SAM催眠学序説 その50
この私の守護霊は、回りくどい言い回しによって第1・2霊信の通信霊がエドガー・ケイシーであること、今回の通信霊が私の守護霊であることを認めています。
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この霊信を読むにあたって、注意する点をあなた(稲垣)に告げておこう。
この霊信を読むにあたって、注意する点をあなた(稲垣)に告げておこう。
まず、あなた方の次元にある「時間の概念」を捨てることだ。
それは足かせになる。
あなた方の次元での流れはある一定方向への流れに過ぎない。
それは、ただそうあるだけだ。
過去・現在・未来のそれぞれの定義を捨て去りなさい。
あなた方の世界に存在するにはその時間の定義は必要なものだ。
だが、あなた方にとっては、それはある意味では必要ないものである。
あなた方が理解するべきものに対しては、その概念は足かせになる。
これまでM子には幾度となくそのことを説明してきた。
だが、この次元に存在する限り、そのことを理論として伝えることはできても認識することは通常の意識では不可能なものである。
あなた(稲垣)に対して忠告しておかなければならないことがある。
あなたは突如として霊性の進化を迎え、そしてその分野に対しての学びを得るための努力を積んだ。
だが、あなたが得たものの中にはねじ曲げられ伝えられたものがある。
あなたは、それらを捨て去るべき情報と吸収するべき情報として判断を下さなければならない。
それは、あなたが今後自身を通し分かるものである。
あなたが得たもののすべてが絶対的であり、不滅である真理を与える要素ではないのだと理解しなさい。
そして、真理は統計で計るものではない。
あなたは、自らの体験をもとに叡智を創造していく。
あなたが信頼する者からの知識でさえも、時には足かせとなるだろう。注①
すべてを否定することを促しているのではない。
「必要性」は時と同じくして流動するものなのだと説明しているのだ。
人間を進化させるのは霊性である。
だが、その霊性は「霊媒としての素質」「ヒーリング能力」等の超感覚のみを限定し、対象としているのではない。
「知恵」は左脳がなければ創造されないものだ。
叡智はすべての感覚がつながらなければ存在しない。
どちらかだけのもの、それはただの「知識」もしくは「芸術性の高い作品」でしかない。
もちろん、それらにも影響力は存在する。
だが、進化を与えるものではない。「霊性の成長」は、人類すべて、そして命あるものすべて、そして霊的存在すべてにおいて有益なものである。
あなたが(稲垣)が今後おこなうものは「探究」ではない。
もちろん、ある者の見解からはそう映るだろう。
だが、それは霊性の成長であり、すべてにおいて有益な恩恵を与える進化の一つである。
あなたは霊信を受け始め「使命感」に駆られている。
使命感はあなたに義務を生じさせる。
あなたを導くものは、あなたの興味であり、直感であり、あなたが覚えておくべきことは、それらに基づきあらゆる情報を処理しながら前進することである。
霊信も同じく情報である。
すべての情報は啓示である。
ここで「世界のあらわれすべては啓示」であることをあなたがたに説くことは省略する。
それは、ある者にとっては必要性を持つ場合もあるが、今のあなた方にとってそれは必要ないものである。
そして、あなたはあなたの「魂にとっての情報」を求めている。
だが、まだあなた自身の魂についてはあまり多くの情報は与えるべき時機ではない。
あなたの傷は完全に癒しを得てはいないが、あなたにとっての負担となる影響は少ないものである。
だが、今現在のあなたという魂の一面についての情報は与えられるものである。
あなたは、今語りかけている私がエドガー・ケイシーを守護していたものと考えている。
その真偽をあなたの中で晴らすため、情報を集めた。
だが、そんなことをして何になる?
もし、私があなたに「そうではない」と言えば、それは事実とは異なるものとなってしまう。注②
あなたは、直感に完全な信頼を置いていない。
あなたのこれまでの習慣は「左脳を駆使すること」であった。
それはあなたの才能の一つである。
だが、あなたは今後それに「自分を導くもの」としての舵を与えてはならない。
あなたの魂に耳を澄ませなさい。
あなたの体の、肌の感覚、そしてあなたに接触してくる存在による空間の変化、あらゆるものを観察しなさい。
あなたはこれまでの感覚のように進もうとする波がくる。
それはあなたに長年習慣づいていた思考パターンであり根強いものである。
あなたはそのことについて、自分の知識からどんなものか容易に理解することができるだろう。
あなたに必要なのは、魂の感覚を研ぎ澄ませることである。
あなたの魂が求める「内的目的」とは、あなた自身が直接受けた傷の癒しではない。
「あなたの愛する者が受けた傷が原因となり、あなたに間接的経路を辿り起こった痛みの癒し」である。
よって、あなた自身の傷があなたの魂にとっての負担になる抑制が少ないため、あなたの霊性としての成長は起こり、あなたのヒーリング能力を覚醒させたのである。
M子の魂は、魂自身が受けた傷を持つために、完全に覚醒できない状態なのだ。
それは、M子の感覚が受け取る情報を時には混乱させる。
もちろん、このような霊信をおこなう状態においては、守護するものにより秩序は保たれている。
前回の霊信であらわれた「M子を守護するものの一人」が、なぜM子の心の管理をしていると述べたのか、なぜその必要があるのか説明しよう。
その魂の傷はあまりにも多くの哀しみを抱えている。
その傷がなぜこれまで浮上してこなかったのか、それは通常の「催眠療法」では癒すことは不可能だからである。
それは多くの高級霊による癒しを求めている。「人間による癒し」では、その傷を癒すことは不可能である。よって、あなたにその役割が与えられるのだ。
今現在PCに表示された時刻は21:59である。
M子は47分から脳の感覚に異変が起きていることを感じている。
これは、その魂の傷による影響である。
そして、これはその傷が与えるわずかな影響でしかないのだ。
だが、恐れないようにしなさい。
この感覚があらわれ始めたことは、魂が深奥から動き始めたことを意味する。
魂はすべてに理解を求めている。
今朝彼女がみた夢は何をあらわしているか、それは重要性を持つものなのか。
どんな優れた精神科医でも、それは分析不可能なものである。
よって、ここであなた方に伝えられる範囲のものを語ろう。
なぜ範囲限定という制約が生じるか、それは何度も繰り返すように「言葉では伝え切れないものが多すぎる」からだ。
あなたにM子が伝えた内容以外に、とても今のM子に重要性を持つものがある。
それは、兄との関係性である。
その場面をここで説明しよう。
M子の実家の茶の間でM子は友人たち数人と朝食の用意をしようとしていた。
だが、そこでは皆落ち着かないと察し、M子は移動しようとした。
だが、そこでM子の兄と結婚予定の恋人(現実においてそうある人物)が性的交渉を始めようとする場面を目撃し、怒りをあらわにした。
兄は、恋人の精神状態が不安定なためにそこで休み落ち着くためにしばらくいることを要求した。だが、M子はそれを家事などの手伝いをしない言い訳として受け取り憤怒する。
これは、今のM子の精神状態を暗示しているのではなく、M子の魂の傷に対し大きく起因するものを暗示している。
それは先ほど述べた「傷」とは別のものである。
その後、先ほどM子があなたに説明した内容に移る。
M子と兄は、過去世において敵対関係にあった。邪魔な存在であり、呪うべき存在であった。
二人は四度殺し合い、常に憎み合っていた。
だが、四度目に殺し合うとき、二人はお互いの立場を理解し合った。
そこで二人の中に生まれたのは「ある意味では思いやり、そしてある意味では同情」という入り混じった感情である。
だが、二人をそれでも同じ過ちへと流したのは「お互いが持つ使命感であり自らの周りを守ろうとするゆえに生じる義務感」である。
二人は、死を迎える前にそれまでの生まれ変わりで得ることのない真理を得た。
魂の浄化としての真理を得たのは死後である。
そして、二人はごく普通の家庭で兄弟として生まれた。
幼い頃はその悟りにより仲むつまじい兄弟としてある時期までは過ごせた。
だが、それ以後はお互いに辛い経験をする。
友人との関係において起こる問題、それらをお互いに知りながらも何も手出しをできない無力感を感じた。
それは、その過去世での延長する問題でもある。
今朝の夢に兄があらわれたのはその過去世での意識に触れたため、M子の意識にある情報が集まりそのような形態となったのだ。
M子の夢がなぜいつも混乱しているのか、それは先ほどにも述べた過去世の傷の影響である。
だが、流れ自体が混乱しているのではない。表現が混乱しているだけなのだ。
その場面についての説明をしよう。
実家は今現在という地点のあらわれであり、時空が混乱したように思える祖母や叔母のいる昔の実家は、あなたの深層意識のあらわれである。
そして、M子がそこで見たもので混乱していないものは「過去の自分」のみである。
他のものは、混乱したあらわれである。
そこを流れるものである。
過去にM子は夢見を通し、未来の自分へと接触した。
そして、今朝は過去の自分と接触した。
過去の彼女は助けを求めていた。
今のM子はそれを拒否した。
当時のM子がその場面の前に見た夢の内容を彼女は覚えていない。
なぜ覚えていないのか、それは「助けてほしい」という意識のみのあらわれでしかないからだ。
幼い頃の彼女には、それを夢で見ることができなかった。
そして、今朝、M子が自分を拒否したとき、なぜ以前反対の立場から同じ内容の夢を見ていたことを思い出す必要があったのか。
それは、M子の魂がM子自身に救いを求めていたからである。
幼い頃をしているが、その彼女は「これまでの彼女のあらわれ」である。もちろん、癒しを得ている部分も多くある。
だが、これまでに傷を受けてきた彼女自身はまだ存在する。
そして、これは彼女自身の意識変革を暗示しているものである。
現在の彼女と過去の彼女が夢に同時に存在する、それ自体が変化の兆しを意味する。
ここでなぜ、あなたにM子のこの夢についての説明をするに至ったか。
それは、あなたがそのことを知るべきであるからだ。
より潤滑に行うため、あなたには情報が与えられる。
M子に対して行うのは、あなたがこれまで行ってきた「前世療法」や「年令退行催眠」とは異なるものと踏まえなさい。
もちろん、その夢に関わる過去世は霊的存在からの癒しを求めているわけではない。
だが、あなたがM子に前世療法を行う際に「そこで浮上するどの前世が霊性にもっとも大きな影響を与えているか」をより明確に判断できるように情報を提供する必要があるのだ。
あなた方の道は決まっている。
だが、あなた方がクリアすべき項目は道が決まっているにも関わらずあるのだと理解しなさい。
ここで、あなた(稲垣)に告げておくことがもう一つある。
M子の魂に大きく影響する傷は、一度崩壊した。
そして、今世でM子が辿るべき目的はある意味においてはその過去世と同じものである。
彼女がはじめてこの世に生まれついたとき、彼女はその目的をやり遂げることができなかった。
そして、368回の輪廻転生を繰り返し、369回目に彼女はその目的を達成させる。
それは、彼女の魂がすべて決めたことである。
生まれ変わりを始める前、彼女はそのすべてを決めたのだ。
そして、あなたも同じようにそうである。注③
あなたについて語るのは、わたしたちを守護するものから直接伝えられるであろう。注④
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・第3霊信おわり
第4霊信へつづく
2 件のコメント:
注①について
私は『前世療法の探究』執筆のために、2005年の「タエの事例」に出会ってからスピリチュアリズムについての文献を初めて読んだ。それら諸文献によって私が知識として持った、いわゆる「スピリチュアリズム霊学」について告げているらしい。後にSAM前世療法の実践によって、生まれ変わりの仕組みについては、これまでのスピリチュアリズム霊学には述べられていないことが明らかになってきている。
注②について
この言い回しはもったいぶっているが、この通信霊が生前のエドガー・ケシーを守護しており、現在は私を守護していることを認めている。したがって、この第3霊信の通信霊は私の守護霊ということになる。驚くべきことは、私がエドガー・ケイシーの没年を調べ、私の生まれる3年前に死去していることを知ったのは、第3霊信の着信1時間ほど前のことであった。私の守護霊は私のそうした調査行動と、その結果第1・2霊信の通信霊がエドガー・ケイシーだとしても矛盾しないと納得したことをズバリ指摘してきたことである。M子さんが遠隔透視して作文したか、守護霊という存在が実在し、どこからか私の行動と思考内容までを見通していることになる。
注③について
私の生まれ変わり回数は369回目であることになる。これまでの生まれ変わりの繰り返しで霊性を高め、いよいよ現世で生まれ変わりを卒業になるらしいが、私は自分がそのような高い霊性の持ち主だという自覚はほとんどない。覚醒やら悟りやらからはほど遠い俗人である。
注④について
私の守護霊団を守護する存在とはいったいどのような存在なのか? 次の第4霊信で、そのような存在が通信してくると予言している。
坊さんから、http://buzz-plus.com/article/2015/05/27/shigo/という死後の有無を信じるかどうかについてのアンケート結果のサイト紹介と、死後は無と証明されましたね、お目覚めなさい、というコメントがありました。
死後を信じない人が多いことと、死後が無である事実との相関関係は一切ないといことが、論理的にご理解できないようなので、こうした投稿は本ブログの設定している「コメント投稿のガイドライン」に照らしてゴミとして削除しました。
ショウタさんからは、統一教会のPRめいたコメントがありましたが、これも本ブログのタブーとしている信仰問題に絡んでいることですからゴミとして削除しました。
本ブログが取り上げている内容は、「生まれ変わりの科学的事実に関する具体的事例研究」です。
このページで取り上げている「私あて霊信の公開」も、こうした意識現象がその真偽は別にして「事実として存在」しているという意味で事例研究です。
霊信という「意識現象の事実」の真偽について、霊信の具体的文言等を取り上げて考察するコメントは歓迎しますが、上記坊さん、ショウタさんのコメントは、読者に奉仕しない「思考のゴミ」として処理するしかありません。
ご両人には、これまでも再三にわたって、同様のコメント投稿の趣旨を警告してきました。
一向にあらためていただけないので、ご自分の思考の枠に閉じこもってその愚に気づけないでいる「思考の自閉症」ではなかろうかと思っています。
ご両人は、「思考のゴミ」を出さないようにしてください。
これまでも、これからも、本ブログにとって「思考のゴミ」を掲載することは一切ありませんから、どうぞあなた方のコメントを受け入れる他のサイトへご投稿願います。
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