2015年5月16日土曜日

SAM催眠学序説 その47 

SAM催眠学のルーツ、私あて霊信の公開


7年半前、2007年1月11日~2月14日の間に22通の霊信が私あてに届いています。

「霊信」とは文字通り、霊界の住人である高級霊とおぼしき存在 からの通信現象のことです。
チャネリングと同様の意味ですが、こちらの用語はニューエイジと呼ばれるスピチュアル系の人々の用い始めた言葉のようです。

それに先だって、「シルバーバーチの霊言」、「モーゼスの霊訓」、「アラン・カルディックの霊の書」など、スピリチュアリズムの名だたる高級霊からの通信を「霊信」という用語で呼んでいますから、本ブログでも「チャネリング」ではなく「霊信」で統一します。

私あて霊信の受信者は、2007年当時、拙著(『前世療法の探究』春秋社)の読者M子さんでした。
この霊信受信者M子さんは、当時26歳の東京在住の派遣社員でした。
ちなみにM子さんと私とは、霊信が届くまでに著者と一般読者という以外に面識は一切ありません。
私は、霊的感性があると自覚したことは皆無で、それまでに霊信現象などを望んだことも一切ありませんし、何の目的で、よりもよってなぜ私に、霊信が届くのか、いまだに不可解のままでいます。
この後順次公開していく霊信によれば、畏れ多くも「神の計画」なのだ、と告げられていますが、なぜ「神」が私を選んで計画されたのかが、ますます不可解だという感が強まるばかりです。

私は、マルクス主義に染められ、それなりに学生運動に参加した全共闘世代の人間であり、2005年に「タエの事例」に出会うまでは、明らかに唯物論者であり、宗教や霊的存在について考えたこともなく、信仰心などとは無縁で、まったく無関心で生きてきたからです。
その証拠に、左翼過激思想の要注意人物として、当時の公安警察のリストに顔写真とともに載っていることを、教員奉職後数年経ってから、中学生時代の友人で県警公安部の警察官によって、直接こっそり教えられています。
道理で、なるほど教員採用試験結果が「保留」だったのかと納得できたものです。
ちなみに、私は学生時代に過激派組織に所属したことも、教職に就いてから日教組に所属したこともありません。組織にはなじむことのできない人間だったと思っています。


したがって、私にとって2007年1月11日から届くようになった霊信は、まさにある日、望んでもいないのに、唐突に、届くようになった通信現象であり、それらしい心当たりのないものでした。

あるとすれば、拙著読者のM子さんから拙著の感想メールが届き、その文面に自分は幼いころからチャネリング能力があり、現在もチャネリングによって友人の父親などの病気の治療法について霊的存在からの情報を得ている、という内容に接し、私が興味半分に「私についてチャネリングをしてもらえますか?」という返信をした、なんとその1時間ほど後にM子さんを経由して第1霊信が届いたことでしょうか。
そして、驚くべきことに、第1霊信の文章量が、A4用紙4枚分あったことでした。
もし、M子さんが作文したことを疑っても、1時間そこそこでは、とても打てるはずがない量と質の内容でした。
懐疑的思考の旺盛な私に、この霊信が、自動書記による真性の通信霊からのものであることを示すための仕業だったと思われます。

次回、第1霊信を公開しますので確認してみてください。

それが2007年1月11日22:44(M子さんから私への受信第1霊信の転送時刻)でした。
その後毎夜2月14日まで約一ヶ月間霊信が続いたというわけです。全霊信の文章量はA4用紙84枚に及んでいます。霊信の1回の文章量はA4用紙2~4枚です。

M子さんによれば、霊信のある前兆として後頭部に鈍痛が起こるので、それを感知してパソコンの前に座ると、自動的に指が構えてキイを打つという自動書記現象が起こるということでした。
また、パソコンによる自動書記の最中には、打ち込まれている文章が何を記述しているのか分からないということです。
どうやら、浅いトランス状態で自動書記がおこなわれたと推測できます。

M子さんは、霊信を受信すると同時にわたしのパソコンに転送しているということでした。
私は、2007年1月27日、M子さんに当研究室に来ていただき、1例だけですが、こうしたパソコンによる自動書記現象を目前で観察しています。

受信状態にあるM子さんは、明らかにトランス状態にあり、朦朧とした目線でブラインドタッチでキイを叩いていました。M子さんはふだんでも、ブラインドタッチで文章が打てるパソコン技能があるということです。

プリントアウトした霊信は、主述のねじれや誤字のない完璧なものでした。
彼女によれば、受信中はどのような内容を打っているのかまったく分からないということです。
そして、ときどき「違う!」という頭の中で声が聞こえると、指が自動的に打ち直しをするという自覚はあるということでした。

今後しばらく、このブログに公開していく霊信の真偽については、霊信をもらった直後、私が抱いた4点の懐疑的視点で、文体も含めて判断しながらエンタテインメントとして読んで下さるとうれしく思います。
もし、お気づきの点が出てきましたら、いつでも気楽にコメントしてください。

①受信者M子さんの作為による創作ではないか

②M子さんの潜在意識による無意識的創作ではないか

③低級霊による悪ふざけではないか

④ホンモノの高級霊(私の守護霊団)からの通信ではないか

なお、私あて霊信を公開する理由は、この霊信の真偽を検証する過程で、「SAM前世療法」の作業仮説が形成されていったからです。

2007年の私あて霊信の恩恵によって、その1年後の2008年にSAM前世療法が創始され、2009年には「ラタラジューの事例」があらわれたからです。

そして、SAM前世療法の7年間の実践によって「SAM催眠学」が形成されたからです。
そのルーツとなっている私あて霊信を公開しようというわけです。
次回から始まる全霊信の公開をもって「SAM催眠学序説」 は一応完結する予定です。

なお、 付記すれば、本日(2015年5月16日)のSAM前世療法セッションで魂状態に遡行した50代女性クライアントに憑依した私の守護霊を名乗る霊が、霊信の公開によってあらためて霊的真理を世に広めよ、というメッセージを伝えてきました。
実は、すでに2011年7月に、霊信が指示してきた部分的秘匿個所を除いて、霊信の公開を一通りしています。


さて、今回の私の守護霊の告げた「霊的真理」とは、霊的存在と地上の人間とは交信が可能なこと、したがって、自分たちのような霊的存在が実在していること、を意味していると思われます。


霊信の公開は、前ブログ記事末尾で予告したように、本日(2015年5月16日)夜から開始するつもりでいた矢先のタイミングを計ったような、私の守護霊を名乗る者からのメッセージでした。
なんとも不思議な符合というべきでしょうか。

さらに言えば、今回憑依した私の守護霊は、私が本日夜から霊信の公開を始めることをあらかじめ察知しており、そのためにメッセージを携えてきたとも告げています。
同様に、私の1時間ほど前の具体的行動を、どこからか見ており、ずばり指摘したとしか思われない、7年前の第3霊信の文言があります。

ちなみに、かの有名な通信霊シルバー・バーチは次のようなことを述べています。

「霊的な知識を手にした人間は、自分のもとを訪れる人にそれを提供する義務があります」

「知識には責任が伴うというのが私の一貫したテーマです。知識による恩恵を受けたからには、こんどはそれをいかに生かすかという責任が必ず生じます。そこにあなたの自由意志による選択が問われます。それがあなた自身の責任の尺度となるのであり、これだけは他の誰一人として代わってあげるわけにはいきません」


今回降りてきた私の守護霊の目的も、シルバーバーチと同様のことを私に伝えるためだと思っても
まちがいないではなかろうと考えています。


次回から順次公開していく私あて霊信が、M子さんのパソコンによる自動書記という「意識現象の事実」 は確認されていますが、通信霊の実在と霊信内容のほとんどの真偽については検証不可能です。
ただし、この7年間でわずかに検証できたことは、霊信文章に「注」を付けてコメント欄で説明していきます。

なお、 通信霊実在の有無が検証できないので、「注」における正確な記述は「稲垣の守護霊とおぼしき存在」、「稲垣の守護霊を名乗る霊的存在」とするべきでしょうが、表記が煩雑になることを避けるため、「おぼしき」や「名乗る存在」を省略し、「稲垣守護霊」というように記述していきます。

次回から公開していく霊信を、肩の凝らないファンタスティックな読み物として楽しんでください。

1 件のコメント:

稲垣勝巳 さんのコメント...

ショウタさん

「もし心と脳は別物であるなら脳により感情がコントロールできなくても放送局の意識が正常であるなら主体性は保てそうに見えますがどう思いますか?」

という文章(ねじれがある)、内容ともに不適切な投稿がまたありましたが、私がこのページで話題にしているのは「霊信現象」です。この話題に関するコメントをしてください。
また、今回同様のあなたの質問はすでに過去のブログできちんと回答しています。検索して読み返してください。
量子脳仮説についてでも、あなたが三度まで同じ質問を繰り返したことと同じことを、心・脳の二元論でもやっているのですよ。
また、観念論ではらちが明かないから
具体的事例に基づいて考えましょうと言い続けているのです。あなたは「ラタラジューの事例」を唯脳論で説明できたためしがないではありませんか。
この事例は、脳とは別の死後存続する意識体を想定しないで説明できない、という私の主張を論破してから、心・脳二元論を批判することが筋でしょう。あなたは、それをしないで、観念論を持ち出して論点ずらしをしてはごまかしてきました。

もう、「賽の河原の石積み」は、いい加減にやめましょう。また、脳と意識のような重大問題は、ご自分で沈思黙考し、諸資料を漁り、じっくり時間をかけて、自分なりの解答を探せばよいのです。
人を安直に頼っては知性を磨くことはできません。

過去ブログの繰り返しになりますが「心・脳二元論」の立場から、この質問の回答をごく端的に再度示しておきます。

脳とは別の意識の発信(放送局の電波)が正常でも、脳(受信機であるラジオ)の機能に薬物や老衰や外傷によって損傷や狂いが生じていれば、意識(電波)に対して正常な対応(受信)ができなくなる、そういう解釈も成り立つのではありませんか。

辛辣な例えをすれば、私が発信した回答情報を、受信するあなたの脳の記憶機能が傷んでいるので、私が何度同じ情報を発信しても、あなたの脳は正常な対応(受信して記憶すること)ができない、というわけです。

あとはご自分でじっくり考えてください。