2015年1月12日月曜日

SAM催眠学序説 その35

「タエの事例」再考 その1 セッション逐語録1

『SAM催眠学序説前世療法ー生まれ変わりの実証的探究』と題したドキュメンタリー動画制作にあたって、「タエの事例」のセッション全記録映像を前半のメインとしました。
2005年6月4日のセッション以後、今日までの9年半の間に、新たに分かってきたことを「注」のコメントを加えて公開します。
生まれ変わりの科学的証拠としては、この「タエの事例」は「超ESP仮説」の適用ができるため、応答型真性異言「ラタラジューの事例」と比べて、生まれ変わりの証拠としての完全性は一段低くなるとされます。
ただし、被験者里沙さんが、タエとして語った諸史実について、セッションの事前に意識的に入手していたことはポリグラフ検査で否定されています。
また、ふだんの生活において里沙さんがESP(透視・テレパシーなどの能力) を発揮したことは一切ないことを本人および家族から確認しています。


なお、THはセラピストの稲垣、CLはクライアント里沙さんの略です。


TH:さあ、これであなたは、時間も空間も関係のない次元に入りました。もし、あなたに、今の人生のほかにも人生があったら、そこに自由にどこへでも行く ことができます。でも、最初にこの前行った江戸時代へ行ってみましょう。何も心配したり怯(おび)え ることはありません。私が付き添ってガイドします からね。それでは、これから三つ 数えます。そうしたら天明の時代に生きたあなたの楽しい場面にまず行ってみましょうか。いいですか、天明に生きたおタエ さんの一番楽しい場面に戻りますよ。一・二 ・三。・・・
さあ、あなたはどこで何をしていますか?
注:最初に一番楽しい場面に戻る、という暗示をしたのは、前回3ヶ月前のセッションで、タエ溺死の場面に戻ってパニックになったことが分かっているので、それを避けるためである。

CL:・・・桑畑で桑の葉を摘んでいます。

TH:あなたのお名前は?

CL:タエ。

TH:それで、桑畑には他にもあなたの知ってる人がいますね。誰がいますか?

CL:・・・働いてる。

TH:働いてる? あなたの親とか兄弟はいませんか? あなたは一人ですか?

CL:はい。

TH:あなたはみなし子ですか?

CL :はい。

TH:今あなたは何歳ですか?

CL:13。

TH:13歳ですか。あなたがみなし子だった事情を誰かから聞いていませんか?

CL:捨てられてた。

TH:気がついたときには、赤ちゃんで捨てられていたのですか?

CL:そう。

TH:それで、あなたを育ててくださった人がいますね。どんな人ですか?

CL:安永九年(1780年)、渋川村、上郷(カミノゴウ)、名主クロダキチエモン。
注:渋川市教委を通じて、渋川市史編集委員の郷土史家の蔵書の検索によって、当時の渋川村の名主が4名であったことが判明。そのうち一人がホリグチキチエモ ンであった。クロダキチエモンではなかった。2012年5月29日の再セッション(映画で公開予定)によって、クロダキチエモンは、「クロダのキチエモ ン」と呼ばれていたことをタエが語った。名主キチエモンの田畑の土が黒かったので村の衆がそう呼んだ。つまり、「クロダのキチエモン」は俗称であり本名で はなかった。本名をタエは知らないと語っている。ホリグチ家は初代以後明治になるまで当主は代々ホリグチキチエモンを襲名していることが判明。村の衆は、 当代ホリグチキチエモンを先代、先々代と区別するために「クロダのキチエモン」と俗称で呼んだことは信憑性が高いと思われる。

TH:クロダキチエモンがあなたの義理のお父さん。キチエモンさんの連れ合いであなたの義理のお母さんは?

CL:ハツ。
注:ハツの実在を検証するため、渋川市上郷の良珊寺にあるホリグチ家の墓碑を探したが、古い石塔は苔むして文字が判読不可能で特定に至らなかった。残る検証 方法は良珊寺に残る過去帳で検索することであるが、差別戒名の問題によって過去帳の公開は禁止となっている。なお、当時の人別帳は焼失して残っていない。

TH:クロダキチエモンさんとハツさんご夫婦に、あなたは育てられたわけですね。あなたが捨てられていたことは、そのお父さん、お母さんが話してくれたわけですね?

CL:(頷く)・・・たくさん。

TH:たくさん拾われた子どもがいるんですね。キチエモンさんは、そういう篤志家(とくしか)ですか。渋川村の名主さんですね。渋川村というのはどの辺りですか?
注:渋川村は、現群馬県渋川市となっている。渋川市には上郷(カミゴウ)の地名が残っており、天明年間は(カミノゴウ)と呼ばれていたことが判明。渋川村が現渋川市として存在していることを、私を含めて8名全員が知らなかった。 

CL:上州、上野(こうずけ)の国。

TH:あなたは今13歳で、年号は何年ですか?

CL:安永九年。(1780年)
注:安永は9年で終わっていることがセッション後判明。安永という年号があることは、私を含めてその場の見学者7名全員が知らなかった。


TH: はあ、安永9年で13歳。で、今桑畑にいる。それがなぜ、楽しいのでしょう。


CL:桑の実を摘んで食べる。


TH:桑の実を食べるんですか。口の周りどんなふうになってるか分かりますか?

CL:真っ赤。(微笑む)おカイコ様が食べる桑の木に実がなる。

TH:それならどれだけ食べても叱られることないんですか。ふだんはやっぱり遠慮がちなんですか? (CL頷く)拾われてるから。あなたと同じように拾わ れた兄弟も 一緒に葉を摘んでますか?(CL頷く)楽しそうに。(CL頷く)じゃ、ちょっと 夕飯の場面に行ってみましょうか。三つで夕飯の場面に行き ますよ。一・二・三。今、 夕飯の場面ですよ。どこで食べてますか?

CL:馬小屋。みんなも。

TH:下は?

CL:ワラ

TH:どんな物を食べてますか?

CL:ヒエ。

TH:ヒエだけですか。おかずは?

CL:ない。

TH:ヒエだけ食べてるの。白いお米は食べないんですか? (CL頷く)だからあまり夕飯は楽しくない。で、みんなとどこで寝るのですか?

CL:馬小屋。

TH:馬小屋で寝るの。お布団は?

CL:ない。

TH:寒いときは何にくるまるのですか?

CL:ワラ。

TH:ワラにくるまって寝るの。あなたの着てる物を見てごらんなさい。どんな物を着てますか?

CL:着物。

TH:着物の生地は何でできていますか?

CL:分っからない。

TH:粗末なものですか。(CL頷く)手を見てごらんなさい。どんな手になってます か?

CL:きれいな手じゃない。
注:キチエモンは捨て子を拾い育てているが、おそらくは農作業の労働力として使役するためであろう。したがって、牛馬同様の過酷な扱いをしていたと考えられる。

TH:じゃ、もう少し先へ行ってみましょう。三年先へ行ってみましょう。悲しいことがきっとあると思いますが、その事情を苦しいかもしれませんが見てください。どうですか? で、三年経つと何年になりますか?

CL:天明3年。(1783年)

TH:天明3年にどんなことがありましたか? 何か大きな事件がありましたか?

CL:あ、浅間の山が、お山が、だいぶ前から熱くなって、火が出るようになって・・・。
注:天明三年六月(旧暦)あたりから浅間山が断続的に大噴火を始めた。七月に入ってますます噴火が激しくなり、遂に七月七日(旧暦)夜にかけて歴史的大噴火を起こした。この 夜の大噴火によって、鎌原大火砕流が発生し、このため麓の鎌原村はほぼ全滅、火砕流は吾妻川に流れ込み、一時的に堰き止められた。その後に火砕流による自然のダムが決壊し、大泥流洪水となって吾妻川沿いの村々を襲った。この大泥流洪水の被害報告が、『天明三年七月浅間焼泥押流失人馬家屋被害書上帳』として残って いる。この大泥流に流されてきた噴火による小山のような岩塊が、渋川市の吾妻川沿いの川面から数メートル高い岸辺に流れ着いて、「浅間石」と名付けられて現存している。
吾妻川沿岸55か村におよぶ被害は、流死1624名、流失家屋1511軒であった。ちなみに、渋川村の上流隣村の川島村は、流死76名、流失家屋113 軒、流死馬36頭であり全滅状態であった。ただし、渋川村の被害は「くるま流 田畑少々流水入 人壱人流」となっており、流死はたった一人であった。こうした事実は セッション後の検証で判明した。

TH:火が渋川村から見えますか?

CL:うん。

TH:噴火の火がみえますか?

CL:ふんか?
注:天明の頃には「噴火」という語は無く、浅間山の噴火を「浅間焼」と言った。

TH:噴火って分かりませんか? (CL頷く)分からない。火が山から出てるんですか?

CL::熱い!

TH:煙も見えますか?

CL:は、はい。

TH:じゃ、灰みたいな物は降ってますか? そのせいで農作物に何か影響が出てますか?

CL:白い灰が毎日積もります。
注:渋川市は浅間山の南東50Kmの風下に位置する。天明三年六月(旧暦)から断続的に噴火を続けた浅間山の火山灰が相当量積もったことは事実である。

TH:どのくらい積もるんでしょう?

CL:軒下。

TH:軒下までというと相当な高さですね。単位でいうとどのくらの高さですか? 村の人はなんて言ってますか?

CL:分からない。

TH:軒下まで積もると農作物は全滅じゃないですか。

CL:む、村の人は、鉄砲撃ったり、鉦を叩いたり、太鼓を叩いても、雷神様はおさまらない。
注火山灰に苦しむ村々が、鉄砲を撃ったり、鉦を叩いたり、太鼓を叩いて噴火を鎮めようとしたことは当時の旅日記などに記述されている事実である。当時の村人たちは、噴火にともなう火山雷を、雷神の怒りと見なした。

TH:その結果なにが起きてますか?

CL:龍神様は川を下ります。
注:浅間山は、当時龍神信仰の山であった。浅間山に住む龍神が、噴火で住めなくなって、浅間山麓の東を流れる吾妻川を下ると当時の村人は考えたのであろう。タエは吾妻川を下る龍神の花嫁として供えられた。

TH:その結果どうなりました?

CL:天明3年7月、七夕様の日、龍神様と雷神様が、あま、あま、あまつ、吾妻(あがつま)川を下るので ・・・水が止まって危ないので、上(かみ)の村が水にやられるので・・・わたし がお供えになります。
注:2006年10月放映のアンビリバボーでは上記「上の村が水にやられるので」の台詞が消去されてしまっている。この台詞があると、タエが人柱になる理由 が渋川村を救うためではなく上流の村々を救うためになり、視聴者には人柱の理由が分かりずらくなる。タエが自分の住む渋川村を救うために人柱になる、としたほうが分かりやすいとアンビリ側が考えたうえで事実の歪曲がおこなわれたものと思われる。ちなみに、「吾妻川」を知っていたのは7名の見学者のうち1名 だけであり、私も知らなかった。

TH:自分から志願したの?

CL:・・・そうです。きれいな着物を着て、(微笑む)おいしいごちそう食べて・・・。

THCO:それをしたかったのですか? でも、命を失いますよ。それでもいい?

CL:村のために・・・。

TH:誰か勧めた人がいますか?

CL:おとっつあん。

TH:キチエモンさんが、そう言ってあなたに勧めた。
注:7年後のセッションで、キチエモンは、吾妻川上流の村々から生糸や野菜を買い入れ、吾妻川を舟で運んで交易をしていたとタエは語っている。そのための船着場を持っていた。キチエモンは交易相手の上流の村々を救うために、人柱を仕組んだと推測できる。タエは渋川村を救うための人柱ではなかったのである。

CL:恩返し。・・・みんなのために(微笑む)・・・うれしい。

TH:もう一度確認しますよ。あなたのいる村は?

CL:渋川村、上郷。

TH:川の名前が吾妻川?

CL:吾妻川。



(その2に続く)

6 件のコメント:

VITA ÆTERNA さんのコメント...

申し訳ありません。この度の「注」にあります、「天明三年五月あたりから浅間山が断続的に大噴火を始めた。七月に入ってますます噴火が激しくなり、遂に七月七日夜にかけて歴史的大噴火を起こした。この 夜の大噴火によって、鎌原大火砕流が発生し、このため麓の鎌原村はほぼ全滅、火砕流は吾妻川に流れ込み、一時的に堰き止められた。」の記述ですが、旧暦七月七日(新暦八月四日)の噴火で発生したのは鎌原火砕流ではなく吾妻火砕流で、鎌原火砕流が発生し麓の鎌原村がほぼ全滅したのは翌日の旧暦七月八日(新暦八月五日)、午前十時頃ではないでしょうか。

噴火の経緯については最近拝読した論文で次のように記述されておりました。
・・・・・・・・・・・
1783年5月9日に始まった浅間山の一連の噴火は初めの2ヶ月余りは断続的な活動 を繰り返していたが, 7月下旬になると次第に激しさを増し,周辺地域に軽石や火山灰を大量に降り注ぐようになった。8月4日には吾妻火砕流と呼ばれる規模の大きい火砕流が発生したが,流下距離が短く,火口から約8kmの地点で停止し災害にはいたらなかった。噴火最終日の翌8月5日,午前10時ごろ,大爆発とともに大小 の大量の岩塊が火口から放出された。岩塊は北側の山腹斜面に降下し,それらが一団となって火砕流(以下, 鎌原火砕流と呼ぶ)となり,北麓斜面を高速度で流下した。
山田孝・石川芳治・矢島重美・井上公夫・山川克己「天明の浅間山噴火に伴う吾妻川・利根川沿川での泥流の流下・堆積実態に関する研究」『新砂防』Vol.45 No.6(185)、1993年、4ページ。

しかし以前先生が出版された書籍『前世療法の探求』においては、噴火の経緯は上記の論文ともほぼ一致しておりましたので、こちらは問題ないかと存じます。一応ですが、該当箇所を引用させていただきます。
・・・・・・・・・・・
『渋川市史』巻二、「天明の浅間山大焼」の項の記載によれば、天明三年五月九日(新暦)より浅間山が噴火し始め、断続的に爆発したのち、七月中旬以降は連日爆発を繰り返し、八月四日深夜、大噴火とともに吾妻火砕流が発生した。翌八月五日午前一〇時頃には、再び大噴火によって鎌原火砕流が発生し、吾妻川を一時的に堰き止め、それが決壊して鉄砲水の大泥流となって、下流の村々に大きな被害を起こしている。これは当時、「浅間焼泥押」と呼ばれた。
稲垣勝巳『前世療法の探求』春秋社、2006年、188〜189ページ。

また前記の「注」における噴火の経緯を、以前UROノートさんが紹介された「第1章 天明3年浅間山噴火の経過と災害」の32ページ「表1-2 天明3年噴火の経緯」に照らし合わせると、浅間山が断続的に大噴火を始めた「天明三年五月あたり」は新暦にあたり、歴史的大噴火を起こした「七月七日」は旧暦にあたるようですので、混乱を避けるために旧暦と新暦を併記されるか、どちらか一方に統一されたほうがよいと思いました。

最後に、以前私が投げかけた「タエの泥流による溺死と人柱についての疑義」を真摯にご検証頂き、誠にありがとうございました。私も天明泥流に関してできるだけ調べた上で感想を述べさせて頂きたいのですが、現在この分野の資料を集めることがなかなか困難な状況にあります。申し訳ありませんが、もうしばらくお待ち頂ければ幸いです。

稲垣勝巳 さんのコメント...

吾妻火砕流と鎌原火砕流ついてののご指摘はその通りです。
新暦と旧暦は、タエは旧暦の七夕を指していますので、旧暦に統一したいと思います。

坊 さんのコメント...

ラタラジューの事例が本当に虚偽記憶ではないか再度検証する必要があると思います。


『つくられた偽りの記憶』という本を紹介します
http://www.tfm.co.jp/timeline/index.php?itemid=90509&catid=1485


本の内容を読んでみますと記憶は特定の事柄だけでなく日常にも偽りがあるそうです。

ラタラジューの事例は果たして本当に偽りでないと言えますか?

稲垣勝巳 さんのコメント...

被験者里沙さんが、通常の方法で、ネパール語と接触したり、学んだ痕跡が認められない、という検証は、現時点であらゆる角度から綿密におこなっています。「ラタラジューの事例」を虚偽記憶で説明することは不可能です。
このことは、このブログでも何度も記事にしています。
検証の詳しい内容をさらに知りたければ、拙著『生まれ変わりが科学的に証明された!』をお読みください。
また、応答型真性異言の先行研究であるイアン・スティーヴンソンの『前世の言葉を話す人々』読んでください。
私は、スティーヴンソンの検証方法をモデルにしています。

虚偽記憶というものは、その入手先があってこそ、生じるものです。
ネパール語の入手先がないことが明らかになっている前提のもとで、どのようにしてネパール語会話の虚偽記憶が生まれると思いますか? 生まれるはずがないのではありませんか。
そもそも、ネパール語の会話「技能」は、「記憶」ではありません。

証拠映像動画をごらんになって、どこの部分に虚偽記憶の疑いがあるのですか?
なにをどのように再検証する必要がありますか? その具体的指摘をしてください。
坊さんのような不可解な疑義を呈した人は初めてです。

私は、疑いの残るようないい加減な検証で済ませ、生まれ変わりのような重要なテーマを本にすることはありません。
また、常識的に考えて、アンビリが、虚偽記憶の疑いの残るようないい加減な再検証で、ゴールデンタイム番組の60分枠すべてを割いて、しかもナル村現地取材までして、生まれ変わりの証拠のような重いテーマを取り上げ、放映するはずがない、とは思いませんか?
私は、私の本を再検証し、私と里沙さん、対話相手カルパナさん、見学者大門教授を慎重に取材し、そのうえで事例の信憑性を判断し、「ラタラジューの事例」の放映を決断したアンビリの慎重さと勇気ある姿勢を高く評価しています。もし、アンビリが、エンターテインメントとして「ラタラジューの事例」を扱ったと思われているなら失礼な話です。
里沙さんも、アンビリの真摯な姿勢を評価したからこそ、放映後に起こるヤラセなどの非難を覚悟したうえで、顔にぼかしを入れず登場することに同意したのです。そして、虚偽記憶などが入り込む余地が全くなく、ネパール語会話を一切学んでいないことに彼女もご家族も、絶対の自信があるからこそ、登場したのです。彼女がアンビリに登場することで心ない非難を受けることはありましたが、利得は何もありません。

ちなみに、「タエの事例」も「ラタラジューの事例」も、私からアンビリに売り込んだわけではありません。拙著をキャッチしたリサーチ会社から、セッション証拠映像提供のオファがありました。したがって、アンビリがヤラセを仕組む余地は一切ありません。

シュヴァル さんのコメント...

読んでいておもったのですが

ショウタさんも、坊さんも
自分で検証や実験など行ったことはないのでしょうか?

お話伺っていると、権威ある?方が○○といっているといってるだけで

たとえば、言語の習得にどのような条件が必要とか、自分では検証されたようには見えません。

以前も述べましたがないことを証明するのはとても難しいのです。
過去のブログをお読みなれば、稲垣さんがあらゆる可能性を検討して起こった事柄が
生まれ変わりの証明にならない可能性を検証されています。そもそも、ここで議論されたいのであれば、稲垣氏の検証は当然読むべきことだと思います。

現状ではお二人の論は他人の言をかりているだけで、稲垣さんの理論を否定するための行動を起こされていないように思いますね。

私は、セッション受けるまでよくわかりませんでしたが、受ける前にブログは拝読しましたし、受けたときに起こった現象、事前の会話からブログを否定するような材料は感じませんでした。

お話見ていると議論の前提になる事柄をされいないように感じますがいかがでしょう?


稲垣勝巳 さんのコメント...

ラタラジューの事例は果たして本当に偽りでないと言えますか?

という重大な「虚偽記憶」疑惑を投稿し、こちらが誠実に回答をしても、ダンマリを決め込むというやり方は、坊さんの常習になっているようです。匿名性の隠れ蓑があるとはいえ、重大な疑惑を投げかけ、その回答をもらえば何らかの返礼をするという良識が、ブログ上では免除されるとは私には思われませんが。
そういうカタイことをせずに、言いっ放し放しで済むから投稿するのだ、と
いうのであれば、それまでです。

私は、再検証の必要は一切ないと思っていますが、それでも虚偽記憶疑惑が晴れないということでしたら、個人的にメールをください。里沙さんの生育歴でネパール語との接触痕跡の有無を坊さん自身が追検証できるように小・中・高・大・就職中・結婚後の生活など、詳しい検証先の情報を提供する用意があります。
その具体的根拠を示さず「虚偽記憶に違いない」と主張するだけの「チガイナイ仮説」は、反証可能性に閉じていますから、「仮説」ではなく「言いがかり」だと見做されます。
応答型真性異言「ラタラジューの事例」は、これを「暗号」だと考えれば、作話仮説であれ、虚偽記憶仮説であれ、潜在記憶仮説であれ、遺伝子記憶仮説であれ、脳の未解明分野仮説であれ、そのような現在の唯物論の「コード」(解読規則)を適用しても、解読不可能だと考えています。素人にも思いつくような単なる願望に過ぎない「○○にチガイナイ」という反証可能性に閉じた仮説は、コードとは呼べません。