2015年3月6日金曜日

SAM催眠学が帰無仮説を認めない理由

   SAM催眠学序説 その41


前回まで、「ラタラジューの事例」、「タエの事例」の全セッション逐語記録と、拙著二冊の出版以後新たに解明できたことを逐語録にコメントして紹介してきました。
2005年の「タエの事例」から9年、2009年「ラタラジューの事例」から5年を経て、セッション当初は謎であったことを少しずつ解いてきました。

私は、この両事例の徹底的検証の結果をもって、少なくとも被験者里沙さんには生まれ変わりが実在している、と宣言してよいと思っています。
生まれ変わりは、「信仰」などではなく「事実」なのです。
そして、一人に起きている生まれ変わりが、他の人たちにも起きている蓋然性は高いと判断しています。

なぜなら、他の人たちのSAM前世療法セッションにおいて、ラタラジューを呼び出したと同様の手続きによって、ラタラジューと同様の前世人格が顕現化するからです。
つまり、魂状態の自覚に至れば、魂の表層に存在する前世人格の顕現化が間違いなく起こるからからです。
これまで、10名を越える医師・大学教員など知的レベルが高く、容易にSAM前世療法の作業仮説を認めることはなさそうなクライアントであっても、作業仮説どおりの意識現象の事実、つまり「魂状態の自覚」と「前世人格の顕現化」、および「守護的存在との出会い」などが起こっています。

しかしながら、検証可能な具体的内容を語る前世人格は、きわめて稀であることも事実です。
とりわけ、催眠中に起きた応答型真性異言は、イアン・スティーヴンソンの公表している二事例を加えても、世界で三事例しか在りません。
しかし、検証できないからといって、顕現化した前世人格がフィクションであるという断定は、「ラタラジューの事例」を前にしては、できるとは思われません。

こうして、幾多のセッションに現れた意識現象の累積から、私が、魂と生まれ変わりの実在を認める立場をとる理由は、

それが直感に著しく反していないからであり、

それを認めることが不合理な結論に帰着しないからであり、

その霊的現象が唯物論的枠組みからは説明できないからです。

SAM前世療法の作業仮説は、霊の告げた魂の構造を前提にして導き出したもので、良好な催眠状態に誘導し潜在意識を遡行していくと、意識現象の事実として、クライアントが「魂の自覚状態」に至ることが明らかになっています。
この魂の自覚状態に至れば、呼び出しに該当する前世人格が魂の表層から顕現化し、対話ができることもクライアントの意識現象の事実として明らかになっています。

ラ タラジューも、こうして呼び出した前世人格の一つであるわけで、その前世人格ラタラジューが真性異言で会話した事実を前にして、魂や生まれ変わりの実在を 回避するために、深層心理学的概念を駆使してクライアントの霊的な意識現象に対して唯物論的解釈することは、現行科学の知の枠組みに固執した不自然な営み だ、と私には思われるのです。

魂の自覚状態、前世人格の顕現化という意識現象に対して、事実は事実としてありのままに認めるという現象学的態度をとってこそ、SAM前世療法を実りあるものにしていくと思っています。
そして、クライアントの示す意識現象の諸事実は、現行科学の枠組みによる説明では、到底おさまり切るものではありません。
魂や生まれ変わりの実在を認めることを回避する立場で、あるいはすべて非科学的妄想だと切り捨てて、どうやって顕現化した前世人格ラタラジューの応答型真性異言現象の納得できる説明ができるのでしょうか。

ち なみに、生まれ変わりの科学的研究者イアン・スティーヴンソンも、「グレートヒェンの事例」において、真性異言で会話したグレートヒェンを名乗るドイツ人少女を「ドイツ人とおぼしき人格をも う一度呼び出そうと試みた」(『前世の言葉を話す人々』P11)と記述し、呼び出された前世人格を「トランス人格」(前掲書P9)と呼んでいます。
つまり、催眠下で前世人格を呼び出し顕現化させる、というSAM前世療法における私と同様のとらえ方をしています。

おそらく、この被験者も里沙さんのような高い催眠感受性を持ち、タエやラタラジューの人格同様、催眠下で一気に魂状態になり、その表層に存在している前世人格グレートヒェンが顕現化したと推測してよいように思われます。

「タ エの事例」と「ラタラジューの事例」は、私にとって、まさに掌中の珠であり、私の人生で遭遇した僥倖でした。
イアン・スティーヴンソンが世界中を二十数年かけて探し求め、わずか3事例しか発見できなかった応答型真性異言を、私自身のセッションで直接自分の手で確認できるなどということは想像すらできなかっ たことでした。
しかも、「ラタラジューの事例」は、応答型真性異言発話中の世界初の映像証拠を残しています。
ただし、タエにしてもラタラジューにしても、その実在が文書等の記録では確認できまませんでした。

生 まれ変わりを裏づけるような証拠のように重大な問題においては、完璧なもの以外は証拠として受け入れられないと批判されるのであれば、この問題が重要であ るからこそ、不完全なものであろうが可能性を示す証拠については、科学として検討するべきだと考えます。
細部が不明、不完全であるという欠陥があろうと、 重要なことについて確実なことを示す事実にこそ意味があると考えます。
そして、不完全であっても、重要なことについて確実なことを示す生まれ変わりの証拠は、これまでの海外の事例の諸研究によって、その証拠を根拠に生まれ変わりを認めることが自然ではないかと考えられるだけのものが蓄積されています。

さて、「タエの事例」、「ラタラジューの事例」は、それぞれ2006年、2010年にアンビリバボーに
取り上げられ証拠映像が部分的に放映されています。
セッションの全容でなく部分的放映であったがゆえに誤解が生じ、様々なご意見をいただきました。
そこで、昨年11月末、両事例の全セッション映像を、ほぼ1年かけてyou-tube公開用に制作してきた仕事が完成しました。
 
私は、自分では、けっして「生まれ変わり研究」オタクではないと自認しています。
私をとりまく政治・経済の問題、原発問題、国家の安全保障問題等の諸問題について人並み以上の関心を寄せています。
そして、現状の日本と世界の先行きに不安と危機感を抱いています。

生まれ変わりが事実であること、霊的存在が実在することを証明し、発信することは、こうした現実の諸問題と無縁な、一見浮き世離れした暇人の仕事に思われるでしょ うが、生まれ変わりを事実だと認めるならば、人間に対する見方、考え方は言うに及ばず、自然界のあらゆるものに対する見方、考え方も根本的な変更を迫られ るはずだと思っています。
生まれ変わりを事実だと認める人々が、必ずや当事者性をもって、自分が生まれ変わるはずの地球、世界、日本の未来を真剣に考え、「生まれ変わる自分のために」、必要な政治的諸行動や経済的諸活動、諸学問研究活動をおこなうだろうと期待をしています。

そして、何よりも、死後は無に帰するわけではなく、魂と呼ぶ意識体は死後も存続し、時を経て新しい肉体を得て再び生まれ変わることを、科学的事実として認めることは、私自身の救いです。
私は小学校6年の冬に、可愛がってくれた祖父の遺体が焼かれていく有様を見てしまって以後、「タエの事例」、「ラタラジューの事例」に出会うまで、死ぬことに対して極端な恐怖を抱いて生きてきた情けないほどの臆病者でした。
私は、「死ぬことなんか怖くない」と公言出来る人をどうしても信じられない臆病な人間です。
「帰無仮説」によっては、人間は、少なくとも私は、けっして救われることはないと思い続けていました。
死があるからこそ生を充実する、などの言辞は、現実の死を目前に突きつけられたことのない、死を観念的にしかとらえていない人間の戯言に思えたのです。

死んだら最後、愛する者たちと永遠に別離しなければならないと考えることは、まさに寂寥と悲痛の極みであり、ニヒリズムに落ち込むこと、鬱状態に落ち込むことを繰り返してきました。
その悲痛を忘れるために、大型バイクをすっ飛ばしたり、疲労の極まで泳いだり、足腰が立たないほど山に登ったりしたのだろうと思います。薬物が手軽に手に入れば、やっただろうと思います。

だからと言って、私は宗教に救いを求めるという心性を持てない人間です。
「生まれ変わり仮説」の科学的・実証的探究を続けているのは、自分の手で確認し、何よりも私自身が納得でき、悲しみから救われたいからです。
だからこそ、生まれ変わりという重要な問題を科学の方法を用いて執拗に真剣に探究することが続けられるのだと思っています。


生まれ変わりなど絶対に認めたくない人は、生まれ変わりを否定する証拠をもって反論する以外に方法はありません。
「タエの事例」、「ラタラジューの事例」を、生まれ変わりの証拠として絶対に認めたくない人のために、反証可能性に開かれているという意味を含めて、セッション全容の証拠映像の公開が必要であると思ってきたところです。その思いがやっと叶いました。

生まれ変わりについて真面目に考えている、できるだけ多くの人に見ていただきたいと思っています。

公開動画は http://samzense.blogspot.jp/p/blog-page_21.html です。

27 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

 その40についてのVITAさん及び早川氏のご指摘された内容について、残念ながら私にはそちら方面の知識がないので、反論などはよりお詳しいであろうUROさんやシュバルさんにお任せしようと思いますが、一つだけ上げるとすれば、こういった懐疑論というのは、たとえば、以下の事例などに酷似しているなと思いました。

http://toshidensetu.info/archives/2612

 また、20年近く前の神戸の児童連続殺傷事件においても、「酒鬼薔薇冤罪説」なるものを唱える輩がおりました。

 今張ったリンクを見てわかる通り、笹井氏の自殺について、「いくつもの疑問点」を上げて、「これは自殺ではない、陰謀ではないか」としているわけですよね。

 確かに、「個別に指摘されている案件のみ」を見れば、非常に「もっともらしい疑問」なわけですが、しかし個別の事例で「不自然」であったり、「通常ならばこうなるはずなのにこれはおかしい」といくら指摘しても、実際にはSTAP細胞はインチキであり、小保方晴子は問題のあるねつ造者であり、笹井氏は自殺だったわけです。

 酒鬼薔薇冤罪説も、いろいろと「普通ではあり得ない疑問点(その指摘された部分のみを見ればもっともらしく見える疑問)」をいくつも挙げて、「少年Aは冤罪だ、はめられた」と主張していたわけですが、しかし本人が犯行を認め、今なお贖罪の人生を歩んでいるという事実を見れば、こういった「懐疑論」がいかにあてにならないか、よくわかるものです。

 さらに、時代をさかのぼれば、ホメロスのイーリアスの中に出てくるトロイア戦争に関しても、かつては単なる「創作」として片づけられていたわけです。その時にも「懐疑論」を唱える人が大勢おり、曰く、

「当時の一級資料や証拠となる文献が存在しておらず、ホメロスの話の中にしかない」
「考古学的に、トロイアが存在したとされる場所では都市国家建設は不可能に近いし、ましてやここで戦争などあり得ない」

などといった、やはり「個別の事象から見れば確かにもっともらしく見える指摘・疑問点」を上げて、トロイア戦争やイーリアスの存在は幻想であると結論付けていたわけですが、結局はシュリーマンがダイナマイトで目星をつけて爆破したら、遺跡が出てきちゃった、本物だ、という話になってしまったのです。

 結局、これらの「もっともらしい疑問・指摘」というのは、むしろ専門一筋の人が唱えることが多く、自分の分野における知識を重視しすぎることから、たとえば、話の全体としての整合性や、文献に残らない、あるいは歴史の果てに焼失した可能性など、そういったものを無視した結果起こるようです。確か、疑古派とか言われていたと思います。

 まあ、先ほども申しました通り、私はこの方面の知識はないので何とも言えませんが、確認したいのは、タエの語りのような災害が起きて、それに巻き込まれることを想定した際、果たして、ほかの専門家はどのような見解を示すだろうかということです。

 彼と同じく、即死しかありえないとするのか、いや溺死もあり得る(もちろん人柱にする時間はあったということになるが)のか、溺死の可能性が0ではないとすれば、タエの語りの整合性を考慮すれば、私はやはり溺死説をとりますね。その可能性が高いか低いかに関わらず。

 なんたって何万分の一の確率でしか起こりえない原発事故が起こるようなのが現在の世界ですから、確率的に0でないなら、あとは証言の整合性が取れているか否かの方で判断するべきではないでしょうか。

稲垣 勝巳 さんのコメント...

orphan elder さん

いつもながら多角的な視野からの興味深いコメントをいただき、ありがとうございました。

私がタエの語りの信憑性を評価している理由の一つが、里沙さんの正直さがポリグラフ検査で証明されていることです。
タエの語った諸情報の入手先を検査したところ、「本・雑誌など」で明確な特異反応を示しました。つまり本・雑誌などからセッション前に情報を入手していた疑いが出たということです。
しかし、諸情報の入手時期を検査したところ、生育歴のどこにも特異反応は出ませんでした。つまり、生育歴の中では入手した時期はない、という結果です。
本・雑誌によって情報入手の疑いが検出されているにも関わらず、入手時期がないという矛盾した事態になったわけです。
こういう場合には、検査者は被験者に、特異反応の出たことを伏せて、「本・雑誌で、ということを聞かれて、何かひっかかることがありましたか?」という質問をします。つまり、いいえと答えた時(嘘をついた時)の被験者の意識状態の内観を求めるわけです。
里沙さんの回答は、セッション後に稲垣から献本の本を読んだり、自分の語った内容を本屋で調べたりしたので、いいえと答えることに少し抵抗がありました、とのことでした。
この里沙さんの回答から、検査者荒砂正名氏(元大阪府警科捜研所長)は、彼女は嘘のつけない人物だと了解できたという説明でした。

こうしたポリグラフ検査の結果からも、里沙さんに顕現化したタエ人格の整合性のある語りを尊重してよいと考えています。

シュヴァル さんのコメント...

昨日は二回目のセッションありがとうございました。
 やはり体験するに限るというのが実直な感想です。頭の中でいろころ考えるより、命もとられませんし、洗脳もされません(笑)のでここの読者で疑問、懸念のお持ちの方は勇気を持たれることをお勧めします。
 ほんの一歩前に進むことでわかることがあるというのが体感できました。

 セッションに関しては、前世人格にまさかの大物が出てきたことには個人的に驚きを禁じえません。また、前回と違い前世人格が苦しみを背負っていたことがはっきりと知覚できました。
 前回は、身分制で考えると下位の人格でいたが今回はかなり身分が高い人物でした。
 少なくとも、身分の高い人物ばかりしかでこないということは先生のセッションではないように思いました。

 今年にはいり十年近くぶりに逆説の日本史を読むようになったのですが、今思うと今回のセッションためだったように思います。
 セッションの体験記については、後ほど送付させいていただきます。
 ありがとうございました。


orphan elderさん

 私も、土木の専門家ではありませんので
詳細はわかりません

 しかし、歴史は個人的に趣味しており、逆説の日本史を読むと史料絶対主義は危険と指摘されています。特に問題なのが前回も指摘した当たり前は記載されないのです。紙は
非常に貴重で高価なものでした。

 なので当時の常識、当たり前は記載する余裕がなかったわけです。このせき止められた説については、予想されていた。あるいは伝承があり、当たり前だったので記載されいなかったと考えるのが妥当だと思います。

 予想外だったら記載されると考えるほうが当時の常識なのです。そこを考察せずに、のってないから無いはおかしいように思います。

稲垣 勝巳 さんのコメント...

シュヴァル さん
再三SAM前世療法体験者としてのコメント投稿をいただきありがとうございました。
「魂状態の自覚状態」へ遡行できたところで、「魂表層の前世の者たちの中で歴史上で名の残っている者がおいでになるならどうぞ出てきてください」とお願いしたところ出ておいでになったのが、3世紀の著名人のしかもその弟の前世人格でした。その真偽は検証不可能ですが、シュヴァルさんのこれまでの人生で、顕現化した前世人格の語りと符合することが多くあり、またそれをご自身が、一つ一つ腹に落ちるという形の納得ができるのであれば、セッションの意味があったとするのが私の考えです。
精神分析でいう「ああ、そうか体験」です。この体験後、何らかの改善に向かう、というのがSAMの治癒構造仮説となっています。
シュヴァル さんのように毎日が生き馬の目を抜く経済活動最前線のお仕事で、しかもその業界で名の知れるほどの実績をあげておいでの方が、二度までセッションにおいでくださったことに、経済活動最前線と前世療法というミスマッチのおもしろさを感じます(笑い)。

タエの人柱状況の次の語りであらたに気づいたことがあります。
・・・・・・・・・
TH:16歳ですか。川岸にキチエモンさんの姿見えますか? それで川の水は増えているんですか?

CL:昼間だけど真っ暗で提灯が・・・分からない。
・・・・・・・
この「分からない」というタエの語りの意味が、何を、分からない、と言っているのか今一つ疑問でした。
TH私の、タエへの質問は①キチエモンの姿が確認できるか、②川の水は増えているか、の二重になっています。
「分からない」の意味は、①ではないのは明らかです。この前部の対話で「行者様、導師様。みんないます」と言っていますから、当然キチエモンの姿を確認しているはずだからです。
したがって、②の川の水が増えているかどうかについて、「真っ暗で、提灯が(いるので)・・・(川の水が増えているかどうか)分からない」と答えている、と解釈するのが妥当です。
もし、現在、タエが、川の水が止まっている間にあって、橋の柱に縛られているのなら、暗い中であっても、川の水の増えている状況が「分からない」と言うことは考えにくいと思われます。止まっていたはずの川の水が流れ始めているなら、増水したことが分からないはずがないでしょう。
したがって、タエが橋の柱に縛れたのは水が止まっている隙ではなく、通常の水量の時に縛られているので、通常の水量が増えているかどうかは分からない、と解釈するのが自然だろうと思われます。
こうして、タエは、川の水が止まっている隙に縛られたのではなく、起こるであろう大増水をあらかじめ予測して、通常の水量の時に人柱に仕立てられたと推測できることになります。
「大泥流は一気に押し寄せたので(川の止まった隙に)人柱に立てる時間の余裕はなかったはずだ(だからタエの語りは信用できない)」という早川説は、タエがそのことに何も触れていないにも関わらず、「川の水の止まっている隙に人柱に仕立てたに違いない」とする思い込みが前提となっている憶測だと言うべきでしょう。
さらにうがった解釈が許されるなら、この前部の「急ぐ、時間がない!」という語りとの文脈の整合性から、予測されて来るはずの大増水が来るのかどうか「分からない」という意味が含まれているかもしれません。

「その40」までのVITAさんとの議論の中で、タエの語りを拠り所にして、こうしてあれこれ推理をめぐらすことが、生まれ変わりの実証的探究の醍醐味の一つでもあります。

シュヴァル さんのコメント...

 私の職業についている人間は、おそらくたいていは唯物論者ですが、私は変わり者?だからかもしれませんね。

 二回目のセッションは、以前から申し上げているように、指が動くようになってから、もう一度訪れることになると示唆はありました。

 実際、セッション中の反応でも、稲垣さんの質問にたいして私の守護霊と称するものはそう答えていました。

 いろいろ試した結果、自己の無意識を棄却するのは難しいので、意識下に無い状態でもう一度お願いするしかないと個人的には思った次第です。おそらく指が動かなければ前回、良い体験をしたなあで終わっていたと思います。

 今回のセッションででてきたことは完全な証明は難しいですが、前世人格は、姉を失ったことに対して激しく後悔しているような反応に私には思えました。姉の死は、おそらく自然史ではないのでしょう。

 今回のセッションでは稲垣さんがどういう意図でお話されたのかはわかりませんが、
オオクニヌシの質問がありました。直感的名ものですが、オオクニヌシの時期が質問にあったので、将来考古学的なものが発見されれば、傍証位にはなるかなと思っています。

 あの質問に明確に答えらたということは、前世人格はオオクニヌシの事柄を知っていたのです。現時点で明確に答えられるひとはいないはずですから。

ショウタ さんのコメント...

色々な事例を見て思いましたが前世は生き物全てにありその記憶を覚えている人、いない人はそれぞれという事なのですかね。

稲垣 勝巳 さんのコメント...

ショウタさん
前世療法の実践記録を読んでも、前世にヒト以外の動物であったという記録はないと思います。
また、ヒトから動物に生まれ変わったということも記録にはないと思います。
おそらくヒト以外の動物にも魂は宿っていると思われますが、ヒトの魂より格が低いのか、あるいはまったく異質なものなのか、事例がないので私は分かりません。

坊 さんのコメント...

相変わらず茶番は続いてますね。

哲学的に死後は無。

夢の中で死ぬと夢が終わる事で死後はないと本能的に証明です。

例(体験)
・空から落ちて衝突した瞬間
・貞子に襲われた瞬間
・ゾンビに噛まれた瞬間
・爆弾のタイマーがゼロになった瞬間

いくら主観が同じとはいえ続きがないのを惜しく思うときがありました。

これで思ったのですが死

生命の消失とは意識が消えるということを人は理解しているのではないかと考えました。

知識ではなく初めからです。死んだ後がないこと、夢が覚めるということは死を理解していからなんでしょうか?

理解してるのではないかと思う点は人の死を意識の生命活動の停止、消失と捉えると
生まれる前に戻るとも考えられないか。

死んだら生まれる前に戻るだけだということを仮定すれば、私たちは死を体験、理解しているとはいえないでしょうか?

死ぬ寸前は脳がおかしくなってるから幽霊やあの世みたいな錯覚がみえる。幽霊目撃の時は必ず寝ぼけてる、暗闇、大怪我等不確定な時しかない。

それに、動物は死んだ仲間を埋葬しない。死んだ生き物はただの肉。霊的なものなんか存在しないのを本能で理解している。

社会人なら霊的なものなど存在しないことくらいわかって下さいな。

ショウタ さんのコメント...

mixiの『死後の世界はどんなところ? 科学的に研究している研究者たちがいるらしい』の記事のコメント者で進化的に死後存続はあり得ないというコメントがありました。

コピペ

進化的にないでしょう。
.

すべての生物は、太古のにできたたったひとつの生物から進化してきました。その世界最初の生物はたった1つの性質しかありません。それは「自分と同じものを複製できる」という性質です。

生物の様々な特徴は「子孫が残しやすい」という性質が発展していったにしか過ぎません。それ以外の性質は備わったとしても、子孫を残しやすくなければ淘汰されてしまいます。

「死後の世界」も自己複製に有利な性質ならばどんどん発展していくでしょうけど、そうでなければ無くなります。

私は「死後の世界」はあまり自己複製に有利な性質だとは思えません

コメント者に稲垣さんの研究を紹介しましたが進化的な説明がつかないと納得しないそうです。

坊さんも理論で否定して稲垣さんは事例で肯定して見方が違うのではないかと思います。

稲垣 勝巳 さんのコメント...

坊さん

私も2005年に「タエの事例」と出会うまでは、「哲学的に」観念的にあなたのように考えていました。

死後、一切は無に帰る。
生前に経験されたものは脳の消滅とともにすべて棄却される。

しかし、「タエの事例」、「ラタラジューの事例」の納得のいくまでの検証の結果、そうではないらしい事実を突きつけられました。
否定できない事実を突きつけられて、それに目をつぶることはできません。


死後は一切は無に帰る。
ほんとうにそうですか?

これは現在の唯物論科学の立場から、その立場上構成されている「信念」や「主張」をそのまま表現したものであって、この言説自体は、科学的に確定された手続きによって検証・証明されたものではありません。仮説に過ぎないものです。

したがって、私は「帰無仮説」とよばざるをえないと思っています。

「帰無仮説」が、誤りであるらしいことを、本ブログで「タエの事例」、「ラタラジューの事例」という具体的事実でもって提示し、反証可能性に開かれた形で公開しています。

「社会人なら霊的なものなど存在しないことくらいわかって下さいな」と「個人的信念」によって断定する前に、両事例を虚心坦懐に検討し、具体的反証を挙げて「帰無仮説」を実証的に証明してみせてください。

それが、これまであなたにはどうしてもできないので苛立っておいでのようですね。
「茶番」という侮蔑のことばは、その苛立ちを反映している証拠だと解釈しています。
それにしても無礼な物言いです。

おそらく、坊さんはこのブログで展開されている議論を「茶番」だと侮蔑するその裏で、あなたの帰無仮説「信念」を根底からぐらつかせる無視できない脅威、不安を切実に感じておいでだと拝察しています。

そうでなければ、これまでも、今回も繰り返し帰無仮説の信念のコメントを相も変わらず続けることはないはずです。

茶番だと本当に思われるのなら、笑って無視されるのが当然でしょうに。
私はそうしています。

生まれ変わりや臨死体験などに関する無視できない事例が累積しており、これを「茶番」だと笑って無視できない科学者が少なくないからこそ、学会まで設けられ、真面目な研究が続けられているとはお考えにはなりませんか?
そんな研究は「茶番」だと頭から否定されるのは、思考の動脈硬化現象をきたしておいでになるのでしょう。

ちなみに、
「死んだら生まれる前に戻るだけだということを仮定すれば、私たちは死を体験、理解しているとはいえないでしょうか?」
という文脈は意味不明ですよ。
思考の動脈硬化を疑われるような論理的整合性の乱れた日本語で投稿される前に、推敲作業をきちんとされることをお勧めします。
これは、「茶番」というあなたの根拠のない侮蔑に対する私のお返しです。あしからず。

稲垣 勝巳 さんのコメント...

ショウタさん

「すべての生物は、太古のにできたたったひとつの生物から進化してきました。その世界最初の生物はたった1つの性質しかありません。それは『自分と同じものを複製できる』という性質です」

という唯物論的信念で、「タエの事例」、「ラタラジューの事例」について具体的反証をあげ、「自己複製の進化」で説明してみなさい、というのが私の論点です。
理論で否定しても、理論に反する事実が生じているなら、その事実の欺瞞性を反証を挙げて論破するか、それができないのなら理論の誤り、未熟さを変更するのが柔軟な科学的知性ではありませんか。
「進化的にないでしょう」という意味不明の紋切り型反論は中学生でも言える思考停止の戯言です。
反証が挙げられるなら、具体的にきちんと指摘してこそ反論に値します。

それができないと、私の「事例研究」というルールのリングに上がらないで、観念論による場外乱闘という形のルール違反へ持ち込むことが、硬直した唯物論者のこれまでの常套手段です。

あなたのコピペのような「帰無仮説」支持の唯物論、観念論や理屈は、掃いて捨てるほどあるのです。
同様に「生まれ変わり仮説」支持の実証なき観念論や信念の表明も掃いて捨てるほどあります。

これまでの、唯物論者たちの観念論や抽象的理屈での反論、とりとめのない平行線でしかない応酬には、私は飽き飽き、うんざりしています。

観念より「事実」で示せ、理屈より「実証」で示せ、反証可能性に開かれた事実に対しては具体的反証を挙げて論破しなさい、という姿勢を貫いてこそ説得力を持つ、というコンセプトで本ブログは開設されています。

本ブログのコンセプトに見合うような
投稿をお願いしたいと思います。
また、前歴があるように、あなたが私の反論をコピペして「自己複製進化論者」に送り、不毛な抽象的議論を煽るような振る舞いは禁止です。

迷子 さんのコメント...

稲垣先生こんにちは、


ラタラジューの映像見ました。強烈でした。

 イアンスティーヴンソンも、前世が動物だという主張をする人の事を耳にしたそうですが、裏ずけが取れたものは無いようです。

 遅くなりましたが、石川幹人教授は、自著「超心理学 封印された超常現象の科学」の10章で生まれかわりを「心の広がり仮説」つまり超能力による説明をこころみておられます。これが石川教授の公式見解だと思います。

メタ超心理学研究室の超心理学講座

―「超能力の科学」の歴史と現状―

の下の所に新しくPDFで纏められた文章があります。本当に少しですが、真性異言にも言及しています。


ショウタさん、生まれ変わりと生物の進化の関係に言及している方は、私の知る限り、笠原敏雄さんという心理療法家の方だけでしょう。一応アドレスを張っておきます

事の重大性と超常現象研究http://www.02.246.ne.jp/~kasahara/parapsy/importance1.html


現在、笠原氏は、今西錦司の進化論の本を執筆中です。1300ページを超える大著になるようです。


おそらくここで生まれ変わりと生物進化について書かれることになると予想しています。

今年の6月頃に完成予定ですが、まだ出版社は決まってないようです

石川教授と笠原氏のHPは相互リンクしてあるのでどちらからでも入れます。

稲垣 勝巳 さんのコメント...

迷子さんこんにちは

生まれ変わり仮説に関する諸情報の提供に感謝します。

明治大石川教授の著作には目を通していますが、彼が生まれ変わり仮説に大きな関心を抱いている記述はないと思いました。
おそらく、日本における生まれ変わり仮説に関する具体的検証事例の研究がこれまでなかったからだろうと思っています。

したがって、石川教授にはyou-tubeの原盤DVDを送付してあります。
一切の反応はありませんが、慎重な研究者であれば、にわかに認めがたい事例ですから検討中であるかもしれません。
また、笠原敏雄氏にも、私の本の編集者であった鷲尾氏を経由して送付してあります。鷲尾氏は、春秋社から出版された笠原訳のスティーヴンソンの研究書の編集に携わった方です。

笠原氏からは「ラタラジューの事例」を知った時点で、鷲尾氏を通じて「スティーヴンソンが存命中なら自ら検証のために来日したであろう」というコメントをいただいています。

シュヴァル さんのコメント...

坊さんへ

これにも返事はいただけないでしょうが
起こったことを理論付けしようというのが
稲垣さんのブログの主旨だと私は理解しています。

そのために、自らの仮説について多数の証拠を公開されているわけです

感情的な文言かかれるのでしたら
ぜひ一度セッションをつけられてはいかがでしょう?

私は、指が勝手に動くようなときが出現しました。これは理論的にはなにも証明できません。しかし、起こっています。起こっていることは否定できませんのでなんとか理論付けできないかと考えるわけです。

シュヴァル さんのコメント...

稲垣様

逆説の日本史にもあったのですが、敗戦で学問の世界から宗教色の排除を行ったとありました

ということは
宗教色があるい生まれ変わり研究はあまり行われていないということでしょうか?
であれば、ぜひ、この分野で実りある前進をされることを祈念しております。

稲垣 勝巳 さんのコメント...

シュヴァルさん

「起こったことを理論付けしようというのが稲垣さんのブログの主旨だと私は理解しています」というあなたの理解は正当です。

「タエの事例」と出会い、その検証によってタエの語りと守護霊の語りに決定的な誤りがないことが明らかになったことをどう解釈すべきかに悩んでいたときに、私あての霊信現象とおぼしき超常現象が起こりました。

通信霊が、魂と生まれ変わりの仕組みを伝えてくるという信じがたい現象が起こったわけです。

私は、この霊的情報の真偽を確認しようと思いました。

この確認作業の過程でSAM前世療法の作業仮説、つまり理論化が進行していったというわけです。

そして、シュヴァルさんが体験されたように指に潜在意識が宿り、返答をする、という作業仮説どおりの前世人格顕現化の意識現象の事実が確認されるに至っているということです。

こうして、タエもラタラジューも、SAMの作業仮説によって顕現化した現象です。

ショウタ さんのコメント...

生まれ変わりがあるなら自分の死は認識できるというわけですか?

私はいつも唯物論者を恐れていますが寧ろ唯物論なのは自分なのかもしれないですね。

本当の肯定派は否定派の意見に流されないですね。

私自身は唯物論だがそれじゃ寂しいので肯定派の肯定的な資料で安心したい気持ちです。

一般社会は帰無仮説が主流ですが魂仮説にも期待しています。

稲垣 勝巳 さんのコメント...

ショウタさん

繰り返しますが、「帰無仮説」、これは現在の唯物論科学の立場から、その立場上構成されている「信念」や「主張」をそのまま表現したものであって、この言説自体は、科学的に確定された手続きによって検証・証明されたものではありません。主流であろうがなかろうが仮説に過ぎないものです。

タエの事例、ラタラジューの事例は、帰無仮説では絶対説明できない現象です。これを知って衝撃を受けない人は感受性が麻痺、ないし枯渇してるといわねばなりません。

両事例のyou-tubeの動画、本ブログのセッション逐語録をご覧になっても、帰無仮説にこだわる人には、もはや説得の手段は尽きたというべきです。

とりわけ、応答型真性異言現象を現行唯物論で矛盾なく説明できた研究者は、現在のところ世界に一人もいないのです。

と力んだところで、生まれ変わり仮説を科学的事実だと認める、認めない、は個人の自由です。

私は、これまでの経緯から、浮き草のようなショウタさんを説得するつもりはまったく持っていません。

ショウタ さんのコメント...

「生まれ変わり」現象:立花隆氏と遠藤周作氏の対談から

http://blog.ohkado.net/?eid=11

坊 さんのコメント...

迷信に惑わされる時間があるなら、もっと人様に役に立つ科学でも学んだ方が良いですよ。


生まれ変わりを証明するには、まず脳とは別に意識や魂が存在する証明が必要ですよね。

つまり無理です。前世の記憶は虚偽記憶です。

記憶と史実の一致だなんて偶然の一致です。

世の中には奇跡的な偶然は起こりえるものです。珍百系の番組を見ればわかります。

オウムの勧誘や洗脳みたいですね。

稲垣 勝巳 さんのコメント...

坊さん

上記のようなコメントは、下記のようにに提示しているコメント投稿のガイドラインに抵触しているとは判断できませんか?
・・・・・・・・・・・
下記※印に示す内容に該当するコメント投稿はご遠慮ください。投稿されても掲載できませんのでご了解ください。

※各記事ごとのテーマから大きく逸脱しているコメント、根拠が提示されない観念的議論を求めたり、根拠不明で反証可能性に閉ざされたコメントは、話題の焦点が拡散し、散漫になることを避けるため、投稿されても掲載できません。
・・・・・・・・・・・
ということで、次回からは削除して掲載しませんのでご了解願います。

坊さんこそ、毎度の代わり映えのない繰り言を投稿するお暇があるなら、再三お勧めしている「タエの事例」「ラタラジューの事例」のyou-tube動画をごらんになって、どこが虚偽記憶か具体的にご指摘ください。

なお、「洗脳」とは具体的にどのようなプロセスを経てなされるのか定義をきちんとお調べになって用いてください。ブログ記事で洗脳ができるなんてことを言うと笑われますよ。

迷子 さんのコメント...

こんにちは、

 ショウタさん、遠藤周作氏は生まれかわり仮説に強い関心をよせていて彼の小説「わが恋う人は」「万華鏡」「深い河」などを執筆しています。たしか「深い河」などはイアン・スティーヴンソン名前も出てきていたと思います。

「深い河」を探る。心の海を探る。等の対談集も出版されています。

 生まれ変わりの偶然一致説ですが、これはジム・タッカー氏がリチャード・ワイズマン氏と話した事が「転生したこどもたち」(日本教文社)の129ページに乗っています。

 明瞭かつ決定的な違いとして、空想的な要素が入っていたり正確な地名や名前が出てこない。家族が特定の人を探しに特定の場所につていの場所に出かけるとう話もない。という違いがあるそうです。

超常現象関係の批判だと、笠原敏雄氏のHp「心の研究室」にある

「超常現象批判の論理学と病理学」「ことの重大性と超常現象研究」「超常現象と出版社」「奇術と超常現象」)などをご覧ください。本だと「超心理学読本」「サイの戦場」あと、石川幹人教授も「超心理学・封印された超常現象の科学」でも、かたくなな否定論者、の問題を取り上げています。


稲垣先生、以前、超心理学会の会員の方のこちらのブログ話したのですが
http://morinosei2.cocolog-nifty.com/polter/2013/12/post-d6a2.html#comments

石川教授は、初めから霊魂ありきで考えると認知が歪むので、あえて霊魂仮説と距離を置いている所もあるようです。ただ他の著書でESP仮説の方に分がるとも書かれていました。





稲垣 勝巳 さんのコメント...

迷子さん

石川幹人教授の「霊魂ありきで考えると認知が歪む」という見解はそのとおりです。
しかし、「タエの事例」「ラタラジューの事例」を「生まれ変わり仮説」を強力に支持するものだと認めるなら、論理的帰結として「霊魂仮説」を支持しないことには、生まれ変わりの説明が完結できないことになるのではありませんか。

したがって、私の立場は、「霊魂ありき」で仮説を立てたわけではなく、タエ・ラタラジュー両事例の検証結果として、霊魂仮説を支持するしかないという結論です。

イアン・スティーヴンソも生まれ変わり研究の結果として「前世から来世へとある人格の心的要素を運搬する媒体を『心搬体』と呼ぶことにしたらどうかと思う」と述べています。

彼の提案している『心搬体』は、「霊魂」とほぼ同義だと私は解釈しています。
彼も、膨大な生まれ変わり研究の帰結から、生まれ変わり認める立場に立ち、その結果「霊魂仮説」の支持に至ったのだと思っています。

私の理論武装を敢えて挙げるなら、「タエの事例」「ラタラジューの事例」の両事例の具体的事実の証拠映像提示です。「生まれ変わり仮説」、「霊魂仮説」を理屈で言うのではなく「事例そのものの事実」で示し、事実をして語らしめることが私の戦略です。

「ラタラジューの事例」に一切のトリックがないという前提で、youーtubeで公開の動画の解説で示した生まれ変わり仮説を支持する諸証拠を、どのようにESPを用いると説明できるのでしょうか。

現時点においては、ネパール語を学んだはずがないことが検証されている人間が、にもかかわらず、ESPによって古いネパール語単語、古いネパール語の数詞も獲得し、そうしたネパール語による応答型真性異言現象を示したというESP行使の実証がなされない限り、生まれ変わり仮説による説明の有効性が否定されることはありえないと考えています。
ESPによって、応答型真性異言現象が実現したという実証がなされて、生まれ変わり仮説を完全否定できるのではないでしょうか。
ちなみに、私は霊姿(幽霊)を体験したことがないので、これについては判断留保です。

迷子 さんのコメント...

こんにちは、御返事ありがとうございます。

私の結論も稲垣先生と同じところにあります。テレパシー実験でも情報のやりとりはできても、技能のやりとりが出来る根拠は有りませんし、ジム・タッカー氏によるとそういった実験も、行われた事はないようです。私自身、現時点では霊魂仮説を支持するしかない。と言う所に落ち着いています。私は超ESP支持派ではありません。

超ESP支持派の人も技能を持ち出されると苦しいと素直に認めているようですが、真性異言は数が少ないから。というよくわからない反論があるので困惑しています。どんなレアケースでも、ある以上真剣に検討する価値があります。今回映像が撮られたのが決定的でした。

他にも技能と言う点に注目すれば、喃語や幼児語を径づに、いきなり大人的な話をしたり、生後に身につけたはずのない技能を発揮する。等があります。

霊姿ですがスティーブンソンが調査した事例で、生まれ変わりにまつわる霊姿として、出生前に幽霊として姿を現した記憶を語る生まれ変わり事例が2件ほどあるそうです(超心理学読本P211)
他にもESPによる模倣仮説だと、前世人格による生まれ変わりの予言や予告夢の説明も難しくなりますし、死亡後から生まれかわるまでの間の証言(転生したこどもたち第8章)なども説明できそうにない。霊魂が胎児の身体を奪い合う記憶を語る話もあったはずでしたが、何処に記載されたか忘れました。自己確立の為の他者模倣仮説にたいしても、前世の死にまつわる恐怖症をもつ新生児の話があります。

上げていくとキリがないのでここまでにしますが、私の現在の考えは「超ESP仮説は、確かに全体の一部は説明してくれるが、全体を見ると真性異言を筆頭に説明できないものが多くあまり魅力のない仮説」になります。

私が石川教授たち明治大学のグループを重要視しているのは、現在NHKをはじめメディアへの露出が、一番多く行動が活発である共に、一時離れていた超心理学に復帰するきっかけになったからです。イアン・スティーブンソンの研究報告や笠原敏雄氏の解説で超ESP仮説はとうに潰えたと思っていたのですが、まだ命脈を保っていたとは驚きました。






参考がてら 超心理学の哲学的背景 明治大学教養論集
通巻三七四号(二〇〇三・九)一―三六頁 の注釈の4を引用しておきます。全部読みたい人は、メタ超心理学研究室にPDFで置かれています。

サバイバル現象は、生者のPSIが時空を越えて働くとすれば、あくまでPSIとして 説明可能である(スーパーPSI)。サバイバル現象が、浮遊する人格のようなものに
よるのかスーパーPSIかという点について、超心理学者の間では議論がある。憑依さ
れた霊媒や生まれ変わりの子供が、死者が生前振舞った、まさにそのままに行動すると
したならば、スーパーPSIは分が悪くなる。それらを逐一PSIで説明するには極め
て複雑なメカニズムを想定せねばならない。死者が生前使用していた異国の言葉を話し
たり書いたりなどすれば(ゼノグロッシー)、なおさらである。浮遊する人格の方が簡
単な仮説であり、節約原理にかなうという主張である。けれども、現象はそこまで顕著
ではない。高度なゼノグロッシーが報告されることも、極めて稀である。一方、PSI
には目的指向性※があるので、複雑なメカニズムを達成するのも問題ないという議論も成
立する。つまり、PSIによって「あたかも浮遊する人格が存在するかのような現象」
が起きている、とも考えられる。

以上引用終わり

なおイアン・スティーブンソンはサイが時空を超えることは認めていますが、技能は訓練が必要であり情報ではないので無理であると述べています。

※目的指向性とは、やり方は解らなくても出来るというもの。

稲垣 勝巳 さんのコメント...

生まれ変わり仮説の研究動向についての貴重な情報をありがとうございました。
・・・・・・・・・・・・
死者が生前使用していた異国の言葉を話したり書いたりなどすれば(ゼノグロッシー)、なおさらである。浮遊する人格の方が簡単な仮説であり、節約原理にかなうという主張である。けれども、現象はそこまで顕著ではない。高度なゼノグロッシーが報告されることも、極めて稀である。
・・・・・・・・・・・・・
という論点は大変興味深く思いました。
はっきり言えば、応答型真性異言(xenoglossy)の専門的研究者と呼べるのはスティ-ヴンソンぐらいだと思います。ウィキで検索しても「ラタラジューの事例」を含めて世界で5事例にとどまっています。一応超心理学の分野に入っているので超心理学者は
応答型真性異言については論文や著作の中でちょこっと触れますが。
アイスランド大学のハロルドソン教授に私の知人が「ラタラジューの事例」を紹介してくれましたが、彼は前世の記憶を話す子どもの研究に関心があるとのことで応答型真性異言研究は控えているとのことでした。
いずれ「ラタラジューの事例」の証拠映像が正しく評価される日が来れば、「高度なゼノグロッシーが報告されることも、極めて稀である」という文言は修正されるだろうと思います。

迷子 さんのコメント...

こんにちは、

 
 真性異言の研究に従事した経験のある研究者は、私が知る限りだと、インドのサトワント・パスリチャ博士ですね。

 シャラーダの事例研究をスティ-ブンソンと共に長期間にわたり行なっています。

「生まれ変わりの研究 前世を記憶するインドの人々」(日本教文社)はバンガロール大学に提出した、博士論文を元に執筆されたもので、パスリチャ博士は、生まれ変わりの研究で博士号を取得した、筋金入りの研究者です。

稲垣 勝巳 さんのコメント...

迷子さん

『生まれ変わりの研究 前世を記憶するインドの人々』(日本教文社)は、私も読んでいます。
私の読んだ限りでは、スティーヴンソンの研究以上の新しい知見は書いて無かった記憶です。スティーヴンソンの研究の方法論を追試した事例集という位置づけになるだろうというのが私の持った感想です。