2021年9月23日木曜日

比較:SAM前世療法と一般の前世療法

SAM催眠学序説 その143


前世人格と対話する「SAM前世療法」には、前世記憶を想起する一般の前世療法と比較して、いくつかの特徴が指摘されています。

前世の記憶を想起させる一般の前世療法でうまくいかなかったクライアントで、SAM前世療法で成功しなかった事例は今のところありません。
両方の前世療法を経験したクライアントは数十名にのぼります。

この両方を経験したクライアントによって報告される共通項は次のように二つあります。

①催眠中の意識状態が明らかに違う。SAMの場合、一般の前世療法と比べて、明らかに深いレベルの意識状態に入ったという自覚がある。

②前世の記憶を想起する前世療法では、セラピストの質問に対して口頭で答えられるのに、SAMの場合に魂状態の自覚に至ると口頭で答えることができなくなる。


さて、①について、一般の前世療法では、心理学系催眠法の「標準催眠尺度」によって確認されることなく誘導が進められるので、どの程度の催眠深度に至って前世記憶の想起がおこなわれているのかが不明です。

かつて、わたしが前世の記憶想起をねらう一般の前世療法でおこなっていたときでも、「運動催眠」→「知覚催眠」→「記憶催眠」の順に、催眠深度を成瀬悟策医博の「標準催眠尺度」を用いて確認し、「記憶催眠」レベルの深度到達後、年齢退行によって子宮内まで退行してもらい、「子宮に宿る前の記憶がもしあれば、そこへに戻ります」という暗示をしていました。

しかし、わたしの知る限りにおいて、催眠深度の確認がされない一般の前世療法体験者の意識の体験内容からは、「記憶催眠」より浅い催眠深度でセッションがされている印象を受けます。

一般の前世療法の体験者報告では、SAM前世療法のほうが明らかに深い意識状態だという報告が相次いでいるからです。

ちなみに、かなり著名な、一般の前世療法女性セラピストが、SAM前世療法を初体験して、こんなに深い催眠状態は初めて体験したと自身のブログで語っています。

催眠学の明らかにしているところでは、「知覚催眠」レベルでは、五感が暗示通り知覚されるようになります。
つまり、五感のさまざまな知覚(幻覚)を、暗示によってつくり出すことが可能です。

また、創造活動が活性化され、自発的にイメージが次々に現れるようになります。
それで、被験者は、そうした自発的に出てくるイメージに対して、自分が意図的にイメージをつくり出しているという自覚をもつことはありません。
つまり自発的なイメージが架空のものとは感じられず、自分の中に潜んでいた前世の真実の記憶がイメージ化して見えてきたという錯覚をもつ可能性を排除できません。

こうした事情はSAM前世療法でも同様でしょう。

クライアントに顕現化した前世人格とは、クライアントの願望が投影された架空の人格であり、そうした架空人格の役割演技としての語りである可能性を排除できません。

ただし、SAM前世療法では被験者リサさんに顕現化した「タエ・ラタラジュー」の両前世人格の語りを検証して、語り内容の事実の信憑性が極めて高いという検証結果を確認しています。

こうした催眠中に現れる自発的イメージ体験の性格を根拠にして、大学のアカデミックな催眠研究者は、前世療法における前世の記憶はセラピストの暗示と、その期待に応えようとするクライアントの無意識的努力によって引き起こされた「フィクション」である、と口をそろえて主張します。
催眠中のクライアントが、セラピストの期待を察知し、その期待に無意識的に応えようとする心理的傾向を催眠学では「要求特性」と呼んでいます。

わたしの敬愛してやまない故成瀬悟策先生もこうした立場をとっておられます。
わたしの遭遇した「タエの事例」は、要求特性によって語られた前世のフィクションだととらえなさい、さもないと危ういですよ、という戒めのコメントをいただいています。

SAM前世療法では、催眠深化の誘導プロセス中に必ず「知覚催眠」レベルの深度に至っていることを標準催眠尺度を用いて確認します。
知覚催眠レベルに至ることができない深度で、魂状態の自覚まで遡行できないことが明らかになっているからです。
そして、知覚催眠に至れば、次の深度レベルである「記憶催眠」に至ることがほぼ確実です。
したがって、SAM前世療法では記憶催眠レベルの深度確認はおこないません。
記憶催眠の確認を省いて、さらに深度を深めていきます。
これまでの標準催眠尺度にはない「魂遡行催眠」とわたしが名付けている深奥の催眠レベルにまでひたすら深めます。
身体の自発的運動と自発的発話は完全に停止し、リラックスによる筋肉・関節の完全な弛緩状態へと誘導してしていきます。

SAM前世療法ではこうした最深度の催眠状態にまで誘導するので、したがって、当然ながら一般の前世療法より深い意識状態に至ったという報告が共通してされるのではないかと推測しています。

②については、その解明は容易ではありません。
 
SAM前世療法の魂の自覚状態では、顕現化した前世人格が口頭で答えられる割合は、およそ20人に1人、5%程度しか口頭で話せません。20人のうち19人までが、どうしても口頭で答えることができないと指の応答によって答えます。
一般の前世療法ではこうした声が出ない、音声化できないことは起こりません。
一般の前世療法体験者は、誰でも前世記憶のビジョンを口頭で報告することが可能です。

この口頭で話せないという現象は、SAM前世療法の催眠深度が一般の前世療法よりも深く、したがって、筋肉の弛緩状態がきわめて深く、声帯も舌も弛緩し切っているので発音できないのではないか、という推測できそうですが、これはどうも的外れのようです。
SAMの作業仮説に理由を求めることができるのではないかと考えています。

一般の前世療法では、「前世の記憶として現れるビジョンをクライアントが報告する」という前提になっています。
あくまでクライアントが「前世の記憶」を想起し報告するのです。

SAM前世療法では、「顕現化した前世人格が、クライアントの身体を借りて対話する(自己内憑依する)」という作業仮説でおこないます。
前世人格は、当時のままの感情を持ち続けて、肉体のない意識体として魂の表層に現在も死後存続している、霊的存在だと想定しているのです。
こうして、多くのクライアントは、顕現化した前世人格の喜怒哀楽の感情を共体験します。
ビジョンが現れず、感情のみの共体験で終わる場合もあります。
療法としての改善効果は、ビジョンより感情のほうが有益ですから、それでいいと思っています。

わたしの対話相手は現世を生きているクライアントではなく、肉体をもたない前世人格という死者なのです。
死者である前世人格のほとんどが、肉体を失ってすでに長い時間を経ている存在です。
そこで、何人かの前世人格に、なぜ話すことができないのかその理由を指で回答してもらうことを試みたところ、「長い時間を経ているので、生まれ変わりである現世の者の発声器官の操作を忘れているから、どうしても声に出すことが難しくてできない」という回答でした。
指を起こす、うなづくという単純な操作なら、現世の肉体を借りてその動作で回答することが可能である、ということでした。
一理あるとは思いますが、さらに探究する必要があると思っています。

ここで注目すべきは、SAM前世療法においては、クライアントは前世人格の霊媒的な役割を担うということです。

わたしは、クライアントの意識の中に顕現化した(自己内憑依した)死者である前世人格と、声帯にしろ指にしろ、現世のクライアントの肉体を借用して自己表現をする前世人格と対話するという形をとっているのです。
つまり、クライアントは、自分の身体を自分の魂の表層に存在する前世人格に貸している霊媒的役割を担うことになっているということです。
前世人格は、現世の肉体を媒介にして、現在進行形でわたしと会話をしている、これがSAM前世療法のセッション構図になっているということです。

そして、このような信じがたいセッションの構図は、「ラタラジューの事例」によって証明されたと思っています。

そしてまた、わたしあて霊信の恩恵によるSAM前世療法は、わたし以外に誰も発想できるはずのない療法でしょう。
正しくは、わたし独自の発想によるものではなく、霊信からの教示によるものです。

里沙さんの前世人格ラタラジューは、セッション中にネパール語話者カルパナさんと次のような現在進行形でのやりとりをしています。

里沙: Tapai Nepali huncha?
   (あなたはネパール人ですか?)

カルパナ: ho, ma Nepali.
   (はい、私はネパール人です)

里沙: O. ma Nepali.
   (ああ、私もネパール人です)

つまり、前世人格ラタラジューは、今、ここにいる、ネパール人カルパナさんに対して、「あなたはネパール人ですか?」と、明らかに、今、ここで、問いかけ、その回答を確かめているわけで、「里沙さんが潜在意識に潜んでいる前世の記憶を想起している」という解釈が成り立たないことを示しています。
このラタラジュー は、現世の里沙さんの肉体(声帯)を借りて、現在進行形で会話をしている前世の人格です。

里沙さんは、カルパナさんとラタラジューのネパール語会話の媒介役として、つまり霊媒的役割としてラタラジューに身体を貸している、とそういうことにほかなりません。
それは、このラタラジューのセッション直後に書いてもらった次の点線内のセッション体験記録からも確認することができるでしょう。

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セッション中とその後の私の心情を述べたいと思います。
こうした事例は誰にでも出現することではなく、非常に珍しいことだということでしたので、実体験した私が、現世と前世の意識の複雑な情報交換の様子を細かく書き残すのが、被験者としての義務だと考えるからです。
 
思い出すのも辛い前世のラタラジューの行為などがあり、そのフラッシュバックにも悩まされましたが、こうしたことが生まれ変わりを実証でき、少しでも人のお役に立てるなら、すべて隠すことなく、書くべきだとも考えています。

ラタラジューの前に、私の守護霊と稲垣先生との会話があったようですが、そのことは記憶にありません。
ラタラジューが出現するときは、いきなり気がついたらラタラジューになっていた感じで、現世の私の体をラタラジューに貸している感覚でした。
タエのときと同じように、瞬時にラタラジューの78年間の生涯を現世の私が知り、ネパール人ラタラジューの言葉を理解しました。

はじめに稲垣先生とラタラジューが日本語で会話しました。

なぜネパール人が日本語で話が出来たかというと、現世の私の意識が通訳の役をしていたからではないかと思います。
でも、全く私の意志や気持ちは出て来ず、現世の私は通訳の機器のような存在でした。

悲しいことに、ラタラジューの人殺しに対しても、反論することもできず、考え方の違和感と憤りを現世の私が抱えたまま、ラタダジューの言葉を伝えていました。

カルパナさんがネパール語で話していることは、現世の私も理解していましたが、どんな内容の話か詳しくは分かりませんでした。
ただ、ラタラジューの心は伝わって来ました。
ネパール人と話ができてうれしいという感情や、おそらく質問内容の場面だと思える景色が浮かんできました。
現世の私の意識は、ラタラジューに対して私の体を使ってあなたの言いたいことを何でも伝えなさいと呼びかけていました。
そして、ネパール語でラタラジューが答えている感覚はありましたが、何を答えていたかははっきり覚えていません。
ただこのときも、答えの場面、たとえば、ラタラジューの戦争で人を殺している感覚や痛みを感じていました。

セッション中、ラタラジューの五感を通して周りの景色を見、におい、痛さを感じました。セッション中の前世の意識や経験が、あたかも現世の私が実体験しているかのように思わせるということを理解しておりますので、ラタラジューの五感を通してというのは私の誤解であることも分かっていますが、それほどまでにラタラジューと一体化、同一性のある感じがありました。

ただし、過去世と現世の私は、ものの考え方、生き方が全く別の時代、人生を歩んでいますので、人格が違っていることも自覚していました。 
ラタラジューが呼び出されたことにより、前世のラタラジューがネパール語を話し、その時代に生きたラタラジュー自身の体験を、体を貸している私が代理で伝えたというだけで、現世の私の感情は、はさむ余地もありませんでした。

こういう現世の私の意識がはっきりあり、片方でラタラジューの意識もはっきり分かるという二重の意識感覚は、タエのときにはあまりはっきりとは感じなかったものでした。

(後略)
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でも、全く私の意志や気持ちは出て来ず、現世の私は通訳の機器のような存在でした」、「ラタラジューが呼び出されたことにより、前世のラタラジューがネパール語を話し、その時代に生きたラタラジュー自身の体験を、体を貸している私が代理で伝えたというだけで、現世の私の感情は、はさむ余地もありませんでした」という里沙さんの述懐は、彼女がラタラジューに「体を貸している」、霊媒的役割をまさに果たしていた、ことを如実に語っていると思います。

イアン・スティーブンソンは、退行催眠中に現れ、検証を経て信頼できる、応答型真性異言を2例あげています。ともにアメリカ人の女性2名に現れた「イェンセンの事例(スウェーデン語)」と「グレートヒェンの事例(ドイツ語)」です。

ちなみに、スティーヴンソンも、わたしと同様、顕現化した前世人格を「トランス人格」(催眠下のトランス状態で現れた前世の人格)と呼んで、真性異言の話者を、クライアントとは別人格の顕現化による応答的会話だ、ととらえています。(『前世の言葉を話す人々』春秋社、P.9)

つまり、クライアントが前世の記憶として応答型真性異言を語ったとは考えていません。
それでは、そうした死後存続しているトランス人格の所在しているところはいったいどこなのか、についての言及は一切ありません。

 「ラタラジューの事例」を含めても、催眠下で偶発し科学的な検証済みの応答型真性異言事例は、世界にこれまでたった3例の発見しかありません。
ほかに覚醒中に起きた偶発事例が2例あります。 

しかも、すべて20世紀中の発見であり、21世紀になってからは「ラタラジューの事例」(2009年)が最初の事例です。

付言すれば、この事例は、応答型真性異言の発話中の撮影に成功した世界初の事例です。

 生まれ変わりが普遍的事実であるならば、なぜもっと多くのクライアントが応答型真性異言を話せないのか、これは、ほんとうに大きな謎です。

スティーヴンソンが存命中なら、「ラタラジューの事例」を自ら調査にくるだろうと、スティーヴンソンの著作の訳者であり、彼と親交のあった超心理学者笠原敏雄氏は述べています。
わたしも、かなわぬ夢ですがスティーヴンソンに、この謎解きの見解を尋ねてみたいものだと思います。  

 

さて、最後にSAM前世療法のセッションに特徴的な「霊的意識現象の事実」を3点述べてみます。

その一つが、クライアントに憑依していると思われる、残留思念の集合体である「未浄化霊」と呼ばれている霊的存在が顕現化してくる意識現象が珍しくないことです。

この「未浄化霊」との対話がSAM前世療法では可能です。

「未浄化霊」は、理解と救いを求めてクライアントの霊体(オーラ)に憑依してくると語ります。

この「未浄化霊」を浄霊して取り除かないと、魂状態の自覚に到達できず、したがって、前世人格が顕現化できないのです。

直近の浄霊事例では、魂遡行を妨げていた「未浄化霊」は10歳に満たない少女でした。

東北大震災の津波に呑まれて命を失い、両親を求めて浮遊していたところ、自分を理解してくれそうなクライアントに出会い、救いを求めて憑依していた、と語りました。しかも、他にも複数の「未浄化霊」が憑依していると教えてくれました。

こうして、すべての 「未浄化霊」を浄霊したのち、首尾よく求める前世人格の顕現化に至りました。

二つ目は守護霊と呼ばれる霊的存在が、求めに応じてクライアントに憑依し、必要なメッセージを告げるという「意識現象の事実」が生じることです。

直近の事例では、魂状態の自覚まで到達できたにもかかわらず、魂表層に存在しているはずの前世人格が求めに応じて顕現化してこないので、そのわけを知るために守護霊に憑依を求めてみたところ、その守護霊と思われる存在の憑依が起こりました。

憑依し顕現化した守護霊のメッセージによれば、当該クライアントが前世を知る時期にまだ至っていない、今、前世を知ることは害が大きいので、クライアントを守るために禁じざるを得ないが、いずれ時期が至れば直感あるいは夢で許可する、ということでした。

三つ目は、「魂状態の自覚」に至ると、守護霊との出会いとテレパシーによる対話という「意識現象の事実」が必要に応じて起こり得ることです。

ただし、守護霊との出会いを果たす割合は70~80%程度で、望めば誰もが守護霊と出会え、メッセージを受け取れるわけではありません。

守護霊との出会いのイメージは、①白いガウン状のころもに身を包んだ人間的な姿で現れる、②白い光など光のイメージとして現れる、③姿や形は無く温かい気配を感じ、ラップ音が伴う、というように三通りに類別できるようです。

また、メッセージ内容はテレパシーによって伝わるようで、その内容は抽象的であり具体的な指示はない、という共通点が指摘できます。

 たとえば、質問すると、「このことについては、あなたが胸に手を当てて考えればおのずと解答が出てくるでしょう」、「あなとの直感にしたがって進めばよいでしょう」というように、簡潔かつ一種曖昧な言い回しで告げられることがほとんどのようです。

一般の前世療法においても、守護的存在との出会いや接触があることを耳にしたことがありますが、かなり具体的な内容のメッセージであるようです。

SAM前世療法において「魂状態の自覚」に至ると体重の感覚がなくなると報告されます。

これは肉体につながっている魂の、肉体とのつながりが消滅し、魂が肉体と分離した状態になった結果ではなかろうかと推測しています。

SAM前世療法の定義では、「霊」が肉体に入っている状態を「魂」と呼び替える、としていますから、魂が肉体から分離した状態とは、つまり肉体を持たない「霊」と同様の次元にあり、そのため守護霊という霊的存在との出会いが容易になっていると推測されます。

「魂状態の自覚」を体験したクライアントの中には、それをきっかけに、その後ある種の霊能力と呼ばれている能力が覚醒したと思われる事例がまれではなく起こるようです。

守護霊との対話を望めば覚醒状態でも可能になる、予知能力があらわれる、直感力が鋭くなり当たるようになる、ヒーリング能力があらわれる、霊媒能力があらわれる、などです。

海外の交霊会の体験者にも種々の霊能力、とりわけ霊媒能力などがあらわれた事例が少なからずあります。

 こうして「魂状態の自覚」に至り守護霊と対話する体験とは、言わば交霊体験ですから体験者に前述のような霊能力が覚醒しても不思議ではないと言えます。

 SAM前世療法は、先行研究皆無のまったく新しい前世療法で、これまで手探りで探究を進めるしかありませんでした。

そこにあらわれる「意識現象の事実」は、謎に満ち満ちています。

さらに実直に探究を深め、生まれ変わりを実証していく、持続する志を忘れないで進みたいと思います。

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