2018年9月1日土曜日

コメント表示と投稿内容についての留意点

 

充実した内容をめざし読者のみなさんへ貢献するために

 

 1 コメントの読みやすい表示方法

 

 本文記事の枠外下に「8件のコメント」などの表示が出るようになっています。コメントを読む場合に、この「8件のコメント」をクリックすると、コメントが投稿順に表示されます。
ただし、文字ポイントが小さく、改行なしの縮小コメント記事の表示になるので読みづらい欠点があります。

 

そこで、本文記事の最上段の、大きな文字ポイントのタイトルの赤文字「 SAM催眠学序説その116」などをクリックすると、赤文字が黒文字に変わり、本文に続いて本文と同じカーキ色の地に本文と同じ文字ポイントでコメント全文が投稿順に表示され、大変読みやすくなります。投稿される場合もタイトル赤大文字をクリックして黒文字に変えると「コメントを投稿」という赤小文字が最下段に表示され、これをクリックすれば投稿するための空白の枠が表示されます。

 

生まれ変わり否定論のさまざまなコメントと、わたしの反論の応酬の知的バトルは、生まれ変わりの科学実証を求める読者には興味深い内容があり、楽しんでいただけるとともに大きな参考になると思います。

コメント数が多いページが、まずはお勧めです。

アメブロなどと比較して、グーグルブログを使う方は少ないため、上記の操作をご存じない方がおいでになるので、紹介しました。

 

2 投稿内容の留意点(投稿のガイドライン参照)
 

 

SAM前世療法で顕現化するのは「前世人格」そのものです。「前世の記憶」ではありません。

 

ワイス式前世療法とは、仮説も、催眠誘導技法も、まったく異なっています。

 

SAM前世療法おける「前世人格」の顕現化現象で、語る主体は、クライアントではなく、肉体を持たない前世人格です。

 

クライアントは、顕現化した前世人格に自分の身体を貸しているという仮説(自己内憑依仮説)に立って、前世人格そのものとの対話という形式でセッションを展開します。

その実際はyou-tubeで公開しています。

 

ワイス式前世療法のように、クライアント自身が、終始自分の想起した「前世の記憶」を語る、という仮説でセッションを展開することとは、様相がまったく異なります。

 

こうした、語りの主体が「前世人格そのもの」であるのか、クライアント自身が主体であり前世記憶を語っているのか、という決定的に重要な区別が分かっていない投稿がほとんどです。

 

わたしの記事へのこれまでの否定論は 「生まれ変わりなどあり得ない」という硬直した唯物論の前提に立つ、実証なき観念論(感情論)の主張ばかりです。そもそも「ない」ことの証明は、観念論からは導き出せません。(注:「悪魔の証明」参照)

 

また、ことばによって伝達可能な「情報」とことばによっては伝達できない「技能」との区別をしないですべて情報として伝達できるものだとして、聞きかじりの生半可な観念論(実証のない単なる「説」)を持ち出して投稿する否定論者がほとんどです。

 

とりわけ、被験者里沙さんの学んでいないネパール語による応答型真性異言「ラタラジューの事例」についての否定論が典型です。「情報」ではなく「技能」であるネパール語の会話がなぜできたのか、この科学的説明は唯物論では不可能です。「技能」は、練習で身につけた「暗黙知」であり、「情報」として伝達できないのです。このことの無理解・誤認に基づく否定論ばかりです。

SAM催眠学序説 その117「生まれ変わり仮説」を否定する9つの反論」をお読みになれば、ご理解いただけるでしょう。

否定するからには、「反証可能性にひらかれている」わたしの一次証拠を示した主張を、ていねいに検討したのちに反証を挙げて具体論で否定する、という当然の作法が無視されています。

 

提示されている一次証拠に正対し、反証を挙げる労力から逃げて、誰かの主張している観念論を持ち出し、論点ずらしを展開する、というのが否定論者の常套手段になっています。

わたしが生まれ変わりの証拠としている「タエの事例」、「ラタラジューの事例」の両動画を視聴し、この一次証拠に正対し、具体的反証を挙げながら、反論することが礼儀でしょう。

 

具体的諸証拠を示した(反証可能性にひらかれた)わたしの主張に反論する場合は、まず提示されている反証可能な具体的諸証拠について反証を挙げて否定することから始める、という「立証責任(挙証責任)」が生じるのです。

 

具体的反証が挙げられないなら、まず、それを断ってから、自分の主張である観念論なり別の反論なりを主張するべきです。

 

一次証拠を棚上げし一切触れない、実証なき観念論(「仮説」ではなく単なる「説」)で一方的に反論できたつもりでも、説得力はまったくありません。

 

なぜなら、否定されない一次証拠は、肯定されていると見做され、生まれ変わりの科学的証拠として、相変わらず存在し続けているからです。「論より証拠」です。

 

実証なき観念だけの「説」は、空理空論です。実証を示さない観念論だけなら、誰でも何とでも主張できます。本ブログのテーマを「生まれ変わりの実証的探究」と掲げている意味は、観念論だけで科学的実証をともなわない空虚な議論を避けるためです。

 

科学的仮説には、その仮説の根拠となる検証可能な具体的証拠がともないます。したがって、検証の結果をもって、仮説の真偽が判断できます。

STAP細胞の仮説が典型です。STAP細胞の真偽について検証可能な仮説であったからこそ、仮説の検証について諸実験が追試され、その真偽を問うことができたのです。

 

つまり、STAP細胞仮説は、私が繰り返し主張してきた検証可能な「反証可能性」にひらかれていました。

反証可能性にひらかれていることが科学的主張(仮説)の条件の一つです。

 

具体的証拠に基づく生まれ変わりの主張(仮説)を否定するには、生まれ変わり仮説を支持する具体的諸証拠(一次証拠)に基づく、具体的な反証を挙げて、具体的に否定する以外に方法はありません。

この当然の論理と作法を心得ていないコメントは、科学的思考と先行研究に基づく実証的反論たる投稿資格がないと思わざるをえません。

 

わたしは、いい加減な諸証拠を挙げ、注目を浴びたいがためにこのブログを立ち上げたつもりはありません。生まれ変わりのような重大なことについて主張するからには、多くの先行研究に目を通し、4000事例にわたる催眠の臨床研究によって自ら体験し、蓄積してきた科学的諸証拠をライフワークとして公開しているつもりです。その金字塔が「タエの事例」、「ラタラジューの事例」だと思っています。TV番組アンビリバボーでも紹介されたこの両事例は、世界の生まれ変わりの科学的研究史上に日本の事例として残るでしょう。

 

生まれ変わりを科学的事実として認めることの深甚な影響は、個人の人生観・世界観に限らず、自然界のあらゆるものに対する見方など広汎な領域にも根本的な変更を迫ることになるでしょう。だからこそ、生まれ変わり(死後存続)の問題を真剣に探究するべきだと考えます。

そのために、生まれ変わりについて、観念より事実、理屈より実証を地道に愚直に示していくことこそが、このブログの存在価値だと思っています。そして、SAM前世療法は、わたしにしかできない探究のためのきわめて有用な道具です。

 

さてわたしが、かつてのアメブロからグーグルブログに乗り換えた理由は、1ページ分の本文欄、コメント欄の、文章の書き込み文字数制限がないこと、外国人の読者には、その国のことばに翻訳する機能がついていることによります。

したがって、コメント欄を用いた長文の議論が可能であり、しかもそれが世界に発信できるというメリットがあります。

ブログ開始から今日までの総アクセス数は17万回を超えています。


5 件のコメント:

稲垣 勝巳 さんのコメント...

こんにちは ショウタです。


mad********さんの回答についてどう思いますか?

https://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/q11195831721

否定派はどう事例を取り上げ、何言っても「商売のためのガゼ」という事で片付けてしまうみたいですね。

ある意味唯物論より立ちが悪いと思います。

稲垣 勝巳 さんのコメント...

ショウタさん

mad・・・さんの霊魂否定の記事を読みましたが、「最初から演出をしている、なんらかのトリックがある」と一般論・観念論一色で決めつけているようですね。
否定論を裏付けるための、証拠に基づく具体論は一切ありませんでした。

「何らかのトリック」がどのような内容で、たとえば、反証可能性にひらかれている「タエの事例」、「ラタラジューの事例」のどこにトリックがあるのかの具体的反証を挙げて指摘がなされないところでは生産的議論の余地はまったくありません。

生まれ変わりの科学的研究についての先行研究を無視、生まれ変わりの具体的証拠を検討することもなく、生まれ変わりのような奇怪なことはあるはずがない、という頑迷な思い込みで知的怠慢のままで生きている人だと判断するしかありません。

実証精神のない、科学的思考力を欠いた反知性主義者のこういう人をまともに相手にすることは時間の無駄です。
そうは思いませんか?

ちなみに、ショウタさん、タエもラタラジューも、けっして被験者リサさんの「前世の記憶」ではありません。

被験者の「前世記憶を想起させる」という前提でおこなわれている一般の前世療法(退行催眠とも呼ばれ私がワイス式と呼んでいる前世療法)とは、前提仮説も方法論も全く異なる「SAM前世療法」によって呼び出した、被験者と別人格の「前世人格そのものの語り」です。

被験者リサさんの魂の中に、別人格の意識体として今も生きている「前世の人格そのものの語り」です。
だからこそ、ラタラジューは現在進行形の会話をしているのです。
この重大な事実は公開動画を視聴すれば納得できますし、何度も繰り返しこのブログで指摘しています。

たとえば、直近の記事「その116」の投稿者「坊さん」の生まれ変わり否定のコメントに対して

「仮にラタラジューの記憶が里沙さんに『遺伝』していたとして、ラタラジューがネパール語対話者のカルパナさんに『あなたはネパール人ですか?』と尋ね、『はい、ネパール人です』
という回答に『おお、おお』と喜ぶ対話は、記憶では説明できません。
ラタラジュー人格が、ただいま、ここに、顕現化し、現在進行形で対話しているわけで、記憶ではないことは明白です」

と、私の反論を述べてあります。
この私の反論に対する坊さんからの再反論は、いまだにありません。できないのです。
あなたは、この直近コメント記事すらきちんと読んでいませんね。

催眠中に、被験者と別人格の「前世人格」が顕現化し、被験者の「記憶」ではなく、「顕現化した前世人格そのものが語っている」という見解は、イアン・スティーヴンソンも採っています。応答型真性異言「グレートフェンの事例」において、実際のセッションに立ち会った彼は、催眠中に顕現化したドイツ人少女グレートフェンを、アメリカ人女性の被験者とは別人格の「トランス人格」だと述べています。(『前世の言葉を話す人々』春秋社,P9)

観念論者は、具体的事実(証拠)に基づいて具体論で反論すると、必ずダンマリを決め込んで知らん顔です。あるいは論点をずらして、別の観念論を持ち出し、ごまかそうとします。

裁判のルールを適用すれば、原告・被告の双方の証拠に基づく訴え(陳述)に正対し、きちんと反論できなければ、黙った時点で相手の訴えを認めたことになります。

また、アンビリバボーは超常現象など取り上げる人気エンタテインメント番組であり、これまで放映されてきた映像は、たしかに玉石混淆といってよいでしょう。

しかし、「タエの事例」、「ラタラジューの事例」の証拠映像の真偽について限って言えば、番組編集会議で、私やリサさんの身元調査、セッション同席者の身元調査をはじめ、トリックの一切ないことを慎重に検討した結果、オンエアを決定したと番組ディレクターから聞いています。
そのために、スタッフをネパールのナル村まで派遣し、ラタラジューの語りの裏付け調査まで敢行したのです。

こうして、世界初の応答型真性異言発話中の証拠映像だと認め、番組として自信をもって、「ラタラジューの事例」のみで、異例の、60分枠時間のすべてを費やして放映することに踏み切ったと聞いています。

生まれ変わりの証拠映像のような重大な事実を、ゴールデンタイムに放映することは、民間テレビ局といえども、視聴率かせぎのために無責任にできることではありません。
「最初から演出をしている、なんらかのトリックがある」などの批判は、完全にでたらめです。

ただし、放映映像の説明で、「ゴルカ地方」とあるのは誤りで、ラタラジューの語っている「ゴルカ」とは地方名ではなく、文脈からして、父親が「グルカ兵」だと語っているのを誤解して訳されています。ナル村は「ゴルカ地方」ではなく「ラリトプール地方」です。
「ゴルカ」は「ゴルカ地方」と「グルカ兵」両方の意味で発音されます。
放映映像の私の事前チェックが許されなかったので、やむをえないことではありますが、正確さを欠いていると思わざるをえません。

ちなみに、このときの視聴率は13%でした。

また、生まれ変わり研究のための実験セッション映像撮影は、アンビリ放映の1年以上前のことであり、アンビリとは全く無関係であり、放映のための演出やトリックなどが、なされる余地など全くありません。
真性異言研究チームの末武信宏医師(医博)が、知り合いの雑誌『ムウ』編集者に「ラタラジューの事例」を紹介し、『ムウ』が取り上げ、記事にしたものをアンビリのリサーチ会社がキャッチして、私に実験映像の提供依頼が来たわけで、私のほうからアンビリ側に売り込んだことは一切ありません。

「最初から演出をしている、なんらかのトリックがある」などは裏事情の経緯を知らない人間の、無責任な面白半分の戯言にすぎません。
こういう、証拠もなしに一方的に決めつけを吐く人には、もはや、つける薬はありません。

このサイトは、生まれ変わりの真偽について、観念より事実を重んじ、理屈より実証を重んじるサイトです。

生まれ変わりの真偽にかかわる事実(証拠)や実証のない、観念論だけなら、掃いて捨てるほどあります。
極端に言えば、実証の伴わない、したがって検証のしようのない観念論であれば、ハンドルネーム名に隠れて、誰でも、気楽に、無責任に、どのようにも論じることができます。

生まれ変わりの真偽について、実証なき観念論・一般論のとりとめのない応酬を楽しみたい人は、そのような応酬を許容する別のサイトへ投稿してください。
このサイトは、「生まれ変わりの実証的探究」と明確に銘打っています。

なお、ショウタさん紹介のhttps://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/q11195831721は、どういうわけか現在アクセスしても記事が削除されています。
なぜでしょうか?

ショウタ さんのコメント...

知恵袋については回答を逃避したのですがベストアンサーが付かなく削除されてしまいました


私は家庭連合(旧 統一教会)を辞めて現在は科学的な視点で神様や魂の存在を求めています

匿名 さんのコメント...

こんにちは。

動物の魂はどうなっているのでしょうか。人間の魂と動物の魂の関係について。また、自殺について何か考えるところはおありでしょうか。次の人生があるのであれば、「もうこの辺でいいや」と思ったところで、人生のリセットボタンを押してもいいような気がします。そういうことに対するお考えが何かありましたら、ブログのトピックでぜひ取り上げていただきたいです。

稲垣 勝巳 さんのコメント...

匿名さん

SAM前世療法で確認されてきた意識現象の事実では、人間に生まれ変わる前になんらかの動物であった前世の者が顕現化したことは一切ありません。
人間の霊と動物の霊との間には霊格に格段の差があると思われます。

また、未浄化霊の顕現化も意識現象としてあらわれますが、自殺者の未浄化霊がかなり多いということは確認できています。
ただし、自分の尊厳や名誉を守るためのやむを得ない理由があっての自殺者の未浄化霊が顕現化したことはありません。

動物霊や自殺についてのトピックを設ける予定は今のところありません。
「生まれ変わりの実証的探究」というコンセプトにそぐわないからです。
反証可能性に閉じられた観念論の応酬に終始するような内容は、取り上げることは避けたいと思っているからです。