2017年6月13日火曜日

魂の転生の仕組みと前世人格の関係

   SAM催眠学序説 その102


霊信が告げている、魂とよばれる意識体の転生の仕組みの輪郭で明らかになりつつあることの
現時点の報告です。
該当する私あて霊信は、第12霊信~、SAM催眠学序説その59~を参照してください。  

この報告は、私あて霊信の告げた内容の真偽を、SAM前世療法のセッションによってクライアントの示した諸意識現象の累積を検証してきた過程で明らかになってきたことです。
 

  [魂とその転生の模式図]



はじめに、SAM催眠学の明らかにしてきた「魂の二層構造仮説」を示す上の模式図を説明します。

左から右への矢印は時間軸を意味します。
大円、魂の核Xの下に引いてある接線は、魂表層の前世人格と現世人格の区別のための補助線です。
つまり、補助線より下の小円が現世人格になります。
補助線より上の小円が前世人格です。
したがって、右端の3つ目の模式図を例にとると、魂表層の現世人格Cは、AとB二つの前世人格とともに、3回目の人生を送っている魂をあらわしています。

魂の転生の仕組みを模式図にしたがって説明します。

魂の核大円(X)は、最初その表層に小円という現世人格を生み出す(左端の図)。

現世人格は肉体の死後、魂の核大円(X)の表層を構成する前世人格小円Aとして位置づき(真ん中の図)、死後も魂表層に存在し続けます。

そして魂は、次の来世の肉体に宿ると、新たに小円という現世人格を魂表層に生み出す((真ん中の図))ということです。

さらに小円Bという現世人格は、肉体の死後魂表層の前世人格小円Bとして位置づき、先に位置付いている前世人格小円Aとともに魂表層を構成し、存続します。、 

次の来世では小円Cという現世人格を魂表層に生み出し、先に表層に位置づいている前世人格A・Bとともに魂表層を構成します。(右端の図)

このように、魂の核であるXは、新しい肉体を得るたびに諸前世人格を魂表層に次々に位置づけ魂表層の構成単位として包含し、転生していきます。
現世人格であったA・B・・・は死後も、それぞれの生前の個性や記憶を保ちながら、魂の核Xとともに魂の表層を構成するそれぞれの諸前世人格として存続しています。

こうして、生まれ変わりの回数分だけの諸前世人格が、現世人格とともに魂の表層を構成している、というのがSAM前世療法で確認できた意識現象の累積が明らかにしてきた魂の転生の仕組みです。
ちなみに、魂の核であるXについて、私あて霊信では「ある意識体」とだけ告げており、その実体については謎のままです。

霊信が告げていることは、魂の核であるXの表層は前世の諸人格によって構成され、それらのものが意識・潜在意識を作り出しており、それら意識は脳ではなく霊体に宿っている、ということです。
また、魂表層の前世諸人格は、意識体としてそれぞれ死後存続しており、互いに友愛を結んで、それぞれの人生の智慧を分かち合っている、ということです。
こうした魂表層を構成している諸前世人格のありようを考慮すれば、現世の人格は、多かれ少なかれ、良かれ悪しかれ、前世の諸人格の智慧を分かち与えられ、その影響を受けていることになります。
とすれば、人格が両親からの遺伝的要素と生育歴との相互作用によって成り立っている、という一般に了解されている心理学的説明は、前世の諸影響(諸体験)を考慮に入れない視野狭窄に陥っていることになります。

シルバー・バーチの「魂はダイヤモンドのような多面体であり、あなたはその一面なのだ」という霊信と、私あて霊信に基づくSAM催眠学が明らかにしてきた「現世人格もそれまでの前世諸人格とともに魂の表層を構成しているのもの」という仮説を模式図にすれば、おそらくこういう模式図になるのではないかと思います。
 
この関係を、実際のセッションで検証された「タエの事例」、「ラタラジューの事例」に当てはめてみます。
右端の模式図を参照してください。
小 円Aが里沙さんの魂として最初の人生である「タエ人格」、小円Bが次の人生である「ラタラジュー人格」、小円Cが3度目の人生である「現世人格の里沙さ ん」ということになります。
里沙さんの守護霊の語りによれば、彼女の魂は「タエが初の人生を体験している」ということです。

さて、この模式図で問題になることは、まず、「現世の人格はそっくりそのまま次の来世の肉体に生まれ変わりをしない」ということになるということです。

視点を個別人格に取ると、AはBに生ま れ変わっておらず、AとBはCに生まれ変わっていません。AとB、A・BとCの間に「カルマ」などの受け渡しがあったとしても、それはAやBが生まれ変 わったということにはなりません。
大円X(魂の核)の外周(表層)に、A・B(それぞれの前世人格)が個別に死後存続しているというわけです。

そして、Cの現世人格も、前世人格A・Bとともに、魂表層でそれぞれの人生で得た智恵を分かち合い、魂表層全体の集合的意識を成長・進化させていくという関係でつながっています。

こうして魂表層の集合的意識が、魂全体としてあるレベルに到達できると、転生は修了し、守護的存在である高級霊へと昇格し、地上の人間を守護することによってさらに霊的成長の道程をたどるようです。

こうなると、「核X」とその「核を取り巻く魂表層を構成している前世諸人格」という構造を持つ意識体(核と表層を包含した全体としての魂)が、新しい肉体に宿るたびに、次々に現世人格を生み出していく、という方が事実に即して適切であり、これを表現するには、「魂の生まれ変わり」という表現ではなく、新たな概念規定が必要とされるのもしれません。

SAM前世療法体験者の意識状態にあらわれる「魂状態の自覚」とは、ここに提示した模式図のように、肉体との結合状態から分離し、魂そのものがむき出しになっている状態だろうと推測しています。
「魂の自覚状態」に至り、肉体と魂とが分離しているとすれば、体重の感覚が消えていた、肉体と「私という意識=魂」が肉体とずれていた、あるいは肉体から遊離していた、といった催眠覚醒後の報告が了解できることになります。
そして、肉体と魂とが分離しているとすれば、肉体を持たない「霊」と同次元にあることになり、したがって、メッセージを携えた高級霊の偶発的憑依や、未浄化霊に許可を与えて意図的憑依を起こすことが、了解できることになります。
 
さて、これまで述べてきたような、魂の二層構造と魂の転生の仕組みについて、観念論ではなく、実証された証拠を提示して、同様の主張をした者がいるでしょうか。
魂の自覚状態に至れば、魂表層で意識体として存在している前世人格を呼び出し、対話できる、という証拠映像を提示した者がいるでしょうか。

管見する限り、現在世界中で私のみだと認識しています。
ただし、私の主張の基盤は、私の守護霊団を名乗る霊的存在からの霊信であり、私の功績があるとすれば、霊信の告げている魂の仕組みとその転生について、その真偽をつとめて検証してきたことです。
この検証の過程で生み出された前世療法が、Soul Approach Method(魂状態への遡行法)と名付けた催眠技法による「SAM前世療法」です。


唯物論と真っ向から対立する私のここでの主張は、SAM前世療法を体験しないと、にわかに受け入れがたいことは十分承知しています。
とりわけ、日本の関連アカデミズムは、日本サイ学会・生命情報科学会を除いて無視を決め込んでいるようです。
マスコミ関係では、民放テレビ番組「アンビリバボー」が、2006年に「タエの事例」と2010年に「ラタラジューの事例」を2度放映しています。
NHKでは、体外離脱現象については番組で触れていますが、霊魂仮説と生まれ変わり仮説については触れることを意図的に忌避しているようです。

ただし、きわめて少数ですが、私の主張を受け入れ、インテリと呼ばれる大学教授・医師・僧侶などの職業の方が20数名、SAM前世療法を体験されています。
そのうち2名を除いて前世人格の呼び出しに成功しています。 
また、成功体験者2名の大学教授が、意識の研究に用いたいという理由でSAM前世療法を学ばれました。
 潜在意識の根底には「魂状態の自覚〉が存在することは普遍的現象だと思われます。


おそらく、ここでの私の主張の真偽が判明するのは、今世紀末まで待つことになるのではないかと思います。

それは、意識(心)をつくりだしているものは脳であるかどうか、意識は脳に宿っているかどうか、など脳の根本的機能の科学的解明に連動しています。

言葉を換えれば、意識(心) は脳の付随現象であるのか、意識と脳とは密接な関係を持ちながらも別個のものであるのか、すなわち脳と意識(心)の一元論と二元論の決着を待つことです。

一般に信じられている言説、つまり意識(心)は脳の不随現象であり、脳の消滅とともに意識が消滅すれば、生前に体験されたものはすべて消滅することになるという言説は、唯物論科学の立場からその立場上構成されている「信念」や「主張」をそのまま表現したものであって、その言説自体は科学的手続きによって検証・証明されたものではなく、ようするに憶説にすぎません。


現時点の私の見解では、脳と意識(心)の一元論に立てば、応答型真性異言「ラタラジューの事例」はまったく説明不可能です。
超能力(超ESP) を駆使しても、会話「技能」の取得は不可能とされており、説明できません。
超能力(超ESP)  によって取得できるものは「情報」に限られ、訓練が不可欠な「技能」の取得ができた超能力者は、SPR(サイキカル・リサーチ)などによる生まれ変わりの100年以上にわたる研究歴でも発見されていません。

したがって、応答型真性異言は、生まれ変わり仮説以外に説得力のある仮説がありません。
ネパール語対話を学んだはずのない被験者里沙さんの脳が、つまりネパール語情報が皆無の脳内から、どのようにしてネパール語対話技能を引き出したのか、脳と意識の一元論では説得力のある説明はとうていできないでしょう。

脳と意識(心)の一元論の唯物倫者は、いつか解明されるはずの脳の未解明領域の機能によって、学んだことのない言語で対話することが説明できる、などの「無から有が生じる」というような非論理的観念論で否定することがせいぜいです。
反証可能性に閉じている「いつか解明されるはずの脳の未解明領域の機能」という文言を出せば、水戸黄門の印籠のように誰もが「へへっー」と黙って引き下がるとでも思っているようです。

反証可能性にひらかれている「ラタラジューの事例」のyou-tube動画にもとづき、あるいは拙著『生まれ変わりが科学的に証明された』にもとづき、生まれ変わり(転生)を、具体的反証を挙げ、具体的証拠にもとづいて否定した唯物論者は、いまだにあらわれません。

そうであるかぎり、私のここでの主張が、唯物論科学の知見の枠外である、という理由で、非科学的だと否定される謂われはまったくないと思っています。