2014年12月20日土曜日

SAM前世療法による顕著な改善の実証事例

   SAM催眠学序説 その33


SAM前世療法は、SAM催眠学の諸作業仮説によって構成された世界に類のない前世療法です。
一般の前世療法の前提とする、クライアントの「前世の記憶」を想起させる、という方法論をとりません。
クライアントの魂表層に存在している「前世の人格」を呼び出し、前世人格と対話する、という方法論によってセッションを展開します。

このSAM前世療法の有効性は、クライアントからの諸事後報告によって実証されてきましたが、ごく最近、セッション後1時間以内に改善効果があらわれたという報告を受けました。
改善報告は、主訴によってその改善効果のあらわれる経過時間がまちまちですから、これぞ間違いなくSAM前世療法の改善効果だと断定することがなかなかできにくい面があります。
しかし、セッション後1時間以内に顕著な改善効果が出たというならば、セッションによる効果以外の何らかの他の改善効果が混入することは、まずありえないと判断することができます。

そこで、まず、SAM前世療法の作業仮説の概要を述べ、次いでセッションを受けたクライアントの改善報告を掲載します。


2007年1月23日~25日の私あて第12~14霊信では、次のように告げてきました。

「意識・潜在意識は、魂の表層を構成している前世の人格たちがつくり出している。
 

前世の人格たちは、当時の感情そのままで今も生きている。
 

彼らは互いに友愛を結び、それぞれの人生で得た知恵を分かち合っている。
 

こうして魂の表層全体は、成長進化へ向かうように仕組まれている。
現世の「私」という人格も魂の表層の一つである。
 

こうして、魂の表層を構成する一つである「私」は、他の前世の人格たちの影響を良かれ悪しかれ受けないわけにはいかない。

以上が、SAM催眠学の提唱する「魂の二層構造仮説」です。

意識・潜在意識は、脳の付随現象ではなく、魂表層の前世のものたちがつくり出している、というのがSAM催眠学の「魂の二層構造仮説」でした。
それではつくり出されている意識・潜在意識の宿っているのはいったいどこでしょうか。
それに答えるのが、下記の「霊体仮説」です。

意識・潜在意識は「霊体」に宿っている。
 

霊体は、肉体と魂を守るために、くまなく肉体を覆う透明な防護服のような働きをしている。
 

霊体の色が、オーラである。
 

霊体は肉体と共通する要素を持ち、肉体と密接につながっている。
したがって、霊体に宿っている潜在意識を、肉体のどこにでも宿らせることが可能である。


以上を、SAM催眠学の提唱する「霊体仮説」と呼んでいます。

SAM前世療法は、SAM催眠学の作業仮説である「魂の二層構造仮説」「霊体仮説」を骨格として成り立っている前世療法です。

さて、以下は「階段降下恐怖症」とでも呼べる恐怖症が主訴で訪れた46歳公務員女性クライアントの、SAM前世療法セッション5日後の報告です。

一般的にはこうした恐怖症の生じたエピソードが生育歴の中にある場合には、系統的脱感作法(イメージ減感法)を用いますが、このクライアントには、生育歴の中で階段降下恐怖症となるエピソードの心当たりが全くないということなので、前世人格が引き起こしている可能性ありという判断によって、SAM前世療法を実施しました。

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今回のセッションでは、若い頃から「降り階段やエスカレーターが怖い」ということに関係のある前世の者を呼び出していただきましたが、その後の効果にびっくりです!!

セッションを終えたあと、先生のお宅から帰宅する途中の犬山駅で、電車の乗り換えのため急いでホームを渡ったのですが、途中にある降り階段を、全く意識せずに降り切りました。

電車に乗ってから、階段を降りたことに気づきました。

そのあと鵜沼駅の長い降り階段を、意識して下を見てから降りてみましたが、見た時「わっ、高い」と思っただけで、普通に降りられました。

今まで感じていた、めまいや足元のふらつきも、このところ感じません。

体から、何かが抜けたような感じです。

毎朝毎晩、駅の階段を降りるのがストレスでしたので、改善されてとても感謝しております。

今回出てきた前世の者は、元寇の時日本に来て、海に落ちたモンゴル人で名前はコーエンとのことでしたが、そういう人格が出てくるとは思っていませんでしたので、最初戸惑いました。

それでも口は勝手に喋って、しかも死後の世界まで色々語るので、現世の私は、そんなことを語って大丈夫なのかと心配になっていましたが…。

この前世の者はオルゴールを聞いている頃に、私の肉体の中に入ってきたのだと思います。

知覚催眠の確認テストの頃には、もういつでも喋り出しそうな感覚でしたので、「もうちょっと待って」と心の中で呼び掛けて、待ってもらいました。

指に宿った潜在意識が魂状態に導くまで、しばらく指が動いたので、その時はまだ魂に戻ってはいなかったと思います。

それを考えると魂表層の前世の者の憑依は、魂状態に戻っていなくても、起こることもあるのかもしれないと思いました。

そういえば、階段を降りる時に感じためまいや足元のふらつきは、鎧兜の重さや船の揺れによるものと似ているような気がしましたし、もしかしたら前世の者からの警告も、憑依に近い状態なのかもしれないと思います。

だからセッションの後、体から何か抜けた感じがしたのでは?

私も今回のセッションでは、SAM前世療法の効果に本当に驚いています。

前世人格の警告によって何らかの症状が起こり、その前世人格を説得することで改善するということを、身をもって体験いたしました。

他にも今回のセッションで、不思議に感じたことがありましたが、それはまた次回お会いしました時に、お話できればと思います。

それにしても、現世の私は780番目の転生ということで、魂の表層だけで村ができそうですよね。
魂とはどんなものか、ますます興味を持ちました。

私は元々、前世療法に興味を持ったことから、カウンセリングやスピリチュアルの勉強を始めました。

巡り巡って稲垣先生にお会いできましたことを、大変嬉しく、またありがたく感じております。
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当研究室から最寄りの名鉄電車「日本ライン今渡駅」まで徒歩7分、「日本ライン今渡駅」から「犬山駅」まで15分ですから、セッション後約30分の犬山駅において、陸橋から乗り換えホームへ階段を降下する時点で、恐怖症が改善されていたことになります。

「今まで感じていた、めまいや足元のふらつきも、このところ感じません。体から、何かが抜けたような感じです」とあるように、改善効果は5日経過しても損なわれていないということです。

ある心理療法研究者の心理療法による治癒要因の統計データによると、治療外の要因(偶然の出来事、クライアントの能力)40%、教育的要因(関係性の要因、相性)30%、プラシーボ効果15%、技法15%となっています。
この治癒要因データを認めるなら、治癒要因の85%は技法以外の要因によるものであり、つまりは、どのような技法を用いても改善効果には大差なし、ということになるでしょう。
換言すれば、このクライアントの階段降下恐怖症が改善しても、SAM前世療法という催眠技法による改善効果の占める割合は、15%でしかないということになります。
 
しかし、私には、クライアントの前世人格 コーエンと名乗った蒙古軍兵士が元寇の折り、激浪の海に船から振り落とされ水死した、その恐怖と、その前世人格コーエンが生まれ変わりである現世のクライアントを守るために、高い所から降下するときは危険だという過剰な警告を発していたことが明らかになったというSAM前世療法のセッション展開によって、その30分後には階段降下恐怖症に顕著な改善をもたらした、つまり、治癒要因のすべてとは言えないまでも、その多くを占めるSAM前世療法の効果によって改善が起きた、と判断することが妥当だと思われます。



26 件のコメント:

ショウタ さんのコメント...

唯物論者のブログの人にこの動画を紹介しましたがこんな反論されなお否定的な見解のブログを掲載されました。

http://yamabeer.wordpress.com/2014/12/10/%e8%83%8e%e5%86%85%e8%a8%98%e6%86%b6%e3%81%a8%e3%81%84%e3%81%86%e4%bf%97%e8%aa%ac%e3%81%ab%e3%81%a4%e3%81%84%e3%81%a6%e8%80%83%e3%81%88%e3%81%a6%e3%81%bf%e3%82%8b%e3%80%822/


http://yamabeer.wordpress.com/2014/12/20/%E5%89%8D%E4%B8%96%E3%81%AA%E3%81%A9%E7%84%A1%E3%81%842-%E3%80%80%EF%BD%9E%E3%80%80%E3%81%BB%E3%82%93%E3%81%A8%E3%81%86%E3%81%AE%E7%94%9F%E3%81%BE%E3%82%8C%E5%A4%89%E3%82%8F%E3%82%8A%E3%81%A8/

この人は意外に感情論だけでなく理論や哲学的な人であり反論にも答えてくれます。

稲垣 勝巳 さんのコメント...

ショウタさんの紹介してくださった唯物論者のブログ記事とは下記の記事ですね。
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この前世療法というのが何の治療なのか分かりませんが、やっている事はいわゆる降霊術みたいですね。何たらの事例とか言っているけど一人の霊媒の女性に複数の霊を降ろして語らせているんですね。そういう意味では事例は1件だけなんでしょう。
それはそれとして守護霊というのも来て何か語っているようなのですが、前世の記憶を語っているはずなのにどうして守護霊とか出てくるんでしょうかね。霊媒が語った事が史実かどうかより、その守護霊とか言っているものは一体何なのかを研究したら良いのにと思います。
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これでは、動画に対する反証を挙げた反論になっていると認めることは到底できないでしょう。そもそも肝心の「タエの事例」「ラタラジューの事例」の真偽については何も語られておらず、的外れな「降霊術」のひとことで済まそうというわけです。
唯物論者の反論ではなく、感情的反発でしかありません。

稲垣 勝巳 さんのコメント...

ショウタさん
私の動画が、繰り返し「反証可能性にひらかれている」と言っている意味が、ご理解できていないようなので、きちんと説明しておきます。
「反証可能性(はんしょうかのうせい、英: Falsifiability)とは、科学哲学で使われる用語で、検証されようとしている仮説が実験や観察によって反証される可能性があることを意味する。科学哲学者のカール・ポパーが提唱。平易な意味では、どのような手段によっても間違っている事を示す方法が無い仮説は科学ではない、と説明される」(Wikipediaより)
たとえば、動画中の解説で、なぜ私が「ラタラジューの事例」が生まれ変わりの科学的証拠だと主張しているのか、証拠を挙げて主張しています。証拠を事実として示しているからこそ、反論者はその証拠を根拠にして反証できるのです。
STAP細胞の実在主張も、それを作り出す手順が証拠として示されており、つまり反証可能性にひらかれていたからこそ、反証できる実験ができたわけであり、その結果、STAP細胞は存在しないという反証がなされたということです。
しかし、胎内記憶の真偽は、語られた胎内記憶の真偽の検証が不可能であり、それが真である証拠が挙げられたわけではありません。つまり、胎内記憶の真偽は反証可能性にひらかれていないのです。
反証可能性にひらかれていない胎内記憶については、反論者はなんとでも否定できますし、肯定者もなんとでも再反論の応酬ができます。こうした議論が全く無意味だとは思いませんが、実りをもたらすことは、ほとんどないでしょう。実証証拠に基づかない観念論対観念論の応酬は、互いに言い放しで終わりがちだからです。
したがって、胎内記憶研究と私の動画で示した実証的研究を一緒くたにして、「生まれ変わり」研究として取り上げることは筋違いです。カテゴリー間違いです。
また、あなたの紹介している唯物論者は、生まれ変わりの科学的研究の先駆者イアン・スティーヴンソンの著作を読んでいないことは明白です。動画について、「そういう意味では事例は1件なんでしょう」などとぬけぬけと言うレベルの知識でしかないのですから。スティーヴンソンは、20数年かけて世界中から応答型真性異言を探索し、やっと3件の事例を公表しています。私の公表したたった1件の応答型真性異言の希少価値がまるで理解できていない証拠です。

匿名 さんのコメント...

えっとその「唯物論者」と批判されているらしい本人です。ご迷惑をおかけしております。

まずはお断りしておきますが、胎内記憶に関するコメントは、こちらの稲垣さんの仮説とは全く関係ありません。前世というキーワードで繋がりが無いとは言えませんが、あくまで胎内記憶という話についてのコメントです。

それでご指摘のように私は自分が無知な輩であることを否定しませんが、前世と守護霊にどのような関係があるのか、そもそも守護霊という考えは前世という考えと矛盾していないのか、せっかくなのでその辺りを教えて頂ければと思います。
前世を語る一方で守護霊がしゃしゃり出てくると言うのは論理的に矛盾する事態であるように思います。

VITA ÆTERNA さんのコメント...

大変遅くなりましたが、動画のご公開おめでとうございます。

先日タエの事例に関する動画を拝見させていただきましたので、この度は気づいたことを二点ほど述べさせていただこうと思います。

まずはタエの発音が、江戸時代の上州地方の方言ではなく、現代の標準語で発話していたように思われたことです。もしタエが江戸時代の渋川に暮らしていた人格であるならば、この地方の当時の言葉を用いて発話をするのが自然であり、またそれは里沙さんの知りえないものであるので応答型の異言の発生に準ずるものとなるはずなのですが、タエが用いていた言葉の「おとっつぁん」、および稲垣先生がすでに指摘されている「おカイコ様」、「ばと様」といった特殊な単語以外、その言葉遣いやアクセントは現代の標準語と変わらないように思われました。

また、タエは泥流の水によって溺死をしているように見受けられましたが、その様子はこの分野における学問の知見と一致しないとする専門家の意見を以前拝見したことがあります。この方の見解は、泥流は大量の岩石を含んだものであったので、これに巻き込まれた人が溺死をするようには思えない、とのようなものであったように記憶しております。

私は以上のようなことから、タエの事例に限定して言えば、歴史的事実と比較した上でのさらなる検証の余地が残っているのではないかという感想をこの度持ちました。

稲垣 勝巳 さんのコメント...

匿名さん

守護霊は、私の要請によって被験者里沙さんに憑依していただいたわけで、「しゃしゃり出た」わけではありません。憑依要請の理由は、守護霊の憑依という「意識現象の事実」の真偽を検証するためです。セッションで顕現化する前世人格は、中間世(霊界)の記憶の中で守護霊と呼ばれる高級霊との出会いと、次の来世の課題と考えられることを指導されると語ります。
したがって、生まれ変わりと守護霊の存在は密接な関係があるだろうと考えています。
ただし、守護霊の実在の真偽については検証の途上です。

稲垣 勝巳 さんのコメント...

VITA ÆTERNA さん
顕現化する前世人格が日本人の場合、彼の生きた時代の日本語で会話することはまずない、というのがこれまでのセッションの事実です。
また、外国人の前世人格であっても、現代日本語で会話することが普通です。このページで紹介している、元寇で日本に来襲した蒙古軍の兵士も、現代日本語で会話しています。最初に顕現化したラタラジューも、現代日本語で会話しています。
その理由は分かりません。里沙さんの守護霊に尋ねたところでは、魂レベルにあっては言葉の壁はない、という回答でした。

タエの溺死の様子が史実と食い違うのではないか、というご指摘についても
浅間焼泥押(あさまやけどろおし)が噴石を含んだ大泥流という以外には詳しいことは分かっていません。しかし、タエが泥流に呑み込まれた溺死であろうことは想像できますし、そのような泥流に流されている人々の当時の絵図がアンビリでは紹介されています。溺死の様子に疑問があるからといって、それがタエの語り全体が示す生まれ変わりの証拠から見て大きな瑕疵になるとは思われません。

私は、生まれ変わりを裏付ける証拠については、些細な点に正確であるより、重要な事象について確実なことを知ることのほうが意味があると考えています。
もし、動画をご覧になって、生まれ変わりを裏付ける証拠など存在しないというご意見をお持ちであるならば、どういう証拠であれば、生まれ変わりが事実だと納得なさいますか、とお尋ねしたいと思います。

シュヴァル さんのコメント...

>戸時代の上州地方の方言ではなく、現代の標準語で発話していたように思われたことです

この点に関してはセッション被験者の立場からお答えすると、先生の標準語の質問に対して私の前世人格は全く違和感なく反応しましたし、先生の先生の仙台?の質問に対して違うという感覚が確かにありました。

どうも川内だったようです。
つまり、言語に関しては何らかの翻訳みたいなメカニズムみたいなものがあるように思います

稲垣 勝巳 さんのコメント...

シュバルさん
前世人格の言語について、何らかの翻訳機能がどこかで働いているようだ、というご指摘については、私もそのように推測しています。
このことについて、「SAM催眠学序説その25」に、以下のような私と里沙さんの守護霊との対話逐語録が紹介してあります。
・・・・・・・・・・
TH そうですか。それを聞いて安心しました。
もう一つ。
ラタラジューはネパール人です。
それなのに日本語が分かるということは、翻訳、仲立ちをしているのは魂の表層の「現世のもの」と考えてよろしいですか?
「現世のもの」は、魂の表層のものたちとお互いに友愛を結んで、知恵を与え合っていると聞いています。
そうであるなら、魂の表層にいる「現世のもの」が、日本人である私とネパール人であるラタラジューの間を取り持ってくれて、翻訳のようなことをしてくれていると考えていいですか?
違いますか、これは。

注:この質問と守護霊の回答は、私にとってきわめて重要であった。なぜなら、魂表層は前世の者たちによって構成されている、というSAM前世療法の作業仮説の検証になるからである。この作業仮説をよりどころにすれば、日本語を知らないはずのラタラジューが日本語で会話できる謎も解ける。魂表層で前世の者たちとつながっている「現世の者」が、私の日本語をネパール語に翻訳してラタラジューに伝え、ラタラジューのネパール語を日本語に翻訳して、ラタラジューが日本語で私に伝えることを可能にしている、ということになる。
イアン・スティーヴンソンは、この点について次のように推測している。
「私がとくに解明したいと考えている謎に、イェンセン(注:スエーデン人)やグレートヒェン(注:ドイツ人)が、母語でおこなわれた質問に対しても、それぞれの母語で答えることができるほど英語をなぜ理解できたのかという問題がある。イェンセンとグレートヒェンが、かつてこの世に生を享けていたとして、母語以外の言葉を知っていたと推定することはできない。二人はしたがって、自分たちが存在の基盤としている中心人物(注:アメリカ人被験者のこと)から英語の理解力を引き出したに違いないのである。(『前世の言葉を話す人々』P235)
里沙さんの守護霊の回答を信じるとすれば、「 自分たちが存在の基盤としている中心人物(注:被験者のこと)の『魂表層の現世の者から』英語の理解力を引き出したに違いないのである」と考えるべきである。

CL ・・・あなたの言ったことはそのとおりです。・・・私たち魂は・・・自然に理解できます。
(引用おわり)
・・・・・・・・・・・
霊界の消息を知る方法は、信頼に足る霊界の住人に尋ねる外に有効な方法がありません。
今のところ、里沙さんの守護霊の言葉を、そうだろう、としておくのが私の立場です。

VITA ÆTERNA さんのコメント...

浅間焼泥押に関する最新の研究の知見では、渋川には突如泥流が押し寄せたためにタエを人柱にする余裕はとてもなかった、とのようにも伺っております(もちろんセッションにおいてタエの人格も「急ぐの、急ぐ、時間がない」とのように語ってはおりますが)。もし研究の知見とタエの語った内容に差異がある場合、タエの人柱が歴史的事実であるということを証明するには、研究の知見のどこかに逆に誤りがあるということを検証によって明らかにすることが必要となるようにも感じられました。

また、以前にも述べさせていただいたと思いますが、私はやはり被験者が語った内容と、被験者本人が知らないはずの歴史的事実、または歴史史料との一致が前世の存在を証明する有力な証拠となると考えております。仮にこの度の元寇で日本に来襲した蒙古軍の兵士を例に挙げるとすれば、軍船の構造、軍団の民族構成、武器および鎧兜の材質と形状、蒙古軍およびそれに対した日本軍の戦闘方法、兵士の食事、などが調査対象として思い浮かびますが、もしそれらの内容が被験者から詳細に語られ、それが歴史学の知見および歴史史料とほぼ一致していれば、実際にその前世が存在した有力な証拠となりうると思われます。

また、Wikipediaの「前世療法」の項目からの引用になりますが、
ヘレン・ウォンバックが行った実験では、被験者の90%が小作人や労働者、農民や狩猟採集民である過去生を思い起こしていた。貴族である前世は10%にすぎず、有名人である前世は(数千件のデータのうち)一例もなかった。また被験者は歴史上の詳細について驚くほど正確であり、例として1700年代の記憶を呼び起こした人々は、歴史上の家具の形の変遷や衣服・食べ物の変化などについて正確な描写をした。
このような例が前世療法のセッションにおいて数多く現れているとすれば、私はやはり前世が実在する可能性が高いのではないかと考えます。

稲垣 勝巳 さんのコメント...

VITA ÆTERNAさん
私はSAM前世療法および催眠療法の臨床実践者であり、クライアントの主訴の改善こそが第一義です。
「タエの事例」「ラタラジューの事例」は、偶発的に遭遇したきわめて稀な事例であったので、前世存在の徹底的な検証をしたまでです。ふだんから前世存在の真偽研究のために研究的実験セッションををしているわけではありません。どこまでもセッションは、クライアントの主訴改善が第一義です。
このページに紹介した元寇で溺死した蒙古兵の事例でも、階段降下恐怖症の主訴改善が第一義であって、そのために、軍船の構造、軍団の民族構成、武器および鎧兜の材質と形状、蒙古軍およびそれに対した日本軍の戦闘方法、兵士の食事、などを蒙古兵の前世人格から詳細に聞き出す必要はありませんし、する気もありません。私にそうした期待をされても、ないものねだりというものです。
また、仮に、蒙古兵が、軍船やその他の史実に符号する内容を語ったにしても、それが情報である限り、超ESP仮説の前では、すべて生きている人間の心の力で説明可能とされ、生まれ変わりの完全な科学的証拠とされるわけではありません。ヘレン・ウォンバックが行った実験結果についても、前世の情報である限り、同様に超ESP仮説が適用可能です。
タエの事例も同様です。
現時点で、反論の余地なく生まれ変わりの科学的証拠とされる事例は、学んだはずがないことが検証された技能を発揮し、しかもその前世人格が彼の生きた当時の種々の状況を語り、それが史実に符号する検証ができた場合だけです。
私は、応答型真性異言「ラタラジューの事例」でそうした検証を成し得たと考えています。

匿名 さんのコメント...

>浅間焼泥押に関する最新の研究の知見では、渋川には突如泥流が押し寄せたためにタエを人柱にする余裕はとてもなかった、とのようにも伺っております

今読んでいて思ったのですが
私は、人柱は洪水ではなくて噴火に対する
ものだと思っていました。

噴火の人柱になろうとしたら突如土石流が発生したように思っていたのですが、もしかすると読解不足だったのでしょうか?

それとも噴火と土石流は同時に起こったということでしょうか?

もしよろしければこの最新の研究の話をご教授いただけませんでしょうか?

VITA ÆTERNA さんのコメント...

稲垣先生、

この度話題になりました、万能の透視能力を持つ人間が存在する可能性があるはずである、と主張する超ESP仮説についてですが、私はこの種の能力の存在を全く否定的に捉えております。なぜかと申しますと、まず現在この能力の存在が信頼のおけるデータに基づいて証明されているとは私にはとても思えないですし、またこのような能力が実在していれば何よりもまず軍事的に利用されることが推察されますが、今までにこの能力を用いて一定の戦果を挙げたというような記録を私は存じ上げません。冷戦時代のアメリカ陸軍において軍事作戦に遠隔透視能力を用いる「スターゲイト・プロジェクト」と呼ばれるものが存在していたようですが、結果的に「成果なし」と総括された上で、本プロジェクトはすでに終了していると聞いております。また、もしこの能力が実在していると仮定したとしても、上記のように大変に不確実な能力が前世療法の被験者に限り集中して現れるとするのはあまりにも不自然です。従いまして私は、前世療法中に現れる事象に限って言えば、超ESP仮説を完全に否定できると考えております。ところで稲垣先生も以前超ESP仮説について、生まれ変わり説を否定するために明確な根拠のないまま強引に作り上げられた空論である、とのような評価をされていたように私は記憶しているのですが、私の記憶違いでしたでしょうか。


シュバルさん、

浅間山の噴火と洪水の関係についてですが、稲垣先生のブログによれば、
天明三年五月あたりから浅間山が断続的に大噴火を始めた。七月に入ってますます噴火が激しくなり、遂に七月七日夜にかけて歴史的大噴火を起こした。この夜の大噴火によって、鎌原大火砕流が発生し、このため麓の鎌原村はほぼ全滅、火砕流は吾妻川に流れ込み、一時的に堰き止められた。半日後に火砕流によるダムが決壊し、大泥流洪水となって吾妻川沿いの村々を襲った。
とのことです。
http://samzense.blogspot.it/2012/11/blog-post_7880.html
またタエの人格は、
天明三年七月、七夕様の日、龍神様と雷神様が、あま、あま、あまつ、吾妻(あがつま)川を下るので ・・・水が止まって危ないので、上(かみ)の村が水にやられるので・・・わたしがお供えになります。
とのように語っています。
http://samzense.blogspot.it/2012/11/blog-post_7880.html


浅間焼泥押に関する最新の研究の動向については私も詳しいことを存じ上げないので明確には申し上げられないのですが、専門家の方によれば、例えばタエの守護霊とされる人物が語った「噴火による土石流で川が堰(せ)き止められ、そのため洪水が起き、たくさんの人が亡くなりました。」との内容は1960年頃の通説に基づくものであり、1985年頃には、熱泥流が突然渋川に来襲したのでタエを人柱に立てる時間の余裕がなかったことが明らかになっている、とのようなことであったように記憶しております。

稲垣 勝巳 さんのコメント...

シュバルさん
タエの人柱は、タエの語りを前提にすれば、吾妻川の大泥流被害から渋川村上流の村々を救うためだということです。「水が止まって危ないので、上の村が水にやられるので、私がお供えになります」と言っているからです。 

VITA ÆTERNAさんのご見解によると、最新の研究では、渋川には突如泥流が押し寄せたためにタエを人柱にする余裕はとてもなかった、ということですが、出典が明かされていないので、この最新の研究を検討することができません。私はタエの「水が止まって危ないので」という語りを採用して、次のような研究家の見解に与したいと思っています。
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天明3年(1783)7月8日(新暦8月5日)朝10時ころに発生した浅間焼けに伴う大火砕流(土石なだれ)は鎌原村を飲み込み吾妻川に流れ込んだ。
その火石(熱溶岩)を含んだ土石は1億立方メートル、2億トンにも達すると見積もられている。
土石は吾妻川の狭窄部分を堰きとめては土石、川の水を逆流させ多くの家々、畑を飲み込んでいった。
堰が壊れては泥水が段波として下流へと下った。
昼の12時ころには吾妻川と利根川の合流点(注:タエの流されたのはほぼこの地点)に達し、ここでも利根の流れを堰き止めた。
夕方ころにはこの堰も壊れて土砂は利根川を下り関東平野北部に泥流被害をもたらした。
「八日の昼八ツ時分利根川ノ水音夥敷致候.……早速水引却て川水も無キ様ニ成候所,暮前に至り泥山の如クニ押来リ此時材木屋道具死人夥敷流来候.此時ハ泥湯ノ如クニ涌キ大石ノ火ノ燃ヘ出ルヲ押来候由.」
『天明三年七月砂降候以後之記録』
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つまり、大泥流の「土石は吾妻川の狭窄部分を堰き止めては土石、川の水を逆流させ多くの家々、畑を飲み込んでいった。堰が壊れては泥水が段波として下流へと下った」のであり、押し流された土石が、吾妻川上流の狭窄部分を、数回にわたって堰き止めた時には、一時的に川の水が止まるという現象が起きたと思われます。それを「水が止まって」とタエは語ったというわけです。こうした、数回水が止まるという前兆のあとに突如大泥流が押し寄せたと考えれば、川の水が止まっている間にタエを人柱に仕立てる時間はあったと思われます。その時間的余裕は、少なくとも1~2時間はあったのではないかと推測します。
そして、天明3年(1783)7月8日(新暦8月5日)の大噴火に至るまでに断続的な大きな噴火が度々起きており、降灰による農産物被害を恐れるキチエモンや村人は、タエを人柱に立てることを、7月8日の最大規模の噴火以前から準備していた、という推測が可能です。とりわけキチエモンは、舟を用いて上流の村々から生糸や野菜を買い付け交易していた(動画タエの事例第2セッション)といいますから、龍神を鎮め、噴火を終息させる必要に迫られていたと思われます。こうした事情から、おそらく旧暦6月末になって、噴火が一層激しさを増してきた時点で、いつでもタエを人柱に立てる準備ができていたと思われます。
また VITA ÆTERNAさんは、泥流は大量の岩石を含んだものであったので、これに巻き込まれた人が溺死をするようには思えない、という専門家の意見を述べていますが、要するに泥流中の岩石と衝突し、即死状態であったはずだという見解だろうと思われます。しかし、タエは橋杭に縛れていたわけですから、泥流に押し流され浮いている橋とともに流されたと考えることが自然で、流された直後にも、束の間、苦しみもがくだけの息があったと考えることができると思われます。また、当たって即死に至るような岩石には相当な重さがあり、泥流の中・底層部に沈んで流されているはずで、泥流水面近くには流れていないだろうと思われます。
以上が、タエの語りを前提として考えられる私の推測です。

稲垣 勝巳 さんのコメント...

「前世療法中に現れる事象に限って言えば、超ESP仮説を完全に否定できる」というVITA ÆTERNAさんの断言は、超心理学における「生まれ変わりの研究」では容認されません。
超ESP仮説を完全に否定できたら、すっきりするでしょうが、次のようなESP事例をイアン・スティーヴンソンが報告しています。

「驚くべき透視の実例」
これまでに最高かつ信頼性の高い研究の対象となった霊媒のひとりであるグラディス・オズボーン・レナードは、一度も行ったことのない家の中にある閉じた本に書かれた文章を何らかの方法で読み、その文章が何ページに出ているか(場合によっては、そのページのどのあたりにあるか)や、その書物が本棚のどのあたりに置かれているかを正確に言い当てる能力を持っていた。E・M・シジウィックは、レナード婦人の書籍実験に関する厳密な分析をおこなった論文を発表している。スミスとゴールドは、この書籍実験の要点を要約して紹介している。
スティーヴンソン『前世を記憶する子どもたち』日本教文社、P.500

こうした驚くべきESP事例をスティーヴンソンは知っているからこそ、ESPの限界の分かっていない現状において、超ESP仮説を完全否定できなかったと思われます。
また、催眠中に限って、ESPが発揮された事例が次のように紹介されています。

ひとりの小作農がピュイセギュール公爵のもとに治療を受けに来た。ヴィクトルというその農民は、速やかにトランス状態に陥ったが、・・・その結果、瞠目すべき反応を引き出すことができた。ヴィクトルは、「近在で一番のうすのろ百姓」と思われていたのであるが、トランス状態では、「これほど深みがあり、これほど道理の分かった、これほど透視力のある者をピュイセギュールは知らなかった。この男性は、ピュイセギュールの意図を読み取ることすらできたのである。単に心の中で「やめよ」と思っただけで、いつもヴィクトルは言いかけた言葉を呑み込んだのであった。ヴィクトルを対象にした実験がピュイセギュールによって発表されたが、その論文が与えた衝撃は驚くほど大きかった。
リヨン医師会の前会長J・H・ペタテン医師も自分の患者の中に同様の変わった能力を発揮する者が何人かいることに気がついた。ド・サン・ポール夫人は、特に能力があるように見えたためペタテンはリヨンから同学の士を何人か呼び寄せ、夫人を対象にした実験をおこなっている。ひとりが別室に入り、自分の口に何かを入れる。この研究者が味わっているのは何かと問われた夫人は、チョコレートかキャラメルか聞かれた時には首を振って否定したけれども、マジパンかどうかを聞かれたときには、力強く肯いたー事実それはマジパンだったのである。また、その研究者が土産に買ってきた葡萄酒の産地についても、正確に言い当てている。どころが、その時点では、その葡萄酒を買ってきた本人も、その産地を知らなかったのであった。
ブライアン・イングリス『トランス』春秋社、PP.61-62

上記に引用したような事例が現実としてあるからこそ、催眠中に限って、万能に近いESPが発揮されたのだという超ESP仮説を100%の完全否定ができないのです。
現在までに、催眠中に超ESPを発揮した能力者が発見されていない現状では、超ESP仮説は机上の空論ではあるでしょうが、そうした能力者が100%絶対いるはずがないと完全否定ができるわけではありません。相変わらず、可能性としてはあるからです。
超ESP仮説が完全否定できるなら、多くの研究者は、生まれ変わりや霊魂の実在は、とっくに証明されていると思っているはずです。
 

シュヴァル さんのコメント...

私の読解不足だったようで失礼しました。
過去のブログもさかのぼるとたしかにそういうくだりがありました。

ただ、学説というのは考古学的なものか、
文献的なものかがわからないので
実際のところどうったのかはよくわからない
ようにも思いますね。

>上記に引用したような事例が現実としてあるからこそ、催眠中に限って、万能に近いESPが発揮されたのだという超ESP仮説を100%の完全否定ができないのです。

これはよくわかります。存在することを
証明するのはできるのですが、無い、存在しないことを証明するのはとても難しいです。

何故なら人間はまだすべてを解明できていないのです。
以前も投稿しましたが現実世界では、新しい事柄を成すときに圧倒的にトライ&エラーが多い

PDCAサイクルと呼ばれる計画⇒実行⇒評価⇒改善という手法がもてはやされています。
プランの前提となる仮説は結局の所
やってみないとわからない。つまり人間は実はまだわからないことだらけということなんだと思います。なのでないことはとても証明するのが難しい。まだわかっていないだけじゃないかになりえるわけですから。

UROノート さんのコメント...

VITA ÆTERNA(ビータ・アェテルナとお読みするのでしょうか?)さんへ。

おタエさんの溺死を否定するご意見について
http://youtu.be/UMrgIDgwnvc?t=1m40s
動画の上の図から、そもそも水源として吾妻川が存在する以上、泥流(茶色)自体は(水分量が豊富な)流体であった可能性が高いのではないでしょうか?
http://www.jsece.or.jp/event/conf/abstruct/1991/pdf/1991O095.pdf
さらに、この砂防学会の梗概によると、当時の泥流到達時刻の記録とマニング則を利用したシミュレーションがほぼ合致するとされています。
マニング則がn(抵抗値)=0.05で適用できる(353ページ)というのは、352ページの表における乱流形態の洪水の流動モデルであり、充分な流動性が泥流に存在していたと考えられます。
ちなみに表中「掃流状集合流動」というのは、上部に水流、下部に土石が重層的に流れ落ちる状態で、「掃流」というのは水が川底の堆積物を掃き流す状態です。
どちらの場合も最初に到達するのは水分を多く含んだ泥水であり、おタエさんの最期の様子と矛盾しません。
参考動画
https://www.youtube.com/watch?v=eprBGInlo-E

鎌原火砕流(オレンジ色)が低温の岩石が中心であったとされる「岩屑なだれ」です。
「大量の岩石を含んだものであった」というのは嬬恋村の被災状況についての記述ではないでしょうか?
http://ja.wikipedia.org/wiki/鎌原観音堂
以下当該ページ脚注より引用
^ 長らく火砕流とされてきたが、発掘による出土品などには焼け焦げた跡が無
いことから、大規模な岩屑なだれであったことがわかっている。
引用終り

>この分野における学問の知見と一致しないとする専門家の意見

>浅間焼泥押に関する最新の研究の知見では、渋川には突如泥流が押し寄せたためにタエを人柱にする余裕はとてもなかった、とのようにも伺っております
私もぜひこれらのご意見の出典を提示していただきたいと思います。
そして可能であれば、その「知見」が今後学会の定説となる根拠についてもぜひ御提示ください。

「突如泥流が押し寄せた」とはどんな状況なのでしょうか?
http://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1783-tenmei-asamayamaFUNKA/pdf/1783-tenmei-asamayamaFUNKA_06_chap2.pdf
上の74ページ以降の記述によれば、噴火による堆積物で吾妻川はかなり大規模に堰上げされ、大規模な逆流すら観測されたとしています。
この説の通り、吾妻渓谷の狭隘地に生じた自然堤防が決壊するまで、吾妻川下流域の水位が低下し、泥押の前兆が観測された後、大泥流が殺到したのが自然でしょう。

さらにタエと馬が龍神様と雷神様のお供えにされる事は手段は何であれ決定事項だったのではないでしょうか?
http://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1783-tenmei-asamayamaFUNKA/pdf/1783-tenmei-asamayamaFUNKA_05_chap1.pdf
32ページの噴火の時系列によれば、最盛期の噴火は、7月5日から始まっており、タエの死亡する7月8日昼ごろまで大分時間が在ります。
「急ぐの」という表現は、お供えの手段とされた、泥流の発生可能性が(河川の水位低下などで)急に高まった為なのではないでしょうか?

UROノート さんのコメント...

承認ありがとうございます。二日ほど前から3回ほど投稿していましたが、ようやく掲載されました。
不適切な内容だったかと思い、焦ってしまいましたが、クッキーを有効にしないと投稿できないようですね。

稲垣 勝巳 さんのコメント...

UROノートさん
天明3年吾妻川大泥流についての具体的資料に基づくご見解をいただき、ありがとうございました。反証可能性にひらかれたご見解だと思います。
VITA ÆTERNAさんのご紹介のあった専門家の方の見解が、唯一正しいものでなく、必ずしもそれを受け入れなければならないというわけではないらしいことが分かりました。
タエの語り「水が止まって・・・」という事態があった可能性がありうる、ということでしょうね。
タエも、面目が立ったと思っていることでしょう(笑い)。

UROノート さんのコメント...

コメント投稿にクッキーの有効化が必須なのは、グーグルのアドワーズなど収入源の商品価値を高めつつ、荒らし行為などを行う不正な投稿者を特定するという意味があるのでしょう。今後は閲覧の際もできるだけ有効にしておきます。

稲垣先生
重要な論点を語り合うには、単独の権威が主張する印象論ではなく具体的な根拠とその検証が必要で、論点の明確化は最低条件です。
世の中には、コンピューターサイエンスの専門家に過ぎないのに脳機能科学の権威と名乗りつつ、怪しげな脳にまつわる言説を流布しておられる方もいらっしゃるようです(http://www.brain-book.com/report/noukino-1.html)し、小保方さん事件や、ヘンドリックシェーン事件、ソーカル事件などアカデミックスキャンダルすらも存在していますから、専門家とされる方の言説を無根拠に鵜呑みにすることは大変危険ですよね。

VITA ÆTERNA さんのコメント...

稲垣先生、

超ESP仮説についての私見ですが、私はやはり存在に否定的な意見を変えることができない状況です。超大国のアメリカが国家を挙げてのプロジェクトで数十年もの間研究をしたのち、結果として「成果なし」とされたようなESP現象が、そう簡単に現れるとはどうしても思えないというのが正直な感想です。
またWikipediaによれば、カナダの奇術師であり、超常現象の懐疑主義者であるジェームズ・ランディ氏は次のようなイベントを主催しているようですが、成功者はまだ一人も出ていないようです。
「100万ドル超能力チャレンジ」($1million Paranormal Challenge) を主催。「科学的に実証できる超能力を持つ者に、100万ドルを進呈する」という趣旨で、世界中の超能力者達から挑戦を募っている。このチャレンジで超能力を実証するためには、二段階の手続きを踏まねばならず、1964年のチャレンジ開始以来、のべ1000人以上が挑戦したといわれるが、100万ドルを手にした者はまだ出ていない。
このことから私は、やはりこのような能力は実在しておらず、また仮に存在していたとしても極めて稀なものではないかとの考えを変えることができないでおります。

さて、以前拝見した専門家の方のページを再度見つけることができましたので紹介させていただきます。本ページの内容から見ますと、稲垣先生もこちら方のご意見をすでにご存知ではないでしょうか。
http://togetter.com/li/608596
また以前に私が記述した内容ですが、その大意に大きな間違いはなかったかとは思いますが、私の記憶が曖昧だったところもあり、やはりご本人の文章と表現が異なる部分が多くありました。お詫び申し上げます。


UROノートさん、
詳細なご報告どうもありがとうございました。出典については稲垣先生へのコメントの部分に掲載させていただきましたので、そちらをご覧ください。
UROノートさんは浅間山噴火や土石流について詳しい知識をお持ちであると拝察しましたが、火山学や防災学などがご専門の方でしょうか。UROノートさんのご意見では、
ちなみに表中「掃流状集合流動」というのは、上部に水流、下部に土石が重層的に流れ落ちる状態で、「掃流」というのは水が川底の堆積物を掃き流す状態です。
どちらの場合も最初に到達するのは水分を多く含んだ泥水であり、おタエさんの最期の様子と矛盾しません。
とのことでしたが、私がyoutubeで拝見したいくつかの土石流はすべて、先端部分に巨大岩石や流木を大量に含んだ突発的な流れでした。もちろんこれらの土石流は天明年間に起きた土石流とは規模も発生のメカニズムも異なっているとは思いますが、その動画は例えば
https://www.youtube.com/watch?v=PrDnYF6vN4U
https://www.youtube.com/watch?v=c2uc3PTZ9OE
などになります。
UROノートさんのおっしゃっていた、最初に水分を多く含んだ泥水が到達するとされる土石流はどのようなものであるのか興味を持っております。もしその実際の土石流の様子が撮影された動画などをご存知でしたら、お知らせいただければ幸いです。

それではUROノートさんが添付された資料に目を通させていただいた後にまたコメントをさせて頂きますので、しばらくの間どうぞお待ちください。

稲垣 勝巳 さんのコメント...

ESPについて「私は、やはりこのような能力は実在しておらず」と私見を持たれることは自由です。しかし、私が紹介したレナード婦人のESP事例は、確認された事実です。これを否定することはできません。生まれ変わりの厳密性を求められる科学的研究では、過去に1例でもESPが確認されていれば、それを無視することはできないと考えています。したがって、前世の記憶が情報として語られる限り、ESPを用いて獲得された可能性は、脳内の意識現象の中身が観察・確認できない現状において、完全否定はできません。
詳しくは、笠原敏雄『超心理学読本』講談社プラスアルファ文庫をお読みください。

浅閒焼泥押について、示された参考動画https://www.youtube.com/watch?v=PrDnYF6vN4U
https://www.youtube.com/watch?v=c2uc3PTZ9OE は狭隘で斜度のかなりある沢筋を押し寄せる事態を撮影したものです。
しかし、タエの人柱となった地点は沢筋ではなく、平坦部に近い緩い斜度といってよい扇状地帯です。
これは2006年のアンビリ放映映像で現場を確認できます。
こうした緩い斜度の地点を流れ下る土石流の実際は、UROノートさんの紹介している「つくばの国総研」のおこなっている50分の1モデルの土石流実験の扇状地部分の様子(斜度が緩くなれば水分を含む泥流が岩石より先に流れてくる)のほうが、より実態に近いと判断できるのではないでしょうか。
また、大泥流は一気に流れ下ったわけではなく、沢筋の狭隘部で堰き止められては逆流を起こし、流れ下ったという調査事実が確認されています。
一気に流れが沢筋を押し寄せるようなかなりの斜度のある地形条件下の事態が、タエの流された地点が緩い斜度であるという異なる地形条件下でも、同じように起こると推測することは、「つくばの国総研」の土石流実験を観察する限り、相当無理があると考えられます。
また、斜度の緩い川の地点を流れる土石流になると、実験結果から推測する限り、先頭部分は水分の多い泥流となっているはずで、土石流の先端にきわめて岩石密度の高い流れが一気に押し寄せてくる映像は撮ろうにも撮れないと思います。
そうした証拠映像があれば、私も見たいものだと思っています。

ちなみに、早川氏の説と論文は読みましたが、岩石密度がきわめて濃厚で、粘度の高い土石流が、タエの人柱地点にまで一気に先端として押し寄せた、という具体的根拠はどうしても読み取れません。
そうである以上、早川説は一学説であり、大筋で間違ってはいないタエの守護霊の「噴火による土石流で川が堰き止められ、そのために洪水が起き、たくさんの人が亡くなりました」という語りを否定し、もって「タエの事例」全体を否定する(生まれ変わりはない)という短絡した結論の記述になっています。
これは、「選択的抽出」事項を、「拡大視」し、もって「極端な一般化」へつなげるという論法で、私には、科学的説得力を持つものとして認めることはできませんでした。

UROノート さんのコメント...

VITA ÆTERNAさん

ほぼ稲垣先生がご指摘くださっている通りですが、まず根拠として提示された土石流の動画について申し上げます。
ビータさんがリンクを貼ってくださった砂防堰堤があるような急勾配の地点を切り取れば、巨礫(きょれき)は位置エネルギーも運動エネルギーとして有効に使える為、水との速度差は大きくありません。
しかし、利根川との合流地点付近(杢の渡し)のように、なだらかな扇状地の場合は、巨礫の位置エネルギーは地表との摩擦として消費され、その速度を著しく低下させます。水の運動エネルギーが100%有効に使えるような管状の閉塞空間以外の条件では水が先に到達するのは自明です。
比重の大きい巨礫と地表との摩擦抵抗を考えれば容易にご理解いただけると思います。
おタエさんは橋の橋脚に縛りつけられていた可能性が高いですから、先に到達した水流の圧により巨礫に先行して彼女が流されたと考えるのが自然なのではないですか?

下は南木曾の動画におけるカメラの位置についての参考資料です。
http://www.cbr.mlit.go.jp/tajimi/news/file/20140710_dfad0801decfb8dc43ef5c6ab1b03310/20140710_53be6e09d3d92_upfile.pdf
3ページの梨子沢第二砂防堰堤の位置が利根川と吾妻川の合流地点の風景と近似しているならご指摘は一考に値すると考えますが、おタエさんはそうした急斜面にお供えされていた訳ではありませんから、残念ながら比較には無理があります。
判り易く例えるなら、観測条件が氷点下であることを無視して「水は常温でも固体であろう!」などと、結論付けておられるのと変わらないと考えます。

続く

UROノート さんのコメント...

発言者を明示していただいたことに感謝します。早川先生の一連の言説に関して言えば、ビータさんのご指摘とあまり変わらないという印象です。直截おタエさんや守護霊の語りを否定する根拠が不明確で、権威ゆえのこだわりから出た認知バイアスを伴った印象論であろうと思われます。
開示されている内容の範囲内で以下に愚考しますと、(早川先生だけが知っているとされた)「土石なだれ」発生のメカニズムが守護霊の口から語られなかったことを以って書籍全体についての否定的な印象を抱いてしてしまったために、大きな齟齬が無くとも否定せざるを得なくなった可能性はないでしょうか?
そもそも「鎌原(かんばら)熱泥流」が「いきなり」渋川を襲ったという表現が正しければ、「田畑少々流水入 人壱人(ひといちにん)流(ながる)」いう『天明3年7月浅間焼泥押流失人馬家屋被害書上帳』の記述
(http://samzense.blogspot.jp/2011/10/blog-post_7004.html)との整合性が取れません(村をあげて事前に避難し、おタエさんだけが流されたことを記録している可能性がある)し、先のコメントに掲載されている吾妻川堰上げ時の逆流についての資料との整合性はどうなっているのでしょうか?
自然堤の観測が事実である以上、少なくとも前兆現象は観測されたはずですよね?

冒頭の繰り返しになりますが、泥流が「土石を含んだ濃い流れ」だったという表現に関しても、急勾配の箇所はそうであったとしても、比較的勾配の緩やかな利根川との合流地点付近においては、泥水が先行し、巨礫がそれに遅れて押し寄せるのは自然でしょう。

こうした無根拠な印象論ツイートはツィッターというメディアでは起りがちであり、この程度の内容が「専門家の言説」として読み手に大きく影響を与えているとしたら、その現状はやや残念に思います。

続く

UROノート さんのコメント...

早川先生は以前、福島県の農家に対する過激なツイートで群馬大学から訓告処分を受けています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/早川由紀夫
http://togetter.com/li/127858
>「福島県の農家が牧場で牧畜やセシウムで汚染された水田で稲作を行うのはサリンを作ったオウム信者と同じだ」
>「私は、ちゅうちょすることなく相手を殺します」
>「福島の農家は放射能を含んだ野菜を出荷している。これは殺人未遂罪に該当する」
>「あんなひどいことをした福島農家と一緒にしてしまって、オウム信者に申し訳なかったと思っている」

原発リスクに慎重である姿勢は科学者として誠実な態度であると言えるでしょうが、彼のツイッター発言とされているものの中には上に引用した様に、やや慎重さに欠け、倫理上の問題を含んだものも存在しています。
もちろん私はそうしたツイート傾向をもって「前世を科学の対象として見て」いらっしゃると言う早川先生のしやなかな頭脳や研究全体を完全に否定するつもりはありません。
可能ならば、タエの事例をめぐる論点について詳らかにしていただき、今後も歴史学を越えた真実の発見とその情報開示に寄与していただきたいと切望しています。
さらに余力があれば、現在最も科学的検証に耐えうるラタラジューの事例についても「前世を科学の対象として見」る彼の目でしかと検証していただきたいところです。

稲垣 勝巳 さんのコメント...

このページへのページビューは連日100件を越えています。
ご注目くださっている読者に感謝いたします。

吾妻川の「水が止まった(水位が大きく下がった)」時間があったのか、なかったのか、タエは泥流による溺死か、濃密な土石流の直撃による即死状態であったのか、ここまでの提出資料(参考動画)による推測議論について、読者のご感想をお聞きしたいところです。