この途方もないタイトルは、昨日のセッションで魂状態の自覚まで催眠遡行した、40代女性クライアントに憑依現象として起こった「意識現象の事実」です。
このセッション報告の前に、2007年1月に受信した私あて霊信で、「地球の意識」および、それへのヒーリングについて告げている個所を抜き出して紹介します。
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地球は創られた者である。ここで、この表現を用いるのは、地球も生命の一つであるからだ。あなた方の世界では、この事実を理解するには多くの年月を要する。(第7霊信)
あなたは、あなたの想像力、イマジネーションを用いて、あなたの「地球との接触」をおこなうことができる。あなたがヒーリングをおこなうように、地球に対して接触をしなさい。(第7霊信)
ヒーリングしようと考えおこなうのではなく、まず「地球の意識の一部へと接触する」ことを試みなさい。手の平で包める程度の地球をイメージし、それを手の平から感じようとしなさい。まず、地球の意識を感じようとするのだ。感じ、それを愛をこめヒーリングするのだ。感じるという段階をクリアしなければ、地球に対してはヒーリングはおこなえないものとする。人へのヒーリングと要領は同じであるが、その対象が人ではないために接触が人の場合よりも、つながりにくいものとなる。(第12霊信)
※第7霊信はエドガーケイシーを名乗る霊、第12霊信は稲垣の祖父の守護霊と繋がりをもつ霊を名乗るものからの通信です。
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第7・12霊信で、上記のことを筆者に告げてきましたが、当初、俄には信じ難い内容で、まともに取り合う気持ちは起きませんでした。とりわけ、地球は創られた「者」であり、地球には意識が宿っているということには同意出来ませんでした。ガイアという思想は知ってはいましたが、地球が生命体としての意識を宿している、となるとウウムと思わざるを得ないということです。
ただ、2006年8月、筆者のヒーリング能力らしきものが覚醒し、そのヒーリングエネルギーが謎であった時点で、2007年1月の第1霊信で、「あなたがいやしを起こすとき、多くの高級霊が治療霊としてあなたのもとに集まる」と告げていました。
また、2007年1月27日、霊信受信者M子さんを招いて、パソコンの自動書記による霊信現象の実験をさせてもらったセッション中に、筆者の守護霊とおぼしき存在の憑依が起き、以下のように告げています。
「今、M子の両手を持ちなさい。M子の手から起こる脈動をあなたの左手で感じ取りなさい。それを意識して、その脈動があなたの手に刻まれるように集中しなさい。・・・・これよりM子の意識を完全ではないが、M子の過去生で体験した「地球の意識」へと近づける。あなたは、その左手でそれを感じ取るのだ。・・・・耳鳴りは、あなたが感じ始めた反応であるととらえなさい。・・・そのまま続けなさい。そのものを左手でただ感じるのだ。あなたは、すぐに理解を得られることのないものに対し、あせりに駆られる傾向がある。それを抑え、あなたは少しずつ、一つずつ見極めながら進む必要がある。・・・目を閉じイメージしなさい。あなたの目に地球が映っているのだと想像しなさい。耳鳴りがあってもそのまま続けなさい。・・・・・あなたは地球へと接触するために、これを回想として思い出し、おこない始める必要がある」
上記のセッション中に、憑依霊の指示どおり、M子さんの両手を重ねて下腹部に当て、さらにその上に筆者の左手を当てたところ、ほんとうに巨大な心臓に手を当てたようなドックン、ドックンという脈動を確かに感知しました。同時にキーンという耳鳴りが始まりました。
筆者の手のひらが、直接触れていたのは、M子さんの手の甲ですから、M子さんの手の血管(静脈)の脈動であるはずはないわけです。それ以外のびっくりするような大きな脈動を感知したことは、筆者の左手のひらの感覚として鮮明に刻まれています。超常現象体験としか言いようのないことでした。
こうしたことが重なって、とりあえず、霊的存在が指示するように、翌日、「地球の意識」であるという脈動を想起しながら、手の平で包める程度の地球をイメージし、それを手の平から感じようとヒーリングを試みてみると、確かに左手の平からエネルギーの放射感覚が起きたのです。
それ以来、毎日5分間、地球へのヒーリングを約5年間続けながら、現在に至っています。
M子さんのセッションから1年ほどして、他のクライアントのセッション中に、筆者の守護霊を名乗る霊が、メッセージを携えて憑依した機会に、次のような質問をしたことがありました。
「あなた方は、私に地球の意識をいやすためにヒーリングをするよう指示しました。私はそれにしたがって毎日してきました。しかし、私のヒーリングエネルギーは、霊界の治療霊団から送られてくるとあなた方は告げています。そうであるなら、わざわざ私を経由してヒーリングをさせなくても直接治療霊団が地球の意識をいやせばよいのではありませんか?」
その回答は、「地球の意識をいやすためには、一度地上の人間を通したエネルギーでなければつながらないものだと理解しなさい。あなたが続けなさい」ということでした。
前置きが長くなりましたが、最初に戻ります。
昨日のセッションで、この女性クライアントに憑依した存在が、「地球の意識」を名乗ったというわけです。
魂状態の自覚に至ると、通常は、主訴に関わる前世人格が顕現化(自己内憑依)して来るものですが、「あなたは、前世人格ですか?」と尋ねても返答がありません。
「では、霊的存在が憑依しておいでになり、何かメッセージがあるのですか?」と尋ねても一切返答がありません。
「あなたは未浄化霊ですか?」、「この者の守護霊ですか?」、「私の守護霊または、守護霊団のどなたかですか?」、「神からのメッセージを携えておいでの神の使いの方ですか?」、「あなたは神という存在ですか?」など片っ端から尋ねても、反応がありません。
そこで、「あなたは霊的存在ではないような意識体なのですか?」と尋ねると、頷くという反応がありました。
さらに、「あなたは、『地球の意識』と呼んでよい、そういう存在ですか?」と尋ねたところ、突然身を捩って大声で泣き始めました。
上半身を縮め、両膝を折り曲げ、カウチから転げ落ちそうになりながら、2分程度、涙をポロポロ流しながら「私のこどもたちが死んでしまう」と訴えるのです。
落ち着いたところで、「あなたは、いったいどなたですか?」と確認しました。
なんと、「私は、地球の意識です。地球です」という回答でした。
「このままでは、私のこどもたちは、みんな死んでしまいます。やがて、私も死ぬことになります。
地上の生きとし生けるもの、命あるものすべて、人間もその一つです、それら私のこどもたちすべてが、死に絶えることになります。このことを、あなたは人間たちに伝えてください。人間は、自分で自分の首を絞めて、自分を死に追いやっていることに、ほんとうに気づいていないのです。地球は私です。あなた方は、私です。地上のすべての命は私です。私のこどもたちが死んでしまう~」
という声を振り絞っての悲痛な訴えが続きました。クライアントの顔面は、涙でぐちゃぐちゃです。
「私は、あなたが私にいやしのヒーリングしてくれているのを感じてきました。あなたは、私のこの悲しみを多くの人間に伝えてください」とも。
そして、すべての元凶は、人間たちの欲望を満たす行為にあると訴えました。
こうして、「地球(の意識)」を名乗るものとの対話という信じ難いセッションが、「意識現象の事実」として起きたという報告です。
筆者は、顕現化し、対話した「地球(の意識)」との約束を果たすために、ありのままを公開しました。
これを、クライアントの願望や妄想が託されたフィクションだと受け取るのか、不思議現象をありのままに受け取るか、それぞれ読者の判断におまかせです。
筆者の立場は、霊信を受け取った事情、地球の脈動感覚が手に刻まれている事情、「地球の意識」に毎日欠かさずヒーリングをしてきた事情から、後者の立場をとっています。
大飯原発再開、消費税増税など殺伐とした動きの中で、こうしたファンタジックな(「地球の意識」に叱られるかもしれませんが)現象に出会って、いやされた感じがしています。、
わたしは臨床催眠実践者です。登録商標を取得した「SAM前世療法」の実践によって、魂状態の自覚とともに前世人格の顕現化などが「意識現象の事実」として確認できます。それらの意識現象について、生まれ変わりの先行研究と科学的方法論に基づく検証結果についての考察を公開していきます。「意識現象の事実」の真偽について、「観念より事実」、「理屈より実証」をコンセプトに検証と考察を深める実践を続けています。なお、このブログは、諸宗教との関わりは一切ありません。
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2012年6月29日金曜日
2012年6月24日日曜日
筆者あて霊信の告げる「魂」と「生まれ変わり」の仕組み
この記事は、科学的実証のできない「魂」と「生まれ変わり」についての考察です。
ただし、筆者あて霊信の告げた内容と、それを骨格に作業仮説を設け、SAM前世療法で顕現化した前世人格たちから聞き出した内容の共通項にもとづく見解です。
筆者が、筆者の守護霊団(11の高級霊から成ると告げています)からの霊信を受け取るという超常的現象に遭遇したのは、1冊目の本の出版半年後の2007年1月11日~2月14日のことでした。(霊信の全容はこのブログに公開してあります)
筆者には、そうした受信能力(霊媒能力)は皆無です。当時26歳で派遣社員であったM子さんという女性読者のパソコンによる自動書記による霊信現象でした。彼女のパソコンを経由して毎夜筆者に届いた霊信は22通で、A4版84枚にわたるかなりの分量でした。
なぜ、筆者にそのような霊信という現象が起きたのかはいまだに謎ですが、通信霊が告げたところを要約すれば、霊的真理を地上のわれわれに広める計画が遂行されており、計画遂行の道具の一つとして筆者を使おうということらしい。
筆者の霊信に対する第一の関心は、この霊信とおぼしき超常現象の真偽にありました。もし、真であるなら、そのような通信霊団(守護霊団)の実在が証明できたことになるでしょうし、ひいては「霊界」と呼ばれる次元の実在も証明できることになるでしょう。
最終的には「神」という存在の実在を実感することができるのではなかろうか、というわけです。
守護霊団は、霊的真理を広める計画を「神」が立てた、と告げているからです。
以下に、守護霊団が告げている「魂」と「生まれ変わり」についての霊信情報を抜き出してみました。守護霊団のうちの3つの霊(筆者の祖父の守護霊とつながる霊、エドガーケイシーを名乗る霊、M子さんの守護霊)が交互に通信していますが、告げた内容に齟齬はないと判断しています。
各霊信の頭に番号を付けてあります。末尾の( )内は、届いた霊信の通し番号です。
あとで、筆者の見解を述べるときの便宜のためです。
ゴチック部分は魂の仕組みの核心を告げていると思われる文言です。
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1
どのように優れた能力を持つ者も、魂にいやすべき傷を持つ。(第1霊信)
2
あなたという魂の一面についての情報は与えられるものである。(第3霊信)
3
あなたの魂に耳を澄ませなさい。(第3霊信)
4
あなたの歩んできた道のりは、あなたという魂の旅である。だが、あなただけでなくあなたに血を与えた者による旅の続きでもある。(第5霊信)
5
あなたという人間がこの世に生まれついてから、あなたの魂に刻まれたものが、今のあなたを形成している。
6
あなたの魂は、あなたに語りかけようとしている。(第6霊信)
7
あなたは、自分の魂の感覚をもっと感じる必要がある。あなたが、あなたの魂と対話する時間を設けなさい。他者ではなく、あなたに向けて語りかけなさい。(第9霊信)
8
あなたとあなたの魂は「感じる」ことでつながるのだ。あなたの魂は、あなたが感じることを求めている。(第9霊信)
9
魂という存在を理解しなさい。あなたも、一つの魂をもとに形成された側面なのだ。(第10霊信)
10
前世療法で顕現化されるものは魂ではなく、魂の側面である。魂は、前世療法がおこなわれる際にもそれらすべてを見つめるものである。(第12霊信)
11
傷を持つのは魂の側面であり、魂自体が傷を持つのではない。その表層部分が傷を持つのである。その表層部分により包まれるのは「意識体」である。前世療法でおこなうのは「その表層部分である魂の側面のいやし」である。その表層部分は、これまで転生してきたものたちにより構成されている。(第12霊信)
12
顕在意識・潜在意識は脳が生み出しているものではない。すべては、魂の側面であるものたちが作り出しているものである。(第13霊信)
13
すべてを創造するものは魂の中にある本体である「意識体」である。(第13霊信)
14
霊体はあなた方という魂の側面に属するものであり・・・(第14霊信)
15
死後、霊体は魂から離れる。だがそれらの意識は魂に取り込まれる。そして、魂のものとなるのだ。霊体は、ある意味においては、あなた方が「あなたという人間であるため」の意識を独立して持つための役割を担うものでもある。それなくしては、あなた方は個人的意識を持つことはできない。心が個人的意識をつくるのではない。霊体が持つのだ。(第14霊信)
16
あなたの魂の傷を持つものは求め始める。(第14霊信)
17
あなたとともに、あなたの魂から生まれた多くのものが存在し、・・・それらのものの協力を求めるのだ。友愛、それは自身の魂によるものこそ真の友愛である。(第15霊信)
18
あなたは、これまであなた自身の魂に対して祈りを捧げることはあまりなかった。(第16霊信)
19
涙は魂により流される。それは魂が側面をいやそうとするために流すものである。(第17霊信)
20
あなたという存在も、側面のものであり、すべての側面のものは友であると理解しなさい。魂は、すべての側面のものがつながりを持ち、友愛を築き、与え合うことを望んでいるのだ。(第17霊信)
21
肉体に対するいやし、霊体に対するいやし、魂の側面に対するいやし、それらすべてがスピリットヒーリングである。(第17霊信)
22
魂はいやしを必要としない。意識体は、あるがままに完全性を持つものである。いやしを求めるものは、魂の側面であり、霊体であり、肉体である。(第17霊信)
23
あなたの魂の側面のものたちは、手をつないでいるのだと理解してください。まだそれを拒むものも存在します。(第17霊信)
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上記1~23の内容に共通することは、筆者という存在は、筆者の中に存在している「魂の側面」の一つであり、魂の側面には、筆者以外の前世の者たちが連綿として存在している、ということです。
そして、それら魂表層に存在している前世の者たちの中には、傷を持っている者が必ず存在しているということです。そうした魂表層に存在する、傷に苦しむ前世の者をいやすことが、前世療法の仕事だというわけです。
また、No.11で「側面」を「表層」とも言い換えて表現していますから、以後、「側面」を、分かりやすい「表層」に統一して用います。
このNo.11とNo.12、No.15の内容が、SAM前世療法の骨格となる作業仮説を構成しています。
No.11とNo.13では、魂は表層部分とそれに包まれている本体(意識体・・・霊界の類魂の分身?)の二層構造である、と告げています。
No.12とNo.15では、意識・潜在意識は魂表層の前世の者たちが作り出しており、作り出されたそれら意識は「霊体」に宿っていると告げています。死後、霊体は魂から脱落し、霊体のもつ個人的意識は魂(の表層)に取り込まれる、と告げています。おそらく、生前、魂表層に存在していた「現世の者」に取り込まれると思われます。そして、魂が次の肉体に宿ったときには、表層を構成する前世の者の一つとして位置づくと推測できます。
さらに、No.20では、魂は、すべての側面(表層)のもの(前世の者たち)がつながりを持ち、友愛を築き、与え合うことを望んでいる、と告げていますから、それぞれの前世の者が、互いの人生で獲得した知恵を与え合い、共有し、表層全体が集合意識体として成長・進化するような仕組みであろうと推測できます。
しかし、No.17では、魂の側面(表層)のものたちは、手をつないでいるのだと理解してください。まだそれを拒むものも存在しますと告げていますから、前世の者の中には、「手をつなぐ」ことを拒否して、孤立状態で苦しんでいる者が存在しているということです。
このような孤立状態で苦しんでいる前世の者が、その苦しみを「現世の者」に訴え続けているがために、その影響を受けて、現世の者の、心理的諸症状や肉体的諸症状が起こると考えられます。
筆者の知る限り、世界の定評ある霊信においても、以上のような魂と生まれ変わりに関する情報をもたらした霊信はありませんでした。
そこで、第14霊信を受け取った後、次のような質問したところ、その回答が第15霊信でありました。
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【筆者の問い】
あるスピリチュアル霊学では、「霊の心」、「肉体(本能)の心」というように、心を二通り想定してあり、潜在意識の中に、霊の心があるとも説明してあります。また、霊の表層を霊の心が包んであると説明しています。
これらの説明は、あなた方霊団の今回の説明によれば、誤りということになりますが、なぜこのような誤りがこれまで伝えられ、正されずにきたのでしょうか。また、なぜ私にこれほど詳しく正しい知識が授けられたのでしょうか。
【通信霊の回答】
尋ねるまでもない。あなたに与えられるべきものが与えられたのだ。
そして、これまでの者たちに与えられるべきものが与えられただけだ。
すべては神の計画のもとにおこなわれている。
そして、それらは誤りではない。それらの霊媒が、そう受け取っただけなのだ。
それは真理において生じる矛盾だけでなく、言葉の類似性により生まれた適切ではない表現となったものである。
それは、そうあるべきであっただけだ。そして、あなたにとってもそうである。
あなたには、与えられるべきものが与えられたのだ。
あなたは、自分が何をおこなうかを理解していない。今はそれでよいのだ。
この先、あなたは信仰を築き上げ、自らの直感をもとに方向性を定め前進していく。
その先にあるものを見つめることが、その答えを得る術であると理解しなさい。
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通信霊が上記に告げた、「筆者に与えられるべきものが与えられた」情報が、No.1~
No.23のような、魂の仕組みと、生まれ変わりの仕組みであり、しかも、「神の計画のもとに」霊信として授けられたのだとしたら、この霊信の告げた内容で、筆者の力で検証できることを、出来うる限りやってみようと決心しました。
2007年1月27日のことでした。
さいわい、筆者は、催眠を道具に、潜在意識の世界を扱う技能を持っていました。霊信の告げたNo.11、No.12、No.15の内容によれば、潜在意識を遡行した先には、それを作り出している「魂の状態」、ないし「魂の表層の前世の者」に行き着くはずです。
こうして、筆者の、魂状態まで遡行させる催眠実験が始まり、約1年半後の2008年の夏に、魂の表層から前世人格を呼び出すことに成功できる、新たな催眠技法がほぼ完成しました。
従来の、筆者がワイス式と呼ぶ「前世の記憶にあるビジョンを想起する」技法とは、前提仮説も催眠技法もまったく異にする新たな前世療法です。魂状態(Soul)に接近(Approach)する方法(Method)によって、魂表層から顕現化する前世人格と対話する前世療法、つまり、SAM前世療法の誕生です。
「SAM前世療法」の名称は、従来の一般の「前世療法」との明らかな相違を認められて、2008年10月第44類の商標登録が認められました。
そして、SAM前世療法によって、2009年5月、生まれ変わりの科学的証拠として最有力とされている応答型真性異言で会話した「ラタラジューの事例」がついに生起したということです。
ネパール人の前世人格ラタラジューは、魂の表層から顕現化した人格であり、しかも、現在進行形の会話をした事実によって、魂表層が前世の者たちによって構成されていること、それら前世人格は魂表層で現在も意識体として生きていることが検証できたのです。この実験セッションの事実は、映像撮影に成功していますから、音声・映像の証拠が残されています。
また、ヤラセ等不正の疑いを持たれないように、大学教授・大学准教授・医師の立ち会いのもとでセッションをおこなっています。世界初の真性異言発話中の撮影に成功したのです。ちなみに、催眠中に前世人格が顕現化し、応答型真性異言を話した事例は、20世紀中に、これまで世界で2例発見されているに止まっています。
この「ラタラジューの事例」の証拠映像が、2010年年8月5日にフジTV番組「アンビリバボー」で、60分にわたって全国放映されています。
こうして、現時点までのSAM前世療法の実践で明らかになってきた、魂と生まれ変わりに関する仕組みは、およそ次のようにまとめられます。端的にいえば、魂の存在と生まれ変わりは事実である、ということです。
①魂は二層構造になっている。
②魂表層は前世の者(前世人格)から構成されている。
③魂表層に「現世の者」が存在している。
④魂表層の前世の者たちは、今も意識体として生きており、それぞれの人生で獲得した知恵を交流し、分かち合っている。そして、人生を生きている「現世の者」を守り、支えようとしている。
⑤現世の者は、前世の者たちの獲得しているそれぞれの知恵を分かち与えられている。
⑥現世の者は、一方で、苦しんで孤立している前世の者の悪しき影響を受けている。
⑦現世の者である「私」は、魂表層を構成している一つであり、前世の者たちとともに生きている。
⑧現世の「私」は死後、魂表層を構成する前世の者の一つとなり、表層と内層を合わせた1個の魂全体として次の肉体に入る。これが、生まれ変わりである。こうして「私」は死後も魂表層に生き続ける。
⑨死後、魂表層を構成する一つとなった「私」は、他の前世の者たちと交流し、それらの前世の者たちの獲得している知恵の恩恵によって成長・進化をしている。
⑩ただし、「私」が深く傷ついた人生を送った場合は、他の前世の者たちからは孤立し、その傷の苦しみを新たな「現世の者」に訴え続ける。
⑪魂表層に位置づき前世の者の一つになった「私」は、次の肉体に宿ったとき、新たな人生である現世のありようが分からないらしい。したがって、現世の者を通して学ぶことができないらしい。
⑫こうして1個の魂を暫定的モデルにたとえると、「ミラーボール」のような形態を想像できる。ミラーボール表面に貼り付いている鏡の断片の一つ一つを魂表層の前世人格だと見なせる。
⑬しかし、ミラーボールの内部(魂内層・中心体)が何によって構成されているかは謎のままである。暫定的に、霊界の類魂の分身によって構成されているらしい、と考えている。また、この魂の中心体をハイヤーセルフと呼んでも間違いではないらしい。
以上が、霊信の告げたことを3年あまりにわたって検証してきた結果です。
そして、霊信の告げたNo.1~
No.23のような情報に反する検証事実は現時点では認められません。
ただし、筆者は、この検証結果が真実であるという断定をしているわけではありません。
先行研究がありませんから、SAM前世療法のセッションをとおして手探りでたどり着いた暫定的見解です。
筆者の跡を引き継ぐSAM前世療法の実践者たちによって、現時点の見解の誤りが露呈したり、新たな発見がなされていくことと思っています。
このことこそが、SAM前世療法の創始者である筆者の願いであり、魂と生まれ変わりの探究を志した者の誇りです。
ただし、筆者あて霊信の告げた内容と、それを骨格に作業仮説を設け、SAM前世療法で顕現化した前世人格たちから聞き出した内容の共通項にもとづく見解です。
筆者が、筆者の守護霊団(11の高級霊から成ると告げています)からの霊信を受け取るという超常的現象に遭遇したのは、1冊目の本の出版半年後の2007年1月11日~2月14日のことでした。(霊信の全容はこのブログに公開してあります)
筆者には、そうした受信能力(霊媒能力)は皆無です。当時26歳で派遣社員であったM子さんという女性読者のパソコンによる自動書記による霊信現象でした。彼女のパソコンを経由して毎夜筆者に届いた霊信は22通で、A4版84枚にわたるかなりの分量でした。
なぜ、筆者にそのような霊信という現象が起きたのかはいまだに謎ですが、通信霊が告げたところを要約すれば、霊的真理を地上のわれわれに広める計画が遂行されており、計画遂行の道具の一つとして筆者を使おうということらしい。
筆者の霊信に対する第一の関心は、この霊信とおぼしき超常現象の真偽にありました。もし、真であるなら、そのような通信霊団(守護霊団)の実在が証明できたことになるでしょうし、ひいては「霊界」と呼ばれる次元の実在も証明できることになるでしょう。
最終的には「神」という存在の実在を実感することができるのではなかろうか、というわけです。
守護霊団は、霊的真理を広める計画を「神」が立てた、と告げているからです。
以下に、守護霊団が告げている「魂」と「生まれ変わり」についての霊信情報を抜き出してみました。守護霊団のうちの3つの霊(筆者の祖父の守護霊とつながる霊、エドガーケイシーを名乗る霊、M子さんの守護霊)が交互に通信していますが、告げた内容に齟齬はないと判断しています。
各霊信の頭に番号を付けてあります。末尾の( )内は、届いた霊信の通し番号です。
あとで、筆者の見解を述べるときの便宜のためです。
ゴチック部分は魂の仕組みの核心を告げていると思われる文言です。
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1
どのように優れた能力を持つ者も、魂にいやすべき傷を持つ。(第1霊信)
2
あなたという魂の一面についての情報は与えられるものである。(第3霊信)
3
あなたの魂に耳を澄ませなさい。(第3霊信)
4
あなたの歩んできた道のりは、あなたという魂の旅である。だが、あなただけでなくあなたに血を与えた者による旅の続きでもある。(第5霊信)
5
あなたという人間がこの世に生まれついてから、あなたの魂に刻まれたものが、今のあなたを形成している。
6
あなたの魂は、あなたに語りかけようとしている。(第6霊信)
7
あなたは、自分の魂の感覚をもっと感じる必要がある。あなたが、あなたの魂と対話する時間を設けなさい。他者ではなく、あなたに向けて語りかけなさい。(第9霊信)
8
あなたとあなたの魂は「感じる」ことでつながるのだ。あなたの魂は、あなたが感じることを求めている。(第9霊信)
9
魂という存在を理解しなさい。あなたも、一つの魂をもとに形成された側面なのだ。(第10霊信)
10
前世療法で顕現化されるものは魂ではなく、魂の側面である。魂は、前世療法がおこなわれる際にもそれらすべてを見つめるものである。(第12霊信)
11
傷を持つのは魂の側面であり、魂自体が傷を持つのではない。その表層部分が傷を持つのである。その表層部分により包まれるのは「意識体」である。前世療法でおこなうのは「その表層部分である魂の側面のいやし」である。その表層部分は、これまで転生してきたものたちにより構成されている。(第12霊信)
12
顕在意識・潜在意識は脳が生み出しているものではない。すべては、魂の側面であるものたちが作り出しているものである。(第13霊信)
13
すべてを創造するものは魂の中にある本体である「意識体」である。(第13霊信)
14
霊体はあなた方という魂の側面に属するものであり・・・(第14霊信)
15
死後、霊体は魂から離れる。だがそれらの意識は魂に取り込まれる。そして、魂のものとなるのだ。霊体は、ある意味においては、あなた方が「あなたという人間であるため」の意識を独立して持つための役割を担うものでもある。それなくしては、あなた方は個人的意識を持つことはできない。心が個人的意識をつくるのではない。霊体が持つのだ。(第14霊信)
16
あなたの魂の傷を持つものは求め始める。(第14霊信)
17
あなたとともに、あなたの魂から生まれた多くのものが存在し、・・・それらのものの協力を求めるのだ。友愛、それは自身の魂によるものこそ真の友愛である。(第15霊信)
18
あなたは、これまであなた自身の魂に対して祈りを捧げることはあまりなかった。(第16霊信)
19
涙は魂により流される。それは魂が側面をいやそうとするために流すものである。(第17霊信)
20
あなたという存在も、側面のものであり、すべての側面のものは友であると理解しなさい。魂は、すべての側面のものがつながりを持ち、友愛を築き、与え合うことを望んでいるのだ。(第17霊信)
21
肉体に対するいやし、霊体に対するいやし、魂の側面に対するいやし、それらすべてがスピリットヒーリングである。(第17霊信)
22
魂はいやしを必要としない。意識体は、あるがままに完全性を持つものである。いやしを求めるものは、魂の側面であり、霊体であり、肉体である。(第17霊信)
23
あなたの魂の側面のものたちは、手をつないでいるのだと理解してください。まだそれを拒むものも存在します。(第17霊信)
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上記1~23の内容に共通することは、筆者という存在は、筆者の中に存在している「魂の側面」の一つであり、魂の側面には、筆者以外の前世の者たちが連綿として存在している、ということです。
そして、それら魂表層に存在している前世の者たちの中には、傷を持っている者が必ず存在しているということです。そうした魂表層に存在する、傷に苦しむ前世の者をいやすことが、前世療法の仕事だというわけです。
また、No.11で「側面」を「表層」とも言い換えて表現していますから、以後、「側面」を、分かりやすい「表層」に統一して用います。
このNo.11とNo.12、No.15の内容が、SAM前世療法の骨格となる作業仮説を構成しています。
No.11とNo.13では、魂は表層部分とそれに包まれている本体(意識体・・・霊界の類魂の分身?)の二層構造である、と告げています。
No.12とNo.15では、意識・潜在意識は魂表層の前世の者たちが作り出しており、作り出されたそれら意識は「霊体」に宿っていると告げています。死後、霊体は魂から脱落し、霊体のもつ個人的意識は魂(の表層)に取り込まれる、と告げています。おそらく、生前、魂表層に存在していた「現世の者」に取り込まれると思われます。そして、魂が次の肉体に宿ったときには、表層を構成する前世の者の一つとして位置づくと推測できます。
さらに、No.20では、魂は、すべての側面(表層)のもの(前世の者たち)がつながりを持ち、友愛を築き、与え合うことを望んでいる、と告げていますから、それぞれの前世の者が、互いの人生で獲得した知恵を与え合い、共有し、表層全体が集合意識体として成長・進化するような仕組みであろうと推測できます。
しかし、No.17では、魂の側面(表層)のものたちは、手をつないでいるのだと理解してください。まだそれを拒むものも存在しますと告げていますから、前世の者の中には、「手をつなぐ」ことを拒否して、孤立状態で苦しんでいる者が存在しているということです。
このような孤立状態で苦しんでいる前世の者が、その苦しみを「現世の者」に訴え続けているがために、その影響を受けて、現世の者の、心理的諸症状や肉体的諸症状が起こると考えられます。
筆者の知る限り、世界の定評ある霊信においても、以上のような魂と生まれ変わりに関する情報をもたらした霊信はありませんでした。
そこで、第14霊信を受け取った後、次のような質問したところ、その回答が第15霊信でありました。
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【筆者の問い】
あるスピリチュアル霊学では、「霊の心」、「肉体(本能)の心」というように、心を二通り想定してあり、潜在意識の中に、霊の心があるとも説明してあります。また、霊の表層を霊の心が包んであると説明しています。
これらの説明は、あなた方霊団の今回の説明によれば、誤りということになりますが、なぜこのような誤りがこれまで伝えられ、正されずにきたのでしょうか。また、なぜ私にこれほど詳しく正しい知識が授けられたのでしょうか。
【通信霊の回答】
尋ねるまでもない。あなたに与えられるべきものが与えられたのだ。
そして、これまでの者たちに与えられるべきものが与えられただけだ。
すべては神の計画のもとにおこなわれている。
そして、それらは誤りではない。それらの霊媒が、そう受け取っただけなのだ。
それは真理において生じる矛盾だけでなく、言葉の類似性により生まれた適切ではない表現となったものである。
それは、そうあるべきであっただけだ。そして、あなたにとってもそうである。
あなたには、与えられるべきものが与えられたのだ。
あなたは、自分が何をおこなうかを理解していない。今はそれでよいのだ。
この先、あなたは信仰を築き上げ、自らの直感をもとに方向性を定め前進していく。
その先にあるものを見つめることが、その答えを得る術であると理解しなさい。
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通信霊が上記に告げた、「筆者に与えられるべきものが与えられた」情報が、No.1~
No.23のような、魂の仕組みと、生まれ変わりの仕組みであり、しかも、「神の計画のもとに」霊信として授けられたのだとしたら、この霊信の告げた内容で、筆者の力で検証できることを、出来うる限りやってみようと決心しました。
2007年1月27日のことでした。
さいわい、筆者は、催眠を道具に、潜在意識の世界を扱う技能を持っていました。霊信の告げたNo.11、No.12、No.15の内容によれば、潜在意識を遡行した先には、それを作り出している「魂の状態」、ないし「魂の表層の前世の者」に行き着くはずです。
こうして、筆者の、魂状態まで遡行させる催眠実験が始まり、約1年半後の2008年の夏に、魂の表層から前世人格を呼び出すことに成功できる、新たな催眠技法がほぼ完成しました。
従来の、筆者がワイス式と呼ぶ「前世の記憶にあるビジョンを想起する」技法とは、前提仮説も催眠技法もまったく異にする新たな前世療法です。魂状態(Soul)に接近(Approach)する方法(Method)によって、魂表層から顕現化する前世人格と対話する前世療法、つまり、SAM前世療法の誕生です。
「SAM前世療法」の名称は、従来の一般の「前世療法」との明らかな相違を認められて、2008年10月第44類の商標登録が認められました。
そして、SAM前世療法によって、2009年5月、生まれ変わりの科学的証拠として最有力とされている応答型真性異言で会話した「ラタラジューの事例」がついに生起したということです。
ネパール人の前世人格ラタラジューは、魂の表層から顕現化した人格であり、しかも、現在進行形の会話をした事実によって、魂表層が前世の者たちによって構成されていること、それら前世人格は魂表層で現在も意識体として生きていることが検証できたのです。この実験セッションの事実は、映像撮影に成功していますから、音声・映像の証拠が残されています。
また、ヤラセ等不正の疑いを持たれないように、大学教授・大学准教授・医師の立ち会いのもとでセッションをおこなっています。世界初の真性異言発話中の撮影に成功したのです。ちなみに、催眠中に前世人格が顕現化し、応答型真性異言を話した事例は、20世紀中に、これまで世界で2例発見されているに止まっています。
この「ラタラジューの事例」の証拠映像が、2010年年8月5日にフジTV番組「アンビリバボー」で、60分にわたって全国放映されています。
こうして、現時点までのSAM前世療法の実践で明らかになってきた、魂と生まれ変わりに関する仕組みは、およそ次のようにまとめられます。端的にいえば、魂の存在と生まれ変わりは事実である、ということです。
①魂は二層構造になっている。
②魂表層は前世の者(前世人格)から構成されている。
③魂表層に「現世の者」が存在している。
④魂表層の前世の者たちは、今も意識体として生きており、それぞれの人生で獲得した知恵を交流し、分かち合っている。そして、人生を生きている「現世の者」を守り、支えようとしている。
⑤現世の者は、前世の者たちの獲得しているそれぞれの知恵を分かち与えられている。
⑥現世の者は、一方で、苦しんで孤立している前世の者の悪しき影響を受けている。
⑦現世の者である「私」は、魂表層を構成している一つであり、前世の者たちとともに生きている。
⑧現世の「私」は死後、魂表層を構成する前世の者の一つとなり、表層と内層を合わせた1個の魂全体として次の肉体に入る。これが、生まれ変わりである。こうして「私」は死後も魂表層に生き続ける。
⑨死後、魂表層を構成する一つとなった「私」は、他の前世の者たちと交流し、それらの前世の者たちの獲得している知恵の恩恵によって成長・進化をしている。
⑩ただし、「私」が深く傷ついた人生を送った場合は、他の前世の者たちからは孤立し、その傷の苦しみを新たな「現世の者」に訴え続ける。
⑪魂表層に位置づき前世の者の一つになった「私」は、次の肉体に宿ったとき、新たな人生である現世のありようが分からないらしい。したがって、現世の者を通して学ぶことができないらしい。
⑫こうして1個の魂を暫定的モデルにたとえると、「ミラーボール」のような形態を想像できる。ミラーボール表面に貼り付いている鏡の断片の一つ一つを魂表層の前世人格だと見なせる。
⑬しかし、ミラーボールの内部(魂内層・中心体)が何によって構成されているかは謎のままである。暫定的に、霊界の類魂の分身によって構成されているらしい、と考えている。また、この魂の中心体をハイヤーセルフと呼んでも間違いではないらしい。
以上が、霊信の告げたことを3年あまりにわたって検証してきた結果です。
そして、霊信の告げたNo.1~
No.23のような情報に反する検証事実は現時点では認められません。
ただし、筆者は、この検証結果が真実であるという断定をしているわけではありません。
先行研究がありませんから、SAM前世療法のセッションをとおして手探りでたどり着いた暫定的見解です。
筆者の跡を引き継ぐSAM前世療法の実践者たちによって、現時点の見解の誤りが露呈したり、新たな発見がなされていくことと思っています。
このことこそが、SAM前世療法の創始者である筆者の願いであり、魂と生まれ変わりの探究を志した者の誇りです。
2012年6月22日金曜日
高森光季氏の再質問への包括的回答
前ブログ記事について、高森氏から6点のコメントと再質問が来ています。返信コメントを1000字以内にしてもアップできませんので、ここで包括的な回答をとりあえずしておこうと思います
魂の自覚状態と「前世人格の顕現化」 という考え方の基盤
「タエの事例」以後四年間の経緯と「ラタラジューの事例」によって、筆者は、「魂」や「生まれ変わり」および、「守護霊」の実在を認める立場をとることにためらわないようになっていきました。
この立場をとることは、筆者宛の霊信で告げられている予言が的中していることや、通信霊団の存在を知らないはずの催眠中のクライアントに、筆者の守護霊を名乗る霊、霊団の一員を名乗る霊、あるいはクライアントの守護霊を名乗る霊の憑依とおぼしき現象が生じ、メッセージを伝えるということが度々起きていることからも、受け入れざるをえません。何よりも、応答型真性異言「ラタラジューの事例」との出会いによって、生まれ変わりの事実を認めざるを得なくなったからです。
SAM前世療法の作業仮説は、霊の告げた魂の構造を骨格にして導き出したもので、良好な催眠状態に誘導し潜在意識を遡行していくと、意識現象の事実として、クライアントが「魂の自覚状態」に至ることが明らかになっています。この魂の自覚状態に至れば、呼び出しに該当する前世人格が魂の表層から顕現化し、現在進行形での対話ができることもクライアントの意識現象の事実として明らかになっています。
ラタラジューも、こうして呼び出した前世人格の一つであるわけで、その前世人格ラタラジューが真性異言で会話した事実を前にして、魂や生まれ変わりの実在を回避するために、深層心理学的概念を駆使してクライアントの霊的な意識現象に対して唯物論的解釈することは、現行科学の知の枠組みに固執した不自然な営みだ、と筆者には思われるのです。
魂の自覚状態や、そこで現象する前世人格の顕現化という意識現象の事実に対して、事実は事実としてありのままに認めるという現象学的態度をとってこそ、SAM前世療法を実りあるものにしていくと思っています。
そして、クライアントの示す意識現象の諸事実は、現行科学の枠組みによる説明では、到底おさまり切るものではありません。
魂や生まれ変わりの実在を認めることを回避する立場で、あるいはすべて非科学的妄想だと切り捨てて、どうやって顕現化した前世人格ラタラジューの応答型真性異言現象の納得できる説明ができるのでしょうか。
ちなみに、スティーヴンソンも、「グレートヒェンの事例」において、真性異言で会話したグレートヒェンを名乗るドイツ人少女を「ドイツ人とおぼしき人格をもう一度呼び出そうと試みた」(『前世の言葉を話す人々』11頁)と記述し、呼び出された前世人格を「トランス人格」(前掲書9頁)と呼んでいます。
つまり、催眠下で前世人格を呼び出し顕現化させる、というSAM前世療法における筆者と同様のとらえ方をしています。
おそらく、この被験者も里沙さんのような高い催眠感受性を持ち、タエやラタラジューの人格同様、催眠下で一気に魂状態になり、その表層に存在している前世人格グレートヒェンが顕現化したと推測してよいように思われます。
こうして、死の時点の認識を固着したまま前世人格が魂の表層に生きて存在している、という見解を持つ理由は、それがクライアントに観察できる意識現象の事実として直感に著しく反していないからであり、それを認めることが不合理な結論に帰着しないからであり、その意識現象がSAM前世療法の作業仮説の枠組みに収まっているからです。
もちろん、コメントに披露されている高森氏の、マイヤーズ通信に基づく生まれ変わりの仕組みや、前世人格の顕現化現象の説明を否定するわけではありません。説明は成功しているからです。
端的にいえば、判断留保です。筆者の説明も成功していると思うからです。
というより、判断するための科学的検証が不能な領域の、哲学的(スピリチュアル霊学的)な議論ですから、正否の判断ができないのです。それは、筆者の見解についても同様です。
ただ、今回高森氏の展開されているマイヤーズ霊の告げたSpirit論に基づく見解は、筆者のSAM前世療法実践者としてセッションから得られた素朴な実感からすれば、理屈としてはそうかもしれないが実感として素直に受け入れられない、ということでしょう。稲垣という実践者と、高森氏というスピリチュアリストの、立場の違いからくる、見解の違いということが出来るかも知れません。
いずれにせよ、きわめて高度な霊界領域に関する議論ができて、楽しませていただけたことに深謝です。
魂の自覚状態と「前世人格の顕現化」 という考え方の基盤
「タエの事例」以後四年間の経緯と「ラタラジューの事例」によって、筆者は、「魂」や「生まれ変わり」および、「守護霊」の実在を認める立場をとることにためらわないようになっていきました。
この立場をとることは、筆者宛の霊信で告げられている予言が的中していることや、通信霊団の存在を知らないはずの催眠中のクライアントに、筆者の守護霊を名乗る霊、霊団の一員を名乗る霊、あるいはクライアントの守護霊を名乗る霊の憑依とおぼしき現象が生じ、メッセージを伝えるということが度々起きていることからも、受け入れざるをえません。何よりも、応答型真性異言「ラタラジューの事例」との出会いによって、生まれ変わりの事実を認めざるを得なくなったからです。
SAM前世療法の作業仮説は、霊の告げた魂の構造を骨格にして導き出したもので、良好な催眠状態に誘導し潜在意識を遡行していくと、意識現象の事実として、クライアントが「魂の自覚状態」に至ることが明らかになっています。この魂の自覚状態に至れば、呼び出しに該当する前世人格が魂の表層から顕現化し、現在進行形での対話ができることもクライアントの意識現象の事実として明らかになっています。
ラタラジューも、こうして呼び出した前世人格の一つであるわけで、その前世人格ラタラジューが真性異言で会話した事実を前にして、魂や生まれ変わりの実在を回避するために、深層心理学的概念を駆使してクライアントの霊的な意識現象に対して唯物論的解釈することは、現行科学の知の枠組みに固執した不自然な営みだ、と筆者には思われるのです。
魂の自覚状態や、そこで現象する前世人格の顕現化という意識現象の事実に対して、事実は事実としてありのままに認めるという現象学的態度をとってこそ、SAM前世療法を実りあるものにしていくと思っています。
そして、クライアントの示す意識現象の諸事実は、現行科学の枠組みによる説明では、到底おさまり切るものではありません。
魂や生まれ変わりの実在を認めることを回避する立場で、あるいはすべて非科学的妄想だと切り捨てて、どうやって顕現化した前世人格ラタラジューの応答型真性異言現象の納得できる説明ができるのでしょうか。
ちなみに、スティーヴンソンも、「グレートヒェンの事例」において、真性異言で会話したグレートヒェンを名乗るドイツ人少女を「ドイツ人とおぼしき人格をもう一度呼び出そうと試みた」(『前世の言葉を話す人々』11頁)と記述し、呼び出された前世人格を「トランス人格」(前掲書9頁)と呼んでいます。
つまり、催眠下で前世人格を呼び出し顕現化させる、というSAM前世療法における筆者と同様のとらえ方をしています。
おそらく、この被験者も里沙さんのような高い催眠感受性を持ち、タエやラタラジューの人格同様、催眠下で一気に魂状態になり、その表層に存在している前世人格グレートヒェンが顕現化したと推測してよいように思われます。
こうして、死の時点の認識を固着したまま前世人格が魂の表層に生きて存在している、という見解を持つ理由は、それがクライアントに観察できる意識現象の事実として直感に著しく反していないからであり、それを認めることが不合理な結論に帰着しないからであり、その意識現象がSAM前世療法の作業仮説の枠組みに収まっているからです。
もちろん、コメントに披露されている高森氏の、マイヤーズ通信に基づく生まれ変わりの仕組みや、前世人格の顕現化現象の説明を否定するわけではありません。説明は成功しているからです。
端的にいえば、判断留保です。筆者の説明も成功していると思うからです。
というより、判断するための科学的検証が不能な領域の、哲学的(スピリチュアル霊学的)な議論ですから、正否の判断ができないのです。それは、筆者の見解についても同様です。
ただ、今回高森氏の展開されているマイヤーズ霊の告げたSpirit論に基づく見解は、筆者のSAM前世療法実践者としてセッションから得られた素朴な実感からすれば、理屈としてはそうかもしれないが実感として素直に受け入れられない、ということでしょう。稲垣という実践者と、高森氏というスピリチュアリストの、立場の違いからくる、見解の違いということが出来るかも知れません。
いずれにせよ、きわめて高度な霊界領域に関する議論ができて、楽しませていただけたことに深謝です。
2012年6月21日木曜日
前世人格が「生きている」とは、物や他者と関わりながら、経験を積み、成長を しているのか?
前ブログ記事対して、高森光季氏より以下のご質問コメントがありました。返信しようと3度試みてもアップできないので、ここで返信したいと思います。SAM前世療法によって探究してきた前世人格のありように関して、きわめて重要かつ、核心に迫るご質問ですので、読者のみなさん多くの共通する関心事だと思われるからです。
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前の雑感に関連して、稲垣先生に向けて、もうひとつ、素朴な疑問を述べておきます。理屈っぽい問題で申し訳ないですが。
それは、たとえば、里沙さんの前世人格であるタエさんやラタラジューさんは、「今も生きている」のかという疑問です。 ① 「生きている」というのは、どこかの場で、周囲の事物や他者と関わりながら、経験を積み、成長をしているのか、ということです。
主体・人格が、あくまで「生きている」――現在も経験を重ね、成長をしている――ものを指すのだとしたら、前世人格はそれとは存在位相が異なるのではないか。それとも、 ② 現世人格の里沙さんを通して(というのも不思議な表現になりますが)生きているのか。 ③ 生きているとしたら、それは里沙さんとは別の「主体・人格」ということにならないか。
やれやれ、厄介な問題ですね(笑い)。 高森光季
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さて、上記高森氏の①~③のご質問に回答できる私の前提は、SAM前世療法によって顕現化した前世人格の語り現象の共通項から推測できることだということです。「前世人格の語り」という、クライアントが示す「意識現象の事実」にもとづく推測です。クライアントのセッション中に示すその意識現象が、客観的事実であるか、主観的なものであるか、は検証不能です。
質問①について
前世人格は、どこかの場で、周囲の事物や他者と関わりながら、現在も経験を積み、成長をしているのか、ということに関しては、それはないようです。
前世の人生が終了した時点で、認識の成長は停止したまま、つまり、前世の人生終了時点の学びや、被った苦痛を保持したままで、いわば、前世で得た認識を「固着」した状態で生きていると思われます。
すくなくとも、現世の者をとおして、今も経験を積み、成長していることはありません。
なぜなら、前世人格には、現世のありようが分かっていないからです。したがって、前世人格と現世人格とは、つながりをもっていることは確かですが、相互交流の形ではなく、前世人格から現世人格への一方的な形であるようです。
つまり、現世人格の、現世の経験や学びを資源として、それを前世人格が自らの経験や学びとして取り入れ、今も成長していることはないようです。
この意味で、前世人格は、前世限りで成長を停止した死者だと考えられないわけではありません。
しかし、前世終了時の認識を固着したままで「生きている」ので、その人生の学びや、苦悩を現世人格に訴え続けています。
その結果、前世人格の獲得した技能や能力が、現世に遺産として受け継がれる場合があるようです。「生まれつき」だと言われるような、あるいは「天才的」と呼ばれるような、諸技能・諸能力の発揮される現象などが、これに当たるのでないでしょうか。遺伝的資質と生育環境の相互関係だけでは説明できないような場合です。
たとえば、私には、自分には理解不能な浄霊能力があると思われますが、そうした能力を身につける修行(訓練)は一切していないし、そうした能力を発揮したいという願望を持ったこともありません。ただし、クライアントと私が、ともに前世を過ごしたという複数のクライアントの複数の前世人格の語りには、私が修験者、禅僧、真言密教僧、牧師、神父などをしていたということがあるので、そこで宗教的修行をしており、その前世の修行で獲得した浄霊能力が現世の私に遺産として持ち越されているのかな、と思うことがないではありません。
一方、前世で被った苦痛も、現世人格に訴え続けていますから、その影響を受けて、心理的に不都合な諸症状や、ときには肉体的に不都合な症状を起こしていることも、ほぼまちがいないと思われます。その典型が、原因不明な諸恐怖症、原因不明な特定個所の疼痛などです。
だからこそ、SAM前世療法の「療法」としての存在意義があるのだと考えています。
ところで、前世人格と現世人格の交流のありかたは、一方的ですが、前世人格どうしにおいては相互交流的のようです。互いの人生で獲得した知恵を相互に分かち合う友愛関係(共有関係)にある、と私あて霊信は告げているからです。
そういう相互交流・共有関係にあるから、前世人格たちが構成している魂表層全体の集合的意識は、成長・進化の保障がされていると考えられます。
そして、一定の成長・進化に到達すると、生まれ変わりが卒業になると考えられます。
こうした、魂の成長・進化の仕組みによって、生まれ変わりが繰り返されると理解してよいようです。
質問②と③について
質問②の「現世人格の里沙さんを通して(というのも不思議な表現になりますが)生きているのか」についての回答は、既に質問①についての上記回答の中で述べています。
前世人格は、現世人格をとおして、その経験や学びを資源として、自らも経験を積み成長をしている、ということはありません、というのが回答です。
既に①の回答で述べたように、前世の人生終了時点の学びや、被った苦痛を保持したままで、いわば、前世で得た認識を「固着」した状態で生きている、というのがセッションで顕現化する前世人格のありようです。前世人格は、肉体の死後も、意識体として経験を積み、成長・進化を続けているという事実は、ないようです。
前世の死の時点で、経験を積むこと、成長すること、を停止していると言う意味では、前世人格は死者そのものでしょう。
たとえば、中世に生きた前世人格が、優れた霊能力を発揮したために、悪霊憑きや魔女の扱いを受け、殺されていた場合には、現世の者にも素質としてある霊能力を発揮できないように封印をしている、と語ります。
つまり、前世人格には、現世の事情が分からず、ひたすら現世人格が自分と同じ運命をたどることがないように守っている、ということを語ります。つまり、前世の死の時点の認識が固着したままなのです。
私が現世のありようを説明し、現世では、霊能力を発揮したからといって迫害をうけることはないこと、霊能力を発揮して人々の幸せに貢献することが、あなた(殺された前世人格)がやり残し、現世に生まれ変わっている目的の一つではないのか、という説得をし、それに納得できると、封印を解くと約束してくれます。今後は、魂の表層にあって、現世の者が霊能力を十全に発揮できるように守る、と約束してくれます。
セッション後、守護霊との対話能力や、予知能力や、ヒーリング能力の覚醒の報告を受けた事例が複数あります。
現世人格が、強い霊感や、ある種の霊能、霊媒能力を持つ場合の前世には、こうした事例が多く発生することが分かっています。
質問③「生きているとしたら、それはクライアントとは別の主体・人格ということにならないか」ということについては、そのとおりです、のいうのが回答です。
私のセッション中の、顕現化している前世人格との対話においては、前世人格に対してクライアントとは別個の主体・人格として向き合い、処遇します。そして、前世人格も、クライアントとは別個の主体・人格として私に正対します。
顕現化した前世人格は、クライアントとは別個の主体・人格として振る舞い、自分の人生を問われるままに語る、というのが観察される「意識現象の事実」です。
このことは、アンビリで登場したタエとラタラジューの両人格の示した語りの現象をご覧になれば、了解されると思います。
長くなりましたが、以上の回答が、現時点で分かっているSAM前世療法の示す「意識現象の事実」です。
また、ご質問がありましたらどうぞコメントしてください。
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前の雑感に関連して、稲垣先生に向けて、もうひとつ、素朴な疑問を述べておきます。理屈っぽい問題で申し訳ないですが。
それは、たとえば、里沙さんの前世人格であるタエさんやラタラジューさんは、「今も生きている」のかという疑問です。 ① 「生きている」というのは、どこかの場で、周囲の事物や他者と関わりながら、経験を積み、成長をしているのか、ということです。
主体・人格が、あくまで「生きている」――現在も経験を重ね、成長をしている――ものを指すのだとしたら、前世人格はそれとは存在位相が異なるのではないか。それとも、 ② 現世人格の里沙さんを通して(というのも不思議な表現になりますが)生きているのか。 ③ 生きているとしたら、それは里沙さんとは別の「主体・人格」ということにならないか。
やれやれ、厄介な問題ですね(笑い)。 高森光季
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さて、上記高森氏の①~③のご質問に回答できる私の前提は、SAM前世療法によって顕現化した前世人格の語り現象の共通項から推測できることだということです。「前世人格の語り」という、クライアントが示す「意識現象の事実」にもとづく推測です。クライアントのセッション中に示すその意識現象が、客観的事実であるか、主観的なものであるか、は検証不能です。
質問①について
前世人格は、どこかの場で、周囲の事物や他者と関わりながら、現在も経験を積み、成長をしているのか、ということに関しては、それはないようです。
前世の人生が終了した時点で、認識の成長は停止したまま、つまり、前世の人生終了時点の学びや、被った苦痛を保持したままで、いわば、前世で得た認識を「固着」した状態で生きていると思われます。
すくなくとも、現世の者をとおして、今も経験を積み、成長していることはありません。
なぜなら、前世人格には、現世のありようが分かっていないからです。したがって、前世人格と現世人格とは、つながりをもっていることは確かですが、相互交流の形ではなく、前世人格から現世人格への一方的な形であるようです。
つまり、現世人格の、現世の経験や学びを資源として、それを前世人格が自らの経験や学びとして取り入れ、今も成長していることはないようです。
この意味で、前世人格は、前世限りで成長を停止した死者だと考えられないわけではありません。
しかし、前世終了時の認識を固着したままで「生きている」ので、その人生の学びや、苦悩を現世人格に訴え続けています。
その結果、前世人格の獲得した技能や能力が、現世に遺産として受け継がれる場合があるようです。「生まれつき」だと言われるような、あるいは「天才的」と呼ばれるような、諸技能・諸能力の発揮される現象などが、これに当たるのでないでしょうか。遺伝的資質と生育環境の相互関係だけでは説明できないような場合です。
たとえば、私には、自分には理解不能な浄霊能力があると思われますが、そうした能力を身につける修行(訓練)は一切していないし、そうした能力を発揮したいという願望を持ったこともありません。ただし、クライアントと私が、ともに前世を過ごしたという複数のクライアントの複数の前世人格の語りには、私が修験者、禅僧、真言密教僧、牧師、神父などをしていたということがあるので、そこで宗教的修行をしており、その前世の修行で獲得した浄霊能力が現世の私に遺産として持ち越されているのかな、と思うことがないではありません。
一方、前世で被った苦痛も、現世人格に訴え続けていますから、その影響を受けて、心理的に不都合な諸症状や、ときには肉体的に不都合な症状を起こしていることも、ほぼまちがいないと思われます。その典型が、原因不明な諸恐怖症、原因不明な特定個所の疼痛などです。
だからこそ、SAM前世療法の「療法」としての存在意義があるのだと考えています。
ところで、前世人格と現世人格の交流のありかたは、一方的ですが、前世人格どうしにおいては相互交流的のようです。互いの人生で獲得した知恵を相互に分かち合う友愛関係(共有関係)にある、と私あて霊信は告げているからです。
そういう相互交流・共有関係にあるから、前世人格たちが構成している魂表層全体の集合的意識は、成長・進化の保障がされていると考えられます。
そして、一定の成長・進化に到達すると、生まれ変わりが卒業になると考えられます。
こうした、魂の成長・進化の仕組みによって、生まれ変わりが繰り返されると理解してよいようです。
質問②と③について
質問②の「現世人格の里沙さんを通して(というのも不思議な表現になりますが)生きているのか」についての回答は、既に質問①についての上記回答の中で述べています。
前世人格は、現世人格をとおして、その経験や学びを資源として、自らも経験を積み成長をしている、ということはありません、というのが回答です。
既に①の回答で述べたように、前世の人生終了時点の学びや、被った苦痛を保持したままで、いわば、前世で得た認識を「固着」した状態で生きている、というのがセッションで顕現化する前世人格のありようです。前世人格は、肉体の死後も、意識体として経験を積み、成長・進化を続けているという事実は、ないようです。
前世の死の時点で、経験を積むこと、成長すること、を停止していると言う意味では、前世人格は死者そのものでしょう。
たとえば、中世に生きた前世人格が、優れた霊能力を発揮したために、悪霊憑きや魔女の扱いを受け、殺されていた場合には、現世の者にも素質としてある霊能力を発揮できないように封印をしている、と語ります。
つまり、前世人格には、現世の事情が分からず、ひたすら現世人格が自分と同じ運命をたどることがないように守っている、ということを語ります。つまり、前世の死の時点の認識が固着したままなのです。
私が現世のありようを説明し、現世では、霊能力を発揮したからといって迫害をうけることはないこと、霊能力を発揮して人々の幸せに貢献することが、あなた(殺された前世人格)がやり残し、現世に生まれ変わっている目的の一つではないのか、という説得をし、それに納得できると、封印を解くと約束してくれます。今後は、魂の表層にあって、現世の者が霊能力を十全に発揮できるように守る、と約束してくれます。
セッション後、守護霊との対話能力や、予知能力や、ヒーリング能力の覚醒の報告を受けた事例が複数あります。
現世人格が、強い霊感や、ある種の霊能、霊媒能力を持つ場合の前世には、こうした事例が多く発生することが分かっています。
質問③「生きているとしたら、それはクライアントとは別の主体・人格ということにならないか」ということについては、そのとおりです、のいうのが回答です。
私のセッション中の、顕現化している前世人格との対話においては、前世人格に対してクライアントとは別個の主体・人格として向き合い、処遇します。そして、前世人格も、クライアントとは別個の主体・人格として私に正対します。
顕現化した前世人格は、クライアントとは別個の主体・人格として振る舞い、自分の人生を問われるままに語る、というのが観察される「意識現象の事実」です。
このことは、アンビリで登場したタエとラタラジューの両人格の示した語りの現象をご覧になれば、了解されると思います。
長くなりましたが、以上の回答が、現時点で分かっているSAM前世療法の示す「意識現象の事実」です。
また、ご質問がありましたらどうぞコメントしてください。
2012年6月16日土曜日
里沙さん守護霊の告げた魂の内層
SAM前世療法は、魂の実在とその二層構造を作業仮説にしています。
魂の表層は前世人格たちで構成されていることは、これまでの実践から確かめられてきました。表層の前世の者たちは、互いの人生で獲得した知恵を分かち合い、魂表層全体が進化・成長へと向かうという仕組みになっていると、このブログに公開してある筆者あて霊信は告げています。
その魂の表層から呼び出した前世人格ラタラジューが応答型真性異言を話したことで、「表層は前世人格から構成されている」という作業仮説は検証できたと思っています。
前世人格は、今も、「魂表層に自分の生きた当時の感情を抱いて、意識体として生きている、そして、互いの人生の知恵を分かち合い、苦脳・苦痛も訴え合っている、ということが、クライアントに顕現化する前世人格の語りから分かってきました。
問題は魂の内層はいったいどんな構造になっているかです。
この3年間、顕現化した前世人格に、内層のことを尋ねる作業をおこなって探ってきましたが、前世人格は、内層のあることが分かる、とまでは回答しますが、それ以上のことは答えていません。
今のところ、魂の内層について考察できることは、筆者あて霊信から推測するしかないのです。そもそも、SAM前世療法の骨格である作業仮説は、霊信にもとづいているからです。筆者にとって、霊信の恩恵は計り知れません。
そして、何度も霊信を読み返すうちに、最近やっと輪郭が浮かんできました。
霊信は次のように告げています。
①魂のはじまりは、ある「意識」から生じるものである。
②その「意識」をあらわす言葉は、「意識体」とあらわすことでしか表現できない。
③魂は転生するもの、「意識体」は転生をしないものである。
④転生する必要がある「意識体」と、しない必要がある「意識体」はつながりをもち、お互いが学びを得あう関係である。
⑤あなた方の魂の核となる「意識体」が・・・
⑥魂の表層部分により包まれるのは「意識体」である。
⑦内層にある「意識体」はあるがままに完全性を保つものである。
以上は第12・13・14霊信で使われている「意識体」の用語法です。12・13霊信は「稲垣の祖父の守護霊とつながりをもつ霊」、14霊信は「ケイシー霊」を名乗っています。
さて、二つの霊の「意識体」の用語法にはズレがあります。
①②③④で言う「意識体」は魂とは別に、霊界に存在する「意識体」を指していると思われます。
⑤⑥⑦の「意識体」は、転生する魂の核・内層を指していると思われます。
守護霊団からの霊信が、でたらめを告げていないとすれば、前者の「意識体」と後者の「意識体」は、同じものを指しているということになります。
つまり、霊界に存在する転生をしない「意識体」と同じもの、あるいは相同のものが、ペアとして、あるいは分身として、転生する魂の内層にも存在するということです。
霊信受信者M子さんは、「類魂」という言葉を知りません。したがって、通信霊は「類魂」という言葉をM子さんの語彙から用いることができず、「ある意識」、「意識体」と表現するしかなかったと推測することは可能です。大胆にそう解釈すると、「意識体」とは「類魂」のことである、ということです。
結論を言うと、魂の内層は、「類魂」ないし「類魂」と相同のものから構成されているということになります。そして、霊界の類魂と、魂内層の類魂は、互いにつながりを持ち、学びを得あう関係にあるということになります。
そのように仮定すれば、ハイヤーセルフ(高次自我)とは、魂内層を構成している「類魂」を意味していると解釈することができそうです。
類魂はそこに属する魂の地上経験を学び合っている成長・進化のための一つの共同体(共同的集合意識)ですから、叡智に富む意識体であることは当然であるからです。
ハイヤーセルフとコンタクトするとは、自分の魂内層の類魂全体の意識(集合意識)とコンタクトすることかもしれません。それは、自分の魂の故郷であるところのものでもあります。
こうして、筆者は、当面のSAM前世療法の作業仮説として、「魂の内層は、類魂ないし類魂と相同のものから構成されている」と考えてきました。 このように探究を続けてきたわけは、霊信の常套句が、「これ以上のことを今明かすことは許されない。それはあなたの成長を妨げるからだ。地上のあなたが探究するべきことだ」と教えてくれないからです。つまり、重要なヒントは与えた、あとは自力で探究し理解せよ、というのが守護霊団の方針のようです。したがって、自力で得たものを所有したうえで、その正否を尋ねるということでなければ、答えてもらえないということです。
さて、5月29日におこなった里沙さんへのセッションで、タエ・ラタラジューに続いて、彼女の守護霊の憑依をお願いし、対話のなかで尋ねたことは、次の3点でした。
①魂の内層には、類魂の分身が入っていると考えてよいか。
②魂の自覚状態になると、憑依現象が起こるのはなぜか。
③浄霊に般若心経が効力を持つのはなぜか。
そのそれぞれの回答は、筆者のこれまで探究で得た結論と一致していました。
里沙さんの守護霊の回答の概要は次のようなものでした。
魂の内層は、類魂の分身から成っていると考えてよい。それをハイヤーセルフと呼ぼうと、守護霊と呼ぼうと、それぞれ間違いではない。それぞれ自由。魂内層の類魂(分家)は、眠っている間に、その故郷である霊界の類魂(本家)と連絡を取り合い、互いに学び合う関係にある。
催眠深化であらわれる魂の自覚状態とは、霊の次元に並んだということであり、未浄化霊、高級霊を問わず、それら霊的存在と接触できるし、憑依も起こるのである。
般若心経は、三次元世界に適用して理解できるものではない。色即是空、空即是色とは、霊界の最初の次元である「幻想界」の消息を説いていると理解しなさい。すなわち、想念がそのまま実体化するというのが幻想界であり、極楽とも呼べる次元である。
未浄化霊は、本来そうした幻想界に行くべきであり、そのことを説得するように般若心経を唱えてあげなさい。それによって浄化され、浄化された霊が幻想界へと上がれるのだ。
おおよそ、以上のような回答を得ることができました。里沙さんの守護霊は、筆者に霊界の消息を伝えることを使命にしている霊界では異例の存在だと告げています。
筆者の求めに応じて、いつでも降りてきます
魂の表層は前世人格たちで構成されていることは、これまでの実践から確かめられてきました。表層の前世の者たちは、互いの人生で獲得した知恵を分かち合い、魂表層全体が進化・成長へと向かうという仕組みになっていると、このブログに公開してある筆者あて霊信は告げています。
その魂の表層から呼び出した前世人格ラタラジューが応答型真性異言を話したことで、「表層は前世人格から構成されている」という作業仮説は検証できたと思っています。
前世人格は、今も、「魂表層に自分の生きた当時の感情を抱いて、意識体として生きている、そして、互いの人生の知恵を分かち合い、苦脳・苦痛も訴え合っている、ということが、クライアントに顕現化する前世人格の語りから分かってきました。
問題は魂の内層はいったいどんな構造になっているかです。
この3年間、顕現化した前世人格に、内層のことを尋ねる作業をおこなって探ってきましたが、前世人格は、内層のあることが分かる、とまでは回答しますが、それ以上のことは答えていません。
今のところ、魂の内層について考察できることは、筆者あて霊信から推測するしかないのです。そもそも、SAM前世療法の骨格である作業仮説は、霊信にもとづいているからです。筆者にとって、霊信の恩恵は計り知れません。
そして、何度も霊信を読み返すうちに、最近やっと輪郭が浮かんできました。
霊信は次のように告げています。
①魂のはじまりは、ある「意識」から生じるものである。
②その「意識」をあらわす言葉は、「意識体」とあらわすことでしか表現できない。
③魂は転生するもの、「意識体」は転生をしないものである。
④転生する必要がある「意識体」と、しない必要がある「意識体」はつながりをもち、お互いが学びを得あう関係である。
⑤あなた方の魂の核となる「意識体」が・・・
⑥魂の表層部分により包まれるのは「意識体」である。
⑦内層にある「意識体」はあるがままに完全性を保つものである。
以上は第12・13・14霊信で使われている「意識体」の用語法です。12・13霊信は「稲垣の祖父の守護霊とつながりをもつ霊」、14霊信は「ケイシー霊」を名乗っています。
さて、二つの霊の「意識体」の用語法にはズレがあります。
①②③④で言う「意識体」は魂とは別に、霊界に存在する「意識体」を指していると思われます。
⑤⑥⑦の「意識体」は、転生する魂の核・内層を指していると思われます。
守護霊団からの霊信が、でたらめを告げていないとすれば、前者の「意識体」と後者の「意識体」は、同じものを指しているということになります。
つまり、霊界に存在する転生をしない「意識体」と同じもの、あるいは相同のものが、ペアとして、あるいは分身として、転生する魂の内層にも存在するということです。
霊信受信者M子さんは、「類魂」という言葉を知りません。したがって、通信霊は「類魂」という言葉をM子さんの語彙から用いることができず、「ある意識」、「意識体」と表現するしかなかったと推測することは可能です。大胆にそう解釈すると、「意識体」とは「類魂」のことである、ということです。
結論を言うと、魂の内層は、「類魂」ないし「類魂」と相同のものから構成されているということになります。そして、霊界の類魂と、魂内層の類魂は、互いにつながりを持ち、学びを得あう関係にあるということになります。
そのように仮定すれば、ハイヤーセルフ(高次自我)とは、魂内層を構成している「類魂」を意味していると解釈することができそうです。
類魂はそこに属する魂の地上経験を学び合っている成長・進化のための一つの共同体(共同的集合意識)ですから、叡智に富む意識体であることは当然であるからです。
ハイヤーセルフとコンタクトするとは、自分の魂内層の類魂全体の意識(集合意識)とコンタクトすることかもしれません。それは、自分の魂の故郷であるところのものでもあります。
こうして、筆者は、当面のSAM前世療法の作業仮説として、「魂の内層は、類魂ないし類魂と相同のものから構成されている」と考えてきました。 このように探究を続けてきたわけは、霊信の常套句が、「これ以上のことを今明かすことは許されない。それはあなたの成長を妨げるからだ。地上のあなたが探究するべきことだ」と教えてくれないからです。つまり、重要なヒントは与えた、あとは自力で探究し理解せよ、というのが守護霊団の方針のようです。したがって、自力で得たものを所有したうえで、その正否を尋ねるということでなければ、答えてもらえないということです。
さて、5月29日におこなった里沙さんへのセッションで、タエ・ラタラジューに続いて、彼女の守護霊の憑依をお願いし、対話のなかで尋ねたことは、次の3点でした。
①魂の内層には、類魂の分身が入っていると考えてよいか。
②魂の自覚状態になると、憑依現象が起こるのはなぜか。
③浄霊に般若心経が効力を持つのはなぜか。
そのそれぞれの回答は、筆者のこれまで探究で得た結論と一致していました。
里沙さんの守護霊の回答の概要は次のようなものでした。
魂の内層は、類魂の分身から成っていると考えてよい。それをハイヤーセルフと呼ぼうと、守護霊と呼ぼうと、それぞれ間違いではない。それぞれ自由。魂内層の類魂(分家)は、眠っている間に、その故郷である霊界の類魂(本家)と連絡を取り合い、互いに学び合う関係にある。
催眠深化であらわれる魂の自覚状態とは、霊の次元に並んだということであり、未浄化霊、高級霊を問わず、それら霊的存在と接触できるし、憑依も起こるのである。
般若心経は、三次元世界に適用して理解できるものではない。色即是空、空即是色とは、霊界の最初の次元である「幻想界」の消息を説いていると理解しなさい。すなわち、想念がそのまま実体化するというのが幻想界であり、極楽とも呼べる次元である。
未浄化霊は、本来そうした幻想界に行くべきであり、そのことを説得するように般若心経を唱えてあげなさい。それによって浄化され、浄化された霊が幻想界へと上がれるのだ。
おおよそ、以上のような回答を得ることができました。里沙さんの守護霊は、筆者に霊界の消息を伝えることを使命にしている霊界では異例の存在だと告げています。
筆者の求めに応じて、いつでも降りてきます
2012年6月13日水曜日
なぜ、前世人格タエとラタラジューの語りにこだわるのか
ブログの記事をごらんになって、7年間も「タエ」の語りの謎にこ だわっていることにあきれた読者もおいでだろうと思います。
私が強いこだわりをもって、前世人格タエとラタラジューの語りの 謎を数年にわたって執拗に追いかけるのは、生まれ変わりの実証のために、出来うる限り の疑問・謎を明らかにしたいという強迫的欲求があるからです。
生まれ変わりを事実として認め、安んじて死に正対したいと願って いるからなのです。
死後はないのであり、死ぬことをもって自分の存在は一切無に帰する、 と思いながら死んでいくのが恐怖なのです。
というのが、生まれ変わりの実証研究に取り組む前の本音です。
現在は、タエとラタラジューの事例の検証によって、生まれ変わり の事実を実証しえたという思いがありますから、里沙さんという一 人の人間に起きている生まれ変わりは、自分にも起きているはずだという 実感から、死への恐怖はずいぶん軽減しています。
ただし、私の生まれ変わりが事実であってほしいという願望によっ て、タエとラタラジューの語りの検証にバイアスがかかっており、慎重を期しているつもりが事実誤 認を犯してしているのではないかという自己反省にとらわれることがとき どきあります。
こうしたことから、タエとラタラジューの語りの検証に執拗になら ざるをえないというわけです。
私には、霊能者やらチャネラーやら宗教家の実証のともなわない、 生まれ変わりや魂実在の言説を、素直に受け入れられない生まれつ きの懐疑的気質があります。
もっともらしいけれど実証のともなわない、千、万の言説より、た った一つの実証された事実確認を自分の体験として持ってこそ納得できる凡人です。その事実が 、唯物論に真っ向から対立することであっても、まちがいのない事 実であることが確信できれば、受け入れることに抵抗を持つことは ありません。
人は、死によって無に帰するか、死後存続があるか、のいずれでし かありません。
突然の事故死でもない限り、誰もが、死を間近にして死に正対するとき、死後はないのか、あるの か、いずれかを選び取って態度を決め、死を迎える覚悟をすることになるに違い ないはずです。ふだんは、ずっと先でしかないと思う死に、今正対して考える重苦しさを回避し、他愛の ないおしゃべりや快楽に気分を紛らわせていても、誰もが、否応なし に、必ず、死と正対せざるをえないときがやってきます。
そうした直近に迫った死との直面のときに、私がふだんから備えておくための探究です 。なによりも、そのときに自分が救われたいための探究です。安ん じて死に臨みたい。そして、死後は無である、という証明ができたなら、それはそれで大きな収穫です。生まれ変わりが無いことの証明は、前世の因果やら霊の祟りを騙って金儲けをすることはもちろん、霊能者を称する人たちは存在理由がなくなり、排除されるでしょう。前世療法が成り立つ余地もまったくなくなります。私は、死後は無となる覚悟のもとに、死の恐怖を受け入れ、死ねばよい。
しかし、生まれ変わりの探究の結果、それがあるという証拠が現れたときは公開し、分かってきた霊的真理を広めること に躊躇があってはならないと思います。自分を救うための探究が、 他の人の救いにもつながるとしたら、お役立っているという喜びに なります。
そうした思いからの、情報発信です。
しかし、生まれ変わりの探究だけに関心が向いているわけではあり ません。
原発の再稼働問題、民主党のふがいない体たらく、消費税問題等にも 重大な関心を持っています。
ただ、生まれ変わりの科学的実証などという浮き世離れした探究は 、原則ヒマ人や変人にしかできないことなので、それに発信をしぼ っているというわけです。
私の実存的原体験は、小学校6年生に遡ります。
母方の祖父が、火葬場の焼却釜の中で、吹き出す重油の火炎に包まれて燃えていく ありさまを、釜の覗き穴から見てしまったという体験です。当時の 火葬場は管理が杜撰で、係員が席を外した機会に、従弟と興味半分 で遺体の焼け具合を見るための釜の覗き穴から見てしまったのです 。肉が焼け、頭蓋骨や肋骨があらわになっていく最中でした。
この原風景は、現在もありありと脳裏に焼き付いたまま、忘れるこ とはできません。
そして、死ねば自分もこうなるのだ、という当たり前のことを、目 前で見せつけられ
2012年6月8日金曜日
「ラタラジューの事例」における語りの謎の解明
「ラタラジューの事例」における語りの最大の謎は、「30歳」、「ラナ」、「戦いました」の関連です。
語りで示された3つの断片的な単語の関連の持つ意味について、拙著『生まれ変わりが科学的に証明された!』の中で次のように推測しておきました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
⑧Shah(シャハ王朝)とラナとの関係について
ネパール語で対話する前の筆者との日本語対話でラタラジューは、「・・・戦いました・・・ラナ・・シャハ・・・ラナ、戦いをした」とラタラジューは語っています(前掲書P49)。また、カルパナさんのネパール語対話でも、30歳と答えた直後に「ラナ」という単語を四度発語しています(同書PP61-62)。シャハ王朝とラナ、および戦いとの関係はいったいどのようなことが推測できるのでしょうか。
シャハ王朝は、1768年に始まり最近廃絶した王朝です。そのシャハ王朝で、1846年以後1951年まで、ネパールを実質支配する独裁権力を振るった宰相家が「ラナ家」です。ラナ家が独裁権力を握るために、1846年に有力貴族を殺害するという流血の権力闘争がありました。また、1885年にはラナ家内部で流血クーデターが起きています。
一方、タエが人柱になったのは1783年(天明3年)です。それ以後にラタラジューとして生まれ変わったとされているのですから、彼がシャハ王朝とラナ家を知っていることに矛盾はありません。したがって、ラタラジューが発語した「ラナ」とはネパール宰相家の「ラナ家」だと推測して間違いないと思われます。とすれば、彼が「戦いました」という語りは、ラナ家がシャハ王朝内の独裁権力を掌握するための1846年の権力闘争あるいは、ラナ家内部の1885年のクーデターに際して、ラタラジューが傭兵として闘争に参加していることを意味していると推測されます。
さらに穿(うが)った推測をすれば、カルパナさんとのネパール語対話の中で「30歳」という年齢を答えた直後に、それに触発された記憶であるかのように「ラナ、ラナ」と発語していますから、ラナ家に関わる闘争への参加はラタラジューが30歳の時だと特定できなくはありません。加えて、彼は若い頃カトマンズに住んで戦ったとも言っています。そのように仮定し、彼が78歳で死亡したとすると、彼の生年・没年は、1816年~1894年、または1855年~1933年となります。里沙さんは1958年生まれですから、いずれの生年・没年でもは矛盾しません。
さらに言えば、30歳で戦いに参加したとすれば、里沙さんの守護霊とおぼしき存在の「ラタラジューは・・・若い頃人を殺しています」という語りにも符合することになります。
ソバナ博士の調査によれば、シャハ王朝が傭兵としてタマン族の青年たちを用いていたことは間違いない事実であるが、どのクーデターのときにどれくらいのタマン族傭兵が参加していたかという数字については定かではないという報告でした。こうして、ラタラジューがラナ家に関わる闘争に傭兵として参加していたのではないかという推測が成り立つための裏付けが検証できたということです。(同書PP.108-109)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
筆者が、2009年5月の実験セッションで顕現化したラタラジュー人格の語りのなかで、これまで2年あまりこだわり続けてきた上記ゴチック部分の推測が正しかったことが、4月8日のセッションにおいてラタラジュー自身の語りから証明できました。
顕現化したラタラジュー人格への質問によって、彼の口から明確になった事実は以下のことでした。
①30歳のときにカトマンズで生活しており、ラナ家が独裁権力を握るための闘争に傭兵として敵と戦った。
②その戦い参加は、2度のラナ家に関する戦いのうち、1回目の戦いである。
ラタラジューは西暦カレンダーを知りません。しかし、ラナ家の1回目の戦いは史実によって、1846年であることが分かっています。
その1846年に30歳だったと答えていますから、生年は1816年になります。また、78歳で死亡したと語っていますから、没年は1894年になります。
つまり、ラタラジューは、今から118年前に死亡しているということになります。
そして、里沙さんは1958年生まれですから、ラタラジューの没後64年(1958ー1894)経て、現世に生まれ変わったことになります。
ラタラジューの前の前世であるタエは、天明3年(1783年)に16歳で人柱になっていますから、タエの没後33年経てラタラジューに生まれ変わったということになります。
2回の生まれ変わりが、タエからラタラジューへ33年、ラタラジューから里沙さんへ64年、の間隔で起きているという特定ができたということです。
このような、一人の被験者において、検証によってその実在の濃厚な、二人の前世人格の生年・没年が特定できた事例は、筆者には初めてのことです。
世界中の研究で、同一被験者において、二人の前世人物の生年・没年が特定され、生まれ変わりの間隔が特定された事例を筆者は知りません。
自画自賛だと貶されようと、生まれ変わり研究史上の快挙だと誇りたいと思います。
そのほかに、100年ちょっと前のナル村村長であったラタラジューの記憶を持つ者と、ラタラジューの子孫の実在について、ネパール人文化人類学ソバナ博士による、2010年当時のナル村村民34名の古老への聴き取り調査で、誰一人記憶にとどめていないという不可解な謎の秘密をラタラジューは語ってくれました。
この秘密を明かすことは、現ナル村村民の先祖への誇りを汚すであろう支障が生じますので、詳細を公開することは控えたいと思います。
秘密の一部を明かすと、ラタラジューは、「村民に対して罪を犯した恨みを買って毒殺された」と訴えたということです。そして、その訴えの最中に、毒殺時の苦悶を示す、腹部の痙攣と猛烈な嘔吐症状の身体反応が里沙さんに起きるという超常現象が伴いました。
ここまでが、4月8日セッションで解明できたことでした。
今回、5月29日のセッションで、筆者の4つの
語りで示された3つの断片的な単語の関連の持つ意味について、拙著『生まれ変わりが科学的に証明された!』の中で次のように推測しておきました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
⑧Shah(シャハ王朝)とラナとの関係について
ネパール語で対話する前の筆者との日本語対話でラタラジューは、「・・・戦いました・・・ラナ・・シャハ・・・ラナ、戦いをした」とラタラジューは語っています(前掲書P49)。また、カルパナさんのネパール語対話でも、30歳と答えた直後に「ラナ」という単語を四度発語しています(同書PP61-62)。シャハ王朝とラナ、および戦いとの関係はいったいどのようなことが推測できるのでしょうか。
シャハ王朝は、1768年に始まり最近廃絶した王朝です。そのシャハ王朝で、1846年以後1951年まで、ネパールを実質支配する独裁権力を振るった宰相家が「ラナ家」です。ラナ家が独裁権力を握るために、1846年に有力貴族を殺害するという流血の権力闘争がありました。また、1885年にはラナ家内部で流血クーデターが起きています。
一方、タエが人柱になったのは1783年(天明3年)です。それ以後にラタラジューとして生まれ変わったとされているのですから、彼がシャハ王朝とラナ家を知っていることに矛盾はありません。したがって、ラタラジューが発語した「ラナ」とはネパール宰相家の「ラナ家」だと推測して間違いないと思われます。とすれば、彼が「戦いました」という語りは、ラナ家がシャハ王朝内の独裁権力を掌握するための1846年の権力闘争あるいは、ラナ家内部の1885年のクーデターに際して、ラタラジューが傭兵として闘争に参加していることを意味していると推測されます。
さらに穿(うが)った推測をすれば、カルパナさんとのネパール語対話の中で「30歳」という年齢を答えた直後に、それに触発された記憶であるかのように「ラナ、ラナ」と発語していますから、ラナ家に関わる闘争への参加はラタラジューが30歳の時だと特定できなくはありません。加えて、彼は若い頃カトマンズに住んで戦ったとも言っています。そのように仮定し、彼が78歳で死亡したとすると、彼の生年・没年は、1816年~1894年、または1855年~1933年となります。里沙さんは1958年生まれですから、いずれの生年・没年でもは矛盾しません。
さらに言えば、30歳で戦いに参加したとすれば、里沙さんの守護霊とおぼしき存在の「ラタラジューは・・・若い頃人を殺しています」という語りにも符合することになります。
ソバナ博士の調査によれば、シャハ王朝が傭兵としてタマン族の青年たちを用いていたことは間違いない事実であるが、どのクーデターのときにどれくらいのタマン族傭兵が参加していたかという数字については定かではないという報告でした。こうして、ラタラジューがラナ家に関わる闘争に傭兵として参加していたのではないかという推測が成り立つための裏付けが検証できたということです。(同書PP.108-109)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
筆者が、2009年5月の実験セッションで顕現化したラタラジュー人格の語りのなかで、これまで2年あまりこだわり続けてきた上記ゴチック部分の推測が正しかったことが、4月8日のセッションにおいてラタラジュー自身の語りから証明できました。
顕現化したラタラジュー人格への質問によって、彼の口から明確になった事実は以下のことでした。
①30歳のときにカトマンズで生活しており、ラナ家が独裁権力を握るための闘争に傭兵として敵と戦った。
②その戦い参加は、2度のラナ家に関する戦いのうち、1回目の戦いである。
ラタラジューは西暦カレンダーを知りません。しかし、ラナ家の1回目の戦いは史実によって、1846年であることが分かっています。
その1846年に30歳だったと答えていますから、生年は1816年になります。また、78歳で死亡したと語っていますから、没年は1894年になります。
つまり、ラタラジューは、今から118年前に死亡しているということになります。
そして、里沙さんは1958年生まれですから、ラタラジューの没後64年(1958ー1894)経て、現世に生まれ変わったことになります。
ラタラジューの前の前世であるタエは、天明3年(1783年)に16歳で人柱になっていますから、タエの没後33年経てラタラジューに生まれ変わったということになります。
2回の生まれ変わりが、タエからラタラジューへ33年、ラタラジューから里沙さんへ64年、の間隔で起きているという特定ができたということです。
このような、一人の被験者において、検証によってその実在の濃厚な、二人の前世人格の生年・没年が特定できた事例は、筆者には初めてのことです。
世界中の研究で、同一被験者において、二人の前世人物の生年・没年が特定され、生まれ変わりの間隔が特定された事例を筆者は知りません。
自画自賛だと貶されようと、生まれ変わり研究史上の快挙だと誇りたいと思います。
そのほかに、100年ちょっと前のナル村村長であったラタラジューの記憶を持つ者と、ラタラジューの子孫の実在について、ネパール人文化人類学ソバナ博士による、2010年当時のナル村村民34名の古老への聴き取り調査で、誰一人記憶にとどめていないという不可解な謎の秘密をラタラジューは語ってくれました。
この秘密を明かすことは、現ナル村村民の先祖への誇りを汚すであろう支障が生じますので、詳細を公開することは控えたいと思います。
秘密の一部を明かすと、ラタラジューは、「村民に対して罪を犯した恨みを買って毒殺された」と訴えたということです。そして、その訴えの最中に、毒殺時の苦悶を示す、腹部の痙攣と猛烈な嘔吐症状の身体反応が里沙さんに起きるという超常現象が伴いました。
ここまでが、4月8日セッションで解明できたことでした。
今回、5月29日のセッションで、筆者の4つの
2012年6月6日水曜日
「タエの事例」における謎の解明
生まれかわりの証拠動画作成のために、里沙さんに再々セッションを許可していただき、彼女宅での実験セッション撮影を2012年5月29日におこないました。
この再々セッションの目的は、タエとラタラジュー、および守護霊を呼び出し、それら存在が最初に顕現化して語った内容のうち、現在も謎として残っていることを尋ね、謎の解明を図ることでした。
拙著の2冊『前世療法の探究』、『生まれ変わりが科学的に証明された!』の出版以後に解明された謎です。
今日は、そのうち「タエの事例」のタエの語りのいくつかの謎のうち、解明できたことについて報告します。
残りは、2回に分けてこのブログで報告します。
さて、SAM前世療法によって、魂表層からタエを呼び出し、尋ねた内容は次の3点でした。
もちろん、筆者の用意した質問事項について、里沙さんには、事前に一切知らせてありません。
セッション前に、里沙さんが回答を事前に用意する余地をなくすためです。
①2005年の「タエの事例」はワイス式、つまり、「里沙さんの脳の潜在意識内に記憶されているタエの前世記憶を想起させる」という前提でおこなったセッションである。
そうではなく、里沙さんが「自動的に魂状態に戻り、魂の表層からタエという「前世人格が顕現化(自己内憑依)」した現象」であるかどうかを確認すること。
②タエは、育ての父親を渋川村上郷の名主「クロダキチエモン」だと語っている(拙著『前世療法の探究』P155)。
一方で、彼女の守護霊は、「クロカワキチエモン」だと語っている(同書P174)。
検証の結果、天明3年当時の渋川村名主は5名おり、その中に堀口吉右衛門(ホリグチキエモン)が実在している(同書P196)。
キチエモンの名はあるが、姓がホリグチであり、食い違いがある。この食い違いの謎を解くこと。
③タエの守護霊は、雷神(浅間山噴火による火山雷のこと)の怒りを静めるために、村人は馬を供え物にし、その馬が必死で暴れるのを鎮めるために、タエの左腕を切り落とし、馬頭観音堂の下に埋納したと語っている(同書PP172-175)。
しかし、タエ自身はこの左腕切断も、馬がともに供え物になったことも語っていない。
そのわけを解明すること。
④タエは人柱になった理由を、「上の村が水にやられるので・・・わたしが(龍神様の)お供えになります(同書P159)」と語っている。
自分の住む渋川村を救うためではなかったのである。
上の村とはどこを指すのか、その上の村を人柱を立ててまで救わねばならなかった理由を解明すること。
タエ自身が答えた、上記①②③④の回答の概要は以下のようでした。
この回答の証拠映像は、Y0u-Tubeで公開する予定です。
①の回答について
2005年セッションのタエは、里沙さんの前世記憶の想起として語られたものではない。魂の表層から顕現化した前世人格そのものである。
そして、セッション中の、いま、ここで、語っているタエは、魂表層から呼び出された前世人格のタエが、自分の生まれ変わりである里沙さんに憑依している現象である。
②の回答について
名主キチエモンは、多くの田んぼを所有しており、その田んぼの土が黒い土であったことから、「クロダのキチエモン」と呼ばれていた。
また、キチエモンは、野菜など農作物や生糸などの交易のために吾妻川岸に船着き場を持っており、その船着き場の普請のために黒い石を多く用いたので「クロカワのキチエモン」とも呼ばれていた。
つまり、クロダ、クロカワは姓ではなく俗称である。
したがって、二つの俗称でキチエモンが呼ばれていた。しかし、タエは、キチエモンの正式の姓は知らない。
③の回答について
人柱として吾妻川の橋脚に縛られたときに、左腕がひどく熱かったことは覚えている。
左腕を切り落とされていたかどうかは覚えていない。
人柱になる前に、ご馳走を食べさせてもらい、そのときにたくさんのお酒を飲まされてすっかり酔ってしまい、朦朧となってしまった。
タエと一緒に、馬も側で縛られて雷神様のお供えになったことは覚えている。
④「上の村」とは、吾妻側沿いのすぐ上流のとなりの川島村だけのことではなく、いくつかの上流の村々を指している。
キチエモンが、商いのために野菜や生糸を仕入れている仕入れ先の上流の村々である。
キチエモンが商いをするために、仕入れ先の上の村々が洪水でやられることから救う必要があった。
さらに、キチエモン夫婦には、タエが生きていては不都合な切迫した秘密の事情があり、タエの口封じをねらった人柱でもあった。
タエ自身から聞き出した上記四つの回答は、私にとっては、それなりに納得のできるものでした。
2005年の最初のセッション以来、7年越しにこだわってきた謎が解明できたからです。
とりわけ、②の回答は、キチエモンの姓を、クロダとクロカワだと、タエと守護霊が、それぞれ食い違って告げている謎の合理的説明だと言えそうです。
この姓の食い違いを尋ねたときに、タエは、言いよどむことなく即座に回答しました。
なお、堀口家の末裔は、現在も健在であり、会社経営をしておられるようです。
その社史によれば、寛永年間より江戸期の堀口家の当主は、代々「吉右衛門」を襲名しているとのことであり、天明3年当時の渋川村上郷名主堀口吉右衛門以外に、先代、先々代にも堀口吉右衛門が存在していることになります。
それら、同姓同名の先祖堀口吉右衛門と当代の堀口吉右衛門とを区別の必要から、村人が当代吉右衛門を示すために、「黒川の」、「黒田の」という俗称で呼んでいたであろうという事情は了解できるでしょう。
ただし、その真偽の検証は、当時から230年後の現在では不可能です。
また、③の多量の飲酒による深い酩酊状態(麻酔様状態)を利用して、鋭利な脇差し等の刃物で左腕が一太刀で切り落とされたなら、切断面が「熱い」という意識以外に記憶に残っていない、というタエの説明が成り立つ余地があるように思われます。
鋭利な刀で瞬時に一刀両断された場合に「痛い」より「熱い」という感覚になることを外科医から確認しています。
おそらく、タエの腕の切り落としの痛みと人柱になることへの恐怖心を鎮めるために、キチエモンたちは、タエを酩酊状態にしたと思われます。
ちなみに、守護霊は、タエの左腕が刀によって切り落とされたと告げています(『前世療法の探究』P.175)。
今回のタエの語りによれば、雷神に供える馬もタエとともに川中に縛られていた、ということですが、被害報告文書である『天明3年7月浅間焼泥押流失人馬家屋被害書上帳』の渋川村の項には、「人一人流」となっているだけであり、馬の流失は記録されていません。
おそらく、被害届けの報告者は、供え物であるタエも馬も洪水で流されることは承知だったので、馬の流失を被害届けから省いたのでしょう。
タエも流死することはあらかじめ分かっていたはずですが、さすがに人間であるタエを流失被害から省くことはできなかったと推測できます。
さらに、キチエモンが名主として、生糸や野菜などの商品作物を仕入れていたということも、商品経済の始まっていた天明年間にはありうることだと思われます。
おそらく名主キチエモンには、先見の明と商才があったのでしょう。
そして、天明3年当時の渋川村実在5人の名主のうち、キチエモンの名は堀口吉右衛門一人であることに照らせば、俗称「黒田のキチエモン」、「黒川のキチエモン」は、名主堀口吉右衛門のことを指していると推測して間違いないと考えられます。
これら私の得た「タエの事例」に関する新たな情報は、タエの実在を前提とし、今回セッションで顕現化したタエの回答に嘘はない、と信用する前提のもとで、ほぼ納得のできる説明がなされたものと判断しました。
また、生まれ変わりの証拠として、最有力であるラタラジューの応答型真性異言を話した里沙さんの語りという信憑性の高い事情に照らして、信用してよいと判断しました。
私の真理観は、「説明の成功」です。
とりわけ、科学的検証が不可能な今回のようなタエの回答の真偽判断においては、タエの回答に矛盾が無く、説明が成功していることをもって、真偽を判断する以外に手はないように思います。
それにしても、タエが人柱に至る経緯の詳細を知るにつけ、タエの守護霊が「女は道具です」と喝破したように、道具扱いされるままに命を絶たれた哀れさに、胸がふさがれる思いがします。
そして、キチエモンが、堀口吉右衛門であったことがほぼ特定できたことによって、その末裔がおいでになるという事情から、タエの人柱には裏に口封じという秘密の意図があったことの詳細を封印せざるをえなくなりました。
人柱の裏事情とは、タエと義父キチエモン、義母ハツの三者が絡んだ外聞をはばかる事情が生じており、その秘密を漏らさないために、タエの口封じを必要とする切迫した理由があったということです。
「洪水から上の村を救うための人柱」という大義名分の裏には、人柱を利用してタエの口封じを図ったという裏事情があったことをタエが語ったということです。
その、「外聞をはばかる事情」の詳細の公開は、現存する堀口家のためにも封印すべきであると判断しました。
どうぞご寛恕ください。
次回は、「ラタラジューの事例」における語りの謎の解明について報告します。