2017年5月7日日曜日

SAM催眠学序説 その101

顕現化する未浄化霊とその考察

死後存続する「霊」・「魂」と呼ばれる不滅の意識体

SAM催眠学では「霊」と「魂」を明確に概念規定して用いています。
霊とは、死後も存続し、人格のごとく振る舞う意識体。
魂とは、肉体に宿っている霊のことを呼び変えたもの。

したがって、人間の本質は霊的存在であり、肉体という器を無くした魂は、死後は霊にもどることになります。
こうした意味で、霊魂は不滅の意識体ということになります。

生まれ変わりの科学的研究の先達、バージニア大学のイアン・スティーヴンソンは、生前の人格・個性・記憶など心的要素を運搬し、死後存続する意識体を、ギリシャ語にちなんで「サイコフォア」と呼ぼうではないか、と提案しています。(『前世を記憶する子どもたち』P359)

超心理学者笠原敏雄氏は、「サイコフォア」を「心搬体」と邦訳しています。
生前の心的要素を運搬し、死後存続する意識体、というほどの意味です。

厳密な科学者であるスティーヴンソンは、濃厚な宗教臭のつきまとう「霊魂」という語をあえて避け、中立な科学的研究用語として 「サイコフォア(心搬体)」を提案したのだと思われます。

いずれにせよ、生まれ変わりを科学的事実として認めようという立場に立てば、「霊魂」 と呼ぼうが 「サイコフォア(心搬体)」と呼ぼうが、死後も滅ぶことなく存続し、生前の心的要素を来世へと運搬するなんらかの意識体を想定しないわけにはいかないでしょう。

SAM催眠学では、私あて霊信の告げた内容を作業仮説として成り立っているという大前提から、当然のことながら、通信霊の実在をはじめとして、「霊魂仮説」を認めていることは自明のことになります。

SAM催眠学のこれまで(9年間)の一つの成果として、未浄化霊と呼ばれている意識体について、いくつかの考察が進んできたことを挙げることができます。

これらの諸考察は、SAM前世療法セッション中のクライアントの示す未浄化霊の憑依現象とおぼしき状態の観察と、憑依している未浄化霊自身の語りの累積から導き出された共通項に基づいています。
こうした共通項によって、私は未浄化霊と呼ばれる意識体の実在を認めざるをえない、と結論づけていますが、その実在の科学的検証による証明はいまだ成功していません。

未浄化霊の語った身元情報の真偽を検証していくと、あと一歩のところで壁が立ち塞がり、未浄化霊となっている人物の実在を示す決定的証拠の把握に至ることが、未だにできないでいます。 

これは、前世人格「タエ」と「ラタラジュー」の実在証明の検証過程で生じた最後の壁(タエとラタラジューの実在した文書記録が発見できない)と同様の現象のように思われます。

現時点で未浄化霊の実在が、100%の科学的事実であることが証明されることを阻む、なんらかの法則性(生まれ変わり研究における挫折の法則と同様の法則)が働いているのかもしれません。

未浄化霊の実在を信ずる者には、信ずるに足る十分な状況証拠、信じたくない者には、まだまだ疑いの余地の残された不十分な証拠、のレベルでしか証拠の開示が許されないということでしょうか。


意識現象としての未浄化霊の顕現化現象


さてそれでは、私は、SAM前世療法セッション中にどのような形で未浄化霊の存在を認識することになっていったか。

私あて第12霊信で、通信霊は前世療法によって前世を知ることができない原因の一つとして、「妨げるものがいる場合」を告げています。
この「妨げるもの」こそが、SAM前世療法セッションの前からクライアントに憑依している未浄化霊です。

では、憑依している未浄化霊を、どのようにして私は探り当てるのか。

SAM前世療法では、霊信で告げられた内容を、そのまま前世療法を進める作業仮説として採用しています。
すなわち、意識・潜在意識は魂表層を構成している前世のものたちによって生み出されており、生み出された意識・潜在意識は霊体に宿っている、という作業仮説に立っています。
そして、霊信によれば、霊体の色がオーラである、と告げています。

したがって、霊体に宿っている潜在意識(顕在意識)は、それを生み出している源である魂(の表層)の状態が一番解っているはずであり、そうであれば、潜在意識に魂状態まで導かせることができるはずだと考えました。
そして、魂状態に至ることができれば、魂表層を構成している前世の諸人格を呼び出すことが可能なはずです。
タエもラタラジューも、潜在意識に魂状態まで導かせ、魂表層から呼び出した前世人格です。
 
しかし、前世療法セッション中の実際の手続き(技法)として、どうすれば、潜在意識に魂状態へと導かせることができるのか、これは相当の難題でした。 
催眠中の潜在意識に、魂状態にまで戻りなさい、と指示したところで、けっしてそうなるわけではないからです。

オーラ(霊体の色)として霊体を感知できる人たちは、肉体を包み込んでいるオーラの色が黒ずんで見える部分は、その部分の肉体が傷んでいることを示している、と報告します。
また、オーラの色全体が澄んで見える人の健康状態は良好であることを示している、と報告します。
つまり、肉体とオーラ(霊体)には、密接な相互関係が存在することを意味していることになります。
とすれば、そうした相互影響関係が生じるためには、肉体と霊体の双方に共通の要素・性質が存在しなくてはならないはずです。

このような考え方に立てば、霊体に宿っている潜在意識を、霊体と同様の要素・性質をもつ肉体の任意の個所へと移し替えが可能であることになります。
肉体の任意の個所に宿らせた潜在意識に、その宿らせた肉体の個所に、なんらかの動作なり運動をさせ、その繰り返しによって魂状態へと接近するように指示したらどうなるのか。

こうして、SAM前世療法に固有、独自の技法であり、世界で唯一の「魂遡行催眠」と名付けた技法が創出されることになったのです。

まず、魂遡行催眠に入るまでの前段階で、30分程度かけて催眠を徹底的に深める作業をおこないます。
そうしておいて、いよいよ霊体に宿っている潜在意識を人差し指に移し替えます。
人差し指に上下運動をするように指示し、「一往復するたびに魂状態へと近づいていきます。やがて魂状態に到達できたら、指の運動が止まります。停止を確認できたところで私が声をかけて魂状態に到達できているかを尋ねます」と指示します。

ほとんどの場合、2~4分で指の運動は停止し、魂状態に戻ったことが確認できます。

指の運動が1分以内で停止し、魂状態に到達したことが確認できず、再度指の運動の継続を指示してもまた1分足らずで停止してしまい、やはり魂状態到達ができない場合には、「妨げるもの」の存在が疑われます。
あるいは、5分以上経過しても指の運動停止が起こらない場合も、「妨げるもの」の存在を疑います。

こうした場合、「妨げるもの」が指の運動に干渉し、魂状態へと到達することを阻んでいると考えられ、そのような「妨げるもの」は指の運動を担っている潜在意識に干渉しているはずです。
とすれば、「妨げるもの」は、クライアントの潜在意識の宿っている霊体に入り込んで(憑依して)干渉していることになります。

そうした憑依されているクライアントの霊体に宿っているすべての潜在意識を指に担わせていますから、憑依し干渉している「妨げるもの」の意識も含めて、すべてを指が担っていることになります。

そこで、「魂状態に戻ろうとすると妨げるものを感じていますか? 感じているのなら指を立てて答えなさい」と指に尋ねます。
指が立ったことが確認できたら、「この者に未浄化霊が憑依しているのなら、けっして悪いようにしませんから、その存在を正直に指を立てて示しなさい」と指示します。
 
こうして、指が立てば、憑依している未浄化霊の存在が指をとおして顕現化したわけであり、憑依が確認できるというわけです。


未浄化霊自身の語り(回答)によって確認してきたこと

顕現化してきた未浄化霊が、口頭で答えられるのはクライアントが霊媒体質をもっている場合に限られるようです。
このことは、魂表層から呼び出し、顕現化した前世人格にも共通する現象です。

口頭で答えられない理由を探ってきたところでは、肉体を失って時間が経っているので、憑依しているクライアントの声帯や舌を操作し、声に出すことが困難になっている、ということのようです。
ただし、指を立てて答えるような単純な操作なら可能だと答えます。
このことも、顕現化した前世人格にも共通する現象です。

したがって、口頭で私の質問に答えられない場合には、指を立てて回答するという約束で対話をしていきます。

 ①未浄化霊が憑依するための指標は何か

まず、未浄化霊は、どういう指標をもって被憑依者(憑依されるクライアント)を選ぶのでしょうか。

未浄化霊の回答は、オーラ(霊体)を見て判断する、ということでした。
未浄化霊が被憑依者に求めていることは、自分の存在に理解を示し、共感的に受け入れてくれることだ、と言います。

そうした被憑依者の心情(意識・潜在意識)は霊体に宿っています。
未浄化霊は、オーラを見て、つまり、霊体に宿っている被憑依者の心情(意識・潜在意識)を読み取って、この人であれば自分の存在に理解を示し、共感的に受け入れてくれる、と見込みをつけて憑依するというわけです。

実際に、憑依されていたクライアントに尋ねてみると、明確な自覚はないにしても、未浄化霊に対して共感的、受容的な考え方を持っていること、霊感がすぐれていることが確認できました。

②未浄化霊の憑依を防ぐ方法は何か

こうした未浄化霊との対話から、未浄化霊の憑依を防ぐ方法もまた解ってきました。
未浄化霊に見込まれないためには、憑依を断固として拒み、憑依しても一切の理解・共感をしないという拒否の固い決意を持つことのようです。
そうした憑依拒否の固い決意は霊体に反映し宿るわけですから、そのようなオーラ(霊体)を読み取れる未浄化霊は、憑依することを断念するというわけです。

私の知る体験では、未浄化霊が憑依した場所は、病院が圧倒的に多いことが解っています。
憑依されていたクライアントには、特に病院に入る場合には、憑依霊拒否の強い決意固めて行くように勧めています。
また、未浄化霊は自殺者であることが多いことから、そうした自殺者が出ていると思われる場所へ行く場合にも、憑依霊拒否の強い決意固めて行くように勧めています。


 ③未浄化霊とは何か

私あて第12霊信で、通信霊は、「未浄化霊は霊ではなく、残留思念の集合体である」と告げています。
この真偽を探るために、未浄化霊との対話をしてきました。
その結果、未浄化霊自身の回答によれば、霊信の告げたとおり、「残留思念の集合体」であることが確認できました。

未浄化霊との対話は、一個の人格に対すると同様にできます。
したがって、強烈な残留思念は、集合体として凝縮していくと、あたかも意志のある人格のように振る舞うことが可能になる、ということのようです。

このことは、生きている人間の恨みや嫉妬が凝縮され、意志のある人格のように振る舞う「生き霊」と呼ばれる霊的存在と同様のように思われます。

同じく、インナーチャイルドと呼ばれ、幼児期のトラウマ(トラウマの記憶)とされているものも、幼児期の辛かった強烈な残留思念が、成長していく本体の人格から分離し、取り残され、あたかも幼児の人格として振る舞い、成人の人格に影響を与えていることも、SAM前世療法のセッションに現れる意識現象として確認してきました。


さらに、解離性同一性障害(多重人格) における複数の副人格と呼ばれる存在も、強烈な思念の作りだした架空の人格が、意志のある別人格のように振る舞う現象だ、と精神医学では説明されています。

さて、生き霊の場合は、生き霊を飛ばしている本体は生きている人間なのですが、残留思念を置き去りにしてどこかに去ってしまったと思われる魂の本体は、いったいどこでどうなっているのでしょうか。

④未浄化霊の本体である魂はどこでどうなっているのか

未浄化霊と呼ばれている霊的意識体は、魂本体から分離し置き去りになっている存在のようです。

そして、本体である魂は、肉体の滅んだあと、霊界のある次元で眠っているということのようです。

つまり、分離され置き去りになっている「残留思念の集合体」(これまでどおり未浄化霊と呼んでおきます)が浄化され、魂本体に融合され、魂の表層の一つとして位置付くことを待っているということのようです。

私あて第14霊信によれば、「肉体の死後、霊体は魂から離れる。だがそれらの意識は魂に取り込まれる」と告げています。
霊体には、生前の意識・潜在意識が宿っており、つまり生前の心的要素が宿っていますから、これが魂表層に吸収され、表層を構成している前世人格の一つとして位置付くと解されます。

残留思念の集合体とは、魂表層に吸収されないまま、魂本体から分離し、現世に漂う意識体です。
したがって、これを置き去りにして霊界に上がってしまった魂本体は、その表層に位置付くべき直前の前世のものを欠落したままの、十全ではない魂となっていると考えられ、十全の状態ではない魂は、次の生まれ変わりを足止めされているのではないかと考えられます。

そのことを未浄化霊は、本体である魂は霊界のある次元で眠っている、と告げていると解されます。
眠っている魂が目覚めるのは、未浄化霊が、眠っている本体の魂のもとへと上がり、それに融合し、魂表層の前世のものとして位置付いたときであろうと考えられます。
こうして、魂として十全な状態になって目覚め、時期が来るのを待って、次の生まれ変わりに旅立つのではないかと 思われます。

⑤先祖の未浄化霊が苦しみの訴えとして子孫に肉体的、心理的症状を引き起こすか

こうした不都合な肉体的、心理的症状を、先祖の「祟り」であるとか「霊障」とか呼んできました。
これは本当のことなのでしょうか。

クライアントが「魂状態の自覚」に至ると、未浄化霊に対して、意図的に憑依させることが可能になります。
「魂状態の自覚」に至ると、多くのクライアントは、体重の感覚が消失する、と報告しています。
どうやら、肉体に内在している魂が、肉体との結合から解除されて肉体内で分離した状態になると考えられます。
「魂状態の自覚」に至ったクライアントの中には、魂が肉体とずれているとか肉体から離れていると報告する者がいるからです。
臨死体験で報告されるところの、肉体と魂の分離した「体外離脱」状態に至ることもあるようです。


要するに、「魂状態の自覚」とは、肉体を持たない「霊」と同様の次元に至っているということのようです。
したがって、意図的に未浄化霊に憑依させることが可能な状態であると考えられます。
同様にメッセージを携えた守護霊などの高級霊の憑依も起こりやすくなるようです。

こうした仮説に基づいて、医学的所見の出ない、偏頭痛や、特定個所の疼痛などや、統合失調症について、依頼があれば、クライアントの先祖の未浄化霊に憑依させ、そうした諸症状を引き起こしているかを検証した事例が徐々に増えてきました。

現段階で言えることは、先祖の未浄化霊がその苦しみの訴えとして、子孫のなかで霊感のある者を選んで諸症状を引き起こしている場合が確かにあるらしい、ということです。
こうした憑依し顕現化した未浄化霊と対話し、浄化することによって、明らかな症状の改善が確認できたからです。

これは、祟りとか霊障とか呼ばれるような、おどろおどろしいものではなく、救われない未浄化霊となってさまよい続けている苦しみの訴えとして、そうした救いのない存在となってしまっていることへの理解を求め、その手段として、霊感のある子孫を選んで諸症状を引き起こしている、と解すべきことのようです。


さて、これまで未浄化霊と呼ばれている意識体についての考察をのべてきました。

これらの諸考察は、SAM前世療法セッション中のクライアントの示す未浄化霊の憑依現象とおぼしき意識状態の観察と、憑依している未浄化霊自身の語りの累積から導き出された共通項に基づいています。

したがって、クライアントの示した意識現象の諸事実から導き出された考察であり、けっして机上の空論、観念論ではありません。
浄霊作業に同席し、その後のクライアントの症状改善を報告した複数の証人もいます。

しかし、未浄化霊そのものの実在が検証されているわけではありません。
こうした意味において、ここで述べてきたことは、仮説の域を出るわけではないこと、霊的存在について探究途上の中間報告であることをおことわりしておきます。



注:パソコンによる自動書記で送信された私あての霊信全22通は、「SAM催眠学序説その48~72」で公開してあります。どうぞご覧ください。




2017年3月19日日曜日

SAM催眠学序説 その100

「タエ・ラタラジューの事例」のヤラセ疑惑を払拭する


2014年4月から掲載し始めた「SAM催眠学序説」が、3年後の今(2017年3月)、「その100」を迎えることができました。

「SAM催眠学序説その2」で、私は、

「『SAM催眠学』とは、SAM前世療法の作業仮説とそれに基づく検証作業によって、明らかに示されてきた『「諸意識現象の事実』を、SAM前世療法という固有・独自の観点によって体系化を試みようとするものです。つまり、SAM前世療法によって確認されてきた個々の「意識現象の事実」を、一定の原理によって組織された知識の統一的全体へとまとめあげようとする試みです」

と意気込みを述べています。

ここで述べている「意識現象の事実」とは、「生まれ変わりを示している意識現象の事実」を指していますが、その実証的根拠こそ、「タエの事例」と「ラタラジューの事例」の具体的両事例です。

もし、この両事例に出会うことがなかったなら、私は、生まれ変わりは科学的事実だ、などという大胆な主張は到底できなかったでしょう。

当然のことながら、「生まれ変わりの事実」を、「一定の原理によって組織された知識の統一的全体へとまとめあげようとする試み」である「SAM催眠学」、つまり、唯物論に真っ向から対立する試みもできなかったでしょう。

したがって、とりわけ超ESP仮説を打破する応答型真性異言「ラタラジューの事例」は、生まれ変わりの事実を追究する「SAM催眠学」の構築と展開にとってまさに生命線です。

「ラタラジューの事例」について、事例そのものの客観的事実を認める前提での、唯物論からの批判に対して、「SAM催眠学」からの反批判の応酬をしてきました。
そのまとめが「SAM催眠学序説 その80」に掲載してあります。

ところが、「ラタラジューの事例」の、事例そのものの客観的事実を認めない、つまり、なんらかの作為によるでっち上げではないか、という疑いをもつ人が少なからずいるようです。


インタネット上で検索していたところ、アンビリで放映された「タエの事例」および、「ラタラジューの事例」について、ヤラセ疑惑がある、という感想・主張が少なからずあることを知り、愕然としました。

たとえば、「SAM催眠学序説その99」の前の記事である「おことわり」の記事のコメント「「習っていない別国の語学が話せるというような現象も、ネス湖の怪獣問題のように何かの少しの嘘や脳機能の評価不足などの間違いなどではないでしょうか!!人は利害などでよく偽りがそのつもりがなくとも出てもきます」などに類する主張です。


こうした批判者はネット上の匿名性をいいことに、無責任で、放埒な、言いたい放題をやっている輩ですからまともに相手にするのも大人気ないと思うのですが、両事例の当事者である里沙さんの名誉のためにヤラセ疑惑を払拭する反論をしておきます。

両事例が、生まれ変わり仮説を支持する科学的諸検証の結果から導かれた結論である、と主張していること、つまり、反証可能性にひらかれた形で、全セッション記録映像のyou-tubeでの提示と、2冊の拙著『前世療法の探究』、『生まれ変わりが科学的に証明された!』の文字記録によって提示しているので、それらの提示された諸証拠によって他者に対して、「反証可能性」にひらかれているのです。

したがって、私の主張に対して、ヤラセであるという反論をするからには、私の提示した諸証拠をもとにヤラセであることを立証しなければ、正しく反論たりえないのです。
正当な反論とは、そのような立証責任がともなうというのが反論のルールだということです。

反証可能性(はんしょうかのうせい、: Falsifiability)とは、

「科学哲学で使われる用語で、検証されようとしている仮説実験観察によって反証される可能性があることを意味する。
ある仮説が反証可能性を持つとは、その仮説が何らかの実験や観測によって反証される可能性があることを意味する。
例えば、「明日、太陽から昇る」という仮説は、「明日、太陽が東から昇らない」という観測によって反証されるかもしれない。
これに対して、いかなる実験や観測によっても反証されない構造を持つ仮説を反証不可能な仮説と呼ぶ」

というわけですから、「タエ」、「ラタラジュー」の具体的両事例にもとずく「生まれ変わり」の実証的主張は、生まれ変わりを示す映像記録と文字記録の具体的諸証拠の提示によって反証可能性にひらかれています。

にもかかわらず、反証抜きでヤラセ疑惑を主張することは、単なる言いがかりに過ぎません。
おそらく、生まれ変わりの科学的事実を認めることに、強い恐怖、あるいは不安に駆られているのか、唯物論の土台にヒビや揺らぎが生じ、いわゆる、「認知的不協和」による強迫的観念に怯えるからだと思われます。

それとも、アンビリは娯楽番組であるから、おもしろおかしくヤラセを演出しているに決まっている、という偏見による先入観からの短絡的感想・主張かも知れません。
しかし、ヤラセの主体が、フジTVのアンビリ制作スタッフであるとするなら、見当違いも甚だしいと言わねばなりません。

「タエの事例」が放映されたのは2006年10月ですが、研究のために、この実験セッションの映像が撮影されたのは2005年6月です。
翌2006年5月に、「タエの事例」を収載した『前世療法の探究』が出版され、それを読んだアンビリ制作スタッフから、セッション記録映像提供の依頼が来たのが、2006年7月です。
つまり、「タエの事例」の映像撮影時点で、アンビリがヤラセなどに関与できるはずがなく、アンビリ制作スタッフによるヤラセの可能性は100%ありません。

ただし、私の提供したセッション記録映像の音声に1個所、私の了解なしにタエの音声を消去した部分があります。
タエは人柱になった理由を、「水が止まってあぶないので、上の村が水にやられるので・・・私がお供えになります」と語っていますが、上の村が水にやられるので・・・の音声が消去されています。

おそらく、タエの人柱がタエの住む渋川村を洪水から守るためのものという筋書きのほうが視聴者が分かりやすいという判断があってのことでしょう。

「ラタラジューの事例」も同様の経緯があり、アンビリ制作スタッフによるセッション記録撮影時点のヤラセなど関与の余地は100%ありません。
なぜなら、「ラタラジューの事例」の実験セッションがおこなわれ、その撮影がされたのは2009年5月であり、これのアンビリ放映は翌2010年8月です。

この事例がアンビリ放映に至ったのは、真性異言研究チームの末武信宏医師が知り合いの学研編集者に「ラタラジューの事例」を紹介し、2010年3月、学研の雑誌『ムー』によって「ラタラジューの事例」が特集掲載され、それを読んだアンビリスタッフから映像提供の依頼が同年7月にあり、2010年8月に放映に至ったという時間的経緯があるからです。

したがって、「ラタラジューの事例」のセッション記録撮影時点で、アンビリ制作側が、ヤラセなどの関与ができる余地はまったくありえません。

ただし、「ラタラジューの事例」の映像編集されたナレーションの中に、アンビリスタッフが、フラッシュバックするナル村風景を里沙さんにスケッチしてもらった、というくだりがありますが、これは事実と異なります。

フラッシュバックするナル村風景のスケッチを里沙さんに依頼し、それ保管していたのは私です。
アンビリ制作スタッフが、ナル村の現地取材に入るというので、それならこのスケッチ風景に該当するナル村風景の有無を検証してほしい、と私がスタッフに預けたというのが真相です。

というわけで、アンビリ制作側からヤラセを企てることは事実関係から、一切ありえません。

とすれば、残るヤラセの可能性は、私と里沙さんが共謀して、タエの人柱物語を作話した、また、ラタラジューのネパール語会話の特訓をし、台本をもとにネパール語対話者カルパナさんとのネパール語のヤラセ会話セッションを捏造したという疑いになります。

しかし、こうした疑惑、つまり、被験者里沙さんは、実験セッション以前にタエに関する諸情報やネパール語についての諸情報を入手していたのではないか、という疑惑については、詳細な生育歴調査と最終的なポリグラフ検査によって明確に否定されています。


また、「タエの事例」では、医学博士多治見県病院消化器外科部長酒向猛医師、市川千秋皇學館大学教授、小野口裕子可児市教育委員長、「ラタラジューの事例」では、大門正幸中部大教授、同大学岡本聡准教授、医学博士末武信宏医師などが、見学者として同席しています。

社会的地位のある複数の人たちが、ヤラセを共謀し加担する可能性は、常識的にきわめて考えにくいでしょう。

そのように受け取ってもらえるように、後々このセッション証拠映像にヤラセの疑惑をかけられないように、社会的地位のある複数の見学者の同席を願ったという意図があるのです。

ここまで説明しても、ヤラセ疑惑を払拭していただけないとすれば、いったいどのような説明や証明をすれば疑惑が晴れるのですか、とお尋ねしたいと思います。



2017年1月20日金曜日

SAM催眠学序説 その99

 スピリチュアリズムからの前世療法批判

今回は、スピリチュアリズムを絶対的真理として信奉する立場、いわゆる「確信的スピリチュアリスト」と呼ばれる論者(とりわけシルバーバーチの霊信を固く信奉していると思われる人物)からの前世療法批判について考察してみます。

考察については、私個人の催眠臨床体験が示す事実に基づいて、という前提のもとで述べてみます。


さて、点線以下に取り上げた批判記事は、「スピリチュアリズム普及会」のブログ記事です。
点線以下の内容は1から9にわたっていますが、とくに前世療法批判にかかわる4の項目を抽出して引用します。

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  スピリチュアリズム普及会  http://www5a.biglobe.ne.jp/~spk/sp_newsletter/spnl_backnumber/spnl-26/spnl-26-1.htm

スピリチュアリズムから見た前世探しブームの問題点

本当に前世は分かるのか? 霊能者の言う前世は真実か?
今回のニューズレターでは、巷に横行している“前世探し”を取り上げ、スピリチュアリズムの観点から検証します。好奇心に駆られた前世探しは、人類の霊的成長のために展開されているスピリチュアリズムの発展にとって、決してプラスにはなりません。低俗な前世探しは、人々の心を無意味な好奇心レベルに引きとどめるだけであり、「百害あって一利なし」の行為なのです。
世間では、本人の直感(インスピレーション)や霊能者(チャネラー)のリーディングや霊界通信、あるいは退行催眠などによって前世が分かると信じられています。果たして、そうした方法によって前世の身元が本当に明らかにされるものなのでしょうか?――世間に流行している前世探しを検証し、それらの問題点を指摘し、さらに前世を論じる際のさまざまな問題を広く取り上げることにします。
内容は、次のようになっています。



4.退行催眠による前世の指摘の嘘


(1)催眠術自体が、客観的な情報をもたらさない


催眠術は、「前世を知るには信頼できる方法ではない」ということです。催眠術は真実を引き出すには、あまりにも問題の多い手段であることは、心理学に携わる専門家にとって常識となっています。施術者の誘導によって、被術者の答えが簡単に左右されてしまうからです。
例えば、ある一人の人間に催眠術をかけます。そして深いトランス状態(催眠状態)に導いてから「あなたは“蝶(ちょう)”になりました。美しいお花畑を飛び回りましょう」と誘導します。するとその人間は、まるで実際に蝶になったかのように、自分の両手を羽根にしてヒラヒラと飛び回る仕草をするのです。当の本人は自分自身が蝶になったかのような意識状態になっていて、決してニセの演技をしているわけではありません。催眠術を利用すると、このように人間を別の存在(動物や昆虫)にさせてしまうこともできるのです。
こうしたことから催眠下では、ある人間を架空の前世の人格に仕立てるのは容易であることが分かります。催眠誘導の方法いかんで、どのような前世の人格もつくり出すことができるのです。
前世の問題と並んでひんぱんに取り上げられるのが、宇宙人に誘拐されてUFOの中に連れ込まれたという話アブダクション)です。この体験談も、そのほとんどが催眠術によって思い出されたものと言われます。本人は嘘をついているつもりはないのですが、催眠下でUFOに連れ去られた架空の体験を、実にリアリティーを持って説明するのです。

 

(2)催眠下では、潜在意識が催眠誘導にそってフィクションをつくり出す


催眠下では、本人の“潜在意識”がさまざまな知識を動員して、施術者の暗示誘導にそった答えをつくり出そうとします。例えば――「あなたは今、300年前に溯(さかのぼ)りました。今、何をしていますか?」と質問されると、催眠術をかけられた人間の潜在意識は、その質問に合った答えを何とかつくり出そうとし始めます。そして潜在意識の中にあった知識自分の体験・本やテレビなどから入手した知識・自分で学んだ知識など)を組合わせて、一つのフィクション・ストーリーをつくり出します。これを、さも事実のように語り始めるのです。
その話を聞く施術者や周りの人々は、前世の記憶が蘇ってきたと錯覚するようになります。

 

(3)催眠下では、テレパシー能力が高まり、外部の情報が入手しやすくなる


催眠下では、霊的感受性が高まるのが普通です。そうした状態では、覚醒中には知ることができなかった他人の心の内を読み取ったり、外部の霊や人間から発せられる思念を“テレパシー”としてキャッチすることができるようになります。また施術者が心の中で勝手に想像しているような前世像を、逆に言い当てるようなこともあり、施術者は見事に騙されることになります。
このように催眠下では、テレパシー能力が高まることによって、通常では知り得るはずのない情報が入手できるようになり、それが前世の記憶と間違えられることになるのです。

 

(4)催眠下では、低級霊の働きかけが活発になる


催眠下では、理性的判断力や意志の力が抑制されるようになるため、低級霊が働きかけやすくなります。地上人をからかうチャンスを常に付け狙っている低級霊にとっては、低俗な催眠術はもってこいの働き場を提供してくれることになります。
ニセの情報を流せば、それがそのまま前世の情報として勝手に解釈されるようになります。催眠術にかけられている本人の常日頃の願望を読み取り、それに合わせた前世ストーリーをつくって語ることもあります。被術者の潜在意識を容易にコントロールできるようになるため、まさに“低級霊の思う壷”なのです。

 

(5)催眠下では、幽体離脱が生じる


催眠下では容易に“幽体離脱”が生じるようになります。その際、本人の霊体がそれまで一度も行ったことがない場所を訪れ、そこでの情報を仕入れてくることがあります。その体験が、前世の記憶の蘇りとして間違って受け取られることになります。また幽体離脱中に霊界で仕入れた情報の一部が語られることもあり、それが前世に関係する情報と勘違いされるようになります。
以上で、退行催眠による前世探しが、どうして真実でないかの理由が明らかになりました。退行催眠の信憑性の欠如は、すべて催眠術それ自体が抱える問題点に起因します。“退行催眠”は、そうした問題点を曖昧(あいまい)なままにして、勝手に真実が明らかにされるとしているのです。施術者が意識的にか、あるいは無知からなのか、あまりにも催眠を楽天的に信じ込み過ぎています。
シルバーバーチは――「退行催眠による前世の指摘は信頼できない」と明確な見解を示しています。
(質問)「前世を思い出すのに催眠術を使用するのがブームになっております。あのような体験で教訓が学べるものでしょうか?」
(答え)「そうした体験には、単に現在の自分が立派でないことから、潜在意識が立派でありたかった願望を描こうとする、一種の虚栄心の表れであることがあります。(中略)それがただの取りとめもない想像にすぎないことが多いのです。もう一つのケースとして、催眠状態における憑依霊のしわざである場合もあります。」
『シルバーバーチの霊訓(10)』(潮文社)  p.128~129
(答え)「いわゆる(催眠術の)遡及(そきゅう)によって前世とコンタクトできるという事実は否定しません。しかし、必ずしもそうでないところに問題があるのです。(中略)潜在的願望もありますし、霊によって憑依される可能性もあります。こうした要素をすべて考慮に入れなくてはなりません。催眠中に体外離脱(幽体離脱)が起きて、その間の一連の記憶が印象づけられることもあります。」
『シルバーバーチの霊訓(10)』(潮文社)  p.130
生まれ変わりに関する研究の第一人者は、イアン・スティーヴンソンです。彼は、退行催眠を用いた前世探しに鋭い批判の矢を向けています。厳格なフィールドワークを土台とする彼の前世研究は、現代のニューエイジの軽率で安易な前世探しブームに、よい牽制となっています。
彼は、前世の記憶を持っていると思われる子供達の身体上に現れる特徴を、前世との結び付きを示す重要な手がかりと考えています。しかしスピリチュアリズムの観点からすれば、そうした身体的特徴は、必ずしも前世を証明するものとは言えません。なぜなら霊が憑依している状況では、地上人の身体に、憑依霊の記憶に残っている身体的特徴が現れることがあるからです。
例えば憑依霊の意識の中に、かつて地上時代に胸を刺されて殺された記憶が残っていると、地上人の肉体に同じような刺し傷の痕跡が現れることがあるのです。
同様のことが、幼少時の記憶にも言えます。憑依霊の記憶内容が、地上の子供を通じて語られることはよくあるのです。

5.霊媒現象と再生現象の混同――“異言”は果たして前世の言葉なのか?

憑依霊の記憶を、前世の記憶と混同


憑依霊は、たびたび前世の人格と間違われます。憑依霊が、自分の地上時代の生い立ちや生活状況・人間関係について語り、その内容を検証すると、まさに事実と一致するというような場合があります。こうしたとき、それが地上人の前世の記憶によるものと誤解されます。また憑依霊が、取り憑いている地上人が一度も行ったことがない場所の様子を正確に述べたり、知るはずのない過去の建物の所在地をピタリと的中させるようなこともあります。この場合も、前世の記憶が蘇ってきたと錯覚されます。言うまでもないことですが、そうした情報はすべて憑依霊の記憶であって、地上人の前世の記憶ではありません。
憑依現象について必ず知っておかなければならないことは、「霊が地上人のオーラの中に入って憑依状態を引き起こすと、霊自身に、自分が地上人に取り憑いているという自覚が全くなくなってしまう」ということです。それと同時に、霊に憑かれた地上人の方も、自分の意識と霊の意識が混同して区別がつかなくなってしまうということです。つまり憑依した霊の側と、取り憑かれた地上人の側それぞれが、自他の区別がつかなくなってしまうのです。
憑依霊は、自分が地上人の肉体に取り憑いておきながら、しばしばそれを自分自身の肉体のように思い込んでいます。憑依霊と地上人の当事者同士がこうであるなら、それを外から見ている人間には、特に前世の情報は簡単に得られるとの先入観を持った人間には、両者の区別はきわめて難しくなります。結果的に、憑依霊の記憶を前世の記憶と勘違いしてしまうことになります。

 

“異言”はポピュラーで低次元の霊媒現象


異言という霊現象が昔からよく知られています。ある日突然、霊媒体質者が本人の知らない外国語をしゃべり出す現象のことです。聖書にもそうした異言についての記述が見られます(「使徒行伝」2章)。また現代のキリスト教の中にも異言を語る宗派が存在します。新新宗教の中では、GLAの異言がよく知られています。異言はこのようにかなりポピュラーな霊現象で、取り立てて騒ぐようなものではありませんが、問題はこの“異言”を、どのように解釈するかということです。スピリチュアリズムでは、異言は霊媒現象の一種と考えます。
スピリチュアリズムの中で最も多く見られる霊媒現象(霊界通信)の形式は、シルバーバーチに代表される「間接談話」であったり、モーゼスの霊訓の「間接自動書記」です。シルバーバーチの初期には、エクトプラズムでつくったメガホンでしゃべる「直接談話」の方式も用いられましたが、やがて間接談話の形式をとることによって霊界通信のレベルが向上しました。こうした霊媒現象では、霊界の通信霊が地上の霊媒に向けて「思念の言葉(霊界の普遍的言語)」で語りかけます。霊の思考内容が、地上の言語という形式を用いずに“インスピレーション”として地上の霊媒に伝わります。それを霊媒の潜在意識が、地上の言語に変換・翻訳することになります。
このメカニズムをもう少し詳しく述べると、次のようになります。通信霊が、地上の霊媒と自らのオーラを融合化させることによって、霊媒の“潜在意識”を支配下に置くことになります。そうした状況下で霊は、霊媒の潜在意識の中に存在する単語や文体を用いて自分の思想の言語化を図ります。それと同時に潜在意識につながる発声機能や書記機能を用いて、言語化した思想を発声表現したり、筆記表現することになります。多くの霊媒現象では、こうしたプロセスを踏んで地上人に、霊界からの思想・教訓が届けられることになるのです。
したがって霊媒の口から出る言葉や霊媒によって書かれた文章は、霊媒が日常生活で用いている言語になります。英国人の霊が日本人の霊媒を通じて通信を送る場合は、当然、日本語になります。また大昔の日本人が現在の日本人霊媒を通じて通信を送ってくる場合も、通信は現代日本語として届けられることになります。
高級霊が通信を送る場合、できるだけ負担のかからない方法を選択します。間接談話や間接自動書記の方法は、そうした目的に適っています。直接談話や直接自動書記霊が直接筆記する)では、霊に表現のためのたいへんなエネルギーが要求されることになり、長時間の通信、込み入った内容の通信は難しくなります。
高級霊が地上人にできるだけ正確に純粋なままの通信を伝えようとするとき、結局は「間接談話」や「間接自動書記」といった方法を選択することになります。間接談話のような入神中の霊媒を支配する方法ではなく、覚醒している霊媒にインスピレーションを送るという直接的な通信方式が、霊にとっては一番負担が少ないのです。しかしこの方法では、受信能力と翻訳能力が常に大きな問題となります。実際には通信が正確に受信されなかったり、受信されても霊媒の翻訳がいい加減で内容がデタラメになるといったことが多いのです。)
さて、先程の“異言”に話を戻します。異言も霊媒現象の一つである以上、当然、霊媒の潜在意識を利用します。しかしこの場合は、一般の霊媒現象のような潜在意識による言語化というプロセスは省略されます。霊媒の潜在意識につながる発声機能の領域だけが支配されることになります。霊界にいる霊達の記憶の中から、あるいは霊界の記憶の層の中から、かつての地上時代の使用言語が取り出され、それが直接、霊媒の発声機能に乗せられるのです。こうして霊媒の使用言語とは別の言語が音声化されることになります。これが異言のメカニズムです。
潜在意識は普通、言語機能・発声機能と連携して作動するようになっています。異言では、これらの連携を切り離して発声機能だけを利用しようとするのですから、霊の側には不自然な負担がかかることになります。霊は、自分や霊達の記憶の中から取り出した言語や、霊界の記憶の層から取り出した何らかの地上の言語を、ただ音声化することにのみ、すべてのエネルギーを費やすことになります。
“思想内容を伝達することより音声化”というこうしたショー的な意味のない通信――本来の目的を失った通信的行為を、高級霊がわざわざするようなことはありません。高級霊にとっては、内容(思想・教訓・真理)を伝えることが通信の一番の目的です。その目的にそわないうえに、ただエネルギーを浪費するだけの行為に加わるはずがないのです。
そうした行為は、地上人に対する霊界の“デモンストレーション”として、下級の霊に任されることになります。漢字を全く知らない霊媒を通じて漢字を書いたり、外国語を全く知らない霊媒を通じて外国語を書くようなことも、霊の力をもってすれば可能ですが、それは低次元のデモンストレーションとしての意味しかないのです。
したがって“異言”は、同じ霊媒現象といっても、さほど重要度の高い霊媒現象ではありません。それを演出する霊も、実際には大して霊的レベルの優れた霊ではないのです。こうした現象は高級霊の監視の下で、物質的影響力を行使しやすい下級霊・低級霊によって演出されることになります。)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・引用おわり

催眠(前世療法)臨床現場からの反論


上記「スピリチュアリズム普及会」論者の、前世療法批判の総括的結論は、「一見科学的な装いをまとった退行催眠によってもたらされるのは、錯覚や間違ったイメージでしかありません」という否定一色の主張のようです。


しかし、「確信的スピリチュアリスト」のすべての人が、前世療法に関してこの論者のような主張・見解をもっておいでになるわけではないでしょう。

そこで、「巷に横行している“前世探し”を取り上げ、スピリチュアリズムの観点から検証します」というこの論者の言う「検証」が、前世療法についても、具体的かつ慎重になされたうえでの妥当な批判・主張になっているのかどうかについて、催眠臨床実践者として検討してみたいと思います。

まず、この論者は、「催眠術」(引用文中のゴチック)という用語を当然のように用いていますが、この用語法は、催眠学上不適切です。
舞台催眠(催眠を使った見世物・ショウ) については「催眠術」と呼びますが、前世療法を含めて療法として心理臨床に用いる催眠は、催眠学上の共通理解として「催眠法」と呼ぶように統一されています。


こうした不適切な用語を安易に用いている点から推測するに、少なくともこの論者は臨床催眠の実践者ではないと思われます。
また、催眠学への造詣がさほど深くないことも、うかがうことができると思います。
あるいは、故意に「催眠術」という用語を用いて、催眠自体を非科学的な意識現象へと貶めようとする悪意すら疑われます。

 以上の前提に立てば、この論者が実際の前世療法セッション現場に立ち会い、自分の目で前世療法の実際を確認したうえで、個別に慎重に「検証」した結果の主張とは到底思われません。

そこで、上記引用した前世療法批判についての反批判を、項目ごとに私の臨床体験に基づいて述べてみます。

4の(1)「催眠術自体が、客観的な情報をもたらさない」という批判について

こうした批判は、セラピストの意図的誘導や催眠中にクライアントに起こる「要求特性」によって架空の前世記憶や架空の前世人格が作り出される、という主張です。

「要求特性」によって、確かに 架空の前世記憶や架空の前世人格が作り出されることがありうることは、私の事例のいくつかの検証結果からも納得でき、否定できません。

しかし、すべての事例がそうであるというような断定は、個々の事例の多くを検証した総合的判断であるはずがないのです。
そもそも、前世療法で語られる諸情報が、検証可能なレベルで語られることはまれであるからです。
私の臨床体験では、語られた諸情報のほとんどは検証不能でした。

しかしまた、「タエの事例」で語られた諸情報の検証結果がすべて客観的であった事実があります。
シルバーバーチも、「いわゆる(催眠術の)遡及(そきゅう)によって前世とコンタクトできるという事実は否定しません」(『シルバーバーチの霊訓10』潮文社,p.130) と告げ,前世にコンタクトできることを認めているのではありませんか。


したがって、「催眠術自体が、客観的な情報をもたらさない」などの断定は、事実に反した極端な一般化だと言っていいでしょう。
客観的情報であるかどうかを検証し、検証不能であれば判断留保とすることが公正な態度だというべきでしょう。

4の(2)「催眠下では、潜在意識が催眠誘導にそってフィクションをつくり出す」という批判については、前述4の(1)で述べた反批判と同様です。

4の(3)「催眠下では、テレパシー能力が高まり、外部の情報が入手しやすくなる」という主張について

「催眠下では、霊的感受性が高まるのが普通です。そうした状態では、覚醒中には知ることができなかった他人の心の内を読み取ったり、外部の霊や人間から発せられる思念を“テレパシー”としてキャッチすることができるようになります」という主張については、私の催眠臨床体験では確認したことは1例もありません。

この主張の裏付けとなるようなことが起こったという海外の事例を読んだ記憶はありますが、他人の心の内を読み取ったり、外部の霊や人間から発せられる思念を“テレパシー”としてキャッチすることができる、という事例(私の読んだ事例は、他人の心を読み取った言う事例)は、きわめてまれだとしか思えません。
まれであるからこそ、文献として残されたということにほかなりません。

こうしたまれな事例を、選択的に抽出し、拡大視し、催眠下ではそれが一般的に起こるという「極端な一般化」へとすり替える論法は、認知の誤りの結果だと思われます。

4の(4)「催眠下では、低級霊の働きかけが活発になる」という主張について 

まず、この論者のいう「低俗な催眠術」とはどのようなレベルの催眠深度であるのか、どのような催眠暗示がなされた状態を指しているのかが不明です。
そして、「低級霊の働きかけ」が起こっているかどうかを見分ける指標(検証の基準)が示されていませんから、低級霊の働きかけが起こっているという主張は、結局論者の「恣意的推論」でしかないということになります。

私の催眠臨床体験で、突然被験者の表情の変化、身体の痙攣、語り口の変化が観察でき、なんらかの憑依現象が生じたと疑われた事例は1例だけです。
きわめて深い催眠状態において憑依現象らしきことが起こる可能性は否定しませんが、たびたび起こるような意識現象ではけっしてありません。
私の催眠臨床の経験則によれば、少なくとも、守護霊などによる安全装置が機能しており、
滅多なことでは低級霊に弄ばれることなどありません。


したがって、「催眠下では、低級霊の働きかけが活発になる」という主張も、「極端な一般化」だと判断してよいと思われます。
シルバーバーチも、「霊によって憑依される可能性もあります」と、「可能性」について言及してはいますが、断定しているわけではないのではありませんか。


4の(5)「催眠下では、容易に幽体離脱が生じる」という主張について

「催眠下では容易に“幽体離脱”が生じるようになります」という断定についても、私の催眠臨床体験に照らすとうなずくことができません。
セッション後、体外離脱(幽体離脱)をしたという報告のあった事例は1例あります。
したがって、体外離脱(幽体離脱)を起こしたとしても、「容易に」などとは言えないでしょう。
また、報告される体外離脱(幽体離脱)現象が、脳内現象であるのか魂のような意識体が肉体を離脱した現象であるのか、科学的決着はいまだについていないのです。

5の「憑依霊の記憶を、前世の記憶と混同」という主張について

ここでは、「憑依霊は、たびたび前世の人格と間違われます。憑依霊が、自分の地上時代の生い立ちや生活状況・人間関係について語り、その内容を検証すると、まさに事実と一致するというような場合があります。こうしたとき、それが地上人の前世の記憶によるものと誤解されます・・・言うまでもないことですが、そうした情報はすべて憑依霊の記憶であって、地上人の前世の記憶ではありません」 という論が展開されています。

 私が知りたいのは、憑依霊と前世の人格を見分ける検証のための指標(検証の基準)です。
 それが一切示されていない前提においては、「憑依霊はたびたび前世の人格と間違われます」という主張の根拠は不明ということになります。
「タエの事例」のタエ、「ラタラジューの事例」のラタラジューの語りは、検証の結果まさに事実と一致しました。
この論者によれば、タエとラタラジューの語りの内容(情報)は、すべて憑依霊の記憶であるということになります。
「憑依霊の記憶」である確かな検証が示されないところで、このような一方的判断がなぜできるのでしょうか。
理解に苦しみますし、説得力はないと思います。
この論者は「スピリチュアリズムの観点から検証します」と冒頭で述べています。
「検証」とは、「調べて証明すること」 です。

憑依霊と前世の人格を見分ける検証の基準を示し、「タエの事例」、「ラタラジューの事例」を具体的に調べ、、検証の基準に基づく具体的根拠を示して憑依霊の記憶であることを証明してほしいものです。

5の「“異言”はポピュラーで低次元の霊媒現象」という主張について

論者によって、「異言という霊現象が昔からよく知られています。ある日突然、霊媒体質者が本人の知らない外国語をしゃべり出す現象のことです。聖書にもそうした異言についての記述が見られます(「使徒行伝」2章)。また現代のキリスト教の中にも異言を語る宗派が存在します。新新宗教の中では、GLAの異言がよく知られています。異言はこのようにかなりポピュラーな霊現象で、取り立てて騒ぐようなものではありませんが、問題はこの“異言”を、どのように解釈するかということです。スピリチュアリズムでは、異言は霊媒現象の一種と考えます」と述べられています。

「霊媒体質者が本人の知らない外国語をしゃべり出す現象のこと」を「異言」という霊現象だと説明してありますが、これでは専門用語としては説明不足です。
 単に「異言」と言った場合には、「検証されていない外国語らしき言語」というほどの意味であり、発語(発話)者が学んでいないことが科学的に検証された外国語」を「真性異言」(ゼノグロッシー)と言います。
真性異言は、さらに「朗唱型真性異言」と「応答型真性異言」に種別されます。
「朗唱型真性異言」とは、対話相手がいない状態で外国語の単語や文を一方的に発語する場合、「応答型真性異言」とは異言で話す対話相手と応答的に異言で対話する場合を言います。

論者は「異言はこのようにかなりポピュラーな霊現象」だと述べていますが、私の催眠臨床体験からすれば、とてもポピュラーな現象とは言えません。
なぜなら、検証不能な異言が1例、 検証の結果にせの異言であった事例が1例、応答型真性異言(ラタラジューの事例)が1例であり、計3例しかありません。
臨床事例のわずか3例をもって、これをポピュラーな現象とはとても言えないでしょう。
私は、応答型真性異言以外の2例は、催眠中の要求特性による想像力が働いた結果の作話であろうと判断しています。

そして、応答型真性異言「ラタラジューの事例」は、前世人格ラタラジューが被験者里沙さんを霊媒として顕現化した憑依現象だととらえています。
ただし、ラタラジューは、里沙さんの魂の表層を居場所とする意識体としての前世人格ですから、いわゆる「霊」ではありません。
魂表層を構成している前世人格が、生まれ変わりである現世の里沙さんの肉体を借りて自己表現する現象、いわゆる憑依現象ですが、このような憑依現象はこれまで知られていませんので、SAM催眠学上の新しい概念をあらわす用語として「自己内憑依」と名付けています。

そして、自己内憑依現象として顕現化し、応答型真性異言現象を示した「ラタラジューの事例」を、「低次元の霊媒現象」として評価することは間違いだと思います。
スピリチュアリズムの立場から、応答型真性異言現象は、「低次元の霊媒現象」だと切って捨てるとすれば、イアン・スティーヴンソンの応答型真性異言「グレートヒェンの事例」も低次元の霊媒現象だと切って捨てるのでしょうか。
低次元の霊媒現象だと断定するのであれば、憑依霊と前世の人格を見分ける検証の基準を示し、検証の基準に基づく具体的根拠を示して、低次元の憑依霊の記憶であることをきちんと論証してほしいものです。


この論者には、「一見科学的な装いをまとった退行催眠によってもたらされるのは錯覚や間違ったイメージでしかありません」、「前世療法は百害あって一利なし」という誤った先入見がはじめからあるように思われます。

それへの反論を封じるために、要求特性によって偽りの前世が語られていると否定し、検証によって語り内容が事実である場合は、幽体離脱やら低級霊の憑依現象によるまやかしだと否定する、こうして前世療法によってもたらされる前世の情報は、結局、どういう結果が出ても、錯覚や間違ったイメージでしかない、という全面的否定へと導くのが、この論者のはじめからの基本的論理のように思われます。

しかし、要求特性やら、テレパシーやら、幽体離脱やら、低級霊の憑依やらを持ち出して、前世療法を全面的否定しようとする観念論は、実際の催眠臨床で確認できる事実に反していますよ、というのが、私の率直な実感です。

お断りしておきますが、これまでの反論は、どこまでも私個人の催眠臨床の示す事実においてという、限定と限界を自覚した前提での反論であり、他の前世療法臨床家諸氏にはまた別のお考えがあるかと思います。

付言しますと、私はスピリチュアリズムの説く霊的真理には深い共感を抱く立場であり、スピリチュアリズムそのものを否定する意図は毛頭ありません。