全称命題」に対して、一つでも反証できるものがあれば、それは「特称命題」と呼ばれています。
例えば、世界中にいるほぼ全てのカラスを観察して「カラスはみんな黒」と全称命題を立てても、1匹でも茶色や白のカラスがいれば「特称命題」ということで、その命題は覆(くつがえ)るわけです。
科学実験が「不完全帰納法」であることは、日本人だけ知らないだけで、世界の常識です。
(数学のように誰がどこでやっても絶対答えが一つ出るのは完全帰納法[数学的帰納法]。これが神学や論理学や哲学に繋がります。対して、物理学や化学や生物学や心理学や医学などの自然科学や社会科学は、統計的で反例があれば覆るので不完全帰納法と言います。)
真性異言という「特称命題」の事例は、その特称の名のとおり、通常の全称命題(実験的再現性が高いもの)を覆すものなので、イアン・スティーブンソンなどの極少数の先行研究の事例を元に仮説を検証しなければなりません。
よって、そのイアンの「死後存続(生まれ変わり)」仮説をそのまま採用すれば、率直に特殊命題として「生まれ変わりが証明された」と言えるわけです。言葉の通りだと思います。現時点ではそうとしか表現のしようがありません。
その科学性は、先行研究の仮説の検討と、しっかりとした引用文献から見い出される論理的整合性に明確に依拠しています。
もし、この事実に反論しようとするならば、
1、ネパール語を学んでいないことの確実な検証済みの被験者に、ネパール語で会話実験して、被験者の里沙さん(ラタラジュー)レベルの会話が成立するか実験する。そこで会話が成立することの立証。
これで初めて、里沙さんはネパール語を学んでいないけれども話すことができた、という反論を認められます。
(ネパール語で会話ができるとする検証基準は、ネパール語の20〜30の単語と、ネパール語の文法に則った主述の明確な会話がわずかでもできるということです。)
2、里沙さんがネパールを学んでいない科学的検証方法として、生育歴の詳細な聞き込み調査、ポリグラフ検査による調査、本人およびご主人の証言書署名のほかに、科学的検証方法があるのであれば、その方法論の説明。
3、生まれ変わり研究の第一人者であるイアン・スティーヴンソンの研究方法を忠実に追試するという方法論を採用されているので、「ラタラジューの事例」を生まれ変わりの科学的証明ではないと否定するのなら、スティーヴンソンの3つの事例も全否定することになるので、その科学的反証をきちんとすること。
4、生まれ変わりが絶対にないと強弁するのなら、生まれ変わりが絶対ありえないという科学的証明をきちんとすること。
そもそも、まだ脳が意識を生み出している科学的証明はまだできていない。
意識を生み出す脳細胞を発見できると脳科学者が必死で探していますが見つかっていません。脳がすべて、脳が消滅すればすべて無に帰するというのは、科学的裏付けのない単なる信念、思い込みに過ぎません。もし、意識を生み出す脳細胞が発見されたなら,私は生まれ変わりがあるという事実の誤りを認められます。脳細胞の消滅と同時に意識(生前の記憶)も消滅するわけで、生前の意識(記憶)が来世に保持され持ち越されるはずがないということになるからです。
とにかく1の実験をして検証をし、ネパール語を学習していなくても、里沙さん程度にネパール語会話ができたという立証(反証)がないところでは反論は根拠を欠いた単なる感情的駄弁です。
否定論者は、これらのことが「できる」と断定的に言ってるので、「じゃあお前がネパール語しゃべってみろ」「全くネパール語のできない人が、ネパール人に話しかけられて20〜30のネパール語単語を用い、ネパール語文法に則った会話が少しでもできそうでしょうか?」「しかも、タマン語訛りのあるネパール語発音ができると思いますか?」と返したくなります。
更に、
『「脳が心を作り出す」や「心が脳を作り出す」の立場は科学的に解決されたんですか?』
『ニュートラルネットの出力者の不在問題は解決されたんですか?』
という今だに解決されていない疑問に対する解決もされなくてはなりません。
既存科学(唯物論者)傾向な人は、このような特称事例を見受けると、受け入れがたい科学的な事実を目の当たりにして拒否反応を示す【心理的抵抗】が起こってしまい、自分の傲慢な感情を科学の唯物論だけで担保して押し通すような神経症的傾向が出てしまうかも知れません。
そもそも「スピリチュアル vs 科学」という神経症的な二分法思考で、「既存の科学=正義」で「未解明科学、それ以外は悪。」であるという認識自体、間違っていると思います。
例えば、新しい病原菌が見つかった場合、それを「過去の既存の科学の事例にないから悪。そんなものは存在しない。」と言うのは、それこそ現実の事実を無視して思考停止した”非科学的な態度”です。
客観的に観察される事象に対して、先行研究を駆使して、より合理的に、かつ善悪などの主観を除いた「事実」に近づくように探求するのが本来の「科学」です。
「科学が正義で、それ以外は悪なので抹消すべきだ」という考えは、
中国共産党の”科学崇拝”によって、霊能者や占い師や風水師や、果てには少林寺拳法などの武道精神にいたるまで、「目に見えない世界を信じる人」を1億人近く(歴史上最多の)大虐殺した文化大革命・天安門事件や、今も続くチベット仏教徒やウイグルイスラム教徒への迫害。ソ連の大粛清で歴史上最多の大虐殺。
日本でも、過激派左翼の共産主義(唯物論)→学生運動→集団リンチ・よど号強奪や浅間山荘事件(革マル派・日本赤軍)→その後、彼らが拠り所を求めて作ったオウム真理教…
このすでに危ないと言われ、30年前には崩壊して終わった流れと同じです。
(今は、この時代を生きた人が教育者などになっているので、俗に言う理科系にいけばいくほど、リベラルで唯物論的になるのは嘆かわしいことですが…)
「本来の純粋な科学的な視点」で、寛容に懐疑的で中立的な観点を持てる人には、この著書は適していると思います。
私は、この特殊事例が突破口となり、今後「死後存続仮説を支持する事例がある」「未習得言語を話す事例がある」という反証から、新たな科学の発展にも貢献すると感じます。
近い未来、これを元に「未習得言語を話すようになれる技術」などが開発されていく契機にもなるはずです。
ノーム・チョムスキーの言語生得説の生成文法(とりわけ中心の普遍文法)の認知言語学・情報(数学)理論、同じくこの系譜の脳科学(人工知能)の最新研究である心の内部関数(機能:ファンクショナル)として必ず注目されます。
仮に、応答型真性異言に反証するような何かが分かったとしても、「ニューラルネットの出力者不在の問題」を脳科学は解決しなければ、「脳」と「心」の関係の根本問題は解決されないのです。
(でも今でさえ「心が脳(モノ=認識の世界)を作り出す」という後者が有力です。これ以降は量子力学の世界で研究されていくと思います。)
そして、この応答型真性異言という事例の特殊命題は、今世紀以降、未来永劫、残り続けると思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・書評終わり
さて、拙著に対する否定的書評と肯定的書評を並べて紹介しました。
紹介させていただいたお二人の書評投稿者の学識の差は歴然としている、とわたしにはおもわれますが、本ブログの読者のみなさんはどう感じられておられるでしょうか。
いずれにせよ、拙著に興味を抱いてお買い求めいただき、労力をかけて書評を投稿してくださったお二人には、この場を借りてあつくお礼申し上げます。
ありがとうございました。
0 件のコメント:
コメントを投稿