2013年3月4日月曜日

超ESP仮説によって応答型真性異言は説明可能か

前ブログのコメント欄が膨大な議論の書き込みによって膨張しました。管理人としてはうれしいかぎりですが、ここであらたにタイトルを設けて、超ESP仮説で応答型真性異言が説明できるのかどうか、について私の現時点の見解を述べてみます。
もし、超ESP仮説によって応答型真性異言を説明するとすれば、「ラタラジューの事例」は、被験者里沙さんが、どういうわけか、催眠中に限り(覚醒時に里沙さんがESPを発揮した事例は皆無である)、無意識的に、万能の透視能力やテレパシー能力を、瞬時に発揮し、駆使した結果、瞬時にネパール語会話技能を取得し、ラタラジューという一昔前に私用された名前をはじめ、カトマンズ市民ですら知る者のほとんどいないナル村の名前、ナル村村民の食べ物、棲息するヒル、ヒマラヤを望む山上での火葬などの諸情報を、瞬時に取得し、架空の前世人格ラタラジューを演じた(ふりをした)ものだ、ということになります。つまり、里沙さんという生者の持っている「心の力」で、すべて説明可能であり、前世人格の顕現化現象、あるいは生まれ変わりなどは完全にフィクションであり、生まれ変わりの事実などはまったく「無い」ということになります。
さて、超ESP仮説の打破に挑んだのが、ヴァージニア大学精神科教授で、現代における超心理学の泰斗、そして「生まれ変わり研究」の先駆者として知られる故イアン・スティーヴンソンです。
スティーヴンソンが着目したのは、もし、ESPによって取得不可能なものであれば、それは超ESPであろうとも取得が不可能である、という事実でした。少し長くなりますが、彼の着目点を引用してみます。
デュカス(注 カート・ジョン・デュカス、哲学者)は、本来、霊媒は他人の持つあらゆる認知的情報をESPを介して入手する力を持っているかもしれないことを原則として認めているが、その情報を本来の所有者と同じように使うことはできないと考える。デュカスによれば、霊媒は、テレパシーを用いてラテン語学者からラテン語の知識をすべて引き出すこともあるかもしれないが、その知識をその学者の好みとか癖に合わせて使うことはできないのではないかという。以上のことからデュカスは次のように考える。もし霊媒が、本来持っているとされる以外の変わった技能を示したとすれば、それは何者かが死後生存を続けている証拠になるであろう。もしその技能が、ある特定の人物以外持つ者がない特殊なものであれば、その人物が死後も生存を続けている証拠となろう。・・・技能は訓練を通じて初めて身につくものである。たとえばダンスの踊り方とか外国語の話し方とか自転車の乗り方とかについて教えられても、そういう技能を素早く身につける役には立つかもしれないが、技能を身につけるうえで不可欠な練習は、依然として必要不可欠である。ポランニー(注 マイケル・ポランニー、科学哲学者)によれば、技能は本来、言葉によっては伝えられないものであり、そのため知ってはいるが言語化できない、言わば暗黙知の範疇に入るという。もし技能が、普通には言葉で伝えられないものであるとすれば、なおさらと言えないまでも、すくなくとも同程度には、ESPによっても伝えられないことになる。(スティーヴンソン「人間の死後生存の証拠に関する研究ー最近の研究を踏まえた歴史的展望」笠原敏雄編『死後生存の科学』PP.41-43)
ESPである透視・テレパシーなどによって、取得可能なのは、あくまで「情報」です。
そしていくら情報を集めても、実際にかなりの訓練をしない限り、「技能」の取得はできません。自転車の乗り方をいくら本や映像で知っても、自転車に乗ることはできないように、たとえば言語も情報による伝達だけでは「会話」まではできないはずです。つまり、「超ESP」によっても、「外国語の会話能力」までは獲得することができないわけです。
したがって、ある人物が、前世の記憶を、その前世での言語で語り、かつ現世の当人がその言語を学んだことがないと証明された場合には、超ESP仮説は適用できず、生まれ変わりが最も有力な説明仮説となる、とスティーヴンソンは考えたのです。
そして、前世記憶を語る中には、ESPによる「情報取得」では説明できない、学んだはずのない外国語での会話を実際に示す事例が、きわめて稀ですがいくつか報告されています。これを「真性異言」と呼びます。
「真性異言」(xenoglossy ゼノグロッシー)とは、フランスの生理学者で心霊研究協会の会長も務めたシャルル・リシェの造語で、本人が習ったことのない外国語を話す現象のことを言います。『新約聖書』などにも「異言」(glossolaria グロッソラリア)という現象が記述されていますが、「真性異言」は、その言語が特定の言語であることが確認されたものです。このうち、特定の文章や語句だけを繰り返すものを「朗唱型真性異言」、その言語の話者と意味のある会話ができるものを「応答型真性異言」と呼びます。
さて、真性異言のうち、「朗唱型真性異言」は、「情報」ですから超ESPによって取得が可能と言えます。
しかし、意味の通った会話ができる「応答性真性異言」は、そうではありません。言語を自由に話せるというのは、「技能」であり、いくら単語や文型の情報を集めても、実際にかなりの訓練をしない限り、応答的会話は可能にはなりません。自転車の乗り方をいくら本や映像で知っても、自転車に乗ることはできないように、言語も情報による伝達だけでは技能である「会話」まではできないのです。つまり、「超ESP」によっても、「外国語の会話能力」は取得できないことが明白です。
こうして、ある人物が、前世の記憶を、その前世での外国語で語り、かつ現世の当人がその言語を学んだことがないと証明された場合には、超ESP仮説は適用できず、生まれ変わりを最も有力な説明仮説として採用せざるをえないということになります。
生まれ変わりの証拠である応答型真性異言は、スティーヴンソンが20年にわたって世界中から収集し精査した2000余りの生まれ変わり事例の中で、わずか3例にすぎません。
「イェンセンの事例」と、「グレートヒェンの事例」、および「シャラーダの事例」です。
イェンセンとグレートヒェンの事例は、催眠中に偶発的に前世人格が出現したもので、前者はスウェーデン語、後者はドイツ語で、短い会話によるやりとりが記録されています。
シャラーダの事例は、覚醒時に前世人格が出現し、きわめて長い会話で流暢に受け答えし、歌まで歌っています(『前世の言葉を話す人々』春秋社)。
スティーヴンソンの報告以外に信頼できる事例として、数名の科学者によって調査され、覚醒時にスペイン語で流暢な長い会話をした「ルシアの事例」の調査報告があります(心霊現象研究協会 (The Society for Psychical Research)。
つまり、世界中で信頼にあたいする応答型真性異言の事例は4例発見されており、そのうち2例が催眠下で起こった事例ということになります。
さて、こうしたスティーヴンソンの応答型真性異言研究(生まれ変わりの実証研究)は、きわめて綿密な調査と、公正で慎重な検証によって、他の領域の一流科学者たちにも説得力をもって認められつつあるようです。
たとえば、有名な天文学者カール・セーガンは、「時として、小さな子どもたちは、調べてみると正確であることが判明し、生まれ変わり以外には知りえなかったはずの前世の詳細を物語る」という主張は、「真剣に検討する価値がある」(『カール・セーガン 科学と悪霊を語る』P302)と述べています。
また、行動療法の創始者ハンス・アイゼンクは、「スティーヴンソンの著作を何百ページも読み、スティーヴンソンとは別個に研究が始められているのをみると、真にきわめて重要なことがわれわれの前に明らかにされつつあるという見解からむりやり目を逸らせることは、誠実であろうとする限りできない」(Eysenck & Sargent, Explaining the Unexplained, Prion, 1993. いずれも、『生まれ変わりの刻印』笠原敏雄・訳者後記)と述べています。
そして、技能である応答型真性異言こそが生まれ変わりの最有力な証拠だ、とするスティーヴンソンの研究を、科学的・実証的に反証し、論破した研究はいまだに提出されてはいないのです。
このこと、すなわち、応答型真性異言こそは、超ESP仮説を打破できたことが認められたということを意味します。ひいては、応答型真性異言こそ、生まれ変わりを証明する科学的証拠としてついに認められたことになります。
超ESPという途方もない万能の超能力者が発見されておらず、超ESPそのものの実証がない時点で、超ESP仮説によって会話技能である応答型真性異言という現象まで説明できるなどの主張は、生まれ変わりの事実を絶対に認めたくないがためのこじつけだと私には思えます。そして、超ESP仮説を持ち出して、ラタラジューの応答型真性異言を説明できるとすることのほうが、生まれ変わりを認めることより奇怪なことだと私には思われます。

20 件のコメント:

ジュンジ さんのコメント...

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はじめまして!!僕はビジネスの事とか、自分なりの考え方とか書いてます。興味があったら読者申請してくださいね♪

ソウルメイト さんのコメント...

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サイや超感覚的知覚=ESPの存在の有無やその性質、発現の態様などを研究対象とする超心理学という学問は、スピリチュアリズムにその発祥の起源を負っています。
スピリチュアリズムとは何かというと、簡単に言えば死者との交信のことです。スピリチュアリズム華やかなりし頃、D・D・ホームやエウサピア・パラディーノ、レオノア・バイパー夫人といった強力な霊媒は、死者との交信だけでなく、さまざまな物理法則を逸脱する奇跡を思わせるような現象を引き起こしました。それらの現象を目の当たりにして、1882年、英国ケンブリッジ大学トリニティカレッジに心霊現象や超常現象を科学的に検証しその真相を究明する目的でSRP(心霊研究協会)が設立されました。一般に、その年を超心理学元年としているようです。設立当初の熱心な会員の中には、著名な物理学者である、サー・オリバー・ロッジやノーベル物理学賞受賞者で電子の発見者であるJ・J・トムソンや生理学者でノーベル賞受賞者のシャルル・リシェなどの第一級の自然科学者や古典学者のF・W・H・マイヤーズ、「不思議の国のアリス」の著者として知られる数学者ルイス・キャロルや名探偵シャーロック・ホームズの産みの親であるコナン・ドイルなどのそうそうたる文化人や著名な哲学、心理学などの人文科学者などが含まれているので、思いもかけない意外な人の名を発見したりします。興味のある方は、調べてご覧になるとよいと思います。

ソウルメイト さんのコメント...

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SRP(心霊研究協会)は、テレパシーや催眠術、霊媒現象や幽霊の出現現象、降霊術、心霊現象全体の歴史などを研究対象としていました。SRP(心霊研究協会)の目的は、確かな事実に基づく証拠を提出して真相に迫ることでしたから、インチキやイカサマを容赦なく暴きました。中には、イカサマやインチキでは説明のできない、真に超常的かもしれない現象までもニセモノとして葬り去ったので、超常現象のもっとも容赦ない批判者のようになってしまいました。
SRP(心霊研究協会)の創立者や初期の熱心な会員は、積極的に死後生存を確信する人たちでした。彼らはら自らが信じることを客観的事実によって証明したいという意図のもとに国際的な心霊研究の運動を立ち上げたのですが、いつしか死後生存の確認、確証という大目的は忘れ去られ、J・B・ラインに代表されるようなサイやESPなどの研究に特化するようになってしまいました。いまは亡きイアン・スティーヴンソン博士のように死後生存や生まれ変わりを研究の主要なテーマとする超心理学者はあまり多くはない、というのが実情だろうと思います。
始まりは、スピリチュアリズムに関連して死後生存の確証を得るためのものだったものが、起源を同じくする異なった研究の流れが確認したESPの存在によって死後生存の立証が阻まれるという構図に、なにらや皮肉な巡り会わせを思わずにはいられません。

迷子 さんのコメント...

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稲垣先生こんにちは
私は現在、石川先生の技能とESPについての発言は確認していません。単に見おとしているだけかもしれませんが。
とりあえず石川先生の霊魂仮説に対する批判については『超心理学 封印された超常現象の科学』の第10章「霊魂仮説について考える」を中心に読んでいただくほかありません。
ソウルメイトさん
技能と目標志向性については笠原敏雄さんのほうが徹底的に追及しています。
『隠された心の力 唯物論という幻想』の序章と1章に詳しいです。神童とよばれる子どもや自閉症児の不思議な計算能力等の詳細な報告があげられています。

稲垣勝巳 さんのコメント...

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>迷子さん
明大石川教授が、日本では稀な超心理学者としておいでになることは知っていましたが、ブログを拝見したことはありませんでした。貴重な情報をありがとうございました。おそらく、石川氏は「ラタラジューの事例」についてご存じないと思われます。
笠原敏雄氏はご存じです。笠原氏によれば、スティーブンソンが存命中なら、きっと来日して「ラタラジューの事例」を調査したであろうということです。
また、ジム・タッカー教授はご存じです。きわめて貴重な事例であるとのコメントをいただいています。
私の知人のブログで「ラタラジューの事例」の逐語録が英訳されて世界に発信してありますので、これから反響があろうかと思います。

ソウルメイト さんのコメント...

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>迷子さん
ご教示いただいた石川幹人さんの「超心理学 封印された超常現象の科学」第十章「霊魂仮説について考える」を読んでみました。
わたしが超心理学研究に二つの異なる流れがあるとコメントしたのを覚えていらっしゃるでしょうか?石川さんの解説によれば、わたしが想像したとおり、超心理学研究の、より新しいほうの流れは、「霊魂仮説」からの脱却を意図するものであったようですね。
科学というものは、仮説を立てそれを事実によって検証し仮説の有効性を立証しようという知的営みのことですから、どんな仮説を立てても構わないわけで、ESPのような超常現象をあくまで唯物論的に解釈しようとすることも、生まれ変わりや死後生存を示唆するように思われれる現象をESP仮説によって唯物論的に説明しようとすることも、なんら非難されるべきものではありません。むしろ、世界を認識する多様性が増すので、よいことだとさえ言えるでしょう。わたしはそう思います。
ですが、肝心なことをいくつか申し上げます。
その一つは、死後生存や生まれ変わりを示唆するような現象をESPによって再現できたとしても、死後生存や生まれ変わりそのものの存在を否定することにはならないということです。ある特定の現象が、一意に死後生存や生まれ変わりを強制了解させることができないないということを証明したに過ぎない、とわたしは考えます。もっとも、稲垣先生が発表されておられるような「高度」で「顕著」な死後生存や生まれ変わりを強く示唆する現象を純然たるESPで再現できたらの話ですが。

ソウルメイト さんのコメント...

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>迷子さん
死後生存や生まれ変わりの事実性を否定したいのであれば、ESPであたかもそれと同視しうる現象を引き起こすことができるというだけでは足りないとわたしは思いますが迷子さんはどうお考えになりますか?
また、そもそも、ESPの存在自体が現在の主流科学から白眼視され、異端視されるのは、ESPが主流科学が依拠する唯物論のパラダイムから逸脱するからではないでしょうか?石川さんは、前記著作の当該章で、ESPやPKなどのサイ現象をいかに唯物論に組込めるかを思案しておられますね。それは、結構なことだとは思いますが、だからと言って死後生存や生まれ変わりが、自動的に棄却されるわけではないのではないでしょうか?
ESPやPKなどのサイ現象が、物質の次元を超越するものであると考えることもまた、間違いとは言えないのではないでしょうか?
リサ・ランドールという理論物理学者は、わたしたちが存在するこの物質宇宙は、より高次元の宇宙の膜のような存在であると考えていますが、多次元宇宙論や高次元宇宙の存在は、もはやSFではなく、れっきとした科学のテーマとなってきているようです。
ESPやPKなどのサイ現象が霊魂のようなものと等しく高次元に属する現象であると考えたって、べつに非科学的であるということにはならないのではないでしょうか?
この物質世界が存在する次元ですべてを説明しようという試みは、この物質世界を超越する次元を考慮にいれる宇宙観と論理的には、等価であり、無条件にどちらが優れているということはないとわたしは思います。すくなくとも、両論は併記されるべきだとわたしは思いますが、迷子さんはどう思われますか?

ソウルメイト さんのコメント...

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科学者がかならずしも真実のみの追求者とは限りません。科学者は職業人としての一面やアカデミズムにおける名声という側面をも併せ持ちます。したがって、科学者は真実の追求ばかりもしていられないという事情があるようです。
そもそも、現代科学の原型は、近世ヨーロッパに生まれたものですが、その頃、現代科学につながるような研究をおこなっていた人たちは、誰に頼まれたわけでもなく、また、誰かに研究するために雇われていたわけでもありませんでした。彼らは自らの知的好奇心を満たすため、金銭的な見返りなど期待せずに真実の探求をする人たちでした。職業人としての科学者がかならずしも真実の追求者であるとは限りません。
アカデミズムにおける研究者の地位や名声というものは、いかにたくさん、その時点におけるアカデミズムの主流派に気に入られる論文を書けるかにかかっていますから、アカデミズムにおける常識や定説に逆らう研究をして論文を書いてもアカデミストとしての評価につながらないという一面もあります。アカデミズムにおける評価や名声、地位などを気にせず、真実を真摯に追求するような勇気と心意気をもった研究者は、稀有な存在と言っていいでしょうし、そのような研究者は、アカデミズムの象牙の塔に探すよりは、むしろ、在野の、研究を職業としない人たちの中に多く見出だすことができるのかもしれません。

迷子 さんのコメント...

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>ソウルメイトさん
こんにちは、ごめんなさい、どうも言葉がたらなかったようです。
私は死後生存を否定する考えはありません。ソウルメイトさんの考えはまさに私の考えと一致します。理論上必要ないと事実の証明は別物です。
そしてESPの無制限拡大解釈は現在の実験超心理学の統計学上かろうじて捉えられるというデータからもやりすぎだと考えます。
今回私は石川教授の本を読んで『超心理学読本』の超ESP仮説に照らした死後生存の証拠P228を皮切りに、可能な限り生まれ変わりをはじめ死後生存研究の資料や超ESP関連等を改めて洗いなおしました。技能の習得については笠原敏雄さんの「隠された心の力」で自閉症児の技能と知識に関するもの以外見つかりませんでした。
むしろ石川教授は母斑のほうを重要視されていたようです。変わった母斑をもつ子どもが何故ソウなのかと自分を確立する為にESPで過去の似た人物を探して無意識に同一視したとあり8歳ころに急に前世の記憶が消えるのは自我確立する為であるとありますが、これだとむしろ稲垣先生の調査した事例が説明できなくなる。大人が見ず知らずのインドネシア人と同一視して言葉まで話す。ESP研究で偶発や実験でも親しい間の方が良好な結果が得られているのとも矛盾します。対超ESP仮説でスティーヴンソンが、飛び入り霊媒、に近い強みになります。
「自己確立の為の他者模倣仮説」の根拠として殺人者の前世を記憶する者がいないとありますが、

迷子 さんのコメント...

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実は稀な例ですが『殺人者の前世を記憶する人物』はいるのです。
その稀な例の詳細が記されているのは。
まず『前世を記憶する子どもたち』の1巻386ページからの「前世の行いが来世に及ぼす影響」にて、貧しい両親のもとに生まれたビシェン・チャンド・カプールは前世で愛人のアパートから出てきた男を射殺し、しばらく身を潜め検察官を買収して事件のもみ消しを図った。その後自然死した裕福なラクシュミ・ラナインという人物の記憶をもっていた。
前世で殺人を犯したので貧しい両親の子どもとして生まれたのだと思うようになった。
彼は前世のイメージ記憶が無くなった後も殺人の記憶は残り続けた。この事例は対象となった子どもの発言が事実かどうか確認する作業が始まる前に文字で記録されている
次に『生まれ変わりの刻印』の第17章219ページから222ページにかけて、欠損や母斑に関する写真の図27にも載っている。ウィジェトラネという人物は前世で妻を殺した為に腕に障害をもって生まれたと証言している。彼は前世で殺人の罪で死刑になった人物の前世を記憶していた。
他にも戦時中の兵士のおこないなので意見の相違がでやすいと思うが同書270ページで米軍兵士の前世を記憶する人物は戦争で多くの人を殺した事に対する後悔の態度を示している。
殺人とまではいかなくても自己を確立する為に模倣する他者になりにくい犯罪者の前世を記憶するものは他にもいる。その一例として同書240ページに前世で有名な牛泥棒だったとする人物がいる。ある村に入ったところ彼を目の敵にしている者たちに襲われて殺された人物の前世を記憶する者もいる
その人物は前世と違い誠実な性格でタイ陸軍の兵役についていた時は模範的な兵士であり除隊後は村に戻り最終的には村長にまでなっている。前世の記憶と悪行の反省から人格を向上させたのだ。反省をうながすような人物を模倣すべき他者になり自らを同一視しうるのだろうか?
『転生した子どもたち』89ページで前世の因果応報で先天性欠損が生じたとされる事例はわずか3例であるが報告されている。
紙面にも余裕があるのだからこのような事例を注釈に入れておいて欲しかったです。

迷子 さんのコメント...

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>稲垣勝巳さん
笠原さんのHPにこの事例の事が何も書かれていないのでかなり気にはなっていました。
 
 現在は今西進化論の著書を執筆中なのでお忙しいのでしょう、近況報告も緊急に対処しないといけないものだけですし、そのうちコメントを発表なさるでしょう。
 これほど強烈な事例で映像音声付だと今後強力な反発がよそうされるで心配です。

ソウルメイト さんのコメント...

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>迷子さん
きちんと文献を読み込んで広汎な知識をお持ちになる方ですね。感服しました。
わたしは、ラタラジューの例を持ち出すまでもなく、タエの事例や迷子さんがご紹介くださったスティーヴンソンの研究事例から、死後生存や生まれ変わりを確信しております。ラタラジューの事例は強烈なダメ押しみたいなものだと思っています。
石川さんのESPを唯物論に還元しようとする試みの説得力のなさは、特筆大書されるべきものだと思います。
また、迷子さんが、おっしゃる通り笠原氏の自閉症児が示した特異能力の事例は実に興味深いもので、「サイの目標指向性」を確かに裏付けるものですね。「サイの目標指向性」については、あらためて考えてみたいテーマだと思いますがいかがお考えになりますでしょうか?
わたしもアメバにて拙いブログを書いておりますので、お暇な時にご覧くださるとうれしく思います。数々の貴重な知識とご高見に感謝申し上げます。

迷子 さんのコメント...

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インドネシア語ではなくネパール語が正しかったようですね。修正します。

稲垣勝巳 さんのコメント...

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超ESP仮説によって応答型真性異言は説明可能か、というこのブログ記事について、ごくあっさり現時点の状況をまとめてみます。
①ESP(透視・テレパシーなどの超感覚知覚)の存在は、強力なものではないにしても認められている。
②しかし、ESPの限界は分かっていない。
③そこで、限界がはっきりしないので、万能のESP能力を発揮できる可能性があるのではないかとして超ESP仮説という万能仮説が生まれた。
④しかし、超ESPを所有している能力者は確認されていない。したがって、超ESP仮説は検証のまったくされていない仮説である。
⑤さらに、超ESPによって学んだことのない外国語で応答的会話技能を取得した検証例もない。
こうした現状においては、つまり、超ESP実在の検証ができない、その超ESPによって学んだことのない外国語の会話技能を取得できたという検証ができないという現状においては、超ESP仮説適用には無理があると思います。適用のためには、できうるなら、ネパール語を学んだことのないESP能力者に、ラタラジュー程度のネパール語会話(対話者の用いていないネパール語単語を30程度、主述の整った会話文を2~3文、19世紀末頃に使用され現代ネパール語にはない単語を2つ程度)が出来たという実証をすることです。
そうした超ESP仮説の検証のできない現段階では、応答型真性異言は、論理的帰結として、生まれ変わり仮説を支持する最有力な証拠として採用出来るのではないでしょうか。

ソウルメイト さんのコメント...

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>稲垣勝巳さん
まったくもって、おっしゃる通りです。ラタラジューの事例を超ESP仮説で説明したいと思うなら、すくなくとも、ラタラジューの事例におけると同程度に「高度」で「特異」な応答型真性異言を超ESPで再現してみせなければなりません。
それがほんとうにできるのですか?という超ESP仮説論者に投げかけられている挑戦はとんでもなく、ハードルの高いものです。そして、このハードルがクリアできない以上、ラタラジューの事例は、生まれ変わり、死後生存の確たる実例として認められなければなりません。
この結論を覆せると思うなら、是非やってみていただきたい。問われているのは、まともな知性があるかどうかということだと思いますよ。

稲垣勝巳 さんのコメント...

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もちろん、「ラタラジューの事例」のセッション中に被験者里沙さんが「超ESP]を用いていないという実証も、現時点の科学では不可能です。
しかし、肝心の超ESPそのものが存在するのかどうか実証されていないのですから、無きがごとしとして無視しても、不当な扱いだとは非難される理由はないでしょう。
そして、仮に超ESPが実証され、応答型真性異言現象が説明できたとしても、それをもって、ただちに生まれ変わり仮説が棄却できることにはなりません。被験者里沙さんが、セッション中に超ESPを用いていた、という実証がないかぎり、あいかわらず、生まれ変わり仮説も、超ESP仮説と併存する説明仮説として有り続けます。そして、そうした検証は現行科学では不可能です。ましてや、超ESPそのものの実在の実証がない、超ESPによる会話技能取得の実証がない現時点で、ESPの限界が分かっていないから万能のESP能力が用いられた可能性ある、とするのは、それこそ科学的知性とは呼べないと思います。そのような超ESP仮説は、科学的仮説としては本末転倒で、反証可能性には開かれてはいないのです。
生まれ変わりを応答型真性異言という証拠を掲げて主張していることを否定したいのであるなら、反証(証拠)をもって否定するという立証責任を果たすべきでしょう。超ESP仮説では立証責任が果たせないのです。
こうしたかなりすっきりした論理にまとまってきたのは、ソウルメイトさんの数々のコメントに依拠するところが大です。感謝申しあげます。

ソウルメイト さんのコメント...

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>稲垣勝巳さん
やはり、稲垣先生は、教職にあられただけに、錯綜した話の筋を首尾一貫したものにしてくださいました。こちらこそ感謝申し上げます。
わたしが考えていることというのは、まさに、先生がまとめてくださった通りの論理構成をとるものです。
ラタラジューの事例には、死後生存や生まれ変わりについてのもっとも強力な説得力があります。しかも、唯物論者の反論は具体的事情を伴わず、ただの想像的仮説、わたしに言わせれば、妄想の類いですから、『「生まれ変わり」が科学的に実証された』という先生の著作の題名はまことに当を得たものと言うことができると思います。
上演会で資料配分などが行われるさいには、こういったことも書いてあるといいな、と思います。

ソウルメイト さんのコメント...

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稲垣先生が提唱される「SAM理論」によれば、SAMの技法によって、「魂の自覚状態」になると、いわゆる守護霊をはじめとする、高次の意識存在とコミュニケートすることができるのだそうですが、これは、高次元世界のありようや、高次元世界とこの物質世界についてのかかわりについて、信憑性の高い知識をもたらすことができるという意味において、真に画期的なことなのではないかと思います。
そもそも、死者とのコミュニケーションは、古くから人類が試みてきたことであり、近代スピリチュアリズムにおいても、真に死者からのメッセージと思われるものが、ないでもないようです。しかし、その多くは現代人の知的欲求を満たす、とまでは言えないような水準にあるのではないかとわたしは思います。
現代人の知的欲求を満足させる程度に高度なコミュニケーションが、SAM技法によって実現するのだとしたら、非常にエキサイティングで、知的興奮を覚えずにはいられないことではないかとわたしは思います。

迷子 さんのコメント...

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>ソウルメイトさん
こんにちは、
現在サイの目標指向性についてはサイがどのようなメカニズムなのか想像すら出来ないのと乱数発生装置の構造の複雑さと関係なく確認されているのですがそれ以上の事は私の手にあまります。
石川教授が以前ライン先生の伝記の翻訳本のあとがきで、最新の量子力学の研究でもESPが相手に伝わるのかを説明できないと書いていました。

ソウルメイト さんのコメント...

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>迷子さん
稲垣先生が発表されたタエとラタラジューの事例を唯物論の枠内で説明しようとして「超ESP仮説」を持ち出してきてもうまくいかないのと同じように、唯物論は生物学の領域でも無残な醜態を晒しているように思います。
笠原敏雄氏は、超心理学については、すくなくとも、石川氏と同程度には造詣が深いと思いますが、笠原氏は明確にアンチ唯物論の立場をとっておられます。それは、笠原氏の知的誠実さであり、まっとうな知性を正しくお使いになられる方であることを雄弁に物語っているようにわたしには思えます。
笠原氏は、「唯物論という幻想」という著作の中で、自閉症児が発揮する信じ難いような計算能力や神童といわれるような人たちの奇跡と言いたくなるような能力の事例をあげていますが、「サイの目標指向性」というのは、それらの超絶的な能力と同じく、すべて人間に潜在する高次元の存在つまり、魂の顕現、魂の働きであるというようにわたしは理解しております。