SAM催眠学序説 その10
臨死体験は、SAM催眠学の提唱する諸仮説に関わる重要な関連分野ですので、現時点の私の見解を述べてみたいと思います。
さて、
http://sankei.jp.msn.com/wired/news/130502/wir13050213270001-n1.htmという記事を紹介してもらいました。
下記にこの記事の当事者であるパーニア氏と、そのインタビュー記事の抜粋を紹介します。
パーニア氏は、ニューヨーク州立大学ストーニーブルック校付属病院の医師で、同大学の蘇生法研究プログラムの主任。北米と欧州の25病院で臨死体験を記録する「Consciousness Project Human」のAWARE調査の責任者として、この現象を科学的に研究している人物です。
パーニア氏はこのほど、新しい著作『Erasing Death: The Science That Is Rewriting the Boundaries Between Life and Death(死を消去する:生と死の境界を書き換える科学)』を刊行しました。
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パーニア氏:人が死ぬと、血液の脳への流入がなくなります。
血液の流入が一定のレベルを下回ると、電気活動は生じ得ません。
脳に何らかの隠された領域があり、ほかのすべてが機能しなくなってもそれが活動していると考えるには、大変な想像力が必要です。
このような観察から、脳と心の相互作用に関する現在の概念に疑問が生じます。
従来の考え方は、脳内の電気化学的なプロセスが意識につながっているというものです。
死後に電気化学プロセスが起きないことは証明ができるので、この考え方はもう正確ではないのかもしれません。
脳の中には、われわれが発見していない、意識を説明する何かがあるのかもしれません。あるいは、意識は脳とは別個の存在なのかもしれません。
WIRED:それは、意識の超自然的な説明に近いように聞こえますが。
パーニア氏:最 高に頭が柔軟で客観的な科学者は、われわれに限界があることを知っています。現在の科学では説明ができないという理由で、迷信だとか、間違っているだとか いうことにはなりません。
かつて電磁気など、当時は見ることも測定することもできなかったさまざまな力が発見されたとき、多くの科学者がこれを馬鹿にしま した。
科学者は自我が脳のプロセスであると考えるようになっていますが、脳内の細胞がどのようにして人間の思考になりうるのかを証明した実験は、まだ存在していません。
人間の精神と意識は、電磁気学で扱われるような、脳と相互作用する非常に微小なタイプの力ではあるが、必ずしも脳によって生み出されるわけではない、ということなのかもしれません。
これらのことはまだまったくわかっていないのです。
WIRED:ただ、最近はfMRIによる脳画像と、感情や思考などの意識状態の関連性が研究されたりしていますよね。
脳を見ることで、その人が何を見ているかや、何を夢見ているかがわかるという研究もあります。
パーニア氏:細胞の活動が心を生み出すのか、それとも、心が細胞の活動を生み出すのか。
これは卵が先かニワトリが先かというような問題です。
(fMRIと意識状態の関連 性などの観察から)細胞が思考を生み出すことを示唆していると結論する試みがあります。
これが憂鬱の状態で、これが幸せの状態というわけです。
しか し、それは関連性に過ぎず、因果関係ではありません。
その理論に従えば、脳内の活動が停止したあとに、周囲の物事を見たとか聞いたとかいう報告はないはずなのです。
脳内の活動が停止したあとも意識を持ち得るのだとすれば、おそらくは、わたしたちの理論はまだ完成していないということが示されているのです。
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さて、「生まれ変わりの実証的探究」の私の立場からすれば、上記パーニア氏の太字部分の医学的見解は、脳以外に意識の存在を示唆しているように思われます。
彼は、「現在はっきりとしているのは、(脳死後も)人間の意識が消滅するわけではないということだ」とまで述べているようです。
この見解は、「心・脳二元論」という立場です。
過去にも、W・ペンフィールド、J・エックルズ、R・スペリーなどノーベル賞級の大脳科学者が自らの実験研究の結果、晩年になって「心・脳二元論」を表明しています。
催眠研究者成瀬悟策九大名誉教授・医博も、晩年になって、「脳は心の家来です」と述べています。
SAM前世療法の大前提は、「心・脳二元論」仮説ですから、臨床医学者パーニア氏の最新の上記見解は、我が意を得たりと言いたいところです。
しかし、厳密に検討すると、手放しで喜べるほど、ことは単純ではないようです。
脳死臨床の場で、脳が本当に死んだかどうかを、直接的に観察できる方法は現在ありません。
したがって、「脳が生きて活動しているならこういう現象が観察されるはずだ」ということをいろいろ見ていって、そういった現象がすべて観察されないからこの脳は死んでいるだろう」と推論するわけです。
これが脳死判定の方法論的論理構造です。
しかし、「脳が生きている」けれども、「脳の機能発現が観察されない」こともあるのです。
脳 が活発に活動しているときには、脳内でものすごい数のパルスが飛び交っており、その影響で頭皮の上に微弱な電流が生じます。
これを測定したものが脳波です。
つまり、脳波は、脳の電気的活動の有無を直接測定するものではないのです。
したがって、脳細胞レベルでは微弱な電気活動がまだ残っている段階でも、フ ラットな脳波が現れるといわけです。
脳波がフラットの状態であるから脳死である、つまり、脳の機能は停止してる、にもかかわらず意識現象が生じた、だから、意識は死後も消滅しない、という論理は単純に成り立たないのです。
脳波がフラットであっても、脳は生きており、意識がある可能性を排除できないのです。
脳死をほぼ確実に判定できるのは、一定時間の脳血流停止を確認することとされています。
その確認方法として脳の酸素消費を測定する脳代謝検査があります。
細胞は生きている限り、酸素を消費し、ブドウ糖を消費します。
細胞が死ねばどちらも消費しません。
こうして、理論的には、脳代謝測定が脳死判定の最終的手段とされています。
はたして、パーニア氏は、脳代謝検査などで、一定時間の脳血流停止確認後、つまりその患者の脳血流の完全な停止中にも意識があったことを確認して、「脳死後も意識は消滅するわけではない」と述べているのでしょうか。
しかし、それはまずあり得ないでしょう。
脳細胞の血流が一定時間完全停止すれば脳細胞が死滅し、脳の復活は絶対あり得ないので、そもそも完全な脳死中の意識内容を話すことができるはずがないからです。
このように、臨死体験によって、脳とは別に、消滅しない意識(魂)の存在を証明することにも、どうやら「挫折の法則」がはたらいているような気がします。
臨死体験研究者の多くは、医師や心理学者であり、それまでサイキカル・リサーチやスピリチュアリズムが蓄積してきた知見を、知らないかあるいは無視しています。
臨死体験研究の本をいくつも翻訳している超心理学者の笠原敏雄氏は、研究者たちのそうした態度を、先行業績を参照するという科学的手続きを無視したものだ、と指摘してます。
このように、これまでの多くの臨死体験研究では、実証性ということが十分に考慮・検証されているとは思われません。
サ イキカル・リサーチ(超心理学)を踏まえたオシスらの研究ですら、超ESP仮説への取り組みが不十分で、理論上の中心主題は残されたままだとしています。
臨死体験と死後存続仮説との関係という中心的問題を明らかにすることに対しては、決定的な貢献はしていないと私には思えます。
そもそも、臨死体験とは、その体験者が生き返っているわけですから、「間違いなく死後の体験」だということには論理的矛盾があります。
呼吸停止・心停止であっても、脳は生きていただろうから、それは脳内現象であり、せいぜい体外離脱(幽体離脱)体験と同様の体験に過ぎない、という説明が成り立ちます。
そしてまた、体外離脱(幽体離脱) が、真に魂と呼ぶような意識体が肉体を離脱した体験なのか、超ESP(透視やテレパシー)による脳内現象によるものであるのか、の決着はついているわけではありません。
脳活動(脳幹活動まで含む)が完全に停止した状態で体験された「パム・レイノルズのケース」(セイボム『続「あの世」からの帰還』)でも、厳密に理論的に検証すると、完璧であるわけではありません。
かように、脳内現象を完全に否定できるような、脳細胞が死滅したことが確認された後の臨死体験はあり得ません。
脳細胞の死滅は、脳の復活が不可能な、不可逆な、完全な脳死であるからです。
こうした状態で、つまり完全な脳死者が臨死体験が報告できるはずがないからです。
このように数多くの臨死体験報告の実証的側面は、かなり脆弱なのです。
実証性を別にして考えても、死後存続の証拠としての臨死体験には限界があります。
仮に、臨死体験者が、死後の世界の入り口まで覗いたとしても、それはあくまで「かいま見た」程度の ものでしかありません。
前世療法の本をホイットンとともにまとめたライターは、臨死体験を、「国境に足止めされた海外特派員がそこからその国の事情を報告 する」ようなものだと表現しています。
こうして、臨死体験を死後存続の証拠とするには、完全な脳死者の体験ではないという前提と、完全な脳死者には生き返ってのち死後の報告ができないという限界がある、と言わないわけにはいきません。
ただし、こうした前提と限界があるにしても、科学者による無視できない数の臨死体験報告が挙がっているという事実は、死後存続の可能性を示す意識現象として認めないわけにはいかないと思われます。
脳とは別に、意識の座が存在する推測可能性を示す現象だということです。
ちなみに、臨死体験関連の映像として、
http://saigaijyouhou.com/blog-entry-2829.html
を参考として紹介しておきます。
(その11へつづく)