2014年4月22日火曜日

SAM催眠学の構築にあたって

   SAM催眠学序説 その1


前世療法は、前世といういまだ実証されていないものを前提としているように見えるため、アカデミズムからは異端視され、様々な批判や問題点が指摘されています。

私の催眠技法のベースは心理学系のアカデミックな技法ですが、それらの批判や問題点を踏まえたうえで、前世療法を探究してきました。

その探究の過程で、拙著『前世療法の探究』春秋社、2006を上梓しました。

その後の過程で、前世療法に関わる様々な霊的存在を名乗るものからのメッセージに遭遇し、それら霊が告げた内容を検証するうちに、「SAM前世療法」と名付けた私独自の作業仮説による「魂遡行催眠」という技法が開発されることになっていきました。

私自身はこうした霊的存在からのメッセージを鵜呑みにすることはありませんが、非科学的妄想であると一蹴する態度もまた偏向・偏狭であると思っています。

メッセージの内容で検証可能なことは努めて検証にかけ、その結果明らかになった事実については、いかに非科学的と言われようとも尊重していくことこそ公正な科学的態度であると考えます。

したがって、SAM前世療法は、唯物論科学の観点からすれば、いまだ実証されていない魂への遡行を試みるきわめて霊的な療法であり、現行の唯物論とは真っ向から対立する療法です。

魂と呼ばれる意識体は死後存続し、繰り返し新しい肉体を持ち続ける(生まれ変わる)という前提に立っています。

さらに、魂と呼ばれる意識体は、ちょうどミラーボールのごとく、中心となる意識体とその表層を構成する前世のものたちの二層構造を持っているという仮説に基づいています。

ここでいう霊的(スピリチュアル)の意味は、次のようなWHOの概念に則っています。

WHOは、

「霊的とは,人間として生きることに関連した経験的一側面であり,身体的な現象を超越して得た体験を表す言葉である。

多くの人々に霊的な因子は,身体的,心理的,社会的因子を包含した人間の『生』の全体像を構成する一因として見ることができ,生きている意味や目的についての関心や懸念とかかわっていることが多い。

特に人生の終末に近づいた人にとっては,自らを許すこと,他の人々との和解,価値の確認などと関連していることが多い」

と定義づけています。

つまり、霊からの通信という「身体的な現象を超越して得た体験」に基づく作業仮説とその実践が、SAM前世療法の本質であり、際立った特異性だと言ってよいと思います。

こうして、SAM前世療法を、独自の作業仮説に基づいて、6年間の一定数のセッションをおこなった結果、成果の検証が累積してきましたので、ここに中間地点のまとめとして、「SAM催眠学序説」としてまとめてみたいと思います。

これまでに述べてきた「SAM前世療法の成立」および、「私あて霊信」などの記事を整理し、一定の秩序のもとに体系化しようという試みです。

それは、「作業仮説 」ー「仮説検証のための実践」ー「検証結果による作業仮説の検討」の累積から明らかかにされてきた「意識現象の諸事実」を全体性・普遍性・究極性に照らして、「SAM前世療法を哲学する」試みでもあります。

そして、「SAM催眠学」が取り上げる「意識現象の諸対象」は、そのままそれ自体として実在するもの、あるいは実在するものの全体としてあるがままの把握とその表現ではなく、探究途上の特殊・固有の観点に基づいて構成されたものー「SAM前世療法」という特殊・固有の観点から構成されてきたものであり、当然のことながらそうした前提と限界があることをお断りしておきます。
したがって、これから述べていくことが揺るぎない絶対の真理であるということではありません。


SAM前世療法の実践に導いた、霊信に基づく「作業仮説」は、現行の唯物論科学の立場からすれば妄想と見えるかもしれません。

しかし、私は、「説明の成功」をもって真理とみなすプラグマティズムの真理観に立っています。

そして、拙著『前世療法の探究』、『生まれ変わりが科学的に証明された!』の執筆をはじめとするこうした仕事は、魂と生まれ変わりの真偽に関与しようとしないアカデミズムにも与せず、「前世の真偽は棚上げ、治ればOK」と割り切る精神世界系の民間前世療法士の立場にも立ちがたい私に課せられた使命かもしれないと思っています。

しかし、私は、いわゆる霊能者ではなく、霊を見たり、その声を聞いたり、霊からの通信を受信する能力を持っているわけではありません。

また、いかなる宗教団体にも所属しているわけではありませし、特定の教義や信仰を信奉しているわけでもありません。

 

SAM前世療法の概念

SAMの意味
 
SAM前世療法は「サム前世療法」と呼びます。
「SAM」のはソウル(soul)のS、はアプローチ(approach)のA、はメソッド(method)のMを、それぞれ意味しています。

つまり、「魂状態に接近していく技法による前世療法」という意味で用いています。

さらに言えば、「魂状態の自覚」に至るまで催眠を深化させ、そこに顕現化する魂表層の前世の人格と対話し、前世人格との対話を通して、現世の不都合な心理的症状の改善と、現世を生きる意味の自覚へと導く前世療法が「SAM前世療法」です。

ちなみに、「SAM前世療法」は登録商標として認可されています。
私の許可なく、この商標を用いて前世療法をおこなうことは商標権の侵害となります。

なお、「前世」と「過去世」は厳密には異なる概念ですが、「前世療法」という用語が広く流通している事情を鑑み、この論文では以後「前世」に統一して用います。

また、「魂」という用語は、「生前の記憶・個性など人格の心的要素を来世へ運搬する死後存続する意識体(媒体)」という意味で用います。

さらに、この論文では、「霊」とは肉体を持たない意識体、「魂」とは霊が肉体という器を得てその中に存在している意識体、という意味で使い分けします。

したがって、霊と魂は、肉体という器を持つか持たないかの呼称の違いだけであり、その本質は同じです。
肉体を失った死者の魂を、霊と呼ぼうというわけです。


(その2へつづく)

2014年4月10日木曜日

SAM前世療法の成立 その57

総括その18 SAM前世療法の理論化について
これまでの記事において、SAM前世療法の様々な「意識現象の事実」と私あて霊信の検証について紹介してきました。
次からは、この6年間で実践してきたSAM前世療法であらわれた意識諸現象の理論化を試みることにします。
まず、「理論化」とは何かについて、私が上越教育大学大学院で師事した敬愛する杵淵俊夫教授(教育学博士)の教育哲学講義ノートを読み返し、以下にまとめてみます。
「理論」とは、事態をある観点から見て述べたことばであり、事態そのものではありません。
したがって、観点が異なるにつれて、さまざまな論じ方が成り立ちます。
そして、それぞれの論じ方はいずれも、そのカテゴリー(範囲)においては正しいと言えます。
こうして、理論とは事態をことばで整理し、仮の秩序にあてはめたフィクションと言えます。
理論化の試みとは、そのカテゴリーにおいて、その事態の論じ方によって、単純・明快に説明が成功すれば、とりあえずその理論を真理とみなそうとする立場に立とうということです。
さて、諸科学の特殊専門的探究の過程ないし途上において構成される諸対象は、大別すると「事実」と「観念」とに分けられます。
それら諸対象は、そのままそれ自体として実在するもの、あるいは実在するものの全体としてあるがままの把握とその表現ではなく、探究途上の特殊・固有の観点に基づいて構成されたものです。
理論化するという作業は、一定・特殊な固有の観点・立場に立って、それと関係のある一定の事象の、さらにまた一定・特殊な側面(性質・機能・要素など)のみを、選択的に注目し、抽象・加工・精錬して、所定の定義された用語でもって記述・表現するということです。
理論化作業は、他方において、諸々の「事実」ないし「データ」を可能な限り合理的なしかたで関係づけ、説明し、解釈するような問題的状況の構図を想像上、構成してみることによって果たされていきます。
その結果として、当然のことながら諸科学の「対象」は「操作的」性格を帯びることになります。
諸科学の「対象」(事実・データ・観念・仮説)は、一定・特殊な探究の意図・目的を追求し、実現する、その作業・操作の過程の文脈の中で初めて、一定の明確かつ厳密に規定された位置を獲得し、一定・特殊な、一面的、部分的な役割をになうものであり、諸「対象」のになう意味は、全く、探究の操作の文脈に依存しているということです。
私は、これまでの前世療法への疑問を抱いていたところへ、私あて霊信現象が起こり、それが告げた内容の真偽を検証する作業を進め、その過程で新たな催眠技法や方法を工夫・考案してきました。
そうした作業の中で、その作業の客観的裏づけとして応答型真性異言「ラタラジューの事例」を得ることができました。
SAM前世療法と名付けた新しい前世療法の一般的応用への保証を求めて、現時点でのSAM前世療法であらわれる「意識現象の事実」を対象に、理論化の作業を進めたいと思います。
この理論化作業は、SAM前世療法創始者として、この療法をもっとも知悉している私に、この療法と、それが示す霊的事実を、後世に残すために課せられた使命だと思っています。
また、おそらくこの作業を、霊信を告げた存在は支持し、喜んでくれるだろうと思います。
追伸 
まもなく「ラタラジューの事例」英語版動画をyou-tubeにアップする予定です。
また、「タエ・ラタラジューの事例」の日本語版動画も、次いでアップします。
アップ完了時点で、お知らせします。
どうぞごらんください。
(その58へつづく)

2014年4月6日日曜日

SAM前世療法の成立 その56

総括その17 SAM前世療法の仮説と第12霊信の信憑性
第11霊信は次のように告げてきました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
あなたが長年探究してきたものは、これまでの視点からは成長は望めない。
なぜなら、もうすでにその観点での最終地まで達しているものが存在するからである。
あなたが探究するべきものは、これまでよりもさらに深奥にあるものである。
魂の療法のみならず、あらゆる霊的存在に対する奉仕となるものである。
それは、命あるものすべてに繋がり、私達へも強い繋がりを持つ。
そのために、あなたは自らの内にある疑問をまとめておく必要がある。
あなたがこれまで探究してきた道の中であなたが処理できないもの、そして人の理解を超えるものについて、私達でなければ答えられないものについて、まとめなさい。
M子を通し、あなたは私達にそれを尋ねなさい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  
私は、この霊信に従って、2007年1月23日21時半頃に、16項目の霊への質問をM子さんに送信しました。
彼女には回答できないであろう前世療法についての専門的内容がいくつも含まれていました。
彼女は私の送付したファイルを貼り付け、霊信を待ったそうです。
その質問に対する霊からの返信の転送が、同日22時58分に届くということが起こりました。
この第12霊信の回答はA4用紙9枚分に及んでいます。
驚くべきことに、90分足らずの時間で回答が届き、しかもその内容がA4用紙9枚に及んだということです。
おまけに、霊信の末尾で送信霊は、
「彼女という人間が答えられる問題はここでは存在しない。これは私からの霊信であり、M子の言葉ではない。M子の妄想ではない。妄想では答えられないものである」
と第12霊信が彼女の創作、あるいは妄想ではないことを念押ししています。
そして、
「私はあなたの祖父の守護霊とつながりを持つものであり、あなた方の世界で表現すると、遠い昔転生を終えたものである」
と送信霊は自分の素性を明かしています。
それまで、M子さんの創作の可能性を疑っていた私も、これまで述べてきたいくつかの符合が示されるに及んで、彼女が創作している可能性よりは霊信現象が事実である信憑性が高いと判断していいのではないかと思うようになりました。
なお、この第12霊信で通信霊は、
「我が霊団は11の霊的存在から成り立つ。だが神はその上におられる。神の計画が、あなた方が進むための原動力を与えていると理解しなさい。ただ、信じることが前進するものだと理解しなさい」
と守護霊団の存在と霊団が11の霊から構成されていることを告げています。
この第12霊信が私の質問の回答として告げた、心・脳の二元論、脳・心・魂・意識・潜在意識の関係、および魂の二層構造、魂表層に存在する前世の人格たちとそれらの相互関係、霊体の存在とその役割、魂の生まれ変わりの仕組みなどの諸説明こそ、のちにSAM前世療法の骨格を成す作業仮説となったものです。
「SAM前世療法の成立」と題してこれまでに述べてきた、霊信の三つの予言の的中、この目で確認した霊信の自動書記現象などとともに、この第12霊信の告げた内容の信憑性を私が受け入れた背景には次の2点があります。
一つは、畏敬する催眠学者成瀬悟策(九大名誉教授・医学博士)氏が、2004年の教育催眠学会講演の中で述べられた次のような見解があります。
「脳は心の家来です。脳の病変によって動かないとされている脳性麻痺の動作訓練を催眠暗示でやったところ、動かないとされていた腕が動くようになりました。しかし、脳の病変はそのままです。こうしたことから、身体を動かすのは脳ではなく、オレであることにやっと気づきました。私のこの考え方を正統医学は賛成しないでしょうが、21世紀の終わりには私の言っていることが明らかになるでしょう」
私の理解が誤っていないなら、成瀬先生の上記の見解は、催眠実験の結果から至った「心・脳の二元論」の言明であることになります。
海外の科学者においても、W ・ペンフィールド、J・エックルズ、R・スペリーなどノーベル賞受賞者である大脳生理学者が、成瀬先生と同様、脳の実験研究の結果、「心・脳の二元論」に至っているのです。
つまり、ごく少数派ではあるのですが、第一級の科学者が「心・脳の二元論」を唱えているのです。
ちなみに、心は脳の活動の付随現象であるとする「脳・心の一元論」は、科学的検証によって証明された言説ではなく、唯物論科学の立場からその立場上構成されている信念や主張をそのまま表現したものにすぎないのです。
そして、第12霊信は、脳と魂は別物であること、脳が意識・潜在意識を生み出してはいないことを明確に告げています。
もう一つは、生まれ変わりの先行研究者イアン・スティーヴンソン教授の次のような見解です。
スティーヴンソンは、「グレートヒェンの事例」において、応答型真性異言で会話したグレートヒェンを名乗るドイツ人少女を「ドイツ人とおぼしき人格をもう一度呼び出そうと試みた」(『前世の言葉を話す人々』春秋社P11)と記述し、呼び出された前世人格を「トランス人格」(前掲書P9)と呼んでいます。
つまり、催眠下で前世人格が顕現化した、というとらえ方をしています。 
しかし、スティーヴンソンは、応答型真性異言を話す主体は、被験者の「前世の記憶」ではなく、「トランス人格(前世人格)」が顕現化して真性異言を話した、とまでは言及しても、その「トランス人格(前世人格)」の存在する座がいったいどこにあるのかは言及していません。
おそらく、スティーヴンソンには、トランス人格(前世人格)の存在の座を推測することがまったく出来なかったと思われます。
ただし、彼は、「前世から来世へとある人格の心的要素を運搬する媒体を『心搬体(サイコフオア)』と呼ぶことにしたらどうか」(『前世を記憶する子どもたち』日本教文社、P359)と提唱し、「心搬体」、つまり現世と来世にまたがって死後存続する「魂」の実在を認めようとしています。
そして、第12霊信は、生まれ変わりをしている諸前世の人格が魂の表層に今も生きて存在し、それらのものたちが意識・潜在意識を生み出している、と明確に告げています。
それまでの「前世の記憶」を想起させるという前提での前世療法(ワイス式)において、あらわれる意識のありようを「前世の記憶」として扱うことに違和感と疑問を抱きはじめていた私に、第12霊信の告げた内容は、これまで聞いたこともない奇怪な内容であると同時に、違和感を解消するに足る新鮮な内容でした。
たとえば、前記事「その54」の三つの予言の「その3」で紹介した女性クライアントの最初の発話である
「先生お懐かしゅうございます。会いとうございました」
という意味は、クライアントのどこかに存在する前世の少女が、現世の私に対して、いま、ここに、顕現化し、現世での私との再会を喜んでいる言葉として受け取ることが自然であり妥当でしょう。
これをクライアントの「前世の記憶の想起」として扱うことは出来ないと思うのです。
こうして私は、第12霊信で告げられた諸内容をそのまま作業仮説として採用し、その検証を累積し、前世人格の顕現化を可能にする新たな前世療法を探究することを志すことになりました。
これが、のちにSAM前世療法として結実していったのです。
(その57へつづく)

2014年4月1日火曜日

SAM前世療法の成立 その55

総括その16 パソコンによる自動書記の真偽について
私あての霊信という現象の真偽について、その判断のひとつの目安に、複数の「予言の的中」の有無を前記事で挙げておきました。
しかしながら、霊信現象の真偽でもっとも重要なことは、受信者M子さんが本当に自動書記によって受信しているかどうかの検証です。
いかに霊信の予言が的中したとしても、霊信と称して、M子さんが作文しているのではないかという疑いは、私のなかで皆無にはなりませんでした。
もともと唯物論側に属し、そのように教育を受けてきた私には、霊と地上の人間との文字による交信が可能であることを素直に受け入れることができませんでした。
この執拗な疑念を晴らすためには、この目で霊信の受信現場を確認するしかありません。
M子さんによれば、霊信が来る前兆として後頭部に鈍痛の感覚が出るといいます。
その前兆を感知してパソコンの前に座ると、やや朦朧となっている意識の中で指が自動的にキイを打つという現象が始まるということでした。
キイを打っている最中は、どんな内容を打っているのか分からず、打ち終わって読んで初めて内容を知ることができると報告しています。 
誤字・脱字などがあれば、送信霊の「違う、違う」と言う声がし、指が勝手に動いて打ち直しをさせられるとも言いました。
こうして打ち終わった内容は校正をしないでそのまま直ちに私に転送しているとのことでした。 
2007年1月27日(第15霊信がこの日の夜中1:20に着信)の午後、私はM子さんに研究室に来訪してもらい、自動書記現象の実験を試みる機会に恵まれました。
深い催眠状態の中で、私の守護霊を名乗る存在とM子さんの守護霊を名乗る存在が、私の求めとは関係なしに入れ替わり憑依し、語り始めるという現象が起こったのです。
そこで、このセッションの終末で私は、憑依している私の守護霊を名乗る存在に、次のように自動書記の実験を頼んでみました。
そのやりとりを紹介します。
私: ただし、霊信については、これからパソコンで自動書記がおこなわれることを確認したいと思います。それは許されるでしょうか? 控えたほうがよろしいか?
霊:それはあなたが望む方に進めばよい。
私:分かりました。それでは私の中に、少し疑念として残っている自動書記を見たいと思います。今の意識のままで受信できますか? 霊団のどなたが送信してくださいますか?
霊:できる。送信はエドガー・ケイシーが適任である。
私:それでは、今日のセッションの意味と、これからの我々の心得るべきことについて、 なにとぞケイシー霊に送信していただけるようにお願いいたします。
こうしてM子さんは、催眠中の虚ろな目をしたまま、用意したノートパソコンで9分間の自動書記を始めました。
その全文を原文のまま紹介します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これよりあなた方に伝えるべきことは今回のセッションについてでなく、あなたがこれより先に進むたびに行うであろう霊信の口頭による伝達に対してのものである。
今回M子の意識が深層へと進む妨げととなる原因となっていたものは、環境による影響である。
それらは、M子の集中力ではなく、感受性への影響を大きくもつものである。
なぜなら、M子の体感覚は振動による影響を大きく受けやすい。
彼女は聴覚としての感覚を鋭く持つが、体感覚としての感覚も鋭く持つ。
それは彼女の霊性にも深き繋がりを持つものである。
彼女が霊性を発揮するための必要環境条件として、音による影響を考慮する必要がある。
感受性の幅を広げるための環境を十分整える必要がある。
彼女は習慣として音楽を材料として用いる。
そのことを考慮に入れながら環境を考案しなさい。
あなたは今日十分な材料を得られないまま終了したと感じている。
だが、あなたの変化は生じている。
表面上に現れてこそいないものだが、あなたの感覚は今後大きく変化を生じさせるだろう。
あなたは今日セッションで交わした会話を文章に起こし見直す必要がある。
その発言が誰によるものなのかあなたには分からない点があるだろう。
だが、それを突き詰めるのではなく、その内容をあなたが理解に達するように読み直し浸透させる必要があるのだ。
あなたは完全な理解にまで及ぶことはない、だがそれらはあなたがこれから先に進むための材料となるものである。
そして、あなたは今回のセッションをある人物には語ることを許される。
その人物とは、あなたが以前霊信を送った者である。
その者に、あなたの思う手段で今回のセッションについて語りなさい。
音声としての記録を聞かせることも、その者に対しては許されるものである。
あなたは、今後夢見をおこなう前に祈りを捧げる必要があると先ほど述べた。
それを習慣的な行動とするのではなく「儀式」として受け取りなさい。
あなたはこれまであなた自身の魂に対して祈りを捧げることは、あまりなかった。
それこそが、あなたの魂が先へと導くきっかけを作るものである。
あなた自身の内側へと目を向け始めなさい。
M子には、しばらくの間癒しのために何かをおこなう必要はない。
それは、衝撃となりかねないものである。
よって、しばらくの間はあなたのヒーリング能力に対しての探究、そして今回の検証をおこないなさい。
私たちは必要に応じてあなた方に語りかけるであろう。
そして、あなたが求める時も必要に応じて与えるであろう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この自動書記実験で、私は、少なくともこの霊信については、間違いなく自動書記現象が起きたことを目の前で確認することができました。
このことから推測して、この日までに着信している15通にわたる霊信は自動書記現象として受信されたと判断してよいと思われました。
付言すると、ケイシー霊とされる霊が冒頭で告げている、「これよりあなた方に伝えるべきことは今回のセッションについてでなく、あなたがこれより先に進むたびに行うであろう霊信の口頭による伝達に対してのものである」という文言、それに呼応して文末で告げている「私たちは必要に応じてあなた方に語りかけるであろう。そして、あなたが求める時も必要に応じて与えるであろう」という予言は、その後今日に至るまで実行されています。
すなわち、自動書記の文書による霊信は2007年2月14日で途絶えましたが、その後2~3ヶ月ごとに、セッション中のクライアントに憑依しては「口頭による伝達(霊信)」が継続しています。
直近の霊信現象は、2014年3月30日のセッションで起きています。
(その56につづく)

2014年3月21日金曜日

SAM前世療法の成立 その54

総括その15 私あて霊信の検討 その3

三つの予言の的中

私あて霊信の真偽をめぐる考え方は様々あるでしょうが、私は霊信と呼ばれる現象の真偽の目安の一つは、予言内容の的中に求めてよいのではないかと思っています。
2007年1月11日~2月14日に送信された私あて霊信には三つの予言が含まれています。
その1 第8霊信の予言について 
 第8霊信に至って、送信霊は「私はエドガー・ケイシーではない。彼を守護するものであり、あなたに繋がるものである」と私の守護霊であることをはっきり認めています。そして、この私の守護霊と名乗る霊は次のような予言をしています。
【第8霊信抜粋】
あなたはいずれ前回とは異なる内容の本を出版することとなる。全貌が異なるのではなく、方向性が異なるのだ。それは、多くの人を引き付けるものとなる。
 これは、2007年1月20日の霊信であり、2010年10月出版『生まれ変わりが科学的に証明された』ナチュラルスピリット社、の3年以上前の予言です。
この本の内容について、「全貌が異なるのではなく、方向性が異なるのだ」と言う予言は的中しています。
前回出版の『前世療法の探究』春秋社、は生まれ変わりや霊的存在について判断留保の立場を努めて保った方向でしたが、
『生まれ変わりが科学的に証明された』は、書名に示したとおり、そうした立場から方向転換し、生まれ変わりや霊的存在を認める方向を明確にしているからです。
そして、そもそも、この予言当時、私には次の本を書く材料も意欲も、全くなかったのです。3年半を経て、この予言は現実のことになりました。

その2 第11霊信の予言について


第11霊信は、2007年1月23日に着信しています。
この霊信では、のちに私がSAM前世療法を創始することを次のように予言しています。
送信霊は、前後の霊信との文脈から「あなた方の信仰に関連する者」、「あなたの祖父の守護霊と繋がりをもつ者」と名乗る霊であろうと思われます。
【第11霊信抜粋】
あなたが長年探究してきたものは、これまでの視点からでは成長は望めない。
なぜなら、もうすでにその観点での最終地まで達しているものが存在するからである。

あなたが探究するべきものは、これまでよりさらに深奥にあるものである。
魂の療法のみにあらず、あらゆる霊的存在に対する奉仕となるものである。
それは、命あるものすべてに繋がり私たちへも強い繋がりを持つ。
(中略)
そして、前世療法についてだがあなたは自らの霊性により独自性を持つようになる。
あなたの療法は、あなたにしかできないものになる。
あなたは、今度その療法に関わるがそれだけに限定するのではなく、別のものも同時進行するのだと理解しなさい。
そのために、あなたは自らの内にある疑問をまとめておく必要がある。
あなたがこれまで探究してきた道の中であなたが処理できないでいるもの、そして人の理解を超えるものについて、私たちでなければ答えられないものについてまとめなさい。
SAM前世療法が、それまでの前世療法とは前提仮説も技法も異なる独自の前世療法として商標登録が認められたのは、2009年6月です。
この第11霊信の予言は、2年半後に的中したことになります。

そして、SAM前世療法の前提仮説は、「あなたがこれまで探究してきた道の中であなたが処理できないでいるもの、そして人の理解を超えるものについて、私たちでなければ答えられないものについてまとめなさい」という指示にしたがって、守護霊団に提示した16項目の質問の回答(2007年1月23日の第12霊信)によって成り立っています。
ちなみに「今度その療法に関わるがそれだけに限定するのではなく、別のものも同時進行するのだと理解しなさい」ということについては、SAM前世療法に伴うヒーリング能力と浄霊能力の進行を指しているように思われます。

その3 第14霊信の予言について

 
第14霊信の送信霊は、自分は守護霊団の一員であり、「あなた方の信仰に関連する者」、「あなたの祖父の守護霊と繋がりをもつ者」だと自分の素性を告げています。
2007年1月25日のこの霊信では、次のような予言をしています。
【第14霊信抜粋】
ここからは、神による霊信であると理解しなさい。
あなたは今世で出会うべき女性がいる。
その女性とは、あなたが過去世において死別した愛する者である。
その者は、まだしばらくはあなたと再会することはない。
あなたは、その者にある約束をした。
それは、その者の死後、あなたが彼女へと誓ったものである。
そして、その者は死後、あなたからの約束を聞いていた。
何故出会う前に、あなたにこの話を語るのか。
それは、あなたがそのことに興味を抱くということが重要だからである。
あなたはその者が誰なのか、いつ出会うか、どのような死別を経験したのか、それらに興味を抱くだけでよいのだ。
そこから、あなたは引き寄せられていく。
あなたの魂の傷を持つ者は求め始める。
それでよい。
あなたは、それを許すだけでよいのだ。
あなたは、あなたの魂の傷を持つ者が求める者と再会するだろう。

この謎めいた予言の一ヶ月後、2007年2月24日に予言された女性と思われる人物と、私は出会うことになりました。その詳しい経緯は省いて要点のみ紹介します。
この女性クライアントは、私の知人の紹介で、その知人に伴われて前世療法を受けにやってきた関東地方在住の30代半ばの女性でした。
彼女が深い催眠状態に入って最初に発した言葉が、「先生、お懐かしゅうございます。会いとうございました」というものでした。
彼女が最初に語った前世の場面は、中世ヨーロッパの教会付属の学校でした。
彼女は12歳の少女でその学校の生徒でした。
私は36歳の聖職者で、政争に敗れた失意の政治的指導者でもあって、医学の心得も持つその教会の学校の指導者であったということでした。
12歳の少女は、私を慕い、憧れのまなざしを注いでいたと語りました。
やがて年を経て、私は聖職者としての位階が上がり、成長した少女は、私の身の周りを世話する仕事に就いたそうです。
彼女は私から愛されていたと感じていたそうです。
ただし、「大変寡黙な方でしたから、そうとは口に出されてはおりませんでした」と彼女は語りました。
彼女は、何かわけがあって20代前半で早世したと語りました。
予言が脳裏をよぎった私は、彼女の霊界での記憶を尋ねてみました。
私があなたの魂に向かって何か誓ったことはあるか、それはどんなことか、という問いです。
彼女は、私が霊界の自分に誓っていることを知っているが、その内容を話すことは禁じられているから話すことは出来ない、と回答しました。
第14霊信の再会するという予言に符合することが起こり、少々動揺した私は、その少女の名前も私の名前も尋ねることを失念してしまいました。
ただし、このセッションから4年後の2011年3月の別人へのセッションで次のようなことが分かっています。
クライアントは、前述の女性クライアントとは面識のない関西在住の50代男性でした。
語られた前世は、17世紀プロイセンのプロテスタントの牧師でした。
クライアントの名はゲオルグ、ゲオルグと親密であった上司である牧師の私の名がウオルフガング。
ウオルフガングは貴族出身の聖職者で、政治的指導者でもあったそうです。
ウオルフガングには付き人の女性がおり、その名はマリア。
マリアは金髪・碧眼の娘であり、ウオルフガングの寵愛を受けていましたが、二十歳そこそこで病死し、彼はその死をいたく悲しんだということです。
4年間の間隔をおいておこなわれたこの2例の前世療法のセッションの概要は、以上のようなものです。
そして、これ以後今日まで、この女性クライアント以外に私とのこうした愛情関係のある前世を語る人物との出会いはありません。
したがって、この予言も現実のものとなったと思われます。
これまで述べてきたように、霊信の告げているかなり具体的な三つの予言がことごとく的中しているという事実は、この霊信の信憑性を裏づけていると私には思われます。
そして、注目すべきは第14霊信の文言は、「神による霊信」であり、それに「興味を抱くことが重要だ」と告げられていることです。
神による霊信について、神が、「あなた(私)が興味を抱くことが重要である」と告げているのは、前世で愛した者と再会するという予言が的中することをもって、神の実在を示すことになるから重要だと解することができるでしょう。
この霊信を受け取った当時の私は、無神論者とまではいかないまでも、神の実在については不可知論者であったことは確かです。
当時26歳であった霊信受信者のM子さんが、ESP(透視・テレパシー)能力を駆使して、かなり具体的な三つの予言を霊信になぞらえて作文したと疑うことには無理があると思います。
(その55に続く)

2014年3月14日金曜日

閑話休題

デジャビュ(既視感)と前世の関係

デジャビュと前世の関係について興味深いレポートがありますので紹介します。
レポーターは水原杏樹さんです。
水原さんは2008年11月にSAM前世療法を体験しました。以下はそのセッションの体験レポートです。

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まず先生には自分が気になっていることについてお話しました。1920~30年代あたりに強い興味を惹かれること、特にアジアの国で洋風建築が並んでいるような、どこかミスマッチ感のある「モダン」な街が気になって仕方がないことなどをお話しました。

まず催眠に入りやすいかどうかのテストをしてからセッションを始めます。私は入りやすいようです。すぐに催眠状態に入り、体の感覚がなくなっていきました。先生は私の右手を取って、「はい」という返事の時に人差し指を動かすように指示しました。
まず時代と場所をさぐっていきます。先生の質問に右手の人差し指が勝手に動きます。自分では意識はありますが、手足の感覚がなくて、先生が何か質問をした時に指が勝手に動いて、その時に自分でも「そうか」と思います。

以前受けた前世療法では、ひとつめはヒーラーの方がリーディングしてそれを伝えてくれましたが、ふたつめの所では催眠に入っていって「自分で見る」方式でした。催眠に入っていくのもゆっくり時間をかけて体をリラックスさせ、「階段を下りていく」イメージで深い意識下に入っていきました。そして階段を下りきったところで「何が見えますか」と聞かれ、何か浮かんだらそれを答えていく、というものでした。しかし私は自分で映像を作ることができてしまうので、イメージが浮かんでも疑う気持ちをぬぐうことができないこともあって、誘導されてもその通りに映像が展開しませんでした。
しかしina先生のセッションでは、指が勝手に答えてくれます。先生は私が気になっている時代に沿った質問から始め、その問いに指が答えるうちに、1930年代、中国人の女性で結婚して子どももいる、ということがわかりました。金持ちでも貧乏人でもなく中程度。
そして農村にいるのか、都市にいるのかという問いで「都市」の時に指が動きました。年代のこともあり、日本軍が来て何かあったかとも聞かれますが反応しません。また、先生は中国の都市を順番に挙げていきました。北京…上海…重慶…大連…まったく反応しません。(「上海」で反応しなかったのには少々ガッカリ)。私も知りたいのですが、指が動きません。質問をもう一度繰り返してもダメ。…そうしたら頭ににふと「ハルピン」という言葉が浮かんできました。それで口に出して「ハルピン」と言いました。

そうしたら、セッションに入るころからなんとなく寒いような感じがしていたのですが、ますます寒くなって震えだしました。寒くて仕方がありません。声に出して「寒い、寒い」と言いました。先生の質問に答えるうちに、家をなくして寒くて震えていることがわかりました。なぜ家をなくしたのか…。「災害」という言葉に指がかすかに動きました。それで地震、火事など災害の種類を挙げていきます。しかし指は動きません。もう一度災害の種類をゆっくり繰り返します。でも反応しません。そうしたら、ぼんやりと家を追い出されるようなイメージが浮かんで、「追い出された」と口に出して言いました。暗いところで、ぼんやりと洋風の建物らしきものが見えて、そこから追い出されるような…。暗くて周りの様子はよくわかりません。でもなんだか理不尽に追い出されたような気がしたのです。そうして寒さに震えながら死んでいったようです。
さらに先生は名前を聞きました。今度は頭に何も浮かびませんが、口が動きかけます。声が出そうで出ません。自分としては全く苦しくないのですが、声を出そうとして出せなくて苦しんでいるような声ばかり出ます。
それ以上自分で答えるのは無理なようなので、先生が家を追い出されて寒くて苦しかったことなどから、ハルピンの街にはきっとあっただろうきれいな洋館を見てうらやましく思っていたんでしょうと言ってくれました。そして癒しを始めてくれました。一定の時間がたって、癒しが終わりましたか、と聞かれましたが、指が動きません。まだ足りないと思ってさらに癒しのエネルギーを注いでくれます。いつもより長い時間癒しに費やしていますと言って、もう一度癒しが終わりましたか、と聞かれてやっと納得したようです。

それから守護霊のようなものが降りてくるからと言って先生はしばらく席をはずしました。しかし何も感じませんでした。先生が戻ってきてセッションは終わりました。

さらに後日談です。

1930年代のハルピン、と時代と場所が特定されたのは大きな収穫でした。今まで理由が全くわからないで苦しい思いをしていたことに、落ち着き場所がみつかったのです。ハルピンというのはかなり意外でしたけれど。そのとき先生に言い損ねましたが、実は私は寒いのが大嫌いです。それほど暖房をガンガンかけなくても平気ですが、とにかく寒いのは「嫌」なのです。思い込みかもしれませんが、それもなんとなくつながるような気がします。
セッションのあと、ハルピンのことを調べてみました。本を探してみましたが、ハルピンに関する本は見つからなくて、「中国東北地方」というくくりでカラー写真の載った本を2冊見つけました。
その中でハルピンに関する記述を見てみますと、ハルピンは中国の東北地方の最北端の都市で、19世紀末にロシア人が作った街です。当時ロシア人が作った建物がまだたくさん残っています。それから中国人が入ってきて、ロシアの洋風建築を見よう見まねで真似た、少々奇妙な洋風建築が並ぶ中国人街を築いたそうです。
1930年代は満州国の建国もあって日本人がたくさん入ってきました。当時は「東洋の小パリ」と言われたほどの華やかな街だったということです。ロシア建築に加えて洋食のレストラン、カフェ、デパートが並び、日本の商社や銀行の重厚な建物が並び、まさしく「モダン」な文化が花開いていたそうです。
そういったことを知るうちに頭に浮かんできたことがあります。「中程度」の暮らしなら、贅沢はできなくても、例えば中国人街の洋風アパートに住み、時には奮発してレストランで洋食を食べたりデパートで買い物をしたことがあったかもしれません。映画を見たり、流行のジャズのレコードを蓄音機で聴いていたかもしれません。
しかし家を追い出されて、そうした暮らしを全て失って、それが悲しくて切なくてたまらなかったのかもしれません。もともと貧乏で全くそういった「モダン」な生活に縁がないまま憧れてるのではなく、ある程度そういった生活を体験して失った、というほうがしっくり来る気がします。
そして、立派な家に住んでいるようなお金持ちのような気がしないのも確かです。
証明できることではないので、「気のせい」に過ぎないのかもしれませんが、それでも「気がする」「気がしない」という違いはあるんです。
それからもうひとつ、セッション前に先生が話してくれたことですが、前世のものは、現世のことがわからなくて、いつまでも前世の時のままの気持ちでいるそうです。それならば、今の私にとって1930年代のことを調べるのは過去のことを調べることですが、前世にとってはそういったものはいつまでも「最新流行」のモダンな生活を追い求めることなのです。しかしそれは家を追われて全て失ってしまった。失われたものをいつまでも追い求めて、「モダン」な流行を追う生活を追い求めて、いまだに手に入らないものを追いかけている…そう考えると、今まで悩んだり苦しい思いをしてきた気持ちにぴったり当てはまると思いました。
具体的なことはあまりわからなかったので、もっと知りたいとは思います。
現世の自分の意識、自分が今どこにいて何をしている、という意識がはっきりあって、過去世のものがその奥からかすかに反応して見せてくれたような感じでした。他の報告では「魂の状態」という表現が出てきますが、そういった状態がどういうものかよくわかりません。どうも私の場合は現世の自分が「蓋」をしているみたいです。自分の口で答えてください、という質問や、名前が出そうで出なかったことなど、現世の自分が自分の声を使うのに抵抗しているような。
でも前に受けた前世療法のように映像が浮かばないとどうしようもない、ということはなく、漠然としたイメージや感覚でも過去世をさぐることができたのが良かったです。59番のI子さんも書いていますが、「映像を見る」方法ですと、どうしても「自分で作っているのではないか」という疑問がぬぐえません。
でもハルピンへ行ってみたくなりました。何も手がかりになるものはありませんが、ロシア建築のある通りや中国人街を歩いてみたいです。
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このセッション体験談をレポートしてくれた水原杏樹さんが、その3年後2011年10月にセッションであらわれた前世で生きた街ハルピンを訪れ、その旅行記をこのほど『世界史オタク上海・ハルビンを行く』という書名で文芸社から出版されました。以下はその抜粋です。

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 一応わかる範囲内で調べたところでは、ロシアの影響を受けた街で西洋建築の立ち並ぶ街には違いなさそうです。モダンな文化や西洋に対する憧れを誘う要素は充分にあります。その時どういった出来事があって、なぜこんなにも胸が痛むような思いがするのでしょうか。
 そうしてその翌年にハルビンへ行ってみました。主要な地域を一通りまわってみたのですが、・・・昔の中国人街で「中華バロック」と言われるトンデモな建物がずらーっと並んでいる界隈で、強い感情に襲われました。
 「私が探していたのはここだ」という思いが湧き上がってきました。ここに来たかった、ここが見たかった・・・その界隈を歩き回ってずっとそういう感覚にとらわれていました。
私はやっと探していた場所にたどりついたのです。
(中略)
そこで再びハルビンへ行こうと思って手配を進めていたところ、やはりハルビンのことを思うとなんとも言えない気持ちが湧き起こってきます。いったいこの感情は何なのか・・・。しばらくその感情に身を浸してみました。そうしたら、心の中から、ある言葉が湧き起こってきました。
それは・・・
「帰りたい」
でした。

・・・そうだったのか! と思いました。

水原杏樹『世界史オタク上海・ハルビンを行く』文芸社、20014、PP108-112
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.さて、デジャビュは、ウィキペディアの記事によれば、唯物論では次のように説明されます。

20世紀末から、既視感は心理学脳神経学的研究対象として注目された。しかし、実験で既視感を再現することは非常に困難であるため、実験を通しての研究法は確立していない。
これらの領域では、既視感は予知・予言ではなく、「記憶が呼び覚まされるような強い印象を与える記憶異常[要出典]」と考えられている。
ほとんどのケースではその瞬間の記憶のみが強く、その記憶を体験した状況(いつ、どこで、など)についてははっきりしないことが多い。同様に時間の経過により、既視感の経験自体が落ち着かない経験として強く記憶に残り、既視感を引き起こした事象や状況の記憶はほとんど残らない。これは「短期記憶長期記憶の重なり合いが原因[要出典]」と考えられている。体験している事象は、脳の意識的に働いている部分が情報を受け取る前に記憶に蓄えられ、処理されるからである。(引用おわり)


この説明(要するに錯覚であるという説明)を水原杏樹さんの事例に適用した場合、どうにも納得がいかず、すわりが悪い、と思うのは私だけでしょうか。

前世がある、というSAM前世療法の前提で説明すれば、洋風建築が並んでいるような、どこかミスマッチ感のある「モダン」な街の風景に触発され、彼女の魂表層に存在する前世をハルビンに生きた中国人女性が、潜在意識下でそこへ「帰りたい」と訴えていた、ということになるでしょうか。
しかし、潜在意識下で起きていることなので、現世の彼女の顕在意識には「気になって仕方がない」という形で意識にのぼってくる、という説明が可能ではないでしょうか。

デジャビュという現象を、こうした生まれ変わり仮説で説明することを、トンデモ説明だと切って捨てることは簡単ですが、水原さんの事例を検討すると、そう簡単に割り切れないと思われます。

2014年3月7日金曜日

SAM前世療法の成立 その53

総括その14 私あて霊信の検討 その2
第1霊信の2日後、第2霊信が2007年1月14日の早朝5時23分に着信しています。
第2霊信で通信霊は次のように告げてきました。
【第2霊信の抜粋】2007.1.14 5:23着信

稲垣を守護する霊的存在は、生前の私を守護していた存在であり、それよりも以前に多くの偉大なる者たちを守護していたものである。
だが、稲垣にはまだ打ち明けるべきではない。
それは、彼を疑いの思考へ誘う種となるであろう。
だが、ここで私があなたと稲垣に伝えるべきことは、私があなた方を繋ぐ理由である。
私は生前あなたとしての素質を持ち、稲垣の進むものと類似する方向性を持つ者であった。
そのため、私はあなた方を繋ぐものとして接触しているのだ。

第1霊信で、送信霊は「私はあなた方を繋げるものである」と告げてきました。
さらに、第2霊信でも「私があなた方を繋ぐ理由である」と告げていることから、この二つの霊信の送信霊は同一の霊であると思われます。
そして、この送信霊は、生前「M子さんの素質」つまり、霊媒(チャネラー)としての素質と、「稲垣の進むもの」と類似性を持つ者つまり、催眠に関わる者であったと告げています。
死者の中で、そのような霊媒の素質と催眠両方に関わって有名な人物は、エドガー・ケイシーしか私に思い浮かぶ名前はありませんでした。
もし、エドガー・ケイシーであるとすれば、ケイシーの守護霊は、ケイシーの死後、私を守護しているということになります。
このことを確かめるために、私は、同日1月14日21時ころエドガー・ケイシーの没年を調べてみました。
果たしてケイシーは、私の生まれる三年前に死亡していることが分かりました。
したがって、この第2霊信の送信霊が、生前のエドガー・ケイシーだと想定しても矛盾しないことになります。
そして、このことを確認した90分後の同日1月14日22時48分着信の第3霊信で、次のような驚くべきことを言ってきたのです。
【第3霊信の抜粋】2007.1.14 22:48着信

あなたは、今語りかけている私が、エドガー・ケイシーを守護していたものと考えている。
その真偽を自分の中で晴らすため情報を集めた。
だが、そんなことをして何になる?
だが、私があなたに「そうではない」と言えば、それは事実とは異なるものとなってしまう。

この送信霊は、言い回しから考えて、生前のケイシーを守護し、現在は私の守護をしていることを認めています。
つまり、この第3霊信の送信霊は、私の守護霊ということになります。また、この結果、第1・2霊信の送信霊は、ケイシー霊ということになります。
ところで問題は次の事実です。第2霊信は、2007年1月14日5時23分に受信者M子さんから私に転送されています。
私がこれを読み、ケイシーについて情報を集めたのは同日の21時頃でした。
そして、第3霊信は同日22時48分に転送されています。
つまり、この送信霊は、私の90分ほど前の、エドガー・ケイシーについての情報収集行動をずばり指摘してきたことになるわけです。
もちろん、私がケイシーについて調べたことをM子さんは知りません。
また、彼女は、自分には透視能力(ESP)がないと証言しています。
これらの事実を考え合わせて、第1・第2・第3霊信という超常現象の解釈の可能性を考えてみると、
①第3霊信が、もしM子さんの創作であるとすれば、彼女には透視能力があって、私の行動を透視した上で何故かそれを隠し、霊信の体裁をとって転送してきたことになります。
②または、当てずっぽうの霊信を創作したのが、まぐれ当たりしたかです。
③そうでないとすれば、そしてM子さんの透視能力がないという証言を信じるとすれば、つまり送信霊(稲垣の守護霊)の実在を認めるとすれば、送信霊は私の行動をどこからか監視していたことになります。
結局、第7霊信(2007.1.18 22:28着信)に至って、送信霊は、「私はエドガー・ケイシーである」と名乗りました。
さらに、「何故今回の霊信で私が役割を担ったのか説明しよう。私はより新しい意識である。それにより、あなた方に近づきやすい状況を作り出すことができる。そして、より明確に情報を伝えることができる」と送信してきた理由を告げています。
したがって、第1・第2霊信の送信霊は、エドガー・ケイシーの霊であることになります。
また、第8霊信(2007.1.20 1:01着信)で、「私はエドガー・ケイシーではない。彼を守護する者であり、あなたにつながる者である」と、私の守護霊からの霊信であることを告げています。
したがって、第3・第8霊信は、私の守護霊からのものであることになります。
霊信受信者であるM子さんに、透視能力(ESP)がないことが証明できれば、これら霊信は本物であり、送信霊の実在を示すと考えても矛盾はないように思われました。
それにしても、よりによってエドガー・ケイシーの霊が送信してくるなどということは俄に認めがたい、というのがこの時点の率直な感想でした。
(その54へ続く)