SAM催眠学序説 その69
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すべては一つであり、繋がりを持つものである。
なぜ、この者(注:霊視した霊能者)は、ほかの存在を知らないのだろう。
「そういった存在(稲垣の守護霊団)自体疑問」
ああ、何という愚かな表現なのだろうか。
すべてとの繋がりを否定しているのみならず、この者はすべてと繋がることが神との繋がりである、
信頼というものを理解していないのだ。
そして、この者は自らが人ではないと述べているのだろう?
だが、このものの表現こそ人そのものではないか。
この者が求めるのは知性・理性としての証だ。
それに振り回されることで、どれほど多くの人が魂の声に耳を澄ませることを忘れただろうか。
あなたが求めるのはどちらだろうか?
より明確な情報を集め、正当性を判断基準とする理性に従い、権力や地位、そして多くの者が証
明できなかったことを証明したことによる賞賛、権力、そういったものについてだろうか?
それとも、魂の求めるものを自ら感じることであろうか?
それは、あなたが選択するべきものである。
向上・成長・癒し、それらを確実に与えるものをあなたが選択しなさい。
私たちは、このチャネリング・メッセージ(ある霊能者の霊視内容)に対してこれ以上述べない。
その必要がないからだ。
あなたは、このチャネリング・メッセージからどのような反応をあなたの感覚で得るだろうか?
M子はすでに悟った。
M子は、自らに信仰を置くことを選択した。
これまでの彼女の道のりは、孤独なものであった。
誰一人彼女を理解する者は存在しなかったのだから。
この理解の対象は、彼女の「霊性」である。
彼女は、霊性を説く対象へ感じるものをより明確に自分へと浸透させる。
そして、物事を細分化することはその解決を先延ばしにするものだと十分に理解している。
彼女は無知であるが、すでに存在するとされる誤解には眼を向けない。
それらを無意識に信じることはしない。
彼女は神しか信じない。
このチャネリング・メッセージが、あなたの療法に何かもたらすものがあるか、実際におこないなさい。
あなたが理解するまで、私たちはあなたに霊信を与えるための接触することはない。
これは、あなたの魂の感覚をより明確にするための試練だと考えなさい。
あなたは理性で動くか、それとも魂の感覚を理解するか。
それだけだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・第19霊信おわり
第20霊信へつづく
3 件のコメント:
貴方は生まれ変わりなど魂など信じて広めているのですか?
目を覚ましてください。社会は宗教を信じなくても理性と科学の進歩で平和になると頑張って神など魂などを必要としていません。
http://lineq.jp/q/29431855
稲垣氏自体は宗教ではなく科学的事実として信じているのはわかりますがそれをネタにして宗教や霊感商法の道具にしたり詐欺を生んだりするのも事実です。(例 超能力番組で宗教に騙される人が増える など)
坊さん
これまでにも、生まれ変わりは無い、というネット上の観念論を紹介するだけのあなたの投稿が何度もありましたが、ことごとく本ブログの掲げている「投稿のガイドライン」に抵触していますので削除をしてきました。
本ブログでは「事実」に基づかない観念論・抽象論は、視野に入っておりません。
観念論・抽象論の応酬は、それにふさわしいサイトでやってくださればよいのです。
このことについては、繰り返しあなたに伝えてきましたが、あまりにも執拗、かつ頑迷なとりとめのない観念論の投稿が続きましたので、私の立場を明確に述べておきます。
「生まれ変わり」のようなきわめて重要な問題は、反証可能性にひらかれたその事実を示し、その事実をもとに、具体的反証を挙げて議論をしてこそ、稔りある結果をもたらすと考えることが科学的態度であると思います。
あなたは、「生まれ変わりの事実」を示す「タエの事例」、「ラタラジューの事例」について、反証可能性にひらかれているにもかかわらず、これまで一切の具体的反証を挙げることができないできたのではありませんか。
そうした状況で、あなたが「生まれ変わりなどないから目を覚ませ」と力んだところで、説得力があるとは到底思えませんが、どのように考えておられるのでしょう。
「目を覚ます」必要があるのは、今回のhttp://lineq.jp/q/29431855のような、とりとめのない、本ブログにとってゴミでしかない観念論を押し付け続けているあなたです。
生まれ変わりを否定する道は、生まれ変わりを示す「具体的事実」に対して、具体的反証をもって反論するしかありません。
さて、ある「こころ」を持つことについて、便宜上「こころ」の中身を「知・情・意」の三つの要素に分けて考えてみます。
私が提起しているのは、少なくとも里沙さんという一個人については、徹底的な科学的検証の結果、生まれ変わりは科学的事実だと認めるほかはありませんよ、という「知」についての事実です。
この事実、すなわち「知」について、どのような「情(感情)」を抱き、その結果どのような「意(意志)」を、すなわち、どのような「こころ」持とうが、それは原則私の関与できることではありません。
あなたの批判しているところの、私の提起している事実によって「それをネタにして宗教や霊感商法の道具にしたり詐欺を生んだりする」のは、事実を知ったことによる「情・意」の問題であって、「情・意」の問題まで私は責任を負うことはできませんし、負うべきことではないでしょう。
このことは、科学的事実を伝える上での社会的な了解として成り立っているはずです。
生まれ変わりの科学的研究の先駆者イアン・スティーヴンソンの研究を真摯に検討した少なくない人々が、生まれ変わりの科学的事実を認めているのです。
あっけらかんと言ってしまえば、「生まれ変わりは、宗教上の信仰問題とは関係なく、科学的事実として証明されたのだから、その事実は事実として認めるしかないじゃないですか」ということです。
坊さんの信念に反するかといって、明かされた事実を無いことにすることはできません。
その事実が悪徳商法やら宗教上の教義に利用されようが、それは「知」を離れた「情・意」の問題であって、私はそのようなことには一切責任を持てませんし、持つ必要も感じていません。
「知」は「情・意」のような価値の問題とは中立であるからです。
こうして、宗教上の信仰ではなく、「生まれ変わりの科学的事実」を切実な必要として求め、その事実を知って確かな救いを得る「こころ」に至る人も少なからず存在しているはずです。
とりわけ、死の宣告を受け、迫り来る切実な死の恐怖に苛まれている人々がそうではないでしょうか。
坊さん、あなたは「知」の問題と、そこから生ずる「情・意」の価値の問題をごた混ぜにして論じ、私が誤った「こころ」を広めていると的外れの主張をしているのです。
そして、「生まれ変わりの事実」を無視(敵視)して、坊さんが、「死ねばすべては無に帰る」という事実誤認の信念によって、霊魂も神も幻想に過ぎないと固く信じる「こころ」を抱き、それによって安らかな死を迎えたいという願いを持つことはあなたのまったく自由です。
坊さん
あなたの「貴方は生まれ変わりなど魂など信じて広めているのですか?」というご質問と批判に対して上記9月25日付記事で、誠実に回答したつもりです。
その後現時点で48時間経過していますが、一切の反応が返ってきません。
毎度のことですが、質問のしっぱなし、不都合な回答には反応なしというパターンのようです。
私の回答に反応できないのでだんまりを決め込んでおいでになると判断します。
つまり、私の回答をお認めになったと判断します。
「目を覚ます」必要があるのは、今回のhttp://lineq.jp/q/29431855のような、とりとめのない、本ブログにとってゴミでしかない観念論を押し付け続けているあなたです。
いい加減に目を覚ましてください。
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