2016年2月15日月曜日

SAM催眠学序説 その84

「タエの事例」を評価していただいた書評の紹介

この書評は、HP「東京スピリチュアリズムラボラトリー」の記事として掲載されているものです。
HP名から分かるとおり筆者は、確信的スピリチュアリストと呼んで間違いない方でしょう。
したがって、スピリチュアリズムの観点に引き寄せた独特の書評になっていると思われます。

ただし私は『前世療法の探究』執筆の時点まで、「スピリチュアリズム」という用語すら知らない、唯物論側の人間でした。
SAM前世療法はまだ開発されておらず、霊的存在についてはまったく無知の状態でおこなったセッションで「タエの事例」が出現したというわけです。

「タエの事例」のセッション中に、実験的にタエの守護霊と思われる「偉大な存在者」の憑依実験をおこない、私は、そこで顕現化した「偉大な存在者」と25分間の直接対話をしました。

そして、執筆にあたって、この「偉大な存在者」をどう解釈するか、という難問に突き当たりました。
催眠学的解釈をすれば、被験者里沙さんが、セラピストである私の意図(要求)に無意識的に応えようとした結果ーこうした心理を「要求特性」といいますー「偉大な存在者」のふりをして役割演技をしたのだ、という解釈ができないわけではありません。

しかし、その後のポリグラフ検査で明らかになったように、里沙さんの知り得るはずのない情報を「偉大な存在者」が語っていることは明らかです。
催眠学的解釈では、この難問にどう考えても答えを出すことは出来ません。
あるいは、その他の臨床心理学的解釈によっても納得できる解釈を導き出すことは出来ません。
つまり、これまでの(現行の)唯物論的解釈を断念するしかないだろうと思われました。

こうして、初めて私はほとんど無関心であった「霊」の存在について、否応なしに向き合わざるをえないことになりました。

2006年5月に『前世療法の探究』を刊行し、翌2007年1月11日~2月14日の間、当時26歳の派遣社員であった読者M子さんを経由して(霊媒として)、私あて霊信が毎夜届くという超常現象が起こり、この霊信内容の真偽を検証する過程で、「SAM前世療法」が開発されていったといういきさつがあります。

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「前世記憶」の真偽を検証した日本初の試み
   ――稲垣勝巳『前世療法の探究』の紹
  



 著者は岐阜県の学校教頭で、長年生徒相談などで教育催眠に取り組んできた人のようです。プロの催眠療法士でも、催眠術師(?)でもないということが、逆に本書の内容の誠実さを高めるものかもしれません。
 まえがきに「本書の第二章で紹介する、『タエの事例』に遭遇し、『前世記憶の真偽』の問題に直面することになりました。……筆者が本書を世に問おうと 思った契機は、まさにこの不思議な事例との遭遇です」とあるように、本書の第一の眼目は、あるクライエントが想起した前世の詳細が、史実と高い符合を見せ た、ということにあります。
 「前世療法」自体については、すでに本編の「死後存続証明の新たな展開――臨死体験と前世療法」で、かなり詳しく論じていますのでそちらを参照していた だくことにして、ここでは、本書の第一眼目の紹介と、それに関連して、著者がほのめかしている、新たな展開の可能性について、述べることにします。

前世記憶の真偽

 前世療法は日本でも広く行なわれているようですが、当然のことながら、正統の心理療法と認められておらず(「前世」自体が唯物論に反します。中には「前 世イメージ療法」とか「前世物語療法」と呼び変えようとする「腰砕け」さんもいるようです)、そのため、民間「催眠治療師」などによるものが多く、その全 体像は把握できないようです。またそのような事情から、学会報告や学会誌論文などもほとんどありません。この主題に関連する著書を刊行しているのは、「生 きがい論」の提唱者で経営学者の(つまり実践家でも専門研究者でもない)飯田史彦氏、そして脳外科・心療内科医の経歴を持ち、自ら前世療法を実践している 奥山輝実氏らがいますが、いずれも、前世記憶の真実性や、死後存続の問題に関して、態度保留(個人的には信じているのでしょうが)という立場を取っている と思われます。従って、前世記憶の“真偽”を論じた本は、著者が言うとおり、日本初と言えるでしょう。

 「タエの事例」は、脊柱側彎症を患っている40代の女性が、著者の前世遡行催眠によって、天明3年(1783年)の浅間山大噴火で、「人柱」となって死 んだ少女「タエ」の記憶を甦らせた、というものです。このセッションは、逐語記録されていて、きわめて迫真力のあるものとなっています。
 クライエントの想起によると、「タエ」は、群馬県渋川村(現・渋川市)で、孤児として名主「クロダキチエモン」によって育てられていましたが、同年の浅 間山噴火の際、吾妻川が火砕流によって堰き止められ、直後に大洪水が襲ってくる恐れがあったために、「龍神様へのお供え」として、川の橋に縛りつけられ、 濁流に呑まれて死亡しました。
 これに関連する様々な叙述(中には「タエ」ではなく、「偉大な存在者」と呼ばれる別人格らしきものからの情報も含まれます)が、当人は通常の方法で入手できない情報であり、それらは「約八割」の高率で、史実と符合したとされています。
 特にタエが、安永9年に「13歳」、天明3年に「16歳」と語っているのは(つまり安永10年=天明元年ということ)専門家でも記憶している類のもので はないこと、「地元では馬頭観音を“ばと様”と呼んでいること」はまず通常では知り得ないこと、など、記憶の真実性を傍証する強力な要素があります。
 ただし、「タエ」の実在の証拠、人身御供の伝承・記録などは見出されず、養父の名も姓が違っているということで、「決定的な証拠」は獲得できなかったようです。著者はこう述べています。

《ある程度信憑性のある証拠は数多く得ることはできても、誰もが疑問を持つ余地のない決定的、絶対的証拠というものは、どういうわけか出てこない、という のがこの種の「超常的現象」に付随する性格であるようです。「タエの事例」で言えば、タエを実在するものとして信じたい人には、信じるに足る十分な証拠と 映るでしょうし、信じたくない人には、否定するに十分な曖昧さが残るというわけです。/本事例のタエの実在および死後存続問題についても、最終的にどちら をとるかは、読者それぞれの判断によるしかないと言うほかありません。》

 決定的ではなかったにせよ、このような探究が日本でもなされたということは、非常に意義があるもののように思われます。前世療法では、「治ればOK」 「クライエントの主観でOK」ということになりがちで、それ以上の探究(「なぜ治るのか」も含めた)がなされることはほとんどないのが現状だからです。今 後、実践家たちの報告が増えていくことがあれば、真偽問題や治癒構造をめぐっての研究も生まれてくるでしょう。

中間世セラピー

 もうひとつ、本書には、著者独自の冒険的試みが記されています。
 それは「中間世」での「気づき」の重視と、そこでの「偉大な存在者」との直接対話です。
 前世療法は、基本的には、前世記憶を甦らせ、それによって、「現況の困難の理由」が開示されたり、「生命の不滅」や「生の意義」を主観的に納得させられ たりする、というものでした。しかし、ホイットン、ウィリストンを始め、療法家たちは、次第に「中間世」の問題に注目するようになりました。さらに、マイ ケル・ニュートンに到ると、前世の細々とした記憶よりも、中間世(つまりは霊界ということですが)における「人生の総括」や「次の人生の選択の意味」など に力点が置かれるようになっています(ニュートンに関しては、改めて詳述する予定です)。
 日本でも、奥山輝実氏は中間世での「光(高次の存在)」との対話によって、クライエントが人生の意義を納得するというケースをいくつか挙げています(飯 田史彦・奥山輝実『生きがいの催眠療法』、PHP研究所、2000年)。(ただし、この「高次の存在」について、同書はなんと、「どうやら、『光』の正体 は、『宇宙』そのものであるようです」と述べています。唖然。)
 本書の著者も、中間世での「偉大な存在者」との対話を行なっており、それによってクライエントの心理構成の変化が起こり、治癒がもたらされると述べてい ますが、著者はニュートンと同様、「偉大な存在者」を「一部の宗教思想で提示されているような『指導霊』ないし『守護霊』と呼ばれる存在」と採っているよ うに思われます(留保付きですが)。
 さらに興味深いのは、この「偉大な存在者」がクライエントに「憑依」して、施術者と直接対話するということが試みられていることです。
 これは、すっと読み飛ばしてしまうところですが、実はかなり重大な問題を含んでいると思えます。
 まず、「偉大な存在者」との対話は、クライエントの「記憶」なのか、という問題があります。つまり、クライエントは、かつてある生を生き、そして次の生 を生きたわけですが、その「中間」において「偉大な存在者」と出会っていた、そのやりとりを、クライエントは「思い出している」のか、ということです。
 奥山氏の挙げているセッション記録などを見ても、「その『光』に聞いてみてください、何と言っていますか」とか、「なぜそうなのか、聞いてみてくださ い」とか、現在進行形で、クライエントに質問をうながし、クライエントも、現在進行形で答えを受け取っているように見受けられます。それは、本書のセッ ションでも同様です。
 つまり、この場面は、「記憶の想起」ではなく、クライエントが、「偉大な存在者」と、セッション中に対話をしているということになるわけです。
 さらに、著者のセッションでは、この「偉大な存在者」が、クライエントに「憑依」し、施術者である著者と、クライエントの状況や前世記憶の真偽をめぐって、かなり長時間のやりとりを行なっています。これはどういうことなのでしょうか。
 加えて興味深いことは、この「憑依」の間のやりとりを、クライエントはほとんど記憶していないと報告されていることです。前世を想起している時は、いく ら前世人格に同一化しているように見えても、クライエントの意識は残っており、想起していた間の記憶も保たれています。つまり、「憑依」の間は、クライエ ントの意識は、「偉大な存在者」によって占められていたことになります。
 これら一連の現象に対して、著者は一つの仮説を立てています。

《考えうる一つの仮説としては、前提として、「魂」や「霊」と呼ばれるものの存在を認める立場からの解釈です。この立場に立てば、「魂状態」だと自覚して いる〔中間世の〕クライエントは、深い催眠状態の中で、当人の自覚どおり、肉体とは別個の存在である「魂」として顕現化した状態にある、と解釈することに なります。したがって、筆者は、まさしく当人の「魂」と面接したということになります。また、中間世で出会った「光」ないし「人間的イメージを纏った神的 な存在者」は、一部の宗教思想で提示されているような「指導霊」ないし「守護霊」と呼ばれる存在だと、考えることができるでしょう。そして、クライエント の「魂」は、そこで出会った「指導霊」「守護霊」からの啓示を受けて、症状の改善効果をもたらすような自己・世界解釈に至り、現世を生きる意味を獲得して いった、と考えることができると思われます。》

 これは、スピリチュアリズムから見れば、ごく自然な解釈だと言えるでしょう。そして、それが妥当であれば、前世療法における「中間世」状態とは、クライ エントが「霊界」とコンタクトして、「ガイド」との対話を行なっている状況であるということであり、そして、「ガイド」がクライエントに憑依して施術者と 語るのは、「霊」が「霊媒」を通して会席者と会話をするという「交霊会」と相同の構造となっていると解釈できるのではないでしょうか。(ただし、この際、 「ガイド」から直接もたらされる情報は限定されているようです。奥山氏のケースでは、クライエントへの言及はしても、その子供への言及は拒否する、という やりとりが報告されています。)
 このように考えると、「中間世療法」は、もはや「前世のトラウマやカルマを探り出して云々」といったものではなく、「霊交」によってクライエントの状況を改善させる、まったく新たな方法なのではないかと考えられるわけです。
 さらにこのことは、「霊界とのコンタクト」という、人類がいにしえから求めてきたものが、催眠ということを通じても、可能になるということを語っている のではないでしょうか。少なくとも、自らの「ガイド」とのコンタクトが可能になるのだとすれば、「中間世」催眠は、かなり大きな意義を含んでいると考えら れるのではないでしょうか。

「治癒構造」の解釈

 もう一つ、興味深いのは、「なぜ治るか」という問題です。前世療法に対して、「前世」自体を否定する立場からは、「抑圧したトラウマを前世イメージに仮 託して意識化する」(精神分析的立場)や、「不都合な自己像を前世イメージに仮託することで間接的なものにし、治癒イメージをつくる」(イメージ療法的立 場)、また「人生や世界全体を体系的に意味づける物語を獲得する」(物語療法的立場)などの解釈があります。いずれも「仮託」や「物語」といった概念で、 前世の実在性を回避するのです。しかし、なぜそんな迂回的で複雑な方法をわざわざ取るのかは、説明されません。
 ここで著者は、前世を「想定しうるもの」としつつ、前世療法によって、魂の死後存続および、過去世・現世・未来世という生の連続性への「主観的確信」 や、「中間世での、神的存在者からの啓示ないしメッセージによる、自己の現在を生き抜く意味と自己の使命への気づき」が得られることで、症状が改善するの ではないかと言います。そして、「こうした体験によって、最終的に『超越的視点の獲得』を可能にしていくのが前世療法であり、前世療法の改善効果はそこに 由来すると考えていいのではないでしょうか」と述べています。
 「治癒構造の解明」は、もう少し微細に解明する必要があるように思われますが、ともあれ、ここで言われている「超越的視点」とは、まさしくスピリチュア リズムの提示する霊的真理(霊魂不滅と永遠の成長)の確信に、つながるものでしょう(しかも、前世療法(中間世療法)では、そこに「守護霊ないし指導霊と の対話」という、実体験的要素が加わっているので、その確信はいっそう強いものになるのでしょう)。霊的真理の確信が、心理的症状を改善する、というわけ です。
 このように考えていけば、前世療法、特に中間世療法は、スピリチュアリズムそのものだと言うこともできるかもしれません。そしてそれは、「霊媒による交信」以上に、人々に霊的真理を直接感得させる、新たな方法になるのかもしれません。

 ともあれ、本書は、前世記憶の真偽問題、中間世問題といった重要な主題を問いかけてくれる、貴重な本です。この本を契機に、謎の多い前世療法に対して、一層の探究が進むことを期待したいと思います。

  *『前世療法の探究』=2006年5月、春秋社刊、2100円
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この書評が出てから早くも10年が経っています。

筆者が「謎の多い前世療法に対して、一層の探究が進むことを期待したいと思います」と期待を寄せてくださったにもかかわらず、その後に開発した「SAM前世療法」によって探究を進め、そこで開示されてきた、きわめて深い催眠状態(魂の自覚状態)における「心(意識)の謎」は、ますます深まるばかりです。


3 件のコメント:

稲垣勝巳 さんのコメント...

プレゼントさん

「また最後に言いますが神は居ないですよ」という投稿があり、苫米地英人氏の見解が貼り付けてありました。

前回投稿でも「これが最後」ということでしたが、「最後」は1回だけに用いることばです。
そして、そのときにあなたのするべきことも明確に述べてあります。
「ラタラジューの事例」について、あなたの盲信している唯物論で反証をきちんと挙げて論破してくださいと。

そして、このサイトは「神」の存在については判断留保、純粋に「信仰」の問題として、取り上げることは一切しておりません。

シュヴァル さんのコメント...

この方の投稿はそもそも一方的で意味がないものなので断固たる措置を取られるのが良いかと思います
ここを某掲示板と勘違いされているのではないでしょうか?

稲垣勝巳 さんのコメント...

私は、生まれ変わりと霊的存在を科学的な事実であろうと探究を進めてきました。
その結果、諸証拠の累積から、現時点で生まれ変わりと霊的存在を完全に否定することは不可能だろうと思っています。

これは信仰のレベルではなく、事実のレベルから実証的に言えることです。
プレゼントさんは、この実証されてきた事実をなんとしても否定したい、しかしできない、というジレンマに陥っておられるようです。
なぜ、生まれ変わりと霊的存在の事実を認めることがそんなに不都合であるのか、私には理解不能です。
個人的に、死とともにすべては無に帰する、という信念(信仰)を抱いて生きることのほうが、死後存続を認めて生きるより、はるかに充実して生きることができる、と思っておいでであるなら、私の主張から目を背けていれば、それでいいのではないかと思います。
この私のサイトへアクセスすることは不要です。
帰無仮説を真理として論じているサイトへアクセスして、精神的安定を図ればよいのです。

帰無仮説か真であるのか、死後存続仮説が真であるのか、最終的には実証的証拠が決着をつけてくれるはずです。