SAM催眠学序説 その120
1 植物状態の老婦人が死の直前に自分の死亡予告に訪れたという夢の事例
2 母の霊が存在を示すために夢で告知しそれが同時に実行されたという事例
今回は、厳密な科学的検証はできませんが、夢で告げられた予告内容が現実に起こったことが検証され、魂(霊)の存在やその死後存続が示された正夢であったと言うべき、稀で不思議な霊夢現象2事例を紹介します。
ただし、2事例ともに事例提供者の見た霊夢という「意識現象の事実」の、記憶の細部に曖昧さが残るとしても、嘘や作為はないという前提と、意識現象である霊夢そのものの事実の客観的な真偽は、科学的な検証ができない、という限界を認めたうえでの事例です。
わたしは、霊夢の些細な点に正確であるより、重要な事象について確実なことのほうが意味があるという立場をとっています。
お二人の事例報告者の、重要な事象については嘘がないとする誠実な人間性に信頼を寄せるという前提です。
こうした前提と限界を認めたうえで、つまり事例報告内容に、嘘や作為がない事実だとすれば、ここに紹介する霊夢2事例が、現行唯物論科学では説明不可能だろうというのが、反唯物論の立場から「SAM催眠学」の諸仮説を提唱し探究している、わたしの問題意識です。
そして、お二人の事例報告者は、わたしが霊的存在を、SAM前世療法であらわれる「意識現象の事実」として認めていることを承知のうえで、お話してくださったと思っています。
もちろん、お二人とも語った内容を、わたしが公開するという前提でお話しになったわけではありません。
1事例目は、「心・脳一元論」を否定し、「心・脳二元論」を認めざるをえない、という霊夢です。
2事例目は、死によってすべてが無に帰する(帰無仮説)を否定し、「霊(魂)の死後存続仮説」を認めざるをえない、という霊夢です。
両事例の共通点は、霊夢を見た当人と、霊夢に現れた当事者との間に、深い信頼関係および愛情関係がある、ということがいえると思います。
1事例目は、本ブログの読者で、特別養護老人ホームの介護職の女性(仮名「鈴木知子」さん)からのメールです。
わたしとは面識は一切ない方からいただいたメールの紹介です。
「心・脳二元論」を認めざるをえない、という霊夢の事例です。
この事例を「鈴木知子さんの霊夢事例」としておきます。
鈴木知子さんの人柄については、文面からその誠実さが読み取れると思います。
仮名という条件でメール全文の掲載許可をいただきました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(掲載はじめ)
はじめまして、鈴木知子と申します。
ダイレクト・メールをお許し下さいませ。(注:以下ゴチック部分は稲垣の加工)
私は2006年の放送でアンビリバボーを観て稲垣さんの事を知りました。
またビデオデッキに放送を録画して思い出しては、チョコチョコ観ておりました。
しかし今はその録画したテープもどこにいったか分からなくなり、久しぶりに思い出して観てみたいなと感じ、You tubeを検索したら見つかりました。
また稲垣さんが登録をしているのを見つけ、セッション1から7(終了)まで全部観ました。
私は第1回目の放送(注:2006年放送)しか、知りませんでした。
またその後も2回目の放送(注:2010年放送)があったとは知りませんでした。
しかし稲垣さんがYou tubeに登録されていたので、全部観させて頂きました。またブログも、つい最近までのを拝見させて頂きました。
私の頭の中では納得のいく内容でした。
また私自身、確信できました。
また確信ができたというのは、ある体験があったからです。
私の仕事は、老人介護の仕事をしており特別養護老人ホームで働いていました。
現在は部署が違いますが、当時は特別養護老人ホームでこんな体験があったのです。
その体験は、2010年の11月に入った頃です。
私が担当している利用者(老人の女性)の方に、食事の世話をしておりました。
また、その利用者は、認知症が酷く、常に日ごろから食事中は喋りっぱなしだったり、口をつむったままの状態だったり、頭を掻いたり、背中を掻いたりなど、食事が全然進まない方でした。
ところが、その利用者の方が、食事を喉に詰まらせ、表情も身体も硬直し、声をかけても身体を揺すっても応答がないのです。
慌てて看護師を呼んで、直ぐに診てもらいました。
命は助かったものの植物人間のようになってしまったのです。
また丁度その日は、その利用者の親族関係者を施設にお呼びし、胃ろう経管栄養にするかどうかを施設長と看護長が集まって会議をされておられました。
会議の結果は、胃ろう経管栄養にはしない、ということになりました。
私にとっては悲劇が二つ重なった状態であり、悔しさと後悔がどっと押し寄せ、涙が止まりませんでした。
その後五日経ち、寝ているときにこんな夢をみたのです。
「ちょっと鈴木さん、私がわかりますか? 山内です(利用者の苗字です)」
夢の中で山内さんが現れたのです。
そして山内さんが言うのです
鈴木さん、いっぱいご迷惑をかけ、悪いことしましたね。
そんなに悲しまないで下さい。
いままでありがとうございました。
腹が立つ事がいっぱいあったでしょうが、一生懸命面倒をみていただいてありがとうございます。鈴木さんが、私がいうことを聞かなくて怒ったり、無理やり口をこじ開けて食べさしたりと、一生懸命みていただいたこと感謝しております。
でもね、私の身体と精神は全くいうことがききません。
しかし、魂は別のものです。
魂の私は、とても理解しております。
あなたが必死で私をみていた事も解っていますし、感謝してます。
だから、悲しまないでください。
じゃあ、私は逝きます。
そういって消えて行きました。
その後、目が覚め、窓をみると朝になっていました。
そして山内さんの事を思い出しながら出勤すると亡くなられておられました。
こんな体験が私にはあり、介護の仕事に対して、認知症だからといってご利用者の方を馬鹿にしたり怒ったりすることはなくなりました。
稲垣さんがおこなっているSAM前世療法は、どても素晴らしいものと私は思っております。
世の中には、信じることの出来ない方がおられますが、私は、稲垣さんがおこなっている治療法は信じられるものと思っています。
これからも頑張って探究し続けて下さい。
それでは、失礼いたします。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(掲載おわり)
おそらく、メールをくださった鈴木知子さんも、かつては上記「あ」さんと同様な唯物論医学による常識的思い込みによって、認知症の老人介護のお仕事をしておいでになっただろうと思われます。
そうした思い込みを完全に覆した強烈な体験が、霊夢体験だったと推測できます。
さて、上記「あ」さんの、「心は脳の付随現象である(心・脳の一元論)」とするコメントが正しいとすると、鈴木知子さんのメール内容である霊夢の死亡予告は、錯覚ないし幻覚の類いの産物である以外のなにものでもないことになります。
あるいは、よくできた創作か。
介護している老婦人の、植物状態に陥ったことへの悔しさと後悔が、死亡予告の霊夢現象を見させ、それがたまたま現実化した、という偶然の一致という唯物論的解釈もできるでしょう。
しかし、霊夢から目覚めた朝には、リアルな霊夢の死亡予告が、現実化していた事実に間違いがあるとは思われません。
こうして、脳の機能障害によって認知症がひどく、そのうえに植物状態に陥り、意識や精神活動をまったく喪失しているはずの人が、起こし得ることが絶対できないはずの「霊夢による死亡予告現象」と、「意識は脳の付随現象」であるから「脳の損傷が生じれば、その付随現象である意識も喪失するはずだ」とする立場とは、真っ向から対立することになります。
しかし、意識と脳は密接な「対応関係」にあるが、それがそのまま脳が意識を生み出しているという「因果関係」を証明していることにはならない。したがって、意識の受信機能(受け皿機能)を担う脳の、加齢による劣化、病変、薬物などの影響などによって、意識を正常に受信できない機能障害(異常事態)が生じる。そうした意識と脳の「対応関係」の異常が、認知症、アルツハイマー病、植物様状態として、見かけ上「因果関係」のごとく観察される、しかし、意識と脳は本来別物であるので、脳の損傷が、そのまま意識そのものの損傷になっているわけではない、という「心・脳二元論仮説」による説明もまた、成り立つと思われます。
こうした「心・脳二元論仮説」によらなければ、鈴木さんの見た霊夢現象は説明できないからです。
「心・脳 一元論」、すなわち、心(意識)は脳の付随現象であり、肝心の脳が正常機能を停止すれば、脳の付随現象である意識や精神活動も、すべて錯乱・停止・喪失されてしまう、という言説は、科学的手続きによってけっして実証されているわけではなく、言動や脳の映像などに現れている異常状態の観察によって、見かけ上そう考えられる、そのように見做すことができる、という憶説にすぎません。
つまり、脳以外のところに意識があるはずがないという主張は、現行の科学的知識をもとに、論理を展開するという哲学的論証による以外に、証明することはできないのです。
つまり、「心・脳 一元論」、「心は脳の付随現象仮説」は、唯物論科学の立場から、その立場上構成されている「信念」や「主張」をそのまま表現したものであって、その言説自体は、科学的に確定された手続きによって検証・証明されているわけではないのです。
いったい、どのような手続きをすれば科学的検証や証明ができるのでしょうか。
したがって、これまでの世界中の多くの大脳生理学者の研究によっても、脳が心(意識)を生み出している、という科学的実証は、いまだにできていないのです。
意識は脳にないという説は誤りだとする「あ」さんの論理展開は、心と脳の「対応関係」を「因果関係」だと思い込み、その結果、脳が心(意識)を生み出している、といういまだ科学的実証のない憶説である「心・脳 一元論」に基づいて、一方的に断定的に論じる、という恣意的推論による認知の誤りです。
したがって、「あ」さんの論証は、そのまま、「意識現象のすべては脳が生み出しているという説が正しいと仮定してしまうと説明が付かない現象(霊夢現象)が現実に存在している事が確認されている以上、意識はすべて脳の活動によるものでしかない、という断言は誤りだと考えられます」と言い換えることになります。
そうでないとすれば、「あ」さんは、「心・脳一元論」に対する強力な反証である鈴木知子さんの霊夢を、「心・脳 一元論」でいったいどのように説明できるのでしょうか?
脳の未発見の領域の機能によるものだ、というような説明にならない逃げの言い訳で自己満足するしかないでしょう。
これでは到底説明とはいえず、「実は分からない」と言っているに過ぎません。
あるいは創作だ、偶然の一致だとして霊夢を無視するか。
臨死体験によって、魂と思われる意識体が体外離脱し、意識体が見聞した体験が報告される、という事例が数多くありますが、「あ」さんの論によれば、肉体(脳)を持たない意識体(魂)に、感覚器官があるはずがないわけで、見聞した報告はすべて錯覚・妄想ということになります。
しかし、臨死体験中(医学的に脳機能の停止中と判断できる事態) に見聞したという報告内容を検証した結果、見聞内容が事実と一致したという無視できない以下のような事例があるのです。
6 146RT 26コメント 【衝撃真実】死後の世界は存在した!脳神経外科の世界的権威エベン・アレクサンダー医師や東大救命医らが死後の世界を認める!
こうした脳機能停止中の現象を「心・脳 一元論」で説明できるでしょうか?
ただし、体外離脱現象がほんとうに起きていたのか、脳内現象であるのかについては、いまだ臨死体験研究学会においても、科学的決着がついているわけではありません。
ちなみに、大脳生理学の実績でノーベル賞受賞の研究者数名(エックルズ、ペンフィード、スペリーなど)が、脳の実験研究の結果、「心・脳 一元論」の立場から「心・脳 二元論」へと立場を変更するに至っています。
また、わたしの敬愛する九州大名誉教授であり世界的催眠学者の成瀬悟策医博も、晩年の教育催眠学会の講演で、「脳の病変によって動かないとされていた脳性麻痺の動作訓練を催眠暗示でやってみると、動かないとされていた腕が動くようになりました。しかし脳の病変はそのままです。こうしたことから、身体を動かすのは、脳ではなく『おれ』であることにやっと気づきました。脳は心の家来です。私のこの考え方を正統医学は賛成しないでしょうが、21世紀の終わりには、私の言っていることが明らかになるでしょう」と、催眠臨床の立場から「心・脳二元論」に至ったことを表明されています。
催眠暗示を受け入れた潜在意識(心)の脳への働きかけによって、痛覚麻痺などの脳の認知の変性状態を引き起こすと考えられる知覚催眠現象を、「脳は心の家来です」という考え方(心・脳二元論)で説明できることは、催眠臨床における体験的、実証的事実として、わたしは実感として受け入れることができます。
脳と心の関係についてのこれまでの研究史や、詳細な科学的考察については、超心理学者笠原敏雄氏のHP「心の研究室」脳と心の関係をお読みください。
また、意識(魂)の死後存続の科学的諸見解ついては、以下の記事をお読みください。
【ガチ科学】「死後の世界」が存在することが量子論で判明! 米有名科学者「脳は意識の受け皿にすぎない」
死後の世界、超能力、スピを科学する定義「ポスト物質主義科学18条」とは? 大学教授が提示!
わたしの提唱している「SAM催眠学」では、「心・脳二元論仮説」の立場を明確にしていますから、鈴木知子さんの霊夢は「意識現象の事実」として認めますし、何よりも霊夢の翌朝に、霊夢に現れた山内さんの「じゃあ、私は逝きます」という死亡予告が、翌朝に現実に起こっていたことで、鈴木知子さんの見た霊夢が正夢であった証明になっていると思われます。
霊夢で「私の身体と精神は全くいうことがききません。しかし、魂は別のものです。魂の私は、とても理解しております」と山内さんは霊夢の中で述べていますから、おそらく山内さんの死亡直前の魂は、体外離脱によって、あるいはテレパシーによって、お世話になった鈴木知子さんの霊体に働きかけ、霊夢現象を起こしたのではないか、というのが「SAM催眠学」の「霊体仮説(霊体に意識・潜在意識が宿っている)」による解釈です。
こうして、鈴木さんは、霊夢の結果、「こんな体験が私にはあり、介護の仕事に対して、認知症だからといってご利用者の方を馬鹿にしたり怒ったりすることはなくなりました」と述べています。
わたしも88歳であった母を老衰で3年前の夏の終わりに亡くしています。
意識が朦朧となり、血管からの栄養点滴もできなくなった時点で、胃ろう手術で延命を図るかどうかを担当医師と協議した結果、意識の回復見込みの期待はできないだろうという診断を受け入れ、胃ろう手術による延命を断念し、老衰による自然死を選択しました。
死亡までの70日間、わたしは毎日病院に通い、意識のほんどない母親に5分間の語りかけを欠かさず続けました。
母の死亡は深夜でしたが、連絡を受けて駆けつけたわたしの目に映った母の死に顔は、眠っているように安らかで、苦しんだ様子はありませんでした。
ゼンマイ仕掛けの心臓のゼンマイが巻き戻り、コトンと動かなくなったような死に方であったと思われました。
ただし、母が霊夢に現れたことは一切ありませんでした。
さて、2事例目は、わたしのクライアントである田口美智子(仮名)さん49歳が語ってくれた、霊の死後存続を示すさらに強力な事例で、この事例は、霊夢の予告と予告どおりの現象の顕現化を偶然の一致では説明できないでしょう。
田口美智子さんの、素直で正直な人柄については、面接結果から保障できると思います。
以下は、田口美智子さんからの聴き取りメモをもとに、公開の許可を得て、再度メモ内容の正誤確認をし、語られた事実を再現したものです。
田口美智子さんの母親は急性白血病を発症し、医師から余命20日と告知され、苦痛を緩和するために鎮痛薬を注射するが、そのあと昏睡状態のままで死亡するだろうから、意識が鮮明な今のうちに話をしておくようにと言われたそうです。
母親にはそうした余命告知は伏せて、彼女は母親と次のような約束をしたそうです。
美智子さんは死後の世界があることは信じているが、確信したいのでお母さんが亡くなったあと、死後も霊として生き続けていることを、何とか早く娘の私に知らせてほしい、という約束です。
お母さんも、迫り来る死期を覚悟していたらしく、このことを確約してくれたそうです。
果たして、この約束後数日して、昏睡状態のままお母さんは亡くなりました。
美智子さんは、お母さんがきっと約束を果たしてくれるだろうと思い、身の回りに注意して、お母さんの霊からの知らせ現象を待っていましたが、夢や霊的現象は、何も起きないままに49日間が経過しました。
その49日目(50日目に入った深夜)の夜午前2時ころに、お母さんが夢に現れて、次のようなことを告げました。
私が、あんたに死後も霊として生きていることを知らせようと、この部屋のカーテンを何度も揺らしたり、蛍光灯の点灯用の紐を揺らしたりしているが、ちっとも気づいてくれない。
あんたの肩を持って揺らして知らせたいけども、体のない私にはそんな力はないのよ。
それで、今、力をふり絞って、台所の棚に伏せてある鍋を鳴らして知らせているからね。
さあ、これで、私はもういくからね。
このお母さんの霊夢を見た直後に美智子さんは、はっと目が覚めたそうで、時計を見ると午前2時少し過ぎでした。
霊夢の鍋を鳴らしているという夢の告知を確認をするために、すぐに階下の台所へ降りてみました。
なんと台所には、ご主人と祖父の二人が、暗いなかで耳をすませてじっとたたずんでいました。
台所のあたりで、何かがカタカタ揺れて鳴っている金属音で二人ともに目を覚まし、ネズミでもいるのかと思って階下の台所へ様子を見にきたということでした。
台所の金属製パイプの棚に、逆さに伏せてある直径25㎝ほどの鍋は、逆さに伏せてあったので、取っ手の部分が少し浮いており不安定な状態ですが、人が歩く程度の振動ではカタカタ鳴ったことはこれまで一度もなかったそうです。
台所の窓は閉め切ってあり、風で鍋が動くはずはなく、鍋の鳴る音はてっきりネズミのいたずらだろうと、親子二人で耳を澄ませ、揺れる鍋の音を聞いていたということです。
ご主人と祖父の二人は、美智子さんが階下に降りていく直前までは、鍋が揺れており、カタカタ鳴っている音を確かに見聞したそうですが、美智子さんが台所に来た直後に音は止み、その後は鍋の音が一切しなくなったということです。
したがって、美智子さん自身は、鍋の鳴っている音を聞くことはできなかったそうです。
ご主人と祖父に、霊夢のことを話すと、「そういうことが本当にあるんやなあ」と呆然として驚くばかりでした。
ちなみに、ご主人も祖父も、こうした霊の存在などに興味・関心はまったくなく、唯物論者といってよい考え方の強い人だと美智子さんは語っています。
だからこそ、母親の霊は、自分の死後存続を示すために、二人の唯物論的人間を証人に立て、「ラップ音現象(ポルターガイスト現象)」を起こしたことの客観性を担保しようとしたのではないか、と美智子さんは思ったそうです。
その後、お母さんが夢に出てくることも、鍋の音も一切なくなったということです。
この体験によって美智子さんが、霊(魂)の死後存続を確信したことは言うまでもありません。
この「田口美智子さんの霊夢事例」は、死ねばすべては無に帰する、という「帰無仮説」を真っ向から否定し、「魂(霊)の死後存続仮説」を強力に支持しています。
しかも、霊夢を見させたお母さんの霊は、霊夢を見させることと同時進行で、鍋を揺らして鳴らすという「ラップ音現象(ポルターガイスト現象)」も起こしてみせるという離れ技をやってのけ、生前の約束どおり、自分の霊(魂)が死後存続していることを、二人の証人とともに娘美智子さんに確かに証明してみせたということになります。
この霊夢と霊夢の予告どおりのラップ音現象(ポルターガイスト現象)の一致を、硬直した唯物論者は、おそらく偶然の一致として片付けるでしょうが、それではあまりにもご都合主義に過ぎるでしょう。
あるいは、唯物論に反する不都合な現象として、創作に違いないだろうと断定し無視するかでしょう。
わたしは寡聞にして霊が夢で告知し、それと同時に告知したとおりのラップ音現象(ポルターガイスト現象)を示し起こしたという事例を、ほかには知りません。
単なる霊夢ではなく、霊夢での告知内容が、翌朝あるいは直後に現実として起きたという証明のある霊夢事例、すなわち「心・脳の二元論仮説」および「魂(霊)の死後存続仮説」を強力に支持するような証明のともなう霊夢現象は、そう多くはないだろうと推測しています。
ちなみに海外では、霊姿やテレパシーによる類似的4事例の伝聞による詳細な紹介が、イアン・スティーヴンソンによって報告されています。(『前世を記憶する子どもたち』日本教文社、PP.27-44)
スティーヴンソンも、こうした事例の共通項は、親密な愛情関係にあった者どうしの間に起きていることを指摘しています。
ここにわたしの紹介した霊夢2事例、スティーヴンソンの紹介している4事例など、魂と呼ばれる意識体が、死後存続をしていることを示す類似の諸事例は、世界各地で、古来より、少なからず起こっていると思われます。
だからこそ、唯物論科学全盛の今日でも、唯物論に反する「魂の死後存続」を、「宗教的観念としての信仰」とは関係なく、「体験としての実証的事実」として認め、語り継ぐ人々が、連綿として後を絶たないのだと思われます。
わたしがここに紹介した霊夢2事例の公開目的の第一義は、「魂(霊)の死後存続」を示唆するできる限りの客観的情報を示すことにあり、わたしが紹介した2事例の霊的存在を示す情報の解釈について、考えられる限りの可能性のすべてを厳密に検討され、霊的存在の真偽について、死後存続の真偽について、得心のいく自分なりの妥当な結論に到達していただくことにあります。
読者のみなさんのなかで、ご自身の体験、あるいは伝聞の体験で、ここに紹介したような類似の事例をご存じの方は、どうぞコメントをお寄せください。
また、紹介事例への疑問や反論、感想もどうぞ遠慮なくお寄せください。
ただし、紹介した事例のお二人の人間性を、誹謗・中傷するような悪意が疑われるコメントはお断りします。
最後に報告です。
「その118」で紹介した先天性皮膚疾患の治癒事例ですが、今年4月1日のセッション後9ヶ月の経過した12月22日現在、皮膚疾患は完全に消失していることを、ご本人と面会して目認 しました。
ただし、11月下旬にぶり返しの兆候があったそうですが、まもなく治まって12月22日現在では完全に消失していることが確認できました。
また、2019年1月3日現在の本ブログへの総アクセス数は、154,185に達しました。
けっして読みやすくなかっただろうわたしの長文の記事を、これまで辛抱強くお読みくださったことにあつく感謝いたします。
今年2019年は、経済至上主義一辺倒の資本主義体制の弊害である不公正や歪みが、さらに露わになり、動揺と混乱と不公平感や閉塞観が広がり、それにともなって、これまで支配的であった唯物論信仰による、価値観・世界観・人生観などに、懐疑と変革の兆しが、少なからずあらわれるてくるような始まりの年になる予感がします。
そうした混迷を深めていく状況の中で、よりよく生き抜く人生の精神的指針として、生まれ変わりと魂の存在を、科学的に実証しようとする本ブログが、ささやかな一助となれるように願っています。
わたしは今年も、簡素で、スリムで、自給的で、喜びを中心にした生活を送ることを心がけたいと思います。
読者のみなさんも、2019年が、まずは健康で、安全で、平和でありますように、心よりお祈りいたします。
病気や怪我などの様々な原因で脳が損傷する事により、時には高次脳機能障害と呼ばれる、精神活動(記憶、知覚、認識、思考、性格、etc.)における機能的障害が発生する場合がある事が知られています。
【参考URL】
高次脳機能障害若者の会「ハイリハ東京」>「ハイリハ東京」入口>2.高次脳機能障害の実態(症状の説明)
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Ayame/7001/dainou/koujino-shoujo.html
又、アルツハイマー型認知症は脳組織の一部の異状によって起きる疾患ですが、その症状として記憶障害や言語障害が現れる事からも明らかなように、脳の機能が失わればものを覚えたり、思い出したりする事は出来ませんから、脳髄がなければ新たにものを覚える事も無いという事になります。
脳髄の一部が損傷しただけで、精神活動を行うために必要となる機能に障害が発生して、精神活動の一部が機能しなくなるのであれば、脳髄がなければ精神や人格は存在しないとするのが自然です。
又、脳の損傷によって植物状態になる場合がある事が知られており、植物状態の人間の大半には意識がありませんから、脳が無ければ意識を保つ事は出来ないと考えられます。何も感じず、何かを認識する事も無く、何も思い出せず、新たに何かを憶える事も無く、何も考えない、その様な状態を精神や意識が存在していると呼べるとは思えません。
もし、意識は脳にないという説が正しいと仮定しますと、人は(肉体の一部である)脳が無くとも精神活動が継続出来るという事になりますから、脳の一部が損傷しても精神活動に影響が及ぶ事は無い筈で、現実に高次脳機能障害という現象が存在している事の説明が付かなくなります。
意識は脳にないという説が正しいと仮定してしまうと説明が付かない現象が現実に存在している事が確認されている以上、意識は脳にないという説は誤りだと考えられます
おそらく、メールをくださった鈴木知子さんも、かつては上記「あ」さんと同様な唯物論医学による常識的思い込みによって、認知症の老人介護のお仕事をしておいでになっただろうと思われます。
そうした思い込みを完全に覆した強烈な体験が、霊夢体験だったと推測できます。
さて、上記「あ」さんの、「心は脳の付随現象である(心・脳の一元論)」とするコメントが正しいとすると、鈴木知子さんのメール内容である霊夢の死亡予告は、錯覚ないし幻覚の類いの産物である以外のなにものでもないことになります。
あるいは、よくできた創作か。
介護している老婦人の、植物状態に陥ったことへの悔しさと後悔が、死亡予告の霊夢現象を見させ、それがたまたま現実化した、という偶然の一致という唯物論的解釈もできるでしょう。
しかし、霊夢から目覚めた朝には、リアルな霊夢の死亡予告が、現実化していた事実に間違いがあるとは思われません。
こうして、脳の機能障害によって認知症がひどく、そのうえに植物状態に陥り、意識や精神活動をまったく喪失しているはずの人が、起こし得ることが絶対できないはずの「霊夢による死亡予告現象」と、「意識は脳の付随現象」であるから「脳の損傷が生じれば、その付随現象である意識も喪失するはずだ」とする立場とは、真っ向から対立することになります。
しかし、意識と脳は密接な「対応関係」にあるが、それがそのまま脳が意識を生み出しているという「因果関係」を証明していることにはならない。したがって、意識の受信機能(受け皿機能)を担う脳の、加齢による劣化、病変、薬物などの影響などによって、意識を正常に受信できない機能障害(異常事態)が生じる。そうした意識と脳の「対応関係」の異常が、認知症、アルツハイマー病、植物様状態として、見かけ上「因果関係」のごとく観察される、しかし、意識と脳は本来別物であるので、脳の損傷が、そのまま意識そのものの損傷になっているわけではない、という「心・脳二元論仮説」による説明もまた、成り立つと思われます。
こうした「心・脳二元論仮説」によらなければ、鈴木さんの見た霊夢現象は説明できないからです。
「心・脳 一元論」、すなわち、心(意識)は脳の付随現象であり、肝心の脳が正常機能を停止すれば、脳の付随現象である意識や精神活動も、すべて錯乱・停止・喪失されてしまう、という言説は、科学的手続きによってけっして実証されているわけではなく、言動や脳の映像などに現れている異常状態の観察によって、見かけ上そう考えられる、そのように見做すことができる、という憶説にすぎません。
つまり、脳以外のところに意識があるはずがないという主張は、現行の科学的知識をもとに、論理を展開するという哲学的論証による以外に、証明することはできないのです。
つまり、「心・脳 一元論」、「心は脳の付随現象仮説」は、唯物論科学の立場から、その立場上構成されている「信念」や「主張」をそのまま表現したものであって、その言説自体は、科学的に確定された手続きによって検証・証明されているわけではないのです。
いったい、どのような手続きをすれば科学的検証や証明ができるのでしょうか。
したがって、これまでの世界中の多くの大脳生理学者の研究によっても、脳が心(意識)を生み出している、という科学的実証は、いまだにできていないのです。
意識は脳にないという説は誤りだとする「あ」さんの論理展開は、心と脳の「対応関係」を「因果関係」だと思い込み、その結果、脳が心(意識)を生み出している、といういまだ科学的実証のない憶説である「心・脳 一元論」に基づいて、一方的に断定的に論じる、という恣意的推論による認知の誤りです。
したがって、「あ」さんの論証は、そのまま、「意識現象のすべては脳が生み出しているという説が正しいと仮定してしまうと説明が付かない現象(霊夢現象)が現実に存在している事が確認されている以上、意識はすべて脳の活動によるものでしかない、という断言は誤りだと考えられます」と言い換えることになります。
そうでないとすれば、「あ」さんは、「心・脳一元論」に対する強力な反証である鈴木知子さんの霊夢を、「心・脳 一元論」でいったいどのように説明できるのでしょうか?
脳の未発見の領域の機能によるものだ、というような説明にならない逃げの言い訳で自己満足するしかないでしょう。
これでは到底説明とはいえず、「実は分からない」と言っているに過ぎません。
あるいは創作だ、偶然の一致だとして霊夢を無視するか。
臨死体験によって、魂と思われる意識体が体外離脱し、意識体が見聞した体験が報告される、という事例が数多くありますが、「あ」さんの論によれば、肉体(脳)を持たない意識体(魂)に、感覚器官があるはずがないわけで、見聞した報告はすべて錯覚・妄想ということになります。
しかし、臨死体験中(医学的に脳機能の停止中と判断できる事態) に見聞したという報告内容を検証した結果、見聞内容が事実と一致したという無視できない以下のような事例があるのです。
6 146RT 26コメント 【衝撃真実】死後の世界は存在した!脳神経外科の世界的権威エベン・アレクサンダー医師や東大救命医らが死後の世界を認める!
こうした脳機能停止中の現象を「心・脳 一元論」で説明できるでしょうか?
ただし、体外離脱現象がほんとうに起きていたのか、脳内現象であるのかについては、いまだ臨死体験研究学会においても、科学的決着がついているわけではありません。
ちなみに、大脳生理学の実績でノーベル賞受賞の研究者数名(エックルズ、ペンフィード、スペリーなど)が、脳の実験研究の結果、「心・脳 一元論」の立場から「心・脳 二元論」へと立場を変更するに至っています。
また、わたしの敬愛する九州大名誉教授であり世界的催眠学者の成瀬悟策医博も、晩年の教育催眠学会の講演で、「脳の病変によって動かないとされていた脳性麻痺の動作訓練を催眠暗示でやってみると、動かないとされていた腕が動くようになりました。しかし脳の病変はそのままです。こうしたことから、身体を動かすのは、脳ではなく『おれ』であることにやっと気づきました。脳は心の家来です。私のこの考え方を正統医学は賛成しないでしょうが、21世紀の終わりには、私の言っていることが明らかになるでしょう」と、催眠臨床の立場から「心・脳二元論」に至ったことを表明されています。
催眠暗示を受け入れた潜在意識(心)の脳への働きかけによって、痛覚麻痺などの脳の認知の変性状態を引き起こすと考えられる知覚催眠現象を、「脳は心の家来です」という考え方(心・脳二元論)で説明できることは、催眠臨床における体験的、実証的事実として、わたしは実感として受け入れることができます。
脳と心の関係についてのこれまでの研究史や、詳細な科学的考察については、超心理学者笠原敏雄氏のHP「心の研究室」脳と心の関係をお読みください。
また、意識(魂)の死後存続の科学的諸見解ついては、以下の記事をお読みください。
【ガチ科学】「死後の世界」が存在することが量子論で判明! 米有名科学者「脳は意識の受け皿にすぎない」
死後の世界、超能力、スピを科学する定義「ポスト物質主義科学18条」とは? 大学教授が提示!
わたしの提唱している「SAM催眠学」では、「心・脳二元論仮説」の立場を明確にしていますから、鈴木知子さんの霊夢は「意識現象の事実」として認めますし、何よりも霊夢の翌朝に、霊夢に現れた山内さんの「じゃあ、私は逝きます」という死亡予告が、翌朝に現実に起こっていたことで、鈴木知子さんの見た霊夢が正夢であった証明になっていると思われます。
霊夢で「私の身体と精神は全くいうことがききません。しかし、魂は別のものです。魂の私は、とても理解しております」と山内さんは霊夢の中で述べていますから、おそらく山内さんの死亡直前の魂は、体外離脱によって、あるいはテレパシーによって、お世話になった鈴木知子さんの霊体に働きかけ、霊夢現象を起こしたのではないか、というのが「SAM催眠学」の「霊体仮説(霊体に意識・潜在意識が宿っている)」による解釈です。
こうして、鈴木さんは、霊夢の結果、「こんな体験が私にはあり、介護の仕事に対して、認知症だからといってご利用者の方を馬鹿にしたり怒ったりすることはなくなりました」と述べています。
わたしも88歳であった母を老衰で3年前の夏の終わりに亡くしています。
意識が朦朧となり、血管からの栄養点滴もできなくなった時点で、胃ろう手術で延命を図るかどうかを担当医師と協議した結果、意識の回復見込みの期待はできないだろうという診断を受け入れ、胃ろう手術による延命を断念し、老衰による自然死を選択しました。
死亡までの70日間、わたしは毎日病院に通い、意識のほんどない母親に5分間の語りかけを欠かさず続けました。
母の死亡は深夜でしたが、連絡を受けて駆けつけたわたしの目に映った母の死に顔は、眠っているように安らかで、苦しんだ様子はありませんでした。
ゼンマイ仕掛けの心臓のゼンマイが巻き戻り、コトンと動かなくなったような死に方であったと思われました。
ただし、母が霊夢に現れたことは一切ありませんでした。
さて、2事例目は、わたしのクライアントである田口美智子(仮名)さん49歳が語ってくれた、霊の死後存続を示すさらに強力な事例で、この事例は、霊夢の予告と予告どおりの現象の顕現化を偶然の一致では説明できないでしょう。
田口美智子さんの、素直で正直な人柄については、面接結果から保障できると思います。
以下は、田口美智子さんからの聴き取りメモをもとに、公開の許可を得て、再度メモ内容の正誤確認をし、語られた事実を再現したものです。
田口美智子さんの母親は急性白血病を発症し、医師から余命20日と告知され、苦痛を緩和するために鎮痛薬を注射するが、そのあと昏睡状態のままで死亡するだろうから、意識が鮮明な今のうちに話をしておくようにと言われたそうです。
母親にはそうした余命告知は伏せて、彼女は母親と次のような約束をしたそうです。
美智子さんは死後の世界があることは信じているが、確信したいのでお母さんが亡くなったあと、死後も霊として生き続けていることを、何とか早く娘の私に知らせてほしい、という約束です。
お母さんも、迫り来る死期を覚悟していたらしく、このことを確約してくれたそうです。
果たして、この約束後数日して、昏睡状態のままお母さんは亡くなりました。
美智子さんは、お母さんがきっと約束を果たしてくれるだろうと思い、身の回りに注意して、お母さんの霊からの知らせ現象を待っていましたが、夢や霊的現象は、何も起きないままに49日間が経過しました。
その49日目(50日目に入った深夜)の夜午前2時ころに、お母さんが夢に現れて、次のようなことを告げました。
私が、あんたに死後も霊として生きていることを知らせようと、この部屋のカーテンを何度も揺らしたり、蛍光灯の点灯用の紐を揺らしたりしているが、ちっとも気づいてくれない。
あんたの肩を持って揺らして知らせたいけども、体のない私にはそんな力はないのよ。
それで、今、力をふり絞って、台所の棚に伏せてある鍋を鳴らして知らせているからね。
さあ、これで、私はもういくからね。
このお母さんの霊夢を見た直後に美智子さんは、はっと目が覚めたそうで、時計を見ると午前2時少し過ぎでした。
霊夢の鍋を鳴らしているという夢の告知を確認をするために、すぐに階下の台所へ降りてみました。
なんと台所には、ご主人と祖父の二人が、暗いなかで耳をすませてじっとたたずんでいました。
台所のあたりで、何かがカタカタ揺れて鳴っている金属音で二人ともに目を覚まし、ネズミでもいるのかと思って階下の台所へ様子を見にきたということでした。
台所の金属製パイプの棚に、逆さに伏せてある直径25㎝ほどの鍋は、逆さに伏せてあったので、取っ手の部分が少し浮いており不安定な状態ですが、人が歩く程度の振動ではカタカタ鳴ったことはこれまで一度もなかったそうです。
台所の窓は閉め切ってあり、風で鍋が動くはずはなく、鍋の鳴る音はてっきりネズミのいたずらだろうと、親子二人で耳を澄ませ、揺れる鍋の音を聞いていたということです。
ご主人と祖父の二人は、美智子さんが階下に降りていく直前までは、鍋が揺れており、カタカタ鳴っている音を確かに見聞したそうですが、美智子さんが台所に来た直後に音は止み、その後は鍋の音が一切しなくなったということです。
したがって、美智子さん自身は、鍋の鳴っている音を聞くことはできなかったそうです。
ご主人と祖父に、霊夢のことを話すと、「そういうことが本当にあるんやなあ」と呆然として驚くばかりでした。
ちなみに、ご主人も祖父も、こうした霊の存在などに興味・関心はまったくなく、唯物論者といってよい考え方の強い人だと美智子さんは語っています。
だからこそ、母親の霊は、自分の死後存続を示すために、二人の唯物論的人間を証人に立て、「ラップ音現象(ポルターガイスト現象)」を起こしたことの客観性を担保しようとしたのではないか、と美智子さんは思ったそうです。
その後、お母さんが夢に出てくることも、鍋の音も一切なくなったということです。
この体験によって美智子さんが、霊(魂)の死後存続を確信したことは言うまでもありません。
この「田口美智子さんの霊夢事例」は、死ねばすべては無に帰する、という「帰無仮説」を真っ向から否定し、「魂(霊)の死後存続仮説」を強力に支持しています。
しかも、霊夢を見させたお母さんの霊は、霊夢を見させることと同時進行で、鍋を揺らして鳴らすという「ラップ音現象(ポルターガイスト現象)」も起こしてみせるという離れ技をやってのけ、生前の約束どおり、自分の霊(魂)が死後存続していることを、二人の証人とともに娘美智子さんに確かに証明してみせたということになります。
この霊夢と霊夢の予告どおりのラップ音現象(ポルターガイスト現象)の一致を、硬直した唯物論者は、おそらく偶然の一致として片付けるでしょうが、それではあまりにもご都合主義に過ぎるでしょう。
あるいは、唯物論に反する不都合な現象として、創作に違いないだろうと断定し無視するかでしょう。
わたしは寡聞にして霊が夢で告知し、それと同時に告知したとおりのラップ音現象(ポルターガイスト現象)を示し起こしたという事例を、ほかには知りません。
単なる霊夢ではなく、霊夢での告知内容が、翌朝あるいは直後に現実として起きたという証明のある霊夢事例、すなわち「心・脳の二元論仮説」および「魂(霊)の死後存続仮説」を強力に支持するような証明のともなう霊夢現象は、そう多くはないだろうと推測しています。
ちなみに海外では、霊姿やテレパシーによる類似的4事例の伝聞による詳細な紹介が、イアン・スティーヴンソンによって報告されています。(『前世を記憶する子どもたち』日本教文社、PP.27-44)
スティーヴンソンも、こうした事例の共通項は、親密な愛情関係にあった者どうしの間に起きていることを指摘しています。
ここにわたしの紹介した霊夢2事例、スティーヴンソンの紹介している4事例など、魂と呼ばれる意識体が、死後存続をしていることを示す類似の諸事例は、世界各地で、古来より、少なからず起こっていると思われます。
だからこそ、唯物論科学全盛の今日でも、唯物論に反する「魂の死後存続」を、「宗教的観念としての信仰」とは関係なく、「体験としての実証的事実」として認め、語り継ぐ人々が、連綿として後を絶たないのだと思われます。
わたしがここに紹介した霊夢2事例の公開目的の第一義は、「魂(霊)の死後存続」を示唆するできる限りの客観的情報を示すことにあり、わたしが紹介した2事例の霊的存在を示す情報の解釈について、考えられる限りの可能性のすべてを厳密に検討され、霊的存在の真偽について、死後存続の真偽について、得心のいく自分なりの妥当な結論に到達していただくことにあります。
読者のみなさんのなかで、ご自身の体験、あるいは伝聞の体験で、ここに紹介したような類似の事例をご存じの方は、どうぞコメントをお寄せください。
また、紹介事例への疑問や反論、感想もどうぞ遠慮なくお寄せください。
ただし、紹介した事例のお二人の人間性を、誹謗・中傷するような悪意が疑われるコメントはお断りします。
最後に報告です。
「その118」で紹介した先天性皮膚疾患の治癒事例ですが、今年4月1日のセッション後9ヶ月の経過した12月22日現在、皮膚疾患は完全に消失していることを、ご本人と面会して目認 しました。
ただし、11月下旬にぶり返しの兆候があったそうですが、まもなく治まって12月22日現在では完全に消失していることが確認できました。
また、2019年1月3日現在の本ブログへの総アクセス数は、154,185に達しました。
けっして読みやすくなかっただろうわたしの長文の記事を、これまで辛抱強くお読みくださったことにあつく感謝いたします。
今年2019年は、経済至上主義一辺倒の資本主義体制の弊害である不公正や歪みが、さらに露わになり、動揺と混乱と不公平感や閉塞観が広がり、それにともなって、これまで支配的であった唯物論信仰による、価値観・世界観・人生観などに、懐疑と変革の兆しが、少なからずあらわれるてくるような始まりの年になる予感がします。
そうした混迷を深めていく状況の中で、よりよく生き抜く人生の精神的指針として、生まれ変わりと魂の存在を、科学的に実証しようとする本ブログが、ささやかな一助となれるように願っています。
わたしは今年も、簡素で、スリムで、自給的で、喜びを中心にした生活を送ることを心がけたいと思います。
読者のみなさんも、2019年が、まずは健康で、安全で、平和でありますように、心よりお祈りいたします。
1 件のコメント:
掲載した二つの事例の示す魂の存在の真偽について、信じる人には十分な証拠として認められるでしょうが、疑う人には疑いを抱く余地がある証拠ということになるでしょう。
疑う余地とは、二つの事例が、霊夢を見たという当事者の「意識現象の報告」に依存せざるをえないので、その夢の真偽ついては、客観的な科学的検証ができない点にあります。
夢の告知どおりの事実はあったでしょうが、事例報告者が、告知どおりの事実につじつまが合うように夢を創作して報告しているのだ、という疑いを完全に払拭することができないという弱点を認めざるをえないというわけです。
どうやらこの二つの霊夢事例においても、生まれ変わりや魂の存在を科学的に証明するに当たって、最終的には、W.ジェームズの指摘している、何らかの存在の意図による「挫折の法則」がはたらいている、と思わざるをえないというのがわたしの感想です。
わたしあて霊信によれば「挫折の法則」などはない、わたしたちが前進するための試練なのだ、ということ告げています。
この霊信を信じるならば、いずれ、生まれ変わりや魂の存在の完璧な証明がなされる日がくるかもしれません。
コメントを投稿