前ブログ記事、コノハナサクヤヒメの降霊とおぼしき現象の後日談です。
ただし、ここに紹介する記事はコノハナサクヤヒメの降霊という不思議現象の一つの解釈であり、実証的探究ではありません。
日本神話に登場するコノハナサクヤヒメと、クライアントと、筆者との三者にまつわるお話として、前ブログ記事と併せて気楽にお読みください。
さて、降霊したコノハナサクヤヒメが、なぜ「世の女性のすべての悲しみを担っている」と語ったのか、そのわけは次の神話にあると思われます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「コノハナサクヤヒメ、あなたはたった一夜で子どもができたと言いますが、そんなはずはない。その子はきっとほかの国つ神(くにつかみ)の子だろう」
ニニギノミコトのこのひと言はコノハナサクヤヒメの心をとても傷つけました。
コノハナサクヤヒメは
「私はこれからお産の準備をします。もしあなたが言うとおり、生まれてくる子どもがほかの国つ神の子であるなら無事に生まれてはこないでしょう。しかし、あなたの子であるなら、たとえ火の中でもきっと無事に生まれてくることでしょう」
こう告げると、コノハナサクヤヒメは出口のない大きな産屋(うぶや)をつくらせました。そして中へ入ると、まわりを土で塗(ぬ)りふさいでこもってしまいました。
やがて出産の時が近づきました。
するとコノハナサクヤヒメは産屋のまわりにみずから火を放ったのです。そして、燃えさかる炎の中で三人の男の子が生まれました。
三人の名は、火が燃えさかる時に最初に生まれた子がホデリ(火照)。次に火の勢いがより強くなった時に生まれた子がホスセリ(火須勢理)。最後に火がおとろえてきた時に生まれた子どもがホオリ(火遠理)です。のちに、ホデリは海幸彦、ホオリは山幸彦と呼ばれるようになりました。
こうしてコノハナサクヤヒメは炎の中で無事に三人の子どもを生み、身の潔白(けっぱく)は証明されたのですが、ニニギノミコトから疑(うたが)われたことにひどく傷つき、それからもニニギノミコトに心を開くことはありませんでした。
「ひむかし神話街道」より
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ニニギノミコトから求愛され、一夜の契りによって身籠もったコノハナサクヤヒメは、たった一夜の契りで子ができるはずがないとニニギノミコトからの疑惑の言葉に深く傷つきます。
疑惑を晴らすために産屋に火を放ち、炎の中で三つ子を出産し、みごと疑惑を晴らすのですが、疑惑の言葉を口走ったニニギノミコトに二度と心を開くことはなかったといいます。
この神話の筋書きに照らすと、コノハナサクヤヒメがセッション中に語った「世のすべての女性の悲しみを担っている」という意味が浮かび上がってきます。
つまり、「愛する男性から疑惑の言葉を投げつけられ、傷つき、嘆き、心を開くことができなくなったことに象徴されるような、男性不信への深く重い悲しみ」とでも言うべきものでしょう。コノハナサクヤヒメは、世のすべての女性のそのような悲しみを担っているのだ、ということです。
降霊現象を起こした女性クライアントの主訴は、幼少より心の深いところにある重い悲しみと、男性に対する理由不明の不信感によって、親密な男女関係が結べないことにありました。また、言葉を綴ることに理由のない不安がわき起こり、手紙や電子メールが書けないという悩みを抱いていました。
実はこの女性へは、コノハナサクヤヒメの降霊現象の起きたセッションの11日前に、同様の主訴改善のためにすでに第1回のセッションをしていました。以下はその第1回セッションの概要です。
SAM前世療法の定式にしたがって、魂状態の自覚まで誘導し、「男性に対する理由不明の不信感によって、親密な男女関係を妨げている前世の者は出ておいでなさい」という暗示をしてみました。
そこで顕現化した者は、「私は異次元の存在です」、「言葉は裏表があっておそろしい。言葉は誤解を生むものです。言葉は誤解無しに遣うことはできないものです」と語りました。
筆者は、理解不能な「異次元の存在」を憑霊現象とは思わないで、「前世の者」として扱ったままヒーリングを施し、この第1回のセッションを終結しました。
「前世が異次元の存在である者」と「言葉に対する不信感」との結びつきがどうもすっきりしない、という不全感を残したセッションでしたが、その日のうちに「メールができるようになりました」というクライアントの喜びの報告メールをもらって、少し救われた気持ちになったものでした。
こうした第1回セッションの経緯がありましたので、前ブログで紹介した第2回セッションで顕現化(降霊)したコノハナサクヤヒメに、「あなたは前回のセッションで『異次元の存在』だと告げていますか?」と尋ねたところ、「そのとおりです」という回答でした。
この回答と、紹介したコノハナサクヤヒメの出産に関わる神話を重ね合わせた結果、この女性クライアントの主訴の秘密とコノハナサクヤヒメの降霊との不思議な関係が、筆者のなかで次のように氷解していきました。
①第1回セッションで、「異次元の存在」だと告げたコノハナサクヤヒメは、求愛の熱い言葉をかけられ、契りを結んだニニギノミコトから、手の平を返したような疑惑の冷たい言葉を投げつけられた。だから、「言葉は裏表があっておそろしい。言葉は誤解を生むものです。言葉は誤解無しに遣うことはできないものです」というコノハナサクヤヒメの語った言葉への不信感、恐怖感は、ニニギノミコトの豹変した態度によって植え付けられた。
②コノハナサクヤヒメは、求愛したニニギノミコトに心を許し、一夜の契りを結んだにもかかわらず、身に覚えのない疑惑をかけられた。愛する男性から疑われ、深く傷つき悲しみ、炎の中での出産によって身の潔白を晴らしたものの、二度とニニギノミコトに心を開くことはできなくなった。こうした、ぬぐいがたい男性不信の感情も、愛するニニギノミコトによって植え付けられた。
こうして、コノハナサクヤヒメは、愛するニニギノミコトに手痛く裏切られ、深く傷つき、重い悲しみと男性不信の感情を抱くことになり、男性に心を開くことができなくなった。
③こうした経緯から、コノハナサクヤヒメは、「神」として、自分の被ったような悲しみを抱く世の女性すべての悲しみを担うことになった」と告げたと思われる。
④そして、コノハナサクヤヒメは、第2回セッションにおいて次のようにも告げている。
幼少から冨士浅間神社に参拝を続け、霊媒体質をもつクライアントの女性に、コノハナサクヤヒメはたびたび降霊を繰り返した。そして、自分(コノハナサクヤヒメ)の担っている世のすべての女性の悲しみと、言葉への不信と恐怖の感情を訴えてきた。
その結果、クライアントに、主訴である「重く深い悲しみの感情」や「言葉に対する不信と恐怖」、「男性との親密な関係を忌避する理由不明の感情」などを抱かせることになったことを認めている。
⑤こうしてクライアントは、浅間神社の氏子であり、幼少より神社の向かいに住み、コノハナサクヤヒメと縁が深いとも言える筆者にセッションを依頼することとなった。
コノハナサクヤヒメのコノハナ(木花)は桜の花を指すともいう。
浅間神社境内の桜満開の日、しかも浅間神社の春の例祭を間近に控えた日のセッションに、コノハナサクヤヒメが降霊するという意識現象が生じたことを、まったくの偶発現象として片付られないような幾つかの符合が重なっている。
クライアントが、4月22日の春の例祭の直前に、そして桜が散る前に、どうしてもセッションを受けたいという切迫感に促されてやってきたことは、偶然ではないかもしれない。
以上がコノハナサクヤヒメと名乗る存在の降霊現象についての後日談です。
読者のみなさんが、コノハナサクヤヒメの降霊現象とクライアントの主訴、そして、筆者とコノハナサクヤヒメとの縁などの不思議な符合を感じながら楽しくお読みくださったなら、うれしく思う次第です。
わたしは臨床催眠実践者です。登録商標を取得した「SAM前世療法」の実践によって、魂状態の自覚とともに前世人格の顕現化などが「意識現象の事実」として確認できます。それらの意識現象について、生まれ変わりの先行研究と科学的方法論に基づく検証結果についての考察を公開していきます。「意識現象の事実」の真偽について、「観念より事実」、「理屈より実証」をコンセプトに検証と考察を深める実践を続けています。なお、このブログは、諸宗教との関わりは一切ありません。
2012年4月24日火曜日
2012年4月19日木曜日
催眠によって偶発した不思議な意識現象
ここに紹介するのは、SAM前世療法中に偶発した不思議な意識現象です。
顕現化した存在の真偽が検証不能で、その意味では実証的探究とは相容れない内容です。
クライアントは、40代独身女性。
主訴は、幼少から存在している心の深部にある、重く、深い悲しみの感情の解消。この女性は、同時に、男性に対して心を開いた親密な異性関係を結ぶことができない原因不明の悩みを抱いていました。これまで、様々な療法を試みるも、改善に向かうことがなかったということでした。
以下はタイトルの不思議な意識現象を起こしたセッション後のクライアントの感想です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(前略)
あらためまして昨日は本当にありがとうございました。
自分でもにわかには信じ難いことで、今でも困惑していますが、起きた現象をありのままに受け入れていただいたことを本当にありがたく思います。
先生のお陰で、自分の体験を否定せずに済み、その後の自分の変化を抵抗なくうれしく受け入れることができます。
とにかく気持ちが楽になりました。
常に感じていた心の奥の蓋のようなものが開いて、重い閉塞感が解放されました。
胸の痛みはまだあるのですが、伺う前に比べてずっと楽になりました。
インナーチャイルドの癒しの効果も静かに感じています。ほんとうにありがとうございました。
実は、今回はなぜか、どうしても急いでお願いしなくては・・・桜の花が散る前に行かなくては・・・と差し迫るものをほぼ強迫観念的に感じてご無理をお願いした次第です。
(中略)
前日に勝手なお願いをし、本当に申し訳なく思いつつ、一刻も早くセッションを受けに行きたいという衝動をどうしても止められませんでした。
今にして思えば、これはコノハナサクヤヒメ様の思いだったのかも・・・と思います。
理由もなくなぜか4月22日の前までに行かなくては・・・と必死でしたので。
コノハナサクヤヒメ様は先生とお話されたかったのではと思います。
私は、モニター意識がしっかりあったので、催眠中の自分のものとは思えない)感情や思いを今も覚えているのですが。
あのすさまじい悲しみのその下に、すべての女性への深い慈愛が感じられて、私たちはこんなふうに大切に思われていたんだ・・・と感動しました。
コノハナサクヤヒメ様は「この悲しみを、すべての女性の悲しみを、癒してくださりありがとう」と、先生にとても感謝していらっしゃいました。
これは後から自分で思ったのですが、先生のヒーリングは一なる神からの光から来るものだということを、はっきり知らせるために、コノハナサクヤヒメのような神様の心の傷をも癒せることをお知らせしたかったのでは、と思いました。
また催眠時の感覚の記憶に戻りますが、先生をすごく愛しく思っていらっしゃるのを感じました。
お話しているあいだ中、ハートの奥に深く深く暖かいものを感じていました。
4月22日の浅間神社の春の祭礼には、また降りておいでになりますか、とを先生がおっしゃると、キラキラしたイメージが湧きました。
声には出来ませんでしたが、楽しみにされているようでした。
勝手なフィードバックをいたしました。
自分にとっての真実を、そのままお伝えさせていただこうと思い、失礼いたしました。
(後略)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
上記文面からお分かりのように、偶発した不思議な意識現象とは、コノハナサクヤヒメを名乗る霊的存在の降霊とおぼしき現象です。
SAM前世療法の定式にしたがって、クライアントを魂遡行催眠まで誘導し、「幼いときから存在している心の深いところにある、重く、深い悲しみの感情を引き起こしている前世の者は出ておいでなさい」と呼びかけたところ、どうやら霊的存在の憑依現象が生じました。
霊の身元を思いつくままに尋ねていったところ、「あなたはコノハナサクヤヒメですか?」という問いかけに応じて、突然堰を切ったように号泣と身もだえが始まりました。
コノハナサクヤヒメの名を問いかけたのは、このクライアントが、セッション前に、国道を挟んで拙宅正面にある冨士浅間神社に参拝していたこと、幼少から彼女の家近くの冨士浅間神社への参拝を欠かさずおこなっていたこと、セッション用のシートの位置の延長線上が冨士浅間神社の拝殿真正面に当たること、などの事情を鑑みて当てずっぽうで尋ねてみたというわけです。
顕現化したとおぼしきコノハナサクヤヒメを名乗る存在は、号泣が治まったあとに次のように語りました。
「私は世のすべての女性の悲しみを一身に担っています。私はこの者にたびたび降霊してはそのことを知らせてきました。私の担っているものを癒してもらうたため、にこうして、この者に降りてきました。どうぞあなたの癒しのエネルギーを繋いでください」
筆者は、「あなたのごとく神に祀られている存在は、地上の人間のように、悲しみ苦しむことはなく、そうしたことから超然としておいでではないのですか? また神と呼ばれるあなたのような存在に、地上の人間である私のヒーリングエネルギーで癒すことができるのですか?」と尋ねてみました。
「私は一なる神ではありません。神の属性をそなえている者です。私の担っている悲しみは世のすべての女性のものなのです。あなたのヒーリングエネルギーは、その根源は一なる神から贈られる光です。その光によって私を癒すことができます。それは世の女性すべてを癒すことでもあるのです」という答えでした。
SAMの作業仮説では、憑霊は霊体に起こるとしていますから、クライアントの脳天チャクラに手をかざし霊体へヒーリングエネルギーを注ぎ、エネルギーの放射感覚が穏やかになるまでヒーリングをしました。
「ありがとう。私は、浅間神社の向かいに住むあなたを幼少のころから護ってきました。今ではあなたがセッションをおこなうこの部屋を整えています。霊的真理を広めるという神の計画を進めるために、あなたの守護霊団からの依頼を受けているからです」
「今までそうとは知らず、ありがとうございました。私は小学校1年生のとき浅間神社の拝殿に入り込み、ご神体が何であるか扉を開いて暴いたことがあります。小さな銅鏡が治めてあり、これを依り代と知らなかった私は、大人たちはこんな鏡をありがたがって拝んでいたのか、と馬鹿にして笑ったことがあります。失礼をどうぞお許しください。今月22日は浅間神社の春の祭礼です。私は自治会役員として神事に参列します。あなたは、この日の神事に降りておいでくださいますか?」
「あなたが拝殿に上がり込んでいたずらをしたことは知っております。22日の祭礼には降りてまいります」
この会話をしながら、クライアントは高貴な表情でにっこり微笑みました。
「それでは22日にまたお会いできることを楽しみにしております。今日はこの者に降りておいでになり、こうしてあなたとお話ができてほんとうに楽しゅうございました。それでは、どうぞこの者から憑依を解いてください」
ざっと、このような会話をコノハナサクヤヒメを名乗る存在としました。
この信じ難いセッションについては様々な解釈が可能でしょう。
しかし、この不思議なセラピイの第一義が、「常に感じていた心の奥の蓋のようなものが開いて、重い閉塞感が解放されました」というクライアントの心理的改善にあることは揺らぐことがありません。
そのために、セラピストもクライアントも、このように起こった不思議な意識現象をありのままに受け止め受け入れる、という現象学的態度が適切であろうと思います。
顕現化した存在の真偽が検証不能で、その意味では実証的探究とは相容れない内容です。
クライアントは、40代独身女性。
主訴は、幼少から存在している心の深部にある、重く、深い悲しみの感情の解消。この女性は、同時に、男性に対して心を開いた親密な異性関係を結ぶことができない原因不明の悩みを抱いていました。これまで、様々な療法を試みるも、改善に向かうことがなかったということでした。
以下はタイトルの不思議な意識現象を起こしたセッション後のクライアントの感想です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(前略)
あらためまして昨日は本当にありがとうございました。
自分でもにわかには信じ難いことで、今でも困惑していますが、起きた現象をありのままに受け入れていただいたことを本当にありがたく思います。
先生のお陰で、自分の体験を否定せずに済み、その後の自分の変化を抵抗なくうれしく受け入れることができます。
とにかく気持ちが楽になりました。
常に感じていた心の奥の蓋のようなものが開いて、重い閉塞感が解放されました。
胸の痛みはまだあるのですが、伺う前に比べてずっと楽になりました。
インナーチャイルドの癒しの効果も静かに感じています。ほんとうにありがとうございました。
実は、今回はなぜか、どうしても急いでお願いしなくては・・・桜の花が散る前に行かなくては・・・と差し迫るものをほぼ強迫観念的に感じてご無理をお願いした次第です。
(中略)
前日に勝手なお願いをし、本当に申し訳なく思いつつ、一刻も早くセッションを受けに行きたいという衝動をどうしても止められませんでした。
今にして思えば、これはコノハナサクヤヒメ様の思いだったのかも・・・と思います。
理由もなくなぜか4月22日の前までに行かなくては・・・と必死でしたので。
コノハナサクヤヒメ様は先生とお話されたかったのではと思います。
私は、モニター意識がしっかりあったので、催眠中の自分のものとは思えない)感情や思いを今も覚えているのですが。
あのすさまじい悲しみのその下に、すべての女性への深い慈愛が感じられて、私たちはこんなふうに大切に思われていたんだ・・・と感動しました。
コノハナサクヤヒメ様は「この悲しみを、すべての女性の悲しみを、癒してくださりありがとう」と、先生にとても感謝していらっしゃいました。
これは後から自分で思ったのですが、先生のヒーリングは一なる神からの光から来るものだということを、はっきり知らせるために、コノハナサクヤヒメのような神様の心の傷をも癒せることをお知らせしたかったのでは、と思いました。
また催眠時の感覚の記憶に戻りますが、先生をすごく愛しく思っていらっしゃるのを感じました。
お話しているあいだ中、ハートの奥に深く深く暖かいものを感じていました。
4月22日の浅間神社の春の祭礼には、また降りておいでになりますか、とを先生がおっしゃると、キラキラしたイメージが湧きました。
声には出来ませんでしたが、楽しみにされているようでした。
勝手なフィードバックをいたしました。
自分にとっての真実を、そのままお伝えさせていただこうと思い、失礼いたしました。
(後略)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
上記文面からお分かりのように、偶発した不思議な意識現象とは、コノハナサクヤヒメを名乗る霊的存在の降霊とおぼしき現象です。
SAM前世療法の定式にしたがって、クライアントを魂遡行催眠まで誘導し、「幼いときから存在している心の深いところにある、重く、深い悲しみの感情を引き起こしている前世の者は出ておいでなさい」と呼びかけたところ、どうやら霊的存在の憑依現象が生じました。
霊の身元を思いつくままに尋ねていったところ、「あなたはコノハナサクヤヒメですか?」という問いかけに応じて、突然堰を切ったように号泣と身もだえが始まりました。
コノハナサクヤヒメの名を問いかけたのは、このクライアントが、セッション前に、国道を挟んで拙宅正面にある冨士浅間神社に参拝していたこと、幼少から彼女の家近くの冨士浅間神社への参拝を欠かさずおこなっていたこと、セッション用のシートの位置の延長線上が冨士浅間神社の拝殿真正面に当たること、などの事情を鑑みて当てずっぽうで尋ねてみたというわけです。
顕現化したとおぼしきコノハナサクヤヒメを名乗る存在は、号泣が治まったあとに次のように語りました。
「私は世のすべての女性の悲しみを一身に担っています。私はこの者にたびたび降霊してはそのことを知らせてきました。私の担っているものを癒してもらうたため、にこうして、この者に降りてきました。どうぞあなたの癒しのエネルギーを繋いでください」
筆者は、「あなたのごとく神に祀られている存在は、地上の人間のように、悲しみ苦しむことはなく、そうしたことから超然としておいでではないのですか? また神と呼ばれるあなたのような存在に、地上の人間である私のヒーリングエネルギーで癒すことができるのですか?」と尋ねてみました。
「私は一なる神ではありません。神の属性をそなえている者です。私の担っている悲しみは世のすべての女性のものなのです。あなたのヒーリングエネルギーは、その根源は一なる神から贈られる光です。その光によって私を癒すことができます。それは世の女性すべてを癒すことでもあるのです」という答えでした。
SAMの作業仮説では、憑霊は霊体に起こるとしていますから、クライアントの脳天チャクラに手をかざし霊体へヒーリングエネルギーを注ぎ、エネルギーの放射感覚が穏やかになるまでヒーリングをしました。
「ありがとう。私は、浅間神社の向かいに住むあなたを幼少のころから護ってきました。今ではあなたがセッションをおこなうこの部屋を整えています。霊的真理を広めるという神の計画を進めるために、あなたの守護霊団からの依頼を受けているからです」
「今までそうとは知らず、ありがとうございました。私は小学校1年生のとき浅間神社の拝殿に入り込み、ご神体が何であるか扉を開いて暴いたことがあります。小さな銅鏡が治めてあり、これを依り代と知らなかった私は、大人たちはこんな鏡をありがたがって拝んでいたのか、と馬鹿にして笑ったことがあります。失礼をどうぞお許しください。今月22日は浅間神社の春の祭礼です。私は自治会役員として神事に参列します。あなたは、この日の神事に降りておいでくださいますか?」
「あなたが拝殿に上がり込んでいたずらをしたことは知っております。22日の祭礼には降りてまいります」
この会話をしながら、クライアントは高貴な表情でにっこり微笑みました。
「それでは22日にまたお会いできることを楽しみにしております。今日はこの者に降りておいでになり、こうしてあなたとお話ができてほんとうに楽しゅうございました。それでは、どうぞこの者から憑依を解いてください」
ざっと、このような会話をコノハナサクヤヒメを名乗る存在としました。
この信じ難いセッションについては様々な解釈が可能でしょう。
しかし、この不思議なセラピイの第一義が、「常に感じていた心の奥の蓋のようなものが開いて、重い閉塞感が解放されました」というクライアントの心理的改善にあることは揺らぐことがありません。
そのために、セラピストもクライアントも、このように起こった不思議な意識現象をありのままに受け止め受け入れる、という現象学的態度が適切であろうと思います。
2012年4月14日土曜日
ラタラジューの再顕現化とその懐疑
前ブログに紹介した実験セッションは、魂の実在と生まれ変わりの事実を検証するためのデモンストレーションとしておこなったものです。
被験者の里沙さんとは事前の打ち合わせを一切せず、SAM前世療法の定式にしたがって魂状態まで導くことだけを予告してありました。
セッションの見学者は8名です。
したがって、この実験セッションには8名の証人があります。
前ブログのラタラジューの生年・没年の特定以外にも興味深い意識現象が現れていますので、それを紹介します。
魂状態の自覚に至った里沙さんに最初におこなったことは彼女の守護的存在の憑依でした。霊界の住人にしか分からないであろう2点の質問と、ラタラジューの呼び出しを許可してもらえるかの確認でした。
①タエの事例、ラタラジューの事例は、偶然あらわれたものか、何か意図によるものか?
②なぜ応答型真性異言という現象がきわめて少ないのか、その理由は何か?
憑依したとおぼしき守護霊の回答は次のようなことでした。
質問①について
タエの事例もラタラジューの事例も、霊界で計画され贈られたものである。この二つの事例によって生まれ変わりが事実であることを地上の人間に知らしめ、その結果、地球の寿命を延ばすことに目的がある。現世の者たちが生まれ変わりを認識することにより、地球環境を守ることが子孫のためであるというより、来世の地球に生まれ変わる自分のためであると切実に考えることになる。その結果、地球の寿命を延ばすことができるのである。
質問②について
応答型真性異言を語れる者は、すぐれた霊媒体質をもっている者に限られる。
ラタラジューは、魂表層の前世人格であるが、その前世人格が現世の里沙に憑依した現象ととらえなさい。そうした前世人格の憑依現象を起こすためには、現世の者がすぐれた霊媒体質である必要があるのだ。
この2つの回答を得たあと、守護霊に、前世のラタラジュー人格を呼び出すことの許可をもらいました。
ラタラジューが顕現化した場合に確認することは2つでした。
①「ラナ」と「30歳」との関係を明らかにし、ラタラジューの生年・没年を特定すること。
②ラタラジューが腹の病気で死んだという語りの裏事情を探ること。
以上の対話は日本語でおこないました。
顕現化したラタラジューの①についての回答の詳細は、前ブログに紹介したとおりです。
②についての回答は大変に陰惨な事実をラタラジューは語りました。
ラタラジューの腹痛の原因は毒を飲まされたからだと言うのです。しかも、正妻ラメリ、正妻以外の8人の妻、息子アディス、娘クジャウスの全員が毒殺されたと語りました。ラタラジュー家は抹殺されたと言うのです。
毒殺によるラタラジュー家抹殺の理由は、支障があるので明かすことは控えます。
こうしたラタラジュー人格の顕現化については、次のような懐疑的解釈も可能です。
里沙さんは、筆者の『生まれ変わりが科学的に証明された!』を読んでいる。その中には、ラナ家に関わる権力闘争とラタラジュが傭兵として参加した推測が書いてある。里沙さんはそうした情報を潜在記憶に蓄えていたから、ラタラジューのふりを役割演技して回答したのだ、という解釈です。
前世人格ラタラジューの顕現化などという生まれ変わりなど想定しなくとも、現世の里沙さん自身の役割演技で説明できる、という解釈です。
もっともな唯脳論(唯物論)的解釈だと思います。そしてこの解釈は、原理的に棄却できません。
そして、こうした徹底的な懐疑をもつことによって、生まれ変わり研究の厳密な科学性が担保されると思います。
この懐疑的解釈に対する筆者の直感的反論を述べてみます。
①ラタラジューに対して、「私はネパール、ナル村の村長ラタラジューです」とネパール語で言ってみなさい、と要求したところ、「Ho Ma Nepali Nallu gaun mukhiya Rataraju (はい、私はネパール、ナル村村長ラタラジューです)」 とよどみなく正しいネパール語で答えた。このネパール語発話は、朗唱型真性異言ではなく応答型真性異言だと判断できる。
②ラタラジューが「毒を・・・」と話し出したと同時に、里沙さんは腹部の激しい痛みによる痙攣症状と嘔吐感で苦しみ出し、その真に迫った苦しみ方は演技による解釈を否定できると判断できた。
以上2点の事実から、役割演技仮説より顕現化仮説のほうが妥当性が高いと思われます。
ただし、Ho Ma Nepali Nallu gaun mukhiya Rataraju という発話も、すでに2009年5月にネパール語対話セッションをしているので、その記憶をもとに、この程度のネパール語なら現世の里沙さんがラタラジューのふりをして発話可能である、と言われればそれまででしょう。
最終的には、ラタラジューの再顕現化を信ずるか否か、ということになりそうです。
生まれ変わりを証明しようとすると、信ずる者には十分な証拠、しかし疑う者には疑う余地を残した証拠というレベルの証拠しか示すことができないというジレンマが絶えずつきまとうのです。
被験者の里沙さんとは事前の打ち合わせを一切せず、SAM前世療法の定式にしたがって魂状態まで導くことだけを予告してありました。
セッションの見学者は8名です。
したがって、この実験セッションには8名の証人があります。
前ブログのラタラジューの生年・没年の特定以外にも興味深い意識現象が現れていますので、それを紹介します。
魂状態の自覚に至った里沙さんに最初におこなったことは彼女の守護的存在の憑依でした。霊界の住人にしか分からないであろう2点の質問と、ラタラジューの呼び出しを許可してもらえるかの確認でした。
①タエの事例、ラタラジューの事例は、偶然あらわれたものか、何か意図によるものか?
②なぜ応答型真性異言という現象がきわめて少ないのか、その理由は何か?
憑依したとおぼしき守護霊の回答は次のようなことでした。
質問①について
タエの事例もラタラジューの事例も、霊界で計画され贈られたものである。この二つの事例によって生まれ変わりが事実であることを地上の人間に知らしめ、その結果、地球の寿命を延ばすことに目的がある。現世の者たちが生まれ変わりを認識することにより、地球環境を守ることが子孫のためであるというより、来世の地球に生まれ変わる自分のためであると切実に考えることになる。その結果、地球の寿命を延ばすことができるのである。
質問②について
応答型真性異言を語れる者は、すぐれた霊媒体質をもっている者に限られる。
ラタラジューは、魂表層の前世人格であるが、その前世人格が現世の里沙に憑依した現象ととらえなさい。そうした前世人格の憑依現象を起こすためには、現世の者がすぐれた霊媒体質である必要があるのだ。
この2つの回答を得たあと、守護霊に、前世のラタラジュー人格を呼び出すことの許可をもらいました。
ラタラジューが顕現化した場合に確認することは2つでした。
①「ラナ」と「30歳」との関係を明らかにし、ラタラジューの生年・没年を特定すること。
②ラタラジューが腹の病気で死んだという語りの裏事情を探ること。
以上の対話は日本語でおこないました。
顕現化したラタラジューの①についての回答の詳細は、前ブログに紹介したとおりです。
②についての回答は大変に陰惨な事実をラタラジューは語りました。
ラタラジューの腹痛の原因は毒を飲まされたからだと言うのです。しかも、正妻ラメリ、正妻以外の8人の妻、息子アディス、娘クジャウスの全員が毒殺されたと語りました。ラタラジュー家は抹殺されたと言うのです。
毒殺によるラタラジュー家抹殺の理由は、支障があるので明かすことは控えます。
こうしたラタラジュー人格の顕現化については、次のような懐疑的解釈も可能です。
里沙さんは、筆者の『生まれ変わりが科学的に証明された!』を読んでいる。その中には、ラナ家に関わる権力闘争とラタラジュが傭兵として参加した推測が書いてある。里沙さんはそうした情報を潜在記憶に蓄えていたから、ラタラジューのふりを役割演技して回答したのだ、という解釈です。
前世人格ラタラジューの顕現化などという生まれ変わりなど想定しなくとも、現世の里沙さん自身の役割演技で説明できる、という解釈です。
もっともな唯脳論(唯物論)的解釈だと思います。そしてこの解釈は、原理的に棄却できません。
そして、こうした徹底的な懐疑をもつことによって、生まれ変わり研究の厳密な科学性が担保されると思います。
この懐疑的解釈に対する筆者の直感的反論を述べてみます。
①ラタラジューに対して、「私はネパール、ナル村の村長ラタラジューです」とネパール語で言ってみなさい、と要求したところ、「Ho Ma Nepali Nallu gaun mukhiya Rataraju (はい、私はネパール、ナル村村長ラタラジューです)」 とよどみなく正しいネパール語で答えた。このネパール語発話は、朗唱型真性異言ではなく応答型真性異言だと判断できる。
②ラタラジューが「毒を・・・」と話し出したと同時に、里沙さんは腹部の激しい痛みによる痙攣症状と嘔吐感で苦しみ出し、その真に迫った苦しみ方は演技による解釈を否定できると判断できた。
以上2点の事実から、役割演技仮説より顕現化仮説のほうが妥当性が高いと思われます。
ただし、Ho Ma Nepali Nallu gaun mukhiya Rataraju という発話も、すでに2009年5月にネパール語対話セッションをしているので、その記憶をもとに、この程度のネパール語なら現世の里沙さんがラタラジューのふりをして発話可能である、と言われればそれまででしょう。
最終的には、ラタラジューの再顕現化を信ずるか否か、ということになりそうです。
生まれ変わりを証明しようとすると、信ずる者には十分な証拠、しかし疑う者には疑う余地を残した証拠というレベルの証拠しか示すことができないというジレンマが絶えずつきまとうのです。
2012年4月9日月曜日
ラタラジューの生年と没年の特定ができました!
拙著『生まれ変わりが科学的に証明された』ナチュラルスピリット、PP.108-109で、以下のように書いています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
⑧Shah(シャハ王朝)とラナとの関係について
ネパール語で対話する前の筆者との日本語対話でラタラジューは、「・・・戦いました・・・ラナ・・シャハ・・・ラナ、戦いをした」とラタラジューは語っています。また、カルパナさんのネパール語対話でも「ラナ」という単語を四度発語しています。シャハ王朝とラナ、および戦いとの関係はいったいどのようなことが推測できるのでしょうか。
シャハ王朝は、1768年に始まり最近廃絶した王朝です。そのシャハ王朝で、1846年以後1951年まで、ネパールを実質支配する独裁権力を振るった宰相家が「ラナ家」です。ラナ家が独裁権力を握るために、1846年に有力貴族を殺害するという流血の権力闘争がありました。また、1885年にはラナ家内部で流血クーデターが起きています。
一方、タエが人柱になったのは1783年(天明三年)です。それ以後にラタラジューとして生まれ変わったとされているのですから、彼がシャハ王朝とラナ家を知っていることに矛盾はありません。したがって、ラタラジューが発語した「ラナ」とはネパール宰相家の「ラナ家」だと推測して間違いないと思われます。とすれば、彼が「戦いました」という語りは、ラナ家がシャハ王朝内の独裁権力を掌握するための1846年の権力闘争あるいは、ラナ家内部の1885年のクーデターに際して、ラタラジューが傭兵として闘争に参加していることを意味していると推測されます。
さらに穿(うが)った推測をすれば、カルパナさんとのネパール語対話の中で「30歳」という年齢を答えた直後に、それに触発された記憶であるかのように「ラナ、ラナ」と発語していますから、ラナ家に関わる闘争への参加はラタラジューが30歳の時だと特定できなくはありません。加えて、彼は若い頃カトマンズに住んで戦ったとも言っています。そのように仮定し、彼が78歳で死亡したとすると、彼の生年・没年は、1816年~1894年、または1855年~1933年となります。里沙さんは1958年生まれですから、いずれの生年・没年でもは矛盾しません。
さらに言えば、30歳で戦いに参加したとすれば、里沙さんの守護霊とおぼしき存在の「ラタラジューは・・・若い頃人を殺しています」という語りにも符合することになります。
ソバナ博士の調査によれば、シャハ王朝が傭兵としてタマン族の青年たちを用いていたことは間違いない事実であるが、どのクーデターのときにどれくらいのタマン族傭兵が参加していたかという数字については定かではないという報告でした。こうして、ラタラジューがラナ家に関わる闘争に傭兵として参加していたのではないかという推測が成り立つための裏付けが検証できたということです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
筆者が、2009年5月の実験セッションで顕現化したラタラジュー人格の語りのなかで、今日まで2年あまりこだわり続けてきた上記ゴチック部分の推測が正しかったことが、ラタラジュー自身の語りから証明できました。
それは、昨日4月8日に里沙さんにお願いして、ラタラジュー人格を呼び出す再セッションに成功したからです。
顕現化したラタラジュー人格への質問によって、彼の口から明確になった事実は以下のことでした。
①30歳のときにカトマンズで生活しており、ラナ家が独裁権力を握るための闘争に傭兵として敵と戦った。
②その戦い参加は、2度のラナ家に関する戦いのうち、1回目の戦いである。
ラタラジューは西暦カレンダーを知りません。しかし、ラナ家の1回目の戦いは史実によって、1846年であることが分かっています。
その1846年に30歳だったと答えています。また、78歳で死亡したと語っています。
これらの語りから生年・没年は計算可能です。
計算の結果、ラタラジューの人生は、1816年に生まれ、78年後の1894年に死亡したことが特定できたということです。つまり、ラタラジューは、今から118年前に死亡しているということになります。
そして、死後64年(1958ー1894)経て、現世の里沙さんとして生まれ変わったことになります。
その前のタエがラタラジューに生まれ変わったのは33年後(1816-1783)ということになります。
このように、セッション中に顕現化した前世人格の生年・没年が特定できた事例は、筆者には初めてのことです。
他の前世療法関連書籍においても、こうした前世の生年・没年が特定された事例を筆者は知りません。
そのほかに、たかだか100年ちょっと前のナル村村長であったラタラジューとその子孫について、2010年当時のナル村村民34名の古老への聴き取り調査によっても、誰一人記憶にとどめていないという不可解な事実の秘密をラタラジューは語ってくれました。
この秘密を明かすことは、支障が生じますので書くことは控えたいと思います。
応答型真性異言が証明されたラタラジュー人格であるので、今回のセッションにおいても、彼の語りの信憑性は高いと判断できると思われます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
⑧Shah(シャハ王朝)とラナとの関係について
ネパール語で対話する前の筆者との日本語対話でラタラジューは、「・・・戦いました・・・ラナ・・シャハ・・・ラナ、戦いをした」とラタラジューは語っています。また、カルパナさんのネパール語対話でも「ラナ」という単語を四度発語しています。シャハ王朝とラナ、および戦いとの関係はいったいどのようなことが推測できるのでしょうか。
シャハ王朝は、1768年に始まり最近廃絶した王朝です。そのシャハ王朝で、1846年以後1951年まで、ネパールを実質支配する独裁権力を振るった宰相家が「ラナ家」です。ラナ家が独裁権力を握るために、1846年に有力貴族を殺害するという流血の権力闘争がありました。また、1885年にはラナ家内部で流血クーデターが起きています。
一方、タエが人柱になったのは1783年(天明三年)です。それ以後にラタラジューとして生まれ変わったとされているのですから、彼がシャハ王朝とラナ家を知っていることに矛盾はありません。したがって、ラタラジューが発語した「ラナ」とはネパール宰相家の「ラナ家」だと推測して間違いないと思われます。とすれば、彼が「戦いました」という語りは、ラナ家がシャハ王朝内の独裁権力を掌握するための1846年の権力闘争あるいは、ラナ家内部の1885年のクーデターに際して、ラタラジューが傭兵として闘争に参加していることを意味していると推測されます。
さらに穿(うが)った推測をすれば、カルパナさんとのネパール語対話の中で「30歳」という年齢を答えた直後に、それに触発された記憶であるかのように「ラナ、ラナ」と発語していますから、ラナ家に関わる闘争への参加はラタラジューが30歳の時だと特定できなくはありません。加えて、彼は若い頃カトマンズに住んで戦ったとも言っています。そのように仮定し、彼が78歳で死亡したとすると、彼の生年・没年は、1816年~1894年、または1855年~1933年となります。里沙さんは1958年生まれですから、いずれの生年・没年でもは矛盾しません。
さらに言えば、30歳で戦いに参加したとすれば、里沙さんの守護霊とおぼしき存在の「ラタラジューは・・・若い頃人を殺しています」という語りにも符合することになります。
ソバナ博士の調査によれば、シャハ王朝が傭兵としてタマン族の青年たちを用いていたことは間違いない事実であるが、どのクーデターのときにどれくらいのタマン族傭兵が参加していたかという数字については定かではないという報告でした。こうして、ラタラジューがラナ家に関わる闘争に傭兵として参加していたのではないかという推測が成り立つための裏付けが検証できたということです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
筆者が、2009年5月の実験セッションで顕現化したラタラジュー人格の語りのなかで、今日まで2年あまりこだわり続けてきた上記ゴチック部分の推測が正しかったことが、ラタラジュー自身の語りから証明できました。
それは、昨日4月8日に里沙さんにお願いして、ラタラジュー人格を呼び出す再セッションに成功したからです。
顕現化したラタラジュー人格への質問によって、彼の口から明確になった事実は以下のことでした。
①30歳のときにカトマンズで生活しており、ラナ家が独裁権力を握るための闘争に傭兵として敵と戦った。
②その戦い参加は、2度のラナ家に関する戦いのうち、1回目の戦いである。
ラタラジューは西暦カレンダーを知りません。しかし、ラナ家の1回目の戦いは史実によって、1846年であることが分かっています。
その1846年に30歳だったと答えています。また、78歳で死亡したと語っています。
これらの語りから生年・没年は計算可能です。
計算の結果、ラタラジューの人生は、1816年に生まれ、78年後の1894年に死亡したことが特定できたということです。つまり、ラタラジューは、今から118年前に死亡しているということになります。
そして、死後64年(1958ー1894)経て、現世の里沙さんとして生まれ変わったことになります。
その前のタエがラタラジューに生まれ変わったのは33年後(1816-1783)ということになります。
このように、セッション中に顕現化した前世人格の生年・没年が特定できた事例は、筆者には初めてのことです。
他の前世療法関連書籍においても、こうした前世の生年・没年が特定された事例を筆者は知りません。
そのほかに、たかだか100年ちょっと前のナル村村長であったラタラジューとその子孫について、2010年当時のナル村村民34名の古老への聴き取り調査によっても、誰一人記憶にとどめていないという不可解な事実の秘密をラタラジューは語ってくれました。
この秘密を明かすことは、支障が生じますので書くことは控えたいと思います。
応答型真性異言が証明されたラタラジュー人格であるので、今回のセッションにおいても、彼の語りの信憑性は高いと判断できると思われます。
2012年4月7日土曜日
一斉同時スピリットヒーリングのお知らせ
2012年4月7日(土)21:00~21:10
筆者が媒体になって、桜開花の満月の夜に一斉遠隔ヒーリングをおこないます。
また、参考のために、後日体験談のコメントをお寄せください。
この催しは、3月末のセッションで、クライアントに憑霊したとおぼしき治療霊団の一員である通信霊からのメッセージ(霊信)にしたがっておこなうものです。
その存在は、地上の人間に霊的真理を広めるために一斉スピリットヒーリングを例年のようにおこないなさい、という指示をしてきました。
ちなみに、ここ2年間、実験として桜開花の満月の夜、毎年おこなってきました。プラシーボ効果では説明できない何らかの改善、エネルギー感知の報告をいただいています。
体験のための心構えは、清浄な場所(屋外屋内を問わない)で、安静状態で、リラックスして、起こることを起こるままに受け入れる、という受け身の態度で臨むことです。
腰掛けても、仰臥姿勢でも、座位でも、自分の楽な落ち着ける姿勢でよいのです。
肉体の特定部分に改善を望む場合は、その不都合を起こしている部分に意識を向け、改善を祈りながら待ってください。
そうでない場合は、自分に必要なもっとも適切なエネルギー体験をさせてください、と祈ることです。
通信霊の憑霊現象とメッセージが真実であれば、何らかのエネルギー感知、あるいは不都合の改善があると思われます。
4月7日21:00~21:10、待ち受ける者には、あまねくエネルギーが届けられると思います。
筆者が媒体になって、桜開花の満月の夜に一斉遠隔ヒーリングをおこないます。
また、参考のために、後日体験談のコメントをお寄せください。
この催しは、3月末のセッションで、クライアントに憑霊したとおぼしき治療霊団の一員である通信霊からのメッセージ(霊信)にしたがっておこなうものです。
その存在は、地上の人間に霊的真理を広めるために一斉スピリットヒーリングを例年のようにおこないなさい、という指示をしてきました。
ちなみに、ここ2年間、実験として桜開花の満月の夜、毎年おこなってきました。プラシーボ効果では説明できない何らかの改善、エネルギー感知の報告をいただいています。
体験のための心構えは、清浄な場所(屋外屋内を問わない)で、安静状態で、リラックスして、起こることを起こるままに受け入れる、という受け身の態度で臨むことです。
腰掛けても、仰臥姿勢でも、座位でも、自分の楽な落ち着ける姿勢でよいのです。
肉体の特定部分に改善を望む場合は、その不都合を起こしている部分に意識を向け、改善を祈りながら待ってください。
そうでない場合は、自分に必要なもっとも適切なエネルギー体験をさせてください、と祈ることです。
通信霊の憑霊現象とメッセージが真実であれば、何らかのエネルギー感知、あるいは不都合の改善があると思われます。
4月7日21:00~21:10、待ち受ける者には、あまねくエネルギーが届けられると思います。
2012年3月30日金曜日
解離性同一性障害(多重人格)の考察
前ブログでインナーチャイルドの考察をしましたので、インナーチャイルド 現象と類縁性があると思われる解離性同一性障害(多重人格)について考察をしてみます。
筆者は、SAM前世療法の作業仮説に基づき、顕現化する多重人格の各人格(副人格) は魂の表層に存在する「前世のもの」が、主人格(現世のもの)を人格崩壊から守るために、自動的に(勝手に)顕現化する現象ではないかという可能性を抱いていました。
その根拠は、「タエの事例」、「ラタラジューの事例」を語った里沙さんに、それぞれのセッション後、数回に渡ってタエとラタラジュー人格が自動的に顕現化して、里沙さんに訴えるという現象の報告を受けていたからです。
ただし、里沙さんには、自動的に顕現化しているタエ、ラタラジューについてモニターしている自覚があるといいます。
解離性同一性障害(多重人格)の場合、主人格には、顕現化中の副人格との連絡はないとされています。つまり、主人格は、顕現化中の副人格について何も知らない、分からないということです。
検証結果の結論から言うと、筆者の仮説は、以下に報告するクライアントにおいては成り立ちませんでした。
このクライアントは、22歳会社員の男性です。
2年前から、強いストレスにさらされると、六つの人格が交互にあらわれ、その各副人格顕現化中の記憶がない、という症状に悩んでいるという主訴でした。ただし、勤務継続に支障が出るには至っていませんが、勤務先周囲は人格交替が起こるらしいことに気づいて見守ってくれているということでした。
両親離婚後、再会した母親からのセッション依頼でおこなったセッションです。
クライアントには、幼くして両親離婚、父方に引き取られて育つ過程で相当な精神的虐待を受けていたという生育歴がありました。
主治医の精神科医からは、「解離性同一性障害」の診断を告げられているということでした。
日本では、解離性同一性障害の報告はきわめて少なく、筆者も初めて扱った事例です。
母親立ち会いのもとに慎重に催眠誘導をおこない、魂状態の自覚まで導くと、次から次へと六回の人格交替が起こり、それぞれの副人格が現れました。以下が六つの副人格です。
①正体不明の怒りと苦しみの唸り声を発するだけの男性(ヒーリングして落ち着かせました)
②目に疾患を持つ幼い少女とそれを治療する眼科医(いつもペアで現れるとのこと)
③37歳の落ち着いた知的な女性
④お茶目な若者
⑤落ち着いた老人
⑥五つの副人格たちのリーダーを名乗るもの静かな青年
六つの人格は、それぞれの声音と話しぶりが明確に異なり、それぞれ独自の個性を持つ人格を思わせました。
これら六つの副人格どうしは、互いの存在を知っていますが、主人格は副人格についてまったく知らないという典型的な多重人格(DSM-ⅣーTRによる解離性同一性障害)の症状でした。
対話のできた②③④⑤⑥の副人格に、「あなたは魂の表層にいる前世のものではありませんか?」と尋ねると、回答は全員「ノー」でした。
「ではあなたは、どういう存在ですか?」と尋ねると、「この人(主人格)を守るためにいる」という回答でした。
「この人は、あなたが勝手に現れるので困っています。もうこの人は大丈夫ですから、この人と一つになって勝手に現れることをやめてくれませんか」と繰り返し説得しました。
②③④⑤の副人格は説得に応じ、「この人と一つになる(人格統合する)」と約束してくれましたが、⑥の副人格は、①の凶暴な怒りを持つ副人格が落ち着くまでリーダーの自分が面倒をみる必要があり、まだ一つになることは危険であるので、当面の約束できない、と拒否しました。
結局、①と⑥の副人格は、主人格との統合を最後まで拒否したので、ここで今回のセッションは終結としました。予後を見守り、必要があれば再セッションすることにしました。
こうした、意識現象の事実から、このクライアントにおける副人格は、魂の表層の「現世のもの」が、自分の人格を守るために作り出した架空の人格ではないか、と考えざるをえませんでした。
したがって、多重人格症状における「副人格」=「前世人格」、という筆者の仮説は、この事例からは成り立つ余地はなさそうです。
それにしても、解離性同一性障害(多重人格)において、「架空の副人格が顕現化する」という症状解釈が成り立っているとすれば、前世療法においても、「前世の記憶の想起」ではなく、「前世人格の顕現化」という解釈を、なぜこれまでの前世療法士はしてこなかったのでしょうか。
前世療法において観察できる意識現象の事実を、ありのままに受け取れば、クライアント自身が前世の記憶を語っているのではなく、前世人格が顕現化して対話していると考えることのほうが、はるかに自然であろうと思われるのです。
筆者は、SAM前世療法の作業仮説に基づき、顕現化する多重人格の各人格(副人格) は魂の表層に存在する「前世のもの」が、主人格(現世のもの)を人格崩壊から守るために、自動的に(勝手に)顕現化する現象ではないかという可能性を抱いていました。
その根拠は、「タエの事例」、「ラタラジューの事例」を語った里沙さんに、それぞれのセッション後、数回に渡ってタエとラタラジュー人格が自動的に顕現化して、里沙さんに訴えるという現象の報告を受けていたからです。
ただし、里沙さんには、自動的に顕現化しているタエ、ラタラジューについてモニターしている自覚があるといいます。
解離性同一性障害(多重人格)の場合、主人格には、顕現化中の副人格との連絡はないとされています。つまり、主人格は、顕現化中の副人格について何も知らない、分からないということです。
検証結果の結論から言うと、筆者の仮説は、以下に報告するクライアントにおいては成り立ちませんでした。
このクライアントは、22歳会社員の男性です。
2年前から、強いストレスにさらされると、六つの人格が交互にあらわれ、その各副人格顕現化中の記憶がない、という症状に悩んでいるという主訴でした。ただし、勤務継続に支障が出るには至っていませんが、勤務先周囲は人格交替が起こるらしいことに気づいて見守ってくれているということでした。
両親離婚後、再会した母親からのセッション依頼でおこなったセッションです。
クライアントには、幼くして両親離婚、父方に引き取られて育つ過程で相当な精神的虐待を受けていたという生育歴がありました。
主治医の精神科医からは、「解離性同一性障害」の診断を告げられているということでした。
日本では、解離性同一性障害の報告はきわめて少なく、筆者も初めて扱った事例です。
母親立ち会いのもとに慎重に催眠誘導をおこない、魂状態の自覚まで導くと、次から次へと六回の人格交替が起こり、それぞれの副人格が現れました。以下が六つの副人格です。
①正体不明の怒りと苦しみの唸り声を発するだけの男性(ヒーリングして落ち着かせました)
②目に疾患を持つ幼い少女とそれを治療する眼科医(いつもペアで現れるとのこと)
③37歳の落ち着いた知的な女性
④お茶目な若者
⑤落ち着いた老人
⑥五つの副人格たちのリーダーを名乗るもの静かな青年
六つの人格は、それぞれの声音と話しぶりが明確に異なり、それぞれ独自の個性を持つ人格を思わせました。
これら六つの副人格どうしは、互いの存在を知っていますが、主人格は副人格についてまったく知らないという典型的な多重人格(DSM-ⅣーTRによる解離性同一性障害)の症状でした。
対話のできた②③④⑤⑥の副人格に、「あなたは魂の表層にいる前世のものではありませんか?」と尋ねると、回答は全員「ノー」でした。
「ではあなたは、どういう存在ですか?」と尋ねると、「この人(主人格)を守るためにいる」という回答でした。
「この人は、あなたが勝手に現れるので困っています。もうこの人は大丈夫ですから、この人と一つになって勝手に現れることをやめてくれませんか」と繰り返し説得しました。
②③④⑤の副人格は説得に応じ、「この人と一つになる(人格統合する)」と約束してくれましたが、⑥の副人格は、①の凶暴な怒りを持つ副人格が落ち着くまでリーダーの自分が面倒をみる必要があり、まだ一つになることは危険であるので、当面の約束できない、と拒否しました。
結局、①と⑥の副人格は、主人格との統合を最後まで拒否したので、ここで今回のセッションは終結としました。予後を見守り、必要があれば再セッションすることにしました。
こうした、意識現象の事実から、このクライアントにおける副人格は、魂の表層の「現世のもの」が、自分の人格を守るために作り出した架空の人格ではないか、と考えざるをえませんでした。
したがって、多重人格症状における「副人格」=「前世人格」、という筆者の仮説は、この事例からは成り立つ余地はなさそうです。
それにしても、解離性同一性障害(多重人格)において、「架空の副人格が顕現化する」という症状解釈が成り立っているとすれば、前世療法においても、「前世の記憶の想起」ではなく、「前世人格の顕現化」という解釈を、なぜこれまでの前世療法士はしてこなかったのでしょうか。
前世療法において観察できる意識現象の事実を、ありのままに受け取れば、クライアント自身が前世の記憶を語っているのではなく、前世人格が顕現化して対話していると考えることのほうが、はるかに自然であろうと思われるのです。
2012年3月27日火曜日
インナーチャイルドについての考察
一般的なインナーチャイルドセラピイは、記憶催眠(深い深度の催眠)まで誘導の後、年齢退行によって「傷ついている子どもの意識」を探り出し、癒すということになっています。
SAMの仮説では、魂は二層構造になっており、その表層は前世のものたちによって構成されている、という前提に立ちます。ちょうどミラーボールの球表面に一枚一枚の鏡の断片が張り付いているように、魂の表層も一人一人の前世のものたちが張り付いていると考えるといいかもしれません。それら前世のものたちが、潜在意識・意識を作り出しているということもSAMの仮説です。
そして、魂の表層には「現世のもの」が位置付いています。この「現世のもの」は、現世に誕生して以後の現世での潜在意識・意識を作り出しているものということになります。
したがって、魂の表層の「現世のもの」に、インナーチャイルドと呼ばれる「子どもの人格」が内在している、と考えることになります。つまり、インナーチャイルドを、「傷ついている子どもの人格」そのものとして扱うわけです。
「大人の私」の人格が、子どもであったときに傷ついた記憶を想起して語る、という立場をとりません。
以上の仮説に基づき以下の手順で、SAM前世療法によるインナーチャイルドセラピイを実験的におこないました。
被験者は、32歳男性です。彼は、自分に向けられた叱声はもちろん、他人が受けている叱声にも過剰に反応し、異常なほどの恐怖感と激しい動悸に襲われるという症状を持っていました。特に大声で叱声を浴びると、耐えられないほどの恐怖と動悸に襲われると訴えました。そこで、インナーチャイルドセラピイを依頼されたというわけです。
①魂遡行催眠まで誘導し、魂の自覚状態に至っていることを確認する。
②魂の表層の「現世のもの」を呼び出し、顕現化させる。
③「現世のもの」の内部に存在する、症状を作り出すことによって、苦しみ訴えている「子どもの私」の人格を呼び出す。
④「子どもの私」の人格が、どのような原因から傷つき、苦しんでいるのかを対話によって聞き出す。
⑤苦しみに共感的理解をしてやりながら、さらに癒しが必要だと訴えればヒーリングをおこなう。
その結果、呼び出しに応じて現れた被験者の「子どもの私」の人格は2歳でした。子どもどうしで遊んでいるときに、遊び相手の子どもと大声でわめきながらオモチャの奪い合いになり、そのオモチャで気を失うほど激しく殴られたということでした。その傷つきの恐怖体験を持つ「子どもの私」の人格が、「大人の私」に、類似のことが起こる度に恐怖感と動悸を起こさせて、自分の傷つきを訴えているということでした。
こうした対話をした後、この「子どもの私」にヒーリングをしてセッションを終結しました。
もう1例は、30代女性の事例です。
このクライアントの主訴は、家庭外で昼食をとるときに決まって起こる腹痛の改善でした。
良好な深い催眠(記憶催眠)状態を確認し、主訴に関わるトラウマが生じた時点まで年齢退行をしてみました。
その結果、小学校3年生のときに生じたトラウマであることを確認しました。
このクライアントはSAM前世療法の体験者です。そのため、どうやら記憶催眠から魂遡行状態に移行し、トラウマを訴える小学校3年生の少女の人格が顕現化しました。
担任の女性教師に給食を全部食べることを強要され、もう一人やはり食べられない同級生の女の子と二人、毎日掃除の時間に、脇で学級の仲間が掃除をしている埃の漂う教室で給食を食べさせられていた辛さを泣きながら訴えました。自分は胃腸が弱く食が細いので、とても給食を残らず食べられないのだと訴えるのです。
そうした苦痛が1年間続いたのです。
さらに、担任から「いくら勉強ができても、給食が食べられない子は悪い子です」と決めつけられ、自分は悪い子なんだと、「小学校3年生の私」の人格は激しく泣きました。その口調は、10歳の少女としか思われないものでした。
この少女は、給食が全部食べられないことで、「悪い子」だと全人格を否定されていると思い込んでいました。
こうして、少女の人格は、自分の辛さと苦しみを、昼食時の腹痛という症状によって「大人の私」に、訴えているというのです。
筆者は、10歳の少女人格に正対し、説得を続け、納得を確認したうえで、これからは「大人の私」に腹痛という形で訴えをしないことを約束してもらいました。
以下はセッション後のクライアントの感想の一部です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
前回のイメージ療法と昨日先生にして頂いたセッションを併せて考えてみますと、おそらく前回のイメージ療法は、単に浮かんで来た映像の表面のみをきれいに修飾したに過ぎなかったため、その内に潜んでいたインナーチャイルドの人格は、訴えを聞いてもらえず、不満や悲しみが未解消のまま存在し、「悪さ」をしていたのではないかと思います。
そして、昨日のセッションでやっと訴えを聞いてもらえるチャンスが来たと、人格が表面に出て来たのではないかと考えました。
大人の自分から見れば既に解決済みの件だと思っていたため、セッション中に当時の幼い人格の気持ち(悲しみ)がそのまま現れ、後から考えるとても不思議な体験でした。
そして、先生がインナーチャイルドの人格と直にお話して共感・説得して下さったため、大きな安堵感と開放感につながりました。
注 「前回のイメージ療法」を施術したのは筆者とは別の催眠療法士です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上のSAM前世療法によるインナーチャイルドセラピイの改善効果の検証はこれからです。
改善効果が確認されれば、魂の二層構造仮説の信憑性を示すことになるでしょうし、新しい発想によるインナーチャイルドセラピイの開発につながると考えています。
SAMの仮説では、魂は二層構造になっており、その表層は前世のものたちによって構成されている、という前提に立ちます。ちょうどミラーボールの球表面に一枚一枚の鏡の断片が張り付いているように、魂の表層も一人一人の前世のものたちが張り付いていると考えるといいかもしれません。それら前世のものたちが、潜在意識・意識を作り出しているということもSAMの仮説です。
そして、魂の表層には「現世のもの」が位置付いています。この「現世のもの」は、現世に誕生して以後の現世での潜在意識・意識を作り出しているものということになります。
したがって、魂の表層の「現世のもの」に、インナーチャイルドと呼ばれる「子どもの人格」が内在している、と考えることになります。つまり、インナーチャイルドを、「傷ついている子どもの人格」そのものとして扱うわけです。
「大人の私」の人格が、子どもであったときに傷ついた記憶を想起して語る、という立場をとりません。
以上の仮説に基づき以下の手順で、SAM前世療法によるインナーチャイルドセラピイを実験的におこないました。
被験者は、32歳男性です。彼は、自分に向けられた叱声はもちろん、他人が受けている叱声にも過剰に反応し、異常なほどの恐怖感と激しい動悸に襲われるという症状を持っていました。特に大声で叱声を浴びると、耐えられないほどの恐怖と動悸に襲われると訴えました。そこで、インナーチャイルドセラピイを依頼されたというわけです。
①魂遡行催眠まで誘導し、魂の自覚状態に至っていることを確認する。
②魂の表層の「現世のもの」を呼び出し、顕現化させる。
③「現世のもの」の内部に存在する、症状を作り出すことによって、苦しみ訴えている「子どもの私」の人格を呼び出す。
④「子どもの私」の人格が、どのような原因から傷つき、苦しんでいるのかを対話によって聞き出す。
⑤苦しみに共感的理解をしてやりながら、さらに癒しが必要だと訴えればヒーリングをおこなう。
その結果、呼び出しに応じて現れた被験者の「子どもの私」の人格は2歳でした。子どもどうしで遊んでいるときに、遊び相手の子どもと大声でわめきながらオモチャの奪い合いになり、そのオモチャで気を失うほど激しく殴られたということでした。その傷つきの恐怖体験を持つ「子どもの私」の人格が、「大人の私」に、類似のことが起こる度に恐怖感と動悸を起こさせて、自分の傷つきを訴えているということでした。
こうした対話をした後、この「子どもの私」にヒーリングをしてセッションを終結しました。
もう1例は、30代女性の事例です。
このクライアントの主訴は、家庭外で昼食をとるときに決まって起こる腹痛の改善でした。
良好な深い催眠(記憶催眠)状態を確認し、主訴に関わるトラウマが生じた時点まで年齢退行をしてみました。
その結果、小学校3年生のときに生じたトラウマであることを確認しました。
このクライアントはSAM前世療法の体験者です。そのため、どうやら記憶催眠から魂遡行状態に移行し、トラウマを訴える小学校3年生の少女の人格が顕現化しました。
担任の女性教師に給食を全部食べることを強要され、もう一人やはり食べられない同級生の女の子と二人、毎日掃除の時間に、脇で学級の仲間が掃除をしている埃の漂う教室で給食を食べさせられていた辛さを泣きながら訴えました。自分は胃腸が弱く食が細いので、とても給食を残らず食べられないのだと訴えるのです。
そうした苦痛が1年間続いたのです。
さらに、担任から「いくら勉強ができても、給食が食べられない子は悪い子です」と決めつけられ、自分は悪い子なんだと、「小学校3年生の私」の人格は激しく泣きました。その口調は、10歳の少女としか思われないものでした。
この少女は、給食が全部食べられないことで、「悪い子」だと全人格を否定されていると思い込んでいました。
こうして、少女の人格は、自分の辛さと苦しみを、昼食時の腹痛という症状によって「大人の私」に、訴えているというのです。
筆者は、10歳の少女人格に正対し、説得を続け、納得を確認したうえで、これからは「大人の私」に腹痛という形で訴えをしないことを約束してもらいました。
以下はセッション後のクライアントの感想の一部です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
前回のイメージ療法と昨日先生にして頂いたセッションを併せて考えてみますと、おそらく前回のイメージ療法は、単に浮かんで来た映像の表面のみをきれいに修飾したに過ぎなかったため、その内に潜んでいたインナーチャイルドの人格は、訴えを聞いてもらえず、不満や悲しみが未解消のまま存在し、「悪さ」をしていたのではないかと思います。
そして、昨日のセッションでやっと訴えを聞いてもらえるチャンスが来たと、人格が表面に出て来たのではないかと考えました。
大人の自分から見れば既に解決済みの件だと思っていたため、セッション中に当時の幼い人格の気持ち(悲しみ)がそのまま現れ、後から考えるとても不思議な体験でした。
そして、先生がインナーチャイルドの人格と直にお話して共感・説得して下さったため、大きな安堵感と開放感につながりました。
注 「前回のイメージ療法」を施術したのは筆者とは別の催眠療法士です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上のSAM前世療法によるインナーチャイルドセラピイの改善効果の検証はこれからです。
改善効果が確認されれば、魂の二層構造仮説の信憑性を示すことになるでしょうし、新しい発想によるインナーチャイルドセラピイの開発につながると考えています。
登録:
投稿 (Atom)