tag:blogger.com,1999:blog-75487508437779703442024-03-19T18:52:43.544+09:00稲垣勝巳生まれ変わりの実証的探究わたしは臨床催眠実践者です。登録商標を取得した「SAM前世療法」の実践によって、魂状態の自覚とともに前世人格の顕現化などが「意識現象の事実」として確認できます。それらの意識現象について、生まれ変わりの先行研究と科学的方法論に基づく検証結果についての考察を公開していきます。「意識現象の事実」の真偽について、「観念より事実」、「理屈より実証」をコンセプトに検証と考察を深める実践を続けています。なお、このブログは、諸宗教との関わりは一切ありません。稲垣 勝巳http://www.blogger.com/profile/16232260953490209907noreply@blogger.comBlogger547125tag:blogger.com,1999:blog-7548750843777970344.post-13334603028759218462024-02-26T12:14:00.054+09:002024-03-11T10:40:51.740+09:00SAM前世療法による三者的構図と治癒仮説<p><span style="font-size: x-large;">SAM催眠学序説 その171 </span><br /></p><p> </p><p> <span style="font-size: medium;">前ブログで紹介した宝田昌子 さんが、わたしの最初のセッションを受けたときの感想と、その後催眠塾に入塾し、SAM前世療法士としてどのような努力を積み重ねて、今に至っているかを投稿していただけたので、</span><span style="font-size: x-large;"><b>①</b></span><span style="font-size: medium;">でそれを紹介します。</span></p><p><span style="font-size: medium;">これまで、SAM前世療法士自身の具体的、分析的なセッション体験を掲載したことはありません。</span></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p><p><span style="font-size: medium;">SAM前世療法の実際を、SAM前世療法士自身が、どのように体験していたのか、その後「スーパーバイザーSAM前世療法士」として、彼女が実力をつけていくための具体的努力をどのように重ねてきたかの軌跡が読み取れると思います。 <br /></span></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p><p><span style="font-size: medium;">もう一つ注目していただきたいのは、SAM前世療法における、<b>「セラピスト」対「前世人格」との対話と、それを傾聴している「現世のクライアントの意識」</b>という独特なセッション構図が典型として示されていることです。 </span></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p><p><span style="font-size: medium;">世界中の従来の前世療法には例がない、このような<b>SAM前世療法の特異なセッション構図をわたしは「三者的構図」</b>と呼んでいます。</span></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p><p><span style="font-size: medium;"> これに対して、終始「セラピスト」対「クライアント」の関係でおこなう一般の前世療法のセッション構図は「二者的構図」と呼んでいいと思います。</span></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p><p><span style="font-size: medium;">宝田昌子さんの投稿記事の次に、</span><span style="font-size: x-large;"><b>②</b></span><span style="font-size: medium;">で2009年にあらわれたネパール語の応答型真性異言「ラタラジュ-の事例」の被験者里沙さんの感想を引用して、両者を比較検討してみたいと思います。</span></p><p><span style="font-size: medium;"></span></p><p><span style="font-size: medium;">記事の<span style="color: #2b00fe;"><b>青文字部分</b></span>に注目してお読みください。</span></p><p><span style="font-size: medium;"> <br /></span></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p><p><span style="font-size: x-large;"><b>①</b></span><b><span style="font-size: large;"> <span>宝田昌子さんの投稿記事</span></span></b></p><p><span style="font-size: medium;"> </span><span style="font-size: x-large;"><b> </b></span><span style="font-size: medium;">先日は投稿記事を取り上げていただきありがとうございます。<br />稲垣先生のブログ「SAM催眠学序説その170」の中で次のような記述がありました。</span><span style="font-size: medium;"><br />**********************************************************<br /><span>「SAM前世療法」は、クライアントとセラピストと双方の「魂の自己実現をめざす前世療法」となりうる可能性を、まだまだ秘めている(中略)<br />SAM前世療法は、セラピストとクライアント双方の魂へのいやしの前世療法でもあり、それは魂表層で心身の傷を負って苦しみを訴えている、双方の前世の者たちの魂への功徳につながる前世療法でもある</span><br />***********************************************************<br />このブログの記述を拝読しながら、私は7年近く前の初めてのセッションで顕現化した「前世の者」のことを鮮明に思い出していました。<br /><br /><br /><b>【 2017年8月 トンネル恐怖症改善の初めてのセッション 】<br /></b><br /><br />私は、高速道路のトンネルに入ると「全身に極度な力が入る」「スピードが出せない」「排気口を見るとクラクラする」「呼吸が浅い」「白線が怖い」「対向車線に突っ込んでいくのではないかと考える」など運転に大きな支障がでていました。</span></p><p><span style="font-size: medium;">トンネル恐怖症と呼んでいい、閉所恐怖症の一つだったと思います。<br /> </span></p><p><span style="font-size: medium;">頭では、「何事も起こらない」とわかっているのに、「トンネルのあらゆるものが襲ってくるような」なんとも言えない恐怖心にさいなまれていました。 普段の一般道路の運転では考えられないことでした。<br /><br /><br /><b>[SAM前世療法初めてのセッション]</b></span><span style="font-size: small;">セッション記録メモによる再現</span><span style="font-size: medium;"><br /> </span></p><p><span style="font-size: medium;">稲垣先生との催眠に入る前のカウンセリングの後、室内ライトを消しカーテンを引いたほの暗い部屋の環境でセッションが進んでいきました。<br /><br /><br />セッションが進み、催眠が深くなるにつれ、私の体の感覚がなくなっていくような不思議な感覚がありました。 <br /><br /><br />ただただ、「深く深く」どこかへ沈んでいくような、まどろんだ沼の中にいるようなそんな感覚だけがありました。 そこには、「恐怖心」は全くなく、穏やかで何かに包み込まれるような「安心感」さえ感じました。<br /><br /><br />けれども、先生の「声」は私の耳にハッキリと聞こえました。<br /><br /><br />催眠状態をたぶん25分~30分くらい深めて「魂状態の自覚」に至ったとき、既に私のトンネル恐怖症に関わっている前世の者は顕現化していたようでした。 <br /><span style="color: #2b00fe;"> </span></span></p><p><span style="font-size: medium;"><span style="color: #2b00fe;"><b>私自身の現世の意識は、悲しく思っていません。<br />それにもかかわらず、なぜか「激しい感情」に襲われていました</b>。 <b>胸が苦しく張り裂けそうでした。 </b></span><b> <span style="color: #2b00fe;">涙が次々とあふれだしてきました。<br /></span></b><br /><br />稲垣先生が<br />「もう、出てきておられますね」<br />と言われました。<br /><br /><br />すると、前世の者は、我慢しきれず「大粒の涙」を流し、先生の方向にグッと体をむけました。<br />そして、前世の者は、先生の「腕」を両手で爪を立ててガシッと掴みました。 まるで、前世の者には稲垣先生の「腕」が「どこにあるか見えている」ようでした。<br /><span>前世の者は、先生の腕に頭をうずめ涙ながらに、何度も何度も<br /><br />「助けてくれ!!助けてくれ!!」<br /><br />と懇願して叫んでいました。 </span></span></p><p><span style="font-size: medium;"><span>前世の者の心は、「悲しみと恐怖」に満ちていました。</span><span style="color: #2b00fe;"><br /> </span></span></p><p><span style="font-size: medium;"><b><span style="color: #2b00fe;">なりふりかまわず必死の思いで、先生に訴えているのが伝わってきました。</span><br /></b><span style="color: #2b00fe;"><b>私は、私自身が大泣きして訴えているのに</b><br /></span><br /><br /><span>「こんな立派な前世の男性が震えて泣くぐらいだから、よほど辛かったんだな。」<br />「でも、目を閉じているのにどうして先生の腕の位置がわかったのだろう?」<br /></span><span style="color: #2b00fe;"><br /><br /><b>と「第三者のような客観的な思い」で<br />「先生と前世の者」との「対話」の様子を眺めていたようでした。</b></span><br /><br /><br />SAM催眠塾にて、<br />「一般の前世療法」における「セラピスト対クライアント」の「二者的構図」とは異なり、「SAM前世療法」では、そこに顕現化した前世の者が参加した<b><span style="color: #2b00fe;">「三者的構図」</span></b>になることを学びました。<br />私はその時「なるほど!こういうことだったのか!」と感動していました。<br /><br /><br />[<b> 稲垣先生のスピリットヒーリング</b> ]<br /> </span></p><p><span style="font-size: medium;">先生が、<br />「いやしが必要ですか?」<br />と前世人格に尋ねると前世の者は「いやしてほしい。」と応えました。<br /><br /><br />すると、目の前にオレンジ色のような白いような「眩しい光」が広がりました。<br />その光は、胸の辺りから光っているのがわかりました。<br />あたたかく気持ちのいい光でした。<br /><br /><br />前世の者の「心の痛み」は、<br />包み込まれるように穏やかになっていくのがわかりました。<br /><br /><br />顕現化した前世の者は、<br />激しい悲哀の感情を錯乱状態で吐き出し穏やかになると<br /><br /><br />1000年前 <br />スイス<br />男性<br />土着の神に仕える「神官」<br />洞窟で殺された<br /><br /><br />という身元を語りました。<br /><br /><br />私は、「部屋は暗かったし、目を閉じているのになぜいやしの光がわかるのだろう?」と不思議に思っていました。<br />(数年後、稲垣先生のヒーリングを受けた人のなかに、私と同じような感想を持っている人が何人もおられ「やっぱり不思議だ」と思いました)<br /><br /><br /><b>[ セッション後 ]</b><br /> </span></p><p><span style="font-size: medium;">稲垣先生が「魂表層の前世の者たちで傷を持たない魂はない」ことを話してくださいました。<br />私は「他にも辛い前世の者たちがいるのなら、癒してもらおうかな」と思っていました。 <br /><br /><br /><b>[ トンネル恐怖症の改善 ]</b><br /> </span></p><p><span style="font-size: medium;">帰路につき、高速道路のトンネルに差し掛かりました。<br />「また、あの嫌な恐怖心が込み上げてくるのではないだろうか・・・」<br />と不安でした。けれども、私はトンネルに入っても「平常心」で運転していました。<br />「あれ? 怖くない・・・・」<br />普通に運転していることが不思議で仕方がありませんでした。<br /><br /><br />「今日一日で、何が私を変えたのか?」<br /><br /><br />今日一日私が体験したのは、SAM前世療法のセッションだけです。<br /> </span></p><p><span style="font-size: medium;">運転中、前世の者の悲痛な思いがよみがえりました。<br /><br /><br />「トンネル・・・」<br />「私の前世の者、洞窟で殺されたんだ・・・」<br /><br /><br />セッション後稲垣先生から </span></p><p><span style="font-size: medium;">前世の者は「当時の苦痛体験」から学び、生まれ変わりである現世の者を</span><span style="font-size: medium;">自分と同じ苦痛から</span><span style="font-size: medium;">守ろうとして、恐怖心を訴え「危険を回避させること」がある。<br />「前世の者の生きた時代」と「現代」では状況が違うことに前世の者は気づくことができない。<br />そのような「危険を訴える潜在意識」は魂表層の前世の者が生み出す。<br />現世の者は、その影響を受けて生活に支障をきたす場合がある。<br />原因不明の「高所恐怖症」「閉所恐怖症」などがそうした典型である。<br /> </span></p><p><span style="font-size: medium;">と教えていただきました。<br /><br /><br /><b>[ 直感 ]</b><br /> </span></p><p><span style="font-size: medium;">SAM前世療法によって、トンネル恐怖症の改善が起きた感動もおさまり運転に集中していると<br /><br />「SAM前世療法を続けたら、人生が変わるかもしれない・・・」<br /><br /><br />この言葉が、一瞬心をよぎりました。<br />ひらめきのようなものでした。<br />けれども、<br /><br />「人生の何かが変わっていくことだけは確かだ」と感じていました。<br /> <br /><br />それからも稲垣先生の「セッション」を毎月1回受け続け、「SAM催眠塾」でも学び、今の私がいます。<br /><br /><br />SAM前世療法士初級のころから「稲垣先生と私の違いはどこにあるのか」「なにが違うのか」を反省し追究していました。<br /> </span></p><p><span style="font-size: medium;">「先生は、前世の者にこんな言葉がけをしていたな」 <br /></span></p><p><span style="font-size: medium;">「先生の按手(パス)の接着力は、こんな感じだったな」 <br /></span></p><p><span style="font-size: medium;">「先生の暗示の間や暗示の言葉がけの話す早さはこんな感じだったな」</span></p><p><span style="font-size: medium;"><br />と稲垣先生にセッションしていただいたときのことを思い出していました。<br /><br /><br />SAMの誘導深化の技法のほかにも</span></p><p></p><p><span style="font-size: medium;">「初対面の人とどうやって話の流れを作っていけばいいのか?」<br /></span></p><p><span style="font-size: medium;">「SAM前世療法の理論の説明は、どう話せば伝わりやすいのか?」<br /></span></p><p><span style="font-size: medium;">「先生の技量にどうやったら近づけるのか?」<br /></span></p><p><span style="font-size: medium;"> と考え続け「出来ない!」の連続に悩み苦しんでいました。<br /><br /><br />開業後の数々のセッションをこなしていったとき、やがて私なりの「セッションの形」ができてきました。<br /><br /><br />先生のブログの記述を拝読しながら、<br /><br /><br />「今の私は、私だけの力で成長したわけじゃない。多くのクライアントのお陰だった・・・」<br /><br /><br />と気づくことができました。<br />それは、私のSAM前世療法士として「何が足りないのか」を「見極めるチャンス」をくれていたと気づいたからです。<br /><br /><br />また、クライアントに顕現化した「前世の者」の訴えから、私の前世の者にも「同じ苦しみを持つ者がいる」かも知れないと気づき、先生のセッションをお願いすることもありました。<br /><br /><br />私は今まで、目の前のクライアントの「主訴の改善」だけを目標に、一所懸命やってきただけだと思っていました。<br />けれども、実は私自身が、クライアントからも学び「SAM前世療法士」としての「土台」を作らせてもらっていたのだと気づきました。<br /><br /><br />稲垣先生への感謝とともに、多くのクライアントに思いを馳せることができました。 ありがとうございました。<br /> </span></p><p><span style="font-size: medium;">3月から新しいグループメンバーとともに、さらにSAM催眠塾で学びます。<br />どうぞご指導をよろしくお願いします。<br /><br />・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・</span><span style="font-size: small;"><b>宝田昌子さんの投稿記事終わり</b></span><span style="font-size: medium;"><br /> </span></p><p><span style="font-size: medium;"></span></p><p><span style="font-size: medium;"></span></p><p><span style="font-size: medium;"></span></p><p><span style="font-size: medium;"></span></p><p><span style="font-size: medium;"></span></p><p><span style="font-size: medium;"></span></p><p><span style="font-size: medium;"></span></p><p><span style="font-size: medium;"></span></p><p><span style="font-size: medium;"></span></p><p><span style="font-size: medium;"></span></p><p><span style="font-size: medium;"></span></p><p><span style="font-size: medium;"></span></p><p><span style="font-size: medium;"></span></p><p><span style="font-size: medium;"></span></p><p><span style="font-size: medium;"></span></p><p><span style="font-size: medium;"></span></p><p><span style="font-size: medium;"></span></p><p><span style="font-size: medium;"></span></p><p><span style="font-size: medium;"></span></p><p><span style="font-size: medium;"></span></p><p><span style="font-size: medium;"></span></p><p><span style="font-size: medium;"></span></p><p><span style="font-size: medium;"></span></p><p><span style="font-size: medium;"></span></p><p><span style="font-size: medium;"></span></p><p><span style="font-size: medium;"></span></p><p><span style="font-size: medium;"></span></p><p><span style="font-size: medium;"></span></p><p><span style="font-size: medium;"></span></p><p><span style="font-size: medium;"></span></p><p><span style="font-size: medium;"></span></p><p><span style="font-size: medium;"></span></p><p><span style="font-size: medium;"></span></p><p><span style="font-size: medium;"></span></p><p><span style="font-size: medium;"></span></p><p><span style="font-size: medium;"></span></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p><p><span style="font-size: x-large;"><b>②</b></span><span style="font-size: large;"><b>「ラタラジューの事例」被験者</b><b>里沙さんの感想記事</b></span><span style="font-size: medium;"> <br /></span></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p><p><span style="font-size: medium;">「ラタラジュ-の事例」の</span><span style="font-size: medium;">セッション中とその後の私の心情を述べたいと思います。<br />
こうした事例は誰にでも出現することではなく、非常に珍しいことだということでしたので、実体験した私が、現世と前世の意識の複雑な情報交換の様子を細かく書き残すのが、被験者としての義務だと考えるからです。<br /></span>
<span style="font-size: medium;">(中略)<br /><br /></span><span style="font-size: medium;">ラタラジューが出現するときは、いきなり気がついたらラタラジューになっていた感じで</span><span style="font-size: medium;">、</span><span style="color: #2b00fe; font-size: medium;"><b>現世の私の体をラタラジューに貸している感覚でした。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><span>(中略)</span><br /></span><span style="font-size: medium;"></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
悲しいことに、<b><span style="color: #2b00fe;">ラタラジューの人殺しに対しても、反論することもできず</span></b>、考え方の違和感と憤りを現世の私が抱えたまま、ラタダジューの言葉を伝えていました。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
カルパナ</span><span style="font-size: small;">(注:ネパール人の女子留学生)</span><span style="font-size: medium;">さんがネパール語で話していることは、現世の私も理解していましたが、どんな内容の話か詳しくは分かりませんでした。<br />
ただ、<b><span style="color: #2b00fe;">ラタラジューの心は伝わって来ました</span>。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;">(中略)</span><span style="font-size: medium;"><br /></span><span style="font-size: medium;"><br />
セッション中、<span>ラタラジューの五感を通して周りの景色を見、におい、痛さを感じました。</span><br />
<span><b><span style="color: #2b00fe;">セッション中の前世の意識や経験が、あたかも現世の私が実体験しているかのように思わせるということを理解しております</span></b></span><span>ので、</span>ラタラジューの五感を通してというのは私の誤解であることも分かっていますが、それほどまでにラタラジューと一体化、同一性のある感じがありました。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
ただし、過去世と現世の私は、ものの考え方、生き方が全く別の時代、人生を歩んでいますので、<b><span style="color: #2b00fe;">人格が違っていることも自覚していました</span></b>。 <br />
ラタラジューが呼び出されたことにより、前世のラタラジューがネパール語を話し、<b><span style="color: #2b00fe;">その時代に生きた<span>ラタラジュー自身の体験を、体を貸している私が代理で伝えたというだけで、</span></span><span style="color: #2b00fe;">現世の私の感情は、はさむ余地もありませんでした。</span></b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
こういう<b><span style="color: #2b00fe;">現世の私の意識がはっきりあり、片方でラタラジューの意識もはっきり分かるという二重の意識感覚</span></b>は、タエのときにはあまりはっきりとは感じなかったものでした。</span></p><p><span style="font-size: medium;">(後略)</span><br /></p><p>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<b>里沙さんの感想記事終わり</b></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p><p><span style="font-size: medium;">さて、</span><span style="font-size: x-large;"><b>①</b></span><span style="font-size: medium;">宝田さんと、</span><span style="font-size: x-large;"><b>②</b></span><span style="font-size: medium;">里沙さん両者の記事の<span style="color: #2b00fe;"><b>青字部分</b></span>の叙述をお読みになって、どのような感想を抱かれたでしょうか。</span></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p><p><span style="font-size: medium;">宝田さんは「セラピストの稲垣」対 「顕現化した前世人格」との対話、それを現世の自分の意識は<span style="color: #2b00fe;">「</span></span><b><span style="font-size: medium;"><span style="color: #2b00fe;">第三者のような客観的な思いで</span></span></b><span style="font-size: medium;"><span style="color: #2b00fe;"><b>様子を眺めていたようでした</b>」</span><span>と語っています。</span></span><span style="font-size: medium;"><br /></span></p><p><span style="font-size: medium;">また、里沙さんは同様な状況を「</span><span style="font-size: medium;"><b><span style="color: #2b00fe;">現世の私の意識がはっきりあり、片方でラタラジューの意識もはっきり分かるという二重の意識感覚</span>」</b>だと述べています。</span></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p><p><span style="font-size: medium;">こうした</span><span style="font-size: medium;">「セラピスト」対 「顕現化した前世人格」との対話、その対話を第三者の感覚で眺め、傾聴している「現世の意識」という、いわば分割された意識状態(二重の意識感覚)を、<b>「三者的構図」</b>と呼んでいます。 </span></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p><p><span style="font-size: medium;">そしてこのような意識現象は、従来の前世療法とは一線を画したSAM前世療法独自の際立つ特長だととらえています。</span></p><p> </p><p>また、宝田さんは、「<span style="font-size: medium;"><span style="color: #2b00fe;"><b>私自身の現世の意識は、悲しく思っていません。それにもかかわらず「激しい感情」に襲われていました</b>。・・・</span><span style="color: #2b00fe;"><b>涙が次々とあふれだしてきました</b>」</span><span>と</span><span style="color: #444444;">語っています。</span></span></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p><p><span style="font-size: medium;">里沙さんも、<b>「</b><span><b><span style="color: #2b00fe;">その時代に生きた</span></b><span><span style="color: #2b00fe;"><b>ラタラジュー自身の体験を</b>、<b>体を貸している私が代理で伝えたというだけで</b></span></span></span><b><span style="color: #2b00fe;"><span>、</span></span><span style="color: #2b00fe;">現世の私の感情は、はさむ余地もありませんでした</span></b><span style="color: #2b00fe;"><b>」</b>と</span><span>語っています。</span></span></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p><p><span style="font-size: medium;">こうした意識感覚は、<b>顕現化した前世人格が自律的な存在</b>であり、クライアントの現世の意識とは別個に前世人格の意識が働いている状況だと思われます。</span><br /></p><p> </p><p><span style="font-size: medium;">したがって、</span><b>「<span style="font-size: medium;"><span>私自身の意識は、悲しく思っていません。それにもかかわらず激しい感情に襲われていました(</span></span></b><span style="font-size: medium;"><span><b>宝田)」</b>といった感覚や<b>「</b></span></span><span style="font-size: medium;"><b><span>現世の私の感情は、はさむ余地もありませんでした(里沙)</span></b><span><b>」</b>という意識状態</span></span><span style="font-size: medium;"><span>が起こると考えられます。 </span></span></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p><p><span style="color: red; font-size: medium;">ここのような「激しい感情と大泣き」「</span><span style="color: red; font-size: medium;"><span><span><span>体を貸している私が代理で伝えただけ」 </span><span>「</span></span></span></span><span style="font-size: medium;"><span style="color: red;">現世の感情は、はさむ余地がない」という</span><b><span style="color: red;">意識現象を起こしている「主体」は、現世のクライアントではなく、顕現化した前世人格</span>だ</b>、という解釈が妥当だと思われます。</span></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p><p><span style="font-size: medium;">実際に前世人格が顕現化した多くのクライアントから「勝手に口が動いて話してしまう」「勝手に指が起きて応えてしまう」「勝手に涙があふれてくる」などの報告を受けてきました。</span></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p><p><span style="font-size: medium;">そして、宝田さん、里沙さんのような憑依体質のクライアントにおいては、前世人格との口頭による対話が可能であり、そうでない場合には、セラピストの質問に前世人格は人差し指を起こして返事をするという対話の形をとることになります。 </span><br /></p><p> </p><p> <span style="font-size: medium;">ところで、</span><span style="color: #2b00fe;">「</span><span style="font-size: medium;"><span><span style="color: #2b00fe;">ラタラジュー自身の体験を、体を貸している私が代理で伝えたというだけ」</span>という里沙さんの意識体験、<span style="color: #2b00fe;">「</span></span></span><span style="font-size: medium;"><span><span style="color: #2b00fe;">前世の者は、先生の腕に頭をうずめ涙ながらに、何度も何度も、助けてくれ!!助けてくれ!!と懇願して叫んでいました」</span>という言動は、前世人格の憑依現象と言うしかなく、こうした自分の魂表層に存在する<b>前世人格が、生まれ変わりである現世の者の身体を用いて自己表現する、つまり憑依している、という意味で「自己内憑依」と仮称しています。 </b> <br /></span></span></p><p><span style="font-size: medium;"><span> </span></span></p><p><span style="font-size: medium;"><span>したがって、前世人格の顕現化現象とは、「自己内憑依現象」であると言えます。</span></span></p><p> </p><p>読者のなかには、<span style="font-size: medium;"><span>「前世人格の顕現化現象」な</span></span><span style="font-size: medium;"><span>どではなく、クライアント宝田さんや里沙さんの「前世の記憶の顕現化」ではないか、と疑問視される方があるでしょう。 あるいは精神疾患の「憑依妄想」ではないか、と思われる方があるかもしれません。 <br /></span></span></p><p><span style="font-size: medium;"><span> </span></span></p><p><span style="font-size: medium;"><span>しかし、<b>記憶では説明できない、<span style="color: red;">ラタラジュー人格顕現化中の現在進行形の対話現象</span></b>があり、「前世の記憶説」は否定できます。 </span></span></p><p><span style="font-size: medium;"><span> </span></span></p><p><span style="font-size: medium;"><span>それは、ネパール人女性のカルパナさんとの対話中に、彼女にラタラジュー人格が「あなたはネパール人」ですかと尋ね、「はい、そうです」という返事に対して「おお!」と喜びの声を上げるという<b>現在進行形の対話が、「ラタラジューの事例」で確認されている</b>からです。 </span></span></p><p><span style="font-size: medium;"><span> </span></span></p><p><span style="font-size: medium;"><span>さらに言えば、ラタラジュー顕現化中の里沙さんの声音は年輩の男性に変化し、宝田さんの前世人格「神官」の顕現化中の声音も明らかに男性のものに変化していたという現象が認められるのです。</span></span></p><p><span style="font-size: medium;"><span>「前世の記憶」を語るだけならこのような声音の変化現象は起きないでしょう。</span></span></p><p><span style="font-size: medium;"><span>また、「憑依妄想」によって、トンネル恐怖症の改善が一気に起こることはないはずです。 </span></span></p><p><span style="font-size: medium;"><span> </span></span></p><p><span style="font-size: medium;"><span>そして、宝田さん、里沙さんともに、過去から現在にわたって精神疾患の既往歴は一切ありません。<br /></span></span></p><p><span style="font-size: medium;"><span> </span></span></p><p><span style="font-size: medium;"><span>なお、名古屋「さかえクリック」で、里沙さんを招いて「タエ」の顕現化実験セミナーをおこなった際に、顕現化した「タエ」が吾妻川の泥流を呑み込み溺死した場面で、被験者里沙さんは</span></span><span style="font-size: medium;"><span>、腹部に</span></span><span style="font-size: medium;"><span>胃痙攣状態の激しい身体反応を起こし、声を上げて苦悶しました。 </span></span></p><p><span style="font-size: medium;"><span> </span></span></p><p><span style="font-size: medium;"><span>この身体現象も、「タエ」の「自己内憑依」現象を裏付ける事実だと思います。 身体を持たない前世人格タエが、里沙さんの身体を借りて溺死の苦悶を再現してみせたということでしょう。<br /></span></span></p><p><span style="font-size: medium;"><span> </span></span></p><p><span style="font-size: medium;"><span>それでは、最後に、SAM前世療法の治癒構造仮説に触れて、まとめとしたいと思います。 <br /></span></span></p><p> </p><p><span style="font-size: medium;">クライアントの現世の意識は、主訴にかかわって顕現化した前世人格とセラピストの対話を第三者的な客観的な意識で傾聴します。 </span><span style="font-size: medium;">ただし、現世の意識は傾聴するのみで、セラピストと前世人格との対話に介入できません。</span></p><p> </p><p><span style="font-size: medium;">前世人格は、主訴についての苦しみや悲しみを、ときには泣き、ときには怒り、強い感情を伴いながらセラピストに訴えます。 </span></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p><p><span style="font-size: medium;">現世の意識は、前世人格の訴えに共感しながら傾聴し、現世の自分の主訴の原因を洞察(見抜く)していくと考えられます。 </span></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p><p><span style="font-size: medium;">精神分析では、</span><span style="font-size: medium;">主訴の原因を、</span><span style="font-size: medium;">理屈ではなく感情をともなって洞察できることを「ああ、そうか体験」と呼ぶようです。</span></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p><p><span style="font-size: medium;">こうして、</span><span style="font-size: medium;">現世の意識が、</span><span style="font-size: medium;">主訴の原因を感情を伴って洞察できた(ああ、そうか体験できた)ことによって主訴の改善に至る、というのが治癒構造だと</span><span style="font-size: medium;">現時点で</span><span style="font-size: medium;">考えています。</span></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p><p><span style="font-size: medium;">感情を伴って洞察できた(ああ、そうか体験できた)</span><span style="font-size: medium;">ことによる主訴の改善の具体は</span><span style="font-size: x-large;"><b>①</b></span><span style="font-size: medium;">で紹介した宝田さんのトンネル恐怖症の改善過程を読んでいただければ了解されるだろうと思います。 <br /></span></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p><p><span style="font-size: medium;">そして、さらに治癒構造を敷衍して考察すれば</span></p><p><span style="font-size: x-large;"> </span></p><p><span style="font-size: x-large;">・</span><span style="font-size: medium;">現在の人生のありようは、魂表層の諸前世の者たちの人生のありようと分かちがたく結びついており、潜在意識下でその影響を受けているという気づき。</span></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p><p></p><p><span style="font-size: x-large;"><b>・</b></span><span style="font-size: medium;">現世</span><span style="font-size: medium;">の</span><span style="font-size: medium;">自己という存在は、死後も魂の表層で他の諸前世の者たちとともに存続する、という「魂」という不滅の存在と、魂が生まれ変わりを繰り返す</span><span style="font-size: medium;">ことへの</span><span style="font-size: medium;">確信的気づき。</span></p><p><span style="font-size: x-large;"><b> </b></span></p><p><span style="font-size: x-large;"><b>・</b></span><span style="font-size: medium;">現世の</span><span style="font-size: medium;">自己という存在は、魂表層で前世・来世へと連綿としてつながっている一連の鎖の輪のひとつとして生きているという気づき。 </span><br /></p><p><span style="font-size: x-large;"> </span></p><p><span style="font-size: x-large;">・</span><span style="font-size: medium;">それらの気づきによって、</span><span style="font-size: medium;">自己の人生を再解釈し相対化できる超越的視点への気づき。</span></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p><p><span style="font-size: medium;">などの気づきを得て、セッション後においてもそれ以前の唯物論的人生観・人間観・世界観からの転換が、徐々に進んでいくのではないかと推測しています。</span></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p><p><span style="font-size: medium;">これらの気づきは、ある意味で宗教的認識に類するものでしょうが、あくまでSAM前世療法のセッション過程で、クライアント自らが獲得していくものであって、セラピストが外部から注入したり押しつけるものではないことを強調しておきたいと思います。 </span></p><p></p><p></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p><p><span style="font-size: medium;">また、治癒構造の説明というものは、どんな心理療法であれ、絶対的な実証ができるわけではなく、仮説にすぎません。</span></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p><p><span style="font-size: medium;">ですから、わたしがこれまで述べてきたことも、当然、現時点の暫定的な仮説でしかないことをお断りしておきます。</span></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p><p><span style="font-size: medium;">なお、蛇足になりますが、わたしは、既存の新興宗教組織やその教義とは、過去にも現在においても一切無縁の、一介のSAM前世療法の臨床実践者です。 </span></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p><p><span style="font-size: medium;">臨床体験で確認できたことを累積することによって、「生まれ変わりの科学的事実」を実証せんと試みる探究者です。</span></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p><p><span style="font-size: medium;">死後存続、および霊魂等の問題については、科学はこれまで、不関与・無関心という前提・立場をとり続けてきました。 </span></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p><p><span style="font-size: medium;">その種のものの有無について科学は、つまり、特殊専門科学としては論及する立場にはない、という禁欲、あるいは了解が根強くあるようです。 </span></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p><p><span style="font-size: medium;">したがって、わたしは現在アカデミズムに属することはしておりません。 <br /></span></p><p></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p>稲垣 勝巳http://www.blogger.com/profile/16232260953490209907noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7548750843777970344.post-50577872263845234872024-01-25T10:40:00.048+09:002024-02-21T19:54:37.327+09:00SAM前世療法と魂への功徳<dl class="avatar-comment-indent" id="comments-block"><dd class="comment-body" id="Blog1_cmt-3961104963382257491"><p><span style="font-size: x-large;">SAM催眠学序説 その170 </span><br /></p><p> </p><p><span style="font-size: medium;">下記に紹介する点線内は、SAM催眠塾に学び「スーパーバイザーSAM前世療法士」として活動している40代女性セラピスト宝田昌子さんの投稿記事です。</span></p><p><span style="font-size: medium;">わたしあて霊信内容の教示と、それに基づくSAM前世療法実践の成果、およびセッションを通してのセラピストである本人の変容について、意味深い記事ですので、宝田さんの了解をいただき抜粋して掲載しました。 <br /></span></p><p><span style="font-size: medium;">・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(掲載始め) <br /></span></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p><p><span style="font-size: medium;">いつもお世話になっています。<br /><br />先生への第15霊信で<br /><br /><b>「あなたの魂が、<br />そしてあなたとともに<br />あなたの魂から生まれた多くの者が存在し、<br />同じものを見つめていくのだと理解しなさい。<br />それらの者の協力を求めるのだ。<br /><span style="color: #2b00fe;">友愛、それは自身の魂によるものこそ真の友愛である。<br />あなたがたは、自らの魂の側面である者たちと友情を築くのだ</span>」</b><br /><br />と伝えられている部分から、あるクライアントの言葉を思い出していました。<br /><br />数年前のセッションでの出来事です。<br /><br />クライアントは、霊感のある方でした。<br />セッションが終わり、クライアントが不思議そうな顔をしていました。<br />クライアントは、宙を見つめて<br /><br /><b>「不思議です。癒してほしいと思っている前世が他にいっぱいいるのを感じました。<span style="color: #2b00fe;">私たちは、チームなんですね</span>」</b><br /><br />私はその言葉に、ハッとしたのです。<br /> </span></p><p><span style="font-size: medium;">当時、私の前世人格に対する位置付けは「私の中の他人」でした。 どこかで線を引き「現世の私と前世人格とは関係ない」という気持ちがあったように思います。 </span></p><p><span style="font-size: medium;">クライアントが発した「チーム」という言葉によって、私の中の何かが変わりました。<br /><br />「私は、一人ではないのか・・・」<br /> </span></p><p><span style="font-size: medium;">「私に、仲間がいたのか・・・」<br /> </span></p><p><span style="font-size: medium;">「私は、前世の者たちに必要とされているのか・・・」<br /><br />私は、どこかでいつも深い孤独感と身体の不調を抱え、何のために生きているのかわからない人生でした。 </span></p><p><span style="font-size: medium;">死にたいと思うこともしばしばでした。 </span></p><p><span style="font-size: medium;">クライアントの言葉によって、暗くのしかかった私の心に光が射したようでした。<br /><br />先生、余談ですが、<br /><br />SAM前世療法士になるようSAM催眠塾に導いてくれたのは「前世の者たち」でした。<br /><br />私といえば<br /><br />「SAM催眠塾は、前世の者たちが学べって言うから」 </span></p><p><span style="font-size: medium;"> 「自分の子どもの体調改善ために入塾しただけだから」<br /> </span></p><p><span style="font-size: medium;">「私の県は閉鎖的だから、この土地でSAM前世療法の仕事は難しい」<br /><br />と考えていました。<br /> </span></p><p><span style="font-size: medium;">頑なな私の背中を押してくれたのも、 また「前世の者たち」でした。<br /> </span></p><p><span style="font-size: medium;">SAM催眠塾に入塾し、SAM前世療法士として働くまで 、主導権は「前世の者たち」にあったように感じます。<br /><br />SAM前世療法士としてスタートした頃、私は「前世の者たちのためにやっている」という感覚が強かったのを覚えています。<br /><br /><span style="color: #2b00fe;">クライアントの「チーム」の一言に「前世の者たち」から、生きる希望を失っている私に「生きろ」と言われているような気がしました</span>。<br /><br />「生きろというのなら、前世の者たちのために生きてみようか・・・」<br /> </span></p><p><span style="font-size: medium;">「前世の者たちの願いを叶えるのもいいかもしれない。<span style="color: #2b00fe;">前世の者たちと私、みんなで私なのだから</span>・・・」<br /> </span></p><p><span style="font-size: medium;">「私は、一人じゃない!」<br /><br />それからセッションを繰り返していくうちに、私の前世人格たちに愛情を持てるようになりました。</span></p><p><span style="font-size: medium;">以前の自分より、ほんの少し強くなったように感じます。<br /><br />今思えば、SAM前世療法との出会いが、私の「人生の転機」だったのではないかと思います。<br /><br />忌み嫌っていた私の「エンパス体質」も紆余曲折あった私の「暗い人生」も、SAM前世療法士の仕事のうえで役立ってくれます。<br /><br />・右半身麻痺状態<br />・坐骨神経痛<br />・睡眠中の食いしばり<br />・頑固な便秘<br />・虚弱体質<br />・朝起きても疲れが取れない<br />・いつもつきまとっていた身体のだるい感覚<br /><br />などのさまざまな身体症状も、お陰様で緩和し、快適な生活を送っています。<br /> </span></p><p><span style="font-size: medium;">そして、SAM前世療法士の仕事をしていく中で、クライアントとともに新しい人生の勉強をしています。<br /><br />稲垣先生、SAM前世療法に出会えたことを心から感謝しています。</span></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p><p><span style="font-size: medium;">・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(掲載終わり) <br /></span></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p><p><span style="font-size: medium;">さて、ちなみに宝田<span>さんの最初のセッションの主訴は「トンネル恐怖症」でした。</span></span></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p><p><span style="font-size: medium;">数キロにわたるような長いトンネルを車で走行するのが怖くてたまらない、という恐怖症を克服したいという実生活上の困難に直結した主訴でした。 </span></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p><p><span style="font-size: medium;">この主訴には、彼女の身の安全を守ろうとする前世人格の訴えが絡んでおり、その前世人格を顕現化させ、彼とわたしとの対話によって1回のセッションで恐怖症の改善に成功しました。</span></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p><p><span style="font-size: medium;">その後、宝田さんは、体調不良の改善のために毎月1~2回はわたしのもとにSAM前世療法のセッションを受けにおいでになるようになりました。</span></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p><p><span style="font-size: medium;">そうした諸セッションをおこなうたびに、魂表層から新しく顕現化してくる前世人格たちの負っている心身の傷とその苦しみの訴えについて、彼ら前世人格とわたしとの対話を繰り返しおこなってきました。</span></p><p><span style="font-size: small;">( 注:<span style="color: #2b00fe;">霊信では魂表層の前世の者たちで傷を持たない魂はない</span>、と教示しています)</span></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p><p><span style="font-size: medium;">こうして、</span><span style="font-size: medium;">宝田さんは、</span><span style="font-size: medium;">「どこかでいつも孤独を抱え、何のために生きているのかわからない人生」、そのような「暗い人生」から、「私は、一人じゃない!」、さらには「生きろというのなら、前世の者たちのために生きてみようか・・・」というような前向きな気持ちに</span><span style="font-size: medium;">、</span><span style="font-size: medium;">徐々に変容されていったのだろうと思われます。</span></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p><p><span style="font-size: medium;">紹介してきた彼女および、彼女のクライアントの変容こそが 、わたしあて第15霊が告げてきた<b> </b></span></p><p><span style="font-size: medium;"><b> </b></span></p><p><span style="font-size: medium;"><b>「<span style="color: #2b00fe;">あなたの魂が、<br />そしてあなたとともに<br />あなたの魂から生まれた多くの者が存在し、<br />同じものを見つめていくのだと理解しなさい。<br />それらの者の協力を求めるのだ。</span><br /><span style="color: #2b00fe;">友愛、それは自身の魂によるものこそ真の友愛である。<br />あなたがたは、自らの魂の側面である者たちと友情を築くのだ</span>」 </b> </span></p><p><span style="font-size: medium;">という教示(霊的真理)のまさしく具現化だと評価するのは、SAM前世療法開発者であるわたしの我田引水に過ぎる過大評価でしょうか。</span></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p><p><span style="font-size: medium;">わたしが開発、実践が始まってからわずか20年に満たない「SAM前世療法」は、クライアントとセラピストと双方の「魂の自己実現をめざす前世療法」となりうる可能性を、まだまだ秘めているはずだ、と自負しています。</span></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p><p><span style="font-size: medium;">そして、魂の表層(側面)に存在している、前世人格の顕現化を可能にするSAM前世療法は、セラピストとクライアント双方の魂へのいやしの前世療法でもあり、それは魂表層で傷を負って苦しみを訴えている、双方の前世の者たちの魂への功徳につながっている前世療法でもある、と考えるようになっています。 </span></p><p><span style="font-size: medium;"></span></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p><p><span style="font-size: medium;">このことは、本ブログで、これまで紹介してきた諸セッションの記録をご覧いただければ、エビデンスに基づく確かな事実であることがご理解いただけると思います。 <b><br /></b></span></p><p></p><p><span style="font-size: medium;"><b> </b></span></p><p><span style="font-size: medium;"><b> </b></span></p><p><span style="font-size: medium;"><b>【追記】</b></span><b><span style="font-size: small;">SAM前世療法士をめざす読者の方のために </span><span style="font-size: small;"><br /></span></b></p><p></p><p><span style="font-size: small;"><b><span> </span></b></span></p><p><span style="font-size: medium;"><span>登録商標「SAM前世療法士」の資格取得は、初級の資格でも「稲垣勝巳メンタルヘルス研究室」に、毎月の第2土曜・第4</span></span><span style="font-size: medium;"><span>土曜日のいずれかで</span></span><span style="font-size: medium;"><span>受講し、午後4時間のわたしの講習を8回、計32時間(8ヶ月間)受講する必要があります。 </span></span></p><p><span style="font-size: medium;"><span> </span></span></p><p><span style="font-size: medium;"><span> </span></span><span style="font-size: medium;"><span>「稲垣勝巳メンタルヘルス研究室」がおこなう1グループ4名限定の催眠塾講習</span></span><span style="font-size: medium;"><span>以外で、資格を取得することは一切できません。 </span></span></p><p><span style="font-size: medium;"><span> </span></span></p><p><span style="font-size: medium;"><span>10名を超えるような多人数を</span></span><span style="font-size: medium;"><span>、1週間前後の</span></span><span style="font-size: medium;"><span>、連続短期間で、正しい催眠学理論とそれに基づく確実な技法を身につけさせることは、わたしの催眠学習体験から、とうてい無理であることが明白であるからです。</span></span></p><p><span style="font-size: medium;"><span> </span></span></p><p></p><p><span style="font-size: medium;"><span> 資格は5段階設けてあります。宝田さんの「スーパーバイザーSAM前世療法士」は最上級であり、32時間×5サイクル、計160時間(40回)の通塾者ということで、毎月1回、3年と4ヶ月の間通塾をされたということになります。</span></span></p><p><span style="font-size: medium;"><span> </span></span></p><p></p><p><span style="font-size: medium;"><span><span>現在時点の</span></span></span><span style="font-size: medium;"><span>「スーパーバイザーSAM前世療法士」有資格者は6名</span></span><span style="font-size: medium;"><span><span> です。 </span></span></span></p><p><span style="font-size: medium;"><span><span>各段階の資格者には、それぞれの</span></span></span><span style="font-size: medium;"><span><span>認証番号 、</span></span></span><span style="font-size: medium;"><span><span>資格名、受講時間数、氏名、資格取得年月日 </span><span>を明記のうえ、割り印を押印したA4用紙大の「講習修了証書」を授与しています。 </span> </span></span></p><p><span style="font-size: medium;"><span> </span></span></p><p></p><p><span style="font-size: medium;"><span>わたし以外の者が、SAM前世療法の名称を用いて講習すること、および「SAM前世療法士」の資格を授与することは、商標権の侵害として一切禁止してあります。 </span></span></p><p></p><p><span style="font-size: medium;"><span>これに違反した者は、</span></span><span style="font-size: medium;"><span>SAM前世療法士</span></span><span style="font-size: medium;"><span>資格の取り消し処分としています。 </span></span></p><p><span style="font-size: medium;"><span> </span></span></p><p><span style="font-size: medium;"><span>厳しい規制を設けてある理由は、SAM前世療法の諸理論(仮説)と、それに基づく魂遡行への特殊な催眠技法の正統性を堅持するためです。</span></span></p><p></p><p><span style="font-size: medium;"><span> </span></span></p><p><span style="font-size: medium;"><span>無資格者が「SAM前世療法」の商標を用いてセッションをおこなうことは、商標権の侵害として1000万円以下の罰金刑が科せられます。</span></span><span style="font-size: medium;"><span> <br /></span></span></p><p><span style="font-size: medium;"><span> </span></span> <br /></p><p></p><p><span style="font-size: medium;"><span>将来開業する志のある入塾生のために、資格者どうしの無用な競争を避けるよう、人口10万人につき1名をめどに限定養成するようにしています。 </span></span></p><p></p><p><span style="font-size: medium;"><span>「前世の記憶」を扱う一般の前世療法との差別化を明確にし、「前世人格の顕現化と対話」を扱うSAM前世療士の資質の低下を防ぐためです。</span></span></p><p><span style="font-size: medium;"><span> </span></span></p><p><span style="font-size: medium;"><span> 詳しくはHP</span></span><span style="font-size: medium;"><span>「稲垣勝巳メンタルヘルス研究室」にアクセスしてください。 </span></span></p><p><span style="font-size: medium;"><span> </span></span></p><p><span style="font-size: medium;"><span> <br /></span></span></p><p></p><p><span style="font-size: medium;"><br /></span></p><p></p></dd></dl><div class="column-right-outer"><div class="column-right-inner"><aside><table border="0" cellpadding="0" cellspacing="0" class="section-columns columns-2"><tbody><tr><td class="first columns-cell"></td><td class="columns-cell"></td></tr></tbody></table></aside></div></div>稲垣 勝巳http://www.blogger.com/profile/16232260953490209907noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7548750843777970344.post-81417844898242388522023-12-25T07:45:00.018+09:002024-01-04T17:40:47.437+09:00脳・魂・意識・霊体の相互関係<p><b><span><span style="font-size: x-large;">SAM催眠学序説 その169 </span></span> <span style="font-size: medium;"> <br /></span></b></p><p><br /></p><p></p><p><span style="font-size: medium;">「心・脳二元論」とは、心(意識)と脳とは別物で、脳が心を生み出してはいない、ということでした。
<br />
この「心・脳二元論」の最大の弱点は、それでは意識はどこで生まれ、どこに存在しているのかが説明できないことです。
<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
この説明は、心(意識)のような目にみえない対象を探究するには、実験・観察を手段とする現行 の科学的手法ではなんともならないものです。
<br />
そこで、探究を進めるために、わたしあて霊信が教示した魂・意識・霊体などの知識を「作業仮説」として手がかりにするほかないというのがわたしのとった探究の立場です。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
作業仮説とは、その仮説の科学的実証はいまだできないけれども、探究を進める作業ために設ける暫定的な仮説です。<br />
フロイトにおける「イド」とか「超自我」などの無意識論、ユングの「老賢人」、「太母」などの元型論は、意識の研究を進めるための作業仮説です。
<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
そして、わたしはSAM前世療法の最終過程である「魂遡行催眠」という技法を成立させるために、意識は脳にあるのではなく霊体にある、という守護霊団の告げた「霊体仮説」を採用しています。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
通信霊は、「あなたがこれまで探究してきた道のなかで、<b>あなたが処理できないでいるもの、そして人の理解を超えているものについて、私たちでなければ答えられないものについて、まとめなさい。</b>M子(<span style="color: #2b00fe;"><b>注</b>:霊信の受信者</span>)を通し、あなたは私たちに尋ねなさい」とわたしに教示すると告げてきたのです。<br />
<br /> ここで、わたしが探究の手がかりにした、霊信(<span style="color: #2b00fe;"><b>注</b>:SAM催眠学序説その47~72で公開)</span>が、告げている魂の仕組みと霊体の関係について、要点を抜き出してみます。<br />
「霊体仮説」をはじめ、「心・脳の二元論仮説」「魂の二層構造仮説」の原点は、これら諸霊信の真偽の検証にあるからです。 <br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
わたしあての<b>第11霊信</b>は次のように告げてきました。<br />
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br /></span>
<span style="font-size: medium;">
あなたが長年探究してきたものは、これまでの視点からでは成長は望めない。<br />
なぜなら、もうすでにその観点での最終地まで達しているものが存在しているからである。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>あなたが探究するべきものは、これまでよりさらに深奥にあるものである。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>魂の療法のみにあらず、あらゆる霊的存在に対する奉仕となるものである</b>。<br />
それは、命あるものすべてにつながり、私たち(<span style="color: #2b00fe;"><b>注</b>:稲垣の守護霊団)</span>へも強いつながりを持つ。 <br />
そのために、あなたは<b>自らの内にある疑問をまとめておく必要がある</b>。<br />
あなたがこれまで探究してきた道のなかで、<b>あなたが処理できないでいるもの、そして人の理解を超えているものについて、私たちでなければ答えられないものについて、まとめなさい。</b><br />
M子(<span style="color: #2b00fe;"><b>注</b>:自動書記による霊信の受信者</span>)を通し、あなたは私たちに尋ねなさい。(中略) <br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>そして、前世療法についてだが、あなたは自らの霊性により独自性を持つようになる。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>あなたは、今度その療法</b>(<span style="color: #2b00fe;"><b>注</b>:SAM前世療法の創始を予言している</span>)<b>に関わるが</b>、それだけに限定するのではなく、<b>別のものも同時進行する</b>(<span style="color: #2b00fe;"><b>注</b>:ヒーリング能力と浄霊能力の覚醒を予言している</span>)のだと理解しなさい。(中略) <br />
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
こうして、わたしの通信霊への16の質問をM子さんに送信したところ、その回答として、<b>第12霊信</b>で次のように告げています。 <br />
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br /></span>
<span style="font-size: medium;">
前世療法で顕現化されるのは魂ではなく、魂の側面である。<br />
傷を持つのは魂の側面であり、魂自体が傷を持つのではない。<br />
その<b>表層部分が傷を持つ</b>のである。<br />
その<b><span style="color: red;">表層部分は、これまで転生してきた者たちにより構成されている</span>。 </b><br /></span>
<span style="font-size: medium;">
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
また、わたしの通信霊への疑問の回答として、<b>第13霊信</b>で次のように告げています。 <br />
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b><span style="color: red;">顕在意識・潜在意識は、脳が生み出しているものではない。</span></b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><span style="color: red;"><b>すべては、魂の側面(</b><b>注</b>:第12霊信で「側面」を「表層」とも表現している<b>)である者たち</b>(<b><span>注</span></b>:<span>これまでに転生してきた前世の者たち</span>)<b>が作り出しているものである。</b></span><br />
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
さらに<b>第14霊信</b>では、わたしの通信霊への疑問の回答として次のように告げています。 <br />
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br /></span>
<span style="font-size: medium;">
霊体はあなたがたという魂の側面に属するものであり、心も同様である。<br />
その違いは、霊体は魂にその存在をゆだねているが、心はゆだねていないものである。<br />
心は、心という存在なのだ。<br />
だが、魂に属するものである。<br />
魂にとって、心は道具なのだと考えなさい。 <br />
霊体とは魂ではない。<br />
それは、あるときは、<b>オーラ と呼ばれもする</b>。<br />
そのものを体を包むものである。<br />
私(<b><span style="color: #2b00fe;">注</span></b>:<span style="color: #2b00fe;">エドガー・ケイシーを指す。第7霊信で通信霊の一員として「私はエドガー・ケイシーである」と名乗っている</span>)が過去にリーディングした中で、アストラル体という表現を用いて説明したものである。 <br />
それは魂ではなく、それに属するものであり、<b>肉体を保護する役割を担うものでもある。</b> <br />
霊体自体は、単体で動くことはできない。<br />
それは魂とともに存在するものである。<br />
魂を取り囲み、それは<b>あなたという存在を構成するための一材料となる。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>死後、霊体は魂から離れる。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>だが、それらの意識は魂に取り込まれる。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>そして、魂のものとなるのだ。</b><br /></span>
<span style="color: red; font-size: medium;"><b>霊体は、ある意味においてはあなたがたが「あなたという人間であるため」の意識を独立して持つための役割を担うものでもある。</b><br />
<b>心が個人的意識をつくるのではない。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><span style="color: red;"><b>霊体が持つのだ</b></span>。(後略)<br />
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
また、<b>第15霊信</b>では次のように告げています。<br />
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br /></span>
<span style="font-size: medium;">
生と死の過程は日々おこなわれるものである。<br />
今日という日がはじまり、あなたがたはその先へと進んでいく。<br />
その先に、あなたの魂が、そしてあなたとともににあなたの魂から生まれた多くの者が存在し、同じものを見つめていくのだと理解しなさい。<br />
それらの者の協力を求めるのだ。<br /></span>
<span style="color: red; font-size: medium;"><b>友愛、それは自身の魂によるものこそ真の友愛である。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><span style="color: red;"><b>あなたがたは、自らの魂の側面である者たちと友情を築くのだ</b></span>。<br />
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
そして、<b>第10・17霊信</b>では次のように告げています。<br />
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br /></span>
<span style="font-size: medium;">
魂という存在を理解しなさい。<br /></span>
<span style="color: red; font-size: medium;"><b>あなたも、一つの魂をもとに形成された側面なのだ。 </b><br /></span>
<span style="color: red; font-size: medium;">
<b>あなたという存在も、側面の者であり、すべての側面の者は友であると理解しなさい。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><span style="color: red;"><b>魂は、すべての側面の者がつながりを持ち、友愛を築き、与え合うことを望んでいる</b>のだ。 </span><br />
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
抜き書きしたわたしあて霊信告げている「魂の仕組み」と「意識」と「霊体」の関係を要約すれば次のようになります。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
①脳は意識を生み出してはいない。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
②魂の表層(側面)を構成している前世の者たちが意識を生み出している。 <br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
③魂表層の前世の者たちが生み出している意識は霊体に宿っている。 <br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
④「現世のわたし」も、魂表層を構成している一つである。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
⑤霊体は、現世のわたしが、わたしという意識を持つための役割を担っている。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
⑥霊体はオーラとも呼ばれ、肉体を保護する役割を担っている。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
⑦死後霊体は魂から分離し、霊体に宿っていた意識は魂に取り込まれる。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
⑧魂表層を構成してる前世人格たちはつながりを持ち、友愛を築き、それぞれの過去の人生の知恵を与え合う関係にある。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
以上8点が、SAM前世療法の採用した作業仮説の骨格となっています。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
そして、意識は霊体(オーラ)に宿っている、とした場合に次のような現象の説明が成功するのではないかと思っています。
<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
①SAM前世療法の特殊技法である「魂遡行催眠」は、霊体に宿っている潜在意識を指に担わせ、指の繰り返しの動作によって魂状態まで遡行させるという技法が成功している(指に限らず首・手首など肉体の任意の部分に担わせることが可能)。 意識・潜在意識が脳に存在しているとしたら、このような技法が成功するとは考えにくいのではないか。
<br />
何よりも、この技法により、被験者里沙さんを「魂状態の意識」にまで遡行させ、魂表層を構成している前世人格のタエと前世人格であるラタラジューの顕現化に成功している。 そして、ラタラジュー人格は、ネパール語で会話し応答型真性異言を示したが、同様の手続きを踏めば被験者の90%以上の確率で前世人格の顕現化に成功している。 こうした前世人格の顕現化する意識現象の事実は、霊体仮説を支持している。
<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
②心臓移植をした場合、移植を受けた人にドナーの意識(記憶・癖・好みなど)が現れるという現象は、移植する心臓を取り囲んでいる霊体も同時に移植されることであり、移植先の人の霊体にドナーの霊体が混入すると解すれば、ドナーの意識や記憶の一部が移植を受けた人に現れることは説明可能ではないか。
<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
③体外離脱した人が、離脱中に見聞した記憶を報告することが説明できるのではないか。 つまり、魂とともに霊体も離脱するので、魂が見聞し記憶している意識を霊体が持つからだと説明できるのではないか。<br />
臨死体験研究者キュブラー・ロスの報告によれば、全盲の人が対外離脱中に部屋にいる人の服の色・形を正しく報告した。 ということは、魂は、肉体の全盲という障害とは関係なく五感を感知する能力を持っていることになるのではないか。
<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
④統合失調症の典型的症状に幻聴(自分ではない者の声が聞こえるという訴え)は、患者の霊体に宿る意識に未浄化霊が侵入した(憑依した)と考えれば、侵入した未浄化霊の意識が幻聴を起こしていると解することができるのではないか。<br />
実際に浄霊作業によって統合失調症を治療した記録(米精神科医ウィックランド『迷える霊との対話』)がある。 また、わたしも未浄化霊の浄霊作業によって統合失調症の19歳男子大学生の症状改善に成功している。
<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
⑤幻肢という意識現象がある。<br />
手足を切断しているにもかかわらず、無いはずの手足の痛みなどを有るごとく感じる現象である。<br />
これは手足を取り囲んでいた霊体が何かの理由で切断後もそのまま残存して、切断時の痛みの意識を訴えているという説明が可能ではないか。
<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
⑥SAM前世療法のセッション中に顕現化する未浄化霊に、何を目安に憑依するのかを尋ねると、被憑依者のオーラに宿る意識を感知して憑依すると答える。 つまり、被憑依者が、未浄化霊に対して共感や受容する意識を持っているかを、そうした意識が宿るオーラによって感知するということらしい。 そして、オーラ(霊体)に憑依すると答える。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
これらの諸現象の科学的実証はできませんが、「意識は霊体に宿っている」、という仮説を採用すれば、「意識現象の事実」として現れている未解明な事実を説明することに成功するのではないかと思います。<br />
それにしても、これまで誰も唱えた者がない奇抜な仮説ではあります。
<br />
しかし、SAM前世療法の実践によって検証・確認されてきた「意識現象の事実」は、霊体仮説および、その他の仮説の成立をすべて支持しています。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
このことは、わたしあて霊信の教示した内容が、受信者M子さんの妄想による作文ではないことを証明していると結論できます。 <br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
そしてまた、前述第11霊信で、「<b>前世療法についてだが、あなたは自らの霊性により独自性を持つようになる。あなたは、今度その療法に関わる</b>」と予言した前世療法こそ、この予言の1年後2008年に創始した「SAM前世療法」であり、その成果として、「タエの事例」および、応答型真性異言「ラタラジューの事例」があらわれたのです。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
紹介した霊信現象をはじめ、アンビリバボーでTV放映された「タエの事例」、応答型真性異言「ラタラジューの事例」などは、現行唯物論とは真っ向から対立しています。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
しかし、2005年以前は唯物論側に与していたわたしは、いかに唯物論と対立しようとも、自ら体験してきたこうした催眠下で起こる</span><span style="font-size: medium;">不思議な</span><span style="font-size: medium;">諸現象の検証結果を前に、それらを事実だと認めることに躊躇しなくなっています。 <br />
これまで唯物論側からの様々な反論を受けてきましたが、これら「意識現象の事実」を唯物論ではいまだに具体論として論破することができないでいるからです。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
もし、わたし以外にこのような仮説を述べているという医師・療法家や霊能者を知っている読者がおいでになれば、その出所を教えてくださるとうれしく思います。<br /></span>
<span style="font-size: medium;">わたしの知るかぎりでは、米国の催眠療法家L・M ・ルクロンが、潜在意識から情報を探る技法として、催眠下の観念運動による「指による方法」(『</span><span style="font-size: medium;">催眠のすべて</span><span style="font-size: medium;">』講談社現代新書、P.62)という技法を紹介しています。<br />
ただし、ルクロンはこの技法の理論的裏付けについては何も語っていません。<br />
質問の回答を、潜在意識による観念運動として指が立ち上がって答える、という考え方をしているようです。</span></p><p></p><p><span style="font-size: medium;">終わりに、読者のみなさんに英国の哲学者フランシス・ベーコンの残している次の二つの箴言を紹介して、2023年の締めくくりとします。<br /></span></p><p><span style="font-size: medium;"><b>「反駁や論駁を目的としたり、逆に、頭から信じて無批判に受け入れる態度、あるいは話のタネになるものを探そうといった態度で読むのではなく、その内容をよく吟味し、思考の糧とするために読むべきである」 </b></span></p><p><span style="font-size: medium;"><b>「知は力である」</b></span></p><p> </p><p></p><p><span style="font-size: medium;">今年2024年が、読者のみなさんにとって、実り多き、充実した年になりますように。</span></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p>稲垣 勝巳http://www.blogger.com/profile/16232260953490209907noreply@blogger.com4tag:blogger.com,1999:blog-7548750843777970344.post-63096690185711056852023-11-26T17:06:00.000+09:002023-11-26T17:06:02.306+09:00強烈な思念の集合体は霊的存在となるのか<p><span style="font-size: x-large;">SAM催眠学序説 その168 </span><br /></p><p> </p><p><span style="font-size: medium;">SAM催眠学では、SAM前世療法セッションであらわれる意識現象の事実として、霊的存在を認める立場をとっています。</span></p><p><span style="font-size: medium;">霊的存在とは、「守護霊」をはじめ「未浄化霊」や「生き霊」と呼ばれている肉体を持たない諸意識体の総体を指しています。</span>
<span style="font-size: medium;"><br /> </span></p><p><span style="font-size: medium;">そもそも、わたしあて諸霊信の告げてきた内容がSAM催眠学の諸仮説の基盤ですから、霊信を送信してきた「守護霊団」という高級霊と呼ばれる意識体を認めることは当然の大前提となっています。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
SAM催眠学では、「霊とは肉体を持たない意識体」、「魂とは肉体という器に宿った霊を呼び変えたもの」という「霊」と「魂」の概念の明確な区別をしています。<br />
したがって、「霊」も「魂」も、本質はまったく同じ意識体です。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
したがって、魂は、宿っている肉体の死後、肉体から離れて霊にもどるわけで、香典袋の表書きに「ご霊前」と表記することは理に適っています。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
さて、わたし宛て第12霊信(SAM催眠学序説その59で公開) で、わたしの守護霊団の一員を名乗る通信霊は「未浄化霊」について次のように告げています。(注:「未成仏霊」と「未浄化霊」は同義語)<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br />
この世に残る「未成仏霊」のような存在は、<b>残留思念の集合体</b>である。 <br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
だが、それらは意志を持つようにとらえられる。 <br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
よって、魂と判断されがちだがそれらは魂とは異なるものである。 <br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
それらの持つ意志は意志ではない。 <br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
なぜ、それらが意志を持つものだととらえられるのか、そして、魂が別の道をたどりながらそのような意志を残すのか。 <br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
それを残すのは、その魂ではない。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
それらを管理するのは神である。 <br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
それらは計画の一部である。 <br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
転生し旅を続けるものに対する課題として必要なものである。 <br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
その詳細への説明は与えるものではない。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
あなた方は、なぜそのような仕組みになっているのか答えを待つのではなく、自らが探究して得るべきなのだ。 <br />
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
「未浄化霊」とは、いわゆる「守護霊」などの霊ではなく、「残留思念の集合体」である、というとらえ方は初耳でしたし、このことについてはしばらくの間、判断留保としてきました。<br />
なぜなら、SAM前世療法のセッションで顕現化する未浄化霊は、1個の人格を持つ霊的存在として対話が可能だからです。<br />
したがって、「残留思念の集合体」というとらえ方は不自然だと思われたからです。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
その一つの例として、SAM前世療法の「魂遡行催眠」の遂行中に顕現化した未浄化霊との対話事例を提示してみます。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">
クライアントは40代の女性であり、「魂遡行催眠」の過程で、憑依していたとおぼしき未浄化霊らしき意識体が顕現化し、唐突に「セノーテ、セノーテ」</span>と訴えはじめました。<br />
<br />
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ <br />
<span style="font-size: medium;"><b>私</b>: セノーテってなんですか? <br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>霊</b>: 泉、泉。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>私</b>: セノーテとはどこの言葉ですか。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>霊</b>: マヤ、マヤ。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>私</b>: あなたはマヤの時代の人なんですね。それで、あなたは迷っている霊ですね。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>霊</b>: うん。そう、そう。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>私</b>: マヤは日本から遠く離れています。あなたは、苦しくて、それを分かってほしいから、この者に憑依したのですか? そのために、マヤから日本までやってきたのですか?<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>霊</b>: ちがう。この人が来た。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>私</b>: この者が、あなたのいたマヤのセノーテにやってきた。それであなたが憑依して、そのまま日本について来てしまった、そういうことですか。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>霊</b>: うん。そう、そう。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>私</b>: あなたは何歳で命を落としたの? 命を落とした場所がセノーテなの?<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>霊</b>: 3歳の女の子。セノーテへお母さんが投げ込んだので死んでしまったの。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>私</b>: お母さんがあなたを殺したわけですね。なぜそんな惨いことをお母さんがしたの?<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>霊</b>: 神様への生け贄だって。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
注: ここでまたクライアントは激しくイヤイヤをしながら、大声で泣き出しました。それがすすり泣きに変わるまで待って、対話を続けました。 <br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>私</b>:
そうやって生け贄にされて殺されたから迷っているのですね。でもね、この者にくっついていても、あなたはいくべき世界にいつまでたってもいけませんよ。あなたのいくべきところは光の世界です。そこへいけば、お母さんと会えますよ。あなたを守っておいでになる神様とも会えますよ。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>霊</b>: いやだ。光の世界はいやだ。お母さんは大嫌い、私をセノーテに投げ込んだ。会いたくなんかない。神様はもっと嫌い。私を生け贄にした。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>私</b>:
お母さんがね、喜んであなたを生け贄にするはずがないでしょう。ほんとうは悲しくてたまらなかったのに、マヤの掟で泣く泣くあなたを生け贄にしたのですよ。そうして、幼子のあなたを生け贄に求めたというマヤの神様はまやかしです。そんなことを求める神様なんているはずがありません。悲しいことですが、マ
ヤの時代の迷信です。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>霊</b>: でも、お母さんは、神様の求めで私をセノーテに投げこんだ。お母さんには絶対会いたくない。いやだ、いやだ。お母さんのいるところへなんか行きたくない。この人のところがいい。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>私</b>:
じゃあね。私の言っていることがほんとうかどうか、ためしてみませんか。きっと、あなたが来るのを待っているお母さんが心配をして、お迎えに来てくれるはずですよ。お母さんがやさしく迎えに来ないことが分かったら、光の世界に行かなくていいのです。ためしてみましょうか。いいですね。浄霊っていう儀式
をしましょう。きっとお母さんがお迎えにきてくれますよ。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>霊</b>: でも、いやだ。お母さんは嫌い。私を殺した。光の世界には行きたくない。<br />
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
このような対話を繰り返し、マヤの女の子が、浄霊に応じることを納得してくれるまで待ちました。<br />
30分近く説得し、浄霊してよいという了解を得たので、浄霊をはじめました。<br />
浄霊の儀式が終わったところで、お母さんが迎えに来ていますか、と尋ねると、うん、とうれしそうな返事が返ってきました。こうして、浄霊作業は終了しました。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
ちなみに、このクライアントが、いったいどこで、この子どもの未浄化霊に憑依されたのかセッション後に確認したところ、3ヶ月ほど前の旅行でマヤ遺跡のチツェンイツァのセノーテを訪問していたことが確認できました。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
ここのセノーテでは、実際に生け贄を投げ込んで神への供物とすることがおこなわれていたという歴史的事実があります。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
このクライアントは、旅行先のここで憑依されたものと推測できます。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
さて、ここでわたしと対話した未浄化霊である3歳の女の子は「残留思念の集合体」なのでしょうか。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
だとすれば、「残留思念の集合体」は、あたかも一個の人格として振る舞っているとしか思えません。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"></span><span style="font-size: medium;"><br />
通信霊の告げている、「未成仏霊は残留思念の集合体である」という霊信を採用すると、インナーチャイルド、多重人格にあらわれる副人格、生き霊といった
現象も、強烈な思念の集合体であり、それらは意志を持つ人格のように振る舞うという仮説が成り立つのではないか、という推測ができると思われます。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
なぜなら、SAM前世療法のセッション中に、未浄化霊を名乗る霊的存在が顕現化する意識現象があらわれることがまれではなく、「残留思念の集合体」であるにもかかわらず、あたかも意志を持った一個の人格として振る舞うからです。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
こうして、「憎悪・悲哀・嫉妬などの強烈な思念」、つまり「強烈な負の意識」が凝縮された集合体になると、それが一個の人格的属性もつ存在になる、という仮説が成り立つと思われるのです。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
つまり、「インナーチャイルド」・「多重人格」・「生き霊」と呼ばれる存在は、強い思念が凝縮して、一個の人格的存在として振る舞っているわけですから、死者の残した強い「残留思念」も、一個の人格的存在として振る舞っても不思議ではないということです。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
そして、顕現化した未浄化霊が、本当に「残留思念の集合体」であるのかどうか、は当の未浄化霊に尋ねてみるしかない、というのがわたしのとった確認方法です。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
その結果、尋ねた十数事例のすべての未浄化霊が、自分はいわゆる霊ではなく「残留思念の集合体である」と答えています。<br />
それでは、本体である霊はどこに存在しているかを尋ねると、「残留思念の集合体」が浄化されて霊界に上がってくるのを霊界で待機しているとの回答でした。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
本体の霊と分離したまま未浄化霊として地上に残ってしまった「残留思念」が浄化され、霊界で待機している本体の霊と統合され、霊として十全な状態になることが求められているようです。<br />
どうやら、そのような十全な霊となるように統合がなされるまでは、次の生まれ変わり(転生)が許可されないのではないかと推測されます。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
そうした消息を霊信では次のように告げていると思われます。<br />
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ <br />
なぜ、それら(注:残留思念の集合体)が意志を持つものだととらえられるのか、そして、魂が別の道をたどりながらそのような意志を残すのか。・・・(中略) <br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
転生し旅を続けるものに対する課題として必要なものである。(第12霊信)<br />
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br /></span></p><p><span style="font-size: medium;">残留思念の集合体が人格的属性をもつ存在だととらえられる理由は、これまで紹介してきた未浄化霊、インナーチャイルド、生き霊などの顕現化事例からすでに明らかだと言ってよいでしょう。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
「魂(霊)が別の道をたどる」ということは、残留思念を地上に残し、十全ではない霊(魂)は転生が足止めされ、そうした転生を許可されない霊</span><span style="font-size: medium;">(魂)</span><span style="font-size: medium;">たちの待機する居場所が、霊界と呼ばれる次元のどこかに用意されていることを意味しているのかもしれません。 <br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
また、残留思念を地上に残したばかりに、願っても転生が許可されず、霊として成長進化する機会を奪われていることへの後悔や悲しみなどの苦悩や反省が、「転生し旅を続けるものに対する課題」ということかもしれません。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><span><span>こうして、われわれが「未浄化霊」と呼んできた霊的存在は、「霊」そのものではなく「残留思念の集合体」であると判断してよいように思われます。</span></span></span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><span><span>以後は、「残留思念の集合体」であるという前提で、それを従来どおり 「未浄化霊」と呼んで記述していきます。</span></span></span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
しかし、わたしは残念なことに、未浄化霊の生前の身元の検証を試みて成功したことがありません。<br />
未浄化霊の語った生前の身元の検証をあと一歩まで肉薄した事例は2例ほどあります。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
こうして、未浄化霊の存在の真偽は判断留保という前提において、未浄化霊とおぼしき存在に憑依されている複数のクライアントの「意識現象の事実」を累積した結果としての見解をこれまで述べてきました。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
そして、クライアントに憑依している未浄化霊の語りが、客観的事実であるのか虚構であるのかは、検証して確認するほかありません。 <br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
ただし、検証の結果、生前の身元が客観的事実であると確認できたとしても、厳密な研究者からは、クライアントが超ESPによって未浄化霊の身元の情報を入手して語ったのだ、という解釈が提出されるかもしれません。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
未浄化霊と対話したわたしの実感としては、例示したマヤの女の子のような霊的存在の生前の身元が確認できないからといって、その存在を妄想だと否定できないと思われます。 <br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
もちろん、クライアントの妄想の産物であるとか、要求特性による役割演技とかの唯脳論(唯物論)による説明は可能でしょうが、なぜそのような妄想を語ったり役割演技をクライアントがする必要があるのか、必然性も利得もないからです。 <br />
ちなみに、統合失調症などの精神疾患は、このクライアントには認められませんでした。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
さて、さらに、未浄化霊に憑依されていたとおぼしき諸クライアントの語った「意識現象の事実」を、それを語った未浄化霊の存在は判断留保という前提において、未浄化霊との対話で確認してきたことを取り上げてみたいと思います。 <br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
未浄化霊は、何を求めて憑依するのか、どういう人を選んで憑依するのか、どこに憑依するのか、という問題です。<br />
また、未浄化霊に憑依されやすい人は、どのようにしてそれを防ぐことができるのか、という問題です。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
未浄化霊の求めていることは、に苦しんでさまよっている霊への理解と共感だということです。<br />
要するに、さまよっている霊の心情を分かってくれそうな人を選ぶといいます。 <br />
つまり、未浄化霊に対して、意識的にも、無意識的にも、受容的態度を持つ人を選ぶということです。<br />
憑依が確認できたクライアントの多くは、霊的感性の豊かな人であり、そうした霊への受容的態度を持っていると言えるようです。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
それでは未浄化霊は何をもって、その人が霊への受容的態度を持っていることを知るのでしょうか。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
未浄化霊の語るところによれば 、その選択の指標はオーラだと言います。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
SAM催眠学では、霊体(オーラ)に意識・潜在意識が宿っている、という「霊体仮説」を設けています。<br />
霊体はオーラとも呼ばれます。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
したがって、未浄化霊に、被憑依者の霊体に宿っている意識内容を察知する能力があるとすれば、霊への受容的態度があるのかないのかが判断できるということになり、実際にそのようにして受容してくれそうな人に憑依すると言います。 <br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
逆に言えば、未浄化霊に対して強い拒否的意志を固めていれば、その拒否の意識は霊体に宿っているわけであり、それを察知した未浄化霊は、憑依したところで理解も共感も得られないので憑依をあきらめることになるようです。<br />
または、霊的存在をまったく認めていない人に対しても憑依は無駄であり、あきらめることになります。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
したがって、憑依されやすい人が憑依を防ぐには、ふだんから未浄化霊への強い拒否的意志(思念)を固めておくことが、もっとも有効な手段であると言えるでしょう。 <br />
ちなみに、どこで憑依をしたかをいくつかの未浄化霊に尋ねたところ、最も多かった回答は病院でした。<br />
次に多かったのは、複数の自殺者の出ている場所や交通事故死の多い場所でした。 <br /></span>
<span style="font-size: medium;"></span><span style="font-size: medium;"><br />
こうして霊体への憑依によって、被憑依者の霊体に宿っている本来の意識に、憑依した未浄化霊の意識(残留思念)が併存、ないし混入することになる、という理解が「霊体仮説」から導き出されます。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
したがって、憑依によって、未浄化霊の残留思念(悲しみ、怒り、憎しみなどマイナスの思念)の影響を多かれ少なかれ受けざるを得ない被憑依者の意識は、鬱状態や悲哀感、怒りなどの意識に彩られることになります。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
強力な未浄化霊の憑依によっては、その強力な残留思念に支配され、一時的に本来の人格が変わってしまうような意識現象があらわれる事例を体験しています。<br /> </span><span style="font-size: medium;"><br />
わたしの体験した事例においては、統合失調症の病態がある青年で、精神科に入院するために病院に入ると同時に寛解状態に戻り、入院の必要なしと診断されて病院から出ると同時に異常行動に戻ることを繰り返すという不可解な病態を示しました。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
私見を述べれば、この事例は、被憑依者の病院内での治療を嫌う未浄化霊が、憑依したり、離れたりする現象だという解釈をすれば理解できないわけではありません。</span><span style="font-size: medium;"><br /><br /></span>
<span style="font-size: medium;">さて、「心と脳の二元論」に立脚し、しかしながら意識(心)がどこで生まれ、どこに存在にしているのかがいまだに解明不能で行き詰まりの現状では、その探究は結局観念論にならざるを得ないでしょう。</span></p><p><span style="font-size: medium;">観念より事実、理屈より実証を重んじるわたしに今後もできることは、SAM前世療法の実践を地道に累積し、深い催眠状態で顕現化する意識諸現象の事実を考察し、意識の本質に少しでも迫ることだと思っています。 <br /></span></p><p><br /></p>稲垣 勝巳http://www.blogger.com/profile/16232260953490209907noreply@blogger.com1tag:blogger.com,1999:blog-7548750843777970344.post-6458953311245346352023-10-25T10:55:00.011+09:002023-11-15T08:21:23.335+09:00心は脳の随伴現象なのか その2<p><span style="font-size: x-large;"> SAM催眠学序説 その167</span></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p><p><span style="font-size: medium;">「</span><span style="font-size: medium;">SAM催眠学序説 その166」</span><span style="font-size: medium;"><span>に続いて、大脳生理学者以外に「心と脳の二元論」を唱えている他分野の研究者のいくつかの見解を紹介します。</span></span></p><p><span style="font-size: medium;"><span>下記に紹介するこ</span></span><span style="font-size: medium;">れらの記事は、心と脳について述べている関連サイトから抽出したものを張り付けたものです。 </span></p><p><span style="font-size: medium;">・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・</span></p><p><span style="font-size: medium;">【その1】 </span><span style="font-size: medium;"> </span></p><p><span style="font-size: medium;"></span></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p><p><span style="font-size: medium;">米「タイム」誌の「世界で最も影響力がある100人(2014年度)」にも選ばれた、<b>再生医療の専門家ロバート・ランザ博士</b>が、死後の世界を肯定する発言をしていたことが判明した。
</span></p><p><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>■量子論と意識の奇妙な関係</b></span></p>
<p><span style="font-size: medium;"> 米ニュースサイト「Collective Evolution」(1月14日付)によると、<b>ランザ博士</b>は著書「Biocentrism: How
Life and Consciousness Are the Keys to Understanding the True Nature of
the
Universe(生命中心主義:いかに生命と意識が宇宙の本質を理解するための鍵であるか)」において、物質ではなく生命と意識こそ現実理解のための基礎的な要素であると断言、<span style="color: #2b00fe;">意識は肉体的な死とは別物である上、脳が意識を生み出しているわけではない</span>と主張しているというのだ!</span></p><p><span style="font-size: medium;">随分と大胆な説であるが、ランザ博士によると、量子力学の「二重スリット実験」を例にとれば、簡単に理解できるという。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;"> 量子論の世界では、最も基本的な思考原理である矛盾律(AがB、かつ非Bであることはない)が通用しない状態である「量子の重ね合わせ」が長らく世界中の科学者を悩ませてきた。</span></p><p><span style="font-size: medium;">「二重スリット実験」では、2つのスリット(細長い穴)を通った電子が壁に衝突して作る痕跡をもとに電子が波なのか粒子なのか確定されるはずだったが、観察者がいない場合、電子は“波”の性質に見られる干渉縞を作り、観察者がいる場合、“粒子”に見られる痕跡を残すという
“非科学的な”事態が生じたことで大問題となる。</span></p><p><span style="font-size: medium;">つまり、電子は「波であり、波じゃない」、「粒子であり、粒子じゃない」という矛盾する性質を抱えていることが判明したのだ。</span></p><p><span style="font-size: medium;">ここで問題となるのは何より「観察者」の存在だ。<span style="color: #2b00fe;">物理的世界に直接の影響力を持ちそうもない「観察」という“<b>意識的な”行為が</b>、どういうわけか<b>量子レベルでは大きな影響力を持ってしまっている</b></span>のである。 </span></p><p><span style="font-size: medium;">このことを<b>量子論の生みの親である<span>マックス・プランク</span></b>は、<span style="color: #2b00fe;">「意識は物質よりも根源的で、物質は意識の派生物に過ぎない」</span>と驚きを持って受け入れ、ノーベル物理学者を受賞した<b>理論物理学者</b><span><b>ユージン・ウィグナー</b></span>も「<span style="color: #2b00fe;">意識に言及することなしに、量子論の法則を定式化することは不可能だった」</span>と語っている。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">もし全宇宙から人間を含めた意識を持つ者が全て絶滅しても、宇宙は存在するだろうか? 常識的に考えれば、一切の生命がいなくなっても物質世界は存在していると思われるが、ランザ博士はそう考えない。 なぜなら、<b>二重スリット実験で示されたように、意識が物質世界よりも根源的だと考えるからだ。</b></span></p><p><span style="font-size: medium;">この論理に従うと、肉体(物質)と意識の因果関係が逆転する。 つまり、<b>意識が現実を生み出しているならば、発生の順番が脳(物質)→意識ではなく、意識→脳(物質)でなければならないため、肉体(物質)が死んでも、意識まで消滅する必要はない。こうして死後の(意識)世界が認められるというわけだ。
</b></span></p><p><span style="font-size: medium;">しかし、そうはいっても意識はやはり肉体に宿っている。 この揺るがない事実をどう説明したら良いだろうか? ランザ博士によると、肉体と意識が別個のものだとしたら、<b><span style="color: #2b00fe;">肉体がアンテナのように意識を受信している</span>と考えることもできる</b>という。</span></p><p><span style="font-size: medium;"><b>(『知的好奇心の扉トカナ』の記事より抜粋)</b></span></p><p><span style="font-size: medium;">・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・</span></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p><p><span style="font-size: medium;"> <span>【その2】 <br /></span></span></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p><p><span style="font-size: medium;"><span style="color: #2b00fe;"> <span face="MSPゴシック"><b><span color="rgb(10, 00, 60)">脳とは、肉体の外にある意識(魂)と肉体をつなぐ装置である</span></b></span></span></span></p><span style="font-size: medium;"> 「臨死体験? そんなもの、脳内の化学反応に決まっているさ」-<br /> このように言う多くの懐疑論者は、英国の心理学者スーザン・ブラックモア(Susan Blackmore)の1993年の本-「Dying to Live」を参考文献として、よく利用しています。<br /></span> <span style="font-size: medium;"><br /> 「Dying to Live」は、臨死体験(NDE=<span class="_Dk irc_pt" dir="ltr" style="text-align: left;">Near Death Experience</span>)は死につつある脳に関連した化学変化である、と結論付けている本です。<br /></span> <span style="font-size: medium;"><br />
カナダの<b>モントリオール大学教授マリオ・ボーレガード</b>のような非唯物論者の神経学者(脳内の化学反応で説明できないことがあると認めている学者たち)、長い間、ブラックモアを批判しており、ブラックモアが主張していた20年前は、脳の研究の初期段階であったことを指摘しています。<br /></span> <span style="font-size: medium;"><br /> ブラックモアは、人間が死ぬプロセスの間に起きる酸素(あるいは酸素欠乏症)の不足が、暗いトンネルの端で明るい光を見る幻覚に結びついており、これがビジョンをコントロールする脳の部分中のニューロン(神経細胞)の異常な発火を引き起こすかもしれないと主張しました。それに対して、ボーレガード教授は、もし酸素欠乏症(酸素の不足)がNDEの中心になっているとするなら、はるかにより多くの心停止患者がそのような体験を報告するはずだ、というオランダの<b>心臓外科医ピム・ファン・ロンメル</b>による反対意見を引用しています。<br /></span> <span style="font-size: medium;"><br /></span> <fieldset><legend><span style="font-size: medium;">オランダの<b>心臓外科医ピム・ファン・ロンメル</b>の主張</span></legend> <div style="background-color: white; padding: 10px;"><span style="font-size: medium;"><b>「人間の意識は肉体の中にあるのではない。 <span style="color: #2b00fe;">脳とは、肉体の外にある意識と肉体をつなぐ装置である。 </span><br /> 脳は単なる意識を受け取る受信装置に過ぎず、その<span style="color: #2b00fe;">意識は時空を超えた特別な場所に存在している</span>」。</b></span></div> </fieldset><span style="font-size: medium;"><br /> その上、<b>ニューヨーク州立大学ストーニーブルック校付属病院の医師であるサム・パーニア</b>が指摘しているように、何人かの臨死体験を経験した患者の酸素レベルは正常で、臨死体験をしている間中、臨終状態ではなかったのです。<br /> (彼の蘇生技術は素晴らしく、ニューヨーク病院の心停止蘇生率を2倍にしたほどです)。<br /></span> <span style="font-size: medium;"><br /> パーニアは、「患者の酸素レベルを落とすことは、急性錯乱状態を引き起こすことにつながっており、臨死体験をした患者が明瞭な意識を持った状態で証言した内容と矛盾する」と述べています。<br /></span> <span style="font-size: medium;"><br /></span> <fieldset><legend><span style="font-size: medium;"><b>心臓蘇生の世界的権威・サム・パーニア</b>の主張<br /></span> </legend> <div style="background-color: white; padding: 10px;"><span style="font-size: medium;">「生と死の狭間には、それを遮断する壁のようなものがあるわけではなく、死とはプロセスである」。<br /></span> <span style="font-size: medium;"><br /> 「現在はっきりしているのは、人間の意識が消滅するわけではないということだ<b>」</b>。<br /></span> <span style="font-size: medium;"><br /> 「意識は”死”のあとも、数時間は存続する。外側からは見ることができない冬眠的状態であるとしても」。<br /></span> <span style="font-size: medium;"><br /> ( 「<span style="color: black;"><a href="http://wired.jp/2013/05/02/consciousness-after-deathall/" target="_blank">脳波停止の後」に残る意識:蘇生医療の最前線から</a></span> WIRED 2013年5月2日)</span></div> </fieldset><p><span style="font-size: medium;"><br /> この20年、研究が進み、医学が進歩するとともに、臨死体験は稀なこととされてきたのが、今では、ごく普通に起こることとして扱われるようになったのです。<br /></span> <span style="font-size: medium;"><br /> 彼の著書「<a href="http://www.amazon.ca/Erasing-Death-Rewriting-Boundaries-ebook/dp/B0089LOFWG" target="_blank">Erasing Death</a>(死を消す)」では、死亡が確認された後、蘇生して生還した人たちの記録保持者(長く死の状態にあった、という意味での記録保持者)の一人として30歳の日本人女性の例を取り上げています。<br /></span> <span style="font-size: medium;"><br /> パーニア医師は、「彼女は10時間の間、臨床的に死んだ状態にあった」と言っていますが、正確には6時間の手当ての後、彼女の心臓は再び鼓動を打ちはじめ、健康な状態に戻された、ということです。<br /></span> <span style="font-size: medium;"><br /> 「彼女は、去年、赤ちゃんを授かりました」とパーニア医師。<br /></span> <span style="font-size: medium;"><br /> 「数時間の間、臨床的に死んだ状態にあった患者たちが生還した」とパーニアは言っています。<br /></span> <span style="font-size: medium;"><span style="color: #2b00fe;">人間の意識が継続するという問題は、本格的に取り組むべき科学的な問題</span>です。</span><span style="font-size: medium;"><br /></span> <span style="font-size: medium;"><br /> 臨死体験が研究者の間で大いなる議論を呼ぶようになったのは、臨死体験を経験した患者が生と死のはざまで彷徨っている時間が長くなったということではなく、臨死体験を経験する患者の数が圧倒的に増えているということからです。<br /></span> <span style="font-size: medium;"><br /> 臨死体験者のうち、体外離脱の体験を有している人々は、さらに深い問題を提起しています。<br /></span> <span style="font-size: medium;"><br /> 懐疑的な唯物論者たちは、<span>臨死体験を経験した患者が見たという「まばゆい光」や「天使の存在」、「光のトンネル」を説明しようとしません。</span><br /> 死に際にある脳の仮説では、そうしたことを説明することはできないからです。<br /></span> <span style="font-size: medium;"><br /> しかし、他の可能性があります。<br /></span> <span style="font-size: medium;"><br /> これは、ケンタッキー大学からの最近の研究が仮定していることですが、おそらく血中に過剰な二酸化炭素が入り込むと、睡眠障害や眼球急速運動(REM)によって臨死体験に似たような状態を引き起こすことがあるかもしれない、という実例です。<br /></span> <span style="font-size: medium;"><br /> そうした混乱の中では、人の心が肉体から起き上がると感じられる場合があります。<br /> つまり、<b>肉体から物理的に離脱するという幻覚が生じる</b>のです。<br /></span> <span style="font-size: medium;"><br /> 心停止状態では、肉体のもっとも基本的な機能をコントロールし、高次脳から独立して作動している脳幹領域への<span style="color: black;"><a href="http://www.e-clinician.net/vol31/no328/pdf/sp09_328.pdf" target="_blank">REM侵入</a></span>の引き金になる可能性があるのです。<br /></span> <span style="font-size: medium;"><br /> その結果として生じる臨死体験とは、実際に夢のようなものになるでしょう。<br /> しかし、<b>その仮説では、臨死体験中に、今まで見たことがないものを見たという報告をする人々を説明することはできません。</b><br /></span> <span style="font-size: medium;"><br /> パーニア医師の報告には、こうしたものもあります。<br /> ある患者が心停止状態になったとき、いったん総入れ歯を外されたのですが、意識を取り戻してから看護婦が取り外した彼の入れ歯を探そうとしても見つからなかったのです。<br /> しかし、その患者は自分の入れ歯がどこにあるのか知っていたのです。<br /></span> <span style="font-size: medium;"><br /> おそらく確証のとれたケースの中で、もっとも有名な事例は、ボーレガードも引用していますが、マリアという名前の出稼ぎ労働者のした体験でしょう。<br /> その物語は、彼女の救命救急診療を担当したソーシャル・ワーカー、キンバリー・クラークによって記録を取られています。<br /></span> <span style="font-size: medium;"><br /> マリアが心停止状態から蘇生したその日、自分が天井から部屋を見下ろしていた体験をクラークに語ったのです。<br /> 彼女は、(臨死体験の中で)気がつくと病院の外にいて、建物の3階の北側の窓から突き出た棚の上にテニスシューズが置いてあるのを見つけました。<br /></span> <span style="font-size: medium;"><br /> 彼女はそれについてクラークに詳細に記述しました。<br /> マリアは、特段、驚いた様子もなく、3階の北側の窓の棚の上に本当にテニスシューズが置いているのかどうか、確かめに行ってくれるようクラークに頼みました。<br /> そして、クラークは、マリアが言ったとおり、その場所にテニスシューズが置いてあることを確認したのです。<br /></span> <span style="font-size: medium;"><br /> こうした臨死体験をした患者の報告は、ますます増えており、医療の現場でも看過できない状況が生まれています。<br /></span> <span style="font-size: medium;"><br /> 東大病院の集中治療部長、矢作直樹氏は、多くの救命医療に携わった経験から、<span style="color: black;"><a href="http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=72836" target="_blank">このよう</a></span>に言っています。<br /></span> <span style="font-size: medium;"><br /> 「いわゆる臨死体験を患者の口から聞くこともあります。光を見た体験などを語るのです。脳内ホルモンの作用で説明されることがありますが、それだけで説明し切れない場合もあります。<br /> <b>肉体は滅んでも霊魂は永遠である</b>。亡くなった人の霊に、いつも自分は見守られている。そのように考えれば、生きている限りは感謝の気持ちを持って生きられ、死に直面してもあわてずに済むのではないでしょうか」。<br /></span> <span style="font-size: medium;"><br /> また、明治大学情報コミュニケーション学部教授、石川幹人氏は、臨死体験を体験しそうな状態であったのに体験しなかった患者と、実際に臨死体験をした患者とで、気持ちの変化を比較したケネス・リングの調査結果を引用しています。<br /></span> <span style="font-size: medium;"><br /> 「前者の人々は総じて、命の大切さを再認識し、目的意識が芽生え、物へのこだわりが減り、他者への思いやりが高まった。<br /> 後者の人々は総じて、信仰心が高まり、死への恐怖が減り、死後存続の信念が芽生え、生まれ変わりを許容するようになった」。<br /></span> <span style="font-size: medium;"><br /> 英国のDaily Mailでも、<br /></span> <span style="font-size: medium;"><a href="http://www.dailymail.co.uk/sciencetech/article-1385027/Revealed-The-truth-near-death-experiences.html" target="_blank">Tunnels of light. Meeting with dead loved ones... the truth about near-death experiences</a><br /> 「光のトンネル-亡くなった愛する人との再会…臨死体験の真実」と題して、いわゆる「あの世」、「来世」について、脳の最高権威の理論を紹介しています。<br /></span> <span style="font-size: medium;"><br /> 脳と意識の関係を解き明かすことができれば、おそらく戦争はその大義を失うでしょう。 他国を侵略して領土を拡張しても、いずれすべての人が行く死後の世界では、何の意味もないからです。<br /></span> <span style="font-size: medium;"><br /> 差別や不平等が幻影であることが分かるだろうし、権力や権威さえ虚しく遠吠えするだけでしょう。<br /> 宗教的対立が、実はそこから利益を得ようとしている一握りの人々の姦計であることもはっきりするでしょうし、何より、まがいものの神仏は駆逐されるでしょう。<br /></span> <span style="font-size: medium;"><br /> しかし、なぜ私たちは、こうした不可知の世界から遠ざけられているのでしょう。<br /> 封印が解かれるのは、いつのことなのか。</span></p><p><span style="font-size: medium;">《参考記事》<br /></span> <span style="font-size: medium;"><a href="http://www2.macleans.ca/2013/05/07/the-heaven-boom/" target="_blank">Why so many people including scientists suddenly believe in an afterlife</a><br /></span> <span style="font-size: medium;"><a href="http://www.dailymail.co.uk/sciencetech/article-1385027/Revealed-The-truth-near-death-experiences.html" target="_blank">Tunnels of light. Meeting with dead loved ones... the truth about near-death experiences</a><br /> <b>(『カレイドスコープ<span> </span>』の記事より抜粋)<br /> <br /></b></span></p><p><span style="font-size: medium;">・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br /><span> </span></span></p><p><span style="font-size: medium;">【その3】 </span><span style="font-size: medium;"><b> <br /></b></span></p><p><span style="font-size: medium;"><b>■意識は前世の記憶を引き継いでいる</b></span>
</p><div class="right"><span style="font-size: medium;"><img alt="輪廻転生が実在することが量子論で判明! 専門医「死後、あなたの意識は次の人の脳に張り付く」の画像1" class="mt-image-none lozad" data-loaded="true" data-src="https://tocana.jp/images/reincarnation_02.jpg" height="273" src="https://tocana.jp/images/reincarnation_02.jpg" width="300" /><span class="stxt" style="width: 300px;">タッカー博士「<u><a href="https://en.wikipedia.org/wiki/Jim_B._Tucker" rel="nofollow noopener noreferrer" target="_blank">Wikipedia</a></u>」より引用</span></span></div>
<p><span style="font-size: medium;"> 今回のニュースを報じた英紙「Express」(2月4日付)によると、<b>米ヴァージニア大学医学部精神科のジム・タッカー</b>博士の研究により、前世の記憶を持つ子どもの存在が決定的になったという。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">タッカー博士は、前世の記憶を持つ子どもたちに15年にわたりインタビューを続けてきた、少々変わり者の研究者として知られる。 その成果は、経験したはずもない出来事の記憶や、前世の傷や痣などを持つ、輪廻転生したと思しき2500人もの子どもたちの記録を収録した著書『Life
Before Life: A Scientific Investigation of Children’s Memories of
Previous Lives』にまとめられている。</span></p><p><span style="font-size: medium;">タッカー博士によると、<b>意識は量子レベルのエネルギーである</b>ため、輪廻転生の説明は科学的に可能であるという。 これまでトカナでも報じてきた通り、<b>現代の多くの科学者が、意識の謎を解く鍵は量子力学が握っている</b>と信じている。 <br /></span></p><p><span style="font-size: medium;">例えば、米「タイム」誌の「世界で最も影響力がある100人(2014年度)」にも選ばれた、<b>再生医療の専門家ロバート・ランザ博士</b>は、「生命中心主義(biocentrism)」を標榜し、物質ではなく生命と意識こそ現実理解のための基礎的な要素であると断言、<b>意識は肉体的な死とは別物である上、脳が意識を生み出しているわけではない</b>と主張している。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;"> 博士も「生命中心主義」のテーゼを受け入れ、<b>意識は肉体の死後も生き残り、次の宿主の意識として活動する</b>と語っている。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">「量子論の創始者である<b>マックス・プランク</b>など、<b>一流の科学者は物質よりも意識が基本的である</b>と語りました。 </span></p><p><span style="font-size: medium;">つまり、<b>意識は脳が生み出したのではない</b>のです。脳や肉体の死後も意識は生き残り続けます」(タッカー博士)<br />
「ですから、意識は前世の記憶を保ったまま、次の人の脳に張り付くのです」(同)<br /></span>
</p> <div id="tags" style="margin-bottom: 1em;"><span style="font-size: medium;"><b>(『知的好奇心の扉トカナ』の記事より抜粋)</b></span></div><div id="tags" style="margin-bottom: 1em;"><span style="font-size: medium;">・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・紹介記事おわり <br /></span></div><div id="tags" style="margin-bottom: 1em;"><span style="font-size: medium;"> </span></div><div id="tags" style="margin-bottom: 1em;"><span style="font-size: medium;"> さて、ペンフィールド、スペリー、エックルズなどのノーベル賞を受賞した<span><span>大脳生理学者以外に「心と脳の二元論」を唱えている他分野の幾人かの研究者を紹介してきました。</span></span></span></div><div id="tags" style="margin-bottom: 1em;"><span style="font-size: medium;"><span>問題は、彼らは</span></span><span style="font-size: medium;"><span>「心と脳の二元論」を仮説として唱えているにもかかわらず、意識が脳以外のどこで生まれ、どこに存在してるのかについて明確なことは一切言及していないことです。</span></span><span style="font-size: medium;"><span> </span></span></div><div id="tags" style="margin-bottom: 1em;"><span style="font-size: medium;">「 <b>脳は単なる意識を受け取る受信装置に過ぎず、その意識は時空を超えた<span style="color: #2b00fe;">特別な場所に存在している</span></b>」と言われても「時空を超えた特別な場所」とはどこなのか、についての言及はありません。</span></div><div id="tags" style="margin-bottom: 1em;"><span style="font-size: medium;">わたしが知りたいと願っていることは、意識がどこで生まれ、どこに宿っているかなのです。</span></div><div id="tags" style="margin-bottom: 1em;"><span style="font-size: medium;"><span>このことについて、仮説として唯一言及している生まれ変わりの研究者は、</span></span><span style="font-size: medium;">ヴァージニア大学医学部精神科のジム・タッカーの前任者である<b>イアン・スティーヴンソン</b>しかいないようです。 </span></div><div id="tags" style="margin-bottom: 1em;"><span style="font-size: medium;">彼は次のように述べています。</span><span style="font-size: medium;"><span> </span> </span></div><div id="tags" style="margin-bottom: 1em;"><span style="font-size: medium;">「 こうした<b>肉体のない世界はどこにあるのか、と問われれば私は、私たちが肉体と結びつけている現世で、誰もが持っているいる心理的空間の中に存在すると答える</b>。ここでまとめると、<b>宇宙には物理的世界と心理的(ないし心霊的)世界の少なくとも二つがあるのではないか</b>、と私は言おうとしているのである。 私たちが現世にいる間は、肉体と結びついているため、肉体なしには不可能な経験はさせてくれるであろうが、心の働きは誓約を受ける。死んだ後には肉体の制約から解き放たれるので心理的世界のみで暮らすことになろう。 そして、その世界でしばらく生活した後、その人たちの一部、あるいはもしかするとその全員が新しい肉体と結びつくのかもしれない。それを指して私たちは、生まれ変わったと称するのである。」 <br /></span></div><div id="tags" style="margin-bottom: 1em;"><span style="font-size: medium;"> </span><span style="font-size: small;">(</span><span style="font-size: small;">イアン・スティーヴンソン/笠原敏雄 </span><span style="font-size: small;">『前世を記憶する子どもたち』日本教文社、P.353</span><span style="font-size: small;">)</span><span style="font-size: small;"><br /></span></div><div id="tags" style="margin-bottom: 1em;"><span style="font-size: medium;"> </span></div><div id="tags" style="margin-bottom: 1em;"><span style="font-size: medium;">わたしたち人間は、「意識」を持っていることを言うまでもない自明のことだと容認していますが、その自明である「意識」がどこで生み出され、どこに宿っているのかがいまだに分からないでいるというきわめて奇妙な状態なのです。</span></div><div id="tags" style="margin-bottom: 1em;"><span style="font-size: medium;">脳が意識を生み出し、意識は脳に宿っているというもっともらしい常識は、科学的にけっして立証されているわけではない憶測にすぎません。 <br /></span></div><div id="tags" style="margin-bottom: 1em;"><span style="font-size: medium;">2007年1月20日1:01着信のわたしあて第8霊信は、わたしの守護霊(ガイド) を名乗る存在からのものですが、</span></div><div id="tags" style="margin-bottom: 1em;"><span style="font-size: medium;"><b>あなたがこれまで今世を通し、より強い興味や探究心をひきつけられるものを、あなたはそこで理解していた。 あなたはそれを科学的な見解から理解していた。 すべては「意識」であると理解していた。 言葉としての「意識」をあなたは理解している。 だが、それの本質はまだ理解に及んでいない。 あなたがより覚醒するにしたがって、それは想い出されるものとなる。</b></span></div><div id="tags" style="margin-bottom: 1em;"><span style="font-size: medium;">と予言めいたことを告げています。 </span></div><div id="tags" style="margin-bottom: 1em;"><span style="font-size: medium;">「意識の本質」とはなにかについて、SAM前世療法の実践から現時点でおぼろげに理解できてきたことは、<b>「意識は時空を超越したものであり、物質には還元できないもの</b>」ではないか、ということでしょうか。</span></div><div id="tags" style="margin-bottom: 1em;"><span style="font-size: medium;"> このことは、SAM前世療法によって、前世を生きたラタラジューというネパール人の人格の意識が、いま、ここに、現在進行形として顕現化したこと、また遠隔ヒーリングという意識の集中による症状の改善現象が確認できたことなど、わたし自身の実体験によって検証してきました。 </span></div><div id="tags" style="margin-bottom: 1em;"><span style="font-size: medium;">そして、被験者里沙さんの魂表層には、ラタラジューという前世人格の意識が、死後も彼女の魂表層に存在していることを立証し、ひいてはSAM前世療法の仮説が立証されたものと考えています。</span></div><div id="tags" style="margin-bottom: 1em;"><span style="font-size: medium;">それ以外の「意識」の本質の理解は、霊信によれば、わたしの魂の覚醒に待つしかないのでしょう。 </span></div><div id="tags" style="margin-bottom: 1em;"><span style="font-size: medium;"> </span></div><div id="tags" style="margin-bottom: 1em;"><span style="font-size: small;"> 注:わたしあて第8霊信は本ブログ「SAM催眠学序説その55」、「ラタラジューの事例」は本ブログ</span><span style="font-size: small;">「SAM催眠学序説その161」をご覧ください。</span></div>稲垣 勝巳http://www.blogger.com/profile/16232260953490209907noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7548750843777970344.post-39105725699026711422023-09-21T14:11:00.006+09:002023-10-06T20:47:18.190+09:00心は脳の随伴現象なのか<p> <span style="font-size: x-large;">SAM催眠学序説 その166</span></p><p> </p><p><span style="font-size: medium;">「心は脳の付随現象なのか」、ことばを換えるなら、「心と脳の一元論は本当なのか」という問いについて、わたしは拙著『前世療法の探究』で次のように述べておきました。</span></p><p><span style="font-size: medium;"><b>「 一般に信じられている言説、つまり、心は脳の随伴現象であり、脳の消滅とともに心も消滅してしまえば、生前に経験されたものはすべて棄却されることになる、という言説は、唯物論科学の立場から、その立場上構成されている『信念』や『主張』をそのまま表現したものであって、その言説自体は、科学的に確定された手続きによって、検証・証明されたものではないのです」</b>(稲垣勝巳『前世療法の探究』春秋社、2006、P.245)<br /></span></p><p><span style="font-size: medium;">上記の考え方はその後17年経過後の2023年現在でも通用するかどうか、興味深い記事がありますので次に紹介したいと思います。<br /></span></p><p><span style="font-size: medium;"> ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・</span></p><p><span style="font-size: medium;"><b><span>2023年4月 </span></b><b><span> 「『サイエンスZERO』20周年スペシャル」NHK取材班のインタビュー記事より</span></b></span></p><p><span style="font-size: medium;"> 20年の科学を振り返るうえで、「脳科学ブーム」は記憶に新しい。だがなぜ、人々は「脳」に魅了されるのか? 理由は多々あれども、その一つは「心とは何か?」を知りたいからではないでしょうか。 <b>帝京大学の岡ノ谷一夫教授</b>はそう語ります。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">「心」の正体を探るべく、理化学研究所・脳科学総合研究センターや、東京大学・認知行動科学研究室などを渡り歩いてきた岡ノ谷さん。 研究テーマも、言葉、情動、メタ認知など、多岐に渡ります。 そんな彼に、「脳と心」の20年について聞いてみました。 すると、そのお話は衝撃の一言から始まったのです。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;"><b>「この20年、『脳』からは膨大なデータを記録できるようになった。しかし、 『心』にはたどり着けなかった」――。</b></span></p><p><span style="font-size: medium;">「 心とは何か?」という疑問を追い続けて20年。帝京大学の岡ノ谷一夫教授は「この20年、『脳』からは膨大なデータを記録できるようになった。 しかし、 『心』にはたどり着けなかった』と言いますが、それはどういうことなのでしょうか? そして「心」の正体とは。<span style="color: blue;"> <br /></span></span></p><p><span style="color: blue; font-size: medium;"> </span></p><p><span style="color: blue; font-size: medium;">そもそも、「大量のデータがとれた」とは?</span>
</p><p><span style="font-size: medium;">もう少し具体的にいうと、人の脳の活動を記録する技術としては、「機能的MRI」(※1)というものがありますが、その解像度がどんどん向上していったんです。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">測定に用いる磁場が強くなってきて、僕が始めた頃は1.5テスラくらいでしたが、今は7テスラになっています。 昔は、電極を一本ずつ刺して、その電極の近くのニューロン(神経細胞)をいくつか計測するだけでしたが、 これによって、より高解像度で脳の活動を記録できるようになったんです。 昔は、電極を一本ずつ刺して、その電極の近くのニューロン(神経細胞)をいくつか計測するだけでしたが、時間的な解像度も、昔は秒単位と言われていましたが、いまは何十ミリ秒単位にまで向上していますしね。 人だけでなく、動物を使った実験でもそうです。 岡ノ谷一夫教授が、「カルシウムイメージング」(※2)のような技術が出てきて、数百個ものニューロンの活動を、一気に計測できるようになりました。</span></p><p><span style="color: blue; font-size: medium;"> </span></p><p><span style="color: blue; font-size: medium;">―では、「脳」を研究しても、「心」は分からないということでしょうか?</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">例えば、<b>脳に磁気刺激を与えると、視界に穴が開いて見えるとか、そういうことはできるんですけど、そうした知覚を越えて“現象学的な心”とつながるかというと、まだつながっていない気がしますね。 つまり、知覚や記憶、情動などは計測できるのですが、それらを感じている「心」をどうやったら計測できるのか? あるいはそれってもしかして計測できないのか? それが分からないのですよ。 現時点でも、どうしたらいいかも分かりません。</b></span></p>
<p><span style="font-size: medium;">脳に関する技術はものすごく進んだのですが、だからといって<b>“現象学的な心”とはまだつながっていないんですよ。</b></span></p><p><span style="font-size: medium;"><b>“現象学的な心”とは、自分自身が自分自身として感じている“心”です。 とにかく、物質的な脳から測れるものを徹底的に測っても、“心”にはつながらなかったんです。<span style="color: blue;"> <br /></span></b></span></p><p><span style="color: blue; font-size: medium;"> </span></p><p><span style="color: blue; font-size: medium;">ーそれは、心の定義にもよるのではないでしょうか? 仮に、記憶や認知をすべて計測したら、実はそれが「心」を計測したと言えたりはしないでしょうか?</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">たしかに、そのように定義すれば、心を計測したと言えるのかもしれません。 でも、こう考えるとどうでしょう? <b> 仮に自分の心が、記憶や認知だけの集合体だと思えば、それはコンピューターにアップロードできるかもしれませんけど、それって“自分”なんですか? それって、自分じゃなくないですか? 自分じゃないって思う、その“何者か”なんですよ。私が知りたいのは。</b></span></p>
<p><span style="font-size: medium;">言い方を変えると――「釈然としない」ということですね。 仮に、脳から計測できるものすべてを計測して、コンピューターにアップロードした上で、あなたの肉体を消滅させますよ、いいですか?って言われたとき、なぜか「釈然としない」じゃないですか。 その「釈然としない」ところが大事、心の大事なところだと思うんですよね。</span></p><p><span style="color: blue; font-size: medium;"> </span></p><p><span style="color: blue; font-size: medium;">―とれるデータが増えたからこそ、どんな結果が出るかよりも、そのデータ自体に価値があるということ?</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">そういう考え方ですね。 ただね、このやり方が行き過ぎてしまうと、研究がつまらなくなると思います。 挑戦的な研究が少なくなってくるのではないかと思うんです。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;"><b>挑戦的な研究というのは、いわば「仮説自体を探索する研究」のこと</b>です。 どういう仮説を研究すべきかを考える、探索型の研究のことですね。 例えば、動物を観察していて、面白そうなことをしているけど、なぜそんなことをしているのか? どういう仕組みでそういうことをしているのか? そうしたことを調べる研究のことです。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">一方、プレレジストレーション型の場合は、動物にこういう刺激を与えたときに、こういう脳活動が出るであろうと仮説を作って研究することになりますから、「次元」がひとつ違ってくるわけです。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">つまり、面白い現象自体を発見していく研究と、<b>発見した現象の仕組みを突き詰めていく研究</b>。 研究には二種類あると言ってしまっていい時代になったのではないかと思いますよね。</span></p>
<p><span style="color: blue; font-size: medium;"> </span></p><p><span style="color: blue; font-size: medium;">―</span><span style="color: blue; font-size: medium;">このままデータ主義が進むと、そうした探索型の研究が少なくなるということですか?</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">プレレジストレーション型の研究に傾いていってしまうので、探索型の研究が評価されにくくなっていくかもしれませんね。 だからこそ、特に日本は、探索型の研究ができる人材を増やしていく仕組みが必要だと思います。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">というのも、<b>次の20年こそが、私たちが「心」を理解できるかの
「分岐点」 だと思うからです。 次の20年で、分かるかどうかなんですよ、本当に。 技術自体は、ものすごくそろっているわけで、それらをどう組み合わせて「心」にアプローチするか次第なんですよね。 本当にね、たぶん次の20年で分からなかったら、分からないんですね。</b></span></p>
<p><span style="font-size: medium;">だからこそ次の20年は、ただ脳のデータをとるだけで終わらず、“脳科学者”はみんな“心理学者”になるべきなんじゃないかなとさえ思うんですね。</span></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p><p><span style="font-size: medium;"> <span style="color: blue;">―改めて、岡ノ谷先生個人にとっての20年は、どんな20年でしたか?</span></span></p>
<p><span style="font-size: medium;">自分としては最初から、「心」を知りたかったのですが、鳥のさえずり研究から、ラットや人を使った研究まで、いろいろ広がった20年でしたね。 テーマとしても、聴覚だけでなく、共感、情動、報酬系など、「心」の本質に近づくために、自分の興味がどんどん広がっていった20年でした。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">そして、20年前といえば、ちょうど千葉大学から、理化学研究所の脳科学総合研究センターに移った頃ですね。 実は当時は、もう“心理学者”をやめようと思っていた時期なんです。 “心理学者”をやめて“脳科学者”をやろうと思っていたんですよね。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">それでしばらく脳研究っぽいところにいたんですけど、研究するうちに、やっぱり自分は“心理学者”なのかなと思って。 脳の活動は記録するけど、だからといって“脳科学者”なわけじゃなくて、やっぱり心が知りたいんだよなっていうことが分かってきましたね。 なのでその後、東京大学の認知行動科学研究室で、そうした研究を続けることになりました。</span></p>
<p><span style="color: blue; font-size: medium;"> </span></p><p><span style="color: blue; font-size: medium;">―最後に、次の20年は、岡ノ谷先生にとってどんな20年になるでしょう?</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">死んじゃうよね。 そして、死ぬときはきっと、「釈然としない」 んだろうなって思います。 ですが、次の20年で自分の研究をまとめあげて、どのように“心”ができているのかを、自分なりに理解したいと思っています。 そうすれば、一応 「釈然」 とした気になれるかなと。 そのためにも、私はいま63歳ですが、これからも新たにいろんな技術を身に着ける必要があるなと思っています。 そしてそれは、可能なのではないかと思っているんですよね。</span></p><p><span style="font-size: medium;">
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・</span></p><p><span style="font-size: medium;">さて、最先端の現役脳科学研究者である岡ノ谷一夫教授の結論は</span></p><p><span style="font-size: medium;"><b>「知覚や記憶、情動などは計測できる。しかし、それらを感じている</b><b>『心』</b><b>をどうやったら計測できるのか? あるいはそれってもしかして計測できないのか? それが分からない。 </b><b> 現時点では、どうしたらいいかも分からない。 </b><b>結局、現行の唯物論科学では 『心』にたどり着くことはできなかった」</b></span></p><p><span style="font-size: medium;">とまとめていいでしょう。<br /></span></p><p><span style="font-size: medium;">そして、岡ノ谷一夫教授と同様の唯物論科学の立場から、「昔は、電極を一本ずつ刺して、その電極の近くのニューロン(神経細胞)をいくつか計測するだけ」の過去の時代の大脳生理学者で、ノーベル賞を受賞している、W・ペンフィールド、J・エックルズ、R・スペリーなどが、脳は心を生み出してはいない、と晩年になって「脳と心の二元論」に至ったことを表明しています。</span></p><p><span style="font-size: medium;">わたしの畏敬する成瀬悟作医学博士も、2004年の講演の中で「脳の病変によって動かないとされている脳性麻痺の動作訓練を催眠暗示でやってみると、動かないとされていた腕が動くようになりました。 しかし、脳の病変はそのままです。 こうしたことから、身体を動かすのは脳ではなく「オレ」であることにやっと気付きました。 私のこの考え方を正統医学は賛成しないでしょうが、21世紀の終わりには、私の言っていることが明らかになるでしょう」と「脳と心の二元論」を表明しています。 <br /></span></p><p><span style="font-size: medium;">SAM前世療法を提唱しているわたしの立場は、言うまでもなく「脳と心の二元論」仮説に基づいていますが、今世紀の終わりまでにそれが実証できるのか、SAM前世療法の地道な実践を継続するなかで検証していきたいと思っています。<br /></span></p><p>結局、わたしの探究は、SAM前世療法によって<span style="font-size: medium;"><b>発見した意識現象の仕組みを、唯物論にとらわれず、仮説を立てて突き詰めていく探究</b>だと思っています。</span></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p>稲垣 勝巳http://www.blogger.com/profile/16232260953490209907noreply@blogger.com1tag:blogger.com,1999:blog-7548750843777970344.post-63397495412540487972023-08-04T10:45:00.011+09:002023-08-23T08:54:58.882+09:00霊的現象の探究におけるスピリチュアリズムとプラグマティズム <p><span style="font-size: x-large;"><span><b>SAM催眠学序説 その165</b></span></span><span style="font-size: small;"><span style="font-size: x-large;"> </span></span><br />
</p><h3 style="text-align: left;">
</h3>
<h3 style="text-align: left;"> </h3><h3 style="text-align: left;"></h3><h4 style="text-align: left;">
<span style="font-weight: normal;"><span style="font-size: medium;">わたしが特定の諸宗教とは無縁の、催眠臨床の実践者、生まれ変わりの実証的探究者であることを明確にするために、現在の考え方の立ち位置を述べておきたいと思います。 <br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">わたしの立ち位置は、あえて言えば「実証的スピリチュアリスト」と言えるようです。<br />しかし、この立ち位置は、「確信的スピリチュアリスト」の人からすれば、何だ!?という批判を受けそうです。<br /> </span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">真性の「確信的スピリチュアリスト」とは、科学的実証はできないであろう信憑性の高い諸霊信(『シルバーバーチの霊言』、『モーゼスの霊訓』、カルディックの『霊の書』など)の高級霊の告げている内容を霊的真理として「確信している人」のことを指して呼ぶわけですから。<br /> </span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">ちなみに、</span><span style="font-size: medium;">わたしは新興宗教を含めて既存の宗教組織には矛盾と不信感を抱いています。 </span><span style="font-size: medium;"><br /> 「宗教」の「宗」とは「元になっている」の意ですから、「救いの元になる教え」が「宗教」の原義であるはずでしょう。<br /> </span></span></h4><h4 style="text-align: left;"><span style="font-weight: normal;"><span style="font-size: medium;">にもかかわらず、宗教どうしの差別や反目、迫害、政治的利用、はては信仰による戦争が歴史上繰り返されてきました。<br />
こうした「救いの元になる教え」であるはずの諸宗教によって、今もなお信仰の違いによる不毛で悲惨な争いの現実はなぜ起こり続けるのでしょうか?<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">さて、「近代スピリチュアリズム」の霊的真理とは、</span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<b><span style="font-size: medium;">①地上の人間と霊界の高級霊との交信を認める、</span><span style="font-size: medium;"><br /></span></b>
<b><span style="font-size: medium;">②そうした霊の存在を認める、</span><span style="font-size: medium;"><br /></span></b>
<b><span style="font-size: medium;">③ 生まれ変わりの存在を認める、</span><span style="font-size: medium;"><br /></span></b>
<b><span style="font-size: medium;">④全知全能であり唯一絶対の創造主である神の存在を認める、</span></b></span></h4><h4 style="text-align: left;"><span style="font-weight: normal;"><span style="font-size: medium;"> </span><span style="font-size: medium;">ことを内容としています。</span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">この内容を「霊的真理」であると確信し、霊的真理を人生の指針として、現世をよりよく生きようとする人こそ、「確信的スピリチュアリスト」と呼びます。</span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">心霊写真・占い・霊的予言・チャネリングなど霊的現象に強い興味関心を抱き、実証や検証抜きでそれらを鵜呑みに受容する人や、あるいは霊能があると自称し、予言したり霊障を知ることが出来ると自称する人たちを、霊的感性・能力を備えている</span><span style="font-size: medium;"><span>人という意味で、</span>ひとくくりにスピリチュアリストと呼ぶことは正しくありません。 </span><span style="font-size: medium;"> </span></span></h4><h4 style="text-align: left;"><span style="font-weight: normal;"><span style="font-size: medium;">オカルティストと呼ぶべきでしょう。</span></span></h4>
<div style="text-align: left;"><h4><span style="font-weight: normal;">
</span><span style="font-size: medium;"><span style="font-weight: normal;">スピリチュアリストと</span></span><span style="font-size: medium;"><span style="font-weight: normal;">オカルティストは、似て非なるものです。</span></span></h4></div><h4 style="text-align: left;"><span style="font-weight: normal;">
<span style="font-size: medium;">わたしが「実証的スピリチュアリスト」だと自称するのは、</span><span style="font-size: medium;">わたしあて霊信内容をわたしの実践しているSAM前世療法よって確認(実証)できた意識現象の事実に限定して、それを認めるという表明をしているので、その立場を強いて呼ぶなら「実証的スピリチュアリスト」と位置づけてよいだろうというだけのことです。 このことは、これまで述べてきた本ブログを読んでいただければ了解していただけると思います。 <br /></span></span></h4><h4 style="text-align: left;"><span style="font-weight: normal;"><span style="font-size: medium;">また、観念より事実、理屈より実証を重んじる立場からは、「リアリスト」でもあります。</span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">さらに、わたしが自覚し納得しているのは、自分は哲学的観点からは「プラグマティスト」であるということです。</span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
</span></h4><h4 style="text-align: left;"><span style="font-weight: normal;"><span style="font-size: medium;">プラグマティストとはいかなる思考・態度をとる人間であるのか、以下に述べてみます。</span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
</span></h4><h4 style="text-align: left;"><span style="font-weight: normal;"><span style="font-size: medium;">日本語で「道具主義」と訳されるプラグマティズムが、卑近な実用と功利を重んじる安手の常識哲学だと考えることは正しい理解ではありません。</span><span style="font-size: medium;"><br /><span>そもそも「プラグマ」とはギリシア語で「行為」を意味します。<br /> </span></span></span></h4><h4 style="text-align: left;"><span style="font-weight: normal;"><span style="font-size: medium;">「プラグマティスト」は次の①~④ような「生活態度」を反省的に身につけようとします。</span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"> </span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: large;"><b>①</b></span><span style="font-size: medium;"> <b>仏教、イスラム教、キリスト教、諸新興宗教、あるい政府・官僚などの言説に代表されるような美しく荘重な文言を、聞いたり口にしたりすれば、それで万事理解したように思う「言語主義(バーバリズム)」を捨てて、文言や文章の意味する内容からどういう実際的帰結が生ずるかを絶えず見届けようとする「実際主義」を身につけようとする。</b></span><span style="font-size: medium;"><br /> </span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"> プラグマティストである米国哲学者パースの有名な「プラグマティズム格言」が、上記①のことを的確に言い得ています。</span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"> </span></span></h4><h4 style="text-align: left;"><span style="font-weight: normal;"><span style="font-size: medium;">「How to make our ideas clear(私たちの観念を明晰にする方法)」と題された内容である</span><span style="font-size: medium;"><span><b>「プラグマティズム格言」</b></span>とは、われわれが何を知っているのか、また何に気づいていないかを、自ら意識し確かめる方法を述べたものです。</span></span></h4><h4 style="text-align: left;"><span style="font-weight: normal;"><span style="font-size: medium;">プラグマティストである米国哲学者パースによって、次のように述べられていることです。 </span><span style="font-size: medium;"><br /><br /></span>
<span style="font-size: medium;"></span>
<b><span style="font-size: medium;">「その概念の対象が、どんな具体的影響を私たち人間の行動に対して持ち得るかを考えてみよ。そういうふうにして考えつかれ、想像される影響の総体が、もとの概念の意味の全部である。その具体的影響を考えつかないとすれば、そういう概念は、もともと空虚で意味がないのである」 </span><span style="font-size: medium;"><br /></span></b>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">この</span><span style="font-size: medium;"><span>「プラグマティズム格言」こそ、「実際主義」を的確に言い得ています。</span></span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
</span></h4><h4 style="text-align: left;"><span style="font-weight: normal;"><span style="font-size: medium;">対極の「言語主義(バーバリズム)」とは、実質的、具体的内容のない空虚な文言を、</span><span style="font-size: medium;"><span>あたかも実質的内容があるように思い込む思考態度</span>や、単なる言い換えをあたかも新しい内容があるように思い込んで、ありがたがる思考態度です。</span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
言語主義による詭弁や欺瞞は、<span><span>プラグマティズム格言に照らして確認すれば、化けの皮が剥がれます。 </span></span></span></span></h4><h4 style="text-align: left;"><span style="font-weight: normal;"><span style="font-size: medium;"><span><span>たとえば、国会における首相・大臣など政治家、官僚の答弁が、いかに言語主義による詭弁と欺瞞に満ち満ちていることか!</span></span><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: large;"><b>②</b></span><span style="font-size: large;"> </span><b><span style="font-size: medium;">生活体験を十分にくぐらない観念や信念だけでものごとを解決しようとする態度を捨て、事実の蓄積とそこに見出された法則性に裏付けられた観念や思考を形成し、またその真偽を行動・体験によって絶えず検証し修正する態度を身につけようとする。</span><span style="font-size: medium;"> </span></b><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">このブログの「コメント投稿の留意点」に掲げている、「観念より事実、理屈より実証」のスローガンはこの②の態度の表明です。</span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<b><span style="font-size: large;">③</span><span style="font-size: large;"> </span><span style="font-size: medium;">自分の正当な利害や幸福を追求することをうしろめたい悪いことのように感ずる卑屈感を捨て、自己を正当に主張するよい意味の個人主義的な自主的態度を身につけようとする。</span></b><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">こうした態度があってこそ、他人の人格や権利を正当に尊重し、他人と民主的に交わることができるようになると考える。</span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">またこうした考えにもとづいて行動しようとする。</span><span style="font-size: medium;"><br /> </span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: large;"><b>④</b></span><span style="font-size: medium;"> <b>プラグマティズムは、一つ間違うと功利主義、実利主義へとかたより、個人の直接体験を偏重する主観主義に傾き、また悪い意味での自然主義におもむいて、安易なオプティミズム(楽観主義)に走りやすくなる。</b></span><b><span style="font-size: medium;"><br /></span></b>
<b><span style="font-size: medium;">そうならならないよう絶えず「反省的思考」によって、バランスある言動・思考態度をとろうとする。</span></b><span style="font-size: medium;"><br /> </span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">わたしのいう「反省的思考」とは、たとえば「ラタラジューの事例」における「生まれ変わり仮説」の真偽の検証において</span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<b><span style="font-size: medium;">A</span><span style="font-size: medium;"> 自分に都合のよい事象のみを「選択的に抽出」してはいないか?</span><span style="font-size: medium;"><br /></span></b>
<b><span style="font-size: medium;"><br /></span></b>
<b><span style="font-size: medium;">B</span><span style="font-size: medium;"> 「選択的に抽出」した事象をことさら「拡大視」し、不都合な事象を不当に「縮小視」し、あるいは無視してはいないか?</span><span style="font-size: medium;"><br /></span></b>
<b><span style="font-size: medium;"><br /></span></b>
<b><span style="font-size: medium;">C </span><span style="font-size: medium;">「</span><span style="font-size: medium;">選択的な抽出」によって「拡大視」したごくわずかな都合のよい事象を短絡的に「極端な一般化」した結論へと導いていないか?</span><span style="font-size: medium;"><br /></span></b>
<b><span style="font-size: medium;"><br /></span></b>
<b><span style="font-size: medium;">D </span><span style="font-size: medium;">「極端な一般化」した結論をもって、手前勝手な「恣意的推論」を展開していないか?</span><span style="font-size: medium;"><br /></span></b>
<span style="font-size: medium;"> </span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">つまり、以上の4点を絶えず点検し、独りよがりの「認知の誤り」に陥ることへの警戒を怠らない思考態度を「反省的思考」と言います。 </span></span></h4><h4 style="text-align: left;"><span style="font-weight: normal;"><span style="font-size: medium;">その結果、</span><span style="font-size: medium;">応答型真型異言「ラタラジューの事例」は現時点で、生まれ変わり以外に説明ができないと考えています。</span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">こうして、<b>プラグマティズム</b>は、専門的哲学の体系というよりは、より充実した納得できる人生を送るための<b>「生活態度のとり方」</b>だと言えると思います。</span><span style="font-size: medium;"><br /> </span><span style="font-size: medium;"><br /> <span>プラグマティズムの真理観は、「説明の成功」ですから、わたしのこれまで述べてきたブログ上の言説も、現時点でとりあえず説明が成功している「とりあえずの真理」だと理解していただきたいと思います。</span><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">したがって、たとえば「タエの事例」や「ラタラジューの事例」、とりわけ、学んだはずのないネパール語による「応答型真性異言」という現象について、今後「生まれ変わり仮説」よりも、簡潔で整合性のある別の仮説によって「説明の成功」がなされれば、そちらを受け入れることに躊躇することはありません。
</span><span style="font-size: medium;"><br />
こうした立場から言えば、わたしはリアリストでもあります。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">さて、プラグマティズムの系譜に連なる教育哲学者J・デューイは、「哲学とは生活態度である」と述べ、彼はそれを次のように定義しています。</span><span style="font-size: medium;"><br /> </span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><span>「哲学とは全体的、普遍的、究極的な生活態度である。世界の素材と取り組んで、統一ある、一貫した完全な人生を自覚的に努力するとき、人は哲学する(philosophize)。人は、哲学することによって、生活の進め方を規定する知恵を得ようとする」</span><span><br /> </span><br /></span>
<span style="font-size: medium;">その「哲学する(philosophize)生活態度」とは次の三つの態度に集約されます。</span><span style="font-size: medium;"><br /> </span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<b><span style="font-size: medium;">1</span><span style="font-size: medium;"> 「全体性」:起こってくるさまざまな事象に対する反応のしかたの一貫性を保とうとする態度。</span><span style="font-size: medium;"><br /> </span><span style="font-size: medium;"><br /></span></b>
<b><span style="font-size: medium;">2</span><span style="font-size: medium;"> 「普遍性」:個々の事象をバラバラに受け取らず、それぞれの事象をそれに意味を与える広い文脈の中に位置づけようとする態度。</span><span style="font-size: medium;"><br /> </span><span style="font-size: medium;"><br /></span></b>
<b><span style="font-size: medium;">3</span><span style="font-size: medium;"> 「究極性」:すべての事象や対象の裏面にまで進んでいって、それらの連関を発見しようと絶えず努める態度。 </span></b><span style="font-size: medium;"><br /> </span><span style="font-size: medium;">わたしがプラグマティストであるがゆえに、</span><span style="font-size: medium;"><span>生活体験による実証を十分にくぐらない観念である諸霊信を</span>受け入れる「確信的スピリチュアリスト」になりきれず、実証的態度を手放さないでいる意味において、「実証的スピリチュアリスト」にとどまっていることがお分かりいただけると思います。</span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"> </span></span></h4><h4 style="text-align: left;"><span style="font-weight: normal;"><span style="font-size: medium;">そして、この科学的実証を大切にする立場は、SAM前世療法の臨床によってあらわれた「タエの事例」や「ラタラジューの事例」をはじめとする前世人格の顕現化、未浄化霊の顕現化、生き霊の顕現化など「霊的な意識現象の事実」への検証と考察によって形成されてきたものです。</span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">その結果として、</span><span style="font-size: medium;">
<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<b><span style="font-size: medium;">●その「霊的意識現象の事実」が、著しく臨床的直観に反することはなく、</span><span style="font-size: medium;"><br /></span></b><b><span style="font-size: medium;"> ●そうした「霊的意識現象の事実」を認めることが、不合理な結論に帰着することはなく、</span><span style="font-size: medium;"><br /></span></b><span style="font-size: medium;"><b> ●そうした「霊的意識現象の事実」が、検証の結果、「心・脳の一元論」から考えるとどうしても説明できない超常現象として存在している</b>こと、を認めざるをえない。</span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">という立場が形成されてきました。</span><span style="font-size: medium;">
<span> </span><br /></span>
<span style="font-size: medium;"> </span></span></h4><h4 style="text-align: left;"><span style="font-weight: normal;"><span style="font-size: medium;">こうして、生まれ変わりや霊魂の存在に関わる、「いかなる霊的意識現象も先験的に否定せず、いかなる霊的意識現象も検証なくして容認せず」という思考態度が形成され「実証的スピチュアリスト」であり、プラグマティストである、とわたしが自覚することの理由になっています。</span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">こうした、</span><span style="font-size: medium;">わたしの考え方の立ち位置に決定的な影響を与えてくださったのは教育哲学者であり、上越教育大学院教授杵淵俊夫教育学博士でした。</span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
</span></h4><h4 style="text-align: left;"><span style="font-weight: normal;"><span style="font-size: medium;">35歳のとき、岐阜県教委から現職教員の身分で2年間の大学院研修が許可され、上越教育大学院修士課程の2年間の勉学の中で、杵淵先生との出会いと薫陶がなければ、今の</span><span style="font-size: medium;">わたしの考え方の基盤はけっして形成されなかったことは確かです。</span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"> </span></span></h4><h4 style="text-align: left;"><span style="font-weight: normal;"><span style="font-size: medium;">杵淵先生の口癖であった「あなたのおっしゃるその考え方は、ほんとうにそうですか ?それはなぜそう言えるのですか? その理由を3点あげてください」という認知の誤りを点検するための厳しい問いかけが、そのまま今の</span><span style="font-size: medium;">わたしの思考態度として生き続けています。</span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
</span></h4><div class="FANCYURL_EMBED" id="diary_body" style="text-align: left;"><h4><span style="font-size: medium;"><span style="font-weight: normal;"> </span></span></h4><h4><span style="font-size: medium;"><span style="font-weight: normal;">その結果として、懐疑主義に傾き過ぎて、</span></span><span style="font-size: medium;"><span style="font-weight: normal;">人生を生きづらく感じるようになってしまったとも思っています。</span></span></h4><h4><span style="font-weight: normal;">
</span></h4><h4><span style="font-weight: normal;">
</span><span style="font-size: medium;"><span style="font-weight: normal;"> </span></span></h4><h4><span style="font-size: medium;"><span style="font-weight: normal;">こうしたわたしの考え方の立ち位置には、人生を生きづらくする「毒」があるのかもしれません。。</span></span></h4><h4></h4></div><div class="FANCYURL_EMBED" id="diary_body" style="text-align: left;"><h4><span style="font-size: medium;"><span style="font-weight: normal;"> </span></span></h4><h4><span style="font-size: medium;"><span style="font-weight: normal;">しかし、「適度な毒」が、すぐれた薬効のある「良薬」に転化するように、適度に刺激があり、納得の得られる生き方を送るための指針としてはたらいていることも、確かな事実です。</span></span></h4></div><div class="FANCYURL_EMBED" id="diary_body" style="text-align: left;"><h4></h4></div><div class="FANCYURL_EMBED" id="diary_body" style="text-align: left;"><h4><span style="font-size: medium;"><span style="font-weight: normal;"> </span></span></h4><h4><span style="font-size: medium;"><span style="font-weight: normal;">「生まれ変わりの実証的探究」において、哲学的思考とその実際については杵淵俊夫教育学博士、催眠学の諸研究については成瀬悟作医学博士、両先生の「学恩」なしで、今のわたしの探究はなかったと感謝しています。</span></span></h4></div><div class="FANCYURL_EMBED" id="diary_body" style="text-align: left;"><h4><span style="font-size: medium;"></span></h4></div><div class="FANCYURL_EMBED" id="diary_body"><br /></div>稲垣 勝巳http://www.blogger.com/profile/16232260953490209907noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7548750843777970344.post-43721470946593358812023-07-05T09:40:00.007+09:002023-07-07T12:47:34.250+09:00わたしあて霊信の真偽の検証 その2<p><b><span style="font-size: x-large;">SAM催眠学序説 その164</span><span style="font-size: x-large;"> </span><span style="font-size: x-large;"><br /></span></b></p><p><b><span style="font-size: large;"> </span></b></p><p><b><span style="font-size: large;">霊信による教示の信憑性の検証</span><span style="font-size: large;"><br /></span></b></p><p> </p><p></p><p><span style="font-size: medium;"><b> </b></span><span style="font-size: medium;">2007年1月23日0:06着信の第11霊信で通信霊は、<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>「あなたが長年探究してきたものは、これまでの視点 からでは成長は望めない。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>・・・あなたが探究すべきものは、これまでよりもさらに深奥にあるものである。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>魂の療法のみあらず、あらゆる霊的存在に対する奉仕となるものである。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>それは命あるものすべてにつながり、私たちへも強いつながりをもつ。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>そのために、あなたは自らの内にある疑問をまとめておく必要がある。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>あなたがこれまで探究してきた道の中であなたが処理できないでいるもの、そして人の理解を超えるものについて、私たちでなければ答えられないものについてまとめなさい」</b></span><span style="font-size: medium;">と告げてきました。</span></p>
<div style="text-align: left;">
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>「人の理解を超えるもの」</b>について、霊界の住人であり、人の理解を超えるものについて知っているであろう高級霊が、わたしの質問について答えると言うのです。<br />
わたしは「<b>人の理解を超えるもの</b>」 について、早速16の質問をつくり、M子さんに返信しました。<br />
すると、なんとその90分後に、A4用紙9枚にわたる通信霊からの回答が届きました。<br />
回答を考えながら A4用紙1枚を10分で打つことは、ほぼ不可能です。<br />
通信霊を装った</span><span style="font-size: medium;">M子さんの</span><span style="font-size: medium;">作文による回答ではなく、したがって、霊的存在からの自動書記による回答である蓋然性が高いと判断してよいだろうと思われました。 </span></div><div style="text-align: left;">
<div style="text-align: left;"><div style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;"><b> </b></span></div><div style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;"><b> </b></span></div><div style="text-align: left;"><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;"><b>1「意識 ・脳二元論」「魂の二層構造」の教示</b></span></h2></div>
</div>
</div>
<div style="text-align: left;">
<h3 style="text-align: left;">
</h3>
<span style="font-size: medium;"> </span></div><div style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;">わたしの理解を超えること、高級霊(通信霊)でなければ答えられないこと、についてわたしの疑問の第一は、魂・脳・心・意識(潜在意識を含む)の相互の関係でした。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
第11霊信で、<b>「あなたが探究すべきものは、これまでよりもさらに深奥にあるものである」</b>と通信霊は告げていますから、第12霊信、第13霊信、第14霊信、第15霊信、第17霊信の回答は、<b>「これまでよりもさらに深奥にあるもの」</b>を示唆しているのであり、わたしが<b>「探究すべきもの」</b>であると思われました。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b><b>第12霊信、第13霊信、第14霊信、第15霊信、第17霊信</b></b>における通信霊の、魂・脳・意識・心、の関係性についての難解な諸回答をまとめると次の<b>A~H</b>ようになります。<b> </b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span></div><div style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;"><b>A 「脳」</b>は<b>「意識」</b>を生み出していない。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b><b>B 「</b>意識」</b>を 生み出しているものは、<b>「魂の表層」</b>を構成している前世の者たちである。つまり、前世の者たちは<b>「魂の表層」</b>に存在している。したがって、<b>「魂」</b>は、中心(核)となる意識体とその表層を構成する前世の者たちとの<b>「二層構造」</b>となっている。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>C 「魂表層」</b>の前世の者たちによって生み出された<b>「意識」</b>は、肉体を包み込んでいる<b>「霊体」</b>に宿っている。霊体はオーラとも呼ばれる。 <br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b><b>D 「</b>魂表層」</b>の前世の者たちは、互いにつながりを持ち、友愛を築き、与え合うことを望んでいる。つまり、前世の者たちは、意識体として<b><b>「魂の表層」</b></b>に存在し相互に交流を営んでいる。
</span><div style="text-align: left;">
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>E </b>現世の<b>「わたし」</b>という人格も<b>「魂の表層」</b>に位置づいており、生まれ変わりであるすべての前世の者たちとつながりをもち、友愛を築き与え合うことを望んでいる。</span></div>
<div style="text-align: left;">
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b><b>F</b> </b>死後、<b>「霊体」</b>は肉体から離れ、霊体に宿っていた<b>「意識」</b>は<b>「魂」</b>に取り込まれる。取り込まれる先は、生きている間は<b>「魂の表層」</b>の<b>「現世の者」</b>であり、死後は<b><b>「魂の表層」</b></b>の、<b>現世の直前を生きた前世の者として位置づく</b>であろうと推測される。</span></div>
<div style="text-align: left;">
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>G 「心」</b>は<b>「意識」</b>を管理している。<b>「心」は「魂」が外部の情報を入手するための道具</b>である。したがって<b>「心」</b>が傷つくことはない。したがって、心と意識は同義ではないが、便宜上、「心=意識」として扱うことに支障はない。</span></div>
<div style="text-align: left;">
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>H 「脳」</b>は<b>「心」</b>を管理している。脳は心(意識)を管理しているため、見かけ上、脳と心(意識)が一体化しているように受け取られる。このことによって、心は
脳の付随現象であり、脳が心(意識)を生み出しているという「心と脳の一元論」が唱えられているが、<b>脳と心(意識)は本来、別のものである</b>。<b><b> </b></b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b><b>「脳」</b></b>は<b>「心」</b>を管理はしているが、<b>「心」</b>を生み出しているわけではない。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b><b>「脳」</b></b>は外部の情報をまとめる役目をつかさどる。<b> </b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>「脳」</b>はデータを管理している。</span></div>
<div style="text-align: left;">
</div>
<div style="text-align: left;">
<span style="font-size: medium;"><br /></span></div><span style="font-size: medium;">
これら上記<b>A~H</b>の回答は、まさしく「<b>人の理解を超えるもの</b>」であり、26才の霊信受信者M子さんが、作文して回答できるとは思われません。<br />
人間を超えた存在である高級霊であってこそ、はじめて回答できる内容であると評価せざるを得ません。 <br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
しかも興味深いことに、第12霊信でA4用紙9枚にわたる回答を告げてきた送信霊は、わたしの16の質問の回答をした後の霊信の末尾で、<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>「M子という人間が答えられる問題は、ここには存在しない。・・・これは私からの霊信であり、M子の言葉ではない。
M子の妄想ではない。妄想では答えられないものである」</b>と念押しをするかのように告げています。<br /> </span></div><div style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;">ちなみに、第12霊信の送信霊は、</span><span style="font-size: medium;"><b>「私は稲垣の祖父の守護霊とつながりを持つ者であり、あなた方の世界で表現すると、遠い昔、転生を終えた者である」</b>と告げています。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b><br /></b>
さて、回答<b>A</b>の「心・脳二元論」の立場は、大脳生理学者でノーベル賞の受賞者であるペンフィールド、エックルズ、スペリーなどが晩年になって唱えており、世界的催眠研究者である成瀬悟策医学博士も、晩年になってからこの立場をとっています。 成瀬悟策先生は、2004年明治学院大学で開催された日本教育催眠学会の講演のなかで「脳は心の家来です」という言い方で</span><span style="font-size: medium;">「心・脳二元論」を提唱されています。</span>
<span style="font-size: medium;"><br /> </span></div><div style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;">これら「心・脳二元論」の提唱者たちは、脳の研究の結果、脳が心(意識)を生み出してはいないのだと主張はしても、では心(意識)を生み出しているものは、どこに存在するかについては一切語っていません。<br />
それは人知を超えることであり、想像もできないということでしょう。<br />
通信霊は、心(意識)を生み出す存在は、「魂表層の前世の者たちである」と明確に告げています。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
わたしは霊信にしたがい、「心・脳二元論仮説」と「魂の二層構造仮説」に基づき、<b>A~H</b>の霊信内容の信憑性の真偽を、催眠を道具に用いてできるかぎりの徹底的な検証と探究をしようと決心しました。<br />
この検証の過程で、徐々に定式化していった前世療法こそ、2008年6月に創始した「SAM前世療法」です。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
特筆すべきことは、第11霊信で私の疑問に回答すると告げた通信霊が同じ第11霊信の中で、</span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>「そして、前世療法についてだが、あなたは自らの霊性により独自性を持つようになる。</b></span><span style="font-size: medium;"><b>あなたの療法は、あなたにしかできないものになる」</b></span><span style="font-size: medium;">と、この霊信1年半後の2008年6月に創始した<span><u><b>S</b></u>oul <u><b>A</b></u>pproach<b><u> M</u></b>ethod の略</span>「SAM前世療法」について、すでに予言していることです。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
通信霊は、前掲<b>A~H</b>の回答を得たわたしが、回答を仮説としてそれに基づいた独自の前世療法(SAM前世療法)を、新たに創始することをすでに見通していたのではないかと思われます。<br />
おそらく、SAM前世療法の創始をさせるための目的で第11霊信が送られたと思われます。<br /> </span></div><div style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;">第7霊信で通信霊は、<b>「わが霊団はあなた方を中心としある計画を進めている」</b>と告げていますから、わたしにSAM前世療法の創始を担わせたことは「計画」のうちに入っていたのではないでしょうか。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
そして、「SAM前世療法」によって<b>A~H</b>の作業仮説が検証され、生まれ変わりが科学の方法によって実証された事例が「タエの事例」と「ラタラジューの事例」です。<br />
タエもラタラジューも、SAM前世療法によって、被験者里沙さんを「魂状態の自覚」まで誘導し、魂表層から呼び出され、顕現化した前世人格(前世の者)なのです。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>フジTVアンビリ放映の、編集された「タエの事例」</b><b>「ラタラジューの事例」の元になっている全セッション記録動画は、you-tubeで公開してあります。</b><br /> </span></div><div style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;">この動画をご覧になれば、タエとラタラジュー両人格の顕現化現象を、「前世の記憶」である、という解釈では説明が成り立たないことは明白です。<br />
とりわけラタラジュー人格は、明らかに現在進行形の会話である証拠を残しているからです。<br />
ちなみに、タエ・ラタラジュー両事例の科学的真偽について、わたしの主張と証拠動画に基づいて具体的な反証を挙げて批判した論者は、皆無です。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
また、<b>「タエの事例」の逐語録は「SAM催眠学序説 その35~40」</b>において、</span><span style="font-size: medium;"><b>「ラタラジューの事例」の逐語録は「SAM催眠学序説 その23~32」</b>において、詳細に検討しています。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
また、「魂の転生」のしくみと「生まれ変わり」の関係については<b>「SAM催眠学序説 その123」</b>で「魂の二層構成仮説」を模式図によって説明してあります。<br /></span>
<div style="text-align: left;">
<span style="font-size: medium;"><br /></span></div>
<div style="text-align: left;">
<span style="font-size: medium;"><b> </b></span></div><div style="text-align: left;"><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">2「憑依仮説」の教示</span></h2></div>
<span style="font-size: medium;"><br />
SAM前世療法の<b>「魂遡行催眠」</b>と名付けている特殊な技法を用いて、被験者を<b>「魂状態の自覚」</b>に誘導する過程で、被験者に未浄化霊と呼ばれている霊的存在が憑依していると、そうした存在が救いを求めて顕現化することが観察されます。<br />
SAM催眠学では、そうした霊的存在の憑依を認める立場をとっています。<br />
ここで言う<b>「霊的存在」</b>とは、<b>「肉体を持たない人格的意識体」</b>を意味しています。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
霊的存在には肉体がありませんから、肉体を持つ被験者の肉体を借りて一個の人格として自己表現をします。こうした現象を憑依と呼んでいます。 こうした憑依する人格的意識体を憑依霊と呼んでいます。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
憑依霊は未浄化霊だけに限りません。守護霊を名乗る高級霊や神の使いと称する高級霊も、<b>「魂状態の自覚」</b>に至ると、必要に応じて何らかのメッセージを携えて憑依します。<br />
こうして<b>「魂状態の自覚」</b>に至ると霊的存在の憑依現象が起こることを認める立場を<b>「憑依仮説」</b>と呼び<b>、</b>SAM催眠学の骨格をなす仮説の一つとして位置づけています。<b> </b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
さらに、<b>「魂状態の自覚」</b>に至り、魂表層から顕現化した前世人格は、生まれ変わりである現世の者(被験者)の肉体を借りて自己表現します。<br />
この現象は、未浄化霊や高級霊など第三者としての霊的意識体の憑依と同様な現象であり、前世人格の憑依現象を<b>「自己内憑依」</b>と名付けています。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
つまり、現世の者の内部(魂)に存在している肉体のない前世人格が、生まれ変わりである現世の者に憑依し自己表現する、という意味です。 したがって、<b>「前世人格の顕現化」</b>は<b>「自己内憑依」</b>現象だと言い換えることができます。<br />
<b>自分の魂表層に存在している前世人格が、自分に憑依すること、これが「自己内憑依」です。 </b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>「 魂状態の自覚」</b>を体験した被験者のほとんどが、その意識状態の自覚に至ると体重の感覚がなくなると報告します。 <br />
おそらく、普段の状態では肉体という器に内在する魂は、なんらかの形で肉体と緊密な結びつきを保っていたのが、<b>「魂状態の自覚」</b>に至るとその結びつきが解かれ、肉体と魂が分離した状態になる、したがって、体重感覚の喪失感が生じるのではないかと推測されます。<br />
被験者の中には、魂と呼ぶ意識体が、肉体の外に分離している感覚(体外離脱)を報告することもあります。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
つまり、「魂状態」とは、肉体を持たない霊的存在と同様な状態になっていると考えられ、したがって、霊的存在と同じく肉体を持たない意識体の次元に至っているので、守護霊などの霊的存在との接触や、霊的存在の憑依が起こりやすいのではないかと推測しています。 <br />
ちなみに、<b>SAM催眠学では、肉体を持たない意識体を「霊」、霊が肉体に入り肉体という器を持てば「魂」</b>と定義しています。 こうした意味において、顕現化している前世人格は「霊」と言えるでしょう。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: large;"><b> </b></span></div><div style="text-align: left;"><h2><span style="font-size: large;"><b>3「霊体仮説」の教示 </b></span></h2>
<span style="font-size: medium;"><br /></span></div><div style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;">
2007年1月25日22:47着信の第14霊信で通信霊は、<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>「霊体とは魂ではない。それは、ある時はオーラと呼ばれもする。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>それは、・・・肉体を保護する役割を担うものでもある。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>魂を取り囲み、それはあなたという存在を構成するための一材料となる。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>霊体は、ある意味においてはあなた方が『あなたという人間であるため』の意識を独立して持つための役割を担うものでもある」</b><br />
と告げています。 <br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
霊体の色をオーラとして感知できる能力者には、肉体の傷んでいる部分のオーラの周囲の色が黒ずんで見えること、オーラの色が澄んでいる場合には、肉体の健康状態が良好であることを言い当てることができるという検証結果が得られています。<br /> </span></div><div style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;">こうして、霊体と肉体の両者には互いに影響を与え合う密接な相互影響関係があると推測できます。<br />
したがって、霊体は、エクトプラズムのように何らかの半物質的な要素・性質を帯びている可能性が考えられます。 <br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
また、互いに面識のない、オーラを感知できる10名を越える能力者が、それぞれに、わたしのオーラ(霊体)の色として同一の色を報告しています。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
こうして、霊体と肉体には、双方に共通の何らかの要素・性質が存在し、そのため相互に影響を与え合う関係がある、とする仮説も<b>「霊体仮説」</b>には含まれています。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
また、<b>1</b>の<b>C</b>で述べたように、われわれ生きている人間は、肉体を包み込んでいる霊体を持っている、霊体には意識・潜在意識が宿っている、と考えるのが<b>「霊体仮説」</b>です。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
そして、霊体には意識・潜在意識が宿っている、という仮説と、霊体と肉体には、双方に共通の何らかの要素・性質が存在する、という両仮説の検証実験の累積によって、<b>「魂遡行催眠」</b>というSAM前世療法以外に類のない固有・独創の誘導技法が生み出されました。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>「SAM前世療法」</b>が、すでに「前世療法]という用語があるにもかかわらず登録商標として認められたのは、その固有性、独創性が認められたからです。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: large;"><b> </b></span></div><div style="text-align: left;"><h2><span style="font-size: large;"><b>4</b><b>「<b>残留思念仮説</b>」の教示</b></span></h2>
<span style="font-size: medium;"><br /></span></div><div style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;">
2007年1月20日1:01着信の第8霊信で通信霊は、<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>「あなたは、すべては『意識』であると理解していた。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>ことばとしての『意識』をあなたは理解している。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>だが、その本質はまだ理解には及んではいない。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>あなたが覚醒するにしたがって、それは思い出されるものとなる」</b><br />
と告げています。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
また2007年1月23日22:58着信の第12霊信で通信霊は、 <br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>「この世に残る未成仏霊(未浄化霊)のような存在は、残留思念の集合体である。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>だが、それらは意志を持つようにとらえられる。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>よって、魂と判断されがちだが、それらは魂とは異なるものである」</b><br />
と告げています<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
以上のような2007年の霊信を受け取ってから、16年間にわたるSAM前世療法の仮説と検証の実践の繰り返しを経て、わたしは「<b>意識の本質</b>」の一つとして、「<b>強力な思念(意識)の集合体は、一個の人格としての属性を帯びた意識体になる</b>」と考えるようになっています。<br />
この仮説をSAM催眠学では、「<b>残留思念仮説</b>」と名付けています。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>「残留思念仮説」</b>によって定義すれば、<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>「未浄化霊」</b>とは、「この世に何らかの強い未練があるために、救いを求めてさまよっている残留思念の集合体であり、意志を持つ人格としての属性を備えたもの」です。 <br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>「生き霊」</b>とは、「強力な嫉妬や憎悪によって、魂表層の『現世の者』から分離した思念の集合体であり、意志を持つ人格としての属性を備えたもの」です。<br />
その実証として、SAM前世療法による生き霊との対話を、<b>「SAM催眠学序説 その115」</b>で述べています。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>「インナーチャイルド」</b>とは、「耐えがたい悲哀の体験をしたために傷つき、その苦痛から逃れるため、大人の人格へと成長していく本来の人格から分離(解離)され、 取り残された子どものままの残留思念の集合体であり、大人の人格に内在しつつ意志を持つ別人格としての属性を備えたもの」です。<br />
その実証として、SAM前世療法によるインナーチャイルドとの対話を<b>「SAM催眠学序説 その119」</b>で述べています。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
こうして、SAM前世療法によって顕現化する「未浄化霊」も、「生き霊」も、「インナーチャイルド」も、実際のセッションにおいては、意志を持つ人格として扱うことができる<b>「見做し人格」</b>だとして、対話をおこないます。<br /> </span></div><div style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;">また、それらは強力な思念の集合体であり人格としての属性を持つ意識体という意味では、肉体のない「霊的意識体」だととらえています。<br />
そして、未浄化霊も生き霊も、それらはマイナスの思念を抱え、理解を求めている人格的存在だととらえるべきであろうと思われます。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
このことについて第9霊信は、<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>「そして、あなたがもっとも理解すべきなのは、『</b><b><b>霊祓い</b>』を選択するのではなく『</b><b><b>浄化</b>』を選択することである。・・・霊がいつも求めるものは『理解』であることを忘れないようにしなさい。そしてその本質は『愛』なのだ」</b><br />
と告げています。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
「生まれ変わり仮説」そのものへの諸反論とわたしの見解(反論)については<b>「SAM催眠学序説 その117」</b>をご覧ください。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: large;"><b> </b></span></div><div style="text-align: left;"><h2><span style="font-size: large;"><b>まとめ</b></span></h2>
<span style="font-size: medium;"><br /></span></div>
<div style="text-align: left;">
</div>
<div style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;">
わたしの探究の原点は問題意識です。<br /> </span></div><div style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;">それは、われわれの意識はどこから生じ、どこへ行くのか、死後はあるのかないのか、あるとして生まれ変わりがあるのかないのか、生まれ変わりがあるとしてそれはどのような仕組みになっているのか、意識の本質とは何であるのか、などこれまでの唯物論科学の枠組みでは答えが出せそうもない領域への探究です。<br />
これらの探究を科学の方法をもって、つまり、仮説を設け、仮説に基づいて実践(実験)し、結果を検証し、仮説を検討していくという営みを地道に繰り返しながら、誰もが納得できる科学的な事実の発見を試みる探究の道を持続することです。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
しかしながら、意識現象は、計測したり、数量化したり、映像化したりすることは、「意識」が本来的に物質に還元できないものである以上不可能です。<br />
したがって、意識現象を体験した者の体験報告を手がかりとするしか方法論がありません。<br />
それら意識体験の体験報告を累積し、共通項を導き出し、それを客観的事実であろうと見做して仮説の真偽を検証していくこと以外に、現時点では方法論を見出すことができません。<br />
こうした、前提と限界のある霊的意識現象の探究ですが、これまでのSAM前世療法の実践によって明らかにしてきた発見を大きく7点列挙してみます。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>1</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;">
ふだん「脳」に管理されている「心(意識・潜在意識)」は、脳の管理下にあるがゆえに、脳の束縛を受け、脳と一体化しているように受け取られる。<br />
したがって「心(意識・潜在意識)」は、脳の生み出している付随現象として理解されているが、それは錯覚である。<br />
潜在意識の優勢化が進むにつれて、心(潜在意識)は、脳の管理下から離脱し、潜在意識は脳への働きかけの自由を得る。<br />
この、心(潜在意識)が脳の束縛から離れ自由を得た状態が「催眠状態」である。<br />
催眠下では、心(潜在意識)の働きかけのままに脳が反応するようになる。<br />
これを催眠学では「言語暗示による運動・知覚・思考などの意識の変性状態」と定義している。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>2</b><br />
良好な催眠状態を徹底的に深めていくと、潜在意識の深奥には、誰もが「魂状態の自覚」を持っていることが明らかになった。<br />
直近100事例で91%の被験者が「魂状態の自覚」に至っている。 「魂」と呼んでいる意識体が、肉体に内在している間接的実証である。<br />
これまでに、最年少は小学6年生男子、最年長は82才女性、京都大教授2名、名古屋大学准教授1名、東北大学准教授1名、その他私立大学教授を含めて十数名、医師十数名など、知的訓練を十分に受けている被験者たちも「魂状態の自覚」に至っている。 <br />
「魂状態の自覚」に至れば、魂表層に存在している前世人格が、呼び出しに応じて顕現化する。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>3</b> <br />
魂表層には前世の諸人格が意識体として生きており、現世の人格を担っている「現世の者」も位置付いている。<br />
それらの魂表層の者たちは互いの人生の智恵を与えあっており、「現世の者」は、良かれ悪しかれ前世の者たちの影響を受けている。<br />
よろしくない影響を受けていると心理的、肉体的諸症状となって現象化する。<br />
そうした症状は、前世の者の訴えであったり、現世の者を守るための警告としての意味を持っている。<br />
その実証として、<b>「SAM催眠学序説 その118」</b>でその実例を挙げてあります。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>4</b><br />
魂表層に「現世の者」しか存在していない事例がある。つまり、前世がなく、現世が魂として最初の人生である被験者が存在する。生まれ変わりを体験していない魂の持ち主である被験者の共通の性格特性が「無知、無垢」である。<br />
したがって、無知であるがゆえに好奇心が旺盛であり、無垢であるがゆえにナイーブで悪意がなく傷つきやすい。周囲からは悪意のない、いい人だという評価を受けている。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>5</b><br />
強烈な思念(意識)が凝縮し集合体を形成すると、一個の人格を持つ意識体としての属性を帯びる。<br />
思念(意識)にはそうした本質があり、そのため「未浄化霊」、「生き霊」などと呼ばれてはいるが、それは「霊」ではなく強烈な思念の集合体である。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>6</b><br />
生まれ変わりの科学的証拠だと自信を持って主張できる事例は、「タエの事例]と「ラタラジューの事例」を語った被験者里沙さん一人でしかない。<br />
しかし、特筆できることは、<b>タエからラタラジューへの生まれ変わりは33年、ラタラジューから里沙さんへの生まれ変わりは64年という生まれ変わりの間隔年数が、タエ、ラタラジュー両前世人格の語りから特定できたことである。</b><br />
このことについて、20数年かけ2300事例に及ぶ膨大な生まれ変わりの科学的研究をおこなったこの分野の第一人者であるイアン・スティ-ブンソンでさえ、次のように述べている。<br />
「二つ以上の前世を記憶しているという子どもが少数ながら存在するという事実を述べておく必要がある。・・・これまで私は、<b>両方とも事実と確認できるほど二つの前世を詳細に記憶していた子どもをひとりしか見つけ出していない</b>」<br />
(『前世を記憶する子どもたち』笠原敏雄訳、日本教文社、P.333)<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
ただし、スティーヴンソンは、この子どもの二つの前世記憶によって、生まれ変わりの間隔年数が特定できたのかどうかについては一切述べていない。<br />
こうした生まれ変わりの先行研究から見ても、「タエの事例」と「ラタラジューの事例」は、世界的にきわめて希少価値の高い生まれ変わりの実証事例として評価できる。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>7</b><br />
生まれ変わり(転生)は惰性で繰り返されていないようである。<br />
どういう形をとるかは様々であるが、負荷(試練)を背負い、魂の成長進化を図る目的を持って生まれ変わるらしい。<br />
現世をどう生きるかの青写真は、魂と守護霊との相談によって決められるらしい。 <br />
しかし、生前に相談された現世での使命や目的は、魂が肉体に宿ると同時に忘却される。<br />
したがって、生まれてきた使命や目的を、直接知る方法は一切ない。<br />
守護霊との接触によっても、守護霊は教えてはくれない。 <br />
現世の肉体に宿った魂が、与えられた負荷をどう乗り越え、現世をどう生きるかは、ひとえに魂の主体性に任されているらしい。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
さて、日本の古代史に大胆な仮説を展開し、「日本学」を創始した哲学者梅原猛は、インスピレーションによらない学説などは、たいしたものにはならない、というようなことを述べています。<br /></span>
<div style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;">
そして、まさしく、わたしあての霊信はインスピレーションの集積といってよいでしょう。 <br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
これまでの催眠研究が取り上げてこなかった「霊的意識諸現象の事実」を、新たな対象領域として位置づけ体系化を試みようとする「SAM催眠学」の提唱には、梅原猛のこうした考え方に触発され、勇気を与えられてきました。</span></div>
<span style="font-size: medium;"><br />
おそらく、催眠研究のアカデミズムに属する大学の研究者が同様の霊信を受け取っても、妄想だと切り捨て、一笑に付すなどして、真摯に向き合うことはまずないだろうと思われます。<br />
そうなれば、「SAM前世療法」も「SAM催眠学」も誕生するはずがありません。 <br />
2008年に教職から離れ、多くの公的束縛から解放されて自由なわたしであるからこそ、浮き世のしがらみの希薄になったわたしを選んで、霊信を送ってきたのだと考えるのは、あながち的外れではなかろうと思います。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
上越教育大学大学院でのわたしの恩師、教育学博士杵淵俊夫先生が、「哲学を本当にやれるのは浮き世の地位・名誉・欲得から縁のない乞食になることだよ」と語られたことを思い出します。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
</span><span style="font-size: medium;">さて、第1霊信で通信霊は、</span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
<b>「あなたの探究心の方向性について語ろう。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>今後あなたは自分の思うままに前進するべきであり、そのためのこれまでの道のりであった。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>あなたは自分の直感を通し得るべき知識を模索していく」</b>と告げています。 <br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
第7霊信で通信霊は、<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>「わが霊団はあなた方を中心としある計画を進めている」</b>と告げ、 <br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
第8霊信で通信霊は、<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>「今回伝えるべきことは、あなた方を含め、多くの者が計画に参加しているということである。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>・・・そして、あなた方の参加する計画というゲームはあなた方の考えるよりも大規模なのだと理解しなさい。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>楽しむ姿勢を忘れないようにしなさい」</b>と告げています。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
さらに、第15霊信では通信霊は、<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>「これは神とあなた方の交わした約束であり、計画である。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>すべてに祈りを、感謝をささげなさい」</b>と告げています。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
また、第5霊信で通信霊は、<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>「今日は、あなたはM子の霊信でどの高級霊が語りかけてくるのだろうかと考えた。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>だが、私は高級霊ではない。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>あなたの期待を裏切るわけではない。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>あなたの感覚をあるがままに感じながら霊信を読みなさい。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>かしこまらずに、もっと肩のちからを抜きなさい。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b> </b></span></div><div style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;"><b>私はあなたの上にいる者であり、下にいる者であり、隣にいる者であり、そばにいる者である。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>そして、あなたの目の前にいる者である。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>そして、あなただけではなく、すべての者に対してもそうである。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>だが、人々は私が自然の者だと分からないあまりに、あらゆる手段を通し私を知ろうとする。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>そして感じようとする。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>私を恐れる者、そして救いを求める者、欲する者、すべての者は同じ平行線の上に立っている。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>だが人々はそのことに気づかない」</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
と、自分は高級霊ではないと否定する存在(神?)が、<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>「あなたは肩の力を抜きはじめている。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>それでいいのだ。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>あなた方は、構えていては何も見出せなくなる。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>もっと楽しみなさい。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>これは『遊び』なのだ。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>すべての計画は、そうである」</b>と告げてきました。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
第16霊信では、守護霊団の一員で、生前はエドガー・ケイシーだとを名乗る霊が、<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>「私たちは必要に応じてあなたに語りかけるであろう。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>そして、あなたが求める時も、必要に応じて与えるであろう」</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
と告げ、2007年2月14日以後、M子さんを霊媒に用い自動書記による霊信が途絶えたのち、魂状態の自覚に至ったクライアントに、わたしのガイドや霊団の一員を名乗る霊が憑依しては、クライアントによる口頭での霊信を告げてくることが、数ヶ月ごとに起こるようになり、それが2023年現在に至っても続いています。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
こうした口頭による語りかけの霊信内容の概要は、<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>「自分たちのような霊的存在を知らしめるために降りてきた。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>稲垣は自分の進んでいる方向に自信を持ちなさい。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>霊的真理を地上に広めなさい。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>稲垣の現世最後の仕事がこの先に待っている。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>健康に留意してその仕事に備えなさい。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>その仕事の内容は今は教えることができない」</b><br />
ということに集約できます。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
また、M子さん経由の霊信が途絶えた2007年の夏に、里沙さんの守護霊の憑依実験をおこない、降りてきた守護霊と40分間にわたる対話をしました。<br />
彼女の守護霊は、わたしの要請でいつでも憑依し、メッセージを伝えてくれるからです。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>「私は霊界では異例の存在であり、それは稲垣に霊界の消息を伝える役目を与えられているからだ」</b>と告げているからです。 <br />
彼女の場合、守護霊が憑依中の記憶がまったくありません。 <br />
フルトランス状態になり、憑依状態による甚だしい疲労が翌日まで残ると言います。 <br />
憑依実験で彼女の守護霊がわたしに語った内容は、以下のような5点に要約できます。 <br /></span>
<span style="font-size: medium;"></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>1</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>タエの事例は偶然ではありません。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>計画され、あなたに贈られたものです。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>計画を立てた方は、わたくしではありません。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>計画を立てた方は、わたくしよりさらに上におられる神です。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>タエの事例が出版されることも、新聞に掲載されることも、テレビに取り上げられることもはじめから計画に入っていました。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>あなたは、人を救うという計画のために神に選ばれた人です。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>2</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>あなたのヒーリングエネルギーは、霊界におられる治療霊から送られてくるものです。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>治療霊は一人ではありません。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>治療霊はたくさんおられます。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>その治療霊が、自分の治療分野の治療をするために、あなたを通して地上の人間に治療エネルギーを送ってくるのです。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>3</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>あなたの今までの時間は、あなたの魂と神とが、あなたが生まれてくる前に交わした約束を果たすときのためにありました。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>今、あなたの魂は成長し、神との約束を果たす時期が来ました。 神との約束とは、人を救う道を進むという約束です。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>その時期が来たので、ヒーリング能力も前世療法も、あなたが約束を果たすための手段として神が与えた力です。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>しかし、このヒーリングの力は万能ではありません。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>善人にのみ効果があらわれます。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>悪人とはあなたの進む道を邪魔する者です。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>今あなたを助ける人がそろいました。どうぞたくさんの人をお救いください。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>4</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>神はあなたには霊能力を与えませんでした。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>あなたには必要がないからです。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>霊能力を与えなかった神に感謝をすることです。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>5</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>守護霊に名前はありません。 </b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>わたくしにも名はありません。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>あなたの守護霊は、わたくしよりさらに霊格が高く、わたくしより上におられます。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>そういう高い霊格の方に守られている分、あなたにはそれなりの試練と困難が与えられています。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>これまでの、あなたに生じた困難な出来事のすべてがはじめからの計画ではありませんが、あなたの魂の成長のためのその時々の試練として与えられたものです。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>魂の試練は、ほとんどが魂の力で乗り越えねばなりません。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>わたくしたちは、ただ見守るだけです。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>導くことはありません。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>わたくしたちは魂の望みを叶えるために、魂の成長を育てる者です。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>霊能力がなくても、あなたに閃くインスピレーションが守護霊からのメッセージです。 それがあなたが迷ったときの判断の元になります。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>あなたに神の力が注がれています。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>与えられた力を人を救う手段に使って人を救う道に進み、どうぞ神との約束を果たしてください。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
さて、読者のみなさん自身に、これまで紹介したような霊信を受け取るという霊的現象が起こったとしたらどのような反応を示されるでしょうか。<br />
世界の三大霊信と呼ばれている、モーゼスの『霊訓』、アラン・カルディックの『霊の書』はともに19世紀末、シルバーバーチの『霊言』は20世紀末の話です。<br />
わたしあて霊信は、これら過去の三大霊信では触れられていない霊的真理として、魂と生まれ変わりの仕組みをわたしに教えることに目的をしぼり、送信されてきた霊信であるという解釈が成り立つかもしれません。<br />
そして、わたしによって(わたしを道具に使って)、霊的真理である魂と生まれ変わりについて、多くの人々に知らしめようという守護霊団の計画なのかもしれません。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
ですが私の態度は明確です。<br />
このブログの「コメント投稿の留意点」として掲げてある「<b>いかなる意識現象も先験的に否定せず、いかなる意識現象も検証なくして容認せず</b>」です。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
霊媒としての貴重な役割を担ってくれた霊信受信者M子さん、里沙さん両者の誠実な人間性を疑うことはありませんが、受信中において、無意識的に彼女ら自身の期待や願望が反映し、混入している可能性は排除できないでしょう。<br />
とりわけ、「神」という言葉が用いられ、語られることには要注意です。<br />
「神との約束」、「神の計画」などの霊信をわたしが軽々に信じ、メサイア・コンプレックス(救世主コンプレックス)や、誇大な選民思想などの過ちに陥ることを十分に警戒しなければなりません。 <br />
わたしは、できるだけ簡素で、できるだけ自給的で、喜びを中心とした日常生活を理想としている一介の催眠療法実践者です。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
したがって、両者の霊信受信という意識現象も、「検証なくして容認せず」です。<br />
検証できないからには否定もできないが、容認することも判断留保としておく、ことが偏りのない柔軟で公正な態度であろうと思います。<br />
そして、これまでの検証できたことに限れば、わたしあて霊信内容に矛盾がないことが明らかになっています。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
そして、第5霊信で「神」とおぼしき存在が、<b>「構えていては何も見出せなくなる。もっと楽しみなさい。これは『遊び』なのだ。すべての計画は、そうである」</b>と告げたように、これから先々起こることに、来るべきときに来るものは来ると、肩の力を抜いて楽しんでいこう、というのがわたしの心境の現時点のありようです。</span></div>
<div style="text-align: left;">
<span style="font-size: medium;"><br />
さて、「催眠学序説 その164」 を閉じるにあたって、わたしの脳裏に思い起こされるのは、わたしの心境の現時点の到達点にかかわっているもうひとつのもの、『モーゼスの霊訓』(霊信)にある、インぺレーターと名乗る高級霊の告げている霊信の次の一節です。
<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>「霊界より指導に当たる大軍の中には、ありとあらゆる必要性に応じた霊が用意されている。</b>(中略)<b><br />
筋の通れる論証の過程を経なければ得心のできぬ者には、霊媒を通じて働きかける声の主の客観的実在を立証し、秩序と連続性の要素をもつ証明を提供し、動かぬ証拠の上に不動の確信を徐々に確立していく。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>さらに、そうした霊的真理の初歩段階を卒業し、物的感覚を超越せる、より深き神秘への突入を欲する者には、神の深き真理に通暁せる高級霊を派遣し、神性の秘奥と人間の宿命について啓示を垂れさせる。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>かくのごとく人間には、その程度に応じた霊と相応しき情報とが提供される。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>これまでも神は、その目的に応じて手段を用意されてきたのである。<br />
今一度繰り返しておく。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>スピリチュアリズムは、曾ての福音の如き見せかけのみの啓示とは異なる。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>地上人類へ向けての高級界からの本格的な働きかけであり、啓示であると同時に宗教でもあり、救済でもある。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>それを総合するものが、スピリチュアリズムにほかならぬ。</b>(中略)<b><br />
常に分別を働かせねばならぬ。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>その渦中に置かれた者にとっては、冷静なる分別を働かせることは容易ではあるまい。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>が、その後において、今汝を取り囲む厳しき事情を振り返った時には、容易に得心がいくことであろう」<br />
</b>(近藤千雄訳『霊訓』「世界心霊宝典」第1巻、国書刊行会)</span></div>
<div style="text-align: left;">
<span style="font-size: medium;"><br />
インペレーターと名乗る高級霊から牧師スティトン・モーゼスに送信された上記霊信の、この引用部分は、わたしに向かって発信された啓示であるかのような錯覚すら覚えます。<br />
高級霊インペレーターが説いているように、SAM前世療法にとりかかる前のわたしは、「筋の通れる論証の過程を経なければ得心のできぬ者」のレベルにありました。</span></div>
<div style="text-align: left;">
</div>
<div style="text-align: left;">
<span style="font-size: medium;"><br />
だから、「秩序と連続性の要素を持つ証明を提供し、動かぬ証拠の上に不動の確信を徐々に確立していく」ために、「動かぬ証拠」として、わたしあての霊信現象、「タエの事例」、「ラタラジューの事例」をはじめとして、ヒーリング能力の出現などの超常現象が、霊的存在から次々に提供されているような気がしていました。</span></div><p><span style="font-size: medium;">
そうした直感の真偽を確かめるために、里沙さんの守護霊に尋ねてみるという憑霊実験を試みたわけです。<br /> </span></p><p><span style="font-size: medium;">「常に分別を働かせねばならぬ」と言うインペレーターの忠告に従っていることにもなるのでしょう。<br />
そして、分別を働かせた結果の帰着点は、霊的存在を排除しては説明できないのではないかということでした。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
かつてのわたしであれば、例えばヒーラーと称する者のヒーリング効果の解釈として、プラシーボ効果であるとか、暗示効果であるとか、信念の心身相関による効果であるとか、現行唯物論科学による合理的説明に躍起となって、それを公正な科学的態度だと信じて疑わなかったと思います。<br /> </span></p><p><span style="font-size: medium;">今、自分自身に突如ヒーリング能力があらわれ、その説明は霊的存在抜きには(霊的真理抜きには)考えられない事態に追い込まれている言えます。<br />
そして、「動かぬ証拠」を次々に提供され、ようやく「霊的真理の初歩段階を卒業」しかけている自分を感じています。<br /></span></p><p><span style="font-size: medium;">やはりわたしは、自分自身の直接の霊的体験にこそ、唯物論科学がそれをどう否定しょうと、その体験を認めざるをえない真実の力があると言わざるをえません。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
交霊能力のあった著名なスピリットヒーラーであるハリー・エドワーズは、ヒーリングによる治療を手段に、地上の人々を霊的覚醒に導く計画であることを知っていたと言います。(ハリー・エドワーズ著、梅原隆雅訳『霊的治療の解明』国書刊行会)<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
里沙さんの守護霊が伝えてくれた「人を救うという計画」という語りがそれを指しているとすれば、わたしは、SAM前世療法とヒーリングを道具に、霊的真理を広める道に進むような流れに乗っているのかも知れません。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
そして、これからもわたしが、SAM前世療法とヒーリングを、霊的真理を広めるために与えられた道具として役立たせる道を愚直に実践していく志を持続することができれば、ヒーリング能力・浄霊能力の覚醒の謎も、わたしあて霊信の意味も、おのずと開示されていくのではないかと思います。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /><br /></span></p><p> </p>稲垣 勝巳http://www.blogger.com/profile/16232260953490209907noreply@blogger.com1tag:blogger.com,1999:blog-7548750843777970344.post-47952482683953239102023-07-04T08:58:00.005+09:002023-07-05T09:31:01.281+09:00わたしあて霊信の真偽の検証 その1<p><span style="font-size: x-large;">SAM催眠学序説 その163 </span></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p><p><span style="font-size: medium;">2007年1月11日22時44分、拙著の読者M子さんへのパソコンによる自動書記を経由して最初のわたしあて霊信が届きました。 </span></p><p><span style="font-size: medium;">その後、同年2月14日20時51分着信を最後に、1ヶ月余、毎夜続いたM子さんを介しての自動書記による霊信は今日まで途絶えています。 </span></p><p><span style="font-size: medium;">霊信が始まったきっかけは、偶然と言ってよいことでした。</span></p><p><span style="font-size: medium;">わたしの著書『前世療法の探究』春秋社、2006年、を読んだM子さんが感想をメールしてくれ、そのなかで、自分は幼いときからチャネリングができると書いてきました。</span></p><p><span style="font-size: medium;">チャネリングとは霊的存在とコンタクトがとれる能力(霊媒能力)だということはおおよそ知っていましたが、M子さんは、いわゆるチャネラーに憧れている「スピリチュアルかぶれ」の娘さん(当時彼女は26歳で東京在住の派遣社員)の一人ではなかろうか、程度の認識でした。</span></p><p><span style="font-size: medium;">そこで、わたしはせっかくメールをいただいたので、礼儀と興味半分で「わたしについてチャネリングをしてもらえませんか」という返信メールを送付しました。 それが</span><span style="font-size: medium;">2007年1月11日の21時半前後でした。 その約1時間</span><span style="font-size: medium;">余にA4用紙びっしり4枚分の最初の第1霊信が届いたというわけです。</span></p><p><span style="font-size: medium;"></span></p><p><span style="font-size: medium;">わたし自身はこうした霊信現象が届くという体験は、もちろん初めてでしたし、特に信仰心の篤い人間でもなく、過去に自分あての霊信を望んだことなども一切なく、そのわたしあてにどうして霊信が届くのか、きわめて不可解な現象としか思えませんでした。</span></p><p><span style="font-size: medium;">ただし、わたしは、ガチガチの唯物論者で無神論者というわけでもなく、人間知性を超越したいわゆる something great(なにか偉大なる存在)を想定してもいいのではないか程度の漠とした認識はありました。<br /></span></p><p><span style="font-size: medium;">わたしあて霊信の受信者の役割を果たしてくれているM子さんとは、現世ではまったくの面識がなく拙著</span><span style="font-size: medium;">『前世療法の探究』の著者と読者の関係でしかありません。</span></p><p><span style="font-size: medium;">それまでのわたしの知識では、霊信は、受信対象の当事者に直接送信される現象であり、第三者を経由して送信されることはないと思っていました。</span></p><p><span style="font-size: medium;">日本においても、天理教や大本教では、初代教祖となる年輩の女性あてに、毛筆による自動書記(お筆先)という形で直接に神的存在から霊信が送信されたとされているようです。</span></p><p><span style="font-size: medium;">わたしには、自動書記による受信能力などは皆無ですから、わたしあてに直接送信されることはないでしょうし、仮にわたしの脳内に直接霊信が受信されても、わたしは自分の妄想として片付けてしまったに違いないでしょう。 </span></p><p><span style="font-size: medium;">送信している霊的存在は、そういうわたしの性向を知った上で、M子さんを経由させたのではないかと思われました。</span></p><p><span style="font-size: medium;">今回のわたしあて霊信が、</span><span style="font-size: medium;">M子さん経由</span><span style="font-size: medium;">であれば、</span><span style="font-size: medium;">少なくともわたし自身の妄想である疑いは排除され、受信者のM子さんの妄想による作文ではないかという疑いが残ることになります。</span></p><p><span style="font-size: medium;">おそらく、送信霊は、探究心が旺盛でこだわりが強いわたしのそうした性向を見抜いたうえで、霊信を第三者のM子さんを霊媒として用い送信してきたのではないか、と思われました。</span></p><p><span style="font-size: medium;">そして、送信霊の思惑通りに、わたしは霊信内容の信憑性を検証し、霊信の真偽の探究に乗り出したと言うわけです。 <br /></span></p><p><span style="font-size: medium;">こうして、</span><span style="font-size: medium;">本ブログのコンセプトは「生まれ変わりや霊魂の実在について、<b>いかなる意識現象も先験的に否定せず、いかなる意識現象も検証なくして容認せず、観念より事実、理屈より実証に重きをおく</b>内容です」と『コメント投稿の留意点』で謳っていることを実践することにしました。</span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
</p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p><p><b><span style="font-size: large;">Ⅰ 予言の信憑性についての検証</span><span style="font-size: large;"> </span><span style="font-size: large;"><br /></span></b></p><p><span style="font-size: medium;">霊信内容の真偽の検証に当たって、もっとも結果が明白に確認できることは、霊信で告げられている予言実現の当否の検証です。</span></p><p><span style="font-size: medium;">予言が的中していれば、少なくとも予言の真偽については真実であったという検証が成り立ちます。</span></p><p><span style="font-size: medium;">霊信では4点の予言が告げられています。 以下に予言の内容とその実現について現時点までに検証できたことを列記します。</span></p><p> </p><p></p><p><span style="font-size: large;"><b>【予言その1】</b></span></p><p><span style="font-size: medium;"><b>「あなたが癒しを起こすとき、多くの高級霊が治療霊としてあなたのもとに集まる」(第1霊信)</b></span><span style="font-size: small;">ヒーリングができるという予言</span></p><p><span style="font-size: medium;"><b> 検証結果</b></span></p><p><span style="font-size: medium;">この予言は、いわゆる治療霊団による治療エネルギーが、わたしの肉体を介して治療を必要とする者の患部に贈られるというスピリットヒーリング現象を意味している。 検証の結果、初期子宮癌の消失をはじめ、腰痛・肩関節痛・脊柱ヘルニア痛みなどの改善が確認できている。 末期肝臓癌2例については、癌細胞の消失は起きなかったが痛みに苦しむことなく死を迎えられたという報告を受けている。 一方、改善が起きなかった事例は、パーキンソン病の震えは止まったが完治はしなかった。 もう一例は蓄膿症の完治はできなかった。血流の改善、歯痛を除く各種痛みの改善には効果が検証できた。 また、遠隔ヒーリングでも効果が確認できた。 なお、プラシーボ効果の疑いを払拭するために、犬と猫各1匹の癌のヒーリングでは、犬の前足付け根の癌は消失、猫の額の癌の癌細胞が石灰化して増殖しなくなった結果元気になったという報告を受けている。</span></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p><p><span style="font-size: medium;"> </span><span style="font-size: large;"><b>【予言その2】</b></span></p><p><span style="font-size: medium;"> </span><span style="font-size: medium;"><b>「今回伝えるべきことは、・・・そして、あなたはいずれ前回とは異なる内容の本を出版する事となる。全貌が異なるのではなく、方向性が異なるのだ。それは、多くの人をひきつけるものとなる」(第8霊信)</b></span><span style="font-size: small;">本の出版の予言</span></p><p><span style="font-size: medium;"><b> 検証結果</b></span></p><p><span style="font-size: medium;">2007年1月のこの予言から3年後の2010年10月に、2冊目の拙著『生まれ変わりが科学的に証明された』をナチュラルスピリット社から出版することができた。 わたしは1冊目の『前世療法の探究』春秋社、2006、の初めての出版で編集作業の大変なことを実感し、2冊目の出版など考える余地などまったくなかった。 したがって、2冊目の本の内容が「全貌が異なるのではなく、方向性が異なる」という予言の意味も全く理解不能であった。 </span></p><p><span style="font-size: medium;">2冊目の応答型真性異言事例の紹介という主題は、前世療法による生まれ変わりの実証を取り上げたという点では1冊目と全貌は異なってはいない。 </span></p><p><span style="font-size: medium;">しかし、前世人格の顕現化という霊的現象、霊的存在と生まれ変わりを科学的事実だと認める明確な方向性は、1冊目ではためらっていたことであった。 こうした点から、本の全貌は異なっていないが方向性が異なる、という第8霊信の予言は的中していると認めざるを得ない。</span></p><p><span style="font-size: medium;"><br /></span></p><p><span style="font-size: medium;"> </span><span style="font-size: large;"><b>【予言その3】</b></span></p><p><span style="font-size: medium;"> <b>「そして、前世療法についてだが、あなたは自らの霊性により独自性を持つようになる。あなたの療法は、あなたにしかできないものになる。それは、M子も同様である。あなた方は、今度その療法に関わるがそれだけに限定するのではなく、別のもの同時進行するのだと理解しなさい」(第11霊信)</b></span><span style="font-size: small;">SAM前世療法の予言 </span><span style="font-size: small;"><b><br /></b></span></p><p><span style="font-size: medium;"><b> 検証結果</b></span></p><p><span style="font-size: medium;">この予言の1年後の2008年末に「SAM前世療法」が登録商標として認可されることになった。 SAM前世療法では、「魂状態の自覚まで催眠を深め魂表層を構成している前世人格を呼び出し対話する」ことを仮説とし、そのために工夫を重ねた独自の催眠誘導技法を「魂遡行催眠」と名付けている。 「前世の記憶を想起させる」一般的な前世療法とは、仮説も催眠法も一線を画した世界唯一の前世療法だと自負している。 したがって、この第11霊信の前世療法についての予言は実現したと判断できる。<span> <br /></span></span></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p><p><b><span style="font-size: large;">【予言その4】</span><span style="font-size: large;"> </span><span style="font-size: large;"><br /></span></b></p><p><span style="font-size: medium;"> <b>「あなたは今世で出会うべき女性がいる。その女性とはあなたが過去世において死別した愛する者である。その者は、まだしばらくはあなたと再会することはない。あなたは、その者にある約束をした。それは、その者が死後あなたが彼女へと誓った者である。そして、その者は死後あなたからの約束を聞いていた。なぜ、出会う前にあなたにこの話を語るのか。それはあなたがその事に興味を抱くという事が重要だからである。あなたはその者が誰なのか、いつ出会うのか、どのような死別を経験したのか、それらに興味を抱くだけでよいのだ。そこから、あなたは引き寄せられていく。あなたの魂の傷を持つ者は求め始める。それでよい。あなたは、それを許すだけでよいのだ。 あなたが今後出逢い癒しを与える者によりその女性とのつながりは得られる。あらゆるものが交差し、その線は一本につながる。それを理解しなさい。その糸はM子からは生じない。あなたの今現在知る者からは、そのきっかけは得られない。 だが、いずれそこにつながる者なのだと理解しなさい。あなたは、あなたの魂の傷を持つ者が求める者と再会するだろう。(第14霊信)</b></span><span style="font-size: small;">前世の女性と</span><span style="font-size: small;">出会いの予言</span><span style="font-size: small;"><b><br /></b></span></p><p><span style="font-size: medium;"><b>検証結果</b></span><span style="font-size: medium;"> </span></p><p><span style="font-size: medium;">該当したご本人のプライバシー守秘義務のため、この予言内容どおりの女性とは、その後のSAM前世療法のクライアントとして数年後に実際に出会っていますとだけ言っておきます。</span></p><p><span style="font-size: medium;">ただし、この予言に該当する女性は複数出現している。 </span></p><p><span style="font-size: medium;">こうして、この第14霊信の予言も実現していると判断できます。</span></p><p><span style="font-size: medium;">以上4点の予言のうち、M子さんの作文可能性のある予言は【予言その2】の本の出版予言くらいでしょうか。 なぜなら、彼女は1冊目の本『前世療法の探究』を読んでいるからです。 <br /></span></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p><p><b><span style="font-size: large;">Ⅱ 霊信による教示の信憑性の検証</span><span style="font-size: large;"><br /></span></b></p><p><span style="font-size: medium;"><b> </b></span></p><p><span style="font-size: medium;"><b> </b></span><span style="font-size: medium;">2007年1月23日0:06着信の第11霊信で通信霊は、<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>「あなたが長年探究してきたものは、これまでの視点 からでは成長は望めない。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>・・・あなたが探究すべきものは、これまでよりもさらに深奥にあるものである。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>魂の療法のみあらず、あらゆる霊的存在に対する奉仕となるものである。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>それは命あるものすべてにつながり、私たちへも強いつながりをもつ。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>そのために、あなたは自らの内にある疑問をまとめておく必要がある。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>あなたがこれまで探究してきた道の中であなたが処理できないでいるもの、そして人の理解を超えるものについて、私たちでなければ答えられないものについてまとめなさい」</b></span><span style="font-size: medium;">と告げてきました。</span></p>
<div style="text-align: left;">
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>「人の理解を超えるもの」</b>について、霊界の住人であり、人の理解を超えるものについて知っているであろう高級霊が、わたしの質問について答えると言うのです。<br />
わたしは「<b>人の理解を超えるもの</b>」 について、早速16の質問をつくり、M子さんに返信しました。<br />
すると、なんとその90分後に、A4用紙9枚にわたる通信霊からの回答が届きました。<br />
回答を考えながら A4用紙1枚を10分で打つことは、ほぼ不可能です。<br />
通信霊を装った</span><span style="font-size: medium;">M子さんの</span><span style="font-size: medium;">作文による回答ではなく、したがって、霊的存在からの自動書記による回答である可能性が高いと判断してよいだろうと思われました。 </span></div><div style="text-align: left;">
<div style="text-align: left;"><div style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;"><b> </b></span></div><div style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;"><b> </b></span></div><div style="text-align: left;"><span style="font-size: large;"><b>1「意識 ・脳二元論」「魂の二層構造」の教示</b></span></div>
</div>
</div>
<div style="text-align: left;">
<h3 style="text-align: left;">
</h3>
<span style="font-size: medium;"> </span></div><div style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;">わたしの理解を超えること、高級霊(通信霊)でなければ答えられないこと、についてわたしの疑問の第一は、魂・脳・心・意識(潜在意識を含む)の相互の関係でした。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
第11霊信で、<b>「あなたが探究すべきものは、これまでよりもさらに深奥にあるものである」</b>と通信霊は告げていますから、第12霊信、第13霊信、第14霊信、第15霊信、第17霊信の回答は、<b>「これまでよりもさらに深奥にあるもの」</b>を示唆しているのであり、わたしが<b>「探究すべきもの」</b>であると思われました。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b><b>第12霊信、第13霊信、第14霊信、第15霊信、第17霊信</b></b>における通信霊の、魂・脳・意識・心、の関係性についての難解な諸回答をまとめると次の<b>A~H</b>ようになります。<b> </b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span></div><div style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;"><b>A 「脳」</b>は<b>「意識」</b>を生み出していない。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b><b>B 「</b>意識」</b>を 生み出しているものは、<b>「魂の表層」</b>を構成している前世の者たちである。つまり、前世の者たちは<b>「魂の表層」</b>に存在している。したがって、<b>「魂」</b>は、中心(核)となる意識体とその表層を構成する前世の者たちとの<b>「二層構成」</b>となっている。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>C 「魂表層」</b>の前世の者たちによって生み出された<b>「意識」</b>は、肉体を包み込んでいる<b>「霊体」</b>に宿っている。霊体はオーラとも呼ばれる。 <br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b><b>D 「</b>魂表層」</b>の前世の者たちは、互いにつながりを持ち、友愛を築き、与え合うことを望んでいる。つまり、前世の者たちは、意識体として<b><b>「魂の表層」</b></b>に存在し相互に交流を営んでいる。
</span><div style="text-align: left;">
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>E </b>現世の<b>「わたし」</b>という人格も<b>「魂の表層」</b>に位置づいており、生まれ変わりであるすべての前世の者たちとつながりをもち、友愛を築き与え合うことを望んでいる。</span></div>
<div style="text-align: left;">
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b><b>F</b> </b>死後、<b>「霊体」</b>は肉体から離れ、霊体に宿っていた<b>「意識」</b>は<b>「魂」</b>に取り込まれる。取り込まれる先は、生きている間は<b>「魂の表層」</b>の<b>「現世の者」</b>であり、死後は<b><b>「魂の表層」</b></b>の、現世の直前を生きた前世の者、として位置づくであろうと推測される。</span></div>
<div style="text-align: left;">
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>G 「心」</b>は<b>「意識」</b>を管理している。<b>「心」</b>は<b>「魂」</b>が外部の情報を入手するための道具である。したがって<b>「心」</b>が傷つくことはない。したがって、心と意識は同義ではないが、便宜上、「心=意識」として扱うことに支障はない。</span></div>
<div style="text-align: left;">
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>H 「脳」</b>は<b>「心」</b>を管理している。脳は心(意識)を管理しているため、見かけ上、脳と心(意識)が一体化しているように受け取られる。このことによって、心は
脳の付随現象であり、脳が心(意識)を生み出しているという「心と脳の一元論」が唱えられているが、脳と心(意識)は本来、別のものである。<b><b> </b></b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b><b>「脳」</b></b>は<b>「心」</b>を管理はしているが、<b>「心」</b>を生み出しているわけではない。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b><b>「脳」</b></b>は外部の情報をまとめる役目をつかさどる。<b> </b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>「脳」</b>はデータを管理している。</span></div>
<div style="text-align: left;">
</div>
<div style="text-align: left;">
<span style="font-size: medium;"><br /></span></div><span style="font-size: medium;">
これら上記<b>A~H</b>の回答は、まさしく「<b>人の理解を超えるもの</b>」であり、26才の霊信受信者M子さんが、作文して回答できるとは思われません。<br />
人間を超えた存在である高級霊であってこそ、はじめて回答できる内容であると評価せざるを得ません。 <br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
しかも興味深いことに、第12霊信でA4用紙9枚にわたる回答を告げてきた送信霊は、わたしの16の質問の回答をした後の霊信の末尾で、<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>「M子という人間が答えられる問題は、ここには存在しない。・・・これは私からの霊信であり、M子の言葉ではない。
M子の妄想ではない。妄想では答えられないものである」</b>と念押しをするかのように告げています。<br /> </span></div><div style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;">ちなみに、第12霊信の送信霊は、</span><span style="font-size: medium;"><b>「私は稲垣の祖父の守護霊とつながりを持つ者であり、あなた方の世界で表現すると、遠い昔、転生を終えた者である」</b>と告げています。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b><br /></b>
さて、回答<b>A</b>の「心・脳二元論」の立場は、大脳生理学者でノーベル賞の受賞者であるペンフィールド、エックルズ、スペリーなどが晩年になって唱えており、世界的催眠研究者である成瀬悟策医学博士も、晩年になってからこの立場をとっています。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
これら「心・脳二元論」の提唱者たちは、脳が心(意識)を生み出してはいないのだと主張はしても、では心(意識)を生み出しているものは、どこに存在するかについては一切語っていません。<br />
それは人知を超えることであり、想像もできないということでしょう。<br />
通信霊は、心(意識)を生み出す存在は、「魂表層の前世の者たちである」と明確に告げています。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
わたしは霊信にしたがい、「心・脳二元論仮説」と「魂の二層構成仮説」に基づき、<b>A~H</b>の霊信内容の信憑性の真偽を、催眠を道具に用いてできるかぎりの徹底的な検証と探究をしようと決心しました。<br />
この検証の過程で、徐々に定式化していった前世療法こそ、2008年6月に創始した「SAM前世療法」です。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
特筆すべきことは、第11霊信で私の疑問に回答すると告げた通信霊が同じ第11霊信の中で、 <br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>「そして、前世療法についてだが、あなたは自らの霊性により独自性を持つようになる。</b></span><span style="font-size: medium;"><b>あなたの療法は、あなたにしかできないものになる」</b></span><span style="font-size: medium;">と、この霊信1年半後の2008年6月に創始した<span><u><b>S</b></u>oul <u><b>A</b></u>pproach<b><u> M</u></b>ethod の略</span>「SAM前世療法」について、すでに予言していることです。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
通信霊は、前掲<b>A~H</b>の回答を得たわたしが、当然のように、回答に基づいた独自の前世療法(SAM前世療法)を、新たに創始することをすでに見通していたのではないかと思われます。<br />
おそらく、SAM前世療法の創始をさせるための目的で第11霊信が送られたと思われます。<br /> </span></div><div style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;">第7霊信で通信霊は、<b>「わが霊団はあなた方を中心としある計画を進めている」</b>と告げていますから、わたしにSAM前世療法の創始を担わせたことは「計画」のうちに入っていたのではないかと思われます。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
そして、「SAM前世療法」によって<b>A~H</b>の作業仮説が検証され、生まれ変わりが科学の方法によって実証された事例が「タエの事例」と「ラタラジューの事例」です。<br />
タエもラタラジューも、SAM前世療法によって、被験者里沙さんを「魂状態の自覚」まで誘導し、魂表層から呼び出され、顕現化した前世人格(前世の者)なのです。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>フジTVアンビリ放映の、編集された「タエの事例」</b><b>「ラタラジューの事例」の元になっている全セッション記録動画は、you-tubeで公開してあります。</b><br /> </span></div><div style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;">この動画をご覧になれば、タエとラタラジュー両人格の顕現化現象を、「前世の記憶」である、という解釈では説明が成り立たないことは明白です。<br />
とりわけラタラジュー人格は、明らかに現在進行形の会話である証拠を残しているからです。<br />
ちなみに、タエ・ラタラジュー両事例の信憑性を、具体的事実に基づいて反証を挙げて科学的に批判した論者は、皆無です。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
また、<b>「タエの事例」の逐語録は「SAM催眠学序説 その35~40」</b>において、</span><span style="font-size: medium;"><b>「ラタラジューの事例」の逐語録は「SAM催眠学序説 その23~32」</b>において、詳細に検討しています。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
また、「魂の転生」のしくみと「生まれ変わり」の関係については<b>「SAM催眠学序説 その123」</b>で「魂の二層構成仮説」を模式図によって説明してあります。<br /></span>
<div style="text-align: left;">
<span style="font-size: medium;"><br /></span></div>
<div style="text-align: left;">
<span style="font-size: medium;"><b> </b></span></div><div style="text-align: left;"><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">2「憑依仮説」の教示</span></h2></div>
<span style="font-size: medium;"><br />
SAM前世療法の<b>「魂遡行催眠」</b>と名付けている特殊な技法を用いて、被験者を<b>「魂状態の自覚」</b>に誘導する過程で、被験者に未浄化霊と呼ばれている霊的存在が憑依していると、そうした存在が救いを求めて顕現化することが観察されます。<br />
SAM催眠学では、そうした霊的存在の憑依を認める立場をとっています。<br />
ここで言う<b>「霊的存在」</b>とは、<b>「肉体を持たない人格的意識体」</b>を意味しています。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
霊的存在には肉体がありませんから、肉体を持つ被験者の肉体を借りて一個の人格として自己表現をします。こうした現象を憑依と呼んでいます。 こうした憑依する人格的意識体を憑依霊と呼んでいます。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
憑依霊は未浄化霊だけに限りません。守護霊を名乗る高級霊や神の使いと称する高級霊も、<b>「魂状態の自覚」</b>に至ると、必要に応じて何らかのメッセージを携えて憑依します。<br />
こうして<b>「魂状態の自覚」</b>に至ると霊的存在の憑依現象が起こることを認める立場を<b>「憑依仮説」</b>と呼び<b>、</b>SAM催眠学の骨格をなす仮説の一つとして位置づけています。<b> </b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
さらに、<b>「魂状態の自覚」</b>に至り、魂表層から顕現化した前世人格は、生まれ変わりである現世の者(被験者)の肉体を借りて自己表現します。<br />
この現象は、未浄化霊や高級霊など第三者としての霊的意識体の憑依と同様な現象であり、前世人格の憑依現象を<b>「自己内憑依」</b>と名付けています。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
つまり、現世の者の内部(魂)に存在している肉体のない前世人格が、生まれ変わりである現世の者に憑依し自己表現する、という意味です。 したがって、<b>「前世人格の顕現化」</b>は<b>「自己内憑依」</b>現象だと言い換えることができます。<br />
自分の魂表層に存在している前世人格が、自分に憑依すること、これが自己内憑依です。 <br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>「 魂状態の自覚」</b>を体験した被験者のほとんどが、その意識状態の自覚に至ると体重の感覚がなくなると報告します。 <br />
おそらく、普段の状態では肉体という器に内在する魂は、なんらかの形で肉体と緊密な結びつきを保っていたのが、<b>「魂状態の自覚」</b>に至るとその結びつきが解かれ、肉体と魂が分離した状態になる、したがって、体重感覚の喪失感が生じるのではないかと推測されます。<br />
被験者の中には、魂と呼ぶ意識体が、肉体の外に分離している感覚(体外離脱)を報告することもあります。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
つまり、「魂状態」とは、肉体を持たない霊的存在と同様な状態になっていると考えられ、したがって、霊的存在と同じく肉体を持たない意識体の次元に至っているので、霊的存在との接触(コンタクト)、つまり憑依が起こりやすいのではないかと推測しています。 <br />
ちなみに、<b>SAM催眠学では、肉体を持たない意識体を「霊」、霊が肉体に入り肉体という器を持てば「魂」</b>と定義しています。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: large;"><b> </b></span></div><div style="text-align: left;"><span style="font-size: large;"><b>3「霊体仮説」の教示 </b></span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
2007年1月25日22:47着信の第14霊信で通信霊は、<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>「霊体とは魂ではない。それは、ある時はオーラと呼ばれもする。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>それは、・・・肉体を保護する役割を担うものでもある。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>魂を取り囲み、それはあなたという存在を構成するための一材料となる。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>霊体は、ある意味においてはあなた方が『あなたという人間であるため』の意識を独立して持つための役割を担うものでもある」</b><br />
と告げています。 <br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
霊体の色をオーラとして感知できる能力者には、肉体の傷んでいる部分のオーラの周囲の色が黒ずんで見えること、オーラの色が澄んでいる場合には、肉体の健康状態が良好であることを言い当てることができるという検証結果が得られています。<br /> </span></div><div style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;">こうして、霊体と肉体の両者には互いに影響を与え合う密接な相互影響関係があると推測できます。<br />
したがって、霊体は、エクトプラズムのように何らかの半物質的な要素・性質を帯びている可能性が考えられます。 <br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
また、互いに面識のない、オーラを感知できる10名を越える能力者が、それぞれに、わたしのオーラ(霊体)の色として同一の色を報告しています。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
こうして、霊体と肉体には、双方に共通の何らかの要素・性質が存在し、そのため相互に影響を与え合う関係がある、とする仮説も<b>「霊体仮説」</b>には含まれています。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
また、<b>1</b>の<b>C</b>で述べたように、われわれ生きている人間は、肉体を包み込んでいる霊体を持っている、霊体には意識・潜在意識が宿っている、と考えるのが<b>「霊体仮説」</b>です。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
そして、霊体には意識・潜在意識が宿っている、という仮説と、霊体と肉体には、双方に共通の何らかの要素・性質が存在する、という両仮説の検証実験の累積によって、<b>「魂遡行催眠」</b>というSAM前世療法以外に類のない固有・独創の誘導技法が生み出されました。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>「SAM前世療法」</b>が、すでに「前世療法]という用語があるにもかかわらず登録商標として認められたのは、その固有性、独創性が認められたからです。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: large;"><b> </b></span></div><div style="text-align: left;"><span style="font-size: large;"><b>4</b><b>「<b>残留思念仮説</b>」の教示</b></span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
2007年1月20日1:01着信の第8霊信で通信霊は、<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>「あなたは、すべては『意識』であると理解していた。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>ことばとしての『意識』をあなたは理解している。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>だが、その本質はまだ理解には及んではいない。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>あなたが覚醒するにしたがって、それは思い出されるものとなる」</b><br />
と告げています。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
また2007年1月23日22:58着信の第12霊信で通信霊は、 <br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>「この世に残る未成仏霊(未浄化霊)のような存在は、残留思念の集合体である。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>だが、それらは意志を持つようにとらえられる。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>よって、魂と判断されがちだが、それらは魂とは異なるものである」</b><br />
と告げています<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
以上のような2007年の霊信を受け取ってから、16年間にわたるSAM前世療法の仮説と検証の実践の繰り返しを経て、わたしは「<b>意識の本質</b>」の一つとして、「<b>強力な思念(意識)の集合体は、一個の人格としての属性を帯びた意識体になる</b>」と考えるようになっています。<br />
この仮説をSAM催眠学では、「<b>残留思念仮説</b>」と名付けています。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>「残留思念仮説」</b>によって定義すれば、<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>「未浄化霊」</b>とは、「この世に何らかの強い未練があるために、救いを求めてさまよっている残留思念の集合体であり、意志を持つ人格としての属性を備えたもの」です。 <br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>「生き霊」</b>とは、「強力な嫉妬や憎悪によって、魂表層の『現世の者』から分離した思念の集合体であり、意志を持つ人格としての属性を備えたもの」です。<br />
その実証として、SAM前世療法による生き霊との対話を、<b>「SAM催眠学序説 その115」</b>で述べています。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>「インナーチャイルド」</b>とは、「耐えがたい悲哀の体験をしたために傷つき、その苦痛から逃れるため、大人の人格へと成長していく本来の人格から分離(解離)され、 取り残された子どものままの残留思念の集合体であり、大人の人格に内在しつつ意志を持つ別人格としての属性を備えたもの」です。<br />
その実証として、SAM前世療法によるインナーチャイルドとの対話を<b>「SAM催眠学序説 その119」</b>で述べています。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
こうして、SAM前世療法によって顕現化する「未浄化霊」も、「生き霊」も、「インナーチャイルド」も、実際のセッションにおいては、意志を持つ人格として扱うことができる<b>「見做し人格」</b>だとして、対話をおこないます。<br /> </span></div><div style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;">また、それらは強力な思念の集合体であり人格としての属性を持つ意識体という意味では、肉体のない「霊的意識体」だととらえています。<br />
そして、未浄化霊も生き霊も、それらはマイナスの思念を抱え、理解を求めている人格的存在だととらえるべきであろうと思われます。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
このことについて第9霊信は、<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>「そして、あなたがもっとも理解すべきなのは、『</b><b><b>霊祓い</b>』を選択するのではなく『</b><b><b>浄化</b>』を選択することである。・・・霊がいつも求めるものは『理解』であることを忘れないようにしなさい。そしてその本質は『愛』なのだ」</b><br />
と告げています。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
「生まれ変わり仮説」そのものへの諸反論とわたしの見解(反論)については<b>「SAM催眠学序説 その117」</b>をご覧ください。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: large;"><b> </b></span></div><div style="text-align: left;"><span style="font-size: large;"><b>まとめ</b></span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span></div>
<div style="text-align: left;">
</div>
<div style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;">
わたしの探究の原点は問題意識です。<br /> </span></div><div style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;">それは、われわれの意識はどこから生じ、どこへ行くのか、死後はあるのかないのか、あるとして生まれ変わりがあるのかないのか、生まれ変わりがあるとしてそれはどのような仕組みになっているのか、意識の本質とは何であるのか、などこれまでの唯物論科学の枠組みでは答えが出せそうもない領域への探究です。<br />
これらの探究を科学の方法をもって、つまり、仮説を設け、仮説に基づいて実践(実験)し、結果を検証し、仮説を検討していくという営みを地道に繰り返しながら、誰もが納得できる科学的な事実の発見を試みる探究の道を持続することです。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
しかしながら、意識現象は、計測したり、数量化したり、映像化したりすることは、「意識」が本来的に物質に還元できないものである以上不可能です。<br />
したがって、意識現象を体験した者の体験報告を手がかりとするしか方法論がありません。<br />
それら意識体験の体験報告を累積し、共通項を導き出し、それを客観的事実であろうと見做して仮説の真偽を検証していくこと以外に、現時点では方法論を見出すことができません。<br />
こうした、前提と限界のある霊的意識現象の探究ですが、これまでのSAM前世療法の実践によって明らかにしてきた発見を大きく7点列挙してみます。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>1</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;">
ふだん「脳」に管理されている「心(意識・潜在意識)」は、脳の管理下にあるがゆえに、脳の束縛を受け、脳と一体化しているように受け取られる。<br />
したがって「心(意識・潜在意識)」は、脳の生み出している付随現象として理解されているが、それは錯覚である。<br />
潜在意識の優勢化が進むにつれて、心(潜在意識)は、脳の管理下から離脱し、潜在意識は脳への働きかけの自由を得る。<br />
この、心(潜在意識)が脳の束縛から離れ自由を得た状態が「催眠状態」である。<br />
催眠下では、心(潜在意識)の働きかけのままに脳が反応するようになる。<br />
これを催眠学では「言語暗示による運動・知覚・思考などの意識の変性状態」と定義している。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>2</b><br />
良好な催眠状態を徹底的に深めていくと、潜在意識の深奥には、誰もが「魂状態の自覚」を持っていることが明らかになった。<br />
直近100事例で91%の被験者が「魂状態の自覚」に至っている。 「魂」と呼んでいる意識体が、肉体に内在している間接的実証である。<br />
これまでに、最年少は小学6年生男子、最年長は82才女性、京都大教授2名、名古屋大学准教授1名、東北大学准教授1名、その他私立大学教授を含めて十数名、医師十数名など、知的訓練を十分に受けている被験者たちも「魂状態の自覚」に至っている。 <br />
「魂状態の自覚」に至れば、魂表層に存在している前世人格が、呼び出しに応じて顕現化する。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>3</b> <br />
魂表層には前世の諸人格が意識体として生きており、現世の人格を担っている「現世の者」も位置付いている。<br />
それらの魂表層の者たちは互いの人生の智恵を与えあっており、「現世の者」は、良かれ悪しかれ前世の者たちの影響を受けている。<br />
よろしくない影響を受けていると心理的、肉体的諸症状となって現象化する。<br />
そうした症状は、前世の者の訴えであったり、現世の者を守るための警告としての意味を持っている。<br />
その実証として、<b>「SAM催眠学序説 その118」</b>でその実例を挙げてあります。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>4</b><br />
魂表層に「現世の者」しか存在していない事例がある。つまり、前世がなく、現世が魂として最初の人生である被験者が存在する。生まれ変わりを体験していない魂の持ち主である被験者の共通の性格特性が「無知、無垢」である。<br />
したがって、無知であるがゆえに好奇心が旺盛であり、無垢であるがゆえにナイーブで悪意がなく傷つきやすい。周囲からは悪意のない、いい人だという評価を受けている。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>5</b><br />
強烈な思念(意識)が凝縮し集合体を形成すると、一個の人格を持つ意識体としての属性を帯びる。<br />
思念(意識)にはそうした本質があり、そのため「未浄化霊」、「生き霊」などと呼ばれてはいるが、それは「霊」ではなく強烈な思念の集合体である。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>6</b><br />
生まれ変わりの科学的証拠だと自信を持って主張できる事例は、「タエの事例]と「ラタラジューの事例」を語った被験者里沙さん一人でしかない。<br />
しかし、特筆できることは、<b>タエからラタラジューへの生まれ変わりは33年、ラタラジューから里沙さんへの生まれ変わりは64年という生まれ変わりの間隔年数が、タエ、ラタラジュー両前世人格の語りから特定できたことである。</b><br />
このことについて、20数年かけ2300事例に及ぶ膨大な生まれ変わりの科学的研究をおこなったこの分野の第一人者であるイアン・スティ-ブンソンでさえ、次のように述べている。<br />
「二つ以上の前世を記憶しているという子どもが少数ながら存在するという事実を述べておく必要がある。・・・これまで私は、<b>両方とも事実と確認できるほど二つの前世を詳細に記憶していた子どもをひとりしか見つけ出していない</b>」<br />
(『前世を記憶する子どもたち』笠原敏雄訳、日本教文社、P.333)<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
ただし、スティーヴンソンは、この子どもの二つの前世記憶によって、生まれ変わりの間隔年数が特定できたのかどうかについては一切述べていない。<br />
こうした生まれ変わりの先行研究から見ても、「タエの事例」と「ラタラジューの事例」は、世界的にきわめて希少価値の高い生まれ変わりの実証事例として評価できる。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>7</b><br />
生まれ変わり(転生)は惰性で繰り返されていないようである。<br />
どういう形をとるかは様々であるが、負荷(試練)を背負い、魂の成長進化を図る目的を持って生まれ変わるらしい。<br />
現世をどう生きるかの青写真は、魂と守護霊との相談によって決められるらしい。 <br />
しかし、生前に相談された現世での使命や目的は、魂が肉体に宿ると同時に忘却される。<br />
したがって、生まれてきた使命や目的を、直接知る方法は一切ない。<br />
守護霊との接触によっても、守護霊は教えてはくれない。 <br />
現世の肉体に宿った魂が、与えられた負荷をどう乗り越え、現世をどう生きるかは、ひとえに魂の主体性に任されているらしい。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
さて、日本の古代史に大胆な仮説を展開し、「日本学」を創始した哲学者梅原猛は、インスピレーションによらない学説などは、たいしたものにはならない、というようなことを述べています。<br /></span>
<div style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;">
そして、まさしく、わたしあての霊信はインスピレーションの集積といってよいでしょう。 <br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
これまでの催眠研究が取り上げてこなかった「霊的意識諸現象の事実」を、新たな対象領域として位置づけ体系化を試みようとする「SAM催眠学」の提唱には、梅原猛のこうした考え方に触発され、勇気を与えられてきました。</span></div>
<span style="font-size: medium;"><br />
おそらく、催眠研究のアカデミズムに属する大学の研究者が同様の霊信を受け取っても、妄想だと切り捨て、一笑に付すなどして、真摯に向き合うことはまずないだろうと思われます。<br />
そうなれば、「SAM前世療法」も「SAM催眠学」も誕生するはずがありません。 <br />
2008年に教職から離れ、多くの公的束縛から解放されて自由なわたしであるからこそ、浮き世のしがらみの希薄になったわたしを選んで、霊信を送ってきたのだと考えるのは、あながち的外れではなかろうと思います。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
上越教育大学大学院でのわたしの恩師、教育学博士杵淵俊夫先生が、「哲学を本当にやれるのは浮き世の地位・名誉・欲得から縁のない乞食になることだよ」と語られたことを思い出します。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
</span><span style="font-size: medium;">さて、第1霊信で通信霊は、</span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
<b>「あなたの探究心の方向性について語ろう。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>今後あなたは自分の思うままに前進するべきであり、そのためのこれまでの道のりであった。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>あなたは自分の直感を通し得るべき知識を模索していく」</b>と告げています。 <br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
第7霊信で通信霊は、<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>「わが霊団はあなた方を中心としある計画を進めている」</b>と告げ、 <br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
第8霊信で通信霊は、<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>「今回伝えるべきことは、あなた方を含め、多くの者が計画に参加しているということである。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>・・・そして、あなた方の参加する計画というゲームはあなた方の考えるよりも大規模なのだと理解しなさい。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>楽しむ姿勢を忘れないようにしなさい」</b>と告げています。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
さらに、第15霊信では通信霊は、<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>「これは神とあなた方の交わした約束であり、計画である。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>すべてに祈りを、感謝をささげなさい」</b>と告げています。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
また、第5霊信で通信霊は、<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>「今日は、あなたはM子の霊信でどの高級霊が語りかけてくるのだろうかと考えた。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>だが、私は高級霊ではない。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>あなたの期待を裏切るわけではない。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>あなたの感覚をあるがままに感じながら霊信を読みなさい。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>かしこまらずに、もっと肩のちからを抜きなさい。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b> </b></span></div><div style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;"><b>私はあなたの上にいる者であり、下にいる者であり、隣にいる者であり、そばにいる者である。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>そして、あなたの目の前にいる者である。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>そして、あなただけではなく、すべての者に対してもそうである。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>だが、人々は私が自然の者だと分からないあまりに、あらゆる手段を通し私を知ろうとする。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>そして感じようとする。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>私を恐れる者、そして救いを求める者、欲する者、すべての者は同じ平行線の上に立っている。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>だが人々はそのことに気づかない」</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
と、自分は高級霊ではないと否定する存在(神?)が、<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>「あなたは肩の力を抜きはじめている。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>それでいいのだ。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>あなた方は、構えていては何も見出せなくなる。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>もっと楽しみなさい。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>これは『遊び』なのだ。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>すべての計画は、そうである」</b>と告げてきました。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
第16霊信では、守護霊団の一員で、生前はエドガー・ケイシーだとを名乗る霊が、<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>「私たちは必要に応じてあなたに語りかけるであろう。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>そして、あなたが求める時も、必要に応じて与えるであろう」</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
と告げ、2007年2月14日以後、M子さんを霊媒に用い自動書記による霊信が途絶えたのち、魂状態の自覚に至ったクライアントに、わたしのガイドや霊団の一員を名乗る霊が憑依しては、クライアントによる口頭での霊信を告げてくることが、数ヶ月ごとに起こるようになり、それが2023年現在に至っても続いています。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
こうした口頭による語りかけの霊信内容の概要は、<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>「自分たちのような霊的存在を知らしめるために降りてきた。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>稲垣は自分の進んでいる方向に自信を持ちなさい。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>霊的真理を地上に広めなさい。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>稲垣の現世最後の仕事がこの先に待っている。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>健康に留意してその仕事に備えなさい。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>その仕事の内容は今は教えることができない」</b><br />
ということに集約できます。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
また、M子さん経由の霊信が途絶えた2007年の夏に、里沙さんの守護霊の憑依実験をおこない、降りてきた守護霊と40分間にわたる対話をしました。<br />
彼女の守護霊は、わたしの要請でいつでも憑依し、メッセージを伝えてくれるからです。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>「私は霊界では異例の存在であり、それは稲垣に霊界の消息を伝える役目を与えられているからだ」</b>と告げているからです。 <br />
彼女の場合、守護霊が憑依中の記憶がまったくありません。 <br />
フルトランス状態になり、憑依状態による甚だしい疲労が翌日まで残ると言います。 <br />
憑依実験で彼女の守護霊がわたしに語った内容は、以下のような5点に要約できます。 <br /></span>
<span style="font-size: medium;"></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>1</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>タエの事例は偶然ではありません。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>計画され、あなたに贈られたものです。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>計画を立てた方は、わたくしではありません。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>計画を立てた方は、わたくしよりさらに上におられる神です。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>タエの事例が出版されることも、新聞に掲載されることも、テレビに取り上げられることもはじめから計画に入っていました。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>あなたは、人を救うという計画のために神に選ばれた人です。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>2</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>あなたのヒーリングエネルギーは、霊界におられる治療霊から送られてくるものです。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>治療霊は一人ではありません。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>治療霊はたくさんおられます。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>その治療霊が、自分の治療分野の治療をするために、あなたを通して地上の人間に治療エネルギーを送ってくるのです。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>3</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>あなたの今までの時間は、あなたの魂と神とが、あなたが生まれてくる前に交わした約束を果たすときのためにありました。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>今、あなたの魂は成長し、神との約束を果たす時期が来ました。 神との約束とは、人を救う道を進むという約束です。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>その時期が来たので、ヒーリング能力も前世療法も、あなたが約束を果たすための手段として神が与えた力です。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>しかし、このヒーリングの力は万能ではありません。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>善人にのみ効果があらわれます。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>悪人とはあなたの進む道を邪魔する者です。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>今あなたを助ける人がそろいました。どうぞたくさんの人をお救いください。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>4</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>神はあなたには霊能力を与えませんでした。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>あなたには必要がないからです。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>霊能力を与えなかった神に感謝をすることです。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>5</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>守護霊に名前はありません。 </b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>わたくしにも名はありません。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>あなたの守護霊は、わたくしよりさらに霊格が高く、わたくしより上におられます。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>そういう高い霊格の方に守られている分、あなたにはそれなりの試練と困難が与えられています。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>これまでの、あなたに生じた困難な出来事のすべてがはじめからの計画ではありませんが、あなたの魂の成長のためのその時々の試練として与えられたものです。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>魂の試練は、ほとんどが魂の力で乗り越えねばなりません。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>わたくしたちは、ただ見守るだけです。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>導くことはありません。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>わたくしたちは魂の望みを叶えるために、魂の成長を育てる者です。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>霊能力がなくても、あなたに閃くインスピレーションが守護霊からのメッセージです。 それがあなたが迷ったときの判断の元になります。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>あなたに神の力が注がれています。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>与えられた力を人を救う手段に使って人を救う道に進み、どうぞ神との約束を果たしてください。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
さて、読者のみなさん自身に、これまで紹介したような霊信を受け取るという霊的現象が起こったとしたらどのような反応を示されるでしょうか。<br />
世界の三大霊信と呼ばれている、モーゼスの『霊訓』、アラン・カルディックの『霊の書』はともに19世紀末、シルバーバーチの『霊言』は20世紀末の話です。<br />
わたしあて霊信は、これら過去の三大霊信では触れられていない霊的真理として、魂と生まれ変わりの仕組みをわたしに教えることに目的をしぼり、送信されてきた霊信であるという解釈が成り立つかもしれません。<br />
そして、わたしによって(わたしを道具に使って)、霊的真理である魂と生まれ変わりについて、多くの人々に知らしめようという守護霊団の計画なのかもしれません。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
ですが私の態度は明確です。<br />
このブログの「コメント投稿の留意点」として掲げてある「<b>いかなる意識現象も先験的に否定せず、いかなる意識現象も検証なくして容認せず</b>」です。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
霊媒としての貴重な役割を担ってくれた霊信受信者M子さん、里沙さん両者の誠実な人間性を疑うことはありませんが、受信中において、無意識的に彼女ら自身の期待や願望が反映し、混入している可能性は排除できないでしょう。<br />
とりわけ、「神」という言葉が用いられ、語られることには要注意です。<br />
「神との約束」、「神の計画」などの霊信をわたしが軽々に信じ、メサイア・コンプレックス(救世主コンプレックス)や、誇大な選民思想などの過ちに陥ることを十分に警戒しなければなりません。 <br />
わたしは、できるだけ簡素で、できるだけ自給的で、喜びを中心とした日常生活を理想としている一介の催眠療法実践者です。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
したがって、両者の霊信受信という意識現象も、「検証なくして容認せず」です。<br />
検証できないからには否定もできないが、容認することも判断留保としておく、ことが偏りのない柔軟で公正な態度であろうと思います。<br />
そして、これまでの検証できたことに限れば、わたしあて霊信内容に矛盾がないことが明らかになっています。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
そして、第5霊信で「神」とおぼしき存在が、<b>「構えていては何も見出せなくなる。もっと楽しみなさい。これは『遊び』なのだ。すべての計画は、そうである」</b>と告げたように、これから先々起こることに、来るべきときに来るものは来ると、肩の力を抜いて楽しんでいこう、というのがわたしの心境の現時点のありようです。</span></div>
<div style="text-align: left;">
<span style="font-size: medium;"><br />
さて、「催眠学序説 その163」 を閉じるにあたって、わたしの脳裏に思い起こされるのは、わたしの心境の現時点の到達点にかかわっているもうひとつのもの、『モーゼスの霊訓』(霊信)にある、インぺレーターと名乗る高級霊の告げている霊信の次の一節です。
<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>「霊界より指導に当たる大軍の中には、ありとあらゆる必要性に応じた霊が用意されている。</b>(中略)<b><br />
筋の通れる論証の過程を経なければ得心のできぬ者には、霊媒を通じて働きかける声の主の客観的実在を立証し、秩序と連続性の要素をもつ証明を提供し、動かぬ証拠の上に不動の確信を徐々に確立していく。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>さらに、そうした霊的真理の初歩段階を卒業し、物的感覚を超越せる、より深き神秘への突入を欲する者には、神の深き真理に通暁せる高級霊を派遣し、神性の秘奥と人間の宿命について啓示を垂れさせる。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>かくのごとく人間には、その程度に応じた霊と相応しき情報とが提供される。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>これまでも神は、その目的に応じて手段を用意されてきたのである。<br />
今一度繰り返しておく。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>スピリチュアリズムは、曾ての福音の如き見せかけのみの啓示とは異なる。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>地上人類へ向けての高級界からの本格的な働きかけであり、啓示であると同時に宗教でもあり、救済でもある。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>それを総合するものが、スピリチュアリズムにほかならぬ。</b>(中略)<b><br />
常に分別を働かせねばならぬ。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>その渦中に置かれた者にとっては、冷静なる分別を働かせることは容易ではあるまい。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>が、その後において、今汝を取り囲む厳しき事情を振り返った時には、容易に得心がいくことであろう」<br />
</b>(近藤千雄訳『霊訓』「世界心霊宝典」第1巻、国書刊行会)</span></div>
<div style="text-align: left;">
<span style="font-size: medium;"><br />
インペレーターと名乗る高級霊から牧師スティトン・モーゼスに送信された上記霊信の、この引用部分は、わたしに向かって発信された啓示であるかのような錯覚すら覚えます。<br />
高級霊インペレーターが説いているように、SAM前世療法にとりかかる前のわたしは、「筋の通れる論証の過程を経なければ得心のできぬ者」のレベルにありました。</span></div>
<div style="text-align: left;">
</div>
<div style="text-align: left;">
<span style="font-size: medium;"><br />
だから、「秩序と連続性の要素を持つ証明を提供し、動かぬ証拠の上に不動の確信を徐々に確立していく」ために、「動かぬ証拠」として、わたしあての霊信現象、「タエの事例」、「ラタラジューの事例」をはじめとして、ヒーリング能力の出現などの超常現象が、霊的存在から次々に提供されているような気がしていました。</span></div><p><span style="font-size: medium;">
そうした直感の真偽を確かめるために、里沙さんの守護霊に尋ねてみるという憑霊実験を試みたわけです。<br /> </span></p><p><span style="font-size: medium;">「常に分別を働かせねばならぬ」と言うインペレーターの忠告に従っていることにもなるのでしょう。<br />
そして、分別を働かせた結果の帰着点は、霊的存在を排除しては説明できないのではないかということでした。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
かつてのわたしであれば、例えばヒーラーと称する者のヒーリング効果の解釈として、プラシーボ効果であるとか、暗示効果であるとか、信念の心身相関による効果であるとか、現行唯物論科学による合理的説明に躍起となって、それを公正な科学的態度だと信じて疑わなかったと思います。<br /> </span></p><p><span style="font-size: medium;">今、自分自身に突如ヒーリング能力があらわれ、その説明は霊的存在抜きには(霊的真理抜きには)考えられない事態に追い込まれている言えます。<br />
そして、「動かぬ証拠」を次々に提供され、ようやく「霊的真理の初歩段階を卒業」しかけている自分を感じています。<br /></span></p><p><span style="font-size: medium;">やはりわたしは、自分自身の直接の霊的体験にこそ、唯物論科学がそれをどう否定しょうと、その体験を認めざるをえない真実の力があると言わざるをえません。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
交霊能力のあった著名なスピリットヒーラーであるハリー・エドワーズは、ヒーリングによる治療を手段に、地上の人々を霊的覚醒に導く計画であることを知っていたと言います。(ハリー・エドワーズ著、梅原隆雅訳『霊的治療の解明』国書刊行会)<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
里沙さんの守護霊が伝えてくれた「人を救うという計画」という語りがそれを指しているとすれば、わたしは、SAM前世療法とヒーリングを道具に、霊的真理を広める道に進むような流れに乗っているのかも知れません。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
そして、これからもわたしが、SAM前世療法とヒーリングを、霊的真理を広めるために与えられた道具として役立たせる道を愚直に実践していく志を持続することができれば、ヒーリング能力・浄霊能力の覚醒の謎も、わたしあて霊信の意味も、おのずと開示されていくのではないかと思います。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span></p><p></p>稲垣 勝巳http://www.blogger.com/profile/16232260953490209907noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7548750843777970344.post-60080615422791544102023-06-02T15:59:00.008+09:002023-06-03T09:20:30.359+09:00霊感とSAM前世療法<p></p><p><span style="font-size: x-large;">SAM催眠学序説 その162</span><span style="font-size: x-large;"><br /></span></p><p> </p><p><span style="font-size: medium;">タイトルに掲げている「霊感」とは、「肉体を持たない霊的存在とのコンタクト能力や霊的存在への感受性」の意味で用いています。</span></p><p><span style="font-size: medium;">こうした意味で、SAM前世療法によって「前世人格の顕現化現象」を体験されたクライアントはその程度の差はあれ、何らかの「霊感」の持ち主と言って差し支えないでしょう。</span></p><p><span style="font-size: medium;">なぜなら、言ってみれば前世人格とは、魂表層を構成している肉体のない霊的存在(死者) に他ならないからです。 <br /></span></p><p><span style="font-size: medium;"> 現時点で、「前世人格の顕現化現象」を体験されたクライアントは91%ですから、わたしのセッションを体験したクライアントのほぼ9割には霊感があると言えるでしょう。</span></p><p><span style="font-size: medium;">ここには、とりわけ特殊な霊感の持ち主であるクライアント2名のセッション事例を紹介します。<br /></span></p><p><span style="font-size: medium;"><b><span> </span></b></span></p><p><span style="font-size: medium;"><b><span>【 事例その1】 </span></b><br /></span></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p><p><span style="font-size: medium;">下記に掲載するのは、ある宗教団体の要職についておいでの男性(60代)Fさんのセッション体験報告です。<span><br /></span><br /></span>
<span style="font-size: medium;">大変理知的で誠実な求道者といった印象を与えたクライアントでした。</span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">主訴は、「魂の実在」と「親神さま」(天地創造と人間創造のすべての創造神)の</span><span style="font-size: medium;">実在を実感したいということでした。 </span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">自分の催眠状態をモニターしている冷静な顕在意識のありようがよく分かる貴重な</span><span style="font-size: medium;">体験報告です。 </span></p><p><span style="font-size: medium;">下記の点線内に紹介します。 </span><span style="font-size: medium;"><br />・<span>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ </span><br /></span>
<span style="font-size: medium;">平成24年12月3日、午後3時からセッション開始、稲垣勝巳先生65歳。</span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">私も65才。<br /> </span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">1・壁を通して聞こえてくる戸外の雑音(特にトラックの通過する爆音)が気になった。<br /> </span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">2・左側頭部で圧迫痛がした(左耳朶が特に痛い)。セッションを終えて数分で痛みはなくなった。<br /> </span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">3.浄霊後の催眠での、守護霊の応答について。<br />(特に左手人差し指の動きについて。)<br />あの時、私の意思を離れて、勝手に指が動きましたが、あの時の指は単なる指ではなくて、指に宿った“無意識さん”の“顔ないしは頭部”になっていたのではないでしょう</span><span style="font-size: medium;">か?<br /> </span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">指の動きは「上下」だけではなくて、「左右」にも動いていた記憶があります。私は自分の指の動きを感知できました。誘導の最初の頃は、指は単なる「イエス、ノー」の意味で「上下」運動をしていましたが、守護霊が現れてからは、指が霊体の頭となって「首から上」の動作をしていたように感じました。</span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"> </span></p><p><span style="font-size: medium;">守護霊は前世の誰かと交代することを「受諾した」のではなく、「ためらいがちに、</span><span style="font-size: medium;">首を左右に振った」という感じを受けました。</span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">指は質問に応じて色々な反応をしました。単なる上下運動だけじゃなくて、一見あい</span><span style="font-size: medium;"></span>
<span style="font-size: medium;">まいな動きもしましたが、それは、指が「首から上」の動きを表していたからのよう</span><span style="font-size: medium;"></span>
<span style="font-size: medium;">に感じました。<br /> </span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">守護霊の意思表示は「それはしてやりたいが、することを許されていないんだ」ということを指という「全身」で「いやいやと首を左右に振って」表現しているように感じました。<br />指が勝手に動くだけで、指の「意思」は私には伝わっておりません。<br /> </span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">ただ、<b>「親神様の降臨」の時は、それ以外の時とは全く違いました。<br />降臨の直前に私の意識が一瞬消えて、気が付いたら指が化身となって「昂然と屹立している」と言う感じでした。</b></span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b><span>しかも指が立つ、というより、何かの力に引っ張られて指が直立して上を指している、という</span></b><b><span>感じでした。</span></b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b><span>しかも指自体は完全に脱力していました。 帰宅してから、同じ直立動作を試みましたが、自力で</span></b><span><b>は90度近くのあのような直立はどうしてもできませんでした。</b><br /> </span><br /></span>
<span style="font-size: medium;">4、セッションの最後に呼び戻される過程で、魂状態では、下半身が霊体化しているのを感じました。</span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">現実には椅子に深くかけて、腰も膝も曲がっているはずなのに、下半身をまっすぐ伸</span><span style="font-size: medium;"></span>
<span style="font-size: medium;">ばして頭と同じ高さで水平に宙に浮かんでいる感じがしました。</span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">そして霊体の足は、現実の足よりはるかに力に満ちていました。<br /> </span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">5、未浄化霊については心当たりがあります。</span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">結婚後一年程で男児を出産しましたが、生後五日目に赤ん坊が死にました。</span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">医師によれば、生まれつき複数の代謝異常があって生きられなかったそうです。</span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">本人もその数カ月後に腎臓病で死亡しました。</span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">その後、○○教では、神道に倣って、死後に一年祭、五年祭、十年祭、二十年祭、</span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">十年ごとに慰霊の年祭をしますが、婚家がしましたので、たぶん形式的で、真の慰霊</span><span style="font-size: medium;"></span>
<span style="font-size: medium;">にはなっていなかったのでしょう。</span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">夫はすぐに再婚しました。<br />浮かばれない気持ちは分かりますが、何故血族の家内に憑依せずに私に憑依した</span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">のかが分かりません。</span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
</p><pre class="moz-quote-pre" wrap=""><span style="font-size: medium;"> </span></pre>
<div style="text-align: left;">
<span style="font-size: medium;">大事なことをお伝えすることを忘れておりました。<br /><br />私は○○教の中で、指導的な立場を与えていただいております。</span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><span>○○</span>教には定年制はありませんが、今、私が教会長をつとめている教会の会長職を</span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">倅に譲ろうと準備を進めているところです。</span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">来年11月3日に正式に譲る予定です。<br /><br /><b>これまで何十年と霊的真理については研究を重ねてきて、その過程で、どうしても実証的な体験をしなければ、人に確信をもって言うことができない、</b>と思うようになりまして、今年に入った頃から、私に前世体験をさせてくれそうな人を探しておりました。<br /> </span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">飯田史彦先生のことは、『生きがいの創造</span><span style="font-size: medium;"><span>』</span>を出版なさる前からネットで知っており、</span><span style="font-size: medium;">先生にメールでお願いして、あの本のもとになった論文も頂きました。<br /> </span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">そのご縁から、門真市の奥山輝実先生も知りまして、色々下調べをしてみましたが、</span><span style="font-size: medium;">お二人とも施術者としては優秀ですが、死後の霊魂の存続については、個人的には信じ</span><span style="font-size: medium;">ておられるようですが、公式には態度保留というお立場にみえます。<br /> </span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">前世があるかないか分からないが、一定の治療効果があるから、たとえ見えたものが無意識の作り出したビジョンでもいいではないか、という見解のようです。<br /> </span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">私の求めているのは、治療ではなくて「霊的真理」のみですから、 と申しますのは、</span><span style="font-size: medium;"><span>○○</span>教では、一定の信仰信念に達しますと『おさづけの理』という、いわば「ヒーリング能力」を付与される制度があります。</span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">私には「身上助けの効能の理としてのおさづけの理」という宗教的なヒーリング能</span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">力がすでにありますから、治療には興味も必要もないのです。<br /> </span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">どこかにどなたかいらっしゃらないかなあ、とネットサーフィンしていて、偶然稲垣</span><span style="font-size: medium;">先生のことを知りました。<br />あらゆるサイトを探して、先生のことはあらかた分かりました。</span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">教師をなさっておられた頃のことや、近年のタエの事例やラタラジューの事例のその</span><span style="font-size: medium;">後の経過も逐一調べました。<br /><br />この先生に会いに行かなければならない!と心に決めて先生にセッションの事前予約を承諾して頂いた後、その旨を家族に相談しました。</span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">が、猛烈な反対にあいました。<br />家内は一定の理解を示してくれましたが、二人の息子が強硬に反対するのです。</span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">長男は教会長後継者ですので、「今、おやじがオカルト的な行動をすると、教団に知れ</span><span style="font-size: medium;">たらどんな処分を受けるかわからん。どうしてもやるのなら、完全に退職してからやってくれ」というのが彼の意見です。</span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">次男は少壮の物理学者ですが、「行くのはいいが、いきなりセッションを受けるのは</span><span style="font-size: medium;"></span>
<span style="font-size: medium;">やめて、まずはその方と会ってみてはどうか?<br />世間には色々いかがわしい輩もいて前世体験などと言って金品を巻き上げる事例も多いから。おやじなら、一度会えばその人物が本物かどうか見分けがつくだろうから」という意見です。<br />私は悩みました。</span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">倅たちの意見は至極尤もです。</span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">私が強行する理由はありません。<br /><br />ところが、心はどうしてもすぐにでもセッションを受けたいとはやるのです。<br />色々考えた挙句、長男の意見に従うことにしました。<br /> </span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">先生にも申し上げたように私はPCのエキスパートです。</span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">ちょうどその頃(11月19日)に、長女が自宅のPCの無線LANを組んでほしい</span><span style="font-size: medium;">と言ってきまして、そのために普段私が使っているノートPCを持って行きました。</span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">無線LANはすぐに構築できまして、時間がありましたから、そうだ、稲垣先生に延</span><span style="font-size: medium;">期をお願いしようと、上記の理由を詳細に書いて来年の11月3日のあとにセッショ</span><span style="font-size: medium;"></span>
<span style="font-size: medium;">ンを受けたい旨のメールを送信しました。<br /> </span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">ところが、受信サーバは反応するのですが、送信サーバが反応しません。</span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">何度やっても同じです。</span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">他人からPCのメンテナンスを依頼された場合は、設定を色々いじってなんとか直し</span><span style="font-size: medium;"></span>
<span style="font-size: medium;">ます。</span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">そのときも送信できるようにする自信はあったのですが、無理はやめようと思いまし</span><span style="font-size: medium;">た。<br />これは、何かのメッセージに違いない。</span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">延期をお願いするメールが送信できないのは、早急に行けという意味ではなかろうか。</span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">よし、直観に従おうと決めました。<br /> </span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">但し、倅が心配するだろうから、家内には本当のことを打ち明けて、倅には内緒でいくことにしました。</span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">もちろん、どんなことを経験しようが、来るべき時がくるまでは倅には内緒にしてお</span><span style="font-size: medium;">くつもりでした。(今でもそう思っています)<br /> </span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">12月3日朝、不思議と心は穏やかでした。生まれて初めての経験、それも唯物論ではありえないことに遭遇しつつあるのですから、極度の期待と緊張があるはずなのに、まるで日常のルーティン・ワークをこなしているような平静な自分に驚きました。<br />自分は行くべくして行っているなあ、となかば可笑しいように自分を観察していました。<br />駅を降りて、お会いする前に、ご自宅周辺を30分ほど散策しました。</span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">デジャブは感じませんでしたが、とても懐かしい気がしました。<br />それから、呼び鈴を押しました。<br />お会いして、私より先生の方が少し緊張なさっている印象を受けました。<br />あとは先生御承知の通りです。<br />・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(終わり)</span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"> </span></div><div style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;">ゴチック部分は、注目していただきたいと、わたしが願った部分です。</span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">とりわけ、水平に置いた手のひらの人差し指がほぼ垂直に直立した現象には驚きました。 </span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">わたしもやってみましたが、とても真似のできることではありませんでした。</span><span style="font-size: medium;"><br /> <span>解剖学的にも、人指し指の間接が単独で直立状態に立つことは不可能です。</span><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b><span>「指が立つ、というより、何かの力に引っ張られて指が直立して上を指している、という感じでした」</span></b><span>という述懐がありますが、これは降臨されたと思しき「親神さま」が、指を立てた 主体であると考えれば筋が通る現象です。</span><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b><span> </span></b><span>なお、</span><b><span>「</span></b><b><span>指自体は完全に脱力していました」</span></b><span>ということですから、指を直立させた主体はクライアント自身の顕在意識ではないと考えられるからです。</span><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"> また、</span><span style="font-size: medium;"><b><span>「</span></b><span><b>私の求めているのは、治療ではなくて『霊的真理』のみ」</b>、</span><span><b>「どうしても実証的な体験をしなければ、人に確信をもって言うことができない」</b>と述べるほどの真摯な求道精神の持ち主であるクライアントですから、その求めに応じて「親神さま」と呼ばれる存在が</span><span>顕現化している証として知らしめた指の直立現象だととらえてよいように思われました。</span><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">こうした霊的超常的現象に遭遇できることも、SAM前世療法ならではの醍醐味の一つです。 </span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"> </span></div><div style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;"><b> </b></span></div><div style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;"><b><span>【</span> </b><span><b>事例その2】 </b></span><span> </span></span></div><p><span style="font-size: medium;"> </span></p><p><span style="font-size: medium;">次に紹介するのは、P子さんという33歳のタイ国女性のセッション事例です。</span></p><p><span style="font-size: medium;">セッション期日は令和5年5月4・5日の2日間です。</span></p><p><span style="font-size: medium;">事例1のFさんのセッションから10年後になります。 <br /></span></p><p><span style="font-size: medium;">彼女には過去に日本に留学した経験があり、その後タイ国の商社勤務をしながら、日本に出張する度に、過去3回ほどわたしのセッションを受けてきました。</span></p><p><span style="font-size: medium;">今回は、アメリカの大学でMBAの資格を取得するため、2日後に渡米するということで 、その前に2日連続してセッションをどうしても受けたいという依頼でした。 </span></p><p> </p><p></p><p><span style="font-size: medium;"><b><span>第1日</span></b></span></p><p><span style="font-size: medium;">この日の主訴は、現在交際しているタイ国人男性について、どうしても交際がうまく進まない、悲観的な感情に支配されてしまう、その理由が前世にあるのかどうかを突き止めたいということでした。</span></p><p><span style="font-size: medium;">そこで、魂の自覚状態にまで催眠深度を遡行し、魂状態の自覚に至ったところで、当該男性の前世での関わりを持つ彼女の前世人格を呼び出そうと試みました。</span></p><p><span style="font-size: medium;">顕現化した彼女の前世人格は、エルサルバドルの霊能力の優れた女性シャーマンでした。<br /></span></p><p><span style="font-size: medium;">現在交際中の当該男性は、この女性シャーマンの夫でした。</span></p><p><span style="font-size: medium;">この夫はキリスト教徒であり、キリスト教の教義に背くという理由によって、妻であるシャーマンを魔女だとして教会に密告し、そのため女性シャーマンは拷問にかけられた末に死亡したということでした。 このことを語ったときの、前世の女性シャーマンの悲しみの号泣はすさまじいものでした。</span></p><p><span style="font-size: medium;">しかも、エルサルバドルの前世で裏切り行為をした夫の生まれ変わりこそ、現世で交際中のタイ国人の男性でした。</span></p><p><span style="font-size: medium;">こうして、魂表層にいる前世の女性シャーマンが、潜在意識下で、現世のP子さんにこの男性との交際に対して警告を発していたということです。 </span></p><p><span style="font-size: medium;">こうしたセッション結果を、クライアントのP子さんがどのように理解し、今後の当該タイ国人男性との交際に、どう生かしていくかは興味深い問題ですが、セラピストのわたしの関与できることではありませんし、関与することを一切してはならないと思います。</span></p><p><span style="font-size: medium;">印象深いことは、前世を過ごしたエルサルバドルという中南米の小国について、P子さんはそのような国名をどこかで聞いたことがあるが、どのあたりにある国なのか興味・関心を持ったことは一切ないし調べたこともない、なんでエルサルバドルなどという国名を前世人格が語ったか不思議だ、と感想を漏らしたことでした。 </span></p><p><span style="font-size: medium;">SAM前世療法のセッションでは、当のクライアント本人が全く知らない土地の名前や人種・種族(アボリジニ、シャイアン族など)を、顕現化した前世人格が語ることが結構あります。</span></p><p><span style="font-size: medium;">たとえば、「タエの事例」で顕現化した前世人格のタエは、被験者里沙さんの全く知らない吾妻川という川の名前を語っています。 </span></p><p><span style="font-size: medium;">どこかで聞いたことが潜在意識に残っていて、それが催眠中に顕現化したのだ、というもっともらしい説明ではどうしてもおさまり切らないような現象にわたしには思われます。</span></p><p><span style="font-size: medium;"><b><span> </span></b></span></p><p><span style="font-size: medium;"><b><span> 第2日</span></b></span></p><p><span style="font-size: medium;">この日の主訴は、<b>①</b>稲垣とP子さんと、ともに暮らした前世があるならそれを知りたい、<b>②</b></span><span style="font-size: medium;">P子さん</span><span style="font-size: medium;">は何回の生まれ変わりをしているか、何回の生まれ変わりで終わりなのかを知りたい、ということでした。</span></p><p><span style="font-size: medium;"><b>①について </b><b><br /></b></span></p><p><span style="font-size: medium;"> セッション結果は、稲垣とともに過ごした3回の前世人格の顕現化がありました。</span></p><p><span style="font-size: medium;">一つ目は、4世紀の中東で生きたアラブ人の遊牧民であり、仲のよい従兄弟どうしの前世であり、稲垣が年長で、P子さんとは兄弟のように羊を追って暮らしていた、ということでした。</span></p><p><span style="font-size: medium;">二つ目は、10世紀のヨーロッパで白人として生きた父と娘の仲のよい親子の前世でした。稲垣が父であり、P子さんは娘であったということでした。</span></p><p><span style="font-size: medium;">三つ目は20世紀始めのロンドンで生きた白人肉体労働者で兄弟同様の間柄であり、ともに助け合って働いていた前世でした。 稲垣がやはり年長で、P子さんが頼りにしていた兄貴分であったということでしたが、稲垣は重い病気になり、しかし、貧しかったため医者にかかるお金がなくて死んでいったということでした。 この労働者の前世人格が顕現化したときに、P子さんは激しく号泣しました。</span></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p><p><span style="font-size: medium;"> </span><span style="font-size: medium;"><b>②について</b></span></p><p><span style="font-size: medium;">これまでのセッション経験では、クライアントの生まれ変わりの回数について、顕現化した前世人格に尋ねても、なかなか明確な回答を得ることができませんでした。</span></p><p><span style="font-size: medium;">そこで今回は初めての試みとして、霊格の高い超高級霊に憑依してもらって、Pさんの依頼に応えてみることにしました。</span></p><p><span style="font-size: medium;">魂状態にあるP子さんに、「神という存在者、あるいは神の使いである霊格の高い高級霊にお願いいたします。どうぞこの者に降りてきて、質問に答えてください」と呼びかけてみました。 <br /></span></p><p><span style="font-size: medium;"> エルサルバドルの前世で優れたシャーマンであったP子さんであれば、この呼びかけに応じて何らかの霊格の高い霊的存在が降りてきて顕現化するかもしれないという期待が持てたからです。<br /></span></p><p><span style="font-size: medium;">果たして顕現化した者は、神の使いを名乗る超高級霊でした。 そもそも、神を名乗る存在者自身がセッション中に降臨されることは極めて稀ですし、降臨されたとしても声を発することは、まずありません。</span></p><p><span style="font-size: medium;"> わたしは、この機会をとらえて、日頃から疑問に思っていることも質問してみました。</span></p><p><span style="font-size: medium;">憑依してきた神の使いを名乗る霊的存在は、それまでの</span><span style="font-size: medium;">P子さんとは全く別人と思われる威厳に満ち、男性的な、ゆっくりした口調で、わたしの質問の回答に</span><span style="font-size: medium;">次のような</span><span style="font-size: medium;">内容を告げてきました。</span></p><p><span style="font-size: medium;">・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ <br /></span></p><p><span style="font-size: medium;">P子と稲垣が現世でこうして再会しているのは神の計画である。</span><span style="font-size: medium;"> <br /></span></p><p><span style="font-size: medium;">稲垣は、<span>P子を支え、助ける役目を負っている。 </span><span> </span></span></p><p><span style="font-size: medium;">P子は現世が87回目の生まれ変わりである。</span></p><p><span style="font-size: medium;">この後、神と守護霊の計画によって、120回までの生まれ変わりをするであろう。 ただし、</span><span style="font-size: medium;">P子の霊性の成長・進化の状況によって120回の回数には増減が生じる。</span></p><p><span style="font-size: medium;">霊信の受信者であるM子は、すでにこちらの世界に来ており楽しく暮らしている。 <br /></span></p><p><span style="font-size: medium;">稲垣の生まれ変わり回数369回に無駄のある人生はない。 </span></p><p><span style="font-size: medium;">多くの異なる時代、異なる人種、異なる仕事、異なる社会的地位、様々な異なる苦悩など多種多様な体験するための必要な回数として、神の計画された生まれ変わり回数である。</span></p><p><span style="font-size: medium;">この生まれ変わり回数は、SAM前世療法の開発実践者として必要な資質を養うための神の計画による。 </span></p><p><span style="font-size: medium;">稲垣にはこの先、現世の最後の仕事が待っている。 </span></p><p><span style="font-size: medium;">その内容について、今明かすことは神から禁じられている。</span></p><p><span style="font-size: medium;">・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ <br /></span></p><p><span style="font-size: medium;">以上、</span><span style="font-size: medium;">特殊な霊感の持ち主であるクライアント2名の<span>事例の紹介をしてきましたが、読者のみなさんはどのような感想を抱かれたでしょうか。</span></span></p><p><span style="font-size: medium;">わたしの感想を述べてみます。 <br /></span></p><p><span style="font-size: medium;">催眠学の先行研究の見地から検討すれば、中程度以上の催眠深度である「人格催眠」レベルに至ると、暗示によって指定した人物の役割演技をすることが分かっています。</span></p><p><span style="font-size: medium;">したがって、<b>【</b></span><span style="font-size: medium;"><b><span>事例1</span></b><span><b>】</b>では、クライアントFさんが「親神様」の降臨の役割演技をしたのだ、という解釈を完全に排除することはできないでしょう。</span></span></p><p><span style="font-size: medium;">しかしながら、</span><span style="font-size: medium;">「親神様」の降臨の証として、役割演技によって人差し指を直角近くまで直立させることは、まず不可能です。 明らかに、Fさん以外の外部からの相当な強い力</span><span style="font-size: medium;">の強制によって起こった現象と見るしかありません。 だからといって、</span><span style="font-size: medium;">「親神様の降臨」が起きたと断言することは軽信のそしりを受けることになると思われます。</span></p><p><span style="font-size: medium;">結局、 </span><span style="font-size: medium;">「親神様の降臨」の真偽については、判断留保としておくことが科学的に公正な態度だろうと思います。</span></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p><p><span style="font-size: medium;"><b>【</b></span><span style="font-size: medium;"><b>事例2</b></span><span style="font-size: medium;"><b>】</b>のP子さんに降りてきた超高級霊の憑依についても、同様な結論になると思います。 判断留保です。</span></p><p><span style="font-size: medium;">超高級霊が告げた、わたしの369回もの生まれ変わり回数の意味についての合理的な説明は説得力があり、わたしなりに納得できました。</span></p><p><span style="font-size: medium;">わたしあて霊信の受信者M子さんの2008年以後の消息が完全に途絶えたことについて、あるいはと推測していたことが、ズバリ「こちらの世界に来ている」と告げられて、少々悲しい思いをしましたが。 </span></p><p><span style="font-size: medium;">また、「稲垣にはこの先、現世の最後の仕事が待っている。その内容について、今明かすことは神から禁じられている」という語りは、これまで数年間にわたってセッション中に憑依してきた高級霊を名乗る存在からのメッセージと完全に一致しています。</span></p><p><span style="font-size: medium;">こうした事実を考慮すると、</span><span style="font-size: medium;">P子さんに降りてきた超高級霊は、わたしの守護霊団とつながっている</span><span style="font-size: medium;">のではないか、さらに言えば、守護霊団の一員ではなかろうかと推測しています。</span></p><p><span style="font-size: medium;">なぜなら、第16霊信(2007.1.27.17:29着信)で、「あなた方に伝えるべきことは、あなた方がこれより先へと進むたびに行うであろう霊信の口頭による伝達に対してのものである」「わたしたちは必要に応じてあなた方に語りかけるであろう。そして、あなたが求める時も、必要に応じて与えるであろう」と告げているからです。</span></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p><p><span style="font-size: medium;"> <b>「本ブログのコンセプトは、生まれ変わりや霊魂の実在について、いかなる意識現象も先験的に否定せず、いかなる意識現象も検証なくして容認せず、です」</b>とHP冒頭の「コメント投稿の留意点」で謳ってあります。</span></p><p><span style="font-size: medium;">この初志を忘れることなく、この先も慎重かつ地道に探究を続けたいと思います。</span></p><p></p><p> <br /></p>稲垣 勝巳http://www.blogger.com/profile/16232260953490209907noreply@blogger.com2tag:blogger.com,1999:blog-7548750843777970344.post-18052227676672235242023-04-14T07:48:00.119+09:002023-05-09T07:47:01.601+09:00生まれ変わり探究のわたしの遍歴<h4 style="text-align: left;"><span style="font-size: x-large;"><span style="font-weight: normal;"><span> SAM催眠学序説 その161</span></span></span></h4><div style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><b><span><span> </span></span></b></span></div><div style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;"><b><span><span>はじめに</span></span></b></span></div><div style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;"><span style="font-weight: normal;"><span> <br /></span></span></span></div><div style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;"><span style="font-weight: normal;"><span> </span></span></span><span style="font-size: medium;"><span style="font-weight: normal;"><span>『科学的探検雑誌』編集長バーンハード・M・ハイシュは、イアン・スティーヴンソンの膨大にして緻密な「生まれ変わりの実証的(科学的)研究」について次のように解説しています。 <br /></span></span></span></div><h4 style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;"><span style="font-weight: normal;"><span> ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br />
</span></span></span></h4><h4 style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;"><span style="font-weight: normal;"><span>人間の行動を考えると、生まれ変わりという考え方が、物事を説明するうえで、利点を持っていることは明らかである。
恐怖症や変わった能力、強迫観念、性的方向といったものはすべて、精神分析の往々にして回りくどい論理よりも前世の具体的状況に照らしたほうが、おそらくはよく理解できるであろう。<b>
遺伝と環境に加え、過去世での経験という第三の要因も、人間の人格の形成にあずかっている</b>のではないか、とする考え方は正当な提案といえる。(中略) スティーヴンソンは、「<b>生まれ変わりという考え方は最後に受け入れるべき解釈なので、これに代わりうる説明がすべて棄却できた後に初めて採用すべきある</b>。どの事例にしても、一例だけでは生まれ変わりの存在を裏付ける決定的証拠になるとは思っていない。私の詳細な事例報告をお読みいただければ、私たちが説得力に欠けると考えている点が明らかになることは間違いなかろうが、それによって読者の方々が、<b>生まれかわりを裏付ける証拠など存在しないと否定なさるとは思われない。
もし、そのようなご意見をお持ちの方があれば、その方に対しては『どういう証拠があれば、生まれ変わりが事実だと納得なさいますか</b>』とお聞きしたいと思う」と述べている。<br />
</span></span></span><span style="font-size: medium;"><span style="font-weight: normal;"><span>(イアン・スティーヴンソン/笠原敏雄訳『前世を記憶する子どもたち』日本教文社、PP.526-527) </span></span></span><span style="font-size: medium;"><span style="font-weight: normal;"><span><br /></span></span></span></h4><h4 style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;"><span style="font-weight: normal;"><span>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・</span></span></span></h4><h4 style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;"><span style="font-weight: normal;"><span>わたしも、上記の見解のゴチック部分にはとりわけ同感しています。<br /></span></span></span></h4><h4 style="text-align: left;"></h4><h4 style="text-align: left;"></h4><h4 style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;"><span style="font-weight: normal;"><span> </span></span></span></h4><h4 style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;"><span style="font-weight: normal;"><span>you-tubeで公開している「タエの事例」・「ラタラジューの事例」の証拠動画、このブログに公開しているセッション逐語録とその解説を、虚心坦懐に見聞きしたうえで、それでも生まれ変わりの証拠などではない、と否定される方がおいでになるならば、「どういう証拠であれば、あなたは、生まれ変わりと魂の存在が事実であると納得なさいますか」とわたしも、スティーヴンソン同様に尋ねたいと思います。 </span></span></span></h4><h4 style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;"><span style="font-weight: normal;"><span>なぜなら、わたしの生まれ変わりの実証的探究も、スティーヴンソンの実証的研究の仕方をモデルとしているからに他ならないからです。
<br /></span></span></span></h4><h4 style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;"><span style="font-weight: normal;"><span> </span></span></span></h4><h4 style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;"><span style="font-weight: normal;"><span>人間が死ねば無になるのではなく、どんな形にせよ何かが死後も存続することが科学的に証明されれば、人生観・世界観はもちろんのこと、自然界のあらゆるものに対する見方など広汎な領域にわたって根底からの深甚な変革が迫られるに違いないでしょう。</span></span></span></h4><h4 style="text-align: left;"></h4><h4 style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;"><span style="font-weight: normal;"><span> </span></span></span></h4><h4 style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;"><span style="font-weight: normal;"><span>そうであるからこそ、そして、わたし自身も死から逃れることが不可避であるからこそ、わたしは、誰もが「魂と生まれ変わりの有無」という人生の根源的な問いを回避せず、当事者性をもって、早急に答えを求めず、地道に問い続けることが大切なのだと考えています。 <br />
</span></span></span></h4><h4 style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;"><span style="font-weight: normal;"><span></span></span></span></h4><h4 style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;"><span style="font-weight: normal;"><span></span></span></span></h4><h4 style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;"><span style="font-weight: normal;"><span></span></span></span></h4><h4 style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;"><span style="font-weight: normal;"><span> </span></span></span></h4><h4 style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;"><span style="font-weight: normal;"><span>わたしの70年余の人生を振り返って、自分の死への圧倒的恐怖感を当事者性をもって迫った原体験は、小学校6年生12歳の晩秋でした。 </span></span></span></h4><h4 style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;"><span style="font-weight: normal;"><span> </span></span></span></h4><h4 style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;"><span style="font-weight: normal;"><span>母方の祖父の遺体が、火葬場の焼却炉の火炎の中で、燃やされ灰と骨になっていく様子を、焼却炉に穿たれた穴から、好奇心とイタズラ心から係員の目を盗んで見てしまったのです。 </span></span></span></h4><h4 style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;"><span style="font-weight: normal;"><span> </span></span></span></h4><h4 style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;"><span style="font-weight: normal;"><span>いつか自分も必ずそうなることを身に浸みて実感してしまったのです。 哲学的に言えば、実存的原体験とでも呼ばれる体験だろうと思います。</span></span></span></h4><h4 style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;"><span style="font-weight: normal;"><span> </span></span></span></h4><h4 style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;"><span style="font-weight: normal;"><span>死んで無になる恐怖感です。 </span></span></span></h4><h4 style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;"><span style="font-weight: normal;"><span> </span></span></span></h4><h4 style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;"><span style="font-weight: normal;"><span>この恐怖感は眠ることへの恐怖感となり、12歳にして不眠症になり、中学校に上がるまで一冬中続きました。 痩せていくわたしを心配した母親は医師の診察に連れていき、睡眠剤を処方される事態にまで悪化しました。</span></span></span></h4><h4 style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;"><span style="font-weight: normal;"><span> </span></span></span></h4><h4 style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;"><span style="font-weight: normal;"><span>この原体験以来、遺体が焼けていく光景が、心の深層に沈殿し続け、折に触れてはフラッシュバックし、死への恐怖から逃れることがありませんでした。<br /> </span></span></span></h4><h4 style="text-align: left;"></h4><h4 style="text-align: left;"><span style="font-size: medium; font-weight: normal;"> </span></h4><h4 style="text-align: left;"><span style="font-size: medium; font-weight: normal;">とはいえ、わたしの性格は、観念的な死生観を説くだけの諸宗教に救いを求めることはどうしてもできませんでした。 「観念より事実」「理屈より実証」を求めるのが、わたしの生まれつきの性向なのです。</span></h4><h4 style="text-align: left;"><span style="font-size: medium; font-weight: normal;"> </span><br /></h4><h4 style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;"><span style="font-weight: normal;"><span>そして、それまでは唯物論者であったわたしあてに、59歳のとき、守護霊団を名乗る霊的存在から第三者を経由して霊信が来るという超常現象が2007年に起き、その霊信によって、魂の転生と生まれ変わりの秘密について開示を授かるという超常現象に遭遇することになりました。<br /> </span></span></span></h4><h4 style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;"><span style="font-weight: normal;"><span>わたしは、催眠を用いた探究の方法によって、その霊信内容の真偽の検証ができる立場にありました。<br />
<br />
しかしながら、これまでの検証によって確かめてきた「魂の転生と生まれ変わりの事実」は、検証の方法論が、催眠被験者の語る「意識現象の事実」を対象にするしかない、という限界があるため、当然のことながら間接的な証明でしかなく、けっして100%の事実の証明にはなりえません。<br />
<br />
そうであっても、そこでわたしの得た知見をわたしだけに留めず、この問題意識に「科学的テーマ」として正対し、「生まれ変わりの有無」に真面目な関心を寄せる人々に伝えることが、わたしあてに霊信を贈ってきた霊的存在(守護霊団)の恩恵に対する、わたしの礼儀と責務だろうと思っています。<br />
<br />そして、スティーヴンソンをはじめとして、生まれ変わりの先行諸研究の成果は、生まれ変わりの可能性を示す証拠が、それを否定する証拠より質・量ともに無視できないほどに蓄積されていると思います。</span></span></span></h4><h4 style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;"><span style="font-weight: normal;"><span> </span></span></span></h4><h4 style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;"><span style="font-weight: normal;"><span>わたしのSAM前世療法の実践の累積による成果を要約すれば、<b>わたしの肉体の死後も、霊体に宿っていた現世のわたしの人格(個性、記憶などの心的要素)は魂表層に吸収され、魂表層を構成する「前世人格」の一つとして存続し、魂はさらに成長・進化に資するための多様な体験を求めて新たな肉体に宿る。 </b> </span></span></span></h4><h4 style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;"><span style="font-weight: normal;"><span> </span></span></span></h4><h4 style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;"><span style="font-weight: normal;"><span>このようにして、<b>「わたし」は、死後も魂の表層を構成する「前世人格」の一つとして存続し、無に帰することはない</b>ということが、SAM前世療法を用いた15年余の生まれ変わりの探究の累積から得た現時点における知見です。
<br /> </span></span></span></h4><h4 style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;"><span style="font-weight: normal;"><span>ちなみに、わたしあて霊信によれば、現世のわたしの魂は369回目の転生なんだそうです。 </span></span></span></h4><h4 style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;"><span style="font-weight: normal;"><span>さらにまた、わたしの魂の転生は369回目の今回が最後なんだそうです。 だから、転生を終える最後の仕事として、生まれ変わりの諸相を探究し、その結果を人々に伝える仕事をしなさいということらしい。</span></span></span></h4><h4 style="text-align: left;"></h4><h4 style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;"><b><span><span style="font-weight: normal;"> </span></span></b></span></h4><h4 style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;"><b><span><span style="font-weight: normal;">それでは、生まれ変わりを探究するSAM前世療法の独自・固有の立場である「前世の人格を呼び出す」という仮説が、どのような経緯によって成立してきたかについて、時間軸にそって述べてみます。</span></span></b></span><span style="font-size: medium;"> <br /></span></h4><h4 style="text-align: left;"></h4><h4 style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;"> </span></h4><h4 style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;"> </span></h4><h4 style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;"> 1 「タエの事例」との出会い<span>(2005年5月)</span></span></h4><p><span style="font-size: medium;"></span></p><p></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p><p><span style="font-size: medium;">2005年5月、被験者里沙さんへの前世療法実験セッションをおこないました。<br />
この時点では「SAM前世療法」は、成立していませんから、従来の「前世の記憶を想起する」という前提で、この「タエの事例」が遂行されています。 当時彼女は47歳でした。 <br /></span></p><p></p><p><span style="font-size: medium;">以下は、「タエの事例」の逐語録抜粋です。</span></p><p><span style="font-size: medium;">(『前世療法の探究』春秋社、PP.156-160) <br />
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>稲垣</b>:あなたは今13歳で、年号は何年ですか?<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>里沙</b>:安永九年</span><span style="font-size: medium;">(1780年)</span><span style="font-size: medium;">。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>注:年号「安永」は九年で終わっていることをセッション後確認。安永という年号を、わたしを含めて実験セッション立ち会い者7名全員(医学博士1名、国立大教授1名を含む)が知らなかった。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b><b><b>稲垣</b></b></b>: はあ、安永9年で13歳。で、今桑畑にいる。それがなぜ、楽しいのでしょう。<b><br /></b></span>
<span style="font-size: medium;"></span></p><p><span style="font-size: medium;"><b>注:前回のセッションで、タエは</b></span><span style="font-size: medium;"><b>天明3年</b></span><span style="font-size: medium;"><b>16歳の時、浅間山大噴火による龍神のお供えとして溺死した、と語っている。そこで、その恐怖の記憶を想起させればパニックになる畏れがあると判断し、最初に一番楽しかった場面を想起させた。</b></span></p><p><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>里沙</b>:桑の実を摘んで食べる。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>稲垣</b>:桑の実を食べるんですか。口の周りどんなふうになってるか分かりますか?<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>里沙</b>:真っ赤。<u><b>(微笑む)①</b></u>おカイコ様が食べる桑の木に実がなる。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>稲垣</b>:それならどれだけ食べても叱られることないんですか。ふだんはやっぱり遠慮がちなんですか? (里沙頷く)拾われてるから。あなたと同じように拾わ
れた兄弟も一緒に葉を摘んでますか?(里沙頷く)楽しそうに。(里沙頷く)じゃ、ちょっと 夕飯の場面に行ってみましょうか。三つで夕飯の場面に行き
ますよ。一・二・三。さあ今、夕飯の場面ですよ。どこで食べてますか?<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>里沙</b>:馬小屋。みんなも。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>稲垣</b>:下は?<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>里沙</b>:ワラ<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>稲垣</b>:どんな物を食べてますか?<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>里沙</b>:ヒエ。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>稲垣</b>:ヒエだけですか。おかずは?<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>里沙</b>:ない。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>稲垣</b>:ヒエだけ食べてるの。白いお米は食べないんですか? (里沙頷く)だからあまり夕飯は楽しくない。で、みんなとどこで寝るのですか?<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>里沙</b>:馬小屋。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>稲垣</b>:馬小屋で寝るの。お布団は?<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>里沙</b>:ない。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>稲垣</b>:寒いときは何にくるまるのですか?<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>里沙</b>:ワラ。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>稲垣</b>:ワラにくるまって寝るの。あなたの着てる物を見てごらんなさい。どんな物を着てますか?<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>里沙</b>:着物。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>稲垣</b>:着物の生地は何でできていますか?<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>里沙</b>:分っからない。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>稲垣</b>:粗末なものですか。(里沙頷く)手を見てごらんなさい。どんな手になってます か?<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>里沙</b>:きれいな手じゃない。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>注:キチエモンは捨て子を拾い育てているが、おそらくは農作業の労働力として使役するためであろう。したがって、牛馬同様の過酷な扱いをしていたと考えられる。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>稲垣</b>:じゃ、もう少し先へ行ってみましょう。三年先へ行ってみましょう。悲しいことがきっとあると思いますが、その事情を苦しいかもしれませんが見てください。どうですか? で、三年経つと何年になりますか?<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>里沙</b>:天明3年。(1783年、タエ16歳)<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>稲垣</b>:天明3年にどんなことがありましたか? 何か大きな事件がありましたか?<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>里沙</b>:あ、浅間の山が、お山が、だいぶ前から熱くなって、火が出るようになって・・・。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>注:天明三年六月(旧暦)あたりから浅間山が断続的に大噴火を始めた。 七月に入ってますます噴火が激しくなり、遂に七月七日(旧暦)夜にかけて歴史的大噴火を起こした。この大噴火によって、鎌原大火砕流が発生し、このため麓の鎌原村はほぼ全滅、火砕流は吾妻川に流れ込み、一時的に堰き止めた。 その数時間後に火砕流による自然のダムは決壊し、大泥流洪水となって吾妻川沿いの村々を襲った。 この大泥流洪水の被害報告が、『天明三年七月浅間焼泥押流失人馬家屋被害書上帳』</b>(</span><span style="font-size: medium;">天明三年七月あさまやけどろおしりゅうしつじんばかおくひがいかきあげちょう</span><span style="font-size: medium;">)<b> として記録に残って
いる。 この大泥流に流されてきた噴火による小山のような岩塊が、渋川市の吾妻川沿いの通常の水面から10メートル近く高い岸辺に流れ着いて、「浅間石」と名付けられて現存している。わたしは現地で浅間石の確認をしている。 </b><b>吾妻川・利根川沿岸55か村におよぶ被害は、流死1624名、流失家屋1511軒であった。 ちなみに、渋川村の上流隣村の川島村は、流死76名、流失家屋113
軒、流死馬36頭であり全滅状態であった。 </b></span></p><p><span style="font-size: medium;"><b>ただし、渋川村の被害は「くるま流 田畑少々流水入 人壱人流」</b>(くるまながれ、でんばた少々ながれ、みずいる、ひと一人ながる)<b>となっており、流死者はたった一人であった。こうした事実は
セッション後の検証で判明した。 この流死者こそタエだと推測できる。 </b><b>また、「くるま流れ」の「くるま」は、渋川村上郷から吾妻川の橋のある川原までタエを乗せて運んだ大八車だと推測できる。</b></span></p><p><span style="font-size: medium;"><b>稲垣</b>:火が渋川村から見えますか?<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>里沙</b>:うん。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>稲垣</b>:噴火の火がみえますか?<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>里沙</b>:フンカ?<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>注:天明の頃に「噴火」という用語は無く、浅間山の噴火を「浅間焼(あさまやけ)」と表現している。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>稲垣</b>:噴火って分かりませんか? (里沙頷く)分からない。火が山から出てるんですか?<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>里沙</b>:熱い!<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>稲垣</b>:煙も見えますか?<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>里沙</b>:は、はい。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>稲垣</b>:じゃ、灰みたいな物は降ってますか? そのせいで農作物に何か影響が出てますか?<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>里沙</b>:白い灰が毎日積もります。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>注:渋川市は浅間山の南東50Kmの風下に位置する。天明三年六月(旧暦)から断続的に噴火を続けた浅間山の火山灰が1メートルを超えるなど相当量積もったことは事実である。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>稲垣</b>:どのくらい積もるんでしょう?<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>里沙</b>:軒下。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>稲垣</b>:軒下までというと相当な高さですね。単位でいうとどのくらの高さですか? 村の人はなんて言ってますか?<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>里沙</b>:分からない。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>稲垣</b>:軒下まで積もると農作物は全滅じゃないですか。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>里沙</b>:む、村の人は、鉄砲撃ったり、鉦を叩いたり、太鼓を叩いても、雷神様はおさまらない。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>注:</b></span><span style="font-size: medium;"><b>当時の村人たちは、噴火にともなう火山雷を、雷神の怒りだと考えた。</b></span><span style="font-size: medium;"><b>鉄砲を撃ったり、鉦を叩いたり、太鼓を叩いてこれを鎮めようとしたことは当時の旅日記などに残されている事実である。 </b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>稲垣</b>:その結果なにが起きてますか?<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>里沙</b>:龍神様は川を下ります。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>注:浅間山は、当時龍神信仰の山であった。浅間山に住む龍神が、噴火で住めなくなって、浅間山麓の東を流れる吾妻川を下ると当時の村人は考えたのであろう。 タエは吾妻川を下る龍神の花嫁として、川中の柱(橋脚)に縛られ供えられたと思われる。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>稲垣</b>:その結果どうなりました?<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>里沙</b>:天明3年7月、七夕様の日、龍神様と雷神様が、あま、あま、あまつ、吾妻(あがつま)川を下るので ・・・水が止まって危ないので、<u>上(かみ)の村が水にやられるので</u>・・・わたしがお供えになります。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>注:2006年10月放映のアンビリバボーでは上記の下線部分「上の村が水にやられるので」の台詞が消去されてしまっている。この台詞があると、タエが人柱になる理由
が渋川村を救うためではなく上流の村々を救うためになり、視聴者には人柱の理由が分かりずらくなる。タエが自分の住む渋川村を救うために人柱になる、としたほうが話の筋として納得されやすいとアンビリ側が考えたうえで事実の歪曲がおこなわれたものと思われる。ちなみに、「吾妻川」を知っていたのは7名のセッション立ち会い者のうち1名
だけであり、わたしも知らなかった。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>稲垣</b>:自分から志願したの?<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>里沙</b>:そうです。きれいな着物を着て、<u><b>(微笑む)②</b></u>おいしいごちそう食べて・・。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>稲垣</b>:それをしたかったのですか? でも、命を失いますよ。それでもいい?<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>里沙</b>:村のために・・・。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>稲垣</b>:誰か勧めた人がいますか?<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>里沙</b>:おとっつあん。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>稲垣</b>:キチエモンさんが、そう言ってあなたに勧めた。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>注:7年後の再セッションで、キチエモンは、吾妻川上流の村々から生糸や野菜を買い入れ、吾妻川を舟で運んで交易をしていたとタエは語っている。そのための舟着場を持っていた。キチエモンは交易相手の上流の村々を水害から救うために、人柱を必要としたと推測できる。</b></span><b><span style="font-size: medium;">記録によれば、渋川村の被害は</span><span><span style="font-size: medium;">「くるま流 田畑少々</span></span></b><span style="font-size: medium;"><b>流</b></span><b><span><span style="font-size: medium;"></span></span><span style="font-size: medium;">水入 人壱人流」(くるまながれ、でんばた少々ながれ、みずいる、ひと一人ながる)となっており、流死者はたった一人であった。</span></b><span style="font-size: medium;"> </span> </p><p><span style="font-size: medium;"><b>タエは渋川村を救うための人柱ではなかったのである。</b></span><span style="font-size: medium;"><b> </b></span></p><p></p><p><span style="font-size: medium;"><b> </b></span></p><p><span style="font-size: medium;"><b>里沙</b>:恩返し。みんなのために<u><b>(微笑む)③</b></u>うれしい。<br />
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br /></span>
</p><div style="text-align: left;">
<span style="font-size: medium; font-weight: normal;">このセッション逐語録の話者「里沙」を「タエ」に置き換えて違和感があるでしょうか。</span></div><span style="font-size: medium;">
</span><div style="text-align: left;">
<span style="font-size: medium; font-weight: normal;"> </span></div><div style="text-align: left;"><span style="font-size: medium; font-weight: normal;">わたしには「タエ」であったときの前世の記憶を、「里沙」さんが想起し話している、として解釈することに大きな違和感を感じました。</span></div><span style="font-size: medium;">
</span><div style="text-align: left;">
<span style="font-size: medium;"><br /></span></div><span style="font-size: medium;">
</span><div style="text-align: left;">
<span style="font-size: medium; font-weight: normal;">ありのままに受け取れば、里沙さんが自分の前世であった「タエの記憶 」を想起して語っているのではなく、「タエという人格自身」が里沙さんの口を借りて、自分の人生を語っている、と受け取ることがごく自然であると思われました。</span></div><span style="font-size: medium;">
</span><div style="text-align: left;">
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium; font-weight: normal;">つまり、タエの人格そのものが、被験者里沙さんの肉体を借りて顕現化し、自分の人生を語っているのではないか、という直感が湧き起こったのです。</span></div><span style="font-size: medium;">
</span><div style="text-align: left;">
<span style="font-size: medium; font-weight: normal;"> </span></div><div style="text-align: left;"><span style="font-size: medium; font-weight: normal;">そして、里沙さんの口調は、実年齢47歳でありながらまさに16歳の少女としか思われないものに変化していました。</span></div><div style="text-align: left;"><span style="font-size: medium; font-weight: normal;"><br /></span></div><div style="text-align: left;"><span style="font-size: medium; font-weight: normal;">この思いは、下線を引いた</span><span style="font-size: medium;"><u><b>(微笑む)</b></u>という里沙さんの表情①~③の個所でより強い実感になっていったのです。(注:you-tube公開の「タエの事例」動画参照) </span></div><span style="font-size: medium;">
</span><div style="text-align: left;">
<span style="font-size: medium;"><br /></span></div><span style="font-size: medium;">
</span><div style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;">
微笑んでいるのは里沙さん自身の表情ですが、微笑ませている主体は、里沙さんではなくタエの人格そのものではないかと思われました。</span></div><span style="font-size: medium;">
</span><div style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;">
</span></div><div style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;">事実、セッション中のわたしの意識は、被験者里沙さんではなく、里沙さんとは別人格のタエの人格を対象にして対話していたのです。</span></div><span style="font-size: medium;">
</span><div style="text-align: left;">
<span style="font-size: medium;"><br />
里沙さんの肉体は、前世人格タエが顕現化するための媒体ではなかろうか、という現象学的発想と問題意識が生まれた瞬間でした。<span style="font-weight: normal;"> </span></span></div><span style="font-size: medium;">
</span><h3>
</h3><span style="font-size: medium;">
</span><h3>
<span style="font-size: medium; font-weight: normal;">しかし、仮に前世人格の顕現化現象を認めるとして、2005年当時の前世療法では、前世人格の顕現化という発想を持った前世療法は皆無でした。(2023年現在も同様) </span></h3><span style="font-size: medium;">
</span><h3>
</h3><span style="font-size: medium;">
</span><h3>
<span style="font-size: medium; font-weight: normal;"> </span></h3><h3><span style="font-size: medium; font-weight: normal;">そして、仮に前世人格の顕現化現象を認めるとして、ではその前世人格タエはいったいどこから顕現化してくるのか、脳内からなのか 、脳以外の場からなのか。</span></h3><span style="font-size: medium;">
</span><h3>
</h3><span style="font-size: medium;">
</span><h3>
</h3><span style="font-size: medium;">
</span><h3>
<span style="font-size: medium; font-weight: normal;">肉体の臓器である脳は、死後消滅します。</span></h3><span style="font-size: medium;">
</span><h3>
<span style="font-size: medium; font-weight: normal;">当然脳内(海馬)に保存されていた現世の記憶も無に帰することになります。</span></h3><span style="font-size: medium;">
</span><h3>
<span style="font-size: medium; font-weight: normal;">にもかかわらず、脳内から前世の記憶が想起されることは論理的にありえないことになります。 </span></h3><span style="font-size: medium;">
</span><h3>
</h3><span style="font-size: medium;">
</span><h3>
</h3><span style="font-size: medium;">
</span><h3>
<span style="font-size: medium; font-weight: normal;">そして、 記憶だけが死後も消滅せずどこかに存続している、という科学的実証はありません。 </span></h3><span style="font-size: medium;">
</span><h3>
<span style="font-size: medium; font-weight: normal;"> </span></h3><h3><span style="font-size: medium; font-weight: normal;">となれば、前世の記憶は、フィクションでしかないことになります。</span></h3><span style="font-size: medium;">
</span><h3>
</h3><span style="font-size: medium;">
</span><h3>
<span style="font-size: medium; font-weight: normal;"> </span></h3><h3><span style="font-size: medium; font-weight: normal;">SAM前世療法の成立以前、2004年に立命館大学で開催された「日本催眠医学心理学会」・「日本教育催眠学会」の合同学会で、「前世の記憶を想起させた前世療法」としてわたしの実践事例を発表した研究討議でも、大学の催眠研究者、医師など60名余りの参会者の意見の大勢は、前世の記憶はフィクションでしかない、として批判を受けました。(『前世療法の探究』春秋社、PP.137-148)</span></h3><h3><span style="font-size: medium; font-weight: normal;"> </span></h3><h3><span style="font-size: medium; font-weight: normal;">ただし、この時点で「タエの事例」は、『前世療法の探究』に掲載されていませんし、フジTV「アンビリバボー」で放映されてはいません。 <br /></span></h3><span style="font-size: medium;">
</span><h3>
<span style="font-size: medium; font-weight: normal;"> </span></h3><h3><span style="font-size: medium; font-weight: normal;">しかし、おそらく19年を経た現在でも、アカデミックな催眠関連学会の生まれ変わりについてのこうした見解は、ほとんど変化してはいないだろうと思われます。</span></h3><h3><span style="font-size: medium; font-weight: normal;"> </span></h3><h3><span style="font-size: medium; font-weight: normal;">日本のアカデミズムでは、生まれ変わりや前世の存在を研究対象に取り上げること自体が、オカルト扱いされ、特殊専門科学として論及する立場にはない、という了解ないし学問的禁欲があると思われます。</span></h3><span style="font-size: medium;">
</span><h3>
</h3><span style="font-size: medium;">
</span><h3>
<span style="font-size: medium; font-weight: normal;"><span> </span></span></h3><h3><span style="font-size: medium; font-weight: normal;"><span>催眠中にあらわれる前世の記憶の真偽について、生まれ変わりの科学的研究の泰斗、イアンスティーヴンソンは、みずからの前世療法催眠実験の結果について次のように述べています。</span></span></h3><h3><span style="font-size: medium; font-weight: normal;"><span>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ </span></span></h3><span style="font-size: medium;">
</span><h3>
</h3><span style="font-size: medium;">
</span><h3>
</h3><span style="font-size: medium;">
</span><h3>
</h3><h3><span style="font-size: medium; font-weight: normal;">前世の記憶
らしきものをはじめからある程度持っている者に催眠をかければ、細かい事実を他にも思い出すのではないか、とお考えになるかもしれない。 私自身もそのように考えたため、自然に浮かび上がった前世の記憶らしきものを持つ者に催眠をかけたことがある。 この人たちの持つ記憶らしきものは前世に由来しているかも知れないが、特に地名と人名については、事実かどうか確認できるほど明確に語ってはいなかった。 催眠状態なら、人物や場所の名前を一部にせよ正しく思い起こしてくれるかもしれないし、そうすれば、この人々の記憶に残っているという前世人格の存在が確認できるのではないかと考えたのである。 私はこのような実験を13件自らおこなったり指導したりしている。 一部では私自身が施術をおこなったが、それ以外は他の術者に実験を依頼した。 その結果、ただの1件も成功しなかった。 </span><span style="font-size: medium; font-weight: normal;">(イアンスティーヴンソン/笠原敏雄訳『前世を記憶する子どもたち』日本教文社、PP.79-80)</span></h3><h3><span style="font-size: medium; font-weight: normal;">・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ <br /></span></h3><h3><span style="font-size: medium; font-weight: normal;">そもそも、意識が脳から生み出されるという科学的実証はいまだにないわけですから、この問題の判断は留保としておくしかありませんでした。</span></h3><span style="font-size: medium;">
</span><h3>
</h3><span style="font-size: medium;">
</span><h3>
</h3><span style="font-size: medium;">
</span><h3>
<span style="font-size: medium; font-weight: normal;"> </span></h3><h3><span style="font-size: medium; font-weight: normal;">この4年後、SAM前世療法を開発した2008年に、SAM前世療法を用いて魂表層からタエの再顕現化実験をおこない、タエの人格自身が、魂表層から顕現化しているという意識現象を確認しています。 </span></h3><h3><span style="font-size: medium; font-weight: normal;"> </span></h3><h3><span style="font-size: medium; font-weight: normal;">このことは、前世人格タエは、たまたま憑依した第三者の憑依霊などではなく、里沙さんの魂表層を居場所にしている前世人格であることの証左であるととらえています。</span></h3><span style="font-size: medium;">
</span><h3>
</h3><span style="font-size: medium;">
</span><h3>
<span style="font-size: medium; font-weight: normal;"> </span></h3><h3><span style="font-size: medium; font-weight: normal;">同時にSAM前世療法の技法にしたがえば、前世人格の再顕現化が可能であることの実証であり、SAM前世療法は、「再現性の保障」という科学性の条件の一つを満たしていると思います。</span></h3><span style="font-size: medium;">
</span><h3>
</h3><span style="font-size: medium;">
</span><h3>
</h3><span style="font-size: medium;">
</span><h3>
</h3><span style="font-size: medium;">
</span><h3>
<span style="font-size: medium; font-weight: normal;"> </span></h3><h3><span style="font-size: medium; font-weight: normal;">ちなみに、「前世の記憶」として扱った事例で、これは「前世の記憶」ではなく「前世人格そのものの語り」ではないかと思われた先駆的事例3例(亜由美の事例、佳奈の事例、佐恵子の事例)を拙著『前世療法の探究』PP.50-136で紹介しています。<br /> </span></h3><h3><span style="font-size: medium; font-weight: normal;">こうして、前世人格顕現化の問題はひとまず棚上げし、「タエの記憶」として語られた前世の内容を徹底的に検証した結果を紹介した『前世療法の探究』を春秋社から2006年5月に出版しました。 </span></h3><h3><span style="font-size: medium; font-weight: normal;"> </span></h3><h3><span style="font-size: medium; font-weight: normal;">管見するかぎり、少なくとも日本においては、前世の記憶を想起するという前提の前世療法によって、語られた前世の記憶を科学的検証にかけ、「前世の記憶」の存在がフィクションではないことを実証しようと試みた書籍類は、現在においても拙著以外に知りません。</span></h3><span style="font-size: medium;">
</span><h3>
</h3><span style="font-size: medium;">
</span><h3>
</h3><span style="font-size: medium;">
</span><h3>
<span style="font-size: medium; font-weight: normal;"> </span></h3><h3><span style="font-size: medium; font-weight: normal;">前世人格の顕現化現象を認めるとして、ではその前世人格はいったいどこから顕現化してくるのか、脳内からなのか 、脳以外の居場所からなのか、この問題意識への執拗なこだわりこそ、その後のわたしの探究の原動力でした。</span></h3><span style="font-size: medium;">
</span><h3><span style="font-size: medium; font-weight: normal;">
</span></h3><span style="font-size: medium;">
</span><h3><span style="font-size: medium; font-weight: normal;">
</span></h3><span style="font-size: medium;">
</span><div style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;"><b><span> </span></b></span></div><div style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;"><b><span> </span></b></span></div><div style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;"><b><span>2 わたしあて霊信現象との遭遇(2006年1月~2月)</span></b></span></div><div style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;"> </span></div><div style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;"> </span></div><div style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;">2<span style="font-weight: normal;">006年12月末、『前世療法の探究』を読んだ、当時26歳の東京在住の派遣社員であったM子さんから、拙著についての感想メールが届きました。 </span></span></div><div style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;"><span style="font-weight: normal;"> </span></span></div><div style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;"><span style="font-weight: normal;">続いて、翌2007年1月11日~2月14日の1ヶ月間、このM子さんを霊媒として、パソコンの自動書記によるわたしあての霊信が毎夜届くという超常現象が起こりました。 </span></span></div><div style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;"><span style="font-weight: normal;"> </span></span></div><div style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;"><span style="font-weight: normal;">このわたしあて全霊信は、『SAM催眠学序説 その47~72</span><span style="font-weight: normal;"><span style="font-weight: normal;">』</span>で公開しています。
</span></span></div><span style="font-size: medium;">
</span><h3>
<span style="font-size: medium; font-weight: normal;">2007年1月23日の第11霊信で</span></h3><span style="font-size: medium;">
</span><h3>
<span style="font-size: medium; font-weight: normal;"><b><u> </u></b></span></h3><span style="font-size: medium;">
</span><h3>
<span style="font-size: medium;"><b>「前世療法についてだが、あなたは自らの霊性により独自性を持つようになる。<span style="font-weight: normal;"><b>あなたの療法は、あなたにしかできないものになる」</b></span></b><span style="font-weight: normal;"><span>と告げられ</span></span></span></h3><p><span style="font-size: medium;">
そして、同じく第11霊信で、<b>「あなたが探究すべきものは、これまでよりもさらに深奥にあるものである」</b>と通信霊は告げていますから、第12霊信、第13霊信、第14霊信、第15霊信、第17霊信の回答は、<b>「これまでよりもさらに深奥にあるもの」</b>を示唆しているのであり、わたしが<b>「探究すべきもの」</b>であると思われました。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b><b>第12霊信、第13霊信、第14霊信、第15霊信、第17霊信</b></b>における通信霊の、魂・脳・意識・心、の関係性についての難解な諸回答をまとめると次の<b>A~D</b>のようになります。<b> </b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>A 「脳」</b>は<b>「意識」</b>を生み出していない。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b><b>B 「</b>意識」</b>を 生み出しているものは、<b>「魂の表層」</b>を構成している前世の者たちである。つまり、前世の者たちは<b>「魂の表層」</b>に存在している。したがって、<b>「魂」</b>は、中心(核)となる意識体と、その表層を構成する前世の者たちとの<b>「二層構造」</b>となっている。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>C 「魂表層」</b>の前世の者たちによって生み出された<b>「意識」</b>は、肉体を包み込んでいる<b>「霊体」</b>に宿っている。霊体はオーラとも呼ばれる。 <br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b><b>D 「</b>魂表層」</b>の前世の者たちは、互いにつながりを持ち、友愛を築き、与え合うことを望んでいる。つまり、前世の者たちは、死後も<b><b>「魂表層」</b></b>で相互に交流を営んでいる。加えて、魂の表層には、「現世のわたし」の人格を担う者が位置付いている。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
こうした霊信内容は、わたしの問題意識に対して大きな示唆を与えるものとなりました。 <br />
後にこれら霊信内容を作業仮説にしてSAM前世療法を創始することになりました。 </span></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p><p><span style="font-size: medium;"><b><span>3 M子セッションとの出会い(</span><span><span>2007年1月</span>)</span></b><span><br /></span></span>
</p><p><span style="font-size: medium;"><br />
<span> </span></span></p><p><span style="font-size: medium;"><span>こうした霊信を受け取っている最中の2007年1月27日、わたしは、霊信受信者M子さんの自動書記による霊信現象の真偽と、M子さんとわたしの前世での関係性を探るためのセッションをわたしのほうからお願いしました。</span></span></p><p><span style="font-size: medium;"><span>当時</span></span><span style="font-size: medium;"><span>M子さんは26歳の派遣社員でした。</span></span></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p><p><span style="font-size: medium;">以下はM子さんとのセッションの逐語録の抜粋です。<br />・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ <br /><b>M子</b>:(毅然とした別人口調で)今はその必要はありません。<br /></span></p><p><span style="font-size: medium;"><b>注:この別人口調の話者はM子さんの守護霊だと思われる。</b><br /><b> </b></span></p><p><span style="font-size: medium;"><b>稲垣</b>:どうしたらいいでしょう? <br />わたしにできることは、仕事としては「そのもの」を癒すということが必要ではありませんか?<br /><br /><b>M子</b>:「そのもの」ではなく、あなたが今日、癒すべきものはM子という存在であり、アトランティスでの過去世について深く触れることは今日はできない。<br />だが、あなたは先ほど癒した傷ともう一つ、あなたが知らなければならない傷がある。だが、その傷は癒され始めている。それは、直接あなたと過去世で関わり合う者であり、「その意識」は、先ほどからあなたを見詰めている。<br /><br /><b>稲垣</b>:そうですか。<br /><br /><b>M子</b>:その幼子は、あなたへと伝えたい言葉をずっと胸のうちに秘めていた。<br /><br /><b>稲垣</b>:残念ですが、わたしにはそうした存在と交信する能力がありません。<br />M子さんに代弁してもらえますか? その幼子の言葉を。<br />M子さんが霊媒となって、訴えてる幼子とわたしとの仲立ちになってくだされば、その幼子を癒すことができるかもしれませんが。<br /></span></p><p><span style="font-size: medium;"><b>注:このあとM子さんの過去世である幼子の口調に変わって話す。</b> <br /></span></p><p><span style="font-size: medium;"><b>M子</b>:先生!・・・先生、ありがとう。(泣き声で)ぼく、先生を悲しませて、ごめんなさい。<br /><br /><b>稲垣</b>:分かりました。で、あなたは何をしたんですか?<br /><br /><b>M子</b>:(泣き声で)ぼくだけじゃなくて、みんな、みんな死んで、先生泣いたでしょ。<br />ぼく、先生が、ずっとずっといっぱい大切なことを教えてくれて、先生、ぼくのお父さんみたいにいっぱいで遊んでくれて、ぼくは先生のほんとの子どもだったらよかったと思ったけど、でも、死んだ後に、ぼくのお父さんとお母さんがいてね、先生は先生でよかったんだって・・・。<br />でも、ぼく、先生に、先生が喜ぶこととか何もできずに死んだから、ぼく、ずっとね、先生に恩返ししたいってずっと思ってて・・・<b>このお姉ちゃんは、ぼくじゃ ないけど、でも、先生とお話したりできるのは、このお姉ちゃんだけだよ。でも、ぼくも、ずっとこのお姉ちゃんと一緒だから、だから、ぼくのこと忘れないでね。</b><br /><br /><b>注:この幼子「ぼく」は、M子さんの魂表層を構成している前世人格の一つとして存在し、魂表層から顕現化し、現世のM子さんの肉体を借りて自己表現していることを示している。つまり、このセッション1年後に成立するSAM前世療法の前駆的現象である。</b><br /><br /><b>稲垣</b>:分かりました。きっと忘れませんよ。<br />それからあなたがね、こうやって現れて、直接あなたの声を聞く能力は、わたしにはありません。<br />でも、そのうちにそういう能力が現れるかもしれないと霊信では告げられています。ですから、そのときが来たら存分に話しましょう。<br />先生は忘れることはないだろうし、あなたからひどい仕打ちを受けたとも思っていません。だから、あなたはそんなに悲しまないでください。<br /><br /><b>M子</b>:ぼくは、先生に「ありがと」って言いたかった。<br /><br /><b>稲垣</b>:はい。あなたの気持ちをしっかり受け止めましたからね。<br />そんなに悲しむことはやめてください。先生も悲しくなるからね。<br /><br /><b>M子</b>:うん。 <br /><br /><b>稲垣</b>:あなたは片腕をなくしていますか?<br /><br /><b>M子</b>:生まれつき右腕がないんです。でも、先生は、手が一本だけでも大丈夫だっていつも言ってくれた。<br /><br /><b>稲垣</b>:そうですか。今、あなたが生きている時代はいつ頃でしょう。<br />わたしには、それも見当がつかない。西暦で何年くらいのことか分かりますか?<br /></span><span style="font-size: medium;"><span><span><b> </b></span></span></span></p><p><span style="font-size: medium;"><span><span><b>注:この後、幼子が大人の男性的口調になり、霊的存在が憑依したと思われる。 </b> </span></span></span></p><p><span style="font-size: medium;"><b>M子</b>:紀元前600年。<br /><br /><b>稲垣</b>:どこのお国でしょう?<br /><br /><b>M子</b>:・・・プ、プティアドレス。<br /><br /><b>稲垣</b>:それは地球上にあった国ですか? ほかの惑星ですか?<br /><br /><b>M子</b>:それは地球にあり、前後の違いにより、今は別の地名として伝えられている。<br /><br /><b>稲垣</b>:日本ではないようですね。中近東とかヨーロッパですか?<br /><br /><b>M子</b>:違う。<br /><br /><b>稲垣</b>:中南米とか南米でしょうか?<br /><br /><b>M子</b>:南米に近いが・・・パレンケ・・・パレンケ・・・。<br /><br /><b>注:パレンケ</b>
(Palenque)<b>
は、メキシコに現存するマヤ文明の古代都市遺跡で、メキシコの世界遺産の一つである。 ユカタン半島の付根にあたるメキシコ南東部のチアパス州に位置し、7世紀に最盛期を迎えた都市の遺構</b>(ウィキペディアの記事より)<b>。 わたしの前世の一つとして、古代都市パレンケの孤児院の教師をしていた、ということらしい。 うがった見方をすれば、わたしあて霊信の受信者M子さんは、当然のことながら霊信の告げた魂の仕組みについて知っているので、それに合わせて、彼女の前世であるマヤのパレンケの片腕のない少年の話を、無意識的に創作して語ったという解釈も可能であろう。 </b></span></p><p><span style="font-size: medium;"><b>しかし、彼女が、パレンケ遺跡について知っていた可能性は、ほぼ棄却できる。 したがって、わたしはM子さんの創作説を採らない立場であるが、残念ながらこのパレンケの片腕のない少年および、教師であったわたしの存在の真偽を検証することは不可能である。</b></span><span style="font-size: medium;"><b>ちなみに、当時26歳であったM子さんとは、2007年1月27日のセッションで会ったのが最初で最後で、その後メールのやりとりが断続的に続いたが、2008年以後2023年の現在まで、彼女のメール連絡先も携帯電話先も不通になり、完全に連絡手段は途絶えたままである。手を尽くしてみたが、彼女の居場所、状況などの消息も一切不明となっている。</b></span><span style="font-size: medium;"> <br /></span>
<span style="font-size: medium;">
</span><span style="font-size: medium;"><span><span>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ </span></span></span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">さて、このM子さんのセッションで注目すべきは、M子さんの前世として現れた少年の存在です。<br />
<br />
<span><span><span><b>「このお姉ちゃん</b>(注:M子さんのこと)<b>は、ぼくじゃ
ないけど、でも、先生とお話したりできるのは、このお姉ちゃんだけだよ。でも、ぼくも、ずっとこのお姉ちゃんと一緒だから、だから、ぼくのこと忘れないでね」</b></span></span></span><br />
<br />
<span><span><span>と語っている片腕のない少年「ぼく」の語りです。</span></span></span><br />
少年「ぼく」は、この「お姉ちゃん(M子さん)」じゃない別人格ではあるけれど、稲垣と会話できるのはM子さんだけだ、そして、少年「ぼく」はずっとM子さんとずっと一緒にいる、と語っています。<br /> </span></p><p><span style="font-size: medium;">この語りだけに注目すると意味不明ですが、このセッションの直前の霊信が告げていること、すなわち前掲の<b><b>第12霊信、第13霊信、第14霊信、第15霊信、第17霊信</b></b>の告げた内容のうち<br />
<br />
<b><b>B 「</b>意識」</b>を 生み出しているものは、<b>「魂の表層」</b>を構成している前世の者たちである。つまり、前世の者たちは<b>「魂の表層」</b>に存在している。<br />
<br />
と照合して意訳してみると、<b>
少年「ぼく」は、死後もM子さんの魂の表層で、M子さんとともにずっと存在しており、「ぼく」は、彼女の魂の表層から顕現化した前世の人格なのだ。 だから、「ぼく」自身は、現世のM子さんではない。彼女の魂表層に存在している前世の「ぼく」は、彼女の肉体を借りて顕現化でき、稲垣とお話できる</b>、<span style="font-weight: normal;">ということになります。</span><br />
<br />
<span style="font-weight: normal;">M子さんが、自分の前世である古代都市パレンケの片腕のない少年「ぼく」であった「記憶」を語っているのではなく、まさしく前世人格である少年「ぼく自身」が顕現化し、M子さんの口を借りて、自分の思いを語っていると受け取らざるをえないのです。 そして、26歳の</span></span><span style="font-size: medium;"><span style="font-weight: normal;">M子さんの口調は、</span></span><span style="font-size: medium;"><span style="font-weight: normal;">少年そのものでした。 </span><br />
<br />
<span style="font-weight: normal;">2005年当時「タエの事例」において、里沙さんが自分の前世であった「タエの記憶
」を想起して語っているのではなく、「タエという前世人格自身」が里沙さんの口を借りて、自分の思いを語っている、と受け取ることがごく自然であるという直感は、この少年「ぼく」の語りによって、はっきり裏付けられたと思われました。 </span></span></p><p><span style="font-size: medium;"><span style="font-weight: normal;">のちにこうした現象を「自己内憑依」と名付けています。 </span></span></p><p><span style="font-size: medium;"><span style="font-weight: normal;">つまり、魂表層の前世人格の顕現化とは、「生まれ変わりである現世の者の肉体に憑依して自己表現している」ということに他ならないということです。</span><br />
<br /> </span></p><p><span style="font-size: medium;">このM子さんのセッションの4日前、2007<span style="font-weight: normal;">年1月23日の第11霊信で告げられた</span><br />
</span></p><h3>
<span style="font-size: medium; font-weight: normal;"><b><u> </u></b></span></h3><span style="font-size: medium;">
</span><h3>
<span style="font-size: medium;"><b>「前世療法についてだが、あなたは自らの霊性により独自性を持つようになる。<span style="font-weight: normal;"><b>あなたの療法は、あなたにしかできないものになる」</b></span></b></span></h3><p><span style="font-size: medium;">
という予言は、「クライアントが前世の記憶を想起する」という一般の前世療法の前提とはまったく異なり、「クライアントの肉体を借りて顕現化した前世人格自身が対話する」という前提でおこなう、わたしにしかできない独自・固有の前世療法の創始を意味しているのだ、と思わざるえない事態が起きたのです。<br />
<br />
こうして、これまでの前世療法とまったく前提を異にした、「魂の表層を構成している前世人格自身を呼び出し対話する」という作業仮説による新たな方法論と技法による前世療法を構築する試行錯誤が、その後2007年春から1年間にわたって続きました。<br /> </span></p><p><span style="font-size: medium;">やがて、2008年春には、クライアントを「魂状態の自覚」へと誘導する世界に類のない新たな催眠誘導技法によって、魂の表層に存在している前世人格を呼び出すことが、9割の確立で成功することが可能であることが明らかとなりました。<br />
<br />
この前代未聞の作業仮説による前世療法を、従来の「前世の記憶を想起する」という前世療法とは明確に識別するために、また、この前世療法が霊的であるがための誤解・偏見によって歪められ誤った形で流布されることを防ぐためにも、2008年春に「<b>SAM前世療法</b>」と命名し、商法登録をすることにしました。<br /> </span></p><p><span style="font-size: medium;">「<b>SAM</b>」とは、<b>S</b>oul <b>A</b>pproach <b>M</b>ethodの略です。<br />
つまり、魂の状態にアプローチする方法による前世療法という意味を込めた命名です。<br /><br />
</span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>4 「ラタラジューの事例」との出会い</b></span><span style="font-size: medium;"><span><b><span><span style="font-weight: normal;"><b><span><span>(2009年5月) </span></span></b></span></span></b></span><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
そして、前世人格を呼び出し対話するというSAM前世療法の仮説を、自信をもって掲げることができた事例こそが、翌2009年5月におこなった<b>応答型真性異言</b>の実験セッション「ラタラジュー の事例」でした。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
「ラタラジューの事例」は、SAM前世療法独自の誘導技法にしたがって被験者里沙さんを魂状態の自覚まで誘導し、魂の表層から顕現化した前世の人格です。 <br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
顕現化した前世人格のラタラジューは、ネパール人の対話相手のカルパナさんと応答的に真性異言であるネパール語で25分間対話しています。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
被験者里沙さんが、ネパール語を学んでいないことは、ポリグラフ検査の鑑定によって明らかになっているので(後述) 、ネパール語で対話したラタラジュー人格は明らかに里沙さんとは別人格である前世人格です。 <br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
しかも、ラタラジュー人格は、現代 ネパール語ではほぼ死語となっている「swasni、スワシニ(妻)」、「ath・satori、アト・サトリ、8と70(78)」といった古いネパール語単語や古い数の数え方を用いて対話をしています。</span></p><p><span style="font-size: medium;">また、ネパール語の文法では、主語の人称に対応して「です」に当たる助動詞が、一人称では「hu(フ)」、二人称では「hunuhuncha(フヌフンチャ)」、三人称では「ho(</span><span style="font-size: medium;">ホ</span><span style="font-size: medium;">)」のように変化しますが、ラタラジューはこれを正しく使い分けて会話しています。 </span></p><p><span style="font-size: medium;">さらに、ラタラジューという名前は、ネパールでは一昔前には使われていたそうですが、現在ではほとんど使われていない人名だということです。 </span></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p><p><span style="font-size: medium;">ちなみに、里沙さんがネパール語を学んでいたのかどうかの有無を、「日本法科学鑑定センター」の荒砂正名氏(</span><span style="font-size: medium;">元大阪府警科学捜査研究所長</span><span style="font-size: medium;">)に依頼し、2時間半にわたるポリグラフ検査を実施しました。 </span></p><p><span style="font-size: medium;">その結果、彼女がネパール語を学んだ記憶の形跡は一切ない、という鑑定書の発行を得ています。</span></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p><p><span style="font-size: medium;">そして、里沙さんが、小・中・大学・近隣で、ネパール人との交際や接触が一切ないことも、綿密な聞き取り調査によって確認しています。</span></p><p><span style="font-size: medium;">
こうして、ネパール語を里沙さんが秘かに学んでいた形跡は一切ないのです。</span><span style="font-size: medium;"> <br /></span></p><p></p><p></p><p></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p><p><span style="font-size: medium;"> さらに、ラタラジューは対話相手のネパール人カルパナさんに対して、「あなたはネパール人ですか?」と問いかけ、そうです、という返事に対して、「お、お、・・・」と喜びを表明し、明らかに現在進行形の対話をしています。 </span></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p><p><span style="font-size: medium;">これは、<b>ラタラジュー人格が、ただいま、ここに、被験者里沙さんの肉体を借りて憑依し、自己表現している</b>、としか解釈できないのではないでしょうか。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
前世人格ラタラジューは、次のような、現在進行形のきわめて象徴的な対話をしています。<br />
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br /></span>
</p><h3 style="text-align: left;">
</h3><span style="font-size: medium;">
</span><div style="text-align: left;">
<span style="font-size: medium;"><b>注</b>:KAはネパー人対話者カルパナさん</span></div><p><span style="font-size: medium;">
<br />
<b>里沙</b>: Tapai Nepali huncha? <br />
(あなたはネパール人ですか?)<br />
<br />
<b>KA</b>: ho, ma Nepali.<br />
(はい、私はネパール人です)<br />
<br />
<b>里沙</b>: O. ma Nepali.<br />
(おお、私もネパール人です)<br />
・・・・・・・・・・・・・・・・・<br />
この短いやりとりの重要性は、ついうっかり見落とすところですが、現れた前世人格のありようについて、きわめて興味深く示唆に富むものだと言えます。<br />
<br />
つまり、前世人格ラタラジューのありようは、ネパール語話者カルパナさんに対して、<b>現在進行形で「あなたはネパール人ですか?」と、明らかに、ただ今、ここで、問いかけ、その回答を求めている</b>わけで、「里沙さんの潜在意識に潜んでいる前世の記憶を想起している」という解釈が成り立たないことを示しています。<br />
<br />
ラタラジューは、前世記憶の想起として里沙さんによって語られている人格ではないのです。<br />
<b>里沙さんとは別人格として、ただ今、ここに、顕現化している</b>、としか考えられない現象です。<br />
<br />
この現象は「別人格である前世のラタラジューが、里沙さんの肉体(声帯と舌)を用いて自己表現している」と解釈することが自然な解釈ではないでしょうか。<br /> </span></p><p><span style="font-size: medium;">つまり、<b>ネパール語で応答型真性異言を話している主体は、里沙さんではなく、別人格であるラタラジュー人格そのもの</b>としか解釈できないということです。<br />
<br />
換言すれば、 前世人格ラタラジューが、里沙さんに「自己内憑依」しているということです。<br /> </span></p><p><span style="font-size: medium;">自分の魂の内部に存在している前世人格が、自分に憑依して語る、などという憑依現象はこれまで知られていません。<br />
そこで、SAM前世療法では、前世人格の顕現化という憑依現象を<b>「自己内憑依」</b>と呼ぶことにしています。 <br />
<br />
この現在進行形でおこなわれている会話の事実は、<b>潜在意識の深淵には魂の自覚が潜んでおり、魂の表層には前世のものたちが、今も、意識体として存在している、というSAM前世療法独自の作業仮説が正しい可能性を示している証拠であると考えています。</b><br />
<br />
ちなみに、応答型真性異言の研究をおこなったイアン・スティーヴンソンも、「グレートヒェンの事例」について、顕現化したドイツ人少女グレートヒェンについて次のように述べています。<br />
<br />
「私自身はこの被験者を対象にした実験セッションに4回参加しており、いずれのセッションでも、<b>トランス人格たる</b>グレートヒェンとドイツ語で意味のある会話をおこなっている」</span><span style="font-size: medium;">(イアン・スティーヴンソン/笠原敏雄訳 『前世の言葉を話す人々』春秋社1995、P.9)</span><span style="font-size: medium;"><br />
<br />
「<b>ドイツ語を話す人格</b>をどのように位置づけるか・・・</span><span style="font-size: medium;">(前掲書P.10)</span><span style="font-size: medium;"> <br />
<br />
「<b>ドイツ人とおぼしき人格</b>をもう一度呼び出だそうと試みた」</span><span style="font-size: medium;">(前掲書P.11) </span><span style="font-size: medium;"><br />
<br />
応答型真性異言で対話したグレートヒェンを、被験者の「前世の記憶」として話したのではなく、「前世の人格」グレートヒェンとして顕現化したのだ、と判断しています。<br />
ただし、イアン・スティーヴンソンは、そうした前世の人格が、どこから顕現化しているかについては一切言及していません。 <br />
<br /> </span></p><p><span style="font-size: medium;">「グレートヒェンの事例」の前世療法臨床に立ち会ったスティーヴンソンが、グレートヒェンの語りを被験者の前世の記憶ではなく、トランス人格であるグレートヒェン自身の顕現化であるととらえていることに、わたしが勇気づけられたことは言うまでもありません。 <b>ちなみに「トランス人格」とは、催眠中に現れた別人格の意味です。
</b><br />
<br />
以上縷々述べてきた5年間の経緯によって、SAM前世療法おいては前世の人格と対話する、という明確な見解と仮説を掲げるに至ったというわけです。<br />
<br />
</span></p><h4 style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;"><b><span>5 </span></b><b><span><b>「心搬体<span><span>」</span></span>(サイコフォア)<span><span>と「魂」について</span></span></b></span></b></span> </h4><p>
<span style="font-size: medium;"><br />
SAM前世療法では、「前世の人格そのものを呼び出し対話する」という仮説に基づいてセッションを遂行します。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
したがって、肉体の死後も無に帰することなく存続し、生前の人格・個性・記憶など心的要素を来世へと運搬する意識体の存在を前提としています。<br /> </span></p><p><span style="font-size: medium;">生まれ変わりには、志向性がなく無目的で偶発的に起こるものではない、とすれば、なんらかの志向性を帯びて死後存続する意識体の存在を想定しないと、生まれ変わりを繰り返すという現象の説明が完結できません。 <br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
そして、なんらかの目的性・志向性を帯びて、生前の心的要素を運搬し死後も存続し続ける意識体を、SAM催眠学では「<b>魂</b>」と呼ぶことにしています。 <br /> </span></p><p><span style="font-size: medium;">同様に、イアン、スティーヴンソンも「<b>前世から来世へとある人格の心的要素を運搬する媒体を『心搬体(</b><b><span><b><span>サイコフォア</span></b></span>)』と呼ぶことにしたらどうかと思う</b>」と提案しています。(</span><span style="font-size: medium;">イアン・スティーヴンソン/笠原敏雄訳『前世を記憶する子どもたち』日本教文社、P.359) </span><span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
ただし、スティーヴンソンのいう<b>心搬体</b>(笠原敏雄氏の訳語)は、生まれ変わりを繰り返したすべての諸前世の、心的要素によって構成されている、とは述べていません。<br />
また、<b>心搬体</b>になんらかの志向性や目的性のあることにも触れてはいません。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
スティーヴンソンは、<b>「私は、心搬体を構成する要素がどのような配列になっているかはまったく知らないけれども、肉体ない人格がある種の経験を積み、活動を停止していないとすれば、心搬体は変化していくのではないかと思う」</b></span><span style="font-size: medium;">(前掲書P.359)</span><span style="font-size: medium;">と述べているだけです。<br />
そして、<b>心搬体は変化していくのではないかと思う</b>とその変化の可能性に言及していますが、<b>心搬体</b>の変化になんらかの志向性や目的性のあることには触れてはいません。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
こうして、スティーヴンソンのいう<b>心搬体</b>は、なんらかの構成要素によって成り立ち、変化していく可能性のある意識体であることが含意されていると推測できるでしょう。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>心搬体</b>とは、いわゆる<b>魂</b>(肉体に宿って精神作用をつかさどるもの)の言い換えでしょうが、「魂」という用語につきまとう宗教臭を払拭するために、科学的中立性の意味を強調した新しい造語の「心搬体」という用語をあえて提案していると思われます。<br /> </span></p><p><span style="font-size: medium;">したがって、心搬体の変化に関わるなんらかの志向性や目的性に触れることは、宗教臭を与えるおそれがあり、彼はそれに触れることをあえて自制しているのだと推測しています。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span><span style="font-size: medium;">スティーヴンソンの生まれ変わり研究の論述は、緻密かつ慎重で抑制的です。 したがって、いわゆる学問的禁欲が働いていると思われます。 </span></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p><p><span style="font-size: medium;">しかし、あえて言うなら彼には、霊信現象による魂と生まれ変わりについての開示を受けた体験がなかったからではないかとも推測しています。 <br /></span></p><p></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p><p><span style="font-size: medium;">これに対し、<b>SAM催眠学の「魂」は、なんらかの目的性・志向性を持った中心(核)となる意識体と、その</b><b><b>中心(核)となる意識体</b>の表層を、生まれ変わりをしてきた諸人格によって構成された二層構造になっている</b>と定義しています。 <br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
この魂の「二層構造仮説」を単純化した立体モデルにたとえると、魂はミラーボールのようなものになります。<br />
中心となる球体(<b>中心(核)となる意識体</b>)と、その表面に貼り付いている1枚1枚の鏡の断片(<b>生まれ変わりをしてきた前世の諸人格</b>)から、魂は構成されているというわけです。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
この「魂の二層構造仮説」は、わたしあて霊信の告げてきたそのままの内容を作業仮説に採用し、その仮説の検証をおこなってきたSAM前世療法によって確認された「意識現象の事実」の累積をもとに提唱しているものです。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
なお、 SAM催眠学の定義している「魂」にも、宗教的意味合いは一切ありません。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
一般におこなわれている前世療法は、クライアントのどこか(脳内?)に保存されていると思われる「前世の記憶」をイメージとして想起するという前提でセッションをおこないます。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
それでは、SAM前世療法で扱う対象が、「前世の人格」でなければならない合理的理由はどこにあるのでしょうか。<br /> </span></p><p><span style="font-size: medium;">わたしの主張している、「前世人格」を顕現化させて対話する、という仮説は、けっして奇を衒っているわけではありません。<br />
こうした仮説にたどりつく必然性の経緯があったということです。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
なぜ、「前世の記憶」では不都合なのでしょうか。<br />
このことは、SAM催眠学における中核的かつ本質的で重要な問題です。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
わたしが、SAM前世療法おいては前世の人格と対話する、という明確な見解と仮説を持つに至った2005年~2009年の5年間に起きた経緯については述べてきたとおりです。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b><span> </span></b></span></p><p><span style="font-size: medium;"><b><span>6 生まれ変わりの志向性についての考察</span></b></span><span style="font-size: medium;"><span><b> </b></span><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /> </span></p><p><span style="font-size: medium;">こうして、セッションであらわれた「意識現象の事実」の15年間の累積から、わたしが、魂と生まれ変わりの実在を認める立場を主張している理由は、<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>それら「意識現象の事実」を、魂の存在や生まれ変わりの証拠として認めることが直感に著しく反していないからであり、</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>魂と生まれ変わりを事実として認めることが、不合理な結論に帰着しないからであり、</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>前世人格の顕現化という霊的現象(とりわけ応答型真性異言現象)が、唯物論によってどうしても説明できないからです。</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
SAM前世療法の作業仮説は、霊信の告げた魂の二層構造を前提として導き出したもので、良好な催眠状態に誘導し潜在意識をどんどん遡行していくと、「意識現象の事実」として、クライアントが「魂の自覚状態」に至ることが明らかになっています。<br /> </span></p><p><span style="font-size: medium;">この魂の自覚状態に至れば、呼び出しに該当する前世人格が魂の表層から顕現化し、対話ができることが、クライアントの「意識現象の事実」として明らかになっています。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
ラ
タラジューも、こうして呼び出した前世人格の一つであるわけで、その前世人格ラタラジューが応答型真性異言で会話した事実を前にして、魂や生まれ変わりの実在を
回避するために、深層心理学的概念を駆使してクライアントの「意識現象の事実」に対して、何としても唯物論的解釈でおさめようとこだわることは、現行科学の知の枠組みに固執した不毛な営み
だ、とわたしには思われるのです。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
魂状態の自覚、そこであらわれる前世人格の顕現化という「意識現象の事実」に対して、事実は事実としてありのままに認めるという現象学的態度をとってこそ、霊的意識現象の探究を実りあるものにしていくと思っています。<br /> </span></p><p><span style="font-size: medium;">そして、クライアントの示す「意識現象の諸事実」は、現行科学の枠組みによる説明では、到底おさまり切るものではありません。<br /> </span></p><p><span style="font-size: medium;">魂と生まれ変わりの実在を認めることを非科学的だと回避する立場で、あるいは魂や霊的現象はすべて妄想だと切り捨てて、どうやって顕現化した前世人格ラタラジューの応答型真性異言現象の納得できる説明ができるのでしょうか。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
わたしの主張する「魂」の存在を想定せずに、「臨死体験」や「前世の記憶」を説明しようとする理論に量子論を援用した理論物理学者の<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%9A%E3%83%B3%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%BA" title="ロジャー・ペンローズ">ロジャー・ペンローズ</a>と麻酔科医の<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%A1%E3%83%AD%E3%83%95" title="スチュワート・ハメロフ">スチュワート・ハメロフ</a>に
よって提唱されている「量子脳理論」があります。 <br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
<b>「脳で生まれる意識は宇宙世界で生まれる素粒子より小さい物質であり、重力・空間・時間にとらわれない性質を持つため、通常は脳に納まっている」が「体験者の心臓が止まると、意識は脳から出て拡散する。 そこで体験者が蘇生した場合は意識は脳に戻り、
体験者が蘇生しなければ意識情報は宇宙に在り続ける」あるいは「別の生命体と結び付いて生まれ変わるのかもしれない」</b><br />
<br />
という主張(仮説)が「量子脳理論」による「臨死体験」と「生まれ変わり」の説明です。 <br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
イアン・スティーヴンソンの後を継いだバージニア大学のジム・タッカーも、量子脳理論に同調していると思われ、スティ-ヴンソンの提案している、「前世から来世へとある人格の心的要素を運搬する心搬体という媒体を想定する」という生まれ変わりの説明概念を放棄しているようで、次のように述べているようです。
<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>「<a class="tagLink" href="https://tocana.jp/tag/%e9%87%8f%e5%ad%90%e8%ab%96">量子論</a>の創始者であるマックス・プランクなど、一流の科学者は物質よりも意識が基本的であると語りました。 つまり、意識は脳が生み出したのではないのです。 脳や肉体の死後も意識は生き残り続けます。</b><b>意識は量子レベルの<a class="tagLink" href="https://tocana.jp/tag/%e3%82%a8%e3%83%8d%e3%83%ab%e3%82%ae%e3%83%bc">エネルギー</a>です。 ですから、意識は前世の記憶を保ったまま、次の人の脳に貼り付くのです」</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
ジム・タッカーが、イアン・スティーヴンソンの提唱している生まれ変わりの説明概念である、「心搬体」という媒体の存在をなぜ考慮せず、なぜこのような量子論による考え方に至ったのかの合理的根拠も、理由も不明です。<br /> </span></p><p><span style="font-size: medium;">「心搬体」のような霊的媒体を想定した説明より、最新物理学の量子論による唯物論的説明のほうが、科学的で説得力があるのだと考えているのでしょうか。<br />
あるいは、「心搬体」も意識体として、次の肉体に宿るまでの間、量子レベルのエネルギーの形でどこかに存在していると考えているのでしょうか。 <br /> </span></p><p><span style="font-size: medium;">そもそも、「意識」がどこで生まれるかが分かっていない現時点で、「意識は量子レベルのエネルギー」だとなぜ断定的に言えるのでしょうか。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
ハメロフやタッカーの言う「意識」とは記憶であり「情報」です。<br />
応答型真性異言の応答的会話は、「情報」には還元できない暗黙知である「技能」です。</span></p><p><span style="font-size: medium;">「意識・情報」の伝達は量子論で説明できても、「技能」の伝達が量子論で説明できるとは思われません。<br /> </span></p><p><span style="font-size: medium;">したがって、会話技能の発揮である「応答型真性異言」現象は「量子脳理論」では説明できません。<br /> </span></p><p><span style="font-size: medium;">言語に置き替え可能な「記憶情報」と、言語に置き換え不可能な暗黙知である「技能」との決定的に重要な相違を無視したかなり粗雑な考え方が、「量子脳理論」だと言うほかありません。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
この事実を前にすれば、「量子脳理論」による生まれ変わりの説明が破綻していることはすでに明らかです。<br /> </span></p><p><span style="font-size: medium;">わたしに言わせれば、現時点で「量子脳」の実在が実証されているわけではなく、量子脳という唯物論的観念論による検証不能な「説」の域を出るものではないと思っています。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
量子として宇宙にあり続ける膨大な死者たちのうちの誰かの意識が、偶然に現世の誰かの肉体(脳)と結び付くことを「生まれ変わり」だと言うのであれば、霊信が告げ、これまでに模式図で提示した「死後も存続する魂が、ある目的・志向のもとに新しい肉体に宿る」ことを「魂の転生」と呼び、生前は現世人格であった者が肉体の死後は前世人格となり、新たな現世人格が魂表層に位置付くことを「生まれ変わり」と呼ぶとする、SAM前世療法の作業仮説に則れば、量子脳理論を受け入れることはできません。<br /></span>
</p><p><span style="font-size: medium;"><b>意識は量子レベルのエネルギーであり前世の記憶を保ったまま、次の人の脳に貼り付く</b>ということが事実であれば、それは、「たまたま脳に貼り付いている誰かの前世記憶が蘇っただけの現象」というべきでしょう。<br /> </span></p><p><span style="font-size: medium;">魂の存在を排除し、生まれ変わることに目的性や志向性は一切なく、宇宙に量子として偏在している膨大な死者たちの意識のうちのどれかが、無目的に、たまたま、誰でもよかった誰かの脳に貼り付き宿ること、この偶然の繰り返しが「生まれ変わり」であるとすることを、SAM前世療法セッションで確認してきた「意識現象の事実」から、認めることはできません。<br />
<br />
なぜなら、SAM前世療法のセッションにおける「意識現象の事実」として確認してきた、何らかの目的性・志向性を帯びて死後存続する魂が、その器である肉体の死後、次の新しい肉体に宿り、転生を繰り返している、という事実に反するからです。<br /> </span></p><p><span style="font-size: medium;">また、わたしあて霊信の告げている転生する魂の仕組みに反しています。<br />
<br />
魂表層から呼び出し、科学的検証を経ている「タエの事例」、「ラタラジューの事例」という「意識現象の事実」が、このことを実証しています。<br />
<br />
宇宙に量子として偏在している膨大な死者たちの意識のうちのどれかが、無目的に、たまたま、誰でもよかった誰かの脳に貼り付き宿ること、この偶然の繰り返しが「生まれ変わり」であるとするなら、「生まれ変わり」は、無意味な、単なる偶然の産物であり、その繰り返しには、もともと意味や志向性など全くないということになります。<br />
<br />
魂、ないし心搬体の存在を否定し、宇宙に量子として偏在している膨大な死者たちの意識のうちのどれかが、無目的かつ偶然に、誰かの脳に貼り付き宿ることを生まれ変わりだとすれば、たとえば、現世の里沙さんにとって、もはや「ラタラジュー」も「タエ」も、何らかの目的・志向を帯びた魂が宿っていた人格とはいえず、現世の彼女とは一切のつながりのない、まったく無関係・無縁の死者である、タエやラタラジューの意識が、たまたま、偶然に、里沙さんの脳に貼り付いているだけだ、ということになります。<br />
<br />
したがって、タエやラタラジューにも、何らかの目的・志向を帯びて死後存続する同じ魂が宿り、その同じ魂が現世では里沙さんに宿って転生していると、もはや言うことはできません。<br />
<br />
「前世の記憶」と言う場合においても、「現世に生まれ変わっている私とは無縁ではなく、つながっているはずの前世であったときの記憶」という含意があるはずですが、タッカーの説いている脳に偶然貼り付いた前世の記憶(量子)では、「何らかの目的・志向のもとに生まれ変わった現世のわたしが、前世の人生を生きていたときの記憶」とは、呼べないことになります。<br />
<br />
ただし、付言しておきますと、生まれ変わりの研究者の間でも合意されている「生まれ変わり」の明確な定義があるわけではありません。 <br />
<br />
SAM催眠学の「転生」と「生まれ変わり」を区別する定義は、「魂の二層構造仮説」から必然的に導き出されてきた「創出的定義」creative definition であり、これまでになかった定義です。<br />
辞書的定義によれば、「転生」と「生まれ変わり」の意味の区別がなく、両者は同義語となっています。<br />
<br />
<b>SAM催眠学では、二層構造の魂全体が、その器であった生前の肉体の死後、何らかの目的・志向のもとに、新たな別の肉体(器)へと宿り替えすることを「魂の転生」と定義しています。</b><br />
<br />
そして、<b>魂の転生にともなって、魂の表層を構成していた「生前の現世の人格A」は、肉体の死後「前世の人格A」となって魂表層に位置付き、「現世を生きる肉体を持つ別人格B」が、魂表層の構成要素として新たに位置付くことを、「前世のAが現世の</b>B<b>へと生まれ変わる」</b>と定義しています。<br />
<br />
新しい理論(仮説)を構築すれば、それにともなって、これまでになかった新しい概念を意味する用語が必要になるのは当然のことです。<br /> </span></p><p><span style="font-size: medium;">SAM催眠学で用いている、「魂の二層構造」や「自己内憑依」や「魂遡行催眠」などの用語が、それらの一つひとつです。<br />
<br />
また、<b>魂の転生と、それにともなって「前世の人格」が「現世の人格」へと生まれ変わるのは、惰性や偶然によるものではなく、魂が成長・進化するための目的性、志向性を帯びておこなわれている</b>、これがSAM前世療法がこれまで確認してきた「意識現象の事実」です。 <br />
</span></p><p><span style="font-size: medium;"></span></p><p><span style="font-size: medium;"></span></p><p><span style="font-size: medium;"></span></p><p><span style="font-size: medium;"></span></p><p><span style="font-size: medium;"></span></p><p><span style="font-size: medium;"></span></p><p><span style="font-size: medium;"></span></p><p><span style="font-size: medium;"></span></p><p><span style="font-size: medium;"></span></p><p><span style="font-size: medium;"></span></p><p><span style="font-size: medium;"></span></p><p><span style="font-size: medium;"></span></p><p><span style="font-size: medium;"></span></p><p><span style="font-size: medium;"></span></p><p><span style="font-size: medium;"></span></p><p><span style="font-size: medium;"></span></p><p><span style="font-size: medium;"></span></p><p><span style="font-size: medium;"></span></p><p><span style="font-size: medium;"></span></p><p><span style="font-size: medium;"></span></p><p><span style="font-size: medium;"></span></p><p><span style="font-size: medium;"></span></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p><p><span style="font-size: medium;"><b>おわりに</b><br /> </span></p><p></p><p><span style="font-size: medium;">このブログを開始してからの国内・国外の累積アクセス数は、現在31万回を超えています。<br />
けっして読みやすい内容ではないにもかかわらず、これまでお読みくださった読者のみなさんに感謝いたします。 <br />
</span></p><p><span style="font-size: medium;">縷々述べてきましたが、「SAM前世療法」の誕生と、そのセッションの累積による「SAM催眠学」は、里沙さん・M子さん、霊信を告げたわたしの守護霊と守護霊団の諸霊、そして、イアン・スティーヴンソン博士の著書、恩師成瀬悟策医学博士のご著書とご指導、恩師上越教育大学教授杵淵俊夫教育学博士のご指導、拙著『前世療法の探究』の編集者鷲尾徹太氏の的確なご校閲などの諸恩恵なしには、展開できることがけっしてありえなかったことに深く感謝いたします。</span></p><p>また、濃尾平野の田舎町岐阜県可児市に在って、出版のような手間のかかる紙媒体によらず、わたしの主張をこうして一気に世界中に発信でき、読んでいただける、インターネット社会に生まれた恩恵にも感謝せずにはいられません。</p><p><br /></p><p><br /></p>稲垣 勝巳http://www.blogger.com/profile/16232260953490209907noreply@blogger.com5tag:blogger.com,1999:blog-7548750843777970344.post-78987439674209958322023-03-23T13:02:00.006+09:002023-08-04T10:51:43.447+09:00「意識」は「脳」の随伴現象なのか?<p><span style="font-size: x-large;"><b>SAM催眠学序説 その160 <br /></b></span></p><p></p><p> </p><p>「心・脳二元論」とは、心(意識)と脳とは密接な関係があるが本来別物で、脳が心を生み出してはいない、心は脳の随伴現象ではない、という仮説です。</p><p>この「心・脳二元論」の最大の弱点は、それでは意識はどこで生まれ、どこに存在しているのかが不明なことです。 </p><p>また、一般に信じられている「心・脳一元論」おいても、脳が心を生み出しているメカニズムはいまだに不明のままなのです。 </p><p>にもかかわらず、われわれは意識を持っていることを自明のことだと了解しています。 意識を持っていることを自明のことだと了解しているにもかかわらず、その意識がどこでどのように生み出されているかが不明だという事態は、考えてみれば実に奇妙なことだとわたしには思えてなりません。</p><p></p><p>心(意識)は、計量化もできず、可視化もできない、おそらくは非物質的対象ですから、実験・観察を手段とする現行の科学的手法で探究しようにも、なんとも手に負えないものです。
<br /> そこで、心(意識)の探究を進めるためには、わたしあて霊信が告知している魂・意識・霊体などの内容を「作業仮説」として手がかりにするほかないだろうというのが、わたしの当面とらざるをえなかった立場です。<br />
<br />
「作業仮説」とは、その仮説の科学的実証はいまだできないけれども、探究を進める作業のために設ける暫定的な仮説です。<br />
フロイトにおける「イド」とか「超自我」などの心の構造を想定した無意識論、ユングの「老賢人」、「太母」などの元型論は、意識現象の研究を進めるための作業仮説です。
<br />
<br />
そして、わたしは、SAM前世療法の<b>「魂遡行催眠」</b>という特殊技法を編み出すために、<b>意識は脳にあるのではなく霊体にある</b>、というわたしあて霊信の告げた内容を作業仮説として採用しています。<br />
<br />
わたしの守護霊団を名乗る通信霊は、「あなたがこれまで探究してきた道のなかで、<b>あなたが処理できないでいるもの、そして人の理解を超えているものについて、私たちでなければ答えられないものについて、まとめなさい。M子</b>(注:霊信の受信者)<b>を通し、あなたは私たちに尋ねなさい</b>」とわたしに告げてきたのです。<br />
<br /> ここで、わたしが探究の手がかりにした、わたしあて霊信(注:SAM催眠学序説その47~72で公開)が告げている、魂の仕組みと霊体の関係について、要点を抜き出してみます。<br /></p><p>「霊体仮説」をはじめ、「心・脳の二元論仮説」「魂の二層構造仮説」の原点は、それら霊信内容の真偽の検証から始まったからです。 <br />
<br />
わたしあての<b>第11霊信</b>は次のように告げてきました。<br />
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br />
あなたが長年探究してきたものは、これまでの視点からでは成長は望めない。<br />
なぜなら、もうすでにその観点での最終地まで達しているものが存在しているからである。<br />
<b>あなたが探究するべきものは、これまでよりさらに深奥にあるものである。</b><br />
<b>魂の療法のみにあらず、あらゆる霊的存在に対する奉仕となるものである</b>。<br />
それは、命あるものすべてにつながり、私たち(注:高級霊)へも強いつながりを持つ。 <br />
そのために、あなたは自らの内にある<b>疑問をまとめておく必要がある</b>。<br />
あなたがこれまで探究してきた道のなかで、<b>あなたが処理できないでいるもの、そして人の理解を超えているものについて、私たちでなければ答えられないものについて、まとめなさい。</b><br />
<b>M子</b>(注:霊信の受信者)<b>を通し、あなたは私たちに尋ねなさい。</b>(中略) <br />
<b>そして、前世療法についてだが、あなたは自らの霊性により独自性を持つようになる。</b><br />
<b>あなたは、今度その療法に関わるが</b>、<b>それだけに限定するのではなく、別のものも同時進行するのだと理解しなさい。</b>(中略) <br />
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br />
<br />
こうして私の通信霊への16の疑問の回答として、<b>第12霊信</b>で次のように告げています。 <br />
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br />
<b>前世療法で顕現化されるのは魂ではなく、魂の側面である。<br />
傷を持つのは魂の側面であり、魂自体が傷を持つのではない。<br />
その表層部分が傷を持つのである。</b><br />
<b>その表層部分は、これまで転生してきた者たちにより構成されている。 </b><br />
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br />
<br />
わたしの通信霊への疑問の回答として、<b>第13霊信</b>で次のように告げています。 <br />
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br />
<b>顕在意識・潜在意識は、脳が生み出しているものではない。</b><br />
<b>すべては、魂の側面</b>(注:「側面」を「表層」とも表現している)<b>である者たち</b>(注:これまでに転生してきた者たち)<b>が作り出しているものである。</b><br />
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br />
<br />
さらに<b>第14霊信</b>では、わたしの通信霊への疑問の回答として次のように告げています。 <br />
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br />
霊体はあなたがたという魂の側面に属するものであり、心も同様である。<br />
その違いは、霊体は魂にその存在をゆだねているが、心はゆだねていないものである。<br />
心は、心という存在なのだ。<br />
だが、魂に属するものである。<br />
魂にとって、心は道具なのだと考えなさい。 <br />
霊体とは魂ではない。<br />
それは、あるときは、<b>オーラ と呼ばれもする</b>。<br />
そのものを体を包むものである。<br />
私(注:第7霊信で守護霊団の一員として「私はエドガー・ケイシーである」と名乗っている)が過去にリーディングした中で、アストラル体という表現を用いて説明したものである。 <br />
それは魂ではなく、それに属するものであり、<b>肉体を保護する役割を担うものでもある。</b> <br />
霊体自体は、単体で動くことはできない。<br />
それは魂とともに存在するものである。<br />
魂を取り囲み、それは<b>あなたという存在を構成するための一材料となる。</b><br />
<br />
<b>死後、霊体は魂から離れる。</b><br />
<b>だが、それらの意識は魂に取り込まれる。</b><br />
<b>そして、魂のものとなるのだ。</b><br />
<b>霊体は、ある意味においてはあなたがたが「あなたという人間であるため」の意識を独立して持つための役割を担うものでもある。</b><br />
<b>心が個人的意識をつくるのではない。</b><br />
<b>霊体が持つのだ</b>。(後略)<br />
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br /></p><p> また、<b>第15霊信</b>では次のように告げています。<br />
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br />
生と死の過程は日々おこなわれるものである。<br />
今日という日がはじまり、あなたがたはその先へと進んでいく。<br />
その先に、あなたの魂が、そしてあなたとともににあなたの魂から生まれた多くの者が存在し、同じものを見つめていくのだと理解しなさい。<br />
それらの者の協力を求めるのだ。<br />
<b>友愛、それは自身の魂によるものこそ真の友愛である。</b><br />
<b>あなたがたは、自らの魂の側面である者たちと友情を築くのだ</b>。<br />
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br />
<br />
そして、<b>第10・17霊信</b>では次のように告げています。<br />
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br />
魂という存在を理解しなさい。<br />
<b>あなたも、一つの魂をもとに形成された側面なのだ。 </b><br />
あなたという存在も、側面の者であり、すべての側面の者は友であると理解しなさい。<br />
<b>魂は、すべての側面の者がつながりを持ち、友愛を築き与え合うことを望んでいる</b>のだ。 <br />
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br />
<br />
抜き書きした上記霊信告げている魂の仕組みと意識、意識と霊体の関係を要約すれば次のようになります。<br />
<br />
①脳が意識を生み出してはいない。<br />
<br />
②魂の表層(側面)を構成している前世の者たちが意識を生み出している。 <br />
<br />
③魂表層の前世の者たちが生み出している意識は霊体(オーラ)に宿っている。 <br />
<br />
④「現世のわたし」の人格も、魂表層を構成している一つである。<br />
<br />
⑤霊体は、現世のわたしが、わたしという意識を持つための役割を担っている。<br />
<br />
⑥霊体はオーラとも呼ばれ、肉体を保護する役割を担っている。<br />
<br />
⑦死後霊体は魂から分離し、霊体に宿っていた意識は魂に取り込まれる。<br />
<br />
⑧魂表層を構成してる前世の者たちはつながりを持ち、友愛を築き、与え合う関係にある。<br />
<br />
以上8点が、SAM前世療法の作業仮説の骨格となっています。<br />
<br />
そして、「意識は霊体に宿っている」とした仮説に基づけば、次のような現象の説明が成功するのではないかと思っています。
<br />
<br />
①SAM前世療法の特殊技法である「魂遡行催眠」は、霊体に宿る潜在意識を肉体の任意の部分に担わせ、その繰り返しの動作によって魂状態まで遡行させるという技法である。 意識・潜在意識が脳にあるとしたら、このような技法が成り立つとは考えにくいのではないか。
<br />何よりも、この技法により、被験者里沙さんを「魂状態の意識」にまで遡行させ、魂表層を構成している前世人格であるラタラジューの顕現化に成功している。 ラタラジュー人格は、ネパール語で会話し応答型真性異言を示したが、同様の手続きを踏めば被験者の90%以上の確率で前世人格の顕現化に成功している。 こうした意識現象の事実は、霊体仮説を支持している。
<br />
<br />
②心臓移植をした場合、移植を受けた人にドナーの意識(記憶・癖・好みなど)が現れるという現象は、移植する心臓を取り囲んでいる霊体も同時に移植されることになり、移植先の人の霊体にドナーの霊体も接合すると解すれば、ドナーの意識や記憶の一部が移植を受けた人に現れることは説明可能ではないか。
<br />
<br />
③体外離脱した人が、離脱中に見聞した記憶を報告することが説明できるのではないか。 つまり、魂とともに霊体も離脱するので、魂が見聞し記憶している意識を霊体が持つからだと説明できるのではないか。<br />
臨死体験研究者キュブラー・ロスの報告によれば、全盲の人が体外離脱中に部屋にいる人の服の色・形を正しく報告したと述べている。 ということは、魂は、肉体の全盲という障害とは関係なく五感を感知する能力を持っていることになるのではないか。
<br />
<br />
④統合失調症の典型的症状に幻聴(自分ではない者の声が聞こえるという訴え)は、患者の霊体に未浄化霊が侵入した(憑霊した)と考えれば、幻聴現象のすべてといえないまでも、侵入した未浄化霊の意識が幻聴を起こしていると解することができるのではないか。<br />
実際に浄霊作業によって統合失調症を治療した記録(米精神科医ウィックランド『迷える霊との対話』)がある。 また、わたしも未浄化霊の浄霊作業によって統合失調症の19歳男子大学生の症状改善に成功している。
<br />
<br />
⑤幻肢という意識現象がある。<br />
手足を切断しているにもかかわらず、ないはずの手足の痛みなどをあるごとく感じる現象である。<br />
これは手足の霊体が何かの理由で切断後もそのまま残存して、切断時の痛みの意識を訴えているという説明が可能ではないか。
<br />
<br />
⑥SAM前世療法のセッション中に顕現化する未浄化霊に、何を目安にどこに憑依するのかを尋ねると、被憑依者のオーラに宿る意識を感知して憑依すると答えている。 つまり、被憑依者が、未浄化霊に対して共感や受容する意識を宿しているオーラ(霊体)を感知してオーラ(霊体)に侵入する(憑依する)ということらしい。 <br /></p><p>⑦オーラ(霊体)と肉体とは何らかの共通の要素があり、相互に影響を及ぼしあっていると考えられる。 なぜなら、オーラ(霊体)の見える人には、肉体の傷んでいる箇所の周辺のオーラの色は黒ずんで見えるし、オーラが澄んで美しい人の肉体は健康だと判るという。<br />
<br />これらの諸現象の科学的実証はできませんが、「意識は霊体に宿っている」、という仮説を採用すれば、「意識現象の事実」として現れている未解明な事実を説明することに成功するのではないかと思います。<br />わたしの真理観は、とりあえず「説明の成功」を真理だとみなすプラグマティズムによっています。 <br /></p><p>それにしても、なかなか採用されにくい仮説ではあります。
<br />
しかし、SAM前世療法の実践によって検証・確認されてきた「意識現象の事実」は、霊体仮説および、その他の仮説の成立をすべて支持しています。<br />
<br />
このことは、わたしあて霊信の教示した内容が、受信者M子さんの妄想による作文ではないことを証明していると理解できます。 </p><p>このことについて、通信霊は第12霊信の末尾で次のように告げています。</p><p><b>「私は、あなたの祖父の守護霊とつながりを持つものであり、あなた方の世界で表現すると遠い昔、転生を終えたものである」 </b><br /></p><p> <b>「これは私</b>(注:通信霊)<b>からの霊信であり、M子</b>(注:当時26歳の霊信受信者) <b>の言葉ではない。M子の妄想ではない。妄想では、答えられないものである。あなたに必要なのは、信仰である。信仰がなければ信頼は存在しない。信仰を築きなさい。信仰は自発性を持つ。だが、信頼はそこから生じるものである。その対象が何であれ、本質的にそうなのだと理解しなさい」 </b></p><p><b>
</b>そしてまた、前述第11霊信で、<b>「前世療法についてだが、あなたは自らの霊性により独自性を持つようになる。あなたは、今度その療法に関わる」</b>と予言した前世療法こそ、この予言の1年後2008年に創始できた「SAM前世療法」であり、その成果として、応答型真性異言「ラタラジューの事例」が2009年にあらわれたのです。<br />
<br />
紹介した霊信現象をはじめ、アンビリバボーでTV放映された「タエの事例」、応答型真性異言「ラタラジューの事例」などは、現行唯物論とは真っ向から対立しています。<br />
<br />
しかし、かつては唯物論側に与していたわたしは、いかに唯物論と対立しようとも、自ら体験してきたこうした不思議な諸現象の検証結果を前に、それを事実だと認めることに躊躇しなくなっています。 とは言え、わたしは唯物論を全否定しているわけではありません。 わたしは、これまでに唯物論医学による大きな恩恵を受けてきている事実があるからです。 <br />ただし、唯物論では説明できない精神的な霊的領域が、確かに存在することを認めるべきだと思います。</p><p>これまで唯物論側からの観念論をはじめとする様々な反論を受けていましたが、SAM前世療法で確認できた意識現象の諸事実を、唯物論では説明・論破することができないからです。<br /></p><p>そして、わたし以外に、わたしの主張しているような「心・脳二元論」を仮説としておこなっている前世療法士は、世界中探しても誰もいないはずです。</p><p>ノーベル賞を受賞している大脳生理学者として、W・ペンフィールド、R・スペリー、J・エックルズが「心・脳二元論」を唱えていますし、催眠学者の成瀬悟策医学博士も晩年になって唱えています</p><p>それ以外に、わたしの知るかぎりでは、米国の催眠療法家L・M ・ルクロンが、潜在意識から情報を探る技法として、観念運動による「指による方法」(「催眠のすべて」講談社現代新書、PP.62-72)という技法を紹介しています。<br />
ただし、ルクロンはこの技法の理論的裏付けについては何も述べていません。<br />質問の回答を、潜在意識による観念運動として指に起こさせるという解釈をしているようです。 </p><p>縷々述べてきましたが、一般に信じられている言説、つまり、心(意識)は脳の随伴現象であり、脳の死滅とともに、心(意識)も消滅してしまえば、生前に経験されたものはすべて無に帰するという言説である「心・脳一元論」は、唯物論科学の立場から、その立場上構成されている「信念」や「主張」をそのまま表現したものであって、その言説自体は、科学的に確定された手続きによって、検証され、証明されたものではけっしてないのです。</p><p> <br /></p>稲垣 勝巳http://www.blogger.com/profile/16232260953490209907noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7548750843777970344.post-45550350548058703562023-02-15T18:06:00.020+09:002023-02-19T09:37:52.628+09:00ガイドの前世である魂の持ち主のセッション見聞録<p></p><p></p><p></p><p></p><p></p><p></p><p></p><p></p><p></p><p></p><p><span style="font-size: x-large;">SAM催眠学序説 その159 </span><br /></p><p> </p><p>ここに紹介するのは、夫・妻ともに最初の人生を送っているという魂の持ち主である40代ご夫婦の、SAM前世療法セッションに同席した夫の第三者の目から妻の様子を観察し、そのときの意識状況の聞き取りをおこなった貴重なセッション見聞録です。</p><p>夫君は、数年前にSAM前世療法のセッションを2度体験されており、今回は妻の付き添いということでおいでいただきました。</p><p>今回の主訴は、家庭内で起こるようになった奇妙な超常現象の解消でした。 こうした主訴は、これまでに数回扱った経験がありますが、いずれも奇妙な現象は未浄化霊(残留思念の集合体である意識体)の訴えによるものでした。</p><p>下記点線内に、ご夫君の見聞されたセッション見聞録を紹介します。 匿名条件で公開を許可するという了解をいただいています。</p><p> なお、本文中の青文字部分と番号は、稲垣が後の説明のため付けたものです。</p><p>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ <br /></p><p></p><p>先日は妻へのセッションありがとうございました。 <br /></p><p>おかげ様でセッション以降、我が家での不思議な現象はなくなっており、<br />ゆっくりと睡眠をとることができております。<br /></p><p>さて、直近の先生のブログでは最初の人生を送る魂の持ち主の記事が2回出ておりました。<br />私共がお邪魔したのは22年12月17日でしたので、妻の事例を含め、立て続けに最初の人生を送っている魂の事例が出ていることを知りました。<br />また、これらの魂の持ち主はかなり少数であるとお聞きしております。<br /></p><p>私も過去2回、先生のセッションを受けましたが、生まれ変わりがなく初めての人生を送る魂の持ち主だということですので、妻の事例を含め何か縁を感じているところです。<br /></p><p>今回、妻のセッションに際し、私もセッション経験者であることから同席許可をいただきました。 <br /></p><p>そのことでセッションの様子を第三者としてみることができ、また妻からもセッション中の<br />意識状況を聞くことができました。<br /></p><p>今回の私共の体験が何かのお役に立てればとの思いから、事の始まりからセッション内容までを以下に記しますので、ご一読いただければ幸いです。<br /></p><p>今回セッションを受けるに至ったきっかけは、我が家で起こった不思議な現象からでした。<br /></p><p>妻は、これらの諸現象(人形が勝手に倒れる、妻のLINEからメッセージが勝手に送信される、<br />私を撮った動画に光の玉(オーブ)が複数浮遊する現象が撮影される:昨年12月6日)が現れる<br />までは霊や前世についてはほとんど興味もなく、信じることもありませんでした。<br /></p><p>反対に私は、私自身が過去幾度か遭遇した霊的な諸体験 から、稲垣先生のブログにある内容は、とても合点がいくことであり、同時に常に生き難さを感じていたことから、過去世があれば早死にしているのでは? と思い、セッションを受けるに至りました。 そこで私が初めて生まれた魂の持ち主であることがわかった次第です。<br /></p><p>その後、妻と結婚し、妻には先生のことやこれらの私の体験の話はしておりましたが、彼女は全く興味を示しておりませんでした。 </p><p>そんな中、前述の奇妙な諸現象が起こり、妻も体の不調もあったことから、不思議な現象の翌日、セッションを受けてみようかなと妻のほうから切り出してきました。<br /></p><p>そして12月17日のセッションに至ります。<br />セッション当日、妻の催眠感受性は申し分なく先生の暗示に沿って体が動くことが確認できました。<br /></p><p>その際、事前に気にしていた<span style="color: #2b00fe;">未浄化霊や生霊などの憑依はないように思うと先生に言われましたので、先生にはご経験や直感でお分かりなんだなと感じました</span><span style="color: #2b00fe;">(注1)</span><span style="color: #2b00fe;">。</span><br /></p><p>セッションが始まり、催眠の深さを測る段階で手の甲をつねっても痛みを感じないことの確認を私も体験させていただきました。 <span style="color: #2b00fe;">妻の手の甲をつまんで強くつねってみても痛みの反応はありませんでした(注2)。</span><br /></p><p>このとき私と先生が話している内容も私が手の甲をつねったことも妻は分かっていたようですが、痛覚はほとんどなく、鈍かったということです。<br /></p><p>その後、指を上下させ、それが止まったら魂の状態にもどっているとの暗示で、指が上下運動を繰り返していましたが、しばらくすると指がゆっくり痙攣をおこすように止まったことが確認できました。 </p><p>その時の<span style="color: #2b00fe;"><span style="color: black;">妻の意識状況は、意識はあるものの指の力が抜けていき、勝手に止まった</span></span>ということでした。 </p><p>魂状態の自覚に至っていることを確認し、魂状態の妻に対し先生からの「この者に前世人格はありますか?」との問いに指が動き出し、あるとの回答でした。<br />男性? 女性? その他? と問われ、なんとなく女性かなというようなはっきりしない回答でしたので、先生からはいくつか質問が続き、この前世人格は人間ではなく、また地球外の過去世でもなく、「ガイド(人間を体験していない守護霊)」であることがわかりました。 </p><p>そして、ガイドと現世の妻、ガイドの前に過去世はなく、妻の魂は初めてガイドとして生まれ、現世で初めて人間(妻)として生まれ変わっているということでした。 そして、このガイドは現在も、妻の魂表層に存在し、妻を守護しているということでした。<br /></p><p>また、はじめての魂の持ち主である私と妻との関係についても、計画されたものということでした。<br /></p><p>最後に先生からガイドに対し、「この者に伝えたいことはありますか?」との問いには指が大きく横に振れ、無いとの意思表示は明確でした。 先生からは指での返事の仕方(YES/NOの指の振り方)まで指示していないのに、今まで縦に振れていた指が横に振れるというのは、明らかに意思表現ですし、見ている私にも「無い」という意思がよく伝わってきました。<br /></p><p>この時妻は、指が勝手に動き、今まで縦だったのにこの質問には横に大きく動いたことに驚き、笑ってしまいそうだったようです。</p><p>また、同時にお腹のほうから空気のような圧力がのど元まであがってきて、何かしゃべりそうになったようですが、話すことはありませんでした。<br /></p><p>その代わり、<span style="color: #2b00fe;">涙が勝手にあふれてきたということで、妻は泣いておりました</span>。<br /><span style="color: #2b00fe;">悲しいのではなく、「よかった」という感情があふれ、涙がでてきたということです</span><span style="color: #2b00fe;">(注3)</span>。<br /></p><p>その後、先生が席を外され、守護霊との対話の時間が設けられ、私はカウチに横たわる妻を薄明りの中で見ておりましたが、特段なにも起こりませんでした。<br />しかし後で妻に確認したところ、カウチの横にある、<span style="color: #2b00fe;">先生の座っていた椅子がきしむ音が2回ほど聞こえ、誰かが隣に座ったように感じた(注4)</span>そうです。 ただし、わたしには音は聞こえませんでした。<br /></p><p>今回、セッションを受けるまで私には不安がありました。 </p><p>まず、妻のように霊的なものを信じず、興味のない状態から深い催眠に入れるものかということ、また彼女としても今まで自身の全く理解の及ばない世界にいきなり入るわけですから、何かとんでもないものが出てくるのではと、かなり不安にしておりました。 </p><p>そんな状況でしたが、セッション前の先生からのお話(魂の仕組みやセッションの流れについて)と、自然体で起こることをありのままに受け入れてみるという心構えをお聞きし、スムーズに催眠に入っていくことができました。<br />また、それにより未浄化霊や生霊などの憑依も無いことがわかりました。<br /></p><p>今回のセッション中、妻の意識状況は、先生の問いも普段の状態と変わらず聞こえ、理解<br />している反面、<span style="color: #2b00fe;">指の上下左右という反応やしゃべりだしそうになった際の感覚、「よかった」という感情など、自身の意思・意識とは異なる状況が勝手に起きた(注5)</span>と言っております。<br /></p><p>私たち夫婦は初めて人間としての現世を経験しております。</p><p></p><p><span style="color: #2b00fe;">私はいろいろなものに興味を示す性格、妻はあっけらかんとした性格で、初めての魂である特性は共にあると感じます(注6)<span style="color: black;">。</span></span><br /><br />いま思えば、今回の事の起こりからセッションまでは成長・気づきのための贈りものだと感じます。<br /></p><p>二人とも生まれ変わりの初期段階で魂のしくみや霊的な世界の実在を体感できたことは今後の人生やその後についても何らかの気づきや糧となっていくものと感じております。<br /></p><p>また、<span style="color: #2b00fe;">セッション後のヒーリングで、妻の肩こりと婦人科系へのヒーリング、私の腰へのヒーリングをいただきました(注7)。 </span> </p><p>これらはいまだ効果が続いており、私もせっかくの治療霊団の方々の恩恵がより続くようストレッチを継続して行なうようにしています。<br /></p><p>最後になりますが、私共二人へのセッション並びにヒーリングいただきましたこと、<br />そして、それらを通じて今後の人生に大きな支えをいただけたこと、心から感謝申し上げます。<br /></p><p>寒い時期が続きます、どうぞご自愛ください。<br /><br />令和5年1月18日<br />・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ </p><p><span style="color: #2b00fe;"><span style="color: black;"><b><span style="font-size: medium;">【注1~6についての説明】</span> </b></span><br /></span></p><p><span style="color: #2b00fe;">(注1)<span style="color: black;">:クライアントに</span></span><span>未浄化霊(残留思念の集合体)などが憑依していると、魂状態に遡行することを妨げることが分かっている。 理解と救いを求めて憑依している存在なので、霊界へと上がるために浄霊を望んでセッション中に顕現化し、催眠の進行を妨げてくる。 クライアントに霊媒体質があると未浄化霊と対話が可能である。 未浄化霊は、霊ではないが人格の属性を持っているので「見做し人格」として対話ができる。 </span></p><p><span>どうやら、わたしには浄霊能力が与えられたらしい。 SAM前世療法を創始した初期のころに、クライアントに憑依した「神の使い」と称する高級霊が、「今日は神様のお使いであなたに浄霊の仕方を教えに来ました」と告げてきた。 浄霊に用いる「道具」は、不動明王の真言と般若心経である。 浄霊ができると、魂状態への遡行が可能になるので、浄霊の成否の判断ができる。 </span></p><p><span style="color: #2b00fe;"> <br /></span></p><p><span style="color: #2b00fe;">(注2)<span style="color: black;">:「知覚催眠」の深度を確認するためにSAM前世療法独自の催眠尺度として採用している「痛覚麻痺」現象。 </span></span><span style="color: #2b00fe;"><span style="color: black;">古くから「催眠麻酔」と呼ばれている催眠現象である。</span></span><span style="color: #2b00fe;"><span style="color: black;"> 「痛覚麻痺」が生じるまで20分程度の催眠誘導が必要である。</span></span><span style="color: #2b00fe;"><span style="color: black;"> </span></span></p><p><span style="color: #2b00fe;"><span style="color: black;">痛覚は麻痺しても、つねられているという触覚は残ることが多い。 薬物麻酔において、メスで切り裂かれている触覚はあっても、痛みを感じることがないのと同様の現象である。 痛覚麻痺が生じていれば、中程度以上の催眠深度であると判断できる。 </span></span><span style="color: #2b00fe;"><span style="color: black;">なぜ催眠中の言語暗示によって、こうした無痛現象が起こるのか、現代医学でも不明である。 </span></span><span style="color: #2b00fe;"><span style="color: black;">ただし、SAM前世療法の前提仮説である「心(意識)と脳の二元論」に立てば、了解可能である。</span></span><span style="color: #2b00fe;"><span style="color: black;"> </span></span><span style="color: #2b00fe;"><span style="color: black;"> </span></span><span style="color: #2b00fe;"><span style="color: black;">1930~1961の世界6研究のまとめでは、この深度に到達できる平均値は25%である。SAM前世療法の催眠誘導法では95%程度の到達率が見込める。 このあとさらに10分以上かけて催眠を深め、魂状態の自覚まで誘導していく。 したがって、魂の自覚状態に至るまで約30分を要する。</span></span></p><p><span style="color: #2b00fe;"><span style="color: black;"> </span></span><span style="color: #2b00fe;"><span style="color: black;">魂の自覚状態の深度は、「夢遊催眠</span></span><span style="color: #2b00fe;"><span style="color: black;">」と同等かそれ以上の深い催眠状態だと考えている。 </span></span></p><p></p><p><span style="color: #2b00fe;"><span style="color: black;"> </span></span></p><p></p><p><span style="color: #2b00fe;">(注3)<span style="color: black;">:涙を勝手に流している「主体」は、クライアントの肉体を借りて顕現化している前世の人格の意識であり、現世のクライアントの顕在意識ではない、という理解の仕方がSAM前世療法の「自己内憑依仮説」による解釈である。 顕現化している肉体を持たない前世人格が、生まれ変わりである現世のクライアントの肉体を借りて(憑依して)、涙を流す現象だととらえることができる。 「タエの事例」「ラタラジューの事例」のセッション動画を視聴されたい。</span></span></p><p><span style="color: #2b00fe;"><span style="color: black;"> </span></span></p><p><span style="color: #2b00fe;"></span></p><p><span style="color: #2b00fe;">(注4)<span style="color: black;">:誰も座っていない椅子のきしむ音の感知は、「ラップ音」と呼ばれる超常現象。 音が出てくるはずがない所から音が聞こえてくることを感知する現象である。 SAM前世療法のセッションで、守護霊との対話中にはよく起こる現象。 霊的存在である守護霊が、自身の存在を知らしめるために起こす超常現象だと思われる。 ただし、第三者には感知できないようで、クライアント当事者だけが聞こえたと報告する。 <br /></span></span></p><p><span style="color: #2b00fe;"><span style="color: black;"> </span></span></p><p><span style="color: #2b00fe;">(注5)<span style="color: black;">:</span></span><span style="color: #2b00fe;">「自身の意思・意識とは異なる状況が勝手に起きた」<span style="color: black;">という感覚を引き起こしてる主体は、顕現化している前世人格であり、クライアントの顕在意識ではない。 上記</span></span><span style="color: #2b00fe;">(注3)<span style="color: black;">と同様の、SAM前世療法において、魂の自覚状態になると起こる独特の</span></span>意識現象である。</p><p><br /></p><p><span style="color: #2b00fe;">(注6)<span style="color: black;">:アラン・カルデックの、聖ルイを名乗る高級霊との交信記録『霊の書(霊媒の書)』によれば、魂の最初の状態は「無知・無垢である」と高級霊は答えている。 したがって、「無知」であるがゆえに多方面に興味をもつとすぐに行動に移す性格特性、「無垢」がゆえに純真で明朗闊達な性格特性をもつのが初めての人生である魂の特性だということ。</span></span></p><p><span style="color: #2b00fe;"><span style="color: black;"> </span></span></p><p><span style="color: #2b00fe;">(注7)</span>:わたしの用いるヒーリングは「スピリットヒーリング」である。 2007年1月11日22:44着信の、わたしあて第1霊信で、「あなたが癒やしを起こすとき、多くの高級霊が治療霊としてあなたのもとに集まる」という予言に基づいてヒーリングをしているからである。 ただし、わたしは、この予言があるまでヒーリングには全く関心がなく、無知であり、レイキやら気功などの訓練をしたことは一切ない。 予言を検証しようと試してみたら、できたということである。 治療エネルギーは、治療霊団から送られてくるものであり、わたしの肉体は、精妙な霊的エネルギーを、人の肉体に作用させるための変換機能(装置)として用いられているらしい。 したがって、スピリットヒーリング能力は、わたし自身の治療能力ではない。 そして、治療霊団にとって治療行為は、治療霊という霊の存在、ひいてはそれ以外の霊的存在をも広く知らしめる目的のための、手段だと言われている。</p><p> </p><p>さて、主訴であった家庭内で起きていた超常現象については、「セッション以降、我が家での不思議な現象はなくなっており、ゆっくりと睡眠をとることができております」と報告されていますから、SAM前世療法セッションによって、1ヶ月経過後も不可解な霊的現象の解消が起きていることは認めてよいと思います。</p><p>また、その理由は、妻であるクライアントのガイドが顕現化したことにある、と考えることが妥当だと思われます。 クライアントである妻のガイドが、顕現化することを意図し、そのために霊的超常現象を起こし、わたしのもとでSAM前世療法のセッションを受けるように導いたというわけです。 魂表層に存在しているガイドの顕現化という目的が果たされた結果、不可解な現象を起こす必要がなくなり、解消したのではないでしょうか。 </p><p>これまでにも、クライアントの前世人格、高級霊、ときには神を名乗る存在などが、彼らのメッセージをクライアントやわたしに告げるために超常現象を起こし、わたしのセッションによって顕現化できるように導いた事例が、数例あるからです。 <br /></p><p></p><p></p><p> </p><p>わたしは、2007年初頭に1ヶ月半にわたって、わたしの守護霊団を称する霊たちから、毎夜霊信を受け取るという霊的超常現象を体験してから、「時熟(ジジュク)」ということばを意識するようになっています。 </p><p>つまり、「時が熟すれば、来るべき時に来るべきものは来る」、といった人生の行方に対する自然体の態度がもてるようになったということです。 </p><p>努力は怠らないが、その成果にはあくせくしない、時が熟すれば、来るべき時に来るべきものは来る、ということです。 <br /></p><p></p><p>こうして、セッションにおいでくださったご夫妻にも、「時熟(ジジュク)」の時がおとずれたのだろうと思うのです。</p><p>ちなみに、わたしは2005年に「タエの事例」に出会うまでは、唯物論側に属していましたから、霊信が欲しいとか、ヒーリング能力や浄霊能力を望んだことは全くありません。 また、特定の宗教を特に信仰したこともありません。 ただ、人間の知性を越えた何か偉大な存在(something great)をそれとなく感じてはいました。 こうして、魂と霊、および生まれ変わりと「something great」の存在を認めているという現在の立場からすれば、スピリチュアリストだと呼ばれるのではないでしょうか。 <br /></p><p></p><p> </p><p></p><p>ご夫妻ともに魂が最初の人生を送っておいでになる、という希有なご夫婦のご多幸をお祈りするとともに、貴重なセッション見聞記録の公開を了解くださったご厚意に、あつくお礼申し上げます。 <br /></p><p>ありがとうございました。 <br /></p><p></p><p> </p>稲垣 勝巳http://www.blogger.com/profile/16232260953490209907noreply@blogger.com2tag:blogger.com,1999:blog-7548750843777970344.post-8597609756981263362023-01-20T14:40:00.014+09:002023-02-14T08:10:29.568+09:00「超ESP仮説」と「応答型真性異言」<p><b><span style="font-size: x-large;">SAM催眠学序説 その158</span></b><br /></p><p> </p><p>生まれ変わりの科学的実証に当たって、避けて通れない仮説が立ちはだかっています。</p><p>それが 「超ESP仮説」と呼ばれている「生まれ変わり仮説」を否定する強力な仮説です。</p><p>「超ESP仮説」で「ラタラジューの事例」「タエの事例」が説明できるのかどうか、についてわたしの現時点の見解をまとめてみます。<br /> </p><p>「ESP」とは、超心理学において、透視やテレパシー、予知など超感覚知覚を指す略称です。 この用語に「超」がつくと、「万能の」、透視能力・テレパシー能力・予知能力という意味になります。 </p><p>「超ESP仮説」という用語を初めて用いたのはホーネル・ハートとされていますが、その主旨は、ESPの限界がわかっていないので、霊との交信や、生まれ変わりと思われるような超常的な現象は、生きている人間のESPで説明できると考えるべきではないか、という主張です。 したがって、たとえばわたしあて霊信現象や、里沙さんの語った「タエの事例」なども、霊魂や、生まれ変わりといった仮説を用いる必要はなく、里沙さんのESP、つまり、生きている人間の心の力で説明可能であるということになるわけです。</p><p></p><p> 実際に、きわめてすぐれた驚くべきESP能力を発揮した「レナード夫人の書籍実験」という事例ついて、厳密な分析をおこなったケンブリッジ大学教授であったE・Mシジウィックの注目すべき論文が発表されています。 その概要は下記のようなものです。</p><p>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ <br /></p><p>これまでに最高かつ最も信頼性の高い霊媒の一人であるグラディス・オズボーン・レナードは、一度も行ったことのない家の中にある閉じた本に書かれた文章を何らかの方法で読み、その文章が何ページに出ているか(場合によっては、そのページのどのあたりにあるか)や、その書物が本棚のどのあたりに置かれているかを正確に言い当てる能力を持っていた。</p><p>(スティーヴンソン/笠原敏雄訳『前世を記憶する子どもたち』P.500)</p><p></p><p>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br /></p><p></p><p>もし、超ESP仮説によって応答型真性異言を説明するとすれば、「ラタラジューの事例」は、被験者里沙さんが、どういうわけか、催眠中に限り(覚醒時に里沙さんがESPを発揮したことは皆無である)、無意識的に、万能の透視能力やテレパシー能力を、瞬時に発揮した結果、瞬時にネパール語会話技能を取得し、ラタラジューという一昔前に使用された名前をはじめ、カトマンズ市民ですら知る者のほとんどいないナル村の名前、コドなどナル村村民の独特な食べ物、棲息するヒル、ヒマラヤを望む山上での火葬などの諸情報を、瞬時に取得し、架空の前世人格ラタラジューを演じた(ふりをした)ものだ、ということになります。</p><p>つまり、里沙さんという生者の持っている「心の力(ESP)」で、すべて説明可能であり、ラタラジューという前世人格の顕現化現象や、生まれ変わりなどはフィクションであり、生まれ変わりのような説明などは必要ないということになります。<br /> </p><p>さて、このような生まれ変わりを否定する強力な壁である超ESP仮説の打破に挑んだのが、ヴァージニア大学精神科教授で、「生まれ変わり研究」の先駆者として知られるイアン・スティーヴンソンでした。<br /> スティーヴンソンが着目したのは、もし、ESPによって取得不可能なものであれば、それは超ESPであろうとも取得が不可能である、という事実でした。 少し長くなりますが、彼の着目点を下記に引用してみます。<br />・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ <br /></p><p>デュカス(注:カート・ジョン・デュカス、哲学者)は、本来、霊媒は他人の持つあらゆる認知的情報をESPを介して入手する力を持っているかもしれないことを原則として認めているが、その情報を本来の所有者と同じように使うことはできないと考える。 </p><p>デュカスによれば、霊媒は、テレパシーを用いてラテン語学者からラテン語の知識をすべて引き出すこともあるかもしれないが、その知識をその学者の好みとか癖に合わせて使うことはできないのではないかという。 </p><p>以上のことからデュカスは次のように考える。 もし霊媒が、本来持っているとされる以外の変わった技能を示したとすれば、それは何者かが死後生存を続けている証拠になるであろう。 </p><p>もし、その技能が、ある特定の人物以外持つ者がない特殊なものであれば、その人物が死後も生存を続けている証拠となろう。(中略) 技能は訓練を通じて初めて身につくものである。 たとえば、ダンスの踊り方とか外国語の話し方とか自転車の乗り方とかについて教えられても、そういう技能を素早く身につける役には立つかもしれないが、技能を身につけるうえで不可欠な練習は、依然として必要不可欠である。 </p><p>ポランニー(注:マイケル・ポランニー、科学哲学者)によれば、技能は本来、言葉によっては伝えられないものであり、そのため知ってはいるが言語化できない、言わば「暗黙知」の範疇に入るという。 もし、技能が、普通には言葉で伝えられないものであるとすれば、なおさらと言えないまでも、すくなくとも同程度には、ESPによっても伝えられないことになる。 </p><p>(スティーヴンソン「人間の死後生存の証拠に関する研究ー最近の研究を踏まえた歴史的展望」笠原敏雄編『死後生存の科学』PP.41-43)<br />・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ </p><p>ESPである透視・テレパシーなどによって、取得可能なのは、あくまで「情報」です。<br />そしていくら情報を集めても、実際にかなりの訓練をしない限り、「技能」の取得はできません。</p><p>自転車の乗り方をいくら本や映像で知っても、自転車に乗ることはできないように、たとえば言語も情報による伝達だけでは「応答的会話」まではできないはずです。 つまり、「超ESP」によっても、「外国語の会話能力」までは獲得することができないわけです。<br /></p><p>したがって、ある人物が、前世の記憶を、その前世での言語で応答的に会話し、かつ現世の当人がその言語を学んだことがないと証明された場合には、超ESP仮説は適用できず、生まれ変わり仮説が最も有力な説明仮説となる、とスティーヴンソンは考えたのです。<br /> </p><p>そして、世界の生まれ変わり研究の中には、ESPによる「情報取得」では説明できない、学んだはずのない外国語での会話を実際に示す事例が、きわめてまれですがいくつか報告されています。これを「応答型真性異言」と呼びます。<br /> </p><p>「真性異言」(xenoglossy
ゼノグロッシー)とは、フランスの生理学者で心霊研究協会(SPR)の会長も務めたシャルル・リシェの造語で、本人が習ったことのない外国語を話す現象のことを言います。</p><p>『新約聖書』などにも、いわゆる「異言」(glossolaria グロッソラリア)という現象が記述されていますが、「真性異言」とは、その言語が特定の正しい言語であることが確認されたものです。 </p><p>このうち、特定の文章や語句や単語を繰り返すだけのものを「朗唱型真性異言」、その言語の話者と意味のある会話ができるものを「応答型真性異言」と呼びます。<br /> </p><p>さて、真性異言のうち、「朗唱型真性異言」は、「情報」ですからESPによって取得が可能と言えます。<br />しかし、意味の通った会話ができる「応答性真性異言」は、そうではありません。 </p><p>言語を自由に話せるというのは、「技能」であり、いくら単語や文型の情報を集めても、実際にかなりの訓練をしない限り、応答的会話は実際に可能にはなりません。</p><p>自転車の乗り方を、「情報」として、本の説明や映像などで詳しく知っても、自転車に乗ることはできないように、言語も情報による伝達だけでは「技能」である応答的会話ができることはありません。 </p><p>つまり、「超ESP」によっても、「外国語の会話能力」は取得できないことが明白です。<br />また、超能力者が、学んだことのない外国語の「会話能力」を取得した事例は、これまでに世界中にないはずです。 </p><p>こうして、ある人物が、その前世での外国語で語り、かつ現世の当人がその言語を学んだことがないと証明された場合には、超ESP仮説は適用できず、生まれ変わりを最も有力な仮説として採用せざるをえないということになります。<br /></p><p>生まれ変わりの証拠である応答型真性異言は、スティーヴンソンが20年にわたって世界中から収集し精査した2000余りの生まれ変わり事例の中で、わずか3例にすぎません。<br /></p><p>「イェンセンの事例」と、「グレートヒェンの事例」、および「シャラーダの事例」です。<br />イェンセンとグレートヒェンの事例は、催眠中に偶発的に前世人格が出現したもので、前者はスウェーデン語、後者はドイツ語で、短い会話によるやりとりが記録されています。<br />シャラーダの事例は、覚醒時に、きわめて長い会話で、学んだはずのないベンガル語で流暢に受け答えし、歌まで歌っています。(スティーヴンソン/笠原敏雄訳『前世の言葉を話す人々』春秋社)<br /> </p><p>スティーヴンソンの報告以外に信頼できる事例として、(心霊現象研究協会 :The Society for Psychical Research)の数名の科学者によって調査され、覚醒時に、スペイン語で流暢な長い会話をした「ルシアの事例」の調査報告があります。<br /></p><p>つまり、世界中で信頼にあたいする応答型真性異言の事例は4例発見されており、そのうち2例が催眠下で起こった事例ということになります。<br />さて、こうしたスティーヴンソンの応答型真性異言研究(生まれ変わりの実証的研究)は、きわめて綿密な調査と、公正で慎重な検証によって、他の領域の一流科学者たちにも説得力をもって認められつつあるようです。<br /></p><p>たとえば、有名な天文学者カール・セーガンは、「時として、小さな子どもたちは、調べてみると正確であることが判明し、生まれ変わり以外には知りえなかったはずの前世の詳細を物語る」という主張は、「真剣に検討する価値がある」と述べています。(『カール・セーガン 科学と悪霊を語る』P.302)<br /></p><p>また、行動療法の創始者ハンス・アイゼンクは、「スティーヴンソンの著作を何百ページも読み、スティーヴンソンとは別個に研究が始められているのをみると、真にきわめて重要なことがわれわれの前に明らかにされつつあるという見解からむりやり目を逸らせることは、誠実であろうとする限りできない」と述べています。(Eysenck
& Sargent, Explaining the Unexplained, Prion, 1993)、『生まれ変わりの刻印』スティーヴンソン/笠原敏雄訳・訳者後記)と述べています。<br /></p><p>そして、技能である応答型真性異言こそが生まれ変わりの最有力な証拠だ、とするスティーヴンソンの研究を、実証的に反証し、論破した研究はいまだに提出されてはいないのです。<br />このこと、すなわち、応答型真性異言こそは、超ESP仮説を打破できたことが認められたということを意味します。 こうして、応答型真性異言こそ、生まれ変わりを証明する科学的証拠としてついに認められたことになります。<br /> 超ESPという途方もない万能の超能力者が発見されておらず、超ESPの限界が分からない時点で、超ESP仮説によって会話技能である応答型真性異言という現象を説明できるなどの主張は、生まれ変わりの事実を絶対に認めたくないがためのこじつけだとわたしには思えます。</p><p>そして、「タエの事例」はさておくとしても、超ESP仮説によって、ラタラジューの応答型真性異言を説明できる、と主張することのほうが、生まれ変わり仮説を認めることより奇怪な主張だとわたしには思われます。</p><p>その「タエの事例」にしても、タエの語り口は10代後半の少女のものであり、当時47歳であった被験者里沙さんとは別人としか思えません。 さらに、SAM前世療法セッション中に、タエが吾妻川の濁流に呑まれて溺死する場面では、里沙さんの腹部が、泥水を呑んだために痙攣を起こしていることを確認しています。 タエの語り口は演技できたとしても、腹部の痙攣現象は演技できません。 もちろん、超ESPをもってしても、反射的な生理現象である腹部の痙攣現象を起こすことが到底できるとは思われません。</p><p>こうした諸現象によって、里沙さんの前世人格であるタエそのものが、タエの生まれ変わりである里沙さんの肉体を用いて顕現化している、ととらえることが最も妥当な解釈だろうと考えざるをえないのです。 <br /></p><p>生まれ変わりの科学的証拠であるとわたしが主張する「タエの事例」と「ラタラジューの事例」両事例のセッションの実際は、you-tubeで公開しています。</p><p>とりわけ「ラタラジューの事例」は、応答型真性異言発話中の撮影に成功した世界初の希有な事例です。 </p><p>これを視聴されてなお、生まれ変わり仮説を認められない読者の方は、忌憚のないご意見をお寄せください。</p><p> ここに述べてきたように、生まれ変わりの科学的検証はきわめて厳密で、軽々に「生まれ変わりがある」と判断することは軽信のそしりを免れません。</p><p>そのうえでなお、わたしは「タエの事例」と「ラタラジューの事例」は、現時点において生まれ変わりの科学的証拠として認められてよい、と主張したいと思います。 </p><p>被験者里沙さんは、確かに生まれ変わりをしているのです。</p><p><br /></p>稲垣 勝巳http://www.blogger.com/profile/16232260953490209907noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7548750843777970344.post-42915838992997091722022-12-21T08:04:00.024+09:002022-12-22T20:43:58.375+09:00ガイド から生まれ変わった人のセッション体験記<h1 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;">
<span style="font-family: Liberation Serif, serif; font-size: x-large;"><span lang="en-US">SAM</span></span><span style="font-size: x-large;">催眠学序説 その157</span></h1>
<p style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm;"><span style="font-size: small;"><br /></span>
</p><span style="font-size: small;">
</span><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;"> </span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;">前ブログ「
<span style="font-family: Liberation Serif, serif;"><span lang="en-US">SAM</span></span>催眠学序説 その156」で、「クライアントのなかには、霊として誕生し、初めて肉体に宿った魂として人生を送っている事例があります」という紹介をしておきました。</span></h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;"></span>
</h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;">ここに紹介するのは、そうしたまれな魂の持ち主のセッション後の感想です。</span></h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;"></span>
</h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;"> </span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;">このクライアントは、生きづらさに悩み続けてきた51歳の女性教員です。 </span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;">ブログに掲載することを了解していただき、紹介することができました。 </span></h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;"></span>
</h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;"> </span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;">なお、セッション期日は、<span style="font-family: Liberation Serif, serif;"><span lang="en-US">2022</span></span>年<span style="font-family: Liberation Serif, serif;"><span lang="en-US">11</span></span>月<span style="font-family: Liberation Serif, serif;"><span lang="en-US">22</span></span>日であり「<span style="font-family: Liberation Serif, serif;"><span lang="en-US">SAM</span></span>催眠学序説その156」の記事掲載前日です。</span></h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;"></span>
</h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;"> </span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;">また、クライアントのメールが届いたのはセッション<span style="font-family: Liberation Serif, serif;"><span lang="en-US">5</span></span>日後の<span style="font-family: Liberation Serif, serif;"><span lang="en-US">2022</span></span>年<span style="font-family: Liberation Serif, serif;"><span lang="en-US">11</span></span>月<span style="font-family: Liberation Serif, serif;"><span lang="en-US">2</span></span>7日です。</span></h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;"><br /></span>
</h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;"> 以下の点線内部分がクライアントのメールです。</span></h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;"><br /></span>
</h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;">・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・</span></h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;"><br /></span>
</h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-weight: normal;"><span style="font-size: large;"> <b>【主訴】(注:セッションの申し込み時に書いていただいたもの)</b></span></span></h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-weight: normal;"><span style="font-size: large;">
</span></span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;"><br /></span>
</h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;">ただただ、自分の前世を知りたいです。 </span></h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;"><br /></span>
</h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;">私の現世が前世にどんなつながりを持つのか知ることで、今後、苦手なことや思い通りにいかないことを乗り越えていければと考えています。</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;">よろしくお願いします。</span></h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"></h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;"><br /></span>
</h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;">【セッション後の感想】(注:セッション<span style="font-family: Liberation Serif, serif;"><span lang="en-US">5</span></span>日後)</span></h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;"><br /></span>
</h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;">こんにちは。</span></h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;">先日は大変お世話になりました。</span></h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;"> </span></h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-family: Liberation Serif, serif; font-size: large;"><span lang="en-US">11</span></span><span style="font-size: large;">月<span style="font-family: Liberation Serif, serif;"><span lang="en-US">23</span></span>日付け(注:<span style="font-family: Liberation Serif, serif;"><span lang="en-US">SAM</span></span>催眠学序説その156)のブログで、人間としての前世のない人格の事例を取り上げてくださり、ありがとうございました。 </span></h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;"> </span></h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;">私は、人間の前世があるものと信じきっていたため、結果は意外であり少々残念でしたが、今回のブログを読ませていただき、自分なりに理解できたと思います。</span></h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;"> ワイス式の落とし穴についても納得しました。</span></h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;"> </span></h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;">また、<b><span style="color: #2b00fe;">今までの人生で生きづらかったり、人間の汚い所が許せなかったりというのは、ガイドから初めての人間としての人生だったからなのかもしれないなと実感しました</span>。<span style="color: red;">注①</span></b></span></h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;"> </span></h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;">ブログのコメント欄からお送りしようと思いましたが、プライベートな内容なので、メールとさせていただきました。</span></h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;"> </span></h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;">セッションにおいては、大変貴重な体験をさせていただきました。</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;">両腕は勝手にくっつき、体はホワッと体重を感じなくなりました。</span></h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;"> </span></h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;">しかし、私が余計なことを頭で考えてしまうため、顕在意識が強くなっていたのかもしれません。</span></h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;"> <br /></span></h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;">また、先生からお聞きした話、大変興味深く拝聴いたしました。</span></h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;"> </span></h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;">面白すぎて時間があっという間に過ぎました。 </span></h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;"> </span></h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;">先生の今までのブログはほとんど読んではいましたが、実際にお聞きするとたいへんわかりやすく、「あの難解な文章は、このことだったんだな」とつながり、脳や意識、魂、霊といったものがどうにつながりあっているのか、よくわかりました。</span></h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;"> </span></h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;">帰宅後、先生のブログを始めから再び読み直すことにしました。</span></h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;"> </span></h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;"> 自分に取り込み、今後の生活に役立てていきたいと思ったからです。</span></h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;"> </span></h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;">また、先生のスピリットヒーリングにより、出産以来苦しんできた骨盤の痛みが引き、立ち上がるのも、動くのもとても楽になりました。</span></h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;"> </span></h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;">これには主人も驚いていました。</span></h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;"> </span></h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;"><b><span style="color: #2b00fe;">人間としての人生が始まったばかりですが、一つひとつすべてが勉強であると自覚し、魂を成長させる努力をしていきたいと思います</span>。<span style="color: red;">注②</span></b></span></h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;"><br /></span>
</h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;">徐々に寒くなってきました。</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;">くれぐれもお体にはお気をつけください。</span></h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;"><br /></span>
</h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;">時が来ましたら、改めてセッションをお願いします。</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;">許されるのであれば、守護霊様との対話がしたいです<span style="font-family: Liberation Serif, serif;"><span lang="en-US">(^^)</span></span>。</span></h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;"></span>
</h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;"> </span></h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;"> 先生と先生の治療霊団の方々に感謝申し上げます。ありがとうございました。</span></h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;"> </span></h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-weight: normal;"><span style="font-size: large;">(感想メールおわり)</span></span></h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;"></span>
</h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;"> </span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;">・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・</span></h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;"></span>
</h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;"> </span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;">さて、以上の感想を読まれてどのように思われたでしょうか。</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;"> </span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;">疑わしいのは、事前にガイドの前世がある事例(<span style="font-family: Liberation Serif, serif;"><span lang="en-US">SAM</span></span>催眠学序説 その156)をクライアントが読んでおり、ガイドの前世であったらいい、というその願望が無意識のうちに投影されたガイドの架空前世の顕現化ではないか、ということでしょうか。</span></h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;"></span>
</h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;"> </span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;">しかし、時系列からしてクライアントが、セッション翌日に掲載した「その156」をセッション前に読めるはずがありません。 </span></h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;"></span>
</h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;"> </span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;">さて、こうしたガイド(高級霊)の前世の顕現化現象は、その真偽の検証は不可能ですから、そのまま「意識現象の事実」として真偽の判断は留保としておくしかありません。</span></h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;"></span>
</h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;"> </span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;">そして、高級霊であるガイドからあえて人間に生まれ変わった理由は、神からの指示である、ということでした。 人間世界に生まれ変わり、地上の人間に霊的真理を何らかの形で広めること、そうした使命遂行のなかでさらに霊的な成長・進化を果たすことが人間に生まれ変わった理由だということでした。</span></h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;"> </span></h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;">魂の成長・進化のためには負荷が必要です。</span></h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;"><b><span style="color: red;"> </span></b></span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;"><b><span style="color: red;">注①</span>「<span style="color: #2b00fe;">今までの人生で生きづらかったり、人間の汚い所が許せなかったりというのは、ガイドから初めての人間としての人生だったからなのかもしれないなと実感しました</span>」と</b>いう述懐は、<span style="font-family: Liberation Serif, serif;"><span lang="en-US">SAM</span></span>前世療法セッションによって、クライアントがこうした負荷を納得し受け入れる洞察ができた結果だと思われます。</span></h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;"></span>
</h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;"> </span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;">また、<b><span style="color: red;">注②</span>「<span style="color: #2b00fe;">人間としての人生が始まったばかりですが、一つひとつすべてが勉強であると自覚し、魂を成長させる努力をしてきいたいと思います</span>」</b>という述懐は、<b>注①</b>の洞察の結果、これからの人生後半へ立ち向かう決意のあらわれだと思います。</span></h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;"> </span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;"> クライアント氏には、このコロナ感染禍のなか「ただただ、自分の前世を知りたい」という衝動?によって関東多摩地方から列車を乗り継ぎ、はるばる<span style="font-family: Liberation Serif, serif;"><span lang="en-US">3</span></span>時間余をかけて東海美濃地方の可児市まで<span style="font-family: Liberation Serif, serif;"><span lang="en-US">SAM</span></span>前世療法セッションにおいでいただいたこと、感想メールをいただきブログ掲載を快諾いただいたことにこの場を借りてあつくお礼を申し上げます。</span></h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;"> </span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;"> こうした、クライアントの生きる力を呼び起こすためのお役に立てたことは、前世人格の顕現化を可能にする<span style="font-family: Liberation Serif, serif;"><span lang="en-US">SAM</span></span>前世療法ならではの醍醐味であり、<span style="font-family: Liberation Serif, serif;"><span lang="en-US">SAM</span></span>前世療法創始者としてこのうえない喜びです。</span></h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-family: Liberation Serif, serif; font-size: large;"> <span lang="en-US"> </span></span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-family: Liberation Serif, serif; font-size: large;"><span lang="en-US">2022</span></span><span style="font-size: large;">年もあと残りすくなくなりました。</span></h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"></h2><h2 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">
</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;"> </span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;">新しい<span style="font-family: Liberation Serif, serif;"><span lang="en-US">2023</span></span>年が、読者のみなさんにとって、<span style="font-family: Liberation Serif, serif;"><span lang="en-US">22</span></span>年にも増して魂の成長・進化の<span style="font-family: Liberation Serif, serif;"><span lang="en-US">1</span></span>年となりますように心よりお祈り申し上げます。</span></h2><h2 style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm; text-align: left;"><span style="font-size: large;"> </span></h2>
<p style="line-height: 100%; margin-bottom: 0cm;">
</p>
稲垣 勝巳http://www.blogger.com/profile/16232260953490209907noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7548750843777970344.post-708177891070975072022-11-23T18:22:00.004+09:002022-11-29T18:19:10.698+09:00最初の人生の魂の持ち主の人格特性<div class="COMMUNITY_cardBlockBody__item JS_fullBody">
<div class="COMMUNITY_cardBlockBody__item JS_fullBody"><h1 style="text-align: left;"> SAM催眠学序説 その156</h1></div><div class="COMMUNITY_cardBlockBody__item JS_fullBody"> </div><div class="COMMUNITY_cardBlockBody__item JS_fullBody">魂の実在を認める立場であっても、魂がどこでどのように誕生するのかは検証不明です。
<br />ちなみに、SAM前世療法では、「魂」とは肉体を持った「霊」を「魂」と呼びます。<br />したがって、「霊がどこでどのように誕生するかは検証不能です」というのが正しいことになります。</div><div class="COMMUNITY_cardBlockBody__item JS_fullBody"> <br /></div><div class="COMMUNITY_cardBlockBody__item JS_fullBody">クライアントのなかには、「霊」として誕生し、初めて肉体に宿った「魂」として人生を送っている事例があります。 <br /></div><div class="COMMUNITY_cardBlockBody__item JS_fullBody">しかし、セッションであらわれる意識現象の事実として、現世が地球人として初めての人生を送っている魂の持ち主もどうやらおいでのようです。</div>
<div class="COMMUNITY_cardBlockBody__item JS_fullBody"> <br />というのは、地球外の星の前世、つまり知的生命を持つ異星人の前世を体験している人ですが、これまでに十数人確認しています。
<br />
あるいは、「人間としての前世がない」ということで、人間ではない霊的存在(ガイド)から、あるいは、守護霊から、人間として生まれ変わったというクライアントが数名含まれています。 <br /></div><div class="COMMUNITY_cardBlockBody__item JS_fullBody"> </div><div class="COMMUNITY_cardBlockBody__item JS_fullBody">なお、守護的存在としての守護霊は、生まれ変わりを繰り返し成長・進化したものを「守護霊」、人間の生まれ変わりを選ばず、霊界で独自の成長・進化を遂げて守護的存在となっているものを「ガイド」と分けるようにわたしあて霊信は告げています。</div><div class="COMMUNITY_cardBlockBody__item JS_fullBody"></div><div class="COMMUNITY_cardBlockBody__item JS_fullBody"> </div><div class="COMMUNITY_cardBlockBody__item JS_fullBody">その判断の根拠は、魂状態に遡行したときに、魂の表層の「現世のもの」しか顕現化しないこと、「現世のもの」に、○○の前世のものに交替してください、と命じても「誰もいません」と回答することから判断せざるをえません。
<br />
あるいは、「現世の直前の人生を送った前世のものは出ておいでなさい」と指示しても顕現化しないことで判断するしかありません。 <br />
<br />
「それではあなたは、現世が最初の人生を送っている魂ですか?」と尋ねると、「そうです」あるいは、「わかりません」という回答が返ってきます。</div>
<div class="COMMUNITY_cardBlockBody__item JS_fullBody">
生まれ変わりを経験していないので、生まれ変わりということがおそらく分からないのだろうと推測しています。</div>
<div class="COMMUNITY_cardBlockBody__item JS_fullBody"> <br />
そして、生まれ変わりがない人や、地球人として最初の生まれ変わりを送っている魂の持ち主の性格特性は、次のようなものであることが、セッション前、セッション後のカウンセリングから明らかになっています。
<br />
<br />
①好奇心が人並み以上に強く、好奇心に駆られてすぐ行動に移る。本人はそうした自分を落ち着きのない人間であると自己評価している。
<br />
<br />
②性格が純真で素直である。周囲からは、悪意や悪気のない人物だという評価を得ている。あるいは楽天的であっけらかんとした印象を与えている。
<br />
<br />
③傷つきやすい。警戒心が薄弱であるため、裏切りに会ったり叱咤されることに傷ついて、劣等感に陥っていることも多い。
<br /> </div><div class="COMMUNITY_cardBlockBody__item JS_fullBody">④人生に生きづらさを抱いて、抑うつ状態に苦しんでいることが多い。<br /> </div><div class="COMMUNITY_cardBlockBody__item JS_fullBody">興味深いことは、「ガイド」から人間に生まれ変わったクライアントは、神からの指示によって人間界に生まれ変わったと答えていること、人間界の醜悪さに生きづらさを抱いて、うつ状態に陥っていること、セッション中に落涙する、などの共通の意識現象があらわれることです。 <br /></div><div class="COMMUNITY_cardBlockBody__item JS_fullBody">中には霊界に戻りたいと涙ながらに訴えたクライアントもいます。</div><div class="COMMUNITY_cardBlockBody__item JS_fullBody"></div><div class="COMMUNITY_cardBlockBody__item JS_fullBody"> </div><div class="COMMUNITY_cardBlockBody__item JS_fullBody">こうした性格特性は、アラン・カルディックの霊信『霊の書』のなかで、通信している高級霊(聖ルイと名乗っている)が、誕生したばかりの魂の特性を「無知、無垢です」と告げていることと符合しています。
<br />
<br />
わたしあて霊信では、「あなたも魂表層の一つです」と告げており、つまり、現世の「わたし」という人格を担っているものが、わたしの魂表層に位置付いていることを告げています。<br />
<br />
こうした、セッションにあらわれる意識現象の事実と、わたしあて霊信の告げていることから、魂の表層には「現世のもの」が位置付いていることは事実であろうと思われます。<br />
「現世のもの」の定義をすれば、「現世に生まれてからこちらの意識・潜在意識をつくりだしている人格」ということになるでしょう。
<br />
<br />
こうして、「わたし」という人格は、魂の表層に存在する「現世のもの」が担っているといえそうです。
<br />
<br />
そして、「現世のもの」は、生まれ変わりがある場合には、魂表層の諸前世人格の影響を受けながら成り立っている、いわば複合的人格とだと考えられます。
<br />
わたしあて霊信で、「魂表層の諸人格は友愛を結び、互いの人生の智慧を与え合っている」と告げているからです。 <br />
とすれば、魂表層の現世人格は、潜在意識下で前世諸人格から人生の智慧を与えられているということになります。<br /> </div><div class="COMMUNITY_cardBlockBody__item JS_fullBody">ただし、諸前世人格の中には、傷つき苦しんでいるものが存在し、そうした傷ついている前世人格からの負の影響も、当然のことながら受けざるをえません。 <br />
わたしあて霊信では、「傷の無い魂は存在しない」と明確に告げています。 <br />
<br />
要するに、「わたし」という人格は、両親から受け継いだ遺伝的資質と現世の生育歴の諸体験からのみ成り立っているわけではなく、それに加えて諸前世人格からの正・負の両面の影響を受けているということです。<br />
<br />
そのように現世人格の成り立ちを推測すれば、人格は、①両親からの遺伝的資質、②生育歴の諸体験、③前世諸人格の影響、などの三者の側面を複合的に併せもっている、という人間理解をするべきだということになります。
<br />
</div><div class="COMMUNITY_cardBlockBody__item JS_fullBody"> </div><div class="COMMUNITY_cardBlockBody__item JS_fullBody">生まれ変わりの科学的研究者の嚆矢として名高いバージニア大学のイアン・スティーヴンソンが、自分の研究室を「人格研究室」と名付けているのも、上記のような意味合いを込めて名付けたと思われます。</div><div class="COMMUNITY_cardBlockBody__item JS_fullBody"></div><div class="COMMUNITY_cardBlockBody__item JS_fullBody"> </div><div class="COMMUNITY_cardBlockBody__item JS_fullBody">『科学的探検雑誌』編集長のバーンハード・M・ハイシュは、次のように述べています。</div><div class="COMMUNITY_cardBlockBody__item JS_fullBody">・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ <br /></div><div class="COMMUNITY_cardBlockBody__item JS_fullBody"> 人間の行動を考えると、生まれ変わりという考え方が、物事を説明するうえで、利点をもっているのは明らかである。恐怖症や変わった能力、強迫観念、性的方向といったものはすべて、精神分析の往々にして回りくどい論理よりも、前世の具体的状況に照らしたほうが、おそらくはよく理解できるであろう。遺伝と環境に加え、前世での経験という第三の要因も、人格形成にあずかっているのではないか、とする考え方は正当な提案と言える。</div><div class="COMMUNITY_cardBlockBody__item JS_fullBody"> ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・</div><div class="COMMUNITY_cardBlockBody__item JS_fullBody">イアン・スティーヴンソン/笠原敏雄訳『前世を記憶する子どもたち』、P.525<br /></div><div class="COMMUNITY_cardBlockBody__item JS_fullBody"> <br /></div><div class="COMMUNITY_cardBlockBody__item JS_fullBody"> 生まれ変わりという事実を受け入れ、誤解をおそれずに言えば、病的な多重人格(解離性同一性障害)という症状を除外して、だれでも多かれ少なかれ多重人格であることが当たり前だということです。 </div>
</div><p>
<br />
さて、話題が少しずれますが、ワイス式前世療法(前世の記憶を想起する前世療法)を体験後、SAM前世療法を受けたところ、生まれ変わりをしていない、という結果が出たクライアントが二人おいでになります。<br />
しかし、二人ともに、ワイス式では「前世の記憶」が確かにあらわれたということでした。<br />
このことはどのように解釈すべきでしょうか。 <br />
<br />
催眠学用語に「要求特性」という用語があります。<br /></p><p>これは、セラピストの要求していることに、クライアントが無意識的に協力しようという催眠中の心理傾向を意味する用語です。<br /></p><p>二人のクライアントに要求特性が働いたとすれば、すでにワイス式前世療法によって前世の記憶が確認されているわけで、つまり、前世があるという前提で、それを再確認するためにSAM前世療法のセッションを受けているわけですから、何らかの前世人格が顕現化しても不思議ではありませんし、顕現化するはずだと思われます。<br />
それが顕現化されず、生まれ変わりをしていない、という結果なのです。 <br />
<br />
我田引水のそしりをおそれずに言えば、二人のクライアントのワイス式で現れた前世の記憶とは、要求特性によって創作された前世記憶の可能性が高いのではないかということです。<br />
<br />
だからといって、SAM前世療法で確認した生まれ変わりが無い、という推測の検証は不可能ですから、これもあくまで仮説に過ぎません。<br />
<br />
そして、アカデミックな催眠学の立場にある催眠研究者のほとんどは、前世の記憶は、要求特性による創作である、という見解をもっています。</p><p>また、残念ながらワイス式であらわれた「前世の記憶」の科学的検証事例をわたしは知りません。</p><p>
しかし、SAM前世療法によって顕現化した前世人格「タエの事例」、「ラタラジューの事例」は、要求特性による創作ではありえない、という科学的検証結果を示しています。<br />
つまり、この二つの事例に限定して検証する限り、被験者里沙さんには生まれ変わりはある、と結論せざるをえません。<br />
<br />
この検証結果は、反証可能性にひらかれた形で全セッション映像をネット上で公開し、2冊の本でも公開してありますが、きちんとした具体的反証を挙げて否定した論者はいまだに現れていません。<br /> </p><p>なお、「ラタラジューの事例」については、二つの関連学会(国際生命情報科学会・日本サイ科学会) で発表しています。<br />
なお、一般向けには、テレビ番組「アンビリバボー」において、2006年に「タエの事例」が25分間、2010年に「ラタラジューの事例」が60分間放映されています。<br />
</p><p>また、アンビリバボー放映の元になっている全セッションのyou-tubeの公開映像は、本ブログの枠外右上に案内してあります。</p>稲垣 勝巳http://www.blogger.com/profile/16232260953490209907noreply@blogger.com2tag:blogger.com,1999:blog-7548750843777970344.post-29788465384144552592022-10-18T08:15:00.002+09:002022-11-06T08:51:15.156+09:00SAM催眠学2022年現在の到達点<p> <span style="font-size: x-large;">SAM催眠学序説 その155 </span> <br />
<br />
「SAM催眠学」とは、SAM前世療法の作業仮説とそれに基づく検証作業によって、これまでの催眠研究が取り上げてこなかった「霊的意識諸現象の事実」を、新たな対象領域として位置づけ体系化を試みようとするものです。<br />
そして、この契機を与えたのは、2007年1月~2月に起こったわたしあて霊信現象と、それを仮説としているSAM前世療法で確認できた14年間の累積です。<br />
<br />
つまり、SAM前世療法によって確認されてきた個々の「霊的諸意識現象の事実」を、一定の仮説と原理によって組織された知識の統一的全体へとまとめあげようとする試みです。<br />
この試みは、これまでの催眠学の体系とはまったく異なる新たな様相を示すことになるはずであり、またこれまでの催眠学と大差のない説明体系であるなら、わざわざ新たに「SAM催眠学」を提唱する必要はありません。<br />
<br />
自己実現の研究者マズローA・Hは、それまでの、人間の病的側面にばかり着目してきた心理学を「天井の低い心理学」だと批判しました。<br />
そして、十全な成長を遂げた人間の可能性を探究する自己実現への探究の心理学をめざしました。<br />
SAM催眠学も、それまで人間の霊的側面について探究することを拒んできた「天井<br />
の低い催眠学」の「低い天井」に風穴を空け、人間の霊性について探究しようとするささやかな試みです。<br />
<br />
当然のことながら「SAM催眠学」は、これまで霊的諸現象を無視し取り上げてこなかった、あるいは否定してきた現行催眠学への不服申し立てにならざるをえません。<br />
さて、「SAM催眠学」として理論化ないし体系化することは、次のような諸作業をおこなうことを意味します。<br />
<br />
「SAM催眠学」の諸対象(霊的意識現象の事実)は、そのままそれ自体として実在するもの、あるいは実在するものの全体としてあるがままの把握とその表現ではなく、SAM前世療法の諸仮説の検証途上の特殊・固有の観点に基づいて構成されたものです。<br />
<br />
つまり、理論化するという作業は、一定・特殊な固有の観点・立場に立って、それと関係のある一定の事象の、さらにまた一定・特殊な側面(性質・機能・要素など)のみを、選択的に注目し、抽象・加工・精錬して、所定の定義された用語でもって記述・表現するということです。<br />
<br />
理論化作業は、他方において、諸々の「意識現象の事実」ないし「データ」を、可能な限り合理的なしかたで関係づけ、説明し、解釈するような問題的状況の構図を想像上、構成してみることによって果たされていきます。
</p><div style="text-align: left;">
<br />
こうした諸作業によって、霊的現象解釈のための理論化の構築を企てる「SAM催眠学」は、壮大なフィクションでもあると自覚しています。<br />
<br />
以下、ここで述べていく内容は、理論化の構築途上における、現時点の中間報告にすぎません。<br />
<br />
前置きはこのくらいにして、「生まれ変わりの実証的探究」という本ブログのテーマに恥じないように、これまで本ブログで紹介した実証を示す記事を参照していただけるようにSAM催眠学の現在の到達点を5点にまとめて述べていきます。<br />
<br />
<b>1 SAM前世療法創始のいきさつ</b><br />
<br />
「SAM前世療法」の諸仮説は、けっしてわたしの独創ではありません。<br />
わたしの守護霊団を名乗る複数の諸霊からの自動書記による霊信の恩恵によって成り立っています。 <br />
<br />
2007年1月11日から2月14日まで1ヶ月余にわたって、毎夜、当時26歳のM子さんを霊媒としてパソコンによる自動書記によって送信されてきた高級霊とおぼしき諸霊からの霊信内容をそのまま作業仮説としています。<br />
わたし宛て<b>霊信の全内容は、「SAM催眠学序説 その48~72」</b>で公開しています。<br />
すべてで22通の霊信であり、A4用紙82枚にわたるかなりの量です。<br />
<br />それまでにM子さんとわたしとの面識は全くなく、拙著『前世療法の探究』の著者と読者の関係のみです。<br />
<br />
2007年1月14日5:23着信の第2霊信で通信霊は、<br />
<b>「ここで私があなた(注:M子)と稲垣に伝えるべき事は、私があなた方をつなぐ理由である。私は、生前あなた(</b><b><b>注:M子</b>)としての素質をもち、稲垣の進むものと類似する方向性をもつ者であった。そのため、私はあなた方をつなぐ者として接触しているのだ」</b><br />
と告げています。<br /> </div><div style="text-align: left;">M子さんの素質とは、霊信を自動書記によって受信するような素質であり、つまり霊媒としての素質だということでしょうし、稲垣の方向性とは催眠を用いた生まれ変わりの実証的探究だと思われます。<br />
つまり、この送信霊は、生前、霊媒能力があり、しかも催眠との深い関わりを持つ人物であったと告げたことになります。<br />
<br />
さらに、2007年1月18日22:28の第7霊信で通信霊は、<br />
<b>「私はエドガー・ケイシーである・・・なぜ今回の霊信で私が役割を担ったかを説明しよう。</b><br />
<b>それは私がよりあなた方の意識に近づける者であるからだ。</b><br />
<b>我が霊団は多くの者で成り立つものである。</b><span style="font-size: xx-small;">( 注:第12霊信で11の霊から成る守護霊団だと告げる)</span><br />
<b>その中でも、私はより『新しい意識』である。</b><br />
<b>それにより、あなた方に近づきやすい状況をつくり出すことができる。</b><br />
<b>そして、より明確に情報を伝えることができる」</b><br />
と生前の身元を告げています。 <br />
エドガー・ケイシーは、催眠状態によって霊的存在とコンタクトをとり、様々な情報を入手し、それをリーディングと称していたようです。<br />
<br />
そして、第2霊信で通信霊は、<br />
<b>「稲垣を守護する霊的存在は、生前の私を守護していた存在であり、それよりも以前に多くの偉大なる者たちを守護していた者である」</b><br />
とも告げています。<br />
ちなみに、エドガー・ケイシーは1945年に死亡しています。わたしは1948年の生まれです。<br />
こうしてエドガー・ケイシーとわたしを守護している存在は同一ということになります。 <br />
わたしの性向として、こうした霊信がインスピレーションという形でわたしに直に伝えられたとしても、それは自分の妄想や願望の投影された結果の産物ではないか、妄想ではないか、とわたしが必ず疑念を持つことを通信霊は知悉しており、そのため第三者のM子さんを霊媒に用い、自動書記による文書の形として送信してきたのだと推測しています。<br />
こうすれば、少なくともわたしの妄想であることは完全に排除できます。 <br />
その結果、わたしの性向にしたがって、必ず霊信内容の真偽を検証しようと試みるであろうことを通信霊は知悉していたと思われます。<br />
<br />
2007年1月23日0:06着信の第11霊信で通信霊は、<br />
<b>「あなたが長年探究してきたものは、これまでの視点 からでは成長は望めない。</b><br />
<b>・・・あなたが探究すべきものは、これまでよりもさらに深奥にあるものである。</b><br />
<b>魂の療法のみあらず、あらゆる霊的存在に対する奉仕となるものである。</b><br />
<b>それは命あるものすべてにつながり、私たちへも強いつながりをもつ。</b><br />
<b>そのために、あなたは自らの内にある疑問をまとめておく必要がある。</b><br />
<b>あなたがこれまで探究してきた道の中であなたが処理できないでいるもの、そして人の理解を超えるものについて、私たちでなければ答えられないものについてまとめなさい」</b></div>
<div style="text-align: left;">
と告げてきました。</div>
<div style="text-align: left;">
<br />
<b>「人の理解を超えるもの」</b>について、霊界の住人であり、人の理解を超えるものについて知っているであろう高級霊が、わたしの疑問について答えると言うのです。<br />
わたしは「<b>人の理解を超えるもの</b>」 について、早速16の質問状をつくり、M子さんに返信しました。<br />
すると、なんとその90分後に、A4用紙9枚にわたる通信霊からの回答が届きました。<br />
回答を考えながら A4用紙1枚を10分で打つことは、ほぼ不可能です。<br />
通信霊を装った作文による回答ではなく、したがって、通信霊を称する存在からの自動書記による回答である可能性が高いと判断しました。 </div>
<div style="text-align: left;">
<br /></div>
<div style="text-align: left;">
<div style="text-align: left;">
<div style="text-align: left;">
<b>2 「意識 ・脳二元論仮説」と「魂の二層構成仮説」について</b></div>
</div>
</div>
<div style="text-align: left;">
<h3 style="text-align: left;">
</h3>
<br />
わたしの理解を超えること、高級霊(通信霊)でなければ答えられないこと、についてわたしの疑問の第一は、魂・脳・心・意識(潜在意識を含む)の相互の関係でした。<br />
<br />
<br />
第11霊信で、<b>「あなたが探究すべきものは、これまでよりもさらに深奥にあるものである」</b>と通信霊は告げていますから、第12霊信、第13霊信、第14霊信、第15霊信、第17霊信の回答は、<b>「これまでよりもさらに深奥にあるもの」</b>を示唆しているのであり、わたしが<b>「探究すべきもの」</b>であると思われました。<br />
<br />
<br />
<b><b>第12霊信、第13霊信、第14霊信、第15霊信、第17霊信</b></b>における通信霊の、魂・脳・意識・心、の関係性についての難解な諸回答をまとめると次の<b>A~H</b>ようになります。<b> </b><br />
<br />
<br />
<b>A 「脳」</b>は<b>「意識」</b>を生み出していない。<br />
<br />
<b><b>B 「</b>意識」</b>を 生み出しているものは、<b>「魂の表層」</b>を構成している前世の者たちである。つまり、前世の者たちは<b>「魂の表層」</b>に存在している。したがって、<b>「魂」</b>は、中心(核)となる意識体とその表層を構成する前世の者たちとの<b>「二層構成」</b>となっている。<br />
<br />
<b>C 「魂表層」</b>の前世の者たちによって生み出された<b>「意識」</b>は、肉体を包み込んでいる<b>「霊体」</b>に宿っている。霊体はオーラとも呼ばれる。 <br />
<br />
<b><b>D 「</b>魂表層」</b>の前世の者たちは、互いにつながりを持ち、友愛を築き、与え合うことを望んでいる。つまり、前世の者たちは、死後も<b><b>「魂の表層」</b></b>で相互に交流を営んでいる。 </div>
<div style="text-align: left;">
<br />
<b>E </b>現世の<b>「わたし」</b>という人格も<b>「魂の表層」</b>に位置づいており、生まれ変わりであるすべての前世の者たちとつながりをもち、友愛を築き与え合うことを望んでいる。</div>
<div style="text-align: left;">
<br />
<b><b>F</b> </b>死後、<b>「霊体」</b>は肉体から離れ、霊体に宿っていた<b>「意識」</b>は<b>「魂」</b>に取り込まれる。取り込まれる先は、生きている間は<b>「魂の表層」</b>の<b>「現世の者」</b>であり、死後は<b><b>「魂の表層」</b></b>の、現世の直前を生きた前世の者、として位置づくであろうと推測される。</div>
<div style="text-align: left;">
<br />
<b>G 「心」</b>は<b>「意識」</b>を管理している。<b>「心」</b>は<b>「魂」</b>が外部の情報を入手するための道具である。したがって<b>「心」</b>が傷つくことはない。したがって、心と意識は同義ではないが、便宜上、「心=意識」として扱うことに支障はない。</div>
<div style="text-align: left;">
<br />
<b>H 「脳」</b>は<b>「心」</b>を管理している。脳は心(意識)を管理しているため、見かけ上、脳と心(意識)が一体化しているように受け取られる。このことによって、心は
脳の付随現象であり、脳が心(意識)を生み出しているという「心と脳の一元論」が唱えられているが、脳と心(意識)は本来、別のものである。<b><b> </b></b><br />
<b><b>「脳」</b></b>は<b>「心」</b>を管理はしているが、<b>「心」</b>を生み出しているわけではない。<br />
<b><b>「脳」</b></b>は外部の情報をまとめる役目をつかさどる。<b> </b><br />
<b>「脳」</b>はデータを管理している。</div>
<div style="text-align: left;">
</div>
<div style="text-align: left;">
<br /></div>
<div style="text-align: left;">
これら上記<b>A~H</b>の回答は、まさしく「<b>人の理解を超えるもの</b>」であり、26才の霊信受信者M子さんが、創作して回答できるとは思われません。<br />
人間を超えた存在である高級霊であってこそ、はじめて回答できる内容であると評価せざるを得ません。 <br />
<br />
しかも興味深いことに、第12霊信でA4用紙9枚にわたる回答を告げてきた送信霊は、わたしの16の質問の回答をした後の霊信の末尾で、<br />
<br />
<b>「</b><b>M子という人間が答えられる問題は、ここには存在しない。・・・この霊信において告げた内容を読んだとしても、M子自身は理解に到達できない。・・・これは私からの霊信であり、M子の言葉ではない。M子の妄想ではない。妄想では答えられないものである」</b><br />
<br />
と、受信者M子さんの創作や妄想ではなく、間違いなく通信霊という霊的存在からの回答であることを念押しし、強調していることです。<br />
<br />
<br />
ちなみに、第12霊信の送信霊は、<br />
<b>「私は稲垣の祖父の守護霊とつながりを持つ者であり、あなた方の世界で表現すると、遠い昔、転生を終えた者である」</b><br />
と告げています。<br />
<b><br /></b>
さて、回答<b>A</b>の「心・脳二元論」の立場は、大脳生理学者でノーベル賞の受賞者であるペンフィールド、エックルズ、スペリーなどが晩年になって唱えており、世界的催眠研究者である成瀬悟策医学博士も、晩年になってからこの立場をとっています。<br />
<br />
これら「心・脳二元論」の提唱者たちは、脳が心(意識)を生み出してはいないのだと主張はしても、では心(意識)を生み出しているものは、どこに存在するかについては一切語っていません。<br />
それは人知を超えることであり、想像もできないということでしょう。<br />
通信霊は、心(意識)を生み出す存在は、「魂表層の前世の者たちである」と明確に告げています。<br />
<br />
わたしは霊信にしたがい、「心・脳二元論仮説」と「魂の二層構成仮説」に基づき、<b>A~H</b>の霊信内容の真偽を、催眠を道具に用いてできるかぎりの徹底的な検証と探究をしようと決心しました。<br />
この検証の過程で、徐々に定式化していった前世療法こそ、2008年6月に創始した「SAM前世療法」です。<br />
<br />
特筆すべきことは、第11霊信で私の疑問に回答すると告げた通信霊が、同じ第11霊信の中で、 <br />
<br />
<b>「そして、前世療法についてだが、あなたは自らの霊性により独自性を持つようになる。</b><br />
<b>あなたの療法は、あなたにしかできないものになる」</b><br />
<br />
と、この霊信1年半後の2008年6月に創始した<span style="font-size: medium;"><u><b>S</b></u>oul <u><b>A</b></u>pproach<b><u> M</u></b>ethod の略</span>「SAM前世療法」について、すでに予言していることです。<br />
<br />
通信霊は、前掲<b>A~H</b>の回答を得たわたしが、当然のように、回答に基づいた独自の前世療法(SAM前世療法)を、新たに創始することをすでに見極めていたと考えるほかありません。<br />
むしろ、SAM前世療法の創始をさせるための目的で第11霊信が送られたと思われます。<br />
第7霊信で通信霊は、<b>「わが霊団はあなた方を中心としある計画を進めている」</b>と告げて <br />
いますから、わたしにSAM前世療法の創始を担わせたことは「計画」のうちに入っていた<br />
のだろうと思われます。<br />
<br />
<br />
そして、「SAM前世療法」によって<b>A~H</b>の作業仮説が検証され、生まれ変わりが科学の方法によって実証された事例が「タエの事例」と「ラタラジューの事例」です。<br />
タエもラタラジューも、SAM前世療法によって、被験者里沙さんを「魂状態の自覚」まで誘導し、魂表層から呼び出され、顕現化した前世人格(前世の者)なのです。<br />
<br />
<b>「タエの事例」</b>、<b>「ラタラジューの事例」の全セッション動画はyou-tubeで公開</b>してあります。<br />
この動画をご覧になれば、タエとラタラジュー両人格の顕現化現象を、「前世の記憶」である、という解釈では説明が成り立たないことは明白です。<br />
とりわけラタラジュー人格は、明らかに現在進行形の会話である証拠を残しているからです。<br />
ちなみに、タエ・ラタラジュー両事例の信憑性を、具体的事実に基づいて否定・反証を挙げて科学的批判した論者は、皆無です。<br />
<br />
また、<b>「タエの事例」の逐語録は「SAM催眠学序説 その35~40」</b>において、<br />
<b>「ラタラジューの事例」の逐語録は「SAM催眠学序説 その23~32」</b>において、詳細に検討しています。<br />
<br />
また、「魂の転生」のしくみと「生まれ変わり」の関係については<b>「SAM催眠学序説 その123」</b>で「魂の二層構成仮説」の模式図によって説明しています。<br />
<div style="text-align: left;">
<br /></div>
<div style="text-align: left;">
<b>3 「憑依仮説」について</b></div>
<br />
SAM前世療法の<b>「魂遡行催眠」</b>と名付けている特殊な技法を用いて、被験者を<b>「魂状態の自覚」</b>に誘導する過程で、被験者に未浄化霊と呼ばれている霊的存在が憑依していると、そうした存在が救いを求めて顕現化することが観察されます。<br />
SAM催眠学では、そうした霊的存在の憑依を認める立場をとっています。<br />
ここで言う<b>「霊的存在」</b>とは、<b>「肉体を持たない人格的意識体」</b>を意味しています。<br />
<br />
霊的存在には肉体がありませんから、肉体を持つ被験者の肉体を借りて一個の人格として自己表現をします。こうした現象を憑依と呼んでいます。こうした憑依する人格的意識体を憑依霊と呼んでいます。<br />
<br />
憑依霊は未浄化霊だけに限りません。守護霊を名乗る高級霊や神の使いと称する高級霊も、<b>「魂状態の自覚」</b>に至ると、必要に応じて何らかのメッセージを携えて憑依します。<br />
こうして<b>「魂状態の自覚」</b>に至ると霊的存在の憑依現象が起こることを認める立場を<b>「憑依仮説」</b>と呼び<b>、</b>SAM催眠学の骨格をなす仮説の一つとして位置づけています。<b> </b><br />
<br />
さらに、<b>「魂状態の自覚」</b>に至り、魂表層から顕現化した前世人格は、生まれ変わりである現世の者(被験者)の肉体を借りて自己表現します。<br />
この現象は、未浄化霊や高級霊など第三者としての霊的意識体の憑依と同様な現象であり、前世人格の憑依現象を<b>「自己内憑依」</b>と名付けています。<br />
<br />
つまり、現世の者の内部(魂)に存在している肉体のない前世人格が、生まれ変わりである現世の者に憑依し自己表現する、という意味です。したがって、<b>「前世人格の顕現化」</b>は<b>「自己内憑依」</b>現象だと言い換えることができます。<br />
自分の魂表層に存在している前世人格が、自分に憑依すること、これが自己内憑依です。 <br />
<br />
<b>「 魂状態の自覚」</b>を体験した被験者のほとんどが、その意識状態の自覚に至ると体重の感覚がなくなると報告します。 <br />
おそらく、普段の状態では肉体という器に内在する魂は、なんらかの形で肉体と緊密な結びつきを保っていたのが、<b>「魂状態の自覚」</b>に至るとその結びつきが解かれ、肉体と魂が分離した状態になる、したがって、体重感覚の喪失感が生じるのではないかと推測されます。<br />
被験者の中には、魂と呼ぶ意識体が、肉体の外に分離している感覚(体外離脱)、を報告することもあります。<br />
<br />
<br />
つまり、「魂状態」とは、肉体を持たない霊的存在と同様な状態になっていると考えられ、したがって、霊的存在と同じく肉体を持たない意識体同様の次元に至っているので、霊的存在との接触(コンタクト)、つまり憑依が起こりやすいのではないかと推測しています。 <br />
ちなみに、SAM催眠学では、肉体を持たない意識体を「霊」、霊が肉体という器を持てば「魂」と呼ぶと定義しています。<br />
<br />
<b>4 「霊体仮説」について </b><br />
<br />
2007年1月25日22:47着信の第14霊信で通信霊は、<br />
<b>「霊体とは魂ではない。それは、ある時はオーラと呼ばれもする。</b><br />
<b>それは、・・・肉体を保護する役割を担うものでもある。</b><br />
<b>魂を取り囲み、それはあなたという存在を構成するための一材料となる。</b><br />
<b>霊体は、ある意味においてはあなた方が『あなたという人間であるため』の意識を独立して持つための役割を担うものでもある」</b><br />
と告げています。 <br />
<br />
霊体の色をオーラとして感知できる能力者には、肉体の傷んでいる部分のオーラの周囲の色が黒ずんで見えること、オーラの色が澄んでいる場合には肉体の健康状態が良好であること、を言い当てるという検証結果が得られています。<br /> </div><div style="text-align: left;">こうして、霊体と肉体の両者には互いに影響を与え合う密接な相互影響関係があると推測できます。<br />
したがって、霊体は、エクトプラズムのように何らかの半物質的な要素・性質を帯びている可能性が考えられます。 <br />
<br />
また、互いに面識のない、オーラを感知できる10名を越える能力者が、それぞれに、わたしのオーラ(霊体)の色として同一の色を報告しています。<br />
<br />
こうして、霊体と肉体には、双方に共通の何らかの要素・性質が存在し、そのため相互に影響を与え合う関係がある、とする仮説も<b>「霊体仮説」</b>には含まれています。<br />
<br />
また、<b>2</b>の<b>C</b>で述べたように、われわれ生きている人間は、肉体を包み込んでいる霊体を持っている、霊体には意識・潜在意識が宿っている、と考えるのが<b>「霊体仮説」</b>です。<br />
<br />
そして、霊体には意識・潜在意識が宿っている、という仮説と、霊体と肉体には、双方に共通の何らかの要素・性質が存在する、という両仮説の検証実験の累積によって、<b>「魂遡行催眠」</b>というSAM前世療法以外に類のない固有・独創の誘導技法が生み出されました。<br />
<b>「SAM前世療法」</b>が、すでに「前世療法]という用語があるにもかかわらず登録商標として認められたのは、その固有性、独創性の証です。<br />
<pre class="moz-quote-pre" wrap=""></pre>
<br />
<b>5 </b><b>「<b>残留思念仮説</b>」について</b><br />
<br />
2007年1月20日1:01着信の第8霊信で通信霊は、<br />
<b>「あなたは、すべては『意識』であると理解していた。</b><br />
<b>ことばとしての『意識』をあなたは理解している。</b><br />
<b>だが、その本質はまだ理解には及んではいない。</b><br />
<b>あなたが覚醒するにしたがって、それは思い出されるものとなる」</b><br />
と告げています。<br />
<br />
また2007年1月23日22:58着信の第12霊信で通信霊は、 <br />
<b>「この世に残る未成仏霊(未浄化霊)のような存在は、残留思念の集合体である。</b><br />
<b>だが、それらは意志を持つようにとらえられる。</b><br />
<b>よって、魂と判断されがちだが、それらは魂とは異なるものである」</b><br />
と告げています<br />
<br />
以上のような2007年の霊信を受け取ってから、12年間にわたるSAM前世療法の仮説と検証の実践の繰り返しを経て、わたしは「<b>意識の本質</b>」の一つとして、「<b>強力な思念(意識)の集合体は、一個の人格としての属性を帯びた意識体になる</b>」と考えるようになっています。<br />
この仮説をSAM催眠学では、「<b>残留思念仮説</b>」と名付けています。<br />
<br />
<b>「残留思念仮説」</b>によって定義すれば、<br />
<br />
<b>「未浄化霊」</b>とは、「この世に何らかの強い未練があるために、救いを求めてさまよっている残留思念の集合体であり、意志を持つ人格としての属性を備えたもの」です。 <br />
<br />
<b>「生き霊」</b>とは、「強力な嫉妬や憎悪によって、魂表層の『現世の者』から分離した思念の集合体であり、意志を持つ人格としての属性を備えたもの」です。<br />
その実証として、SAM前世療法による生き霊との対話を、<b>「SAM催眠学序説 その115」</b>で述べています。<br />
<br />
<b>「インナーチャイルド」</b>とは、「耐えがたい悲哀の体験をしたために傷つき、その苦痛から逃れるため、大人の人格へと成長していく本来の人格から分離(解離)され、 取り残された子どものままの残留思念の集合体であり、大人の人格に内在しつつ意志を持つ別人格としての属性を備えたもの」です。<br />
その実証として、SAM前世療法によるインナーチャイルドとの対話を<b>「SAM催眠学序説 その119」</b>で述べています。<br />
<br />
こうして、SAM前世療法によって顕現化する「未浄化霊」も、「生き霊」も、「インナーチャイルド」も、実際のセッションにおいては、意志を持つ人格として扱うことができる<b>「見做し人格」</b>だとして、対話をおこないます。<br /> </div><div style="text-align: left;">また、それらは強力な思念の集合体であり人格としての属性を持つ意識体という意味では、肉体のない「霊的意識体」だととらえています。<br />
そして、未浄化霊も生き霊も、それらはマイナスの思念を抱え、理解を求めている人格的存在だととらえるべきであろうと思われます。<br />
<br />
このことについて第9霊信は、<br />
<b>「そして、あなたがもっとも理解すべきなのは、『</b><b><b>霊祓い</b>』を選択するのではなく『</b><b><b>浄化</b>』を選択することである。・・・霊がいつも求めるものは『理解』であることを忘れないようにしなさい。そしてその本質は『愛』なのだ」</b><br />
と告げています。<br />
<br />
「生まれ変わり仮説」そのものへの諸反論とわたしの見解(反論)については<b>「SAM催眠学序説 その117」</b>をご覧ください。<br />
<br />
<b>まとめ</b><br />
<br /></div>
<div style="text-align: left;">
</div>
<div style="text-align: left;">
わたしの探究の原点は問題意識です。<br /> </div><div style="text-align: left;">それは、われわれはどこから生じ、どこへ行くのか、死後はあるのかないのか、あるとして生まれ変わりがあるのかないのか、生まれ変わりがあるとしてそれはどのような仕組みになっているのか、さらに意識を生み出しているものは何であるのか、意識の本質とは何であるのか、などこれまでの唯物論科学の枠組みでは答えが出せそうもない領域への探究です。<br />
これらの探究を科学の方法をもって、つまり、仮説を設け、仮説に基づいて実践(実験)し、結果を検証し、仮説を検討していくという営みを地道に繰り返しながら、誰もが納得できる科学的な事実の発見を試みる探究の道を持続することです。<br />
<br />
しかしながら、意識現象の探究は、計測したり、数量化したり、映像化したりすることは、「意識」が本来的に物質に還元できないものである以上不可能です。<br />
したがって、意識現象を体験した者の体験の内観の報告を手がかりとするしか方法論がありません。<br />
それら意識体験の内観報告を累積し、共通項を導き出し、それを客観的事実であろうと見做して仮説の真偽を検証していくこと以外に、現時点では方法論を見出すことができません。<br />
こうした、前提と限界のある霊的意識現象の探究ですが、これまでのSAM前世療法の実践によって明らかにしてきた発見を大きく7点列挙してみます。<br />
<br />
<b>1</b><br />
<br />
ふだん「脳」に管理されている「心(意識・潜在意識)」は、脳の管理下にあるがゆえに、脳の束縛を受け、脳と一体化しているように受け取られる。<br />
したがって「心(意識・潜在意識)」は、脳の生み出している付随現象として理解されているが、それは錯覚である。<br />
潜在意識の優勢化が進むにつれて、心(潜在意識)は、脳の管理下から分離し自由になり、潜在意識は脳への働きかけの自由を得る。<br />
この、心(潜在意識)が脳の束縛から離れ自由を得た状態が「催眠状態」である。<br />
催眠下では、心(潜在意識)の働きかけのままに脳が反応するようになる。<br />
これを催眠学では「言語暗示による運動・知覚・思考などの意識の変性状態」と定義している。<br />
<br />
<br />
<b>2</b><br />
良好な催眠状態を徹底的に深めていくと、潜在意識の深奥には、誰もが「魂状態の自覚」を持っていることが明らかになった。<br />
直近100事例で91%の被験者が「魂状態の自覚」に至っている。「魂」と呼んでいる意識体が、肉体に内在している間接的実証である。<br />
これまでに、最年少は小学6年生男子、最年長は82才女性、京都大教授2名、名古屋大学准教授1名、東北大学准教授1名、その他私立大学教授を含めて十数名、医師十数名など、知的訓練を十分に受けている被験者たちも「魂状態の自覚」に至っている。 <br />
「魂状態の自覚」に至れば、魂表層に存在している前世人格が、呼び出しに応じて顕現化する。<br />
<br />
<b>3</b> <br />
魂表層には前世の諸人格が意識体として生きており、現世の人格を担っている「現世の者」も位置付いている。<br />
それらの魂表層の者たちは互いの人生の智恵を分かちあっており、「現世の者」は、良かれ悪しかれ前世の者たちの影響を受けている。<br />
よろしくない影響を受けていると心理的、肉体的諸症状となって現象化する。<br />
そうした症状は、前世の者の訴えであったり、現世の者を守るための警告としての意味を持っている。<br />
その実証として、<b>「SAM催眠学序説 その118」</b>でその実例を挙げています。<br />
<br />
<b>4</b><br />
魂表層に「現世の者」しか存在していない事例がある。つまり、前世がなく、現世が魂として最初の人生である被験者が存在する。生まれ変わりを体験していない魂の持ち主である被験者の共通の性格特性が「無知、無垢」である。<br />
したがって、無知であるがゆえに好奇心が旺盛であり、無垢であるがゆえにナイーブで悪意がなく傷つきやすい。周囲からは悪意のない、いい人だという評価を受けている。<br />
<br />
<b>5</b><br />
強烈な思念(意識)が凝縮し集合体を形成すると、一個の人格を持つ意識体としての属性を帯びる。<br />
思念(意識)にはそうした本質があり、そのため「未浄化霊」、「生き霊」などと呼ばれてはいるが、それは「霊」ではなく強烈な思念の集合体である。<br />
<br />
<b>6</b><br />
生まれ変わりの科学的証拠だと自信を持って主張できる事例は、「タエの事例]と「ラタラジューの事例」を語った被験者里沙さん一人でしかない。<br />
しかし、特筆できることは、タエからラタラジューへの生まれ変わりは33年、ラタラジューから里沙さんへの生まれ変わりは64年という生まれ変わりの間隔年数が、タエ、ラタラジュー両前世人格の語りから特定できたことである。<br />
このことについて、20数年かけ2300事例に及ぶ膨大な生まれ変わりの科学的研究をおこなったこの分野の第一人者であるイアン・スティ-ブンソンでさえ、次のように述べている。<br />
「二つ以上の前世を記憶しているという子どもが少数ながら存在するという事実を述べておく必要がある。・・・これまで私は、<b>両方とも事実と確認できるほど二つの前世を詳細に記憶していた子どもをひとりしか見つけ出していない</b>」<br />
(『前世を記憶する子どもたち』笠原敏雄訳、日本教文社、P.333)<br />
<br />
ただし、スティーヴンソンは、この子どもの二つの前世記憶によって、生まれ変わりの間隔年数が特定できたのかどうかについては一切述べていない。<br />
こうした生まれ変わりの先行研究から見ても、「タエの事例」と「ラタラジューの事例」は、世界的にきわめて希少価値の高い生まれ変わりの実証事例として評価できる。<br />
<br />
<b>7</b><br />
生まれ変わり(転生)は惰性で繰り返されていないようである。<br />
どういう形をとるかは様々であるが、負荷(試練)を背負い、魂の成長進化を図る目的を持って生まれ変わるらしい。<br />
現世をどう生きるかの青写真は、魂と守護霊との相談によって決められるらしい。 <br />
しかし、現世に生まれてきた使命や目的は、魂が肉体に宿ると同時に忘却される。<br />
したがって、生まれてきた使命や目的を、直接知る方法は一切ない。<br />
守護霊との接触によっても、守護霊は教えてはくれない。 <br />
肉体に宿った魂が、与えられた負荷をどう乗り越え、現世をどう生きるかは、ひとえにすべて魂の主体性に任されているらしい。<br />
<br />
<br />
さて、日本の古代史に大胆な仮説を展開し、「日本学」を創始した哲学者梅原猛は、インスピレーションによらない学説などは、たいしたものにはならない、というようなことを述べています。<br />
<div style="text-align: left;">
そして、まさしく、わたし宛ての霊信はインスピレーションといってよいでしょう。 <br />
<br />
これまでの催眠研究が取り上げてこなかった「霊的意識諸現象の事実」を、新たな対象領域として位置づけ体系化を試みようとする「SAM催眠学」の提唱には、梅原猛のこうした考え方に触発され、勇気を与えられてきました。</div>
<br />
おそらく、催眠研究のアカデミズムに属する大学の研究者が同様の霊信を受け取っても、一笑に付すか無視するかして、真摯に向き合うことはまずないだろうと思われます。<br />
そうなれば、「SAM前世療法」も「SAM催眠学」も誕生するはずがありません。 <br />
2008年に教職から離れ、一切の公的束縛から解かれて自由なわたしであるからこそ、浮き世のしがらみの希薄になったわたしを選んで、霊信を送ってきたのだと考えるのは、あながち的外れの妄想ではなかろうと思います。<br />
<br />
上越教育大学大学院でのわたしの恩師、教育学博士杵淵俊夫先生が、「哲学を本当にやれるのは浮き世の地位・名誉・欲得から縁のない乞食になることだよ」と語られたことを思い出します。<br />
<br />
<br />
さて、第1霊信で通信霊は、<br />
<br />
<b>「あなたの探究心の方向性について語ろう。</b><br />
<b>今後あなたは自分の思うままに前進するべきであり、そのためのこれまでの道のりであった。</b><br />
<b>あなたは自分の直感を通し得るべき知識を模索していく」</b>と告げています。 <br />
<br />
第7霊信で通信霊は、<br />
<br />
<b>「わが霊団はあなた方を中心としある計画を進めている」</b>と告げ、 <br />
<br />
第8霊信で通信霊は、<br />
<br />
<b>「今回伝えるべきことは、あなた方を含め、多くの者が計画に参加しているということである。</b><br />
<b>・・・そして、あなた方の参加する計画というゲームはあなた方の考えるよりも大規模なのだと理解しなさい。</b><br />
<b>楽しむ姿勢を忘れないようにしなさい」</b>と告げています。<br />
<br />
さらに、第15霊信では通信霊は、<br />
<br />
<b>「これは神とあなた方の交わした約束であり、計画である。</b><br />
<b>すべてに祈りを、感謝をささげなさい」</b>と告げています。<br />
<br />
また、第5霊信で通信霊は、<br />
<br />
<b>「今日は、あなたはM子の霊信でどの高級霊が語りかけてくるのだろうかと考えた。</b><br />
<b>だが、私は高級霊ではない。</b><br />
<b>あなたの期待を裏切るわけではない。</b><br />
<b>あなたの感覚をあるがままに感じながら霊信を読みなさい。</b><br />
<b>かしこまらずに、もっと肩のちからを抜きなさい。</b><br />
<b>私はあなたの上にいる者であり、下にいる者であり、隣にいる者であり、そばにいる者である。</b><br />
<b>そして、あなたの目の前にいる者である。</b><br />
<b>そして、あなただけではなく、すべての者に対してもそうである。</b><br />
<b>だが、人々は私が自然の者だと分からないあまりに、あらゆる手段を通し私を知ろうとする。</b><br />
<b>そして感じようとする。</b><br />
<b>私を恐れる者、そして救いを求める者、欲する者、すべての者は同じ平行線の上に立っている。</b><br />
<b>だが人々はそのことに気づかない」</b><br />
<br />
と、自分は高級霊ではないと否定する存在(神?)が、<br />
<br />
<b>「あなたは肩の力を抜きはじめている。</b><br />
<b>それでいいのだ。</b><br />
<b>あなた方は、構えていては何も見出せなくなる。</b><br />
<b>もっと楽しみなさい。</b><br />
<b>これは『遊び』なのだ。</b><br />
<b>すべての計画は、そうである」</b>と告げてきました。<br />
<br />
第16霊信では、守護霊団の一員で、生前はエドガー・ケイシーだとを名乗る霊が、<br />
<br />
<b>「私たちは必要に応じてあなたに語りかけるであろう。</b><br />
<b>そして、あなたが求める時も、必要に応じて与えるであろう」</b><br />
<br />
と告げ、2007年2月14日以後、M子さんを霊媒に用い自動書記による霊信が途絶えたのち、魂状態の自覚に至ったクライアントに、わたしのガイドや霊団の一員を名乗る霊が憑依しては、クライアントによる口頭での霊信を告げてくることが、数ヶ月ごとに起こるようになり、それが2022年現在に至っても続いています。<br />
<br />
こうした口頭による語りかけの霊信内容の概要は、<br />
<br />
<b>「自分たちのような霊的存在を知らしめるために降りてきた。</b><br />
<b>稲垣は自分の進んでいる方向に自信を持ちなさい。</b><br />
<b>霊的真理を地上に広めなさい。</b><br />
<b>稲垣の現世最後の仕事が10年先に待っている。</b><br />
<b>健康に留意してその仕事に備えなさい。</b><br />
<b>その仕事の内容は今は教えることができない」</b><br />
ということに集約できます。<br />
<br />
また、M子さん経由の霊信が途絶えた2007年の夏に、里沙さんの守護霊の憑依実験をおこない、降りてきた守護霊と40分間にわたる対話をしました。<br />
彼女の守護霊は、わたしの要請でいつでも憑依し、メッセージを伝えてくれるからです。<br />
<b>「私は霊界では異例の存在であり、それは稲垣に霊界の消息を伝える役目を与えられているからだ」</b>と告げているからです。 <br />
彼女の場合、守護霊が憑依中の記憶がまったくありません。 <br />
フルトランス状態になり、憑依状態による甚だしい疲労が翌日まで残ると言います。 <br />
憑依実験で彼女の守護霊がわたしに語った内容は、以下のような5点に要約できます。 <br />
<br />
<br />
<b>1</b><br />
<b>タエの事例は偶然ではありません。</b><br />
<b>計画され、あなたに贈られたものです。</b><br />
<b>計画を立てた方は、わたくしではありません。</b><br />
<b>計画を立てた方は、わたくしよりさらに上におられる神です。</b><br />
<b>タエの事例が出版されることも、新聞に掲載されることも、テレビに取り上げられることもはじめから計画に入っていました。</b><br />
<b>あなたは、人を救うという計画のために神に選ばれた人です。</b><br />
<br />
<br />
<b>2</b><br />
<b>あなたのヒーリングエネルギーは、霊界におられる治療霊から送られてくるものです。</b><br />
<b>治療霊は一人ではありません。</b><br />
<b>治療霊はたくさんおられます。</b><br />
<b>その治療霊が、自分の治療分野の治療をするために、あなたを通して地上の人間に治療エネルギーを送ってくるのです。</b><br />
<br />
<b>3</b><br />
<b>あなたの今までの時間は、あなたの魂と神とが、あなたが生まれてくる前に交わした約束を果たすときのためにありました。</b><br />
<b>今、あなたの魂は成長し、神との約束を果たす時期が来ました。 神との約束とは、人を救う道を進むという約束です。</b><br />
<b>その時期が来たので、ヒーリング能力も前世療法も、あなたが約束を果たすための手段として神が与えた力です。</b><br />
<b>しかし、このヒーリングの力は万能ではありません。</b><br />
<b>善人にのみ効果があらわれます。</b><br />
<b>悪とはあなたの進む道を邪魔する者です。</b><br />
<b>今あなたを助ける人がそろいました。どうぞたくさんの人をお救いください。</b><br />
<br />
<b>4</b><br />
<b>神はあなたには霊能力を与えませんでした。</b><br />
<b>あなたには必要がないからです。</b><br />
<b>霊能力を与えなかった神に感謝をすることです。</b><br />
<br />
<b>5</b><br />
<b>守護霊に名前はありません。 </b><br />
<b>わたくしにも名はありません。</b><br />
<b>あなたの守護霊は、わたくしよりさらに霊格が高く、わたくしより上におられます。</b><br />
<b>そういう高い霊格の方に守られている分、あなたには、成長のためにそれなりの試練と困難が与えられています。</b><br />
<b>これまでの、あなたに生じた困難な出来事のすべてがはじめからの計画ではありませんが、あなたの魂の成長のためのその時々の試練として与えられたものです。</b><br />
<b>魂の試練は、ほとんどが魂の力で乗り越えねばなりません。</b><br />
<b>わたくしたちは、ただ見守るだけです。</b><br />
<b>導くことはありません。</b><br />
<b>わたくしたちは魂の望みを叶えるために、魂の成長を育てる者です。</b><br />
<b>霊能力がなくても、あなたに閃くインスピレーションが守護霊からのメッセージです。 それがあなたが迷ったときの判断の元になります。</b><br />
<b>あなたに神の力が注がれています。</b><br />
<b>与えられた力を人を救う手段に使って人を救う道に進み、どうぞ神との約束を果たしてください。</b><br />
<br />
さて、読者のみなさん自身に、これまで紹介したような霊信を受け取るという霊的現象が起こったとしたらどのような反応を示されるでしょうか。<br />
世界の三大霊信と呼ばれている、モーゼスの『霊訓』、アラン・カルディックの『霊の書』はともに19世紀末、シルバーバーチの『霊言』は20世紀末の話です。<br />
わたしあて霊信は、これら過去の三大霊信では触れられていない霊的真理として、魂と生まれ変わりの仕組みをわたしに教えることに目的をしぼり、送信されてきた霊信であるという解釈が成り立つかもしれません。<br />
そして、わたしによって(わたしを道具に使って)、霊的真理である魂と生まれ変わりについて、多くの人々に知らしめようという守護霊団の計画なのかもしれません。<br />
<br />
ですが私の態度は明確です。<br />
このブログの「コメント投稿の留意点」として掲げてある「<b>いかなる意識現象も先験的に否定せず、いかなる意識現象も検証なくして容認せず</b>」です。<br />
<br />
<br />
霊媒としての貴重な役割を担ってくれた霊信受信者M子さん、里沙さん両者の誠実な人間性を疑うことはありませんが、受信中において、無意識的に彼女ら自身の期待や願望が反映し、混入している可能性は排除できないでしょう。<br />
とりわけ、「神」という言葉が用いられ、語られることには?です。<br />
「神との約束」、「神の計画」などの霊信をわたしが軽々に信じ、メサイア・コンプレックス(救世主コンプレックス)や、誇大な選民思想などの過ちに陥ることを十分に警戒しなければなりません。 <br />
わたしは、できるだけ簡素で、できるだけ自給的で、喜びを中心とした日常生活を理想としている一介の催眠療法実践者です。<br />
<br />
したがって、両者の霊信受信という意識現象も、「検証なくして容認せず」です。<br />
検証できないからには否定もできないが、容認することも判断留保としておく、ことが偏りのない柔軟で公正な態度であろうと思います。<br />
そして、これまでの検証できたことに限れば、わたしあて霊信内容に矛盾がないことが明らかになっています。<br />
<br />
そして、第5霊信で「神」とおぼしき存在が、<b>「構えていては何も見出せなくなる。もっと楽しみなさい。これは『遊び』なのだ。すべての計画は、そうである」</b>と告げたように、これから先々起こることに、来るべきときに来るものは来ると、肩の力を抜いて楽しんでいこう、というのがわたしの心境の現時点のありようです。</div>
<div style="text-align: left;">
<br />
さて、「催眠学序説 その155」 を閉じるにあたって、わたしの脳裏に思い起こされるのは、わたしの心境の現時点の到達点にかかわっているもうひとつのもの、『モーゼスの霊訓』(霊信)にある、インぺレーターと名乗る高級霊の告げている霊信の次の一節です。
<br />
<br />
<b>「霊界より指導に当たる大軍の中には、ありとあらゆる必要性に応じた霊が用意されている。</b>(中略)<b><br />
筋の通れる論証の過程を経なければ得心のできぬ者には、霊媒を通じて働きかける声の主の客観的実在を立証し、秩序と連続性の要素をもつ証明を提供し、動かぬ証拠の上に不動の確信を徐々に確立していく。</b><br />
<b>さらに、そうした霊的真理の初歩段階を卒業し、物的感覚を超越せる、より深き神秘への突入を欲する者には、神の深き真理に通暁せる高級霊を派遣し、神性の秘奥と人間の宿命について啓示を垂れさせる。</b><br />
<b>かくのごとく人間には、その程度に応じた霊と相応しき情報とが提供される。</b><br />
<b>これまでも神は、その目的に応じて手段を用意されてきたのである。<br />
今一度繰り返しておく。</b><br />
<b>スピリチュアリズムは、曾ての福音の如き見せかけのみの啓示とは異なる。</b><br />
<b>地上人類へ向けての高級界からの本格的な働きかけであり、啓示であると同時に宗教でもあり、救済でもある。</b><br />
<b>それを総合するものが、スピリチュアリズムにほかならぬ。</b>(中略)<b><br />
常に分別を働かせねばならぬ。</b><br />
<b>その渦中に置かれた者にとっては、冷静なる分別を働かせることは容易ではあるまい。</b><br />
<b>が、その後において、今汝を取り囲む厳しき事情を振り返った時には、容易に得心がいくことであろう」<br />
</b>(近藤千雄訳『霊訓』「世界心霊宝典」第1巻、国書刊行会)</div>
<div style="text-align: left;">
<br />
インペレーターと名乗る高級霊から牧師スティトン・モーゼスに送信された上記霊信の、この引用部分は、わたしに向かって発信された啓示であるかのような錯覚すら覚えます。<br />
高級霊インペレーターが説いているように、SAM前世療法にとりかかる前のわたしは、「筋の通れる論証の過程を経なければ得心のできぬ者」のレベルにありました。</div>
<div style="text-align: left;">
</div>
<div style="text-align: left;">
<br />
だから、「秩序と連続性の要素を持つ証明を提供し、動かぬ証拠の上に不動の確信を徐々に確立していく」ために、「動かぬ証拠」として、わたし宛の霊信現象、「タエの事例」、「ラタラジューの事例」をはじめとして、ヒーリング能力の出現などの超常現象が、霊的存在から次々に提供されているような気がしていました。</div><p>
そうした直感の真偽を確かめるために、里沙さんの守護霊に尋ねてみるという憑霊実験を試みたわけです。<br /> </p><p>「常に分別を働かせねばならぬ」と言うインペレーターの忠告に従っていることにもなるのでしょう。<br />
そして、分別を働かせた結果の帰着点は、霊的存在を排除しては説明できないのではないかということでした。<br />
<br />
かつてのわたしであれば、例えばヒーラーと称する者のヒーリング効果の解釈として、プラシーボ効果であるとか、暗示効果であるとか、信念の心身相関による効果であるとか、現行唯物論科学による合理的説明に躍起となって、それを公正な科学的態度だと信じて疑わなかったと思います。<br /> </p><p>今、自分自身に突如ヒーリング能力があらわれ、その説明は霊的存在抜きには(霊的真理抜きには)考えられない事態に追い込まれている言えます。<br />
そして、「動かぬ証拠」を次々に提供され、ようやく「霊的真理の初歩段階を卒業」しかけている自分を感じています。<br /></p><p>やはりわたしは、自分自身の直接体験にこそ、唯物論科学がそれをどう否定しょうと、その体験を認めざるをえない真実性の力があると言わざるをえません。<br />
<br />
交霊能力のあった著名なスピリットヒーラーであるハリー・エドワーズは、高級霊界がヒーリングによる治療を手段に、地上の人々を霊的覚醒に導く計画であることを知っていたと言います。(ハリー・エドワーズ著、梅原隆雅訳『霊的治療の解明』国書刊行会)<br />
<br />
里沙さんの守護霊が伝えてくれた「人を救うという計画」という語りがそれを指しているとすれば、わたしは、SAM前世療法とヒーリングを道具に、霊的真理を広める道に進むような流れに乗っているのかも知れません。<br />
<br />
そして、これからもわたしが、SAM前世療法とヒーリングを、霊的真理を広めるために与えられた道具として役立たせる道を愚直に実践していく志を持続することができれば、ヒーリング能力・浄霊能力の覚醒の謎も、わたしあて霊信の謎も、おのずと開示されていくのではないかと思います。<br />
また、そうした開示がされないにしても、霊的真理を広める道を愚直に実践していく過程で、わたしはさらに成長できるのではなかろうかと思っています。<br />
<br />
わたしの現時点の思想的、哲学的立ち位置については<b>「SAM催眠学序説 その114」</b>で明確に述べてあります。</p><p> </p>稲垣 勝巳http://www.blogger.com/profile/16232260953490209907noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7548750843777970344.post-51702894452024508042022-09-27T10:53:00.001+09:002022-09-28T08:09:52.737+09:00『前世記憶』か『前世人格の顕現化』か? その2<p><span style="font-size: x-large;"><b>SAM催眠学序説 その154</b></span> <br /></p><p>
<br />
最近『生きる意味の探究』を読み直し、ウィリストンほどの前世療法家がなぜ?と思うことがしきりです。<br />
その「なぜ?」の部分を前掲書グレン・ウィリストン/飯田史彦編集『生きる意味の探究』徳間書店、1999から4点取り出してみます。<br />
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br />
<b>①</b>ある人物が、催眠状態で、<b>過去に生きていた人物になりきり</b>、異なる抑揚や調子で話し始め(前掲書P.23)<br />
<br />
<b>②</b>彼女は<b>過去生へと戻っていた</b>のだ。彼女の名前は、もはやジャネットではなくメアリーだった・・・私の耳に聞こえる声は、東部訛りの成人女性の声から、ソフトな響きの英国少女の声に変わっていた。(前掲書P.26)<br />
<br />
<b>③</b>
退行催眠中に、まったく<b>別の人格が自分の身体を通して語っているのを感じながら、その話の中に割り込むことができなかった。</b><br />
このような<b>「意識の分割」は、
過去生の退行中に必ずと言っていいほど見られる</b>非常に面白い現象である。<br />
私はのちに、多くの人々からこの現象を何度も観察するようになった(前掲書P.61)<br />
<br />
<b>④過去生の人格が知る由もない文明の利器の名前を出すと、クライアントは驚いて、</b>催眠中にけげんなそうな表情を浮かべる(前掲書P.121)<br />
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br />
上記引用部分の<b>①</b>と<b>②</b>を読む限り、ウィリストンは、セッション中のクライアントの語りをあくまで「前世記憶の想起」であるととらえていると思われます。<br />
それは「過去に生きていた人物になりきり」や、「過去生へと戻っていたのだ」というウィリストンの記述から明らかなように思われるからです。<br />
<br />
どこまでもクライアントの想起する「前世の記憶」だととらえているようなのです。<br />
しかし、<b>③</b>では、「<span style="font-weight: bold;">別の人格が自分の身体を通して語っているのを感じながら</span>、<b>その話の中に割り込むことができなかった</b>」という<span style="font-weight: bold;">クライアントの「意識の分割」状態</span>を述べています。<br />
<br />
また、<b>④</b>ではウィリストンが「<b>過去生の人格が知る由もない文明の利器の名前を出すと、クライアントは驚いて、催眠中にけげんなそうな表情を浮かべる</b>」という奇妙な現象を述べています。<br />
<br />
わたしが疑問に思うのは、上記③④の不可解な意識現象をとらえているにもかかわらず、なぜ相変わらず「前世記憶の想起」という解釈にこだわり続けるのか、という点です。<br />
<br />
<b>③</b>のように、「<b>別の人格が自分の身体を通して語っているのを感じ</b>」るのであれば、前世の記憶の想起ではなく、前世の人格が顕現化してクライアントの身体を通して自己表現しているのだ、とありのままに受け取ることができないのでしょうか。<br />
<br />
<b>②</b>「<b>東部訛りの成人女性の声から、ソフトな響きの英国少女の声に変わっていた</b>」というクライアントの声の変性状態を観察しながら、英国少女の前世人格が、ただいま、ここに、顕現化して語っているのだ、となぜ考えることができないのでしょうか。<br />
<br />
ま
た、<b>④</b>のように、「<b>過去生の人格が知る由もない文明の利器の名前を出すと、クライアントは驚いて・・・けげんそうな表情を浮かべる</b>」ことを、ありのままに
受け取れば、「けげんそうな表情」を浮かべる主体は、クライアントではなく、それとは別個の、つまり、クライアントに、「けげんそうな表情」を浮かべさせた主体は、クアライアントではなく、「過去生の人格」そのものだと受け取る自然な解釈に至らないのでしょうか。<br />
<br />
これまで、「何千人もの人々」(前掲書P.23)に前世療法を施術してきたウィルストン が、ついに、「前世人格の顕現化現象」という仮説に至ることができなかったのか、わたしには不可解でなりません。<br />
<br />
ちなみに、<b>「</b><span style="font-weight: bold;">別の人格が自分の身体を通して語っているのを感じながら</span>、<b>その話の中に割り込むことができなかった。このような『意識の分割』は、
過去生の退行中に必ずと言っていいほど見られる</b>(前掲書P.61)<b>」</b>というウィリストンの記述は、きわめて興味深く思われます。<br />
この記述は、SAM前世療法のセッションにおける、前世人格顕現化中の意識状態である「三者的構図」そのものだと言えるからです。<br />
<br />
</p><div style="text-align: left;">
<span style="font-size: large;"><span style="font-size: small;">「<b><span style="color: blue;">三者的構図</span></b>」とはSAM前世療法セッションにおける、「<b>セラピスト</b>」、「<b>クライアント</b>」、「<b>顕現化した前世人格</b>」の三者関係を意味するSAM前世療法独自の用語です。</span></span></div>
<div style="text-align: left;">
<br />
<span style="font-size: large;"><span style="font-size: small;">「前世の記憶を想起する」という仮説によっておこなわれる一般の前世療法のセッションにおいては、「セラピスト」対「クライアント」の二者関係(二者的構図)によって終始展開されます。</span></span></div>
<div style="text-align: left;">
<span style="font-size: large;"><span style="font-size: small;"> </span></span></div><div style="text-align: left;"><span style="font-size: large;"><span style="font-size: small;">SAM前世療法セッションでは、この「二者的構図」が、前世人格が顕現化した後半から、<b>「前世人格と直接対話するセラピストと、その対話をひたすら傾聴するクライアントの意識」</b>という特異な「三者的構図」に転換していきます。 </span></span><br />
<span style="font-size: large;"><span style="font-size: small;"> </span></span></div><div style="text-align: left;"><span style="font-size: large;"><span style="font-size: small;">セッションの前半では、セラピストのわたしはクライアントの催眠深度を深めるためにクライアントに対して、つまり、二者関係で、「魂状態の自覚」に至るまで徹底して催眠誘導をおこないます。</span></span><span style="font-size: large;"><span style="font-size: small;"> </span></span><br />
<br />
<span style="font-size: large;"><span style="font-size: small;">「魂状態の自覚」が確認でき、魂表層に存在する前世人格の顕現化に成功した時点で、わたしの意識は、それまでのクライアントを相手にすることから、クライアントに顕現化した前世人格を相手に対話をすることへと転換します。</span></span><br />
<br />
<span style="font-size: large;"><span style="font-size: small;">この転換によって、</span></span><span style="font-size: large;"><span style="font-size: small;">セラピストの<b>「わたし」対「前世人格」の対話、それを傾聴している「クライアントの意識」とい</b></span></span><span style="font-size: large;"><span style="font-size: small;"><b>う三者的構図</b>によるセッションがこれ以後展開します。</span></span><br />
<span style="font-size: large;"><span style="font-size: small;">この間、</span></span><b><span style="font-size: large;"><span style="font-size: small;">「クライアントの意識」はひたすら傾聴するのみで、わたしと前世人格との対話に干渉することは一切できなくなるようです。</span></span></b></div><p>
前世人格は、クライアント肉体を借りて自己表現しているのであって(自己内憑依しているので)、対話している主体は前世人格であって、クライアントではないのです。<br />
<br />
こうした消息をありのままに報告し実証してくれた、「ラタラジューの事例」の被験者里沙さんの体験報告の抜粋を以下に掲載してみます。<br /></p><p>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br />
なぜネパール人が日本語で話が出来たかというと、現世の私の意識が通訳の役をしていたからではないかと思います。<br />
でも、<b>全く私の意志や気持ちは出て来ず、現世の私は通訳の機器のような存在</b>でした。<br />
悲しいことに、ラタラジューの人殺しに対しても、<b>反論することもできず、考え方の違和感と憤りを現世の私が抱えたまま</b>、ラタラジューの言葉を伝えていました。<br />
カルパナさん(ネパール人対話者)がネパール語で話していることは、現世の私も理解していましたが、どんな内容の話か詳しくは分かりませんでした。<br />
ただ、ラタラジューの心は伝わって来ました。<br />
ネパール人と話ができてうれしいという感情や、おそらく質問内容の場面だと思える景色が浮かんできました。現世の<b>私の意識は、ラタラジューに対して私の体を使ってあなたの言いたいことを何でも伝えなさいと呼びかけていました。</b><br />
そして、ネパール語でラタラジューが答えている感覚はありましたが、何を答えていたかははっきり覚えていません。ただこのときも、答えの場面、たとえば、ラタラジューの戦争で人を殺している感覚や痛みを感じていました。
<br />
セッション中、ラタラジューの五感を通して周りの景色を見、におい、痛さを感じました。<br />
セッション中の前世の意識や経験が、あたかも現世の私が実体験しているかのように思わせるということを理解しておりますので、ラタラジューの五感を通してというのは私の誤解であることも分かっていますが、それほどまでにラタラジューと一体化、同一性のある感じがありました。<br />
ただし、過去世と現世の私は、ものの考え方、生き方が全く別の時代、人生を歩んでいますので、人格が違っていることも自覚していました。 <br />
ラタラジューが呼び出されたことにより、<b>前世のラタラジューがネパール語を話し、その時代に生きたラタラジュー自身の体験を、体を貸している私が代理で伝えたというだけで、現世の私の感情は、はさむ余地もありませんでした。</b><br />
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<br /></p><p>こうして、ウィリストンの述べている<b>「</b><span style="font-weight: bold;">別の人格が自分の身体を通して語っているのを感じながら</span>、<b>その話の中に割り込むことができなかった。このような『意識の分割』は・・・必ずと言っていいほど見られる」</b>という記述の<b>『意識の分割』</b>とは、<span style="font-size: large;"><span style="font-size: small;">セラピストの「</span></span><span style="font-size: large;"><span style="font-size: small;">ウィリストン」対「前世人格」の対話、その対話に介入が許されず傾聴しているのみの「クライアントの意識」とい</span></span><span style="font-size: large;"><span style="font-size: small;">う三者的構図そのものを示していると解釈しても支障はないと思われます。</span></span><br /></p><p>つまり、彼の言うクライアントの「<b>意識の分割</b>」状態とは、「現世のクライアントの意識」と「顕現化した前世人格の意識」の二つの意識に分割されて併存している状態を指していることにほかなりません。<br />
しかし、この記述には、<span style="font-size: large;"><span style="font-size: small;">現世のクライアントとは別個に「</span></span><span style="font-size: large;"><span style="font-size: small;"><span style="font-size: large;"><span style="font-size: small;">顕現化した</span></span>前世人格の意識」という明確な解釈はされていませ</span></span>ん。<br />
どこまでも、前世の記憶を語る「クライアント」対「セラピスト」という二者的構図における、クライアントの「意識の分割」状態なのだという解釈なのです。<br />
<br />
お
そらく、<span style="font-size: large;"><span style="font-size: small;">ウィリストンが、どこまでも</span></span><b>二者的構図における</b>「<b>意識の分割</b>」としかとらえることができなかったのは、「あなたは、トンネルを抜け、過去の場面に到達するでしょう」、「目の前に展開している過去の場面を見ていきます」(前掲書P.316)などの誘導法に、
最初から含意されている「前世の記憶場面を想起する」という唯物論的固定観念から、ワイスと同様、ついに脱することができなかったからだ、とわたしには思われます。<br />
<br />
そして、不可解なことは、「生まれ変わりの真実性は証明不要なほど確かな事実だ(前掲書P.96)」と断言しているにもかかわらず、管見するかぎり、ウィルストンが前世記憶の検証を綿密におこない、生まれ変わりの科学的証明した記述はありません。<br />
また、「前世の記憶」がどこに存在しているのかについて、一切言及していないのです。<br />
<br />
このことは、ブライアン・ワイスも同様です。<br /><br />
仮に「前世の記憶」が科学的事実だとして、彼らはその記憶はどこに保存されていると考えているのでしょうか?<br />
<br />
わたしの知る限り、前世療法中のクライアントの語りを検証し、「クライアントとは別の前世人格が顕現化し、クライアントの身体を借りて自己表現しているのだ」と
いう解釈をしているのは、3例の応答型真性異言を発見したイアン・スティーヴンソンだけです。<br />
<br />
彼は、「トランス人格(催眠下のトランス状態で現れる前世の人格)」
が顕現化して、応答型真性現現象を起こしていると表明しています(『前世の言葉を話す人々』PP.9-11)。<br />
彼は、「グレートヒェンの事例」で、グレートヒェンが応答型真性異言を語るセッションを目前で見学し、クライアントが「前世の記憶」として、応答型真性異言を語っている、という固定観念の不自然さ、不合理さに気づき、「前世の記憶」ではなく、「グレートヒェンと名乗るトランス人格そのものが顕現化」して語っている、という発想への変換をせずにはいられなかったのでしょう。
<br />
しかし、スティーヴンソンも、「トランス人格」の存在する座についてはついに言及していません。<br />
<br />
そして、わたしは、SAM前世療法において、顕現化する前世人格の存在の座は、「魂の表層」であり、しかも、今も当時のままの感情や記憶を保つ意識体として死後存続しているという、わたしあて霊信による作業仮説を立てています。<br />
<br />
したがって、セッション中にわたしが対話する相手(主体)は、クライアント自身ではなく、クライアントの魂の表層から顕現化した別人格の前世人格そのものであり、しかも現在進行形で対話している、と了解しています。<br />
<br />
こうした現象は、現世のクライアントの魂表層に存在する前世人格が、クライアントに憑依して、わたしと対話している、ということになります。 <br />
このような憑依現象は、これまで報告されたことがなく、したがってこの現象を表現する用語もありません。<br /></p><p>そこで、SAM催眠学では、この憑依現象を「自己内憑依」と呼ぶことにしています。 <br />
つまり、<b>前世人格の顕現化現象は、自己内憑依現象である</b>、というとらえ方をしているということです。<br />
<br />
こうした作業仮説に、たしかな自信を与えたのが、応答型真性異言「ラタラジューの事例」と「タエの事例」の検証と考察によって、生まれ変わりの科学的実証に肉薄できたことでした。<br /></p><p>ただし、SAM前世療法の諸仮説をわたしに教示したのは、わたしの守護霊団を名乗る霊的存在であるという、これまた唯物論者が目を剥いて嘲笑するであろう霊信という超常現象なのです。 <br />
<br /> わたしあて霊信によれば、「<b>意識の座は脳ではなく、肉体を包み込んでいる霊体である</b>」と告げています。 また、「<b>霊体はオーラとも呼ばれる</b>」とも告げています。</p><p>この霊信の言説の真偽を直接実証することはできませんが、SAM前世療法遂行のための重要な作業仮説として採用しています。 <br /></p><p>そして、ごく最近再読した本の中に、70年以上前に、すでに同様の仮説に至っていたアメリカの精神科医の存在を発見しました。 点線内がその内容です。</p><p>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・</p><p> 彼ら(スピリット)は、生前の性癖や欲望を満たすための道具(肉体)はもう失っている。 そこで、多くのスピリットは、生者から放射されている磁気的光輝に引きつけられ、意識的に、あるいは無意識的に、その<b>磁気的オーラに取り憑いて</b>、それを欲望を満たすための手段とするのである。 こうして憑依したスピリットは、霊的に過敏な体質の<b>その人間</b>(のオーラ)<b>に自分の想念を押し付け</b>、<b>自分の感情を移入させ、その人間の意志の力を弱めさせ、しばしばその行動まで支配し、大きな問題や精神的混乱や苦痛を生ぜしめる</b>のである。 (『迷える霊との対話』ハート出版、C.A.ウィックランド著/近藤千雄訳、P.718)</p><p>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ </p><p></p><p>著者ウィックランド医学博士(1861~1945)によれば、意識は霊体(オーラ)に宿っている、と30年にわたる精神病の治療実績に基づいて述べているのです。 この著作の副題は「スピリチュアル・カウンセリングによる精神病治療の30年」となっています。 ちなみにウィックランド医学博士の経歴は、「精神科医として、異常行動で手に負えなくなった患者を、<b>自らの妻を霊媒としたスピリットとの交信という形で治療</b>。その30年にわたる膨大な実証記録を著したものが本書である。シカゴ医師会、イリノイ州医師会、米国科学振興会、米国地理学会の各会員としても幅広く活躍した」と紹介されています。</p><p>ウィックランドの「 意識は霊体(オーラ)に宿っている」という見解は、治療実践から導かれたものであり、単なる観念論ではありません。</p><p>SAM前世療法によって魂表層から顕現化する前世人格は、クライアント自身の霊体に憑依(自己内憑依)し、クライアントの肉体を使って自己表現し、セラピストと対話するという構図は、クライアント自身がまさしく霊媒の役割を果たしている、ということです。</p><p></p><p>こうして、唯物論科学に真っ向から対立する仮説によるSAM前世療法は、世界唯一の前世療法であり、わたしの創始した純国産の前世療法だと自負しています。<br /></p><p>そしてまた、「前世人格の実在」、つまり「生まれ変わりの実証性」に、かぎりなく肉薄できる可能性をはらんで定式化された世界唯一の前世療法である、という自負があります。 <br />
<br />
特許庁は、SAM前世療法の名称とそれの意味する内容、つまり仮説の独自性とそれに基づく技法の独自性を審査し、すでに流通している普通名詞の「前世療法」とは明らかに別個の、固有の前世療法として、「SAM前世療法」の名称を、第44類の商標登録として認めてくれたのです。<br />
<br />
ちなみに、「<b>SAM</b>]とは、「<b>S</b>oul <b>A</b>pproach<b> M</b>ethod」の略であり、「魂状態に遡行し前世人格を呼び出す方法」を意味しています。<br />
</p><p> 注:「前世」は現世の直前の過去生を意味し、それ以外は「過去生」と呼ぶようですが、「前世療法」という用語が流通していますから、SAM前世療法では現世以外をすべて「前世」と呼びます。</p><p> </p>稲垣 勝巳http://www.blogger.com/profile/16232260953490209907noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7548750843777970344.post-51487390165892653902022-08-19T12:20:00.287+09:002022-09-02T08:14:34.466+09:00「前世記憶」か「前世人格の顕現化」か?<h1 style="text-align: left;"><span style="font-size: x-large;">SAM催眠学序説 その153</span></h1><h2 style="text-align: left;"> </h2><p>
<span style="font-size: medium;"><br />SAM前世療法の仮説は、魂の中(表層)に意識体として宿っている「前世の人格」を顕現化させ、<b>顕現化した前世人格との対話をする</b>ことが前提となっています。 </span></p><p><span style="font-size: medium;">しかし、一般の前世療法、わたしがワイス式と呼んでいる前世療法は、<b>クライアントが前世の記憶を想起し語る</b>ことが仮説となっています。</span></p><p><span style="font-size: medium;">前世療法の対象は、「前世の記憶」か「</span><span style="font-size: medium;"><span style="font-size: medium;">顕現化した</span>前世人格」か? </span></p><p><span style="font-size: medium;">この問題は、不都合な症状の改善を第一義とするセラピイにとっては、どちらでもいいではないか、治ればOKじゃないか、と割り切ればいいことかもしれません。</span></p><p><span style="font-size: medium;">しかし、魂の存在を想定し、生まれ変わりと魂の二層構造を明確な仮説とするSAM前世療法にとっては、前提仮説の正否にかかわる根本的な問題です。</span></p><p><span style="font-size: medium;">このことについて今回は考察してみます。 <br /></span></p><p><span style="font-size: medium;"> さて、ブライアン・ワイスが前世療法を始めたのは偶然のなりゆきだったようです。<br />
ワイスの『前世療法』山川夫妻訳、PHP、1991によれば、次のようにその消息が述べられています。<br />
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br />
「あなたの症状の原因となった時まで戻りなさい」<br />
そのあと起こったことに対して、私はまったく心の用意ができていなかった。<br />
「アロンダ・・・・私は18歳です。建物の前に市場が見えます。<br />
かごがあります。<br />
かごを肩に乗せて運んでいます。・・・・(中略)時代は紀元前1863年です。・・・・」<br />
彼女はさらに、地形について話した。<br />
<b>私は彼女に何年か先に進むように指示</b>し、見えるものについて話すように、と言った。 </span></p><p><span style="font-size: medium;">(中略) <b>これはある種の記憶にちがいなかった</b>。しかし、どこから来たものなのであろうか?自分がほとんど知らない分野、つまり、輪廻転生や過去生の記憶といったものにぶつかったのではなかろうか、と私はとっさに思った。</span></p><p><span style="font-size: medium;">(前掲書PP.25-28)<br />
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
ワイスの上記セッションのクライアントは、コントロール不能の不安に悩む28歳の女性キャサリン。<br />
そして、突如、彼女は紀元前19世紀のアロンダと名乗る18歳の娘であったときの前世記憶を語りはじめたというわけです。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
以下は邦訳が正確であるという前提でのわたしの見解です。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
注意すべきは、上記の「私は彼女に何年か先に進むように指示し」とは、文脈からして「彼女」とは「アロンダ」ではなく、「クライアントのキャサリン」に対して暗示しているものと解されることです。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
ワイスは、明らかにクライアント<span style="font-weight: bold;">キャサリンが前世の記憶想起として、紀元前 19世紀に生きたアロンダのことを語っている</span>、ととらえています。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
ワイスの思考は、この意識現象を次のように考察しています。<br />
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br />
そして、キャサリンは紀元前1863年にいた若い女性、<b>アロンダになった</b>。<br />
それとも、<b>アロンダがキャサリンになった</b>というべきなのだろうか? (前掲書P.36)<br />
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br />
上記の「キャサリンが・・・アロンダになった」それとも、「アロンダがキャサリンになった」というワイスの思考回路は、わたしには奇妙な思考に写ります。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
キャサリンが前世のアロンダになれるはずがないでしょうし、逆にアロンダが現世のキャサリンになれるはずもないからです。<br />
「キャサリンがアロンダであったときの前世記憶を語った」のか、「前世の人格アロンダがキャサリンの身体を介して自分の人生を語った」のか、と問うことが自然な思考ではないでしょうか?<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
結局、ワイスは、<b>「前世人格のアロンダが自分の生まれ変わりである現世のキャサリンの身体(口)を介して自分の人生を語っているのだ」</b>という解釈には至らず、<b>「現世のキャサリンが前世でアロンダであったときの前世の記憶を語ったのだ」</b>という解釈を、以後の他のクライアントにおこなった前世療法の語りにおいても一貫して適用しています。<br /></span></p><p><span style="font-size: medium;">「これは<b>ある種の記憶にちがいなかった</b>」と述べていることからも明らかです。</span></p><p><span style="font-size: medium;">また、 このことはこの本の末尾で次のように述べていることか
らも明らかです。<br />
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br />
こうした人々は、それ以外の<b>前世についても思い出した</b>。<br />
そして<b>過去生を思い出すごとに、症状が消えていった</b>。<br />
全員が今では、自分は過去にも生きていて、これからもまた生まれてくると固く信じている。(前掲書P.264)<br />
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br />
「前世についても思い出した」、「過去生を思い出すごとに」の文言で明らかなように、ワイスにとっては、前世療法におけるクライアントの語りは、すべて「クライアントが前世の記憶を語っているのだ」という解釈が一貫してとられているということです。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
「前世人格が顕現化し現世のクライアントの口を通して語る」という発想の転換にどうしても至ることがなかったのです。<br />
著名な前世療法家グレン・ウィリストンと同じく、ワイスもついに「前世人格の顕現化」というとらえ方ができずにいることは、わたしよりはるかに数多い前世療法セッションをこなしているはずなのになぜでしょうか?<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />わたしがワイス式と呼んでいる、ワイスの前世療法の誘導文言が、『前世療法2』の巻末に次のように書かれています。
<br />
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br />
階段の下の方には、向こうにまばゆい光が輝いている出口があります。<br />
あなたは完全にリラックスして、とても平和に感じています。<br />
出口の方に歩いてゆきましょう。<br />
もう、<b>あなたの心は時間と空間から完全に自由です。<br />
そして、今まで自分に起こったすべてのことを</b><span style="font-weight: bold;">思い出す</span>ことができます」<br />
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br />
やはり、ワイス式においては、クライアントは前世の記憶を「思い出す」のです。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
ちなみに、前世療法家グレン・ウィリストンは以下のように誘導するようです。<br />
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br />
暗いトンネルをふわふわと心地よい気分で通り抜けていく状態をイメージしてもらうと効果的である。<br />
「トンネルの向こうには、<span style="font-weight: bold;">過去生の場面が開けています</span>」と声をかける。<br />
そうすれば、クライアントは、<span style="font-weight: bold;">その場面に入り込んで登場人物のひとりとなる</span>前に、その場面に意識を集中する余裕をもつことができるからだ。<br />
(グレン・ウィリストン/飯田史彦『生きる意味の探究』徳間書店、1999、 P.314)<br />
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br />
ウィリストンも、クライアントの<b>記憶である過去生の場面に戻り、過去生で想起された登場人物になる</b>、ととらえているわけで、やはり、ワイス同様「前世の記憶を想起する」という前提に立っていると推測できます。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
ワイスもウィリストンも「生まれ変わり」と「魂」の存在を信じているらしいにもかかわらず、「前世の記憶を想起させる」という常識的唯物論思考へのとらわれから抜け出すことができなかったのだ、とわたしには思われます。<br /></span></p><p><span style="font-size: medium;">無条件で、「前世の記憶」と言った場合、その記憶の所在は、現行の唯物論科学に基づいて脳内のどこか(海馬と呼ばれる部位?)であろう、と考えていることになるでしょう。<br />
脳内にある記憶であれば、死による脳の消滅によって無に帰することは言うまでもないことです。 <br />
したがって、現世の記憶が来世に持ち越されることはありえません。<br />
当然の論理的帰結として、前世の記憶として語られた内容は、フィクションであることになります。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
わたしが2004年に日本催眠医学心理学会・日本教育催眠学会の合同学会において、ワイス式前世療法の事例発表した際に、参会者の医師・大学の研究者から強く批判されたのは、まさにこの前世記憶の真偽についてでした。<br /></span></p><p><span style="font-size: medium;">催眠中のクライアントが、無意識のうちにセラピストの要求(期待)に協力しようとする心理である「要求特性」によるフィクションの語りこそ「前世の記憶」の正体なのだという批判でした。 <br /></span>
</p><p><span style="font-size: medium;">「タエの事例」と遭遇したのは2005年です。 もし、</span></p><p><span style="font-size: medium;">もし、「タエの事例」の前世人格タエの語りの検証結果を発表できたとしたら参会者の反応も違っていたかも知れません。 しかし、2006年に上梓した「タエの事例」を掲載した拙著『前世療法の探究』を、学会での痛烈な批判者数名に献本しましたが、一切反応はかえってきませんでした。
<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
前世の記憶が、フィクションではなく確かに存在することを証明するためには、語られた前世記憶の真偽を厳密に検証する以外に方法はありません。<br />
しかし、ワイス式前世療法による語られた前世記憶の、真偽の科学的検証をおこなった事例は、わたしが管見するかぎり、いまだに公刊されてはいないようです。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
生まれ変わりの研究者バージニア大学の故イアン・スティーヴンソンは、こうした状況について下記のような前世療法批判を展開しています。<br />
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br />
こうした(催眠によって起こる)
集中力をさらに高めていく中で被術者は、思考の主導権を施術者に委ねてしまうため、施術者の催眠暗示に抵抗できにくくなってくる。催眠暗示により施術者に何か想い出すように命じられた被術者は、それほど正確に想起できない場合、施術者を喜ばせる目的で、不正確な発言をおこなうことも少なくない。それでいながら大半の被術者は、自分が語っている 内容に事実と虚偽が入り混っていることに気づかないのである。(中略)<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
前世の記憶らしきものをはじめからある程度持っている者に催眠をかければ、細かい事実を他にも想い出すのではないか、とお考えになる方もおられるかもしれない。私自身もそのように考えたため、自然に浮かび上がった前世の記憶らしきものを持つ者に催眠をかけたことがある。(中略)
<br />
私はこのような実験を13件自らおこなったり指導したりしている。一部では私自身が施術をおこなったが、それ以外の実験で他の施術者に実験を依頼した。その結果、ただの一件も成功しなかった。 (『前世を記憶する子どもたち』日本教文社、PP.72-80)<br />
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・</span></p><p><span style="font-size: medium;">スティーヴンソンは催眠への造詣が深いようですし、彼自身も催眠技能があると語っています。 <br />
その彼の前世療法批判の結論は次のように痛烈です。<br />
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ <br />
催眠を使えば誰でも前世の記憶を蘇らせることができるし、それにより大きな治療効果があがるはずだと主張するか、そう受け取れる発言をしている者もある。私としては、心得違いの催眠ブームを、あるいはそれに乗じて不届きにも金儲けの対象にしている者がいるという現状を、特に前世の記憶を探り出す確実な方法だとして催眠が用いられている現状を、なんとか終息させたいと考えている。 (前掲書P.7)
<br /> ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・</span></p><p><span style="font-size: medium;">ただし、後にスティーヴンソン は、</span><span style="font-size: medium;">次のように、いくぶんか持論の修正をしています。</span></p><p><span style="font-size: medium;">「わたしは、自らの手で調べた応答型真性異言の2例が催眠中に起こったという事実を忘れることができない。このことから私は、<b>催眠を使った研究を決して非難することができなくなった</b>」 (</span><span style="font-size: medium;"><span style="font-size: medium;">『前世を記憶する子どもたち2』日本教文社、P.106</span>)</span></p><p></p><p><span style="font-size: medium;">こうした</span><span style="font-size: medium;"><span style="font-size: medium;">スティーヴンソンの</span>手厳しい批判に反論するための唯一の方策は、語られた前世記憶の真偽を科学的に検証し、それが真であることを実証すること以外にありません。 <br />
そうした真偽の検証がないままに、「前世の記憶」だと当然のように主張することが批判されても、しかたがないだろうと思われます。 <br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
なぜ、真偽の検証がおこなわれないのでしょうか。<br />
検証に耐えるだけの前世記憶が語られる事例が出ないからでしょうか。<br />
あるいは、前世の有無は棚上げし、膨大な労力をかけて真偽の検証するより、症状が治れば結果オーライということに割り切るほうが得策ということでしょうか。<br /></span></p><p><span style="font-size: medium;">わたしに言わせれば、語られた前世記憶の真偽について、1例たりとも科学的な検証をされていないワイス式前世療法(一般の前世療法)の現状では、正しくは「前世イメージ療法」と呼ぶことが妥当のように思われます。 <br /></span>
</p><p><span style="font-size: medium;">また、ワイス式前世療法の明確な治癒仮説が述べられている著作を、わたしは知りません。<br />
過去生の記憶の所在はどこであるのか、なぜ過去世の記憶が想起できると治癒が起こるのか。 <br />
「<b>過去生を思い出すごとに、症状が消える</b>」とワイスが述べていることを治癒仮説だと単純にとらえていいのでしょうか。<br />
仮に過去生の記憶がフィクションでも、それを想起し語られさえすれば治癒は起こると考えられているのでしょうか。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
結局は、唯物論的常識観念である「前世の記憶」という硬直した思い込みによって、「前世人格が顕現化して対話しているのだ」という発想への転換ができなかったのでしょう。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
また、ワイス、ウィリストン両者とも、「ラタラジューの事例」のような応答型真性異言に出会うことができなかったことも、発想の転換を妨げたと思われます。 </span></p><p><span style="font-size: medium;">あるいは、応答型真性異言に出会っていたとしても、「前世の記憶」として解釈されたのかもしれません。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
なぜなら、応答型真性異言「グレートヒェンの事例」に立ち会った、イアン・スティーヴンソンは、<b>真性異言で応答的会話をしている主体は、被験者自身の記憶ではなく</b>、「<b>トランス人格(催眠中に顕現化した前世人格)</b>」である、と認識しているからです。(『前世の言葉を話す人々』春秋社、P.11)
<br /></span></p><p><span style="font-size: medium;">わたしが、彼の科学者としての思考の柔軟性を高く評価している所以です。</span></p><p> <span style="font-size: medium;">日本で公刊されている生まれ変わり関係、前世療法関係の著作を調べた限りでは、<b>催眠中に「トランス人格が顕現化して会話した」という認識を提示しているのはスティーヴンソンだけ</b>です。 <br /></span></p><p><span style="font-size: medium;">しかし、スティーヴンソンは「トランス人格」が、どこに存在しているかについては何も語ってはいません。 <br /></span></p><p><span style="font-size: medium;">ただし、彼は、「<b>前世から来世へと人格の心的要素を運搬する媒体を『心搬体(サイコフォア)』
と呼ぶことにしたらどうかと思う</b>」(『前世を記憶する子どもたち』日本教文社、P359)と述べていますから、「心搬体」、つまり<b>一般に「魂」と呼ばれている意識体にトランス人格が宿っている</b>と考えていると推測できます。<br /></span>
</p><div style="text-align: left;"><h4 style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;"><span style="font-weight: normal;">
いずれにせよ、「<b>催眠下のトランス状態で前世人格が顕現化し、真性異言で会話している</b>」という解釈をしているのは、現時点ではわたし以外に世界中でスティーヴンソンだけでしょう。</span></span></h4></div><p><span style="font-size: medium;">
こうした認識を主張をしているのは、21世紀になってからはわたしだけのはずです。 <br /></span>
<span style="font-size: medium;">さらに、<b>催眠誘導によって「魂状態の自覚」まで至らせ、意図的に前世人格の顕現化に成功した「魂遡行催眠」の技法を開発したのはSAM前世療法以外にありません</b>。 こうして一般の前世療法との差別化が認められ、したがって、<b>「SAM前世療法」は登録商標として認可されている</b>のです。<br /></span></p><p><span style="font-size: medium;">さて、ワイスが、「キャサリンの事例」に出会ったのは、1980年代の半ばころだと思われます。<br />
わたしが、「ラタラジューの事例」に出会ったのは2009年です。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
日本にワイス式前世療法が流布し市民権を得て以来、催眠中に語られる内容は<b>「脳内に存在するであろう前世の記憶の想起」</b>として1991年以来扱われ続けてきた考え方を、わたしは、2010年から<b>「</b><span style="font-weight: bold;">魂の表層に存在している前世人格が顕現化した結果の対話」</span>だと主張するに至りました。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
このわたしの主張は、奇を衒って注目されたいがための主張ではありません。<br />
この主張は、<b>わたしあて霊信が告げた作業仮説に基づくSAM前世療法によってあらわれた、応答型真性異言「ラタラジューの事例」という実証の裏付け</b>があってこその主張です。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
きわめて深い催眠下では<b>「</b><span style="font-weight: bold;">魂の表層に存在している前世人格の顕現化</span><b>が可能になる</b>」、という唯物論に真っ向から対立する主張は、容易に受け入れがたいでしょう。が、この主張を裏付ける応答型真性異言「ラタラジューの事例」を、わたしが証拠映像で実証している以上、そして現行唯物論でこれを反証できない以上、認めるほかありません。<br /> 超ESP仮説さえ考慮しなければ、前世人格存在の証拠に「タエの事例」も含めることができるでしょう。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
そして、両事例について、2010年に公表してからすでに12年経過しても、現行唯物論による具体的反証に成功した論者は皆無です。</span></p><p><span style="font-size: medium;">2022年8月の現時点でも、依然として同様です。 <br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">こうして、<b>「</b><span style="font-weight: bold;">深い催眠下では魂の表層に存在している前世人格の意図的顕現化が可能になる」</span>という意識現象の事実は、SAM前世療法が明らかにした、もっとも大きな成果の一つだと誇ってよいと思っています。</span></p><p><span style="font-size: medium;"> あるいは、セッション中にあらわれる、守護霊・未浄化霊・生き霊などの霊的意識体の顕現化現象もまた然りです。</span></p><p><span style="font-size: medium;">そして、これらの霊的な諸現象は、われわれの生きている心理的世界は、唯物論では決して認識できない、途方もなく広大かつ深遠な未知の世界(次元)につながっている、という証左の一端であろうと思います。</span></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p>稲垣 勝巳http://www.blogger.com/profile/16232260953490209907noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7548750843777970344.post-50492777153875569642022-07-20T08:48:00.017+09:002022-07-30T08:39:37.501+09:00死後存続仮説の科学性を広めるための戦略<p> <b><span style="font-size: x-large;">SAM催眠学序説 その152
</span> </b></p><p> </p><p>以下の点線内は、拙著『前世療法の探究』春秋社、の編集者鷲尾徹太氏からいただいた、わたしのブログ「生まれ変わりの実証的探究」に対する提案です。 </p><p>氏は春秋社の編集部にあって、『前世の言葉を話す人々』イアン・スティーヴンソン著/笠原敏雄訳、など数々の超常現象を扱った本の編集者として、実績を残しておいでになる「確信的スピリチュアリスト」を自称している人物です。 氏は、超心理学者の笠原敏雄氏、『霊の探究』春秋社、の著者筑波大の津城寛文宗教学博士とも著作の編集を通じて親交があり、死後存続の科学的研究をはじめ、SPR(英国心霊研究協会)の数多くの研究内容や研究史に通暁している在野の超心理学研究者でもあります。</p><p>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ </p><p>前世療法が含意している「前世」、つまり「死後存続仮説」は、今の科学(医学や臨床心理学や人文科学を含む)が標榜している「唯物論」とは鋭く対立します。 </p><p>これに対して、前世療法(ないし死後存続仮説)を擁護する側としては、どのように対応すべきなのでしょうか。 </p><p>いくつかの戦略をあげてみます。 <span style="font-size: large;"><b><span> </span></b></span></p><p><span style="font-size: large;"><b><span>①実証事例をなんとかして集め、それを積み上げる</span></b></span> </p><p>これまで120年におよぶサイキカル・リサーチ(SPR・心霊研究)および超心理学はこの闘争でしたが、これは実に困難な闘いでした。唯物論側は様々な誹謗や奇説(超ESP仮説)を繰り出して、それらの信憑性を否定してきました。 </p><p>また反唯物論的現象の希少性や「とらえにくさ問題」もあって、成果ははかばかしくありません。
(こうした歴史については、笠原敏雄編著『サイの戦場』や同氏のホームページ「心の研究室」、明治大学教授石川幹人氏のサイト「メタ超心理学研究室」かっこ(http://www.kisc.meiji.ac.jp/~metapsi/などをぜひ参照してください。)
</p><p>この道で最もめざましい成果を上げたのは、イアン・スティーヴンソンの研究でしょう。 </p><p>彼は厖大な時間と手間をかけて、2000に及ぶ信憑性の高い再生事例を収集したのみならず、否定論者の最後の盾、「超ESP仮説」を棄却しうる「応答型真性異言」や「前世記憶と一致する先天性刻印(birthmarks)」の事例をもつきとめ、死後存続説の擁護に大きく貢献しました。 (このことの簡単な説明は、東京スピリチュアリズム・ラボラトリーのホームページ、http://www.k5.dion.ne.jp/~spiritlb/3-3.htmlを参照してください。)
</p><p>ところが、こうした実証に対して、唯物論体制は、「無視」という態度で応戦しています。</p><p>スティーヴンソンは、4巻にわたる精緻な研究書『再生と生物学』が、広く注目を集めなかったことに失望していたと言います。 </p><p>死後存続否定論者が、彼の研究をきちんと読んだ後に批判をしているという例は、皆無だと思います。
</p><p>なお、この立場で戦う研究者は、だいたい死後存続仮説を「受け入れている」とは表明しません。 そう表明するだけで、信憑性が疑われると思われてしまうのです(実はこれは奇妙な話で、例えば宇宙の暗黒物質に関する研究では、当人がそれを信じているかどうかは問題にされません。) 反唯物論現象のみこうした要求があるのです。 </p><p><b> <span style="font-size: large;">②唯物論や実証主義の論拠自体が絶対ではないことを論証する
</span></b>
</p><p></p><p>実は、唯物論や科学や実証主義自体、絶対完璧の基盤を持っているわけではありません。 </p><p>唯物論自体は憶説に過ぎませんし、実証主義、数理論理主義、基礎物理学なども、つきつめていくと、様々な論証不能性の壁にぶち当たります。 </p><p>また、科学や医学などを作り上げている知識のある部分は、「欺瞞」や「思い込み」や「政治性」などに汚染されています。 </p><p>一般の人はもちろん、正当科学に従事する人の多くも、こうした議論を知りませんが、現代哲学や物理学の先端では、「実証」という概念も成立しなくなってきているのです。
</p><p>こういった議論は、しばしば難解ですが、案外楽しいものです。 『七つの科学事件ファイル』『背信の科学者たち』といった暴露書、渡辺幹雄『リチャード・ローティ』などの現代哲学ものなど、エキサイティングな本もたくさんあります。 </p><p><span style="font-size: large;"><b>③権威からの白眼視などどこ吹く風で、やることをやる
</b> </span>
</p><p>へたをすると、狂信家、頭の不自由な?オカルティストと変わらなくなってしまう危険性があります。当人の知性、人格、(論争史など)学史的知識などが、きびしく問われることになるでしょう。 </p><p></p><p><span style="font-size: large;"><b><span>④大衆の支持に訴える
</span></b> </span> </p><p>アカデミズムの権威などに関係なく、唯物論信仰に深く汚染されていない、多くの“一般大衆”(こういう表現は反発を買うでしょうが、あえてこう表現しておきます)は、反唯物論的現象への拒否反応も少ないようです。 </p><p>むしろ、「ニューエイジ」の流行や、「何たらの泉」現象に見られるように、唯物論の支配を脱しようとする動きは、ますます大きくなっているようにも思われます(疑わしい部分もありますが)。 </p><p>アカデミズムの威光の衰退も、かなり顕著になってきているような気配もあります。 ひょっとしたら、ニューエイジャーの言うように、人類は意識革命をしつつあるのかもしれません。 ともあれ、そうした動きと連動する道を探るという戦略です。
</p><p>ただし、③と同じく、へたをすると「怪しいオカルティスト」と変わらなくなるでしょう。
</p><p>前世療法を擁護したい人、特に実践者は、①の立場をある程度は保持してもらいたいと願う次第です(現実にはめったに実証性のあるデータは出てこないかもしれませんが)。 </p><p>しかし、③や④の戦略もまた「あり」かなとも思います。
</p><p>特に言いたいことは、③の道において、「死後存続仮説を受け入れる」という表明は、サイキカル・リサーチ(SPR)や超心理学、特にスティーヴンソンの研究が蓄積されている現在、まったく「理性を疑われる」ようなものではなくなっているのではないかということです。</p><p>つまり、ちゃんと勉強すれば、論拠は十分にあるよ、と言えるようになるはずだと思います。
</p><p>逆に、態度を留保しているような表現を重ねている(あるいは人生論ないし思想という安全枠に逃げている)一部の「前世物書き」(しかも実証の努力もしていない人々)は、不徹底なのではないかと思います(まあ、職を失うのは誰でもこわいものでしょうが)。 </p><p>また、④の道を探れば、あまり細かいことを言わずに、「何でもあり」でやってみる、前世想起体験をしてみたい人にどんどんやってあげて、納得する人が少しでも増えればOK(こういう表現は少し不埒ですね)というのもありかな、などと思う次第です。</p><p>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・</p><p>こうした鷲尾氏の示唆を受けて、わたしは死後存続仮説の科学性を広めるために上記①~④の戦略を愚直に実践してきたことは言うまでもありません。 これまでの本ブログの諸記事も、その一端です。</p><p>鷲尾氏が当然のことながら、死後存続仮説を検証しようとするわたしの、SAM前世療法の実践に強い関心を抱かれたことは言うまでもありません。 </p><p>催眠と超常現象(心霊現象)が接触することは古くから知られていることで、鷲尾氏もそうした催眠に対する並々ならぬ知識をお持ちでした。 そして、成瀬悟策医学博士主催の臨床催眠スクールにわたしと同期で受講しておいでになっていたことが後でわかりました。</p><p>そこで、氏の要望もあったので当研究室にお招きし、SAM前世療法の実体験をしてもらうことになりました。 </p><p>そのときのエピソードを紹介します。</p><p>鷲尾氏の主訴は次のようなことでした。 </p><p>「自分は、イエス・キリストの教えに違和感はないが、キリスト教会および教会組織に、なぜか強い嫌悪感がぬぐえない。そうした現世の自分には思い当たることのない強い嫌悪感がなぜ湧き起こるのか、その理由が前世にあるのかを探ってほしい」ということでした。</p><p> SAM前世療法の催眠誘導定式にしたがって、魂状態にまで遡行してもらい、主訴にかかわりのある前世人格の顕現化に成功したところで、その前世人格との指での対話によるセッションで明らかになったなったことは次のような内容でした。</p><p>「自分は、キリスト教から異端の烙印を押されたカタリ派の修道士であった。正統派であるカソリック教会の迫害を恐れて、ピレネー山脈の奥地に潜み、密かにカタリ派の教義を守り続け、修道士として信仰生活を守り続けていた。しかし、ついに迫害者の知るところになり、捕らわれ、異端者として処刑され、人生を終えることになった」 <br /></p><p>セッションを終えて、氏は、「ようやく長年ひっかかり続けてきたわだかまりが氷解した。それにしても、SAM前世療法による『魂遡行催眠』の技法は、これはいいですねえ」と語っています。 </p><p> 氏が、カタリ派の修道士であったかどうかの真偽の検証はもとよりできませんが、SAM前世療法によって、前世の修道士の人格が顕現化し、「ああ、そうか体験」がおこなわれ、主訴に対して「感情をともなった納得(洞察)」がなされたことはほぼ間違いないと思っています。</p><p>そして、「タエの事例」において、わたしが、とっさに里沙さんの守護霊との対話を試みたことは、交霊会に通じる天才的なひらめきだ、と身に余るお褒めの言葉をいただきました。 <br /></p><p></p><p>一介の小中学校教頭だったわたしの持ち込み原稿を高く評価し、「編集者生命にかけて春秋社から出版します」と督励し、約束し、発刊していただいた鷲尾氏の編集者精神と使命感を忘れることはできません。</p><p>こうして、拙著『前世療法の探究』は、共同通信社の注目するところとなり、取材を受け、顔写真入りで全国の地方新聞のコラム「人物点描」の記事として配信されることになりました。</p><p>それがフジTV「アンビリバボー」で注目され、「タエの事例」が放映されるという連鎖反応へとつながっていくことなったのです。 </p><p>そうしたこともあってでしょうか、本ブログを読み、これまでに大学教授15名ほど(国立大教授4名)、医師10名ほどがSAM前世療法のセッション体験においでになっています。 そのうち3名(国立大1名、私立大2名)が、当催眠塾に入塾、卒業しています。</p><p> こうした注目に一番喜んでいただいたのは 、ほかならぬ鷲尾徹太氏でした。 氏のご助力なしで、わたしはけっして世に出ることはありませんでした。</p><p></p><p> </p><p>参考までに、近代スピリチュアリズムを知るための図書として鷲尾氏から推奨していただいた本を下記に紹介しておきます。</p><p> 『近代スピリチュアリズムの歴史』三浦清宏、講談社、2008、¥1900 、314ページ。 </p><p>副題は、「心霊研究から超心理学へ」となっており、本の帯には「守護霊、オーラ、ポルターガイスト、念写、心霊現象は物理現象か」と記されています。「研究の歴史を詳細に検証する本邦初の労作!」とも。 </p><p>著者は昭和5年生まれ、明治大学で英語の教鞭をとった芥川賞作家であり、日本心霊科学協会理事でもあります。確信的スピリチュアリストであろうと思います。</p><p>イアン・スティーヴンソンの著作とともにわたしの愛読書になっています。<br /></p><p><br /></p>稲垣 勝巳http://www.blogger.com/profile/16232260953490209907noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7548750843777970344.post-51771247554430665142022-06-21T08:12:00.367+09:002022-07-06T20:35:04.577+09:00わたしあて霊信の信憑性の検討 その2<p><span style="font-size: x-large;"> <span>SAM催眠学序説 その151</span></span></p><p></p><p></p><p><span style="font-size: medium;">前回ブログ「SAM催眠学序説 その150」で、わたしあて2007年1月~2月に贈られた霊信の信憑性の指標として、霊信の告げた四つの予言が的中したかどうかを挙げておきました。 ちなみにこれ以外には具体的な予言らしき内容はありません。</span></p><p><span style="font-size: medium;">そして、四つの予言の的中事例として、</span></p><p><span style="font-size: medium;">①わたしに起きたヒーリング能力の覚醒(2007年2月以後2022年現在まで) </span></p><p><span style="font-size: medium;">②2冊目の本の出版(2010年10月) </span></p><p><span style="font-size: medium;">③新しい前世療法(SAM前世療法)の成立(2008年以後2022年現在まで) </span></p><p><span style="font-size: medium;">④前世で愛情関係にあった2人のクライアントの出現 (2008・2019年) </span></p><p><span style="font-size: medium;">以上のことが、 予言後の数年間にわたる経過のなかで的中していることを指摘しました。 ただし、この予言の評価はわたしの主観的見解でもあり、第三者にとっては、これをもって霊信の客観的な信憑性とするには説得力に欠けるでしょう。 客観的な信憑性を評価するには、予言以外の霊信内容の検証にゆだねる必要があると思います。</span></p><p><span style="font-size: medium;">今回は予言とは別に、霊信の客観的な信憑性の検証に取り組んできた15年間の、現時点の見解について述べてみようと思います。</span></p><p></p><p><span style="font-size: medium;">ところで、2005年の「タエの事例」、2009年「ラタラジューの事例」において、タエの人生とラタラジューの人生が、被験者里沙さんの「前世記憶の想起」ではなく、「前世人格タエの人格・ラタラジュー人格そのものの顕現化した現象」だとすれば、そのような前世の人格は、いったいどこに存在しているのでしょうか。
<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
この謎が「タエの事例」以後、「ラタラジューの事例」の遭遇まで、4年以上にわたってわたしがこだわり続けることになった大きな謎でした。
<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span></p><h3 style="text-align: left;"><span style="font-size: large;"><b><span>1 生まれ変わり研究先駆者イアン・スティーヴンソンの考察</span></b></span></h3><p><span style="font-size: medium;">この謎についての先行研究は、生まれ変わりの科学的研究の先駆者イアン・スティーヴンソンの考察に求めるほかないと思われました。
<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
以下は、イアン・スティーヴンソン/笠原敏雄訳『前世を記憶する子どもたち』日本教文社、1989、からの抜粋です。
<br />
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<br /> <b>前世から来世へとある人格の心的要素を運搬する媒体を「心搬体(サイコフォア)」と呼ぶ</b>ことにしたらどうかと思う。</span></p><p><span style="font-size: medium;"><b>私は、心搬体を構成する要素がどのような配列になっているのかは全く知らないけれども、肉体のない人格がある種の経験を積み、活動を停止していないとすれば、心搬体は変化して行くのではないかと思う。</b>(中略)
<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
私は、「前世の人格」という言葉を、ある子どもがその生涯を記憶している人物に対して用いてきたけれども、<b>一つの「人格」がそっくりそのまま生まれ変わる</b>という言い方は避けてきた。</span></p><p><span style="font-size: medium;">そのような形での生まれ変わりが起こりうることを示唆する証拠は存在しないからである。
<br />
実際に生まれ変わるかも知れないのは、直前の前世の人格および、それ以前に繰り返さ
れた過去世の人格に由来する「個性」なのである。</span></p><p><span style="font-size: medium;">人格は、一人の人間がいずれの時点でも持っている、外部から観察される心理的特性をすべて包含しているの
に対して、個性には、そのうえに、現世で積み重ねた経験とそれまでの過去世の残渣が加わる。</span></p><p><span style="font-size: medium;">
(前掲書PP.359-360)
<br />
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br />
イアン・スティーヴンソンの提案している「<b>心搬体(サイコフォア)</b>」<b>は、いわゆるわたしの言うところの「魂」と同義</b>です。
<br />
厳密な科学者スティーヴンソンは、「soul(魂)」という語にまとわりつく宗教臭を払拭し「前世から来世へとある人格の心的要素を運搬する媒体」という科学的な定義をしたのだと思われます。
<br />ただし、わたしは、前世から来世へとある人格の心的要素を運搬する媒体を、そのまま従来の「魂」の概念でも決定的な不都合はないと思いますし、まったく新しい概念でもないのに「心搬体」などの新しい造語を用いることは不要だと思っています。
<br /> </span></p><p><span style="font-size: medium;">さて、前世人格の所在についてのスティーヴンソンの結論は、「心搬体(サイコフォア)」=「魂」が、前世人格の所在であるということになるのでしょうか。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
また、彼の、<b>「心搬体を構成する要素がどのような配列になっているのかは全く知らないけれども、肉体のない人格がある種の経験を積み、活動を停止していないとすれば、心搬体は変化して行くのではないかと思う」</b>という見解は、SAM前世療法の作業仮説を設けるときの重要な参考となっています。
<br />
ただし、スティーヴンソンは、「心搬体」=「魂」を構成する要素がどのような配列になっているのかはまったく知らない、とも述べています。
<br /></span></p><p><span style="font-size: medium;">このことについては、<b>「魂は二層構造になっており、その表層は前世人格たちが構成し、それら前世人格たちは互いの人生の知恵を与え合い、表層全体の集合的意識が成長・ 進化する仕組みになっている」</b>と霊信は告げています。</span></p><p><span style="font-size: medium;">
また、「<b>一つの『人格』がそっくりそのまま生まれ変わるという言い方は避けてきた。そのような形での生まれ変わりが起こりうることを示唆する証拠は存在しない</b>」というスティーヴンソンの見解は、霊信が告げた魂の二層構造の内容を支持しています。
<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><b>「現世の私」という一つの人格が、その死後、来世にそのままそっくり生まれ変わるわけではなく、魂表層を構成する一つの前世人格として死後存続するのであって、「表層を構成する前世諸人格を含めた一つの魂全体が新しい肉体に宿ることを生まれ変わりというのだ」</b>というのが、霊信が告げた生まれ変わりのしくみだからです。
<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
したがって、「<b>実際に生まれ変わるかも知れないのは、直前の前世の人格および、それ以前に繰り返された過去世の人格に由来する『個性』なのである。個性には、そのうえに、現世で積み重ねた経験とそれまでの過去世の残渣が加わる</b>」というスティーヴンソンの見解も、霊信が告げている魂の二層構造の内容にほぼ一致しているといえるでしょう。
<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
こうして、<b>現世の人格は、魂表層に位置付いている前世人格たちのそれぞれの人生の知恵を分かち与えられており、このようにして繰り返された前世の諸人格に由来する「個性」と、現世での諸経験とによって、形成されていると推測できるのです。
</b><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
さて、わたしが、スティーヴンソンに求めたのは、前世の記憶を語る子どもたちの「前世の記憶」の所在についての考究でした。
<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
彼が、「前世の記憶」が脳にあるとは考えていないことは、「心搬体」という死後存続する「媒体」、つまり、魂を想定していることに照らせば、ほぼ間違いありません。
<br /></span>
</p><p><span style="font-size: medium;"><span>そしてまた、</span></span><span style="font-size: medium;">スティーヴンソンは、生まれ変わりについての見解を次のように述べています。</span></p><p><span style="font-size: medium;">・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・</span></p><p><span style="font-size: medium;"><span><b>こうした肉体のない世界はどこにあるのか、と問われれば私は、私たちが肉体と結びついている現世で、誰もが持っている心理的空間の中に存在する</b>と答える</span>。</span></p><p><span style="font-size: medium;">ここでまとめると、<b>宇宙には、物理的世界と心理的(ないし心霊的)世界の少なくとも二つがあるのではないか、と私は言おうとしているのである。</b>この二つの世界は相互に影響を及ぼし合う。私たちが現世にいる間は、肉体と結びついているため、肉体なしには不可能な経験をさせてくれるであろうが、心の働きは制約を受ける。死んだ後には制約から解き放たれるので、<b>心理的世界</b>のみで暮らすことになるであろう。そして、<b>その世界でしばらく生活した後、その人たちの一部、あるいはもしかするとその全員が、新しい肉体と結びつくかもしれない。それを指して私たちは生まれ変わったと称するのである</b>。<span>(<span>前掲書P.353</span>)</span><br /></span></p><p><span style="font-size: medium;">・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br />スティヴンソンの述べている「心理的空間」「心理的世界(心霊的世界)」とは、いわゆる「霊界」だと読み替えてもいいでしょう。 <br /></span></p><p><span style="font-size: medium;">しかし、わたしの期待したのは、彼の言う「心搬体(魂)」と、「前世の記憶」および「脳」との関係についての考究です。
<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
前世の記憶を語る子どもたちは、その前世記憶を、「心搬体(魂)」から得て話したのか、「脳内に存在している記憶」を話したのか、それとも記憶ではなく、「顕現化した前世の人格そのものの語り」であるのか、いずれなのでしょうか。
<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
しかし、スティヴンソンの著作は、この問いについては、ついに何も解答を与えてくれませんでした。
<br /> <span><b> </b></span></span></p><h3 style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;"><b><span style="font-size: large;">2 わたしあて霊信の教示した意識の所在</span><br /></b></span></h3><p><span style="font-size: medium;">結局、わたしが求めた解答を与えてくれたのは、人間ではなく、わたしの守護霊団を名乗る霊的存在からの霊信でした。
<br /></span></p><p><span style="font-size: medium; font-weight: normal;"><span>わたしの守護霊団を名乗る存在の教示した回答の要約は次のようです。</span></span></p><p><span style="font-size: medium; font-weight: normal;"><span>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ </span></span><span style="font-size: medium;"> </span></p><p><span style="font-size: medium;"><b>①脳は意識を生み出してはいない。<br />
<br />
②魂の表層(側面)を構成している前世の者たちが意識を生み出している。 <br />
</b><br /><b><b><b>③</b>「現世の私」も、魂表層を構成している一つである。</b>
</b></span></p><p><span style="font-size: medium;"><b><b><b>④</b></b>魂表層の「前世の者たち」と「現世の私」が生み出している意識は霊体に宿っている。 <br />
</b><br /><b><b><b>⑤</b>霊体は、「現世の私」が私という意識を持つための役割を担っている。</b> <br />
<br />
</b><b>
⑥霊体はオーラとも呼ばれ、肉体を保護する役割を担っている。<br />
<br />
⑦死後霊体は魂から分離し、霊体に宿っていた意識は魂に取り込まれる。</b><br /></span>
</p><p><span style="font-size: medium; font-weight: normal;"><span><b>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ <br /></b></span></span></p><p><span style="font-size: medium; font-weight: normal;"><span>さて、<b>脳は意識を生み出してはいない、脳と意識は密接な相互関係・対応関係にあるが、本来別ものである、</b>とする立場を<b>「意識(心)と脳の二元論」</b>と呼んでいます。</span></span></p><p><span style="font-size: medium; font-weight: normal;"><span>脳が意識を生み出すという因果関係を否定する仮説です。 つまり、「意識は脳の生み出した付随現象である」とする考え方を認めない仮説です。 大脳生理学者でノーベル賞学者の、ペンフィールド、スペリー、エックルズ、催眠学者の成瀬悟策などが脳や催眠現象の実験研究の結果、そろって晩年になって唱えている仮説です。</span></span></p><p><span style="font-size: medium; font-weight: normal;"><span>しかし、彼らは、それでは意識どこで生まれるのか、生まれた意識はどこに宿っているのか、という根本問題については一切述べていません。 端的に言えば、彼らにも分からないのです。 考えてみれば、われわれに意識があることは疑いようのない自明のことであるにもかかわらず、その意識がどこで生まれているのか、21世紀の現在でも未だに解らない謎のままであるのは不思議千万なことでしょう。</span></span></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p><p><span style="font-size: medium; font-weight: normal;"><span><span style="font-size: large;"><b>3 霊信の教示した「魂」「意識」 「霊体」の関係性の検証</b></span><br /></span></span></p><p><span style="font-size: medium; font-weight: normal;"><span>わたしは、前述<b>2</b>①~⑤の霊信の告げた「魂」「前世の者たち」「意識」「霊体」の関係が成り立つことが何らかのかたちで証明できれば、その結果として、霊信内容の信憑性が、四つの予言の実現とは別に証明されることになると考えました。 ひいては、霊信を告げてきた霊的存在の実在性が、間接的に証明されることになるだろうと考えました。</span></span></p><p><span style="font-size: medium; font-weight: normal;"><span>公教育の小中学校現場の教師にあって、教育催眠研究をライフワークに定めて 30年余の研鑽を積んできたわたしにとって、こうした霊的現象の研究に催眠を用いて取り組むことは、未知の領域への挑戦であり、それをさせるために、霊信はわたしに敢えて贈られたのではないかと思えてきたのです。 それ以外に、催眠学のアカデミズムに属さないわたしに霊信が贈られてきた理由に思い当たることが全くないからです。 もし、大学などのアカデミズムに所属している催眠研究者に、わたしと同様な霊信がなされても、彼らは、心霊現象の領域に立ち入ること対して拒否反応を示さないではおかないだろうからです。</span></span></p><p><span style="font-size: medium; font-weight: normal;"><span>わたしは、霊信の告げてきた①~⑦をそのまま作業仮説に採用し、その恩恵によって「SAM前世療法」が創始でき、SAM前世療法を探究の道具として用いて、霊信内容の検証に取り組むことにしました。 <br /></span></span></p><p><span style="font-size: medium; font-weight: normal;"><span>こうして、わたしの</span></span><span style="font-size: medium; font-weight: normal;"><span>「魂」「前世の者たち」「意識」「霊体」「脳」の関係性への探究が開始されることになっていったのです。</span></span></p><p><span style="font-size: medium;"><span>その探究の現時点までの諸成果は、本ブログ『稲垣勝巳生まれ変わりの実証的探究』に公開してきたとおりです。<span> </span><b> <br /></b></span></span></p><p><span style="font-size: medium;"><span style="font-size: large;"><b>4 SAM前世療法による前世人格顕現化現象の考察 </b></span><br /></span></p><p><span style="font-size: medium;">そして、霊信の告げた内容を仮説としておこなったSAM前世療法の実践において、魂表層から呼び出した前世人格の顕現化現象であると自信をもって公開できた事例こそが、翌2009年5月におこなった応答型真性異言の実験セッション「ラタラジュー の事例」でした。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
「ラタラジューの事例」は、被験者里沙さんを魂状態の自覚まで誘導し、魂の表層から顕現化してきた前世のネパール人の人格です。 <br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
顕現化した前世人格のラタラジューは、ネパール人の対話相手のカルパナさんと応答的に真性異言であるネパール語で25分間対話しています。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
被験者里沙さんが、ネパール語を一切学んでいないことは、ポリグラフ検査の鑑定によって明らかになっているので、ラタラジュー人格は明らかに里沙さんとは別人格の前世人格です。 <br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
しかも、ラタラジュー人格は、現代 ネパール語ではほぼ死語となっている「スワシニ(妻)」、「アト・サトリ=8と70(78)」といった古いネパール語単語を用いて対話をしています。<br />
こうしたネパール語の古語を里沙さんが秘かに学ぼうとしても学びようがありません。 <br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span><span style="font-size: medium;"><br />
前世人格ラタラジューは、次のような、現在進行形の対話をしています。<br />
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br /></span>
</p><h3 style="text-align: left;">
</h3><span style="font-size: medium;">
</span><div style="text-align: left;">
<span style="font-size: medium;"><b>注</b>:KAはネパー人対話者カルパナさん</span></div><p><span style="font-size: medium;">
<br />
<b>里沙</b>: Tapai Nepali huncha? <br />
(あなたはネパール人ですか?)<br />
<br />
<b>KA</b>: ho, ma Nepali.<br />
(はい、私はネパール人です)<br />
<br />
<b>里沙</b>: O. ma Nepali.<br />
(おお、私もネパール人です)<br />
・・・・・・・・・・・・・・・・・<br />
この短いやりとりの重要性は、つい見落とすところですが、顕現化した前世人格のありようについて、きわめて興味深く示唆に富むものだと言えます。<br />
<br />
つまり、前世人格ラタラジューのありようは、ネパール語話者カルパナさんに対して、<b>現在進行形で「あなたはネパール人ですか?」と、明らかに、ただ今、ここで、問いかけ、その回答を求めている</b>わけで、「里沙さんの潜在意識に潜んでいる前世の記憶を想起している」という解釈が成り立たないことを示しています。<br />
<br />
ラタラジュー人格は、里沙さんの前世記憶の想起として語られているのではないのです。<br />
</span></p><p><span style="font-size: medium;"><b>里沙さんとは別人格として、ただ今、ここに、ラタラジュー人格が魂表層から顕現化している</b>、としか考えられない現象です。<br />
<br />
この現象は「別人格である前世のラタラジューが、里沙さんの肉体(声帯と舌)を用いて自己表現している」と解釈することがもっとも自然な解釈ではないでしょうか。<br />
つまり、<b>ネパール語の応答型真性異言を話している主体は、里沙さんではなく、別人格であるラタラジュー人格そのもの</b>としか解釈できないということです。<br />
<br />
換言すれば、 前世人格ラタラジューが、里沙さんに憑依しているということです。<br />
自分の魂の内部に存在している前世人格が、自分に憑依して語る、などという奇妙な憑依現象はこれまで知られていません。<br />
そこで、SAM前世療法では、クライアントの前世人格の顕現化という憑依現象を<b>「自己内憑依」</b>と呼ぶことにしています。 つまり、クライアントの魂表層に存在している前世人格が、自分の生まれ変わりであるクライアント自身に憑依し、自己表現している現象という意味です。 <br />
<br />
この現在進行形でおこなわれている会話の事実は、潜在意識の深淵には魂の自覚が潜んでおり、そこには前世のものたちが、今も、意識体として存在している、というわたしあて霊信の告げたことが正しい可能性を示している証拠であると考えています。<br />
したがって、霊信の信憑性は高いと判断してよいと思います。<br /></span></p><p><span style="font-size: medium;">ちなみに、応答型真性異言の研究をおこなったイアン・スティーヴンソンも、「グレートヒェンの事例」について、顕現化したドイツ人少女グレートヒェンについて次のように述べています。<br />
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br />
「私自身はこの被験者を対象にした実験セッションに4回参加しており、いずれのセッションでも、<b>トランス人格たる</b>グレートヒェンとドイツ語で意味のある会話をおこなっている」(イアン・スティーヴンソン/笠原敏雄訳 『前世の言葉を話す人々』春秋社1995、P.9)<br />
<br />
「<b>ドイツ語を話す人格</b>(グレートヒェン)をどのように位置づけるか」</span><span style="font-size: medium;"><span>(前掲書P.10)</span> <br />
<br />
「<b>ドイツ人とおぼしき人格</b>をもう一度呼び出だそうと試みた」(前掲書P.11) <br />
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br />
</span><span style="font-size: medium;"><span> </span></span></p><p><span style="font-size: medium;"><span>スティーヴンソンも、</span>応答型真性異言で対話したグレートヒェンを、被験者の「前世の記憶」として話したのではなく、「前世の人格」グレートヒェンとして顕現化したのだ、と判断しています。<br />ただし、イアン・スティーヴンソンは、そうした前世の人格が、どこから顕現化しているかについては一切言及していません。 前述した彼の言葉から推測すれば、</span><span style="font-size: medium;">「心理的空間」「心理的世界(心霊的世界)」から顕現化したということでしょうか。</span></p><p><span style="font-size: medium;">
いずれにせよ、「グレートヒェンの事例」の催眠臨床に立ち会ったスティーヴンソンが、グレートヒェンのドイツ語の語りを被験者の前世の記憶ではなく、トランス人格であるグレートヒェン自身の顕現化であるととらえていることに、わたしが勇気づけられたことは言うまでもありません。 ちなみに「トランス人格」とは被験者の催眠中に現れた別人格のことを意味しています。
<br />
<br /></span><span style="font-size: medium;">同様に、前世人格ネパール人ラタラジューは、今、ここにいる、ネパール人カルパナさんに対して、「あなたはネパール人ですか?」と、<b>明らかに、今、ここで、問いかけ、その回答を確かめている</b>わけで、「里沙さんが潜在意識に潜んでいる前世の記憶を想起している」という解釈が成り立たないことを示しています。<br />
この<b>ラタラジュー は、SAM前世療法によって、里沙さんの魂表層から呼び出され、現世の里沙さんの肉体(声帯)を借りて、現在進行形で会話をしている顕現化した彼女の前世の人格です。<br />
</b><br />
里沙さんは、カルパナさんとラタラジューのネパール語会話の媒介役として、つまり霊媒的役割としてラタラジューに身体を貸している、とそういうことにほかなりません。<br />
それは、このラタラジューのセッション直後に書いてもらった次に述べる<b>5</b>のセッション体験記録からも確認することができるでしょう。<br /> </span></p><p><span style="font-size: medium;"><span style="font-size: large;"><b><span>5 「ラタラジューの事例」被験者里沙さんの意識</span></b></span><br /></span></p><p><span style="font-size: medium;">・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br />
稲垣先生から依頼された、セッション中とその後の私の心情を述べたいと思います。<br />
こうした事例は誰にでも出現することではなく、非常に珍しいことだということでしたので、実体験した私が、現世と前世の意識の複雑な情報交換の様子を細かく書き残すのが、被験者としての義務だと考えるからです。<br />
<br />
思い出すのも辛い前世のラタラジューの行為などがあり、そのフラッシュバックにも悩まされましたが、こうしたことが生まれ変わりを実証でき、少しでも人のお役に立てるなら、すべて隠すことなく、書くべきだとも考えています。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
ラタラジューの前に、私の守護霊と稲垣先生との会話があったようですが、そのことは記憶にありません。<br />
ラタラジューが出現するときは、いきなり気がついたらラタラジューになっていた感じで、現世の私の体をラタラジューに貸している感覚でした。<br />
タエのときと同じように、瞬時にラタラジューの78年間の生涯を現世の私が知り、ネパール人ラタラジューの言葉を理解しました。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
はじめに稲垣先生とラタラジューが日本語で会話しました。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
なぜネパール人が日本語で話が出来たかというと、現世の私の意識が通訳の役をしていたからではないかと思います。<br />
でも、全く私の意志や気持ちは出て来ず、現世の私は通訳の機器のような存在でした。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
悲しいことに、ラタラジューの人殺しに対しても、反論することもできず、考え方の違和感と憤りを現世の私が抱えたまま、ラタダジューの言葉を伝えていました。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
カルパナさんがネパール語で話していることは、現世の私も理解していましたが、どんな内容の話か詳しくは分かりませんでした。<br />
ただ、ラタラジューの心は伝わって来ました。<br />
ネパール人と話ができてうれしいという感情や、おそらく質問内容の場面だと思える景色が浮かんできました。<br />
現世の私の意識は、ラタラジューに対して私の体を使ってあなたの言いたいことを何でも伝えなさいと呼びかけていました。<br />
そして、ネパール語でラタラジューが答えている感覚はありましたが、何を答えていたかははっきり覚えていません。<br />
ただこのときも、答えの場面、たとえば、ラタラジューの戦争で人を殺している感覚や痛みを感じていました。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
セッション中、ラタラジューの五感を通して周りの景色を見、におい、痛さを感じました。セッション中の前世の意識や経験が、あたかも現世の私が実体験しているかのように思わせるということを理解しておりますので、ラタラジューの五感を通してというのは私の誤解であることも分かっていますが、それほどまでにラタラジューと一体化、同一性のある感じがありました。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
ただし、過去世と現世の私は、ものの考え方、生き方が全く別の時代、人生を歩んでいますので、人格が違っていることも自覚していました。 <br />
ラタラジューが呼び出されたことにより、前世のラタラジューがネパール語を話し、その時代に生きたラタラジュー自身の体験を、体を貸している私が代理で伝えたというだけで、現世の私の感情は、はさむ余地もありませんでした。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
こういう現世の私の意識がはっきりあり、片方でラタラジューの意識もはっきり分かるという二重の意識感覚は、タエのときにはあまりはっきりとは感じなかったものでした。</span></p><p><span style="font-size: medium;">(後略)<br />
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br /></span>
</p><p><span style="font-size: large;"><b><span>6 まとめ</span></b> </span></p><p><span style="font-size: medium;">
「<b>でも、全く私の意志や気持ちは出て来ず、現世の私は通訳の機器のような存在でした</b>」、「<b>ラタラジューが呼び出されたことにより、前世のラタラジューがネパール語を話し、その時代に生きたラタラジュー自身の体験を、体を貸している私が代理で伝えたというだけで、現世の私の感情は、はさむ余地もありませんでした</b>」という里沙さんの述懐は、彼女が顕現化したラタラジュー人格に「体を貸して」、霊媒的役割をまさに果たしている、ことを如実に語っていると思います。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
イアン・スティーブンソンは、退行催眠中に偶発的にあらわれ、科学的検証を経て信頼できる、応答型真性異言を2例あげています。 ともにアメリカ人の女性被験者2名に現れた「イェンセンの事例(スウェーデン語)」と「グレートヒェンの事例(ドイツ語)」です。<br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br />
ちなみに、スティーヴンソンも、わたしと同様、顕現化した前世人格を「トランス人格」(催眠下のトランス状態で現れた前世の人格)と呼んで、真性異言の話者を、クライアントとは別人格の顕現化による応答的会話だ、ととらえています。 (『前世の言葉を話す人々』春秋社、P.9)<br /></span></p><p><span style="font-size: medium;">つまり、クライアントが前世の記憶として応答型真性異言を語ったとは考えていません。<br />
それでは、そうした死後存続しているトランス人格の所在しているところはいったいどこなのか、についての具体的言及はありません。 <br /></span></p><p><span style="font-size: medium;"> 「ラタラジューの事例」を含めて、催眠下で偶発し、科学的な検証を経た応答型真性異言事例は、世界にこれまでわずか3例の発見しかありません。<br />
ほかに覚醒中に起きた偶発事例が2例あります。 </span></p><p><span style="font-size: medium;">しかも、すべて20世紀までの発見であり、21世紀になってからは「ラタラジューの事例」(2009年)が最初の公開された事例です。</span></p><p><span style="font-size: medium;">付言すれば、この事例は、応答型真性異言の発話中の撮影に成功した世界初の事例でもあります。 「ラタラジューの事例」は、生まれ変わりの科学的研究史上で、SAM前世療法によって打ち立てた金字塔だと評価されると思っています。</span></p><p><span style="font-size: medium;">さて、 生まれ変わりが普遍的事実であるならば、催眠中に限らずなぜもっと多くの人々が応答型真性異言を話せないのか、これはほんとうに大きな謎です。</span></p><p><span style="font-size: medium;">超心理学上の生まれ変わりの研究において、現時点では、応答型真性異言現象こそが生まれ変わりの科学的証拠としてもっとも有力だとされています。 もし、きちんとした科学的検証を経た応答型真性異言現象が、これまでに数多く公開されていたとすれば、生まれ変わりは科学的事実として多くの人々に認知されているはずであると思っています。 </span></p><p><span style="font-size: medium;">そして、生まれ変わりが科学的に証明され認知されれば、人間に対する見方は言うまでもなく<span style="font-weight: normal;"><span> 、人生観・世界観をはじめ、あらゆるものに対する見方に、広範な、根本的な変革がもたらされることになったでしょう。<br /></span></span></span></p><p><span style="font-size: medium; font-weight: normal;"><span>ともあれ、こうして</span></span><span style="font-size: medium; font-weight: normal;"><span>、「魂」「前世人格たち」「意識」「霊体」「脳」などの関係性について告げている霊信の信憑性はきわめて高い、と判断できると思います。</span></span></p><p><span style="font-size: medium; font-weight: normal;"><span>ひいては、霊信を贈ってきた霊的存在(通信霊)の実在性もきわめて高いと判断しています。 </span></span></p><p><span style="font-size: medium; font-weight: normal;"><span><b>「地上の人間と霊的存在は交信できる」</b>、<b>「交信する霊的存在は実在している」</b>、<b>「生まれ変わりは存在している」</b>などを<b>「霊的真理」</b>だと認めるなら、わたしは「霊的真理」を認めることに躊躇することはない立場になっています。</span></span></p><p><span style="font-size: medium;">そして、前世人格の顕現化を、偶発的ではなく、意図的に、生起できるSAM前世療法は、前世人格の顕現化という仮説と、それを可能にする催眠誘導技法に立脚した、前例のない新たな前世療法として誇ってよいのだと自負しています。 </span></p><p><span style="font-size: medium;"> 心理療法の観点からすれば、「魂表層に存在する諸前世人格」の影響を前提にして、現世人格の自己実現を図ろうとするSAM前世療法は、魂そのものを対象にしながら、現世人格の再構成をめざす「魂の療法」だと位置づけてよいかもしれません。 </span></p><p><span style="font-size: medium;">また、SAM前世療法では、「<b>魂とは</b></span><span style="font-size: medium;"><span style="font-size: medium;"><b>前世から来世へとある人格の心的要素を運搬する媒体</b></span>」だと定義しており、宗教的意味合いとは無関係です。 </span></p><p></p><p><span style="font-size: medium;">それだけに、魂の領域に踏み込むSAM前世療法を扱う人間は、健全な懐疑精神と、謙虚さと、慎重な態度をけっして忘れてはならないと自戒しています。 </span></p><p><span style="font-size: medium;">そのために、「SAM前世療法」の名称は、登録商標にしてあり、SAM前世療法士の有資格者のみに用いることを許可してあります。 また、有資格者には、厳しい倫理規定の遵守を義務づけてあります。</span></p><p><span style="font-size: medium;">ちなみに、わたしのセッションでの前世人格の顕現化の成功率は、直近100事例で91%です。</span></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p><p><span style="font-size: medium;">以上が、2007年以後、2022年の現在に至るまでの15年間わたって、わたしあて霊信の信憑性についてこだわり続け、SAM前世療法を用いて検証をしてきた現時点の到達点です。</span></p><p><span style="font-size: medium;"> </span></p>稲垣 勝巳http://www.blogger.com/profile/16232260953490209907noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7548750843777970344.post-20005792072467368712022-05-18T13:11:00.019+09:002022-07-06T20:33:35.059+09:00わたしあて霊信の信憑性の検討 <p><span style="font-size: x-large;">SAM催眠学序説 その150 </span><br /></p><p><span style="font-size: medium;"><b>1 霊信現象のいきさつ </b></span><br /></p><p>15年前、2007年1月11日~2月14日の毎夜に霊信とおぼしき通信がわたしに届くという超常現象が起こりました。<br />
<br />
「霊信」とは文字通り、わたしの守護霊団とおぼしき存在からの通信現象のことです。<br />
チャネリングと類似の意味ですが、こちらの用語はニューエイジと呼ばれるスピチュアル系の人々の用い始めた言葉のようです。<br />
<br />
それに先だって、「シルバーバーチの霊言」、「モーゼスの霊訓」、「アラン・カルディックの霊の書」など、近代スピリチュアリズムにおいては高級霊からの通信を「霊信」という用語で呼んでいますから、本ブログでも「チャネリング」ではなく「霊信」で統一します。 <br />
<br />
わたしあて霊信の受信者は、2007年当時、拙著(『前世療法の探究』春秋社)の読者M子さんでした。<br />
この受信者M子さんは、当時26歳の東京在住の派遣社員でした。<br />ちなみにM子さんとわたしとは、霊信が届くまでに著者と一般読者という以外に面識は一切ありませんでした。 <b> </b></p><p> <span style="font-size: medium;"><b>2 霊信が届く以前のわたしの立場</b></span></p><p></p><p>わたしは、霊的感性があると自覚したことは皆無で、それまでに霊との交信などを望んだことも一切ありませんし、何の目的で、よりもよってなぜわたしに、霊信が届くのか、いまだに不可解のままでいます。</p><p>
霊信によれば、わたしあての霊信内容は「すべて神の計画」なのだ、と告げられていますが、なぜ「神」とおぼしき存在が、なぜわたしを選んで計画されたのかが、不可解だという思いがいまだに強まるばかりです。 <br />
<br />
以前のわたしは、唯物論に染められ、それなりに学生運動に参加した全共闘世代の人間であり、2005年に「タエの事例」に出会うまでは、明らかに唯物論者であり、宗教や霊的存在について考えたこともなく、信仰心などとは無縁で、まったく無関心で生きてきたからです。<br /></p><p>そういうわたしが、左翼過激思想の要注意人物として、当時の岐阜県公安警察のブラックリストに顔写真とともに載っていることを、教員奉職後数年経ってから、中学生時代の剣道部の友人で岐阜県警公安部の警察官によって、こっそり教えられています。 <br />
道理で、なるほど、教員採用試験結果が「保留」だったのかと納得できたものです。 <br />
ちなみに、わたしは学生時代に特定の過激派組織(セクト)に所属したことも、教職に就いてから日教組など労働組合に所属したことも一切ありません。 もともと組織にはなじむことのできない人間であると思っていました。<br />
</p><p><br /><span style="font-size: medium;"><b>3 霊信現象と自動書記 </b></span><br /></p><p>したがって、信仰心のないわたしにとって、2007年1月11日から届くようになった霊信は、望んでもいないのに、唐突に、M子さんを経由して届くようになった超常現象であり、それらしい心当たりの全くないものでした。<br />
<br />
2006年の年末に、拙著読者のM子さんから読後の感想メールが届き、その文面には自分は幼いころからチャネリング能力があり、現在もチャネリングによって友人の父親などの病気の治療法について霊的存在からの情報を得ている、という内容でした。 </p><p>そこで、メールのお礼の返信に興味半分で「わたしについてチャネリングをしてもらえますか?」という依頼を2007年1月11日夜にした、なんとその1時間ほど後に受信者M子さんを経由して、第1霊信(2007.1.11、22:44着信)が届くということが起こったのです。<br /></p><p>さらに、驚くべきことに、第1霊信の文章量が、A4用紙びっしり4枚分あったことでした。<br />
もし、M子さんが霊信だと称してが作文したとを疑っても、1時間そこそこでは、とても打てるはずがない量と質の内容でした。<br />
おそらく、唯物論者で懐疑的思考の旺盛なわたしに、この超常現象が、M子さんの自動書記による真性の霊信現象であることを示すための仕業だったと思われます。 </p><p>ちなみに第12霊信では、通信霊は<b>「これは私からの霊信であり、M子の言葉ではない 。M子の妄想ではない。妄想では答えられないものである」</b>とわざわざ断わっています。</p><p>
1月11日から2月14日まで約一ヶ月間毎夜霊信が届いたというわけです。 全霊信の文章量はA4用紙84枚に及んでいます。(<b>SAM催眠学序説48~71</b><b>参照</b>) 全霊信の1回ごとの文章量はA4用紙2~4枚でした。
<br />
M子さんによれば、霊信の届く前兆として後頭部に鈍痛が起こるので、それを感知してパソコンの前に座ると、自動的に指が構えてキイを打つという自動書記現象が起こるということでした。<br />
また、パソコンによる自動書記の最中には、打ち込まれていく文章がどんな内容なのか分からないということです。<br />
どうやら、浅いトランス状態で自動書記現象が起こっていたと推測できます。<br />
<br />
M子さんは、霊信を受信すると同時にわたしのパソコンに転送しているということでした。<br />
わたしは、2007年1月27日、M子さんに当研究室に来ていただき、1例だけですが、こうしたパソコンによる自動書記現象を目前で確認しています。<br />
<br />
受信状態にあるM子さんは、明らかにトランス状態にあり、朦朧とした目線でブラインドタッチでキイを叩いていました。 M子さんにはふだんでも、ブラインドタッチで文章が打てるパソコン技能があるということです。<br />
<br />
プリントアウトした霊信は、主述のねじれや誤字・脱字のないほぼ完璧に近いものでした。<br />
彼女によれば、受信中はどのような内容を打っているのかまったく分からないということです。<br />
そして、ときどき「違う!」という頭の中で声が聞こえると、指が自動的に打ち直しをするという自覚はあるということでした。<br />
</p><p><br /><span style="font-size: medium;"><b>4 霊信(超常現象)の真偽について </b></span><br /></p><p>このブログに公開している霊信の真偽については、霊信をもらった直後、わたしが抱いた次の4点の懐疑的視点で、文体も含めて判断しながらエンタテインメントとして読んで下さるとうれしく思います。<br />
もし、お気づきの点やご質問が出てきましたら、気楽にコメントしてください。<br />
<br />
①受信者M子さんの作為による創作ではないか<br />
<br />
②M子さんの無意識的創作、または妄想ではないか<br />
<br />
③高級霊を装った低級霊による悪ふざけの霊信ではないか<br />
<br />
④高級霊(わたしの守護霊団)からの真性の霊信ではないか<br />
<br />
2007年のわたしあて霊信基づく仮説によって、その1年後の2008年にSAM前世療法が創始され、2009年には世界で5例目の応答型真性異言「ラタラジューの事例」があらわれました。<br />
この現象は、霊信の信憑性を示す何よりの証拠ではないでしょうか。<br /></p><p>こうして、SAM前世療法のその後7年間の実践の累積によって「SAM催眠学」が形成されていきました。</p><p> なお、 付記すれば、2015年5月16日のSAM前世療法セッションで、魂状態に遡行した50代女性クライアントに憑依してきたわたしの守護霊を名乗る霊が「霊信の公開によってあらためて霊的真理を世に広めよ」というメッセージを告げてきました。<br />
<br />
さて、この日、わたしの守護霊の告げた「霊的真理」とは、霊的存在と地上の人間とは交信が可能なこと、したがって、自分たちのような霊的存在が実在していること、を意味していると思われます。<br />
<br />
本ブログで、霊信の公開を2015年5月16日夜から開始するつもりでいた矢先のタイミングを計ったような、わたしの守護霊を名乗る存在からのメッセージでした。<br />
なんと不思議な符合というべきでしょうか。<br />
<br />
さらに言えば、このセッション中に憑依してきたわたしの守護霊は、わたしが当日夜から霊信の公開を始めることをあらかじめ察知しており、そのためにメッセージを携えてきたとも告げています。 <br />
同様に、わたしの1時間ほど前の具体的行動を、どこからか見ており、ずばり指摘したとしか思われない、第3霊信の文言もあります。<br />
</p><p><b> </b>ちなみに、かの通信霊シルバー・バーチは次のようなことを述べています。<br />
<br />
<span style="font-size: small;"><b>「霊的な知識を手にした人間は、自分のもとを訪れる人にそれを提供する義務があります」<br />
<br />「知識には責任が伴うというのが私の一貫したテーマです。知識による恩恵を受けたからには、こんどはそれをいかに生かすかという責任が必ず生じます。そこにあなたの自由意志による選択が問われます。それがあなた自身の責任の尺度となるのであり、これだけは他の誰一人として代わってあげるわけにはいきません」<br />
</b></span><br />
このとき降りてきたわたしの守護霊の目的も、シルバーバーチと同様のことをわたしに伝えるためだと思ったとしても、必ずしもまちがいではないだろうと考えています。 </p><p></p><p><b> <span style="font-size: medium;">5 霊信の真偽の一つの指標としての予言の実現</span></b><br /></p><p>わたし宛て霊信内容には、四つのかなり具体的な予言があります。 この予言のその後の的中・ 実現の有無が、少なくとも霊信がでたらめでないことの検証になると思います。</p><p><b>その ① </b></p><p><b>第1霊信</b>で <b>「あなたが癒やしを起こすとき、多くの高級霊が治療霊としてあなたのもとに集まる」</b>と予言しています。 </p><p>このことは、その後の様々な症例に対しておこなったヒーリングの改善効果が90%越える確率で起きていることから実証されたと考えます。 とりわけ、血行不良による凝りの改善、関節の痛み、腰痛などには著効が現れます。 ちなみに、わたしは、気功もレイキも学んだ経験は一切ありません。 わたしのヒーリング能力は、霊信を信じるならば、スピリットヒーリングと呼ばれるものだと思います。 したがって、第1霊信のヒーリング能力覚醒についての予言は実現したと判断できます。</p><p></p><p><b>その ②</b></p><p><b>第8霊信</b>で<b>「あなたはいずれ前回とは異なる内容の本を出版することとなる。全貌が異なるのではなく、方向性が異なるのだ。それは、多くの人をひきつけるものとなる」</b>と予言しています。</p><p></p><p>2007年1月のこの予言から3年後の2010年10月に、2冊目の拙著『生まれ変わりが科学的に証明された』をナチュラルスピリット社から出版することができました。 わたしは1冊目の『前世療法の探究』春秋社、2006、の初めての出版で編集作業の大変なことを実感しましたし、2冊目の出版など考えてもいませんでした。 したがって、2冊目の本の内容が「全貌が異なるのではなく、方向性が異なる」という予言の意味も全く理解不能でした。 応答型真性異言事例の紹介という主題は、前世療法を取り上げたという点では1冊目と全貌は異なっていません。 しかし、前世人格の顕現化という霊的現象、霊的存在と生まれ変わりを科学的事実だと認める明確な方向性は、1冊目ではためらっていたことでした。 こうした点から、本の全貌は異なっていないが方向性が異なる、という第8霊信の予言は的中していると認めざるを得ません。<br />
</p><p></p><p></p><p><b>その ③</b></p><p><b>第11霊信</b>で<b>「そして、前世療法についてだがあなたは自らの霊性により独自性を持つようになる。あなたの療法は、あなたにしかできないものになる」</b>と予言しています。</p><p>この予言の1年後の2008年末に「SAM前世療法」が登録商標として認可されることになりました。 SAM前世療法では、「魂表層を構成している前世人格を呼び出し、対話する」ことを仮説とし、そのための催眠誘導技法を「魂遡行催眠」と名付けました。 「前世の記憶を想起させる」一般的な前世療法とは一線を画した世界唯一の前世療法だと自負しています。 したがって、この第11霊信の前世療法についての予言は実現したと判断できます。<br /></p><p></p><p><b>その</b><b> ④ </b></p><p><b>第14霊信</b>で「<b>あなたは今世で出会うべき女性がいる。その女性とはあなたが過去生において死別した愛する者である。その者は、まだしばらくはあなたと再会することはない。なぜ、出逢う前にあなたにこの話を語るのか。それはあなたがその事に興味を抱くということが重要だからである。あなたはその者が誰なのか、いつ出会うのか、どのような死別を経験したのか、それらに興味を抱くだけでよいのだ。そこからあなたは引き寄せられていく。あなたの魂の傷を持つ者は求め始める。それでよい。あなたは、それを許すだけでよいのだ。あなたが今後出会い癒やしを与える者により、その女性との繋がりは得られる。・・・その糸はM子からは生じない。あなたの現在知る者からは、そのきっかけは得られない・・・</b>」と予言しています。 </p><p>ご本人のプライバシーに関わりますので、この予言内容どおりの女性とは、その後のSAM前世療法のクライアントとして数年後に実際に出会っていますとだけ言っておきます。 ただし、この予言に該当する女性は2人出現しています。 </p><p>こうして、この第14霊信の予言も実現していると判断できます。</p><p></p><p></p><p><b> </b></p><p><span style="font-size: medium;"><b>6 まとめ</b></span><br /></p><p></p><p>公開してあるわたしあて霊信が、M子さんのパソコンによる自動書記という「意識現象の事実」 は確認していますが、通信霊の実在と霊信内容のほとんどの真偽については検証不可能です。<br />
しかしながら、紹介した四つの予言が、その後の数年間の経過のなかで次々に的中・実現していることは確かに確認できた事実です。</p><p>また、霊信が告げてきた魂の二層構造仮説に基づいて実践してきたSAM前世療法によって、生まれ変わりの信憑性がきわめて高い「タエの事例」、「ラタラジューの事例」があらわれたことは、霊信がでたらめでないことを証明していると思います。</p><p>こうした検証できたこと以外の霊信内容の真偽については、判断留保としておくほかありません。<br /></p><p>全知全能である神らしき存在からの第5霊信で、そうした存在は次のように告げています。</p><p></p><p></p><p><b>「あなた方は、構えていては何も見い出せなくなる。もっと、楽しみなさい。 これは「遊び」なのだ。すべての計画は、そうである」</b><br /></p><p></p><p> </p><p>本ブログに公開してある全霊信(<b>SAM催眠学序説48~71</b>)を、肩の凝らないファンタスティックな遊びの読み物としてどうぞ楽しんで読んでみてください。 そしてお気づきの点や疑問点について、忌憚なくご指摘ください。</p><p> </p>稲垣 勝巳http://www.blogger.com/profile/16232260953490209907noreply@blogger.com9tag:blogger.com,1999:blog-7548750843777970344.post-75440061066160099912022-04-12T14:14:00.013+09:002022-05-02T08:22:14.849+09:00不本意な書評とわたしの見解<p><span style="font-size: x-large;">SAM催眠学序説 その149</span><br /><br /> <span style="font-size: x-large;"><b><span style="font-size: medium;">ー拙著『生まれ変わりが科学的に証明された』の書評についてー</span></b></span><br /><br />拙著『生まれ変わりが科学的に証明された』ナチュラルスピリット社,2010のアマゾンの書評について、きわめて不本意な書評があります。<br /><br />すでに10年以上前の書評ですが、これを引用し、わたしの見解を述べてみたいと思います。 本ブログのある読者から、不本意な書評であるならどこかで反論をしておくべきだ、という指摘を受けましたので、ここでわたしの見解を述べることにしました。<br /><br /> <br /><br />指摘された書評の引用後に問題部分に対するわたしの見解を述べてあります。 また、その次に問題の書評についての反論である別の書評を引用してあります。<br /><br />さて、以下の点線枠内が問題とする書評の引用です。 なお、書評のゴチック部分と番号は、わたしが問題とする部分です。 <br /><br />・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ <br /><br /><span style="font-size: large;"><b>1【問題とする書評】</b></span><br /><br />最初に一言、この本は科学的な本ではありません。<br />神秘的な話しや超常現象が好きな人が読む本であって、科学的な本としては全く無価値です。<br />この本、Twitterを通じて、「科学的な本であり、信じる信じないの類の本ではない。」との触れ込みで紹介頂きました。<br />とは言え、<b>「生まれ変わり」ですから、どう考えても科学的には思えず</b>、紹介者に疑問を投げ掛けるも、科学的な証拠が示されてると言うことで購入してみました。<br /><br />しかし、読んでみると、科学的だとまではとても言えない内容の本で、いわゆるスピリチュアルなど神秘的な話しが好きな人向けの、エンターテイメント読み物でしかありませんでした。<br />こういう購入経緯があるので、★1つと厳しく採点させて頂き増した。<br />もし、純粋に、スピリチュアルの世界を楽しみたいだけの人が読んだとしたら、評価は違うと考えてください。<br /><br />この本の<b>科学的な検証と言うのは、ほとんどが被験者とその周囲への聞き取り調査のことで、部分的にポリオグラフ(汗や脈拍の変化を利用した、いわゆる嘘発見器)が登場してるに過ぎません。<span style="color: red;">(注①)</span></b><br /> <br /><br />前世の記憶があり、習得していないはずの他言語で会話が出来ると言うことで、<b>記憶と学習の機序を扱う分野「神経科学」での検証や、科学的な大胆な仮説や知的好奇心を揺さぶるような驚くべき推察でもあるのかと思い期待して<span style="color: red;">(注②)</span></b>読んだのですが、他の分野も含めていわゆる科学的な調査というのはいっさい出てきません。<br /><br />ポリオグラフに関しても、主たる調査は、ネパール語を習ったかどうかという部分に関してです。<br />この分野(質問とその際の身体の緊張具合から嘘かどうか判断するいわゆる嘘発見器での検査)の権威とされる元大阪府警科捜研所長荒砂氏は結論として、「<b>懇意的<span style="color: red;">(注③)</span>にネパール語を習った</b>形跡は認められない。」としています。<br />ですが、それもそのはず。<br />実際、この被験者ネパール語を習得してるとは言えません。<br />何しろ、人名や村名らしき名詞以外、ネパール語は、ほとんど出てきません。<br />だけど、日本語は普通に話せます。<br />被験者は、自分がネパール人男性で村長であることや被験者の前世の魂であることなど、複雑で奇妙な状況を、日本語でリアルタイムで質疑応答することが出来ますが、<b>ネパール語は名詞らしき言葉中心に単発で時折出て来るだけであり、そもそも最初から習得してないことが明らかです。<span style="color: red;">(注④)</span></b><br />要するに、荒砂氏は嘘発見器でネパール語を習得したかどうかの判定を依頼されその依頼をこなしただけであり、生まれ変わりの尋問やその記憶の真贋の判定をしたわけではありません。<br /><br />また、読み進めると、何故、ネパール人の生まれ変わりの記憶があるとしながら日本語が流暢であるのか、その驚くべき理由が明らかになります。<br />なりますが・・・、科学的な話しを期待した人にとっては、ここで完全に力が抜けてしまうでしょう。もしかしたら、神秘的な世界観を求めてる人にとってはワクワクする部分かもしれませんが、ここは自分の視点でハッキリ書きます。<br /><br />なんと!<b>『被験者である女性が、ネパール人である男性の記憶が蘇りながら、日本語で会話をするのは、彼女につくさらに上位の霊的存在が、同時通訳をしてくれてる。<span style="color: red;">(注⑤)</span>』</b>からだそうです。<br />しかも、この驚愕の証言、彼女が自発的に、ネパール語がうまくしゃべれず、日本語で会話するのはこういうわけだと告げたわけではありません。著者稲垣氏が、後日の再診断時、唐突に、上位の霊的存在を呼び出し、「もしかしたらこういう事情で日本語で会話できるのではないですか?」と、誘導的質問をし、彼女(上位霊)はそうだと認めたに過ぎません。<br />自分は、あくまでも科学的な書物だと聞いて購入した立場なので、真贋を見極めなければならない研究者側に、こんな「<b>懇意的質問</b>」が許されるのか?と読んでて、段々腹が立ってきました。<br /><br />さらに、驚くことに、この被験者同じ著者の前著では、江戸時代に人柱という悲愴な運命を背負った女性の生まれ変わりとして紹介された被験者だということが分かります。<br />そして、日本語での通訳や表現は上手く、なぜかネパール語での通訳や表現が上手く行かない上位的存在の霊は、人以外の転生を示唆します。<br />ビックリしますが、宇宙人が、この転生のサイクルに入ってくる可能性があるようです。<br /><b>おそらく、次回作では宇宙人が転生して出て来るのでしょう。<span style="color: red;">(注⑥</span>) <br /></b><br /> SFやファンタジーは大好きだから、発想の柔軟さは買いますが、「科学的に証明された!」としてしまうと、知的好奇心をくすぐられる科学ものとしてのスリリングな謎解き!あの、まるで良く出来たミステリーのように、「そうか!こういうことか!なりほど。」と認識を改めさせられる一連の一般向け良質科学読み物だと、思ってしまう人が一定以上いると思います。<br /><br />そうではなく、全く別の読者層を対象にして書かれたスピリチュアル系読み物であることを、もう一度ハッキリ明記して筆を置きたいと思います。<br /><br />・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・書評終わり <br /><br /> <span style="font-size: large;"><b>2【書評に対するわたしの見解】<br /><br /></b></span>書評をその記述者(書評者) の主張・議論とみなすとすれば、記述者(書評者)は「前提」と「限界」を明確にして記述するべきだというのが、わたしの基本的考え方です。 <br /><br />問題の書評の場合の「前提」とは、どこまでも拙著の記述内容を正確に引用し、それに限定して 述べることです。 「限界」とは、現行の唯物論科学で明らかになっている知見にもとづいて、わたしの拙著について感想・意見を述べることです。 前提と限界を設けない主張や議論は、内容が散漫になりとりとめのない結果になるからです。<br /><br />さて、書評の記述者は、冒頭で「 <b>『生まれ変わり』」ですから、どう考えても科学的には思えず</b>」と述べていますから、彼の前提は「生まれ変わり」の探究は唯物論科学ではありえない、ということなのでしょう。 したがって、はじめから生まれ変わりなどあり得ない、という否定的、偏向的思考態度によって書評は一貫しているとおもわれます。 以下は、ゴチック部分の注①~⑥のそれぞれについて、わたしの見解を述べていきます。<br /><br /><span style="color: red;"><b>(注①)</b></span>:「<b>科学的な検証と言うのは、ほとんどが被験者とその周囲への聞き取り調査のこと</b><b>で、部分的にポリオグラフ(汗や脈拍の変化を利用した、いわゆる嘘発見器)が登場してるに過ぎません</b>」と述べてありますが、これ以外にどのような具体的検証方法があるというのか、そうした不足している検証方法を具体的に提示しないのは、無い物ねだりといわざるをえません。 なお、書評者のいう「<b>ポリオグラフ</b>」という用語は「<b>ポリグラフ</b>」の間違いです。 ちなみに、被験者里沙さんへのポリグラフ検査は2時間40分にわたって綿密におこなわれています。<br /><br /><b> <span style="color: red;">(注②)</span></b>:「<b>記憶と学習の機序を扱う分野『神経科学』での検証や、科学的な大胆な仮説や知的好奇心を揺さぶるような驚くべき推察でもあるのかと思い期待して</b>」と述べてありますが、こういう言い回しを「ペダンチック(衒学的)」な、学問のあることを衒う(てらう)ような物言いというのでしょう。 そもそも「神経科学」の分野で、学んだはずのない外国語で応答的な会話ができることについての科学研究の方法など聞いたことがありません。 過剰な期待であり、これは無い物ねだりと言うほかありません。 わたしとしては、一般の前世療法の「<b>前世の記憶を想起する</b>」という仮説から、「<b>前世人格そのものを顕現化させ対話する</b>」という新しい前世療法の仮説を実例を示して拙著で打ち出したつもりであり、「科学的な大胆な仮説や知的好奇心を揺さぶるような驚くべき推察」として評価されてもいいのではないかと思っています。<br /><br /><span style="color: red;"><b>(注③)</b></span>:「<b>懇意的にネパール語を習った・・・</b>」の「懇意的」の意味は、親しい、仲がいいという意味ですが、このような日本語の用いかたは誤りというべきです。 また、これ以外にも「<b>懇意的質問</b>」という箇所がもう1カ所ありますが、これは明らかに「恣意的質問」の誤りです。 </p><p>さらに、ポリグラフ検査の結果として「元大阪府警科捜研所長荒砂氏は結論として、『懇意的にネパール語を習った形跡は認められない。』としています」と述べてありますが、拙著でそのようなことは一切書いていません。 <br /><br /><span style="color: red;"><b>(注④)</b></span>:「<b>ネパール語は名詞らしき言葉中心に単発で時折出て来るだけであり、そもそも最初から習得してないことが明らかです</b>」 と述べてありますが、拙著のセッション逐語録をどう読むとこのような主張ができるのか、はなはだ疑問におもわれます。 読解能力の明らかな貧困、または意図的曲解というべきでしょう。 <br /><br />ラタラジューは、対話相手のネパール人女性カルパナさんの用いていないネパール語の単語を29語話しています。 そして、ネパール語は、主語の人称と尊敬している人に対して、日本語の「です」にあたる助動詞が、一人称では「hu(フ)」、二人称と尊敬する人に対しては「hunnuhuncha(フヌフンチャ)」、三人称では「ho(ホ)」のように変化します。 ラタラジューは、対話の中でこうしたネパール語の文法に則って話しているのです。 <br /><br />また、ネパール語の不規則な数詞の使用も「tis(ティス)=30」や「patis(パティス)=25」のように使用しています。 こうした、拙著の記述をきちんと読んでなお、ラタラジューがネパール語を「そもそも最初から習得してないことが明らかです」という断定がなぜできるのか、はなはだ不可解というほかありません。<br /><br /><span style="color: red;"><b>(注⑤)</b></span>: 「<b>被験者である女性が、ネパール人である男性の記憶が蘇りながら、日本語で会話をするのは、彼女につくさらに上位の霊的存在が、同時通訳をしてくれてる</b>」と述べてありますが、わたしは拙著のなかでそのようなことは一切書いていません。 わたしは、冒頭で「書評の場合の『前提』とは、どこまでも拙著の記述内容に限定して述べることです」と述べました。 この観点からすれば、この書評の文言は、書評の名にあたいしないことがすでに明らかです。<br /><br /><span style="color: red;"><b>(注⑥)</b></span>: 「<b>次回作では宇宙人が転生して出て来るのでしょう</b>」と述べてありますが、これは「恣意的推論」というべき認知の歪みです。 というより悪意のある嘲笑的文言であろうとおもわれます。<br />次回作を出版するなど何ら述べていない時点で、このようなことを書くことは書評として論外の逸脱行為です。 禁欲的態度の貧困というほかありません。 <br /><br />おそらく、唯物論科学万能の立場によって、 生まれ変わりを示す事実の提示に強い「認知的不協和」を起こした結果、感情的になって書かれているのではないでしょうか。<br />笠原敏雄氏は、こうした硬直した生まれ変わり否定の態度を「心理的抵抗」と呼んでいます。<br />こうした書評が出されたあとで、「ラタラジューの事例 」の全セッション動画をyou-tubeに公開しましたが、書評者はこのセッション動画を視聴してもなお同様に独善的、偏向的書評を書かれるのか興味深いところです。 </p><p>そうして、わたしはこの書評者に問いたいとおもいます。 あなたは、いったいどのような証拠を提示すれば、生まれ変わりのある可能性を納得されるのでしょうか?と。</p><p>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ <br /><br /><span style="font-size: large;"><b>3【問題の書評についての反論である書評】</b></span><br /> </p><p>スピリチュアルとは一線を画す科学的な特殊事例の検討<br /><br /> まず最初に、この著書に対して批判して悪くコメントをしている人は、全く著書を読んでおらず、内容の「科学的な事実」を無視し、揚げ足をとった挙句、更に捏造して大ウソの書評をして評価を下げようとしてるだけなので信じる必要はありません。<br /><br />それは実際に私自身が購入してみて感じました。<br /><br />この著書は、確実に安易なスピリチュアルな本とは一線を画します。<br /><br />この著書は、世界でも過去4例ほどしかない極めて貴重な「応答型真性異言(おうとうがたしんせいいげん)」の事例に対する科学的な事例検討です。<br /><br />研究メンバーは、<br />・メンタルヘルス研究室稲垣勝巳<br />元公立小中学校教頭・臨床催眠研究者/学校心理士・日本教育催眠学会理事<br />・中部大学 国際関係学部教授 大門正幸<br />・中部大学 国際関係学部准教授 岡本聡<br />・さかえクリニック院長 末武信宏医学博士<br />・日本法医学鑑定センターの荒砂正名氏(あらすな・まさな) 前大阪府警科学捜査研究所長で、36年間に8000人を超える鑑定経験を持つ日本有数のポリグラフ検査に精通した専門家<br />です。<br />更に、これは日本で故・河合隼雄氏に並ぶ、成瀬悟策医博の系列で大学・医師チームで研究が行われ、正統にアカデミックに論文発表されました。<br /><br />「応答型真性異言」とは学んだことのない外国語を操ることができる超自然的な言語知識、およびその現象のことです。<br /><br />著書内では、応答型真性異言が退行催眠中に表出し、その世界初の映像と音声収録に成功した経緯と、最新の応答型真性異言の事例であるネパール人のラタラジューを中心に検証と考察、及び逐語録まで詳細に解説してあります。<br /><br />2010年8月5日、映像はフジテレビのアンビリバボーでゴールデンタイムに公開されました。<br /><br />この著書が優れているのは、被験者に対して「虚偽記憶かどうか」の出来る限りの科学的検証も行われていることです。<br />これは前世療法で著名なエール大学医学部のブライアン・ワイス医学博士・精神科医でも検証し得なかったことです。<br /><br />虚偽記憶とは、過去にどこかその情報を得たりしていないかということです。<br />よく前世療法(前世イメージ療法とも)の中で、退行催眠で見えるものは虚偽記憶(記憶の再合成)の可能性があると言われています。<br />リモートビューイング(超ESP)仮説でも、退行催眠中に見える虚偽記憶(本物ではない記憶)の説明はできます。退行催眠中に、透視能力を発揮してその情報を持ってきたとも言われます。<br /><br />しかし、今回発見させたのは【会話】。つまり【技能】です。<br />退行催眠中に【技能】という「虚偽記憶では証明不可能な反例」が出たという事例です。<br /><br />「記憶」は過去の経験(テレビや雑誌など)で合成され、虚偽記憶となる可能性を秘めているとしても、【言語(しかも会話)】は、発達上の反復による学習により習得できる”技能”のため、記憶や透視では証明できません。<br />よって虚偽記憶も超ESP仮説も反証できるのです。<br /><br />(例えば、ネパール語を学んでいない人に、道端でいきなりネパール語でしゃべってくださいと言われても無理ですし、やったとしても偶然にも当たりませんし、習ってない人にバイオリンを弾いてくださいも無理です。)<br /><br />更にその会話は「偶然、ネパール語に聞こえた。」という類のモノではなく、しっかりと応答型に会話し、言語学者・大門教授の分析により<br />【ネパール語で70パーセントも会話が成立していることが立証されています】。<br /><br />それだけでなく<br />【一人称や三人称の変化、助動詞や尊敬語や、独自の数字まで正しい発音で会話をしていました】。<br /><br />情報を得ていなかったこと、ネパールと接触がなかったこと等は、被験者の同意の上、過去の経歴の中で関わった人物、在住した市町村の戸籍、旅行先、テレビやインターネットやラジオの放送履歴などに到るまで徹底的に調べ上げ、更にポリグラフ検査まで行って、確実に「接触がなかった」と科学的に検証されました。<br /><br />基本的に科学では「全称命題」に対して、一つでも反証できるものがあれば、それは「特称命題」と呼ばれています。<br />例えば、世界中にいるほぼ全てのカラスを観察して「カラスはみんな黒」と全称命題を立てても、1匹でも茶色や白のカラスがいれば「特称命題」ということで、その命題は覆(くつがえ)るわけです。<br />科学実験が「不完全帰納法」であることは、日本人だけ知らないだけで、世界の常識です。<br />(数学のように誰がどこでやっても絶対答えが一つ出るのは完全帰納法[数学的帰納法]。これが神学や論理学や哲学に繋がります。対して、物理学や化学や生物学や心理学や医学などの自然科学や社会科学は、統計的で反例があれば覆るので不完全帰納法と言います。)<br /><br />真性異言という「特称命題」の事例は、その特称の名のとおり、通常の全称命題(実験的再現性が高いもの)を覆すものなので、イアン・スティーブンソンなどの極少数の先行研究の事例を元に仮説を検証しなければなりません。<br /><br />よって、そのイアンの「死後存続(生まれ変わり)」仮説をそのまま採用すれば、率直に特殊命題として「生まれ変わりが証明された」と言えるわけです。言葉の通りだと思います。現時点ではそうとしか表現のしようがありません。<br /><br />その科学性は、先行研究の仮説の検討と、しっかりとした引用文献から見い出される論理的整合性に明確に依拠しています。<br /><br />もし、この事実に反論しようとするならば、<br /><br />1、ネパール語を学んでいないことの確実な検証済みの被験者に、ネパール語で会話実験して、被験者の里沙さん(ラタラジュー)レベルの会話が成立するか実験する。そこで会話が成立することの立証。<br />これで初めて、里沙さんはネパール語を学んでいないけれども話すことができた、という反論を認められます。<br />(ネパール語で会話ができるとする検証基準は、ネパール語の20〜30の単語と、ネパール語の文法に則った主述の明確な会話がわずかでもできるということです。)<br /><br />2、里沙さんがネパールを学んでいない科学的検証方法として、生育歴の詳細な聞き込み調査、ポリグラフ検査による調査、本人およびご主人の証言書署名のほかに、科学的検証方法があるのであれば、その方法論の説明。<br /><br />3、生まれ変わり研究の第一人者であるイアン・スティーヴンソンの研究方法を忠実に追試するという方法論を採用されているので、「ラタラジューの事例」を生まれ変わりの科学的証明ではないと否定するのなら、スティーヴンソンの3つの事例も全否定することになるので、その科学的反証をきちんとすること。<br /><br />4、生まれ変わりが絶対にないと強弁するのなら、生まれ変わりが絶対ありえないという科学的証明をきちんとすること。<br />そもそも、まだ脳が意識を生み出している科学的証明はまだできていない。<br />意識を生み出す脳細胞を発見できると脳科学者が必死で探していますが見つかっていません。脳がすべて、脳が消滅すればすべて無に帰するというのは、科学的裏付けのない単なる信念、思い込みに過ぎません。もし、意識を生み出す脳細胞が発見されたなら,私は生まれ変わりがあるという事実の誤りを認められます。脳細胞の消滅と同時に意識(生前の記憶)も消滅するわけで、生前の意識(記憶)が来世に保持され持ち越されるはずがないということになるからです。<br /><br />とにかく1の実験をして検証をし、ネパール語を学習していなくても、里沙さん程度にネパール語会話ができたという立証(反証)がないところでは反論は根拠を欠いた単なる感情的駄弁です。<br />否定論者は、これらのことが「できる」と断定的に言ってるので、「じゃあお前がネパール語しゃべってみろ」「全くネパール語のできない人が、ネパール人に話しかけられて20〜30のネパール語単語を用い、ネパール語文法に則った会話が少しでもできそうでしょうか?」「しかも、タマン語訛りのあるネパール語発音ができると思いますか?」と返したくなります。<br /><br />更に、<br />『「脳が心を作り出す」や「心が脳を作り出す」の立場は科学的に解決されたんですか?』<br />『ニュートラルネットの出力者の不在問題は解決されたんですか?』<br />という今だに解決されていない疑問に対する解決もされなくてはなりません。<br /><br />既存科学(唯物論者)傾向な人は、このような特称事例を見受けると、受け入れがたい科学的な事実を目の当たりにして拒否反応を示す【心理的抵抗】が起こってしまい、自分の傲慢な感情を科学の唯物論だけで担保して押し通すような神経症的傾向が出てしまうかも知れません。<br /><br />そもそも「スピリチュアル vs 科学」という神経症的な二分法思考で、「既存の科学=正義」で「未解明科学、それ以外は悪。」であるという認識自体、間違っていると思います。<br /><br />例えば、新しい病原菌が見つかった場合、それを「過去の既存の科学の事例にないから悪。そんなものは存在しない。」と言うのは、それこそ現実の事実を無視して思考停止した”非科学的な態度”です。<br /><br />客観的に観察される事象に対して、先行研究を駆使して、より合理的に、かつ善悪などの主観を除いた「事実」に近づくように探求するのが本来の「科学」です。<br /><br />「科学が正義で、それ以外は悪なので抹消すべきだ」という考えは、<br />中国共産党の”科学崇拝”によって、霊能者や占い師や風水師や、果てには少林寺拳法などの武道精神にいたるまで、「目に見えない世界を信じる人」を1億人近く(歴史上最多の)大虐殺した文化大革命・天安門事件や、今も続くチベット仏教徒やウイグルイスラム教徒への迫害。ソ連の大粛清で歴史上最多の大虐殺。<br />日本でも、過激派左翼の共産主義(唯物論)→学生運動→集団リンチ・よど号強奪や浅間山荘事件(革マル派・日本赤軍)→その後、彼らが拠り所を求めて作ったオウム真理教…<br />このすでに危ないと言われ、30年前には崩壊して終わった流れと同じです。<br />(今は、この時代を生きた人が教育者などになっているので、俗に言う理科系にいけばいくほど、リベラルで唯物論的になるのは嘆かわしいことですが…)<br /><br />「本来の純粋な科学的な視点」で、寛容に懐疑的で中立的な観点を持てる人には、この著書は適していると思います。<br /><br />私は、この特殊事例が突破口となり、今後「死後存続仮説を支持する事例がある」「未習得言語を話す事例がある」という反証から、新たな科学の発展にも貢献すると感じます。<br /><br />近い未来、これを元に「未習得言語を話すようになれる技術」などが開発されていく契機にもなるはずです。<br />ノーム・チョムスキーの言語生得説の生成文法(とりわけ中心の普遍文法)の認知言語学・情報(数学)理論、同じくこの系譜の脳科学(人工知能)の最新研究である心の内部関数(機能:ファンクショナル)として必ず注目されます。<br /><br />仮に、応答型真性異言に反証するような何かが分かったとしても、「ニューラルネットの出力者不在の問題」を脳科学は解決しなければ、「脳」と「心」の関係の根本問題は解決されないのです。<br />(でも今でさえ「心が脳(モノ=認識の世界)を作り出す」という後者が有力です。これ以降は量子力学の世界で研究されていくと思います。)<br /><br />そして、この応答型真性異言という事例の特殊命題は、今世紀以降、未来永劫、残り続けると思います。<br /><br />・・・・・・・・・・・・・・・・・・・書評終わり<br /><br />さて、拙著に対する否定的書評と肯定的書評を並べて紹介しました。 <br /><br />紹介させていただいたお二人の書評投稿者の学識の差は歴然としている、とわたしにはおもわれますが、本ブログの読者のみなさんはどう感じられておられるでしょうか。 <br /><br />いずれにせよ、拙著に興味を抱いてお買い求めいただき、労力をかけて書評を投稿してくださったお二人には、この場を借りてあつくお礼申し上げます。<br /><br />ありがとうございました。 <br /><br /> <br /></p>稲垣 勝巳http://www.blogger.com/profile/16232260953490209907noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7548750843777970344.post-2193679581272999902022-03-18T10:03:00.011+09:002022-03-20T09:31:50.648+09:00SAM前世療法で起きた身体の超常現象<h1 style="text-align: left;"><span style="font-size: x-large;">SAM催眠学序説 その148</span></h1><p><br />ここに紹介するのは、わたしの主宰しているSAM催眠塾の塾生である宝田昌子さん(スーパーバイザーSAM前世療法士)の質問メールです。 SAM前世療法のセッションにおいては、ときに免れることのできない憑依などの霊的現象があらわれることがあります。 このことについて現時点のわたしの見解を述べたいと思います。<br /><br />なお、宝田昌子さんには了解をいただいて、送付されたメールをコピペ・引用しました。 下記の点線枠内が彼女の質問メールです。<br /><br />・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br /><br />いつもSAM催眠塾にて学ばせていただきありがとうございます。<br />突然のメールに驚かれたと思います。<br />実は、稲垣先生にご相談したい事例がありメールを送りました。<br />それは、マヒしている右手が何故かセッション中に滑らかに動き出した下記「Mさんの事例」です。<br /><br />クライアントMさん(56歳男性)<br /><br /><b>【主訴】</b> <br />過去の記憶に悩まされることをどうにかしたい。<br />10日間前から気持ちが落ち着かず眠れない。食欲がない。<br /><br /><b>【体の状態】</b><br />首の付け根から右手の指先までマヒしている。<br />フォークを持ってご飯を食べられる程度にはなんとか指を動かせるが、きわめてぎこちない。<br /><br /><b>【セッション中の状態】</b><br />右手が、Mさんのお腹の辺りでピアノを弾くように「滑らかに動く」という現象が起きた。<br />右手首が、グッと90度に曲がって呼びかけに反応をした。<br /><br />私が、Mさんの事例で驚いたのは、体の状態がセッション中、変化したように観察できたことです。<br />それは、ぎこちない動きをする「Mさんの右手の指が、セッション中には滑らかに動き、手首がグッと90度に曲がり、問いかけに返事をしたのです。<br /><br />先生、こんな不思議な現象は起こるのでしょうか?<br />稲垣先生のご意見をお聞きしたいと思い、ぶしつけながらメールを出した所存です。<br />詳しい内容は、以下の通りです。<br /><br /><b>Mさんの体の症状について</b><br /><br />Mさんは、二年前「エリテマトーデスリウマチ」と医師から診断されました。<br />Mさんは、「出来れば首の手術をして治るものなら治したい。」と話されていました。<br /><br />《全身性エリテマトーデスとは》<br /><br />全身性エリテマトーデス(systemic lupus erythematosus: SLE)とは<br />全身のさまざまな臓器に炎症や障害を起こす自己免疫疾患です。<br />特に関節、皮膚、腎臓、神経などを中心に症状が現れます。<br />(日本リウマチ学会より抜粋 https://www.ryumachi-jp.com/general/casebook/sle/)<br /><br /> 脳 や神経の病変<br />この部分の病変については、治療手段を決定するのが困難な場合が多々あります。その理由は、以下の項目にあげる症状が、本当にSLE自体によるものか、それとも、併発する他の病気や、薬の副作用によるものなのかを区別しにくい場合が多いためです。<br /><br />カテゴリーA<br />上行性脊髄炎・横断性脊髄炎(脊髄の傷害)<br />脊髄は、脳と体のほかの部分の神経をつなぐ大事な組織です。<br />ここに炎症が起きて、傷害を受けると、手足が動かなくなり、感覚もおかしくなるなど、重大な障害をひきおこします。<br /><br />(独立行政法人 国立病院機構 宇多野病院 関西脳神経筋センター リウマチ・関節センター【リウマチ・膠原病内科部門】より抜粋https://utano.hosp.go.jp/html/patient/department/department_04/department_04_01/department_04_01_12.html)<br /><br /><br /><b>Mさんのセッション内容 </b> <br /><br />催眠感受性は良好。<br />未浄化霊・ご先祖・動物霊を浄霊。<br /><br /><b>《手の反応》</b><br />指(左手)の反応からはじまり、腕全体がゆっくりと動き出す。<br />左手は、何かを求めて動いている様子。<br /><br /><b>《セッション中の右手の状態》</b><br />私は、「左手」の動きが奇妙に感じ、怨霊が憑依しているのではないか、と考えました。そこで、<br />「怨霊が動かしていますか?」<br />と聞くと、左手は反応しました。私は、怨霊を浄霊しました。<br />怨霊を数体浄霊すると、左手(腕)が全く反応しなくなりました。しばらくすると、クライアントの体越しに何かが動くのが見えます。私は「何が動いたのだろう?」と見ました。<br /><br />そこには、Mさんの「右腕」がぐっとお腹のあたりまで持ち上がり、ピアノを弾くように指が波打っていました。<br /><br />私は、<br />「怨霊が動かしているのですか?」<br />と聞いてみました。すると、「指」はとても滑らかにピアノを弾くように動きながら、「手首」をグッと曲げる方法を使って反応しました。<br />私は右手が反応したことに驚き一瞬混乱しました。しかし、今はMさんに憑依している怨霊への対処が先決と判断しました。そこで心を落ち着かせ、浄霊することに集中しました。<br />それから、セッションが終わるまで右手が応答し動き続けました。<br /><br /><br /><b>《セッション後》</b><br />Mさんは、「体がスッキリした」と言ってから、二週間の前仕事をした現場について話してくださいました。<br />Mさんは、コンクリートを打つ職人さんでした。<br />現場は、その昔江戸時代まで「罪人の処刑場」でした。現在は民家は無く、倉庫が立ち並んでいる場所なのだそうです。<br />Mさんは、ちょっと遠くを見て<br />「そこから憑いてきたがいね~。」<br />と一言いわれました。<br /><br />Mさんは、10日前から体調不良を起こしています。<br />セッション中、憑依していた怨霊は仕事場から憑いてきたと答えました。<br />しかも、二週間前Mさんが仕事をした場所は昔「罪人の処刑場」です。<br />怨霊の仕業で今回の体調不良を起こした可能性があります。<br /><br />セッションから三か月後、クライアントの奥様に現状を確認しました。<br />セッション後、「体調も良くなった」と喜んでおられました。<br /><br /><br />以上が、セッション内容です。<br /><br /><b>「怨霊」について</b><br /><br />「怨霊」も未浄化霊の中に分類されますが、クライアントに説明しやすいように、私は浄霊を望む霊を「未浄化霊」、恨みや辛さを抱え、それを被憑依者に体調不良などを起こして訴えている霊を「怨霊」とわけています。私が「怨霊なのではないか」と考えた理由は五つあります。<br />********************************** 怨霊(おんりょう)とは、自分が受けた仕打ちに恨みを持ち、たたりをしたりする、死霊または生霊のことである。悪霊に分類される。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より<br />***********************************<br /><br /><b>《「怨霊」と判断した五つの理由》<br /></b><br /><b>1</b> 腕が、「蛇」のような奇妙な動きをする。 <b> </b></p><p><b>2</b> 腕の奇妙な動きは、「未浄化霊・先祖」の浄霊後に起こったため、強い恨みを持つ「怨霊」なのかもしれないと考えた。<br /></p><p><b>3</b> Mさんの奥様より「主人は体質上、色んな低級霊に憑かれます。幾度となく神社で除霊してもらっているのですが、今回はそういう類いのものとは少し違うようです。」「食欲も落ち睡眠がとれず、夫婦で睡眠不足で参ってます(^-^;」という内容のメールが届いていた。<br /></p><p><b>4「</b>この手に憑依しているのは、怨霊ですか?」「現場(クライアントが仕事をした土地)から憑いてきたの?」という問いに手が反応した。<br /></p><p><b>5</b> 数体浄霊したが、どの怨霊も未浄化霊よりも強烈な痛みと重さを感じる。特に「頭・腰・首」が酷い状態だった。そして、底冷えする霊気に包まれた。(私の体感です)<br /><br />以上の五つから私は、左手を動かしているのは「怨霊」ではないかと判断しました。<br /><br /><b>私の体感について</b><br /><br />私は、幼少期から「霊感」があり「憑依体質」です。薄っすらと霊の存在を確認する事が出来ますが基本的には、「体」で感じる体質です。<br />たとえば<br />・「生霊」を飛ばしている相手がわかる。<br />・セッション中、前世人格や未浄化霊の体の痛みを感じる。<br />・セッション中、霊的な存在と直感でコミュニケーションが取れる。<br />・霊気を体でダイレクトに感じる。<br />など<br /><br />個人的な感覚ですので、証拠にはなりませんし思い込みかもしれませんが、私が判断した理由の一つなので書かせていただきました。<br /><br /><b>「体感」「体の痛み」について</b><br /><br />SAM前世療法セッション中に「顕現化した前世人格」や「未浄化霊」たちの痛い場所と同じ所が痛くなります。例えば、頭痛持ちの前世人格なら、私の頭も痛くなります。首を刺された前世人格だと、首が切れたように痛くなります。<br />生霊が、首を絞める、刺している行為を感じる。<br /></p><p></p><p><span style="font-size: x-small;"><b> <span style="font-size: small;">【筆者注】</span></b><span style="font-size: small;">:宝田さんのような体質は<b>エンパス</b>と呼ばれています。<span class="ILfuVd"><span class="hgKElc">「<b>エンパス</b>(empath)」とは、「エンパシー(empathy)=共感、感情移入の力」とも呼ばれる、「共感力、共感力の高い人」という意味の言葉です。 人並みはずれて共感力が高く、生まれながらにして人の感情やエネルギーに敏感な気質の人をそう呼びます。 <b>エンパス</b>には、しばしば近くにいる人と同じ現象がその身に起こると説明されています。宝田さんはエンパス体質に加えて憑依体質のようであり、霊的能力があるように思われます。</span></span></span></span></p><p><b> </b></p><p><b>「直感」について</b><br /><br />セッション中、顕現化している前世人格の伝えたいこと(職業や、生きてきた過程、風景)を私の脳裏に直接見せる現象、私の口が勝手に呟く現象が起こります。<br />私の勝手な妄想では困るので、「本当にそうなのか」顕現化している前世人格に毎回確認を取り話を進めています。<br /><br /><b>「靈氣」について</b><br /><br />セッション中、顕現化させた前世人格に「未浄化霊や怨霊」が憑いていると、周りが底冷えします。ですので、前世人格が訴えなくても「未浄化霊」たちの存在がわかります。<br /><br />以上が「Mさんの事例」のすべてです。<br /><br />稲垣先生のご意見をお聞きしたくメールを送りました。<br />ただ、私のいわゆる「霊感」の部分はなかなか理解してもらえないとわかっていますし、信用してほしいとも言いません。参考程度に見ていただけたらと考えております。<br /><br />よろしくお願いいたします。<br /><br />・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・メール引用終わり<br /><br /> この宝田昌子さんの質問メールで、思い出したのは、2004年2月に明治学院大学で開かれた第29回日本教育催眠学会の講演で、催眠学者である故成瀬悟策(医学博士)先生の述べられた次のような見解です。<br /><br /><b>「脳の病変によって動かないとされていた脳性麻痺の動作訓練を催眠暗示でやってみると、動かないとされていた腕が動くようになりました。しかし、脳の病変はそのままです。こうしたことから身体を動かすのは脳ではなく、オレであることに、この歳になってやっと気づきました。私のこの考え方を正当医学は賛成しないでしょうが、21世紀の終わりには、私の言っていることが明らかになるでしょう。・・・脳は心の家来です」 (</b>拙著『前世療法の探究』P.244)<br /><br />成瀬悟策先生の2004年講演当時の「この歳」とは、75歳くらいだったと記憶しています。</p><p>50年間にわたって5000名を越える催眠臨床実験を経て、ついに 「脳と心の二元論」にたどり着かれたことの言明であり、予言だとわたしはとらえています。</p><p>この成瀬先生の「脳性麻痺の事例」は、そのまま宝田さんの「Mさんの事例」にも共通することだと言えるでしょう。 </p><p>したがって、「エリテマトーデスリウマチ」の病変によって、わずかしか動かなかったクライアントMさんの腕や指が催眠中に滑らかに動いた超常現象について「こんな不思議な現象は起こるのでしょうか?」という宝田さんの質問に対するわたしの回答は、「催眠中であればまれに起こりうる現象です」ということになります。<br /><br /> もう一つ「Mさんの事例」で考えねばならないことは、憑依霊とその憑依によって生じる影響の問題でしょう。<br /><br />このことについて、『 SAM催眠学仮説 その124』の「SAM前世療法の重要仮説用語集」記事の中、「霊体仮説」の項でわたしは下記点線枠内のように述べておきました。<br /></p><p>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br /> <span style="font-size: large;"><b>霊体仮説</b></span><br /><br /> わたしあて第14霊信(2007年1月25日22:47受信)で次のように告げている。<br />「霊体は、ある意味においてあなた方があなたという人間であるための意識を独立して持つための役割を担うものでもある。それなくしては、あなた方は個人的意識を持つことはできない」<br /><br />つまり、霊体(オーラ)には個人的意識が宿っているのである。<br />「意識」が量子レベルのものであるとすれば、そして、それが脳内に限定して宿るものではないとすれば、「意識が霊体に宿る」という仮説は、非科学的妄想だと一蹴できないであろう。<br />なにしろ現代科学でも、意識が生み出されるメカニズムも、意識の本体が何であるのかも、今だに一切不明なのである。</p><p>「脳が意識を生み出す」という言説は、脳科学研究上の作業仮説にすぎない。そうした前提がないと研究に取り掛かれないのである。<br />わたしは、脳と意識の密接な「相関関係」を認めているが、それが即「因果関係」だと断定できない。臨床催眠の体験からも、意識が脳の生み出す付随現象だとは考えられない。<br /><br />そして、未浄化霊や生き霊の憑依する場は、霊体であることが、SAM前世療法セッションの累積から分かってきた。</p><p>未浄化霊、生き霊は残留思念の集合体であり、それらマイナスの残留思念が、被憑依者自身の霊体に入り込めば(混在すれば) 、霊体に宿っている被憑依者の思念(意識)に、当然なんらかのマイナスの影響を与えることになる。</p><p>気分の晴れない鬱状態などが引き起こされることが多いが、嫉妬や恨みの強力な思念を抱いている生き霊や未浄化霊の憑依は、場合によっては自殺念慮や肉体の部分的な痛み、あるいは一時的な人格変換様の心理現象を起こすことがセッションの累積から分かってきた。<br /></p><p>また、霊体と肉体の間には、相互影響関係、相互干渉関係があると考えられるので、霊体に宿る思念(意識)が、憑依によってマイナスの影響を受けると、当然肉体にもそれが及び、体調不良や局部の痛みなどが引き起こされることも出てくる。<br /><br />「未浄化霊はいつも理解を求めている」とわたしあて第9霊信は告げている。 </p><p>したがって、未浄化霊は、理解を求めて理解を得られそうな者に憑依することになる。<br />セッション中に顕現化した未浄化霊に尋ねてみると、彼らは被憑依者の霊体(オーラ)に宿っている意識内容を感知して憑依をするかどうかを判断するらしい。 </p><p>こうして霊体(オーラ)に宿る意識を感知し、その者が未浄化霊を理解し、受容的な考え方の持ち主であるかどうかを判断し、憑依するかどうかを決めることになるらしい。<br /></p><p>したがって、常に自殺念慮などを抱いている者には、それを感知した自殺者などの未浄化霊が、共感と理解が得られると判断し、当然引き寄せられてくることになる。<br /></p><p>顕現化した憑依霊に憑依した場所の確認すると、病死者が多い病院、自殺者が多い場所、交通事故死者の多い場所、過去に刑場であった場所などが挙げられる 。 </p><p>口頭で話せる憑依霊に、生前の身元や死に方を尋ね、真偽の検証をしてみたが、事実関係の完全な一致に至った検証事例はいまだない。 ただし、あと一歩まで迫った検証事例が2事例ある。<br /></p><p>わたしは、強いオーラであれば、その色が見えるという能力者10人以上の人から同一のオーラの色を指摘されている。 </p><p>ただし、オーラを色としては感知できないが、肉体を包み込む輪郭のある透明体として感知する人もいる。<br />こうした体験から、わたしは、オーラ(霊体)の実在を認めている。<br /><br />ところでオーラの映像ではないか、と言われているキルリアン写真がある。<br /><br />キルリアン写真(キルリアンしゃしん、Kirlian photography)とは、対象物に高周波・高電圧を掛けて発生させたコロナ放電による発光現象を撮影した写真のこと。 撮影時には、周波数 3 kHz 前後・電圧 30 kV 以上が用いられる。 対象物から発散する水蒸気の電離・発光現象を撮影するため、撮影対象物は水分を帯びた物体であれば生体・非生体を問わない(握り締めることにより、僅かな汗を帯びたコインでも像を得られる)<br />【ウィキペディア記事より】<br /><br />この記事によれば、コインや腕時計のような非生体でも、キルリアン写真が可能であるので、映っている発光体は、物質としての水蒸気である。<br />したがって、おそらく、物質に還元できないであろう霊的なオーラの写真ではない、と推測できる。<br /></p><p>わたしにとって重要なことは、肉体の故障個所周辺のオーラの色が黒ずんで見える、という複数の報告である。</p><p>また、オーラの色が澄んできれいな場合には、肉体の健康状態が良好であると分かる、という報告である。</p><p>したがって、オーラの色を澄んできれいな状態にすれば、肉体も良好な状態にできるという報告である。</p><p>これら報告は検証の結果、事実だと認めてよいと思われた。<br />こうした事実から、霊体と肉体の間には、相互影響関係、相互干渉関係があると考えるに至った。<br />したがって、相互影響関係、相互干渉関係があるということは、霊体と肉体の双方に、何らかの共通する要素なり性質が存在していることを推測させる。<br />・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br /></p><p>さて、 以上のような「霊体仮説」に照らせば、宝田さんの浄霊によって、Mさんに憑依していた怨霊が取り除かれた結果、体調の改善が起きたという説明が可能だと思われます。<br /><br />また、『SAM催眠学序説』その115・118・126・135などをお読みくだされば霊的存在の憑依現象の具体事例が掲載してあります。<br /><br />こうした、SAM前世療法諸セッションにおいて観察された憑依現象と思われる事実の累積から、わたしが、憑依霊など霊的存在の憑依を認める立場をとる理由は、 <b> </b></p><p><b>霊的存在の憑依を認めることが、直感に著しく反していないからであり、<br />霊的存在の憑依と思われる現象が、唯物論的枠組みからは説明できないからであり、<br />霊的存在の憑依を認めることが、不合理な結論に帰着しないからです。</b><br /><br />一般に信じられている言説、つまり、心(意識)は脳の随伴現象であり、脳の死滅とともに心(意識)も消滅してしまえば、生前に経験されたことはすべて無に帰するので、前世の記憶をはじめ死後の霊の存在などは妄想であるという言説は、唯物論科学の立場から、その立場上構成されている「信念」・「主張」をそのまま表現しているものです。<br /></p><p>こうした唯物論の言説自体は、科学的に確定された手続きによって、検証・証明されたものではけっしてないのです。<br /><br />脳とは別個の実在である「オレ (という意識)」を認める「脳と心の二元論」に立てば、脳の死滅後も「オレ (という意識)」や、そうした意識体である「霊」の死後存続の可能性を全否定することはけっしてできないのです。<br /></p><p>故成瀬先生の「脳と心の二元論」の予言にならえば、唯物論に真っ向から対立するわたしの考え方は多くの人々には認めがたいでしょうが、21世紀の終わりには真偽が明らかになる、と思っています。 </p><p><br /></p>稲垣 勝巳http://www.blogger.com/profile/16232260953490209907noreply@blogger.com3tag:blogger.com,1999:blog-7548750843777970344.post-24475398118206158892022-02-09T09:15:00.001+09:002022-06-16T08:01:26.966+09:00ワイス式とSAMの意識現象の相違<p class="CDt4Ke zfr3Q" dir="ltr"><span style="font-size: large;"><span style="font-family: 'Lato';"><b><span style="font-size: x-large;">SAM催眠学序説 その147 </span><br /></b></span></span></p><p class="CDt4Ke zfr3Q" dir="ltr"><span style="font-size: large;"><span style="font-family: 'Lato';"><b>ワイス式とSAMを両方体験したヒプノセラピストの体験記</b></span></span></p><p class="CDt4Ke zfr3Q" dir="ltr"> 以下はF子さんと名乗る50代女性の体験記です。 彼女は、ワイス式前世療法を学んだ現役セラピストであり、SAM前世療法との相違を鮮やかに体験した貴重な体験記と言えます。 </p><p class="CDt4Ke zfr3Q" dir="ltr">前ページブログ『その146』と同様に注目すべき部分を注の番号を付けてゴチックで示し解説をしたいと思います。</p><p class="CDt4Ke zfr3Q" dir="ltr"></p><p class="CDt4Ke zfr3Q" dir="ltr">・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ <br /></p><p class="CDt4Ke zfr3Q" dir="ltr">こんばんは。9月末にSAM前世療法を受けさせていただきましたF子です。その節は、大変お世話になりました。ありがとうございました。</p><p class="CDt4Ke zfr3Q" dir="ltr">今まで、ワイス式の前世療法を学んできた私としましては、催眠誘導のアプローチの違いに多少の戸惑いはありましたが、もともと被暗示性の高い私は、スムーズにSAM前世療法の誘導に導かれていくことができました。 </p><p class="CDt4Ke zfr3Q" dir="ltr">先生に、魂の側面である過去世のものを呼び出され、どこの国の人ですか?」と問われ、私の中に「イ」という国のイメージが浮かび、先生から「インド?・・イギリス?・・・・「インカ?」とさらに尋ねられ、まさに<b>「インカ」といわれた瞬間に、私自身が、手で顔を覆い、泣き呻き始めたことに驚きました。<span style="color: red;">(注1)</span></b>そして、左胸を掻き毟るような動作をして「苦しい・・・」と。 </p><p class="CDt4Ke zfr3Q" dir="ltr">そう彼女は、インカの時代に心臓をえぐられて、生贄になって死んだイルという名の20歳の女性だったのです。</p><p class="CDt4Ke zfr3Q" dir="ltr">10歳の頃に、太陽の力を受けてそれを人々に伝えるような能力を持ち、生贄になったことも「人々のために自分が死ななくてはならない」と受け止めていたイル。 でも、その死は、やはり辛く、悲しい出来事だったに違いありません。 そんなイルの気持ちが、私の中に次から次へと込み上げてきました。 </p><p class="CDt4Ke zfr3Q" dir="ltr">先生に癒していただき、気持ちが次第に落ち着いていくことも感じることができました。 </p><p class="CDt4Ke zfr3Q" dir="ltr">なぜか、<b>ワイス式の前世療法と異なり、視覚的なイメージが浮かばないのに、感覚で全てがわかるのでした</b>。<span style="color: red;"><b>(注2) </b></span></p><p class="CDt4Ke zfr3Q" dir="ltr">そして、イルの過去世の後、先生に現世へ誘導されたにもかかわらず、また違う過去世へといってしまいました。それが、イルとは違い笑えました。 </p><p class="CDt4Ke zfr3Q" dir="ltr">まず、<b>男のような声で唸る自分に驚き、続いて鼻を鳴らしたり、また唸ったり、発する声が完全に男になっていたことに本当に驚きました</b>。<span style="color: red;"><b>(注3) </b></span> </p><p class="CDt4Ke zfr3Q" dir="ltr">彼は、ドイツの木こりでした。 結局のところ彼はどうしてこの場に出てきたのかわからず、「なんでかな~」と唸りながら、首を傾げていました。 そして、先生から「また今後ゆっくりお話を聞きましょう」といわれその後、私は現世に戻って来ました。 </p><p class="CDt4Ke zfr3Q" dir="ltr">今回の先生とのセッションは、私にとってとても印象深く、ちょっとした衝撃でした。今まで<b>ワイス式では、どちらかと言うと「自分で作ってしまっているのではないか」という感覚がありました。</b><b><span style="color: red;"><b>(注4) </b></span> </b></p><p class="CDt4Ke zfr3Q" dir="ltr">しかし、SAMでは、<b>誘導から一っ飛びに、その人物になってしまったり、明らかに男の声、しゃべり方になっていることを実感できた</b>からです。 </p><p class="CDt4Ke zfr3Q" dir="ltr">となると、魂の表層のものたちが存在すると私は確信せざるをえません。 </p><p class="CDt4Ke zfr3Q" dir="ltr">また、セッションの機会がありましたら、是非ほかの表層のものたちとの出会いもしてみたいと思いました。 </p><p class="CDt4Ke zfr3Q" dir="ltr">メールで先生が尋ねられておりました「前世想起中の意識状態」ですが、<b>過去世の人物でありながら、過去世を語っている自分をしっかりモニターしている現世の自分がありました</b>。<span style="color: red;"><b>(注5) </b></span></p><p class="CDt4Ke zfr3Q" dir="ltr"></p><p class="CDt4Ke zfr3Q" dir="ltr">そして、周りの物音や、話声もはっきり聞こえました。 </p><p class="CDt4Ke zfr3Q" dir="ltr">それにもかかわらず、過去世のその人物はその人物自身を語っていました。 </p><p class="CDt4Ke zfr3Q" dir="ltr">前のメールで、私は、ワイス式では、視覚での映像を見ることができ、SAMでは全く視覚的なイメージがないのに感覚でわかったといっておりましたが、ワイス式でも、視覚的なイメージではなく感覚的なイメージが出るタイプの方もおりました。 </p><p class="CDt4Ke zfr3Q" dir="ltr">私たちが習ったところの先生によりますと、10人の被験者がいて、まず3人が視覚的な人で催眠に一番入りやすい、続いての3人が感覚的な人で次に催眠に入りやすい、そして次の3人が聴覚的な人で催眠に入り、最後の一人は、全く入れないということでした。 </p><p class="CDt4Ke zfr3Q" dir="ltr">私は、今回の経験から、ワイス式のように物語風に催眠へ誘導していく上では、視覚や感覚的なイメージの出方が問題になるかもしれないと思いますが、 </p><p class="CDt4Ke zfr3Q" dir="ltr">SAMのように、<b>「ふっ!」と過去世へ入ってしまうと即、その人物になりきっている。</b><span style="color: red;"><b>(注6) </b></span>見えようが、見えまいが、その人自身であることに、イメージの描きようがない感じを受けました。 </p><p class="CDt4Ke zfr3Q" dir="ltr">そのあたりが、大きな違いのように思えます。 </p><p class="CDt4Ke zfr3Q" dir="ltr"> </p><p>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ </p><p><span style="font-size: large;"><span><b>【解説】</b></span></span></p><p><span style="font-size: small;"><b>1</b><b><span style="color: red;">(注1)</span></b><span><span><b><span><span><b>:</b></span></span></b><span><span>SAM前世療法の作業仮説では、セッション中の意識は、前世の記憶の想起ではなく、前世人格の顕現化です。したがって、「</span></span></span></span><b>手で顔を覆い、泣き呻き始めた</b>」<span><span>、「</span></span><span><span><b>左胸を掻き毟る</b>」ような動作をしている主体は、クライアント自身ではなく、クライアントの肉体を借りて顕現化している前世人格です。 </span></span><span><span>こうした感覚の状態は、SAM前世療法に共通してあらわれる現象です。前世人格の語りと、それをモニターしている意識が併存している意識現象は、SAM前世療法独自の意識現象で、前世記憶を想起して語る一般の前世療法にはみられない意識現象です。 </span></span></span></p><p><b> </b></p><p><b>2</b><span style="color: red;"><b>(注2)<span style="color: black;">:</span></b><span style="color: black;">顕現化した</span></span>前世人格の<b>視覚的なイメージが浮かばないのに、感覚で全てがわかる</b>という意識現象も、SAM前世療法に独特な現象で、おおくの被験者に共通して報告されます。 SAM前世療法の仮説では、「魂表層の前世人格と現世人格は、友愛を結び、互いに知恵を与え合っている」、つまり、現世の人格とつながっていますから、前世人格の感覚がそのまま伝わってくるということです。</p><p><b> </b></p><p><b>3</b><span style="color: red;"><b>(注3)<span style="color: black;">:</span></b></span>「<b>男のような声で唸る自分に驚き、続いて鼻を鳴らしたり、また唸ったり、発する声が完全に男になっていた</b>」という現象、つまり、顕現化した前世人格の声や素振りに変容するという現象も、SAM前世療法に共通した現象だといえます。 「<b>鼻を鳴らしたり、また唸ったり、発する声が完全に男になっていた</b>」現象は、前述<span style="font-size: small;"><b><span style="color: red;"> <span style="color: black;">(注1)</span></span></b><span style="color: red;"><span style="color: black;">と同様に、そのような現象を示している主体は、現世のクライアントではなく顕現化している前世人格だからです。 </span></span></span></p><p><span style="font-size: small;"><span style="color: red;"><span style="color: black;">このような現世人格が変容し、前世人格が顕現化している状態を如実に示している証拠映像が、you-tubeで公開している「タエの事例」と「ラタラジューの事例」です。 「タエの事例」時点で被験者里沙さんは48歳でしたが、タエが顕現化すると、17歳のタエの声音に変容していることが確認できます。演技ではないかと疑われて当然ですが、濁流に呑み込まれて溺死する場面で、里沙さんの腹部が苦痛で痙攣を起こしていることを確認しています。 このような痙攣は演技できません。</span></span></span></p><p><span style="font-size: small;"><span style="color: red;"><span style="color: black;">こうした現象をSAM前世療法の独自の術語として<b>「自己内憑依」</b>と呼びます。 「前世人格が生まれ変わりである現世の者の肉体を借りて自己表現する」現象です。 つまり、肉体のない前世人格が現世の者に憑依する現象です。</span></span></span></p><p><b><span> </span></b></p><p><b><span>4</span><span style="color: red;"><b>(注4)<span style="color: black;">:</span></b></span></b><span style="color: red;"><span style="color: black;"></span></span>「<b>ワイス式では、どちらかと言うと、自分で作ってしまっているのではないかという感覚がありました</b>」、こうした疑問を覚えて、わたしのSAM前世療法セッションを体験しにおいでなるクライアントは少なくありません。催眠学の明らかにしているところでは、催眠中には創造活動が活発化し、様々な願望が自発的にイメージ化するとされています。</p><p><b> </b></p><p><b>5</b><span style="color: red;"><b>(注5)<span style="color: black;">:</span></b></span><b>「過去世の人物でありながら、過去世を語っている自分をしっかりモニターしている現世の自分がありました</b>」という意識現象をSAM前世療法では、「三者的構図」と名付けています。 </p><p>こうした「顕現化した前世人格の意識」と、それを「モニターしている現世人格の意識」という、二つの意識が併存状態になることも、SAM前世療法独特の意識現象です。 </p><p>つまり、「セラピスト」対「顕現化した前世人格」の対話、それをモニターしている「現世の人格」という意識の三者関係が生じているという構図なのです。 一般の前世療法では、「セラピスト」対「クライアント」の対話という意識の「二者的構図」で終始セッションが進むわけです。</p><p><b> </b></p><p><b> 6</b><span style="color: red;"><b>(注6)<span style="color: black;">:「</span></b></span><b>ふっと、過去世へ入ってしまうと即、その人物になりきっている」</b>という表現は、「<b>ふっと現世の私のモニター意識が気がつくと、前世人格が私に憑依して私の身体を使って自己表現している</b>」とするべきだ、というのがSAM前世療法の仮説の立場からの主張です。</p><p><span style="font-size: x-large;"><span style="font-size: small;"><span style="font-size: large;"><span style="font-size: medium;"><span><span style="font-size: large;"><span style="font-size: medium;"><span><span><b><span><span><span style="color: blue;"><span style="color: black;"><span style="font-size: large;"><span style="font-size: medium;"> </span></span></span></span></span></span></b></span></span></span></span></span></span></span></span></span></p><p><span style="font-size: x-large;"><span style="font-size: small;"><span style="font-size: large;"><span style="font-size: medium;"><span><span style="font-size: large;"><span style="font-size: medium;"><span><span><b><span><span><span style="color: blue;"><span style="color: black;"><span style="font-size: large;"><span style="font-size: medium;">【参考】</span> <span style="font-size: medium;">『</span></span></span></span></span></span></b></span></span></span></span></span></span></span></span></span><span style="font-size: x-large;"><span style="font-size: small;"><span style="font-size: large;"><span style="font-size: medium;"><span><span style="font-size: large;"><span style="font-size: medium;"><span><span><b><span><span><span style="color: blue;"><span style="color: black;"><span style="font-size: large;"><span style="font-size: x-large;"><span style="font-size: small;"><span style="font-size: large;"><span style="font-size: medium;"><span><span style="font-size: large;"><span style="font-size: medium;"><span><span><b><span><span><span style="color: blue;"><span style="color: black;">SAM催眠学序説 その124</span></span></span></span></b></span></span></span></span></span></span></span></span></span></span></span></span></span></span></b></span></span></span></span></span></span></span></span></span><span style="font-size: medium;"><span><span><span><span><span><span><span><span><b><span><span><span style="color: blue;"><span style="color: black;">』より</span></span></span></span></b></span></span></span></span></span></span></span></span></span></p><p><span style="font-size: medium;"><b><span><span><span style="color: blue;"> 「自己内憑依」<span style="color: black;">仮説</span></span>と<span style="color: blue;">「前世人格の顕現化」<span style="color: black;">仮説</span></span></span></span></b></span>
</p><div style="text-align: left;">
<b> </b></div><div style="text-align: left;"><b>「<span style="color: blue;">自己内憑依</span>」</b>とはクライアントの魂表層を構成している前世人格が、現世の肉体を持つクライアントに憑依をし、自己表現する憑依現象を意味する。<br />
<br />
したがって、<b>クライアントが口頭で対話する場合、指で返答をして対話する場合、落涙する場合などの「主体」はクライアント自身の意志ではなく、前世人格の意志なのである</b>。<br />
<br />
こうして<b>肉体を持たない前世人格は、自己の存在をクライアントの肉体を借りて(憑依して)「顕現化」することが可能になる。</b><br />
<br />
その状況証拠として、前世人格が顕現化中のクライアントの催眠状態を「モニターしている顕在意識」は、<b>勝手に口が開いて喋っている</b>、<b>勝手に指が動いて返答している</b>、<b>勝手に涙が溢れて泣いている</b>、と認識していたと報告する。<br />
こうした、前世人格の顕現化中の変性意識状態で現れる現象を<b>「<span style="color: blue;">自動発話</span>」</b>、<b>「<span style="color: blue;">自動動作</span>」</b>と呼び、前世人格が「自己内憑依」を起こし、顕現化している指標の一つとしている。<br />
<br />
要するに、「<b>自己内憑依</b>」が起こった結果、<b>「前世人格の顕現化」</b>が可能になる。<br />
<br />
「前世記憶の想起」が前提のワイス式前世療法では、「自動発話」、「自動動作」という現象は起きない。<br />
なぜなら、セラピストの対話相手は終始クライアント自身であり、クライアントは前世記憶のイメージを自分自身の記憶として、想起し、語る。<br />
したがって、<b>語る主体は、終始クライアントであり、前世の人格そのものではないのである。</b><br />
<br />
一般に憑依とは、「当事者以外の第三者の霊が憑依すること」を意味している。<br />
したがって、<b>現世人格の内部(魂表層)に、意識体として存在している前世人格が、生まれ変わりである現世の肉体に憑依する、という意識現象はこれまで知られていない。</b><br />
<br />
SAM催眠学では、これまでの第三者の霊の憑依と明確に区別するために、独自・固有の概念を持つ用語としてあらたに<b>「自己内憑依」</b>と呼ぶことにした。</div><p>
<b><span style="color: blue;"></span></b></p><p><b><span style="color: blue;"><span style="font-size: large;"></span></span></b></p><p><b><span style="color: blue;"><span style="font-size: large;"> </span></span></b></p><p><b><span style="color: blue;"><span style="font-size: large;">「三者的構図」<span style="color: black;">仮説</span></span></span></b>
<br />
<br />
</p><div style="text-align: left;">
<span style="font-size: small;"><span><span>「<b><span style="color: blue;">三者的構図</span></b>」とはSAM前世療法セッションにおける、「セラピスト」、「クライアント」、「顕現化した前世人格」の三者関係を意味するSAM催眠学の用語である。</span></span></span></div><span style="font-size: small;">
</span><div style="text-align: left;">
</div><span style="font-size: small;">
</span><div style="text-align: left;">
<span style="font-size: small;"><br /></span>
<span style="font-size: small;"><span><span>「前世の記憶を想起する」という仮説によっておこなわれる一般の前世療法のセッションにおいては、「セラピスト」対「クライアント」の二者関係(二者的構図)によって終始展開される。</span></span></span></div><span style="font-size: small;">
</span><div style="text-align: left;">
<span style="font-size: small;"><span><span>SAM前世療法セッションでは、この「二者的構図」が、前世人格が顕現化した後半から、SAM前世療法の「前世人格を呼び出し直接対話する」という独自の仮説によって起こる、特異な「三者的構図」に移行されるのである。 </span></span></span></div><div style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><span><span> </span></span></span></div><div style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><span><span>セッションの前半では、セラピストのわたしはクライアントの催眠深度を深めるためにクライアントに対して、つまり、二者関係で、「魂状態の自覚」に至るまで徹底して催眠深化をおこなう。</span></span><span><span> 「魂状態の自覚」が確認でき、魂表層に存在する前世人格の顕現化に成功した時点で、わたしの意識は、それまでのクライアントを相手にすることから、顕現化した前世人格を相手に対話をすることへと変換する。</span></span></span></div><div style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><span><span> </span></span></span></div><div style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><span><span>この変換によって、<b>「わたし」対「前世人格」の対話、それを傾聴している「クライアントの意識」という三者的構図</b>に移行してセッションが展開する。この間、</span></span><b><span><span>「クライアントの意識」はひたすら傾聴するのみで、わたしと前世人格との対話に干渉することはできない。</span></span></b></span></div><p><span style="font-size: small;">
</span>前世人格は、クライアント肉体を借りて自己表現しているのであって(自己内憑依しているので)、対話している主体は前世人格であって、クライアントではないのである。<br />
<br />
こうした消息をありのままに報告し実証してくれた、「ラタラジューの事例」の被験者里沙さんの体験報告の抜粋を以下に掲載する<br />
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br />
なぜネパール人が日本語で話が出来たかというと、現世の私の意識が通訳の役をしていたからではないかと思います。<br />
でも、<b>全く私の意志や気持ちは出て来ず、現世の私は通訳の機器のような存在</b>でした。<br />
悲しいことに、ラタラジューの人殺しに対しても、<b>反論することもできず、考え方の違和感と憤りを現世の私が抱えたまま</b>、ラタダジューの言葉を伝えていました。<br /></p><p>カルパナさん(ネパール人対話者)がネパール語で話していることは、現世の私も理解していましたが、どんな内容の話か詳しくは分かりませんでした。<br />
ただ、ラタラジューの心は伝わって来ました。<br />
ネパール人と話ができてうれしいという感情や、おそらく質問内容の場面だと思える景色が浮かんできました。現世の<b>私の意識は、ラタラジューに対して私の体を使ってあなたの言いたいことを何でも伝えなさいと呼びかけていました。</b><br />
そして、ネパール語でラタラジューが答えている感覚はありましたが、何を答えていたかははっきり覚えていません。ただこのときも、答えの場面、たとえば、ラタラジューの戦争で人を殺している感覚や痛みを感じていました。
<br /></p><p>セッション中、ラタラジューの五感を通して周りの景色を見、におい、痛さを感じました。<br />
セッション中の前世の意識や経験が、あたかも現世の私が実体験しているかのように思わせるということを理解しておりますので、ラタラジューの五感を通してというのは私の誤解であることも分かっていますが、<b>それほどまでにラタラジューと一体化、同一性のある感じがありました。</b><br /></p><p>ただし、過去世と現世の私は、ものの考え方、生き方が全く別の時代、人生を歩んでいますので、人格が違っていることも自覚していました。 <br />
ラタラジューが呼び出されたことにより、<b>前世のラタラジューがネパール語を話し、その時代に生きたラタラジュー自身の体験を、体を貸している私が代理で伝えたというだけで、現世の私の感情は、はさむ余地もありませんでした。</b><br />
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<br />
前世記憶の想起を前提にしたワイス式前世療法では、このような三者的構図は起こりようがない。ワイス式では、セラピスト対クライアントの二者構図で終始するからである。<br />
こうして、前世人格との対話が終結したところで、前世人格には魂表層のもとの位置へと戻ることを指示し、代わりに魂表層の「現世の者(人格)」と交代してもらい、解催眠の手続きに入る。</p><p> </p><p>以上、前ページ『SAM催眠学序説 その146』と今回の『SAM催眠学序説 その147』で二人のSAM前世療法の体験記録で検証してきたように、SAM催眠学の仮説に反する意識現象の事実は、現時点で確認されてはいません。</p><p> </p><p> </p><p><br /></p>稲垣 勝巳http://www.blogger.com/profile/16232260953490209907noreply@blogger.com0