2016年4月8日金曜日

ワイスの「前世の記憶」という概念

   SAM催眠学序説 その87

ワイスが前世療法を始めたのはまったくの偶然だったようです。
彼の『前世療法』山川夫妻訳、PHP、1991によれば次のようにその消息が語られています。

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「あなたの症状の原因となった時まで戻りなさい」
そのあと起こったことに対して、私はまったく心の用意ができていなかった。
「アロンダ・・・・私は18歳です。建物の前に市場が見えます。
かごがあります。
かごを肩に乗せて運んでいます。・・・・(後略)時代は紀元前1863年です。・・・・」
彼女はさらに、地形について話した。
私は彼女に何年か先に進むように指示し、見えるものについて話すように、と言った。      (前掲書PP25-26)
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上記セッション記録のクライアントは、コントロール不能の不安に悩む28歳の女性キャサリン。
そして、突如、キャサリンは紀元前19世紀のアロンダと名乗る18歳の娘であったときの前世記憶を語りはじめたというわけです。

注意すべきは、上記の「私は彼女に何年か先に進むように指示し」とは文脈からして「彼女」とは「前世人格アロンダ」ではなく、クライアントのキャサリンに対して指示していることです。
ワイスは、明らかにクライアントのキャサリンが前世記憶として、紀元前19世紀に生きたアロンダのことを語っている、ととらえています。
しかし、アロンダの語りをありのままに受け取れば、「前世人格アロンダ」が顕現化したとらえるべきではないでしょうか。

ワイスの思考は、この現象を次のようにとらえています。
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そして、キャサリンは紀元前1863年にいた若い女性、アロンダになった。
それとも、アロンダがキャサリンになったというべきなのだろうか?(前掲書P36)
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上記の「キャサリンが・・・アロンダになった」、「アロンダがキャサリンになった」というワイスの思考法は私には理解不能な奇妙な考え方に写ります。

キャサリンが前世のアロンダになれるはずがないでしょうし、逆にアロンダが現世のキャサリンになれるはずもないからです。
「キャサリンがアロンダであったときの前世記憶を語った」のか、「前世のアロンダがキャサリンの口を介して自分の人生を語った」のか、と考えることが通常の思考だろうと思われます。

結局、ワイスは、「前世人格のアロンダが自分の生まれ変わりである現世のキャサリンの口を介して自分の人生を語っているのだ」という素直な解釈をとらず、「現世のキャサリンが前世でアロンダであったときの前世の記憶を語ったのだ」という解釈を、以後の他のクライアントにおこなった前世療法の語りにおいても一貫して適用しています。

そのことはこの本の末尾で次のように述べていることか ら明らかです。

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こうした人々は、それ以外の前世についても思い出した
そして過去生を思い出すごとに、症状が消えていった。
全員が今では、自分は過去にも生きていて、これからもまた生まれてくると固く信じている。
(前掲書P264)
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「前世についても思い出した」、「過去生を思い出すごとに」の文言で明らかなように、ワイスにとっては、前世療法におけるクライアントの語りは、「クライアントが前世の記憶を語るのだ」という解釈が一貫してとられているということです。

「前世人格が顕現化し現世のクライアントの口を通して語る」とはどうしても考えることがなかったのです。
著名な前世療法家グレン・ウィリストンと同じく、ワイスもついに「前世人格の顕現化」というとらえ方ができずにいることは、私よりはるかに数多い前世療法セッションをこなしているはずなのになぜでしょうか?

私がワイス式と呼んでいる、ワイスの前世療法の誘導文言が、『前世療法2』の巻末に次のように書かれています。
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階段の下の方には、向こうにまばゆい光が輝いている出口があります。
あなたは完全にリラックスして、とても平和に感じています。
出口の方に歩いてゆきましょう。
もう、あなたの心は時間と空間から完全に自由です。
そして、今まで自分に起こったすべてのことを思い出すことができます」
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やはり、ワイス式においては、クライアントは前世の記憶を「思い出す」のです。

ちなみに、前世療法家グレン・ウィリストンは以下のように誘導するようです。
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 暗いトンネルをふわふわと心地よい気分で通り抜けていく状態をイメージしてもらうと効果的である。
「トンネルの向こうには、過去生の場面が開けています」と声をかける。
そうすれば、クライアントは、その場面に入り込んで登場人物のひとりとなる前に、その場面に意識を集中する余裕をもつことができるからだ。
(グレン・ウィリストン/飯田史彦『生きる意味の探究』徳間書店,1999,P314)
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ウィリストンも、記憶の中にある過去生の場面に戻り、登場人物になりきる(登場人物になったつもりで役割演技する)、ととらえているわけで、やはり、「前世の記憶を想起する」という前提に立っていると考えて差し支えないでしょう。

誤解を恐れず言えば、ワイスもウィリストンも「生まれ変わり」と「魂」の存在を信じているらしいにもかかわらず、「脳内にあるであろう前世の記憶を想起させる」という唯物論思考へのとらわれから完全に抜け出すことができなかったのだ、と私には思われます。
無条件で、「前世の記憶」と言った場合、その記憶の所在は脳内である、と考えていることになります。
脳内の記憶は、死とともに無に帰することは言うまでもないことです。
したがって、現世の記憶が来世に持ち越されることはありえません。
当然の論理的帰結として、前世の記憶として語られた内容は、すべてフィクションであることになります。
私が2004年に日本催眠医学心理学会おいて、ワイス式前世療法の事例発表した際に、参会者の医師・大学の研究者から批判されたのは、まさにこの前世の記憶の真偽についてでした。
催眠中のクライアントが、無意識のうちにセラピストの要求に協力しようとする「要求特性」によるフィクションの語りこそ「前世の記憶」の正体なのだという批判でした。
 あとで述べるイアン・スティーヴンソンの前世療法に対する厳しい批判も同様です。

脳内の前世の記憶が、フィクションではなく確かに存在する、ことを証明するためには、語られた前世の記憶の真偽を、徹底的に検証する必要があります。
しかし、ワイス式前世療法実践者で、科学的手法で真偽の検証をおこなった事例は、私の管見するかぎり公刊されてはいないようです。

生まれ変わりの科学的研究者イアン・スティーヴンソンは、こうした状況について下記のように前世療法批判を展開しています。
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こうした(催眠によって起こる) 集中力をさらに高めていく中で被術者は、思考の主導権を施術者に委ねてしまうため、施術者の催眠暗示に抵抗できにくくなってくる。催眠暗示により施術者に何か想い出すように命じられた被術者は、それほど正確に想起できない場合、施術者を喜ばせる目的で、不正確な発言をおこなうことも少なくない。それでいながら大半の被術者は、自分が語っている 内容に事実と虚偽が入り混っていることに気づかないのである。(中略)

前世の記憶らしきものをはじめからある程度持っている者に催眠をかければ、細かい事実を他にも想い出すのではないか、とお考えになる方もおられるかもしれない。私自身もそのように考えたため、自然に浮かび上がった前世の記憶らしきものを持つ者に催眠をかけたことがある。(中略)
私はこのような実験を13件自らおこなったり指導したりしている。一部では私自身が施術をおこなったが、それ以外の実験で他の施術者に実験を依頼した。その結果、ただの一件も成功しなかった。 (『前世を記憶する子どもたち』日本教文社、PP72-80)
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スティーヴンソンは催眠への造詣が深いようですし、彼自身も催眠技能があると言っています。
その彼の前世療法批判の結論は次のように痛烈です。

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 催眠を使えば誰でも前世の記憶を蘇らせることができるし、それにより大きな治療効果があがるはずだと主張するか、そう受け取れる発言をしている者もある。私としては、心得違いの催眠ブームを、あるいはそれに乗じて不届きにも金儲けの対象にしている者がいるという現状を、特に前世の記憶を探り出す確実な方法だとして催眠が用いられている現状を、なんとか終息させたいと考えている。(前掲書P7)
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こうした手厳しい批判に対抗するための唯一の方法は、ワイス式によって語られた前世記憶の真偽を検証し、それが真であることを実証すること以外にありません。
そうした真偽の検証がないままに、「前世の記憶」だと主張することを批判されても当然だと思われます。


結局は、唯物論的固定観念である「前世記憶」という思い込みによって、「前世人格が顕現化して対話しているのだ」という発想の転換ができなかったのでしょう。

また、ワイス、ウィリストン両者とも、「ラタラジューの事例」のような応答型真性異言に出会っていなかったことも、発想の転換を妨げたと思われます。
なぜなら、応答型真性異言「グレートヒェンの事例」に立ち会った、生まれ変わりの科学的研究者イアン・スティーヴンソンは、真性異言で応答的会話をしているのは被験者自身ではなく、顕現化している「トランス人格」であると解釈しているからです。(『前世の言葉を話す人々』春秋社、P11)

日本で公刊されている生まれ変わり関係、前世療法関係の著作を調べた限りでは、催眠中に「トランス人格」が顕現化して会話した、という解釈を示しているのはスティーヴンソンだけです。
しかし、スティーヴンソンは「トランス人格」が、どこに存在しているかについては何も語ってはいません。
ただし、彼は、「前世から来世へと人格の心的要素を運搬する媒体を『心搬体(サイコフォア)』 と呼ぶことにしたらどうかと思う」(『前世を記憶する子どもたち』日本教文社、P359)と述べていますから、「心搬体」、つまり「魂」と呼ぶ意識体にトランス人格が宿っていると考えていたと推測できそうです。


いずれにせよ、催眠下のトランス状態で「前世人格」が顕現化して会話しているという主張をしたのは、私以前には世界中でスティーヴンソンだけでしょう。
同様の主張をしているのは21世紀になってからは私だけのはずです。

ワイスが「キャサリンの事例」に出会ったのは1980年代の半ばころだと思われます。
私が、「ラタラジューの事例」に出会ったのは2009年です。

前世療法が流布し市民権を得て、30年程度の間、催眠中に語られる内容は「脳内に存在する前世の記憶」だとして扱われ続けてきた概念を、私は、魂の表層に存在している前世人格の顕現化」だと主張するに至りました。


この主張は、私あて霊信が告げた作業仮説に基づくSAM前世療法によってあらわれた応答型真性異言「ラタラジューの事例」という実証があってこそのことです。

きわめて深い催眠下では魂の表層に存在している前世人格の顕現化」が可能になる、という唯物論に真っ向から対立する途轍もなく奇怪な主張は、素直に受け入れがたいでしょうが、この主張を裏付ける応答型真性異言「ラタラジューの事例」の証拠映像が実証している以上、事実として認めるほかありません。
超ESP仮説を考慮しなければ、前世存在の証拠に「タエの事例」も含めることができるでしょう。
そして、両事例について、唯物論による反証を挙げることが不可能です。

深い催眠下では魂の表層に存在している前世人格の顕現化が可能になる」という意識現象の事実は、SAM催眠学の発見してきた成果の一つです。

4 件のコメント:

シュヴァル さんのコメント...

以前からここでも申し上げているように起こったことを否定するのは難しい話であると思います。

先生のセッション体験すると否応なく
認めざるを得ないのはすごいことだと思いますね。

不思議なのは催眠状態だとなぜできるのかです。
ブログを読ませていただくと霊界と通信しやすくなるためのようですが
何故そうなるのかよくわからない部分ですね

シュヴァル さんのコメント...

教の塾大変参考になりました
ありがとうございました。

おそらく今日の体験は一生忘れることがないと思います。
非常に鮮烈で凄い体験ができました。

来月の講義も楽しみにしております。

稲垣 勝巳 さんのコメント...

シュヴァルさんの「非常に鮮烈で凄い体験」とは催眠塾でおこなった未浄化霊を救うための憑依実験のことですね。

霊媒の役割をしてくださった女性塾生のOさんに、立て続けに3体の未浄化霊が憑依し、その身元を語り、浄霊作業に取りかかると激しい痙攣の身体反応が生じるという、意識現象と身体現象を目前で観察されたことが衝撃だったというわけでしょう。
起こった意識現象と身体現象の事実が、Oさんの役割演技とは考えられない、とすれば本当に未浄化霊の憑依を認めるしかないということになります。
霊魂実在の一つの証明になります。

Oさんの催眠感受性の高さから推測しますと、彼女は催眠に誘導されると瞬く間に魂状態までの遡行ができると判断できます。

魂状態の自覚は、共通して、体重の感覚が消失すると報告されていますから、ようするに肉体を持たない「霊」と同様の次元に至っていると思われます。
したがって、憑依現象が引き起こされやすくなるということでしょう。

「自己外憑依」である第三者の未浄化霊の憑依、「自己内憑依」である前世人格の顕現化の双方が起こるというわけです。

里沙さんの守護霊に尋ねたところ、そのように告げています。

深い催眠状態で起こる意識現象には、霊的現象がつきものです。
明治時代の催眠学者、東大助教授であった福来友吉の主張した「念写」現象も、霊的現象の一つでしょう。
ただし、念写は事実認定されず、おまけに念写の公開実験被験者の女性が自殺したことで、福来は東大を追われるという悲劇的結末を迎えることになったのです。

この不幸な福来事件が、その後の日本の催眠学から催眠下で起こる霊的現象への科学的研究の道を閉ざしてしまったと私は思っています。

福来事件は、その後の日本の催眠学が霊現象を科学研究対象として容認するか否かの分岐点だったと思います。

シュヴァル さんのコメント...

おはようございます。
そうです。私の理解と講義からすると通常セッションは、1対1とのことですので憑依を第三者的に見ることできません。
私のセッションではあのような事例はありませんでしたし。
理屈は、わかっていても目の前で見ることの強烈な印象は忘れがたいものです。

演技にもとても見えませんでした。そもそも、みな講義を有料で受けている立場ですからその必要がありません。
それも複数回連続でみることになったのですが、自分としては強烈な体験でした。
しかも、指が反応して、憑依状態がわかるというのも体験しました。二回目は最期会話が成立しませんでしたが
私の指は倒れたのでおそらくあの時点で離れたか、導かれたということなのだと解釈できます。

どうも、今回の塾生はみなさん感受性が高いかたばかりのようで、土曜の講義は違和感を感じておられたようですね
私は寒いぐらいしかなかったのですが
直観での理解ですが「あのメンバーが集まる場所にそういうものを呼び寄せてしまうもの」ということのようです。

福来先生の事例は、私が読んだときは逆の意味で理解していました。
しかし、土曜のあの現象を目の前で見ると先生のおっしゃる通りでありましょう。