2015年5月10日日曜日

SAM催眠学序説 その46

ここまで分かってきた魂の構造と生まれ変わりの仕組み

 


SAM催眠学の提唱する「魂と生まれ変わりの仕組み」を単純化した平面図にすると下図のように示すことになります。
SAM催眠学では、下図の大円X(魂の核、円周上の小円A・B・C(魂の表層を含めて1つの「魂」が構成されていると考えます。

こうした魂の構造を「魂の二層構造仮説」と言います。


        [魂と生まれ変わりの模式図]



「魂の二層構造仮説」を示す上の模式図を説明します。

左から右へと時間軸がとってあります。
大円Xの下に引いてある横線は、前世人格と現世人格の区別のための補助線です。
つまり、補助線より下の小円が現世人格になります。補助線より上の小円が前世人格です。
したがって、右端の3つ目の模式図は現世が3回目の人生を送っている魂をあらわしています。

魂の核大円(X)は、最初その表層に小円という個人的存在(現世人格)を生み出す(左端の図)が、Aは死後、魂の核大円(X)の表層を構成する前世人格小円Aとして位置づき(真ん中の図)、存在し続けます。
そして魂は、次の来世の肉体に宿ると、新たに小円という現世の個人的存在を魂表層に生み出す((真ん中の図))ということです。
さらに小円B人格の肉体の死後、Bは魂表層の前世人格として位置づき、次の来世で小円Cという現世人格を魂表層に生み出します。(右端の図)

こうして、生まれ変わりの回数分だけの諸前世人格が魂の表層を構成している、というのがSAM前世療法で現象する意識現象の累積から明らかになってきた生まれ変わりの仕組みです。


魂の核であるXは、新しい肉体を得るたびにA、B、Cという現世人格を魂表層に次々に生み出していきます。
A・B・Cは死後も、それぞれの生前の個性を保ちながら、魂の核Xとともに、魂の表層を構成する前世人格の意識体として存続しています。

シルバー・バーチの「魂はダイヤモンドのような多面体であり、あなたはその一面なのだ」というような霊信と、SAM前世療法が明らかにしてきた「現世人格もそれまでの前世諸人格とともに魂の表層を構成している1つのもの」という仮説を図示すれば、おそらくこういうふうになるのではないかと思います。
 
この関係を、実際のセッションで検証された「タエの事例」、「ラタラジューの事例」に当てはめてみます。
小円Aが里沙さんの魂として最初の人生である「タエ人格」、小円Bが次の人生である「ラタラジュー人格」、小円Cが3度目の人生である「現世人格の里沙さん」ということになります。里沙さんの守護霊の語りによれば、彼女の魂は「タエが初の人生を体験している」ということです。


さて、この模式図で問題になることは、まず、「現世の人格はそっくりそのまま次の来世の肉体に生まれ変わりをしない」ということになるということです。

視点を個別人格に取ると、AはBに生ま れ変わっておらず、AとBはCに生まれ変わっていません。AとB、A・BとCの間に「カルマ」などの受け渡しがあったとしても、それはAやBが生まれ変 わったということにはなりません。
大円X(魂の核)の外周(表層)に、○A・○B(それぞれの前世人格)が個別に死後存続しているというわけです。
そして、○Cの現世人格も、前世人格○A・○Bとともに、魂表層でそれぞれの人生で得た智恵を分かち合い、魂表層全体の集合的意識を成長・進化させるという関係でつながっています。


こうなると、「魂の核X」は、次々に現世人格を生み出す」という方が適当であり、これを表現するには、生まれ変わりという言葉ではない新たな概念が必要とされるのもしれません。

問題になるのは、死後の「人格」の状態です。
魂の模式図の一番右の時点で、死後存続しているAとBは、どういう状態で何をしているのでしょう。
一般的に、死後存続説というも のは、単に「残る」ということではなく、「死後も活動を続ける」ということを含意しています(古代ユダヤ教の「冥府での眠り」――復活を認めないサドカイ派の死後観――はですから死後存続説としては異常説です)。
AとBが死後もそれなりの主体性をもって活動していれば通常の死後存続説に属しますが、単に眠っているように魂にくっついていたり、ただ現世のCを見守る(あるいはメッセージを送る)といったことしかしていないのなら、それは死後存続説としてはかなり異常です。

つまり、このようなとらえ方(あくまでこの図のようなとらえ方ということ)は、一般的に合意されている「生まれ変わり」の否定であり、場合によっては(死後人格の活動状態いかんによっては)、死後存続の否定にもなりかねないということになります。

死後存続研究者(たぶんデュカスだったと思います)が言った「死後存続については、どういう条件が満たされると証明されたことになるのか、まったく合意ができていない」という言葉によれば、「生まれ変わりについては、どういう条件が満たされると生まれ変わりが証明されたことになるのか、まったく合意ができていない」ということになっていると思われます。

つまり、霊魂仮説を受け入れた人たちの間でも、「何が生まれ変わるか」「生まれ変わりの定義とは何か」について、合意ができていないようです。
生まれ変わりの定義に合意がないのであるなら、この魂の「二層構造仮説」をもって「生まれ変わり」、つまり、表層の前世のものたちを含めた魂全体が、次の肉体に宿ること をもって、「個別の人格はそのまま生まれ変わりをしないが、それらを包含した魂全体が生まれ変わる」という概念であっても、支障はないとSAM催眠学では考えます。

さて、上の図で誤解されやすいのは、大円X(魂)の外周に、○A・○B(それぞれの前世人格)が位置づけられていますが、SAM催眠学の概念では、○A・○B(それ ぞれの前世人格)は、「魂の表層」を構成している前世のものたちであって、それらのものたちは、魂の構成要素であるので、大円X(魂の核)と小円○A・○B(魂表層のそれぞれの前世人格)、および○C(現世人格)の全体を含めて1つの「魂」として定義していることしょう。
私は魂について、私以外にこのような定義をしている人を知りません。

ただし、魂の核である大円Xがどのようなものであるかは謎です。
私あて霊信では、「ある意識体」としか告げていません。

ちなみに、SAM催眠学でいう「魂」概念には、宗教的な意味は一切ありません。
「肉体に入っており、死後は肉体から離れて存続する意識体」というほどの意味です。
イアン・スティーヴンソンの提唱している「心搬体(生前の人格・個性・記憶等を運搬し死後存続する意識体)」と同様の概念です。


端的に言えば、SAM催眠学の生まれ変わりの概念は、「魂全体が次々に別の肉体に宿ることを繰り返すこと」を「生まれ変わり」だとしています。
そして、SAM前世療法のセッションで現れる「意識現象の事実」は、この概念を支持していますから、これまでの一般的に合意されている「生まれ変わり」の見解に反していようが、現時点で検証されている「意識現象の事実」を認めるしかありません。

つまり、アンビリで登場した里沙さんの場合、図の○Aがタエ、○Bがラタラジュー、○Cが現世の里沙さん、ということであり、このことをもって「魂が生まれ変わり」をしているということです。


だからこそ、SAM前世療法セッションにおいて、魂状態の自覚に至れば、タエやラタラジュー人格が魂表層から顕現化する(何度でも再現性がある)わけで、彼らが魂表層に、今も意識体として存続している(生きている)ことを、セッション証拠映像をご覧になれば誰もが納得されるでしょう。

そして、前世人格は、単に眠っているように魂表層に存在しているわけではないので、顕現化した場合には、現世の肉体を用いて(自己内憑依して) 、指や口頭で自己表現するのです。
苦悶の表情や、落涙といった人間的感情を現世の肉体を借りて表現するのです。

もちろん、顕現化していない状態でも、魂表層で(潜在意識下で)生きており、現世人格に良かれ悪しかれ何らかの影響を及ぼしています。
心理的に肉体的に、前世人格が現世人格に悪しき影響を及ぼしている場合に、そうした前世人格を顕現化させ、対話することがSAM前世療法です。

SAM催眠学は、「魂の二層構造仮説(魂の多面体仮説)」の検証を、催眠を道具に用いて、SAM前世療法のセッションで確認できた「意識現象の事実の累積から共通項を抽出する」、という方法論で、これまでもやってきましたし、これからもやっていこうとしています。
それ以外に「意識現象」の研究は、現状科学では方法がないと思うからです。


「魂の二層構造仮説(魂の多面体仮説)」に基づくSAM前世療法は、こうしたことを探究するきわめて有用な道具だろうと思っています。

そして、これまでの探究において、魂の多面体仮説(魂の二層構造仮説)を否定する「意識現象の事実」は、確認されていないということです。

ちなみに、「魂の二層構造仮説」は私の独創ではありません。
2007年1月11日から2月14日まで、毎夜送られてきた私の守護霊団を名乗る存在からの通信(霊信)によって教えられたものです。

したがって、人間知性の生み出した仮説ではありません。
そして、私あて霊信が教えた魂構造の仕組みに、もっとも親近性のある霊信が、シルバーバーチの霊信にある「ダイヤモンドの多面体説」というわけです。

このような人間知性を越えた霊信による「魂の二層構造仮説」を提唱し、それに基づき、「魂表層から前世人格を呼び出し対話する」という発想による前世療法の実践者は、私の他に皆無のはずです。

参考に「魂の二層構造仮説」について述べた「SAM催眠学序説その3 」を再掲しておきます。
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SAM催眠学序説 その3


SAM催眠学の「魂の二層構造仮説」


SAM催眠学の「心・脳二元論」仮説は、きわめて少数ながら、すぐれた脳科学者・催眠学者がみずからの実験研究の結果、晩年になってこの見解に至っています。
W.ペンフィールド、J・エックルズ、R・スペリーなど脳科学におけるノーベル賞受賞者、戦後日本の催眠学の泰斗成瀬悟策などを挙げることができます。

しかし、彼らは、心が脳の付随現象ではない、脳は心を生み出してはいない、という見解に至ってはいますが、心がどこで生み出されているかについては沈黙したままです。
おそらく、心と脳とは本質的に別物である、という結論に至りながら、それでは心がどこで生み出されているかについては「分からない」というのが正直なところでしょう。
同様に2006年以前の私も、臨床催眠の経験の累積から、心と脳の二元論を受け入れてはいましたが、心がどこで生み出されているかについては、想像すらできないでいました。
ところが、2007年1月23日~25日の私あて第12~14霊信では、次のように告げてきました。

「意識・潜在意識は、魂の表層を構成している前世の人格たちがつくり出している。
 

前世の人格たちは、当時の感情そのままで今も生きている。
 

彼らは互いに友愛を結び、それぞれの人生で得た知恵を分かち合っている。
 

こうして魂の表層全体は、成長進化へ向かうように仕組まれている。
現世の「私」という人格も魂の表層の一つである。
 

こうして、魂の表層を構成する一つである「私」は、他の前世の人格たちの影響を良かれ悪しかれ受けないわけにはいかない。

以上が、SAM催眠学の提唱する「魂の二層構造仮説」です。

この作業仮説で、霊信の告げたこと以外の私の推論は、「前世の人格たちは、当時の感情そのままで今も生きている」、「魂の表層を構成する一つである『私』は、他の前世の人格たちの影響を良かれ悪しかれ受けないわけにはいかない」という部分だけです。

そして、この推論は、SAM前世療法のセッションで観察できる「意識現象の諸事実」によって確認できたことに基づいています。

具体的には、良好な催眠状態を、30分程度かけて、ぎりぎりまで深化させていくと、12歳~82歳の老若男女を問わず、誰でも「魂状態の自覚」に至り、そ の意識に至れば誰でも「魂表層の前世の人格」を呼び出すことが可能になり、前世人格との対話ができるという「意識現象の事実」が証明しています。

詳しくくは、下記URL、mixiコミュニティ「前世療法の探究」のトピック「SAM前世療法体験報告」
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2399316&id=24937201 に豊富な事例があります。

また、、「前世の人格たちは、当時の感情そのままで今も生きている」という仮説の証明は、応答型真性異言「ラタラジューの事例」中に、顕現化した前世人格ラタラジューの現在進行形の対話によって証明されています。

なお、ヴァージニア大学人格研究室の故イアン・スティーヴンソンは、応答型真性異言の事例研究のうち「グレートヒェンの事例」において、催眠中に顕現化し、ドイツ語で対話する前世の少女グレートヒェンを「トランス人格」と呼び、「前世の記憶」として扱っていません。

「トランス人格」とは、催眠中のトランス状態において顕現化した前世の人格の意であり、SAM催眠学が主張する「前世人格たちは当時の感情そのままで今も生きている」とする仮説を支持しています。
ただし、スティーヴンソンは、トランス人格の所在を明らかにしてはいません。

SAM催眠学では、その所在を「魂の表層」であるという仮説を持っています。

この仮説に基づいて、被験者の魂の表層から顕現化させた前世人格が、ネパール人ナル村村長を名乗るラタラジューであり、前世人格ラタラジューは、被験者の学んだことのないネパール語による対話を24分間しており、この「魂の二層構造仮説」を支持しています。
なお、応答型真性異言「ラタラジューの事例」は、you-tubeで公開しています。
http://youtu.be/JBiM7rU6jmQ

また、フジテレビ系列の番組『奇跡体験アンビリバボー』で、2010年10月に60分間紹介されています。

唯物論に真っ向から対立するSAM催眠学の「魂の二層構造仮説」は、この仮説への諸検証によって支持されているのです。


注:SAM催眠学では、「前世」と「過去世」の用語を「前世」に統一して用います。正確な概念では、現世の直前を「前世」と呼び、それ以前を「過去世」と呼ぶのが一般的ですが、「前世療法」の用語が流通している実情から、あえて「前世」に一貫して用いることにしています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(再掲おわり)

こうして「SAM前世療法」は、前例のない世界唯一の前世療法となっています。
「前世記憶を想起させる」という前提でおこなう一般の前世療法とはまったく異なり、「前世人格を顕現化させる」という前提でおこなう「魂遡行催眠」の技法の独自性が認められ、「SAM前世療法」は第44類の登録商標となっています。

したがって、商標権者の私の承認した者以外、SAM前世療法の商標を用いて心理療法をおこなうこと、また商標SAM前世療法独創の作業仮説に基づく「魂遡行催眠」の技法を用いて前世療法をおこなうことも不法行為となります。

次回からは、SAM催眠学のルーツである私あて霊信について述べていきます。


5 件のコメント:

稲垣勝巳 さんのコメント...

魂表層の前世のものたちが、意識・潜在意識をつくりだしている、というSAM催眠学の仮説は途方もない飛躍した空想に思われるかもしれません。

しかし、現行唯物論の脳科学でも、脳が意識をつくりだしている科学的実証は一切ありません。

これについて、0phan elderさんの過去の貴重なコメントがありますので再掲して紹介します。
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これは、サム・パ―ニア以外にも指摘している人がいるのですが、現在の脳科学では、脳と意識(体験)の対応関係(相関関係)までは確認できても、「脳そのものが意識を作り出している(あるいは中枢である)」という証明にはつながらないと、この現在の唯物論的見解は、あくまでも脳科学とか人工知能の分野でやっているから、最先端で正しそうに見えるが、ほかの分野でこのような論理の飛躍を犯していれば、典型的な似非科学扱いになると。ではなぜ立証されていないのに「脳が意識を生み出していることになっているのか」ですが、そういう前提にしておいた方が、人工知能や脳科学の研究がやりやすいためという、多分にして科学者側やその研究に出資する投資家側の都合による部分も大きいとのことらしいですね。科学もまた「資本主義」であり「経営活動」なんでしょう。

 結局のところ、脳をたとえばFMRIみたいな最新機器で観測して、脳とその意識活動(体験や感情)の反応を調べて、それのマッピング自体は可能でも、「それを生み出していること」にはならず(そのことを別に立証しなければならない)、「観測できる事実」は正しいとしても、その解釈というか、認識を明らかに間違えているというわけですね。

 なので、どれだけ観測機器が高性能になっていったとしても、アプローチの仕方が同じであれば、どこまで行ってもわかるのは対応関係でしかないと。「脳と意識の因果関係」にはなりえないというわけです。

 たとえば、「死後の世界がないことの証明」は、できません。これは「ないことの証明」であり、「悪魔の証明」になってしまうからです。ですが、「脳が意識を作り出している(あるいは中枢である)」という唯物論的結論が正しいのならば、これは「ないことの証明」ではないので、本来実証できるはずなんです。しかし、サム・パ―ニアが指摘している通り、それを実証した報告や研究者は存在しません。多分それを実証するための方法論すら、今のところ見つからないのではないか。いや、あと何百年たっても見つからないかもしれません。すなわち、サム・パ―ニアの理屈に従うならば、たとえ臨死体験でも、仮にまだ我々が計測しきれない脳内の未知の領域があったとして、それを将来計測できるようになったとしても、それすらも「実証するもの」ではなく、ただ「脳の奥深くに「反応している」箇所がありましたよ」という相関関係にとどまるというわけです。これでは、確かに臨死体験を死後の世界の証明に結びつけることが困難だとしても、だからといって脳内現象説であるともいえないということであり、結局はその「臨死体験を再現するか、あるいは作り出すか」しない限り、または実証しない限りは、どこまで行っても結論は出ない気がします。
・・・・・・・・・・(再掲おわり)
私の見解も上記と同じです。
催眠心理臨床に携わる立場にある者は、目のまえのクライアントの主訴にとりくむために、とりあえず妥当だと思われる作業仮説に立ってセッションを展開する必要性に迫られています。
「心・脳二元論仮説」は、そうした立場にある私の取りえる妥当性ある仮説だと考えています。
そして、この仮説の妥当性は、「タエの事例」と「ラタラジューの事例」が示していると判断しています。

ショウタ さんのコメント...

感情論や経験論の繰り返しになるかもしれないですが唯物論が二元論より主流で二元論が支持されていないのは唯物論を覆す理論がない、あったとしても弱いからだと思います。

今日職場のAEDの訓練で元警察官の隊長が余談で言っていましたが意識は脳がつくるのが今の常識だから霊などありえないと言ってました。

その隊長は事件の調査などでいろんな専門家とかかわったことがあるらしいですが意識=脳の証拠は睡眠や意識不明の状態だそうです。もし意識と脳が別なら夢のない睡眠と意識不明の状態のとき意識はどこにありどういう状態なのか説明つかないという事です。

稲垣勝巳 さんのコメント...

ショウタさん

SAM催眠学の理論は唯物論を覆す理論だと認められませんか?
この理論を実証している「ラタラジューの事例」を唯物論で説明できますか?
あなたがこれまでのSAM催眠学序説の説いてきた記事をきちんと読み、理解できているなら、「唯物論を覆す理論がない」などの認識不足の意見が出されるはずがないと思いますが。
あなたは、私の記事をきちんと読まないで、思いつきを投稿しているだけのように思います。

睡眠中や意識不明の状態は、意識と対応関係のある脳の休止状態であり、脳とは別に存在している意識は相変わらず存在していると考えることはできませんか? 
意識がない状態があるからといって、それは脳と意識の対応関係を示しているだけで、脳が意識をつくりだしているという因果関係の証明にならないことは、0phan elderさんの紹介しているサム・バーニアの指摘しているとおりでしょう。

この隊長さんは、脳と意識の関係について突っ込んだ考察をしたことがないと思われます。
たとえば、臨死体験です。
医師から脳死診断され、脳が休止、あるいは損傷し、見かけ上意識がない状態であるのに、ベッドで横たわっている自分の様子、周囲の様子をなぜ報告できるのですか?
臨死体験が脳内現象であるのか、幽体離脱現象かの決着は着いていませんが
脳と意識の二元論の証明の可能性がある現象です。
臨死体験などをまじめに考察したことがないので、見かけ上の観察できる現象から、意識=脳という短絡した唯脳論的結論で納得し決めつけてしまうのです。

このような隊長さんが「ラタラジューの事例」を唯脳論できちんと説明できるとは考えられません。

また、ことの真理(唯脳論か二元論か)の是非は、主流とか反主流とはまったく関係のないことです。

あなたの今回の問いかけに対して私はきちんと回答しました。
あなたも、私の回答に対して返礼することが礼儀です。

ショウタ さんのコメント...

理屈では信じていても価値観としてはまだ信じられません。

例えば事件の殺人事件やバスや電車の事故での犯人や運転手が自殺や事故で死んだ場合とする。その犯人に対してどう思うか

一般論は「犯人は死んじゃえば関係ないから自殺されて悔しい」と思ったり言うでしょう。しかしスピリチュアル側は「死んでも意識は残り死後の自分の生前の評価を見たり聞いたりしている」と言うでしょう。

では貴方はどっちか

前者なら所詮は唯物論、後者ならさすがに霊魂肯定派と考えています。

稲垣勝巳 さんのコメント...

ショウタさん

「守護霊をなのる意識(霊魂に憑依)から輸血禁止命令がきたらどうしますか?」

という本ブログの投稿ガイドラインに照らして不適切な新たな投稿がありましたが全文を削除しました。

以下、削除の理由です。

①本ブログのテーマは「生まれ変わりの実証的探究」であり、実証のない、あるいは実証不可能な、ありもしない観念的な仮定の信仰問題を持ち出し、私の信仰態度を試すようなコメントを求めることは本ブログの主旨から著しく外れ、私に対して無礼であります。
これまで、私があなたの問いに対して誠実に回答していることをいいことに少々図に乗っていませんか?
個人の信仰問題に無遠慮に踏み込んでくる不快感と、あなたの社会人としての知性の未熟さを、あらためて強く感じていることをはっきり伝えておきます。

②あなたの問いは、「生まれ変わりの事実を探究する問題」から意図的に目をそらし、私と本ブログを「宗教および信仰にかかわる問題」に引きずり込もうとする意図(悪意?)が透けて見えます。本ブログが、宗教・信仰領域とは一線を画し、「生まれ変わりの科学的事実の探究」が主旨であることはこれまで再三明確に表明しています。あなたは、本ブログが掲げているコメント投稿の「前提と限界」をまったく理解できていないか意図的に無視しているとしか思えません。

③私が5月14日のコメントで、あなたに回答を求めている「「?」について、あなたがどう考えているかを記述することを怠り、あるいは無視し 、またしても思いつきの、ありもしない仮定の信仰問題を、ぬけぬけと、しつこく、繰り返し投稿してくることは厚顔無恥と言うべきです。

以上の理由で、「コメント投稿のガイドライン」に抵触していますから、管理人の権限で削除しました。

あなたの思考癖(本ブログにとっては迷惑な悪癖)である、思いつきの、言いっ放しの、とりとめのない一般論や、信仰問題の投稿を容認する他のサイトへ投稿され、そこで楽しまれることを再度強くお勧めします。本ブログ
では、そうした一般論や、ありもしない仮定論や、信仰問題を取り上げることは、はじめからお断りしています。

今回は、投稿者への敬意を払って、削除理由を述べておきましたが、今後投稿が掲載されない場合は、ここで述べたことと同様の理由で削除されたと理解してください。