2015年4月4日土曜日

SAM催眠学序説 その43

ネパール人「ラタラジュー」の人生再現


前世人格「タエ」の人生の再現をしましたので、その次の生まれ変わりネパール人「ラタラジュー」の人生を再現してみようと思います。
ラタラジューは78歳で死亡したと彼自身が語っていますが、78年の人生の大部分が謎に包まれています。
ここでは、彼の語りと守護霊の語り、史実との検証、セッション後フラッシュバックでの語りを手がかりに分かっている限りの再現を試みてみます。

なお、文章中の「ラタラジューの語り」、「守護霊の語り」、「検証されている史実」、「フラッシュバックによるラタラジューの語り」を明確に示し、想像で ある部分と事実である部分とを区別するために、下線の後ろに3種類の記号が付けてあります。記号の意味は次のとおりです。

記号S1:ラタラジューの語り 
記号S2:守護霊の語り
記号K:検証済みの史実
記号FB:フラッシュバックによるラタラジューの語り 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ラタラジューはカレンダーを知りません。当然西暦も知りません。(S1)したがって、ラタラジューが西暦何年の生まれかを推測するためには、彼の語りの中でネパールの歴史に残っている事件を手がかりにして、その時点で何歳であるかを特定し、そこから逆算して生年を割り出す方法をとってみました。

ラタラジューはネパール語対話の中で、「30歳」という年齢を答えた直後にそれに触発された記憶であるかのように「ラナ、ラナ」と二度に渡って発語しています(S1)
また、若いころカトマンズに住んでおり、「戦いました。ラナ・・・シャハ・・・ラナ、戦いをした」S1)います。

さらに、守護霊は「ラタラジューは・・・若い頃、人を殺しています」と語っています(S2)

30歳、ラナ、カトマンズ、人を殺す、戦い、この5つの関係を推理すると次のような事実関係が成り立つことになるでしょう。

ラナとはネパールのシャハ王朝の独裁権力を振るった宰相家「ラナ家」を指していることは間違いないと思われます。ラナ家のシャハ王朝での独裁権力は1846年から1951年まで続きました(K)
そのラナ家が独裁権力を握るために有力貴族を殺害するという流血の権力闘争が1846年にありました。 (K)

こうして、ラタラジューは、1846年の当時30歳のときにカトマンズに在住しており、ラナ家の権力闘争に傭兵として戦闘に参加し、敵兵を殺害している、という推理することが妥当だと考えられます。
1846年当時30歳であれば、誕生は1816年ということになります。
2015年から200年前に誕生したネパール人ということです。

ラタラジューの前に生きた日本人少女タエは、天明3年(1783年)に溺死していますから、タエの死後33年でネパール人男性ラタラジューとして転生したことになります。
そして、ラタラジューは78歳で死亡したと語っていますから、 1894年の死亡になります。

ちなみに被験者里沙さんは1958年生まれですから、ラタラジューの死後64年で現世の里沙さんに転生したことになります。

守護霊の語りによれば、里沙さんの生まれ変わりはタエが初だ(S2)ということですから、彼女の生まれ変わり間隔は、タエ(1767-1783)の33年後にラタラジュー(1816ー1894)、ラタラジューの64年後に里沙(1958ー現在)ということになります。

このように、同一被験者の二人の前世人格の語りから、生まれ変わりの間隔が特定できた事例はこれまで世界に例がありません(K)

そもそも、2つの前世記憶を語り、その2つの前世記憶が2つともに検証可能なレベルで詳細に語られ両方とも事実と確認できた事例は、イアン・スティーヴン ソンの2000例を越える膨大な研究でも、たった一人しか見つけ出されていないのです。(K)(『前世を記憶する子どもたち』P333)
しかも、事実と確認できた2つの事例の一方が応答型真性異言で語られた事例は、これまで世界に例がありません(K)
こうして里沙さんは、応答型真性異言を語った前世と、検証の結果事実と確認できたもう1つの前世の、2つの前世を語った世界唯一の被験者ということになります。

したがって、里沙さんの語った「タエの事例」と「ラタラジューの事例」が、世界の生まれ変わり研究史上、きわめて貴重で稀な事例であることは強調してもしすぎるということはないと思われます。
しかも、「ラタラジューの事例」は催眠中の応答型真性異言事例として世界で三例目であり、その証拠映像が撮影されたのは世界初の事例なのです。


さて、ラタラジューは、1816年ネパールのナル村で誕生したと推定できます。

ナル村は、カトマンズ中心部から南方直線で34kmにある寒村です。
海抜1800mの位置にあり、2010年現在人口2277人、420世帯の小さな村です。
人口の97%を少数山岳民族のタマン族が占めており、90%以上がチベット仏教徒の村です。

家族構成で分かっていることは、父親タマリ(S1)母親ラムロ((FB)妻ラメリ(S1)息子アディス(S1)娘クジャウス(S1)ということです。

父親タマリはタマン族のグルカ兵だと語っています(S1)から、ラタラジューは間違いなくタマン族だと推定できます。タマン族は他民族との婚姻を認めないことが普通とされています(K)から、母親ラムロもタマン族であったと思われるからです。宗教もチベット仏教であろうと思われます。
ちなみにラタラジューは、グルカ兵であった父タマリを尊敬していたことが話しぶりから推測できます(S1)

したがって、ラタラジューの母語はタマン語であることは間違いなく、共通ネパール語が十分に使えなかったと推測できます。

ラタラジューが青少年時代をどこで過ごしたかは不明ですが、おそらくナル村で農耕生活を送っていたと推測できます。

前述したように、その後ナル村を離れたラタラジューは、1846年の当時30歳のときにカトマンズに在住しており、ラナ家の権力闘争に傭兵として戦闘に参加し、敵兵を殺害している(S1・S2)、と推理することが妥当だと考えられます。
この時点で、妻子をもうけていたかどうか、妻子を連れてカトマンズに在住していたかどうかは不明です。

里沙さんによれば、ラタラジューは傭兵としては勇猛で、しかも倒した敵兵の死体を蛮刀で切り刻んで喜ぶという残虐性があったようです。(FB)
このフラッシュバックによって、里沙さんはしばらくの間、肉料理ができなくなったと報告しています。
肉を包丁で調理するときに、ラタラジューが敵兵の肉を切り刻む感覚が再現するということでした。


現地調査を依頼した、ソバナ・バジュラチャリヤ博士(文化人類学)によれば、シャハ王朝が傭兵としてタマン族の青年を用いていたことは事実であるが、ラナ家の権力闘争でどれくらいのタマン族傭兵が参加していたかという数字は定かではない(k)ということでした。

30代の傭兵時代の後、ラタラジューが何歳でナル村に戻ったかは不明です。
ナル村で村長となり、78歳まで生きたということは語っています(S1)

ただ、ラタラジューはナル村の人数を25人と答えていますから、この人数がラタラジューがナル村に戻ったときの人数だと推測してよさそうです。(S1)

この人数は、いかに100年以上の人口とはいえ、2010年現在が2200人を越えていることを考えると、不合理に感じられます。
この点については、かつて村内25世帯で1つの区を形成していた時代があったことが検証されており(K)、デタラメな数字ではないと思われます。

フラッシュバックの語りによれば、ラタラジューは殺した敵兵の妻や子どもを引き連れナル村に戻った(FB)と言っているそうで、それら新住民を新たに自分の君臨する1つの区として形成したと推測することが可能です。
なぜなら、ラタラジューは、フラシュバックで、村内で独裁権力を握って、村民を酷使した恨みを買ったことにより、最期は毒殺された(FB)と語っているからです。
毒殺はラタラジューの血を引く息子、娘にも及び、妻ラメリ以外のラタラジュー一家は村内からすべて抹殺されたと語った(FB)そうです。

フラッシュバックの語りの信憑性の真偽は検証不可能ですが、ソバナ博士に依頼してナル村の古老34名に聞き取り調査をしても、ラタラジューとその家族の消息を知る者が一切発見できなかった事実(K)が理解できそうです。

私が、フラッシュバックの語りに信を置くのは、フラッシュバックによって想起されたナル村の風景が偶然では説明できない具体性を帯びている(FB)ことが一つ、もう一つは、「助けて、助けて」と煩悶しながら死の様子を語るラタラジューは、間違いなく現世の里沙さんの腹部に激しい痙攣を再現しているからです(S1・K)

一方で「生きて、人と、平和な村を、守る喜びを感じました。願わくは、字が読めるようになりたかった」とも語っています(S1)から、ラタラジューは横暴なだけの悪村長でなかったかもしれません。



こうして、ラタラジューも、タエと同様、その実在の完全な証拠を後世に残すことなく78年の一生を終えました。



2 件のコメント:

坊 さんのコメント...

いい加減目を覚ましなさい。

死んだら永遠の眠りです。

寝ている間意識はありませんよね?生まれる前には意識や記憶はありませんよね?

それと同じです。

意識は脳です。今は知的障碍者を脳の手術で天才にできるよう研究されているそうです。

稲垣勝巳 さんのコメント...

坊さん

いい加減に目を開いて「ラタラジューの事例」の証拠映像をごらんなさい。

そして、意識が脳の付随現象であって、脳の消滅とともに現世の人格・個性・記憶もすべて消滅する、という唯物論信仰によって、応答型真性異言現象を論理的整合性のある説明をしてごらんなさい。

「意識」自体を、映像化したり計量化したり数値化できませんよね。けれど誰もが、自分に「意識」がある、ことを自明のこととして疑いを持ちませんね。受け入れていますね。
まさか坊さんは、「意識」は、映像化することも計量化・数値化することもできなかいから、そんなものは存在しないとは思わないでしょう。
観測できる物質だけが実在している、と思い込む唯物論のみで世界を隈無く理解できると思うのは、浅薄で危うい傲慢な主張だとは思いませんか?

帰無仮説信仰から目を覚ます必要があるのは坊さん、あなたのほうです。