2013年5月12日日曜日

臨死体験と魂の問題

最近、http://sankei.jp.msn.com/wired/news/130502/wir13050213270001-n1.htmという記事を紹介してもらいました。
下記にこの記事の当事者であるパーニア氏と、そのインタビュー記事の抜粋を紹介します。
パーニア氏は、ニューヨーク州立大学ストーニーブルック校付属病院の医師で、同大学の蘇生法研究プログラムの主任。北米と欧州の25病院で臨死体験を記録する「Consciousness Project Human」のAWARE調査の責任者として、この現象を科学的に研究している人物である。

 パーニア氏はこのほど、新しい著作『Erasing Death: The Science That Is Rewriting the Boundaries Between Life and Death(死を消去する:生と死の境界を書き換える科学)』を刊行した。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
パーニア氏:
人が死ぬと、血液の脳への流入がなくなります。血液の流入が一定のレベルを下回ると、電気活動は生じ得ません。脳に何らかの隠された領域があり、ほかのすべてが機能しなくなってもそれが活動していると考えるには、大変な想像力が必要です。

 このような観察から、脳と心の相互作用に関する現在の概念に疑問が生じます。従来の考え方は、脳内の電気化学的なプロセスが意識につながっているというものです。死後に電気化学プロセスが起きないことは証明ができるので、この考え方はもう正確ではないのかもしれません。

 脳の中には、われわれが発見していない、意識を説明する何かがあるのかもしれません。あるいは、意識は脳とは別個の存在なのかもしれません


WIRED:それは、意識の超自然的な説明に近いように聞こえますが。


パーニア氏:最高に頭が柔軟で客観的な科学者は、われわれに限界があることを知っています。現在の科学では説明ができないという理由で、迷信だとか、間違っているだとかいうことにはなりません。かつて電磁気など、当時は見ることも測定することもできなかったさまざまな力が発見されたとき、多くの科学者がこれを馬鹿にしました。

 科学者は自我が脳のプロセスであると考えるようになっていますが、脳内の細胞がどのようにして人間の思考になりうるのかを証明した実験は、まだ存在していません

 人間の精神と意識は、電磁気学で扱われるような、脳と相互作用する非常に微小なタイプの力ではあるが、必ずしも脳によって生み出されるわけではない、ということなのかもしれません。これらのことはまだまったくわかっていないのです。


WIRED:ただ、最近はfMRIによる脳画像と、感情や思考などの意識状態の関連性が研究されたりしていますよね。脳を見ることで、その人が何を見ているかや、何を夢見ているかがわかるという研究もあります。


パーニア氏:細胞の活動が心を生み出すのか、それとも、心が細胞の活動を生み出すのか。これは卵が先かニワトリが先かというような問題です。(fMRIと意識状態の関連性などの観察から)細胞が思考を生み出すことを示唆していると結論する試みがあります。「これが憂鬱の状態で、これが幸せの状態」というわけです。しかし、それは関連性に過ぎず、因果関係ではありません。その理論に従えば、脳内の活動が停止したあとに、周囲の物事を見たとか聞いたとかいう報告はないはずなのです。脳内の活動が停止したあとも意識を持ち得るのだとすれば、おそらくは、わたしたちの理論はまだ完成していないということが示されているのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、「生まれ変わりの実証的探究」の私の立場からすれば、上記パーニア氏の太字部分の医学的見解は、脳以外に意識の存在を示唆しているように思われます。彼は、「現在はっきりとしているのは、(脳死後も)人間の意識が消滅するわけではないということだ」とまで述べているようです。

この見解は、「心・脳二元論」という立場です。

過去にも、W・ペンフィールド、J・エックルズ、R・スペリーなどノーベル賞級の大脳科学者が自らの実験研究の結果、晩年になって「心・脳二元論」を表明しています。

催眠研究者成瀬悟策九大名誉教授・医博も、晩年になって、「脳は心の家来です」と述べています。


SAM前世療法の大前提は、「心・脳二元論」仮説ですから、臨床医学者パーニア氏の最新の上記見解は、我が意を得たりと言いたいところです。

しかし、厳密に検討すると、手放しで喜べるほど、ことは単純ではないようです。


脳死臨床の場で、脳が本当に死んだかどうかを、直接的に観察できる方法は現在ありません。

したがって、「脳が生きて活動しているならこういう現象が観察されるはずだ」ということをいろいろ見ていって、そういった現象がすべて観察されないからこの脳は死んでいるだろう」と推論するわけです。

これが脳死判定の方法論的論理構造です。しかし、「脳が生きている」けれども、「脳の機能発現が観察されない」こともあるのです。

脳が活発に活動しているときには、脳内でものすごい数のパルスが飛び交っており、その影響で頭皮の上に微弱な電流が生じます。これを測定したものが脳波です。つまり、脳波は、脳の電気的活動の有無を直接測定するものではないのです。したがって、脳細胞レベルでは微弱な電気活動がまだ残っている段階でも、フラットな脳波が現れるといわけです。

脳波がフラットの状態であるから脳死である、つまり、脳の機能は停止してる、にもかかわらず意識現象が生じた、だから、意識は死後も消滅しない、という論理は成り立たないのです。

脳波がフラットであっても、脳は生きており、意識がある可能性を排除できないのです。

脳死をほぼ確実に判定できるのは、一定時間の脳血流停止を確認することとされています。

その確認方法として脳の酸素消費を測定する脳代謝検査があります。

細胞は生きている限り、酸素を消費し、ブドウ糖を消費します。細胞が死ねばどちらも消費しません。

それで、理論的には、脳代謝測定が脳死決定の最終的手段とされています。


はたして、パーニア氏は、脳代謝検査などで、一定時間の脳血流停止確認後、その患者の脳血流停止中の意識があったことをもって、「脳死後も意識は消滅するわけではない」と述べているのでしょうか。

それはまずありえないでしょう。脳細胞の血流が一定時間停止すれば脳細胞が死滅し、脳の復活はありえないので、そもそも脳血流停止中の意識内容を話すことができるはずがないからです。


このように、臨死体験によって、脳とは別に、消滅しない意識(魂)の存在を証明することにも、どうやら「挫折の法則」がはたらいているような気がします。


臨死体験研究者の多くは、医師や心理学者であり、それまでサイキカル・リサーチやスピリチュアリズムが蓄積してきた知見を、知らないかあるいは無視しています。

臨死体験研究の本をいくつも翻訳している超心理学者の笠原敏雄氏は、研究者たちのそうした態度を、先行業績を参照するという科学的手続きを無視したものだ、と指摘してます。

このように、これまでの多くの臨死体験研究では、実証性ということが十分に考慮されているとは思われません。

サイキカル・リサーチ(超心理学)を踏まえたオシスらの研究ですら、超ESP仮説への取り組みが不十分で、理論上の中心主題は残されたままだとしています。臨死体験と死後存続仮説との関係という中心的問題を明らかにすることに対しては、大きな貢献はしていないと私には思えます。


そもそも、臨死体験とは、体験者が生き返っているわけですから、「真の死後の体験」だということには矛盾があります。

呼吸停止・心停止であっても、脳は生きていただろうから、それは脳内現象であり、せいぜい体脱体験と同様のものに過ぎない、という説明が成り立ちます。

脳活動(脳幹活動まで含む)が完全に停止した状態で体験された「パム・レイノルズのケース」(セイボム『続「あの世」からの帰還』)でも、厳密に理論的に検証すると、完璧であるわけではありません。

そして、脳内現象を否定できる、脳細胞が死滅したことが確認された後の臨死体験はありえません。

脳細胞の死滅は、脳の復活不可能な完全な脳死であるからです。臨死体験が報告できるはずがありません。


このように臨死体験の実証的側面は、非常に脆弱なのです。
実証性を別にして考えても、臨死体験には限界があります。仮に、臨死体験者が、死後の世界の入り口まで覗いたとしても、それはあくまで「かいま見た」程度のものでしかありません。前世療法の本をホイットンとともにまとめたライターは、臨死体験を、「国境に足止めされた海外特派員がそこからその国の事情を報告する」ようなものだと表現しています。

5 件のコメント:

ソウルメイト さんのコメント...

SECRET: 0
PASS:
臨死体験が死後生存の直接的証拠となりえない、という考察は、おっしゃる通りだと思います。ただし、臨死体験の中には、意識の局在つまり、脳の活動の随伴現象という理解では、説明がつかないものがありますので、すくなくとも、意識が物理法則に拘束されない、非物質的かつ、超物質的な性質をもつものであることは、明らかであると思います。しかし、だからと言って、厳密には、それをもって、ただちに死後生存を論証しえないというところが、この問題の難しいところで、死後生存の立証は、ただ唯物論に重大な疑義を投げかければたりるというものではないわけですね。
死後生存を立証するのは思いのほか難しいもので、臨死体験やスピリチュアリズムにおいて収集された事例は、唯物論にたいする反証とはなりえても、死後生存をあらゆる反論や疑念を斥けて証明するには力不足で、厳密な検討や批判に耐えうるのは、稲垣先生の研究以外にはないのではないかと思います。なお、イアン・スティーヴンソンが収集した事例の中には、死後生存を濃厚に示唆するものがあることは事実ですが、決定的決め手を欠くという点で、稲垣先生に一歩を譲るのではないでしょうか?

ちゃむ(仙台) さんのコメント...

SECRET: 0
PASS:
ぐちゃぐちゃな脳みそ(タンパク質)が詰まっているだけでー
電気が走って信号を送って
私は頭はゲーム機でいうコントローラーで、操作している本体はこの世の物質では目に映らないもののように思うんです。
それは誰でも持っているもので、誰でも感じることができると思うけど、見えないから信じられないと。
もう、魂の存在を受け入れてもいい時代かもね。

ピート@自由人 さんのコメント...

SECRET: 0
PASS:
突然ながら、初めてコメントさしてもらいます、ピートといいます! このブログの色々な記事を見ていて、興味がでたのでコメントしてみました^^ 良かったら、僕のブログも見てくださったら嬉しいです♪それではどうも、お邪魔様でした!

イエス さんのコメント...

SECRET: 0
PASS:
ボクは臨死体験に興味深くいろんな記事を見てるものです
最近は霊魂説の記事が増えたと思ったら一昨日あたりの最新記事で臨死体験は心停止後に「脳が活発化」 の原因と思わしき唯物論的な記事がありました
やはり霊魂は存在しないのでしょうかね
(ただレイモンドムーディー博士の研究では「臨死共有体験」という周囲の健康な人も共有する臨死体験も発表されていますが)

ISU さんのコメント...

SECRET: 0
PASS:
こんにちは。貴重な見解有難うございます
ただ、脳血流の停止が確認されてから、意識が回復した人もいるようです。ザック・ダンラップという方です。
ご存知でしたら、ごめんなさい <m(__)m>