SAM催眠学序説 その75
応答型真性異言「ラタラジューの事例」を、SAM催眠学の提唱している諸作業仮説に基づいて考察してみます。
まず第一に挙げられるのは、ラタラジュー人格は、SAM前世療法の定式にしたがって、被験者里沙さんを「魂状態の自覚」まで誘導し、魂状態の自覚を確認後、魂表層に存在しているラタラジュー人格の呼び出しに成功していることです。
SAM催眠学では、前世人格が魂の表層に存在していることを作業仮説にしていますから、この作業仮説が立証できたことを意味します。
また、SAM催眠学では、魂表層に存在している前世の諸人格は、孤立しているわけではなく、互いに友愛を結び互いの人生の智恵を分かち合っているという作業仮説を持っています。
したがって、前世人格は魂表層にあって、現在も意識体として生きてコミュニケーション活動をしていると考えています。
次の対話は、ラタラジュー人格とネパール語を母語とする女性パウデル・カルパナさんとの実験セッション中に現在進行形でおこなわれたネパール語対話の一節です。
里沙 ・・・・・・・ Tapai Nepali huncha?
(ラタラジュー) (あなたはネパール人ですか?)
カルパナ・・・・・ ho, ma Nepali.
(はい、私はネパール人です)
里沙 ・・・・・・・ O. ma Nepali.
(ラタラジュー) (おお、私もネパール人ですよ)
上記の催眠下の里沙 さんにはラタラジュー人格が顕現化し、カルパナさんと話しています。
この対話は現在進行形でおこなわれていると解釈する以外にありません。
被験者里沙さんの「前世の記憶」ではなく、前世人格ラタラジュー自身そのものとの対話です。
つまり、ラタラジューは、魂表層で現在も意識体として生きているからこそ、今、ここに、現れ、現在進行形での対話が可能になっているということです。
こうして、ラタラジューと名乗る前世人格は、魂表層にあって、現在も意識体として生きてコミュニケーション活動している、というSAM催眠学の作業仮説がラタラジューの現在進行形の対話によって検証できたわけです。
応答型真性異言「グレートヒェンの事例」を発表しているイアン・スティーヴンソンは、その著『前世の言葉を話す人々』1995、春秋社、の記述の中で、「被験者やトランス人格に口頭で質問することは一度たりともできなかった」前掲書P9)、「ドイツ人とおぼしき人格をもう一度呼び出さそうと試みた」(前掲書P11)のように、応答型真性異言を話す主体は、被験者が前世の記憶として話しているのではなく、明確に「トランス人格」・「人格」があらわれて対話しているととらえています。
「トランス人格」とは、催眠中のトランス状態であらわれた人格という意味で、私の言う「前世人格」と
まったく同じ意味です。
問題は、この「トランス人格」の所在について、スティーヴンソンはその考察を一切していないことです。
もし、スティーヴンソンが、」「グレートヒェンの事例」を生まれ変わりの証拠とするならば、「トランス人格(前世人格)」が、被験者のいったいどこからあらわれたのか一言考察があってしかるべきだと思います。
それができなかったのは、おそらく前世人格の所在について分からなかったからに違いありません。
こうした点で、SAM前世療法によって、前世人格ラタラジューの所在を「魂表層」であることを立証したことは一歩前進したと評価してよいのではないかと思っています。
また、トランス人格(前世人格)の顕現化による応答型心性異言の対話というとらえ方をすれば、トランス人格と対話相手とは、当然のことながら現在進行形の対話をおこなったことになりますが、「グレートヒェンの事例」の逐語録(前掲書PP.266-311)を検討しても、ラタラジューの対話でおこなわれたTapai Nepali huncha?(あなたはネパール人ですか?)のような、疑いの余地無く現在進行形だと断定できる対話個所は見当たりません。
こうした点でも、「ラタラジューの事例」は「グレートヒェンの事例」を凌いでいる、と評価してよいのではないかと思います。
応答型真性異言「ラタラジューの事例」を、SAM催眠学の提唱している諸作業仮説に基づいて考察してみます。
まず第一に挙げられるのは、ラタラジュー人格は、SAM前世療法の定式にしたがって、被験者里沙さんを「魂状態の自覚」まで誘導し、魂状態の自覚を確認後、魂表層に存在しているラタラジュー人格の呼び出しに成功していることです。
SAM催眠学では、前世人格が魂の表層に存在していることを作業仮説にしていますから、この作業仮説が立証できたことを意味します。
また、SAM催眠学では、魂表層に存在している前世の諸人格は、孤立しているわけではなく、互いに友愛を結び互いの人生の智恵を分かち合っているという作業仮説を持っています。
したがって、前世人格は魂表層にあって、現在も意識体として生きてコミュニケーション活動をしていると考えています。
次の対話は、ラタラジュー人格とネパール語を母語とする女性パウデル・カルパナさんとの実験セッション中に現在進行形でおこなわれたネパール語対話の一節です。
里沙 ・・・・・・・ Tapai Nepali huncha?
(ラタラジュー) (あなたはネパール人ですか?)
カルパナ・・・・・ ho, ma Nepali.
(はい、私はネパール人です)
里沙 ・・・・・・・ O. ma Nepali.
(ラタラジュー) (おお、私もネパール人ですよ)
上記の催眠下の里沙 さんにはラタラジュー人格が顕現化し、カルパナさんと話しています。
この対話は現在進行形でおこなわれていると解釈する以外にありません。
被験者里沙さんの「前世の記憶」ではなく、前世人格ラタラジュー自身そのものとの対話です。
つまり、ラタラジューは、魂表層で現在も意識体として生きているからこそ、今、ここに、現れ、現在進行形での対話が可能になっているということです。
こうして、ラタラジューと名乗る前世人格は、魂表層にあって、現在も意識体として生きてコミュニケーション活動している、というSAM催眠学の作業仮説がラタラジューの現在進行形の対話によって検証できたわけです。
応答型真性異言「グレートヒェンの事例」を発表しているイアン・スティーヴンソンは、その著『前世の言葉を話す人々』1995、春秋社、の記述の中で、「被験者やトランス人格に口頭で質問することは一度たりともできなかった」前掲書P9)、「ドイツ人とおぼしき人格をもう一度呼び出さそうと試みた」(前掲書P11)のように、応答型真性異言を話す主体は、被験者が前世の記憶として話しているのではなく、明確に「トランス人格」・「人格」があらわれて対話しているととらえています。
「トランス人格」とは、催眠中のトランス状態であらわれた人格という意味で、私の言う「前世人格」と
まったく同じ意味です。
問題は、この「トランス人格」の所在について、スティーヴンソンはその考察を一切していないことです。
もし、スティーヴンソンが、」「グレートヒェンの事例」を生まれ変わりの証拠とするならば、「トランス人格(前世人格)」が、被験者のいったいどこからあらわれたのか一言考察があってしかるべきだと思います。
それができなかったのは、おそらく前世人格の所在について分からなかったからに違いありません。
こうした点で、SAM前世療法によって、前世人格ラタラジューの所在を「魂表層」であることを立証したことは一歩前進したと評価してよいのではないかと思っています。
また、トランス人格(前世人格)の顕現化による応答型心性異言の対話というとらえ方をすれば、トランス人格と対話相手とは、当然のことながら現在進行形の対話をおこなったことになりますが、「グレートヒェンの事例」の逐語録(前掲書PP.266-311)を検討しても、ラタラジューの対話でおこなわれたTapai Nepali huncha?(あなたはネパール人ですか?)のような、疑いの余地無く現在進行形だと断定できる対話個所は見当たりません。
こうした点でも、「ラタラジューの事例」は「グレートヒェンの事例」を凌いでいる、と評価してよいのではないかと思います。
4 件のコメント:
この魂の二層構造仮説は画期的な仮説だと思います。
生まれ変わりのコンセンサスはないということですが一般的に語られる生まれ変わりは
記憶をなくしている、あるいは消えているでした
この考えでは何が転生しているのかよくわかりません。
ところが、この仮説では魂の表層に人格が複数張り付いて
転生後も影響を与えているということになります
転生と人格の問題ををうまく説明できているように思いますね
魂の二層構造仮説は、観念論でもなく理屈でもなく、もっとも深いレベルの催眠状態「魂そのものに至ったと言う自覚状態」であらわれる前世人格の語りという、映像や録音記録の「事実」による証拠によって「実証」された仮説です。
ただし、この魂の二層構造仮説は、すでに何度も述べているように、人間知性を超えた霊的存在(私の守護霊団を名乗る存在)が教示してきた内容です。
なぜ、私のような一介の催眠療法・前世療法実践者に、これまでの世界の著名な霊信では明かされなかったこのような魂の構造についての教示がおこなわれたかについて尋ねたところ、守護霊団は次のように回答しています。
尋ねるまでもない。あたたに与えられるべきものが与えられたのだ。
そして、これまでの者たちに与えられるべきものが与えられただけだ。
すべては神の計画をもとにおこなわれている。【第15霊信】
魂の構造と生まれ変わりの仕組みを、私に与えられるべきだ、と神および霊団が判断したその理由について、思い当たることがないではありませんが、今だによく分かりません。
ただ、この文書による霊信現象が途絶えた後も、クライアントに憑依しては、神および霊団を名乗る存在が、「SAM前世療法の仮説は正しいから自信をもつように」、「霊的真理を広める努力につとめなさい」という口頭による霊信現象を、間欠的に現在も継続させています。
私が、ブログで生まれ変わりの科学的事実について発信すること、生まれ変わりの証拠であるタエとラタラジューの事例をyou-tubeで公開していること、求めに応じてSAM前世療法をおこなうこと、教えること、はこうした通信をしてくる霊的存在の期待に応えたいと思うからです。
私には人智を超えたものはわかりませんが
このブログを読ませていただく限り、なぜ与えられたかはあらかじめ決まってたということのようなことだと理解しています
自身のセッションの体験から見ても、稲垣さんの質問に対して別の人格と思しき感情は感じられましたし、
2月の偉人の人格は、私はわかりませんでしたが、稲垣さんからは相当苦悶してたように見えたようです
これらの実証から見ても、矛盾は感じませんので仮説は正しいと思います。
結局起こったことを否定するのは難しいということだと私は考えています
言葉ではなく体験が結局はすべて物語っているように感じますね
シュヴァルさん、たびたびのコメントありがとうございます。
私には、人知を超えた存在を直接的に見ることはできませんし直接交信することもできません。
人知を超えた霊的存在が、私以外の者(霊信受信者M子さんや里沙さん、クライアント)に憑依とおぼしき現象を起こし、私に交信してくるという間接的な形でしか実感できません。
おそらく、私に直接交信してきても、懐疑的な私は、まず自分の妄想ではなかろうかと疑うことが分かりきっているので、第三者を経由して通信してくるのだろうと思います。
第三者に起こる憑依現象は、すくなくとも、私自信の妄想であることは除外できるからです。
これまで第三者を経由してくる通信内容が著しく直感に反することはありませんし、通信内容を認めることによって不利益や不都合を被ることはありません。
したがって、こうした霊的存在と、それらからの通信をそのまま認めることが、こうした霊信現象のもっとも理に適った解釈だと思っています。
もちろん、通信内容が検証できる場合には努めて検証するようにしています。
その検証の成功例が、「タエの事例」や「ラタラジューの事例」ということです。
私の知る範囲内でも、医師や大学教員など、知性が高く、論理的な思考訓練を受けている人の中にも、霊魂仮説を認め始めた人が少しずつ現れています。
言葉ではなく体験が結局はすべて物語っている、と実感した人たちです。
シュヴァルさんのご意見は、まったくそのとおりです。
理屈より実証、観念より事実で示すことが、多くの人々に最大の説得力を持ちうるのです。
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