SAM催眠学序説 その147
ワイス式とSAMを両方体験したヒプノセラピストの体験記
以下はF子さんと名乗る50代女性の体験記です。 彼女は、ワイス式前世療法を学んだ現役セラピストであり、SAM前世療法との相違を鮮やかに体験した貴重な体験記と言えます。
前ページブログ『その146』と同様に注目すべき部分を注の番号を付けてゴチックで示し解説をしたいと思います。
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こんばんは。9月末にSAM前世療法を受けさせていただきましたF子です。その節は、大変お世話になりました。ありがとうございました。
今まで、ワイス式の前世療法を学んできた私としましては、催眠誘導のアプローチの違いに多少の戸惑いはありましたが、もともと被暗示性の高い私は、スムーズにSAM前世療法の誘導に導かれていくことができました。
先生に、魂の側面である過去世のものを呼び出され、どこの国の人ですか?」と問われ、私の中に「イ」という国のイメージが浮かび、先生から「インド?・・イギリス?・・・・「インカ?」とさらに尋ねられ、まさに「インカ」といわれた瞬間に、私自身が、手で顔を覆い、泣き呻き始めたことに驚きました。(注1)そして、左胸を掻き毟るような動作をして「苦しい・・・」と。
そう彼女は、インカの時代に心臓をえぐられて、生贄になって死んだイルという名の20歳の女性だったのです。
10歳の頃に、太陽の力を受けてそれを人々に伝えるような能力を持ち、生贄になったことも「人々のために自分が死ななくてはならない」と受け止めていたイル。 でも、その死は、やはり辛く、悲しい出来事だったに違いありません。 そんなイルの気持ちが、私の中に次から次へと込み上げてきました。
先生に癒していただき、気持ちが次第に落ち着いていくことも感じることができました。
なぜか、ワイス式の前世療法と異なり、視覚的なイメージが浮かばないのに、感覚で全てがわかるのでした。(注2)
そして、イルの過去世の後、先生に現世へ誘導されたにもかかわらず、また違う過去世へといってしまいました。それが、イルとは違い笑えました。
まず、男のような声で唸る自分に驚き、続いて鼻を鳴らしたり、また唸ったり、発する声が完全に男になっていたことに本当に驚きました。(注3)
彼は、ドイツの木こりでした。 結局のところ彼はどうしてこの場に出てきたのかわからず、「なんでかな~」と唸りながら、首を傾げていました。 そして、先生から「また今後ゆっくりお話を聞きましょう」といわれその後、私は現世に戻って来ました。
今回の先生とのセッションは、私にとってとても印象深く、ちょっとした衝撃でした。今までワイス式では、どちらかと言うと「自分で作ってしまっているのではないか」という感覚がありました。(注4)
しかし、SAMでは、誘導から一っ飛びに、その人物になってしまったり、明らかに男の声、しゃべり方になっていることを実感できたからです。
となると、魂の表層のものたちが存在すると私は確信せざるをえません。
また、セッションの機会がありましたら、是非ほかの表層のものたちとの出会いもしてみたいと思いました。
メールで先生が尋ねられておりました「前世想起中の意識状態」ですが、過去世の人物でありながら、過去世を語っている自分をしっかりモニターしている現世の自分がありました。(注5)
そして、周りの物音や、話声もはっきり聞こえました。
それにもかかわらず、過去世のその人物はその人物自身を語っていました。
前のメールで、私は、ワイス式では、視覚での映像を見ることができ、SAMでは全く視覚的なイメージがないのに感覚でわかったといっておりましたが、ワイス式でも、視覚的なイメージではなく感覚的なイメージが出るタイプの方もおりました。
私たちが習ったところの先生によりますと、10人の被験者がいて、まず3人が視覚的な人で催眠に一番入りやすい、続いての3人が感覚的な人で次に催眠に入りやすい、そして次の3人が聴覚的な人で催眠に入り、最後の一人は、全く入れないということでした。
私は、今回の経験から、ワイス式のように物語風に催眠へ誘導していく上では、視覚や感覚的なイメージの出方が問題になるかもしれないと思いますが、
SAMのように、「ふっ!」と過去世へ入ってしまうと即、その人物になりきっている。(注6) 見えようが、見えまいが、その人自身であることに、イメージの描きようがない感じを受けました。
そのあたりが、大きな違いのように思えます。
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【解説】
1(注1):SAM前世療法の作業仮説では、セッション中の意識は、前世の記憶の想起ではなく、前世人格の顕現化です。したがって、「手で顔を覆い、泣き呻き始めた」、「左胸を掻き毟る」ような動作をしている主体は、クライアント自身ではなく、クライアントの肉体を借りて顕現化している前世人格です。 こうした感覚の状態は、SAM前世療法に共通してあらわれる現象です。前世人格の語りと、それをモニターしている意識が併存している意識現象は、SAM前世療法独自の意識現象で、前世記憶を想起して語る一般の前世療法にはみられない意識現象です。
2(注2):顕現化した前世人格の視覚的なイメージが浮かばないのに、感覚で全てがわかるという意識現象も、SAM前世療法に独特な現象で、おおくの被験者に共通して報告されます。 SAM前世療法の仮説では、「魂表層の前世人格と現世人格は、友愛を結び、互いに知恵を与え合っている」、つまり、現世の人格とつながっていますから、前世人格の感覚がそのまま伝わってくるということです。
3(注3):「男のような声で唸る自分に驚き、続いて鼻を鳴らしたり、また唸ったり、発する声が完全に男になっていた」という現象、つまり、顕現化した前世人格の声や素振りに変容するという現象も、SAM前世療法に共通した現象だといえます。 「鼻を鳴らしたり、また唸ったり、発する声が完全に男になっていた」現象は、前述 (注1)と同様に、そのような現象を示している主体は、現世のクライアントではなく顕現化している前世人格だからです。
このような現世人格が変容し、前世人格が顕現化している状態を如実に示している証拠映像が、you-tubeで公開している「タエの事例」と「ラタラジューの事例」です。 「タエの事例」時点で被験者里沙さんは48歳でしたが、タエが顕現化すると、17歳のタエの声音に変容していることが確認できます。演技ではないかと疑われて当然ですが、濁流に呑み込まれて溺死する場面で、里沙さんの腹部が苦痛で痙攣を起こしていることを確認しています。 このような痙攣は演技できません。
こうした現象をSAM前世療法の独自の術語として「自己内憑依」と呼びます。 「前世人格が生まれ変わりである現世の者の肉体を借りて自己表現する」現象です。 つまり、肉体のない前世人格が現世の者に憑依する現象です。
4(注4):「ワイス式では、どちらかと言うと、自分で作ってしまっているのではないかという感覚がありました」、こうした疑問を覚えて、わたしのSAM前世療法セッションを体験しにおいでなるクライアントは少なくありません。催眠学の明らかにしているところでは、催眠中には創造活動が活発化し、様々な願望が自発的にイメージ化するとされています。
5(注5):「過去世の人物でありながら、過去世を語っている自分をしっかりモニターしている現世の自分がありました」という意識現象をSAM前世療法では、「三者的構図」と名付けています。
こうした「顕現化した前世人格の意識」と、それを「モニターしている現世人格の意識」という、二つの意識が併存状態になることも、SAM前世療法独特の意識現象です。
つまり、「セラピスト」対「顕現化した前世人格」の対話、それをモニターしている「現世の人格」という意識の三者関係が生じているという構図なのです。 一般の前世療法では、「セラピスト」対「クライアント」の対話という意識の「二者的構図」で終始セッションが進むわけです。
6(注6):「ふっと、過去世へ入ってしまうと即、その人物になりきっている」という表現は、「ふっと現世の私のモニター意識が気がつくと、前世人格が私に憑依して私の身体を使って自己表現している」とするべきだ、というのがSAM前世療法の仮説の立場からの主張です。
【参考】 『SAM催眠学序説 その124』より
「自己内憑依」仮説と「前世人格の顕現化」仮説
したがって、クライアントが口頭で対話する場合、指で返答をして対話する場合、落涙する場合などの「主体」はクライアント自身の意志ではなく、前世人格の意志なのである。
こうして肉体を持たない前世人格は、自己の存在をクライアントの肉体を借りて(憑依して)「顕現化」することが可能になる。
その状況証拠として、前世人格が顕現化中のクライアントの催眠状態を「モニターしている顕在意識」は、勝手に口が開いて喋っている、勝手に指が動いて返答している、勝手に涙が溢れて泣いている、と認識していたと報告する。
こうした、前世人格の顕現化中の変性意識状態で現れる現象を「自動発話」、「自動動作」と呼び、前世人格が「自己内憑依」を起こし、顕現化している指標の一つとしている。
要するに、「自己内憑依」が起こった結果、「前世人格の顕現化」が可能になる。
「前世記憶の想起」が前提のワイス式前世療法では、「自動発話」、「自動動作」という現象は起きない。
なぜなら、セラピストの対話相手は終始クライアント自身であり、クライアントは前世記憶のイメージを自分自身の記憶として、想起し、語る。
したがって、語る主体は、終始クライアントであり、前世の人格そのものではないのである。
一般に憑依とは、「当事者以外の第三者の霊が憑依すること」を意味している。
したがって、現世人格の内部(魂表層)に、意識体として存在している前世人格が、生まれ変わりである現世の肉体に憑依する、という意識現象はこれまで知られていない。
SAM催眠学では、これまでの第三者の霊の憑依と明確に区別するために、独自・固有の概念を持つ用語としてあらたに「自己内憑依」と呼ぶことにした。
「三者的構図」仮説
「前世の記憶を想起する」という仮説によっておこなわれる一般の前世療法のセッションにおいては、「セラピスト」対「クライアント」の二者関係(二者的構図)によって終始展開される。
前世人格は、クライアント肉体を借りて自己表現しているのであって(自己内憑依しているので)、対話している主体は前世人格であって、クライアントではないのである。
こうした消息をありのままに報告し実証してくれた、「ラタラジューの事例」の被験者里沙さんの体験報告の抜粋を以下に掲載する
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なぜネパール人が日本語で話が出来たかというと、現世の私の意識が通訳の役をしていたからではないかと思います。
でも、全く私の意志や気持ちは出て来ず、現世の私は通訳の機器のような存在でした。
悲しいことに、ラタラジューの人殺しに対しても、反論することもできず、考え方の違和感と憤りを現世の私が抱えたまま、ラタダジューの言葉を伝えていました。
カルパナさん(ネパール人対話者)がネパール語で話していることは、現世の私も理解していましたが、どんな内容の話か詳しくは分かりませんでした。
ただ、ラタラジューの心は伝わって来ました。
ネパール人と話ができてうれしいという感情や、おそらく質問内容の場面だと思える景色が浮かんできました。現世の私の意識は、ラタラジューに対して私の体を使ってあなたの言いたいことを何でも伝えなさいと呼びかけていました。
そして、ネパール語でラタラジューが答えている感覚はありましたが、何を答えていたかははっきり覚えていません。ただこのときも、答えの場面、たとえば、ラタラジューの戦争で人を殺している感覚や痛みを感じていました。
セッション中、ラタラジューの五感を通して周りの景色を見、におい、痛さを感じました。
セッション中の前世の意識や経験が、あたかも現世の私が実体験しているかのように思わせるということを理解しておりますので、ラタラジューの五感を通してというのは私の誤解であることも分かっていますが、それほどまでにラタラジューと一体化、同一性のある感じがありました。
ただし、過去世と現世の私は、ものの考え方、生き方が全く別の時代、人生を歩んでいますので、人格が違っていることも自覚していました。
ラタラジューが呼び出されたことにより、前世のラタラジューがネパール語を話し、その時代に生きたラタラジュー自身の体験を、体を貸している私が代理で伝えたというだけで、現世の私の感情は、はさむ余地もありませんでした。
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前世記憶の想起を前提にしたワイス式前世療法では、このような三者的構図は起こりようがない。ワイス式では、セラピスト対クライアントの二者構図で終始するからである。
こうして、前世人格との対話が終結したところで、前世人格には魂表層のもとの位置へと戻ることを指示し、代わりに魂表層の「現世の者(人格)」と交代してもらい、解催眠の手続きに入る。
以上、前ページ『SAM催眠学序説 その146』と今回の『SAM催眠学序説 その147』で二人のSAM前世療法の体験記録で検証してきたように、SAM催眠学の仮説に反する意識現象の事実は、現時点で確認されてはいません。
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