tag:blogger.com,1999:blog-7548750843777970344.post110584107038433874..comments2024-01-25T12:00:36.544+09:00Comments on 稲垣勝巳生まれ変わりの実証的探究: 意識は霊体に宿る稲垣 勝巳http://www.blogger.com/profile/16232260953490209907noreply@blogger.comBlogger5125tag:blogger.com,1999:blog-7548750843777970344.post-65043801127986951532017-11-22T10:29:02.927+09:002017-11-22T10:29:02.927+09:00猪狩進さんは、結局、意識は脳の随伴現象であるという「心・脳の一元論」の主張でしょう。
「心・脳の二...猪狩進さんは、結局、意識は脳の随伴現象であるという「心・脳の一元論」の主張でしょう。<br /><br />「心・脳の二元論」の主張について、超心理理学者笠原敏雄氏の論考を紹介しておきます。<br />・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br />現行の生理学や心理学の知識では、人間が自らの肉体を自在に操る仕組みが、脳からの指令という観点で、完全に説明できることになっている。確かに、脳障害の後遺症として、身体的障害や失語症が起こったり、アルコールをはじめとする薬物によって認知的、行動的障害が発生するのを見ると、そうした考え方が裏づけられるように感じられるかもしれない。しかしながらそれは、脳といういわばコンピュータが一時的ないし永続的に故障した結果、コンピュータによって操られていた周辺機器[註1]がそれまでのようには動かなくなったことを裏づける以上の証拠になるわけではない。問題は、そのコンピュータを動かしている主体は何かという点にこそなければならないのである。<br /><br />ワイルダー・ペンフィールド、ジョン・エックルズ、ロジャー・スペリーなど、一時代を画した脳研究者たちは、自らの実験的研究などを通じて、そのような唯物論的見解を放棄するに至っている(ペンフィールド、1977年。エックルズ、1984年。Sperry, 1988)。特にエックルズは、1976年に開催された超心理学協会年次総会の招待講演の中で、要するに脳は心が念力で操っている[註2]のではないかとまで発言し(Eccles, 1977, p. 256)、ペンフィールドとともに、心と脳は別の実在だとする二元論を唱えているのである。<br /><br />しかしながら、このような着想に至ったのはエックルズが最初ではない。次に引用するのは、エックルズ以前に提出された、イギリスの心理学者による「シン仮説」[註3]と呼ばれる仮説にまつわる発言である。<br />第二の仮説は〕「私〔人間〕は、念力実験で好成績を挙げる被験者がサイコロその他の物体を支配するのと同じ手段、すなわちサイ・カッパ〔=念力〕によって、自分の神経系の活動を支配している(また、自分の肉体や思路のようなものも間接的に支配している)」〔というものである〕。……生体を自在にコントロールし、知覚過程の中で生体から情報を受ける何らかの実在があると示唆しても、そこに目新しい点がないのは明らかである。魂や自己という考え方が生理学者や実験心理学者に放棄され、自由意志や認知を含むあらゆる心的過程が生体の物理的過程の単なる側面と見なされるようになる比較的最近まで、このような考え方は広く信奉されてきた。事実、19世紀半ばですら〔スコットランドの医師ジェイムズ・〕ブレイドは、「私は、脳を単なる心の器官と見な」し、「魂と身体の器官」の関係を音楽家と楽器の関係と同等なものと考えることができる、と発言することが可能だったのである(Thouless & Wiesner, 1948, pp. 197, 209-10)。<br /><br />心と体の関係を扱う、いわゆる心身問題については、古来、さまざまな科学者や哲学者が好んで考察しているけれども、このように超常現象の実在を踏まえた検討は、それほど行なわれているわけではない[註4]。これ以前にも、それほど明確な形ではないものの、イギリスの物理学者ウィリアム・バレット(Barrett, 1886)、イギリスの古典学者F・W・H・マイヤーズ(Myers, 1886-87)、アメリカの超心理学者ジョゼフ・B・ライン(Rhine, 1943, p, 70)らが同様の着想を公にしているし、それ以降にも、エジンバラ大学の心理学者ジョン・ベロフ(Beloff, 1976, 79, 89)らがその考察を行なっている。また、日本大学の物理学者・堀伸夫も、自著の中でその着想を簡単に述べている。<br /><br />PK〔念力〕をあり得べからざることとして簡単に否定し去ろうという人は果して心と物との関係について深く考えた上でのことであろうか。肉体という物質には作用を及ぼし得るが肉体以外の物質には間接にしか作用を及ぼし得ないということをうまく説明できる理論があるのだろうか。……これを要するに、一つの原因に対して無数にあり得る結果のうち確率の少い方向へ現象を導くとか、或は無数の可能な結果の中の特定の結果にだけ現象を導くとかいうようなことが精神力で可能ならば奇蹟は起り得るのである。……我々は今日まだ精神力の何たるかを知らない。それを知らない以上、たとえどのような「奇蹟」的事実があろうと、事実は事実として謙虚に認めるほかない。……奇蹟は今日の物理学から見て絶対不可能事ではない……もし理論上絶対不可能という結論が出るならば、事実をではなく物理学の理論の方を変えなくてはならないだろう(堀、1986年、161、163ぺージ)。<br /><br /> そのような検討をしているひとりであるベロフは、最近、弱い二元論(随伴現象仮説――心は脳の活動の随伴現象にすぎないとする仮説)、強い二元論(相互作用仮説――心と脳が別の実在であるとする仮説)、一元論的唯物論という、昔から取りあげられてきた三通りの仮説をあらためて掲げ、最後の仮説を「はなはだしく直観に反している」として却下し、前二者のみについて検討を加えている。そして、<br /><br />著しく直観に反し、<br />不合理な結論に帰着するのみならず、<br />これまで知られている脳の特性を考えると説明できない特異的な心理現象――超常現象――が存在する<br /><br />という三通りの理由から、随伴現象仮説を棄却しているのである(Beloff, 1994)。とはいえ、超常現象の存在が随伴現象仮説――本書で言うところの唯物論的仮説――と相容れないことについては、これまでにも繰り返し指摘されてきたので、ベロフのこの結論に新味があるわけではない。(笠原敏雄ブログ「脳と心の関係」より)<br />・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br />「応答型真性異言「ラタラジューの事例」を現行科学の方法を用いて徹底的に検証した結果、 著しく直観に反せず、不合理な結論に帰着せす、これまで知られている脳の特性を考えるかぎりでは、どうしても説明不可能な超常現象である「生まれ変わり」が存在する、と私は主張せざるをえないのです。<br /><br />そして、人工知能の発達と魂の存在の有無を論じることは、カテゴリー間違いであって、紹介記事のどこにも死後の魂が否定されるなどの記述はありません。<br />人工知能によって魂が完全否定されるなどという断定は、人工知能の発達を拡大視し、恣意的推論によって一般化するという認知の誤りです。<br />稲垣 勝巳https://www.blogger.com/profile/16232260953490209907noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7548750843777970344.post-42568787622138002592017-11-21T10:12:03.269+09:002017-11-21T10:12:03.269+09:00猪狩進 さん
折角の投稿なので掲載しました。
が、貼り付けられたhttps://headline...猪狩進 さん<br /><br />折角の投稿なので掲載しました。<br /><br />が、貼り付けられたhttps://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171117-00000054-sasahi-sciの記事をどこに「死後の魂が完全否定された」記述があるのか私にはまったく理解不能です。<br /><br />何よりも具体論で反証し、応答型真性異言」である「ラタラジューの事例」を論破することですよ。<br />人工知能で学んだことのない外国語で応答的会話ができると本当に考えられますか?<br />タンパク質の塊である脳、その脳の内部で起こっている化学的変化と微細な電流の相互関係から「意識」が生み出されているという実証はいまだにないはずです。<br /><br />そうした説明ができないうちに「魂が完全否定された」と断定することは論理的思考の怠慢・短絡でしょう。<br />今後、このような投稿は削除します。稲垣 勝巳https://www.blogger.com/profile/16232260953490209907noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7548750843777970344.post-46994118017328796862017-11-20T20:51:25.601+09:002017-11-20T20:51:25.601+09:00死後の魂は完全否定されますね
https://headlines.yahoo.co.jp/artic...死後の魂は完全否定されますね<br />https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171117-00000054-sasahi-sci猪狩進noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7548750843777970344.post-91197459791027279542017-11-14T21:52:40.388+09:002017-11-14T21:52:40.388+09:00「ラタラジューの事例」を除いて、「タエの事例」でも「心・脳の二元論」が成り立つと思いますか?という質...「ラタラジューの事例」を除いて、「タエの事例」でも「心・脳の二元論」が成り立つと思いますか?という質問の投稿をいただきました。<br /><br />これに対する私の見解は、100%とまでは断言できないが成り立つであろう、ということになります。<br /><br />100%成り立つと断言できない理由を述べてみます。<br /><br />イアン・スティーヴンソンが「驚くべき透視の事例」として次のような透視事例を紹介しているからです。<br />以下がその驚くべき透視の事例です。<br /><br />これまでに最高かつ、もっとも信頼性の高い研究の対象となった霊媒の一人であるグラディス・オズボーン・レナードは、一度も行ったことのない家の中にある閉じた本に書かれた文章を何らかの方法で読み、その文章が何ページに出ているか(場合によっては、そのページのどのあたりにあるか)や、その書物が本棚のどのあたりに置かれているかを正確に言い当てる能力を持っていた。E・M・シジウィックは、レナード婦人の書籍実験に関する厳密な分析をおこなった論文を発表している。(『前世を記憶する子どもたち』日本教文社、P.500)<br /><br />もし、「タエの事例」を語った被験者里沙さんが、催眠中に突如レナード婦人同様の驚異的な透視能力を発揮して、広範囲に分散されているタエに関するあらゆる断片的情報を瞬時に入手し、それをつなぎ合わせ、加工・編集してタエの架空の物語を語ったのだ、という説明が成り立つ余地がゼロではないのかもしれません。 <br /><br />つまり、生きている人間の透視能力で説明できるので、生まれ変わりなどの説明は不要であり、「心・脳の二元論」は、成り立たないというわけです。<br /><br />しかし、私にはそのような驚異的透視能力を駆使するわざは到底不可能であるとしか思えません。<br /><br />また、里沙さんは、なぜよりによって、見たことも聞いたこともないタエと自分を同一視しなければならないのか、説得力のある説明ができそうにありません。<br /><br />彼女が、私やセッション見学者たちを驚かせるために、縁もゆかりもない架空の人物を、驚異的透視能力を発揮して作り出したとする見方と、里沙さんの前世の人格が顕現化して語ったのだとする見方と、どちらが自然な見方であるかは、明白なように思われます。<br /><br />ただ、実際にレナード婦人のような驚異的透視能力者が実在する以上、里沙さんにはそのような能力が絶対にあるはずがないと断言することの科学的証明はできないのです。稲垣 勝巳https://www.blogger.com/profile/16232260953490209907noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7548750843777970344.post-26786358484884660942017-11-09T10:17:15.800+09:002017-11-09T10:17:15.800+09:00矢部明雄さんからコメントをいただきましたが、本サイトの「投稿の留意点」の以下①②の各号
に該当すると...矢部明雄さんからコメントをいただきましたが、本サイトの「投稿の留意点」の以下①②の各号<br />に該当すると判断しましたので削除しました。<br />「心・脳二元論」否定は、過去にもずいぶん論究されていますで、それをきちんとお読みになって、反証可能性に開かれた形でご投稿ください。you-tubuの動画を貼り付けただけで、具体的根拠には触れず「心・脳二元論」は「信じられないでやんす」というおふざけ調の投稿は認めることはできません。<br /><br />①各記事ごとのテーマから大きく逸脱しているコメント、根拠が提示されない観念論や一般論を提示するだけのものや、根拠不明で反証可能性に閉ざされたコメントは、話題の焦点が拡散し、散漫になることを避けるため、投稿されても掲載できません。<br /><br />②ご自身の意見は述べず、他者の見解を貼り付けるだけの安直・怠惰な投稿は「コメント」とは認められず掲載できません。稲垣 勝巳https://www.blogger.com/profile/16232260953490209907noreply@blogger.com