わたしは臨床催眠実践者です。登録商標を取得した「SAM前世療法」の実践によって、魂状態の自覚とともに前世人格の顕現化などが「意識現象の事実」として確認できます。それらの意識現象について、生まれ変わりの先行研究と科学的方法論に基づく検証結果についての考察を公開していきます。「意識現象の事実」の真偽について、「観念より事実」、「理屈より実証」をコンセプトに検証と考察を深める実践を続けています。なお、このブログは、諸宗教との関わりは一切ありません。
2013年6月29日土曜日
SAM前世療法の成立 その3
2006年12月22日夜、里沙さんにお願いして彼女の守護霊との直接対話実験をさせてもらいました。
深い催眠中に中間世へと導き、そこで彼女の守護霊を呼び出して憑依してもらい、私が直接対話するという実験は、「タエの事例」で紹介してあるとおりです(拙著『前世療法の探究』PP166-176)。
深い催眠状態において、霊的存在とおぼしきものが偶発的に憑依するという現象は、ブライアン・ワイス『前世療法』PHP、の「キャサリンの事例」に記述されています。
ワイスは、そうした高級霊とおぼしき存在をマスターと呼んでいます。
偶発的にマスターと呼ばれる高級霊の憑依とおぼしき現象が生じるならば、意図的にも憑依現象は起こせるのではないか、という着想から、「タエの事例」において、初めて、被験者里沙さんの守護霊(偉大な存在者)の憑依実験をおこないました。
果たして、約30分にわたる私と守護霊との直接対話が成功したのです。
この意図的憑依実験を再度おこなおうというわけです。
その理由は、次のような四つの質問の回答を得るためであり、憑依現象の真偽の検証を試みるためでもありました。
①タエの事例は、偶然語られたものか、何かわけがあって語られたものか?
②私に突如あらわれたヒーリングのエネルギーは、どこから送られてくるものか? その治療エネルギーが私にあらわれた理由が何かあるのか?
③スピリットヒーリング能力のある者は、たいていは霊視などの霊能力を持っているが、私のエネルギーがそうであるなら、なぜ私に霊能力がないのか?
④私の守護霊の素性が分かるならその名を教えてもらえないか?
この憑依実験は、里沙さんの知人からの依頼で前世療法を実施した際、彼女が付き添いとして同行してきた機会を利用して実現したものです。
その知人のセッション後、彼女に再度の憑霊実験のお願いをしました。
実験前に彼女に伝えておいた質問内容は、前述②(私のヒーリングエネルギーの出所)のみでした。①③④の質問について彼女には知らせることを意図的に伏せて実施しています。
伏せた意図は、彼女に前もって回答を準備できる時間を与えないためです。
里沙さんに憑依したと思われる、彼女の守護霊とおぼしき存在との40分にわたる対話の録音を起こし、できるだけ生のままの語りの言葉を用いて、上記四つの質問に対する回答を要約してみると以下のようになります。
ただし、質問はこれ以外にもいくつかしていますから、それらの回答を含めて次の五項に整理し要約してあります。
①タエの事例は偶然ではありません。計画されあなたに贈られたものです。計画を立てた方はわたくしではありません。計画を立てた方はわたくしよりさらに上におられる神です。
「タエの事例が」出版されることも、新聞に掲載されることも、テレビに取り上げられることもはじめから計画に入っていました。あなたは人を救うという計画のために神に選ばれた人です。
②あなたのヒーリングエネルギーは、霊界におられる治療霊から送られてくるものです。治療霊は一人ではありません。治療霊はたくさんおられます。その治療霊が、自分の分野の治療をするために、あなたを通して地上の人に治療エネルギーを送ってくるのです。
③あなたの今までの時間は、あなたの魂と神とが、あなたが生まれてくる前に交わした約束を果たすときのためにありました。今、あなたの魂は大きく成長し、神との約束を果たす時期が来ました。神との約束とは、人を救う道を進むという約束です。その時期が来たので、ヒーリング能力も前世療法も、あなたが約束を果たすための手段として神が与えた力です。しかし、このヒーリングの力は万能ではありません。善人にのみ効果があらわれます。悪とはあなたの進む道を邪魔する者です。今あなたを助ける人がそろいました。どうぞたくさんの人をお救いください。
④神はあなたには霊能力を与えませんでした。あなたには必要がないからです。霊能力を与えなかった神に感謝をすることです。
⑤守護霊に名前はありません。わたくしにも名はありません。あなたの守護霊はわたくしよりさらに霊格が高く、わたくしより上におられます。そういう高い霊格の方に守られている分、あなたには、成長のためにそれなりの試練と困難が与えられています。これまでの、あなたに生じた困難な出来事のすべてがはじめからの計画ではありませんが、あなたの魂の成長のためのその時々の試練として与えられたものです。魂の試練はほとんどが魂の力で乗り越えねばなりません。わたくしたちはただ見守るだけです。導くことはありません。わたくしたちは魂の望みを叶えるために、魂の成長を育てる者です。霊能力がなくても、あなたに閃くインスピレーションが守護霊からのメッセージです。それがあなたが迷ったときの判断の元になります。あなたに神の力が注がれています。与えられた力を人を救う手段に使って人を救う道に進み、どうぞ神との約束を果たしてください。
里沙さんに憑依したと思われる、彼女の守護霊とおぼしき存在は、以上のようなメッセージを回答として伝えてきました。
そのときの語りの様子は、タエの事例で憑依実験したときと同じく、彼女の表情は能面様の全くの無表情に変化し、声は低音で、囁くような、抑揚のない、ゆったりと厳かな調子の、別人同様の声音に変化していました。
観察される限りでは、ふだんの里沙さんとは別人格の第三者が語ったように思われます。
憑依を解き、催眠から覚醒直後の里沙さんは、数分間話そうにも声が出ない状態になり、膝から下が冷え切って麻痺し、立ち上がれないという疲労の極みに陥っていました。
立てるようになるまで20分ほど休んでから帰宅しましたが、翌日になっても疲労は回復せず動けない状態が続き、三日目にやっと回復したという報告を受けています。
さて、これまで2005年6月4日の「タエの事例」セッション以後、里沙さんと私にあらわれた超常現象について紹介してきました。
このうち、超常能力出現については事実として認めざるをえません。
では守護霊とおぼしき存在者の語りはどうでしょうか。
語られた内容について、できるだけ公正な立場に立って検討・考察をしてみたいと思います。
ただし、この検討・考察は、自分にはスピリチュアリズムに関する知識・情報がない、という里沙さんの証言を前提としていることをお断りしておきます。
また、超ESP仮説(里沙さんが私の心も含め、地上のどのような情報にも自由にアクセスできる無制限なESP能力を持っているとする仮説)も、ここでは考慮外としています。
この憑依実験の分析と考察は、次回で述べてみます。
(その4へつづく)
2013年6月28日金曜日
SAM前世療法の成立 その2
2006年8月31日、私にもヒーリング能力があることが偶然発見されました。
以来、母親の股関節痛へのヒーリングに始まり、当時の同僚や知人たちに毎日一人以上はヒーリングを試し、効果の検証してきましたから、被験者の数は数百名になると思います。
肩凝りをはじめ腰痛・背中痛・五十肩・股関節痛・アトピ-性皮膚炎・椎間板ヘルニア・子宮筋腫の痛み、子宮腫瘍・心筋梗塞発作・喘息・花粉症、ふくらはぎ筋肉痛、大腸癌等に実施して改善効果の検証をしてきましたが、成績は良好です。
特に痛みの解消と血行改善には効果がみられます。
また、半信半疑で遠隔ヒーリングの実験を100件ほどしたところ、この成績も良好な結果でした。
これには私自身が驚いています。
現在のところ直接・遠隔両ヒーリングの改善率は80%超程度というところでしょうか。
もちろん、この中には「タエの事例」を語った里沙さんの、脊柱側湾症による背骨痛・腰痛の緩和が含まれています。
私のやり方は、左手のひら(左手のほうがエネルギーの放射感覚が強いようです)を約5分間患部に軽く当てるだけです。
当てると同時に、エネルギーを私にどこからか送ってくるであろう存在に対して、「この者に必要な最良の治療をお願いします」と念じますが、その後は精神集中などは全く不要で、テレビを見ようが会話をしようが一向に構わないのです。
ただし、このエネルギーは、私の意志によるコントロールは不能です。
向こう側からやってくるのにお任せというわけです。
クライアントは、懐炉を当てているような明らかに私の体温以上の熱感を感じることが多いようです。
また終了した後も一時間くらい温感が続く場合があると言います。
なかには、ヒリヒリした感じとか、もわもわした圧力やひんやりした風の感じ、あるいは頭頂部や指先までエネルギーが走る感じや、汗が出るのを報告するクライアントもいます。
また、エネルギーの放射能力を伏せて、相手の手のひらに私の手のひらを5センチ程度近づけても、熱感やヒリヒリ感、モワモワした圧力感などを感知すると報告しますから、これが暗示効果によるものでないことはほぼ明らかです。
計測不能の何らかのエネルギーが手のひらの中心辺りから放射されている事実は間違いないと思われます。
手のひらにも、きわめて微細な振動をしている薄い膜が張った感じがあり、その膜に熱を帯びたヒリヒリする感覚があらわれます。
私は、気功やレイキなどのエネルギー療法と呼ばれるものを見たことも、訓練したことも一切ありませんし、そもそもエネルギー療法については極めて懐疑的な立場でした。
せいぜい暗示効果ないし、プラシーボ効果によるものであろうと思っていました。
そういう懐疑的な自分に、ヒーリング能力が突如現れたことが何とも不可解で奇異な感じがしています。
容易には認めがたいのですが、これはひょっとすると、霊による治療、すなわちスピリットヒーリングが起こっているのではないかと思います。
それは、いわゆる「気」などの、見えない身体エネルギーによるヒーリングとは違って、自分が極度に集中する必要もなく、まったく疲れることもないということ、そして、遠隔治療においても効果があるからです。
さらに、霊が見えると主張する三名の人からは、私の背後に複数のよい霊が見える、あるいは感じると指摘されました。
デモンストレーションを見学した、やはり霊的な感受性があると主張する三名からは、手のひらから白い霧状の光の粒子が盛んに放射されているのが見えたという報告を受けています。
こういったことに実証性があるわけではありませんが、ありうることではないかと思っています。
しかも、3件の実験によって、国内ばかりでなく海外在住者への遠隔ヒーリングという時空を超える現象が瞬時に起こることも確認しています。
こうした唯物論的知識では説明できない超常現象を体験したことによって、この三次元世界とは別の次元の世界があることを認めざるをえないと考えるようになりました。
ただし、こうした私のヒーリング能力に関しては「二重盲検法(double-blind tesst)」を経ていないので、残念ながら科学的な実証があるという主張をすることはできません。
しかし、遠隔ヒーリングを施した、犬の左前足付け根の癌、猫後ろ足付け根と右目上の癌がそれぞれ消失、あるいは石灰化したという報告を受けています。
犬と猫の癌腫瘍の診断は獣医によって下されていますから、飼い主の素人診断ではありません。
犬と猫へのプラシーボ効果は排除できますから、私のヒーリング効果は、少なくとも、この犬と猫には実証できたと判断しています。
このようなヒーリング能力の発見(覚醒?)は、2006年、タエの事例を『前世療法の探究』として、春秋社から出版した直後に起きたことでした。
これがタエの事例以後起こった二つ目の不思議現象でした。
(その3へつづく)
2013年6月26日水曜日
SAM前世療法の成立 その1
SAMのSはsoulのS、AはapproachのA、MはmethodのMをあらわしています。
つまり、Soul Approach Methodという意味で、魂に接近する技法による前世療法というわけです。
前世の記憶にアクセスするのでなく、魂の表層を構成する前世の人格にアクセスする方法論による前世療法であることを明確に主張する名称です。
SAM前世療法が療法として、一応の定式化が完成したのは2008年です。
そこで、今回から、数回にわたって、SAM前世療法成立までの経過を紹介していくことにします。
2005年6月4日の「タエの事例」との遭遇以後、2009年5月の「ラタラジューの事例」に出会うまでの四年間に、被験者里沙さんと私には、それまでに全く体験したことがない超常現象が起こるようになりました。
そうした数々の超常現象の直接体験は、霊的現象や霊的存在の真偽に対して努めて判断留保という、私のそれまでの立ち位置の変更を迫ることになっていきました。
私が、生まれ変わりはもちろん、いかにして霊的現象や霊的存在を認めることへ軸足を移していくことになっていったか、そのことによって、前世療法と前世の記憶についてどのように考えることになっていったかの足跡の記録をこれから時系列に沿って綴っていこうと思います。
2005.6.4の「タエの事例」セッション直後、里沙さんに現れた超常能力
前世遡行に成功し「タエの事例」を語った2005年6月4日から一週間ほど経って、里沙さんの左腕が赤黒く変色するという異変が起こりました。赤黒い変色とともに重く怠いという自覚症状を心配した彼女は、医師の診察を受けましたが特に医学的所見はなく、経過を見ましょうということでした。
そうした中、ホタル見物に出かけ、舞っているホタルに向かって左手のひらを広げたところ、5~6匹ほどのホタルが左手のひらにとまったそうです。ホタルは羽根を休めて後、数分して飛び去りました。
この事実は同行した信頼に足る目撃者からの証言を得ています。
また、左腕の変色と重く怠いという症状はこの後消失したそうです。
この不思議な現象に出会った里沙さんは、タエとしての前世で、左腕を切り落とされたことが咄嗟に脳裏にひらめいたそうです。
そして、左手のひらから何らかのヒーリングエネルギーが放射されているので、衰弱したホタルがエネルギー補給のために飛んできたのではないかと直感しました。
そこで、ご主人や知人の腰痛・肩凝り・関節痛等にヒーリングを試したところ顕著な改善効果が確認されたのです。
このヒーリング能力は現在も続いています。
こうしたヒーリング能力の出現と同時に、二層のオーラとその色が見えるようになったと言います(ただし、強い輝きを放っている人の場合に限るとのこと)。
オーラの色については、目前の人だけではなく、その人を特定できる情報さえあれば、遠隔透視ができるようになったとも言います。
さらに、「生き霊や死霊(未浄化霊)が取り憑いていると、目前の人はもちろん、その人の名前・住所など本人が特定できる情報を聞いただけで、即座に悪寒・吐き気・頭痛など体調が悪化するという反応が起こるようにもなった」そうです。
厳密な検証実験をしたわけではありませんが、何らかの霊的能力が発現したことに疑いはないように思われます。
過去の文献にも、非常に深い催眠体験後、稀に透視など超常能力が出現したという報告があるのですが、どうやら里沙さんにも、「タエの事例」を体験したことを境に、そうした超常能力ないし、霊的能力が出現したことは、かなり信憑性が高いと判断しています。
これが「タエの事例」後に最初に起こった不思議現象でした。
(その2へつづく)
2013年6月12日水曜日
なにが生まれ変わるのか(魂の構成要素とはなにか)
そこで、生まれ変わりの実証的研究者故イアン・スティーヴンソンの見解と、確信的スピリチュアリスト高森光季氏の見解を参考にしながら、私の「生まれ変わり」概念について考察してみます。
私の立場は、このブログのテーマにあるように、「生まれ変わりの実証的探究」です。
ただし、「魂」のように実測も計量もできない存在については、セッションであらわれた「意識現象の事実」の累積と、そこに確認できた共通項をもって「実証的探究」とする以外、現時点の探究方法はありません。
そうして、探究の結果、現時点で提示できる仮説としての生まれ変わりの定義は、「魂に包含される、魂の表層を構成する前世人格たちを含めた魂全体が、次の新たな肉体に宿ることをもって生まれ変わりとする」ということです。
また、魂表層の個々の前世人格たちは、互いの人生の知恵を分かち合い、死後も成長進化を続けているらしい。
こうして、魂表層を構成している前世人格たち全体の集合的意識も成長進化をしているらしい。つまり、魂は生まれ変わりを重ねながら成長進化を続けていくらしい。
こうした私の生まれ変わり概念は、奇抜のように思われるかもしれませんが、生まれ変わりの研究者である故イアン・スティーヴンソンの生まれ変わりの見解と共通するところがないわけではありません。
スティーヴンソンは、世界中の2000事例を越える生まれ変わりの可能性のある事例を精査した結果、次のように述べています。
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スティーヴンソンの見解
たとえ生きている人間の人格全体が何でできているかを知らなかったとしても、どの事例から得られた証拠をもとに考えたところで、人格全体が生まれ変わったと言うことはできないであろう。前世に由来する可能性のある人格の一側面に注意を向けることしかできないのである。(中略)
前世から来世へとある人格の心的要素を運搬する媒体を「心搬体(サイコフォ)」と呼ぶことにしたらどうかと思う。私は、心搬体を構成する要素がどのような配列になっているのかは全く知らないけれども、肉体のない人格がある種の経験を積み、活動を停止していないとすれば、心搬体は変化していくのではないかと思う。(中略)
私は、「前世の人格」という言葉を、ある子どもがその生涯を記憶している人物に対して用いてきたけれども、ひとつの人格がそっくりそのまま生まれ変わりうるという言い方は避けてきた。そのような形での生まれ変わりが起こりうることを示唆する証拠は存在しないからである。実際に生まれ変わるかもしれないのは、直前の前世の人格および、それ以前に繰り返された過去世の人格に由来する個性なのである。
スティーヴンソン・I 『前世を記憶する子どもたち』日本教文社,PP358-360
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上記のスティーヴンソンの見解は、とりわけ、人格全体が生まれ変わったということはできないという見解は、私がセッションで確認してきた「意識現象の事実」にほとんど符合しています。
私の現時点の生まれ変わり仮説も、人格全体が生まれ変わるとは定義できません。
そのような形で、つまり、人格全体が生まれ変わることを示唆する証拠は、「意識現象の事実」として確認できないのです。
スティーヴンソンの提唱している「心搬体」とは、いわゆる「魂」と同義です。生まれ変わりとは、前世人格で構成される表層を含めた「魂」=「心搬体」全体が死後存続し、次の肉体に宿ることと考えざるをえないのです。
ただし、私は、スティーヴンソンが「心搬体を構成する要素がどのような配列になっているのかは全く知らない」と述べているその「心搬体(魂)の構成要素」を、「表層部分」と「核」の二層構造になっているという仮説をもっています。また、魂表層は前世のものたちによって構成されているという仮説に立っています。
このことをさらに分かりやすく説明するために、高森光季氏のブログで提示されている下記の図によって考えてみます。
高森氏は、私の生まれ変わり仮説(魂の二層構造仮説)を、「多面体説」として次のようにな見解を提示しています。
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高森光季氏の見解
多面体説
これは、魂なり霊なりは、Aという個人的存在を現世に生み出すが、Aは死後、魂や霊に付属して存在を続ける、そして魂や霊は、別のBという個人的存在を新たに世に生み出す、というものです。
次の図は、時間軸に沿った変化として見てください。なんか雪玉ゴロゴロみたいな変な形になりましたが(笑い)。
魂であるXは、A、B、Cという現世存在を次々に生み出していきます。A、Bは死後も一応の個別性を持ちながら、魂Xとともにあります。
シルバー・バーチの「魂はダイヤモンドのような多面体であり、あなたはその一面なのだ」というような説や、稲垣勝巳さんの「人格は魂の表層のもの」という説は、おそらくこういうふうになるのではないかと思います。(ひょっとすると違うかもしれません。)
さて、この構図で問題になることは、まず、「個別の人格は生まれ変わりをしない」ということになるということです。視点を個別人格に取ると、AはBに生まれ変わっておらず、AとBはCに生まれ変わっていません。AとB、A・BとCの間に「カルマ」などの受け渡しがあったとしても、それはAやBが生まれ変わったということにはなりません。
大円X(魂)の外周に、○A・○B(それぞれの前世人格)
むしろ、「魂=Xは、次々に現世人格を生み出す」という方が適当であり、これを表現するには、生まれ変わりという言葉ではない新たな概念が必要とされるのではないでしょうか。
もうひとつ問題になるのは、死後の「人格」の状態です。一番右の時点で、AとBは、どういう状態で何をしているのでしょう。一般的に、死後存続説というものは、単に「残る」ということではなく、「活動を続ける」ということを含意しています(古代ユダヤ教の「冥府での眠り」――復活を認めないサドカイ派の死後観――はですから死後存続説としては異常説です)。
AとBがそれなりの主体性をもって活動していれば通常の死後存続説に属しますが、単に眠っているように魂にくっついていたり、ただCを見守る(あるいはメッセージを送る)といったことしかしていないのなら、それは死後存続説としてはかなり異常です。
つまり、このような捉え方(あくまでこの図のような捉え方ということ)は、「生まれ変わりの否定」であり、場合によっては(死後人格の活動状態いかんによっては)、死後存続の否定にもなりかねないということになります。
(中略)
死後存続研究者(たぶんデュカスだったと思います)が言った「死後存続については、どういう条件が満たされると証明されたことになるのか、まったく合意ができていない」という言葉と同様、「生まれ変わりについては、どういう条件が満たされると生まれ変わりが証明されたことになるのか、まったく合意ができていない」ということになっていると思われます。
霊魂仮説を受け入れた人たちの間でも、「何が生まれ変わるか」「生まれ変わりの定義とは何か」についてすら、合意ができていないようです。
「永遠なる自由――霊的哲学を求めて」より抜粋
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以下は、上記の高森氏の見解に対する私の見解です。
①
さて、上の図で誤解されやすいのは、大円X(魂)の外周に、○A・○B(それぞれの前世人格)が位置づけられていますが、私の概念では、○A・○B(それぞれの前世人格)は、「魂の表層」を構成している前世のものたちであって、それらのものたちは、魂の構成要素であるので、大円X(魂)・○A・○B(それぞれの前世人格)全体を含めて「魂」と呼んでいます。
さらに言えば、○C(現世人格)も、魂の表層に存在しており、この現世人格と前世人格たちを含めて、「魂の表層」なのだということです。
ちなみに、私の言う「魂」は、宗教的な意味は一切ありません。「肉体に入っており、死後肉体から離れて存続する意識体」というほどの意味です。
イアン・スティーヴンソンの提唱している「心搬体(生前の人格・記憶を保って死後存続する意識体)」と同様の概念です。
②
高森氏は、この多面体説では、「個別の人格は生まれ変わりをしない、ということになるということです。
視点を個別人格に取ると、AはBに生まれ変わっておらず、AとBはCに生まれ変わっていません。AとB、A・BとCの間に「カルマ」などの受け渡しがあったとしても、それはAやBが生まれ変わったということにはなりません。むしろ、「魂=Xは、次々に現世人格を生み出す」という方が適当であり、これを表現するには、生まれ変わりという言葉ではない新たな概念が必要とされるのではないでしょうか」という主張をしています。
一方で氏は、「霊魂仮説を受け入れた人たちの間でも、『何が生まれ変わるか』、『生まれ変わりの定義とは何か』についてすら、合意ができていないようです」とも述べています。
生まれ変わりの定義に合意がないのであるなら、この多面体説をもって「生まれ変わり」、つまり、表層の前世のものたちを含めた魂全体が、次の肉体に宿ることをもって、「個別の人格はそのまま生まれ変わりをしないが、それらを包含した魂全体が生まれ変わる」という概念であっても、なんら支障はないと私は思います。
端的に言えば、私の生まれ変わりの概念は、「魂全体が次の肉体に宿ること」を「生まれ変わり」だとしています。
そして、セッションで現れる意識現象の事実は、このことを支持していますから、これまでのスピチュアル霊学一般の見解に反するでしょうが、現時点ではそうと認めるしかありません。
つまり、里沙さんの場合、図の○Aがタエ、○Bがラタラジュー、○Cが現世の里沙、ということであり、このことをもって「生まれ変わり」をしていると私は呼んでいるということです。
多面体説が、「生まれ変わりの否定」になるという高森氏の主張は、氏の概念規定上の見解に過ぎないと思います。
氏が、生まれ変わりの概念に合意がないことを認めているにもかかわらず、生まれ変わりの否定になる、という主張は自己矛盾ではないでしょうか。
③
高森氏の「AとBがそれなりの主体性をもって活動していれば通常の死後存続説に属しますが、単に眠っているように魂にくっついていたり、ただCを見守る(あるいはメッセージを送る)といったことしかしていないのなら、それは死後存続説としてはかなり異常です」という主張は、セッションで現れる「意識現象の事実」に反しています。
前世人格AとBは、友愛を結びながらそれぞれの人生の知恵を分かち合い、それぞれ成長を続けている、というのがセッションで現れる意識現象の事実です。
けっして、「単に眠っているように魂にくっついていたり、ただCを見守る(あるいはメッセージを送る)といったことしかしていない」わけではありません。
そもそも、「魂にくっついている」という認識が誤りです。
くっついているのではなく、魂の表層を構成しているもの、したがって、魂そのものの構成要素です。
だからこそ、セッションにおいて、魂状態の自覚に至れば、タエやラタラジューが顕現化するわけで、彼らが「単に眠っているように魂にくっついていたり」しているわけではないことを、セッション証拠映像を検討すれば誰もが納得されるでしょう。
④
私は、「魂の多面体仮説」=「魂の二層構造仮説」の立証を、催眠を道具に用いて、セッションで確認できた「意識現象の事実」の累積から共通項を抽出する、という方法論で、これまでもやってきましたし、これからもやっていこうとしています。それ以外に「意識」の研究は方法がないと思うからです。
そして、現時点で確認できていることは、AとBとCが同じXに属するものである、という意識現象の事実です。
魂の多面体仮説に基づくSAM前世療法は、こうしたことを探究する有用な道具だろうと思っています。
そして、これまでの探究において、「多面体仮説」=「二層構造仮説」を否定する意識現象の事実はあらわれていないということです。
長々と「生まれ変わり」についての考察を述べてきました。
私の見解は、SAM前世療法の臨床から得てきた知見です。
スティーヴンソンの見解は、前世を記憶する子どもたちの検証から得られた知見です。
高森氏の見解は、過去の「シルバーバーチの霊言」に基づくスピリチュアリズム論的展開です。
ただし、私の生まれ変わり仮説=「魂の二層構造仮説」は、2007年1月23日の私あて第12霊信によって告げられた内容です。(注:私あて全霊信はこのブログで公開してあります)
そして、なぜ私に、過去のスピリチュアリズム霊信にはない、魂の二層構造のような詳しい情報が告げられたのか、という通信霊への問いに対して、2007年1月27日の第15霊信で次のような回答が告げられています。
「尋ねるまでもない、あなたに与えられるべきものが与えられたのだ。そしてこれまでのものたちに与えられるべきものが与えられたのだ。すべては神の計画によっておこなわれている。そして、それら(注:過去のスピリチュアリズム霊信)は誤りではない。それらの霊媒がそう受け取っただけなのだ。それは、真理において生じる矛盾ではなく、言葉の類似性により生まれた適切ではない表現となったものである。それは、そうあるべきであっただけだ。そして、あなたにとってもそうである。あなたには、与えられるべきものが与えられたのだ」
果たして、通信霊の告げた「魂の二層構造」は真理であるのか、それを作業仮説とし、その仮説検証の過程で生まれた前世療法が、SAM前世療法というわけです。
2013年5月29日水曜日
前世人格の存在の座はどこか
魂状態の自覚に至ったことが確認できれば、魂の表層に存在し、主訴に関わっている前世のものを呼び出します。
こうして私は、顕現化した前世の人格と対話し、その苦しみや悲しみを共感的に傾聴します。
現世のクライアントの顕在意識(モニター意識)は、私と前世人格との対話を傍聴しています。
私と前世人格の対話、それを傍聴している現世の顕在意識という三者的構図が、これまでの心理療法になかったSAM前世療法独自・固有のセッション構造といえるでしょう。
前世の人格が苦悩を語ることによって癒しを得ると同時に、傍聴している現世のクライアントの主訴も連動して改善が起こる、というのがSAM前世療法による暫定的治療仮説です。
このことつまり、こうした治療仮説そのものは、通常のカウンセリングと何ら変わりがないものです。
ただカウンセリングの対象が生身の人間ではなく、肉体を持たない前世人格(死者)であるという点に違いがあるだけです。
したがって、カウンセラーは、クライアントと面接しているのではなく、クライアントの前世の人格と面接しているのだ、という明確な自覚のもとでセッションを進めることになります。
非常に信じがたい奇異なカウンセリングに映るでしょうが、SAM前世療法の作業仮説からしてみれば、当然の論理的帰結であり、クライアントの意識現象として現れる確かな事実です。
カウンセラーは、数百年前に人生を終え、当時のままの苦しみや悲しみの感情に苦悩しながら、今も魂の表層に生き続けている前世の人格(死者)と対面するというわけです。
ラタラジュー人格もこうして顕現化し、ネパール語で会話したのです。
ラタラジューが真性異言で会話した事実は、彼が、けっして里沙さんの作り出した架空の人格ではないことを証明しています。
架空の人格が応答型真性異言を話せるはずがありません。
ラタラジューはネパール人として生きたことがあるからこそ、ネパール語で会話できたのだと考えざるをえません。
こうしたことから、魂の表層が前世人格存在の座であり、今も前世の人格が生きて存在している、という作業仮説は正しい可能性があると思われます。
その一つの証拠が、ラタラジューとカルパナさんの次のような現在進行形のネパール語会話です。
※ CL : ラタラジュー人格(被験者里沙) KA : ネパール語話者カルパナ
CL Tapai Nepali huncha?
(あなたはネパール人ですか?)
KA ho, ma Nepali.
(はい、私はネパール人です)
CL O. ma Nepali.
(ああ、私もネパール人です)
この会話のラタラジュー(CL)という顕現化した前世人格は、カルパナさんに対して、明らかに、今、ここで、現在進行形で問いかけています。
つまり、前世人格ラタラジューは、魂表層で今も生きており、それが顕現化して問いかけているとしか考えられません。
こうした事実からも、被験者里沙さんが、ラタラジューであった前世の記憶を想起して語っている、という解釈は成り立たないのです。
応答型真性異言現象においては、それを会話した当事者の「前世の記憶」ではないというほかありません。
さて、私と同じく応答型真性異言の二つの事例を20年ほど前に出版しているイアン・スティーヴンソンは、この現象を次のように述べています。
スティーヴンソンも、応答型真性異言「グレートヒェンの事例」において、真性異言で会話したグレートヒェンを名乗るドイツ人少女を「ドイツ人とおぼしき人格をもう一度呼び出そうと試みた」(『前世の言葉を話す人々』11頁)と記述し、呼び出された前世人格を「トランス人格」(前掲書9頁)と呼んでいます。
さすがにスティーヴンソンも、応答型真性異言で会話している現象は、当事者の記憶想起としてではなく、当事者とは別の、トランス人格(前世人格)が顕現化して会話している、ととらえざるをえなかったのです。
つまり、催眠下で前世人格を呼び出し顕現化させる、というSAM前世療法における私と同様のとらえ方をしています。
おそらく、この被験者も里沙さんのような高い催眠感受性と霊媒能力を持ち、タエやラタラジューの人格同様、催眠下で一気に魂状態になり、その表層に存在している前世人格グレートヒェンが顕現化したと推測してよいように思われます。
こうした海外で発見された催眠下であらわれた2例の応答型真性異言と考え合わせると、前世人格の存在する座は魂の表層である、とするSAM前世療法の作業仮説の検証は、ますます意味深い作業になると思っています。
なぜならば、スティーヴンソンは、呼び出された「トランス人格(前世人格)」が真性異言を話すことまでは言及しても、その「トランス人格(前世人格)」の存在する座はいったいどこにあるのかまではっきり言及しようとしていません。
ただし、彼は、「前世から来世へとある人格の心的要素を運搬する媒体を『心搬体(サイコフォ)』と呼ぶことにしたらどうか」(『前世を記憶する子どもたち』359頁)とまでは提唱しています。
こうした文脈から、おそらくスティーヴンソンは、心搬体(サイコフォ)がトランス人格存在の座であると推測していると思われます。心搬体(サイコフォとは、いわゆる魂と同義です。「魂」という用語にまつわる宗教色を避けるために、「心搬体(サイコフォ)」という新しい中立的用語を提唱しているわけです。
トランス人格存在の座を明確に述べようとしないのは、実証を重んじる科学者としてのスティーヴンソンの慎重な自制からでしょうが、SAM前世療法の作業仮説は、それ以上言及されなかったトランス人格の存在する座までも検証しようとしています。
ところでスティーヴンソンは、次のような謎とその謎解きを次のように述べています。
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「私が特に解明したいと考えている謎に、イェンセンやグレートヒェンが母語(注 スウェーデン語とドイツ語)でおこなわれた質問と同じく、英語でおこなわれた質問に対しても、それぞれの母語で答えることができるほど英語をなぜ理解できたのかという問題がある。イェンセンとグレートヒェンが、かつてこの世に生を享けていたとして、母語以外の言葉を知っていたと推定することはできない。二人は、したがって、自分たちが存在の基盤としている中心人物(注 英語を母語とする被験者のこと)から英語の理解力を引き出したに違いないのである」(『前世の言葉を話す人々』235頁)。
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このことは、ラタラジューにも当てはまる謎です。
なぜ、ネパール人前世人格ラタラジューが、知っているはずのない日本語を理解し、私と対話できるのかという謎です。
これはラタラジューが顕現化した第一回セッションからこだわり続けていた謎でした。
そこで、実験セッションの始めに「ラタラジューはネパール人です。それなのに日本語が分かるということは、翻訳、仲立ちをしているのは魂の表層の『現世のもの』と考えてよろしいですか? 」という質問を里沙さんの守護霊にしたのです。
これに対して、里沙さんの守護霊とおぼしき存在も、そのとおりだ、と認めています。
またこの存在は、魂レベルでは言語の壁がなくなり自然に分かり合える、とも告げています。
つまり、「魂の二層構造仮説」のように、魂の実在を仮定すれば、スティーヴンソンの「特に解明したい謎」に解答が出せるかもしれないということです。
魂の表層に存在し、ラタラジューとつながっている「現世のもの(現世の人格)」が通訳をしているという説明ができることになるのです。
2013年5月12日日曜日
臨死体験と魂の問題
下記にこの記事の当事者であるパーニア氏と、そのインタビュー記事の抜粋を紹介します。
パーニア氏は、ニューヨーク州立大学ストーニーブルック校付属病院の医師で、同大学の蘇生法研究プログラムの主任。北米と欧州の25病院で臨死体験を記録する「Consciousness Project Human」のAWARE調査の責任者として、この現象を科学的に研究している人物である。
パーニア氏はこのほど、新しい著作『Erasing Death: The Science That Is Rewriting the Boundaries Between Life and Death(死を消去する:生と死の境界を書き換える科学)』を刊行した。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・パーニア氏:人が死ぬと、血液の脳への流入がなくなります。血液の流入が一定のレベルを下回ると、電気活動は生じ得ません。脳に何らかの隠された領域があり、ほかのすべてが機能しなくなってもそれが活動していると考えるには、大変な想像力が必要です。
このような観察から、脳と心の相互作用に関する現在の概念に疑問が生じます。従来の考え方は、脳内の電気化学的なプロセスが意識につながっているというものです。死後に電気化学プロセスが起きないことは証明ができるので、この考え方はもう正確ではないのかもしれません。
脳の中には、われわれが発見していない、意識を説明する何かがあるのかもしれません。あるいは、意識は脳とは別個の存在なのかもしれません。
WIRED:それは、意識の超自然的な説明に近いように聞こえますが。
パーニア氏:最高に頭が柔軟で客観的な科学者は、われわれに限界があることを知っています。現在の科学では説明ができないという理由で、迷信だとか、間違っているだとかいうことにはなりません。かつて電磁気など、当時は見ることも測定することもできなかったさまざまな力が発見されたとき、多くの科学者がこれを馬鹿にしました。
科学者は自我が脳のプロセスであると考えるようになっていますが、脳内の細胞がどのようにして人間の思考になりうるのかを証明した実験は、まだ存在していません。
人間の精神と意識は、電磁気学で扱われるような、脳と相互作用する非常に微小なタイプの力ではあるが、必ずしも脳によって生み出されるわけではない、ということなのかもしれません。これらのことはまだまったくわかっていないのです。
WIRED:ただ、最近はfMRIによる脳画像と、感情や思考などの意識状態の関連性が研究されたりしていますよね。脳を見ることで、その人が何を見ているかや、何を夢見ているかがわかるという研究もあります。
パーニア氏:細胞の活動が心を生み出すのか、それとも、心が細胞の活動を生み出すのか。これは卵が先かニワトリが先かというような問題です。(fMRIと意識状態の関連性などの観察から)細胞が思考を生み出すことを示唆していると結論する試みがあります。「これが憂鬱の状態で、これが幸せの状態」というわけです。しかし、それは関連性に過ぎず、因果関係ではありません。その理論に従えば、脳内の活動が停止したあとに、周囲の物事を見たとか聞いたとかいう報告はないはずなのです。脳内の活動が停止したあとも意識を持ち得るのだとすれば、おそらくは、わたしたちの理論はまだ完成していないということが示されているのです。
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さて、「生まれ変わりの実証的探究」の私の立場からすれば、上記パーニア氏の太字部分の医学的見解は、脳以外に意識の存在を示唆しているように思われます。彼は、「現在はっきりとしているのは、(脳死後も)人間の意識が消滅するわけではないということだ」とまで述べているようです。
この見解は、「心・脳二元論」という立場です。
過去にも、W・ペンフィールド、J・エックルズ、R・スペリーなどノーベル賞級の大脳科学者が自らの実験研究の結果、晩年になって「心・脳二元論」を表明しています。
催眠研究者成瀬悟策九大名誉教授・医博も、晩年になって、「脳は心の家来です」と述べています。
SAM前世療法の大前提は、「心・脳二元論」仮説ですから、臨床医学者パーニア氏の最新の上記見解は、我が意を得たりと言いたいところです。
しかし、厳密に検討すると、手放しで喜べるほど、ことは単純ではないようです。
脳死臨床の場で、脳が本当に死んだかどうかを、直接的に観察できる方法は現在ありません。
したがって、「脳が生きて活動しているならこういう現象が観察されるはずだ」ということをいろいろ見ていって、そういった現象がすべて観察されないからこの脳は死んでいるだろう」と推論するわけです。
これが脳死判定の方法論的論理構造です。しかし、「脳が生きている」けれども、「脳の機能発現が観察されない」こともあるのです。
脳が活発に活動しているときには、脳内でものすごい数のパルスが飛び交っており、その影響で頭皮の上に微弱な電流が生じます。これを測定したものが脳波です。つまり、脳波は、脳の電気的活動の有無を直接測定するものではないのです。したがって、脳細胞レベルでは微弱な電気活動がまだ残っている段階でも、フラットな脳波が現れるといわけです。
脳波がフラットの状態であるから脳死である、つまり、脳の機能は停止してる、にもかかわらず意識現象が生じた、だから、意識は死後も消滅しない、という論理は成り立たないのです。
脳波がフラットであっても、脳は生きており、意識がある可能性を排除できないのです。
脳死をほぼ確実に判定できるのは、一定時間の脳血流停止を確認することとされています。
その確認方法として脳の酸素消費を測定する脳代謝検査があります。
細胞は生きている限り、酸素を消費し、ブドウ糖を消費します。細胞が死ねばどちらも消費しません。
それで、理論的には、脳代謝測定が脳死決定の最終的手段とされています。
はたして、パーニア氏は、脳代謝検査などで、一定時間の脳血流停止確認後、その患者の脳血流停止中の意識があったことをもって、「脳死後も意識は消滅するわけではない」と述べているのでしょうか。
それはまずありえないでしょう。脳細胞の血流が一定時間停止すれば脳細胞が死滅し、脳の復活はありえないので、そもそも脳血流停止中の意識内容を話すことができるはずがないからです。
このように、臨死体験によって、脳とは別に、消滅しない意識(魂)の存在を証明することにも、どうやら「挫折の法則」がはたらいているような気がします。
臨死体験研究者の多くは、医師や心理学者であり、それまでサイキカル・リサーチやスピリチュアリズムが蓄積してきた知見を、知らないかあるいは無視しています。
臨死体験研究の本をいくつも翻訳している超心理学者の笠原敏雄氏は、研究者たちのそうした態度を、先行業績を参照するという科学的手続きを無視したものだ、と指摘してます。
このように、これまでの多くの臨死体験研究では、実証性ということが十分に考慮されているとは思われません。
サイキカル・リサーチ(超心理学)を踏まえたオシスらの研究ですら、超ESP仮説への取り組みが不十分で、理論上の中心主題は残されたままだとしています。臨死体験と死後存続仮説との関係という中心的問題を明らかにすることに対しては、大きな貢献はしていないと私には思えます。
そもそも、臨死体験とは、体験者が生き返っているわけですから、「真の死後の体験」だということには矛盾があります。
呼吸停止・心停止であっても、脳は生きていただろうから、それは脳内現象であり、せいぜい体脱体験と同様のものに過ぎない、という説明が成り立ちます。
脳活動(脳幹活動まで含む)が完全に停止した状態で体験された「パム・レイノルズのケース」(セイボム『続「あの世」からの帰還』)でも、厳密に理論的に検証すると、完璧であるわけではありません。
そして、脳内現象を否定できる、脳細胞が死滅したことが確認された後の臨死体験はありえません。
脳細胞の死滅は、脳の復活不可能な完全な脳死であるからです。臨死体験が報告できるはずがありません。
このように臨死体験の実証的側面は、非常に脆弱なのです。
実証性を別にして考えても、臨死体験には限界があります。仮に、臨死体験者が、死後の世界の入り口まで覗いたとしても、それはあくまで「かいま見た」程度のものでしかありません。前世療法の本をホイットンとともにまとめたライターは、臨死体験を、「国境に足止めされた海外特派員がそこからその国の事情を報告する」ようなものだと表現しています。
2013年4月9日火曜日
死後存続(生まれ変わり)仮説を広める戦略
「ラタラジューの事例の英訳を作成なさるということですが、さまざまな発表の舞台のひとつに、トランス・パーソナル心理学会や超心理学会などのアカデミズムを標榜する舞台での発表をご検討されてはいかがなものかと思量いたします。
バラエティー番組などでセンセーションを巻き起こすことが、おそらく先生の本意とされるところではないのではないかと推察いたします。もちろん、広く生まれ変わりや死後生存の事実を大衆にしらしめるという点では、それもあながち排除すべきものとは思いませんが、単なるセンセーショナリズムに消費されてしまうことを恐れます」
についての回答として、私の現在の立場についてまとめてみました。
SAM前世療法が前提としている「前世」、つまり「死後存続仮説」は、今の科学(医学や臨床心理学や人文科学を含む)が基盤としている「唯物論」とは真っ向から対立します。これに対して、前世を認める立場、死後存続仮説を広める側としては、どのように対応すべきなのでしょうか。
① 実証事例を集め積み上げる
これまで120年に及ぶサイキカル・リサーチ(心霊研究)及び超心理学はこの闘争でしたが、これは実に困難な闘いでした。唯物論側は様々な誹謗や奇説(超ESP仮説)を繰り出して、それらの信憑性を否定してきました。また反唯物論的現象の希少性や「とらえにくさ問題」もあって、戦果ははかばかしくありません。
(こうした歴史については、笠原敏雄編著『サイの戦場』や同氏のホームページ「心の研究室」、明治大学教授石川幹人氏のサイト「メタ超心理学研究室」http://
この道で偉大な業績を上げたのは、イアン・スティーヴンソンの研究です。彼は気の遠くなる時間と手間をかけて、2000例を越す生まれ変わり事例を収集・検証したうえに、否定論者の最後の砦、「超ESP仮説」を棄却しうる「応答型真性異言」や、「前世記憶と一致する先天性刻印(birthmarks)」の事例をもつきとめ、生まれ変わり仮説の実証に大きく貢献しました。このことの説明は、東京スピリチュアリズム・ラボラトリーのホームページ、http://
ところが、こうした実証に対して、唯物論側は、「無視」という態度で終始しています。スティーヴンソンは、4巻にわたる綿密な研究書『再生と生物学』が、広く注目を集めなかったことに失望していたと言います。
生まれ変わり否定論者が、彼の研究をきちんと読んだ後に批判をしているという例は、皆無だと思います。
なお、この立場の研究者は、だいたい生まれ変わり仮説を「受け入れている」とは明確に表明しません。
そう表明するだけで、研究の信憑性が疑われてしまうのです(実はこれは奇妙な話で、例えば最近の新聞で話題になっている宇宙の「暗黒物質」に関する研究では、当人がそれを信じているかどうかは問題にされません。反唯物論現象のみこう した偏見があるのです)。
② 唯物論の論拠が絶対ではないことを論証する
実は、唯物論自体、絶対完璧の基盤を持っているわけではありません。唯物論自体は憶説(信仰)に過ぎませんし、実証主義、数理論理主義、基礎物理学なども、つきつめていくと、様々な論証不能性の壁にぶつかります。
また、科学や医学などを作り上げている知識のある部分は、「欺瞞」や「思い込み」や「政治性」などに汚染されています。一般の人はもちろん、正当科学に従事する人の多くも、こうした議論を知りませんが、現代哲学や物理学の最先端では、「実証」という概念も成立しなくなってきつつあるのです。
こういった議論は、しばしば難解ですが、興味深いものです。『七つの科学事件ファイル』『背信の科学者たち』といった暴露ものなど、考えさせられる著作もかなりあるのです。
ソウルメイトさんの紹介している、牧野尚彦著「ダーウィンよ、さようなら」、マイケル・J・ベーエ著「ダーウィンのブラック・ボックス」、マイケル・デントン著「反進化論」のように、唯物論の代表であるダーウィニズムも、その信憑性は揺らいでいるのです。
③ アカデミズムからの白眼視などどこ吹く風で信じることをやる
へたをすると、狂信家、凝り固まったオカルティストと変わらなくなってしまう危険性があります。
当人の知性、人格などが、きびしく問われ、正常な知性を疑われることになるでしょう。
少なくとも、私の学会発表体験では、アカデミックな催眠関連学会で、前世療法を正当な催眠療法として認知する、あるいはきちんと研究する動きはないと思うしかありません。白眼視されているのです。
また、生命情報科学会、日本サイ科学会など超常現象をまじめに探究する学会においても、生まれ変わりの科学的研究者は見あたらないようです。
したがって、そのような日本において、学会発表してみたところで、まともな議論ができるとは思われません。
私は、大学の研究者ではありませんから、学閥や学統のしばりを受けることなく、実践者としての自己責任で、「アカデミズムの白眼視など、どこ吹く風」とうそぶいて、我が道を行くことができる立場です。
④ 広く一般の人々の支持に訴える
唯物論信仰に深く汚染されていない、多くの人々は、反唯物論的現象への拒否反応も少ないようです。
むしろ、「チャネリング」、「ヒーリング」、「マヤ暦」などの流行に見られるように、唯物論にとらわれない柔軟な立場の動きは、ますます大きくなっているようにも思われます。
アカデミズムの威光からの離反も、かなり顕著になってきているような気配もあります。
ニューエイジャーの人々の言うように、人類は意識革命をしつつあるのかもしれません。
そうした動きと連動する道を探るという戦略です。
ただし、③と同じく、へたをすると「怪しい霊能者」と変わらなくなるでしょう。そこに一線を引くのは、誰もが納得できる「事実」に立脚した議論を第一義とすることです。
そして、生まれ変わりに関する、実証なき千万の教説より、たった一つの実証の事実に依って立つ立場を信条にしています。
前世療法を擁護したい人、特に実践者は①の立場を堅持してもらいたいと願うのですが、現実にはめったに実証性のあるデータは出てこないかもしれません。しかし、①のデータが完全でなくとも、ある程度の納得のできる実証が確認できれば、それを根拠に、③や④の戦略も、また有効性を持つはずだと思います。
特に言いたいことは、③の道において、私が明確に表明しているように、「死後存続仮説(生まれ変わり仮説)」」を受け入れる」という立場は、サイキカル・リサーチや超心理学、特にスティーヴンソンの研究が蓄積されている現在、まったく「理性を疑われる」ようなものではなくなっているのではないかということです。
つまり、ちゃんと先行研究を勉強すれば、論拠は十分にあるよ、と言えるようになるはずだと思います。
逆に、態度を留保し、明確な立場表明の回避を重ねている(あるいは人生論ないし思想という安全地帯に逃げている)一部の「前世物書き」、しかも実証の努力もしていない人々は、不徹底なのではないかと思います。(それぞれ立場や事情もあり一概に非難できないでしょうが)。
また、④の道を探れば、あまり細かいことを言わずに、「何でもあり」でやってみる、前世体験をしてみたい人にどんどんやってあげて、納得する人が少しでも増えればOKというのもありかな、と思っている次第です。
私が、『前世療法の探究』、『生まれ変わりが科学的に証明された!』の2冊を出版し、「タエの事例」、「ラタラジューの事例」の二つをアンビリバボーで放映することを決意し、今また自主制作映画『催眠・魂・生まれ変わりの真実』の上映会を各地で催してもらっているのは、③④の戦略を念頭においているものです。
このブログを立ち上げたのも同様の動機からです。うれしいことに、平均毎日500アクセス前後の人々がおいでくださいます。
そして、今後、「ラタラジューの事例」証拠映像の英訳版を、動画で海外に発信していく予定です。
そして、英訳にすでにとりかかってくださっている協力者がおいでになります。
そもそも、SAM前世療法の作業仮説そのものが、霊的存在を名乗るものが教えたことですし、彼らが繰り返し告げていることは、「生まれ変わりの事実(霊的存在の実在を含めた霊的真理)」を広めよ、ということなのです。
※注 この記事は、かつて高森光季氏が提案されたものに手を加えたものです。