tag:blogger.com,1999:blog-7548750843777970344.post4797509877462792879..comments2024-01-25T12:00:36.544+09:00Comments on 稲垣勝巳生まれ変わりの実証的探究: 前世人格の存在の座はどこか稲垣 勝巳http://www.blogger.com/profile/16232260953490209907noreply@blogger.comBlogger4125tag:blogger.com,1999:blog-7548750843777970344.post-15045506509551635092013-05-29T11:39:15.000+09:002013-05-29T11:39:15.000+09:00SECRET: 0PASS:魂の二層構造仮説および退行催眠下で顕現したものが過去の記憶ではなく、現実...SECRET: 0<br>PASS:<br>魂の二層構造仮説および退行催眠下で顕現したものが過去の記憶ではなく、現実に独立して存在する人格であるという推論は、説得力があると思います。なお、これに異論を唱えるとすれば、高森光季さんが主張される憑霊の可能性くらいしかないでしょうね。ゆえに憑霊説をいかに反駁するかについて考えてみる必要があると思います。<br>このことは、タエやラタラジューが現世人格にたいする過去世人格であることをいかにして証明するかという問題をも提起していると思いますが、稲垣先生はこの問題について再三にわたり、解説を試みておられるので、以前の記事やコメント欄をもう一度読みかえしてみたいと思います。ソウルメイトhttp://ameblo.jp/spiritualist-heart/noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7548750843777970344.post-7670468745473289612013-05-31T07:12:43.000+09:002013-05-31T07:12:43.000+09:00SECRET: 0PASS:おっしゃるとおり、前世記憶の想起ではなく、前世人格の顕現化だ、という仮説...SECRET: 0<br>PASS:<br>おっしゃるとおり、前世記憶の想起ではなく、前世人格の顕現化だ、という仮説につきまとう問題は、前世人格として魂表層から顕現化した人格が憑依霊ではないか、という疑いです。<br>私のとっている立場でおこなわれている前世療法は、過去にも現在でも皆無ですから、先行研究に学ぶことができません。<br>したがって、セッションで確認できた意識現象の累積から判断するしかありません。<br>①未浄化霊がはじめから憑依している場合、魂の自覚状態に至ることができない。浄霊が成功してはじめて魂状態に戻る。したがって、魂状態の確認後に顕現化したものは未浄化霊ではない。<br>②異物としての未浄化霊(低級霊)が顕現化している場合、クライアントのモニター意識に、顕現化しているものとの同一性の自覚が現れない。<br>③未浄化霊である場合には、対話後、魂の表層の居るべき位置に戻ることをしない。浄霊しないと憑依を解いてくれない。前世人格であれば要請に応じて、魂表層の居るべき位置に戻る。<br>④高級霊がメッセージを携えて憑依している場合には、魂遡行の確認後、最初に高級霊が憑依していることを自ら告げる。高級霊が憑依を解くにあたっては浄霊を必要としない。<br>現時点で、前世人格と憑依霊の識別は、およそ上記3点の意識現象の事実から可能だと考えられます。稲垣勝巳http://samzense.blogspot.com/noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7548750843777970344.post-60337239532081470632013-05-31T08:12:05.000+09:002013-05-31T08:12:05.000+09:00SECRET: 0PASS:>稲垣勝巳さん先に述べたコメントにつき、考え違いや考えの足りないと...SECRET: 0<br>PASS:<br>>稲垣勝巳さん<br>先に述べたコメントにつき、考え違いや考えの足りないところが多々ありましたので訂正させていただきます。<br>まず、現世の人格と退行催眠下で顕現した人格は、それぞれ別個の独立した人格存在である、とするなら、問題となるのは、現世の人格と過去に生きた人格とはいかなる関係にあるのか?ということではないでしょうか。タエやラタラジューがなんらかの記憶という存在形式ではなく、現世人格とは別個の独立した人格存在だとすると、タエやラタラジューの過去世における実在性や発言内容の真実性を証明しても、現在を生きる人格との関係は自明ではなく、つまり、生まれ変わりを証明したことにならないのではないかという疑問が提起されるわけですね。現世人格が過去世の記憶を想起した、というなら、話は単純で、その記憶の事実性を立証すれば、一応は、生まれ変わりをも証明したことになるけれども、記憶説をとらず、過去世の独立人格説をとる場合には、過去世の人格と現世の人格は直接、生まれ変わりという関係にないということになりますから、過去世の人格の実在や発言内容の事実性がそのまま生まれ変わりの証明に結び付かないということになるのではないでしょうか。過去世の独立人格説と生まれ変わり説は、もしかすると相互矛盾の関係にあるのかもしれません。<br>生まれ変わりを言う場合、あくまでも基点として問われるのは、現在生きている人格は、何かの生まれ変わりなのだろうか?ということであり、その回答として提示されたものが過去にべつの人生を生きた記憶であると言う場合には、生まれ変わりは成立しますが、現世人格とは別個の独立した人格ということになると生まれ変わりは証明したことにならない、という問題が立ち現れてくるように思われます。ソウルメイトhttp://ameblo.jp/spiritualist-heart/noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7548750843777970344.post-45500960772569957802013-06-01T09:17:42.000+09:002013-06-01T09:17:42.000+09:00SECRET: 0PASS:「「ある人が死んで、一定の時期を経た後、再び生まれてくる」「ある統合的知...SECRET: 0<br>PASS:<br>「「ある人が死んで、一定の時期を経た後、再び生まれてくる」「ある統合的知性・精神体が、一つの肉体を占有し、それと融合しつつ物質的な世界を生きることを、かつて行ない、そして新たに行なうこと」という定義からすれば、魂の二層構造仮説は「生まれ変わり」をしていないという論理になることは当然でしょう。「現世の“私”は、死後、再びある肉体を占有して、肉体と融合して生きることはない」というのが、セッションで確認してきた意識現象の事実です。表層の前世のものたちを含め、魂全体が、次の肉体に宿る、つまり、個別の人格はそのまま生まれ変わりをしないが、それらを包含した魂全体が次の肉体に宿る、つまり、端的に言えば、私の生まれ変わりの概念は、「魂全体が次の肉体に宿ること」を「生まれ変わり」だとしています。「現世の私」は、次の肉体では魂表層の前世のものたちの一つとして死後存続していく、というわけです。<br>私は、この生まれ変わりの定義を普遍的なものなどとは主張していません。<br>臨床の場で確認してきた意識現象の事実の累積としてきた「とりあえずの真理であろう」と思っているのです。<br>繰り返しますが、私の生まれ変わりの概念は、「前世のものたちを表層に位置づけている魂全体が次の肉体に宿ること」を「生まれ変わり」だとしています。<br>このような生まれ変わりの概念を誰も述べていないのでなかなかご理解できないでしょうが、臨床の事実は、このことを裏づけています。<br>現世の人格と過去に生きた人格とはいかなる関係にあるのかといえば、魂表層にあって前世人格たちは互いの人生の知恵を分かち合い、それら人生の知恵(苦悩も含めて)を現世人格にも分かち与えている、という関係になります。だからこそ、現世人格は前世人格に対して何らかの同一性の感覚をもつと考えられます。<br>ラタラジューもタエも、里沙さんの魂表層を構成している前世人格であるという事実は検証できたと思っています。稲垣勝巳http://samzense.blogspot.com/noreply@blogger.com