2015年4月12日日曜日

SAM催眠学序説 その44

前世人格顕現化中の意識状態 その1

「タエの事例」の第一回セッションは、2005年3月31日におこなっています。
その二ヶ月後の第二回セッションは、2005年6月4日におこなっています。
「タエの事例」こそ、「被験者の前世の記憶」を探る、という前提から、「顕現化した前世人格の語り」を探る、という前提へと転換を迫られた事例です。
そして、タエの語り内容を検証し始めて、でたらめが1つもないということが明らかになってきた時点で、被験者里沙さんに、セッション中の意識内容をできるだけ詳しく思い出して報告してほしいという要請をしました。

下記のセッション記録は、第二回セッション100日後に書かれたものです。
「タエの事例」が、現行唯物論では説明できず、現時点において「生まれ変わり」仮説を実証するきわめて貴重な事例であることに鑑みて、このセッション記録は、前世人格の顕現化現象を研究する第一級の資料だと考えています。
なぜなら、生まれ変わり研究の先駆者イアン・スティーヴンソンですら、こうした被験者のセッション中の意識内容の報告を入手していないからです。
そして、現行科学において、「意識現象の内容そのものの」研究は、その意識現象を体験した被験者の体験報告にたよる以外の方法論がいまだにないからです。

なお、 報告文章の「注1~6」についてのコメントが、末尾に述べてあります。

 

「タエの事例」中の意識状態

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


私のこれまでの人生後半は、痛みとの闘いでした。特に、子どもを生んでからは側湾症が悪化し、辛い日々を過ごしてきました。
痛みから、夜眠ることもままならない状態になり、次第に「死んで痛みから解放されたい、楽になりたい」と死を望むようになりました。
でも、こんなことではいけないと、以前、子どもの不登校を催眠面接で治していただいた稲垣先生に、前世療法をお願いすることになりました。
 私の望みは、前世療法により、痛みに耐えて強く生きるきっかけを作り出すことにありました。

二回目のセッションを受けた後、三日間ぐらいは、セッション中の記憶が鮮明過ぎるほどにあり、そのせいか、こめかみあたりに鈍い頭痛が続きました。
頭痛が消えると同時に、記憶も急速に薄れました。四か月あまり経って記憶が薄れていますので、一生懸命思い出しながら、書き綴ってみます。

一回目のセッションでは、稲垣先生の誘導により、暗闇のトンネルを進み、前世の世界の扉を開けることから始まりました。
次は、そのときの状態を、記憶に残っているままに書き留めたものです。

扉を開けると、眩(まぶ)しい光の世界が見え、そこにもう一人の私がおりました。
前世の私と思われるそれは、姿も形もなく、無論男か女かも分からない、音も声もない、小さな光の塊(かたまり)ではありましたが、まちがいなく私でした注1
そして、一瞬にして、すべてのものが、私の中に流れ込んできました。私は、自分が何者なのかを知り、状況も把握できました。

私の前世は、タエという名前の女性で、天明三年に起きた火山の噴火を鎮めるために人柱となって、16歳で溺死するというものでした。
目の前に迫る茶色い水の色や、「ドーン」という音もはっきり分かりました。水を飲む感覚、息が詰まり呼吸できない苦しさ、そして死ぬことへの恐怖、それは言葉では言い表すことのできない凄まじいものでした。
私は、タエそのものとして死の恐怖を体験しました。注2
 
前世療法を受ける前までは、自分の前世がクレオパトラか楊貴妃だったらいいのにと勝手に空想したりして楽しみにしていましたが、まさかこのような前世が現れるとは夢にも思いませんでした。
自ら志願して人柱になる前世を持っていたとは、皮肉なことだと思わずにいられません。

ただ、死ぬというあまりの恐怖を体験したことによって、現世の私が「死にたい」と思わなくなったことが、私にとってよかったことだと思います。
とはいえ、しばらくの間は、溺れ死ぬ間際の、恐ろしい夢を見続けるというおまけ付きでしたが。

二回目のセッションでの私の望みは、できることなら痛みに耐えて、生きてゆく意味を、自分なりに見つけたいということでした。
このセッションは、70分という時間がかかったことを後で聞かされましたが、私には、せいぜい30分程度の感覚でした。

後でビデオを見せてもらいましたが、偉大な存在者の記憶は全くなく、そのあたりで時間のズレができたのではないかと思います。
ただし、タエと、ネパール人と、中間世の魂となっている部分の記憶は、催眠から覚醒しても、ハッキリ覚えていました。

次は、二回目のセッションの記憶を書き留めたものです。
前回と同じように、扉を開けると、あっと言う間に、私は13歳のタエで、桑畑で桑の実を摘んで食べていました。
私がそのタエを見ているのではなく、私自身の中にタエが入り込んでくるという感覚でした。注3

稲垣先生から、いろいろ質問がされましたが、現世を生きている私が知るはずもない遠い昔の出来事を、勝手に口が動いて、話が出てしまうという状態でした。注4
それは本当に不思議なことでした。

私は、今まで、群馬県に行ったこともありませんし、渋川村があったことも、吾妻川という川の名前も、それが利根川の支流にあたることも知りませんでした。
浅間山が噴火することは知っていましたが、天明三年旧暦七月七日ということは知りませんでした。
また、浅間山が龍神信仰の山であることも、火山雷のことも知りませんでした。
タエは名主クロダキチエモンと言っていますが、私はそのような人物を知りませんし、天明時代の名主の名前を調べたこともありませんでした。

さらに言えば、私は、今まで透視や憑依などの超常現象を経験したこともなく、その能力も全くありません。
インターネットを使うことができないので、タエの生きた時代や、ネパールについても、前もって調べることは不可能です。
また、本やテレビ、映画などでその時代の知識があったかというと、それもありえないのです。
なぜなら、私は天明時代やネパールについて全然興味がないからです。

それでは、なぜ答えることができたのかと言えば、やはり前世に出会ったとしか言い表せないのです。

やがてタエの息が絶え、私は、死後の世界を体験することになりました。そこは明るい光の世界で、私の身体はなく、ただ意識だけの存在になりました。注5
そして、偉大な存在者の姿を見ることができました。逆光の中に立つその方は、大きく、身体の周りが光で覆われ、色の黒い異国の人のようでした。

稲垣先生から、その偉大な方に質問し、やりとりしているときは、私は、まるで電話機の役割をしているようでした。
双方の声が、私を通してやりとりしている、そんな感じでした。
だんだんに二人の声が聞こえなくなり、その後のやりとりは、セッションが終わった直後も、今も、全く記憶にありません。

その後、私の記憶は、ネパール人のラタラジューという、ナル村の村長をしているところから始まります。
先にも触れましたが、私はネパールについては何も知りません。ネパールでは、西暦もカレンダーも、使われていないことを知りませんでした。「グルカ」という言葉も、ナル村という村があることも、もちろん知りません。
そして、その後、私は、現世の私に生まれ変わったのです。

こうして、私の前世療法は終わりました。
しばらくの間は、しっかりと二つの前世の記憶が残っていました。
私の語ったことが、どの程度検証されるのかは分かりませんが私にとっては、検証するまでもない、真実の記憶としか思えません。
私自身は、この二つの前世を「実体験」したことにより、前世を信じざるをえないようになりました。

一回目のセッション後の私は、死を恐ろしいものと実感し、死にたいという気持ちから解放され、どんなに辛くても生きていたい、と思うようになりました。

その後、二回目のセッション後は、生まれ変わりを信ずるようになりましたので、死を恐れなくなってきました。
もし、私が、死に直面しても、皆さんに「また来世で会いましょう」と言えるのではないかと思います。
現世限りで終わるのではなく、次の人生があると確信しているからです。
でも、だからと言って、死を望んでいるわけではないのです。
そのときが来るまで、せいいっぱい生きて、現世に生まれ変わってきた使命を果たしたい、と思うようになりました。注6

私は、幸いなことに(今はそう思えるのです)、側湾症で身体の痛みの辛さが、身にしみて分かっています。
見た目にも、背骨の歪みが分かるまでに悪化しています。同じような苦しみや、悩みを持つ人を、ある程度理解できます。
できることなら、もう一度勉強し、資格を取り、そうした人達とともに、生きる道をめざしたいと願っています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

注1:こうした意識状態をSAM催眠学では「魂状態の自覚」と呼んでいる。つまり、里沙さんは魂状態の自覚へと遡行したのだと解釈している。魂状態にあっては、体重の感覚が消失し、肉体の感覚が消える、したがって性別の自覚もない、と多くの体験者が報告している。

注2:被験者里沙さんの意識には、「現世の意識」と「前世人格タエの意識」の2つの意識が併存状態になって自覚されている。こうして、里沙さんの「現世の意識」は、「前世人格タエの意識」を別人格のものと識別しつつも、タエの意識を共体験していると考えられる。つまり、前世人格の意識は、現世の意識とは別ではあるものの、まったく縁のない別のものではなく、何らかのつながりを感じさせるものでもある。こうした感覚を、「同一性の感覚」と呼んでいる。

注3:「私自身のなかにタエが入り込んでくるという感覚」は、いわゆるタエが憑依しているという感覚である。一般に「憑依」とは、自分に縁のない第三者の霊が憑依することを指す。前世人格タエが生まれ変わりである里沙さんに憑依する、などの憑依現象はこれまで報告されたことがない。
SAM催眠学では、こうした前世人格の憑依現象を「自己内憑依」と呼んでいる。自己の内部に存在している前世人格が、現世の自分に憑依して、前世人格が自己表現する現象のことである。換言すれば「前世人格の顕現化」である。

注4:「勝手に口が動いて話が出てしまう」のは、前世人格タエが「自己内憑依」をして、現世の里沙さんの発声器官を用いて自己表現しているからである。つまり、口を動かし話をするのは、里沙さんとは別人格のタエの人格の仕業だからこそ、里沙さんには自分の意志とは別に、「勝手に口が動き、話が出てしまう」という自覚になるのである。こうした自覚は、前世人格の顕現化中の被験者の意識として多くの報告がある。SAM催眠学では、「自動発話」、「自動動作」と呼んでいる。

注5:これが中間世、あるいは霊界における「魂状態」であったときの記憶ということになる。こうした魂状態であったときの異次元の記憶を語るSAM前世療法の被験者は少なくない。


注6:こうした生まれ変わりの確信が、けっして「生まれ変わるのだから苦痛の現世を早く切り上げて(自殺して)、次の生まれ変わりに期待しよう」という方向へ向かわないことの証左である。
生まれ変わりがあるとしても、現世は相変わらずかけがえのないただ一度人生である 。そして、生まれ変わりは惰性であるはずがなく、成長のための何らかの現世の課題を果たすためにある、と実感したとSAM前世療法後に報告されるのがふつうである。

4 件のコメント:

ショウタ さんのコメント...

臨死体験に対する新たな唯物論記事を発見しました。

http://irorio.jp/daikohkai/20150415/220890/

この記事を読む限り、私ですら意識は脳内現象ではないかと思ってしまいます。


以前に稲垣先生がおっしゃられたとおり、臨死体験では死後の世界の証明には到底たどり着けそうにないところか否定されてしまいそうです。

やはり唯物論が正しいのでしょうか。そう思うとなんだか悲しくなりますね。

魂の存在は前世の記憶と量子脳理論に期待するしかないみたいですね。

稲垣勝巳 さんのコメント...

ショウタさん紹介の記事の後半は次のようになっています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
(実験につかわれたネズミが)心停止する瞬間、脳がシグナルを送って心臓を止めようとし、神経伝達物質を放出することが判明。しかも逆にシグナルをブロックすれば、心停止の最終段階となる心室細動を遅らせることが可能になる、ことも示唆された。
この心臓と脳のメカニズムにより、「脳内現象説」が有力になったが、まだ不十分と言わざるを得ない。というのも脳が活性化するだけでは、手術中の自分の姿を正確に覚えている幽体離脱を説明できないからだ。
しかも脳は心停止してから30秒で活動を停止すると言われているが、幽体離脱の場合、3分間以上の記憶が残っている場合もある。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
この記事をありまままに読めば、臨死体験におけるこれまでの脳内現象説を
大きく前進させたとは言えないのではないですか? しかも、ネズミの脳による実験結果でしょう。人間の脳とネズミの脳との質的な差異があるかもしれないことが無視されています。
そして、ネズミは臨死体験中の意識体験の報告は絶対できませんわね。

坊 さんのコメント...

疑似科学という言葉を知っていますか?

貴方のやっている行為は科学ではなく疑似科学(ニセ科学、似非科学)に過ぎません。

「生まれ変わり 疑似科学」と検索すれば批判的著書が見つかり貴方の行為がいかに疑似科学か分ります。

稲垣勝巳 さんのコメント...

私の提示している「ラタラジューの事例」が、疑似科学だとして、あなたの主張される正当科学で論破してください。

また、イアン・スティーヴンソンの膨大な生まれ変わり事例研究も、疑似科学ということになりますから、これも正当科学の立場からきちんと論破してごらんください。

これまで反証可能性に開いた形で「ラタラジューの事例」を公開しているにもかかわらず、坊さんが具体的反証を一切挙げることができず、幼児的、偏執的に、疑似科学だと具体的反証なしに相も変わらぬ批判することは、非科学的誹謗と言うべきでしょう。説得力はまったくありません。

坊さんが、それほどまでに生まれ変わりを認めたくないのであれば、生まれ変わりを否定する具体的、科学的証拠をきちんと提示して反論する以外に方法はないのです。

これまで口が酸っぱくなるほど坊さんに要求していること、すなわち、まずは「ラタラジューの事例」の具体的反証をきちんと挙げて反論することです。
それが、相変わらずできないので、苛々が募っているのではありませんか?
中身の空虚な抽象的批判は今後一切受け付けませんのでご了解ください。