SAM催眠学序説 その60
前日2007・1・23 22:58着信の第12霊信を読んだ後、私はさらに通信霊への5つの追加質問をM子さんに送付し、霊団からの回答を待つように依頼しました。
以下の第13霊信はその回答です。
通信霊は第12霊信と同じく、注①「私の祖父の守護霊とつながりをもつ霊」だと名乗っています。
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M子の精神状態から起こる疲労のため、今回の霊信は短いものとする。
その疲労は、日常において誰もが感じる程度のものではあるが、彼女の今日の脳波は思考の波による脳波の乱れから安定しにくいものとなっている。
彼女自身が気づくほどのものではないが、連日の霊信からの疲労も生じるため、安定へと意識を向けさせることへと専念させる必要がある。
だが、霊信は必要に応じておこなわれるものであるために継続していくものとする。
前回に続き、私が霊信を与えていると踏まえなさい。注①
あなたに浮かぶ疑問は解消しなければならないものである。
だが、必然ではないものについては、答える必要はないのだということも理解しておきなさい。
【再質問1】
ふつうにいう「意識(顕在意識・潜在意識)」は、脳が生み出しているものと考えていいか。
そうした「意識」を「心」が管理していると理解していいか。
【回答】
「顕在意識・潜在意識」は「脳」が生み出しているものではない。
すべては「魂の側面であるものたち」がつくり出しているものである。
それらは情報である。
そして、それらの情報をまとめる役目を司るのは「脳」である。
脳によりデータは管理されている。
「心」は、外部の情報を感じ取る役目を司るものである。
魂はすべての要である。
あなた方は「自我」が形成されるのは幼少期だと考えている。
自我という存在の定義は、適切なものとして表現されているものではない。
まず、人が生まれる。
その時点で存在するのは魂・心・脳である。
顕在意識は、ある程度はその時点ですでに形成されているものである。
その後、年令を経るに従い「すでに存在している自我」が拡大していく。
はじめから存在しないものが生じるのではない。
ごく小さな種があるからこそのものなのだ。
ある意味においては、そういった意識を管理しているのは心である。
外部の情報を相反する対象として判断を下すのは心である。
だが、そういった意識は生まれた時点で存在するものである。
魂が同時にすべてのものを形成するのだと考えなさい。
それらすべては繋がりを持ち、平行線に存在するものである。
明確に表現するならば、すべてを創造するものは魂の中にある本体である「意識体」である。
すべてははじめから備わっているものであるが、その後あらゆる過程を通る上で拡大していくものなのだと考えなさい。
それぞれ管理するものが違うのだ。
【再質問2】
転生をしない「はじまりの意識体」と魂の関係はどうなっているのか。
「はじまりの意識体」が魂を生み出すのか。
それとも、両者は別個の存在なのか。
「はじまりの意識体」が霊界に留まっているから、その魂が
転生していても、後で霊界に来た魂は先に霊界に来た魂と出会うことができると理解していいか。
【回答】
転生する意識体と、転生しない意識体は繋がりを持つものである。
転生する必要のある意識体と、しない必要がある意識体である。
それらは、繋がりを持ちお互いに学び合う関係である。
両者は繋がるものである。
転生しない意識体がガイドとなり、転生するものは旅をおこなう。
両者に縦関係があるがゆえのそういった構成ではない。
ただそうあるべきであるだけだ。
ある次元で、すべてのものは出会う。
だが、必ず肉体を完全に離れる死という過程を通らなければならないのだ。
注:再質問2の回答は私には新しい情報でした。「転生する意識体(魂)」と「転生しない意識体(魂)」の一対が魂としての構成である、という回答は、海外の種々の霊信を読んでみても目にしたことはありません。
この回答から、私は、「ハイヤーセルフ」とは転生しない意識体(魂)を指すのではないかという仮説を持っています。
①転生しない意識体(魂)は、転生する意識体の「ガイド」となる、と告げていること ②転生しない意識体は、転生し数々の人生の学びを続ける意識体からの知恵を蓄積しているはずで、叡智に富んだ存在であると考えられるからです。
しかも、魂は、霊界では同レベルの成長・進化を遂げた複数の魂たちとともにグループを構成し、それぞれの魂の学びを分かち合い共有しているらしいこと、この魂のグループを「類魂」と呼ぶことがスピリチュアル霊学で言われています。
とすれば、「転生する意識体」は、「転生しない意識体=類魂」から分離して、転生の旅をしていると考えてよさそうです。
つまり、転生している魂の、霊界での居場所である類魂が、ガイドをしているということになりそうです。
【再質問3】
心は肉体のどこに位置しているのか。
脳内であるのか。
魂は肉体のどこに位置しているのか。
私が魂を癒すためのヒーリングをするとき、いったい肉体のどこに手を当てて霊的エネルギーを注げばいいのか。
心と魂は一体となっているのか、別々の状態であるのか。
【回答】
心と魂は、肉体すべてに宿り、すべてを包むものである。
だが、肉体と心を管理する役目を持つのは脳である。
心の中心は心臓を包むように、その位置を中心として存在していると考えなさい。
それはなぜか。それは人の本能に関連するものである。
心臓という臓器があるため、その位置にあるのだと考えなさい。
あなたがヒーリングをおこなうときは、癒す対象をもとに応じていくべきものなのだと理解しなさい。
肉体を癒そうとするときはその患部、そして魂を対象とするときは相手の意識全体、魂・心・肉体、そのすべてを包み込むイメージを持つのだ。
相手の全身を光が包むのだと考えればよい。
心は魂に従うものである。
魂に目を向けなければ、心の活動は穏やかなものとはならない。
よって、あなたは心ではなく相手の魂に目を向けるべきである。
理屈で考えるのではない。
語ることを望むとき、あなたは相手の魂へと言葉をかければよい。
簡単なことなのだ。
あなたは相手の人間と会話するとき、相手の言葉を聞くからと言って口を見ることはしない。
会話は自然におこなわれるものである。
重要なのは聞くことなのだ。
相手の魂に、あなたの感覚すべてを使い接触する。
それが必要なのだ。
【再質問4】
1回のヒーリングの適切な時間は、これまでのように5分程度でいいのか。
どの程度の回数をおこなって無効と判断したらよいか。
【回答】
それについては、あなたの感覚で判断しなさい。
主に直感である。
何度無効が続いたとしても、必然であるならばあなたは直感でおこなうべきだと感じる場合もある。
ヒーリングの時間については、今の段階ではその時間でよいのだと理解しなさい。
今後、あなたは時間がさらに必要になる手段を取り、ヒーリングをおこなうようになる。
すぐではない。
それはあなたが理解を得るにしたがい変化するものなのだと考えなさい。
【再質問5】
ヒーリングエネルギーは、まず霊体に作用し、その後肉体へと作用を及ぼすと理解していいのか。
【回答】
その理解は適切なものである。
ここで表現するならば、霊体は一次的なもの、そして肉体は二次的なものである。
あなたは、あなたのヒーリングに対してより理解を深める必要がある。
実践を通し、あなたの感覚に注意深く観察を置き、疑問を今後まとめるようにしなさい。
注:12・13霊信の送信霊は、稲垣の「祖父の守護霊と繋がりを持つもの」と名乗っています。
こういう、いわば入り組んだ関係の霊を、霊団の一員としてM子さんが創作するとは考えにくい、と私には思われます。
ちなみに、明治生まれで私を可愛がってくれた祖父は、催眠術をマスターしており、私は幼いころより祖父が隠居所で、趣味の一環として、吃音、あがり、車酔い、各種恐怖症などを施術する姿を見て育ちました。
私は教員となってまもなく、祖父に催眠の教えを乞うたのですが、「おんしは人間ができておらんから催眠を使って横着をするだろう。伝授することは断る」と一喝されて引き下がりました。
ただし、死の直前に私を枕元に呼び、「本棚に催眠の秘伝書が2冊ある。おんしに譲る。催眠は自得するものである。精進せよ」と遺言残して逝きました。
横井圓二、『催眠施術秘義』『催眠術自宅獨習書』、精神科學社、大正6年、の2冊で和綴じの2冊ともに非売品と銘打ってあります。
祖父は、名古屋の裕福な和楽器店の長男として生まれ、養子として岐阜県可児市に移った人間です。
農業のかたわら、易学・姓名判断・催眠・生け花・茶の湯などに堪能な趣味人として、悠々自適の85年の人生を全うした人でした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・第13霊信おわり
第14霊信へつづく
9 件のコメント:
ショウタさんのコメントは、いつも稲垣さんの返答目当てであり
自分の考えはお持ちでないように私には見えます。
それで、今回の記事でひとつ
>魂は、霊界では同レベルの成長・進化を遂げた複数の魂たちとともにグループを構成し、それぞれの魂の学びを分かち合い共有しているらしいこと、この魂のグループを「類魂」と呼ぶことがスピリチュアル霊学で言われています。
とあります。となると類魂というのは複数グループあり、それはすなわち霊団が複数あると
理解してよろしいのでしょうか?
定評のある諸霊信(シルバーバーチの『霊言』、モーゼスの『霊訓』、アラン・カルディックの『霊の書』、マイヤーズ通信など)の高級霊からの通信内容とされるものの共通項を取り出し体系化し、それをもって霊的真理と考えることを「スピリチュアル霊学」と呼んでいるようです。
スピチュアル霊学では、同レベルの成長・進化を遂げた複数の魂たちのグループを同類の魂という意味で「類魂」と呼んでいます。
どうやら死後の魂は、単独で霊界という次元に存在しているわけではなく同レベルの魂どうしが寄り集い、互いに学び合うということらしいのです。
したがって、類魂は、その成長・進化の程度によって複数存在していると思われます。
「類魂」は、高級霊のグループとは限らないので、生まれ変わりを必要とする類魂のメンバーから生まれ変わりの旅をする魂が分かれ出るということです。
高級霊とは生まれ変わりを卒業し、霊界を常住の場とする霊ということになります。
類魂も魂のグループという意味では霊団と同義でしょうが、ふつう「霊団」と呼ぶ場合は高級霊のグループを指すと思われます。
「守護霊団」とか「治療霊団」とか言う場合、そのメンバーは例外なく高級霊のようです。
したがって、類魂=霊団ということにはならないと思います。
このあたりの私の霊学知識は正確とはいえませんので、どなたか詳しい知識をお持ちの方はどうぞご教示ください。
返信遅れて申し訳ございませんでした
仕事で当直が多くネットがなかなか出来ませんでした。
そうですね、確かに証言と的中していて嘘や出鱈目ではないと思います。
しかしフェルターメモリー現象みたく後からわかった情報やセッション中の話に共通点があるが為に因果関係と結びつけたという考えもできます。
ありがとうございます
この分野については疎いものですから大変参考になります
今のテーマになっている霊信は、11の霊団からのものであり、霊団と類魂の関係性を理解しておきたかったのです。となると類魂とは別に、存在するのが霊団なのですね。
霊信では11という数にも意味があり、目的があるようなこともと書かれていましたし、霊団に属さない霊がいるような表記もありました。さらに、霊にも格があるとかこのあたりについてはまだ学び始めたばかりなので非常に興味深いです
死後の世界はないことが証明されてしまいましたね
http://dailynewsonline.jp/article/992402/
コピペ
瞑想や臨死体験中に起るといわれる体外離脱。日本では「幽体離脱」とも呼ばれ、霊魂として の意識が自分の肉体から離れる現象と言われていますが、本当のところ、霊魂による仕業なのでしょうか?
スウェーデンのカロリンスカ医科大学研究所では、この奇怪な現象を解明すべく、人工的に体外離脱状態を作って実験を行いました。
同研究所の実験ではバーチャル・ビデオ・ヘッドセットを用い、被験者に現在自分のいる部屋の状況と自分自身の様子を別の場所から観察しているような錯覚を起こさせて、脳スキャンで脳の変化を調べました。その結果、体外離脱状態では、海馬の中にある「場所細胞」が活発に活動し出し幻覚が現れることが分かりました。
ネズミを使った別の研究によると、「場所細胞」はちょうどGPS(全地球測位システム)が人工衛星を使って地球上のどの位置に自分がいるのかを正確に割り出すのと同じように、自分が部屋のどこにいるのかを割り出す機能を持っていることが分かっています。
この実験結果から研究者らは、何らかの理由でこの「場所細胞」が通常と異なる活動を開始した時、人は体外離脱をしているように感じるという説が成り立つとしています。
ほとんどの場合、体外離脱は瞑想中や臨死体験中、もしくは覚せい剤使用中に経験されていることなどから、これらが要因となって脳に異常な活動を引き起こした結果として起こった幻覚であると言えそうです。
世にも不思議な奇怪現象がまた一つ、科学によって解決されてしまいましたね。
ショウタさん
あなたは「SAM催眠学序説その47」を読んでおいでにならないようです。
ここの記事で、私あて霊信現象が起こった経緯と私と受信者M子さんとの関係が述べてあります。
この記事を読めば、「フェルターメモリー現象」やら「後から分かった情報やセッション中の話に共通点があるがために因果関係と結びつけた」などの現行唯物論の浅薄な解釈では到底おさまりがつかない超常現象であることがお分かりになるはずです。
現時点の私あて霊信現象に対する解釈は以下のとおりです。
霊信現象とおぼしき問題の真偽は、「通信霊」をそのままM子さんとは別個の「他者」と認めれば、すっきり解決できる問題です。
ただし、これは当然のことながら「霊」の存在を前提とする立場であり、その客観的存在証明ができないところでは、なかなか認めることは難しいということになります。
しかし、「説明の成功」が明快であるほど、真実に近いという立場がとれないわけではありません。
私が守護的存在者の実在を認めようとする立場をとる理由は、①それが直感に著しく反していないからであり、②それを認めることが不合理な結論に帰着しないからであり、③その超常現象が唯物論的知識の枠組みからは説明できないからです。
この立場をとることは、私あての霊信で告げられている3つの予言がすべて的中していることや、文書による霊信が途絶えたのちも、通信霊団の存在を知らないはずの催眠中のクライアントに、私の守護霊を名乗る霊、霊団の一員を名乗る霊、あるいはクライアントの守護霊を名乗る霊の憑依とおぼしき現象が生じ、メッセージを伝えるということが度々起き、それが現在も続いていることからも、受け入れざるをえません。
ただし、こうした霊からの自動書記による通信や、クライアントに憑依中の口頭によるメッセージが、それを望んだわけでもない私に、なぜ『前世療法の探究』の出版を境に立て続けに起こってきたのかは謎としか言いようがありません。
霊が実在するなら、いずれこの謎も明かされるときがくるのでしょう。
また、私の質問の回答として霊が告げた、脳と意識・潜在意識の関係、魂の二層構造と魂の進化成長の仕組みなどを受け入れ、それを作業仮説としてSAM前世療法が生まれた経緯と、これまでの検証によって、作業仮説が少なくともクライアントに現れる意識現象の事実としては成り立つことからも、これら情報を告げた人知を越えた通信霊の存在を認めることに、躊躇する必要はないのではないかと考えています。
この霊信から得た情報の恩恵抜きにして、SAM前世療法が生まれることがありえなかったことは明白な事実だからです。
残念な記事を見つけてしまいまいました
やはり臨死体験は幻覚なのでしょうか…
http://www.excite.co.jp/News/column_g/20150723/Mycom_freshers__gmd_articles_16521.html
今日は初めまして。
横から失礼致します。
ブルース・モーエン『死後探索』等も、
もし未読でしたらお勧めです。
興味がありましたらワークショップでの実体験も可能です。
http://bm-retrieval.com/index.html
ご参考までに。
ショウタさんの紹介している「残念な記事」は下記のようです。
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瞑想や臨死体験中に起るといわれる体外離脱。日本では「幽体離脱」とも呼ばれ、霊魂として の意識が自分の肉体から離れる現象と言われていますが、本当のところ、霊魂による仕業なのでしょうか?
スウェーデンのカロリンスカ医科大学研究所では、この奇怪な現象を解明すべく、人工的に体外離脱状態を作って実験を行いました。
同研究所の実験ではバーチャル・ビデオ・ヘッドセットを用い、被験者に現在自分のいる部屋の状況と自分自身の様子を別の場所から観察しているような錯覚を起こさせて、脳スキャンで脳の変化を調べました。その結果、体外離脱状態では、海馬の中にある「場所細胞」が活発に活動し出し幻覚が現れることが分かりました。
ネズミを使った別の研究によると、「場所細胞」はちょうどGPS(全地球測位システム)が人工衛星を使って地球上のどの位置に自分がいるのかを正確に割り出すのと同じように、自分が部屋のどこにいるのかを割り出す機能を持っていることが分かっています。
この実験結果から研究者らは、何らかの理由でこの「場所細胞」が通常と異なる活動を開始した時、人は体外離脱をしているように感じるという説が成り立つとしています。
ほとんどの場合、体外離脱は瞑想中や臨死体験中、もしくは覚せい剤使用中に経験されていることなどから、これらが要因となって脳に異常な活動を引き起こした結果として起こった幻覚であると言えそうです。
世にも不思議な奇怪現象がまた一つ、科学によって解決されてしまいましたね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・引用おわり
この記事の筆者は「世にも不思議な奇怪現象がまた一つ、科学によって解決されてしまいましたね」と結論づけていますが、ほんとうにこのような実験で臨死体験という意識現象のすべてが脳内現象による幻覚であるという説明で「解決」されたと断定できるはずのない臨死体験事例がいくつもあります。
たしかに検証不可能な臨死体験として報告される事例の中には「場所細胞」による「脳の異常な活動」で一見科学的説明が可能にみえる事例があるでしょう。
しかし、こうした事例も、「脳細胞の活動状況」と「臨死体験という意識現象」との対応関係を示すものではあっても、「脳細胞の活動」が「臨死体験」を引き起こすという脳と意識の「因果関係」の科学的証明だと結論づけることはできるわけではありません。
だからこそ、臨死体験を研究する学会ができ、研究がされているわけです。
したがって、この紹介記事は、「心・脳二元論」にとって、それを根底から否定するとりわけ残念な記事などではけっしてないのです。
この記事で、臨死体験の謎が脳内現象として科学的に解き明かされたと思うのはハヤトチリというべきです。
臨死体験の詳細な事例とその検討については、立花隆『臨死体験・上下』文春文庫、をお読みください。
ショウタさん、残念なことになりましたね。
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