2024年9月11日水曜日

生まれ変わりの実証努力の現在の6

 SAM催眠学序説 その177

その176記事の続き 


6 里沙さんとネパール語との関わり調査

 

 まず最初に疑われるのは、里沙さんが生育歴のどこかでネパール人と接触し、そこでネパール語を無意識的、あるいは意図的に学んでいたのではないかということです。
そこで、まず里沙さんに、生育歴についての綿密な聴き取り調査をし、その裏付け調査を彼女の友人・家族等に可能な限りおこないました。
その結果は次のようでした。

 

 結婚するまでの生育歴調査

 

里沙さんは、昭和33年、岐阜市近郊田園の広がる本巣郡真正町(現本巣市) の造園業一家の二人姉弟の長女として生まれました。
幼稚園・小中学校ともに1学年2クラスの地元の町立小規模学校へ通学しています。高校も地元の公立高校、大学は岐阜市の4年制私立大学家政学部へ入学し、実家から通学、栄養士の資格を取得。

大学卒業後、初めて実家を離れ、公立僻地(へきち)中学校の学校給食栄養士として就職、勤務先教員住宅で自炊生活を経験します。
就職2年後、24歳で結婚のため退職。
岐阜市駅前に近い食品小売り業の長男の家に嫁ぎ、舅・姑と同居生活を送りました。

真正町の小中学校はそれぞれ1校しかなく、1学年2クラスの級友は9年間固定したまま義務教育を終えています。
この小中学校までの生育歴で、里沙さんは、ネパール人を含めて外国人との接触の記憶は一切ないと証言していますし、友人への聴き取り調査でもその裏付けはとれています。
ネパール語を学ぶ機会のありそうな高校・大学時代でも、学校事務局へ確認したところネパール国籍の学生の在籍した事実はなく、本人もネパール人との交遊関係は一切ないと証言しています。

また、昭和40年から50年代当時の在日ネパール人状況からしても、ネパール人が、地方都市である岐阜市近郊の真正町に在住することはまず考えられない状況で、仮に里沙さんの幼・小・中・高時代にネパール人の知人・友人があり、しかも、ネパール語会話が身に付く程に親しく交際していれば、その事実を友人・家族等に隠し通すことはまず不可能だと思われます。

 結婚後の生活歴調査


婚家は、岐阜市の商店街にある非常に多忙な食品小売り業であり、その切り盛りをしながら、早朝から夜遅くまで家業と家事と二人の息子を育てるという、個人的時間のほとんどない生活をしたということです。

二人の息子が成人した頃には姑が体調不良となり、その介護と、自身の脊柱側湾症の悪化による痛みの治療に苦しむ生活で、やはり時間的ゆとりは持てない生活が続きました。
2時間以上の外出は姑の手前遠慮し、それ以下の時間で友人との語らいや買い物でも、必ず行き先を告げるのが結婚以来の決まりだったそうです。

やがて、家業を続けることが困難になり店を閉めた後、私立大学事務の午後3時間のパートタイムの職を得、現在に至っているとのことでした。

この生活歴の中で、私立大学関係の3時間の仕事中に、ネパール人との接触の可能性があると見て、この大学事務局に問い合わせましたが、開学以来ネパール国籍の学生の在籍はないとの回答でした。

なお、里沙さんの在住している駅前商店街周辺にはアパートはなく、それ以外にも近辺に在住するネパール人がいないことを確認しました。
里沙さんには、夫が外国人嫌いという事情もあり、新婚旅行でパリに出掛けたこと以外、渡航歴は一切ありませんでした。
 

ちなみに、里沙さんの住む岐阜市は、人口42万人の地方都市です。
市役所に出向き、ラタラジュー人格の顕現化した初回セッションの2005年から、ラタラジューのネパール語応答型異言が確認できたセッションの2009年までの5年間に、在住していた毎年のネパール人人口を調査しました。

その結果、最多の年で33人、最少の年は25人であり、岐阜市総人口に占める平均割合は0.007%でした。
これまでの結婚以前の期間中に里沙さんが岐阜市内でネパール人と出会い、ラタラジュー程度のネパール語会話技能を習得する機会や時間はまずありえないと推測できます。

 ネパール人らしき者と接触した唯一の記憶


里沙さんの証言によれば、市内のインドカレー料理店に息子と三度食事に行った折りに、その店のコックとウェイターが外国語で会話しており、その人たちがインド人かネパール人かも知れない、というのが、唯一ネパール人らしき人と接触した記憶でした。

私はその料理店の住所を教えてもらい、平日の店の空いている時刻をねらって裏付け調査に出向きました。
店には二人のネパール人ウェイターと一人のインド人コックが働いていました。
ウェイターの一人であるライ・ルドラさんに調査の事情を説明し、協力をお願いしました。

ライさんは37歳、カトマンズ東方の東ダランの出身で、ネパールに妻子を残して出稼ぎに来ていると話してくれました。 

ライさんの証言によれば、客を前にしてウェイターどうしがネパール語で会話することは控えており、カウンター越しに厨房に向けてヒンズー語でインド人コックと話すことはあるということでした。
また、日本人にネパール語を教えたことはないとのことでした。
もちろん、里沙さんらしき女性が客として来た記憶はまったくありませんでした。

ライさんとの話の中で思わぬ収穫がありました。
彼はカトマンズ周辺の地理に詳しいというので、ナル村を知っているかと尋ねたところ、知らないと答えました。
そこで、カトマンズ周辺の村ではヒルが生息しているかを尋ねると、カトマンズ盆地は、もともと湖底であったことから沼地が多く、ヒルがたくさんいると教えてくれました。
この証言は、「タエの事例」のセッションで、ラタラジューが語った「沼地・・・虫、虫・・・ヒル」という言葉に符合すると思われました。


 現代ネパール語の単語が理解できないラタラジュー

 

さて、仮に里沙さんが、どこかで現代ネパール人と接触してネパール語を学んでいたとしても、次のような昔のネパール語の単語はまず知ることはできないでしょう。    その部分の逐語録を以下に示してみます。

カルパナ:Gharma shrimati hunuhuncha?
    (家に奥さんはいますか、いませんか?)

里沙: ha ... ha ... Ma ... Bujina(分かりません)                                     

 

カルパナ: Srimati, swasniko nam?
     (奥さん、奥さんの名前?)

注:一昔前のネパール人であるラタラジューには、shrimati(現代ネパール語の妻)の意味が理解できない。ラタラジューはshrimatiの意味が理解できず、Bujina (わかりません)と答えている。そこでカルパナさんは、shrimati, swasni(古いネパール語の妻)の新旧2つの妻という単語を並べて尋ねている。

里沙: Ah ... ah ... mero swasni Rameli....Rameli.
   (あー、あー、私の妻、名前、ラメリ、ラメリ)
 

ラタラジューは現代ネパール語の妻Srimatiは理解できず、一昔前の古いネパール語の妻 swasniは理解できたので、swasni に反応したのである。

 

 現代ネパール語の数詞を使えないラタラジュー


カルパナ: Hajur. Bite ko umer.
   (はい。死んだ歳は?)

里沙:Ath satori ... ah ...
   (8と70、あー)

カルパナ:Hajur?
   (はい?)

里沙:Ath satori.
      (8と70
カルパナ:Sattari?
   (70ですか?

  里沙:Ath satori.
      (8と70

注:年齢表示の「78」歳を「8と70」と数える表示法は、現代ネパール語にはない。                                  現地調査によって、一昔前のネパールでは「8と70」という表示法を用いていたことが判明している。                           現代ネパール人の対話者カルパナさんには、「8と70」の意味が理解できないので、「70ですか?」と再度尋ねている。                  この事実は、里沙さんが現代ネパール人から「8と70」という年齢表示を学ぶことはまずできないことを示している。
 

 ラタラジュー言語能力(語彙数と文法の運用) 

 

ラタラジューの発話について重要なことは、ラタラジューが、カルパナさんの発話の中で用いていないネパール語の単語をどのくらい用いているかということです。

対話相手カルパナさんが用いていない単語で、ラタラジューが自ら発話している単語が相当数あれば、彼のネパール語運用能力の信憑性は高いと判断できるでしょう。

そこで、名前を除きラタラジューが自ら発語している単語を拾ってみると、30分弱の対話時間内に29ありました。

また、ネパール語の文法は、主語の人称と尊敬する相手に対応して動詞・助動詞が変化します。                                                                                         たとえば、日本語の「○○です」に当たる助動詞は、一人称では「hu」、二人称と尊敬する相手に対しては「hunuhuncha(フヌフンチャ)」、三人称では「ho」のように変化します。

ラタラジューは、「私のお父さんはタマン族です」という表現で 、「お父さん」という尊称に対応した助動詞「「hunuhuncha(フヌフンチャ)」を文法に則り「mero  buwa Tamang hunuhuncha」と正しく発話しています。

ラタラジューの対話分析に当たった中部大学のネパール人の客員研究員のカナル・キソル・チャンドラ博士によれば、数字の発音などにタマン語の訛りが明瞭に混入しているネイティブなネパール語であるという鑑定でした。          ちなみに、ラタラジューが村長であったというナル村住民のほとんどは、タマン族です。          

そして、チャンドラ博士によれば、ラタラジュー程度の対話能力を身につけるためには、少なくとも2年から3年のネパール在住生活が必要だろうという判断でした。

 こうしたネパール語の対話能力は、被験者里沙さん自身の能力だとは到底考えられず、「里沙さんの前世人格ラタラジューの顕現化現象」だととらえることが最も妥当な解釈だと思われます。


 現代ネパール人のほとんど食べない「コド」食べていたラタラジュー

 

ラタラジューは、祭りでコドを食べると語っている。 

カルパナ: Kodo?
   (コドですか?)

里沙:  Kodo.
   (コドです)

カルパナ: He?
    (へ?)
 

注:「コド」はトウモロコシ・アワ・ヒエなど雑穀であり、これを粉にして水で練り、鍋などの内側に貼り付け、厚めの煎餅のように焼いて食べる。                                   現在では、カトマンズあたりではコドを食べる習慣はない。                したがって、カルパナさんは「コド」を知らないらしい。                       なお、インターネットで検索しても「コド」はヒットしない。         付言すると、里沙さんはインターネットが使えない。

 

以上、これまで述べてきた諸調査とセッション逐語録から、里沙さんが「ラタラジューの事例」以前に現代ネパール語を学んでおり、ネパール語文法に則って会話ができる技能を身につけていた可能性を否定できると判断してよいと思われます。

 

7  2009年8月 里沙さんのポリグラフ検査の鑑定結果

 

2009年8月6日着手、同年9月8日終了の、里沙さんへのポリグラフ検査とその鑑定を、「日本法科学鑑定センター」代表の荒砂正名氏に依頼しました。

荒砂氏は、元大阪府警科学捜査研究所長を歴任されており、ポリグラフ検査とその鑑定について日本有数の権威者とされている人物です。

「タエの事例 」「ラタラジューの事例」の両事例で語られた内容を、里沙さんがセッション前に入手していたか、していなかったの有無を確認するためです。

検査場所は、里沙さん自宅応接間、検査は午前10時から午後0時40分までの2時間40分に渡りました。

鑑定結果は、「日本法科学鑑定センター」名のポリグラフ鑑定書』で、34ぺージに渡る検査記録の分析資料提示後、次のような結論としてまとめられています。

「タエの事例」に関する入手経緯、入手時期 のいずれにも注目すべき特異反応を認めず、これらに対する認識(記憶)は、全くないものと考えられた。

「ラタラジュ-の事例」について、隣人・息子・ルピーなどのネパール語に注目すべき特異反応を認めず、これが該当事実であるとの認識(記憶)は、全くないものと考えられた。

要するに、里沙さんは、タエ・ラタラジュー両事例で語った内容について、覚醒時には全く認識していない内容であるにもかかわらず、魂の自覚状態の深い催眠状態に入ると顕現化した前世人格によって語ることができた、という事実が、ポリグラフ検査によって証明されたということです。

 

終わりに

 

このブログ「生まれ変わりの実証努力の現在の1」冒頭で、スティーヴンソンの述べている、「生まれ変わりという考え方は最後に受け入れるべき解釈なので、これに代わりうる説明がすべて棄却できた後に初めて採用すべきある」という言葉を引用しておきました。

この言葉に触発されて、タエ・ラタラジュー両事例の検証において、生まれ変わりを実証できる証拠の検討に、今考えられる限りの方法で取り組みました。

その検証過程を述べてきましたが、現行唯物論の手法では、少なくとも、被験者里沙さんにおいては、生まれ変わりを否定できないという結論に至りました。

心残りは、タエも、ラタラジューも、その前世中に生存していた文書の記録を確認できなかったことです。

タエについては、渋川村では当時の戸籍に当たる「人別帳」が戦災で焼失していました。                                  また、ラタラジューについては、ネパールでは1950年代以前の戸籍が作成されておらず、また故郷のナル村では当時墓を作る習慣がありませんでした。

 

どうやら、現時点においては、生まれ変わりを信じる人には、信じるに足る十分な状況証拠、生まれ変わりを否定する人には、疑いの余地をまだ残している証拠、というレベルでしか、生まれ変わりの事実の完璧な証拠は開示されないようです。

SPR(心霊研究協会)の有力会員であったW.ジェームズ(米国心理学者)は生まれ変わりの科学的研究のこうした閉塞状況を「挫折の法則」(ジェームズの法則と呼んでいます。

 

このことを守護霊団に質問したところ「挫折の法則ではない、あなた方の核となる意識体、そして神の計画が、あなた方が進むための原動力を与えているのだと理解しなさい。あなた方は、自らの持つ信仰を育てるのだ(第12霊信)」と回答しています。

                                     「 生まれ変わりの実証努力の現在」おわり


7 件のコメント:

SAM 前世療法® 北陸 宝田昌子 さんのコメント...

稲垣先生
拝読させていただきました。
ありがとうございます。

里沙さんが、ネパール語を学んだことがないという証明をするために、里沙さんについて「結婚するまでの生育歴調査」「結婚後の生活歴調査」「ネパール人らしき者との接触した唯一の記憶」まで調べておられるとは思ってもいませんでした。特に驚いたのは、料理店の裏付け調査でした。まるで刑事だなと思いました。

稲垣先生は「前世」というテーマに真っ向勝負をしておられると思いました。

「前世は本当にあるのか?ないのか?」
「謎を解き明かしたい!」
「ハッキリとさせたい!」


私は、稲垣先生の行動に情熱を感じると共に、先生と私の「大きな違い」に気づきました。
稲垣先生が、「冒険家」だとしたら、私は「三途の川の橋の住人」です。

宝(真実)を求め、危険を顧みず道なき道を前へ前へと進んでいく「冒険家」
生きている人とも見えない世界とも関わることはできるけれど、交わることはできない。どちらの橋の向こう側でも生きていけない存在である「三途の川の橋の住人」

私は、稲垣先生のように、力強く生きていけたらいいなと憧れがあります。
私は、色々な感情が交差する人の中へ入るのが苦痛です。「人」に対して「何も言わない」「目立たない」「霊的なことは話さない」が当たり前になっていました。
「見えない世界の住人たち」には「怖い者」もいるけれど、私に「安らぎと知恵」を与えてくれる者もいます。多くの人と同じものを見ながら、私は違う世界を感じています。

SAM前世療法Ⓡを受ける前の私は、生きている人とも馴染めない、前世・来世はあるかわからないけれど「死後の世界」「見えない世界」があることだけは実感しているけれど気が重い状態でした。

以前の私は、人生の終着点に早く着くことを望みました。

何も感じなければ、
自由に行動ができたのに・・・
楽しめるのに・・・・
傷つかずにすんだのに・・・

この苦痛から逃れたいただそれだけでした。

けれども今は違います。
私には SAM前世療法® があります。

セッションを受け、「前世の者」たちが守り導き私に「生きろ!」と教えてくれました。私は「一人ではない」「多くの前世の者たちに支えてもらいながら今の私がある」と知りました。「生きる意味がわからない」と思っていた私でしたが、セッションを繰り返ししていく中で「生きる」ことは「前世の者たちの悲願」だと知りました。


そして、SAM前世療法Ⓡとワイス式(一般的な前世療法)との大きな違いが私を救ってくれます。

・前世の者が顕現化したとき、前世の者が返事をする(自己内憑依)これは、クライアントの意志とは関係なく起こる。
・セッション後、クライアントの心身に変化が起こる。


私は、セッション中「見えない者たち」のメッセージを受け取ることがよくあります。

どんなことを感じるかというと「前世の者、現世、生霊、未浄化霊、先祖、水子、などの訴えや映像」です。日頃、感じ取ったりしても、私の思いつきだと嫌なので他言はしません。けれども、セッション中は顕現化している者たちに確認をすることができます。(審神者が必要な時もあります。セッション中のことは、意識現象のひとつとしてとらえています。)

確認し、浄霊・ヒーリングが必要なら行うことをしていったとき、セッション後にクライアントの体調・心の変化があります。

そして クライアントは、セッション中、悲しくないのに涙を流す(前世人格が泣いている)、体に電流が走るような感覚を覚える人もいれば、前世人格の追体験をする人もいます。体感することによって「前世の者や見えない世界の者たちが存在するのかもしれない」という実感を得ている ようです。

私はいつもそこで、「私の思いつきや 思い込みではなかったということ」に ほっとするのです 。忌み嫌っていた人とは違う能力も、SAM前世療法Ⓡでは有効に使え、クライアントに喜んでもらえるのだということを知りました。


先生、嬉しいことに
クライアントからこのようなコメントをいただきました。

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【富山県 40代 男性】

先日はセッションありがとうございました。

好奇心でセッションを受けてみましたが、見えざる者への感謝の念を持つようになりました。

数年前に自身が置かれている環境に違和感を感じ、趣味としていた筋トレを活かしてパーソナルトレーナーを生業にしたいと漠然と考えるようになりました。

起業に向けて準備している際に不思議に思ったのは、
今まで役立つ事はないと思っていたスキルがここへ来て全て必要になった事、失敗したと思っていた事が結果的に最良の方向へ進んでいく事でした。

感じるのは「未来は1つではなく現在の選択肢によって無数に存在するのではないか」という事とどのような未来でも「自分をサポートしてくれる力が存在する」ということです。

「人は選択する権利を与えられて生まれてきて選択し続けた者は更に多くの選択肢を与えられ、権利を放棄した者は選択肢も減っていくのでは?」
「偶然と思っている事は、選択し続けた結果による必然ではないのか?」
「目に見えない力で軌道を修正される事があるのは何故?」

セッションを受けるようになり感覚が研ぎ澄まされたのか、考えるのではなく、このように感じるようになりました。

現在事業を軌道に乗せるために準備中ですが、サポートしてくれる強い力を感じます。

セッションを受けた感想は人それぞれだと思いますが、自分の体験がこれからセッションを受けてみようかと考えている人の参考になれば幸いです。

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このクライアントは、稲垣先生のブログすべてを熟読しYouTubeを見た上でセッションを受けることを決意されました。2年間、月に一回セッションを受けています。(今も継続中です)

クライアントは、普段の生活には決して触れることのない、前世の者という未知の世界のことを実感していくことで、「感覚が研ぎ澄まされていく・考えるのではなく感じるようになる」ことを感じ取るようになりました。

私は、このコメントを読んだときに「第22霊信の公開その3」を思い浮かべたのです。

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第22霊信(最終)の公開その3

あなたが耳を傾けるべきなのは、他者の教訓じみた言葉ではない。
それらすべてを捨て去りなさい。
あなたは多くのものに導きを与えるのだ。
あなたの外的目的は、より多くのものにその魂の目的を伝え導くことである。
あなたは表舞台で神の代弁をおこなうのではない。
あなたは、あなたに引き寄せられるものたちに代弁するのだ。

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稲垣先生がいつもおっしゃっていました。
「SAM前世療法Ⓡは、霊的真理を伝えるためのもの。私は、神の道具に過ぎない。」と。

【霊的真理】
・神がおいでになる
・霊的存在が実在する
・神・霊的存在と交信ができる
・生まれ変わりがある

前世の者や見えない世界の者が、「日々の生活」敷いては「人生」に多くの影響を与えていると実感できるSAM前世療法Ⓡは、私の人生を変え、またクライアントの人生観を変えました。

小さいことの積み重ねを繰り返しながら、私自身が霊的真理を真に受け止められるように、またクライアントに霊的真理を感じ取ってもらえるようなセッションができるように努力していきたいと思います。

ありがとうございます。


稲垣 勝巳 さんのコメント...
このコメントは投稿者によって削除されました。
稲垣 勝巳 さんのコメント...

宝田さん

長文のコメントありがとうございました。

SAM前世療法の説得力と発展は、仮説(理論)と実践(実証)の両輪が噛み合ってこそ得られるものだと常々考えています。

ご自身の体験を交え、さらにクライアントのセッション感想を紹介され、大変うれしく思いました。
SAMの創始者、催眠塾の指導者としてあつくお礼申し上げます。

さらなるご精進を期待しております。

指導者

匿名 さんのコメント...

ひろゆきさんが応答型真性異言を論破しています。

どう思いますか?
https://www.youtube.com/watch?v=U9AyWRkWwUo

稲垣 勝巳 さんのコメント...

匿名さん
ひろゆきさんの応答型真性異言についての一般論は、到底「論破」とは言えないと思いませんか?
そもそも、「ラタラジューの事例」についての具体的な検討論ではありません。
一般論なら誰でも言えますよ。

SAM前世療法® 北陸 宝田昌子 さんのコメント...

面白い動画を見せていただきました。
ありがとうございました 。

私はひろゆきさんが好きなので よく動画を見ているのですが、このような内容があるとは知りませんでした。

教えていただきありがとうございます(о^∇^о)


この動画を見て 2、3点 気になることがあったのでコメントを書かせていただきました。


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応答型真性異言の裏話【ひろゆき切り抜き】

まず、
冒頭でひろゆきさんは
「応答型真性異言のこと」を「知らない」と答えています。

次に、
「確か」ヘブライ語を喋る子供の例だと思うんですけど、 学んだことのないヘブライ語を寝ている時だか流暢に喋るという子供がいて、ちゃんと調べると子供のころに近所にイスラエル人がいてヘブライ語を喋れたっていう落ちなんですよ。

最後に、
子供のころに覚えた単語って忘れてしまっているんですよ。
3歳まで外国に住んでいて、大人なって 本人は外国語を覚えていないと言っても、わりと脳の中には記憶が残っているパターンがあるんですよ。学んだことを忘れてしまっているパターンじゃないかと思うんですよ。

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というような話をしています。

ただ、この「切り抜き動画」では、応答型真性異言を「論破した」とはいいがたいのではないかと私は考えます。
その理由は次の二つです。

*****************************************

【論破ではない理由】

①ひろゆきさんは、「応答型真性異言について知らない」と答えている。

②応答型真性異言の事例に「ヘブライ語の事例」はない。

[イェンセンの事例]
母語 英語
対話 スウェーデン語

[グレートヒェンの事例]
母語 英語
対話 ドイツ語

[シャラーダの事例]
母語 マラーティー語
対話 ベンガル語

[ルシアの事例]
母語 ハンガリー語
対話 スペイン語

[里沙さんの事例]
母語 日本語
対話 ネパール語


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参考
【ベンガル語】バングラデシュとインドの西ベンガル州で話されている言語
[バングラデシュ]インドとミャンマーに挟まれたベンガル 湾に面したところ

【ヘブライ語】イスラエルの公用語
[イスラエル]地中海に面する西アジアの国
*****************************************

       
ひろきさんが語ったのは、 生まれ変わりの科学的根拠とされている「応答型真性異言について」ではなく、「本人が学んだことのない外国語を特定の意識状態にすると喋ることができるという現象」について答えています。

「 幼少期に学んだ「他国の言葉を話せる」場合がありますよ。」

という内容なのではないでしょうか?


私が言いたいのは、
ひろゆきさんは「応答型真性異言を知らない」と答えたうえで「本人が学んだことのない外国語を特定の意識状態にすると喋ることができるという現象」について答えているという点です。

私は、ひろゆきさんを否定していません。
ひろゆきさんは、正論を言っておられるのだろうと思います。

言い換えると、
ひろゆきさんは「応答型真性異言について何も話していない」ということです。

そもそも、

この動画の「応答型真性異言の裏話【ひろゆき切り抜き】」というサムネイルが動画内容と一致していません。(ひろゆきさんは「知らない」と言いました。しかし「応答型真性異言の裏話はこうです。」とは一言も言っていません。)

*****************************************
参考
www.youtube.com/@ひろゆき切りまくり
チャンネル登録者数 39人
233 本の動画
56,197 回視聴
2024年10月12日時点
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これらの理由から「 論破と言えるのか?」という考えになりました。


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【論破】
《名・ス他》
議論して相手の説を破ること。言い負かすこと。

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さらに言うなら
稲垣先生は、今回のブログで

まず最初に疑われるのは、里沙さんが生育歴のどこかでネパール人と接触し、そこでネパール語を無意識的、あるいは意図的に学んでいたのではないかということです。
そこで、まず里沙さんに、生育歴についての綿密な聴き取り調査をし、その裏付け調査を彼女の友人・家族等に可能な限りおこないました。

その結果は次のようでした。

里沙さんとネパール語との関わり調査
① 結婚するまでの生育歴調査
② 結婚後の生活歴調査
③ ネパール人らしき者と接触した唯一の記憶

と3段階に分けて調査結果を述べています。
そして、「前世人格であるラタラジューとネパール人」との「対話内容」も上げておられます。


私が「一番疑問」に思ったのは

「応答型真性異言について話をしていない」ひろゆきさんが、応答型真性異言の何を「論破」したのか?

ということです。

稲垣 勝巳 さんのコメント...

匿名さん

匿名さん

あなたの応答型真性異現についての「論破論」についての反論になんのコメントもありませんので、わたしの持論を述べておきます。

わたしの記事へのこれまでの否定論は 「生まれ変わりなどあり得ない」という硬直した唯物論の前提に立つ、実証なき観念論(感情論)の主張ばかりです。そもそも「ない」ことの証明は、観念論からは導き出せません。(注:「悪魔の証明」参照)

また、ことばによって伝達可能な「情報」とことばによっては伝達できない「技能」との区別をしないで、すべて情報として伝達できるものだとして、聞きかじりの生半可な観念論(実証のない単なる「説」)を持ち出して投稿する否定論者がほとんどです。

とりわけ、被験者里沙さんの学んでいないネパール語による応答型真性異言「ラタラジューの事例」についての否定論が典型です。      「情報」ではなく「技能」であるネパール語の会話がなぜできたのか、この科学的説明は唯物論では不可能です。「技能」は、練習で身につけた「暗黙知」であり、「情報」として伝達できないのです。このことの無理解・誤認に基づく否定論ばかりです。
「SAM催眠学序説 その117「生まれ変わり仮説」を否定する9つの反論」をお読みになれば、ご理解いただけるでしょう。
否定するからには、「反証可能性にひらかれている」わたしの一次証拠を示した主張を、ていねいに検討したのちに反証を挙げて具体論で否定する、という当然の作法が無視されています。

提示されている一次証拠に正対し、反証を挙げる労力から逃げて、誰かの主張している観念論を持ち出し、論点ずらしを展開する、というのが否定論者の常套手段になっています。
わたしが生まれ変わりの証拠としている「タエの事例」、「ラタラジューの事例」の両動画を視聴し、この一次証拠に正対し、具体的反証を挙げながら、反論することが礼儀でしょう。

具体的諸証拠を示した(反証可能性にひらかれた)わたしの主張に反論する場合は、まず提示されている反証可能な具体的諸証拠について反証を挙げて否定することから始める、という「立証責任(挙証責任)」が生じるのです。

具体的反証が挙げられないなら、まず、それを断ってから、自分の主張である観念論なり別の反論なりを主張するべきです。

一次証拠を棚上げし一切触れない、実証なき観念論(「仮説」ではなく単なる「説」)で一方的に反論できたつもりでも、説得力はまったくありません。

なぜなら、否定されない一次証拠は、肯定されていると見做され、生まれ変わりの科学的証拠として、相変わらず存在し続けているからです。「論より証拠」です。

実証なき観念だけの「説」は、空理空論です。実証を示さない観念論だけなら、誰でも何とでも主張できます。本ブログのテーマを「生まれ変わりの実証的探究」と掲げている意味は、観念論だけで科学的実証をともなわない空虚な議論を避けるためです。

科学的仮説には、その仮説の根拠となる検証可能な具体的証拠がともないます。したがって、検証の結果をもって、仮説の真偽が判断できます。
STAP細胞の仮説が典型です。STAP細胞の真偽について検証可能な仮説であったからこそ、仮説の検証について諸実験が追試され、その真偽を問うことができたのです。

つまり、STAP細胞仮説は、私が繰り返し主張してきた検証可能な「反証可能性」にひらかれていました。
反証可能性にひらかれていることが科学的主張(仮説)の条件の一つです。

具体的証拠に基づく生まれ変わりの主張(仮説)を否定するには、生まれ変わり仮説を支持する具体的諸証拠(一次証拠)に基づく、具体的な反証を挙げて、具体的に否定する以外に方法はありません。
この当然の論理と作法を心得ていないコメントは、科学的思考と先行研究に基づく実証的反論たる投稿資格がないと思わざるをえません。