SAM前世療法には、一般のワイス式前世療法(前世の記憶にアクセスする技法)と比較して、いくつかの解明できていない謎があります。
ワイス式前世療法でうまくいかなかったクライアントで、SAM前世療法で成功しなかった事例は今のところありません。両方の前世療法を経験したクライアントは20名を超えています。
この両方を経験したクライアントが報告される大きな共通項は2つあります。
①催眠中の意識状態が明らかに違う。SAMの場合、ワイス式と比べてさらに深い意識状態に入ったという自覚がある。
②ワイス式ではセラピストの質問に対して口頭で答えられるのが普通なのに、SAMの場合には前世人格の5人のうち4人程度は口頭で答えることができなくなる。
①について、ワイス式では、催眠学に則った心理学系催眠法の「催眠深度」を「標準催眠尺度」によって確認することなく誘導が進められるので、どの程度の催眠深度に至ってセッションがおこなわれているかが不明です。
かつて、筆者がワイス式でおこなっていた前世療法では、「運動催眠」→「知覚催眠」→「記憶催眠」の順に、催眠深度を成瀬悟策の「標準催眠尺度」を用いて確認し、「記憶催眠」レベルの深度到達後、年齢退行によって子宮内まで退行し、その先の「子宮に宿る前の記憶(前世記憶)」に戻ります、という暗示をしていました。
しかし、筆者の知る限り、ワイス式体験者は、「記憶催眠」より浅い催眠体験である印象を受けます。
催眠学の明らかにしているところでは、「知覚催眠」レベルでは、五感が暗示通り知覚されます。
したがって、さまざまな幻覚を暗示によってつくり出すことが可能です。
また、創造活動が活性化され、自発的にイメージが次々に現れるようになります。
それで、被験者は、そうした自発的に出てくるイメージに対して、自分が意図的にイメージをつくり出しているという意識をもつことはありません。
つまり自発的イメージは架空のものとは感じられず、自分の中に潜んでいた真実の記憶がイメージ化して現れてきたという錯覚をもつ可能性があるということです。
こうした催眠中のイメージ体験の性格を根拠にして、大学のアカデミックな催眠研究者は、前世療法における前世の記憶はセラピストの暗示によって引き起こされた「フィクション」であると口をそろえて主張します。筆者の敬愛してやまない成瀬悟策先生も、こうした立場をとっておられます。
SAM前世療法では、必ず「知覚催眠」レベルの深度に至っていることを標準催眠尺度を用いて確認します。知覚催眠レベルに至ることがない深度で、「魂状態の自覚」まで遡行できないことが明らかになっているからです。そして、知覚催眠に至れば、ほぼ誰でも記憶催眠に至ることも明らかです。
したがって、SAMでは記憶催眠レベルの確認はおこないません。
記憶催眠を突き抜けて、さらに深度を深めていきます。
標準催眠尺度では測れない「魂遡行催眠」と筆者が名付けているレベルにまで深めます。
身体の自発的運動は停止し、筋肉・関節の完全な弛緩状態にもっていきます。
SAMではこうした意識状態にまで誘導するので、ワイス式より深い意識状態に至ったという報告が共通してされるのではないかと推測しています。
②については、その解明は容易ではありません。
SAMの魂遡行状態では、顕現化した前世人格が口頭で答えられる割合は5人に1人、約20%しか口頭で話せません。5人のうち4人までが、どうしても口頭で答えることができないと答えます。
ワイス式ではこうした音声化できないことは起こりません。
ワイス式体験者は、誰でも前世記憶のビジョンを口頭で報告することが可能です。
この口頭で話せないという現象は、SAMの催眠深度がワイス式よりも深く、筋肉の弛緩状態がきわめて深く、声帯も弛緩し切っているので発音できないのではないか、という推測は的外れのようです。
どうも、SAMの作業仮説に理由が求めることができるのではないかと考えています。
ワイス式では、「前世の記憶として現れるビジョンをクライアントが報告する」という前提になっています。
あくまでクライアントが、「前世記憶を想起し報告する」のです。
SAMでは、「顕現化した前世人格が、クライアントの身体を借りて対話する」という作業仮説でおこないます。
したがって、クライアントは、まず、前世人格の喜怒哀楽の感情を共体験します。
ビジョンは、それにともなって体験することになります。
感情のみの共体験で終わる場合もあります。
療法としての治癒効果は、ビジョンより感情のほうが有益ですから、それで問題はないと思っています。
筆者の対話相手はクライアントではなく、意識体として当時のままの感情で生きている、身体をもたない、前世人格という死者なのです。
死者である前世人格は、身体を失ってすでに長い時間を経ている存在です。
そこで、何人かの前世人格に、なぜ話すことができないのかその理由を指で回答してもらうことを試みたところ、「声帯の使い方を忘れているからどうしても声に出すことができない」という回答でした。
指やうなづくという単純な動作なら、現世の身体を借りてその動作で回答することが可能であるということでした。
一理あるとは思いますが、さらに探究する必要があると思っています。
ここで注目すべきは、SAM前世療法においては、クライアントは前世人格の霊媒的な役割を担うということです。
筆者は、クライアントの意識の中に憑依的に顕現化した死者である前世人格と、声帯にしろ指にしろクライアントの身体を借用して自己表現をする前世人格と対話するという形をとっているのです。
つまり、クライアントは、自分の身体を自分の魂の表層に存在する前世人格に貸している霊媒的役割を担うことになっているということです。つまり、前世人格は、現世の肉体に憑依している、と考えられます。
この現象を、筆者は「自己内憑依」と名付けています。
前世人格は、現世の身体を媒介にして、現在進行形で私と対話をしている、これがSAM前世療法の構図になっているということです。
そしてまた、このような作業仮説に基づく前世療法は、SAM前世療法以外にありません。
そして、このような信じがたい構図は、「ラタラジューの事例」によって証明されたと思っています。
里沙さんの前世人格ラタラジューは、セッション中にネパール語話者カルパナさんと次のような現在進行形でのやりとりをしています。
里沙 Tapai Nepali huncha?
(あなたはネパール人ですか?)
カルパナ ho, ma Nepali.
(はい、私はネパール人です)
里沙 O. ma Nepali.
(ああ、私もネパール人です)
つまり、前世人格ラタラジューは、今、ここにいる、ネパール人カルパナさんに対して、「あなたはネパール人ですか?」と、明らかに、今、ここで、問いかけ、その回答を確かめているわけで、「里沙さんが潜在意識に潜んでいる前世の記憶を想起している」という解釈が成り立たないことを示しています。
ラタラジュー は、現世の里沙さんの身体(声帯)を借りて(自己内憑依して)、自己表現している存在です。
里沙さんは、カルパナさんとラタラジューのネパール語会話の媒介役として、つまり霊媒的役割としてラタラジューに身体を貸している、とそういうことにほかなりません。
それは、このラタラジューのセッション後に記録されている以下の体験談からも垣間見ることができるでしょう。
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セッション中とその後の私の心情を述べたいと思います。こうした事例は誰にでも出現することではなく、非常に珍しいことだということでしたので、実体験した私が、現世と前世の意識の複雑な情報交換の様子を細かく書き残すのが、被験者としての義務だと考えるからです。
思い出すのも辛い前世のラタラジューの行為などがあり、そのフラッシュバックにも悩まされましたが、こうしたことが生まれ変わりを実証でき、少しでも人のお役に立てるなら、すべて隠すことなく、書くべきだとも考えています。
ラタラジューの前に、守護霊と稲垣先生との会話があったようですが、そのことは記憶にありません。ラタラジューが出現するときは、いきなり気がついたらラタラジューになっていた感じで、現世の私の体をラタラジューに貸している感覚でした。タエのときと同じように、瞬時にラタラジューの七八年間の生涯を現世の私が知り、ネパール人ラタラジューの言葉を理解しました。
はじめに稲垣先生とラタラジューが日本語で会話しました。なぜネパール人が日本語で話が出来たかというと、現世の私の意識が通訳の役をしていたからではないかと思います。でも、全く私の意志や気持ちは出て来ず、現世の私は通訳の機器のような存在でした。悲しいことに、ラタラジューの人殺しに対しても、反論することもできず、考え方の違和感と憤りを現世の私が抱えたまま、ラタダジューの言葉を伝えていました。
カルパナさんがネパール語で話していることは、現世の私も理解していましたが、どんな内容の話か詳しくは分かりませんでした。ただ、ラタラジューの心は伝わって来ました。ネパール人と話ができてうれしいという感情や、おそらく質問内容の場面だと思える景色が浮かんできました。現世の私の意識は、ラタラジューに対して私の体を使ってあなたの言いたいことを何でも伝えなさいと呼びかけていました。
そして、ネパール語でラタラジューが答えている感覚はありましたが、何を答えていたかははっきり覚えていません。ただこのときも、答えの場面、たとえば、ラタラジューの戦争で人を殺している感覚や痛みを感じていました。
セッション中、ラタラジューの五感を通して周りの景色を見、におい、痛さを感じました。セッション中の前世の意識や経験が、あたかも現世の私が実体験しているかのように思わせるということを理解しておりますので、ラタラジューの五感を通してというのは私の誤解であることも分かっていますが、それほどまでにラタラジューと一体化、同一性のある感じがありました。ただし、過去世と現世の私は、ものの考え方、生き方が全く別の時代、人生を歩んでいますので、人格が違っていることも自覚していました。 ラタラジューが呼び出されたことにより、前世のラタラジューがネパール語を話し、その時代に生きたラタラジュー自身の体験を、体を貸している私が代理で伝えたというだけで、現世の私の感情は、はさむ余地もありませんでした。こういう現世の私の意識がはっきりあり、片方でラタラジューの意識もはっきり分かるという二重の意識感覚は、タエのときにはあまりはっきりとは感じなかったものでした。
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「ラタラジューが呼び出されたことにより、前世のラタラジューがネパール語を話し、その時代に生きたラタラジュー自身の体験を、体を貸している私が代理で伝えたというだけで、現世の私の感情は、はさむ余地もありませんでした」
という里沙さんの述懐は、彼女がラタラジューに「体を貸している」霊媒的役割を果たしたことを如実に語っていると思います。
イアン・スティーブンソンは、退行催眠中に現れた信頼できる応答型真性異言を2例あげています。
「ラタラジューの事例」を含めると、世界でこれまでたった3例の応答型真性異言しか発見されていません。ともにアメリカ人の女性2名に現れた「イェンセンの事例(スウェーデン語)」と「グレートヒェンの事例(ドイツ語)」です。
ちなみに、スティーヴンソンも、私と同様、顕現化した前世人格を「トランス人格」と呼んで、真性異言の話者を、クライアントとは別の人格が現れていると考えています。つまり、クライアントが前世の記憶として真性異言を語ったとは考えていません。
生まれ変わりが普遍的事実であるならば、なぜもっと多くのクライアントが応答型真性異言を話せないのか、これは、ほんとうに大きな前世療法の謎です。 多くのクライアントは、日本人以外の前世人格が顕現化する事例を示すからです。
この謎について、里沙さんの守護霊に尋ねたところ、「非常にすぐれた霊媒体質を備えている者だけが、異言を話すことができる」という回答でした。
同様に、霊媒体質を備えたクライアントに顕現化した(自己内憑依した)前世人格が、口頭で答えることができる、と理解してよいように思われます。
わたしは臨床催眠実践者です。登録商標を取得した「SAM前世療法」の実践によって、魂状態の自覚とともに前世人格の顕現化などが「意識現象の事実」として確認できます。それらの意識現象について、生まれ変わりの先行研究と科学的方法論に基づく検証結果についての考察を公開していきます。「意識現象の事実」の真偽について、「観念より事実」、「理屈より実証」をコンセプトに検証と考察を深める実践を続けています。なお、このブログは、諸宗教との関わりは一切ありません。
2012年7月25日水曜日
2012年7月8日日曜日
7/16代々木公園原発再稼働反対集会に出かけます
私はヒマ人しかやらないであろう生まれ変わりの研究をしているのですが、現世の社会問題から逃避しているというわけでもありません。
私は、全共闘世代です。団塊の世代です。学生運動には参加してはいますが特定のセクトに所属したことはありません。
しかし、時の政府や官僚、大企業・大マスコミの欺瞞については常に警戒心を持ち続けてきました。
私の生まれ変わりの実証的探究は、迂遠な方法ではありますが、多くの人々が生まれ変わりの事実を認めることによって、死生観、ひいては来世にわたるであろう社会問題を、当事者性をもって考える契機になると思っています。
その結果、私の理想とする「簡素で、自給的で、喜びを中心とする生活」を末永く持続できるような日本を多くの人々が志していただけるものと考えています。
これが、私の生まれ変わりの実証的探究に取り組む基本的姿勢です。
今回は、原発関連の時事問題について触れてみます。
広瀬隆ブログ「日々雑感」【映像】7月4日広瀬隆 講演会 in文京区民センター
上記のブログを検索して、広瀬隆講演会の映像をご覧になれる方は、2時間を覚悟してご覧ください。
私自身は、広瀬氏の攻撃的言動に多少の違和感をもっていますが、彼の事実(具体的データ)をもとにした論理展開には共感を感じています。彼のこの講演内容は、私がこれまで折に触れて述べてきた推論とほぼ一致しています。その推論を再掲しておきます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
一般国民より、政府・関電は、電力需給について圧倒的情報量を持っています。
われわれには、この夏、原発稼働なしでの電力需給のほんとうの実態は、知りようがないのです。
再稼働しないと計画停電がある、などの脅しに屈するしかありません。
今回の国会事故調報告をまともに評価すれば、大飯原発は再稼働しても、その間M8クラスの大地震がこないことを前提に、夏場限定稼働が、正常な感覚の持ち主のぎりぎりの譲歩だろうと思います。
独占企業関電は、安全より経営コストを最優先にするに決まっていますから、夏過ぎても止めるはずがありません。
そして、大株主である銀行・保険会社やら大企業が、株式の配当を求めて、再稼働の後押しをしています。また、火力に頼る電力料金の値上がりによって、利益が目減りする経団連など経済界全体の趨勢も再稼働を容認するに決まっています。
こうなったら、ほんとうに若狭湾の原発事故によって琵琶湖が汚染され、京都・大阪市民がこぞって抜き差しならない飲料水不足にでもならなければ、原発は止めないでしょう。
そういう事故が起き、故郷に住めなくなった事態になっても、原発交付金や雇用のために、要するにカネのために、再稼働を容認した地元の大飯町や福井県に同情することはありません。
福島の二の舞を覚悟で、カネを優先した判断の当然の報いだと思うからです。
そして、地震予知学がまったく無力であることは、福島で証明済みなのです。
若狭湾周辺が震源にならない大地震が起きないことを「祈って」、薄氷の上の日常生活を送るよりしかたがありません。
原発稼働をしなければ、日本経済は大打撃に陥ることは明白です。
原発一基3000億の電力会社の資産がゼロになるうえに、途方もない廃炉費用がのしかかってきます。
電力会社の収益が下がれば大株主への配当がなくなります。
さらに、電力会社が経営破綻に陥れば、電力会社に多額の融資と株を保有している銀行が経営破綻に追い込まれるかもしれません。
それ以外にも、原発稼働によって利益を得ている、社会の隅々にまで広がっている既得権益集団すべてが大打撃を受け、日本経済全体が危機的状況になるでしょう。
こうして、日本経済の現状維持のためには、原発稼働を続けなければ立ちゆかない仕組みになっていると思われます。
野田ポチ総理が、「国民生活を守るために」という言動をするウラに潜む真意は、こうしたがんじがらめの日本の経済事情への危機感にあるのではないでしょうか。
つぶれるべき東電をつぶさないのもその一環です。「日本経済の現状維持のために」が真意であり、「国民生活を守るために」は詭弁だろうと思います。
3月17日『中日新聞岐阜県版』に、以下の記事が掲載されていました。
(前略)有志が福井県美浜町の関西電力美浜原発近くの海岸から風船千個を飛ばした。当日は北北西の風が吹き、最大風速は6メートル。2時間後の午後0時40分に岐阜県可児市今渡に到達。(中略)
岐阜、愛知両県では1年の半分近くが北西の風が吹き、福井県の風下になる。(後略)
上記の「可児市今渡」とは、まさに私の住所です。濃尾平野の北東端になります。
ちなみに、可児市では3個、北隣りの美濃加茂市に5個、西隣りの各務ヶ原市に5個、岐阜市に16個など、岐阜県内で60個の風船が発見されたということです。
濃尾平野は、晩秋から早春にかけて濃尾平野の北西端に位置する伊吹山方向から伊勢湾に向かって北西の強い季節風が吹き込みます。これを「伊吹おろし」と呼びますが、この強風の影響で中部国際空港の離発着がストップしたことがあるくらいです。
バイク好きの私も、冬の伊勢湾岸道の吊り橋を渡ることは敬遠しています。
強風に煽られて転倒することに怯えたことがあるからです。
若狭湾ー琵琶湖ー米原ー関が原ー濃尾平野ー伊勢湾へと雪雲が流れてくるルートなっているのは、濃尾平野の住人にとっては常識ですが、この常識に則れば若狭湾の関電原発に重大事故があれば、放射性物質の塵が同様のルートで濃尾平野まで到達することは、容易に予想できることでした。
しかし、風速6メートルで約100km離れた可児市まで2時間で到達した風船飛来実験の結果は衝撃が強すぎました。これでは避難する時間があまりに短かすぎます。
さらに衝撃的であるのは、福井原発から50km、風の道筋にある琵琶湖までは1時間足らずで放射性物質の塵が到達する事実です。事故収束まで琵琶湖は汚染され続けるわけで、琵琶湖疎水に頼っている京都・大阪の水道水は、まず飲めなくなるということです。
機械である原発は必ず故障します。原発という機械を扱う人間は、必ず過ちを犯します。加えて大地震と大津波がいつ襲うのか分かりません。
私たちの安穏で便利な生活は、実に薄氷の上に成り立っていることを実感しました。
私は、この際、日本の全原発がすべて稼働停止のままで、個人生活や企業活動が今年の夏を乗り切れるかどうかのきわどい実験をやってみるべきだと思います。
ウラン原料は先細り、放射性廃棄物は処理の目途なし、高速増殖炉の開発の目途なし、事故が起きたらどうなるかは福島原発で実証済み、誰が考えても、原発に頼らない生活に勝ることはないのですから。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
というわけで、評論家のように机上で怒ってみてもらちが明かない自分に、腹立たしさを感じ続けていました。現実問題として、大飯原発は動いてしまったのですから。
ヒマ人だからといって生まれ変わりの研究だけをやっているわけにはいかんでしょう。
そして、ヒマ人だから、7月16日の代々木公園でおこなわれる原発再稼働反対集会にいくことにしました。野次馬。
そして、若狭湾原発事故で、故郷の濃尾平野に住めなくなって、孫たちから、ジイちゃんはそれを防ぐための行動を何かしたか、と問われたとき、ちょびっとでも言い訳をするために。
さらに、私が再び日本人に生まれ替わったときに、美しい国土であってほしいがために。
すでに、7月16日の可児6:45発の新宿行きの高速バスの予約切符を買いました。
おそらく、20万人近くが集まるものと予想できます。
政府・電力会社と利害関係のあるほとんどのマスメディアは、おそらくこの模様を正しく報道しないでしょうから、この目で集会の事実を確かめたいと思います。
私は、全共闘世代です。団塊の世代です。学生運動には参加してはいますが特定のセクトに所属したことはありません。
しかし、時の政府や官僚、大企業・大マスコミの欺瞞については常に警戒心を持ち続けてきました。
私の生まれ変わりの実証的探究は、迂遠な方法ではありますが、多くの人々が生まれ変わりの事実を認めることによって、死生観、ひいては来世にわたるであろう社会問題を、当事者性をもって考える契機になると思っています。
その結果、私の理想とする「簡素で、自給的で、喜びを中心とする生活」を末永く持続できるような日本を多くの人々が志していただけるものと考えています。
これが、私の生まれ変わりの実証的探究に取り組む基本的姿勢です。
今回は、原発関連の時事問題について触れてみます。
広瀬隆ブログ「日々雑感」【映像】7月4日広瀬隆 講演会 in文京区民センター
上記のブログを検索して、広瀬隆講演会の映像をご覧になれる方は、2時間を覚悟してご覧ください。
私自身は、広瀬氏の攻撃的言動に多少の違和感をもっていますが、彼の事実(具体的データ)をもとにした論理展開には共感を感じています。彼のこの講演内容は、私がこれまで折に触れて述べてきた推論とほぼ一致しています。その推論を再掲しておきます。
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一般国民より、政府・関電は、電力需給について圧倒的情報量を持っています。
われわれには、この夏、原発稼働なしでの電力需給のほんとうの実態は、知りようがないのです。
再稼働しないと計画停電がある、などの脅しに屈するしかありません。
今回の国会事故調報告をまともに評価すれば、大飯原発は再稼働しても、その間M8クラスの大地震がこないことを前提に、夏場限定稼働が、正常な感覚の持ち主のぎりぎりの譲歩だろうと思います。
独占企業関電は、安全より経営コストを最優先にするに決まっていますから、夏過ぎても止めるはずがありません。
そして、大株主である銀行・保険会社やら大企業が、株式の配当を求めて、再稼働の後押しをしています。また、火力に頼る電力料金の値上がりによって、利益が目減りする経団連など経済界全体の趨勢も再稼働を容認するに決まっています。
こうなったら、ほんとうに若狭湾の原発事故によって琵琶湖が汚染され、京都・大阪市民がこぞって抜き差しならない飲料水不足にでもならなければ、原発は止めないでしょう。
そういう事故が起き、故郷に住めなくなった事態になっても、原発交付金や雇用のために、要するにカネのために、再稼働を容認した地元の大飯町や福井県に同情することはありません。
福島の二の舞を覚悟で、カネを優先した判断の当然の報いだと思うからです。
そして、地震予知学がまったく無力であることは、福島で証明済みなのです。
若狭湾周辺が震源にならない大地震が起きないことを「祈って」、薄氷の上の日常生活を送るよりしかたがありません。
原発稼働をしなければ、日本経済は大打撃に陥ることは明白です。
原発一基3000億の電力会社の資産がゼロになるうえに、途方もない廃炉費用がのしかかってきます。
電力会社の収益が下がれば大株主への配当がなくなります。
さらに、電力会社が経営破綻に陥れば、電力会社に多額の融資と株を保有している銀行が経営破綻に追い込まれるかもしれません。
それ以外にも、原発稼働によって利益を得ている、社会の隅々にまで広がっている既得権益集団すべてが大打撃を受け、日本経済全体が危機的状況になるでしょう。
こうして、日本経済の現状維持のためには、原発稼働を続けなければ立ちゆかない仕組みになっていると思われます。
野田ポチ総理が、「国民生活を守るために」という言動をするウラに潜む真意は、こうしたがんじがらめの日本の経済事情への危機感にあるのではないでしょうか。
つぶれるべき東電をつぶさないのもその一環です。「日本経済の現状維持のために」が真意であり、「国民生活を守るために」は詭弁だろうと思います。
3月17日『中日新聞岐阜県版』に、以下の記事が掲載されていました。
(前略)有志が福井県美浜町の関西電力美浜原発近くの海岸から風船千個を飛ばした。当日は北北西の風が吹き、最大風速は6メートル。2時間後の午後0時40分に岐阜県可児市今渡に到達。(中略)
岐阜、愛知両県では1年の半分近くが北西の風が吹き、福井県の風下になる。(後略)
上記の「可児市今渡」とは、まさに私の住所です。濃尾平野の北東端になります。
ちなみに、可児市では3個、北隣りの美濃加茂市に5個、西隣りの各務ヶ原市に5個、岐阜市に16個など、岐阜県内で60個の風船が発見されたということです。
濃尾平野は、晩秋から早春にかけて濃尾平野の北西端に位置する伊吹山方向から伊勢湾に向かって北西の強い季節風が吹き込みます。これを「伊吹おろし」と呼びますが、この強風の影響で中部国際空港の離発着がストップしたことがあるくらいです。
バイク好きの私も、冬の伊勢湾岸道の吊り橋を渡ることは敬遠しています。
強風に煽られて転倒することに怯えたことがあるからです。
若狭湾ー琵琶湖ー米原ー関が原ー濃尾平野ー伊勢湾へと雪雲が流れてくるルートなっているのは、濃尾平野の住人にとっては常識ですが、この常識に則れば若狭湾の関電原発に重大事故があれば、放射性物質の塵が同様のルートで濃尾平野まで到達することは、容易に予想できることでした。
しかし、風速6メートルで約100km離れた可児市まで2時間で到達した風船飛来実験の結果は衝撃が強すぎました。これでは避難する時間があまりに短かすぎます。
さらに衝撃的であるのは、福井原発から50km、風の道筋にある琵琶湖までは1時間足らずで放射性物質の塵が到達する事実です。事故収束まで琵琶湖は汚染され続けるわけで、琵琶湖疎水に頼っている京都・大阪の水道水は、まず飲めなくなるということです。
機械である原発は必ず故障します。原発という機械を扱う人間は、必ず過ちを犯します。加えて大地震と大津波がいつ襲うのか分かりません。
私たちの安穏で便利な生活は、実に薄氷の上に成り立っていることを実感しました。
私は、この際、日本の全原発がすべて稼働停止のままで、個人生活や企業活動が今年の夏を乗り切れるかどうかのきわどい実験をやってみるべきだと思います。
ウラン原料は先細り、放射性廃棄物は処理の目途なし、高速増殖炉の開発の目途なし、事故が起きたらどうなるかは福島原発で実証済み、誰が考えても、原発に頼らない生活に勝ることはないのですから。
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というわけで、評論家のように机上で怒ってみてもらちが明かない自分に、腹立たしさを感じ続けていました。現実問題として、大飯原発は動いてしまったのですから。
ヒマ人だからといって生まれ変わりの研究だけをやっているわけにはいかんでしょう。
そして、ヒマ人だから、7月16日の代々木公園でおこなわれる原発再稼働反対集会にいくことにしました。野次馬。
そして、若狭湾原発事故で、故郷の濃尾平野に住めなくなって、孫たちから、ジイちゃんはそれを防ぐための行動を何かしたか、と問われたとき、ちょびっとでも言い訳をするために。
さらに、私が再び日本人に生まれ替わったときに、美しい国土であってほしいがために。
すでに、7月16日の可児6:45発の新宿行きの高速バスの予約切符を買いました。
おそらく、20万人近くが集まるものと予想できます。
政府・電力会社と利害関係のあるほとんどのマスメディアは、おそらくこの模様を正しく報道しないでしょうから、この目で集会の事実を確かめたいと思います。
2012年7月6日金曜日
通訳を介してのSAM前世療法
日本在住ブラジル人の30代男性クライアントについてのセッションです。
このクライアントは、日本語の理解が片言レベルで、SAM前世療法の暗示の言葉の理解はまずできないということでした。そこで、私の催眠誘導暗示をポルトガル語に翻訳してくださる方を同席してのセッションとなりました。
私がこのセッションについて、大きな関心をもって臨んだ理由は次の点にあります。
①通訳を介してSAM前世療法が成功するとすれば、それは私が発する日本語そのものに霊力のようなものが働いていないことの証明になる。つまり、私以外の誰であっても、一定のSAM前世療法の暗示手続きを踏めば成功することの証明になる。つまり、世界に通用する科学的な療法として成立する。そのことは、諸外国人が自国でも適用できる療法であることの証明になる。
②顕現化した前世人格(霊的存在)との対話において、クライアントの用いるポルトガル語しか理解できないのか、私の日本語も理解できるのかを確認したい。
結論として、①は成功しました。
クライアントの主訴は、人間関係を親密にしようとすると何かがそれを阻み、一歩踏み出せない深い人間不信のようなものの原因を知りたい、ということでした。
魂の自覚状態で顕現化した前世人格は、16世紀フランスの男性霊能者でした。
神託を受ける能力があり、それを権力者が民衆支配の道具に利用したようです。
権力者の都合のよい偽の神託を伝えているうちに、それを民衆が悟り、悪霊憑きとして最後はリンチによって生き埋めにされて殺された霊能者でした。
しかも、神託を信じた民衆から尊敬を受けていたにも関わらず、そうした民衆の手の平を返すような仕打ちとして、リンチを受け生き埋めにされたということでした。
この前世人格が、人間不信の念を抱いて命を落としていたわけです。この前世人格の訴えの影響から、現世のクライアントは、根底にある人間不信の感情を免れることができなかったのでしょう。
この前世人格が、魂の表層で他の前世人格たちと友愛を結べず、孤立していたことを確認しました。
②についての結論は、前世人格には、ポルトガル語しか理解できないということでした。
霊的存在であっても、自分の依拠する現世のクライアントの用いる言語しか理解できないということです。
魂の表層に存在する前世人格どうしの間には言葉の壁がないようで、テレパシーによってコミュニケーションがとれることは、これまでのセッションから確認しています。
私は魂表層の前世人格ではありませんから、現世で肉体を器にしている私の言語は理解できず、現世のクライアントの用いている言語でしか理解できないのだろうと思われます。
当然のことながら、フランス人である前世人格が、フランス語で話すこともありませんでした。
このクライアントは、日本語の理解が片言レベルで、SAM前世療法の暗示の言葉の理解はまずできないということでした。そこで、私の催眠誘導暗示をポルトガル語に翻訳してくださる方を同席してのセッションとなりました。
私がこのセッションについて、大きな関心をもって臨んだ理由は次の点にあります。
①通訳を介してSAM前世療法が成功するとすれば、それは私が発する日本語そのものに霊力のようなものが働いていないことの証明になる。つまり、私以外の誰であっても、一定のSAM前世療法の暗示手続きを踏めば成功することの証明になる。つまり、世界に通用する科学的な療法として成立する。そのことは、諸外国人が自国でも適用できる療法であることの証明になる。
②顕現化した前世人格(霊的存在)との対話において、クライアントの用いるポルトガル語しか理解できないのか、私の日本語も理解できるのかを確認したい。
結論として、①は成功しました。
クライアントの主訴は、人間関係を親密にしようとすると何かがそれを阻み、一歩踏み出せない深い人間不信のようなものの原因を知りたい、ということでした。
魂の自覚状態で顕現化した前世人格は、16世紀フランスの男性霊能者でした。
神託を受ける能力があり、それを権力者が民衆支配の道具に利用したようです。
権力者の都合のよい偽の神託を伝えているうちに、それを民衆が悟り、悪霊憑きとして最後はリンチによって生き埋めにされて殺された霊能者でした。
しかも、神託を信じた民衆から尊敬を受けていたにも関わらず、そうした民衆の手の平を返すような仕打ちとして、リンチを受け生き埋めにされたということでした。
この前世人格が、人間不信の念を抱いて命を落としていたわけです。この前世人格の訴えの影響から、現世のクライアントは、根底にある人間不信の感情を免れることができなかったのでしょう。
この前世人格が、魂の表層で他の前世人格たちと友愛を結べず、孤立していたことを確認しました。
②についての結論は、前世人格には、ポルトガル語しか理解できないということでした。
霊的存在であっても、自分の依拠する現世のクライアントの用いる言語しか理解できないということです。
魂の表層に存在する前世人格どうしの間には言葉の壁がないようで、テレパシーによってコミュニケーションがとれることは、これまでのセッションから確認しています。
私は魂表層の前世人格ではありませんから、現世で肉体を器にしている私の言語は理解できず、現世のクライアントの用いている言語でしか理解できないのだろうと思われます。
当然のことながら、フランス人である前世人格が、フランス語で話すこともありませんでした。
2012年7月2日月曜日
SAM催眠学とスティーヴンソンの生まれ変わりについての見解
スティーヴンソンの生まれ変わりについての見解
私の研究の方法論は、イアン・スティーヴンソンの諸著作から学んだことを手本としています。
彼は、自らの手で集めている生まれ変わりを示す証拠が、自ら事実を物語るはずだ、と次のように繰り返し述べています。
私の見解は重要ではない。私は自分の役割は、できる限り明確に証拠を提示することにあると考えている。読者諸賢は、そうした証拠をー厳密に検討されたうえで自分なりの結論に到達する必要があるのである。
(イアン・スティーヴンソン『「生まれ変わりの刻印』春秋社、1998、P198)
また、生まれ変わりという考え方は、最後に受け入れるべき解釈なので、これに替わりうる説明がすべて棄却できた後に、初めて採用すべきである、という慎重な研究方法を一貫して採用しています。
拙著、『前世療法の探究』、『生まれ変わりが科学的に証明された!』のタエ・ラタラジューの両事例の諸検証は、スティーヴンソンの検証方法を忠実に守っておこなったつもりです。
私が死の恐怖について、きわめて臆病な人間であったことはこのブログに書きました。
そして、死の恐怖から免れるために、宗教に救いを求めることは、生来の気質からできなかったことも正直に述べました。
こうした私だからこそ、イアン・スティーヴンソンの生まれ変わりの科学としての研究に強く惹かれるものを感じてきました。
彼こそ、生まれ変わりという宗教的概念を、宗教的なものから科学的探究の対象へと位置づけることに成功した先駆的科学者であると評価できると思うからです。
そこで、ここでは、彼の生まれ変わりについての見解がもっとも濃厚に述べられている『前世を記憶する子どもたち』日本共文社、1989から、その見解を紹介し、SAM催眠学の魂二層構造仮説と比較してみたいと思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
生まれ変わったと推定される者では、先述のイメージ記憶、行動的記憶、身体的痕跡という三通りの要素が不思議にも結びついており、前世と現世の間でもそれが一体になっていなかったとは、私には想像すらできない。
このことからすると、この要素(ないしその表象)は、ある中間的媒体に従属しているらしいことがわかる。この中間的媒体が持っている他の要素については、おそらくまだ何もわかっていない。
前世から来世へとある人格の心的要素を運搬する媒体を「心搬体(サイコフォア)」と呼ぶことにしたらどうかと思う。私は、心搬体を構成する要素がどのような配列になっているのかは全く知らないけれども、肉体のない人格がある種の経験を積み、活動を停止していないとすれば、心搬体は変化して行くのではないかと思う。(中略)
私は、「前世の人格」という言葉を、ある子どもがその生涯を記憶している人物に対して用いてきたけれども、一つの「人格」がそっくりそのまま生まれ変わるという言い方は避けてきた。そのような形での生まれ変わりが起こりうることを示唆する証拠は存在しないからである。
実際に生まれ変わるかも知れないのは、直前の前世の人格および、それ以前に繰り返された過去世の人格に由来する「個性」なのである。人格は、一人の人間がいずれの時点でも持っている、外部から観察される心理的特性をすべて包含しているのに対して、個性には、そのうえに、現世で積み重ねた経験とそれまでの過去世の残渣が加わる。したがって、私たちの個性には、人格としては決して表出することのないものや、異常な状況以外では人間の意識に昇らないものが数多く含まれているのである。
(前掲書PP.359-360)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
上記のスティーヴンソンの見解と筆者のSAM催眠学の二層構造の見解とを比較してみると、ほぼ整合するところが指摘できます。
彼の言う「中間的媒体」、「心搬体(サイコフォア)」は、SAM催眠学の「魂」と同義です。
おそらくスティーヴンソンはSoulという語にまとわりつく宗教臭を回避したのだと思われます。
このことについて彼は次のように述べています。
私は、この中間媒体を表す用語として(心を運ぶと言う意味を持つ)「心搬体(サイコフォア)」という
言葉を提案した。(私は、生まれ変わり信仰を持つ多くの宗教に、こうした中間媒体を意味する言葉があることを承知している。しかしながら、生まれ変わりに関する私たちの、依然として初歩的な科学的研究を宗教と結びつけるのを避けるため、新しい言葉を作った方がよいと考えたわけである。)
(イアン・スティーヴンソン『「生まれ変わりの刻印』春秋社、1998、P198)
私は、前世から来世へとある人格の心的要素を運搬する媒体を、そのまま従来の「魂」の概念でも不都合はないと思いますし、取り立てて新しい概念でもないのに「心搬体」などの造語を用いることは不要だと思っています。
また、彼の、「心搬体を構成する要素がどのような配列になっているのかは全く知らないけれども、肉体のない人格がある種の経験を積み、活動を停止していないとすれば、心搬体は変化して行くのではないかと思う」という見解は、「魂は二層構造になっており、表層は前世人格たちが構成し、それら前世人格は互いの人生の知恵を分かち合い学び合い、表層全体の集合意識が成長・進化(変化)する仕組みになっている」という仮説を支持するものと言えそうです。
ただし、「心搬体」=「魂」を構成する要素がどのような配列になっているのかは全く知らない、と述べています。
私は、私あて霊信によって、「魂を構成する要素がどのような配列になっているのか」を教えられ、催眠を道具にその真偽の検証によって、魂表層を構成する前世の人格たちを呼び出すことに成功したと思っています。
しかも、「ラタラジューの事例」によって、前世人格ラタラジューは、魂表層で、肉体はなくとも生きて活動していることを実証できたと思っています。
つまり、「魂は二層構造になっており、表層は前世人格たちが構成し、それら前世諸人格は互いの人生の知恵を分かち合い学び合い、表層全体の集合意識が成長・進化する仕組みになっている」というのが、SAM催眠学の見解です。
つまり、「心搬体」=「魂」の表層全体は、変化していくものだということを、顕現化した前世諸人格の語りから確かめています。
さらに、一つの「人格」がそっくりそのまま生まれ変わるという言い方は避けてきた。そのような形での生まれ変わりが起こりうることを示唆する証拠は存在しない、というスティーヴンソンの見解は、そっくりSAM催眠学の見解と同様です。
現世の私という人格が、来世にそのままそっくり生まれ変わるわけではなく、魂表層の一つとして生き続けるのであって、魂が生まれ変わるとは、「表層を含めた一つの魂全体」だというのが、SAM催眠学の示す生まれ変わりの実相だと言えます。
また、「実際に生まれ変わるかも知れないのは、直前の前世の人格および、それ以前に繰り返された過去世の人格に由来する「個性」なのである。個性には、そのうえに、現世で積み重ねた経験とそれまでの過去世の残渣が加わる」というスティーヴンソンの考え方も、SAM催眠学の見解にほぼ一致します。
現世の個性は、魂表層の前世人格たちから人生の知恵を分かち与えられており、このようにして繰り返された前世の諸人格に由来する「個性」と、現世での諸経験とによって、形成されているに違いないのです。
さて、私が、故スティーヴンソンに求めたのは、前世の記憶を語る子どもたちの「記憶」の所在についての考究でした。
彼が、「前世の記憶」が脳にだけあるとは考えていないことは、「心搬体」という死後存続する「媒体」を想定していたことに照らせば、間違いありません。
私の期待したのは、その「心搬体」と「脳」との関係についてのスティーヴンソンの考究です。
前世の記憶を語る子どもたちは、その前世記憶の情報を、心搬体から得て話したのか、脳から得て話したのか、いずれなのでしょうか。
私の大胆な仮説を述べてみますと、すべての事例がそうではないにしても、子どもの魂表層に存在する前世人格が、顕現化(自己内憑依)し、子どもの口を通して、前世人格みずからが自分の人生を語った可能性があるのではなかろうか、ということになります。
それは、その前世を語った子どもの12事例のうち、8つの事例で、次のように話し始めた(ふるまった)とスティーヴンソンが紹介しているからです。
①ゴールパールは、「そんなものは持たない。ぼくはシャルマだ」と答え、周囲を仰天させた。(前掲書94)
②コーリスが1歳1ヶ月になったばかりの頃、母親が名前を復唱させようとしたところ、コーリスは腹立たしげに、「ぼくが誰か知ってるよね。カーコディだよ」と言った。(前掲書P98)
③日本に帰りたいという願望をよく口にし、ホームシックから膝を抱いてめそめそ泣くこともあった。また、自分の前で英米人の話が出ると、英米人に対する怒りの気持ちを露わにした。(前掲書P101)
④シャムリニーは、その町に住んでいた時代の両親の名前を挙げ、ガルトウダワのお母さんのことをよく話した。また、姉妹のことやふたりの同級生のことも語っている。(前掲書P104)
⑤ボンクチはチャムラットを殺害した犯人は許せないという態度を示し、機会があると復讐してやる、と何年か言い続けた。(前掲書P116)
⑥おまえの名前は「サムエル」だと教えようとしても、サムエルはほとんど従おうとしなかった。「ぼくはペルティだ」と言ってきかなかったのである。(前掲書P121)
⑦前世の話をもっとも頻繁にしていた頃のロバータは、時折前世の両親や自宅の記憶を全面的に残している子どもが養女にきているみたいにふるまった。(前掲書P126)
⑧3歳の頃マイクルは、全く知らないはずの人たちや出来事を知っているらしい兆候を見せ始めた。そしてある日、「キャロル・ミラー」という名前を口にして、母親を驚かせたのである。(前掲書P141)
以上のような事例の事実は、「子どもが前世の記憶を話した」というよりは、「前世人格が現れて人生の出来事を話した」と、現象学的にありのままに受け取ることのほうが、自然だと私には思われるのです。
スティーヴンソンは、応答型真性異言の「グレートフェン」の事例において、グレートフェンを顕現化した「トランス人格(前世人格)」として解釈しています。
前世を語った子どもにおいても、前世人格の顕現化の可能性をなぜ検討しなかったのか、私には不満が残ります。
子どもが語ったのは「前世の記憶」だという思い込みがあるように思われてなりません。
子どもが語ったのは「前世の記憶」の所在はいったいどこにあるのでしょうか?
とりわけ、上記③⑤⑦などのような、「態度」や「ふるまい」があらわれる事例は、魂表層に存在する「前世人格の顕現化」として受け取るのが自然だろうと思います。
スティーヴンソンが存命しているなら、是非尋ねてみたいものです。
私の研究の方法論は、イアン・スティーヴンソンの諸著作から学んだことを手本としています。
彼は、自らの手で集めている生まれ変わりを示す証拠が、自ら事実を物語るはずだ、と次のように繰り返し述べています。
私の見解は重要ではない。私は自分の役割は、できる限り明確に証拠を提示することにあると考えている。読者諸賢は、そうした証拠をー厳密に検討されたうえで自分なりの結論に到達する必要があるのである。
(イアン・スティーヴンソン『「生まれ変わりの刻印』春秋社、1998、P198)
また、生まれ変わりという考え方は、最後に受け入れるべき解釈なので、これに替わりうる説明がすべて棄却できた後に、初めて採用すべきである、という慎重な研究方法を一貫して採用しています。
拙著、『前世療法の探究』、『生まれ変わりが科学的に証明された!』のタエ・ラタラジューの両事例の諸検証は、スティーヴンソンの検証方法を忠実に守っておこなったつもりです。
私が死の恐怖について、きわめて臆病な人間であったことはこのブログに書きました。
そして、死の恐怖から免れるために、宗教に救いを求めることは、生来の気質からできなかったことも正直に述べました。
こうした私だからこそ、イアン・スティーヴンソンの生まれ変わりの科学としての研究に強く惹かれるものを感じてきました。
彼こそ、生まれ変わりという宗教的概念を、宗教的なものから科学的探究の対象へと位置づけることに成功した先駆的科学者であると評価できると思うからです。
そこで、ここでは、彼の生まれ変わりについての見解がもっとも濃厚に述べられている『前世を記憶する子どもたち』日本共文社、1989から、その見解を紹介し、SAM催眠学の魂二層構造仮説と比較してみたいと思います。
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生まれ変わったと推定される者では、先述のイメージ記憶、行動的記憶、身体的痕跡という三通りの要素が不思議にも結びついており、前世と現世の間でもそれが一体になっていなかったとは、私には想像すらできない。
このことからすると、この要素(ないしその表象)は、ある中間的媒体に従属しているらしいことがわかる。この中間的媒体が持っている他の要素については、おそらくまだ何もわかっていない。
前世から来世へとある人格の心的要素を運搬する媒体を「心搬体(サイコフォア)」と呼ぶことにしたらどうかと思う。私は、心搬体を構成する要素がどのような配列になっているのかは全く知らないけれども、肉体のない人格がある種の経験を積み、活動を停止していないとすれば、心搬体は変化して行くのではないかと思う。(中略)
私は、「前世の人格」という言葉を、ある子どもがその生涯を記憶している人物に対して用いてきたけれども、一つの「人格」がそっくりそのまま生まれ変わるという言い方は避けてきた。そのような形での生まれ変わりが起こりうることを示唆する証拠は存在しないからである。
実際に生まれ変わるかも知れないのは、直前の前世の人格および、それ以前に繰り返された過去世の人格に由来する「個性」なのである。人格は、一人の人間がいずれの時点でも持っている、外部から観察される心理的特性をすべて包含しているのに対して、個性には、そのうえに、現世で積み重ねた経験とそれまでの過去世の残渣が加わる。したがって、私たちの個性には、人格としては決して表出することのないものや、異常な状況以外では人間の意識に昇らないものが数多く含まれているのである。
(前掲書PP.359-360)
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上記のスティーヴンソンの見解と筆者のSAM催眠学の二層構造の見解とを比較してみると、ほぼ整合するところが指摘できます。
彼の言う「中間的媒体」、「心搬体(サイコフォア)」は、SAM催眠学の「魂」と同義です。
おそらくスティーヴンソンはSoulという語にまとわりつく宗教臭を回避したのだと思われます。
このことについて彼は次のように述べています。
私は、この中間媒体を表す用語として(心を運ぶと言う意味を持つ)「心搬体(サイコフォア)」という
言葉を提案した。(私は、生まれ変わり信仰を持つ多くの宗教に、こうした中間媒体を意味する言葉があることを承知している。しかしながら、生まれ変わりに関する私たちの、依然として初歩的な科学的研究を宗教と結びつけるのを避けるため、新しい言葉を作った方がよいと考えたわけである。)
(イアン・スティーヴンソン『「生まれ変わりの刻印』春秋社、1998、P198)
私は、前世から来世へとある人格の心的要素を運搬する媒体を、そのまま従来の「魂」の概念でも不都合はないと思いますし、取り立てて新しい概念でもないのに「心搬体」などの造語を用いることは不要だと思っています。
また、彼の、「心搬体を構成する要素がどのような配列になっているのかは全く知らないけれども、肉体のない人格がある種の経験を積み、活動を停止していないとすれば、心搬体は変化して行くのではないかと思う」という見解は、「魂は二層構造になっており、表層は前世人格たちが構成し、それら前世人格は互いの人生の知恵を分かち合い学び合い、表層全体の集合意識が成長・進化(変化)する仕組みになっている」という仮説を支持するものと言えそうです。
ただし、「心搬体」=「魂」を構成する要素がどのような配列になっているのかは全く知らない、と述べています。
私は、私あて霊信によって、「魂を構成する要素がどのような配列になっているのか」を教えられ、催眠を道具にその真偽の検証によって、魂表層を構成する前世の人格たちを呼び出すことに成功したと思っています。
しかも、「ラタラジューの事例」によって、前世人格ラタラジューは、魂表層で、肉体はなくとも生きて活動していることを実証できたと思っています。
つまり、「魂は二層構造になっており、表層は前世人格たちが構成し、それら前世諸人格は互いの人生の知恵を分かち合い学び合い、表層全体の集合意識が成長・進化する仕組みになっている」というのが、SAM催眠学の見解です。
つまり、「心搬体」=「魂」の表層全体は、変化していくものだということを、顕現化した前世諸人格の語りから確かめています。
さらに、一つの「人格」がそっくりそのまま生まれ変わるという言い方は避けてきた。そのような形での生まれ変わりが起こりうることを示唆する証拠は存在しない、というスティーヴンソンの見解は、そっくりSAM催眠学の見解と同様です。
現世の私という人格が、来世にそのままそっくり生まれ変わるわけではなく、魂表層の一つとして生き続けるのであって、魂が生まれ変わるとは、「表層を含めた一つの魂全体」だというのが、SAM催眠学の示す生まれ変わりの実相だと言えます。
また、「実際に生まれ変わるかも知れないのは、直前の前世の人格および、それ以前に繰り返された過去世の人格に由来する「個性」なのである。個性には、そのうえに、現世で積み重ねた経験とそれまでの過去世の残渣が加わる」というスティーヴンソンの考え方も、SAM催眠学の見解にほぼ一致します。
現世の個性は、魂表層の前世人格たちから人生の知恵を分かち与えられており、このようにして繰り返された前世の諸人格に由来する「個性」と、現世での諸経験とによって、形成されているに違いないのです。
さて、私が、故スティーヴンソンに求めたのは、前世の記憶を語る子どもたちの「記憶」の所在についての考究でした。
彼が、「前世の記憶」が脳にだけあるとは考えていないことは、「心搬体」という死後存続する「媒体」を想定していたことに照らせば、間違いありません。
私の期待したのは、その「心搬体」と「脳」との関係についてのスティーヴンソンの考究です。
前世の記憶を語る子どもたちは、その前世記憶の情報を、心搬体から得て話したのか、脳から得て話したのか、いずれなのでしょうか。
私の大胆な仮説を述べてみますと、すべての事例がそうではないにしても、子どもの魂表層に存在する前世人格が、顕現化(自己内憑依)し、子どもの口を通して、前世人格みずからが自分の人生を語った可能性があるのではなかろうか、ということになります。
それは、その前世を語った子どもの12事例のうち、8つの事例で、次のように話し始めた(ふるまった)とスティーヴンソンが紹介しているからです。
①ゴールパールは、「そんなものは持たない。ぼくはシャルマだ」と答え、周囲を仰天させた。(前掲書94)
②コーリスが1歳1ヶ月になったばかりの頃、母親が名前を復唱させようとしたところ、コーリスは腹立たしげに、「ぼくが誰か知ってるよね。カーコディだよ」と言った。(前掲書P98)
③日本に帰りたいという願望をよく口にし、ホームシックから膝を抱いてめそめそ泣くこともあった。また、自分の前で英米人の話が出ると、英米人に対する怒りの気持ちを露わにした。(前掲書P101)
④シャムリニーは、その町に住んでいた時代の両親の名前を挙げ、ガルトウダワのお母さんのことをよく話した。また、姉妹のことやふたりの同級生のことも語っている。(前掲書P104)
⑤ボンクチはチャムラットを殺害した犯人は許せないという態度を示し、機会があると復讐してやる、と何年か言い続けた。(前掲書P116)
⑥おまえの名前は「サムエル」だと教えようとしても、サムエルはほとんど従おうとしなかった。「ぼくはペルティだ」と言ってきかなかったのである。(前掲書P121)
⑦前世の話をもっとも頻繁にしていた頃のロバータは、時折前世の両親や自宅の記憶を全面的に残している子どもが養女にきているみたいにふるまった。(前掲書P126)
⑧3歳の頃マイクルは、全く知らないはずの人たちや出来事を知っているらしい兆候を見せ始めた。そしてある日、「キャロル・ミラー」という名前を口にして、母親を驚かせたのである。(前掲書P141)
以上のような事例の事実は、「子どもが前世の記憶を話した」というよりは、「前世人格が現れて人生の出来事を話した」と、現象学的にありのままに受け取ることのほうが、自然だと私には思われるのです。
スティーヴンソンは、応答型真性異言の「グレートフェン」の事例において、グレートフェンを顕現化した「トランス人格(前世人格)」として解釈しています。
前世を語った子どもにおいても、前世人格の顕現化の可能性をなぜ検討しなかったのか、私には不満が残ります。
子どもが語ったのは「前世の記憶」だという思い込みがあるように思われてなりません。
子どもが語ったのは「前世の記憶」の所在はいったいどこにあるのでしょうか?
とりわけ、上記③⑤⑦などのような、「態度」や「ふるまい」があらわれる事例は、魂表層に存在する「前世人格の顕現化」として受け取るのが自然だろうと思います。
スティーヴンソンが存命しているなら、是非尋ねてみたいものです。
2012年6月29日金曜日
「地球(の意識)」を名乗るものとの対話
この途方もないタイトルは、昨日のセッションで魂状態の自覚まで催眠遡行した、40代女性クライアントに憑依現象として起こった「意識現象の事実」です。
このセッション報告の前に、2007年1月に受信した私あて霊信で、「地球の意識」および、それへのヒーリングについて告げている個所を抜き出して紹介します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
地球は創られた者である。ここで、この表現を用いるのは、地球も生命の一つであるからだ。あなた方の世界では、この事実を理解するには多くの年月を要する。(第7霊信)
あなたは、あなたの想像力、イマジネーションを用いて、あなたの「地球との接触」をおこなうことができる。あなたがヒーリングをおこなうように、地球に対して接触をしなさい。(第7霊信)
ヒーリングしようと考えおこなうのではなく、まず「地球の意識の一部へと接触する」ことを試みなさい。手の平で包める程度の地球をイメージし、それを手の平から感じようとしなさい。まず、地球の意識を感じようとするのだ。感じ、それを愛をこめヒーリングするのだ。感じるという段階をクリアしなければ、地球に対してはヒーリングはおこなえないものとする。人へのヒーリングと要領は同じであるが、その対象が人ではないために接触が人の場合よりも、つながりにくいものとなる。(第12霊信)
※第7霊信はエドガーケイシーを名乗る霊、第12霊信は稲垣の祖父の守護霊と繋がりをもつ霊を名乗るものからの通信です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
第7・12霊信で、上記のことを筆者に告げてきましたが、当初、俄には信じ難い内容で、まともに取り合う気持ちは起きませんでした。とりわけ、地球は創られた「者」であり、地球には意識が宿っているということには同意出来ませんでした。ガイアという思想は知ってはいましたが、地球が生命体としての意識を宿している、となるとウウムと思わざるを得ないということです。
ただ、2006年8月、筆者のヒーリング能力らしきものが覚醒し、そのヒーリングエネルギーが謎であった時点で、2007年1月の第1霊信で、「あなたがいやしを起こすとき、多くの高級霊が治療霊としてあなたのもとに集まる」と告げていました。
また、2007年1月27日、霊信受信者M子さんを招いて、パソコンの自動書記による霊信現象の実験をさせてもらったセッション中に、筆者の守護霊とおぼしき存在の憑依が起き、以下のように告げています。
「今、M子の両手を持ちなさい。M子の手から起こる脈動をあなたの左手で感じ取りなさい。それを意識して、その脈動があなたの手に刻まれるように集中しなさい。・・・・これよりM子の意識を完全ではないが、M子の過去生で体験した「地球の意識」へと近づける。あなたは、その左手でそれを感じ取るのだ。・・・・耳鳴りは、あなたが感じ始めた反応であるととらえなさい。・・・そのまま続けなさい。そのものを左手でただ感じるのだ。あなたは、すぐに理解を得られることのないものに対し、あせりに駆られる傾向がある。それを抑え、あなたは少しずつ、一つずつ見極めながら進む必要がある。・・・目を閉じイメージしなさい。あなたの目に地球が映っているのだと想像しなさい。耳鳴りがあってもそのまま続けなさい。・・・・・あなたは地球へと接触するために、これを回想として思い出し、おこない始める必要がある」
上記のセッション中に、憑依霊の指示どおり、M子さんの両手を重ねて下腹部に当て、さらにその上に筆者の左手を当てたところ、ほんとうに巨大な心臓に手を当てたようなドックン、ドックンという脈動を確かに感知しました。同時にキーンという耳鳴りが始まりました。
筆者の手のひらが、直接触れていたのは、M子さんの手の甲ですから、M子さんの手の血管(静脈)の脈動であるはずはないわけです。それ以外のびっくりするような大きな脈動を感知したことは、筆者の左手のひらの感覚として鮮明に刻まれています。超常現象体験としか言いようのないことでした。
こうしたことが重なって、とりあえず、霊的存在が指示するように、翌日、「地球の意識」であるという脈動を想起しながら、手の平で包める程度の地球をイメージし、それを手の平から感じようとヒーリングを試みてみると、確かに左手の平からエネルギーの放射感覚が起きたのです。
それ以来、毎日5分間、地球へのヒーリングを約5年間続けながら、現在に至っています。
M子さんのセッションから1年ほどして、他のクライアントのセッション中に、筆者の守護霊を名乗る霊が、メッセージを携えて憑依した機会に、次のような質問をしたことがありました。
「あなた方は、私に地球の意識をいやすためにヒーリングをするよう指示しました。私はそれにしたがって毎日してきました。しかし、私のヒーリングエネルギーは、霊界の治療霊団から送られてくるとあなた方は告げています。そうであるなら、わざわざ私を経由してヒーリングをさせなくても直接治療霊団が地球の意識をいやせばよいのではありませんか?」
その回答は、「地球の意識をいやすためには、一度地上の人間を通したエネルギーでなければつながらないものだと理解しなさい。あなたが続けなさい」ということでした。
前置きが長くなりましたが、最初に戻ります。
昨日のセッションで、この女性クライアントに憑依した存在が、「地球の意識」を名乗ったというわけです。
魂状態の自覚に至ると、通常は、主訴に関わる前世人格が顕現化(自己内憑依)して来るものですが、「あなたは、前世人格ですか?」と尋ねても返答がありません。
「では、霊的存在が憑依しておいでになり、何かメッセージがあるのですか?」と尋ねても一切返答がありません。
「あなたは未浄化霊ですか?」、「この者の守護霊ですか?」、「私の守護霊または、守護霊団のどなたかですか?」、「神からのメッセージを携えておいでの神の使いの方ですか?」、「あなたは神という存在ですか?」など片っ端から尋ねても、反応がありません。
そこで、「あなたは霊的存在ではないような意識体なのですか?」と尋ねると、頷くという反応がありました。
さらに、「あなたは、『地球の意識』と呼んでよい、そういう存在ですか?」と尋ねたところ、突然身を捩って大声で泣き始めました。
上半身を縮め、両膝を折り曲げ、カウチから転げ落ちそうになりながら、2分程度、涙をポロポロ流しながら「私のこどもたちが死んでしまう」と訴えるのです。
落ち着いたところで、「あなたは、いったいどなたですか?」と確認しました。
なんと、「私は、地球の意識です。地球です」という回答でした。
「このままでは、私のこどもたちは、みんな死んでしまいます。やがて、私も死ぬことになります。
地上の生きとし生けるもの、命あるものすべて、人間もその一つです、それら私のこどもたちすべてが、死に絶えることになります。このことを、あなたは人間たちに伝えてください。人間は、自分で自分の首を絞めて、自分を死に追いやっていることに、ほんとうに気づいていないのです。地球は私です。あなた方は、私です。地上のすべての命は私です。私のこどもたちが死んでしまう~」
という声を振り絞っての悲痛な訴えが続きました。クライアントの顔面は、涙でぐちゃぐちゃです。
「私は、あなたが私にいやしのヒーリングしてくれているのを感じてきました。あなたは、私のこの悲しみを多くの人間に伝えてください」とも。
そして、すべての元凶は、人間たちの欲望を満たす行為にあると訴えました。
こうして、「地球(の意識)」を名乗るものとの対話という信じ難いセッションが、「意識現象の事実」として起きたという報告です。
筆者は、顕現化し、対話した「地球(の意識)」との約束を果たすために、ありのままを公開しました。
これを、クライアントの願望や妄想が託されたフィクションだと受け取るのか、不思議現象をありのままに受け取るか、それぞれ読者の判断におまかせです。
筆者の立場は、霊信を受け取った事情、地球の脈動感覚が手に刻まれている事情、「地球の意識」に毎日欠かさずヒーリングをしてきた事情から、後者の立場をとっています。
大飯原発再開、消費税増税など殺伐とした動きの中で、こうしたファンタジックな(「地球の意識」に叱られるかもしれませんが)現象に出会って、いやされた感じがしています。、
このセッション報告の前に、2007年1月に受信した私あて霊信で、「地球の意識」および、それへのヒーリングについて告げている個所を抜き出して紹介します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
地球は創られた者である。ここで、この表現を用いるのは、地球も生命の一つであるからだ。あなた方の世界では、この事実を理解するには多くの年月を要する。(第7霊信)
あなたは、あなたの想像力、イマジネーションを用いて、あなたの「地球との接触」をおこなうことができる。あなたがヒーリングをおこなうように、地球に対して接触をしなさい。(第7霊信)
ヒーリングしようと考えおこなうのではなく、まず「地球の意識の一部へと接触する」ことを試みなさい。手の平で包める程度の地球をイメージし、それを手の平から感じようとしなさい。まず、地球の意識を感じようとするのだ。感じ、それを愛をこめヒーリングするのだ。感じるという段階をクリアしなければ、地球に対してはヒーリングはおこなえないものとする。人へのヒーリングと要領は同じであるが、その対象が人ではないために接触が人の場合よりも、つながりにくいものとなる。(第12霊信)
※第7霊信はエドガーケイシーを名乗る霊、第12霊信は稲垣の祖父の守護霊と繋がりをもつ霊を名乗るものからの通信です。
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第7・12霊信で、上記のことを筆者に告げてきましたが、当初、俄には信じ難い内容で、まともに取り合う気持ちは起きませんでした。とりわけ、地球は創られた「者」であり、地球には意識が宿っているということには同意出来ませんでした。ガイアという思想は知ってはいましたが、地球が生命体としての意識を宿している、となるとウウムと思わざるを得ないということです。
ただ、2006年8月、筆者のヒーリング能力らしきものが覚醒し、そのヒーリングエネルギーが謎であった時点で、2007年1月の第1霊信で、「あなたがいやしを起こすとき、多くの高級霊が治療霊としてあなたのもとに集まる」と告げていました。
また、2007年1月27日、霊信受信者M子さんを招いて、パソコンの自動書記による霊信現象の実験をさせてもらったセッション中に、筆者の守護霊とおぼしき存在の憑依が起き、以下のように告げています。
「今、M子の両手を持ちなさい。M子の手から起こる脈動をあなたの左手で感じ取りなさい。それを意識して、その脈動があなたの手に刻まれるように集中しなさい。・・・・これよりM子の意識を完全ではないが、M子の過去生で体験した「地球の意識」へと近づける。あなたは、その左手でそれを感じ取るのだ。・・・・耳鳴りは、あなたが感じ始めた反応であるととらえなさい。・・・そのまま続けなさい。そのものを左手でただ感じるのだ。あなたは、すぐに理解を得られることのないものに対し、あせりに駆られる傾向がある。それを抑え、あなたは少しずつ、一つずつ見極めながら進む必要がある。・・・目を閉じイメージしなさい。あなたの目に地球が映っているのだと想像しなさい。耳鳴りがあってもそのまま続けなさい。・・・・・あなたは地球へと接触するために、これを回想として思い出し、おこない始める必要がある」
上記のセッション中に、憑依霊の指示どおり、M子さんの両手を重ねて下腹部に当て、さらにその上に筆者の左手を当てたところ、ほんとうに巨大な心臓に手を当てたようなドックン、ドックンという脈動を確かに感知しました。同時にキーンという耳鳴りが始まりました。
筆者の手のひらが、直接触れていたのは、M子さんの手の甲ですから、M子さんの手の血管(静脈)の脈動であるはずはないわけです。それ以外のびっくりするような大きな脈動を感知したことは、筆者の左手のひらの感覚として鮮明に刻まれています。超常現象体験としか言いようのないことでした。
こうしたことが重なって、とりあえず、霊的存在が指示するように、翌日、「地球の意識」であるという脈動を想起しながら、手の平で包める程度の地球をイメージし、それを手の平から感じようとヒーリングを試みてみると、確かに左手の平からエネルギーの放射感覚が起きたのです。
それ以来、毎日5分間、地球へのヒーリングを約5年間続けながら、現在に至っています。
M子さんのセッションから1年ほどして、他のクライアントのセッション中に、筆者の守護霊を名乗る霊が、メッセージを携えて憑依した機会に、次のような質問をしたことがありました。
「あなた方は、私に地球の意識をいやすためにヒーリングをするよう指示しました。私はそれにしたがって毎日してきました。しかし、私のヒーリングエネルギーは、霊界の治療霊団から送られてくるとあなた方は告げています。そうであるなら、わざわざ私を経由してヒーリングをさせなくても直接治療霊団が地球の意識をいやせばよいのではありませんか?」
その回答は、「地球の意識をいやすためには、一度地上の人間を通したエネルギーでなければつながらないものだと理解しなさい。あなたが続けなさい」ということでした。
前置きが長くなりましたが、最初に戻ります。
昨日のセッションで、この女性クライアントに憑依した存在が、「地球の意識」を名乗ったというわけです。
魂状態の自覚に至ると、通常は、主訴に関わる前世人格が顕現化(自己内憑依)して来るものですが、「あなたは、前世人格ですか?」と尋ねても返答がありません。
「では、霊的存在が憑依しておいでになり、何かメッセージがあるのですか?」と尋ねても一切返答がありません。
「あなたは未浄化霊ですか?」、「この者の守護霊ですか?」、「私の守護霊または、守護霊団のどなたかですか?」、「神からのメッセージを携えておいでの神の使いの方ですか?」、「あなたは神という存在ですか?」など片っ端から尋ねても、反応がありません。
そこで、「あなたは霊的存在ではないような意識体なのですか?」と尋ねると、頷くという反応がありました。
さらに、「あなたは、『地球の意識』と呼んでよい、そういう存在ですか?」と尋ねたところ、突然身を捩って大声で泣き始めました。
上半身を縮め、両膝を折り曲げ、カウチから転げ落ちそうになりながら、2分程度、涙をポロポロ流しながら「私のこどもたちが死んでしまう」と訴えるのです。
落ち着いたところで、「あなたは、いったいどなたですか?」と確認しました。
なんと、「私は、地球の意識です。地球です」という回答でした。
「このままでは、私のこどもたちは、みんな死んでしまいます。やがて、私も死ぬことになります。
地上の生きとし生けるもの、命あるものすべて、人間もその一つです、それら私のこどもたちすべてが、死に絶えることになります。このことを、あなたは人間たちに伝えてください。人間は、自分で自分の首を絞めて、自分を死に追いやっていることに、ほんとうに気づいていないのです。地球は私です。あなた方は、私です。地上のすべての命は私です。私のこどもたちが死んでしまう~」
という声を振り絞っての悲痛な訴えが続きました。クライアントの顔面は、涙でぐちゃぐちゃです。
「私は、あなたが私にいやしのヒーリングしてくれているのを感じてきました。あなたは、私のこの悲しみを多くの人間に伝えてください」とも。
そして、すべての元凶は、人間たちの欲望を満たす行為にあると訴えました。
こうして、「地球(の意識)」を名乗るものとの対話という信じ難いセッションが、「意識現象の事実」として起きたという報告です。
筆者は、顕現化し、対話した「地球(の意識)」との約束を果たすために、ありのままを公開しました。
これを、クライアントの願望や妄想が託されたフィクションだと受け取るのか、不思議現象をありのままに受け取るか、それぞれ読者の判断におまかせです。
筆者の立場は、霊信を受け取った事情、地球の脈動感覚が手に刻まれている事情、「地球の意識」に毎日欠かさずヒーリングをしてきた事情から、後者の立場をとっています。
大飯原発再開、消費税増税など殺伐とした動きの中で、こうしたファンタジックな(「地球の意識」に叱られるかもしれませんが)現象に出会って、いやされた感じがしています。、
2012年6月24日日曜日
筆者あて霊信の告げる「魂」と「生まれ変わり」の仕組み
この記事は、科学的実証のできない「魂」と「生まれ変わり」についての考察です。
ただし、筆者あて霊信の告げた内容と、それを骨格に作業仮説を設け、SAM前世療法で顕現化した前世人格たちから聞き出した内容の共通項にもとづく見解です。
筆者が、筆者の守護霊団(11の高級霊から成ると告げています)からの霊信を受け取るという超常的現象に遭遇したのは、1冊目の本の出版半年後の2007年1月11日~2月14日のことでした。(霊信の全容はこのブログに公開してあります)
筆者には、そうした受信能力(霊媒能力)は皆無です。当時26歳で派遣社員であったM子さんという女性読者のパソコンによる自動書記による霊信現象でした。彼女のパソコンを経由して毎夜筆者に届いた霊信は22通で、A4版84枚にわたるかなりの分量でした。
なぜ、筆者にそのような霊信という現象が起きたのかはいまだに謎ですが、通信霊が告げたところを要約すれば、霊的真理を地上のわれわれに広める計画が遂行されており、計画遂行の道具の一つとして筆者を使おうということらしい。
筆者の霊信に対する第一の関心は、この霊信とおぼしき超常現象の真偽にありました。もし、真であるなら、そのような通信霊団(守護霊団)の実在が証明できたことになるでしょうし、ひいては「霊界」と呼ばれる次元の実在も証明できることになるでしょう。
最終的には「神」という存在の実在を実感することができるのではなかろうか、というわけです。
守護霊団は、霊的真理を広める計画を「神」が立てた、と告げているからです。
以下に、守護霊団が告げている「魂」と「生まれ変わり」についての霊信情報を抜き出してみました。守護霊団のうちの3つの霊(筆者の祖父の守護霊とつながる霊、エドガーケイシーを名乗る霊、M子さんの守護霊)が交互に通信していますが、告げた内容に齟齬はないと判断しています。
各霊信の頭に番号を付けてあります。末尾の( )内は、届いた霊信の通し番号です。
あとで、筆者の見解を述べるときの便宜のためです。
ゴチック部分は魂の仕組みの核心を告げていると思われる文言です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1
どのように優れた能力を持つ者も、魂にいやすべき傷を持つ。(第1霊信)
2
あなたという魂の一面についての情報は与えられるものである。(第3霊信)
3
あなたの魂に耳を澄ませなさい。(第3霊信)
4
あなたの歩んできた道のりは、あなたという魂の旅である。だが、あなただけでなくあなたに血を与えた者による旅の続きでもある。(第5霊信)
5
あなたという人間がこの世に生まれついてから、あなたの魂に刻まれたものが、今のあなたを形成している。
6
あなたの魂は、あなたに語りかけようとしている。(第6霊信)
7
あなたは、自分の魂の感覚をもっと感じる必要がある。あなたが、あなたの魂と対話する時間を設けなさい。他者ではなく、あなたに向けて語りかけなさい。(第9霊信)
8
あなたとあなたの魂は「感じる」ことでつながるのだ。あなたの魂は、あなたが感じることを求めている。(第9霊信)
9
魂という存在を理解しなさい。あなたも、一つの魂をもとに形成された側面なのだ。(第10霊信)
10
前世療法で顕現化されるものは魂ではなく、魂の側面である。魂は、前世療法がおこなわれる際にもそれらすべてを見つめるものである。(第12霊信)
11
傷を持つのは魂の側面であり、魂自体が傷を持つのではない。その表層部分が傷を持つのである。その表層部分により包まれるのは「意識体」である。前世療法でおこなうのは「その表層部分である魂の側面のいやし」である。その表層部分は、これまで転生してきたものたちにより構成されている。(第12霊信)
12
顕在意識・潜在意識は脳が生み出しているものではない。すべては、魂の側面であるものたちが作り出しているものである。(第13霊信)
13
すべてを創造するものは魂の中にある本体である「意識体」である。(第13霊信)
14
霊体はあなた方という魂の側面に属するものであり・・・(第14霊信)
15
死後、霊体は魂から離れる。だがそれらの意識は魂に取り込まれる。そして、魂のものとなるのだ。霊体は、ある意味においては、あなた方が「あなたという人間であるため」の意識を独立して持つための役割を担うものでもある。それなくしては、あなた方は個人的意識を持つことはできない。心が個人的意識をつくるのではない。霊体が持つのだ。(第14霊信)
16
あなたの魂の傷を持つものは求め始める。(第14霊信)
17
あなたとともに、あなたの魂から生まれた多くのものが存在し、・・・それらのものの協力を求めるのだ。友愛、それは自身の魂によるものこそ真の友愛である。(第15霊信)
18
あなたは、これまであなた自身の魂に対して祈りを捧げることはあまりなかった。(第16霊信)
19
涙は魂により流される。それは魂が側面をいやそうとするために流すものである。(第17霊信)
20
あなたという存在も、側面のものであり、すべての側面のものは友であると理解しなさい。魂は、すべての側面のものがつながりを持ち、友愛を築き、与え合うことを望んでいるのだ。(第17霊信)
21
肉体に対するいやし、霊体に対するいやし、魂の側面に対するいやし、それらすべてがスピリットヒーリングである。(第17霊信)
22
魂はいやしを必要としない。意識体は、あるがままに完全性を持つものである。いやしを求めるものは、魂の側面であり、霊体であり、肉体である。(第17霊信)
23
あなたの魂の側面のものたちは、手をつないでいるのだと理解してください。まだそれを拒むものも存在します。(第17霊信)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
上記1~23の内容に共通することは、筆者という存在は、筆者の中に存在している「魂の側面」の一つであり、魂の側面には、筆者以外の前世の者たちが連綿として存在している、ということです。
そして、それら魂表層に存在している前世の者たちの中には、傷を持っている者が必ず存在しているということです。そうした魂表層に存在する、傷に苦しむ前世の者をいやすことが、前世療法の仕事だというわけです。
また、No.11で「側面」を「表層」とも言い換えて表現していますから、以後、「側面」を、分かりやすい「表層」に統一して用います。
このNo.11とNo.12、No.15の内容が、SAM前世療法の骨格となる作業仮説を構成しています。
No.11とNo.13では、魂は表層部分とそれに包まれている本体(意識体・・・霊界の類魂の分身?)の二層構造である、と告げています。
No.12とNo.15では、意識・潜在意識は魂表層の前世の者たちが作り出しており、作り出されたそれら意識は「霊体」に宿っていると告げています。死後、霊体は魂から脱落し、霊体のもつ個人的意識は魂(の表層)に取り込まれる、と告げています。おそらく、生前、魂表層に存在していた「現世の者」に取り込まれると思われます。そして、魂が次の肉体に宿ったときには、表層を構成する前世の者の一つとして位置づくと推測できます。
さらに、No.20では、魂は、すべての側面(表層)のもの(前世の者たち)がつながりを持ち、友愛を築き、与え合うことを望んでいる、と告げていますから、それぞれの前世の者が、互いの人生で獲得した知恵を与え合い、共有し、表層全体が集合意識体として成長・進化するような仕組みであろうと推測できます。
しかし、No.17では、魂の側面(表層)のものたちは、手をつないでいるのだと理解してください。まだそれを拒むものも存在しますと告げていますから、前世の者の中には、「手をつなぐ」ことを拒否して、孤立状態で苦しんでいる者が存在しているということです。
このような孤立状態で苦しんでいる前世の者が、その苦しみを「現世の者」に訴え続けているがために、その影響を受けて、現世の者の、心理的諸症状や肉体的諸症状が起こると考えられます。
筆者の知る限り、世界の定評ある霊信においても、以上のような魂と生まれ変わりに関する情報をもたらした霊信はありませんでした。
そこで、第14霊信を受け取った後、次のような質問したところ、その回答が第15霊信でありました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【筆者の問い】
あるスピリチュアル霊学では、「霊の心」、「肉体(本能)の心」というように、心を二通り想定してあり、潜在意識の中に、霊の心があるとも説明してあります。また、霊の表層を霊の心が包んであると説明しています。
これらの説明は、あなた方霊団の今回の説明によれば、誤りということになりますが、なぜこのような誤りがこれまで伝えられ、正されずにきたのでしょうか。また、なぜ私にこれほど詳しく正しい知識が授けられたのでしょうか。
【通信霊の回答】
尋ねるまでもない。あなたに与えられるべきものが与えられたのだ。
そして、これまでの者たちに与えられるべきものが与えられただけだ。
すべては神の計画のもとにおこなわれている。
そして、それらは誤りではない。それらの霊媒が、そう受け取っただけなのだ。
それは真理において生じる矛盾だけでなく、言葉の類似性により生まれた適切ではない表現となったものである。
それは、そうあるべきであっただけだ。そして、あなたにとってもそうである。
あなたには、与えられるべきものが与えられたのだ。
あなたは、自分が何をおこなうかを理解していない。今はそれでよいのだ。
この先、あなたは信仰を築き上げ、自らの直感をもとに方向性を定め前進していく。
その先にあるものを見つめることが、その答えを得る術であると理解しなさい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
通信霊が上記に告げた、「筆者に与えられるべきものが与えられた」情報が、No.1~
No.23のような、魂の仕組みと、生まれ変わりの仕組みであり、しかも、「神の計画のもとに」霊信として授けられたのだとしたら、この霊信の告げた内容で、筆者の力で検証できることを、出来うる限りやってみようと決心しました。
2007年1月27日のことでした。
さいわい、筆者は、催眠を道具に、潜在意識の世界を扱う技能を持っていました。霊信の告げたNo.11、No.12、No.15の内容によれば、潜在意識を遡行した先には、それを作り出している「魂の状態」、ないし「魂の表層の前世の者」に行き着くはずです。
こうして、筆者の、魂状態まで遡行させる催眠実験が始まり、約1年半後の2008年の夏に、魂の表層から前世人格を呼び出すことに成功できる、新たな催眠技法がほぼ完成しました。
従来の、筆者がワイス式と呼ぶ「前世の記憶にあるビジョンを想起する」技法とは、前提仮説も催眠技法もまったく異にする新たな前世療法です。魂状態(Soul)に接近(Approach)する方法(Method)によって、魂表層から顕現化する前世人格と対話する前世療法、つまり、SAM前世療法の誕生です。
「SAM前世療法」の名称は、従来の一般の「前世療法」との明らかな相違を認められて、2008年10月第44類の商標登録が認められました。
そして、SAM前世療法によって、2009年5月、生まれ変わりの科学的証拠として最有力とされている応答型真性異言で会話した「ラタラジューの事例」がついに生起したということです。
ネパール人の前世人格ラタラジューは、魂の表層から顕現化した人格であり、しかも、現在進行形の会話をした事実によって、魂表層が前世の者たちによって構成されていること、それら前世人格は魂表層で現在も意識体として生きていることが検証できたのです。この実験セッションの事実は、映像撮影に成功していますから、音声・映像の証拠が残されています。
また、ヤラセ等不正の疑いを持たれないように、大学教授・大学准教授・医師の立ち会いのもとでセッションをおこなっています。世界初の真性異言発話中の撮影に成功したのです。ちなみに、催眠中に前世人格が顕現化し、応答型真性異言を話した事例は、20世紀中に、これまで世界で2例発見されているに止まっています。
この「ラタラジューの事例」の証拠映像が、2010年年8月5日にフジTV番組「アンビリバボー」で、60分にわたって全国放映されています。
こうして、現時点までのSAM前世療法の実践で明らかになってきた、魂と生まれ変わりに関する仕組みは、およそ次のようにまとめられます。端的にいえば、魂の存在と生まれ変わりは事実である、ということです。
①魂は二層構造になっている。
②魂表層は前世の者(前世人格)から構成されている。
③魂表層に「現世の者」が存在している。
④魂表層の前世の者たちは、今も意識体として生きており、それぞれの人生で獲得した知恵を交流し、分かち合っている。そして、人生を生きている「現世の者」を守り、支えようとしている。
⑤現世の者は、前世の者たちの獲得しているそれぞれの知恵を分かち与えられている。
⑥現世の者は、一方で、苦しんで孤立している前世の者の悪しき影響を受けている。
⑦現世の者である「私」は、魂表層を構成している一つであり、前世の者たちとともに生きている。
⑧現世の「私」は死後、魂表層を構成する前世の者の一つとなり、表層と内層を合わせた1個の魂全体として次の肉体に入る。これが、生まれ変わりである。こうして「私」は死後も魂表層に生き続ける。
⑨死後、魂表層を構成する一つとなった「私」は、他の前世の者たちと交流し、それらの前世の者たちの獲得している知恵の恩恵によって成長・進化をしている。
⑩ただし、「私」が深く傷ついた人生を送った場合は、他の前世の者たちからは孤立し、その傷の苦しみを新たな「現世の者」に訴え続ける。
⑪魂表層に位置づき前世の者の一つになった「私」は、次の肉体に宿ったとき、新たな人生である現世のありようが分からないらしい。したがって、現世の者を通して学ぶことができないらしい。
⑫こうして1個の魂を暫定的モデルにたとえると、「ミラーボール」のような形態を想像できる。ミラーボール表面に貼り付いている鏡の断片の一つ一つを魂表層の前世人格だと見なせる。
⑬しかし、ミラーボールの内部(魂内層・中心体)が何によって構成されているかは謎のままである。暫定的に、霊界の類魂の分身によって構成されているらしい、と考えている。また、この魂の中心体をハイヤーセルフと呼んでも間違いではないらしい。
以上が、霊信の告げたことを3年あまりにわたって検証してきた結果です。
そして、霊信の告げたNo.1~
No.23のような情報に反する検証事実は現時点では認められません。
ただし、筆者は、この検証結果が真実であるという断定をしているわけではありません。
先行研究がありませんから、SAM前世療法のセッションをとおして手探りでたどり着いた暫定的見解です。
筆者の跡を引き継ぐSAM前世療法の実践者たちによって、現時点の見解の誤りが露呈したり、新たな発見がなされていくことと思っています。
このことこそが、SAM前世療法の創始者である筆者の願いであり、魂と生まれ変わりの探究を志した者の誇りです。
ただし、筆者あて霊信の告げた内容と、それを骨格に作業仮説を設け、SAM前世療法で顕現化した前世人格たちから聞き出した内容の共通項にもとづく見解です。
筆者が、筆者の守護霊団(11の高級霊から成ると告げています)からの霊信を受け取るという超常的現象に遭遇したのは、1冊目の本の出版半年後の2007年1月11日~2月14日のことでした。(霊信の全容はこのブログに公開してあります)
筆者には、そうした受信能力(霊媒能力)は皆無です。当時26歳で派遣社員であったM子さんという女性読者のパソコンによる自動書記による霊信現象でした。彼女のパソコンを経由して毎夜筆者に届いた霊信は22通で、A4版84枚にわたるかなりの分量でした。
なぜ、筆者にそのような霊信という現象が起きたのかはいまだに謎ですが、通信霊が告げたところを要約すれば、霊的真理を地上のわれわれに広める計画が遂行されており、計画遂行の道具の一つとして筆者を使おうということらしい。
筆者の霊信に対する第一の関心は、この霊信とおぼしき超常現象の真偽にありました。もし、真であるなら、そのような通信霊団(守護霊団)の実在が証明できたことになるでしょうし、ひいては「霊界」と呼ばれる次元の実在も証明できることになるでしょう。
最終的には「神」という存在の実在を実感することができるのではなかろうか、というわけです。
守護霊団は、霊的真理を広める計画を「神」が立てた、と告げているからです。
以下に、守護霊団が告げている「魂」と「生まれ変わり」についての霊信情報を抜き出してみました。守護霊団のうちの3つの霊(筆者の祖父の守護霊とつながる霊、エドガーケイシーを名乗る霊、M子さんの守護霊)が交互に通信していますが、告げた内容に齟齬はないと判断しています。
各霊信の頭に番号を付けてあります。末尾の( )内は、届いた霊信の通し番号です。
あとで、筆者の見解を述べるときの便宜のためです。
ゴチック部分は魂の仕組みの核心を告げていると思われる文言です。
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1
どのように優れた能力を持つ者も、魂にいやすべき傷を持つ。(第1霊信)
2
あなたという魂の一面についての情報は与えられるものである。(第3霊信)
3
あなたの魂に耳を澄ませなさい。(第3霊信)
4
あなたの歩んできた道のりは、あなたという魂の旅である。だが、あなただけでなくあなたに血を与えた者による旅の続きでもある。(第5霊信)
5
あなたという人間がこの世に生まれついてから、あなたの魂に刻まれたものが、今のあなたを形成している。
6
あなたの魂は、あなたに語りかけようとしている。(第6霊信)
7
あなたは、自分の魂の感覚をもっと感じる必要がある。あなたが、あなたの魂と対話する時間を設けなさい。他者ではなく、あなたに向けて語りかけなさい。(第9霊信)
8
あなたとあなたの魂は「感じる」ことでつながるのだ。あなたの魂は、あなたが感じることを求めている。(第9霊信)
9
魂という存在を理解しなさい。あなたも、一つの魂をもとに形成された側面なのだ。(第10霊信)
10
前世療法で顕現化されるものは魂ではなく、魂の側面である。魂は、前世療法がおこなわれる際にもそれらすべてを見つめるものである。(第12霊信)
11
傷を持つのは魂の側面であり、魂自体が傷を持つのではない。その表層部分が傷を持つのである。その表層部分により包まれるのは「意識体」である。前世療法でおこなうのは「その表層部分である魂の側面のいやし」である。その表層部分は、これまで転生してきたものたちにより構成されている。(第12霊信)
12
顕在意識・潜在意識は脳が生み出しているものではない。すべては、魂の側面であるものたちが作り出しているものである。(第13霊信)
13
すべてを創造するものは魂の中にある本体である「意識体」である。(第13霊信)
14
霊体はあなた方という魂の側面に属するものであり・・・(第14霊信)
15
死後、霊体は魂から離れる。だがそれらの意識は魂に取り込まれる。そして、魂のものとなるのだ。霊体は、ある意味においては、あなた方が「あなたという人間であるため」の意識を独立して持つための役割を担うものでもある。それなくしては、あなた方は個人的意識を持つことはできない。心が個人的意識をつくるのではない。霊体が持つのだ。(第14霊信)
16
あなたの魂の傷を持つものは求め始める。(第14霊信)
17
あなたとともに、あなたの魂から生まれた多くのものが存在し、・・・それらのものの協力を求めるのだ。友愛、それは自身の魂によるものこそ真の友愛である。(第15霊信)
18
あなたは、これまであなた自身の魂に対して祈りを捧げることはあまりなかった。(第16霊信)
19
涙は魂により流される。それは魂が側面をいやそうとするために流すものである。(第17霊信)
20
あなたという存在も、側面のものであり、すべての側面のものは友であると理解しなさい。魂は、すべての側面のものがつながりを持ち、友愛を築き、与え合うことを望んでいるのだ。(第17霊信)
21
肉体に対するいやし、霊体に対するいやし、魂の側面に対するいやし、それらすべてがスピリットヒーリングである。(第17霊信)
22
魂はいやしを必要としない。意識体は、あるがままに完全性を持つものである。いやしを求めるものは、魂の側面であり、霊体であり、肉体である。(第17霊信)
23
あなたの魂の側面のものたちは、手をつないでいるのだと理解してください。まだそれを拒むものも存在します。(第17霊信)
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上記1~23の内容に共通することは、筆者という存在は、筆者の中に存在している「魂の側面」の一つであり、魂の側面には、筆者以外の前世の者たちが連綿として存在している、ということです。
そして、それら魂表層に存在している前世の者たちの中には、傷を持っている者が必ず存在しているということです。そうした魂表層に存在する、傷に苦しむ前世の者をいやすことが、前世療法の仕事だというわけです。
また、No.11で「側面」を「表層」とも言い換えて表現していますから、以後、「側面」を、分かりやすい「表層」に統一して用います。
このNo.11とNo.12、No.15の内容が、SAM前世療法の骨格となる作業仮説を構成しています。
No.11とNo.13では、魂は表層部分とそれに包まれている本体(意識体・・・霊界の類魂の分身?)の二層構造である、と告げています。
No.12とNo.15では、意識・潜在意識は魂表層の前世の者たちが作り出しており、作り出されたそれら意識は「霊体」に宿っていると告げています。死後、霊体は魂から脱落し、霊体のもつ個人的意識は魂(の表層)に取り込まれる、と告げています。おそらく、生前、魂表層に存在していた「現世の者」に取り込まれると思われます。そして、魂が次の肉体に宿ったときには、表層を構成する前世の者の一つとして位置づくと推測できます。
さらに、No.20では、魂は、すべての側面(表層)のもの(前世の者たち)がつながりを持ち、友愛を築き、与え合うことを望んでいる、と告げていますから、それぞれの前世の者が、互いの人生で獲得した知恵を与え合い、共有し、表層全体が集合意識体として成長・進化するような仕組みであろうと推測できます。
しかし、No.17では、魂の側面(表層)のものたちは、手をつないでいるのだと理解してください。まだそれを拒むものも存在しますと告げていますから、前世の者の中には、「手をつなぐ」ことを拒否して、孤立状態で苦しんでいる者が存在しているということです。
このような孤立状態で苦しんでいる前世の者が、その苦しみを「現世の者」に訴え続けているがために、その影響を受けて、現世の者の、心理的諸症状や肉体的諸症状が起こると考えられます。
筆者の知る限り、世界の定評ある霊信においても、以上のような魂と生まれ変わりに関する情報をもたらした霊信はありませんでした。
そこで、第14霊信を受け取った後、次のような質問したところ、その回答が第15霊信でありました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【筆者の問い】
あるスピリチュアル霊学では、「霊の心」、「肉体(本能)の心」というように、心を二通り想定してあり、潜在意識の中に、霊の心があるとも説明してあります。また、霊の表層を霊の心が包んであると説明しています。
これらの説明は、あなた方霊団の今回の説明によれば、誤りということになりますが、なぜこのような誤りがこれまで伝えられ、正されずにきたのでしょうか。また、なぜ私にこれほど詳しく正しい知識が授けられたのでしょうか。
【通信霊の回答】
尋ねるまでもない。あなたに与えられるべきものが与えられたのだ。
そして、これまでの者たちに与えられるべきものが与えられただけだ。
すべては神の計画のもとにおこなわれている。
そして、それらは誤りではない。それらの霊媒が、そう受け取っただけなのだ。
それは真理において生じる矛盾だけでなく、言葉の類似性により生まれた適切ではない表現となったものである。
それは、そうあるべきであっただけだ。そして、あなたにとってもそうである。
あなたには、与えられるべきものが与えられたのだ。
あなたは、自分が何をおこなうかを理解していない。今はそれでよいのだ。
この先、あなたは信仰を築き上げ、自らの直感をもとに方向性を定め前進していく。
その先にあるものを見つめることが、その答えを得る術であると理解しなさい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
通信霊が上記に告げた、「筆者に与えられるべきものが与えられた」情報が、No.1~
No.23のような、魂の仕組みと、生まれ変わりの仕組みであり、しかも、「神の計画のもとに」霊信として授けられたのだとしたら、この霊信の告げた内容で、筆者の力で検証できることを、出来うる限りやってみようと決心しました。
2007年1月27日のことでした。
さいわい、筆者は、催眠を道具に、潜在意識の世界を扱う技能を持っていました。霊信の告げたNo.11、No.12、No.15の内容によれば、潜在意識を遡行した先には、それを作り出している「魂の状態」、ないし「魂の表層の前世の者」に行き着くはずです。
こうして、筆者の、魂状態まで遡行させる催眠実験が始まり、約1年半後の2008年の夏に、魂の表層から前世人格を呼び出すことに成功できる、新たな催眠技法がほぼ完成しました。
従来の、筆者がワイス式と呼ぶ「前世の記憶にあるビジョンを想起する」技法とは、前提仮説も催眠技法もまったく異にする新たな前世療法です。魂状態(Soul)に接近(Approach)する方法(Method)によって、魂表層から顕現化する前世人格と対話する前世療法、つまり、SAM前世療法の誕生です。
「SAM前世療法」の名称は、従来の一般の「前世療法」との明らかな相違を認められて、2008年10月第44類の商標登録が認められました。
そして、SAM前世療法によって、2009年5月、生まれ変わりの科学的証拠として最有力とされている応答型真性異言で会話した「ラタラジューの事例」がついに生起したということです。
ネパール人の前世人格ラタラジューは、魂の表層から顕現化した人格であり、しかも、現在進行形の会話をした事実によって、魂表層が前世の者たちによって構成されていること、それら前世人格は魂表層で現在も意識体として生きていることが検証できたのです。この実験セッションの事実は、映像撮影に成功していますから、音声・映像の証拠が残されています。
また、ヤラセ等不正の疑いを持たれないように、大学教授・大学准教授・医師の立ち会いのもとでセッションをおこなっています。世界初の真性異言発話中の撮影に成功したのです。ちなみに、催眠中に前世人格が顕現化し、応答型真性異言を話した事例は、20世紀中に、これまで世界で2例発見されているに止まっています。
この「ラタラジューの事例」の証拠映像が、2010年年8月5日にフジTV番組「アンビリバボー」で、60分にわたって全国放映されています。
こうして、現時点までのSAM前世療法の実践で明らかになってきた、魂と生まれ変わりに関する仕組みは、およそ次のようにまとめられます。端的にいえば、魂の存在と生まれ変わりは事実である、ということです。
①魂は二層構造になっている。
②魂表層は前世の者(前世人格)から構成されている。
③魂表層に「現世の者」が存在している。
④魂表層の前世の者たちは、今も意識体として生きており、それぞれの人生で獲得した知恵を交流し、分かち合っている。そして、人生を生きている「現世の者」を守り、支えようとしている。
⑤現世の者は、前世の者たちの獲得しているそれぞれの知恵を分かち与えられている。
⑥現世の者は、一方で、苦しんで孤立している前世の者の悪しき影響を受けている。
⑦現世の者である「私」は、魂表層を構成している一つであり、前世の者たちとともに生きている。
⑧現世の「私」は死後、魂表層を構成する前世の者の一つとなり、表層と内層を合わせた1個の魂全体として次の肉体に入る。これが、生まれ変わりである。こうして「私」は死後も魂表層に生き続ける。
⑨死後、魂表層を構成する一つとなった「私」は、他の前世の者たちと交流し、それらの前世の者たちの獲得している知恵の恩恵によって成長・進化をしている。
⑩ただし、「私」が深く傷ついた人生を送った場合は、他の前世の者たちからは孤立し、その傷の苦しみを新たな「現世の者」に訴え続ける。
⑪魂表層に位置づき前世の者の一つになった「私」は、次の肉体に宿ったとき、新たな人生である現世のありようが分からないらしい。したがって、現世の者を通して学ぶことができないらしい。
⑫こうして1個の魂を暫定的モデルにたとえると、「ミラーボール」のような形態を想像できる。ミラーボール表面に貼り付いている鏡の断片の一つ一つを魂表層の前世人格だと見なせる。
⑬しかし、ミラーボールの内部(魂内層・中心体)が何によって構成されているかは謎のままである。暫定的に、霊界の類魂の分身によって構成されているらしい、と考えている。また、この魂の中心体をハイヤーセルフと呼んでも間違いではないらしい。
以上が、霊信の告げたことを3年あまりにわたって検証してきた結果です。
そして、霊信の告げたNo.1~
No.23のような情報に反する検証事実は現時点では認められません。
ただし、筆者は、この検証結果が真実であるという断定をしているわけではありません。
先行研究がありませんから、SAM前世療法のセッションをとおして手探りでたどり着いた暫定的見解です。
筆者の跡を引き継ぐSAM前世療法の実践者たちによって、現時点の見解の誤りが露呈したり、新たな発見がなされていくことと思っています。
このことこそが、SAM前世療法の創始者である筆者の願いであり、魂と生まれ変わりの探究を志した者の誇りです。
2012年6月22日金曜日
高森光季氏の再質問への包括的回答
前ブログ記事について、高森氏から6点のコメントと再質問が来ています。返信コメントを1000字以内にしてもアップできませんので、ここで包括的な回答をとりあえずしておこうと思います
魂の自覚状態と「前世人格の顕現化」 という考え方の基盤
「タエの事例」以後四年間の経緯と「ラタラジューの事例」によって、筆者は、「魂」や「生まれ変わり」および、「守護霊」の実在を認める立場をとることにためらわないようになっていきました。
この立場をとることは、筆者宛の霊信で告げられている予言が的中していることや、通信霊団の存在を知らないはずの催眠中のクライアントに、筆者の守護霊を名乗る霊、霊団の一員を名乗る霊、あるいはクライアントの守護霊を名乗る霊の憑依とおぼしき現象が生じ、メッセージを伝えるということが度々起きていることからも、受け入れざるをえません。何よりも、応答型真性異言「ラタラジューの事例」との出会いによって、生まれ変わりの事実を認めざるを得なくなったからです。
SAM前世療法の作業仮説は、霊の告げた魂の構造を骨格にして導き出したもので、良好な催眠状態に誘導し潜在意識を遡行していくと、意識現象の事実として、クライアントが「魂の自覚状態」に至ることが明らかになっています。この魂の自覚状態に至れば、呼び出しに該当する前世人格が魂の表層から顕現化し、現在進行形での対話ができることもクライアントの意識現象の事実として明らかになっています。
ラタラジューも、こうして呼び出した前世人格の一つであるわけで、その前世人格ラタラジューが真性異言で会話した事実を前にして、魂や生まれ変わりの実在を回避するために、深層心理学的概念を駆使してクライアントの霊的な意識現象に対して唯物論的解釈することは、現行科学の知の枠組みに固執した不自然な営みだ、と筆者には思われるのです。
魂の自覚状態や、そこで現象する前世人格の顕現化という意識現象の事実に対して、事実は事実としてありのままに認めるという現象学的態度をとってこそ、SAM前世療法を実りあるものにしていくと思っています。
そして、クライアントの示す意識現象の諸事実は、現行科学の枠組みによる説明では、到底おさまり切るものではありません。
魂や生まれ変わりの実在を認めることを回避する立場で、あるいはすべて非科学的妄想だと切り捨てて、どうやって顕現化した前世人格ラタラジューの応答型真性異言現象の納得できる説明ができるのでしょうか。
ちなみに、スティーヴンソンも、「グレートヒェンの事例」において、真性異言で会話したグレートヒェンを名乗るドイツ人少女を「ドイツ人とおぼしき人格をもう一度呼び出そうと試みた」(『前世の言葉を話す人々』11頁)と記述し、呼び出された前世人格を「トランス人格」(前掲書9頁)と呼んでいます。
つまり、催眠下で前世人格を呼び出し顕現化させる、というSAM前世療法における筆者と同様のとらえ方をしています。
おそらく、この被験者も里沙さんのような高い催眠感受性を持ち、タエやラタラジューの人格同様、催眠下で一気に魂状態になり、その表層に存在している前世人格グレートヒェンが顕現化したと推測してよいように思われます。
こうして、死の時点の認識を固着したまま前世人格が魂の表層に生きて存在している、という見解を持つ理由は、それがクライアントに観察できる意識現象の事実として直感に著しく反していないからであり、それを認めることが不合理な結論に帰着しないからであり、その意識現象がSAM前世療法の作業仮説の枠組みに収まっているからです。
もちろん、コメントに披露されている高森氏の、マイヤーズ通信に基づく生まれ変わりの仕組みや、前世人格の顕現化現象の説明を否定するわけではありません。説明は成功しているからです。
端的にいえば、判断留保です。筆者の説明も成功していると思うからです。
というより、判断するための科学的検証が不能な領域の、哲学的(スピリチュアル霊学的)な議論ですから、正否の判断ができないのです。それは、筆者の見解についても同様です。
ただ、今回高森氏の展開されているマイヤーズ霊の告げたSpirit論に基づく見解は、筆者のSAM前世療法実践者としてセッションから得られた素朴な実感からすれば、理屈としてはそうかもしれないが実感として素直に受け入れられない、ということでしょう。稲垣という実践者と、高森氏というスピリチュアリストの、立場の違いからくる、見解の違いということが出来るかも知れません。
いずれにせよ、きわめて高度な霊界領域に関する議論ができて、楽しませていただけたことに深謝です。
魂の自覚状態と「前世人格の顕現化」 という考え方の基盤
「タエの事例」以後四年間の経緯と「ラタラジューの事例」によって、筆者は、「魂」や「生まれ変わり」および、「守護霊」の実在を認める立場をとることにためらわないようになっていきました。
この立場をとることは、筆者宛の霊信で告げられている予言が的中していることや、通信霊団の存在を知らないはずの催眠中のクライアントに、筆者の守護霊を名乗る霊、霊団の一員を名乗る霊、あるいはクライアントの守護霊を名乗る霊の憑依とおぼしき現象が生じ、メッセージを伝えるということが度々起きていることからも、受け入れざるをえません。何よりも、応答型真性異言「ラタラジューの事例」との出会いによって、生まれ変わりの事実を認めざるを得なくなったからです。
SAM前世療法の作業仮説は、霊の告げた魂の構造を骨格にして導き出したもので、良好な催眠状態に誘導し潜在意識を遡行していくと、意識現象の事実として、クライアントが「魂の自覚状態」に至ることが明らかになっています。この魂の自覚状態に至れば、呼び出しに該当する前世人格が魂の表層から顕現化し、現在進行形での対話ができることもクライアントの意識現象の事実として明らかになっています。
ラタラジューも、こうして呼び出した前世人格の一つであるわけで、その前世人格ラタラジューが真性異言で会話した事実を前にして、魂や生まれ変わりの実在を回避するために、深層心理学的概念を駆使してクライアントの霊的な意識現象に対して唯物論的解釈することは、現行科学の知の枠組みに固執した不自然な営みだ、と筆者には思われるのです。
魂の自覚状態や、そこで現象する前世人格の顕現化という意識現象の事実に対して、事実は事実としてありのままに認めるという現象学的態度をとってこそ、SAM前世療法を実りあるものにしていくと思っています。
そして、クライアントの示す意識現象の諸事実は、現行科学の枠組みによる説明では、到底おさまり切るものではありません。
魂や生まれ変わりの実在を認めることを回避する立場で、あるいはすべて非科学的妄想だと切り捨てて、どうやって顕現化した前世人格ラタラジューの応答型真性異言現象の納得できる説明ができるのでしょうか。
ちなみに、スティーヴンソンも、「グレートヒェンの事例」において、真性異言で会話したグレートヒェンを名乗るドイツ人少女を「ドイツ人とおぼしき人格をもう一度呼び出そうと試みた」(『前世の言葉を話す人々』11頁)と記述し、呼び出された前世人格を「トランス人格」(前掲書9頁)と呼んでいます。
つまり、催眠下で前世人格を呼び出し顕現化させる、というSAM前世療法における筆者と同様のとらえ方をしています。
おそらく、この被験者も里沙さんのような高い催眠感受性を持ち、タエやラタラジューの人格同様、催眠下で一気に魂状態になり、その表層に存在している前世人格グレートヒェンが顕現化したと推測してよいように思われます。
こうして、死の時点の認識を固着したまま前世人格が魂の表層に生きて存在している、という見解を持つ理由は、それがクライアントに観察できる意識現象の事実として直感に著しく反していないからであり、それを認めることが不合理な結論に帰着しないからであり、その意識現象がSAM前世療法の作業仮説の枠組みに収まっているからです。
もちろん、コメントに披露されている高森氏の、マイヤーズ通信に基づく生まれ変わりの仕組みや、前世人格の顕現化現象の説明を否定するわけではありません。説明は成功しているからです。
端的にいえば、判断留保です。筆者の説明も成功していると思うからです。
というより、判断するための科学的検証が不能な領域の、哲学的(スピリチュアル霊学的)な議論ですから、正否の判断ができないのです。それは、筆者の見解についても同様です。
ただ、今回高森氏の展開されているマイヤーズ霊の告げたSpirit論に基づく見解は、筆者のSAM前世療法実践者としてセッションから得られた素朴な実感からすれば、理屈としてはそうかもしれないが実感として素直に受け入れられない、ということでしょう。稲垣という実践者と、高森氏というスピリチュアリストの、立場の違いからくる、見解の違いということが出来るかも知れません。
いずれにせよ、きわめて高度な霊界領域に関する議論ができて、楽しませていただけたことに深謝です。
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