2021年8月25日水曜日

イアン・スティ-ヴンソンから学ぶ

SAM催眠学序説 その142

2005年の「タエの事例」、2009年「ラタラジューの事例」において、タエの人生とラタラジューの人生が、被験者里沙さんの「前世記憶の想起」ではなく、「タエの人格・ラタラジュー人格そのものの顕現化」したものだとすれば、そのような前世の人格は、いったいどこに存在しているのでしょうか。

これが「タエの事例」以後、「ラタラジューの事例」の遭遇まで、4年以上にわたってわたしを悩ませることになった大きな謎でした。

この謎について言及した先行研究は、生まれ変わりの科学的研究の先駆者イアン・スティーヴンソンに求めるほかないと思われました。

以下は、イアン・スティーヴンソン/笠原敏雄訳『前世を記憶する子どもたち』日本教文社、1989、からの抜粋です。
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生まれ変わったと推定される者では、先述のイメージ記憶、行動的記憶、身体的痕跡という三通りの要素が不思議にも結びついており、前世と現世の間でもそれが一体になっていなかったとは、私には想像すらできない。
このことからすると、この要素(ないしその表象)は、ある中間的媒体に従属しているらしいことがわかる。

この中間的媒体が持っている他の要素については、おそらくまだ何もわかっていない。

前世から来世へとある人格の心的要素を運搬する媒体を「心搬体(サイコフォア)」と呼ぶことにしたらどうかと思う。

私は、心搬体を構成する要素がどのような配列になっているのかは全く知らないけれども、肉体のない人格がある種の経験を積み、活動を停止していないとすれば、心搬体は変化して行くのではないかと思う。(中略)

私は、「前世の人格」という言葉を、ある子どもがその生涯を記憶している人物に対して用いてきたけれども、一つの「人格」がそっくりそのまま生まれ変わるという言い方は避けてきた。

そのような形での生まれ変わりが起こりうることを示唆する証拠は存在しないからである。
実際に生まれ変わるかも知れないのは、直前の前世の人格および、それ以前に繰り返さ れた過去世の人格に由来する「個性」なのである。

人格は、一人の人間がいずれの時点でも持っている、外部から観察される心理的特性をすべて包含しているの に対して、個性には、そのうえに、現世で積み重ねた経験とそれまでの過去世の残渣が加わる。

したがって、私たちの個性には、人格としては決して表出するこ とのないものや、異常な状況以外では人間の意識に昇らないものが数多く含まれているのである。
(前掲書PP.359-360)
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イアン・スティーヴンソンの言う「中間的媒体」、あるいは「心搬体(サイコフォア)」は、いわゆるわたしの言うところの「魂」と同義です。
厳密な科学者スティーヴンソンは、「soul(魂)」という語にまとわりつく宗教臭を払拭し「前世から来世へとある人格の心的要素を運搬する媒体」という科学的定義を明確にしたのだと思われます。
 

ただし、わたしは、前世から来世へとある人格の心的要素を運搬する媒体を、そのまま従来の「魂」の概念でも不都合はないと思いますし、新しい概念でもないのに「心搬体」などの新しい造語を用いることは不要だと思っています。
 

さて、前世人格の所在についてのスティーヴンソンの結論は、「心搬体(サイコフォア)」=「魂」が、前世人格の所在であるということになるのでしょうか。

また、彼の、「心搬体を構成する要素がどのような配列になっているのかは全く知らないけれども、肉体のない人格がある種の経験を積み、活動を停止していないとすれば、心搬体は変化して行くのではないかと思う」という見解は、SAM前世療法の作業仮説を設けるときの重要な参考となっています。
 

つまり、「魂は二層構造になっており、表層は前世人格たちが構成し、それら前世人格は互いの人生の知恵を分かち合い学び合い、表層全体の集合意識が成長・進化(変化)する仕組みになっている」という仮説を支持する見解だと言えそうです。

ただし、スティーヴンソンは、「心搬体」=「魂」を構成する要素がどのような配列になっているのかは全く知らない、と述べています。

「魂は二層構造になっており、その表層は前世人格たちが構成し、それら前世人格たちは互いの人生の知恵を分かち合い学び合い、表層全体の集合意識が成長・ 進化する仕組みになっている」というのが、SAM催眠学における作業仮説です。

つまり、「心搬体」=「魂」の表層全体は、変化していくものだということを、その後の、SAM前世療法のセッションで顕現化した前世人 格の語りから確かめています。

さらに、「一つの『人格』がそっくりそのまま生まれ変わるという言い方は避けてきた。そのような形での生まれ変わりが起こりうることを示唆する証拠は存在しない」というスティーヴンソンの見解は、そのままSAM催眠学が主張する見解と同様です。

「現世の私」という一つの人格が、その死後、来世にそのままそっくり生まれ変わるわけではなく、魂表層を構成する一つの前世人格として生き続けるのであって、「表層を構成する前世諸人格を含めた一つの魂全体が新しい肉体に宿ることを生まれ変わりと言うのだ」というのが、SAM前世療法セッションで示される生まれ変わりの実相だと言えます。

また、「実際に生まれ変わるかも知れないのは、直前の前世の人格および、それ以前に繰り返された過去世の人格に由来する『個性』なのである。個性には、そのうえに、現世で積み重ねた経験とそれまでの過去世の残渣が加わる」というスティーヴンソンの見解も、わたしのSAM前世療法で得た知見にほぼ一致します。

現世の個性は、魂表層に位置付いている前世人格たちのそれぞれの人生の知恵を分かち与えられており、このようにして繰り返された前世の人格に由来する「個性」と、現世での諸経験とによって、形成されているに違いないのです。

さて、わたしが、スティーヴンソンに求めたのは、前世の記憶を語る子どもたちの「前世の記憶」の所在についての考究でした。

彼が、「前世の記憶」が脳にあるとは考えていないことは、「心搬体」という死後存続する「媒体」、つまり、魂を想定していたことに照らせば、間違いありません。

わたしの期待したのは、彼の言う「心搬体(魂)」と、「前世の記憶」および「脳」との関係についての考究です。

前世の記憶を語る子どもたちは、その前世記憶の情報を、心搬体から得て話したのか、脳から得て話したのか、それとも記憶ではなく、前世の人格の顕現化であるのか、いずれなのでしょうか。

しかし、スティヴンソンの著作は、この問いについてはなにも解答を与えてくれませんでした。

わたしが求めた解答を与えてくれたのは、人間ではなく、わたしの守護霊団を名乗る霊的存在でした。
 

わたしの守護霊団を名乗る存在の教示した内容の要約は次のようです。

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脳は意識を生み出してはいない、脳と意識は密接な相互関係、対応関係にあるが、本来別物である、とする立場を「意識と脳の二元論仮説」という。

脳が意識を生み出すという因果関係を否定する仮説である。                              大脳生理学者でノーベル賞学者の、ペンフィールド、スペリー、エックルズ、催眠学者の成瀬悟策などが実験研究の末に晩年になって唱えている。

しかし、彼らは、それでは意識どこで生まれるのか、という根本問題については一切述べていない。彼らにも分からないのである。
 

SAM催眠学では、わたしあて霊信の告げている「魂の二層構成仮説」を採用し、意識を生み出しているのは、魂表層を構成している前世の者たちである、と考えている。
魂の二層構成」を理解しやすいように、円を用いて二次元モデルの単純化した模式図にしたものが下図である。

 

  「魂の二層構成とその転生の模式図]


左から右への矢印は時間軸を意味している。
大円、魂の核Xの下に引いてある接線は、魂表層の死者である「前世の人格」と、肉体を持つ「現世の人格」の区別のための補助線である。
つまり、補助線より下の小円が肉体に宿る現世の人格になる。
補助線より上の小円が、死者であり肉体のない前世の諸人格である。
したがって、右端の3つ目の模式図を例にとると、魂表層の現世人格小円Cは、小円Aと小円B二つの前世人格とともに、3回目の現世の人生を送っている魂をあらわしている。

意識は魂表層の小円A、小円B、小円Cなどの前世人格たちと現世人格が生み出しているというわけである。

魂の転生の仕組みを模式図の時間軸にしたがって説明してみる。

魂の核大円(X)は、最初の肉体に宿ると、その表層に小円という現世人格(の意識体)を生み出す。(左端の図)

現世人格(の意識体)はその肉体の死後、魂の核大円(X)の表層を構成する前世人格(の意識体)小円Aとして位置づき、死後も魂表層に存在し続ける。(真ん中の図)

そして魂は、次の来世の肉体に宿ると、新たに小円という現世人格(の意識体)を魂表層に生み出す。(真ん中の図)

さらに小円Bという現世人格(の意識体)は、肉体の死後魂表層の前世人格(の意識体)小円Bとして位置づき、先に位置付いている前世人格小円A(の意識体)とともに魂表層を構成し死後存続する。(右端の図)

次の来世では小円Cという現世人格(の意識体)を魂表層に生み出し、先に表層に位置づいている前世人格小円A(の意識体)・B(の意識体)とともに魂表層を構成する。(右端の図)

このように、魂の核であるは、新しい肉体を得るたびに諸前世人格(の意識体)を魂表層に次々に位置づけ魂表層の構成単位として包含し、転生していく。
現世人格であった(の意識体)・B(の意識体)・・・は死後も、それぞれの生前の人格、個性、記憶を保ちながら、魂の核とともに魂の表層を構成するそれぞれの諸前世人格(の意識体)として死後も存続している。
これを「魂の二層構成仮説」と呼ぶ。
つまり、「核となる意識体」と、その「表層を構成している諸前世人格(の意識体)」の二層を合わせた全体を「魂」と呼ぶ。

こうして、生まれ変わりの回数分だけの前世の諸人格(の意識体)が、現世人格(の意識体)とともに魂の表層を構成しながら意識体として死後存続している、というのがSAM前世療法で確認できた意識現象の累積によってが明らかなってきた魂の構成とその転生の仕組みである。
なお、肉体を持たない魂を「霊」と呼び、肉体という器に宿る霊を「魂」と呼ぶ。

そして、魂は、表層を構成する前世の諸人格のすべてのものがつながり持ち、友愛を築き、与え合うことを望んでいると霊信は告げているので、当然現世の人格は、多かれ少なかれ、また良かれ悪しかれ、前世の諸人格の智恵(意識体)の影響を受けていることになる。

また、転生するたびに、魂表層に現世人格が 新たに位置付き、前世諸人格の智恵が分かち合われるので、魂表層を構成している現世人格と前世人格たち全体の集合的意識は、転生することによって変化していくことになる。
より完全な存在へと向かう方向性、志向性に支えられたこうした魂の変化を、「魂の成長・進化」と呼んでいいのではないかと思っている。

ちなみに、魂の核である意識体Xについて、わたしあて霊信では「ある意識体」とだけ告げており、その実体については謎のままである。
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SAM前世療法では、「魂遡行催眠」の誘導技法によって、「魂状態の自覚」まで誘導し、魂表層を構成している前世人格たち「小円A」や「小円B」を、現世の肉体を用いて顕現化させ(憑依させ自己表現させ)、この「自己内憑依」によって顕現化した前世人格と対話する、という仮説と方法論によってセッションを展開していきます。

2021年の現時点で、SAM前世療法のこれらの仮説に反する事例は出ておりません。

you-tubeに公開している動画「タエの事例」「ラタラジューの事例」がなによりの実証です。

タエもラタラジュー も被験者里沙さんを魂状態の自覚まで催眠誘導し、彼女の魂表層から呼び出した前世人格の語りなのです。

そして、両前世人格の語りの詳細はでたらめではなく、歴史的事実と照合したところ重要な点に誤りはなく、また、語り内容について里沙さんが事前に情報を入手していないことがポリグラフ検査によってよって証明されています。

唯一、両前世人格の実在していた文書上の証拠記録だけが、どうしても発見することができなかったということです。

このことについては、スティーヴンソンの次のような、生まれ変わり研究上の見解を妥当だと支持しています。

前世人格の実在していた文書上の証拠記録が発見できないことを、もし些細な点だと考えるならば、

些細な点に正確であるよりは、重要な事象について確実なことを知ることのほうが意味があると私は考ている」(イアン・スティーヴンソン/笠原敏雄訳『前世を記憶する子どもたち』日本教文社、1989、P.26) 

2 件のコメント:

稲垣 勝巳 さんのコメント...

イアン・スティーヴンソンの著書の翻訳者であり、超心理学者である笠原敏雄氏の「心・脳の二元論」についての見解を下記に紹介します。
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「次は著名な宇宙線物理学者による発言です。
『心というものがあって、それが大脳という機械を働かせているのであれば、死によって大脳が消滅しても、心だけがあとに残る可能性があります。ところが心が生じるために大脳の存在が必要であれば、死によって大脳が消滅してしまえば、心も完全になくなります。最近の脳研究によれば、心が大脳以外のところに存在して大脳に命令するのでなく、心が大脳によって作られるという主張から、後者が正しいと考えられるから、死後、心が残るということはありえないのです。

(中略)私たちの記憶は大脳の微細構造中に記録されているものですから、死と同時に完全に消滅してしまうものです。DNA分子には記憶は貯蔵されていません。したがって、二度目に生まれてきたとしても、そのときに、前に生きていたときのことなど、全然わからないはずです』
この発言では、脳以外には記憶は貯蔵されえないという主張を前提として論理が展開されています。しかし、脳以外のところに記憶が残るはずがないとする主張は、現在の科学知識をもとに論理を進めるという哲学的論証による以外(つまり、科学的方法を放棄しない限り)証明することはできないのです。

(中略)超心理学者や心霊研究者がめざしているのは、さまざま証拠を科学的方法により厳密に検討し、現行の科学的知識を塗りかえることなのです。

(中略)以上、何人かの(生まれ変わりはありえないとする)識者の発言や批判を紹介しましたが、いずれも、現行の科学知識(つまりは唯物論)が絶対正しいとする独断を暗黙の大前提にしております。

(中略)超心理学者ないし心霊研究者は、現行科学知識の基盤となっている唯物論と超常現象とが矛盾するからこそ、そして、超常現象の実在を裏付ける証拠が質・量ともに無視できないほど存在するからこそ、こうした研究を続けているのです」(イアン・スティーヴンソン『前世を記憶する子どもたち』PP.531-534
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ちなみに著名な宇宙線物理学者による「最近の脳研究によれば、心が大脳以外のところに存在して大脳に命令するのでなく、心が大脳によって作られる」という主張は、現在でも科学的実証がまったくなされていない憶測にすぎないことを付言しておきます。

SAM前世療法の仮説は、脳が心を作り出していない、ことを前提にしており、その実証として「タエの事例」と「ラタラジューの事例」を科学的証拠として提示しています。

稲垣 勝巳 さんのコメント...

さらに笠原敏雄氏は、唯物論に立脚する「心・脳二元論」の批判、否定論者に対する厳しい指摘を次のように述べています。
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「超心理学者以外の科学者による批判のほとんどは、唯物論に立脚した論証や没論理的、感情的非難、人身攻撃、不確実な情報源や思い込みに基づく反論など、およそ科学的議論からほど遠いものでした」

「残念ながら、唯物論が正しいことを科学的方法を用いて証明することはできません。なぜなら、事実(あるいは主張、証拠)に対しては、事実(一次的証拠)をもって対応すべし、という科学的方法の大原則を放棄しない限り、つまりそれに代わって哲学的、信仰的論証を持ち出さない限り、その(唯物論が正しいという)証明はできないからです」
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わたしが「タエの事例」、「ラタラジューの事例」という一次的証拠を提示し、生まれ変わりの事実をもって主張していることに対して、否定論者は、この一次的証拠(事実)に一次的証拠証拠をもって、つまり、両事例に正対した一次的証拠(事実)をもって反論した論者が、これまで皆無であることが、笠原氏の指摘を裏打ちしています。

このことは、本ブログの「SAM催眠学序説 117」で何名かの反論者の主張をすべて紹介していますのでご覧ください。