2016年2月5日金曜日

SAM催眠学序説 その83

「ラタラジューの事例」を評価していただいた記事の紹介


我田引水のようで少し気が引けますが、応答型真性異言 「ラタラジューの事例」を科学的事実として正当に評価してくださった方のこれまでの記事を4点紹介します。

「その1」は、アンビリ放映後の『スピリチュアリズム・ブログ』の記事です。
「その2」~「その4」はアマゾン書評の記事です。

 記述者それぞれが、「生まれ変わりの科学的研究」に造詣が深く、この研究分野の著作を相当読み込んでおられるように思われます。

前世療法や生まれ変わりについての著作はかなりの数に上ります。
とりわけ、1996年にブライアン・ワイス『前世療法』PHP研究所、が出版されて以後、ワイス式前世療法による前世の記憶が語られた、といった諸著作は、日本でもかなり流行し、刊行され続けています。

ただし、その語られた前世の記憶の真偽を、歴史的事実と照合するなど、時間と労力をかけ、前世の存在可能性についての科学的検証を報告した著作は、私の知る限り日本では皆無です。

したがって、これらワイスをはじめ「前世本・生まれ変わり本」の諸著作は、生まれ変わりの専門的研究者からは「通俗書」としか評価されえず、生まれ変わりの「科学的研究書」としての扱いを受けることはありません。
なぜなら、語られた「前世の有無」について、綿密・慎重な科学的検証がなされておらず、したがって、反証可能性にひらかれた報告になっていないからです。(通俗書としてはそれでいいのですが。)

私としては、これまでに報告された通俗書の内容の二番煎じでは、生まれ変わりの科学的事実としての説得力は無く、わざわざ発表する意味はまったくない、これまでの報告とは一線を画した、反証可能性にひらかれた科学的・実証的内容であってこそ、発表する意味がある、という立場から、アンビリ出演も2度し、出版も2冊してきました。

さらに言えば、物質的基盤だけでこの世界を完全に理解可能だとする唯物論世界観は、実は憶測に過ぎず、非物質的(霊的)なものを基盤とする世界観をも想定せざるを得ないのではないかという主張を、科学的根拠(たった1事例に過ぎませんが)に基づいて示したかったということです。


こうした、私の本意を汲み取っていただけた評価を受けたことをたいへんうれしく思っています。

(注) 引用文のゴチック部分は私の入れたものです。

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その1 「アンビリバボー」放映のラタラジュー「真性異言」の意義


昨日、午後7時57分から、フジテレビ系「奇跡体験!アンビリバボー」で、「前世のネパール語で会話したラタラジューの事例」が放送されました。

 催眠によって、記憶をどんどんさかのぼり、出生以前、そしてさらに前世(とおぼしきもの)へと戻ることがあります。その前世で起こった出来事を思い出すことで、現世の自分の病気や恐怖症などが治ることがあります。
 これが「前世療法」です。
 催眠を受けた人全員が前世にさかのぼれるわけではありません。その割合は施術者(かける人)によってまちまちです。20%という人もいれば、80%という人もいます。現在のところ、はっきりとした検証はされていません。

 一般の前世療法では、病気や恐怖症などが治れば、それでよしということになります。その前世が本当かどうかは問題にしません。クライエント(来談者、患 者)は、多くの場合、「あれは自分の前世だ」と感じるようで、「魂は死なないことを確信した」と言う人もいます。けれども、それ以上、「真実か否か」を突 き止めようとはしません。

 ごく一部の前世療法家は、クライエントが思い出したことが、どれほど歴史的事実と一致するのか、調査しました。そして、「これは歴史的事実で、しかもクライエントが知ることができない事柄だ」と認められるものも、稀にあることがわかりました。

 さて、ここであるクライエントが、催眠によって前世の記憶を甦らせたとします。
 今回の「ラタラジューの事例」で言えば、里沙さんというクライエントが、前世に戻るよう誘導され、ネパールに生まれ、シャハ王朝あるいはラナ家に兵士と して雇われ、自分と妻と子供の名前を言い、村にはヒルが多くいたことなどを話したとします。そしてそれらの事柄が歴史的に充分あり得ることだと明らかに なったとします。
 さらに、里沙さんが、こうした事実をどこでも学ばなかった(学んだ可能性がほぼない)とします。(セラピストで研究者の稲垣勝巳氏は、綿密で精力的な調査によって、「学んだ可能性」を否定しています。)
 そうすると、これはかなり信憑性の高い「前世の記憶」と言えます。

 しかし、これに反論する人がいます。
 「里沙さんは、透視といった超能力で、誰かの心の中にある記憶を読み取ったり、ネパールにある記録を透視したりして、ラタラジューという人物を創り上げたのだ」という反論です。
 これはかなりトンデモナイ反論ですけれども、一部の超能力者は、遠くにある物体の姿を見たり、人の心の状態を読み取ったりすることもあるので、「絶対あ り得ない」とは言えません。里沙さんは超能力などを発揮したことはないのですが、「催眠誘導によってたまたま発揮した」という反論もあり得ます(確かに催 眠状態で透視などの超能力が突然出現することはあります)。

 では、里沙さんが、ラタラジューが使っていたネパール語で、会話を始めたらどうでしょうか。
 会話能力は、透視や読心術では得ることができません。辞書や教科書を読み取ったとしても、それだけで話せるようにはならないわけです。
 つまり「透視などで創作した」という反論は成立しなくなります。
 そして、「前世記憶の信憑性」は非常に高くなるわけです。

 ただし、もう一つの仮説があります。それは「霊が憑依した」という説です。里沙さんは霊媒体質で、以前ネパールに生きたラタラジューという人が霊となっていて、それが突然憑依したのだ、という解釈です。
 これは難しい問題です。断定はできませんが、通常、「霊が憑依する」と、その間、憑依された側の人間の記憶は失われています。何が起こったか覚えていないのです。
 ラタラジューの事例では、里沙さんはネパール語を話している間の記憶を持っています。
 また、ラタラジューと自分の間に、親密感(同一性感覚)を感じていたと証言しています。
 ですから、おそらくこれは憑霊現象ではないと思われます。

 前世の記憶を甦らせ、かつその前世での言葉を話す、という事例はきわめて稀で、世界で5例ほどしか報告されていません。
 なぜこのようなことが起こるのか。それは謎です。
 イアン・スティーヴンソンが調査した「シャラーダの事例」では、インドのウッタラという女性が、突然前世紀に別の場所で生きたシャラーダという女性に人格変化し、学んだことのないベンガル語を話すということが報告されています。(『前世の言葉を話す人々』参照)
 この事例は、
  ・シャラーダ状態では、身のこなしなどの行動パターンが変わり、電話機というものを理解できないなど、ほぼ完全な人格変換が起こっている。
  ・シャラーダが話している間は現世人格は記憶がない。
  ・シャラーダは、自分が死んだことを自覚していない。
 といった理由から、「憑霊」が疑われます。

 ごく稀ですが、霊媒に霊が憑依した際、その霊が生きていた国の言葉で話す(書く)という現象が起こることも報告があります(ブラジルの霊媒ミラベリのケースなど)。
 どうも、一部の霊はそういうことができるようです。
 しかし、ラタラジューの事例では、憑霊現象とはどうしても判断できません。
 あくまで推察ですが、「単なる記憶を思い出す」のではなく、「前世の人格そのものが強力に前面に出てくる」場合、こういうことが起こりうるのかもしれません。
 そういう意味でも、今回の事例は、非常に貴重なものだと思います。そしてそれが映像になりテレビという形で広く知られることは、大いに意義があるものだと思います。
 
 なお、今回の事例の詳しい内容については、mixi の稲垣先生のコミュ「前世療法の探究」
 http://mixi.jp/view_community.pl?id=2399316
 をご参照ください。

 もちろん、今回の事例だけで、「人間は生まれ変わる」ということが、誰もが認める形で証明されたわけではありません(何が立証されたら証明になるのかに 関して合意がないので)。「死後存続」(人間の人格の主要な部分は死の後も残る)を認めない人(唯物論者)からは、いろいろと反論もあると思います。「や らせだ!」「あるはずがない!」といった感情的な反論は別として、もし蓋然性の高い別の解釈が出されるのであれば、きちんと検討しなければならないでしょ う。

付記:この事例のクライエントである里沙さんは、かなり悲痛な前世を思い出したためにつらい思いをしたそうですが、それにもかかわらず、またご自身の重い 病気をいとわず、懐疑的な調査方法にもめげず、研究に協力されています。お金にも名声にも関係なく、むしろ白眼視される危険性さえあるのに、真実の探求に 奉仕される精神は、実に尊いものだと思います。

      *      *      *

 スピリチュアリズムの立場から、生まれ変わりをめぐるよくある疑問に、Q&A形式で。

 「生まれ変わりは本当にあるの?」
 「ある」と考えてよいと思います。複数の「霊からの通信」ははっきりあると言っていますし、イアン・スティーヴンソンの研究、そしてワイス、ホイット ン、ウィリストン、ニュートンといった前世療法家の報告を見ると、筆者は「ある」としか思えません(ただ、一部の「霊からの通信」では、「生まれ変わりの 問題は非常に複雑なので、人間の知性では理解できない」とも言われているので、断定を留保する必要はあるかもしれません)。

 「誰もが生まれ変わってきているの?」
 これはわかりません。「今回が初めて」という人がいるかもしれません(ニュートンの報告では、どうもいるようです)。

 「生まれ変わりは何回もするの?」
 これも断定的なことは言えません。里沙さんのケースでは、「今回が3回目」と言われています。前世療法の事例では、数回、十数回という証言もあります。 中には「100回以上」というようなことを主張する報告もありますが、これはちょっと変(通常の生まれ変わりとは違う見方をしている?)だと思われます。

 「何回か生まれ変わっている人は、誰もが前世の記憶を持っているの?」
 おそらく無意識の中に、前世の記憶はあるでしょう。そして、好き嫌いとか、やりたいこと、生き方の特色といったことに、かなり影響を及ぼしていると思わ れます。水が恐いという人が、前世記憶を甦らせたところ、前世で水死しており、それを知ってから恐怖症がなくなったという事例もあります。特定の国、文 化、芸術などへの愛着も、前世に関係している場合があるようです。

 「なぜ普通は前世の記憶を思い出せないの?」
 一部の霊からのメッセージは、「前世の記憶がないほうが、魂の成長にはよい」と言っています。人間の意識はまだもろくて弱いので、前世のつらい出来事を思い出すとバランスが崩れたり、前世のネガティブな思いや感情に引きずられてしまうから、ということのようです。

 「思い出せないなら、前世に何の意味があるの?」
 前世自体に何かの意味があるのではなく、人間の魂は、何度も地上に生まれ変わって成長をしていく、その当然の結果として、前世があり現世がある、という ことになります。前世でやり残したこと、魂としてまだ学ぶべきことがあれば、魂は地上に生まれ変わる。そしてその「課題」は、意識できなくとも、魂(無意 識)は知っている、ということです。

 「前世の記憶を思い出すことはよいことなの、悪いことなの?」
 通常、しいて前世の記憶を思い出すことは必要ないでしょう。興味本位で探って、悲惨な過去を思い出し、心のバランスが崩れるといった危険性もあるかもし れません。ただ、何らかの不都合、たとえば心身症とか恐怖症とか、どうにもならない苦境とかが生じた場合、その打開のために前世記憶を思い出すことが役立 つことはあるようですし、それはやむを得ないものだと思われます。真摯な霊的探究として前世探究を行なう人もいるようですが、それはまあ、自己責任という ことで(ちなみに、催眠でない方法もあります)。

 「生まれ変わりたくないから生まれ変わらないということはできるの?」
 魂は、霊的成長の最善の方法として、この地上に生まれてくることを「自ら選んで」いると言われています。
 そして、魂が充分に成長すれば、もはや地上の生で学ぶ必要がなくなり、この世には生まれ変わらなくなるようです。ただし、どうすれば「卒業」になるかは、はっきりしていません。
 (ちなみに、ブッダの宗教的探究は「どうやったらこの苦しい地上に生まれ変わらなくなれるか」というものだったと思われます。このブログの【仏教って何だろう】を参照)。
 今の意識では「生まれ変わりたくない」と思っていても、霊界に行っていろいろと回顧・反省し、その上で「また生まれ変わって学ぶ」ことを納得ずくで選ぶ魂も多いようです。
 「生まれ変わりたくないのなら、ちゃんとこの人生で学ぶべきことを学んでいきましょうね」というところでしょうか。

 なお、「生まれ変わり」や「死後存続」があるからと言って、「リセット」を望んで自殺することは大きな間違いです。自暴自棄、悲観、恨みなどを抱えて自殺すると、死後も長くその思いに囚われて苦しむことが多いとされています。

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 再録になりますが、「生まれ変わり」問題をめぐる良質と思われる図書を挙げておきます。★は特にお薦めの本です。
★イアン・スティーヴンソン/笠原敏雄訳『前世を記憶する子供たち』日本教文社、1990年
イアン・スティーヴンソン/笠原敏雄訳『前世の言葉を語る人々』春秋社、1996年
イアン・スティーヴンソン/笠原敏雄訳『生まれ変わりの刻印』春秋社、1998年
イアン・スティーヴンソン/笠原敏雄訳『前世を記憶する子供たち2』日本教文社、2005年
★グレン・ウィリストン+ジュディス・ジョンストン/飯田史彦訳『生きる意味の探究』徳間書店、1999年(編抄訳)
ジョエル・L・ホイットン他/片桐すみ子訳『輪廻転生――驚くべき現代の神話』人文書院、1989年
ブライアン・L・ワイス/山川紘矢他訳『前世療法』PHP文庫、1996年
ブライアン・L・ワイス/山川紘矢他訳『前世療法2』PHP文庫、1997年
★マイケル・ニュートン/澤西康史訳『死後の世界が教える「人生はなんのためにあるのか」』VOICE、2000年
マイケル・ニュートン/三山一訳『死後の世界を知ると、人生は深く癒される』VOICE、2001年
★稲垣勝巳著『前世療法の探究』春秋社、2006年
★アラン・カーデック(カルデック)/桑原啓善訳『霊の書』(上下)潮文社、1986~7年
★グレース・クック/桑原啓善訳『ホワイト・イーグル霊言集』潮文社、1986年
ジェラルディーン・カミンズ/梅原伸太郎訳『不滅への道』春秋社、2000年


その2 スピリチュアルとは一線を画す科学的な特殊事例の検討


まず最初に、この著書に対して批判して悪くコメントをしている人は、全く著書を読んでおらず、内容の「科学的な事実」を無視し、揚げ足をとった挙句、更に捏造して大ウソの書評をして評価を下げようとしてるだけなので信じる必要はありません。

それは実際に私自身が購入してみて感じました。

この著書は、確実に安易なスピリチュアルな本とは一線を画します。

この著書は、世界でも過去4例ほどしかない極めて貴重な「真性異言(しんせいいげん)」の事例に対する科学的な事例検討です。

研究メンバーは、
日本のメンタルヘルス研究所 所長の稲垣勝巳氏(※1)
(※1)元公立小中学校教頭・臨床催眠研究者・成瀬悟策医博の推挙の学校心理士・日本教育催眠学会理事
中部大学 国際関係学部教授 大門正幸先生、
中部大学 国際関係学部准教授 岡本聡先生、
さかえクリニック院長 医学博士 末武信宏医師、
日本法医学鑑定センターの荒砂正名氏(※2)(あらすな・まさな)も協力しています。
(※2)前大阪府警科学捜査研究所長で、36年間に8000人を超える鑑定経験を持つ日本有数のポリグラフ検査に精通した専門家。
です。
更に、これは日本で故・河合隼雄氏に並ぶ、成瀬悟策医博の系列で大学・医師チームで研究が行われ、正統にアカデミックに論文発表されました。

「真性異言」とは学んだことのない外国語もしくは意味不明の複雑な言語を操ることができる超自然的な言語知識、およびその現象のことです。

著書内では、真性異言が退行催眠中に表出し、その世界初の映像と音声収録に成功した経緯と、最新の真性異言の事例であるネパール人のラタラジューを中心に検証と考察、及び逐語録まで詳細に解説してあります。

2010年8月5日、映像はフジテレビのアンビリバボーでゴールデンタイムに公開されました。

この著書が優れているのは、被験者に対して「虚偽記憶かどうか」の出来る限りの科学的検証も行われていることです。
これは前世療法で著名なエール大学医学部のブライアン・ワイス医学博士・精神科医でも検証し得なかったことです。

虚偽記憶とは、過去にどこかその情報を得たりしていないかということです。
よく前世療法(前世イメージ療法とも)の中で、退行催眠で見えるものは虚偽記憶(記憶の再合成)の可能性があると言われています。
リモートビューイング(超ESP)仮説でも、退行催眠中に見える虚偽記憶(本物ではない記憶)の説明はできます。退行催眠中に、透視能力を発揮してその情報を持ってきたとも言われます。

しかし、今回発見させたのは【会話】。つまり【技術】です。
退行催眠中に【技術】という「虚偽記憶では証明不可能な反例」が出たという事例です。

「記憶」は過去の経験(テレビや雑誌など)で合成され、虚偽記憶となる可能性を秘めているとしても、【言語(しかも会話)】は、発達上の反復による学習により習得できる”技術”のため、記憶や透視では証明できません。
よって虚偽記憶も超ESP仮説も反証できるのです。

(例えば、ネパール語を学んでいない人に、道端でいきなりネパール語でしゃべってくださいと言われても無理ですし、やったとしても偶然にも当たりませんし、習ってない人にバイオリンを弾いてくださいも無理です。)

更にその会話は「偶然、ネパール語に聞こえた。」という類のモノではなく、しっかりと応答型に会話し、言語学者・大門教授の分析により
【ネパール語で70パーセントも会話が成立していることが立証されています】。

それだけでなく
【一人称や三人称の変化、助動詞や尊敬語や、独自の数字まで正しい発音で会話をしていました】。

情 報を得ていなかったこと、ネパールと接触がなかったこと等は、被験者の同意の上、過去の経歴の中で関わった人物、在住した市町村の戸籍、旅行先、テレビや インターネットやラジオの放送履歴などに到るまで徹底的に調べ上げ、更にポリグラフ検査まで行って、確実に「接触がなかった」と科学検証されました。

基本的に科学では「全称命題」に対して、一つでも反証できるものがあれば、それは「特称命題」と呼ばれています。
例えば、世界中にいるほぼ全てのカラスを観察して「カラスはみんな黒」と全称命題を立てても、1匹でも茶色や白のカラスがいれば「特称命題」ということで、その命題は覆(くつがえ)るわけです。
科学実験が「不完全帰納法」であることは、日本人だけ知らないだけで、世界の常識です。
(数学のように誰がどこでやっても絶対答えが一つ出るのは完全帰納法[数学的帰納法]。これが神学や論理学や哲学に繋がります。対して、物理学や化学や生物学や心理学や医学などの自然科学や社会科学は、統計的で反例があれば覆るので不完全帰納法と言います。)

真性異言という「特称命題」の事例は、その特称の名のとおり、通常の全称命題(実験的再現性が高いもの)を覆すものなので、イアン・スティーブンソンなどの極少数の先行研究の事例を元に仮説を検証しなければなりません。

よって、そのイアンの「死後存続(生まれ変わり)」仮説をそのまま採用すれば、率直に特殊命題として「生まれ変わりが証明された」と言えるわけです。言葉の通りだと思います。現時点ではそうとしか表現のしようがありません。

その科学性は、先行研究の仮説の検討と、しっかりとした引用文献から見い出される論理的整合性に明確に依拠しています。

もし、この事実に反論しようとするならば、

1、ネパール語を学んでいないことの確実な検証済みの被験者に、ネパール語で会話実験して、被験者の里沙さん(ラタラジュー)レベルの会話が成立するか実験する。そこで会話が成立することの立証。
これで初めて、里沙さんはネパール語を学んでいないけれども話すことができた、という反論を認められます。
(ネパール語で会話ができるとする検証基準は、前世人格ラタラジューの会話レベルと同程度であるネパール語の、25~30の単語と、ネパール語の文法に則った主述の明確な会話がわずかでもできるということです。)

2、里沙さんがネパール語を学んでいない科学的検証方法として、生育歴の詳細な聞き込み調査、ポリグラフ検査による調査、本人およびご主人の証言書署名のほかに、科学的検証方法があるのであれば、その方法論の説明。

3、 生まれ変わり研究の第一人者であるイアン・スティーヴンソンの研究方法を忠実に追試するという方法論を採用されているので、「ラタラジューの事例」を生ま れ変わりの科学的証明ではないと否定するのなら、スティーヴンソンの3つの事例も全否定することになるので、その科学的反証をきちんとすること。

4、生まれ変わりが絶対にないと強弁するのなら、生まれ変わりが絶対ありえないという科学的証明をきちんとすること。
そもそも、まだ脳が意識を生み出している科学的証明はまだできていない。
意識を生み出す脳細胞を発見できると脳科学者が必死で探していますが見つかっていません。脳がすべて、脳が消滅すればすべて無に帰するというのは、科学的裏付けのない単なる憶測、思い込みに過ぎません。もし、意識を生み出す脳細胞が発見されたなら、私は生まれ変わりがあるという事実の誤りを認められます。脳細胞の消滅と同時に意識(生前の記憶)も消滅するわけで、生前の意識(記憶)が来世に保持され持ち越されるはずがないということになるからです。

とにかく1の実験をして検証をし、ネパール語を学習していなくても、里沙さん程度にネパール語会話ができたという立証(反証)がないところでは反論は根拠を欠いた単なる感情的駄弁です。
否定論者は、これらのことが「できる」と断定的に言ってるので、「じゃあお前がネパール語しゃべってみろ」「全くネパール語のできない人が、ネパール人に話 しかけられて20~30のネパール語単語を用い、ネパール語文法に則った会話が少しでもできそうでしょうか?」「しかも、タマン語訛りのあるネパール語発音ができると思いますか?」と返したくなります。

更に、
『「脳が心を作り出す」や「心が脳を作り出す」の立場は科学的に解決されたんですか?』
『ニュートラルネットの出力者の不在問題は解決されたんですか?』
という今だに解決されていない疑問に対する解決もされなくてはなりません。

既存科学(唯物論者)傾向な人は、このような特称事例を見受けると、受け入れがたい科学的な事実を目の当たりにして拒否反応を示す【心理的抵抗】が起こってしまい、自分の傲慢な感情を科学の唯物論だけで担保して押し通すような神経症的傾向が出てしまうかも知れません。

そもそも「スピリチュアル vs 科学」という神経症的な二分法思考で、「既存の科学=正義」で「未解明科学、それ以外は悪」であるという認識自体、間違っていると思います。

例えば、新しい病原菌が見つかった場合、それを「過去の既存の科学の事例にないから悪。そんなものは存在しない。」と言うのは、それこそ現実の事実を無視して思考停止した”非科学的な態度”です。

客観的に観察される事象に対して、先行研究を駆使して、より合理的に、かつ善悪などの主観を除いた「事実」に近づくように探求するのが本来の「科学」です

「科学が正義で、それ以外は悪なので抹消すべきだ」という考えは、
中 国共産党の”科学崇拝”によって、霊能者や占い師や風水師や、果てには少林寺拳法などの武道精神にいたるまで、「目に見えない世界を信じる人」を1億人近 く(歴史上最多の)大虐殺した文化大革命・天安門事件や、今も続くチベット仏教徒やウイグルイスラム教徒への迫害。ソ連の大粛清で歴史上最多の大虐殺。
日本でも、過激派左翼の共産主義(唯物論)→学生運動→集団リンチ・よど号強奪や浅間山荘事件(革マル派・日本赤軍)→その後、彼らが拠り所を求めて作ったオウム真理教…
このすでに危ないと言われ、30年前には崩壊して終わった流れと同じです。
(今は、この時代を生きた人が教育者などになっているので、俗に言う理科系にいけばいくほど、リベラルで唯物論的になるのは嘆かわしいことですが…)

「本来の純粋な科学的な視点」で、寛容に懐疑的で中立的な観点を持てる人には、この著書は適していると思います。

私は、この特殊事例が突破口となり、今後「死後存続仮説を支持する事例がある」「未習得言語を話す事例がある」という反証から、新たな科学の発展にも貢献すると感じます。

近い未来、これを元に「未習得言語を話すようになれる技術」などが開発されていく契機にもなるはずです。
ノーム・チョムスキーの言語生得説の生成文法(とりわけ中心の普遍文法)の認知言語学・情報(数学)理論、同じくこの系譜の脳科学(人工知能)の最新研究である心の内部関数(機能:ファンクショナル)として必ず注目されます。

仮に、真性異言に反証するような何かが分かったとしても、「ニューラルネットの出力者不在の問題」を脳科学は解決しなければ、「脳」と「心」の関係の根本問題は解決されないのです。
(でも今でさえ「心が脳(モノ=認識の世界)を作り出す」という後者が有力です。これ以降は量子力学の世界で研究されていくと思います。)

そして、この真性異言という事例の特殊命題は、今世紀以降、未来永劫、残り続けると思います。

その3 大変冷静で実証的な本です


大変冷静で、実証的な本です。
「生まれ変わり」をできる限り客観的に証明することを志し、工夫と努力を重ねて状況証拠を挙げていっておられます。

元々、この本の筆者は催眠療法を実践するも、「前世療法」に懐疑的な、むしろ嫌悪感を覚えていたような方であったことも興味深いところです。
「前世療法」のブライアン・L・ワイスや、「輪廻転生」のジョエル・ホイットンなどの流れより、「前世を記憶する子どもたち」のイアン・スティーブンソンのように、できる限り実証的に検証することにより重点を置く、という点で、かなりこれまでの「前世探求・療法本」と一線を画するような内容となっています。
「応答型真性異言」検証というアプローチが、この本での生まれ変わり証明方法の白眉ですが、
複数研究者チーム体制で、録音及び録画している環境下で、ネイティブネパール人の方との間で、被験者本人が知り得ない(使い得ない)と幾重にも証明されるネパール語を使って、たどたどしいながらも会話が進んでいく場面は、読んでいて、静かな興奮と感動を覚えました。

「生まれ変わり」の実証に対して、筆者はくどいほど、様々な角度からの反論を予測して、それらに対しての考察及び、反駁の証拠・論拠を挙げており、
恐らく、これらを読んでも、「生まれ変わりは非科学的で認めたくない」と思えば、頑迷に認めない方もおられるのでしょうが、そうでもなければ、一定程度「生まれ変わり」という事象に対して否定的見解を持っている方でも、この本に綴られている一つ一つの検証を読み込み、虚心坦懐、かつ論理的に検討するならば、「生まれ変わりというのはありそうだ。死によって無に帰するわけではないようだ」という結論(予測)に至るのではないか、と思われます。

ともあれ、これまでの多くの前世療法などの本とは一線を画する、生まれ変わりの事実をできる限り実証的に客観的証拠を追求しながら明らかにしようとした良著であると、私には感じられます。
手元に置いて良く吟味し、検証する価値のある本です。

これまで、主要な生まれ変わりに関する書物を読んできた身として、
このように実証的な、特に「真性応答型異言」というアプローチを持って世に問うた著者の努力にお礼を申し上げたい思いがわきます。
また、日本でこのような本が出たことを、誇らしく思います。



この書を偏った考えで批判されているレビューを読みましたが、批判的レビューを記載された方はまずこの書をしっかり読んでいないことが明確です。
この書に紹介されている研究チームは少なくとも科学者であり 客観的、普遍的、再現性を重視した科学的アプローチを試みられています。 現在のスピリチャルのアカデミックな考え方として 真性異言は魂の存在の根拠になりうると考えられています。
魂の存在や前世の存在を直接 科学的に実証できることは極めて困難でこれまでも残念ながら証明された事例はありません。
今回のこの書でも記載してあるように、真性異言の映像が医療機関内で、医師や科学者、大学教授立会いの下、厳粛に実験セッションが行われ捉えられたということが評価されてもよいかと思います。

そのセッションでの映像や録音された言語を 専門の言語学者が自然科学的に解析しアプローチすることが科学でなくて何でしょうか?
この書を批判するレビュアーはまず、ご自身が科学者でもなく科学的観点でのアプローチの手法すらご存じないようです。
批判は適切に行われるべきであり偏った自己主張は良書を駆逐してしまいます。
考えの相異ではなく、少し無理があるレビューも存在しうることを読者の皆さんは認識する必要があります。
科学者である私もこの書を推薦します。
少なくともこれまでのスピリチャルの書とは全く異なる実証主義に基づいた探究された 良書であると考えます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・引用終わり

出版不況の現状の中で、私のような、出版社と一切コネのない、医師とか大学教授などの公的肩書きのない、一介の催眠臨床実践者の探究した「持ち込み原稿」を、出版していただくことはきわめて困難です。
たいていは、損害保険のような「著者引き取り分」が設定され、最初に著者が発行部数の半数分を買い取る条件で出版してもらう、というのが出版業界の通例です。

「著者引き取り」条件なしで出版を引き受け、売れ筋とは評価できそうにない地味な拙著を世に出していただいた、「春秋社」編集者、「ナチュラルスピリット社」社長、両氏の使命感と恩恵には、この場を借りてあらためてあつくお礼申し上げたいと思います。

ちなみに、拙著『生まれ変わりが科学的に証明された!』で提示したような、生まれ変わりの具体的証拠にほとんど反論の余地がない、と思われる内容の本は、多くの読者からは嫌われ、売れない傾向が強い、という指摘を専門的研究者から受けています。
生まれ変わりを認めざるを得ない、というところまで証拠が示され、選択の余地のないところに追い詰められると、多くの読者には「心理的抵抗」が生じ、感情的反感によって嫌われるか、無視されるのだそうです。
嫌われようが無視されようが、生まれ変わりを濃厚に示す事例に遭遇したからには、その事実をきちんと活字にして後世に残し、再検証できるようにしておくことが責務であろう、というのが私の考えです。

なお、2006年、2010年の2度にわたって、フジTV番組『アンビリバボー』で放映されたのは、出版できた拙著が契機となって放映依頼があり、けっして私自身が番組に売り込んだわけではありません。
「生まれ変わり」という同じ番組テーマに、「タエの事例」、「ラタラジューの事例」の両事例を高く評価していただき、2度も放映していただいたアンビリの番組ディレクター氏はじめ制作スタッフのみなさんにも、お礼申し上げねばなりません。

さて、生まれ変わりの科学的事実を主張する応答型真性異言「ラタラジューの事例」は、発表以来6年間、唯物論者や霊能者、懐疑主義者から放たれてきた攻撃の矢を跳ね返し、「鉄壁の砦」に立て籠もって孤軍奮闘(スティーヴンソンの3つの事例もありますが)を続けています。

これまでに、拙著の検証記述と、その裏付けとなっているyou-tubu公開の「ラタラジューの事例」の証拠映像に正対し、丁寧に検討し、具体的反証を挙げ、誠実に、冷静に、正当な反論をしてきた論者は現れておりません。
こうした手間のかかる反証を挙げる検証作業をせず、反証可能性から目を背け、実証の裏付けの無い、もっともらしい空疎な仮説を持ち出して、筋違いの反論を並べるだけの脆弱なものばかりです(「SAM催眠学序説 その80」を参照)。

私がきちんと証拠を示し、それに基づいて生まれ変わりを主張しているのですから、私の主張している生まれ変わりを否定したい人は、まずは私が提示している諸証拠の反証を具体的に挙げることが求められています。
私の提示している諸証拠のどこそこがおかしい、だからこれは生まれ変わりの証拠ではない、と具体的に反証を挙げて否定すべきです。
このようにして、生まれ変わり否定の「立証責任」を果たすことが、否定する側には求められていると考えるのが筋というものでしょう。
この当然すべきことを理解できていない反論のいかに多いことか。

生まれ変わりを主張する「ラタラジューの事例」が、反証可能性にひらかれているにもかかわらず、反証を挙げて否定できないとすれば、この事実は、すくなくとも現時点において、生まれ変わりが科学的事実として認められていることを意味します。

 したがって、「ラタラジューの事例」は、物質的基盤だけでこの世界を完全に理解可能だとする唯物論世界観の堤防に、すくなくとも、唯物論世界観だけがすべてで絶対的なものではないぞ、という「アリの一穴」を穿ち続けていると自負しています。

5 件のコメント:

稲垣勝巳 さんのコメント...

ブログ上の議論において私の留意していること


議論は油断していると認知の誤りに陥ることが往々にして起こります。
私がいつも自己反省している観点を6点挙げてみます。
本ブログの私の記事、および読者コメントを評価する際の参考になれば幸いです。

1 確かな証拠がないにも関わらず、独断的に思いつきでことがらを解釈・判断し、自分の都合のよい結論にしてしまうことになってはいないか?【恣意的推論の誤り】

2 自分の関心のあることがら、自分都合のよいことがらのみに注目し、それを取り上げて自分に都合よく抽象的に結論づけてはいないか?【選択的抽出の誤り】

3 ごくわずかな偏ったことがらのみを取り上げて、なにごとも同様に決めつけてしまうことになってはいないか?【極端な一般化の誤り】

4 自分の関心のある事実や部分は過大評価してとらえ、反対に自分に不都合な、自分の予測に合わない事実や部分はことさらに過小評価して価値づけてはいないか?【拡大視・縮小視の誤り】

5 そのときの自分の気分によって、あるいは自分の拒否的感情から事実を判断するようなことをしていないか?【情緒的な理由づけの誤り】

6 なにごとも曖昧な状態には我慢できず、白黒はっきりさせておかないと気が済まないという思考状態になってはいないか?【二分割思考の誤り】

認知の誤りに陥るときは、以上の6点の誤りが複合して起きています。

ちなみに、こうした観点で、安倍首相の国会答弁、野党の質問の認知の誤りを点検していると、質問や答弁の、正誤・適否・美醜・知性の程度が評価でき、退屈であくびが出る国会中継を楽しむことができるものです。

そしてまた、この6つの観点を心得ておけば、肩書きをかざして、エラソーに巧妙にのたまう空疎な言説に、簡単に欺かれたり、洗脳されたりすることのない、粘り腰の思考態度を養うことができるはずです。
さらにまた、本ブログで主張している私の言説の不備にも気づき、鋭く突けるはずです。

さて、プレゼンさんの最初に掲載したコメントの認知の誤りはどこにあるでしょうか。

シュヴァル さんのコメント...

結局のところ、生まれ変わりの議論をしたいに見えないんですよね

一方的に自分以外のひとの主張を入っているだけに見えますがいかがでしょう?

プレゼント さんのコメント...

最後に言います。


貴方が「心の逃げ道」として魂や生まれ変わりなど必要なら研究するのは構わないし良いと思います


しかしそれを他人にあたかも事実かのように公開するのはやめて欲しいです。世の中の人は死別で悲しんでいるけど現実を見て立ち直っているのです。 貴方も用は心の逃げ道として研究しているのですよね?貴方自身は科学的研究と言っているのは分かりますが研究の動機は死の恐怖や死別の逃げ道としてですよね?


私もおかみさんや幼い子供を事故で亡くした時は悲しみや死の恐怖で死を脱皮として考え逃げてました。しかし自分が脳卒中で倒れ意識不明になり回復しましたが意識不明の時は何も感じずいつの間にか目が覚めただけでした。また医師から意識の脳の部分について語ら生きている有り難みを今になって気づきました。


なので私は霊魂を前提として生きている人達を見てほっておけず本来の命の尊さを知ってもらいたいのです。

シュヴァル さんのコメント...

私に対してのお返事はどうなったんでしょうか?
あと、
用は心の逃げ道は間違いで、要はですね。

誤字は印象が悪くなりますよ


>私もおかみさんや幼い子供を事故で亡くした時は悲しみや死の恐怖で死を脱皮として考え逃げてました。しかし自分が脳卒中で倒れ意識不明になり回復しましたが意識不明の時は何も感じずいつの間にか目が覚めただけでした。また医師から意識の脳の部分について語ら生きている有り難みを今になって気づきました。

奥様や子供さまのご冥福をお祈りしまします。
そのうえで申し上げます。これはあなたの体験でしかありませんね。
ここは起こった事実に対して議論する場であります。

残念ながら自分の思い込みをお話しされるのはいささか場違いではありませんでしょうか?


稲垣勝巳 さんのコメント...

プレゼントさん
あなたは次の3つの「認知の誤り」に陥っていないかを自己点検してみてはいかがですか。

1 確かな証拠がないにも関わらず、独断的に思いつきでことがらを解釈・判断し、自分の都合のよい結論にしてしまうことになってはいないか?【恣意的推論の誤り】

2 自分の関心のあることがら、自分都合のよいことがらのみに注目し、それを取り上げて自分に都合よく抽象的に結論づけてはいないか?【選択的抽出の誤り】

3 ごくわずかな偏ったことがらのみを取り上げて、なにごとも同様に決めつけてしまうことになってはいないか?【極端な一般化の誤り】

あなたのコメントにある、私が「心の逃げ道として研究している」という判断はいったいどこから出てくるのでしょう。
私のこれまでのブログをきちんと読めば、このような判断は【恣意的推論の誤り】に他なりません。

生まれ変わりの真偽を科学として探究することがライフワークであり、これを心の逃げ道としてやっているわけではありません。
このブログ名が「生まれ変わりの実証的探究」となっているのをご存じのはずでしょう。

また、私は生まれ変わりを「あたかも事実のように」公開しているのではなく、「科学的な事実」に足る具体的証拠を挙げて、「科学的事実として」公開しています。
なぜ、このことがご理解いただけないのか不可解です。

生まれ変わりは絶対ない、という強固な信念をお持ちであり、私のブログが目障りであるなら、「ラタラジューの事例」の反証をきちんと挙げて、だから生まれ変わりは絶対ないのだ、と立証されることです。
それをしないで(できないで)、生まれ変わりは無いのだ、生まれ変わりの事実について記事を公開しないでほしい、といかに力説してみても説得力はありません。

そして、生まれ変わり否定の立証は、まず次の4点からしていただくことです。

1、ネパール語を学んでいないことの確実な検証済みの被験者に、ネパール語で会話実験して、被験者の里沙さん(ラタラジュー)レベルの会話が成立するか実験する。そこで会話が成立することの立証。
これで初めて、里沙さんはネパール語を学んでいないけれども話すことができた、という反論を認められます。
(ネパール語で会話ができるとする検証基準は、前世人格ラタラジューの会話レベルと同程度であるネパール語の、25~30の単語と、ネパール語の文法に則った主述の明確な会話がわずかでもできるということです。)

2、里沙さんがネパール語を学んでいない科学的検証方法として、生育歴の詳細な聞き込み調査、ポリグラフ検査による調査、本人およびご主人の証言書署名のほかに、科学的検証方法があるのであれば、その方法論の説明。

3、 生まれ変わり研究の第一人者であるイアン・スティーヴンソンの研究方法を忠実に追試するという方法論を採用しているので、「ラタラジューの事例」を生まれ変わりの科学的証明ではないと否定するのなら、スティーヴンソンの3つの事例も全否定することになるわけで、その科学的反証をきちんとすること。

4、生まれ変わりが絶対にないと強弁するのなら、生まれ変わりが絶対ありえないという科学的証明をきちんとすること。
そもそも、まだ脳が意識を生み出している科学的証明はまだできていない。
意識を生み出す脳細胞を発見できると脳科学者が必死で探していますが見つかっていません。脳がすべて、脳が消滅すればすべて無に帰するというのは、科学的裏付けのない単なる憶測、思い込みに過ぎません。もし、意識を生み出す脳細胞が発見されたなら、私は生まれ変わりがあるという事実の誤りを認められます。脳細胞の消滅と同時に意識(生前の記憶)も消滅するわけで、生前の意識(記憶)が来世に保持され持ち越されるはずがないということになるからです。

上記4点で「ラタラジューの事例」が応答型真性異言ではないことを立証してください。
この立証に成功すれば、応答型真性異言であることが否定でき、応答型真性異言をもって生まれ変わりの科学的証拠だとする私の主張は、この時点で成り立たなくなります。
そして、この立証ができないとすれば、応答型真性異言を認めることになります。
次に、現行唯物論科学で、応答型真性異言現象の起こるメカニズムを実証に基づいて説明する作業をしてください。
この説明作業に成功すれば、応答型真性異言現象といえども、唯物論で説明できることになり、生まれ変わりの証拠ではないということの立証が成功し、私の主張を完全に論破できたことになります。
そうなれば、私は潔く、生まれ変わりが科学的事実ではなかったことを認めます。
どうぞ、否定のための立証作業をやってみてください。

私は、こうした検証作業の結果、生まれ変わり肯定の立場に至っています。
けっしてはじめから「生まれ変わりありき」で検証作業を始めたわけではありません。

また、「霊魂を前提として生きている人達を見てほっておけず本来の命の尊さを知ってほしい」というお考えも、【恣意的推論の誤り】と【極端な一般化の誤り】です。
霊魂を前提に生きていると命を軽んじるのではなく、逆に現世に生まれてきた本来の意味を考え、現世の課題に立ち向かって生きていく命の尊さをに目覚めるのです。
このことについては、「SAM催眠学序説その81」において、クライアントに現れる意識現象の事実に基づき次のように述べてあります。

「生まれ変わりは、惰性で、たまたま偶然に、おこなわれるのではなく、霊性の成長進化という方向性、目的性があり、そのために、現世を生きるうえで、何らかの形で負荷を課せられ、あるいは自ら課して生まれ変わっている、と結論づけてよいように思われます。
この結論を受け入れるならば、今、自身に降りかかっている苦境、生きづらさをは、魂の霊性を成長進化させるために、現世に生まれ変わったうえでの当然の負荷だという了解が可能になるのではないでしょうか。
そして、この了解を受け入れ(目覚め)、負荷あることを当然として人生に立ち向かうとき、その人の霊性は、ワンステップの成長進化を遂げたのだ、という評価ができると思われます。
霊的真理とは、こうした魂の本来的方向性、本来的目的性に目覚め、負荷ある現世を生き抜くことが含意されているのではないでしょうか」

こうした上記私の文章に目を通しておられるなら、きちんとこの考え方に反論してから「ほっておけない」理由を述べるべきではありませんか。

「ほっておけない」などは、霊魂の存在の事実を認めて生きている人にとっては(私も含めて)失礼であり、「余計なお世話」以外のなにものでもありません。
どうぞご心配は無用にしてください。

最後に、現在の生まれ変わりの科学的研究の到達点として、応答型真性異言現象こそ、もっとも強力な生まれ変わりの証拠だと了解されているのですが、あなたはいったいどのような証拠であれば、生まれ変わりを了解できると考えておられるのでしょうか?
あなたは、19世紀後半に始まり100年以上にわたる、これまでの生まれ変わりの先行研究史の累積をきちんとお読みになっているのでしょうか?
その検討のうえで、生まれ変わりなど絶対に無いと考えておられるのでしょうか?

あなたの投稿はこれが最後のようですから、私もこれが最後の返礼です