2023年7月5日水曜日

わたしあて霊信の真偽の検証 その2

SAM催眠学序説 その164

 

霊信による教示の信憑性の検証

 

 2007年1月23日0:06着信の第11霊信で通信霊は、
「あなたが長年探究してきたものは、これまでの視点 からでは成長は望めない。
・・・あなたが探究すべきものは、これまでよりもさらに深奥にあるものである。
魂の療法のみあらず、あらゆる霊的存在に対する奉仕となるものである。
それは命あるものすべてにつながり、私たちへも強いつながりをもつ。
そのために、あなたは自らの内にある疑問をまとめておく必要がある。
あなたがこれまで探究してきた道の中であなたが処理できないでいるもの、そして人の理解を超えるものについて、私たちでなければ答えられないものについてまとめなさい」と告げてきました。


「人の理解を超えるもの」について、霊界の住人であり、人の理解を超えるものについて知っているであろう高級霊が、わたしの質問について答えると言うのです。
わたしは「人の理解を超えるもの」 について、早速16の質問をつくり、M子さんに返信しました。
すると、なんとその90分後に、A4用紙9枚にわたる通信霊からの回答が届きました。
回答を考えながら A4用紙1枚を10分で打つことは、ほぼ不可能です。
通信霊を装った
M子さんの作文による回答ではなく、したがって、霊的存在からの自動書記による回答である蓋然性が高いと判断してよいだろうと思われました。
 
 

1「意識 ・脳二元論」「魂の二層構造」の教示

 
わたしの理解を超えること、高級霊(通信霊)でなければ答えられないこと、についてわたしの疑問の第一は、魂・脳・心・意識(潜在意識を含む)の相互の関係でした。

第11霊信で、「あなたが探究すべきものは、これまでよりもさらに深奥にあるものである」と通信霊は告げていますから、第12霊信、第13霊信、第14霊信、第15霊信、第17霊信の回答は、「これまでよりもさらに深奥にあるもの」を示唆しているのであり、わたしが「探究すべきもの」であると思われました。


第12霊信、第13霊信、第14霊信、第15霊信、第17霊信における通信霊の、魂・脳・意識・心、の関係性についての難解な諸回答をまとめると次のA~Hようになります。

A 「脳」「意識」を生み出していない。

B 「意識」を 生み出しているものは、「魂の表層」を構成している前世の者たちである。つまり、前世の者たちは「魂の表層」に存在している。したがって、「魂」は、中心(核)となる意識体とその表層を構成する前世の者たちとの「二層構造」となっている。

C 「魂表層」の前世の者たちによって生み出された「意識」は、肉体を包み込んでいる「霊体」に宿っている。霊体はオーラとも呼ばれる。

D 「魂表層」の前世の者たちは、互いにつながりを持ち、友愛を築き、与え合うことを望んでいる。つまり、前世の者たちは、意識体として「魂の表層」に存在し相互に交流を営んでいる。 

現世の「わたし」という人格も「魂の表層」に位置づいており、生まれ変わりであるすべての前世の者たちとつながりをもち、友愛を築き与え合うことを望んでいる。

F  死後、「霊体」は肉体から離れ、霊体に宿っていた「意識」「魂」に取り込まれる。取り込まれる先は、生きている間は「魂の表層」「現世の者」であり、死後は「魂の表層」の、現世の直前を生きた前世の者として位置づくであろうと推測される。

G 「心」「意識」を管理している。「心」は「魂」が外部の情報を入手するための道具である。したがって「心」が傷つくことはない。したがって、心と意識は同義ではないが、便宜上、「心=意識」として扱うことに支障はない。

H 「脳」「心」を管理している。脳は心(意識)を管理しているため、見かけ上、脳と心(意識)が一体化しているように受け取られる。このことによって、心は 脳の付随現象であり、脳が心(意識)を生み出しているという「心と脳の一元論」が唱えられているが、脳と心(意識)は本来、別のものである 
「脳」「心」を管理はしているが、「心」を生み出しているわけではない。
「脳」は外部の情報をまとめる役目をつかさどる。 
「脳」はデータを管理している。

これら上記A~Hの回答は、まさしく「人の理解を超えるもの」であり、26才の霊信受信者M子さんが、作文して回答できるとは思われません。
人間を超えた存在である高級霊であってこそ、はじめて回答できる内容であると評価せざるを得ません。

しかも興味深いことに、第12霊信でA4用紙9枚にわたる回答を告げてきた送信霊は、わたしの16の質問の回答をした後の霊信の末尾で、

「M子という人間が答えられる問題は、ここには存在しない。・・・これは私からの霊信であり、M子の言葉ではない。 M子の妄想ではない。妄想では答えられないものである」と念押しをするかのように告げています。
 
ちなみに、第12霊信の送信霊は、「私は稲垣の祖父の守護霊とつながりを持つ者であり、あなた方の世界で表現すると、遠い昔、転生を終えた者である」と告げています。

さて、回答Aの「心・脳二元論」の立場は、大脳生理学者でノーベル賞の受賞者であるペンフィールド、エックルズ、スペリーなどが晩年になって唱えており、世界的催眠研究者である成瀬悟策医学博士も、晩年になってからこの立場をとっています。                                   成瀬悟策先生は、2004年明治学院大学で開催された日本教育催眠学会の講演のなかで「脳は心の家来です」という言い方で
「心・脳二元論」を提唱されています。
 
これら「心・脳二元論」の提唱者たちは、脳の研究の結果、脳が心(意識)を生み出してはいないのだと主張はしても、では心(意識)を生み出しているものは、どこに存在するかについては一切語っていません。
それは人知を超えることであり、想像もできないということでしょう。
通信霊は、心(意識)を生み出す存在は、「魂表層の前世の者たちである」と明確に告げています。

わたしは霊信にしたがい、「心・脳二元論仮説」と「魂の二層構造仮説」に基づき、A~Hの霊信内容の信憑性の真偽を、催眠を道具に用いてできるかぎりの徹底的な検証と探究をしようと決心しました。
この検証の過程で、徐々に定式化していった前世療法こそ、2008年6月に創始した「SAM前世療法」です。

特筆すべきことは、第11霊信で私の疑問に回答すると告げた通信霊が同じ第11霊信の中で、

「そして、前世療法についてだが、あなたは自らの霊性により独自性を持つようになる。あなたの療法は、あなたにしかできないものになる」と、この霊信1年半後の2008年6月に創始したSoul Approach Method の略「SAM前世療法」について、すでに予言していることです。

通信霊は、前掲A~Hの回答を得たわたしが、回答を仮説としてそれに基づいた独自の前世療法(SAM前世療法)を、新たに創始することをすでに見通していたのではないかと思われます。
おそらく、SAM前世療法の創始をさせるための目的で第11霊信が送られたと思われます。
 
第7霊信で通信霊は、「わが霊団はあなた方を中心としある計画を進めている」と告げていますから、わたしにSAM前世療法の創始を担わせたことは「計画」のうちに入っていたのではないでしょうか。

そして、「SAM前世療法」によってA~Hの作業仮説が検証され、生まれ変わりが科学の方法によって実証された事例が「タエの事例」と「ラタラジューの事例」です。
タエもラタラジューも、SAM前世療法によって、被験者里沙さんを「魂状態の自覚」まで誘導し、魂表層から呼び出され、顕現化した前世人格(前世の者)なのです。

フジTVアンビリ放映の、編集された「タエの事例」「ラタラジューの事例」の元になっている全セッション記録動画は、you-tubeで公開してあります。
 
この動画をご覧になれば、タエとラタラジュー両人格の顕現化現象を、「前世の記憶」である、という解釈では説明が成り立たないことは明白です。
とりわけラタラジュー人格は、明らかに現在進行形の会話である証拠を残しているからです。
ちなみに、タエ・ラタラジュー両事例の科学的真偽について、わたしの主張と証拠動画に基づいて具体的な反証を挙げて批判した論者は、皆無です。

また、「タエの事例」の逐語録は「SAM催眠学序説 その35~40」において、
「ラタラジューの事例」の逐語録は「SAM催眠学序説 その23~32」において、詳細に検討しています。

また、「魂の転生」のしくみと「生まれ変わり」の関係については「SAM催眠学序説 その123」で「魂の二層構成仮説」を模式図によって説明してあります。

 

2「憑依仮説」の教示


SAM前世療法の「魂遡行催眠」と名付けている特殊な技法を用いて、被験者を「魂状態の自覚」に誘導する過程で、被験者に未浄化霊と呼ばれている霊的存在が憑依していると、そうした存在が救いを求めて顕現化することが観察されます。
 SAM催眠学では、そうした霊的存在の憑依を認める立場をとっています。
ここで言う「霊的存在」とは、「肉体を持たない人格的意識体」を意味しています。

霊的存在には肉体がありませんから、肉体を持つ被験者の肉体を借りて一個の人格として自己表現をします。こうした現象を憑依と呼んでいます。        こうした憑依する人格的意識体を憑依霊と呼んでいます。

憑依霊は未浄化霊だけに限りません。守護霊を名乗る高級霊や神の使いと称する高級霊も、「魂状態の自覚」に至ると、必要に応じて何らかのメッセージを携えて憑依します。
こうして「魂状態の自覚」に至ると霊的存在の憑依現象が起こることを認める立場を「憑依仮説」と呼びSAM催眠学の骨格をなす仮説の一つとして位置づけています。

さらに、「魂状態の自覚」に至り、魂表層から顕現化した前世人格は、生まれ変わりである現世の者(被験者)の肉体を借りて自己表現します。
この現象は、未浄化霊や高級霊など第三者としての霊的意識体の憑依と同様な現象であり、前世人格の憑依現象を「自己内憑依」と名付けています。

つまり、現世の者の内部(魂)に存在している肉体のない前世人格が、生まれ変わりである現世の者に憑依し自己表現する、という意味です。          したがって、「前世人格の顕現化」「自己内憑依」現象だと言い換えることができます。
自分の魂表層に存在している前世人格が、自分に憑依すること、これが「自己内憑依」です。

「 魂状態の自覚」を体験した被験者のほとんどが、その意識状態の自覚に至ると体重の感覚がなくなると報告します。
おそらく、普段の状態では肉体という器に内在する魂は、なんらかの形で肉体と緊密な結びつきを保っていたのが、「魂状態の自覚」に至るとその結びつきが解かれ、肉体と魂が分離した状態になる、したがって、体重感覚の喪失感が生じるのではないかと推測されます。
被験者の中には、魂と呼ぶ意識体が、肉体の外に分離している感覚(体外離脱)を報告することもあります。


つまり、「魂状態」とは、肉体を持たない霊的存在と同様な状態になっていると考えられ、したがって、霊的存在と同じく肉体を持たない意識体の次元に至っているので、守護霊などの霊的存在との接触や、霊的存在の憑依が起こりやすいのではないかと推測しています。
ちなみに、SAM催眠学では、肉体を持たない意識体を「霊」、霊が肉体に入り肉体という器を持てば「魂」と定義しています。                 こうした意味において、顕現化している前世人格は「霊」と言えるでしょう。

 

3「霊体仮説」の教示


2007年1月25日22:47着信の第14霊信で通信霊は、
「霊体とは魂ではない。それは、ある時はオーラと呼ばれもする。
それは、・・・肉体を保護する役割を担うものでもある。
魂を取り囲み、それはあなたという存在を構成するための一材料となる。
霊体は、ある意味においてはあなた方が『あなたという人間であるため』の意識を独立して持つための役割を担うものでもある」
と告げています。

霊体の色をオーラとして感知できる能力者には、肉体の傷んでいる部分のオーラの周囲の色が黒ずんで見えること、オーラの色が澄んでいる場合には、肉体の健康状態が良好であることを言い当てることができるという検証結果が得られています。
 
こうして、霊体と肉体の両者には互いに影響を与え合う密接な相互影響関係があると推測できます。
したがって、霊体は、エクトプラズムのように何らかの半物質的な要素・性質を帯びている可能性が考えられます。

また、互いに面識のない、オーラを感知できる10名を越える能力者が、それぞれに、わたしのオーラ(霊体)の色として同一の色を報告しています。

こうして、霊体と肉体には、双方に共通の何らかの要素・性質が存在し、そのため相互に影響を与え合う関係がある、とする仮説も「霊体仮説」には含まれています。

また、Cで述べたように、われわれ生きている人間は、肉体を包み込んでいる霊体を持っている、霊体には意識・潜在意識が宿っている、と考えるのが「霊体仮説」です。

そして、霊体には意識・潜在意識が宿っている、という仮説と、霊体と肉体には、双方に共通の何らかの要素・性質が存在する、という両仮説の検証実験の累積によって、「魂遡行催眠」というSAM前世療法以外に類のない固有・独創の誘導技法が生み出されました。
「SAM前世療法」が、すでに「前世療法]という用語があるにもかかわらず登録商標として認められたのは、その固有性、独創性が認められたからです。

 

残留思念仮説」の教示


2007年1月20日1:01着信の第8霊信で通信霊は、
「あなたは、すべては『意識』であると理解していた。
ことばとしての『意識』をあなたは理解している。
だが、その本質はまだ理解には及んではいない。
あなたが覚醒するにしたがって、それは思い出されるものとなる」
と告げています。

また2007年1月23日22:58着信の第12霊信で通信霊は、
「この世に残る未成仏霊(未浄化霊)のような存在は、残留思念の集合体である。
だが、それらは意志を持つようにとらえられる。
よって、魂と判断されがちだが、それらは魂とは異なるものである」
と告げています

以上のような2007年の霊信を受け取ってから、16年間にわたるSAM前世療法の仮説と検証の実践の繰り返しを経て、わたしは「意識の本質」の一つとして、「強力な思念(意識)の集合体は、一個の人格としての属性を帯びた意識体になる」と考えるようになっています。
この仮説をSAM催眠学では、「残留思念仮説」と名付けています。

「残留思念仮説」によって定義すれば、

「未浄化霊」とは、「この世に何らかの強い未練があるために、救いを求めてさまよっている残留思念の集合体であり、意志を持つ人格としての属性を備えたもの」です。

「生き霊」とは、「強力な嫉妬や憎悪によって、魂表層の『現世の者』から分離した思念の集合体であり、意志を持つ人格としての属性を備えたもの」です。
その実証として、SAM前世療法による生き霊との対話を、「SAM催眠学序説 その115」で述べています。

「インナーチャイルド」とは、「耐えがたい悲哀の体験をしたために傷つき、その苦痛から逃れるため、大人の人格へと成長していく本来の人格から分離(解離)され、 取り残された子どものままの残留思念の集合体であり、大人の人格に内在しつつ意志を持つ別人格としての属性を備えたもの」です。
その実証として、SAM前世療法によるインナーチャイルドとの対話を「SAM催眠学序説 その119」で述べています。

こうして、SAM前世療法によって顕現化する「未浄化霊」も、「生き霊」も、「インナーチャイルド」も、実際のセッションにおいては、意志を持つ人格として扱うことができる「見做し人格」だとして、対話をおこないます。
 
また、それらは強力な思念の集合体であり人格としての属性を持つ意識体という意味では、肉体のない「霊的意識体」だととらえています。
そして、未浄化霊も生き霊も、それらはマイナスの思念を抱え、理解を求めている人格的存在だととらえるべきであろうと思われます。

このことについて第9霊信は、
「そして、あなたがもっとも理解すべきなのは、『霊祓い』を選択するのではなく『浄化』を選択することである。・・・霊がいつも求めるものは『理解』であることを忘れないようにしなさい。そしてその本質は『愛』なのだ」
と告げています。

「生まれ変わり仮説」そのものへの諸反論とわたしの見解(反論)については「SAM催眠学序説 その117」をご覧ください。

 

まとめ


わたしの探究の原点は問題意識です。
 
それは、われわれの意識はどこから生じ、どこへ行くのか、死後はあるのかないのか、あるとして生まれ変わりがあるのかないのか、生まれ変わりがあるとしてそれはどのような仕組みになっているのか、意識の本質とは何であるのか、などこれまでの唯物論科学の枠組みでは答えが出せそうもない領域への探究です。
これらの探究を科学の方法をもって、つまり、仮説を設け、仮説に基づいて実践(実験)し、結果を検証し、仮説を検討していくという営みを地道に繰り返しながら、誰もが納得できる科学的な事実の発見を試みる探究の道を持続することです。

しかしながら、意識現象は、計測したり、数量化したり、映像化したりすることは、「意識」が本来的に物質に還元できないものである以上不可能です。
したがって、意識現象を体験した者の体験報告を手がかりとするしか方法論がありません。
それら意識体験の体験報告を累積し、共通項を導き出し、それを客観的事実であろうと見做して仮説の真偽を検証していくこと以外に、現時点では方法論を見出すことができません。
こうした、前提と限界のある霊的意識現象の探究ですが、これまでのSAM前世療法の実践によって明らかにしてきた発見を大きく7点列挙してみます。


ふだん「脳」に管理されている「心(意識・潜在意識)」は、脳の管理下にあるがゆえに、脳の束縛を受け、脳と一体化しているように受け取られる。
したがって「心(意識・潜在意識)」は、脳の生み出している付随現象として理解されているが、それは錯覚である。
潜在意識の優勢化が進むにつれて、心(潜在意識)は、脳の管理下から離脱し、潜在意識は脳への働きかけの自由を得る。
この、心(潜在意識)が脳の束縛から離れ自由を得た状態が「催眠状態」である。
催眠下では、心(潜在意識)の働きかけのままに脳が反応するようになる。
これを催眠学では「言語暗示による運動・知覚・思考などの意識の変性状態」と定義している。


良好な催眠状態を徹底的に深めていくと、潜在意識の深奥には、誰もが「魂状態の自覚」を持っていることが明らかになった。
直近100事例で91%の被験者が「魂状態の自覚」に至っている。    「魂」と呼んでいる意識体が、肉体に内在している間接的実証である。
これまでに、最年少は小学6年生男子、最年長は82才女性、京都大教授2名、名古屋大学准教授1名、東北大学准教授1名、その他私立大学教授を含めて十数名、医師十数名など、知的訓練を十分に受けている被験者たちも「魂状態の自覚」に至っている。 
「魂状態の自覚」に至れば、魂表層に存在している前世人格が、呼び出しに応じて顕現化する。

 
魂表層には前世の諸人格が意識体として生きており、現世の人格を担っている「現世の者」も位置付いている。
それらの魂表層の者たちは互いの人生の智恵を与えあっており、「現世の者」は、良かれ悪しかれ前世の者たちの影響を受けている。
よろしくない影響を受けていると心理的、肉体的諸症状となって現象化する。
そうした症状は、前世の者の訴えであったり、現世の者を守るための警告としての意味を持っている。
その実証として、「SAM催眠学序説 その118」でその実例を挙げてあります。


魂表層に「現世の者」しか存在していない事例がある。つまり、前世がなく、現世が魂として最初の人生である被験者が存在する。生まれ変わりを体験していない魂の持ち主である被験者の共通の性格特性が「無知、無垢」である。
したがって、無知であるがゆえに好奇心が旺盛であり、無垢であるがゆえにナイーブで悪意がなく傷つきやすい。周囲からは悪意のない、いい人だという評価を受けている。


強烈な思念(意識)が凝縮し集合体を形成すると、一個の人格を持つ意識体としての属性を帯びる。
思念(意識)にはそうした本質があり、そのため「未浄化霊」、「生き霊」などと呼ばれてはいるが、それは「霊」ではなく強烈な思念の集合体である。


生まれ変わりの科学的証拠だと自信を持って主張できる事例は、「タエの事例]と「ラタラジューの事例」を語った被験者里沙さん一人でしかない。
しかし、特筆できることは、タエからラタラジューへの生まれ変わりは33年、ラタラジューから里沙さんへの生まれ変わりは64年という生まれ変わりの間隔年数が、タエ、ラタラジュー両前世人格の語りから特定できたことである。
このことについて、20数年かけ2300事例に及ぶ膨大な生まれ変わりの科学的研究をおこなったこの分野の第一人者であるイアン・スティ-ブンソンでさえ、次のように述べている。
「二つ以上の前世を記憶しているという子どもが少数ながら存在するという事実を述べておく必要がある。・・・これまで私は、両方とも事実と確認できるほど二つの前世を詳細に記憶していた子どもをひとりしか見つけ出していない
(『前世を記憶する子どもたち』笠原敏雄訳、日本教文社、P.333)

ただし、スティーヴンソンは、この子どもの二つの前世記憶によって、生まれ変わりの間隔年数が特定できたのかどうかについては一切述べていない。
こうした生まれ変わりの先行研究から見ても、「タエの事例」と「ラタラジューの事例」は、世界的にきわめて希少価値の高い生まれ変わりの実証事例として評価できる。


生まれ変わり(転生)は惰性で繰り返されていないようである。
どういう形をとるかは様々であるが、負荷(試練)を背負い、魂の成長進化を図る目的を持って生まれ変わるらしい。
現世をどう生きるかの青写真は、魂と守護霊との相談によって決められるらしい。
しかし、生前に相談された現世での使命や目的は、魂が肉体に宿ると同時に忘却される。
したがって、生まれてきた使命や目的を、直接知る方法は一切ない。
守護霊との接触によっても、守護霊は教えてはくれない。
現世の肉体に宿った魂が、与えられた負荷をどう乗り越え、現世をどう生きるかは、ひとえに魂の主体性に任されているらしい。


さて、日本の古代史に大胆な仮説を展開し、「日本学」を創始した哲学者梅原猛は、インスピレーションによらない学説などは、たいしたものにはならない、というようなことを述べています。
そして、まさしく、わたしあての霊信はインスピレーションの集積といってよいでしょう。

これまでの催眠研究が取り上げてこなかった「霊的意識諸現象の事実」を、新たな対象領域として位置づけ体系化を試みようとする「SAM催眠学」の提唱には、梅原猛のこうした考え方に触発され、勇気を与えられてきました。

おそらく、催眠研究のアカデミズムに属する大学の研究者が同様の霊信を受け取っても、妄想だと切り捨て、一笑に付すなどして、真摯に向き合うことはまずないだろうと思われます。
そうなれば、「SAM前世療法」も「SAM催眠学」も誕生するはずがありません。
2008年に教職から離れ、多くの公的束縛から解放されて自由なわたしであるからこそ、浮き世のしがらみの希薄になったわたしを選んで、霊信を送ってきたのだと考えるのは、あながち的外れではなかろうと思います。

上越教育大学大学院でのわたしの恩師、教育学博士杵淵俊夫先生が、「哲学を本当にやれるのは浮き世の地位・名誉・欲得から縁のない乞食になることだよ」と語られたことを思い出します。


さて、第1霊信で通信霊は、

 「あなたの探究心の方向性について語ろう。
今後あなたは自分の思うままに前進するべきであり、そのためのこれまでの道のりであった。
あなたは自分の直感を通し得るべき知識を模索していく」と告げています。

第7霊信で通信霊は、

「わが霊団はあなた方を中心としある計画を進めている」と告げ、

第8霊信で通信霊は、

「今回伝えるべきことは、あなた方を含め、多くの者が計画に参加しているということである。
・・・そして、あなた方の参加する計画というゲームはあなた方の考えるよりも大規模なのだと理解しなさい。
楽しむ姿勢を忘れないようにしなさい」と告げています。

さらに、第15霊信では通信霊は、

「これは神とあなた方の交わした約束であり、計画である。
すべてに祈りを、感謝をささげなさい」と告げています。

また、第5霊信で通信霊は、

「今日は、あなたはM子の霊信でどの高級霊が語りかけてくるのだろうかと考えた。
だが、私は高級霊ではない。
あなたの期待を裏切るわけではない。
あなたの感覚をあるがままに感じながら霊信を読みなさい。
かしこまらずに、もっと肩のちからを抜きなさい。
 
私はあなたの上にいる者であり、下にいる者であり、隣にいる者であり、そばにいる者である。
そして、あなたの目の前にいる者である。
そして、あなただけではなく、すべての者に対してもそうである。
だが、人々は私が自然の者だと分からないあまりに、あらゆる手段を通し私を知ろうとする。
そして感じようとする。
私を恐れる者、そして救いを求める者、欲する者、すべての者は同じ平行線の上に立っている。
だが人々はそのことに気づかない」

と、自分は高級霊ではないと否定する存在(神?)が、

「あなたは肩の力を抜きはじめている。
それでいいのだ。
あなた方は、構えていては何も見出せなくなる。
もっと楽しみなさい。
これは『遊び』なのだ。
すべての計画は、そうである」と告げてきました。

第16霊信では、守護霊団の一員で、生前はエドガー・ケイシーだとを名乗る霊が、

「私たちは必要に応じてあなたに語りかけるであろう。
そして、あなたが求める時も、必要に応じて与えるであろう」

と告げ、2007年2月14日以後、M子さんを霊媒に用い自動書記による霊信が途絶えたのち、魂状態の自覚に至ったクライアントに、わたしのガイドや霊団の一員を名乗る霊が憑依しては、クライアントによる口頭での霊信を告げてくることが、数ヶ月ごとに起こるようになり、それが2023年現在に至っても続いています。

こうした口頭による語りかけの霊信内容の概要は、

「自分たちのような霊的存在を知らしめるために降りてきた。
稲垣は自分の進んでいる方向に自信を持ちなさい。
霊的真理を地上に広めなさい。
稲垣の現世最後の仕事がこの先に待っている。
健康に留意してその仕事に備えなさい。
その仕事の内容は今は教えることができない」
ということに集約できます。

また、M子さん経由の霊信が途絶えた2007年の夏に、里沙さんの守護霊の憑依実験をおこない、降りてきた守護霊と40分間にわたる対話をしました。
彼女の守護霊は、わたしの要請でいつでも憑依し、メッセージを伝えてくれるからです。
「私は霊界では異例の存在であり、それは稲垣に霊界の消息を伝える役目を与えられているからだ」と告げているからです。
彼女の場合、守護霊が憑依中の記憶がまったくありません。
フルトランス状態になり、憑依状態による甚だしい疲労が翌日まで残ると言います。
憑依実験で彼女の守護霊がわたしに語った内容は、以下のような5点に要約できます。


タエの事例は偶然ではありません。
計画され、あなたに贈られたものです。
計画を立てた方は、わたくしではありません。
計画を立てた方は、わたくしよりさらに上におられる神です。
タエの事例が出版されることも、新聞に掲載されることも、テレビに取り上げられることもはじめから計画に入っていました。
あなたは、人を救うという計画のために神に選ばれた人です。



あなたのヒーリングエネルギーは、霊界におられる治療霊から送られてくるものです。
治療霊は一人ではありません。
治療霊はたくさんおられます。
その治療霊が、自分の治療分野の治療をするために、あなたを通して地上の人間に治療エネルギーを送ってくるのです。


あなたの今までの時間は、あなたの魂と神とが、あなたが生まれてくる前に交わした約束を果たすときのためにありました。
今、あなたの魂は成長し、神との約束を果たす時期が来ました。            神との約束とは、人を救う道を進むという約束です。
その時期が来たので、ヒーリング能力も前世療法も、あなたが約束を果たすための手段として神が与えた力です。
しかし、このヒーリングの力は万能ではありません。
善人にのみ効果があらわれます。
悪人とはあなたの進む道を邪魔する者です。
今あなたを助ける人がそろいました。どうぞたくさんの人をお救いください。


神はあなたには霊能力を与えませんでした。
あなたには必要がないからです。
霊能力を与えなかった神に感謝をすることです。


守護霊に名前はありません。 
わたくしにも名はありません。
あなたの守護霊は、わたくしよりさらに霊格が高く、わたくしより上におられます。
そういう高い霊格の方に守られている分、あなたにはそれなりの試練と困難が与えられています。
これまでの、あなたに生じた困難な出来事のすべてがはじめからの計画ではありませんが、あなたの魂の成長のためのその時々の試練として与えられたものです。
魂の試練は、ほとんどが魂の力で乗り越えねばなりません。
わたくしたちは、ただ見守るだけです。
導くことはありません。
わたくしたちは魂の望みを叶えるために、魂の成長を育てる者です。
霊能力がなくても、あなたに閃くインスピレーションが守護霊からのメッセージです。                                   それがあなたが迷ったときの判断の元になります。
あなたに神の力が注がれています。
与えられた力を人を救う手段に使って人を救う道に進み、どうぞ神との約束を果たしてください。

さて、読者のみなさん自身に、これまで紹介したような霊信を受け取るという霊的現象が起こったとしたらどのような反応を示されるでしょうか。
世界の三大霊信と呼ばれている、モーゼスの『霊訓』、アラン・カルディックの『霊の書』はともに19世紀末、シルバーバーチの『霊言』は20世紀末の話です。
わたしあて霊信は、これら過去の三大霊信では触れられていない霊的真理として、魂と生まれ変わりの仕組みをわたしに教えることに目的をしぼり、送信されてきた霊信であるという解釈が成り立つかもしれません。
そして、わたしによって(わたしを道具に使って)、霊的真理である魂と生まれ変わりについて、多くの人々に知らしめようという守護霊団の計画なのかもしれません。

ですが私の態度は明確です。
このブログの「コメント投稿の留意点」として掲げてある「いかなる意識現象も先験的に否定せず、いかなる意識現象も検証なくして容認せず」です。


霊媒としての貴重な役割を担ってくれた霊信受信者M子さん、里沙さん両者の誠実な人間性を疑うことはありませんが、受信中において、無意識的に彼女ら自身の期待や願望が反映し、混入している可能性は排除できないでしょう。
とりわけ、「神」という言葉が用いられ、語られることには要注意です。
「神との約束」、「神の計画」などの霊信をわたしが軽々に信じ、メサイア・コンプレックス(救世主コンプレックス)や、誇大な選民思想などの過ちに陥ることを十分に警戒しなければなりません。
わたしは、できるだけ簡素で、できるだけ自給的で、喜びを中心とした日常生活を理想としている一介の催眠療法実践者です。

したがって、両者の霊信受信という意識現象も、「検証なくして容認せず」です。
検証できないからには否定もできないが、容認することも判断留保としておく、ことが偏りのない柔軟で公正な態度であろうと思います。
そして、これまでの検証できたことに限れば、わたしあて霊信内容に矛盾がないことが明らかになっています。

そして、第5霊信で「神」とおぼしき存在が、「構えていては何も見出せなくなる。もっと楽しみなさい。これは『遊び』なのだ。すべての計画は、そうである」と告げたように、これから先々起こることに、来るべきときに来るものは来ると、肩の力を抜いて楽しんでいこう、というのがわたしの心境の現時点のありようです。

さて、「催眠学序説 その164」 を閉じるにあたって、わたしの脳裏に思い起こされるのは、わたしの心境の現時点の到達点にかかわっているもうひとつのもの、『モーゼスの霊訓』(霊信)にある、インぺレーターと名乗る高級霊の告げている霊信の次の一節です。

「霊界より指導に当たる大軍の中には、ありとあらゆる必要性に応じた霊が用意されている。(中略)
筋の通れる論証の過程を経なければ得心のできぬ者には、霊媒を通じて働きかける声の主の客観的実在を立証し、秩序と連続性の要素をもつ証明を提供し、動かぬ証拠の上に不動の確信を徐々に確立していく。

さらに、そうした霊的真理の初歩段階を卒業し、物的感覚を超越せる、より深き神秘への突入を欲する者には、神の深き真理に通暁せる高級霊を派遣し、神性の秘奥と人間の宿命について啓示を垂れさせる。
かくのごとく人間には、その程度に応じた霊と相応しき情報とが提供される。
これまでも神は、その目的に応じて手段を用意されてきたのである。
今一度繰り返しておく。

スピリチュアリズムは、曾ての福音の如き見せかけのみの啓示とは異なる。
地上人類へ向けての高級界からの本格的な働きかけであり、啓示であると同時に宗教でもあり、救済でもある。
それを総合するものが、スピリチュアリズムにほかならぬ。(中略)
常に分別を働かせねばならぬ。

その渦中に置かれた者にとっては、冷静なる分別を働かせることは容易ではあるまい。
が、その後において、今汝を取り囲む厳しき事情を振り返った時には、容易に得心がいくことであろう」
(近藤千雄訳『霊訓』「世界心霊宝典」第1巻、国書刊行会)

インペレーターと名乗る高級霊から牧師スティトン・モーゼスに送信された上記霊信の、この引用部分は、わたしに向かって発信された啓示であるかのような錯覚すら覚えます。
高級霊インペレーターが説いているように、SAM前世療法にとりかかる前のわたしは、「筋の通れる論証の過程を経なければ得心のできぬ者」のレベルにありました。

だから、「秩序と連続性の要素を持つ証明を提供し、動かぬ証拠の上に不動の確信を徐々に確立していく」ために、「動かぬ証拠」として、わたしあての霊信現象、「タエの事例」、「ラタラジューの事例」をはじめとして、ヒーリング能力の出現などの超常現象が、霊的存在から次々に提供されているような気がしていました。

そうした直感の真偽を確かめるために、里沙さんの守護霊に尋ねてみるという憑霊実験を試みたわけです。
 

「常に分別を働かせねばならぬ」と言うインペレーターの忠告に従っていることにもなるのでしょう。
そして、分別を働かせた結果の帰着点は、霊的存在を排除しては説明できないのではないかということでした。

かつてのわたしであれば、例えばヒーラーと称する者のヒーリング効果の解釈として、プラシーボ効果であるとか、暗示効果であるとか、信念の心身相関による効果であるとか、現行唯物論科学による合理的説明に躍起となって、それを公正な科学的態度だと信じて疑わなかったと思います。
 

今、自分自身に突如ヒーリング能力があらわれ、その説明は霊的存在抜きには(霊的真理抜きには)考えられない事態に追い込まれている言えます。
そして、「動かぬ証拠」を次々に提供され、ようやく「霊的真理の初歩段階を卒業」しかけている自分を感じています。

やはりわたしは、自分自身の直接の霊的体験にこそ、唯物論科学がそれをどう否定しょうと、その体験を認めざるをえない真実の力があると言わざるをえません。

交霊能力のあった著名なスピリットヒーラーであるハリー・エドワーズは、ヒーリングによる治療を手段に、地上の人々を霊的覚醒に導く計画であることを知っていたと言います。(ハリー・エドワーズ著、梅原隆雅訳『霊的治療の解明』国書刊行会)

里沙さんの守護霊が伝えてくれた「人を救うという計画」という語りがそれを指しているとすれば、わたしは、SAM前世療法とヒーリングを道具に、霊的真理を広める道に進むような流れに乗っているのかも知れません。

そして、これからもわたしが、SAM前世療法とヒーリングを、霊的真理を広めるために与えられた道具として役立たせる道を愚直に実践していく志を持続することができれば、ヒーリング能力・浄霊能力の覚醒の謎も、わたしあて霊信の意味も、おのずと開示されていくのではないかと思います。


 

2023年7月4日火曜日

わたしあて霊信の真偽の検証 その1

SAM催眠学序説 その163 

 

2007年1月11日22時44分、拙著の読者M子さんへのパソコンによる自動書記を経由して最初のわたしあて霊信が届きました。                   

その後、同年2月14日20時51分着信を最後に、1ヶ月余、毎夜続いたM子さんを介しての自動書記による霊信は今日まで途絶えています。                     

霊信が始まったきっかけは、偶然と言ってよいことでした。

わたしの著書『前世療法の探究』春秋社、2006年、を読んだM子さんが感想をメールしてくれ、そのなかで、自分は幼いときからチャネリングができると書いてきました。

チャネリングとは霊的存在とコンタクトがとれる能力(霊媒能力)だということはおおよそ知っていましたが、M子さんは、いわゆるチャネラーに憧れている「スピリチュアルかぶれ」の娘さん(当時彼女は26歳で東京在住の派遣社員)の一人ではなかろうか、程度の認識でした。

そこで、わたしはせっかくメールをいただいたので、礼儀と興味半分で「わたしについてチャネリングをしてもらえませんか」という返信メールを送付しました。 それが2007年1月11日の21時半前後でした。               その約1時間余にA4用紙びっしり4枚分の最初の第1霊信が届いたというわけです。

わたし自身はこうした霊信現象が届くという体験は、もちろん初めてでしたし、特に信仰心の篤い人間でもなく、過去に自分あての霊信を望んだことなども一切なく、そのわたしあてにどうして霊信が届くのか、きわめて不可解な現象としか思えませんでした。

ただし、わたしは、ガチガチの唯物論者で無神論者というわけでもなく、人間知性を超越したいわゆる something great(なにか偉大なる存在)を想定してもいいのではないか程度の漠とした認識はありました。

わたしあて霊信の受信者の役割を果たしてくれているM子さんとは、現世ではまったくの面識がなく拙著『前世療法の探究』の著者と読者の関係でしかありません。

それまでのわたしの知識では、霊信は、受信対象の当事者に直接送信される現象であり、第三者を経由して送信されることはないと思っていました。

日本においても、天理教や大本教では、初代教祖となる年輩の女性あてに、毛筆による自動書記(お筆先)という形で直接に神的存在から霊信が送信されたとされているようです。

わたしには、自動書記による受信能力などは皆無ですから、わたしあてに直接送信されることはないでしょうし、仮にわたしの脳内に直接霊信が受信されても、わたしは自分の妄想として片付けてしまったに違いないでしょう。        

送信している霊的存在は、そういうわたしの性向を知った上で、M子さんを経由させたのではないかと思われました。

今回のわたしあて霊信が、M子さん経由であれば、少なくともわたし自身の妄想である疑いは排除され、受信者のM子さんの妄想による作文ではないかという疑いが残ることになります。

おそらく、送信霊は、探究心が旺盛でこだわりが強いわたしのそうした性向を見抜いたうえで、霊信を第三者のM子さんを霊媒として用い送信してきたのではないか、と思われました。

そして、送信霊の思惑通りに、わたしは霊信内容の信憑性を検証し、霊信の真偽の探究に乗り出したと言うわけです。 

こうして、本ブログのコンセプトは「生まれ変わりや霊魂の実在について、いかなる意識現象も先験的に否定せず、いかなる意識現象も検証なくして容認せず、観念より事実、理屈より実証に重きをおく内容です」と『コメント投稿の留意点』で謳っていることを実践することにしました。

 

Ⅰ 予言の信憑性についての検証

霊信内容の真偽の検証に当たって、もっとも結果が明白に確認できることは、霊信で告げられている予言実現の当否の検証です。

予言が的中していれば、少なくとも予言の真偽については真実であったという検証が成り立ちます。

霊信では4点の予言が告げられています。                  以下に予言の内容とその実現について現時点までに検証できたことを列記します。

 

【予言その1】

「あなたが癒しを起こすとき、多くの高級霊が治療霊としてあなたのもとに集まる」(第1霊信)ヒーリングができるという予言

 検証結果

この予言は、いわゆる治療霊団による治療エネルギーが、わたしの肉体を介して治療を必要とする者の患部に贈られるというスピリットヒーリング現象を意味している。                                   検証の結果、初期子宮癌の消失をはじめ、腰痛・肩関節痛・脊柱ヘルニア痛みなどの改善が確認できている。                         末期肝臓癌2例については、癌細胞の消失は起きなかったが痛みに苦しむことなく死を迎えられたという報告を受けている。                 一方、改善が起きなかった事例は、パーキンソン病の震えは止まったが完治はしなかった。                                 もう一例は蓄膿症の完治はできなかった。血流の改善、歯痛を除く各種痛みの改善には効果が検証できた。                        また、遠隔ヒーリングでも効果が確認できた。                なお、プラシーボ効果の疑いを払拭するために、犬と猫各1匹の癌のヒーリングでは、犬の前足付け根の癌は消失、猫の額の癌の癌細胞が石灰化して増殖しなくなった結果元気になったという報告を受けている。

 

 【予言その2】

 「今回伝えるべきことは、・・・そして、あなたはいずれ前回とは異なる内容の本を出版する事となる。全貌が異なるのではなく、方向性が異なるのだ。それは、多くの人をひきつけるものとなる」(第8霊信)本の出版の予言

 検証結果

2007年1月のこの予言から3年後の2010年10月に、2冊目の拙著『生まれ変わりが科学的に証明された』をナチュラルスピリット社から出版することができた。                                    わたしは1冊目の『前世療法の探究』春秋社、2006、の初めての出版で編集作業の大変なことを実感し、2冊目の出版など考える余地などまったくなかった。            したがって、2冊目の本の内容が「全貌が異なるのではなく、方向性が異なる」という予言の意味も全く理解不能であった。                             

2冊目の応答型真性異言事例の紹介という主題は、前世療法による生まれ変わりの実証を取り上げたという点では1冊目と全貌は異なってはいない。                               

しかし、前世人格の顕現化という霊的現象、霊的存在と生まれ変わりを科学的事実だと認める明確な方向性は、1冊目ではためらっていたことであった。                   こうした点から、本の全貌は異なっていないが方向性が異なる、という第8霊信の予言は的中していると認めざるを得ない。


 【予言その3】

 「そして、前世療法についてだが、あなたは自らの霊性により独自性を持つようになる。あなたの療法は、あなたにしかできないものになる。それは、M子も同様である。あなた方は、今度その療法に関わるがそれだけに限定するのではなく、別のもの同時進行するのだと理解しなさい」(第11霊信)SAM前世療法の予言

検証結果

この予言の1年後の2008年末に「SAM前世療法」が登録商標として認可されることになった。                                     SAM前世療法では、「魂状態の自覚まで催眠を深め魂表層を構成している前世人格を呼び出し対話する」ことを仮説とし、そのために工夫を重ねた独自の催眠誘導技法を「魂遡行催眠」と名付けている。                            「前世の記憶を想起させる」一般的な前世療法とは、仮説も催眠法も一線を画した世界唯一の前世療法だと自負している。                                            したがって、この第11霊信の前世療法についての予言は実現したと判断できる。

 

【予言その4】

 「あなたは今世で出会うべき女性がいる。その女性とはあなたが過去世において死別した愛する者である。その者は、まだしばらくはあなたと再会することはない。あなたは、その者にある約束をした。それは、その者が死後あなたが彼女へと誓った者である。そして、その者は死後あなたからの約束を聞いていた。なぜ、出会う前にあなたにこの話を語るのか。それはあなたがその事に興味を抱くという事が重要だからである。あなたはその者が誰なのか、いつ出会うのか、どのような死別を経験したのか、それらに興味を抱くだけでよいのだ。そこから、あなたは引き寄せられていく。あなたの魂の傷を持つ者は求め始める。それでよい。あなたは、それを許すだけでよいのだ。                        あなたが今後出逢い癒しを与える者によりその女性とのつながりは得られる。あらゆるものが交差し、その線は一本につながる。それを理解しなさい。その糸はM子からは生じない。あなたの今現在知る者からは、そのきっかけは得られない。  だが、いずれそこにつながる者なのだと理解しなさい。あなたは、あなたの魂の傷を持つ者が求める者と再会するだろう。(第14霊信)前世の女性と出会いの予言

検証結果

該当したご本人のプライバシー守秘義務のため、この予言内容どおりの女性とは、その後のSAM前世療法のクライアントとして数年後に実際に出会っていますとだけ言っておきます。

ただし、この予言に該当する女性は複数出現している。  

こうして、この第14霊信の予言も実現していると判断できます。

以上4点の予言のうち、M子さんの作文可能性のある予言は【予言その2】の本の出版予言くらいでしょうか。                            なぜなら、彼女は1冊目の本『前世療法の探究』を読んでいるからです。

 

Ⅱ 霊信による教示の信憑性の検証

 

 2007年1月23日0:06着信の第11霊信で通信霊は、
「あなたが長年探究してきたものは、これまでの視点 からでは成長は望めない。
・・・あなたが探究すべきものは、これまでよりもさらに深奥にあるものである。
魂の療法のみあらず、あらゆる霊的存在に対する奉仕となるものである。
それは命あるものすべてにつながり、私たちへも強いつながりをもつ。
そのために、あなたは自らの内にある疑問をまとめておく必要がある。
あなたがこれまで探究してきた道の中であなたが処理できないでいるもの、そして人の理解を超えるものについて、私たちでなければ答えられないものについてまとめなさい」と告げてきました。


「人の理解を超えるもの」について、霊界の住人であり、人の理解を超えるものについて知っているであろう高級霊が、わたしの質問について答えると言うのです。
わたしは「人の理解を超えるもの」 について、早速16の質問をつくり、M子さんに返信しました。
すると、なんとその90分後に、A4用紙9枚にわたる通信霊からの回答が届きました。
回答を考えながら A4用紙1枚を10分で打つことは、ほぼ不可能です。
通信霊を装った
M子さんの作文による回答ではなく、したがって、霊的存在からの自動書記による回答である可能性が高いと判断してよいだろうと思われました。
 
 
1「意識 ・脳二元論」「魂の二層構造」の教示

 
わたしの理解を超えること、高級霊(通信霊)でなければ答えられないこと、についてわたしの疑問の第一は、魂・脳・心・意識(潜在意識を含む)の相互の関係でした。

第11霊信で、「あなたが探究すべきものは、これまでよりもさらに深奥にあるものである」と通信霊は告げていますから、第12霊信、第13霊信、第14霊信、第15霊信、第17霊信の回答は、「これまでよりもさらに深奥にあるもの」を示唆しているのであり、わたしが「探究すべきもの」であると思われました。


第12霊信、第13霊信、第14霊信、第15霊信、第17霊信における通信霊の、魂・脳・意識・心、の関係性についての難解な諸回答をまとめると次のA~Hようになります。

A 「脳」「意識」を生み出していない。

B 「意識」を 生み出しているものは、「魂の表層」を構成している前世の者たちである。つまり、前世の者たちは「魂の表層」に存在している。したがって、「魂」は、中心(核)となる意識体とその表層を構成する前世の者たちとの「二層構成」となっている。

C 「魂表層」の前世の者たちによって生み出された「意識」は、肉体を包み込んでいる「霊体」に宿っている。霊体はオーラとも呼ばれる。

D 「魂表層」の前世の者たちは、互いにつながりを持ち、友愛を築き、与え合うことを望んでいる。つまり、前世の者たちは、意識体として「魂の表層」に存在し相互に交流を営んでいる。 

現世の「わたし」という人格も「魂の表層」に位置づいており、生まれ変わりであるすべての前世の者たちとつながりをもち、友愛を築き与え合うことを望んでいる。

F  死後、「霊体」は肉体から離れ、霊体に宿っていた「意識」「魂」に取り込まれる。取り込まれる先は、生きている間は「魂の表層」「現世の者」であり、死後は「魂の表層」の、現世の直前を生きた前世の者、として位置づくであろうと推測される。

G 「心」「意識」を管理している。「心」「魂」が外部の情報を入手するための道具である。したがって「心」が傷つくことはない。したがって、心と意識は同義ではないが、便宜上、「心=意識」として扱うことに支障はない。

H 「脳」「心」を管理している。脳は心(意識)を管理しているため、見かけ上、脳と心(意識)が一体化しているように受け取られる。このことによって、心は 脳の付随現象であり、脳が心(意識)を生み出しているという「心と脳の一元論」が唱えられているが、脳と心(意識)は本来、別のものである。 
「脳」「心」を管理はしているが、「心」を生み出しているわけではない。
「脳」は外部の情報をまとめる役目をつかさどる。 
「脳」はデータを管理している。

これら上記A~Hの回答は、まさしく「人の理解を超えるもの」であり、26才の霊信受信者M子さんが、作文して回答できるとは思われません。
人間を超えた存在である高級霊であってこそ、はじめて回答できる内容であると評価せざるを得ません。

しかも興味深いことに、第12霊信でA4用紙9枚にわたる回答を告げてきた送信霊は、わたしの16の質問の回答をした後の霊信の末尾で、

「M子という人間が答えられる問題は、ここには存在しない。・・・これは私からの霊信であり、M子の言葉ではない。 M子の妄想ではない。妄想では答えられないものである」と念押しをするかのように告げています。
 
ちなみに、第12霊信の送信霊は、「私は稲垣の祖父の守護霊とつながりを持つ者であり、あなた方の世界で表現すると、遠い昔、転生を終えた者である」と告げています。

さて、回答Aの「心・脳二元論」の立場は、大脳生理学者でノーベル賞の受賞者であるペンフィールド、エックルズ、スペリーなどが晩年になって唱えており、世界的催眠研究者である成瀬悟策医学博士も、晩年になってからこの立場をとっています。

これら「心・脳二元論」の提唱者たちは、脳が心(意識)を生み出してはいないのだと主張はしても、では心(意識)を生み出しているものは、どこに存在するかについては一切語っていません。
それは人知を超えることであり、想像もできないということでしょう。
通信霊は、心(意識)を生み出す存在は、「魂表層の前世の者たちである」と明確に告げています。

わたしは霊信にしたがい、「心・脳二元論仮説」と「魂の二層構成仮説」に基づき、A~Hの霊信内容の信憑性の真偽を、催眠を道具に用いてできるかぎりの徹底的な検証と探究をしようと決心しました。
この検証の過程で、徐々に定式化していった前世療法こそ、2008年6月に創始した「SAM前世療法」です。

特筆すべきことは、第11霊信で私の疑問に回答すると告げた通信霊が同じ第11霊信の中で、 

「そして、前世療法についてだが、あなたは自らの霊性により独自性を持つようになる。あなたの療法は、あなたにしかできないものになる」と、この霊信1年半後の2008年6月に創始したSoul Approach Method の略「SAM前世療法」について、すでに予言していることです。

通信霊は、前掲A~Hの回答を得たわたしが、当然のように、回答に基づいた独自の前世療法(SAM前世療法)を、新たに創始することをすでに見通していたのではないかと思われます。
おそらく、SAM前世療法の創始をさせるための目的で第11霊信が送られたと思われます。
 
第7霊信で通信霊は、「わが霊団はあなた方を中心としある計画を進めている」と告げていますから、わたしにSAM前世療法の創始を担わせたことは「計画」のうちに入っていたのではないかと思われます。

そして、「SAM前世療法」によってA~Hの作業仮説が検証され、生まれ変わりが科学の方法によって実証された事例が「タエの事例」と「ラタラジューの事例」です。
タエもラタラジューも、SAM前世療法によって、被験者里沙さんを「魂状態の自覚」まで誘導し、魂表層から呼び出され、顕現化した前世人格(前世の者)なのです。

フジTVアンビリ放映の、編集された「タエの事例」「ラタラジューの事例」の元になっている全セッション記録動画は、you-tubeで公開してあります。
 
この動画をご覧になれば、タエとラタラジュー両人格の顕現化現象を、「前世の記憶」である、という解釈では説明が成り立たないことは明白です。
とりわけラタラジュー人格は、明らかに現在進行形の会話である証拠を残しているからです。
ちなみに、タエ・ラタラジュー両事例の信憑性を、具体的事実に基づいて反証を挙げて科学的に批判した論者は、皆無です。

また、「タエの事例」の逐語録は「SAM催眠学序説 その35~40」において、
「ラタラジューの事例」の逐語録は「SAM催眠学序説 その23~32」において、詳細に検討しています。

また、「魂の転生」のしくみと「生まれ変わり」の関係については「SAM催眠学序説 その123」で「魂の二層構成仮説」を模式図によって説明してあります。

 

2「憑依仮説」の教示


SAM前世療法の「魂遡行催眠」と名付けている特殊な技法を用いて、被験者を「魂状態の自覚」に誘導する過程で、被験者に未浄化霊と呼ばれている霊的存在が憑依していると、そうした存在が救いを求めて顕現化することが観察されます。
 SAM催眠学では、そうした霊的存在の憑依を認める立場をとっています。
ここで言う「霊的存在」とは、「肉体を持たない人格的意識体」を意味しています。

霊的存在には肉体がありませんから、肉体を持つ被験者の肉体を借りて一個の人格として自己表現をします。こうした現象を憑依と呼んでいます。        こうした憑依する人格的意識体を憑依霊と呼んでいます。

憑依霊は未浄化霊だけに限りません。守護霊を名乗る高級霊や神の使いと称する高級霊も、「魂状態の自覚」に至ると、必要に応じて何らかのメッセージを携えて憑依します。
こうして「魂状態の自覚」に至ると霊的存在の憑依現象が起こることを認める立場を「憑依仮説」と呼びSAM催眠学の骨格をなす仮説の一つとして位置づけています。

さらに、「魂状態の自覚」に至り、魂表層から顕現化した前世人格は、生まれ変わりである現世の者(被験者)の肉体を借りて自己表現します。
この現象は、未浄化霊や高級霊など第三者としての霊的意識体の憑依と同様な現象であり、前世人格の憑依現象を「自己内憑依」と名付けています。

つまり、現世の者の内部(魂)に存在している肉体のない前世人格が、生まれ変わりである現世の者に憑依し自己表現する、という意味です。          したがって、「前世人格の顕現化」「自己内憑依」現象だと言い換えることができます。
自分の魂表層に存在している前世人格が、自分に憑依すること、これが自己内憑依です。

「 魂状態の自覚」を体験した被験者のほとんどが、その意識状態の自覚に至ると体重の感覚がなくなると報告します。
おそらく、普段の状態では肉体という器に内在する魂は、なんらかの形で肉体と緊密な結びつきを保っていたのが、「魂状態の自覚」に至るとその結びつきが解かれ、肉体と魂が分離した状態になる、したがって、体重感覚の喪失感が生じるのではないかと推測されます。
被験者の中には、魂と呼ぶ意識体が、肉体の外に分離している感覚(体外離脱)を報告することもあります。


つまり、「魂状態」とは、肉体を持たない霊的存在と同様な状態になっていると考えられ、したがって、霊的存在と同じく肉体を持たない意識体の次元に至っているので、霊的存在との接触(コンタクト)、つまり憑依が起こりやすいのではないかと推測しています。
ちなみに、SAM催眠学では、肉体を持たない意識体を「霊」、霊が肉体に入り肉体という器を持てば「魂」と定義しています。

 
3「霊体仮説」の教示

2007年1月25日22:47着信の第14霊信で通信霊は、
「霊体とは魂ではない。それは、ある時はオーラと呼ばれもする。
それは、・・・肉体を保護する役割を担うものでもある。
魂を取り囲み、それはあなたという存在を構成するための一材料となる。
霊体は、ある意味においてはあなた方が『あなたという人間であるため』の意識を独立して持つための役割を担うものでもある」
と告げています。

霊体の色をオーラとして感知できる能力者には、肉体の傷んでいる部分のオーラの周囲の色が黒ずんで見えること、オーラの色が澄んでいる場合には、肉体の健康状態が良好であることを言い当てることができるという検証結果が得られています。
 
こうして、霊体と肉体の両者には互いに影響を与え合う密接な相互影響関係があると推測できます。
したがって、霊体は、エクトプラズムのように何らかの半物質的な要素・性質を帯びている可能性が考えられます。

また、互いに面識のない、オーラを感知できる10名を越える能力者が、それぞれに、わたしのオーラ(霊体)の色として同一の色を報告しています。

こうして、霊体と肉体には、双方に共通の何らかの要素・性質が存在し、そのため相互に影響を与え合う関係がある、とする仮説も「霊体仮説」には含まれています。

また、Cで述べたように、われわれ生きている人間は、肉体を包み込んでいる霊体を持っている、霊体には意識・潜在意識が宿っている、と考えるのが「霊体仮説」です。

そして、霊体には意識・潜在意識が宿っている、という仮説と、霊体と肉体には、双方に共通の何らかの要素・性質が存在する、という両仮説の検証実験の累積によって、「魂遡行催眠」というSAM前世療法以外に類のない固有・独創の誘導技法が生み出されました。
「SAM前世療法」が、すでに「前世療法]という用語があるにもかかわらず登録商標として認められたのは、その固有性、独創性が認められたからです。

 
残留思念仮説」の教示

2007年1月20日1:01着信の第8霊信で通信霊は、
「あなたは、すべては『意識』であると理解していた。
ことばとしての『意識』をあなたは理解している。
だが、その本質はまだ理解には及んではいない。
あなたが覚醒するにしたがって、それは思い出されるものとなる」
と告げています。

また2007年1月23日22:58着信の第12霊信で通信霊は、
「この世に残る未成仏霊(未浄化霊)のような存在は、残留思念の集合体である。
だが、それらは意志を持つようにとらえられる。
よって、魂と判断されがちだが、それらは魂とは異なるものである」
と告げています

以上のような2007年の霊信を受け取ってから、16年間にわたるSAM前世療法の仮説と検証の実践の繰り返しを経て、わたしは「意識の本質」の一つとして、「強力な思念(意識)の集合体は、一個の人格としての属性を帯びた意識体になる」と考えるようになっています。
この仮説をSAM催眠学では、「残留思念仮説」と名付けています。

「残留思念仮説」によって定義すれば、

「未浄化霊」とは、「この世に何らかの強い未練があるために、救いを求めてさまよっている残留思念の集合体であり、意志を持つ人格としての属性を備えたもの」です。

「生き霊」とは、「強力な嫉妬や憎悪によって、魂表層の『現世の者』から分離した思念の集合体であり、意志を持つ人格としての属性を備えたもの」です。
その実証として、SAM前世療法による生き霊との対話を、「SAM催眠学序説 その115」で述べています。

「インナーチャイルド」とは、「耐えがたい悲哀の体験をしたために傷つき、その苦痛から逃れるため、大人の人格へと成長していく本来の人格から分離(解離)され、 取り残された子どものままの残留思念の集合体であり、大人の人格に内在しつつ意志を持つ別人格としての属性を備えたもの」です。
その実証として、SAM前世療法によるインナーチャイルドとの対話を「SAM催眠学序説 その119」で述べています。

こうして、SAM前世療法によって顕現化する「未浄化霊」も、「生き霊」も、「インナーチャイルド」も、実際のセッションにおいては、意志を持つ人格として扱うことができる「見做し人格」だとして、対話をおこないます。
 
また、それらは強力な思念の集合体であり人格としての属性を持つ意識体という意味では、肉体のない「霊的意識体」だととらえています。
そして、未浄化霊も生き霊も、それらはマイナスの思念を抱え、理解を求めている人格的存在だととらえるべきであろうと思われます。

このことについて第9霊信は、
「そして、あなたがもっとも理解すべきなのは、『霊祓い』を選択するのではなく『浄化』を選択することである。・・・霊がいつも求めるものは『理解』であることを忘れないようにしなさい。そしてその本質は『愛』なのだ」
と告げています。

「生まれ変わり仮説」そのものへの諸反論とわたしの見解(反論)については「SAM催眠学序説 その117」をご覧ください。

 
まとめ

わたしの探究の原点は問題意識です。
 
それは、われわれの意識はどこから生じ、どこへ行くのか、死後はあるのかないのか、あるとして生まれ変わりがあるのかないのか、生まれ変わりがあるとしてそれはどのような仕組みになっているのか、意識の本質とは何であるのか、などこれまでの唯物論科学の枠組みでは答えが出せそうもない領域への探究です。
これらの探究を科学の方法をもって、つまり、仮説を設け、仮説に基づいて実践(実験)し、結果を検証し、仮説を検討していくという営みを地道に繰り返しながら、誰もが納得できる科学的な事実の発見を試みる探究の道を持続することです。

しかしながら、意識現象は、計測したり、数量化したり、映像化したりすることは、「意識」が本来的に物質に還元できないものである以上不可能です。
したがって、意識現象を体験した者の体験報告を手がかりとするしか方法論がありません。
それら意識体験の体験報告を累積し、共通項を導き出し、それを客観的事実であろうと見做して仮説の真偽を検証していくこと以外に、現時点では方法論を見出すことができません。
こうした、前提と限界のある霊的意識現象の探究ですが、これまでのSAM前世療法の実践によって明らかにしてきた発見を大きく7点列挙してみます。


ふだん「脳」に管理されている「心(意識・潜在意識)」は、脳の管理下にあるがゆえに、脳の束縛を受け、脳と一体化しているように受け取られる。
したがって「心(意識・潜在意識)」は、脳の生み出している付随現象として理解されているが、それは錯覚である。
潜在意識の優勢化が進むにつれて、心(潜在意識)は、脳の管理下から離脱し、潜在意識は脳への働きかけの自由を得る。
この、心(潜在意識)が脳の束縛から離れ自由を得た状態が「催眠状態」である。
催眠下では、心(潜在意識)の働きかけのままに脳が反応するようになる。
これを催眠学では「言語暗示による運動・知覚・思考などの意識の変性状態」と定義している。


良好な催眠状態を徹底的に深めていくと、潜在意識の深奥には、誰もが「魂状態の自覚」を持っていることが明らかになった。
直近100事例で91%の被験者が「魂状態の自覚」に至っている。    「魂」と呼んでいる意識体が、肉体に内在している間接的実証である。
これまでに、最年少は小学6年生男子、最年長は82才女性、京都大教授2名、名古屋大学准教授1名、東北大学准教授1名、その他私立大学教授を含めて十数名、医師十数名など、知的訓練を十分に受けている被験者たちも「魂状態の自覚」に至っている。 
「魂状態の自覚」に至れば、魂表層に存在している前世人格が、呼び出しに応じて顕現化する。

 
魂表層には前世の諸人格が意識体として生きており、現世の人格を担っている「現世の者」も位置付いている。
それらの魂表層の者たちは互いの人生の智恵を与えあっており、「現世の者」は、良かれ悪しかれ前世の者たちの影響を受けている。
よろしくない影響を受けていると心理的、肉体的諸症状となって現象化する。
そうした症状は、前世の者の訴えであったり、現世の者を守るための警告としての意味を持っている。
その実証として、「SAM催眠学序説 その118」でその実例を挙げてあります。


魂表層に「現世の者」しか存在していない事例がある。つまり、前世がなく、現世が魂として最初の人生である被験者が存在する。生まれ変わりを体験していない魂の持ち主である被験者の共通の性格特性が「無知、無垢」である。
したがって、無知であるがゆえに好奇心が旺盛であり、無垢であるがゆえにナイーブで悪意がなく傷つきやすい。周囲からは悪意のない、いい人だという評価を受けている。


強烈な思念(意識)が凝縮し集合体を形成すると、一個の人格を持つ意識体としての属性を帯びる。
思念(意識)にはそうした本質があり、そのため「未浄化霊」、「生き霊」などと呼ばれてはいるが、それは「霊」ではなく強烈な思念の集合体である。


生まれ変わりの科学的証拠だと自信を持って主張できる事例は、「タエの事例]と「ラタラジューの事例」を語った被験者里沙さん一人でしかない。
しかし、特筆できることは、タエからラタラジューへの生まれ変わりは33年、ラタラジューから里沙さんへの生まれ変わりは64年という生まれ変わりの間隔年数が、タエ、ラタラジュー両前世人格の語りから特定できたことである。
このことについて、20数年かけ2300事例に及ぶ膨大な生まれ変わりの科学的研究をおこなったこの分野の第一人者であるイアン・スティ-ブンソンでさえ、次のように述べている。
「二つ以上の前世を記憶しているという子どもが少数ながら存在するという事実を述べておく必要がある。・・・これまで私は、両方とも事実と確認できるほど二つの前世を詳細に記憶していた子どもをひとりしか見つけ出していない
(『前世を記憶する子どもたち』笠原敏雄訳、日本教文社、P.333)

ただし、スティーヴンソンは、この子どもの二つの前世記憶によって、生まれ変わりの間隔年数が特定できたのかどうかについては一切述べていない。
こうした生まれ変わりの先行研究から見ても、「タエの事例」と「ラタラジューの事例」は、世界的にきわめて希少価値の高い生まれ変わりの実証事例として評価できる。


生まれ変わり(転生)は惰性で繰り返されていないようである。
どういう形をとるかは様々であるが、負荷(試練)を背負い、魂の成長進化を図る目的を持って生まれ変わるらしい。
現世をどう生きるかの青写真は、魂と守護霊との相談によって決められるらしい。
しかし、生前に相談された現世での使命や目的は、魂が肉体に宿ると同時に忘却される。
したがって、生まれてきた使命や目的を、直接知る方法は一切ない。
守護霊との接触によっても、守護霊は教えてはくれない。
現世の肉体に宿った魂が、与えられた負荷をどう乗り越え、現世をどう生きるかは、ひとえに魂の主体性に任されているらしい。


さて、日本の古代史に大胆な仮説を展開し、「日本学」を創始した哲学者梅原猛は、インスピレーションによらない学説などは、たいしたものにはならない、というようなことを述べています。
そして、まさしく、わたしあての霊信はインスピレーションの集積といってよいでしょう。

これまでの催眠研究が取り上げてこなかった「霊的意識諸現象の事実」を、新たな対象領域として位置づけ体系化を試みようとする「SAM催眠学」の提唱には、梅原猛のこうした考え方に触発され、勇気を与えられてきました。

おそらく、催眠研究のアカデミズムに属する大学の研究者が同様の霊信を受け取っても、妄想だと切り捨て、一笑に付すなどして、真摯に向き合うことはまずないだろうと思われます。
そうなれば、「SAM前世療法」も「SAM催眠学」も誕生するはずがありません。
2008年に教職から離れ、多くの公的束縛から解放されて自由なわたしであるからこそ、浮き世のしがらみの希薄になったわたしを選んで、霊信を送ってきたのだと考えるのは、あながち的外れではなかろうと思います。

上越教育大学大学院でのわたしの恩師、教育学博士杵淵俊夫先生が、「哲学を本当にやれるのは浮き世の地位・名誉・欲得から縁のない乞食になることだよ」と語られたことを思い出します。


さて、第1霊信で通信霊は、

 「あなたの探究心の方向性について語ろう。
今後あなたは自分の思うままに前進するべきであり、そのためのこれまでの道のりであった。
あなたは自分の直感を通し得るべき知識を模索していく」と告げています。

第7霊信で通信霊は、

「わが霊団はあなた方を中心としある計画を進めている」と告げ、

第8霊信で通信霊は、

「今回伝えるべきことは、あなた方を含め、多くの者が計画に参加しているということである。
・・・そして、あなた方の参加する計画というゲームはあなた方の考えるよりも大規模なのだと理解しなさい。
楽しむ姿勢を忘れないようにしなさい」と告げています。

さらに、第15霊信では通信霊は、

「これは神とあなた方の交わした約束であり、計画である。
すべてに祈りを、感謝をささげなさい」と告げています。

また、第5霊信で通信霊は、

「今日は、あなたはM子の霊信でどの高級霊が語りかけてくるのだろうかと考えた。
だが、私は高級霊ではない。
あなたの期待を裏切るわけではない。
あなたの感覚をあるがままに感じながら霊信を読みなさい。
かしこまらずに、もっと肩のちからを抜きなさい。
 
私はあなたの上にいる者であり、下にいる者であり、隣にいる者であり、そばにいる者である。
そして、あなたの目の前にいる者である。
そして、あなただけではなく、すべての者に対してもそうである。
だが、人々は私が自然の者だと分からないあまりに、あらゆる手段を通し私を知ろうとする。
そして感じようとする。
私を恐れる者、そして救いを求める者、欲する者、すべての者は同じ平行線の上に立っている。
だが人々はそのことに気づかない」

と、自分は高級霊ではないと否定する存在(神?)が、

「あなたは肩の力を抜きはじめている。
それでいいのだ。
あなた方は、構えていては何も見出せなくなる。
もっと楽しみなさい。
これは『遊び』なのだ。
すべての計画は、そうである」と告げてきました。

第16霊信では、守護霊団の一員で、生前はエドガー・ケイシーだとを名乗る霊が、

「私たちは必要に応じてあなたに語りかけるであろう。
そして、あなたが求める時も、必要に応じて与えるであろう」

と告げ、2007年2月14日以後、M子さんを霊媒に用い自動書記による霊信が途絶えたのち、魂状態の自覚に至ったクライアントに、わたしのガイドや霊団の一員を名乗る霊が憑依しては、クライアントによる口頭での霊信を告げてくることが、数ヶ月ごとに起こるようになり、それが2023年現在に至っても続いています。

こうした口頭による語りかけの霊信内容の概要は、

「自分たちのような霊的存在を知らしめるために降りてきた。
稲垣は自分の進んでいる方向に自信を持ちなさい。
霊的真理を地上に広めなさい。
稲垣の現世最後の仕事がこの先に待っている。
健康に留意してその仕事に備えなさい。
その仕事の内容は今は教えることができない」
ということに集約できます。

また、M子さん経由の霊信が途絶えた2007年の夏に、里沙さんの守護霊の憑依実験をおこない、降りてきた守護霊と40分間にわたる対話をしました。
彼女の守護霊は、わたしの要請でいつでも憑依し、メッセージを伝えてくれるからです。
「私は霊界では異例の存在であり、それは稲垣に霊界の消息を伝える役目を与えられているからだ」と告げているからです。
彼女の場合、守護霊が憑依中の記憶がまったくありません。
フルトランス状態になり、憑依状態による甚だしい疲労が翌日まで残ると言います。
憑依実験で彼女の守護霊がわたしに語った内容は、以下のような5点に要約できます。


タエの事例は偶然ではありません。
計画され、あなたに贈られたものです。
計画を立てた方は、わたくしではありません。
計画を立てた方は、わたくしよりさらに上におられる神です。
タエの事例が出版されることも、新聞に掲載されることも、テレビに取り上げられることもはじめから計画に入っていました。
あなたは、人を救うという計画のために神に選ばれた人です。



あなたのヒーリングエネルギーは、霊界におられる治療霊から送られてくるものです。
治療霊は一人ではありません。
治療霊はたくさんおられます。
その治療霊が、自分の治療分野の治療をするために、あなたを通して地上の人間に治療エネルギーを送ってくるのです。


あなたの今までの時間は、あなたの魂と神とが、あなたが生まれてくる前に交わした約束を果たすときのためにありました。
今、あなたの魂は成長し、神との約束を果たす時期が来ました。            神との約束とは、人を救う道を進むという約束です。
その時期が来たので、ヒーリング能力も前世療法も、あなたが約束を果たすための手段として神が与えた力です。
しかし、このヒーリングの力は万能ではありません。
善人にのみ効果があらわれます。
悪人とはあなたの進む道を邪魔する者です。
今あなたを助ける人がそろいました。どうぞたくさんの人をお救いください。


神はあなたには霊能力を与えませんでした。
あなたには必要がないからです。
霊能力を与えなかった神に感謝をすることです。


守護霊に名前はありません。 
わたくしにも名はありません。
あなたの守護霊は、わたくしよりさらに霊格が高く、わたくしより上におられます。
そういう高い霊格の方に守られている分、あなたにはそれなりの試練と困難が与えられています。
これまでの、あなたに生じた困難な出来事のすべてがはじめからの計画ではありませんが、あなたの魂の成長のためのその時々の試練として与えられたものです。
魂の試練は、ほとんどが魂の力で乗り越えねばなりません。
わたくしたちは、ただ見守るだけです。
導くことはありません。
わたくしたちは魂の望みを叶えるために、魂の成長を育てる者です。
霊能力がなくても、あなたに閃くインスピレーションが守護霊からのメッセージです。                                   それがあなたが迷ったときの判断の元になります。
あなたに神の力が注がれています。
与えられた力を人を救う手段に使って人を救う道に進み、どうぞ神との約束を果たしてください。

さて、読者のみなさん自身に、これまで紹介したような霊信を受け取るという霊的現象が起こったとしたらどのような反応を示されるでしょうか。
世界の三大霊信と呼ばれている、モーゼスの『霊訓』、アラン・カルディックの『霊の書』はともに19世紀末、シルバーバーチの『霊言』は20世紀末の話です。
わたしあて霊信は、これら過去の三大霊信では触れられていない霊的真理として、魂と生まれ変わりの仕組みをわたしに教えることに目的をしぼり、送信されてきた霊信であるという解釈が成り立つかもしれません。
そして、わたしによって(わたしを道具に使って)、霊的真理である魂と生まれ変わりについて、多くの人々に知らしめようという守護霊団の計画なのかもしれません。

ですが私の態度は明確です。
このブログの「コメント投稿の留意点」として掲げてある「いかなる意識現象も先験的に否定せず、いかなる意識現象も検証なくして容認せず」です。


霊媒としての貴重な役割を担ってくれた霊信受信者M子さん、里沙さん両者の誠実な人間性を疑うことはありませんが、受信中において、無意識的に彼女ら自身の期待や願望が反映し、混入している可能性は排除できないでしょう。
とりわけ、「神」という言葉が用いられ、語られることには要注意です。
「神との約束」、「神の計画」などの霊信をわたしが軽々に信じ、メサイア・コンプレックス(救世主コンプレックス)や、誇大な選民思想などの過ちに陥ることを十分に警戒しなければなりません。
わたしは、できるだけ簡素で、できるだけ自給的で、喜びを中心とした日常生活を理想としている一介の催眠療法実践者です。

したがって、両者の霊信受信という意識現象も、「検証なくして容認せず」です。
検証できないからには否定もできないが、容認することも判断留保としておく、ことが偏りのない柔軟で公正な態度であろうと思います。
そして、これまでの検証できたことに限れば、わたしあて霊信内容に矛盾がないことが明らかになっています。

そして、第5霊信で「神」とおぼしき存在が、「構えていては何も見出せなくなる。もっと楽しみなさい。これは『遊び』なのだ。すべての計画は、そうである」と告げたように、これから先々起こることに、来るべきときに来るものは来ると、肩の力を抜いて楽しんでいこう、というのがわたしの心境の現時点のありようです。

さて、「催眠学序説 その163」 を閉じるにあたって、わたしの脳裏に思い起こされるのは、わたしの心境の現時点の到達点にかかわっているもうひとつのもの、『モーゼスの霊訓』(霊信)にある、インぺレーターと名乗る高級霊の告げている霊信の次の一節です。

「霊界より指導に当たる大軍の中には、ありとあらゆる必要性に応じた霊が用意されている。(中略)
筋の通れる論証の過程を経なければ得心のできぬ者には、霊媒を通じて働きかける声の主の客観的実在を立証し、秩序と連続性の要素をもつ証明を提供し、動かぬ証拠の上に不動の確信を徐々に確立していく。

さらに、そうした霊的真理の初歩段階を卒業し、物的感覚を超越せる、より深き神秘への突入を欲する者には、神の深き真理に通暁せる高級霊を派遣し、神性の秘奥と人間の宿命について啓示を垂れさせる。
かくのごとく人間には、その程度に応じた霊と相応しき情報とが提供される。
これまでも神は、その目的に応じて手段を用意されてきたのである。
今一度繰り返しておく。

スピリチュアリズムは、曾ての福音の如き見せかけのみの啓示とは異なる。
地上人類へ向けての高級界からの本格的な働きかけであり、啓示であると同時に宗教でもあり、救済でもある。
それを総合するものが、スピリチュアリズムにほかならぬ。(中略)
常に分別を働かせねばならぬ。

その渦中に置かれた者にとっては、冷静なる分別を働かせることは容易ではあるまい。
が、その後において、今汝を取り囲む厳しき事情を振り返った時には、容易に得心がいくことであろう」
(近藤千雄訳『霊訓』「世界心霊宝典」第1巻、国書刊行会)

インペレーターと名乗る高級霊から牧師スティトン・モーゼスに送信された上記霊信の、この引用部分は、わたしに向かって発信された啓示であるかのような錯覚すら覚えます。
高級霊インペレーターが説いているように、SAM前世療法にとりかかる前のわたしは、「筋の通れる論証の過程を経なければ得心のできぬ者」のレベルにありました。

だから、「秩序と連続性の要素を持つ証明を提供し、動かぬ証拠の上に不動の確信を徐々に確立していく」ために、「動かぬ証拠」として、わたしあての霊信現象、「タエの事例」、「ラタラジューの事例」をはじめとして、ヒーリング能力の出現などの超常現象が、霊的存在から次々に提供されているような気がしていました。

そうした直感の真偽を確かめるために、里沙さんの守護霊に尋ねてみるという憑霊実験を試みたわけです。
 

「常に分別を働かせねばならぬ」と言うインペレーターの忠告に従っていることにもなるのでしょう。
そして、分別を働かせた結果の帰着点は、霊的存在を排除しては説明できないのではないかということでした。

かつてのわたしであれば、例えばヒーラーと称する者のヒーリング効果の解釈として、プラシーボ効果であるとか、暗示効果であるとか、信念の心身相関による効果であるとか、現行唯物論科学による合理的説明に躍起となって、それを公正な科学的態度だと信じて疑わなかったと思います。
 

今、自分自身に突如ヒーリング能力があらわれ、その説明は霊的存在抜きには(霊的真理抜きには)考えられない事態に追い込まれている言えます。
そして、「動かぬ証拠」を次々に提供され、ようやく「霊的真理の初歩段階を卒業」しかけている自分を感じています。

やはりわたしは、自分自身の直接の霊的体験にこそ、唯物論科学がそれをどう否定しょうと、その体験を認めざるをえない真実の力があると言わざるをえません。

交霊能力のあった著名なスピリットヒーラーであるハリー・エドワーズは、ヒーリングによる治療を手段に、地上の人々を霊的覚醒に導く計画であることを知っていたと言います。(ハリー・エドワーズ著、梅原隆雅訳『霊的治療の解明』国書刊行会)

里沙さんの守護霊が伝えてくれた「人を救うという計画」という語りがそれを指しているとすれば、わたしは、SAM前世療法とヒーリングを道具に、霊的真理を広める道に進むような流れに乗っているのかも知れません。

そして、これからもわたしが、SAM前世療法とヒーリングを、霊的真理を広めるために与えられた道具として役立たせる道を愚直に実践していく志を持続することができれば、ヒーリング能力・浄霊能力の覚醒の謎も、わたしあて霊信の意味も、おのずと開示されていくのではないかと思います。

2023年6月2日金曜日

霊感とSAM前世療法

SAM催眠学序説 その162

 

タイトルに掲げている「霊感」とは、「肉体を持たない霊的存在とのコンタクト能力や霊的存在への感受性」の意味で用いています。

こうした意味で、SAM前世療法によって「前世人格の顕現化現象」を体験されたクライアントはその程度の差はあれ、何らかの「霊感」の持ち主と言って差し支えないでしょう。

なぜなら、言ってみれば前世人格とは、魂表層を構成している肉体のない霊的存在(死者) に他ならないからです。

 現時点で、「前世人格の顕現化現象」を体験されたクライアントは91%ですから、わたしのセッションを体験したクライアントのほぼ9割には霊感があると言えるでしょう。

ここには、とりわけ特殊な霊感の持ち主であるクライアント2名のセッション事例を紹介します。

 

【 事例その1】

 

下記に掲載するのは、ある宗教団体の要職についておいでの男性(60代)Fさんのセッション体験報告です。

大変理知的で誠実な求道者といった印象を与えたクライアントでした。

主訴は、「魂の実在」と「親神さま」(天地創造と人間創造のすべての創造神)の実在を実感したいということでした。

自分の催眠状態をモニターしている冷静な顕在意識のありようがよく分かる貴重な体験報告です。                                      

下記の点線内に紹介します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
平成24年12月3日、午後3時からセッション開始、稲垣勝巳先生65歳。
私も65才。
 

1・壁を通して聞こえてくる戸外の雑音(特にトラックの通過する爆音)が気になった。
 

2・左側頭部で圧迫痛がした(左耳朶が特に痛い)。セッションを終えて数分で痛みはなくなった。
 

3.浄霊後の催眠での、守護霊の応答について。
(特に左手人差し指の動きについて。)
あの時、私の意思を離れて、勝手に指が動きましたが、あの時の指は単なる指ではなくて、指に宿った“無意識さん”の“顔ないしは頭部”になっていたのではないでしょう
か?
 

指の動きは「上下」だけではなくて、「左右」にも動いていた記憶があります。私は自分の指の動きを感知できました。誘導の最初の頃は、指は単なる「イエス、ノー」の意味で「上下」運動をしていましたが、守護霊が現れてからは、指が霊体の頭となって「首から上」の動作をしていたように感じました。
 

守護霊は前世の誰かと交代することを「受諾した」のではなく、「ためらいがちに、首を左右に振った」という感じを受けました。
指は質問に応じて色々な反応をしました。単なる上下運動だけじゃなくて、一見あい まいな動きもしましたが、それは、指が「首から上」の動きを表していたからのよう に感じました。
 

守護霊の意思表示は「それはしてやりたいが、することを許されていないんだ」ということを指という「全身」で「いやいやと首を左右に振って」表現しているように感じました。
指が勝手に動くだけで、指の「意思」は私には伝わっておりません。
 

ただ、「親神様の降臨」の時は、それ以外の時とは全く違いました。
降臨の直前に私の意識が一瞬消えて、気が付いたら指が化身となって「昂然と屹立している」と言う感じでした。

しかも指が立つ、というより、何かの力に引っ張られて指が直立して上を指している、という感じでした。
しかも指自体は完全に脱力していました。                         帰宅してから、同じ直立動作を試みましたが、自力では90度近くのあのような直立はどうしてもできませんでした。
 

4、セッションの最後に呼び戻される過程で、魂状態では、下半身が霊体化しているのを感じました。
現実には椅子に深くかけて、腰も膝も曲がっているはずなのに、下半身をまっすぐ伸 ばして頭と同じ高さで水平に宙に浮かんでいる感じがしました。
そして霊体の足は、現実の足よりはるかに力に満ちていました。
 

5、未浄化霊については心当たりがあります。
結婚後一年程で男児を出産しましたが、生後五日目に赤ん坊が死にました。
医師によれば、生まれつき複数の代謝異常があって生きられなかったそうです。
本人もその数カ月後に腎臓病で死亡しました。
その後、○○教では、神道に倣って、死後に一年祭、五年祭、十年祭、二十年祭、
十年ごとに慰霊の年祭をしますが、婚家がしましたので、たぶん形式的で、真の慰霊 にはなっていなかったのでしょう。
夫はすぐに再婚しました。
浮かばれない気持ちは分かりますが、何故血族の家内に憑依せずに私に憑依した

のかが分かりません。

 
大事なことをお伝えすることを忘れておりました。

私は○○教の中で、指導的な立場を与えていただいております。

○○教には定年制はありませんが、今、私が教会長をつとめている教会の会長職を
倅に譲ろうと準備を進めているところです。
来年11月3日に正式に譲る予定です。

これまで何十年と霊的真理については研究を重ねてきて、その過程で、どうしても実証的な体験をしなければ、人に確信をもって言うことができない、と思うようになりまして、今年に入った頃から、私に前世体験をさせてくれそうな人を探しておりました。
 

飯田史彦先生のことは、『生きがいの創造を出版なさる前からネットで知っており、先生にメールでお願いして、あの本のもとになった論文も頂きました。
 

そのご縁から、門真市の奥山輝実先生も知りまして、色々下調べをしてみましたが、お二人とも施術者としては優秀ですが、死後の霊魂の存続については、個人的には信じておられるようですが、公式には態度保留というお立場にみえます。
 

前世があるかないか分からないが、一定の治療効果があるから、たとえ見えたものが無意識の作り出したビジョンでもいいではないか、という見解のようです。
 

私の求めているのは、治療ではなくて「霊的真理」のみですから、       と申しますのは、○○教では、一定の信仰信念に達しますと『おさづけの理』という、いわば「ヒーリング能力」を付与される制度があります。
私には「身上助けの効能の理としてのおさづけの理」という宗教的なヒーリング能
力がすでにありますから、治療には興味も必要もないのです。
 

どこかにどなたかいらっしゃらないかなあ、とネットサーフィンしていて、偶然稲垣先生のことを知りました。
あらゆるサイトを探して、先生のことはあらかた分かりました。

教師をなさっておられた頃のことや、近年のタエの事例やラタラジューの事例のその後の経過も逐一調べました。

この先生に会いに行かなければならない!と心に決めて先生にセッションの事前予約を承諾して頂いた後、その旨を家族に相談しました。

が、猛烈な反対にあいました。
家内は一定の理解を示してくれましたが、二人の息子が強硬に反対するのです。


長男は教会長後継者ですので、「今、おやじがオカルト的な行動をすると、教団に知れたらどんな処分を受けるかわからん。どうしてもやるのなら、完全に退職してからやってくれ」というのが彼の意見です。

次男は少壮の物理学者ですが、「行くのはいいが、いきなりセッションを受けるのは やめて、まずはその方と会ってみてはどうか?
世間には色々いかがわしい輩もいて前世体験などと言って金品を巻き上げる事例も多いから。おやじなら、一度会えばその人物が本物かどうか見分けがつくだろうから」という意見です。
私は悩みました。

倅たちの意見は至極尤もです。
私が強行する理由はありません。

ところが、心はどうしてもすぐにでもセッションを受けたいとはやるのです。
色々考えた挙句、長男の意見に従うことにしました。
 

先生にも申し上げたように私はPCのエキスパートです。
ちょうどその頃(11月19日)に、長女が自宅のPCの無線LANを組んでほしいと言ってきまして、そのために普段私が使っているノートPCを持って行きました。
無線LANはすぐに構築できまして、時間がありましたから、そうだ、稲垣先生に延期をお願いしようと、上記の理由を詳細に書いて来年の11月3日のあとにセッショ ンを受けたい旨のメールを送信しました。
 

ところが、受信サーバは反応するのですが、送信サーバが反応しません。
何度やっても同じです。
他人からPCのメンテナンスを依頼された場合は、設定を色々いじってなんとか直し ます。
そのときも送信できるようにする自信はあったのですが、無理はやめようと思いました。
これは、何かのメッセージに違いない。

延期をお願いするメールが送信できないのは、早急に行けという意味ではなかろうか。
よし、直観に従おうと決めました。
 

但し、倅が心配するだろうから、家内には本当のことを打ち明けて、倅には内緒でいくことにしました。
もちろん、どんなことを経験しようが、来るべき時がくるまでは倅には内緒にしておくつもりでした。(今でもそう思っています)
 

12月3日朝、不思議と心は穏やかでした。生まれて初めての経験、それも唯物論ではありえないことに遭遇しつつあるのですから、極度の期待と緊張があるはずなのに、まるで日常のルーティン・ワークをこなしているような平静な自分に驚きました。
自分は行くべくして行っているなあ、となかば可笑しいように自分を観察していました。
駅を降りて、お会いする前に、ご自宅周辺を30分ほど散策しました。

デジャブは感じませんでしたが、とても懐かしい気がしました。
それから、呼び鈴を押しました。
お会いして、私より先生の方が少し緊張なさっている印象を受けました。
あとは先生御承知の通りです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(終わり)

 
ゴチック部分は、注目していただきたいと、わたしが願った部分です。
とりわけ、水平に置いた手のひらの人差し指がほぼ垂直に直立した現象には驚きました。
わたしもやってみましたが、とても真似のできることではありませんでした。
 解剖学的にも、人指し指の間接が単独で直立状態に立つことは不可能です。

「指が立つ、というより、何かの力に引っ張られて指が直立して上を指している、という感じでした」という述懐がありますが、これは降臨されたと思しき「親神さま」が、指を立てた 主体であると考えれば筋が通る現象です。
 なお、指自体は完全に脱力していました」ということですから、指を直立させた主体はクライアント自身の顕在意識ではないと考えられるからです。

 また、私の求めているのは、治療ではなくて『霊的真理』のみ」「どうしても実証的な体験をしなければ、人に確信をもって言うことができない」と述べるほどの真摯な求道精神の持ち主であるクライアントですから、その求めに応じて「親神さま」と呼ばれる存在が顕現化している証として知らしめた指の直立現象だととらえてよいように思われました。

こうした霊的超常的現象に遭遇できることも、SAM前世療法ならではの醍醐味の一つです。
 
 
事例その2】    

 

次に紹介するのは、P子さんという33歳のタイ国女性のセッション事例です。

セッション期日は令和5年5月4・5日の2日間です。

事例1のFさんのセッションから10年後になります。

彼女には過去に日本に留学した経験があり、その後タイ国の商社勤務をしながら、日本に出張する度に、過去3回ほどわたしのセッションを受けてきました。

今回は、アメリカの大学でMBAの資格を取得するため、2日後に渡米するということで 、その前に2日連続してセッションをどうしても受けたいという依頼でした。 

 

第1日

この日の主訴は、現在交際しているタイ国人男性について、どうしても交際がうまく進まない、悲観的な感情に支配されてしまう、その理由が前世にあるのかどうかを突き止めたいということでした。

そこで、魂の自覚状態にまで催眠深度を遡行し、魂状態の自覚に至ったところで、当該男性の前世での関わりを持つ彼女の前世人格を呼び出そうと試みました。

顕現化した彼女の前世人格は、エルサルバドルの霊能力の優れた女性シャーマンでした。

現在交際中の当該男性は、この女性シャーマンの夫でした。

この夫はキリスト教徒であり、キリスト教の教義に背くという理由によって、妻であるシャーマンを魔女だとして教会に密告し、そのため女性シャーマンは拷問にかけられた末に死亡したということでした。                                     このことを語ったときの、前世の女性シャーマンの悲しみの号泣はすさまじいものでした。

しかも、エルサルバドルの前世で裏切り行為をした夫の生まれ変わりこそ、現世で交際中のタイ国人の男性でした。

こうして、魂表層にいる前世の女性シャーマンが、潜在意識下で、現世のP子さんにこの男性との交際に対して警告を発していたということです。                                   

こうしたセッション結果を、クライアントのP子さんがどのように理解し、今後の当該タイ国人男性との交際に、どう生かしていくかは興味深い問題ですが、セラピストのわたしの関与できることではありませんし、関与することを一切してはならないと思います。

印象深いことは、前世を過ごしたエルサルバドルという中南米の小国について、P子さんはそのような国名をどこかで聞いたことがあるが、どのあたりにある国なのか興味・関心を持ったことは一切ないし調べたこともない、なんでエルサルバドルなどという国名を前世人格が語ったか不思議だ、と感想を漏らしたことでした。 

SAM前世療法のセッションでは、当のクライアント本人が全く知らない土地の名前や人種・種族(アボリジニ、シャイアン族など)を、顕現化した前世人格が語ることが結構あります。

たとえば、「タエの事例」で顕現化した前世人格のタエは、被験者里沙さんの全く知らない吾妻川という川の名前を語っています。     

どこかで聞いたことが潜在意識に残っていて、それが催眠中に顕現化したのだ、というもっともらしい説明ではどうしてもおさまり切らないような現象にわたしには思われます。

 

 第2日

この日の主訴は、稲垣とP子さんと、ともに暮らした前世があるならそれを知りたい、P子さんは何回の生まれ変わりをしているか、何回の生まれ変わりで終わりなのかを知りたい、ということでした。

①について

 セッション結果は、稲垣とともに過ごした3回の前世人格の顕現化がありました。

一つ目は、4世紀の中東で生きたアラブ人の遊牧民であり、仲のよい従兄弟どうしの前世であり、稲垣が年長で、P子さんとは兄弟のように羊を追って暮らしていた、ということでした。

二つ目は、10世紀のヨーロッパで白人として生きた父と娘の仲のよい親子の前世でした。稲垣が父であり、P子さんは娘であったということでした。

三つ目は20世紀始めのロンドンで生きた白人肉体労働者で兄弟同様の間柄であり、ともに助け合って働いていた前世でした。                             稲垣がやはり年長で、P子さんが頼りにしていた兄貴分であったということでしたが、稲垣は重い病気になり、しかし、貧しかったため医者にかかるお金がなくて死んでいったということでした。                                      この労働者の前世人格が顕現化したときに、P子さんは激しく号泣しました。

 

 ②について

これまでのセッション経験では、クライアントの生まれ変わりの回数について、顕現化した前世人格に尋ねても、なかなか明確な回答を得ることができませんでした。

そこで今回は初めての試みとして、霊格の高い超高級霊に憑依してもらって、Pさんの依頼に応えてみることにしました。

魂状態にあるP子さんに、「神という存在者、あるいは神の使いである霊格の高い高級霊にお願いいたします。どうぞこの者に降りてきて、質問に答えてください」と呼びかけてみました。

 エルサルバドルの前世で優れたシャーマンであったP子さんであれば、この呼びかけに応じて何らかの霊格の高い霊的存在が降りてきて顕現化するかもしれないという期待が持てたからです。

果たして顕現化した者は、神の使いを名乗る超高級霊でした。             そもそも、神を名乗る存在者自身がセッション中に降臨されることは極めて稀ですし、降臨されたとしても声を発することは、まずありません。

 わたしは、この機会をとらえて、日頃から疑問に思っていることも質問してみました。

憑依してきた神の使いを名乗る霊的存在は、それまでのP子さんとは全く別人と思われる威厳に満ち、男性的な、ゆっくりした口調で、わたしの質問の回答に次のような内容を告げてきました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

P子と稲垣が現世でこうして再会しているのは神の計画である。

稲垣は、P子を支え、助ける役目を負っている。                    

P子は現世が87回目の生まれ変わりである。

この後、神と守護霊の計画によって、120回までの生まれ変わりをするであろう。   ただし、P子の霊性の成長・進化の状況によって120回の回数には増減が生じる。

霊信の受信者であるM子は、すでにこちらの世界に来ており楽しく暮らしている。

稲垣の生まれ変わり回数369回に無駄のある人生はない。             

多くの異なる時代、異なる人種、異なる仕事、異なる社会的地位、様々な異なる苦悩など多種多様な体験するための必要な回数として、神の計画された生まれ変わり回数である。

この生まれ変わり回数は、SAM前世療法の開発実践者として必要な資質を養うための神の計画による。                 

稲垣にはこの先、現世の最後の仕事が待っている。                   

その内容について、今明かすことは神から禁じられている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

以上、特殊な霊感の持ち主であるクライアント2名の事例の紹介をしてきましたが、読者のみなさんはどのような感想を抱かれたでしょうか。

わたしの感想を述べてみます。

催眠学の先行研究の見地から検討すれば、中程度以上の催眠深度である「人格催眠」レベルに至ると、暗示によって指定した人物の役割演技をすることが分かっています。

したがって、事例1では、クライアントFさんが「親神様」の降臨の役割演技をしたのだ、という解釈を完全に排除することはできないでしょう。

しかしながら、「親神様」の降臨の証として、役割演技によって人差し指を直角近くまで直立させることは、まず不可能です。                         明らかに、Fさん以外の外部からの相当な強い力の強制によって起こった現象と見るしかありません。                                      だからといって、「親神様の降臨」が起きたと断言することは軽信のそしりを受けることになると思われます。

結局、 「親神様の降臨」の真偽については、判断留保としておくことが科学的に公正な態度だろうと思います。

 

事例2のP子さんに降りてきた超高級霊の憑依についても、同様な結論になると思います。                                       判断留保です。

超高級霊が告げた、わたしの369回もの生まれ変わり回数の意味についての合理的な説明は説得力があり、わたしなりに納得できました。

わたしあて霊信の受信者M子さんの2008年以後の消息が完全に途絶えたことについて、あるいはと推測していたことが、ズバリ「こちらの世界に来ている」と告げられて、少々悲しい思いをしましたが。

また、「稲垣にはこの先、現世の最後の仕事が待っている。その内容について、今明かすことは神から禁じられている」という語りは、これまで数年間にわたってセッション中に憑依してきた高級霊を名乗る存在からのメッセージと完全に一致しています。

こうした事実を考慮すると、P子さんに降りてきた超高級霊は、わたしの守護霊団とつながっているのではないか、さらに言えば、守護霊団の一員ではなかろうかと推測しています。

なぜなら、第16霊信(2007.1.27.17:29着信)で、「あなた方に伝えるべきことは、あなた方がこれより先へと進むたびに行うであろう霊信の口頭による伝達に対してのものである」「わたしたちは必要に応じてあなた方に語りかけるであろう。そして、あなたが求める時も、必要に応じて与えるであろう」と告げているからです。

              

 「本ブログのコンセプトは、生まれ変わりや霊魂の実在について、いかなる意識現象も先験的に否定せず、いかなる意識現象も検証なくして容認せず、です」とHP冒頭の「コメント投稿の留意点」で謳ってあります。

この初志を忘れることなく、この先も慎重かつ地道に探究を続けたいと思います。

 

2023年4月14日金曜日

生まれ変わり探究のわたしの遍歴

 SAM催眠学序説  その161

 
はじめに
 
 『科学的探検雑誌』編集長バーンハード・M・ハイシュは、イアン・スティーヴンソンの膨大にして緻密な「生まれ変わりの実証的(科学的)研究」について次のように解説しています。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

人間の行動を考えると、生まれ変わりという考え方が、物事を説明するうえで、利点を持っていることは明らかである。 恐怖症や変わった能力、強迫観念、性的方向といったものはすべて、精神分析の往々にして回りくどい論理よりも前世の具体的状況に照らしたほうが、おそらくはよく理解できるであろう。 遺伝と環境に加え、過去世での経験という第三の要因も、人間の人格の形成にあずかっているのではないか、とする考え方は正当な提案といえる。(中略)               スティーヴンソンは、「生まれ変わりという考え方は最後に受け入れるべき解釈なので、これに代わりうる説明がすべて棄却できた後に初めて採用すべきある。どの事例にしても、一例だけでは生まれ変わりの存在を裏付ける決定的証拠になるとは思っていない。私の詳細な事例報告をお読みいただければ、私たちが説得力に欠けると考えている点が明らかになることは間違いなかろうが、それによって読者の方々が、生まれかわりを裏付ける証拠など存在しないと否定なさるとは思われない。 もし、そのようなご意見をお持ちの方があれば、その方に対しては『どういう証拠があれば、生まれ変わりが事実だと納得なさいますか』とお聞きしたいと思う」と述べている。
 
(イアン・スティーヴンソン/笠原敏雄訳『前世を記憶する子どもたち』日本教文社、PP.526-527)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

わたしも、上記の見解のゴチック部分にはとりわけ同感しています。

 

you-tubeで公開している「タエの事例」・「ラタラジューの事例」の証拠動画、このブログに公開しているセッション逐語録とその解説を、虚心坦懐に見聞きしたうえで、それでも生まれ変わりの証拠などではない、と否定される方がおいでになるならば、「どういう証拠であれば、あなたは、生まれ変わりと魂の存在が事実であると納得なさいますか」とわたしも、スティーヴンソン同様に尋ねたいと思います。                                     

なぜなら、わたしの生まれ変わりの実証的探究も、スティーヴンソンの実証的研究の仕方をモデルとしているからに他ならないからです。

 

人間が死ねば無になるのではなく、どんな形にせよ何かが死後も存続することが科学的に証明されれば、人生観・世界観はもちろんのこと、自然界のあらゆるものに対する見方など広汎な領域にわたって根底からの深甚な変革が迫られるに違いないでしょう。

 

そうであるからこそ、そして、わたし自身も死から逃れることが不可避であるからこそ、わたしは、誰もが「魂と生まれ変わりの有無」という人生の根源的な問いを回避せず、当事者性をもって、早急に答えを求めず、地道に問い続けることが大切なのだと考えています。

 

わたしの70年余の人生を振り返って、自分の死への圧倒的恐怖感を当事者性をもって迫った原体験は、小学校6年生12歳の晩秋でした。              

 

母方の祖父の遺体が、火葬場の焼却炉の火炎の中で、燃やされ灰と骨になっていく様子を、焼却炉に穿たれた穴から、好奇心とイタズラ心から係員の目を盗んで見てしまったのです。                             

 

いつか自分も必ずそうなることを身に浸みて実感してしまったのです。     哲学的に言えば、実存的原体験とでも呼ばれる体験だろうと思います。

 

死んで無になる恐怖感です。                        

 

この恐怖感は眠ることへの恐怖感となり、12歳にして不眠症になり、中学校に上がるまで一冬中続きました。                         痩せていくわたしを心配した母親は医師の診察に連れていき、睡眠剤を処方される事態にまで悪化しました。

        

この原体験以来、遺体が焼けていく光景が、心の深層に沈殿し続け、折に触れてはフラッシュバックし、死への恐怖から逃れることがありませんでした。
 

 

とはいえ、わたしの性格は、観念的な死生観を説くだけの諸宗教に救いを求めることはどうしてもできませんでした。                     「観念より事実」「理屈より実証」を求めるのが、わたしの生まれつきの性向なのです。

 

そして、それまでは唯物論者であったわたしあてに、59歳のとき、守護霊団を名乗る霊的存在から第三者を経由して霊信が来るという超常現象が2007年に起き、その霊信によって、魂の転生と生まれ変わりの秘密について開示を授かるという超常現象に遭遇することになりました。
 

わたしは、催眠を用いた探究の方法によって、その霊信内容の真偽の検証ができる立場にありました。

しかしながら、これまでの検証によって確かめてきた「魂の転生と生まれ変わりの事実」は、検証の方法論が、催眠被験者の語る「意識現象の事実」を対象にするしかない、という限界があるため、当然のことながら間接的な証明でしかなく、けっして100%の事実の証明にはなりえません。

そうであっても、そこでわたしの得た知見をわたしだけに留めず、この問題意識に「科学的テーマ」として正対し、「生まれ変わりの有無」に真面目な関心を寄せる人々に伝えることが、わたしあてに霊信を贈ってきた霊的存在(守護霊団)の恩恵に対する、わたしの礼儀と責務だろうと思っています。

そして、スティーヴンソンをはじめとして、生まれ変わりの先行諸研究の成果は、生まれ変わりの可能性を示す証拠が、それを否定する証拠より質・量ともに無視できないほどに蓄積されていると思います。

 

わたしのSAM前世療法の実践の累積による成果を要約すれば、わたしの肉体の死後も、霊体に宿っていた現世のわたしの人格(個性、記憶などの心的要素)は魂表層に吸収され、魂表層を構成する「前世人格」の一つとして存続し、魂はさらに成長・進化に資するための多様な体験を求めて新たな肉体に宿る。                            

 

このようにして、「わたし」は、死後も魂の表層を構成する「前世人格」の一つとして存続し、無に帰することはないということが、SAM前世療法を用いた15年余の生まれ変わりの探究の累積から得た現時点における知見です。
 

ちなみに、わたしあて霊信によれば、現世のわたしの魂は369回目の転生なんだそうです。                                

さらにまた、わたしの魂の転生は369回目の今回が最後なんだそうです。         だから、転生を終える最後の仕事として、生まれ変わりの諸相を探究し、その結果を人々に伝える仕事をしなさいということらしい。

 

それでは、生まれ変わりを探究するSAM前世療法の独自・固有の立場である「前世の人格を呼び出す」という仮説が、どのような経緯によって成立してきたかについて、時間軸にそって述べてみます。  

 

 

 1  「タエの事例」との出会い(2005年5月)

                                                                                                            

2005年5月、被験者里沙さんへの前世療法実験セッションをおこないました。
この時点では「SAM前世療法」は、成立していませんから、従来の「前世の記憶を想起する」という前提で、この「タエの事例」が遂行されています。      当時彼女は47歳でした。

以下は、「タエの事例」の逐語録抜粋です。

(『前世療法の探究』春秋社、PP.156-160)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
稲垣:あなたは今13歳で、年号は何年ですか?

里沙:安永九年(1780年)

注:年号「安永」は九年で終わっていることをセッション後確認。安永という年号を、わたしを含めて実験セッション立ち会い者7名全員(医学博士1名、国立大教授1名を含む)が知らなかった。

稲垣: はあ、安永9年で13歳。で、今桑畑にいる。それがなぜ、楽しいのでしょう。

注:前回のセッションで、タエは天明3年16歳の時、浅間山大噴火による龍神のお供えとして溺死した、と語っている。そこで、その恐怖の記憶を想起させればパニックになる畏れがあると判断し、最初に一番楽しかった場面を想起させた。


里沙:桑の実を摘んで食べる。

稲垣:桑の実を食べるんですか。口の周りどんなふうになってるか分かりますか?

里沙:真っ赤。(微笑む)①おカイコ様が食べる桑の木に実がなる。

稲垣:それならどれだけ食べても叱られることないんですか。ふだんはやっぱり遠慮がちなんですか? (里沙頷く)拾われてるから。あなたと同じように拾わ れた兄弟も一緒に葉を摘んでますか?(里沙頷く)楽しそうに。(里沙頷く)じゃ、ちょっと 夕飯の場面に行ってみましょうか。三つで夕飯の場面に行き ますよ。一・二・三。さあ今、夕飯の場面ですよ。どこで食べてますか?

里沙:馬小屋。みんなも。

稲垣:下は?

里沙:ワラ

稲垣:どんな物を食べてますか?

里沙:ヒエ。

稲垣:ヒエだけですか。おかずは?

里沙:ない。

稲垣:ヒエだけ食べてるの。白いお米は食べないんですか? (里沙頷く)だからあまり夕飯は楽しくない。で、みんなとどこで寝るのですか?

里沙:馬小屋。

稲垣:馬小屋で寝るの。お布団は?

里沙:ない。

稲垣:寒いときは何にくるまるのですか?

里沙:ワラ。

稲垣:ワラにくるまって寝るの。あなたの着てる物を見てごらんなさい。どんな物を着てますか?

里沙:着物。

稲垣:着物の生地は何でできていますか?

里沙:分っからない。

稲垣:粗末なものですか。(里沙頷く)手を見てごらんなさい。どんな手になってます か?

里沙:きれいな手じゃない。

注:キチエモンは捨て子を拾い育てているが、おそらくは農作業の労働力として使役するためであろう。したがって、牛馬同様の過酷な扱いをしていたと考えられる。

稲垣:じゃ、もう少し先へ行ってみましょう。三年先へ行ってみましょう。悲しいことがきっとあると思いますが、その事情を苦しいかもしれませんが見てください。どうですか? で、三年経つと何年になりますか?

里沙:天明3年。(1783年、タエ16歳)

稲垣:天明3年にどんなことがありましたか? 何か大きな事件がありましたか?

里沙:あ、浅間の山が、お山が、だいぶ前から熱くなって、火が出るようになって・・・。

注:天明三年六月(旧暦)あたりから浅間山が断続的に大噴火を始めた。         七月に入ってますます噴火が激しくなり、遂に七月七日(旧暦)夜にかけて歴史的大噴火を起こした。この大噴火によって、鎌原大火砕流が発生し、このため麓の鎌原村はほぼ全滅、火砕流は吾妻川に流れ込み、一時的に堰き止めた。                          その数時間後に火砕流による自然のダムは決壊し、大泥流洪水となって吾妻川沿いの村々を襲った。                                       この大泥流洪水の被害報告が、『天明三年七月浅間焼泥押流失人馬家屋被害書上帳』天明三年七月あさまやけどろおしりゅうしつじんばかおくひがいかきあげちょう として記録に残って いる。                                この大泥流に流されてきた噴火による小山のような岩塊が、渋川市の吾妻川沿いの通常の水面から10メートル近く高い岸辺に流れ着いて、「浅間石」と名付けられて現存している。わたしは現地で浅間石の確認をしている。                      吾妻川・利根川沿岸55か村におよぶ被害は、流死1624名、流失家屋1511軒であった。                                       ちなみに、渋川村の上流隣村の川島村は、流死76名、流失家屋113 軒、流死馬36頭であり全滅状態であった。                              

ただし、渋川村の被害は「くるま流 田畑少々流水入 人壱人流」(くるまながれ、でんばた少々ながれ、みずいる、ひと一人ながる)となっており、流死者はたった一人であった。こうした事実は セッション後の検証で判明した。                   この流死者こそタエだと推測できる。                        また、「くるま流れ」の「くるま」は、渋川村上郷から吾妻川の橋のある川原までタエを乗せて運んだ大八車だと推測できる。

稲垣:火が渋川村から見えますか?

里沙:うん。

稲垣:噴火の火がみえますか?

里沙:フンカ?

注:天明の頃に「噴火」という用語は無く、浅間山の噴火を「浅間焼(あさまやけ)」と表現している。

稲垣:噴火って分かりませんか? (里沙頷く)分からない。火が山から出てるんですか?

里沙:熱い!

稲垣:煙も見えますか?

里沙:は、はい。

稲垣:じゃ、灰みたいな物は降ってますか? そのせいで農作物に何か影響が出てますか?

里沙:白い灰が毎日積もります。

注:渋川市は浅間山の南東50Kmの風下に位置する。天明三年六月(旧暦)から断続的に噴火を続けた浅間山の火山灰が1メートルを超えるなど相当量積もったことは事実である。

稲垣:どのくらい積もるんでしょう?

里沙:軒下。

稲垣:軒下までというと相当な高さですね。単位でいうとどのくらの高さですか? 村の人はなんて言ってますか?

里沙:分からない。

稲垣:軒下まで積もると農作物は全滅じゃないですか。

里沙:む、村の人は、鉄砲撃ったり、鉦を叩いたり、太鼓を叩いても、雷神様はおさまらない。

注:当時の村人たちは、噴火にともなう火山雷を、雷神の怒りだと考えた。鉄砲を撃ったり、鉦を叩いたり、太鼓を叩いてこれを鎮めようとしたことは当時の旅日記などに残されている事実である。              

稲垣:その結果なにが起きてますか?

里沙:龍神様は川を下ります。

注:浅間山は、当時龍神信仰の山であった。浅間山に住む龍神が、噴火で住めなくなって、浅間山麓の東を流れる吾妻川を下ると当時の村人は考えたのであろう。                             タエは吾妻川を下る龍神の花嫁として、川中の柱(橋脚)に縛られ供えられたと思われる。

稲垣:その結果どうなりました?

里沙:天明3年7月、七夕様の日、龍神様と雷神様が、あま、あま、あまつ、吾妻(あがつま)川を下るので ・・・水が止まって危ないので、上(かみ)の村が水にやられるので・・・わたしがお供えになります。

注:2006年10月放映のアンビリバボーでは上記の下線部分「上の村が水にやられるので」の台詞が消去されてしまっている。この台詞があると、タエが人柱になる理由 が渋川村を救うためではなく上流の村々を救うためになり、視聴者には人柱の理由が分かりずらくなる。タエが自分の住む渋川村を救うために人柱になる、としたほうが話の筋として納得されやすいとアンビリ側が考えたうえで事実の歪曲がおこなわれたものと思われる。ちなみに、「吾妻川」を知っていたのは7名のセッション立ち会い者のうち1名 だけであり、わたしも知らなかった。

稲垣:自分から志願したの?

里沙:そうです。きれいな着物を着て、(微笑む)②おいしいごちそう食べて・・。

稲垣:それをしたかったのですか? でも、命を失いますよ。それでもいい?

里沙:村のために・・・。

稲垣:誰か勧めた人がいますか?

里沙:おとっつあん。

稲垣:キチエモンさんが、そう言ってあなたに勧めた。

注:7年後の再セッションで、キチエモンは、吾妻川上流の村々から生糸や野菜を買い入れ、吾妻川を舟で運んで交易をしていたとタエは語っている。そのための舟着場を持っていた。キチエモンは交易相手の上流の村々を水害から救うために、人柱を必要としたと推測できる。記録によれば、渋川村の被害は「くるま流 田畑少々水入 人壱人流」(くるまながれ、でんばた少々ながれ、みずいる、ひと一人ながる)となっており、流死者はたった一人であった。 

タエは渋川村を救うための人柱ではなかったのである。           

 

里沙:恩返し。みんなのために(微笑む)③うれしい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

このセッション逐語録の話者「里沙」を「タエ」に置き換えて違和感があるでしょうか。
 
わたしには「タエ」であったときの前世の記憶を、「里沙」さんが想起し話している、として解釈することに大きな違和感を感じました。

ありのままに受け取れば、里沙さんが自分の前世であった「タエの記憶 」を想起して語っているのではなく、「タエという人格自身」が里沙さんの口を借りて、自分の人生を語っている、と受け取ることがごく自然であると思われました。

つまり、タエの人格そのものが、被験者里沙さんの肉体を借りて顕現化し、自分の人生を語っているのではないか、という直感が湧き起こったのです。
 
そして、里沙さんの口調は、実年齢47歳でありながらまさに16歳の少女としか思われないものに変化していました。

この思いは、下線を引いた(微笑む)という里沙さんの表情①~③の個所でより強い実感になっていったのです。(注:you-tube公開の「タエの事例」動画参照)

微笑んでいるのは里沙さん自身の表情ですが、微笑ませている主体は、里沙さんではなくタエの人格そのものではないかと思われました。
 
事実、セッション中のわたしの意識は、被験者里沙さんではなく、里沙さんとは別人格のタエの人格を対象にして対話していたのです。

里沙さんの肉体は、前世人格タエが顕現化するための媒体ではなかろうか、という現象学的発想と問題意識が生まれた瞬間でした。                

しかし、仮に前世人格の顕現化現象を認めるとして、2005年当時の前世療法では、前世人格の顕現化という発想を持った前世療法は皆無でした。(2023年現在も同様)     

 

そして、仮に前世人格の顕現化現象を認めるとして、ではその前世人格タエはいったいどこから顕現化してくるのか、脳内からなのか 、脳以外の場からなのか。

肉体の臓器である脳は、死後消滅します。

当然脳内(海馬)に保存されていた現世の記憶も無に帰することになります。

にもかかわらず、脳内から前世の記憶が想起されることは論理的にありえないことになります。

そして、 記憶だけが死後も消滅せずどこかに存続している、という科学的実証はありません。

 

となれば、前世の記憶は、フィクションでしかないことになります。

 

SAM前世療法の成立以前、2004年に立命館大学で開催された「日本催眠医学心理学会」・「日本教育催眠学会」の合同学会で、「前世の記憶を想起させた前世療法」としてわたしの実践事例を発表した研究討議でも、大学の催眠研究者、医師など60名余りの参会者の意見の大勢は、前世の記憶はフィクションでしかない、として批判を受けました。(『前世療法の探究』春秋社、PP.137-148)

 

ただし、この時点で「タエの事例」は、『前世療法の探究』に掲載されていませんし、フジTV「アンビリバボー」で放映されてはいません。

 

しかし、おそらく19年を経た現在でも、アカデミックな催眠関連学会の生まれ変わりについてのこうした見解は、ほとんど変化してはいないだろうと思われます。

 

日本のアカデミズムでは、生まれ変わりや前世の存在を研究対象に取り上げること自体が、オカルト扱いされ、特殊専門科学として論及する立場にはない、という了解ないし学問的禁欲があると思われます。

 

催眠中にあらわれる前世の記憶の真偽について、生まれ変わりの科学的研究の泰斗、イアンスティーヴンソンは、みずからの前世療法催眠実験の結果について次のように述べています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

前世の記憶 らしきものをはじめからある程度持っている者に催眠をかければ、細かい事実を他にも思い出すのではないか、とお考えになるかもしれない。             私自身もそのように考えたため、自然に浮かび上がった前世の記憶らしきものを持つ者に催眠をかけたことがある。                              この人たちの持つ記憶らしきものは前世に由来しているかも知れないが、特に地名と人名については、事実かどうか確認できるほど明確に語ってはいなかった。          催眠状態なら、人物や場所の名前を一部にせよ正しく思い起こしてくれるかもしれないし、そうすれば、この人々の記憶に残っているという前世人格の存在が確認できるのではないかと考えたのである。                                私はこのような実験を13件自らおこなったり指導したりしている。          一部では私自身が施術をおこなったが、それ以外は他の術者に実験を依頼した。      その結果、ただの1件も成功しなかった。                      (イアンスティーヴンソン/笠原敏雄訳『前世を記憶する子どもたち』日本教文社、PP.79-80)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そもそも、意識が脳から生み出されるという科学的実証はいまだにないわけですから、この問題の判断は留保としておくしかありませんでした。

 

この4年後、SAM前世療法を開発した2008年に、SAM前世療法を用いて魂表層からタエの再顕現化実験をおこない、タエの人格自身が、魂表層から顕現化しているという意識現象を確認しています。                                      

 

このことは、前世人格タエは、たまたま憑依した第三者の憑依霊などではなく、里沙さんの魂表層を居場所にしている前世人格であることの証左であるととらえています。

 

同時にSAM前世療法の技法にしたがえば、前世人格の再顕現化が可能であることの実証であり、SAM前世療法は、「再現性の保障」という科学性の条件の一つを満たしていると思います。

 

ちなみに、「前世の記憶」として扱った事例で、これは「前世の記憶」ではなく「前世人格そのものの語り」ではないかと思われた先駆的事例3例(亜由美の事例、佳奈の事例、佐恵子の事例)を拙著『前世療法の探究』PP.50-136で紹介しています。
 

こうして、前世人格顕現化の問題はひとまず棚上げし、「タエの記憶」として語られた前世の内容を徹底的に検証した結果を紹介した『前世療法の探究』を春秋社から2006年5月に出版しました。                      

 

管見するかぎり、少なくとも日本においては、前世の記憶を想起するという前提の前世療法によって、語られた前世の記憶を科学的検証にかけ、「前世の記憶」の存在がフィクションではないことを実証しようと試みた書籍類は、現在においても拙著以外に知りません。

 

前世人格の顕現化現象を認めるとして、ではその前世人格はいったいどこから顕現化してくるのか、脳内からなのか 、脳以外の居場所からなのか、この問題意識への執拗なこだわりこそ、その後のわたしの探究の原動力でした。

 
 
2  わたしあて霊信現象との遭遇(2006年1月~2月)
 
 
006年12月末、『前世療法の探究』を読んだ、当時26歳の東京在住の派遣社員であったM子さんから、拙著についての感想メールが届きました。             
 
続いて、翌2007年1月11日~2月14日の1ヶ月間、このM子さんを霊媒として、パソコンの自動書記によるわたしあての霊信が毎夜届くという超常現象が起こりました。                               
 
このわたしあて全霊信は、『SAM催眠学序説 その47~72で公開しています。

2007年1月23日の第11霊信で

「前世療法についてだが、あなたは自らの霊性により独自性を持つようになる。あなたの療法は、あなたにしかできないものになる」と告げられ

そして、同じく第11霊信で、「あなたが探究すべきものは、これまでよりもさらに深奥にあるものである」と通信霊は告げていますから、第12霊信、第13霊信、第14霊信、第15霊信、第17霊信の回答は、「これまでよりもさらに深奥にあるもの」を示唆しているのであり、わたしが「探究すべきもの」であると思われました。

第12霊信、第13霊信、第14霊信、第15霊信、第17霊信における通信霊の、魂・脳・意識・心、の関係性についての難解な諸回答をまとめると次のA~Dのようになります。

A 「脳」「意識」を生み出していない。

B 「意識」を 生み出しているものは、「魂の表層」を構成している前世の者たちである。つまり、前世の者たちは「魂の表層」に存在している。したがって、「魂」は、中心(核)となる意識体と、その表層を構成する前世の者たちとの「二層構造」となっている。

C 「魂表層」の前世の者たちによって生み出された「意識」は、肉体を包み込んでいる「霊体」に宿っている。霊体はオーラとも呼ばれる。

D 「魂表層」の前世の者たちは、互いにつながりを持ち、友愛を築き、与え合うことを望んでいる。つまり、前世の者たちは、死後も「魂表層」で相互に交流を営んでいる。加えて、魂の表層には、「現世のわたし」の人格を担う者が位置付いている。

こうした霊信内容は、わたしの問題意識に対して大きな示唆を与えるものとなりました。
後にこれら霊信内容を作業仮説にしてSAM前世療法を創始することになりました。  

 

3 M子セッションとの出会い(2007年1月


 

こうした霊信を受け取っている最中の2007年1月27日、わたしは、霊信受信者M子さんの自動書記による霊信現象の真偽と、M子さんとわたしの前世での関係性を探るためのセッションをわたしのほうからお願いしました。

当時M子さんは26歳の派遣社員でした。

 

以下はM子さんとのセッションの逐語録の抜粋です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
M子:(毅然とした別人口調で)今はその必要はありません。

注:この別人口調の話者はM子さんの守護霊だと思われる。
 

稲垣:どうしたらいいでしょう? 
わたしにできることは、仕事としては「そのもの」を癒すということが必要ではありませんか?

M子:「そのもの」ではなく、あなたが今日、癒すべきものはM子という存在であり、アトランティスでの過去世について深く触れることは今日はできない。
だが、あなたは先ほど癒した傷ともう一つ、あなたが知らなければならない傷がある。だが、その傷は癒され始めている。それは、直接あなたと過去世で関わり合う者であり、「その意識」は、先ほどからあなたを見詰めている。

稲垣:そうですか。

M子:その幼子は、あなたへと伝えたい言葉をずっと胸のうちに秘めていた。

稲垣:残念ですが、わたしにはそうした存在と交信する能力がありません。
M子さんに代弁してもらえますか? その幼子の言葉を。
M子さんが霊媒となって、訴えてる幼子とわたしとの仲立ちになってくだされば、その幼子を癒すことができるかもしれませんが。

注:このあとM子さんの過去世である幼子の口調に変わって話す。                 

M子:先生!・・・先生、ありがとう。(泣き声で)ぼく、先生を悲しませて、ごめんなさい。

稲垣:分かりました。で、あなたは何をしたんですか?

M子:(泣き声で)ぼくだけじゃなくて、みんな、みんな死んで、先生泣いたでしょ。
ぼく、先生が、ずっとずっといっぱい大切なことを教えてくれて、先生、ぼくのお父さんみたいにいっぱいで遊んでくれて、ぼくは先生のほんとの子どもだったらよかったと思ったけど、でも、死んだ後に、ぼくのお父さんとお母さんがいてね、先生は先生でよかったんだって・・・。
でも、ぼく、先生に、先生が喜ぶこととか何もできずに死んだから、ぼく、ずっとね、先生に恩返ししたいってずっと思ってて・・・このお姉ちゃんは、ぼくじゃ ないけど、でも、先生とお話したりできるのは、このお姉ちゃんだけだよ。でも、ぼくも、ずっとこのお姉ちゃんと一緒だから、だから、ぼくのこと忘れないでね。

注:この幼子「ぼく」は、M子さんの魂表層を構成している前世人格の一つとして存在し、魂表層から顕現化し、現世のM子さんの肉体を借りて自己表現していることを示している。つまり、このセッション1年後に成立するSAM前世療法の前駆的現象である。

稲垣:分かりました。きっと忘れませんよ。
それからあなたがね、こうやって現れて、直接あなたの声を聞く能力は、わたしにはありません。
でも、そのうちにそういう能力が現れるかもしれないと霊信では告げられています。ですから、そのときが来たら存分に話しましょう。
先生は忘れることはないだろうし、あなたからひどい仕打ちを受けたとも思っていません。だから、あなたはそんなに悲しまないでください。

M子:ぼくは、先生に「ありがと」って言いたかった。

稲垣:はい。あなたの気持ちをしっかり受け止めましたからね。
そんなに悲しむことはやめてください。先生も悲しくなるからね。

M子:うん。

稲垣:あなたは片腕をなくしていますか?

M子:生まれつき右腕がないんです。でも、先生は、手が一本だけでも大丈夫だっていつも言ってくれた。

稲垣:そうですか。今、あなたが生きている時代はいつ頃でしょう。
わたしには、それも見当がつかない。西暦で何年くらいのことか分かりますか?
 

注:この後、幼子が大人の男性的口調になり、霊的存在が憑依したと思われる。    

M子:紀元前600年。

稲垣:どこのお国でしょう?

M子:・・・プ、プティアドレス。

稲垣:それは地球上にあった国ですか? ほかの惑星ですか?

M子:それは地球にあり、前後の違いにより、今は別の地名として伝えられている。

稲垣:日本ではないようですね。中近東とかヨーロッパですか?

M子:違う。

稲垣:中南米とか南米でしょうか?

M子:南米に近いが・・・パレンケ・・・パレンケ・・・。

注:パレンケ (Palenque) は、メキシコに現存するマヤ文明の古代都市遺跡で、メキシコの世界遺産の一つである。                              ユカタン半島の付根にあたるメキシコ南東部のチアパス州に位置し、7世紀に最盛期を迎えた都市の遺構(ウィキペディアの記事より)。                      わたしの前世の一つとして、古代都市パレンケの孤児院の教師をしていた、ということらしい。                                       うがった見方をすれば、わたしあて霊信の受信者M子さんは、当然のことながら霊信の告げた魂の仕組みについて知っているので、それに合わせて、彼女の前世であるマヤのパレンケの片腕のない少年の話を、無意識的に創作して語ったという解釈も可能であろう。     

しかし、彼女が、パレンケ遺跡について知っていた可能性は、ほぼ棄却できる。     したがって、わたしはM子さんの創作説を採らない立場であるが、残念ながらこのパレンケの片腕のない少年および、教師であったわたしの存在の真偽を検証することは不可能である。ちなみに、当時26歳であったM子さんとは、2007年1月27日のセッションで会ったのが最初で最後で、その後メールのやりとりが断続的に続いたが、2008年以後2023年の現在まで、彼女のメール連絡先も携帯電話先も不通になり、完全に連絡手段は途絶えたままである。手を尽くしてみたが、彼女の居場所、状況などの消息も一切不明となっている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、このM子さんのセッションで注目すべきは、M子さんの前世として現れた少年の存在です。

「このお姉ちゃん(注:M子さんのこと)は、ぼくじゃ ないけど、でも、先生とお話したりできるのは、このお姉ちゃんだけだよ。でも、ぼくも、ずっとこのお姉ちゃんと一緒だから、だから、ぼくのこと忘れないでね」

と語っている片腕のない少年「ぼく」の語りです。
少年「ぼく」は、この「お姉ちゃん(M子さん)」じゃない別人格ではあるけれど、稲垣と会話できるのはM子さんだけだ、そして、少年「ぼく」はずっとM子さんとずっと一緒にいる、と語っています。
 

この語りだけに注目すると意味不明ですが、このセッションの直前の霊信が告げていること、すなわち前掲の第12霊信、第13霊信、第14霊信、第15霊信、第17霊信の告げた内容のうち

B 「意識」を 生み出しているものは、「魂の表層」を構成している前世の者たちである。つまり、前世の者たちは「魂の表層」に存在している。

と照合して意訳してみると、 少年「ぼく」は、死後もM子さんの魂の表層で、M子さんとともにずっと存在しており、「ぼく」は、彼女の魂の表層から顕現化した前世の人格なのだ。 だから、「ぼく」自身は、現世のM子さんではない。彼女の魂表層に存在している前世の「ぼく」は、彼女の肉体を借りて顕現化でき、稲垣とお話できるということになります。

M子さんが、自分の前世である古代都市パレンケの片腕のない少年「ぼく」であった「記憶」を語っているのではなく、まさしく前世人格である少年「ぼく自身」が顕現化し、M子さんの口を借りて、自分の思いを語っていると受け取らざるをえないのです。                                そして、26歳の
M子さんの口調は、少年そのものでした。

2005年当時「タエの事例」において、里沙さんが自分の前世であった「タエの記憶 」を想起して語っているのではなく、「タエという前世人格自身」が里沙さんの口を借りて、自分の思いを語っている、と受け取ることがごく自然であるという直感は、この少年「ぼく」の語りによって、はっきり裏付けられたと思われました。                             

のちにこうした現象を「自己内憑依」と名付けています。               

つまり、魂表層の前世人格の顕現化とは、「生まれ変わりである現世の者の肉体に憑依して自己表現している」ということに他ならないということです。

 

このM子さんのセッションの4日前、2007年1月23日の第11霊信で告げられた

「前世療法についてだが、あなたは自らの霊性により独自性を持つようになる。あなたの療法は、あなたにしかできないものになる」

という予言は、「クライアントが前世の記憶を想起する」という一般の前世療法の前提とはまったく異なり、「クライアントの肉体を借りて顕現化した前世人格自身が対話する」という前提でおこなう、わたしにしかできない独自・固有の前世療法の創始を意味しているのだ、と思わざるえない事態が起きたのです。

こうして、これまでの前世療法とまったく前提を異にした、「魂の表層を構成している前世人格自身を呼び出し対話する」という作業仮説による新たな方法論と技法による前世療法を構築する試行錯誤が、その後2007年春から1年間にわたって続きました。
 

やがて、2008年春には、クライアントを「魂状態の自覚」へと誘導する世界に類のない新たな催眠誘導技法によって、魂の表層に存在している前世人格を呼び出すことが、9割の確立で成功することが可能であることが明らかとなりました。

この前代未聞の作業仮説による前世療法を、従来の「前世の記憶を想起する」という前世療法とは明確に識別するために、また、この前世療法が霊的であるがための誤解・偏見によって歪められ誤った形で流布されることを防ぐためにも、2008年春に「SAM前世療法」と命名し、商法登録をすることにしました。
 

SAM」とは、Soul Approach Methodの略です。
つまり、魂の状態にアプローチする方法による前世療法という意味を込めた命名です。


4 「ラタラジューの事例」との出会い(2009年5月)


そして、前世人格を呼び出し対話するというSAM前世療法の仮説を、自信をもって掲げることができた事例こそが、翌2009年5月におこなった応答型真性異言の実験セッション「ラタラジュー の事例」でした。

「ラタラジューの事例」は、SAM前世療法独自の誘導技法にしたがって被験者里沙さんを魂状態の自覚まで誘導し、魂の表層から顕現化した前世の人格です。

顕現化した前世人格のラタラジューは、ネパール人の対話相手のカルパナさんと応答的に真性異言であるネパール語で25分間対話しています。

被験者里沙さんが、ネパール語を学んでいないことは、ポリグラフ検査の鑑定によって明らかになっているので(後述) 、ネパール語で対話したラタラジュー人格は明らかに里沙さんとは別人格である前世人格です。

しかも、ラタラジュー人格は、現代 ネパール語ではほぼ死語となっている「swasni、スワシニ(妻)」、「ath・satori、アト・サトリ、8と70(78)」といった古いネパール語単語や古い数の数え方を用いて対話をしています。

また、ネパール語の文法では、主語の人称に対応して「です」に当たる助動詞が、一人称では「hu(フ)」、二人称では「hunuhuncha(フヌフンチャ)」、三人称では「ho()」のように変化しますが、ラタラジューはこれを正しく使い分けて会話しています。                                             

さらに、ラタラジューという名前は、ネパールでは一昔前には使われていたそうですが、現在ではほとんど使われていない人名だということです。         

 

ちなみに、里沙さんがネパール語を学んでいたのかどうかの有無を、「日本法科学鑑定センター」の荒砂正名氏(元大阪府警科学捜査研究所長)に依頼し、2時間半にわたるポリグラフ検査を実施しました。                        

その結果、彼女がネパール語を学んだ記憶の形跡は一切ない、という鑑定書の発行を得ています。

 

そして、里沙さんが、小・中・大学・近隣で、ネパール人との交際や接触が一切ないことも、綿密な聞き取り調査によって確認しています。

こうして、ネパール語を里沙さんが秘かに学んでいた形跡は一切ないのです。

 

 さらに、ラタラジューは対話相手のネパール人カルパナさんに対して、「あなたはネパール人ですか?」と問いかけ、そうです、という返事に対して、「お、お、・・・」と喜びを表明し、明らかに現在進行形の対話をしています。              

 

これは、ラタラジュー人格が、ただいま、ここに、被験者里沙さんの肉体を借りて憑依し、自己表現している、としか解釈できないのではないでしょうか。

前世人格ラタラジューは、次のような、現在進行形のきわめて象徴的な対話をしています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

:KAはネパー人対話者カルパナさん


里沙:  Tapai Nepali huncha?         
   (あなたはネパール人ですか?)

KA:  ho, ma Nepali.
   (はい、私はネパール人です)

里沙:  O. ma Nepali.
   (おお、私もネパール人です)
・・・・・・・・・・・・・・・・・
この短いやりとりの重要性は、ついうっかり見落とすところですが、現れた前世人格のありようについて、きわめて興味深く示唆に富むものだと言えます。

つまり、前世人格ラタラジューのありようは、ネパール語話者カルパナさんに対して、現在進行形で「あなたはネパール人ですか?」と、明らかに、ただ今、ここで、問いかけ、その回答を求めているわけで、「里沙さんの潜在意識に潜んでいる前世の記憶を想起している」という解釈が成り立たないことを示しています。

ラタラジューは、前世記憶の想起として里沙さんによって語られている人格ではないのです。
里沙さんとは別人格として、ただ今、ここに、顕現化している、としか考えられない現象です。

この現象は「別人格である前世のラタラジューが、里沙さんの肉体(声帯と舌)を用いて自己表現している」と解釈することが自然な解釈ではないでしょうか。
 

つまり、ネパール語で応答型真性異言を話している主体は、里沙さんではなく、別人格であるラタラジュー人格そのものとしか解釈できないということです。

換言すれば、 前世人格ラタラジューが、里沙さんに「自己内憑依」しているということです。
 

自分の魂の内部に存在している前世人格が、自分に憑依して語る、などという憑依現象はこれまで知られていません。
そこで、SAM前世療法では、前世人格の顕現化という憑依現象を「自己内憑依」と呼ぶことにしています。

この現在進行形でおこなわれている会話の事実は、潜在意識の深淵には魂の自覚が潜んでおり、魂の表層には前世のものたちが、今も、意識体として存在している、というSAM前世療法独自の作業仮説が正しい可能性を示している証拠であると考えています。

ちなみに、応答型真性異言の研究をおこなったイアン・スティーヴンソンも、「グレートヒェンの事例」について、顕現化したドイツ人少女グレートヒェンについて次のように述べています。

「私自身はこの被験者を対象にした実験セッションに4回参加しており、いずれのセッションでも、トランス人格たるグレートヒェンとドイツ語で意味のある会話をおこなっている」
(イアン・スティーヴンソン/笠原敏雄訳 『前世の言葉を話す人々』春秋社1995、P.9)

ドイツ語を話す人格をどのように位置づけるか・・・
(前掲書P.10)

 「ドイツ人とおぼしき人格をもう一度呼び出だそうと試みた」
(前掲書P.11)

応答型真性異言で対話したグレートヒェンを、被験者の「前世の記憶」として話したのではなく、「前世の人格」グレートヒェンとして顕現化したのだ、と判断しています。
ただし、イアン・スティーヴンソンは、そうした前世の人格が、どこから顕現化しているかについては一切言及していません。

 

「グレートヒェンの事例」の前世療法臨床に立ち会ったスティーヴンソンが、グレートヒェンの語りを被験者の前世の記憶ではなく、トランス人格であるグレートヒェン自身の顕現化であるととらえていることに、わたしが勇気づけられたことは言うまでもありません。                          ちなみに「トランス人格」とは、催眠中に現れた別人格の意味です。

以上縷々述べてきた5年間の経緯によって、SAM前世療法おいては前世の人格と対話する、という明確な見解と仮説を掲げるに至ったというわけです。

「心搬体(サイコフォア)と「魂」について


SAM前世療法では、「前世の人格そのものを呼び出し対話する」という仮説に基づいてセッションを遂行します。

したがって、肉体の死後も無に帰することなく存続し、生前の人格・個性・記憶など心的要素を来世へと運搬する意識体の存在を前提としています。
 

生まれ変わりには、志向性がなく無目的で偶発的に起こるものではない、とすれば、なんらかの志向性を帯びて死後存続する意識体の存在を想定しないと、生まれ変わりを繰り返すという現象の説明が完結できません。

そして、なんらかの目的性・志向性を帯びて、生前の心的要素を運搬し死後も存続し続ける意識体を、SAM催眠学では「」と呼ぶことにしています。
 

同様に、イアン、スティーヴンソンも「前世から来世へとある人格の心的要素を運搬する媒体を『心搬体(サイコフォア)』と呼ぶことにしたらどうかと思う」と提案しています。(イアン・スティーヴンソン/笠原敏雄訳『前世を記憶する子どもたち』日本教文社、P.359)

ただし、スティーヴンソンのいう心搬体(笠原敏雄氏の訳語)は、生まれ変わりを繰り返したすべての諸前世の、心的要素によって構成されている、とは述べていません。
また、心搬体になんらかの志向性や目的性のあることにも触れてはいません。

スティーヴンソンは、「私は、心搬体を構成する要素がどのような配列になっているかはまったく知らないけれども、肉体ない人格がある種の経験を積み、活動を停止していないとすれば、心搬体は変化していくのではないかと思う」
(前掲書P.359)と述べているだけです。
そして、心搬体は変化していくのではないかと思うとその変化の可能性に言及していますが、心搬体の変化になんらかの志向性や目的性のあることには触れてはいません。

こうして、スティーヴンソンのいう心搬体は、なんらかの構成要素によって成り立ち、変化していく可能性のある意識体であることが含意されていると推測できるでしょう。

心搬体とは、いわゆる(肉体に宿って精神作用をつかさどるもの)の言い換えでしょうが、「魂」という用語につきまとう宗教臭を払拭するために、科学的中立性の意味を強調した新しい造語の「心搬体」という用語をあえて提案していると思われます。
 

したがって、心搬体の変化に関わるなんらかの志向性や目的性に触れることは、宗教臭を与えるおそれがあり、彼はそれに触れることをあえて自制しているのだと推測しています。

スティーヴンソンの生まれ変わり研究の論述は、緻密かつ慎重で抑制的です。  したがって、いわゆる学問的禁欲が働いていると思われます。            

 

しかし、あえて言うなら彼には、霊信現象による魂と生まれ変わりについての開示を受けた体験がなかったからではないかとも推測しています。

 

これに対し、SAM催眠学の「魂」は、なんらかの目的性・志向性を持った中心(核)となる意識体と、その中心(核)となる意識体の表層を、生まれ変わりをしてきた諸人格によって構成された二層構造になっていると定義しています。

この魂の「二層構造仮説」を単純化した立体モデルにたとえると、魂はミラーボールのようなものになります。
中心となる球体(中心(核)となる意識体)と、その表面に貼り付いている1枚1枚の鏡の断片(生まれ変わりをしてきた前世の諸人格)から、魂は構成されているというわけです。

この「魂の二層構造仮説」は、わたしあて霊信の告げてきたそのままの内容を作業仮説に採用し、その仮説の検証をおこなってきたSAM前世療法によって確認された「意識現象の事実」の累積をもとに提唱しているものです。

なお、 SAM催眠学の定義している「魂」にも、宗教的意味合いは一切ありません。

一般におこなわれている前世療法は、クライアントのどこか(脳内?)に保存されていると思われる「前世の記憶」をイメージとして想起するという前提でセッションをおこないます。

それでは、SAM前世療法で扱う対象が、「前世の人格」でなければならない合理的理由はどこにあるのでしょうか。
 

わたしの主張している、「前世人格」を顕現化させて対話する、という仮説は、けっして奇を衒っているわけではありません。
こうした仮説にたどりつく必然性の経緯があったということです。

なぜ、「前世の記憶」では不都合なのでしょうか。
このことは、SAM催眠学における中核的かつ本質的で重要な問題です。

わたしが、SAM前世療法おいては前世の人格と対話する、という明確な見解と仮説を持つに至った2005年~2009年の5年間に起きた経緯については述べてきたとおりです。

 

6 生まれ変わりの志向性についての考察

 

こうして、セッションであらわれた「意識現象の事実」の15年間の累積から、わたしが、魂と生まれ変わりの実在を認める立場を主張している理由は、

それら「意識現象の事実」を、魂の存在や生まれ変わりの証拠として認めることが直感に著しく反していないからであり、

魂と生まれ変わりを事実として認めることが、不合理な結論に帰着しないからであり、

前世人格の顕現化という霊的現象(とりわけ応答型真性異言現象)が、唯物論によってどうしても説明できないからです。

SAM前世療法の作業仮説は、霊信の告げた魂の二層構造を前提として導き出したもので、良好な催眠状態に誘導し潜在意識をどんどん遡行していくと、「意識現象の事実」として、クライアントが「魂の自覚状態」に至ることが明らかになっています。
 

この魂の自覚状態に至れば、呼び出しに該当する前世人格が魂の表層から顕現化し、対話ができることが、クライアントの「意識現象の事実」として明らかになっています。

ラ タラジューも、こうして呼び出した前世人格の一つであるわけで、その前世人格ラタラジューが応答型真性異言で会話した事実を前にして、魂や生まれ変わりの実在を 回避するために、深層心理学的概念を駆使してクライアントの「意識現象の事実」に対して、何としても唯物論的解釈でおさめようとこだわることは、現行科学の知の枠組みに固執した不毛な営み だ、とわたしには思われるのです。

魂状態の自覚、そこであらわれる前世人格の顕現化という「意識現象の事実」に対して、事実は事実としてありのままに認めるという現象学的態度をとってこそ、霊的意識現象の探究を実りあるものにしていくと思っています。
 

そして、クライアントの示す「意識現象の諸事実」は、現行科学の枠組みによる説明では、到底おさまり切るものではありません。
 

魂と生まれ変わりの実在を認めることを非科学的だと回避する立場で、あるいは魂や霊的現象はすべて妄想だと切り捨てて、どうやって顕現化した前世人格ラタラジューの応答型真性異言現象の納得できる説明ができるのでしょうか。

わたしの主張する「魂」の存在を想定せずに、「臨死体験」や「前世の記憶」を説明しようとする理論に量子論を援用した理論物理学者のロジャー・ペンローズと麻酔科医のスチュワート・ハメロフに よって提唱されている「量子脳理論」があります。

 「脳で生まれる意識は宇宙世界で生まれる素粒子より小さい物質であり、重力・空間・時間にとらわれない性質を持つため、通常は脳に納まっている」が「体験者の心臓が止まると、意識は脳から出て拡散する。                            そこで体験者が蘇生した場合は意識は脳に戻り、 体験者が蘇生しなければ意識情報は宇宙に在り続ける」あるいは「別の生命体と結び付いて生まれ変わるのかもしれない」
 
という主張(仮説)が「量子脳理論」による「臨死体験」と「生まれ変わり」の説明です。

イアン・スティーヴンソンの後を継いだバージニア大学のジム・タッカーも、量子脳理論に同調していると思われ、スティ-ヴンソンの提案している、「前世から来世へとある人格の心的要素を運搬する心搬体という媒体を想定する」という生まれ変わりの説明概念を放棄しているようで、次のように述べているようです。

量子論の創始者であるマックス・プランクなど、一流の科学者は物質よりも意識が基本的であると語りました。                               つまり、意識は脳が生み出したのではないのです。                  脳や肉体の死後も意識は生き残り続けます。意識は量子レベルのエネルギーです。    ですから、意識は前世の記憶を保ったまま、次の人の脳に貼り付くのです」

 ジム・タッカーが、イアン・スティーヴンソンの提唱している生まれ変わりの説明概念である、「心搬体」という媒体の存在をなぜ考慮せず、なぜこのような量子論による考え方に至ったのかの合理的根拠も、理由も不明です。
 

「心搬体」のような霊的媒体を想定した説明より、最新物理学の量子論による唯物論的説明のほうが、科学的で説得力があるのだと考えているのでしょうか。
あるいは、「心搬体」も意識体として、次の肉体に宿るまでの間、量子レベルのエネルギーの形でどこかに存在していると考えているのでしょうか。
 

そもそも、「意識」がどこで生まれるかが分かっていない現時点で、「意識は量子レベルのエネルギー」だとなぜ断定的に言えるのでしょうか。

ハメロフやタッカーの言う「意識」とは記憶であり「情報」です。
応答型真性異言の応答的会話は、「情報」には還元できない暗黙知である「技能」です。

「意識・情報」の伝達は量子論で説明できても、「技能」の伝達が量子論で説明できるとは思われません。
 

したがって、会話技能の発揮である「応答型真性異言」現象は「量子脳理論」では説明できません。
 

言語に置き替え可能な「記憶情報」と、言語に置き換え不可能な暗黙知である「技能」との決定的に重要な相違を無視したかなり粗雑な考え方が、「量子脳理論」だと言うほかありません。

この事実を前にすれば、「量子脳理論」による生まれ変わりの説明が破綻していることはすでに明らかです。
 

わたしに言わせれば、現時点で「量子脳」の実在が実証されているわけではなく、量子脳という唯物論的観念論による検証不能な「説」の域を出るものではないと思っています。

量子として宇宙にあり続ける膨大な死者たちのうちの誰かの意識が、偶然に現世の誰かの肉体(脳)と結び付くことを「生まれ変わり」だと言うのであれば、霊信が告げ、これまでに模式図で提示した「死後も存続する魂が、ある目的・志向のもとに新しい肉体に宿る」ことを「魂の転生」と呼び、生前は現世人格であった者が肉体の死後は前世人格となり、新たな現世人格が魂表層に位置付くことを「生まれ変わり」と呼ぶとする、SAM前世療法の作業仮説に則れば、量子脳理論を受け入れることはできません。

意識は量子レベルのエネルギーであり前世の記憶を保ったまま、次の人の脳に貼り付くということが事実であれば、それは、「たまたま脳に貼り付いている誰かの前世記憶が蘇っただけの現象」というべきでしょう。
 

魂の存在を排除し、生まれ変わることに目的性や志向性は一切なく、宇宙に量子として偏在している膨大な死者たちの意識のうちのどれかが、無目的に、たまたま、誰でもよかった誰かの脳に貼り付き宿ること、この偶然の繰り返しが「生まれ変わり」であるとすることを、SAM前世療法セッションで確認してきた「意識現象の事実」から、認めることはできません。

なぜなら、SAM前世療法のセッションにおける「意識現象の事実」として確認してきた、何らかの目的性・志向性を帯びて死後存続する魂が、その器である肉体の死後、次の新しい肉体に宿り、転生を繰り返している、という事実に反するからです。
 

また、わたしあて霊信の告げている転生する魂の仕組みに反しています。

魂表層から呼び出し、科学的検証を経ている「タエの事例」、「ラタラジューの事例」という「意識現象の事実」が、このことを実証しています。

宇宙に量子として偏在している膨大な死者たちの意識のうちのどれかが、無目的に、たまたま、誰でもよかった誰かの脳に貼り付き宿ること、この偶然の繰り返しが「生まれ変わり」であるとするなら、「生まれ変わり」は、無意味な、単なる偶然の産物であり、その繰り返しには、もともと意味や志向性など全くないということになります。

魂、ないし心搬体の存在を否定し、宇宙に量子として偏在している膨大な死者たちの意識のうちのどれかが、無目的かつ偶然に、誰かの脳に貼り付き宿ることを生まれ変わりだとすれば、たとえば、現世の里沙さんにとって、もはや「ラタラジュー」も「タエ」も、何らかの目的・志向を帯びた魂が宿っていた人格とはいえず、現世の彼女とは一切のつながりのない、まったく無関係・無縁の死者である、タエやラタラジューの意識が、たまたま、偶然に、里沙さんの脳に貼り付いているだけだ、ということになります。

したがって、タエやラタラジューにも、何らかの目的・志向を帯びて死後存続する同じ魂が宿り、その同じ魂が現世では里沙さんに宿って転生していると、もはや言うことはできません。

「前世の記憶」と言う場合においても、「現世に生まれ変わっている私とは無縁ではなく、つながっているはずの前世であったときの記憶」という含意があるはずですが、タッカーの説いている脳に偶然貼り付いた前世の記憶(量子)では、「何らかの目的・志向のもとに生まれ変わった現世のわたしが、前世の人生を生きていたときの記憶」とは、呼べないことになります。

ただし、付言しておきますと、生まれ変わりの研究者の間でも合意されている「生まれ変わり」の明確な定義があるわけではありません。

SAM催眠学の「転生」と「生まれ変わり」を区別する定義は、「魂の二層構造仮説」から必然的に導き出されてきた「創出的定義」creative definition であり、これまでになかった定義です。
辞書的定義によれば、「転生」と「生まれ変わり」の意味の区別がなく、両者は同義語となっています。

SAM催眠学では、二層構造の魂全体が、その器であった生前の肉体の死後、何らかの目的・志向のもとに、新たな別の肉体(器)へと宿り替えすることを「魂の転生」と定義しています。

そして、魂の転生にともなって、魂の表層を構成していた「生前の現世の人格A」は、肉体の死後「前世の人格A」となって魂表層に位置付き、「現世を生きる肉体を持つ別人格B」が、魂表層の構成要素として新たに位置付くことを、「前世のAが現世のBへと生まれ変わる」と定義しています。

新しい理論(仮説)を構築すれば、それにともなって、これまでになかった新しい概念を意味する用語が必要になるのは当然のことです。
 

SAM催眠学で用いている、「魂の二層構造」や「自己内憑依」や「魂遡行催眠」などの用語が、それらの一つひとつです。

また、魂の転生と、それにともなって「前世の人格」が「現世の人格」へと生まれ変わるのは、惰性や偶然によるものではなく、魂が成長・進化するための目的性、志向性を帯びておこなわれている、これがSAM前世療法がこれまで確認してきた「意識現象の事実」です。

 

おわりに
 

このブログを開始してからの国内・国外の累積アクセス数は、現在31万回を超えています。
けっして読みやすい内容ではないにもかかわらず、これまでお読みくださった読者のみなさんに感謝いたします。
 

縷々述べてきましたが、「SAM前世療法」の誕生と、そのセッションの累積による「SAM催眠学」は、里沙さん・M子さん、霊信を告げたわたしの守護霊と守護霊団の諸霊、そして、イアン・スティーヴンソン博士の著書、恩師成瀬悟策医学博士のご著書とご指導、恩師上越教育大学教授杵淵俊夫教育学博士のご指導、拙著『前世療法の探究』の編集者鷲尾徹太氏の的確なご校閲などの諸恩恵なしには、展開できることがけっしてありえなかったことに深く感謝いたします。

また、濃尾平野の田舎町岐阜県可児市に在って、出版のような手間のかかる紙媒体によらず、わたしの主張をこうして一気に世界中に発信でき、読んでいただける、インターネット社会に生まれた恩恵にも感謝せずにはいられません。