SAM催眠学序説 その180
1 体外離脱体験「マリアの事例」について
前ページの『SAM催眠学序説 その179』で紹介した体外離脱体験の「マリアの事例」は、体外離脱体験としては極めて信憑性が高い事例として、わたしは高く評価してよいだろうと思います。
この事例を現地取材した立花隆氏は、体脱体験当事者であるマリア本人に直接会ってさらに詳しく取材を試みようとしましたが、彼女の行方が不明であったことから、直接取材ができなかったと語っています。
立花氏が、体脱体験取材に強い関心を向ける理由は、体脱体験が「脳内現象によるのか(脳内で起きている錯覚や空想上の体験)」、「現実体験であるのか(肉体から離脱した意識体が体外離脱した状態で見聞きするなどの現実体験)」の、両仮説の科学的結着がいまだついていないからです。
立花氏によれば、「マリアの事例」を科学的に説明できる理論がないことは率直に認めるが、いずれは科学的に説明できるようになるだろうと期待して判断留保としておこうということらしい。 したがって、彼は唯物論的「脳内現象説」に軸足をおいていると判断できます。(立花隆『臨死体験 下』文春文庫、PP.47-53)
次に立花氏が体脱体験者に直接取材、確認した事例「サリバンさんの事例」を紹介します。
2 体外離脱体験「サリバンさんの事例」について
サリバン(59歳)さんは三年前、心筋梗塞の発作を起こして救急病院にかつぎこまれて緊急手術を受けた。そのとき体外離脱して、自分が手術されるところを天井のほうから見ていた。そのとき見たことを今でも覚えているが、それが本当に自分の見た手術室の様子と客観的に合致しているかどうか、自分を手術した主治医の医師に直接会ってたしかめてみたいとかねがね思っていたというのである。
「手術台の上のわたしの肉体は、私というより本当の私を包んでいたパッケージのようなものだと思いました。それを見ても、何の感情もわきませんでした。手術台の私は、見るも無残に切り裂かれていましたが、私自身には全く苦痛がありませんでした」(中略)
「私がまずびっくりしたのは、沢山の人が私の体を取り囲んでいたことです。五人くらいいたと思います。そして、そのうち二人が、熱心に私の脚を手術していました。私は悪いところは心臓だとばかり思っていたので、これにはびっくりしました。主治医の先生は私の頭のほうにいました。その両脇に医者と看護婦が一人ずついて、それから、私の頭のところに大きな白い帽子をかぶった看護婦がいて、主治医の先生以外に全部で五人いました」(中略)
主治医に聞くとこれはその通りで、サリバンさんの心臓は冠動脈が動脈硬化起こし心筋梗塞をもたらしていたので、冠動脈のバイパスを作る必要があった。バイパス用の血管は、脚の血管を切って利用する。心臓の手術にかかる前に脚を切開して、その血管をいつでも切り取れるようにむき出しにしておかなければならない。脚のところにいた二人の医師はその作業をしていたのである。
「上から見ると、私の目のところが、何かよくわからないもので覆われていました」
主治医によると、患者の目を万が一にも傷つけることがないように、患者の目を閉じさせ、その上に卵形のアイパッチを乗せ、それをテープで固定してしまうので、たとえ患者が手術中に意識を取り戻して目を開いたとしても、何も見えないのである。(中略)
「それから主治医の先生は、手を胸の前に組んで、肘を左右に突き出すような格好をしていました。その姿勢のまま、肘の先で何かを指し示しながらいろんな指示を下すので、まるで両肘が鳥の翼のように見えました。鳥が翼をパタパタ動かしているようでした」 これについては、同僚の医師が主治医のクセだと証言してくれた。
これ以外にも、主治医が手術のときだけ特別の拡大鏡のついた黒縁の重そうな眼鏡を着用していたこと、三つのライトの集合体の無影燈の見えたこと、心臓手術に使われる大きな人工肺装置が見えたことなどを、サリバンさんは語っている。
さらにサリバンさんは、体脱中の自分の心臓の見え方について次のように語っている。
「私の胸が切り開かれ、心臓が見えていました。(中略) 心臓は血で赤いのかと思ったら、白っぽい紫色で血の気がぜんぜんないのにも驚かせられました。心臓はガラスのテーブルの上に置かされているように見えました」 このくだりは、ガラスのテーブルという1点を除いて、ほぼ完全に手術の現場の様子に合致しているのである。そして、その中には実際現場を見ていなければ分かるはずがないと思われる事実がいろいろ語られている。
ガラスのテーブルの上に心臓が置かれているという点について、別の専門医は次のように指摘している。
「冠動脈のバイパス手術に限らず、心臓を停止させて手術をする場合には心臓の温度を下げます。これは低温にすることにより代謝を抑え、心臓を止めている間の無酸素による心筋の障害を最小限にするためです。このため乳酸リンゲルを凍らせたアイス・スラッシュを心臓の周囲に詰めた状態で手術を行います。これは透明なシャーベット状の氷で、心臓の部分だけが氷のかぶっていない状態になるわけです。これを天井から見れば、心臓がガラスのテーブルの上に置かれているように見えたのは、もっとものことであると思われます。したがって、サリバンさんの話には事実と異なる点はなく、体外離脱現実説の有力な例であると考えます」
そこでサリバンさんの手術のときもこれと同じ方式かどうかをサリバンさんの主治医に確認したところ、アイス・スラッシュを心臓の周囲に詰めて手術したということであった。 (立花隆『臨死体験 下』文春文庫PP.246-256)
3 応答型真性異言と魂と呼ばれる存在について
わたしが体外離脱体験の真偽に執拗にこだわるのは、わたしの創始したSAM前世療法の根本的仮説に直結しているからです。
体外離脱体験とは脳内現象であり、脳の作り出した架空の体験だとすれば、体外離脱した意識体(魂)などはそもそも存在せず、したがって、そうした意識体が見聞きしたとされる体験などはすべて脳の働きによる作り話、あるいは錯覚であると判断されることになります。
したがって、魂の存在を前提として展開する「SAM前世療法」は、到底まともな心理療法として認められる資格はない、と切って捨てられる運命は免れないでしょう。
しかしながら、SAM前世療法被験者リサさんの、魂の表層から顕現化したネパール人の前世人格であるラタラジューが、被験者リサさんの絶対知るはずのないネパール語で、ネパール人女性であるカルパナさんと応答的な会話をする、という超常現象が確認されています。そして、このSAM前世療法の全セッションのビデオ映像が確たる証拠として残っているのです。
この応答型真性異言現象「ラタラジューの事例」こそ、被験者リサさんの魂の存在と生まれ変わりを示すもっとも強力な証拠です。
そして、体外離脱現象「マリアの事例」と「サリバンさんの事例」も、肉体から離脱した魂の存在を示す現実体験であることを示す強力な証拠です。
生まれ変わりの科学的実証に取り組み、3例の応答型真性異言を発見したバージニア大学のイアン・スティーヴンソンも、いわゆる魂と呼ばれている意識体を認めており「前世から来世へとある人格の心的要素を運搬する媒体を『心搬体』と呼ぶことにしたらどうかと思う」と提案しています。
イアン・スティーヴンソン/笠原敏雄訳『前世を記憶する子どもたち』日本教文社P.359
ちなみに文芸春秋社から立花隆氏著『臨死体験上・下』が出版されたのは 2000年です。 「ラタタジューの事例」を収録した拙著『生まれ変わりが科学的に証明された』が出版されたのは2010年です。 同事例は、同年10月にフジテレビ番組「アンビリバボー」でも90分近く放映されています。
したがって、当然のことながら、立花隆氏が『臨死体験上・下』執筆前に「ラタタジューの事例」を知ることはありません。
立花氏が存命中であれば、彼の徹底的な懐疑精神と科学的公正な視点によって「ラタラジューの事例」をどのように判断・評価されるのか知りたいのですが、それが今となってはかなわないことが、かえすがえすも大変残念なことだと思っています。
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