2016年4月17日日曜日

グレン・ウィリストンの「前世記憶」の概念

   SAM催眠学序説 その88

前世療法と生まれ変わりに興味のある方は、グレン・ウィリストン/飯田史彦編集『生きる意味の探究』徳間書店、1999を読んでおいでだろうと思います。

最近この『生きる意味の探究』を読み直し、ウィリストンほどの前世療法家がなぜ?と思うことがしきりです。
その「なぜ?」の部分を前掲書から4点取り出してみます。
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①ある人物が、催眠状態で、過去に生きていた人物になりきり、異なる抑揚や調子で話し始め(前掲書P23)

②彼女は過去生へと戻っていたのだ。彼女の名前は、もはやジャネットではなくメアリーだった・・・私の耳に聞こえる声は、東部訛りの成人女性の声から、ソフトな響きの英国少女の声に変わっていた。(前掲書P26)

③ 退行催眠中に、まったく別の人格が自分の身体を通して語っているのを感じながら、その話の中に割り込むことができなかった。
このような「意識の分割」は、 過去生の退行中に必ずと言っていいほど見られる非常に面白い現象である。
私はのちに、多くの人々からこの現象を何度も観察するようになった(前掲書P61)

④過去生の人格が知る由もない文明の利器の名前を出すと、クライアントは驚いて、催眠中にけげんなそうな表情を浮かべる(前掲書P121)
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上記i引用部分の①と②を読む限り、ウィリストンは、セッション中のクライアントの語りをあくまで「前世記憶の想起」であるととらえていると思われます。
それは「過去に生きていた人物になりきり」や、「過去生へと戻っていたのだ」というウィリストンの記述から明らかなように思われるからです。

どこまでもクライアント自身の想起する「前世の記憶」だととらえているのです。
しかし、③では、「別の人格が自分の身体を通して語っているのを感じながら、その話の中に割り込むことができなかった」というクライアントの「意識の分割」状態を述べています。

また、④ではウィリストンが「過去生の人格が知る由もない文明の利器の名前を出すと、クライアントは驚いて、催眠中にけげんなそうな表情を浮かべる」という奇妙な現象を述べています。

私が疑問に思うのは、③④の意識現象をきちんととらえているにもかかわらず、なぜ相変わらず「前世記憶の想起」という解釈にこだわり続けるのか、という点です。

③のように、「別の人格が自分の身体を通して語っているのを感じ」るのであれば、前世の記憶の想起ではなく、前世の人格が顕現化してクライアントの身体を通して自己表現しているのだ、と現象学的にありのままに解釈するべきでしょう。

②「東部訛りの成人女性の声から、ソフトな響きの英国少女の声に変わっていた」というクライアントの声の変質状態を観察しながら、英国少女の前世人格が、ただいま、ここに、顕現化して語っているのだと、なぜ考えないのでしょうか。

ま た、④のように、「過去生の人格が知る由もない文明の利器の名前を出すと、クライアントは驚いて・・・けげんそうな表情を浮かべる」ことを、ありのままに 解釈すれば、「けげんそうな表情」を浮かべる主体は、クライアントではなく、それとは別個の顕現化している「過去生の人格」が、驚いてけげんそうな表情を浮かべるのだ、と考えるべきでしょう。

これまで、「何千人もの人々と」(前掲書P23)前世療法をおこなってきたウィルストン が、ついに、「前世人格の顕現化現象」という仮説に立つことをできなかったのか、私には不思議でなりません。

お そらく、「あなたは、トンネルを抜け、過去の場面に到達するでしょう」、「目の前に展開している過去の場面を見ていきます」(前掲書P316)などの誘導法に、 最初から含意されている「前世の記憶場面を想起する」という常識的、唯物論的先入観の大前提から、ワイスと同様、ついに脱することができなかったからだ、と私には思われます。

そして、不可解なことは、「生まれ変わりの真実性は証明不要なほど確かな事実だ」(前掲書P96)と断言しているにもかかわらず、管見するかぎり、ウィルストンが前世記憶の科学的検証をし、生まれ変わりの確かな事実を証明したようには思われません。
また、「前世の記憶」がどこに存在しているのかについて、一切言及していないことです。

このことは、ブライアン・ワイスも同様です。
まさか前世の記憶が、死後無に帰する脳内に存在しているとは考えられないでしょうに。
仮に「前世の記憶」が事実だとして、彼らはその記憶はどこに保存されていると考えているのでしょうか?

私 の知る限り、前世療法中のクライアントの語りを検証し、「クライアントとは別の前世人格が顕現化してクライアントの身体(脳)を通して自己表現しているのだ」と いう解釈をしているのは、応答型真性異言を発見したイアン・スティーヴンソンだけです。

彼は、「トランス人格(催眠性トランス状態で現れる前世の人格)」 が顕現化して、応答型真性現現象を起こしていると表現しています。
応答型真性異言を語るセッションを見学して、さすがに脳内の「前世の記憶」として語っている、という解釈の不自然さ、不合理さに気づかずにはいられなかったのでしょう。
しかし、スティーヴンソンも、「トランス人格」の存在する場については言及していません。

そして私は、顕現化する前世人格の存在の場は、「魂の表層」であり、しかも、今も当時のままの感情や記憶を保つ意識体として死後存続している、という作業仮説を立てています。

したがって、セッション中に私が対話する相手は、クライアント自身ではなく、クライアントの魂の表層から顕現化した前世人格であり、しかも現在進行形で対話している、と理解しています。
こうした現象は、現世のクライアントの魂表層に存在する前世人格が、クライアントに憑依して私と対話している、ということになります。
このような憑依現象は、これまで報告されたことがなく、したがって用語もありません。
SAM催眠学では、この憑依現象を「自己内憑依」と呼ぶことにしています。
つまり、前世人格の顕現化現象は、自己内憑依現象である、という解釈をしているということです。

こうした作業仮説と観察される意識現象の解釈に、たしかな自信を与えたのが、応答型真性異言「ラタラジューの事例」と「タエの事例」の検証と考察によって、生まれ変わりの実証に肉薄できたことでした。
ただし、SAM前世療法の諸仮説を私に教示したのは、私の守護霊団を名乗る霊的存在であるという、これまた唯物論者が目を剥いて否定するであろう霊信という超常現象です。

このように、唯物論に真っ向から対立する途方もない前提と仮説に立っておこなうSAM前世療法は、世界唯一の前世療法であり、純国産唯一の前世療法だと自負しています。
そしてまた、「前世人格の実在」、つまり「生まれ変わりの実在」の実証性に、かぎりなく肉薄できるように定式化された世界唯一の前世療法である、という誇りがあります。

特許庁は、SAM前世療法の名称とそれの意味する内容、つまり仮説の独自性とそれに基づく技法の独自性を審査し、今までまで流通してきた普通名詞の「前世療法」とは明らかに別個の、固有の仮説とそれに基づく固有の誘導技法を有する前世療法として、「SAM前世療法」の名称を、第44類の商標登録としてを認めてくれたのです。
ちなみに、「SAM]とは、「Soul Approach Method」の略であり、「魂状態に遡行し前世人格を呼び出す方法」を意味しています。

9 件のコメント:

シュヴァル さんのコメント...

おはようございます

読んでいて思ったのですが

前世の記憶として本人が想起していると提唱した最初のワイスさんが権威化していて

だれも疑問を挟めなくなっているか、検証せずに「当たり前」として認識されすぎていると

いうことではないでしょうか?

塾でも指摘しましたがスピリチュアルの世界ではPDCAサイクルが存在せず

権威ある方の言説をうのみにしすぎのきらいがあるように最近思うのです。

稲垣 勝巳 さんのコメント...

シュヴァルさん
「権威」とは、「その道にすぐれた専門家」を指していう言葉です。
ワイスは、催眠法としての前世療法実践分野のすぐれた専門家であるという意味において権威であることはそのとおりでしょう。
前世療法の実践においては、実践上の実績があるからです。
しかし、生まれ変わりの科学的研究分野については権威とは言えません。
生まれ変わりの科学的実証についての研究実績がないからです。

この二つの分野の権威の区別がきちんとなされておらず、前世療法実践上の権威=生まれ変わりの科学的研究の権威、という混同があると思われます。
ワイスほどの前世療法の権威が「前世の記憶」だと言っているのであれば、それはそのまま生まれ変わりを裏付ける証拠だという思い込みが生じていると推測できます。
こうした二つの権威の分野の混同による思い込みによって、「前世の記憶」と言うがほんとうにそうか?という批判的思考の発露が、停止ないし、抑制されてしまうのではないかと思います。

「ほんとうにそうか?」と問い続ける批判的思考こそが、科学の進歩の原動力だと思います。

シュヴァル さんのコメント...

全くその通りだと思います

加えて指摘しますと、塾生の方ともLINEしていて思うのですが不思議なことがあると

感受性が高いために疑わない傾向があるようです。

そこに、権威の混同があるとなると、疑義をますます持たなくなってしまうということでしょうね

最近のブログの主旨もうかがいましたが、現時点では達成できていないこと考えると

やはり、科学的実証に対する考えが乏しいのでしょう。



稲垣 勝巳 さんのコメント...

シュヴァルさん

この記事で紹介したウィリストンは、以下のような記述をしています。、

③ 退行催眠中に、まったく別の人格が自分の身体を通して語っているのを感じながら、その話の中に割り込むことができなかった。
このような「意識の分割」は、 過去生の退行中に必ずと言っていいほど見られる非常に面白い現象である。私はのちに、多くの人々からこの現象を何度も観察するようになった。

上記③の記述内容は、そっくりそのままSAM前世療法セッションにおけるクライアントの意識状態に一致しています。
「前世の記憶」として扱っても、つまりSAM前世療法の最終プロセスである「魂遡行催眠」の手続きを経なくとも、催眠感受性の高いクライアントは、自動的に魂状態へと遡行し、「前世人格の顕現化」現象に至っているのではないかと推測できます。

私の疑問は、「まったく別の人格が自分の身体を通して語っているのを感じ」、それを「意識の分割」とまで記述しながら、なぜこうした意識現象の事実を「まったく別の人格が顕現化した」とありのままの解釈をせず、「前世の記憶」として扱い続けるのか、ということです。

私見によれば、「まったく別の人格が自分の身体を通して語っている」ことを文字通り認めた場合、この現象を「憑依現象」であることを認めることになり、それは何らかの事情(おそらくキリスト教の教義上)不都合であると判断したからではなかろうかと思われます。
「前世の記憶の想起」として扱わず、「前世人格の憑依」として扱えば、前世療法は「憑依療法」である、という非難がキリスト教側からきっとなされるでしょう。
そうした非難を回避したかったのだろうと思います。

あるいは、「脳内の前世記憶の想起」という硬直した思い込みによって、「前世人格の顕現化現象」ではないか、という発想への柔軟な転換がまったくできなかったかもしれません。
それはまた、「霊魂仮説」を採用することへの頑な唯物論的抵抗があるからだとも考えられます。

シュヴァル さんのコメント...

たしかにキリスト教の教義の影響はありそうですね。
生まれ変わりもキリスト教は否定していたはずです。

西欧社会では先生のような考えになるのがそもそも難しい環境があるかもしれませんね。

日本はその点地球上でも特殊な文化、考え方の地域だと思います。
神は絶対神ではありませんし、特定の教義で言論を妨げられることもありません。

節度とマナーを守れば言論は自由ですから
欧米は自由と言いながらその実そうではないように思います

坊 さんのコメント...

神はいません、超自然的な物は全て脳の産物です。

モーガン・フリーマン時空を超えて【人間にとって神とは何か?】4月15日

http://video.9tsu.com/video/%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3%E6%99%82%E7%A9%BA%E3%82%92%E8%B6%85%E3%81%88%E3%81%A6%E3%80%90%E4%BA%BA%E9%96%93%E3%81%AB%E3%81%A8%E3%81%A3%E3%81%A6%E7%A5%9E%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B%EF%BC%9F%E3%80%914%E6%9C%8815%E6%97%A5


稲垣 勝巳 さんのコメント...

坊さん

ご紹介の番組映像を視聴しました。
あなたがこの映像を視聴して、「神はいません、超自然的な物は全て脳の産物です」という断定に至った思考回路は明らかに混線しているか短絡しています。
いったい、番組映像のどこに、このような断定、あるいは断定に至るような部分がありますか?

確かな証拠がない、あるいは少ないのにあることを信じ込み、独断的に思いつきで物事を判断する「恣意的推論」という認知の歪みに陥っておいでのようです。

読者のみなさんも、この番組映像を視聴されれば、私の言い分を納得してくださるはずです。

そもそもこのブログは神の実在の有無のような途方も無いテーマを論じることは自制しています。
「生まれ変わりの実証的探究」がテーマですから、坊さんの投稿は明らかに「投稿のガイドライン」を逸脱しています。

匿名 さんのコメント...

初めまして、最近稲垣勝巳さんの事を知り、前世に興味を持ち始めたものです。
アンビリーバボーやブログを拝聴拝見しましたが前世があるという確信が持てません、そこで本を調べたところこんなレビューがあって買うのを躊躇しました。

なんと!『被験者である女性が、ネパール人である男性の記憶が蘇りながら、日本語で会話をするのは、彼女につくさらに上位の霊的存在が、同時通訳をしてくれてる。』からだそうです。
しかも、この驚愕の証言、彼女が自発的に、ネパール語がうまくしゃべれず、日本語で会話するのはこういうわけだと告げたわけではありません。著者稲垣氏が、後日の再診断時、唐突に、上位の霊的存在を呼び出し、「もしかしたらこういう事情で日本語で会話できるのではないですか?」と、誘導的質問をし、彼女(上位霊)はそうだと認めたに過ぎません。
下記URLから一部抜粋しています。

http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4903821811/ref=cm_cr_arp_d_hist_1?ie=UTF8&showViewpoints=1&sortBy=recent&filterByStar=one_star&pageNumber=1

この本を買って読んだわけではないのですがこじつけに感じ少しショックを受けました。
もしこのレビューが事実なら、どうしてそのような結論に至ったのか教えていただけたら嬉しいです。

稲垣 勝巳 さんのコメント...

匿名さん

著者稲垣氏が、後日の再診断時、唐突に、上位の霊的存在を呼び出し、「もしかしたらこういう事情で日本語で会話できるのではないですか?」と、誘導的質問をし、彼女(上位霊)はそうだと認めたに過ぎません。

というレビューの文言は思い込みと誤解です。
実際のセッション逐語録は」次のようになっています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
注:THはセラピスト稲垣、CLはクライエント里沙さん

TH そうですか。それを聞いて安心しました。もう一つ。ラタラジューはネパール人です。
それなのに日本語が分かるということは、翻訳、仲立ちをしているのは魂の表層の「現世のもの」と考えてよろしいですか? 「現世のもの」は、魂の表層のものたちとお互いに友愛を結んで、知恵を与え合っていると聞いています。そうであるなら、魂の表層にいる「現世のもの」が、日本人である私とネパール人であるラタラジューの間を取り持ってくれて、翻訳のようなことをしてくれていると考えていいですか? 違いますか、これは。

注:この質問と守護霊の回答は、私にとってきわめて重要であった。なぜなら、魂表層は前世の者たちによって構成されている、というSAM前世療法の作業仮説の検証になるからである。この作業仮説をよりどころにすれば、日本語を知らないはずのラタラジューが日本語で会話できる謎も解ける。魂表層で前世の者たちとつながっている「現世の者」が、私の日本語をネパール語に翻訳してラタラジューに伝え、ラタラジューのネパール語を日本語に翻訳して、ラタラジューが日本語で私に伝えることを可能にしている、ということになる。

イアン・スティーヴンソンは、この点について次のように推測している。

「私がとくに解明したいと考えている謎に、イェンセン(注:スエーデン人)やグレートヒェン(注:ドイツ人)が、母語でおこなわれた質問に対しても、それぞれの母語で答えることができるほど英語をなぜ理解できたのかという問題がある。イェンセンとグレートヒェンが、かつてこの世に生を享けていたとして、母語以外の言葉を知っていたと推定することはできない。二人はしたがって、自分たちが存在の基盤としている中心人物(注:アメリカ人被験者のこと)から英語の理解力を引き出したに違いないのである。(『前世の言葉を話す人々』P235)
里沙さんの守護霊の回答を信じるとすれば、「 自分たちが存在の基盤としている中心人物(注:被験者のこと)の『魂表層の現世の者から』英語の理解力を引き出したに違いないのである」と考えるべきである。

CL ・・・あなたの言ったことはそのとおりです。・・・私たち魂は・・・自然に理解できます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この逐語録を読めば「『被験者である女性が、ネパール人である男性の記憶が蘇りながら、日本語で会話をするのは、彼女につくさらに上位の霊的存在が、同時通訳をしてくれてる』からだそうです」というレビュー文言がでたらめであることが明白です。
同時通訳しているのは被験者里沙さんの「魂の表層に存在する現世の者」であって、上位の霊的存在ではありません。

とかくレビューには読者の思い込みや独断・誤解が入っているものです。