2016年5月12日木曜日

SAM催眠学序説 その90

スティーヴンソンの生まれ変わりの見解とSAM催眠学

私の研究の方法論は、イアン・スティーヴンソンの諸著作から学んだことをモデルとしています。
彼は、自らの手で集めている生まれ変わりを示す証拠が、自ら事実を物語るはずだ、と繰り返し述べています。

また、生まれ変わりという考え方は、最後に受け入れるべき解釈なので、これに替わりうる説明がすべて棄却できた後に、初めて採用すべきである、という研究方法を一貫して採用しています。

拙著、『前世療法の探究』、『生まれ変わりが科学的に証明された!』のタエ・ラタラジューの両事例の諸検証は、スティーヴンソンの科学的検証方法を忠実にたどっておこなったつもりです。

私が死の恐怖について、きわめて臆病な人間であったことは、このブログでも述べてきました。
しかし、死の恐怖から免れるために、宗教(信仰)に救いを求めることは、生来の気質からできなかったことも正直に述べました。
こうした私だからこそ、イアン・スティーヴンソンの「生まれ変わりの科学的研究」に強く惹かれるものを感じてきました。

彼こそ、生まれ変わりという宗教的信仰を、科学的探究の対象へととらえ直し、変貌させることに成功した先駆的科学者であると評価できると思うからです。

そこで、ここでは、彼の生まれ変わりについての見解がもっとも濃厚に述べられている『前世を記憶する子どもたち』日本共文社,1989から、その見解を紹介し、私のSAM催眠学の立場と比較してみたいと思います。
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生まれ変わったと推定される者では、先述のイメージ記憶、行動的記憶、身体的痕跡という三通りの要素が不思議にも結びついており、前世と現世の間でもそれが一体になっていなかったとは、私には想像すらできない。
このことからすると、この要素(ないしその表象)は、ある中間的媒体に従属しているらしいことがわかる。
この中間的媒体が持っている他の要素については、おそらくまだ何もわかっていない。

前世から来世へとある人格の心的要素を運搬する媒体を「心搬体(サイコフォア)」と呼ぶことにしたらどうかと思う。
 私は、心搬体を構成する要素がどのような配列になっているのかは全く知らないけれども、肉体のない人格がある種の経験を積み、活動を停止していないとすれば、心搬体は変化して行くのではないかと思う。(中略)
私は、「前世の人格」という言葉を、ある子どもがその生涯を記憶している人物に対して用いてきたけれども、一つの「人格」がそっくりそのまま生まれ変わるという言い方は避けてきた。
そのような形での生まれ変わりが起こりうることを示唆する証拠は存在しないからである。
実際に生まれ変わるかも知れないのは、直前の前世の人格および、それ以前に繰り返された過去世の人格に由来する「個性」なのである。
人格は、一人の人間がいずれの時点でも持っている、外部から観察される心理的特性をすべて包含しているのに対して、個性には、そのうえに、現世で積み重ねた経験とそれまでの過去 世の残渣が加わる。
したがって、私たちの個性には、人格としては決して表出することのないものや、異常な状況以外では人間の意識に昇らないものが数多く含 まれているのである。

前掲書PP.359-360
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上記のスティーヴンソンの見解とSAM催眠学の「魂の二層構造仮説」の見解とを比較してみると、ほぼ整合するところが指摘できます。

彼の言う「中間的媒体」、「心搬体(サイコフォア)」は、私の「魂」概念と同義です。
おそらくスティーヴンソンはSoulという語にまとわりつく宗教臭を嫌ったのだと思われます。

私は、「前世から来世へとある人格の心的要素を運搬する媒体」を、そのまま従来の「魂」の概念でも不都合はないと思いますし、新しい概念でもないのに「心搬体」などの新しい用語を用いることは不要だと思っています。

また、彼の、「心搬体を構成する要素がどのような配列になっているのかは全く知らないけれども、肉体のない人格がある種の経験を積み、活動を停止していないとすれば、心搬体は変化して行くのではないかと思う」という見解は、「魂は二層構造になっており、表層は前世人格たちが構成し、それら前世人格は互いの人生の知恵を分かち合い学び合い、表層全体の集合意識が成長・進化(変化)する仕組みになっている」という仮説を支持するものと言えそうです。
ただし、彼は、「心搬体(魂)」を構成する要素がどのような配列になっているのかは全く知らない、と述べています。

私は、私あて霊信によって、「魂(の表層)を構成する要素がどのような配列になっているのか」を教えられ、催眠を道具にその真偽の検証によって、魂表層を構成する一つの要 素である、前世の人格たちを呼び出すことに成功したと思っています。
そして、ラタラジューの事例によって、前世人格ラタラジューは、魂表層で、肉体はなく とも生きて活動していることを実証できたと思っています。

つまり、「魂は二層構造になっており、表層は前世人格たちが構成し、それら前世人 格は互いの人生の知恵を分かち合い学び合い、表層全体の集合意識が成長・進化する仕組みになっている」というのが、私の見解です。
つまり、「心搬体」= 「魂」の表層全体は、生まれ変わりをするたびに、表層の前世人格が増え、その人生で得た智恵が加わり、表層全体が変化していくものだということを、顕現化した前世人格の語りから確認しています。

さらに、一つの「人格」がそっくりそのまま生まれ変わるという言い方は避けてきた。そのような形での生まれ変わりが起こりうることを示唆する証拠は存在しない」、というスティーヴンソンの見解は、そっくり私の見解と同様です。

現世の私という一つの人格が、来世にそのままそっくり生まれ変わるわけではなく、魂表層を構成する諸人格の一つとして生き続けるのであって、生まれ変わるのは「表層の前世諸人格を含めた一つの魂全体」だというのが、SAM催眠学の明らかにしてきた生まれ変わりの実相だと言えます。

また、「実際に生まれ変わるかも知れないのは、直前の前世の人格および、それ以前に繰り返された過去世の人格に由来する「個性」なのである。個性には、そのうえに、現世で積み重ねた経験とそれまでの過去世の残渣が加わる」というスティーヴンソンの考え方も、私の見解にほぼ一致します。

現世の個性は、魂表層の前世諸人格たちから人生の知恵を分かち与えられることによっており、このようにして繰り返された前世の諸人格に由来する「個性」と、両親からの遺伝的資質と、現世での諸体験とによって、形成されているに違いないのです。

さて、私が、故スティーヴンソンに求めたのは、前世の記憶を語る子どもたちの「記憶」の所在についての考究でした。
彼が、「前世の記憶」が脳にだけあるとは考えていないことは、「心搬体」という死後存続する「媒体」を想定していたことに照らせば、間違いありません。

私の期待したのは、その心搬体と脳との関係についてのスティーヴンソンの考究です。
前世の記憶を語ったとされる子どもたちは、その前世記憶を、心搬体からの情報として話したのか、脳から得て話したのか、いずれなのでしょうか。

私の大胆な仮説を述べてみますと、すべての事例がそうではないにしても、子どもの魂表層に存在する前世人格が、顕現化(自己内憑依)し、子どもの口を通して、前世人格みずからが自分の人生を語った可能性があるのではなかろうか、ということになります。

それは、その前世を語った子どもの12事例のうち、8つの事例で、次のように話し始めた(ふるまった)とスティーヴンソンが紹介しているからです。

①ゴールパールは、「そんなものは持たない。ぼくはシャルマだ」と答え、周囲を仰天させた。(前掲書P94)

②コーリスが1歳1ヶ月になったばかりの頃、母親が名前を復唱させようとしたところ、コーリスは腹立たしげに、「ぼくが誰か知ってるよね。カーコディだよ」と言った。(前掲書P98)

③日本に帰りたいという願望をよく口にし、ホームシックから膝を抱いてめそめそ泣くこともあった。また、自分の前で英米人の話が出ると、英米人に対する怒りの気持ちを露わにした。(前掲書P101)

④シャムリニーは、その町に住んでいた時代の両親の名前を挙げ、ガルトウダワのお母さんのことをよく話した。また、姉妹のことやふたりの同級生のことも語っている。(前掲書P104)

⑤ボンクチはチャムラットを殺害した犯人は許せないという態度を示し、機会があると復讐してやる、と何年か言い続けた。(前掲書P116)

⑥おまえの名前は「サムエル」だと教えようとしても、サムエルはほとんど従おうとしなかった。「ぼくはペルティだ」と言ってきかなかったのである。(前掲書P121)

⑦前世の話をもっとも頻繁にしていた頃のロバータは、時折前世の両親や自宅の記憶を全面的に残している子どもが養女にきているみたいにふるまった。(前掲書P126)

⑧3歳の頃マイクルは、全く知らないはずの人たちや出来事を知っているらしい兆候を見せ始めた。そしてある日、「キャロル・ミラー」という名前を口にして、母親を驚かせたのである。(前掲書P141)

以上のような事例の事実は、「子どもが前世の記憶を話した」というよりは、「前世人格が現れて人生の出来事を話した」と、現象学的にありのままに受け取ることのほうが、より自然だと私には思われるのです。

ス ティーヴンソンは、応答型真性異言の「グレートフェンの事例」において、ドイツ人少女グレートフェンを顕現化した「トランス人格(前世人格)」として解釈しています。

前世を語った子どもにおいても、前世人格の顕現化の可能性をなぜ検討しなかったのか、私には不満が残ります。
「前世の記憶」だという思い込みがあるよう に思われてなりません。

とりわけ、上記③⑤⑦などの事例は、「前世人格の顕現化」として解釈するのが自然だろうと思います。

現世の生活歴がわずかしかなく、現世の諸体験による夾雑物の少ない3歳から5歳の子どもでは、魂表層の前世諸人格のうち、より現世に近い新しい前世人格が、条件や状況に応じて自動的に顕現化することが起こりやすくなっているのではないか、と私は考えます。

成長するにしたがって現世の諸体験によるさまざまな夾雑物の増加が、子どもに起こるような自動的な前世人格の顕現化を妨げるようになると考えられます。

成人においては、そうした現世の諸体験による夾雑物からのとらわれから開放される深い催眠状態(魂状態の自覚)に至ると、前世人格の顕現化が可能になるのだ、という理解のしかたは一理あるだろうと思われます。

スティーヴンソンが存命していれば、こうした私の見解についてどう評価するか問うてみたいものです。

7 件のコメント:

ショウタ さんのコメント...


動画をもう一度しっかり見ました


最初見たときは懐疑的な気持ちで見て所々飛ばしてしまいましたが今度は中立的な気持ちで見ました稲垣さんのおっしゃっていたように不完全性定理や脳科学などの理論だけでは判断できないと思いました。また解説で証言と歴史的な事実の追及と一般的な疑問や指摘しそうな部分も解説してる部分が良かったです

これは思い込みや願望ではなく、れっきとした実験だと思いました


好奇心感覚でコメントした自分が失礼な事をしたと思いました

稲垣勝巳 さんのコメント...

ショウタさんが、好奇心感覚で、懐疑的な気持ちで、you-tube公開の「タエの事例」、「ラタラジューの事例」の動画をごらんなったことは、きわめて健全な思考態度です。
いわゆるスピリチュアルな心霊現象を、そのまま鵜呑みにすることは軽信のそしりを免れません。
軽信は、理性を働かせることへの怠慢、ないし理性の欠如から起こるからです。

生まれ変わりの証拠の映像というけれど、本当にそうか、どこかに嘘や巧妙なトリックがあるのではないか、と鵜の目、鷹の目で理性を働かせてあら探しをしてほしい、という思いが公開した一つの動機になっています。
動画公開は2014年の11月です。「タエの事例」が出たのは2005年6月、「ラタラジューの事例」が出たのが2009年5月です。
動画公開までに、両事例の検証には少なくとも5年間の時間が経過しています。
5年間、徹底的な懐疑的思考で検証しましたが、両事例で語られた前世の情報について、被験者里沙さんがセッション以前に情報を入手していた疑わしい事実の発見は皆無でした。

こうした検証結果を、生まれ変わり以外で説明ができますか? できるならしてください、という問いかけが公開動画の目的です。
二つのゼッション動画のありのままの事実を認めるとすれば、生まれ変わりの事実は少なくとも被験者里沙さんには起きていると認めるしかないではありませんか、そして里沙さんの生まれ変わりを認めるとすれば、それ以外の人にも生まれ変わりが起きている蓋然性は高いと考えていいのではありませんか、というのが私の主張です。 

シュヴァル さんのコメント...

こんにちは

今月も塾楽しくかついろいろなことが学べました。
新しい考え方、体験が毎月できて大変新鮮で、興味深かったです

先月につづき、浄霊も見れましたし、高級霊らしきものとの対話もできるなど
SAM式の療法を学べるのはとても有意義だと感じています。

ありがとうございました
来月のよろしくお願いします。

稲垣勝巳 さんのコメント...

坊 さんが投稿「SAM催眠学序説 その90」にコメントを書き込みました。
5月18日(水) 21:00~21:54 もうすぐ生まれ変りどころか魂も否定されますよ
ホンマでっか!?TV
『レギュラートーク「死後の世界は本当にあるのか!?」』
http://www.fujitv.co.jp/honma-dekka/
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5月17日に上記の投稿が坊さんからありました。
番組放映前の内容未確認情報でしたから、アップすることを保留にしておきました。

この番組を視聴しましたが、坊さんの言う「もうすぐ生まれ変りどころか魂も否定されますよ」などのトーク内容は一切なく、「死後の世界を認める」というトーク内容に終始していました。

ちなみに、死後の世界を認める仮説を「死後存続仮説」と呼び、「生まれ変わり仮説」は「死後存続仮説」に含まれますが、別の概念です。
坊さんはこうした基本的概念の違いが分かっておいでではないようです。

キリスト教の教義では霊魂の死後存続(死後の世界)を認めますが、霊魂の生まれ変わりを認めていません。
したがって、霊魂の死後存続(死後の世界)を認めることが、そのまま生まれ変わりを認めることには直結しているわけではありません。

したがって、紹介されている番組では「生まれ変わりの有無」については、一切触れられることはなかったということです。

シュヴァル さんのコメント...

放送される前の番組を張り付けてするのは、そもそもマナー違反の気がします。

結局のところ、先生のレスをもらいたいだけの人のように見えます。

まともな反論は一度もありませんし、本当に弱い80超えられてるのであれば、もっと分別が付くと思うのですが?

稲垣勝巳 さんのコメント...

前投稿のシュヴァルさんの文章中の「本当に弱い80超え」は「本当に齢80を超え」の誤りでしょうね。

それはともかくとして、坊さんも、紹介番組ホンマでっか!?TV『レギュラートーク「死後の世界は本当にあるのか!?」』を視聴されたはずです。
生まれ変わりどころか、魂も否定されることを期待して、この番組をご覧になってどんな感想を抱かれたのか是非知りたいところです。

シュヴァル さんのコメント...

失礼いたしました
投稿時点では自覚なかったのですが、すでに熱があったようで
投稿後、ずっと臥せっておりました。
齢80の誤りです

訂正してお詫びいたします。