tag:blogger.com,1999:blog-7548750843777970344.post84877925898185878..comments2024-01-25T12:00:36.544+09:00Comments on 稲垣勝巳生まれ変わりの実証的探究: 生まれ変わり仮説を阻む最強の否定仮説稲垣 勝巳http://www.blogger.com/profile/16232260953490209907noreply@blogger.comBlogger15125tag:blogger.com,1999:blog-7548750843777970344.post-73542923031368781032016-06-29T22:00:55.271+09:002016-06-29T22:00:55.271+09:00私はそろそろショウタさんの対処を考える時期に来ていると思います
彼は先生の言動を勝手にコピーしたり煽...私はそろそろショウタさんの対処を考える時期に来ていると思います<br />彼は先生の言動を勝手にコピーしたり煽りの材料に使っており<br />完全にマナー違反です<br /><br />これをいちいちルールないからといって認めていたのでは<br />社会的な信用にかかわると思います<br /><br />マナーを守れないと公言しているようなものですからコメントを返す必要がそもそもないと思いますし<br />過去の謝罪して、再開をしたわけですからもはや受け入れる必要はないのではないでしょうか?<br />シュヴァルnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7548750843777970344.post-34696751127672149842016-06-29T20:44:22.233+09:002016-06-29T20:44:22.233+09:00ショウタさん
あなたの紹介している論者の応答型真性異言がインチキだという主張は、次のことですね。
...ショウタさん<br /><br />あなたの紹介している論者の応答型真性異言がインチキだという主張は、次のことですね。<br />・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br />異言なんていくらでもインチキできますよ。<br />例え、事実だとしてもサンプルが少なすぎますよ。70億人中数百人ではね。<br />まあ、その数百人が生まれ変わりで前世の記憶もあるとしましょうか。そしたら、他の人間も前世があるといえますか。その数百人が特殊で他の大多数は転生と関係なく生まれてきたという考えも成り立つでしょうね。<br />私なんか前世の記憶なんてカケラもないです。<br />いろんな宗教が死後の世界のことを説いていますが、言っていることが皆違います。<br />そして死後の世界で金儲けしている、そこは共通してますな。<br />・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br />私見を言えば、私の公開している「ラタラジューの事例」、スティーヴンソンの公開している<br />「グレート・フェンの事例」を綿密に検討して反証を提出してから「インチキだ」と主張しないかぎり、ただのイチャモンであって、相変わらず応答型真性異言が「生まれ変わりの科学的証拠」であり、生まれ変わりが事実であることは微動だにしません。<br /><br />たしかに、応答型真性異言は催眠中の事例としては世界でわずか3事例に過ぎません。<br />しかし、たとえ1事例であっても生まれ変わりが科学的に立証できれば、「生まれ変わりは事実だ」と言うことは特称命題として認められることです。<br /><br />そして、たとえ1事例の立証であっても、生まれ変わりが他の人に起きていないとは断定することはできないでしょう。<br />むしろ、立証できないだけで、起こっている蓋然性が高いと考えることが妥当だろうと判断できるだけの多くの事例が累積されいると私は考えています。<br /><br />この論者とは、まともに議論できる余地が無いと思われます。<br />生まれ変わりの具体事例で具体的に反証できないと、感情論で「死後の世界で金儲けしている、そこは共通してますな」のような関係のない一般論で論点ずらしする、これは知的怠慢、不誠実だと受け取るしかありません。<br /><br />この論者が、「ラタラジューの事例」についての具体的反証以外に今後どのような一般論を述べても、一切コメントはしませんので、紹介は無用にしてください。<br /><br /><br /><br />稲垣 勝巳https://www.blogger.com/profile/16232260953490209907noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7548750843777970344.post-72981338306122630582016-06-29T19:44:40.069+09:002016-06-29T19:44:40.069+09:00異言はインチキらしいです…
コメント参照
http://blog.goo.ne.jp/ippouj...異言はインチキらしいです…<br /><br />コメント参照<br />http://blog.goo.ne.jp/ippouji/e/fdb6fd3f1c850fda4e32ea7b0f12d5c2ショウタnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7548750843777970344.post-35436306686823082242016-06-29T12:10:03.047+09:002016-06-29T12:10:03.047+09:00ショウタさん
ご紹介の論者の記事を読みました。
要点は次のようですね。
・・・・・・・・・・・・・・...ショウタさん<br />ご紹介の論者の記事を読みました。<br />要点は次のようですね。<br />・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br />5.生前の記憶を有する者がいて、生まれ変わりの例として挙げられるが、 極々断片的な思い出話で決め付けはできない。 多重人格者は容易に別人格を演出することができるようである。<br />自分のことを胸に手を当てて考えてみるといい、一体どんな記憶の断片があり誰の生まれ変わりと特定できるのか。万人に一人もそんな人間はいない。<br />・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br />この論者は、応答型真性異言について、まったく理解できていないようです。<br />応答型真性異言は「記憶の断片」などではなく、「前世人格の顕現化」であり現在進行形の応答的会話です。<br /><br />上記のような決めつけ論は、唯物論者には実に多いものです。<br />それなのに、応答型真性異言を唯物論で説明しようとという誠実な努力をしないのです。<br />おそらく、イアン・スティーヴンソンの生まれ変わり諸研究にも目を塞いでいるはずです。<br />知的怠慢というべきでしょう。<br /><br />稲垣 勝巳https://www.blogger.com/profile/16232260953490209907noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7548750843777970344.post-88123777600914068712016-06-29T02:07:14.341+09:002016-06-29T02:07:14.341+09:00新たな唯物論者
ラタラジューを紹介したらこうなりました
http://blog.goo.ne.jp...新たな唯物論者<br /><br />ラタラジューを紹介したらこうなりました<br />http://blog.goo.ne.jp/ippouji/e/fdb6fd3f1c850fda4e32ea7b0f12d5c2ショウタnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7548750843777970344.post-59174641654270454152016-06-23T21:20:22.181+09:002016-06-23T21:20:22.181+09:00ショウタさん
この筒井武雄氏という論者の回答は、私の提示したもっとも肝心なことを逃げていると思いま...ショウタさん<br /><br />この筒井武雄氏という論者の回答は、私の提示したもっとも肝心なことを逃げていると思いませんか。<br />それは<br />・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br />さて、唯物論的観念論者の筒井氏は、応答型真性異言「ラタラジューの事例」という事実を、霊魂実在や死後存続という仮説を用いないで、唯物論で、すべて物質に還元して、論理的整合性のある説明ができるのでしょうか?<br />ラタラジューの事例」をマジックだと思いたければ、いったい公開動画のどの部分がマジックの可能性があると思うのか、それはなぜか、を具体的にキチンと指摘しなければ、つまり反証をあげなければ、「死後の世界は有り得ない」という論拠になりません。<br />・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br />私の提示しているこうした事例に基づく具体論を放棄して一切触れず、具体的証拠なしに議論することを「観念論」だと私は批判しているのです。<br /><br />もう一つ、こうした私の批判をそのままコピペして筒井氏に転送し、筒井氏を煽って、私との議論を高みの見物をして楽しむというショウタさんのやり方は知的品性に欠けると思います。こうした、やり方は不快です。いい加減にしておやめなさい。あなたには、前科があります。<br /><br />筒井氏が私の議論を「勝手に解釈して置いて、それに文句をいっているだけなので、私と相撲を取っているのではなくて、自分で自分と相撲をとって、勝ったかのように錯覚しているに過ぎないと私は感じてしまう」と批判していますが、こうした稲垣への批判が当を得ているかどうかは読者にお任せすればよいことです。<br /><br />また、「そこで、ハンス・ドリーシュのやった実験を基にして、思考実験をしました」と筒井氏ははっきり述べているにもかかわらず、「思考実験」という用語を、私が「どこから引用して紹介したのでしょうか」という筒井氏の奇妙な反論は解せません。<br />ご自分の述べた用語もお忘れのようです。<br />こういう迂闊な人とは議論する気にはなりません。 稲垣 勝巳https://www.blogger.com/profile/16232260953490209907noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7548750843777970344.post-69532093393630406562016-06-22T21:57:46.615+09:002016-06-22T21:57:46.615+09:00例のブログの人の稲垣さんの回答への回答です
コピペ
「新しい科学1073」に対するコメントを有難...例のブログの人の稲垣さんの回答への回答です<br /><br />コピペ<br /><br />「新しい科学1073」に対するコメントを有難う。このコメントに回答します。なお、この回答を「新しい科学」シリーズに転載すること(このままでない可能性も含めて)をお許しください。<br /><br />広く、多くの人々に開示して冷静に慎重に考えてより広い考え方を獲得することを目指したいと思っています。<br /><br />私の学説を稲垣さんに紹介し、回答をメールしてくれて有難う。しかし、君自身の考察や私から提案した課題への回答はどうなっているのですか。自分で考え他者と対話することが基本ではないですか。<br /><br />自分の考えを高めるために他の人の意見を参考にするにしても、自分で考え主張するという実践をしなければ、自分の思考を鍛え、高度な思考をすることは出来ません。是非、自立した考えを持てる<br /><br />ようにしてください。<br /><br />ところで、稲垣さんの「あなたの紹介している論者は、「思考実験」などのことばを用いておいでになるので、観念論として霊魂否定をしようと試みておいでだと理解しました。」との意見はわたしには大変独断的な意見に聞こえます。<br /><br />思考実験という言葉に引っ掛かっているようですが、1073にはこの言葉は使ってないので、どこから引用して紹介したのでしょうか。 それに昨年の理論心理学会で発表した論文では自分の1958年に行った調査の結果と<br /><br />ハンス・ドリーシュの行った実験を基にして考察したことですので、「観念論」呼ばわりはそのまま稲垣さんにお返ししたいと思います。また、次の所で「という一節は、言葉足らずでどうにも理解できません。論理が飛躍しているからです。」との<br /><br />意見はどうしてそう思うのか説明がないので、ここも理解不可能と言う同じ言葉をお返しするより仕方がない感じです。 更に、『「霊魂」は非物質と考えるべきでしょうが、この論者は非物質である「霊魂」を物質に還元できるという唯物論の考えに固まっておいでのようです。「物質の働きがいかにして心を発生させ、発達させるか」のどの文言はその表明でしょう。私は、「霊魂は物質に還元できない」という前提に立っていますから、根本的に相容れない考え方です。』との個所も私はそんなことは少しも言ってないのに、稲垣さんは勝手に解釈しています。<br /><br />勝手に解釈して置いて、それに文句をいっているだけなので、私と相撲を取っているのではなくて、自分で自分と相撲をとって、勝ったかのように錯覚しているに過ぎないと私は感じてしまうのです。<br /><br />2016,6,22 筒井健雄<br />ショウタnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7548750843777970344.post-37286376519007153772016-06-21T06:44:58.736+09:002016-06-21T06:44:58.736+09:00難しいですね。
私は文系で科学は素人のため、どちらも説得力を感じてしまいます。
ただ、科学は反証...難しいですね。<br /><br />私は文系で科学は素人のため、どちらも説得力を感じてしまいます。<br /><br />ただ、科学は反証可能性が大事だとわかりました。ショウタnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7548750843777970344.post-21982231656946650432016-06-19T21:47:52.669+09:002016-06-19T21:47:52.669+09:00この反応からしてそもそも無礼な対応に感じますね。
根拠も、証明もせずに断定するのは研究を行うものの...この反応からしてそもそも無礼な対応に感じますね。<br /><br />根拠も、証明もせずに断定するのは研究を行うものの言動ではないように思いますシュヴァルnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7548750843777970344.post-25225309712831637052016-06-19T21:29:36.828+09:002016-06-19T21:29:36.828+09:00ショウタさん
あなたの紹介している論者は、「ラタラジューの事例」について次のように反応してきたとい...ショウタさん<br /><br />あなたの紹介している論者は、「ラタラジューの事例」について次のように反応してきたということでした。<br /><br />「 稲垣勝巳さんのラタラジューの事例の退行催眠で『応答型真性異言』を聞かせて貰いました。こういうことが本当に有ったとすれば、不思議ですね。マジックなどでも不思議なことはやりますが、タネは無いと言いながら、結構タネはあるものです。素人は知らないし、知らせないものです」<br /><br />「死後の世界は有り得ない」という、はじめに結論ありき、の硬直した思考態度の典型です。<br />「ラタラジューの事例」をマジックだと思いたければ、いったい公開動画のどの部分がマジックの可能性があると思うのか、それはなぜか、を具体的にキチンと指摘しなければ、つまり反証をあげなければ、「死後の世界は有り得ない」という論拠になりません。<br />どこかにマジックであるタネがあるにちがいない、と思って安心していたい程度の知的レベルの方だと判断しています。<br /><br />私の結論を言えば、この論者は、「こういうことが本当に有ったとすれば」と述べているように、本音は「本当に有ったとは絶対に思いたくない」ということでしょう。<br />ご自分が苦労のあげく到達したと思い込んでいる唯物論世界観が崩れることが恐怖だからです。<br /><br />こうした、真理探究に知的不誠実な人間に対しては、「縁無き衆生」だとして相手をしないことにしています。<br /><br />稲垣 勝巳https://www.blogger.com/profile/16232260953490209907noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7548750843777970344.post-68234049223569483132016-06-19T17:11:16.718+09:002016-06-19T17:11:16.718+09:00他人に意見を求める前に自分はどう思うかが大事ではありませんか?
自分の意見を書いたうえで講評をお願...他人に意見を求める前に自分はどう思うかが大事ではありませんか?<br /><br />自分の意見を書いたうえで講評をお願いするならともなく<br />他人の意見を一方的に持ってくるのは失礼に思いますよシュヴァルnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7548750843777970344.post-12043457142884212802016-06-19T14:01:38.363+09:002016-06-19T14:01:38.363+09:00こんにちは。
ショウタさんへ、「生まれ変わりの刻印」イアン・スティーヴンソン(著)笠原敏雄(訳)...こんにちは。<br /><br /> ショウタさんへ、「生まれ変わりの刻印」イアン・スティーヴンソン(著)笠原敏雄(訳)春秋社。の290ページを読んでみてください。前世の記憶する双生児の話があります。迷子noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7548750843777970344.post-92136584151497456322016-06-18T22:28:54.998+09:002016-06-18T22:28:54.998+09:00ショウタさん
私の思考の基盤が、「観念より事実」、「理屈より実証」であることはこのブログをとおして...ショウタさん<br /><br />私の思考の基盤が、「観念より事実」、「理屈より実証」であることはこのブログをとおして何度も表明しています。<br /><br />あなたの紹介している論者は、「思考実験」などのことばを用いておいでになるので、観念論として霊魂否定をしようと試みておいでだと理解しました。<br /><br />そして、論理的整合性という視点から読んでみて、<br />「ところが段々考えて行くうちに、物質にも物質の下に分子、分子の下に原子、原子の下に中間子などの素粒子があって、すべて質的に異なる働きがある、ということとつながって、なにも霊魂などというものを考えなくても、前提としなくても、物質の働きが如何にして心を発生させ、発達させるかを考えることが出来るのではないかと分かってきたのです。死後の世界は有り得ない、デカルトは間違っていたと分かったのです」<br />という一節は、言葉足らずでどうにも理解できません。論理が飛躍しているからです。<br /><br />「霊魂」は非物質と考えるべきでしょうが、この論者は非物質である「霊魂」を物質に還元できるという唯物論の考えに固まっておいでのようです。「物質の働きがいかにして心を発生させ、発達させるか」のどの文言はその表明でしょう。<br />私は、「霊魂は物質に還元できない」という前提に立っていますから、根本的に相容れない考え方です。<br /><br />私には4歳になる男子一卵性双生児の外孫がいます。<br />車で15分の距離に住んでいますから、週1回は2時間ほど遊んでやります。<br />二人は同一遺伝子、同一環境で育っていながら、明らかに性格や興味の対象の違い、食べ物の好みの違いが歴然としています。顔立ち、体格、声など外見は言うまでもなく瓜二つで、初対面の人には区別がつくことはまずありません。<br />この「事実」は、彼ら二人の霊魂は別々のものが宿っていることの傍証だと思っています。<br />こうした「事実」から、一卵性双生児は霊魂存在の傍証であろうと見ています。<br />けっして観念論ではありません。<br /><br />さて、唯物論的観念者のこの方は、応答型真性異言「ラタラジューの事例」という事実を、霊魂実在や死後存続という仮説を用いないで、唯物論で、すべて物質に還元して、論理的整合性のある説明ができるのでしょうか?稲垣 勝巳https://www.blogger.com/profile/16232260953490209907noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7548750843777970344.post-78275902692374410642016-06-18T14:08:33.186+09:002016-06-18T14:08:33.186+09:00一卵性双生児がどうして死後の世界
が無いことの証明になるのか
よく質問されることに、ここでの...一卵性双生児がどうして死後の世界<br /> が無いことの証明になるのか<br /><br /> よく質問されることに、ここでのテーマの問題があります。<br /> これは私が遺伝と環境の性格に及ぼす影響の問題を昭和33(1958)年に研究していたとき、二つの貴重な体験をして、それを真剣に考えて行って到達した結論です。(この点についてはここでは論じません。もし、関心や疑問のある方は最近書いた別冊のパンフレットを差し上げます。ファックス026-259-3370にご連絡ください。)<br /> 「一つの人間の受精卵から、一卵性双生児を人工的につくったり、止めたり出来ないか」というテーマがその時の私の課題となったのです。これは当時心身二元論者であった私が身体と心は発達のどの時点で結びつくのか考えてみようとしたからです。<br /> デカルトによると{「不滅の霊魂」が人間にはあって、死ぬと身体は消滅しても心(=霊魂)は残る}ということですから、身体と心(=霊魂)は受精卵の段階からのどこかで結びつくはずである、それがどこかどの時期か見つけられないかという考えから出た訳です。<br /> <br /> とにかく、「一つの人間の受精卵から、一卵性双生児を人工的につくったり、止めたり出来ないか」ということを考えてみたのです。これを実際に人間でやることは難しい時代でしたし、倫理的にも問題があると考えました。<br /> そこで、ハンス・ドリーシュのやった実験を基にして、思考実験をしました。彼はウニの受精卵を二つに分けると普通より小さなウニ、つまりウニの一卵性双生児ができることを見出したのです。しかし、沢山の受精卵の中には二つに分かれた後直ぐにまたくっつくのも見られたのです。そしてくっついた後はそのまま発生して行くと、普通のウニが出来たのです。<br /><br /> これは当然人間の受精卵に応用することができる筈です。つまり、人間の手で受精卵を二つに分けて、発生させると、当然一卵性双生児が生まれてくる筈です。しかし、分けたのをまた直ぐにくっつけてそのまま発生させると、普通の人が生まれて来る筈です。<br /> このことは、当時心身二元論者で神仏を信じていた私にとって、神秘的な身体と心の結びつきがなんと人間の手の中にある、という驚くべき事柄に見えたのです。<br /> これに似た話しで落語に「死神」という題のものがあります。瀕死の重病人の枕元に死神が居ると、その人は必ず死に、足元に居ると必ず生返るということを知ったある人が、「よく当たる」というので評判となりました。あちこちに呼ばれた中に、「どうしても生き返らせてください」と頼まれた重病人がありました。ところが、困ったことに死神がその人の枕元に居るのです。<br /> けれども、その死神は働き過ぎて疲れているのか、時々ウトウトするので、名案(迷案?)を思いつき、依頼人に協力してもらって、強力な人を4人ほど用意して貰って、死神がウトウトした瞬間に病人の頭と足の向きを逆転してしまうのです。こうしてその重病人は生返ったということで、その後もあるのですが、省略しましょう。<br /><br /> とにかく、心とか魂、あるいは自我というものは無数に独立して有るものなのかどうか、これが疑問になったのです。<br /> そこで、最初は「自我意識はただ一つである」と考えました。こうすると、分けても、同じ魂が二つの卵に入って行くのですから、心身二元論でも問題はないのです。<br /> ところが段々考えて行くうちに、物質にも物質の下に分子、分子の下に原子、原子の下に中間子などの素粒子があって、すべて質的に異なる働きがある、ということとつながって、なにも霊魂などというものを考えなくても、前提としなくても、物質の働きが如何にして心を発生させ、発達させるかを考えることが出来るのではないかと分かってきたのです。「死後の世界は有り得ない」、デカルトは間違っていた。と分かったのです。<br /> しかし、この時はまだ、『科学的存在観(SOパラダイム)』は出来ていなくて、心身二元論は崩壊してしまったのに、立つべき基盤が失われてしまったのでしょう。身体がまだ心身二元論に立っているのに、頭がその土台を無くしてしまったので、大変な恐慌に陥ってしまったのでした。つまり、突然、何が何だか分からないうちに、足元に大きな底なしの穴が開いて、どんどん落ちて行くという幻覚が襲ってきたのでした。これは恐惶が落ち着いた後に、「運動幻覚」という幻覚であったことが分かりました。これは人にも話せず、自分でも意識出来ない(意識しようとするとすぐに物凄い墜落幻覚に襲われるので)という強敵でした。この強敵からは逃げるしか方法は無かったのですが、それでも一人で少しづつ「新しい科学」を創ることによって、足掛15年かかりましたが、科学の第三革命としての「新しい科学」を創造することができて、救われました。<br /><br />http://tsutsui-takeo.cocolog-nifty.com/blog/2015/04/post-d141.html<br /><br />私は文系で科学については素人で手が届きません<br /><br />稲垣さんはこの問題についてどのように考えてますか?<br />ショウタnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7548750843777970344.post-71846629443914868532016-06-17T10:38:38.697+09:002016-06-17T10:38:38.697+09:00否定派は何言ってもダメですね
コピペ
新しい科学1073
若い人々の選挙への姿勢
...否定派は何言ってもダメですね<br /><br />コピペ<br /><br />新しい科学1073<br /><br /><br /><br /><br /><br /> 若い人々の選挙への姿勢<br /><br /> 最近18歳まで選挙権が拡大されました。昔で言えば、徴兵制が布かれても徴兵される人々には選挙権が無かったという時代がありました。これは、つまり、基本的人権が法律的に認められていなくて、上の権力者(単数、あるいは複数)が勝手に決めたことを下の者に押し付けて当然とされていた時代の在り方でした。<br /> ところが、数々の戦争体験や思想的進化を経て、今日の様に基本的人権が認められ、自分たちがやるべきことは自分たちで決められるという時代になりました。これが民主主義というものであることも広く認識されるようになりました。<br /> そして最近の若い人々の意識調査によると、こうしたことに対する姿勢も以前より進んでいるように見受けられます。<br /> ここでは、「新しい科学」の立場から、選挙に初めて向かう若い人々への期待を述べてみたいと思います。<br /><br /> このシリーズの「新しい科学1068」では「通りすがり」さんへの簡単な課題を出しました。「通りすがり」さんは私の「死後の世界は有り得ない」という意見に対して、それを有るとか無いとか言うのは不可能ですよ、と言いたかったので、「死後に存続する意識が有るとか無いとかいうことは出来ない」と偉い学者さんたちが言っていますよ、あなたはそんなことも知らないで、独断的な主張をしているのではないですか、と言ってくれたのです。(若い人々の中にはそんなことは選挙と関わりのないことではないですか、と疑問に思っている人もあるかも知れませんが、大いにあるのです。それは昔軍国主義の時代には軍神とか英霊とか言って、あの世があるかのように宣伝されていたからです。)<br /> 原水爆ができるまでは、「人間は動物と違って魂は永遠不滅である。」と考える心身二元論が圧倒的に優勢でした。イギリスの偉大な哲学者バートランド・ラッセルが言ったように、『天国への信仰は、生来の喧嘩早さを補強するものとして相当な軍事的価値を持つものである。それ故に、軍国主義者は不滅への信仰が現世のことに冷淡になる程深刻になることはあるまいと常に想像して、この信仰を奨励する点において賢明であることを認めねばなるまい。』(バートランド・ラッセル著、大竹勝訳、「宗教は必要か」荒地出版社、1950年、116頁)<br /> 実は、バートランド・ラッセルも死後の意識の有無を完全に立証した訳ではなく、「死後の存続は有りそうにない。」とだけ言っているに過ぎないのです。<br /> 私の場合は有るか無いかを言っているというより、「死後の世界は実としては無い、虚としては有る。」と言っているのです。つまり、有り方の形が違うと言っているのです。そして「有る、無し」は人格の働きとして確かめられることである。そして、「人格は肉体を持った個人(感覚器官、運動器官、中枢器官から成る)と対象を要素(e)とする存在(b)である。」更に「対象の有無は、個人を中心とする、対象に対しての機能(f)である。」と定義するのです。(これは専門用語が入ってきて難しいと感じるでしょうから、深入りしないでください。)<br /><br /> 「通りすがり」さんに課題を出したのが6月8日でしたから、もう9日経っていますが、ここでは実像と虚像に対する物理学での定義をお知らせして、ヒントとし、もう少し待って見る事にしましょう。<br /> 丸善から1989(平成元)年に物理学大辞典が出版されました。その649頁に像(光学的)の説明が載っています。<br /> 発光物体または照明された物体からの光線が光学系を通り作る像。光線が像のある側の点に収束しているとき、これを実像(real image)という。一方、光線が光学機器内のある点から出てくるように見えるとき、これを虚像(virtual image)とよぶ。<br />これをヒントとして、更にご自分で考えてみてください。<br /><br />これができたら、次は更に難しい課題、「虚運動が見えるかどうか」見えたら、「何故、人間には虚運動が見えるのか」という課題が待っています。<br /><br />これらが分かると、「死後の世界は虚の世界である」ことが分かり、科学の第三革命としての「人格形成の科学」が分かるようになります。人格形成の科学<br />が分かり、その普及が大切と分かると、核廃絶、戦争廃絶が大事と分かり、世界平和へと一歩一歩近づくことができるようになります。<br /><br />カントやヘーゲルの平和論が甘いと見る人々は、実は、これらのことが分かって居なくて、レベルⅡの「生存競争原理段階人格」に停滞している人々であると言えるかも知れません。<br /><br />http://tsutsui-takeo.cocolog-nifty.com/blog/2016/06/post-8f31.html<br />ショウタnoreply@blogger.com