SAM催眠学序説 その45
「ラタラジューの事例」中の意識状態
応答型真性異言発話中の意識体験の報告は、これまで世界に例がありません。この意味で、「ラタラジューの事例」を語った里沙さんの体験報告は世界初のものです。
きわめて貴重なものであるとともにきわめて興味深いものと言えそうです。
この体験報告は、セッション後10日経過した時点で書いていただいたものです。
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セッション中とその後の私の心情を述べたいと思います。
こうした事例は誰にでも出現することではなく、非常に珍しいことだということでしたので、実体験した私が、現 世と前世の意識の複雑な情報交換の様子を細かく書き残すのが、被験者としての義務だと考えるからです。
思い出すのも辛い前世のラタラジューの行為などがあり、そのフラッシュバックにも悩まされましたが、こうしたことが生まれ変わりを実証でき、少しでも人のお役に立てるなら、すべて隠すことなく、書くべきだとも考えています。
ラタラジューの前に、守護霊と稲垣先生との会話があったようですが、そのことは記憶にありません。注1
ラタラジューが出現するときは、いきなり気がついたらラタラジューになっていた感じで、現世の私の体をラタラジューに貸している感覚でした。注2
タエのときと同じように、瞬時にラタラジューの78年間の生涯を現世の私が知り、ネパール人ラタラジューの言葉を理解しました。注3
はじめに稲垣先生とラタラジューが日本語で会話しました。
なぜネパール人が日本語で話が出来たかというと、現世の私の意識が通訳の役をしていたからではないかと思います。注4
でも、全く私の意志や気持ちは出て来ず、現世の私は通訳の機器のような存在でした。
悲しいことに、ラタラジューの人殺しに対しても、反論することもできず、考え方の違和感と憤りを現世の私が抱えたまま、ラタダジューの言葉を伝えていました。
カルパナさんがネパール語で話していることは、現世の私も理解していましたが、どんな内容の話か詳しくは分かりませんでした。
ただ、ラタラジューの心は伝わって来ました。注5
ネパール人と話ができてうれしいという感情や、おそらく質問内容の場面だと思える景色が浮かんできました。現世の私の意識は、ラタラジューに対して私の体を使ってあなたの言いたいことを何でも伝えなさいと呼びかけていました。
そして、ネパール語でラタラジューが答えている感覚はありましたが、何を答えていたかははっきり覚えていません。ただこのときも、答えの場面、たとえば、ラタラジューの戦争で人を殺している感覚や痛みを感じていました。注6
セッション中、ラタラジューの五感を通して周りの景色を見、におい、痛さを感じました。
セッション中の前世の意識や経験が、あたかも現世の私が実体験しているかのように思わせるということを理解しておりますので、ラタラジューの五感を通してというのは私の誤解であることも分かっていますが、それほどまでにラタラジューと一体化、同一性のある感じがありました。注7
ただし、過去世と現世の私は、ものの考え方、生き方が全く別の時代、人生を歩んでいますので、人格が違っていることも自覚していました。
ラタラジューが呼び出されたことにより、前世のラタラジューがネパール語を話し、その時代に生きたラタラジュー自身の体験を、体を貸している私が代理で伝えたというだけで、現世の私の感情は、はさむ余地もありませんでした。注8
こういう現世の私の意識がはっきりあり、片方でラタラジューの意識もはっきり分かるという二重の意識感覚は、タエのときにはあまりはっきりとは感じなかったものでした。
セッション後、覚醒した途端に、セッション中のことをどんどん忘れていき、家に帰るまで思い出すことはありませんでした。
家に帰っての夜、ひどい頭痛がして、頭の中でパシッ、パシッとフラッシュがたかれたかのように、ラタラジューの記憶が、再び私の中によみがえってきました。
セッション中に感じた、私がラタラジューと一体となって、一瞬にして彼の意識や経験を体感したという感覚です。注9
ただ全部というのではなく、部分部分に切り取られた記憶のようでした。
カルパナさんの質問を理解し、答えた部分の意識と経験だと思います。
一つは、優しく美しい母に甘えている感覚、そのときにネパール語で「アマ」「ラムロ」の言葉を理解しました。母という意味と、ラタラジューの母の名でした。
二つ目は、戦いで人を殺している感覚です。
ラタラジューは殺されるというすさまじい恐怖と、生き延びたいと願う気持ちで敵に斬りつけ殺しています。
肉を斬る感覚、血のにおいがするような感覚、そして目の前の敵が死ぬと、殺されることから解放された安堵で何とも言えない喜びを感じます。
何人とまでは分かりませんが、敵を殺すたびに恐怖と喜びが繰り返されたように感じました。
現世の私は、それを受け入れることができず、しばらくの間は包丁を持てず、肉料理をすることが出来ないほどの衝撃を受けました。
前世と現世は別のことと、セッション中にも充分過ぎるほどに分かっていても、切り離すのに辛く苦しい思いをしました。
三つ目は、ネパール語が、ある程度わかったような感覚です。
時間が経つにつれて(正確には夜、しっかり思い出してから三日間ほどですが)忘れていってしまうので、覚えているうちにネパール語を書き留めてみました。
アマ・ラムロもそうですが、他にコド・ラナー・ダルマ・タパイン・ネパリ・シャハ・ナル・ガウン・カトマンズ・ブジナ・メロ・ナムなどです。
四つ目は、カルパナさんにもう一度会いたいという気持ちが強く残り、一つ目のことと合わせてみると、カルパナさんの声はラタラジューの母親の声と似ていたのか、またはセッション中に額の汗をぬぐってくれた感覚が母親と重なったのか(現世の私の額をカルパナさんが触ったのに、ラタラジューが直接反応したのか、現世の私がラタラジューに伝えたのか分かりませんが、一体化とはこのことでしょうか?)
母を慕う気持ちが、カルパナさんに会いたいという感情になって残ったのだろうと思います。
セッション一週間後に、カルパナさんに来てもらい、ネパール語が覚醒状態で理解できるかどうか実験してみましたが、もう全然覚えてはいませんでした。注10
また、カルパナさんに再会できたことで、それ以後会いたいという気持ちは落ち着きました。
以上が今回のセッションの感想です。このことから、私が言えることは、①生まれる前から前世のことは知っていたこと、それを何かのきっかけで(私の場合は前世療法で)
思い出したこと、②生まれ変わりは確かにあること、③前世にとらわれることなく現世を生きなければならないこと、です。
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注1:里沙さんの場合、彼女の守護霊が憑依している間の記憶が完全に喪失される。霊媒資質が高い被験者ほど、憑依中の記憶喪失現象が観察される。これは憑依中には、憑依霊に完全に人格を明け渡すことが起きているからではないかと考えられる。
注2: ラタラジューに自分の体を貸している感覚、こそSAM催眠学が提唱している「自己内憑依」現象である。つまり、自己の内部に息づいている前世人格が自分の体に憑依して自己表現しているというとらえ方をするのである。このことは、彼女の守護霊の「ラタラジューは憑依だととらえなさい」という指摘によっている。彼女の場合「前世人格の自己内憑依」であれば憑依中の記憶は明確に残る。
注3:ラタラジューの話すネパール語を理解した、と里沙さんは語っているが、正確には「ネパール語らしき異言を語っているこ」とが分かり、同時にその心情を理解したということであり、ネパール語そのものを理解できたわけではない。ただし、そうした異言を話しているときのラタラジューの心情はよく伝わってきたということである。
注4:この問題は、なぜネパール人のラタラジューに日本語の質問が理解できたのかというきわめて興味深い問題である。しかし、SAM前世療法によって顕現化する外国人の前世人格は、一般にセラピストの日本語の質問を理解でき、日本語で回答できるのである。
ラタラジューが日本語を知らないはずであるにもかかわらず、私との日本語会話がなぜできるのか、という謎である。
そして、この謎は、他のSAM前世療法のセッションで顕現化する、日本語を知らない外国人前世人格が、セラピストの私との日本語会話がなぜできるのかという謎とも直結している。
こうした謎は、「前世記憶の想起」を前提とするワイス式前世療法では回避できる。
現世のクライアントが、外国人であった前世の記憶を想起して語るわけでるので、クライアントが母国語で語って当然だからである。問題意識の起こりようがない。
さて、この謎について、唯一言及している科学者がイアン・スティーヴンソンである。
彼は、応答型真性異言現象を、さすがに「前世の記憶」として扱うことは不可能だと考えた。
退行催眠中に顕現化した「トランス人格(前世人格)」と呼び、次のような解釈を試みている。
ちなみに、退行催眠中に現象した応答型真性異言の公表は、「ラタラジューの事例」を含めて、これまで世界でわずか3例のみである。
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私が特に解明したいと考えている謎に、イェンセンやグレートヒェンが母語(スウェーデン語とドイツ語)でおこなわれた質問と同じく、英語でおこなわれた質問に対しても、それぞれの母語で答えることができるほど英語をなぜ理解できたのかという問題がある。
イェンセンとグレートヒェンが、かつてこの世に生を享けていたとして、母語以外の言葉を知っていたと推定することはできない。
二人は、したがって、自分たちが存在の基盤としている中心人物(英語を母語とする被験者のこと)から英語の理解力を引き出したに違いないのである。(『前世の言葉を話す人々』P235)
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このことは、ラタラジューにも当てはまる謎である。
なぜ、ネパール人前世人格ラタラジューが、知っているはずのない日本語を理解し、私と対話できるのかという謎である。
だから、応答型真性異言実験セッションの最初に、「ラタラジューはネパール人です。それなのに日本語が分かるということは、翻訳、仲立ちをしているのは魂 の表層の『現世の者』と考えてよろしいですか? 」という質問を里沙さんの守護霊にしてみた(『生まれ変わりが科学的に証明された』P46)。
これに対して、里沙さんの守護霊とおぼしき存在も、そのとおりだと認めている。
また、「魂レベルでは言語の壁がなくなり自然に分かり合える」とも告げている。
つまり、SAM催眠学の「魂の二層構造仮説」のように、魂の実在を仮定すれば、スティーヴンソンの「特に解明したい謎」に解答が出せるかもしれないということである。
魂の表層に存在し、ラタラジューとつながっている「現世の者(現世の人格を主として担っている者)」が通訳をしているという説明ができることになる。
「現世の私の意識が通訳の役をしていたからではないかと思います」という里沙さんの報告はこのことを指していると解釈できる。
こうして、前世人格の存在する座を「魂の表層」である、とするSAM催眠学の作業仮説の検証は、ますます意味深い作業になると思っている。
なぜならば、スティーヴンソンは、呼び出された「トランス人格(前世人格)」が応答型真性異言を話すことまでは言及しても、その「トランス人格(前世人格)」の存在する座はいったいどこにあるのか、その仮説まで言及しようとしていないからである。
ただし、彼は、「前世から来世へとある人格の心的要素を運搬する媒体を『心搬体(サイコフオア)』と呼ぶことにしたらどうか」(『前世を記憶する子どもたち』P359)とまでは提唱している。
SAM前世療法は、それ以上言及されなかった前世人格の存在する座までも検証することになるからである。
スティーヴンソンは、スウェーデン人の前世人格イェンセン、ドイツ人の前世人格グレートヒェンが、「自分たちが存在の基盤としている中心人物(英語を母語とする被験者のこと)から英語の理解力を引き出したに違いないのである」と確信的に述べている。
この文脈からすれば、スウェーデン人の前世人格であるイェンセン、ドイツ人の前世人格グレートヒェンは、彼らの生まれ変わりである現世の者の「脳内から英語の理解力を引き出した」ことになる。
では、前世人格イェンセン、前世人格グレートヒェンも、中心人物の脳内に存在しているのだろうか?
肉体の死とともに消滅する脳に、前世人格が存在することはありえない。
前世から来世へとある人格の心的要素を運搬する媒体である「心搬体(サイコフオア)」に、前世人格イェンセン、前世人格グレートヒェンは存在している、とスティーヴンソンは述べるべきであったと、私は思う。
そう考えることができなかったのは、スティーヴンソンがセラピストではなく生まれ変わりの研究者であり、したがって、私のようにSAM前世療法を実践するための切実な作業仮説を必要としなかったからであろうと思われる。
注5:里沙さんにはラタラジューのネパール語会話そのものは理解できないが、魂表層から顕現化しているラタラジューの心、感情を共体験できたということである。SAM前世療法一般にこうした前世人格の感情を共体験することが起こる。
注6:注5に同じ。こうしたラタラジューの感情を共体験することによって、前世人格ラタラジューとの「同一性の感覚」が生まれると考えられる。
注7:「ラタラジューの五感を通して周りの景色を見、におい、痛さを感じました」とも報告されている。まさに「同一性の感覚」である。
注8:前世人格顕現化中の意識には、「前世人格の意識」と「現世の意識」の2つが併存状態になる。しかし、「現世の意識」は、「前世人格の意識」に干渉することは一切できない。ただひたすら前世人格とセラピストの対話を傾聴するだけである。前世人格ラタラジューに「体を貸している私が代理で伝えている」という意識状態である。SAM催眠学では、このことを「自己内憑依」と呼ぶ。
注9:里沙さんの場合、タエにしてもラタラジューにしても、セッションで十分に語り尽くせないことをセッション後にフラッシュバックで伝えるという現象が起こっている。タエは人柱になった裏事情を伝え、ラタラジューは自分が毒殺によって殺されたことを伝えている。このフラッシュバックは、催眠を用いないときでも、自己内憑依現象が無意識的に起きたと考えられる。こうしたフラッシュバックによって前世人格が語り尽くした後には、再びフラシュバックが起こることはおさまるようである。里沙さんによれば、フラッシュバック後はそれまで聞くことも嫌であった渋川村やナル村という語にまつわる嫌な感じが消え、懐かしい感じに変わったという。
注10:この実験はきわめて興味深い。魂表層からラタラジューが顕現化しているときの、ネパール人ラタラジューでないとネパール語が話せないということである。ラタラジューが「前世の記憶」ではなく、「前世人格の顕現化」であるからこその応答型真性異言現象であると言える。したがって、ラタラジュー人格の顕現化していない覚醒中の里沙さんには、ネパール語会話はまったくできないのである。
16 件のコメント:
すいません、前回投稿時の私なりの考えについてなのですが、最近なかなか忙しくて思うように時間が取れません。すでに私なりには考えがまとまっては来ているのですが、もう少しお時間をいただきたく思います。
ただ、一応内容の予告?みたいなことを書かせてもらうと、キーワードとして、
「これから訪れる多死少産社会」
「大規模な成長無き時代(定常型社会)」
「それに伴う伝統的価値観への回帰」
「人口減少社会」
「科学的価値観の見直し(主に科学者に対する人々の見方の変化)」
「災害や事故に対する人々の見方の変化」
「一般大衆の不完全ながらも自給自足の実現(太陽光発電など)」
「大衆だけでなく、為政者側の悲願でもある「生活と労働の切り離し」の実現(ベーシックインカムに代わる最低限度の生活保障で、ここは自給自足しやすい環境の実現という形になると推測される)」
「秩序維持型の社会変化」
などを予定しております。ここで欠かせないのが、人々の死生観もまた、
「その時の社会の構造や経済状況により決定される」
ということです。死生観にもトレンドがあるということですが、これについてもその時に詳しく見ていきたいと思います。
あ、ちなみに44の記事での臨死体験に関するものですが、従来の脳科学のアプローチから、方法論が全く変わっておりませんので、単に「脳の状態に関する情報が増えた」というだけです。文末に、「・・・脳は、という状態になっている」あるいは「・・・脳波その時にそう反応した」と付け加えて読めば、いずれも「脳と意識の因果関係」ではなく、「脳と意識の関連性」についての内容であることがわかるはずです。
もしそれでも納得できないなら、臨死体験に関するwikipediaの該当記事を読めばいいでしょう。
生まれ変わりの有無関係なしに死後の世界は信じない方が命の大切さがわかるのかなとも感じますがどう思いますか?
愛川欽也さん、インタビューで「死後の世界は信じません」
http://www.jprime.jp/entertainment/man_talent/11812/
やはり死後は無になり楽しむことも苦しむことも喜怒お哀楽すらできないからこそそれができるありがたみがわかり今を大切にできるのかなとも思います。
死後の世界があるならその次の世界に期待して自殺する人すら居るし安楽死も軽々しくなってしまいそうな気もします。
前から申し上げてると思いますが
ショウタさんの投稿は基本的に権威ある?○○がこういってるので信じます。信じません。
という形式になっています。
それでは何か提示されるたびに、右往左往することになって、いつまでも結論で内容に思いますよ。
結局は自分が決めるしかないんです。
権威あるひとがいってるのではなくて
自分がどうかんがえるかです
生まれ変わりを肯定するならなら○○だから
否定するなら○○だからというかたちにしないと
ずっと、他人の意見に振り回せれることになると思います。
ショウタさん
本ブログには以下のようなコメント投稿の留意点が掲げてあります。
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本ブログが、実証性のない観念論ではなく、事実に基づいた「実証的探究」を求める読者への奉仕を心がけた内容となるように、また、本ブログの節度と品位を保つために、下記に※印に掲げた投稿コメント掲載諾否の制約が設けてあります。
なお、意見を求めそれに回答が得られた場合には、回答者に謝意を表するなど礼を失することがないように心がけてください。
本ブログのコンセプトは、「いかなる意識現象も先験的に否定せず、いかなる意識現象も実証なくして容認せず」です。
本ブログの求めるコメントは、「観念より事実、理屈より実証」を重んじる内容です。
本ブログの意見交換は、「前提と限界」の共通理解のもとに、稔りある展開がされることを求めています。
下記※印に示す内容に該当するコメント投稿はご遠慮ください。投稿されても掲載できませんのでご了解ください。
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ブログ「稲垣勝巳生まれ変わりの実証的探究」 管理人 稲垣勝巳
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今回のショウタさんの投稿が、上記のガイドラインに照らせば愚問であることは明白です。お分かりですね。
ショウタさん
あなたは、私がこれまで再三述べてきたことの理解がまったくできていないようです。
「生まれ変わり」は、信じる、信じないというレベルの問題ではなく、科学的事実として「ある」という実証を「タエの事例」と「ラタラジューの事例」でもって反証可能性に開かれた形できっちり提示してきました。
「生まれ変わり」が科学的事実であれば、次の生まれ変わりまで待機する次元、つまり、「死後の世界」があるのは論理的帰結として当然でしょう。
それをいまだに「死後の世界があるなら」などの仮定でものを言うのはもってのほか、私のこれまで述べてきたことへのあなたの知的理解のレベルのお粗末さを露呈しています。
そして、私の仕事は、「生まれ変わりの科学的事実」を実証として提示することまでであって、人々がその事実を知った後、どのような感情を抱き、どのような意志・意欲を持つのかについては関与できることではありません。
つまり、個々人の価値観の問題に立ち入ることは自制し禁欲しています。
あななたは「死後の世界は信じない方が命の大切さがわかるのかなとも感じますがどう思いますか?」などと私の意見聴取して何かに利用しようとしているのではありませんか? あなたには前例がありますからね。
このブログは、「投稿のガイドライン」に示してあるとおり、とりとめのない抽象的価値観を論ずる場ではありません。何度言ってもお分かりにならないようですね。
そうした仕事は宗教家や倫理学者にお任せすればよいことです。
あなたはこれまで一度として生まれ変わりについて、私の提示した事例に対して具体的反証をあげた投稿をしたことがありません。あなたの信棒する量子脳仮説についての私の根本的反論にも、ダンマリを決め込んで再反論してはいません。知的怠慢だとは思わないのですか?
本ブログの「コメント投稿の留意点」を無視した今回の投稿は、ピント外れのナンセンスの一語に尽きます。そもそも問いの立て方が根本的に誤っています。
「生まれ変わりの有無関係なしに」死後の世界を論じることは、まったくナンセンスだと思いませんか?
帰無仮説に立つ人には死後存続という概念そのものが否定されているのです。そもそも死後存続を否定する人が死後の世界を考えるはずがないでしょう。
そうした錯誤に気づいていないあなたの「どう思いますか?」などの無意味な愚問に答えるほど、私はお人好しではありません。
あなたの愚問をとりあげてくれそうな他のサイトへどうぞ。
あなたの本批判されてますよ。
ご覧になって頂きたい。
http://togetter.com/li/608596
坊さん
あなたが、私のこれまでのブログをきちんと読んでおいでになっていないことがはからずも暴露されることになりました。
拙著『前世療法の探究』を批判している群馬大学早川教授のサイトhttp://togetter.com/li/608596については、すでに本ブログ「催眠学序説その34~41」のコメント欄で、史実に基づく綿密かつ膨大な反論をおこなって、早川説の杜撰な誤りをきちんと論破しております。
坊さんこそ、私の論破を読んでいただきたい。
読まずにこのような不毛な投稿をされたことは赤恥をかいたと言うべきです。大方の生まれ変わり批判論者と同じです。権威ある者の批判にすがってハナから自分の頭で考えてみようとしない知的怠慢をさらしています。
そして坊さん、私の早川説論破に対する具体的反証をあげた再反論をあなたができないかぎり、「タエの事例」を認めたものとみなします。
よろしいですね。
どうも
坊さんも、ショウタさんも権威ある○○を借りているだけで自説を全く感じませんね。
私は早川氏がどういうひとか、言説を知りませんが、大学の先生だから正しいというのは
意味が無いように思いますよ。
結局のところ、建設的な議論する気も五両名からは感じませんね。
本当に棄却したいのであれば研究して実証するのがスジであって
大学の先生が言ってるから間違っていますは
虎の威を借ってるだけにしかみえないです
生まれ変わりはともかく神の否定の苫米地さんの見解には何か説得力あるような気がします。
https://www.youtube.com/watch?v=Sp3rth2n6DY
生まれ変わりは量子脳理論で説明つきそうです。
では何故理沙さんにとりついたかは偶然だと思います。
全て原因や因果関係で解決されるものではないと思います。
ショウタさん
あなたも坊さんに同じく、すでに議論された過去のコメントをまったく読んでいないか理解できていないか、を露呈しています。
下記に「SAM催眠学序説その40催眠学序説その41」のコメントで私が述べたことを再掲します。
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かつて、ラタラジューが生きており、死後ラタラジューの意識(人格)が量子として宇宙に偏在したとします。そのラタラジューの意識(人格)がなぜわざわざ日本人の里沙さんの意識を選んで宿るのか、その理由がまったく説明ができないではありませんか?
宇宙に偏在していたラタラジューの意識(人格)が、たまたま気まぐれで偶然に里沙さんの意識に宿ったわけですか?
また、そのような偶然が普遍的に起こるとしたら、応答型真性異言現象がもっと多くの人々の間に起きてもいいのではありませんか?
つまり、学んではいない異国語で応答的会話のできる人々が、これまで世界に5例にとどまらず、もっと相当数現れていいはずです。
この合理的説明ができない限り、量子脳仮説で生まれ変わりを説明できるとは到底考えることはできません。
このブログで、量子脳仮説についての議論はすでにおこなわれています。
「SAM催眠学序説その39」を読み直してください。ここで、あなたの持ち出した量子脳仮説については私がきちんと反論しています。
あなたは、それについて一切再反論せず、再び同じ「量子脳理論はやはり一番肯定的な有力理論だと思います」と蒸し返す理由はいったい何なのですか?
こういうのを、堂々巡り、非生産的議論と言うのです。
・・・・・・・・・・(再掲終わり)
あなたは、里沙さんがラタラジュー人格の顕現化現象を示したことは、「偶然」で片付くと思うわけですね。
では、応答型真性異言がこれまで世界で5例しか発見されていないことの理由はなんでしょう?
これも「偶然」というわけですか。
これではとても合理的説明にならないと思いませんか?
量子として宇宙に漂っているラタラジュー人格が、偶然に里沙さんに取りつき、それがラタラジューの生まれ変わりだというのであれば、ラタラジュー人格が、里沙さん以外の誰かに偶然取りついても、取りつかれた人の前世となってしまうというわけですね。つまり、顕現化した特定の前世人格は、すべての人々の前世になりうる可能性があったというわけです。
だとしたら、生まれ変わりとはいったいどういうことを意味することになるのですか? 私には理解不能です。
ラタラジューは、タエの次の生まれ変わりとして、里沙さんの魂表層から呼び出しています。たまたま偶然で顕現化したわけではありません。
SAM前世療法の作業仮説にしたがった手続きによって顕現化した必然です。したがって、同様の手続きをふめば再現性があります。2005年が最初、2009年にその再現化に成功しています。
「タエの事例」にしても同様に、タエ人格の顕現化の再現がyou-tube公開動画「タエの事例第2セッション」として証明されています。
イアン・スティーヴンソンの紹介している「グレートヒェンの事例」では、トランス人格(前世人格)グレートヒェンの顕現化が数年に渡って十数回のセッションのたび再現しています。
前世人格の顕現化が、現世人格とまったく無関係に、たまたま偶然に、無目的に起きたことであれば、同じ前世人格の複数回の再現が可能になるはずがないでしょう。サイコロ賭博で、何度やっても同じ目が出ることを偶然とは言わないと同じことです。同じ目が出る何らかの理由(因果関係)があると考えられるはずです。
再現性が証明された時点で、前世人格の顕現化は偶然だ(生まれ変わりは偶然にすぎない)とする量子脳仮説による生まれ変わりの説明は、すでに破綻しています。
そもそも、量子脳仮説自体が、いまだ実証のない空想以上のものでしかないのではありませんか?
そして、臨死体験の説明にはなんとか成功するかもしれないというだけのことで、応答型真性異言現象をはじめとする生まれ変わりの説明に適用できるだけの理論的整合性を備えているとは考えられません。
これまでの私の生まれ変わり仮説についての反証可能性に開かれた主張を、きちんと読めない、読まないショウタさんの「偶然だと思います」には付き合い切れません。
なお、苫米地氏の不確定性理論による神否定説については、UROノートさんあたりが見解をコメントしてくださるでしょう。
坊さんおよびショウタさんのコメントには痛罵とも受け取られかねない反論をしました。
すでに何度もコメントを投稿していただいているご両人には、本ブログで私が一貫してとり続けている実証的立場が一向に理解していただけない、あるいは理解しようとしない苛立ちがあるからです。
私は、現行の科学知識の絶対的信仰者でもなく、霊魂説の信仰者でもありません。
両者は、「信仰」という同一平面上の対極に位置しているにすぎません。
私が目指しているのは、両者の「信仰」から離れた地点で、SAM前世療法が明らかにしてきた生まれ変わりの諸証拠を「科学的方法」によって綿密に検討し、現行の科学知識では説明できない生まれ変わりを示す意識現象の諸事実を提示することです。
それが現行の科学知識を塗り替えることになるかもしれません。
そのために、反証可能性に開かれた形で提示している私の生まれ変わりの諸証拠に対して、論破を挑むならば「事実(証拠)に対しての反論は、事実(一次的証拠)をもって立証責任を果たすべし」という科学的方法の大原則をふまえるべきだという立場をとっています。
坊さんのように、生まれ変わりを絶対に認めたくない人は、生まれ変わりが絶対に無い具体的「証拠」をもって私を論破するしかないのです。
ショウタさんのように、実証性のない抽象論、観念論を持ち出してくるのは、「観念より事実、理屈より実証」を第一義とする私の立場とは相容れませんのでおよびではありません。
「こうこう思います」と主張するのであれば、その実証的根拠を示すべきだというのが私の立場です。「思う」だけのとりとめのない応酬からは稔りある収穫があるとは思われないからです。
稲垣先生へ
御指名いただきありがとうございます。
私は先生の様な慈愛溢れる人間ではありません。
しかも、近日開催される結構大規模なイベントの成否が、私の仕事ぶり一つにかかっているという個人的事情もあり、目下その準備に邁進しております。
そうした中で、坊さんやショウタさんの様に、他人様の書き込みも文脈もガン無視で、自分勝手な言い分を迷惑メールの様に一方的に書き込み続ける人に、クドクドと自説を繰り返すことはしたくありませんし、特にショウタさんの場合、(苫米地教に限らず)一度唯物論教を真面目に信じてみるのも、それはそれで、結構なことと存じます。
何も「一を聞いて十を知る」ことを求める訳ではありません。せめて過去の書き込みを踏まえてからコメントいただかなくては、こちらの払うコストに見合いません。
ショウタさんも坊さんも、まずご覧いただくべきは、
SAM催眠学序説 その37(苫米地さんのダブルスタンダードについてなど)やSAM催眠学序説 その39(不完全性定理に関する『こじつけ』についてなど)、早川先生の間違いについては、SAM催眠学序説 その33(ざっくり全体+Twitter上の問題発言についてなど)やSAM催眠学序説 その40(天明泥流に関する詳細)などにおける私たちのコメントであり、最低限それらを踏まえた上での疑問や質問と認められる内容ならば、時間が許せば答えても良いのですが……。
ショウタさんも坊さんも現在の様な、人工無能的「かまってちゃん」チックなカキコを続けるのならば、私の出る幕はありません。
逐一そうした態度に反応し、好子を与えるのは、真の意味での愛に欠ける行為と考えます。いつかショウタさんや坊さんとも実りある対話が出来ることを衷心より期待しております。
ということで、現在のところは、ネットリテラシーの一つであろう、「スルー力」が試されているのだと考え、(アホらし過ぎて、本来ならばこちらもガン無視で対応するのが筋ですが、折角我が敬愛する稲垣先生のご指名ですから)以上のコメントを以って、返事とさせていただきます。
稲垣さんへ
両者ともに、2chとここを混同しているようです。
一番問題だと思うのが稲垣さんからのレスだけが目的で
そのような言動を引き出すのを目的としているように感じます
ようするに閉鎖に追い込んでやろう
そやって他人が苦しむのが楽しいと思ってるような人たちであるように私は思います
すでに両名は私や他の方に対して
非常に無礼な言動をしています
これをもっても両者を書き込み禁止処分にするのが相当な時期にきていると思いますよ
子供には大人がここには入ってはいけませんとさと諭す責務があります。
御両名はすでに、十分諭しました
次はフェンスを張る段階にきたと思います。
UROノートさん シュヴァル さん
投稿ありがとうございました。
本ブログには「コメント投稿の留意点」というフェンス(コメント内容の前提と限界)が設けてあります。
本ブログの管理運営者として、これに著しく逸脱していないかぎり、そしてどういった意味においても「読者への奉仕」に資すると判断できる場合には、投稿者を尊重しどのような投稿であっても掲載する方針でやってきました。
こうした方針が、生まれ変わりをテーマにした凡百の他のブログとは一線を画した読み応えのあるコメント欄の充実につながっていると自負しています。
今回のショウタさん、坊さんのコメントも、過去の早川説議論、量子脳議論をご存じない読者に、それを読み直していただけるという奉仕に資すると判断し、あえて削除しませんでした。
今後も、この方針を貫きたいと思います。
本ブログは、生まれ変わりの実証的探究にまじめな興味・関心を持ってアクセスしてくださる読者への奉仕が第一義です。
どう考えてもこの第一義に背く投稿は容赦なく削除します。
管理人の私は独裁権力者です。
投稿コメント採用の生殺与奪の権限は、私の削除ボタンを押す指ひとつにかかっているからです。
しかし、私は非情ではありますが冷酷ではないと思っています。
こうした方針をご海容のうえ、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
稲垣さんの方針は承知いたしました
しかし、個人的にレス目的の疑いが一層強まっているように思います
ここまで言っても、私やUROノートさんに対して反論がないということは、そういう目的であると認めたと同然だと思います。
各額的根拠のないレス、権威ある○○を引用して自分考えを出さない
それをここに投稿してレスを引き出そうする
態度に私は非常に強い悪意を感じます。
シュヴァルさん
あなたに「悪意を感じる」とまで非難されたその後に、この非難に対する弁明一切なしで、しかも、「コメント投稿の留意点」を無視した3件の投稿をショウタさんがしています。
3件ともに管理人の権限で削除しました。
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