2016年2月28日日曜日

SAM催眠学とスピリチュアリズム

   SAM催眠学序説 その85


スピリチュアリストとは、スピリチュアリズムを受容している人を言います。
スピリチュアリズムとは霊的真理を説く思想であり、科学でもあり、信仰でもあります。


霊的真理とは、霊界と霊的存在の実在を認めること、霊界と地上世界とは交信できることを認めること、霊魂と生まれ変わりを認めること、などを指しています。
そしてこれら霊的真理を完全に受け入れている人を「確信的スピリチュアリスト」と言います。

私は、2006年5月に『前世療法の探究』出版以後、様々な霊的現象が津波のごとく押し寄せ、その検証過程で、霊的真理を受け入れざるを得ないようになっています。
スピリチュアリズムの聖典であるシルバーバーチやスティトン・モーゼスやアラン・カルディックなどの霊信記録の本を読み、共鳴したわけではありません。
霊能者と呼ばれる特殊能力者の言説に影響されているわけでもありません。
私は、そうしたもっともらしいことに興味は持っても、鵜呑みにできない左脳的人間で、懐疑的思考のほうが勝っています。
自ら実証できたことが第一義という立場を崩すことができない霊的に無能者と言ってよい人間です。
したがって、私は、霊的な世界というものを、徹底的に疑って知的に否定した後に、それでも認めざるを得なくなった立場がスピリチュアリズムということになります。


「SAM前世療法」の作業仮説は、私あて霊信の恩恵抜きには生まれなかったことは確かですし、その作業仮説によって、応答型真性異言現象をこの手で確認し実証してからは、霊信の事実や、霊魂の存在と生まれ変わりを事実として認めないわけにはいかなくなっています。
おまけに、ヒーリングや浄霊らしき能力が備わってきたという事実も確認しています。

そうした意味で、敢えて言うなら、私は「実証的スピリチュアリスト」なのだろうと思います。

なぜ、私が実証的スピリチュアリストになっていったのか、それへと否応なしに引き寄せたエピソードを紹介していきます。

前世遡行に成功し「タエの事例」を語った2005年6月4日から一週間ほど経って、里沙さんの左腕が赤黒く変色するという異変が起こ りました。
赤黒い変色とともに重くだるいという自覚症状を心配した彼女は、医師の診察を受けましたが特に医学的所見はなく、経過を見ましょうという ことでした。
そうした中、蛍見物に出かけ、舞っている蛍に向かって左手のひらを広げたところ、5~6匹ほどの蛍が左手のひらにとまったそうです。
蛍は羽根を 休めて後、数分して飛び去りました。
この事実は同行した信頼に足る目撃者からの証言を得ています。
また、左腕の変色と重くだるいという症状はこの後消失した そうです。

この不思議な現象に遭遇した里沙さんは、タエとしての前世で、左腕を切り落とされたことが咄嗟に脳裏に閃(ひらめ)いたそうです。
そして、左手 のひらから何らかのヒーリングエネルギーが放射されているので、衰弱した蛍がエネルギー補給のために飛んできたのではないかと直感しました。
そこで、ご主 人や知人の腰痛・肩凝り・関節痛等にヒーリングを試したところ顕著な改善効果が確認されたとのことです。

こうしたヒーリング能力の出現と同時に、直接でも遠隔透視によってもオーラが見えるようになったと言います(ただし、強い輝きを放っている人の 場合に限るとのこと)。
さらに、生き霊や死霊(未浄化霊)が取り憑いていると、その人の名前・住所など本人が特定できる情報を聞いただけで、悪寒・吐き気・頭痛など体調が悪化するという反応が起こるようにもなったそうです。
厳密な検証実験をしたわけではありませんが、何らかの霊的能力が発現 したように思われます。

過去の文献にも、非常に深い催眠体験後、稀に透視など超常能力が出現したという報告があるのですが、どうやら里沙さんにも、「タエの事例」を体験したことを境に、そうした超常的能力ないし霊的能力が出現したことは、かなり可能性が高いと判断しています。

『前世療法の探究』出版二ヶ月後の2006年8月31日、私にヒーリング能力があることが偶然発見されました。
以来、母親の股関節痛へのヒーリングに始まり、その数は数百名近くになると思います。肩凝りをはじめ腰痛・背中痛・五十肩・股関節痛・ アトピ-性皮膚炎・椎間板ヘルニア・子宮筋腫の痛み、子宮腫瘍・心筋梗塞発作・ふくらはぎ筋肉痛、大腸 癌等に実施して改善効果の検証をしてきましたが、成績は良好です。
特に痛みの解消と血行改善には効果がみられます。

私のやり方は、両手の平(左手のほうがエネルギーが強いようです)を五分間患部に軽く当てるだけです。
当てると同時に、どこかから送ってくる であろう存在に対して、「この者に必要な最良の治療をお願いします」と念じますが、その後は精神集中などは全く不要で、テレビを見ようが会話をしようが一 向に構わないのです。
ただし、このエネルギーは、意志によるコントロールは不能です。向こう側からやってくるのにお任せというわけです。
クライアントは、懐炉を当てているような明らかに私の体温以上の熱感を感じることが多いようです。
なかには、ヒリヒリした感じとか、もわもわした圧力やひんやりした感じ、あるいは頭頂部や指先までエネルギーが走る感じや、汗が出るのを報告する クライアントもいます。
また、エネルギーの放射能力を伏せて、相手の手のひらに私の手のひらを三センチ程度近づけても、熱感やヒリヒリ感、モワモワした圧力感などを感 知すると報告しますから、これが暗示効果によるものでないことは明らかです。
計測不能の何らかのエネルギーが手のひらの中心辺りから放射されている事実は 間違いないと思われます。
手のひらにも、微細な振動をしている薄い膜が張った感じがあり、その膜に熱を帯びた感覚があらわれます。
私は、気功やレイキなどのエネルギー療法を見たことも、訓練したことも一切ありませんし、そもそもエネルギー療法については極めて懐疑的な立場 でした。せいぜい暗示効果ないし、プラシーボ効果によるものであろうと思っていました。
そういう懐疑的な自分にヒーリング能力が突如現れたことが何とも不 可解で奇異な感じがしています。
容易には認めがたいのですが、これはひょっとすると、霊による治療、すなわちスピリットヒーリングが起こっているのではな いかと思います。
それは、いわゆる「気」などの、見えない身体エネルギーによるヒーリングとは違って、自分が極度に集中する必要もなく、まったく疲れることもな いということ、そして、遠隔治療においても効果があるからです。
さらに、霊が見えると主張する三名の人からは、私の背後に複数のよい霊が見える、あるい は感じると指摘されました。
デモンストレーションを見学したやはり霊的な感受性があると主張する三名からは、手のひらから白い霧状の粒子が盛んに放射さ れているのが見えたと報告を受けています。
こういったことに実証性があるわけではありませんが、ありうることではないかと思っています。

2006年12月22日、里沙さんにお願いして彼女の守護霊との直接対話実験をさせてもらいました。
深い催眠中に中間世へと導き、そこで偉大な存在者 を呼び出して憑依してもらい、私が直接対話するという実験は、前掲書の「タエの事例」で紹介してあるとおりです。
それを再度試みようというわけです。
その理 由は次のような四つの質問の回答を得るためであり、憑依の真偽の検証を試みるためでもありました。

①タエの事例は、偶然語られたものか、何かわけがあって語られたものか?
②稲垣に突如あらわれたヒーリングのエネルギーは、どこから送られてくるものか?その治療エネルギーが稲垣にあらわれた理由が何かあるのか?
③スピリットヒーリング能力のある者は、たいていは霊視などの霊能力を持っているが、稲垣のエネルギーがそうであるなら、なぜ稲垣に霊能力がないのか?
④稲垣の守護霊の素性が分かるならその名を教えてもらえないか?

実験前に彼女に伝えておいた質問内容は、前述②(筆者のヒーリングエネルギーの出所)のみで した。①③④の質問について彼女には知らせることを意図的に伏せて実施しています。
伏せた意図は、彼女に前もって回答を準備できる時間を与えないためで す。

里沙さんに憑依したと思われる、彼女の守護霊と思しき存在との40分にわたる対話の録音を起こし、できるだけ生のままの語りの言葉を用いて、上記四つの 質問に対する回答を要約してみると以下のようになります。ただし、質問はこれ以外にもいくつかしていますから、それらの回答を含めて次の5項に整理し要約 してあります。

①タエの事例は偶然ではありません。計画されあなたに贈られたものです。計画を立てた方はわたくしではありません。計画を立てた方はわたくしよりさらに上におられる神です。
タエの事例が出版されることも、新聞に掲載されることも、テレビに取り上げられることもはじめから計画に入っていました。あなたは人を救うという計画のために神に選ばれた人です。

②あなたのヒーリングエネルギーは、霊界におられる治療霊から送られてくるものです。治療霊は一人ではありません。治療霊はたくさんおられます。その治療霊が、自分の分野の治療をするために、あなたを通して地上の人に治療エネルギーを送ってくるのです。

③あなたの今までの時間は、あなたの魂と神とが、あなたが生まれてくる前に交わした約束を果たすときのためにありました。今、あなたの魂は大きく 成長し、神との約束を果たす時期が来ました。神との約束とは、人を救う道を進むという約束です。その時期が来たので、ヒーリング能力も前世療法も、あなた が約束を果たすための手段として神が与えた力です。しかし、このヒーリングの力は万能ではありません。善人にのみ効果があらわれます。悪とはあなたの進む 道を邪魔する者です。今あなたを助ける人がそろいました。どうぞたくさんの人をお救いください。

④神はあなたには霊能力を与えませんでした。あなたには必要がないからです。霊能力を与えなかった神に感謝をすることです。

⑤守護霊に名前はありません。わたくしにも名はありません。あなたの守護霊はわたくしよりさらに霊格が高く、わたくしより上におられます。そうい う高い霊格の方に守られている分、あなたには、成長のためにそれなりの試練と困難が与えられています。これまでの、あなたに生じた困難な出来事のすべてが はじめからの計画ではありませんが、あなたの魂の成長のためのその時々の試練として与えられたものです。魂の試練はほとんどが魂の力で乗り越えねばなりま せん。わたくしたちはただ見守るだけです。導くことはありません。わたくしたちは魂の望みを叶えるために、魂の成長を育てる者です。霊能力がなくても、あ なたに閃くインスピレーションが守護霊からのメッセージです。それがあなたが迷ったときの判断の元になります。あなたに神の力が注がれています。与えられ た力を人を救う手段に使って人を救う道に進み、どうぞ神との約束を果たしてください。

里沙さんに憑依したと思われる、彼女の守護霊とおぼしき存在は、以上のようなメッセージを回答として伝えてきました。
そのときの語りの様子は、「タ エの事例」で憑依実験したときと同じく、彼女の表情は能面様の全くの無表情に変化し、声は低音で、囁くような、抑揚のない、ゆったりと厳かな調子の、別人同様の声音に変化していました。
観察される限りでは、ふだんの里沙さんとは別人格の第三者が語ったように思われます。
憑依を解き、催眠から覚醒直後の里沙さんは、数分間話そうにも声が出ない状態になり、膝から下が冷え切って麻痺し、立ち上がれないという疲労の 極みに陥っていました。
立てるようになるまで20分ほど休んでから帰宅しましたが、翌日になっても疲労は回復せず動けない状態が続き、三日目にやっと回復 したという報告を受けています。

さて、これまで2005年6月4日の「タエの事例」セッション以後、里沙さんと稲垣 にあらわれた三つの超常的能力・現象について紹介してきました。
このうち、ヒーリング等の超常的能力出現については検討するまでのない事実として認めざるをえません。
では里沙さんの守護霊を主語とする存在者 の語りはどうでしょうか。
語られた内容について、できるだけ公正な立場に立って検討・考察をしてみたいと思います。
ただし、この検討・考察は、自分にはス ピリチュアリズムに関する知識・情報がない、という里沙さんの証言を前提としていることをお断りしておきます。
また、超ESP仮説(里沙さんが稲垣の心も 含め、地上のどのような情報にも自由にアクセスできる無制限なESP能力を持っているとする仮説)も、ここでは考慮外としています。

ここで検討してみることは、守護霊を守護とする語りの内容は里沙さんの既有の知識を元に彼女自身が語ったのだ、と解釈できるかどうかということです。
そうであるならば、守護霊とおぼしき存在者は、里沙さんの無意識的な役割演技で説明されうることになり、語りの事実が超常的現象である可能性は排除されるからです。
以下にまず全体の考察を、次いで守護霊の語り①~⑤の語りの内容について、それぞれに検討と考察を加えてみます。

まず、全体としての考察をしてみますと

①「存在者」は、里沙さんとは異なる位相の視点・情報から発話している。
②催眠を解く前に「催眠中に語ったことはすべてはっきり思い出せる」という暗示を強 調したにもかかわらず、「存在者」が憑依したと思しき間の里沙さんの記憶は完全に 欠落している。
③録音された自分の語りを試聴した里沙さんの実感として、声からも語りの内容からも、自分と「存在者」とは全く同一性の感じられない他者であると認識されている。
④憑依を体験し、催眠から覚醒後の里沙さんの疲労状態は、通常の催眠後とは明らかに異質な極度の疲労状態に陥っている。

以上の4点は、「存在者」の憑依を支持できる状況証拠だと考えることが可能でしょう。
ただし、①については本人に内在している「心の力」つま り、「高位自我=ハイヤーセルフ」説で説明可能かも知れません。
深い催眠中には、通常の里沙さんの持つ能力をはるかに超えた超常的叡智が現れるというわけ です。
しかし、②・③については「高位自我」説では説明が収まり切れません。
もともと里沙さんの心に内在している「高位自我」の語りであれば、解催眠 前に強調した記憶再生暗示で、催眠後にその語りの内容が記憶として出てくるはずだと考えられるからです。
また、彼女に解離性同一性障害などの精神障害がな いことは明白ですから、「存在者」の語りに対して全く同一性を感じられないということも説明が困難です。
単に催眠性健忘として片付けられる問題ではないと 考えられます。
④の極度の疲労感について確かなことは言えませんが、憑依した「存在者」が里沙さんに長時間(約40分間)の対話をさせるために、彼女の脳髄が酷使された結果ではないかという解釈ができるかも知れません。

次に守護霊 の①~⑤の語りについて一つずつ検討してみましょう。
 
まず守護霊の①の次語りの内容について検討してみます。

①タエの事例は偶然ではありません。計画されあなたに贈られたものです。計画を立てた方はわたくしではありません。計画を立てた方はわたくしよりさらに上におられる神です。
タエの事例が出版されることも、新聞に掲載されることも、テレビに取り上げられることもはじめから計画に入っていました。あなたは人を救うという計画のために神に選ばれた人です。

里沙さんのスピリチュアリズムについての知識は、治療霊が存在すること以外にはありません。したがって、スピリチュアリズムでいう「神の計画」つ まり、地上の人間に霊的真理(魂と生まれ変わりの存在、霊界の存在、霊との交信可能など)を啓発し、霊的覚醒を促す計画があることは知識として持っている はずのないものです。
彼女の無意識の役割演技などでは淀みなく発話される内容ではないと思われます。
この計画についての語りは、スピリチュアリズムの高級霊からの霊信内容に一致していると考えることができるでしょう。

②あなたのヒーリングエネルギーは、霊界におられる治療霊から送られてくるものです。治療霊は一人ではありません。治療霊はたくさんおられます。その治療霊が、自分の分野の治療をするために、あなたを通して地上の人に治療エネルギーを送ってくるのです。

上記 ②の治療霊の存在については、里沙さんの知識としてある程度あるはずです。
彼女の脊柱側湾症による痛み改善のためにヒーリングをした機会に、ヒーリングエ ネルギーと治療霊について話題にしているからです。
また、彼女は霊感によって、稲垣の背後に憑いている複数の治療霊らしき霊の存在を感知できると語ってい るからです。
しかも、稲垣のヒーリング能力についての質問をすることについては、催眠に入る前に彼女に知らせてありました。
したがって、治療霊とその治療 エネルギーについての守護霊の回答は、彼女の既有の知識を語った可能性を排除できません。

③あなたの今までの時間は、あなたの魂と神とが、あなたが生まれてくる前に交わした約束を果たすときのためにありました。今、あなたの魂は大きく成長し、 神との約束を果たす時期が来ました。神との約束とは、人を救う道を進むという約束です。その時期が来たので、ヒーリング能力も前世療法も、あなたが約束を 果たすための手段として神が与えた力です。しかし、このヒーリングの力は万能ではありません。善人にのみ効果があらわれます。悪とはあなたの進む道を邪魔 する者です。今あなたを助ける人がそろいました。どうぞたくさんの人をお救いください。

守護霊の語り上記③の、稲垣が生を受ける前の「魂」と「神との約束」についての語りは、里沙さんの想像力が駆使され、稲垣への願望が投影された彼女の役割演技だと解釈できるかもしれません。
しかし、稲垣にヒーリング能力があらわれた理由がそれなりに矛盾なく説明され、瞬時に淀みなく語られた事実を考えると、守護霊と呼ぶ「存在者」 の憑依可能性を否定できるものではないと思われます。
ちなみに、「稲垣の魂が大きく成長した」という語りは、「タエの事例」に遭遇以来、世界観・価値観が 魂と生まれ変わりの存在を視野に入れたものへと転換し、現世的欲望へのとらわれから自由度を増した精神状態を指している気がしないわけでもありません。


④神はあなたには霊能力を与えませんでした。あなたには必要がないからです。霊能力を与えなかった神に感謝をすることです。

上記の④の守護霊の語りについては、理解に苦しむところです。
稲垣に霊的能力がなくそれらに懐疑的な普通の人間の側にいるからこそ、懐疑的な普通の人間への霊的真理の啓発には却って説得力を持ち得るので、神の道具としての啓発者には適っている、という意味かも知れません。
こう考えてみると「霊能力を与えなかった神に感謝をすることです」という意味深い語りは、里沙さん自身の通常の意識からは到底出てくるはずのないもののように思われます。まして、その場の咄嗟の思いつきで回答できる類の語りだとは考えられないと思われます。

⑤守護霊に名前はありません。わたくしにも名はありません。あなたの守護霊はわたくしよりさらに霊格が高く、わたくしより上におられます。そういう高い霊 格の方に守られている分、あなたには、成長のためにそれなりの試練と困難が与えられています。これまでの、あなたに生じた困難な出来事のすべてがはじめか らの計画ではありませんが、あなたの魂の成長のためのその時々の試練として与えられたものです。魂の試練はほとんどが魂の力で乗り越えねばなりません。わ たくしたちはただ見守るだけです。導くことはありません。わたくしたちは魂の望みを叶えるために、魂の成長を育てる者です。霊能力がなくても、あなたに閃 くインスピレーションが守護霊からのメッセージです。それがあなたが迷ったときの判断の元になります。あなたに神の力が注がれています。与えられた力を人 を救う手段に使って人を救う道に進み、どうぞ神との約束を果たしてください。 


上記⑤の語りは、まさにスピリチュアリズムの霊信そのものだと言っていいでしょう。そして、「守護霊に名前はありません」「魂の試練はほとんど が魂の力で乗り越えねばなりません。わたくしたちはただ見守るだけです。導くことはありません」「あなたに閃くインスピレーションが守護霊からのメッセー ジです」などの具体的な語りは、スピリチュアリズムの高級霊たちの霊信と一致し、正当な守護霊の語りとしてその信憑性が保障されているように思われます。
ここで浮上してくるのが、里沙さんはシルバーバーチなどスピリチュアリズムに関する書籍を読んでおり、それを元に語ったのではないかという疑い です。しかし、これについて彼女はきっぱり否定しています。また、それを信ずるに足る録音試聴後の感想があります。彼女は感想として次のように語っていま す。

私の守護霊は阿弥陀如来だ、と高名な信頼できる霊能者から霊視してもらって、そう信じていました。だから、私自身が守護霊の役割演技をして語る としたら、守護霊に名前はありませんとは絶対言わないと思います。阿弥陀如来です、と言ったはずです。私の守護霊に名前がないと言われてちょっとショック です。阿弥陀如来以上の守護霊はいないと思っていたから、稲垣先生の守護霊より霊格が上だと思って、密かに優越感があったのに、稲垣先生の守護霊のほうが 霊格が高いと言われたのもショックです。

つまり、彼女にスピリチュアリズムの知識があったとすれば、自分の守護霊を阿弥陀如来だなどと信じることはまず考えられません。
高級霊は原則素 性を明かさない、というのがスピリチュアリズムの常識ですから、彼女の守護霊についての知識は、仏教の説く「守護仏」と混同している程度の知識でしかな かったと判断できるわけです。
このように検討してみると、⑤の語りの主体は、里沙さん以外の憑依した「存在者」である可能性が高いと判断できるように思われます。

こうして検討を重ねてきますと、憑依したと思しき守護霊の回答は、里沙さんの意識が投影された役割演技だと解釈するよりも、彼女が霊媒の役割を果たし守護霊からの霊信を伝えたものと素直に受け取るほうが妥当性が高いのではないかと思われます。 
ただし、そのように受け取るにしても、ここで述べられている内容が、絶対的に真実であると主張しているわけではありません。
SAM前世療法を始めとする稲垣の活動を、こうした言葉によって権威づけようとする意図も全くありません。
あくまで何らかの霊的存在者の一意見として、どこまでも冷静に受け 止めるべきだと考えています。
こうした言葉で自己を権威づけたり絶対化することはあってはならないことで、徹底して厳しく自戒すべきだと思っています。
特に「神の計画」「神との約束」「善と悪」といった事柄を、軽々に云々することは、極めて大きな問題をはらむものです。
こうした表現の取り扱いについては、十分過ぎるほど慎重であるべきだと考えています。
こうした催眠による里沙さんへの憑依実験の前後から、稲垣の関心は、宗教思想であり霊の科学でもあるスピリチュアリズムへと必然的に向かわざるをえないようになっていきました。
そして、私の脳裏に思い起こされたのはモーゼスの『霊訓』にある次の一節でした。

 霊界より指導に当たる大軍の中にはありとあらゆる必要性に応じた霊が用意されている。(中略)
 筋の通れる論証の過程を経なければ得心のできぬ者には、霊媒を通じて働きかける声の主の客観的実在を立証し、秩序と連続性の要素をもつ証明を提 供し、動かぬ証拠の上に不動の確信を徐々に確立していく。さらに、そうした霊的真理の初歩段階を卒業し、物的感覚を超越せる、より深き神秘への突入を欲す る者には、神の深き真理に通暁(つうぎよう)せる高級霊を派遣し、神性の秘奥と人間の宿命について啓示を垂れさせる。かくのごとく人間にはその程度に応じ た霊と相応しき情報とが提供される。これまでも神はその目的に応じて手段を用意されてきたのである。
 今一度繰り返しておく。スピリチュアリズムは曾ての福音の如き見せかけのみの啓示とは異なる。地上人類へ向けての高級界からの本格的な働きかけであり、啓示であると同時に宗教でもあり、救済でもある。それを総合するものがスピリチュアリズムにほかならぬ。(中略)
 常に分別を働かせねばならぬ。その渦中に置かれた者にとっては冷静なる分別を働かせることは容易ではあるまい。が、その後において、今汝を取り囲む厳しき事情を振り返った時には容易に得心がいくことであろう。
                  (近藤千雄訳『霊訓』「世界心霊宝典」第1巻、国書刊行会)

インペレーターと名乗る高級霊からのこの霊信に、報告した三つの超常的現象を引き当てて考えてみますと、この引用部分は稲垣に向かって発信された啓示であるかのような錯覚すら覚えます。
SAM前世療法にとりかかる前の私は、「筋の通れる論証の過程を経なければ得心のできぬ者」のレベルにありました。
だから、「秩序と連続性の要素を持つ証明を提供し、動かぬ証拠の上に不動の確信を徐々に確立していく」ために、「動かぬ証拠」としてタエの事例をはじめとして、ヒーリング能力の出現などの超常的現象が、霊界から私に次々に提供されているような気がしていました。
そうした直感の真偽を確かめるために、里沙さんの守護霊に尋ねてみるという憑依実験を試みたわけです。
その結果と検討・考察は、これまでに報告 したとおりです。この検討・考察は「常に分別を働かせねばならぬ」と言うインペレーターの忠告に従っていることにもなるのでしょう。
そして、分別を働かせ た結果の帰着点は、霊魂と霊界の存在を排除しては説明できないのではないかということでした。
かつての私であれば、ヒーリング効果の解釈として、プラシーボ効果であるとか、暗示効果であるとか、信念の心身相関による効果であるとかの知的・科学的説明に躍起となって、それを公正な態度だと信じて疑わなかったと思います。

しかし今、自分自身に突如ヒーリング能力があらわれ、その説明は霊界と霊魂の存在抜きでは考えられない事態になってきたように思われました。
そして、「動かぬ証拠」を次々に提供され、ようやく「霊的真理の初歩段階」を卒業しかけていることを感じています。
やはり人間は、最後は 自分自身の直接体験にこそ、自明の真実性・説得力があると言わざるをえません。
交霊能力のあったスピリットヒーラーであるハリー・エドワーズは、高級霊界が霊的治療によって地上の人々を霊的覚醒に導く計画であることを知っ ていたと言います(ハリー・エドワーズ著、梅原隆雅訳『霊的治療の解明』国書刊行会)。

里沙さんの守護霊が伝えてくれた、「人を救うという計画」という語 りがそれを指しているとすれば、「人を救う道に進むという神との約束を果たす時期が来た」私は、催眠とヒーリングを道具に、人のお役に立つ道に進むよう な流れに乗っているのかも知れないと思い始めたのです。
そして、これからの自分が、催眠とヒーリングを与えられた道具として役立たせる道を実践していくことができれば、ヒーリングの謎も守護霊の語り の真実性も、おのずと開示されていくのではないかと思います。
また、そうした開示がされないにしても、うまれかわり探究の道を愚直に進む過程で、懐疑的な態 度を離れて霊的な現象をありのままに認めていくようになっていくのではないかと思われます。

さらに、この憑依実験の直後2007年1月11日~2月14日に受信者M子さんの自動書記による霊信を受け取るという超常現象が起こりました。
この霊信については本ブログに公開してあります。
そして、この霊信の真偽を検証するための作業仮説によるSAM前世療法を試みることになっていきました。


こうして、SAM前世療法によって、2009年5月9日、生まれ変わりの動かぬ証拠である応答型真性異言現象「ラタラジューの事例」と遭遇することに至り、私はスピリチュアリズムの説く「霊的真理」をいよいよ認めざるをえないことになっていったのです。

SAM催眠学は、これまでの科学としての催眠学が、科学を標榜するがゆえに排除してきた深い催眠下における霊的意識現象を取り上げ、実証的に霊的真理を探究しようという試みです。

31 件のコメント:

あ さんのコメント...

病気や怪我などの様々な原因で脳が損傷する事により、時には高次脳機能障害と呼ばれる、精神活動(記憶、知覚、認識、思考、性格、etc.)における機能的障害が発生する場合がある事が知られています。

【参考URL】
 高次脳機能障害若者の会「ハイリハ東京」>「ハイリハ東京」入口>2.高次脳機能障害の実態(症状の説明)

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Ayame/7001/dainou/koujino-shoujo.html

又、アルツハイマー型認知症は脳組織の一部の異状によって起きる疾患ですが、その症状として記憶障害や言語障害が現れる事からも明らかなように、脳の機能が失わればものを覚えたり、思い出したりする事は出来ませんから、脳髄がなければ新たにものを覚える事も無いという事になります。脳髄の一部が損傷しただけで、精神活動を行うために必要となる機能に障害が発生して、精神活動の一部が機能しなくなるのであれば、脳髄がなければ精神や人格は存在しないとするのが自然です。又、脳の損傷によって植物状態になる場合がある事が知られており、植物状態の人間の大半には意識がありませんから、脳が無ければ意識を保つ事は出来ないと考えられます。何も感じず、何かを認識する事も無く、何も思い出せず、新たに何かを憶える事も無く、何も考えない、その様な状態を精神や意識が存在していると呼べるとは思えません。

もし、意識は脳にないという説が正しいと仮定しますと、人は(肉体の一部である)脳が無くとも精神活動が継続出来るという事になりますから、脳の一部が損傷しても精神活動に影響が及ぶ事は無い筈で、現実に高次脳機能障害という現象が存在している事の説明が付かなくなります。

意識は脳にないという説が正しいと仮定してしまうと説明が付かない現象が現実に存在している事が確認されている以上、意識は脳にないという説は誤りだと考えられます。

Engu さんのコメント...

今日はお久しぶりです。

ここでいう「神」は、
キリスト教などでの所謂一神、
創造神での神ではなく、
便宜上の呼称、
人類担当中間管理職的霊的存在、

であるように思います。

地球担当の「お地蔵さま」みたいな立場の方ですね。

宇宙全体を統括する神がCEO代表取締役だとすると、
課長か係長くらいの職務権能な、というか地球という星の支店長か。
あ、人間はゾウリムシとして。

しかし霊界でもヒエラルキーが語られるのは面白いですよね、
ワンネスどこにいった(笑)。

坊 さんのコメント...

死後は無だって…

http://tsutsui-takeo.cocolog-nifty.com/blog/2016/03/post-1fd1.html

稲垣 勝巳 さんのコメント...

上記坊さんの投稿で紹介している記事をコピペします。

 人の心とロボットの心

 この題は「人間の意識とロボットの意識」としても良いのです。
 この問題は科学の第三革命と関係の深い問題です。つまり「新しい科学」に最もふさわしいテーマとも言えます。
 ところで、脳科学の専門家である茂木健一郎さんも天外伺朗さんとの共著「意識は科学で解き明かせるか」(講談社、2000年)では「なんで心なんて余計なものがあるのかとか、ともかくニュートン以来の物質的な世界観では全く説明できないというか、想定外のことだと思うんです。・・・(中略)・・・だから根源的な問題だけれども、心と脳の関係を実証的に研究するという人がなかなかいません。」(196頁)と書かれています。
 また、2007年4月に出された「著名人が語る(知の最前線)全8巻」の「第4巻 科学に生きる」の冒頭の「錬心術としての脳科学」のところでは「脳と意識との関係がどういうものであるかについては、現時点では実は全くわかっていないのです。」と書かれています。これは2004年5月8日の講演で語られたことのようです。
 実は、意識の問題は既に、殆ど50年前の1967年6月に信州大学教育学部紀要において「意識についての一考察ーーある存在論からの解明ーー」が出されております。 学術的には科学基礎論研究の第44号に「人間科学形成の試み」という題で1974年に掲載されて公の学術論文として発表されております。

 意識の問題は第二革命までの科学概念では解決できないことは茂木さんのいう通りです。第二革命を踏まえた第三革命に到達しなければ、解決不可能と言ってもよいでしょう。
 人の心、あるいは意識は生まれる前は存在しませんし、死ぬと消滅します。死後の世界は有ると言ってよく臨死体験を持ち出す人が居ますが、あれは幾ら体験者の証言を集めても記録をしても科学的な証明にはなりません。このことは立花隆さんの20年以上に及ぶ調査研究でも実証されていると言ってよいでしょう。むしろ、一卵性双生児の存在とかクローン動物の発生と育成可能性からの方が科学的な証明が可能なのです。
 心とか意識は人が誕生後に発達し、死ぬと消滅するということに限られず、毎日起き上がると意識が目覚め、その個人の発達の最高近くまで上がり、疲れて眠くなると、水準が低く成ります。熟睡すると、意識はゼロとなります。このように意識は上がったり下がったりして振動しているのです。つまり、一日の中で人格は振動しているのです。これを人格振動と言います。死ねば勿論こうした人格振動は消滅します。

 ブライアン・L・ワイスという米国の精神科医が輪廻転生の神秘体験をしたというので、『前世療法』という本を書いて、山川紘矢・亜希子氏らが訳しています。(PHP文庫、1996)
 この療法は一定の効果があるようですが、だからと言って、前世が実在するとは言えません。人格が言語段階へと発達した結果発生した「虚の世界」と見るのが正しいのです。鏡や望遠鏡や顕微鏡の虚像が役に立つように、「虚の世界」は使い方によって役に立つのです。
 昨年8月には諸富祥彦さんなど日本トランスパーソナル学会によって『最新!トランスパーソナル技法』が星雲社から出版され、その中に「前世催眠療法」が似島陽子さんによって書かれております。こうした療法も一定の効果があるのでしょう。

 ロボットは人間のような心、意識を持つか? という問題があります。心身二元論者にとっては「そんなことは不可能」と思われるでしょう。しかし、科学の第三革命としての「新しい科学」から考えると、音声言語段階、さらには文字言語段階に達したロボットは当然人間と同じような心、意識を持つのです。
 鉄腕アトムのようなロボットに接した人は、相手がロボットと知らなければ、当然、自分と全く同じように心、意識を持つと信じて疑わないことでしょう。
 今から41年前の1975年に、信州大学教育学部紀要に人間科学(Ⅹ)「心身問題等について」を書いたことがあります。最初は1)心身問題について、2)神仏の存在について、3)タイム・トラベルについて、4)脳移植が成功したと仮定して、という四つの問題で、ハイ、イイエ、ワカリマセン、というような答えを要求していたのですが(1968年から1975年まで8年間)、1971年から5年間 
5)科学の進歩により精巧なロボットができたとする、として 
 イ)どんなに進歩したロボットでも、人間のような心は持つことができない。  
 ロ)進歩したロボットは人間と同じような心を持つことができる。
 ハ)どうしてもきめられない。わからない。 
という三つの答えのどれか一つを選んでもらったことがあります。
 その5年間、イ)を選んだ学生(2年生)は70%くらい、ロ)は20%くらい、ハ)は10%くらい、でした。 その頃のロボットの発達段階から考えて、まあ当然と思われる結果を示していたと思われます。
 今日、同じ問題に答えて貰ったら、違った結果が得られるのではないでしょうか。
 
 進歩したロボットは人間と同じような心、意識を持つのです。チェスは勿論、将棋や囲碁でもロボットの方が強い時代が来ているのです。このことからも「死後の世界は有り得ない」と言えますし、「心身二元論は誤りである」と言うことができます。
 同時に、特殊人格形成理論におけるレベルⅢの人格プログラムを創り、高級ロボットの体内に深く取り出せないように埋め込んで置かなければ、大変危険であると言うこともできるでしょう。無人機による空爆などは決してしてはならないことなのです。(これは一寸飛躍した意見かも知れません。)
 いずれにしても、「核時代」を超えるためには、科学の第三革命としての「新しい科学」を一刻も早く世界中に普及しなくてはならない時代が来ていると言えましょう。核抑止論では世界平和を築くことは絶対にできないのです。核廃絶論こそ世界平和を建設するための重要な議論であり、憲法九条はそのための前提条件でもあるのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この論者は「人の心、あるいは意識は生まれる前は存在しませんし、死ぬと消滅します」と断言していますが、そうした唯物論で応答型真性異言「ラタラジューの事例」が説明できるとは到底思えません。
具体的事例を回避した脳と意識の一般論はどうでもいいのです。
坊さん、「ラタラジューの事例」という具体事例を、唯脳論で整合性のある科学的説明ができますか?  

Engu さんのコメント...

坊様

ITCホームページ
http://www.asahi-net.or.jp/~qr7s-tmym/ITC/Believe.htm

この物質世界の研究者達と他の世界の存在達との、
電子機器を駆使した交信が世界各地から報告されています。
これらの存在はしばしば「霊」、「霊的な存在」、ときには「エイリアン」と呼ばれ、
我々の世界よりも自由度の高い次元に住んでいます。
ヨーロッパその他の研究機関では、霊的な存在から毎日のように、
留守番電話やラジオ、そしてパソコンを通じて情報を得ていると報告されています。
彼等はまたテレビやパソコンを用いて他世界からのビデオ画像も受け取ったと報告しています。
これらは皆、ITC(instrumental transcommunication:電子機器によるトランスコミュニケーション)
という新しく急速に発展している分野の成果の一部です。
これらの報告が真実なら、ITCは肉体を持つものと持たないものの次元を結ぶ架け橋を、
しかも、最も疑り深い人たちでさえ目を向けざるを得ない架け橋を急速に作り上げているといえます。
しかしながら、現在挙げられている証拠は本当に驚愕すべきものとはいえ、
まだ完璧に明確なものではありません。すべてを鵜呑みにするのは危険です。
我々の一人一人が、自分自身でITCの正当性を評価していくべきでしょう。

---

検証の余地はあるようですよ。

坊 さんのコメント...

前世の記憶にしろラタラジューの事例にしろ要は前世の記憶だと思いたいだけではないでしょうか?

例えば子供たちが壁のシミを見て人型に似ているためそのシミが座敷童の跡だと思いたくこじつけているようなものと同じ。

確かに一部亡くなった人物と一致しているところもあるでしょうけど、圧倒的に一致していないところの方が多いと思いますよ。

・前世の記憶が一致している人がいても、おそらくそれは100%でないでしょう。
・多くあたっている人もいるでしょうが、それは完全に一致している人よりは少ない人数でしょう。
・あまり一致していない人はたくさんいるでしょう。


すべての生物は、太古のにできたたったひとつの生物から進化してきました。その世界最初の生物はたった1つの性質しかありません。それは「自分と同じものを複製できる」という性質です。

生物の様々な特徴は「子孫が残しやすい」という性質が発展していったにしか過ぎません。それ以外の性質は備わったとしても、子孫を残しやすくなければ淘汰されてしまいます。

「死後の世界」も自己複製に有利な性質ならばどんどん発展していくでしょうけど、そうでなければ無くなります。

私は「死後の世界」はあまり自己複製に有利な性質だとは思えません


死後の世界や前世を信じると言うのは教育や文化の問題ではなく、進化的に獲得した人間の性質なのだと思います。
非科学的であると知った上で、信じた方が幸福に過ごせるのかもしれませんね

・まったく一致していない人が圧倒的に多いでしょう。

これは宝くじは必ず当たる人がいて、それに当たった人は奇跡を信じるでしょうが、多くの人は外れるということです(笑)
宝くじが当たるかどうかと言われれば、誰かに必ず当たります

稲垣 勝巳 さんのコメント...

坊さん
「前世の記憶にしろラタラジューの事例にしろ要は前世の記憶だと思いたいだけではないでしょうか? 例えば子供たちが壁のシミを見て人型に似ているためそのシミが座敷童の跡だと思いたくこじつけているようなものと同じ」というご見解のようですが、「そう思いたいだけで」あるいは「壁のシミ」のようなものとして応答型真性異言現象「ラタラジューの事例」がほんとうに説明できると考えておいでですか。唖然。・・・

you-tube公開の「タエの事例」、「ラタラジューの事例」の証拠映像を視聴した人の多くが、坊さんのような理解の仕方をほんとうにするとは思われません。
坊さんのような説明では到底納得不可能だと思われるからこそ、アンビリが取り上げ放映したのだとは思いませんか?

証拠映像が提示してありますから、その証拠映像のどの部分や個所が、「壁のシミ」であり事実誤認の起きている部分・個所であるのか指摘してください。
つまり、私の主張に対して、証拠映像に基づいて具体的反証をきちんと挙げてください。

そういう作業をしないで、「壁のシミ」だの「そう思いたいだけ」だの言うのを、非論理的、非科学的な「イチャモン」、あるいは「言いがかり」と言うのです。
あなたのほうこそ、生まれ変わりの事実を認めたくないあまりに、事実を「壁のシミ」のように過小評価する認知の歪み、事実誤認に陥っているのではありませんか。

いや違う、「壁のシミ」なのだ、と強弁されるのなら、具体的反証を挙げて「壁のシミ」であることを証明されることですよ。

ちなみに、生まれ変わりの証拠映像と生物学的進化の一般論や宝くじとはまったく関係のないことです。
そういう関係のないことを持ち出すことを、議論のすりかえ、論点ずらしと言います。
本ブログはそうしたコメントは排除することを「投稿のガイドライン」で謳っています。

シュヴァル さんのコメント...

今日はありがとうございました。大変勉強になりました。

坊さんは私には答える気はないでしょうが
笑は大変失礼かと思います

坊さんの話は疑似論理ですね。
論理的な話をすることで別の論理を否定するように見せかけているだけに見えます。
長文でだらだら書いてるのですがまったく関係性がないので論理的であっても
この話には意味がないようです。

結局のところ、坊さんは暇つぶしされているだけに見えますね。
議論はする気はない、自分の適当な話は聞けでは
実社会では相手にされないのではないでしょうか?

坊 さんのコメント...

アンビリバボーで取り上げられたことは分かりますが何故アンビリバボーのようなバラエティー番組でない真面目なNHKの超常現象解明スペシャルのような番組では取り上げられないのでしょうか?

それはマスコミや世間はエンターティーメントとして葬式や法事のようにあくまでも気持ちの世界として扱っているからだと思います。

2013年11月28日のエベン・アレグザンダーの臨死体験のアンビリバボーとその翌年にやったNHKの超常現象と立花隆さんの臨死体験の番組を見ればわかると思います。アンビリバボーはあたかも臨死体験を死後の世界として取り上げられたがNHKは脳内現象としてました。

生まれ変わりやラタラジューの事例も同じです。アンビリバボーで取り上げられても根拠になりません。『トリハダスクープ』や衝撃映像で取り上げられてるような人魚や宇宙人のミーラーなどと同じレベルでしょう

迷子 さんのコメント...

稲垣先生こんにちは、


ご存じないない方もいるかもしれないので、皆さんと情報を共有したいので書きます。

リチャード・ワイズマンと言う心理学者が偶然の一致仮説をあげ実験しています。詳しくは、ジム・B・タッカー氏の著書、転生した子どもたちの129ページをお読みください。

確かに大量のデータがあれば似たような事例は見つけられるのですが、スティーヴンソン達が重視する事例との決定的な違いは、正確な人の名前や地名等の名詞が出てこない、という違いがあります。

一例として、転生した子どもたちの79ページの、プルニエ・エカナヤケの事例がありますが、230キロも離れた町で、前世の人物の名前やその人の店、一軒でしか作ってない線香の2種類の商標名まで正確に述べるなど、非常に具体的です。

さらに左の胸部から肋骨の下まである淡い母斑があり、前世の人物の検死報告の傷と比較して一致。発言だけではなく身体的なもの一致する。


家族が特定の場所や人を探しに行くというものもない、(事例の中心人物は、昔の家族の元に行きたいと主張し、今の家族が根負けして連れて行ったりする)ワイズマンの研究は、その意図は裏腹に偶然の一致では事例の重要な部分を説明できない事を明らかにしている。他にも前世で殺されたと主張する子供達は、加害者とされる者に対して激しい敵意や憎悪持ち、復讐しようとする者もいます。偶然では、前世の事柄にまつわる強烈な感情を説明できない。

ネパール語を学んだ事がない人物が、古い訛りのあるネパール語を使って現代のネパール人と意思疎通が出来る確率って、統計学的に何パーセントくらいあるのでしょうか?

 あまり関係ないかもしれませんが、明治大学の疑似科学に関する評定サイトは、監修してる人は、何人かいますが、実際に運営しているのは、超心理学について専門的な訓練を受けていない方が1人でやっているそうで、かなり大変みたいです。

稲垣 勝巳 さんのコメント...

Gross1610さん、シュバルさん、迷子さん
ご投稿ありがとうございました。

そして、坊さんについても、話題提供ということで管理人としてはうれしく思います。
ちなみに、私がアンビリバボーに取り上げられたことを持ち出したのは、アンビリの制作者スタッフのみなさんは、「タエの事例」「ラタラジューの事例」を少なくとも生まれ変わりの科学的証拠としての価値ありと認めたからこそ、ゴールデンタイムに放映したという事実を述べたわけで、坊さんのように「壁のシミ」だと受け取ることはきわめて異常であることを示したまでです。

NHKは「ラタラジューの事例」を取り上げないばかりでなく、さきにGross1610さんの紹介してくださったITCの諸事例、イアン・スティーヴンソンの応答型真性異言事例、迷子さんの紹介してくださった「プルニエ・エカナヤケの事例」など、唯物論では説明できそうにない生まれ変わりや死後存続を示す濃厚な事例を一切取り上げようとしません。
おそらく番組編集方針として、「生まれ変わり」以外に唯物論では説明不可能な諸事例は不都合なので意図的に排除したとしか思えません。世の混乱を招くことは公共放送は取り上げない、という方針なのでしょう。生まれ変わりを科学として考える番組としては完全に唯物論側に偏向した番組だと思います。
おそらく、NHKの番組ディレクターは、坊さん同様、超心理学上の生まれ変わりの科学的研究をきちんと勉強していないのでしょうね。
唯物論で説明できない「生まれ変わり」のような奇怪なことがあってたまるか、唯物論で説明できない不都合な事例は無視して無かったことにしましょう、というわけです。

坊さんに再度要求します。
一般論でグダグダ逃げてばかりいないで、「ラタラジューの事例」の証拠映像が提示してありますから、その証拠映像のどの部分や個所が、「壁のシミ」であり、そのような事実誤認の起きている部分・個所であるのか反証を挙げて具体的に指摘してください。
証拠に基づいた具体論で真っ向勝負してください。
それができないとすれば、「ラタラジューの事例」は脳内現象のような唯物論で所詮説明できないことをあなたが認めたと理解しておきます。

シュヴァル さんのコメント...

迷子さん
ネパール語を学んだ事がない人物が、古い訛りのあるネパール語を使って現代のネパール人と意思疎通が出来る確率って、統計学的に何パーセントくらいあるのでしょうか?

これはデータがなさ過ぎて計測不能ですね。

坊さんの話は勉学以前ではないですかね

およそ論理的な訓練を受けたかたの言に見えません。
昨日も申し上げたように学者は持論が当たらないとなかったことにします

坊さんは一向反論、指摘される気配がありません
それどころが私はこう思います(笑)
で議論する気がないのではないでしょうか?

昨日時間があればお話しを聞くつもりだったのですが
このブログはIPアドレスを取得する機能があるのではないでしょうか?
調べて見られるといいかもしれません。

迷子 さんのコメント...

こんにちは、シュヴァルさん、ご指摘ありがとうございます。


ネパール語を学んだ事がない人物が、古い訛りのあるネパール語を使って現代のネパール人と意思疎通が出来る確率って、統計学的に何パーセントくらいあるのでしょうか?

これは、もう、どちらかちうと、皮肉と捉えていただけるとありがたいです。

 NHKの超常現象番組ですが、明治大学の監修した方達のツイッターを見ると、霊魂仮説系を特に地上波でやると、反発が強いので、NHKスタッフが自粛したと、確かその様に記憶しています。

稲垣 勝巳 さんのコメント...

坊さん
あなたに要求している「壁のシミ」仮説を立証するための作業を具体的に4点提示しておきます。

1、ネパール語を学んでいないことの確実な検証済みの被験者に、ネパール語で会話実験して、被験者の里沙さん(ラタラジュー)レベルの会話が成立するか実験する。そこで会話が成立することの立証。
これで初めて、里沙さんはネパール語を学んでいないけれども話すことができた、という反論を認められます。
(ネパール語で会話ができるとする検証基準は、前世人格ラタラジューの会話レベルと同程度であるネパール語の、25~30の単語と、ネパール語の文法に則った主述の明確な会話がわずかでもできるということです。)

2、里沙さんがネパール語を学んでいない科学的検証方法として、生育歴の詳細な聞き込み調査、ポリグラフ検査による調査と鑑定、本人およびご主人の証言書署名のほかに、科学的検証方法があるのであれば、その方法論の説明。

3、 生まれ変わり研究の第一人者であるイアン・スティーヴンソンの研究方法を忠実に追試するという方法論を採用しているので、「ラタラジューの事例」を生まれ変わりの科学的証明ではないと否定するのなら、スティーヴンソンの3つの事例も全否定することになるわけで、その科学的反証をきちんとすること。

4、生まれ変わりが絶対にないと強弁するのなら、生まれ変わりが絶対ありえないという論証を科学的証拠に基づいてきちんとすること。

そもそも、まだ脳が意識を生み出している科学的証明はいまだできていません。
意識を生み出す脳細胞のメカニズムを発見できると脳科学者が必死で探していますが見つかっていません。
脳がすべて、脳が消滅すればすべて無に帰するという唯脳論は、科学的裏付けのない憶測、思い込みに過ぎません。
もし、意識を生み出す脳細胞が発見されたなら、私は生まれ変わりがあるという事実の誤りを認めます。
脳細胞の消滅と同時に意識(生前の記憶)も消滅するわけで、生前の意識(記憶)が来世に保持され持ち越されるはずがないということになるからです。

上記4点についての立証が成功すれば、「ラタラジューの事例」は「壁のシミ」の事実誤認であって、応答型真性異言ではないことの立証が成立することになります。

この立証に成功すれば、応答型真性異言は「壁のシミ」であることが説明でき、応答型真性異言をもって生まれ変わりの科学的証拠だとする私の主張は、この時点で成り立たなくなります。
そして、この立証ができないとすれば、応答型真性異言を生まれ変わりの証拠として認めることになります。

次に、現行唯物論科学で、応答型真性異言現象の起こるメカニズムを実証に基づいて説明する作業をしてください。
この説明作業に成功すれば、応答型真性異言現象といえども、唯物論で説明できることになり、生まれ変わりの証拠ではないということの立証が成功し、私の主張を完全に論破できたことになります。
そうなれば、私は潔く、生まれ変わりが科学的事実ではなかったことを認めます。
どうぞ、否定のための検証作業をやってみてください。

私は、こうした検証作業の結果、生まれ変わり肯定の立場に至っています。
けっしてはじめから「生まれ変わりありき」で検証作業を始めたわけではありません。

おそらく坊さんは、こうした面倒な検証作業をする意欲も根気もないでしょう。

検証の裏付けなくして、「例えば子供たちが壁のシミを見て人型に似ているためそのシミが座敷童の跡だと思いたくこじつけているようなものと同じ」という、聞き捨てできない侮辱的な言説を平然と書いておいでになるとすれば、あなたの知性の程度が疑われます。

生まれ変わり否定の一般論は、掃いて捨てるほどあります。
そうした一般的否定論ではどうにもならない「ラタラジューの事例」という具体的反証があることを無視することはできません。

坊 さんのコメント...

反証も何も霊的な物を研究する事自体トンデモです


昨日もコメントしましたがウィキペディアで「伝説生物一覧表」で霊や神も含まれてました


神や霊を研究するのはアニメキャラを真面目に研究してるのと同じです。例えばポケモンの実在を真面目に研究してる人がいたらおかしいと思いますよね?例え見たという人が居たとしてもそれは勘違いや嘘とポケモン以外の物と見る筈。それと同じです。


スピリチュアルが嫌いならほっておけば良いと思われるかもしれないがスピリチュアルを信じて騙されて自殺する人を減らしたいのです。


死んでしまったら二度と帰って来ません。

稲垣氏が取り上げている事例についても研究自体は大変評価しますが生まれ変わりや霊以外のものだと感じます。

稲垣 勝巳 さんのコメント...

迷子さん
「NHKの超常現象番組ですが、明治大学の監修した方達のツイッターを見ると、霊魂仮説系を特に地上波でやると、反発が強いので、NHKスタッフが自粛したと、確かその様に記憶しています」という情報ありがとうございます。

NHKが霊魂仮説系の、しかも科学的検証の裏付けのある生まれ変わり事例をとりあげなかったのは、「自粛」ではなく、結果において事実の「隠蔽」になるのではないでしょうか。
これは公正であるべきマスコミの態度として不公正だと言うべきです。
真面目に超常現象をとりあげようとする公正な態度の放棄です。

こうした不真面目なことを公共放送を掲げているNHKがやるので、「アンビリバボーで取り上げられたことは分かりますが何故アンビリバボーのようなバラエティー番組でない真面目なNHKの超常現象解明スペシャルのような番組では取り上げられないのでしょうか?それはマスコミや世間はエンターティーメントとして葬式や法事のようにあくまでも気持ちの世界として扱っているからだと思います」と書いている唯物論絶対論者の坊さんのような、的外れで浅薄な誤解が生じるわけです。

現行唯物論の基盤に穴をあけるような、公開証拠映像が存在し、きちんと研究・検証された事例ほど、公になることが嫌われることの証左です。
それほどに唯物論に真っ向から対立する「ラタラジューの事例」は、冷静で知性のある唯物論陣営の人々にとって、脅威で目障りな存在なのでしょう。
したがって、無視し、無かったことにするしかないのでしょう。

被験者里沙さんは現在も元気でいますから、「ラタラジューの事例」を本気で否定したいのであれば、彼女に直接当たって、私のおこなった検証作業を再検証し、私の見落としや事実誤認を指摘できるのです。
繰り返し述べているように、反証可能性にひらかれているのです。
こうした生まれ変わり否定の反証を挙げるための、真面目な再検証を申し出た研究者は、いまだに皆無です。

稲垣 勝巳 さんのコメント...

坊さん

「神や霊を研究するのはアニメキャラを真面目に研究してるのと同じです。例えばポケモンの実在を真面目に研究してる人がいたらおかしいと思いますよね?例え見たという人が居たとしてもそれは勘違いや嘘とポケモン以外の物と見る筈。それと同じです」

あなたの持ち出した上記のような、唖然となってしまう滅茶苦茶の比喩が成り立つという思考回路は私にはありません。
前世人格「ラタラジュー」の存在の実証と、アニメキャラ「ポケモン」の存在の実証とは、比較すること自体トンデモ比喩だとは思いませんか?
汚いたとえで恐縮ですが、こういうのを「ミソもクソも一緒くたにしている」と言うのです。
あるいは論理思考回路の病的短絡です。

このようなトンデモ比喩が誤謬であることは、証拠の有無が決着をつけてくれます。
「ラタラジューの事例」には綿密な検証による証拠があります。
証拠を有するという事実によって、生まれ変わりが認められるとは思わないのですか。
ポケモンの実在実証とは位相がまったく異なると思わないのですか。

生まれ変わりの証拠否定の反証作業を繰り返し求められると、「反証も何も霊的な物を研究する事自体トンデモです」などと頭ごなしの、感情的な、全否定の逃げを平然と打つ、これではご自分の議論の破綻丸出しの表明をしたことになります。
要するに、私、坊は反証を挙げたくとも挙げられません、という表明です。
そして、霊的な物を研究する事自体トンデモです、という断言は、100年余にわたるSPR、および超心理学の累積してきた実績に対する、根拠のない感情的な全否定と科学への侮辱です。

こういう箸にも棒にもかからない、科学的な先行研究や真面目な科学的思考を全否定する人には、コメント投稿からお引き取り願うしかありません。
唯物論絶対信仰の硬直したバイアスがかかり、他者の意見を聞く耳を持たない、感情的、観念的なコメントだけの投稿はお断りしています。

生まれ変わり否定の観念論や感情論を受け入れてもらえるお仲間サイトで、持論を存分に展開して、あなたの根拠不明の非科学的信念を放言し、憂さを晴らしてください。

迷子 さんのコメント...

こんばんわ、NHKは、衛星放送か何かのほうでは、ジム・タッカー氏が出演なさっていたようです。

『NHKスペシャル 超常現象―科学者たちの挑戦』 という本が出ていますので、よろしければ確認してみてください。例の番組を書籍化したもののようです。
私も買うかどうか迷っていますが、Amazonのレヴューを見る限りでは、嫌な予感しかしないのですが・・・・。

 笠原敏雄氏が、以前から指摘していますが、超常現象の証拠は、それが有力になればなるほど無視される傾向があります。『前世の言葉を話す人々』は、『前世を記憶する子どもたち』に比べ格段に発行部数が少ないようです。真性異言という逃げ道の無いものを提示されると心理的抵抗がより強くなるようです。

 公平性よりも視聴率狙いをしていたのかもしれません、抵抗の強い分野は色々な意味で排除されたのでしょう。

この超常現象に対する心理的抵抗という分野に関心のある方は『超常現象のとらえにくさ』と『隠された心の力』と言う本がありますので読んでみてください。


【心の研究室】
http://www.02.246.ne.jp/~kasahara/
【超常現象批判の病理学】
http://www.02.246.ne.jp/~kasahara/parapsy/criticismofpsi.html
【スティーヴンソンの研究への批判について】
http://www.02.246.ne.jp/~kasahara/psycho/discussion_of_reviews2.html
上の文書読んでみてください。超常現象研究への批判の分析です。

それと、『輪廻転生 〈私〉をつなぐ生まれ変わりの物語 』(講談社現代新書)という本が出ていましたね。Amazonのレヴューに、大門正幸氏が書いていました。これも、買おうか迷っています。

稲垣 勝巳 さんのコメント...

迷子さん
あなたの投稿文末でご紹介くださっている笠原敏雄氏の『スティーヴンソンの研究への批判について』という論文について、我が意を得たりと思われた個所を下記にコピペして、お礼といたします。

「もし超常現象が実在するとすれば、特に生まれ変わりが事実であるとすれば、現在の科学知識体系が、根本から大変更を迫られるのはまちがいありません。人間が、その一部にしても生まれ変わるとすれば、肉体や脳とは別個に心というものが存在することになります。それだけでも大変なことになるのは、誰であれすぐにわかるでしょう。だからこそ、その真偽を明らかにするため、超常現象の研究に真剣に取り組む必要があるのです。それこそが、真理の探究を旨とする科学者の使命であり責務であるはずです。」

貴重な情報をありがとうございました。

本ブログの読者には坊さんのような没論理的な読者の一方で、迷子さんのような「生まれ変わり」の科学的研究に造詣の深い読者のおいでになることを誇りに思います。

余談ですが、現在海外でも日本でも「前世療法」や「生まれ変わり」を扱った本の刊行は少なくありませんが、そこで紹介されている事例の示す生まれ変わりの具体的事実について、科学的に検証した内容の本は、管見するかぎり私が納得できるレベルの本は残念ながらありません。

シュヴァル さんのコメント...

坊さんへ

ポケモンの例示は不適切です
ゲームでフィクションであることが確定している事柄と
確定していない事例を比べることはできません

以前から申し上げているようにないことを証明することは難しいのです。

坊さんは繰り返し、霊や神の存在を否定されています。
否定されるのであれば無いことを証明されればよろしいのです
そうすれば、ここに書き込まなくても世界中から称賛を受けるでしょう。

迷子さんへ

ええ、皮肉と理解してますが強固にするために、追加してみました。

強引に想定すれば高齢者70以上ネパール人口/現代ネパール人口がまず古風ネパール語を理解する人の
割合です。で日本でそのひとと接触できる可能性は高齢者の日本来日割合を見ればできなくはないかと思いますがさらに、本人が理解していない人ですから計測不能で、直感的にはほぼゼロですよね。

シュヴァル さんのコメント...

先生へ

>余談ですが、現在海外でも日本でも「前世療法」や「生まれ変わり」を扱った本の刊行は少なくありませんが、そこで紹介されている事例の示す生まれ変わりの具体的事実について、科学的に検証した内容の本は、管見するかぎり私が納得できるレベルの本は残念ながらありません

昨日ちょうど塾生とLINEでお話ししたのですが、私がセッションを受けたのは先生の本が検証本だったからだと
お話ししました。この手の本は先生の本を読んでから少し探してみましたが科学的見地から検証されたものは
みたことがありません。大門先生の本にしても依然講評いただいたように記憶の伝搬体すなわち魂に相当する部分が触れられていません。

以前も申し上げましたが、起こったことは否定できません
となるとなぜ、どうして起こったか?は探究しなければなりません。
私は本来このような分野に興味をあまり持たないひとでありましたが、セッションを受けてからいくつかの
体験を経てなぜ私におこったか?について探究するようになりました。

この分野のかたはそのままで受け入れていて理論化するという視点がこれまで乏しかったのではないでしょうか?

稲垣 勝巳 さんのコメント...

シュヴァルさん
たびたびのご投稿ありがとうございました。

「この分野のかたはそのままで受け入れていて理論化するという視点がこれまで乏しかったのではないでしょうか?」というお尋ねについて私見を述べてみます。

現在日本でおこなわれている前世療法のほとんどが、私が「ワイス式」と呼んでいるブライアン・ワイスの広めた前世療法です。
これを学んだ日本のセラピストは、権威者ワイスの技法に疑問を持つ余地はなく、ほとんどそのまま技法を踏襲していると思われます。
権威者ワイスの言説そのままを受け入れ、疑問を抱くことなくセッションをおこなっているのではないでしょうか。
ワイス式には「前世の記憶」を想起させるという前提があるだけで、それ以外に基本的仮説や理論らしきものはないと思われます。
ワイスの権威に寄りかかってそのまま踏襲していれば、ワイス式セラピストに理論化の差し迫った必要感は生まれなかったのだろうと思われます。
前世存在の真偽は棚上げ、直ればOKというわけでしょう。
しかし、前世の記憶が脳内に存在するという前提に立てば、死後無に帰する脳内記憶が来世に持ち越されるはずがなく、ワイス式で語られる前世記憶の記憶はすべて現世のクライアントのフィクションだということにならざるをえません。
そのように批判されてもしかたのない事情は、ワイス式のセラピーで語られた「前世の記憶」の科学的検証事例が1例もないことによっています。
したがって、日本のアカデミックな催眠研究者は、前世療法を認めていません。
私が2004年、立命館大学で開催された日本催眠医学心理学会・日本教育催眠学会合同学会で、前世療法の事例を研究発表した際にも、参加者の大学研究者、医師の全員が、前世の記憶の存在を否定しています。
そうしたことがあり、2007年に私あて霊信によるSAM前世療法を創始して、前世の記憶という考え方を捨てることにしました。
脳内にある前世記憶の想起という前提には、決定的な理論的矛盾があるからです。

魂表層に存在する前世人格そのものを呼び出し対話する、という「SAM前世療法」は純国産の唯一の前世療法であり、創始者私自身のほかに先行研究が一切ありません。
そういう何も無いところでセッションを展開するためには否応なしに作業仮説を持つ必要性に迫られたわけです。
SAM前世療法の作業仮説は、私あて霊信内容の恩恵によって組み立てられたきわめて霊的要素の強い作業仮説ですが、この作業仮説によって「ラタラジュー人格」の呼び出しに成功しています。再現性も保障されていますから、これまで4回呼び出しています。
したがって、SAM前世療法の作業仮説を実証しているものと判断しています。

シュヴァル さんのコメント...

どうしても霊、前世といった事柄は一般にはオカルトと認識されていて
論理的に理論化する過程がおろそかになっているように感じます。
催眠に関しても、「前世存在の真偽は棚上げ、直ればOKというわけでしょう。」で事が終わっているということなんでしょうね

ただ、起こったことを受け入れるだけでは、世間に認知されることはありません
進んで何故、どうしてを探求することが必要です。

先生の本、ブログを拝見し、直接お会いして話内容からは
科学的な探求「なぜ?、どうして?」を目指されているのを強く感じます。

前世記憶が間違っているのではないかというお話は強く感じます。
セッションでも、別の人格の違う違うといってるのを感じました。
あれは記憶ではないようにおもいます。

再現性が保証されているのは科学的な考証には必要不可欠ですから
先生の仮説の傍証にはなりえると思いますね

迷子 さんのコメント...


先生へ、恐縮です。


シュヴァルさんへ

・・・ええ、皮肉と理解してますが強固にするために、追加してみました。

強引に想定すれば高齢者70以上ネパール人口/現代ネパール人口がまず古風ネパール語を理解する人の
割合です。で日本でそのひとと接触できる可能性は高齢者の日本来日割合を見ればできなくはないかと思いますがさらに、本人が理解していない人ですから計測不能で、直感的にはほぼゼロですよね。


すみません、お手数をかけました。理論化していただきありがとうござます。

坊 さんのコメント...

シュヴァルさんへ

>ゲームでフィクションであることが確定している事柄と
確定していない事例を比べることはできません

霊魂がフィクションである事は確定していますよ

Wikipediaより霊や神は伝説上のものとされています。

つまりポケモンまではいかなくても人魚や竜などを信じているのと同じです。今の時代これらを信じているのは笑われますね。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%9D%E8%AA%AC%E3%81%AE%E7%94%9F%E7%89%A9%E4%B8%80%E8%A6%A7

それに神の存在はグレゴリー・チャイティンが数学的に神がいない事を証明しています。「神が存在しない 苫米地英人」と検索すると載っていますよ。以前も述べましたがそれについては回答ありませんね

シュヴァル さんのコメント...

グレゴリー・チャイティン氏を調べたのですが
神の非存在を証明したのではなくて絶対神=全知全能の存在を否定したようですね。

それで思ったのですが
このブログでは神自身が、自分の声が我々には聞こえないような話をされたようにあったと記憶しています
そもそも、ここでは全知全能を前提にしていないのに、全知全能性が否定されたから証明されたと
坊さんは結構滑稽な主張をされているように思います。

思ったんですがブログ読んでおられんでしょうか?

稲垣 勝巳 さんのコメント...

坊さん
ご紹介のあったhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%9D%E8%AA%AC%E3%81%AE%E7%94%9F%E7%89%A9%E4%B8%80%E8%A6%A7の記事は、伝説上の神やら怪獣やらの「分類」が記述してあるだけで、あなたの言う「霊魂がフィクションである事は確定しています」などの証明についての記述は一切ありません。この記述のどこをどう読むと、霊魂がフィクションであることの確定が述べてありますか?
あなたの認知の歪みが投影された無根拠な「恣意的推論」に過ぎないのではありませんか。
坊さんが「霊魂がフィクションである」と断定したいのであれば、最優先するべき作業は「ラタラジューの事例」についての反証をきちんと挙げて、私の主張の誤りを立証することです。
坊さんに再三要求しているこの反証作業が、まったくできないでいるにもかかわらず、「霊魂がフィクションである事は確定しています」と断言することは、没論理的、反知性的であることのきわみと言うべき失態です。

また、「神の存在はグレゴリー・チャイティンが数学的に神がいない事を証明しています」という断定は、神存在の否定が唯物論で完全に確定された事実である、などとはほとんどの人々は認めていない、という現実の無視ではありませんか?
神の非存在が科学的に完全に確定されたことであるのなら、キリスト教もイスラム教も一切の神についての信仰は虚妄ということになりますが、坊さんはそのように断言されているのですか。

そもそも、ここで話題にしていることは、「ラタラジューの事例」という反証可能性にひらかれている具体事例の真偽という前提条件があるのであって、そうした前提条件を無視した無限定の「神」存在の真偽などではありません。
これまでの坊さんの常套手段ですが、ここでも一方的な議論のすりかえ、論点ずらしという不誠実な観念論への逃げを打っておいでになります。

さて、「無い」ことを証明することは論理的に不可能であり、「悪魔の証明」とされていることをご存じでしょうか。
グレゴリー・チャイティンやら苫米地氏やら坊さんが「神の非存在が証明された」、そう思い込んでいる、そう思いたい、だけではありませんか。
仮に「神の非存在が数学的に証明された」としても、数学的証明という限定条件をもって「すべてのあらゆる神の非存在が証明された」と断言するのは、「選択的抽出」による「極端な一般化」という認知の歪みに陥っていることの表明ではないでしょうか。

ネット上には下記のような否定的意見があるのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「確かに苫米地さんの理論は論理的で完全系が否定されたら多くの宗教が言うような完全系が存在しない=全知全能神はいないのは分かりますが神の定義は様々あり必ずしも「神=全知全能な人知的な存在」とは限らず現在の科学者でも「宇宙誕生の何ならかの力、第一原因=神」を認めてる人は多くいます。完全系の不存在=神の不存在にはならないと思います。
神を自分の都合の良い形に定義しない限り、苫米地氏の論理は上手く行かないでしょう。
苫米地氏はカーネギーメロン大学出身のコンピューターサイエンスの学者ではありますが、脳機能とか催眠は素人だと思います。(もちろん、情報処理という意味でコンピューターと脳は共通点はありますが。)
彼の本は、初期はNLPとエリクソニアン催眠のパクリで、現在は宗教・オカルト系になっていて、正直トンデモ本であるというのが、僕の意見です」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、本ブログは、生まれ変わりの実証的探究であって、「神」について軽々に触れることは、ブログの主旨に反するので意図的に回避しています。

シュヴルさんが、グレゴリー・チャイティンの証明について端的な回答を投稿してくださっていますが、グレゴリー・チャイティンの「神の非存在の数学的証明」について、ほかにどなたかご意見を投稿してくださることを期待しています。

稲垣 勝巳 さんのコメント...

坊さん

19日、立て続きにあなたの2つのコメント投稿がありましたが、坊さんの最優先するべき作業は「ラタラジューの事例」についての反証をきちんと挙げて、私の主張の誤りを立証することです、という私のコメントをまったく無視しているか、まったく読んでいないのか、こちらの指摘に一切答えようとしない、相も変わらぬ一方的、独善的な、論点ずらしの根拠のない抽象的誹謗内容だと判断しました。

要するに坊さんは、問答無用であり、議論余地なしに、「生まれ変わり」は絶対認めたくない、無いものは無いのだ、という没論理的な硬直した思考しかできない人であると判断するほかないようです。
「反証も何も霊的な物を研究する事自体トンデモです」というあなたの言明がそのことを雄弁に語っています。
この没論理の言明は、あなたが、反証を挙げようにも挙げられない、ということであり「ラタラジューの事例」が、生まれ変わりの証拠であることを否定できないことの言明でもあると判断しています。
生まれ変わり否定の「観念論」なら、様々な立場から掃いて捨てるほどあります。
私の立場は、「ラタラジューの事例」という具体事例によって「生まれ変わりの証拠」を提示した「科学的実証」を主張しています。
坊さんが躍起になって観念論を持ち出して、生まれ変わりをどんなに否定できたつもりでも、私の科学的実証を反証を挙げてひっくり返さない限り、生まれ変わりの事実を否定できたことにならない、という論理がご理解出来ませんか?
「ラタラジューの事例」が生まれ変わりの科学的実証ではない、という主張をしたければ、私の提示している諸証拠が、唯物論によって否定できるという具体的証明をする以外に方法はありません。
坊さんはそうした具体的反証を挙げる作業を棚上げして、抽象論、観念論を振りかざして逃げているばかりではありませんか。

生まれ変わりの真偽にかぎらず、観念より事実、理屈より実証こそが何よりも説得力を持つのです。

そもそも、具体的「証拠」に基づいておこなわれている主張を否定するには、否定する側には「提示されている諸証拠に対して、具体的反証を挙げて否定することが求められている」、という立証責任があることがまったく理解できていない人のようです。

よって、あなたの投稿は、はじめから誠実に議論するつもりのない、生まれ変わりを誹謗することのみを目的とした投稿であり、本ブログが掲げている「コメント投稿のガイドライン」を逸脱しているものとして、今回の投稿を削除としました。
今後も、私の指摘している「ラタラジューの事例」の具体的反証作業を棚上げし、立証責任を放棄した観念論のみのコメントを投稿されても、一切掲載の許可をいたしません。
「実証的探究」という本ブログの主旨に反しますので、どうぞご了解ください。

読者諸賢も、これまでの坊さんの投稿の没論理内容の経緯をお読みになっていれば、掲載削除という最終的処置に納得いただけるものと思います。

Engu さんのコメント...

坊様

>スピリチュアルを信じて騙されて自殺する人を減らしたい

スピリチュアルは自殺を推奨していません。
逆に、宿題を投げ出すようなものだから、
自殺は何の解決にもならないと強く戒めています。

貴方の言動には平和主義者の戦争反対意見に通じる感性を覚えます。

批判対象について何も学習せず、
自身の印象だけを振りかざし、
議論の前提を踏まえもしない。

私は量子論についても進化仮説についても学習しましたが、
貴方はスピリチュアリズム、
原義の終末医療についてでなくこの場で扱われている対象としてのそれについて、
過去どれだけ学習し、理解され、
その上で上記の様な言動を繰り返されていらっしゃるのでしょうか。
事例に即せば、
スピリチュアルを説く人間の誰が自殺を推奨していましたか。

Engu さんのコメント...

そういえばアマゾンレビュアーにもいますね、

「読んでませんが」

☆1評価つける人。

掲示板では不規則発言者、
俗称、

『荒し』

と総称される、
卑劣野卑無恥無教養自我肥大夜郎自大

坊様がそうであるとは言いませんが、
不思議とよく似た形質を示しているかに思慮する次第です。

稲垣 勝巳 さんのコメント...

Gross1610 さん

ご投稿ありがとうございました。

坊さんの態度はざっと以下のようなものだと私は感じています。

「生まれ変わりだと~! そんな奇怪なことがあってたまるかよ! 無いものは無いつーの。
検証だの証明だのごちゃごちゃ言うんじゃねえよ。このバカヤローめが」

こういう態度の人には、まともに論理で相手をするだけ徒労です。