最近、飯嶋和一『雷電本紀』小学館文庫、という小説を読みました。
著者飯嶋和一によれば、小説『雷電本紀』は、足かけ6年の歳月をかけて綿密な時代考証のもとに書いた江戸期の力士雷電についての伝記小説ということです。
ここで取り上げる話題は、『雷電本紀』に描写されている天明3年浅間山大噴火の様子が、以下に紹介するタエの語りにことごとく符合している事実です。
(THは筆者、CLは里沙さん)
TH 天明三年にどんなことがありましたか? 何か大きな事件がありましたか?
CL あ、浅間の山が、お山が、だいぶ前から熱くなって、火が出るようになって・・・。
TH 火が渋川村から見えますか?
CL うん。
TH 噴火の火がみえますか?
CL フンカ?
TH 噴火って分かりませんか? (CL頷く)分からない。火が山から出てるんですか?
CL 熱い!
TH 煙も見えますか?
CL は、はい。
TH じゃ、灰みたいな物は降ってますか? そのせいで農作物に何か影響が出てますか?
CL 白い灰が毎日積もります。
TH どのくらい積もるんでしょう?
CL 軒下。
TH 軒下までというと相当な高さですね。単位でいうとどのくらの高さですか? 村の人はなんて言ってますか?
CL 分からない。
TH 軒下まで積もると農作物は全滅じゃないですか。
CL む、村の人は、鉄砲撃ったり、鉦を叩いたり、太鼓を叩いても、雷神様はおさまらない。
(中略)
TH 一六歳ですか。川岸にキチエモンさんの姿見えますか? それで川の水は増えているんですか?
CL 昼間だけど真っ暗で提灯が・・・ 分からない。
TH なぜ昼間なのに暗いんでしょう? 分かりますか、そのわけが。
CL お山が火を噴いてるから。
TH 煙で暗いわけですか。太陽が遮(さえぎ)られて。(CL頷く)
(『生まれ変わりが科学的に証明された!』ナチュラルスピリット、PP.180-184)
さて、次に『雷電本紀』に描写されている上記タエの語りと符合する部分を紹介します。
五月二六日、よく晴れた真昼、四月のものよりもはるかにすさまじい音が耳を破り、大地が竜巻の音を立ててうねり、押し寄せてきた。見上げた浅間周辺の山中から赤い稲妻が、一面空を覆った暗雲のなかを走り回り、大人でさえその場にしゃがみ込み、なすすべもなく震えるしかなかった。(中略)
家々は窓も戸も閉じ、昼に行灯をともし、時折襲ってくる地の底のうねりと、頭を割られるような爆発音の耳鳴りに怯えていた。
浅間周辺の村々は、鬼、魔物を射殺すべく鉄砲や弓矢を浅間山頂めがけて放ち、鉦や太鼓を打ち鳴らして、魔物を追い払おうとしていたが、七月に入ると、さすがにそれをやる気力も失せてしまった。
上州との動脈路、中山道碓氷峠をはじめ、主要路はどこも四尺を超える灰に埋もり、七月に入ると人馬の通行は不能。軽井沢の宿は、石、砂、灰に塗り込められ、谷や川はすべて埋まった。
(飯嶋和一『雷電本紀』小学館文庫、PP,69-70)
筆者が驚いたのは、タエが、「村の人は、鉄砲撃ったり、鉦を叩いたり、太鼓を叩いても、雷神様はおさまらない」、白い灰が軒下まで積もった、昼間なのに提灯が必要だと語ったことなどが、 『雷電本紀』の「村々は、鬼、魔物を射殺すべく鉄砲や弓矢を浅間山頂めがけて放ち、鉦や太鼓を打ち鳴らして、魔物を追い払おうとして・・・」、主要路が四尺を超える灰に埋まった、昼に行灯をともしたなどの描写ときわめて一致していたことでした。
『雷電本紀』は、1994年に河出書房から単行本として刊行されています。小学館文庫から文庫本として刊行されたのは2005年7月です。
「タエの事例」が出たのは2005年6月4日ですから、里沙さんが『雷電本紀』の文庫本を読んでいることはありえません。しかし、単行本を読んでいる可能性はあります。
そこで、里沙さんに確認をとってみました。以下は電話でやりとりした冒頭の会話です。
「突然だけど雷電って知っていますか?」
「ライデンってなんのことですか?」
「雷電が江戸時代の相撲取りだということを知ってないのですか?」
「はあ、ライデンって名前ですか。ぜんぜん知りません。わたし相撲にぜんぜん興味がありませんから」
「ところで『雷電本紀』という小説を読んだ記憶はありませんか?」
「読んだことはないです。なんでそんなことを質問するのですか?」
里沙さんは、雷電が人の名前であることすら知らない、ということでした。彼女が意図的に嘘をつくことの利得はありませんから、『雷電本紀』を読んでいないことは信用してよさそうです。
また、2009年におこなったポリグラフ検査でも、「タエに関する情報を入手した認識(記憶)はまったくないものと考えられる」という鑑定結果が得られています。
ただし、潜在記憶の有無はポリグラフ検査では鑑定不能ですから、里沙さんが2005年6月のセッション以前に『雷電本紀』を読んでおり、それをすっかり忘れている可能性はあいかわらずあるということです。そして、紹介した『雷電本紀』の浅間山噴火に関わる描写を潜在記憶としてもっており、タエの語りに援用したという潜在記憶仮説が成り立つ余地があるということです。
さらに、超ESP(万能の透視能力やテレパシーなど超能力)仮説を適用すれば、里沙さんが催眠中に突如として超ESPを発揮し、『雷電本紀』の問題の個所を透視し、タエの言葉として語ったという仮説も成り立たないわけではありません。もちろん、ふだんの里沙さんがESPを発揮したことがないことは周囲の人たちが証言しています。しかし、催眠中に限ってESPを発揮した事例があるので、ことはやっかいなのです。
かように、「タエの事例」が、生まれ変わりの科学的証拠であると断言することは困難です。
だからこそ、超ESP仮説が適用できない応答型真性異言現象である「ラタラジューの事例」の生まれ変わりの証拠としての重みがあるというわけです。
1 件のコメント:
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否定論者がよく持ち出してくる「疑似記憶説」ですが、いつも疑問に思うのですが、いくら催眠状態という特殊な精神状態とはいえ、そう簡単に断片的な記憶のみで、これほどまでにリアリティーのある「疑似記憶」を作り出せるものなのですか?私は逆にそちらのほうが信じられない。却って脳を過大評価しているような感じがするのですが……。
催眠状態が現在どこまで脳科学的に研究が進んでいるかは知りませんが、なんか脳意識説にこだわりすぎるあまり、逆に無理矢理的な解釈で説得力を欠いているような気がします。臨死体験などの脳酸欠説も、脳が酸欠状態で、あれほど克明な情景を幻として見られるものなのか……。
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